NINTENDO64

登録日:2010/05/24(月) 23:27:14
更新日:2020/08/30 Sun 01:24:18
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任天堂が1996年に発売した三代目のTVゲーム機で第5世代。前機はスーパーファミコン
名称の由来はそのまんま、内部で採用されている64bitCPUに由来。子供には分からないよね。
後のニンテンドーDSなどとは違い、カタカナ表記ではニンテンド64。
通称「ロクヨン」。ただし公式での読み方は「ロクジュウヨン」。実際はロクヨンとも読まれてたけど
開発コードネームは「ウルトラファミコン」。

任天堂が初めて本格的に3Dポリゴンのゲームを作れるように開発したゲーム機。
これまでの任天堂の家庭用ゲーム機はサードと共にアドレナリン全開の横スクロールアクションを中心に提供してきたが、
同時期に販売されたライバル機であるPlayStation(PS)やセガサターン(SS)に対抗するためか、3Dアクションやレースゲーム等が多くなった。

第五世代ハードとしては後発で、数字が大きくて強そうな「64ビットCPU」、テクスチャに歪みが出ない「パースペクティブ補正」、ポリゴンの交差ができる「Zバッファ」などを搭載していた。そのため他のハードとは異なり論理的に正しい手法で安定したポリゴンを描写でき*1、全体の性能はライバル機達を大きく上回っていた。
当時松下が準備していた第六世代ハードM2も、この64を上回る性能であることを強調して高性能をアピールしていたほど。

CPUは93.75MHz動作の64bit MIPS。PlayStation(こちらもMIPS)には無い浮動小数点演算器まで積んで、スーファミの3.58MHz動作の8bitに毛が生えたような65816とは演算力は雲泥の差である。
ところで、MIPSは各種命令に32bitと64bitの区別があり、ふつう64bitの方がメモリ容量も食うしデータ転送にも演算にも時間がかかる。ゲームを作っていて64bitの数値を使いたいような場面などまず出てこない。であれば何をするにも32bitで済ませるのが利口ということで、64bit CPUの本領を発揮することはほとんど無かったというのがもっぱらの噂である。

「Reality Coprocessor」と銘打ったGPUは頂点の演算にマイクロコード方式を採用。今風に言えばプログラマブルシェーダである。マイクロコードの作りによって高度なポリゴン表示をしたり演算を単純化してポリゴン数に全振りしたり2次元表示に特化したりとバランスを変えられ、更には最強羽生将棋の思考ルーチンのようなGPGPU的な使い方すらできたのである。
しかし性能を引き出すには専用の特殊なプログラムが必要、かつ任天堂から提供されたマイクロコードの質があまり良くなかったという話もある。これが後述の「開発が難しい」問題につながっていく。

ソフトメディアは、山内社長(当時)がROMカセットを推した為にカセットを採用したといわれている。
理由は現在よりCD-ROMのロード時間が遥かに長かったので*2、それを懸念した結果の判断だった模様。
たかがロードと思うかもしれないが、任天堂はロード時間にかなり拘っており、後にディスクメディアを採用するゲームキューブ*3やWiiでもロード時間短縮に力を入れている。
このロードが短いという特徴を活かし、BGMを状況に応じて変化させるという当時としては先進的な仕掛けを仕込むことが出来たりした*4


一方で、ROMカセットは原価が高い上に容量がCD-ROMより少ないと言う問題があり、他にも当時流行っていたプリレンダリングムービーも使えなかった。
同じ第5世代のライバル機であったPSやSSは既にソフトメディアとしてCD-ROMを採用しており、64だけソフトの容量が少なく原価が高いという問題を抱える事になってしまった。さらにこの時期はFFⅦなど「プリレンダムービーを多用した大作RPG」が流行っていたので、プリレンダムービーが使えないというのもハンデとなった。

また、ゲーム開発が難しいというかなり大きな問題点もあった。
当時はハル研究所に所属し、実際に64でゲーム開発を行っていた岩田聡氏*5によると「ある時はよく動くのだが、ある時は妙に性能がでない。しかも、何が原因で性能が出ないのかイマイチよく分からない。」と語っており、64のピーキーな性能を『チューニングしたスポーツカー』に例えていた。
それに加え冒頭にある通りプログラムも難しいとなれば開発難度が高くなるのも当然である。

結果として、任天堂ですら『タクティクスオウガ』などを完成させきれずお蔵入りさせてしまった。この様に64は開発中止タイトルが任天堂ハードの中でもかなり目立つハードだったと言える。

その一方で、SCEはゲーム作成支援用ソフトやデバッグ用の本体の格安提供などを行い、積極的にゲーム開発がしやすい環境を作っていた。
開発難度の問題と上述のROM問題とが重なり、コナミやカプコンなどの多くのメーカーは「低容量で作りにくい64よりも大容量で開発しやすいPSやSSの方がいいだろjk……」と考えてしまう。
そこに加えて、スクウェアとエニックスがPSでのDQ・FFの発売を決定したことで任天堂や64の普及戦略に大打撃を与えた。

と、まぁ色々な問題が重なった結果、発売から三か月間に及んで新作ソフトの供給がないという異常事態が発生した。

そして、これらの問題の中でスーパーファミコン末期から続いていた任天堂の殿様商売気質を見限ぎられてしまい、たくさんのサード離れが起こってしまった。
任天堂自身も山内社長が「少数精鋭主義」と称して高品質なソフト供給に拘ったのも、良くも悪くもサード製のソフトを突き放す一因となった。
この時期は任天堂もセカンドパーティの強化を図った動きも見せていたが、順調にはいかなかった。

衰退期にはバイオハザード0やMOTHER3など目玉タイトルが64での開発からトンズラこいたのも痛手となった*6


最終的にスーパーファミコンまで続いたトップシェアの座から任天堂は落ち、国内市場ではセガサターンにすら敗北してしまい第三位に終わった*7
そもそもな話、64が世に出た時点でライバルのPSとSSは既に国内での立場を確保しつつあった状態で、トップシェアを狙うには厳しい物があった。
このように国内では普及戦略の失敗から負けハードとして扱われることが殆どだが、北米市場ではSFCからの流れを失うことなく前世代の規模の市場を保った。
国内で敗北した64が北米で成功したのは、64の開発体制と馴染む北米のゲーム開発手法や北米でのセガサターンの大敗北などが理由と言われている。

上述したように普及に苦しんだ64だが、未だに人気は高いようで64を支持する人は後を絶たない。
スーパーマリオ64』から始まる3Dマリオや『スマッシュブラザーズ』、サード製ソフトではレア社*8の『バンジョーとカズーイの大冒険』などの礎を築くなど、ソフト的には見逃せない活躍をしている。

そして、この64の反省からゲームキューブ以降、任天堂はハード設計の方針を大きく見直す事になる。
後にこの方針転換がWiiなどへの成功へ繋がる事から、任天堂の歴史的にも大きな意味を持つハードだと言えるだろう。

■主な周辺機器

ステレオAVケーブルはSFCのを流用できたが、ACアダプタは新しいタイプの規格になった。

コントローラは握る部分が三つ又に分かれた、とても珍しい形をしていて、戦闘機のようにも見える。
向かって左側に十字キー、右側にABボタン・Cボタンユニットがあり、さらに真ん中に3Dスティックがついていた。
この3Dスティックは操作性はいいのだが劣化が激しく、多くのN64コントローラは以下の末路になっていく。

①新品(処女)
 ↓
②最初は自分専用でお気に入り(彼女)
 ↓
③友達が遊びに来てコントローラを弄くり回す(寝取られ)
 ↓
④別のコントローラを買って、使っていたやつは友達or弟用(乗り換え)
 ↓
⑤ボロボロに使われた挙句、最終的に中古ゲーム屋に売られる(ビッチ)

ただでさえ劣化しやすいのに、「スティックを回せ!!」みたいなミニゲームが氾濫していたのも問題だろう。お前のことだよゼンマイヘイホー。
ちなみに中古ゲーム屋では⑤の状態が多く、スティックの状態が良いと少し高い。

なお、3Dスティックにはハード側でニュートラルポジションを手動で設定できる機能を持ち、RLを押しながらスタートボタンを押すことでいつでもリセットできる。この時、手前に倒した状態で再設定すれば手を離して中央の位置に3Dスティックがある状態が上方向への入力が行われていることになり、長距離移動の時などに簡易的な自動操縦として活用可能。


持ち方は3パターンあり、左手を3Dスティックに添える「ライトポジション」、右手を3Dスティックに添える「レフトポジション」、
3Dスティックを使わず、十字キーとABCボタンで操作する「ファミコンポジション」の三つ。
ただ、ライトポジションかファミコンポジションが主流で、レフトポジションのゲームはかなり少ない。

コントローラは純正のものの他、ホリ製の「ホリパッドミニ64」がある。
ボタン配置は異なり十字キーとスティックが逆になる等、形状はGCコントローラに似ている。また、スティックが太くて丈夫な上、持ちやすくする為に小型化しているためこちらを重用された。スティックが丈夫なせいで未だに値がついてしまうのが難点だけどね!


銃型コントローラのような製品は発売されず、周辺機器も基本的には標準コントローラの後ろのアダプタに挿し込む。
中でも64GBパックは主にポケモンスタジアムで使用され、自身の育てたポケモンが3Dになり大画面で対戦できるなど、
当時GBで対戦していた少年たちの胸を熱くさせた。
しかし、異常に接触不良が起きやすくGBロムのデータが消えるケースが多発、涙目になったトレーナーも多い。
操作用と別のコントローラーにつないで静置が安全。

基本的に従来のカセット式なのでソフトにセーブできるが、コントローラパックにセーブすることもできる。
コントローラーパック専用にすればカセットにRAMを持たない分安くできるという目論見だが、ほとんどのソフトがカセットにもセーブ可能にする道を選んだ。

また、振動パックをセットすることで当時のハードではいち早く振動機能に対応した。
しかし、電源に乾電池を使用するためか結構重さがある上に、他ハードではそんなに重さが変わらない振動コントローラーが出てしまったりする。


末期にはメモリー拡張パック(ハイレゾパック)なるものが発売され、64本体の表面の蓋を開けると「開けちゃ駄目」と書かれており、それを外して装着する。
『ドンキーコング64』など一部の作品はこの周辺機器が無いと遊べない。
「剥がすなって!ヤバいぜ!」「大丈夫だって。」というCMを覚えている者は多いだろう。

名前の通りメモリーを拡張するもので、『ゼルダの伝説ムジュラの仮面』では多彩な行動をするNPCキャラの管理に、『ドンキーコング64』ではメモリリークバグの緩和に、隠し対応ソフト『ポケモンスタジアム金銀』ではGBカートリッジデータを一度に読み込むことが可能になるなど多彩な使われ方をした。
ハイレゾ…? うん、名前が変わるのもうなずけるね。
(どうぶつの森やスターウォーズ エピソード1 レーサーなどちゃんとハイレゾ化に使われてるソフトもある)

N64末期に作られた為専用のゲームや生産数が少なく、店によっては中古相場がN64本体よりも高い値段で販売している(N64の中古相場は500~3000円ぐらい)。
Wikiによると付けた状態で未対応のゲームをプレイすると映像が良くなるらしいが、実際あまり変わらない。


■64DD

ロムカセットに見られるデータ容量の制限を克服した上で、
CD-ROMでは実現できない大容量の書き換え領域を活用することにより、ユーザーに新しい遊びを提供する周辺機器
というコンセプトを目指して開発発売された、64にとって幻とも言える激レア周辺機器。
64本体の下に取り付ける形となっており、取り付け方はスーパーファミコンサテラビューと似ている。

当時ネットワークがまだまだ発展途上でり、インターネット回線に対応したゲーム機は存在していない。
その為、一度発売してしまったゲームの幅を広げることは非常に困難であり、
発売時点で仕込んでおいた隠し要素を時間差で公表するなどの方法を各メーカーは取っていた。
そんな中、任天堂のゲームソフト開発者の中に外から新しいゲームのキャラクターデータやコースデータ等のプログラムを追加や変更してゲームを動的に変化させたいという希望があり、開発が始まった。

NINTENDO64発表当初から公開されており、ユーザーの間では長らく発売が待たれていた。
64DDソフト開発の遅れや、64本体の普及が任天堂の想定よりも進まなかったこともあって発売の延期が幾度となく繰り返され、1999年ようやく発売となる。
が、既にそのころにはドリームキャストPlayStation2に世間の注目は移っており、ほとんど見向きもされないという惨状だった。
結局64DDは僅か10本の専用ソフトを出すだけに終わり、開発中だった専用ソフトは発売中止かプラットフォームを移して再開発されることになる。

64DDは会員限定の通販のみで販売された関係上、当時実際に購入した人は非常に少なく、現在となっては滅多な事ではお目にかかれない代物と化しており、
見たことはおろかその存在も知らない人が多い。
本体および専用ソフトはヤフオクなどでは非常に高額で取引されている。


■主なゲームソフト(任天堂製)



■主なゲームソフト(レア社製)



■主なゲーム(サード)



修理のサポートは既に終了しているが、権利の問題か、各社からの互換機は発売されてない模様。


任天堂『カセット端子をふーふーしちゃだめだよ。(要約)』

なん…だと…


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最終更新:2020年08月30日 01:24

*1 PSは座標計算を固定小数点数演算かつZソート法に簡略化しており、SSは四角形スプライトの変形でポリゴンを描写していたのでどちらも理論的には正しい描画方法ではなかった

*2 同時期のネオジオCDなんかはそれが顕著。PSは他に比べてロードが短い仕様であったがそれでもやはりカセットよりはロードが長かった

*3 ゲームキューブが8㎝光ディスクを採用した経緯もロード時間短縮の為である

*4 出展:https://www.nintendo.co.jp/3ds/interview/aqej/vol1/index.html

*5 ちなみに岩田氏は64のグラフィックスチップの性能を出すための勉強をしに米国に行ったり、64用のマイクロコードを作成したりと色々なところで活躍していた

*6 内容は大幅に変更になったが、N64未発売のソフトの一端は後にGCやGBAで開発された

*7 ただし前世代機であるスーパーファミコンも2000年までソフト展開を続けていた現役機だったたので、あくまで「第5世代の家庭用ゲーム機」に限定したシェア

*8 余談だが、レア社はN64のハード設計にも関わっていたので、レア社の作品がとても多い