サクラチヨノオー(競走馬)

登録日:2023/11/15 Wed 03:23:39
更新日:2025/04/23 Wed 12:57:06
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サクラチヨノオー(Sakura Chiyono O)とは、日本の元競走馬、種牡馬。
オグリキャップの同期であり、昭和最後のダービー馬。

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
サクラチヨノオー(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

誕生:1985年2月19日
死亡:2012年1月7日
享年:27歳
父:マルゼンスキー
母:サクラセダン
母父:セダン*1
調教師:境勝太郎 (美浦)
主戦騎手:小島太
馬主:(株)さくらコマース
生産者:谷岡牧場
産地:静内町
セリ取引価格:-
獲得賞金:2億890万円
通算成績:10戦5勝 [5-1-1-3]
主な勝鞍:87'朝日杯三歳ステークス、88'日本ダービー

【誕生】

1985年2月19日生まれの鹿毛の牡馬。父はご存知マルゼンスキー、母はサクラセダン。
四歳上の全兄に重賞2勝を挙げたサクラトウコウ*2。一歳下の半弟に朝日杯3歳ステークスを勝利したサクラホクトオー(父トウショウボーイ)がいる。
また2歳下の全妹セダンフォーエバーの系譜から、重賞3勝を記録したサクラプレジデント(セダンフォーエバーの息子)や2024年東京新聞杯馬サクラトゥジュール(セダンフォーエバーの娘サクラレーヌの息子)が輩出されている。
名前は冠名のサクラに「昭和の名横綱」といわれた千代の富士の名を借りて命名された。

父のマルゼンスキーは世代最強と謳われながら、持込馬*3だった事からクラシック三冠レースに出走できず、更にケガで早期に引退した為その実力の全てを発揮できなかった不遇の名馬。

母であるサクラセダンは、当時の谷岡牧場の場長だった谷岡幸一氏が英国へ行って買い付けてきた繁殖牝馬スワンズウッドグローブの娘で、セダンやマームード*4といった当時の世界的種牡馬の血を引く名血。
競走馬としても中山牝馬Sをはじめ6勝を挙げた事から、牧場主である谷岡氏は繁殖牝馬としても大きな期待を寄せていた。

谷岡氏はマルゼンスキーを高く評価していたこともあり、当初からマルゼンスキーとの配合に積極的だった。
そしてサクラトウコウ、サクラセダンスキーといった兄弟たちを経て、3番目に産まれたマルゼンスキーの仔がサクラチヨノオーである。

【戦歴】

1987年8月8日に函館競馬場の3歳新馬戦の芝1000mでデビュー。デビュー戦において後続と3馬身半差をつけて勝利を飾るなど才能の片鱗を見せつける。
因みにこのレースにおいて騎手の小島氏は「長距離の方が向いている」と指摘しており、これによって次戦として予定していた函館3歳ステークスを見送っている。

そして第2戦として選ばれたOPレースの芙蓉特別でも勝利し二連勝。
3戦目となるいちょう特別ではマイネルロジックに惜しくも敗れて2着となったが、続く朝日杯3歳ステークス*5ではツジノショウグンとの競り合いを制して見事勝利。
初のG1タイトル取得であると共に、父であるマルゼンスキーとの親仔制覇も達成することとなった。
また、サクラチヨノオーの主戦騎手である小島騎手は、このレースの6日前に父親を病気で亡くしており、形こそ違えど人馬共に「父に捧げる勝利」だった。

その後、G3の共同通信杯4歳ステークスでの4着入賞、G2の報知杯弥生賞での勝利などを経て、迎えることとなったクラシック三冠レースの第1戦目である皐月賞。
好スタートを切ったものの、後方から追いついてきたヤエノムテキやディクターランドに差し切られ、3着という結果に。
この敗北は同レースでヤエノムテキやディクターランドがそれぞれ9番人気、14番人気と評価が低い2頭に敗れたことも合わせ、サクラチヨノオーへも酷評が相次ぐこととなる苦い敗北となった。

そしてやってきたクラシック三冠2戦目である東京優駿(日本ダービー)
前述の皐月賞での敗北からチヨノオーへの低評価が止まずマスコミが囃し立てる中、その酷評をバネに奮起する騎手の小島氏と共に出走。
メジロアルダンとの一進一退の競り合いを繰り広げる中、ゴール直前での加速によってギリギリの所でメジロアルダンに対しクビ差の勝利。
上述の酷評の数々を跳ね除け、1988年ダービー馬の栄光を掴み、父マルゼンスキーが持込馬・兄サクラトウコウが脚部不安ゆえ挑む事すら叶わなかった夢を勝ち取った瞬間でもあった。
翌1989年の年明け早々に昭和天皇の崩御によって「昭和」という時代が終わりを迎え、元号が「平成」へと変わった為、サクラチヨノオーは「昭和最後のダービー馬」となった。
また鞍上にとっては、1978年のサクラショウリ以来ちょうど10年ぶり2度目のダービー制覇となり、
さくらコマーズにとっても1987年有馬記念で重傷を負い、自分が挑めなかったダービーのわずか17日前に他界した二冠馬サクラスターオーへと捧ぐような勝利となった。

しかし、この日本ダービーで全てを出し切ったのか、レース後に右前脚浅屈腱炎の発症が判明、長期離脱を余儀なくされる。
1989年5月の安田記念で久方ぶりの復帰を果たすも、往年の実力は取り戻せず結果は同期のバンブーメモリーの背後でブービー16着。
続く宝塚記念でもイナリワンの背後で最下位16着。レース中に屈腱炎を再発していたことも併せ、このレースを最後に競走馬を引退。
5勝の内の3勝が重賞、更に2つがG1と目覚ましい活躍を見せたが、クラシック同期組の中では最も早くに一線を引く事になった。*6
6月25日に札幌競馬場で引退式が行われ、ファン達に別れを告げた。



【引退後】

引退後は種牡馬入り。
産駒は1994年皐月賞で惜しくも2着となったサクラスーパーオー、愛知杯を制した重賞馬サクラエキスパート、地方重賞を3勝したマイターンなどがいる。

2002年に種牡馬も引退し、功労馬としてサクラ軍団の馬達が集い半弟サクラホクトオーの墓もある新和牧場で余生を過ごした後、2012年1月7日、老衰により27歳でこの世を去った。

【創作作品での登場】

他の二世キャラと同様に史実での父であるマルゼンスキーに憧れている。
日々気がついた事を格言にしてノートに記録するのを日課にしているが、出来はあまりよくないらしい。
初出はスピンオフの『ウマ娘 シンデレラグレイ』で、登場時の二つ名は「ど根性ヒロイン」タマモクロスを差し置いて4巻表紙担当になった。
主人公であるオグリキャップのクラスメイトで、地方上がりのオグリに好感を持っている実直な娘だが、根は相当な負けず嫌い。
人物紹介によると努力家で、幼い頃は実兄が練習相手を引き受けてくれていたらしい。

2022年1月20日にシンデレラグレイ初出組としては初めての育成キャラとして実装。
そしてあまりに完璧な能力とスキル構成*7で殴り付けて来るラスボスマルゼンスキーと隠しボスミスターシービーにT達は悲鳴を上げる事に
詳細はサクラチヨノオー(ウマ娘 プリティーダービー)の項目を参照。

【余談】

サクラチヨノオーの所属する88年クラシック世代は、別名をオグリキャップ世代とも呼ばれている。
しかし、名前に反してオグリキャップは88年のクラシック三冠レースには出走していない。
何故なら当初オグリキャップはJRA(日本中央競馬会)ではなく公営の笠松競馬場でデビューしたため、当然ながらクラシックレースに出走するために必要なクラシック登録が行われておらず、中央に転入してからも、クラシック三冠レースには出走することすら出来なかったのだ。

間の悪いことに皐月賞を勝ったのが前走のペガサスSでオグリキャップにまったく歯が立たなかったヤエノムテキだったということもあり*8、当時からファンの間で「オグリキャップがダービーに出走していたら勝っていたのはサクラチヨノオーではなくオグリキャップだった」という声が上がっていた。
この声は当然ながらサクラチヨノオー陣営の耳にも届いており、サクラチヨノオーの管理調教師である境調教師は、ダービーの翌週行われたニュージーランドトロフィーSを観戦した際に「噂どおり強かったね。いずれ対戦するだろうけど、今から楽しみだよ…」とライバルに対する闘志を燃やしていた。
実際オグリキャップの2001m以上のレースでの勝ち星は中山の有馬記念2勝とオールカマ―だけで府中のジャパンカップはギリギリの所で落としていたので、ダービーだったらサクラチヨノオーが勝ったかも知れない。

しかしダービーでの激走の影響か、直後サクラチヨノオーは右前脚に浅屈腱炎を発症し長期休養に入ってしまい、翌年復帰自体は何とか果たしたものの、皮肉にもオグリキャップの方が1989年前半は故障で長期休養中。
結局サクラチヨノオーが宝塚記念後屈腱炎を再発してそのまま引退したため、入れ替わるように1989年秋オールカマ―で復帰したオグリキャップとは最後まで対戦する事は無かった。
ちなみにサクラチヨノオーの息子マイターンは、2000年に笠松競馬場の重賞「オグリキャップ記念」を制している。


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最終更新:2025年04月23日 12:57

*1 イタリアダービー馬。種牡馬になってから日本に輸入され、1971年のダービー馬コーネルランサーなどを輩出した。

*2 現役を引退後は種牡馬入り。種牡馬としては1994年の天皇賞(秋)を制したネーハイシーザーを輩出した。

*3 母馬が胎内に仔馬を宿した状態で輸入され、日本国内で産まれた馬

*4 英国ダービー馬。レースレコードで英国ダービーを制しただけでなく種牡馬としても大きな成功を収めた。

*5 現・朝日杯フューチュリティステークス

*6 ちなみにラストランの順番だけ見ると、1988年有馬記念後故障で休養し、同年秋に引退となったサッカーボーイの方が先ではある。

*7 特にシービーは追い込みウマ娘の完成形レベルに近い

*8 ちなみにその2年後、ヤエノムテキは1990年天皇賞(秋)で勝利しオグリキャップにリベンジをはたしている。