1989年第9回ジャパンカップ

登録日:2021/11/27 Sat 07:21:15
更新日:2021/12/21 Tue 15:16:11
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躍り出ろ。

お前を知らない者達の、隙をついて躍り出ろ。



「世界を変えるのに、3分もいらない。」



ワールドレコード「2分22秒2」という事件。

その馬の名は...



「ホーリックス」



世界がくる。


──2012年 JRA CM The WINNER ジャパンカップ編

1989年第9回ジャパンカップは、1989年11月26日に東京競馬場で行われたレース。ホーリックスが勝利したレースであり、当時の人達にとんでもない衝撃を与えたレースである。

※年齢表記は現表記に統一しています。

出走馬

枠番 馬番 馬名 性齢 騎手 オッズ 人気
1 1 トップサンライズ 牡4 ヘッド 25.6 10
2 2 ホーリックス 牝6 オサリバ 19.9 9
3 オグリキャップ 牡4 南井克巳 5.3 2
3 4 イブンベイ 牡5 クィン 7.3 4
5 バンブーメモリー 牡4 松永昌博 48.6 13
4 6 スーパークリーク 牡4 武豊 4.6 1
7 ランニングフリー 牡6 菅原泰夫 84.6 15
5 8 ホークスター 牡3 ベーズ 5.6 3
9 キリパワー 牡4 柴田善臣 37.5 11
6 10 フレッシュボイス 牡6 的場均 62.8 14
11 キャロルハウス 牡4 キネーン 8.9 7
7 12 イナリワン 牡5 柴田政人 14.0 8
13 ロジータ 牝3 野崎武司 42.9 12
8 14 ペイザバトラー 牡5 マッキャ 8.6 6
15 アサティス 牡4 コクレー 7.5 5

群雄割拠の様相

85年のジャパンカップでシンボリルドルフが勝利して以来、日本馬は再び外国馬に勝てなくなっていた。
前年も1番人気で8連勝中だったタマモクロスが惜しくもペイザバトラーの2着に敗れ、日本の関係者たちは悔しい思いをした。
そして迎えた1989年の日本競馬はいわゆる「平成三強」ことオグリキャップスーパークリークイナリワン達が幅を利かせており、彼らもこのジャパンカップへ参戦。しかしオグリキャップは先週のマイルチャンピオンシップからの連闘であり、これに関して陣営への非難があったりした。
他の日本馬はオグリキャップと同じくマイルチャンピオンシップからの連闘のバンブーメモリー、宝塚記念2着のフレッシュボイス、1980年代後半のGIで息の長い活躍を続けたランニングフリー、牝馬で唯一南関東三冠*1を達成したロジータ、目黒記念を制したキリパワーの全8頭が参戦。

ヨーロッパからは凱旋門賞の勝ち馬キャロルハウス、オイロパ賞の勝ち馬イブンベイ、ジョッキークラブ大賞の勝ち馬アサティス、ロワイヤルオーク賞の勝ち馬トップサンライズが参戦。

アメリカからも当時の2400mのワールドレコードホルダーであるホークスターと前年の覇者ペイザバトラーが参戦。

そしてオセアニアからニュージーランドが誇る名牝、ホーリックスが前走のGIマッキノンSを勝利し参戦。

一番人気はスーパークリーク、二番人気は連闘の影響が懸念されたかオグリキャップ、三番人気はレコードホルダーのホークスターであったものの、スーパークリークのオッズが4.6倍、最低人気であるランニングフリーが84.6倍とまさに群雄割拠の様相だった。

オセアニアからの刺客

そんな中ホーリックスは勝ち鞍が長距離に偏っていたトップサンライズを除けば外国馬最低の9番人気。

というのもオセアニアは一大馬産地でありながら競走馬の評価はいまいちだった。この競走以前のオセアニアの競走馬のジャパンカップ最高成績は1985年のザフィルバートの3着。
そもそもオセアニアはシャトル種牡馬*2が盛んになるまで欧米等とは全く異なる血統が独自に発展を遂げていた。そのため、ホーリックスも5代血統表に存在する有名な馬はフェアトライアルくらいである。

そんな血統に加え数え7歳の芦毛の牝馬は大川慶次郎氏がはっきりと「無理ですね」と言い切り、オグリキャップの瀬戸調教師が「見栄えのしない牝馬。この馬にだけは負けないな」と思った程注目されていなかった。フラグですねわかります。

芦毛の激闘

レースはホーリックスが好スタートを切り、それを外からイブンベイが交わしていく。ホークスターもそれに続き、ホーリックスは3番手につけた。前方集団から離れてオグリキャップとスーパークリークが絶好位につけた。

しかし即座に観衆達は異変に気づいた。先頭を進むイブンベイのペースである。この時、イブンベイは大歓声に怯えていたらしく、逃げというより暴走という感じになっていた。
それにより1800mおよび2200mの通過ラップが当時の日本レコードを上回るという信じられないハイペースになった。2000m通過タイムはなんと1:58.0
当時の東京競馬場の2000mのレコードは天皇賞(秋)でサクラユタカオーが打ち立てた1:58.3。しかも天皇賞(秋)はコーナー3つなのに対しジャパンカップはコーナー4つ。さらに言えばそのレコードは東京競馬場が改修されるまで1分58秒を切ることはなかったため、ほんととんでもないペースである。

そのままイブンベイとホークスターが並んだまま4コーナーを回り、直後にホーリックスが続く。坂の途中でホーリックスが一気に抜け出し、残り4ハロンを切ったところで、ホーリックスと同じ芦毛の馬が外から突っ込んでくる。

...そう、オグリキャップである。ホーリックス鞍上のオサリバン騎手が必死の風車鞭を飛ばし、それに負けず鞭を打つ南井騎手とそれに応え豪脚を見せるオグリキャップ。東京競馬場の大観衆は総立ち、フジ系の中継では中立であるべき実況の大川アナウンサーまでも「オグリキャップ頑張れ!」と叫んだ。

ホーリックスが粘り、オグリキャップが猛追する。前年の秋天を思わせる芦毛と芦毛の一騎打ちは、わずかにホーリックスが粘りきり勝利を収めた。これにより、ホーリックスは見事にオセアニアの競走馬初となるジャパンカップ制覇を成し遂げた。

レース結果

着順 馬名 着差 後3F コーナー
通過順
1着 ホーリックス - 47.9 3-3-3-3
2着 オグリキャップ クビ 47.6 4-4-4-4
3着 ペイザバトラー 3 47.2 10-10-10-9
4着 スーパークリーク クビ 48.1 4-4-4-5
5着 ホークスター 1 48.8 2-2-2-2
6着 イブンベイ 2 48.7 1-1-1-1
7着 ランニングフリー クビ 48.2 7-7-7-6
8着 キリパワー 1 47.1 14-14-14-13
9着 フレッシュボイス ハナ 47.7 11-11-12-11
10着 トップサンライズ ハナ 47.1 15-14-14-14
11着 イナリワン 2 48.4 13-11-10-6
12着 アサティス 1 48.7 8-8-8-11
13着 バンブーメモリー 1.1/2 48.9 9-9-8-9
14着 キャロルハウス 4 50.0 6-6-6-8
15着 ロジータ 50.8 12-13-13-14

払い戻し

単勝 2 1,990 9
複勝 2 590 9
3 210 2
14 260 3
枠連 2-2 6,760 25
オグリキャップは惜しくもジャパンカップを制覇できず、日本馬はまたしても悔しい思いをすることとなった。

そして掲示板にはレコードの赤い文字。そのタイムが刻まれていた。


2:22.2


( ゚д゚) ...。

(つд⊂) ゴシゴシ

( ゚д゚) バッ



2:22.2



(;゚д゚) .........!?!?

当時の人達は自分の目を疑っただろう。時計の故障とも思ったかもしれない。

なんせこのタイム、レースレコードやコースレコードどころではない、文句なしのワールドレコードである。
当時の日本ダービーのレコードは1988年のサクラチヨノオーの2:26.3、オークスは1977年のリニアクインの2:28.1、そしてジャパンカップは1987年のルグロリューの2:24.9。つまりレコードタイムを2秒7も縮めたということになる。

最も恐るべきなのはこのタイム、東京競馬場が改修されるまで更新されなかったという点。
世界レコードとしてもアルゼンチンでアシデロ*3が1999年にカルロス・ペレグリーニ国際大賞を2:21.98で制覇するまで10年間残り、コースレコードとしては2005年にアルカセットがジャパンカップをコンマ1秒縮めるまで16年もの間残り続けた。
ちなみに、牝馬によるジャパンカップ制覇はちょうど20年後のウオッカまで待たなければならない。

2021年現在、ジャパンカップのレコードは2018年にアーモンドアイが記録した2:20.6だが現在と当時ではコースの構成が異なるため、一概にどちらが上とは言えない。そのため、このホーリックスのレコードは、事実上未来永劫破られないものとなっている。

余談

  • 下位のタイム
今回は大差で最下位となったロジータですらそのタイムは2:26.9と先述のリニアクインのレコードを上回るものである。
更に14着のキャロルハウスの走破タイムも2:24.9とまさかのジャパンカップのレコードと同タイムである。13着のバンブーメモリーが2:24.2なので15頭中13頭がレコードを更新したというとんでもない高速レースであった。
+ 全馬のタイム
着順 馬名 タイム
1着 ホーリックス 2:22.2
2着 オグリキャップ 2:22.2
3着 ペイザバトラー 2:22.7
4着 スーパークリーク 2:22.7
5着 ホークスター 2:22.9
6着 イブンベイ 2:23.2
7着 ランニングフリー 2:23.3
8着 キリパワー 2:23.5
9着 フレッシュボイス 2:23.5
10着 トップサンライズ 2:23.5
11着 イナリワン 2:23.8
12着 アサティス 2:24.0
13着 バンブーメモリー 2:24.2
14着 キャロルハウス 2:24.9
15着 ロジータ 2:26.9
  • ハイペースにも関わらず
ハイペースな競走の場合、通常は後方の馬が先行馬達よりも脚を溜めやすいため有利となるが、この競走はあまりにもハイペース過ぎたか追い込みが効かず、道中6番手以下で掲示板に乗ったのはペイザバトラーのみ。他の待機策をとった馬は暴走したイブンベイ(6着)以下の順位となってしまった。前年覇者の名は伊達ではないということか。
  • オグリキャップの恋?
ホーリックスと大激戦を演じたオグリキャップだが「ホーリックスに恋していたのでは?」と言われている。

というのも餌を食べたら食べ終わるまで絶対に顔を上げなかったオグリキャップが一度だけ食事を中断したことがあり、その時見ていたものがホーリックスだったらしい。

事実かどうかはともかく、この話があったためかオグリキャップの引退後、ホーリックスとの交配が話題になったが、当然ながら実現することはなかった。
  • オセアニアの悲願
先述の通り、ホーリックスはオセアニア初のJC制覇馬となったわけだが、鞍上のランス・オサリバンは、競走後のインタビューにて「この1戦にオセアニアの威信を懸けていました。これで負けるようなら、オセアニアの馬のレベルが下であることを我々は嫌でも認めるしかありませんでした。だからいま、自分は最高の感激に浸っています。こんな感激は初めてです」と語っている。
また、調教師であるデヴィッド・オサリバンは、ホーリックスについて「キンダガートン*4を越えた」と評した。
  • その後のホーリックス
帰国後、ニュージーランドの英雄となったホーリックスはその後も現役を続け、1990年のコックスプレートにてベタールースンアップの8着に敗れたのを最後に引退。
なおこの後ベタールースンアップはホーリックス同様マッキノンS経由でジャパンカップに参戦。2:23.2という東京競馬場改修前としては2位という好タイムで制覇した。
ちなみにそのジャパンカップにもオグリキャップは参戦していたが、全盛期の見る影もない走りで11着に撃沈。誰もが「オグリは終わった」と思った。しかし───

引退後、繁殖牝馬となったホーリックスは第4仔のBrewが2000年のメルボルンカップを制覇、その他にも優秀な産駒を多く送り出し、2007年には孫であるFiumicinoがオーストラリアンダービーを制覇し、牝系の祖としても成功を収めた。2010年にはこのジャパンカップでの活躍からニュージーランド競馬の殿堂入りを果たし、2011年8月24日に28歳で死亡した。

とても心優しい馬だったが、それと同時に臆病で寂しがり、特に夜が苦手だったため、ホーリックスはJCに向けての隔離訓練中、馬房に吊るされた鏡に映った自分の姿を仲間と思いながら過ごしたという。

なお、彼女の芦毛の由来はThe Tetrarchからだがメジロマックイーンゴールドシップ等と同様グレイソヴリンを介さないものである。



項目を追記・修正するのに、3分もいらない。

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最終更新:2021年12月21日 15:16

*1 大井競馬場で開催される羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞の3走。なお牝馬による三冠競争も存在している。現在は東京王冠賞が廃止され、かわりにジャパンダートダービーが組み込まれている。

*2 御存知の通り北半球と南半球では夏と冬が逆転しているため、馬を出産させる最適なタイミングも逆転している。それを利用し1年に2期種付けを行う種牡馬のこと。

*3 1996年生。父父はヌレイエフで16戦7勝、うちGI5勝を遂げた。

*4 35戦25勝の成績を挙げたニュージーランドの伝説的名馬。