ハーツクライ(競走馬)

登録日:2021/07/22 Thu 14:41:07
更新日:2024/03/22 Fri 21:43:48
所要時間:約 14 分で読めます






進化する王者、世界の主役。

ヒーロー列伝No.62より


ハーツクライ(Heart's Cry)とは、日本の元競走馬、種牡馬。
特定の脚質に寄らない臨機応変の戦術を使いこなし、あと一歩勝ちきれなかったところからある偉業で日本中を驚かせた競走馬である。



データ

生誕:2001年4月15日
死没日:2023年3月9日
父:サンデーサイレンス
母:アイリッシュダンス
母父:トニービン
生産者:社台ファーム
馬主:社台レースホース
調教師:橋口弘次郎(栗東)
主戦騎手:クリストフ・ルメール
通算成績:19戦5勝[5-4-3-7]
獲得賞金:9億2536万900円
  • 国内:5億5573万1000円
  • 海外:3億6962万9900円
主な勝ち鞍:'05有馬記念、'06ドバイシーマクラシック

誕生

2001年4月21日、北海道千歳市の社台ファームで誕生。
父は1989年のアメリカクラシック二冠馬にして、言わずと知れた大種牡馬サンデーサイレンス
母アイリッシュダンスはトニービン産駒。4歳(旧5歳)までは平凡なオープン馬に過ぎなかったが、5歳になってから新潟大賞典、新潟記念と重賞で2勝を上げ、天皇賞(秋)と有馬記念にも出走。その年いっぱいで引退し、20戦9勝の実績を上げた。今にして思えば、年を重ねながらゆっくり成長していった母馬の特徴が、ハーツクライの生涯にも大きく影響していたのかもしれない。
アドマイヤベガに似たなかなかの良血である。

黒ずんだ鹿毛に二重の綺麗な瞳、父親似の大きな流星、小顔長脚という整った馬体が特徴のイケメン。…父親の曲がった脚も若干受け継いでしまったが。

馬名の由来は母の名前からの連想で、アイリッシュダンスのパフォーマンスであるリバーダンスの中の1曲「ザ・ハーツクライ」から。


現役時代


3歳、雌伏の時

栗東の橋口弘次郎厩舎に入ってトレーニングを重ね、2004年1月、やや遅めの3歳新馬戦へ。
武豊を鞍上に迎え難なく勝利、見事にデビューを飾った。

如月賞で3着になったのち、皐月賞トライアルの若葉ステークスでスズカマンボを下して1着。そのまま初重賞となる皐月賞へ進んだが、後方から抜け出せず14着の惨敗に終わった。

その後の京都新聞杯にて再びスズカマンボに勝利。日本ダービーに向かう。
が、彼の同期には歴史的な名馬がいたのだった。


猛暑の中迎えた本番、参加した馬の多くが故障や不調に陥ったことで、のちに「死のダービー」とまで呼ばれた凄まじいハイペースの消耗戦の中で、最後方に位置していたハーツクライは最後の直線で上がり最速の末脚で迫ったものの、レコードタイムをたたき出したキングカメハメハを打ち破ることは叶わなかった。
それでも最終直線の末脚は凄まじいもので、鞍上の横山騎手も高く評価。今後を期待された。

が、これが苦難の日々の始まりでもあった。
神戸新聞杯ではキングカメハメハに再び敗れての3着に終わる。
その後の菊花賞ではキングカメハメハが不在だったこともあり、新馬戦以来、そして現役時代最後の1番人気に。が、距離適性の問題か7着に敗れる。
クラシックで勝利することは叶わなかった。

その後のジャパンカップ、有馬記念でも凡走。
そもそもハーツクライは晩成型な上、気性が荒っぽく繊細な為、先行策を取ることができないという難点があったのである。
こうして彼のクラシックシーズンは終わった。

4歳、大器晩成

大阪杯2着から始まった古馬時代。
天皇賞(春)は適性の低い超長距離で奮戦するも腐れ縁スズカマンボの5着。
宝塚記念では女傑スイープトウショウにわずかに及ばず2着と、掲示板こそ確保するものの京都新聞杯以降勝てないレースが続いていた。

状況が変わったのは夏の放牧後。
晩成型のハーツクライの肉体はようやく仕上がってきたのである。
加えて繊細だった精神面も大きく成長した。
橋口調教師は「春と比べると別の馬のようになった」とコメントするほどの見事な仕上がりだった。

秋シーズン、彼はある人物と運命的な出会いをする。
当時短期免許を利用して来日していたフランスの名手、クリストフ・ルメール騎手である。
今でこそ日本に活躍の場を移し、JRAリーディングジョッキーとして日本競馬を牽引する彼だが、当時はローカル競馬場で活躍するもあと一歩のところで重賞に手が届いていない「善戦マン」だったのだ*1
彼とのコンビは引退まで続くことになる。

そしてこの年、ハーツクライを破った大王キングカメハメハに匹敵、いや上回るかもしれない、それどころか日本競馬史上最強との呼び声すらある怪物が、世間を賑わせていた。

ディープインパクト。同じくサンデーサイレンスを父に持つ彼は、すでに2冠を手に入れ、3冠目の菊花賞勝利も目前であった。

2005年後半は天皇賞(秋)に挑むが、超スローペースでのレースは追い込み型の彼には不利で6着。
続くジャパンカップはハイペースとなり、後半凄まじい速度で追い上げる。
最終的にはアルカセットのハナ差2着に敗れたが、ジャパンカップ日本レコードに追随して入線してみせ、その能力を証明した。

……この2戦においてハーツクライの“ある能力”を確信したルメールは、有馬記念で対決するであろうディープインパクトを破るための作戦を完成させた。

2005年12月、伝説の有馬記念

迎えた有馬記念当日。
怪物ナリタブライアンもかくやというほどの圧倒的な勝ち方で無敗三冠を達成したディープインパクトは、マスコミの猛プッシュを受けて一大ブームを巻き起こし、彼の雄姿と勝利を見届けるべく16万人を超す人々が中山競馬場に集結していた。
ディープインパクトは単勝オッズ1.3倍で圧倒的1番人気。2番人気との差からも完全に1強扱いである。
一方ハーツクライは、昨年秋三冠を達成し今回がラストランとなるゼンノロブロイ(単勝6.8倍)、同期の菊花賞馬でのちにメルボルンカップを勝利するデルタブルース(単勝11.5倍)に次ぐ4番人気、単勝17.1倍だった。その後には一昨年のジャパンカップと昨年の宝塚記念を勝利した(ロブロイと同じくラストランの)タップダンスシチー(単勝19.7倍)が続く。

いざレースが始まると、観客の間にざわめきが。
いつも通り先頭に立って逃げるタップダンスシチーとそれに続くオースミハルカ。そして3番手には…


「なんとハーツクライが3番手!」


そこにはなんと、追い込み馬であるはずのハーツクライが先行する姿があったのである。

いくらハーツクライが成長してきたと言っても、ディープインパクトと同じ追い込み戦術を取れば、ディープインパクトの最後方から一気に先頭を打ち抜いてくる末脚にかなうはずもない。
が、天皇賞(秋)において、ルメール騎手はハーツクライのゲートの出が決して悪くないことを感じた。
しかも有馬記念の舞台、中山競馬場は最終直線が短く、押し切るには最適なコースである。
これらから導き出された唯一の勝ち筋、それは……

イチかバチか先行してそのまま逃げ切るというものだった。

そのままレースは進み最終直線、ディープインパクトは上がり最速の末脚で後方から一気に上がってくるが、先行していたハーツクライも最後の力を振り絞り、上がり3位の豪脚で逃げる。

そして……



「なんとハーツクライだー!ディープインパクト敗れる!」



「勝ったのはハーツクライ!悲願のGⅠ初制覇!」



まさかの大番狂わせを前に、中山競馬場はどよめき、悲鳴が上がり、無数の馬券が宙を舞った。
ハーツクライはディープインパクトの猛追を半馬身差しのぎ切りゴール板を通過。ディープ不敗神話を打ち砕いてみせた。
ルメールの策とハーツクライの確かな実力と精神的な成長が、無敗の三冠馬に初めての黒星をつけさせることに成功したのである。

こうして1年半ぶりの勝利をGⅠ初制覇で飾ったハーツクライは、相棒ルメールに初重賞勝利と初GⅠ勝利を同時にプレゼントして見せた。
後にルメール騎手は、この有馬記念と共にハーツクライを「日本で一番最初にできた恋人」と懐述している。

この予想外の逆転劇に、露骨なまでのディーププッシュの中にいた当時の人々は驚愕したのであった。
まあ、前回のジャパンカップでの好走から、「ディープに勝つとしたらこの馬だろう」と予測していた人もそれなりにいたようだが。
そして、ディープ勝利を信じて疑わなかった人々が阿鼻叫喚となる一方でルメール騎手の騎乗は「神騎乗」と大絶賛され、一躍その名を轟かせることとなった。

5歳、栄光と突然の落日

時の最強馬に勝利してみせたハーツクライだったが、まだその実力を疑う声もあった。
事実、この手の大番狂わせは結局一発屋で終わったという事例も枚挙に暇がない。
展開が向いただけ、一回きりの作戦勝ち、ディープの不調あるいは武豊騎手の騎乗ミスとする意見もあるにはあった。

2006年、ハーツクライはドバイ遠征に繰り出した。
迎えたドバイシーマクラシックでは有馬記念と同じように先行……ではなくなんと先頭にたっての逃げで挑む。



「ハーツクライ先頭だ!コリヤーヒル2番手!3番手フォルスタッフ!
そしてその後ウィジャボードは離れた4番手だ!

またリードを広げた!ハーツクライ!


行くぞハーツクライ!


4馬身5馬身とリードを広げる!2番手争いはコリヤーヒルかフォルスタッフか!?


しかし関係ない!


ハーツクライ逃げ切ってゴールイン!ハーツクライやった!

ハーツクライ!

日本のハーツクライ!

逃げ切りました!手が上がったルメール騎手!
世界を相手にハーツクライやりました!」



結果は逃げ切って4馬身差の完勝。しかも後半はをほとんど入れず馬なりで走ってこれである。ウィジャボードら欧州の強豪相手に見事な勝ちを飾り、先の勝利がフロックなどではないことを証明してみせた。

勢いそのまま、ハーツクライは欧州の夏の一大レース、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに挑戦。
ハーツクライは二番人気で、一番人気の凱旋門賞馬ハリケーンラン、三番人気でドバイWCの勝利者エレクトロキューショニストと3強を形成した。レースは6頭立てだったが*2

いつものように先行し最終直線で抜け出すが、エレクトロキューショニストも進出して競り合いに。
しかし、2頭が併せたことで内ラチに隙間が空き、ハリケーンランが一気に飛び出す。
2頭も粘って壮絶な競り合いとなったが、最終的にハリケーンランが1着となり、ハーツクライは末脚の持続が悪かったかエレクトロキューショニストにわずかに競り負け3着。
敗因は休み明けだったことと帯同馬がいなかったため寂しがって調教が満足にできなかったという理由もある。

とはいえこの激戦で評価を下げることはなく、陣営は来年も挑戦する意欲を見せていた。
当時の世界レーティングは日本勢ではディープインパクトに次ぐ順位である7位。かつての善戦マンは、れっきとした世界的名馬に上り詰めたのである。


……が、落日は突然訪れた。


以前から悩まされていた同期同父のダイワメジャーをダメジャーにした喘鳴症、いわゆる喉鳴りが悪化し、競走能力に大きく影響してしまったのである。
それでもジャパンカップにディープインパクトに次ぐ2番人気で挑むが、病気の影響はやはり大きく、いいところなく10着の惨敗に終わる。
その後引退が決定され、種牡馬入りが決定した。

こうしてハーツクライは、まだまだこれからという時に引退を余儀なくされた。
が、ほとんど負け知らずだった史上最強馬ディープインパクトに唯一黒星を付けた日本調教馬として、その名は残されたのである。

なお、キングジョージにて覇を競った2頭だが、ハリケーンランはその後急激に衰え引退、エレクトロキューショニストはレース1か月後に急死してしまった。死のダービーを生き残ったのに死のキングジョージにも参加するとは…。

種牡馬時代

同年引退のディープインパクトと共に、社台スタリオンステーション(社台SS)にスタッドイン。初年度種付け金額は500万円であった。
SSとトニービンという血統で、同じような血統のアドマイヤベガが早逝して空いたポジションにすんなり入れたのが功を奏し、安定して数十頭の種付けが行われた。
紳士的な性格とルメール騎手も認めるイケメン顔で牝馬からはめちゃくちゃモテたらしい。輪乗りで牝馬の視線を独り占めしていたとか、すれ違った牝馬が振り返るとか、隣の馬房の牝馬が必死になってハーツの馬房を覗き込もうとしていたとか、種付け相手の牝馬がすぐに目を潤ませるとか、その辺の漫画みたいなエピソードが多数伝わっている。こんなところでもディープインパクトに勝利してる…
種付けも上手だったようで、どんな暴れ牝馬にも受胎させて見せるなどとんだテクニシャンだったそうな。すげえ。
ただしその種付けテクは気性が非常に荒く王様気質と言われる気性難による相乗効果的な面もあり、ゆえに公開放牧地も金網で囲われていた程であった。

初年度産駒は2010年デビュー。初勝利を飾ったのはバラードソング。翌年にはウインバリアシオンが重賞初勝利した。
その2年後にジャスタウェイがGⅠ初勝利を果たし翌年も激走したこと、それに呼応するかのようにヌーヴォレコルトとワンアンドオンリーがクラシックで大金星を上げたことで、ハーツの種牡馬としての評価は一気に高まった。
その後もサイアーランキング5位以内に毎年入り、同期のダイワメジャーと共に、ディープインパクト・ステイゴールドに次ぐポストサンデーの一角を占めていた。
キンカメといいダメジャーといい、この世代の種牡馬は最強世代を名乗っていいと思う。

産駒は父親やトニービン譲りの晩成型が多い。善戦マンから急に覚醒して時代を代表する名馬になることも。
また、どういう訳か三冠馬ディープインパクト産駒相手に好走する産駒がやたら多い。父親の血強過ぎないか。
なかでも代表産駒のジャスタウェイとリスグラシューは顕著。その破壊力で父のように当時の最強馬を撃破する姿は圧巻である。
晩成馬ばかりではなく、クラシックでもダービー馬とオークス馬をしっかり輩出している。

2000m前後を得意とするディープインパクト産駒と比べるとかなり長距離を得意とするのが特徴的。
ただ向こうのように菊花賞・天皇賞(春)を勝つ馬は現れなかった。
トニービンの血統ゆえ東京競馬場が得意なことが多い。
意外とダートの回収率も高かったりする。

2021年は二足起立時にふらつきが見えるということで種付けを行わず、そのまま6月に種牡馬を引退。
その後は社台SSで功労馬として繁養されており、かつてノーザンテーストも使用した放牧地直結型の馬房で悠々自適の余生を送っていたが、2023年3月9日、起立不能のため22歳でこの世を去った。
社台ファーム代表の吉田照哉氏によると、社台SSの担当者から「最期の最期まで気高く、弱みを見せずに旅立った」旨を聞いたという。
照哉氏は競走馬・種牡馬双方でのハーツクライの功績に触れた上で、
「やっと訪れたこの快適な生活をもっと長く満喫してほしかった、いつまでも生き続けてほしかったのですが、突然の別れとなり残念でなりません。ドバイ国際競走を前に、このような知らせとなり何とも言えない因縁めいたものを感じております。」*3
「ハーツクライ、心の叫びという馬名も威圧的な雰囲気と相まって、とてもしっくり来るものでした。勝ったレース、負けたレースも含めていろいろな景色を見せてくれました。感謝しています。どうか安らかに眠ってほしいと思います。」
と、名馬の冥福を祈る追悼コメントを発表した*4
ルメール騎手も訃報を受けて自身のツイッターを更新し、Very sad to hear the passing of my champ(私のチャンピオンの訃報を聞いてとても悲しい) . It all started with him for me in Japan(日本での私は彼からすべてが始まりました)」「Legends never die(伝説は決して死なない) .」と、かつての相棒の死を悼んだ。
その後、ルメール騎手は同年のドバイシーマクラシックに自身が主戦騎手を務めるイクイノックスで出走。あの時を思わせる逃げ切り勝ちを収め、天国へ駆けて行った相棒に勝利を捧げた。
2024年クラシック世代がラストクロップとなる。彼の血がつながっていくことを期待しよう。

母父としては、皐月賞を勝利し同年にシンボリクリスエス以来となる3歳馬による秋天制覇を成し遂げたエフフォーリアを輩出。なお、この時の3強は彼の他はディープ産駒の三冠馬コントレイルディープ産駒のマイル女王グランアレグリアであった。祖父としてもディープキラーの血が出てきたのだろうか。
更にエフフォーリアは有馬記念でグランプリ3連覇のお祭り女クロノジェネシスらも打ち破って勝利。これまた祖父のボリクリに続き3歳制覇を成し遂げ、現役最強へと躍り出た。
これでダービーと阪神での4歳初戦を勝てなかったのは祖父2頭の血とも言われている

主な産駒

  • ウインバリアシオン
父に重賞初勝利をプレゼントした初年度産駒。
が、不幸にも同期は金色の暴君オルフェーヴル。ダービーと菊花賞で2着につける奮闘を見せたがやっぱり三冠馬は強かった。
そのせいでオルフェのストーカー追っかけというネタが生まれ、イジられるハメに。特にオルフェが8馬身圧勝で有終の美を飾った13年有馬記念でゴールドシップから2着を死守したのは語り草。オルフェくん待ってー!
結局重賞2勝に終わったが、GⅠで2着4回とシルコレとしてはかなり優秀。なお、そのうち3回の勝ち馬がオルフェーヴルで、残りの1回はオルフェーヴルと同じステイゴールド産駒のフェノーメノ。
故障に悩まされながらも、同世代や1個下の最強世代を相手に走り続けた。
引退後は乗馬入り…する予定だったのだが、急遽種牡馬入り。馬産地としては北海道に劣る青森で、手ごろな値段でスナイパー呼ばわりされるほど高い受胎率を持つ床上手だとか。父親似?

  • ギュスターヴクライ
初年度産駒。1996年第1回秋華賞馬ファビラスラフインの9番仔でもある。
重賞勝利は阪神大賞典のみ…ではあるが、なんとそのレースでオルフェーヴルを破って、父と同じ三冠馬撃破をやってのけた。
と言いたいのだが…
詳細はこちらを参照。

  • アドマイヤラクティ
初年度産駒。
父のように勝ちきれないレースが続いていたが、そこは晩成型ハーツクライ産駒。6歳時の豪州遠征でコーフィールドカップに勝利し、念願のGⅠ初勝利を上げた。
が、その後のメルボルンカップでは1番人気に推されていたところから終盤に急激に失速し大敗。
直後に急性心不全を起こし急死してしまうという非業の最期を遂げた。
遺骨はオーストラリアの大地に眠っている。

  • カレンミロティック
初年度産駒。騙馬。
余りに神経質だったので去勢したら、金鯱賞勝利など重賞常連へと成長した。
春天や宝塚でゴールドシップキタサンブラックの2着など時折穴をあける好走を見せるもGⅠ勝利はなし。
騙馬だけあって、10歳という結構な高齢になるまで走り続けた。

2年目産駒にして代表産駒その1。屈指の強世代、12世代の一角である。
名前の由来は空知英秋氏の漫画銀魂」に登場する爆弾アイテム。馬主はそのアニメ版の脚本家であり、ハーツクライの一口馬主でもあった大和屋暁氏。
実力の片鱗は見せていたもののクラシック戦線では特に見せ場もなく、善戦シルコレマンとしての活躍(?)が続き、名前も相まってネタ馬扱い。
が、父にも劣らぬ大器晩成で、秋の天皇賞では驚異的なスパートでディープ産駒最強と名高い牝馬三冠馬ジェンティルドンナ4馬身ぶっちぎる圧勝。ハーツクライ産駒初のGⅠ制覇となった。
その後はドバイ遠征に出発し、ドバイDFにて世界の強豪相手にレコードを2秒も縮める6馬身差圧勝。親子2代ドバイ制覇を達成した。
この勝利を評価されてオルフェーヴルを上回る130ポンドの評価を獲得し、WBRRレーティング世界1位の評価を受けることとなった。完成度たけーなオイ。
その後の安田記念でも、不良馬場に足を取られながらもグランプリボスとの叩き合いをド根性で制しハナ差勝利。
凱旋門賞やジャパンカップ、ラストランの有馬記念では適正より長い距離ではあったが力走した。
空知氏から「こんな事なら名前の使用権料とっとくんだった」と言ってのけたのは有名。また、先述通りジャスタウェイをはじめハーツクライ産駒の活躍から、以降の産駒の価格が急騰した事もあって、ついには大和屋氏の手に届かないまでになってしまったと言うヲチが付いた。

種牡馬としては、2020年にダノンザキッドでようやくGⅠ勝利を得た。
他にもJBCレディスクラシック馬のテオレーマなど、産駒にはダート馬も多い。母方の血が作用しているのだろうか。

  • フェイムゲーム
3年目産駒。騙馬。
ダイアモンドSで3勝、ゴールドシップ相手にクビ差で春の天皇賞2着などの結果を残したステイヤー。
GⅠ未勝利ながら重賞6勝したという珍記録の持ち主。なお兄のGⅡ神バランスオブゲームも同じ記録を持っている。
8歳で重賞を勝利する辺り実力は本物だった。

  • ヌーヴォレコルト
4年目産駒にしてオークス馬
当時最強牝馬として期待されていたハープスター相手にチューリップ賞で2着、桜花賞で3着を取り、オークスでは完璧なレース展開で勝利。ハーツクライ産駒クラシック初勝利となった。またディープ産駒撃破してるよこの一族。
が、当時はあまりにハープスターへの期待が大きかったためか、フジテレビの実況ではまともに名前を呼んでもらえないという屈辱を味わう羽目に。
しかもハープスターは道中で落鉄していたことが判明。フロック視にますます拍車がかかってしまった。
それでもこの後も好走を続け、オークス以降は3つの重賞で勝利。GⅠでもオークス以外で勝利をあげられなかったが、2着4回というなかなかの成績を残した。

  • ワンアンドオンリー
4年目産駒にしてダービー馬
デビュー時はそれほど高く評価されていなかったが、父譲りの鋭い末脚を期待されダービーに挑戦。
そして上記のヌーヴォレコルト勝利の翌週、アクシデント続きの日本ダービーに勝利。ハーツクライ産駒は2週連続GⅠ勝利。
これによりハーツクライの調教師だった橋口氏は悲願のダービー勝利を成し遂げた。鞍上の横山典弘騎手にとっても、父であと一歩届かなかった雪辱を子で晴らす形となった。
しかもその翌週にはジャスタウェイが安田記念に勝利したため3連勝。ハーツクライ強し。
その後は菊花賞に向けて出走した神戸新聞杯でも勝利するが、菊花賞本番を9着に敗れてから、引退まで20レース以上走るものの、再び勝利を得ることができなかった。
その後は種牡馬として、アロースタッドを経て、2023年度以降は熊本県のストームファームで繋養されている。

5年目産駒で、尻尾のない名牝ハルーワスウィートの仔の1頭。
ジェンティルドンナの被害者ライバルヴィルシーナの半弟であり、秋華賞とドバイターフを制したヴィブロスの半兄でもある。
ヴィルシーナ・ヴィブロス姉妹と同じく、大魔神こと佐々木主浩の所有馬。
クラシックは怪我と敗走が重なり断念せざるを得ず、3歳の頃はオープン入りするのがやっとだった。
しかし、4歳になると成績が上向き始め、阪神大賞典で重賞初勝利。この年GⅠも4レース出走し、そのうち天皇賞(春)とジャパンカップで3着に入る善戦を見せた。
相性不利な同期の名馬キタサンブラックに苦汁をなめさせられ続けたが、5歳のジャパンカップでキタサンブラックの落鉄があったとはいえついに勝利。さすがは晩成の大物キラーの一族である。
6歳には5レースに出走し4レースで掲示板を確保する安定した成績を残し、7歳には海外遠征に挑戦。ドバイSCで2着に入る好走を見せた。しかし、その後はさすがに衰えが来たのか、掲示板に乗ることができず、同年の有馬記念を最後に引退。
GⅠ勝利は先述のジャパンカップのみで、その後に勝ち星を上げなれなかったが、現役期間が長かった上に、6歳までは安定して掲示板を確保していたため、最終的には10億円ホースの仲間入りを果たした。
2019年には全妹のイヴィステラが誕生。2021年には、兄と同じく佐々木主浩オーナーと友道康夫厩舎の元でデビューしている。

2022年には産駒の中で真っ先にウマ娘化を果たし、注目を浴びた。

  • スワーヴリチャード
7年目産駒。同期のリスグラシューに話題を持っていかれがちだが、GⅠを2勝する活躍を見せている。
父と同じダービー2着経験後、翌年の大阪杯で勝利しGⅠホースに。実に5頭のGⅠホースが集結した19年中山記念でも一翼を担った。
史上初の海外馬なしでの開催となった2019年のジャパンカップでは、レイデオロや令和のステゴカレンブーケドールに勝利している。
なお、この年急逝したディープインパクトを偲んでこのレースは「ディープインパクトメモリアル」の副題がつけられたが、2着から4着をディープ産駒が独占する中、よりによってハーツ産駒が勝利する形に。またディープキラーか。
翌年もドバイ出走の意向を示していたが、続く有馬記念にて勝負所で歩様がおかしくなり、競走中止に等しい12着に。2週間後に右飛節に腫れと痛みが現れ、そのまま引退となった。

種牡馬としてジャスタウェイに代わる形で社台SS入り。
200万という社台では手ごろな価格だったこともあり、中小牧場生産も多くみられ初年度産駒がデビューした。
…が何と驚異の勝ち上がり率で新種牡馬リーディングで首位争いを繰り広げる活躍ぶり、更に初年度から2歳重賞を制するなどが考慮された結果、
2024年の種付け料はなんと200万から1500万円で7.5倍増額、巷ではどんなに高くてもまだクラシックの成績も分からないで1000万越えはないと予想していたファンたちを驚かせた。
そして2023/12/28に行われたGⅠホープフルステークスで出走馬唯一の牝馬レガレイラが1着となり、初年度からいきなりGⅠ馬を輩出した。
しかも、牝馬のホープフルステークス優勝は、前身のラジオたんぱ杯2歳(3歳)ステークス時代を含めても初めての快挙というというおまけつき。
初年度から上々過ぎるほどの滑り出しとなったわけだが、偉大な父の後継となれるか。

  • Yoshida(ヨシダ)
アメリカに渡った7年目産駒。名前の由来はノーザンファーム代表の吉田勝巳氏。
オールドフォレスターで勝利してGⅠ初制覇。同日にはイギリス2000ギニーを日本生産馬のサクソンウォリアー(ディープ産駒)が制している。
同年のウッドワードステークスにも勝利、日本生産馬による初の海外ダートGⅠ勝利を達成した。
引退後は「サンデーサイレンスの血がアメリカに帰ってきた」のキャッチコピーとともに種牡馬入り。フサイチゼノンやアグネスゴールドがアメリカで種牡馬やってたのは無かった事にされた模様
質のいい繁殖牝馬が集まっているらしく、これからに期待がかかる。
2024年度からはダーレー・ジャパンに導入され、日本で繋養されることに。

  • リスグラシュー
7年目産駒にして代表産駒その2。最強牝馬議論の常連。
2歳で重賞ウィナーになったが3歳シーズン勝ち星なしという父親譲りの善戦ウーマン。
2着とか3着とかを繰り返す中、4歳でエリザベス女王杯に勝利して念願のGⅠ勝利を得た。この年は重賞8レースを戦い、うち7レースで馬券圏内という安定した成績を残したことから、最優秀4歳以上牝馬になり、実力を周知されていく。
が、5歳の時が彼女の本番。
宝塚記念でオーストラリアの短期免許騎手、レーン騎手とともに3馬身差をつけて宝塚記念を快勝。
優勝によって与えられたコックスプレートの優先出走権を生かして出場、大外周りで勝利。ムーニーバレーの短い直線も斤量の差も意味はなかった。
ラストランとなった有馬記念では現役最強馬アーモンドアイをはじめとする史上屈指の豪華メンバーと対決、アーモンドアイが馬群に沈み悲鳴が上がるのを余所に凄まじい末脚を繰り出し、完璧に立ち回ったはずの2着サートゥルナーリアに5馬身差をつける完全勝利。
ドリームジャーニー以来かつ牝馬初となるグランプリ連覇を達成した。
この勝利によってアーモンドアイを上回る日本牝馬史上1位のレーティング126を獲得。文句なしの年度代表馬となった。

3歳のころは馬体重も小さく輸送にも弱かったが、ラストランのころには立派な馬体となっていた。父譲りの晩成は、大輪の百合となって咲いたのだ。
クラブの規定で5歳引退となったが、6歳まで走っていたらどれ程の強さになっていたのだろうか。

  • サリオス
10年目産駒。母はドイツのオークスに当たるGⅠディアナ賞を制したサロミナ。半姉のサラキア(父ディープインパクト)はエリザベス女王杯と有馬記念で2着の実績を持つ。
GⅠ朝日杯FSをコースレコードで圧勝し、クラシックも期待されていたが、そこに立ちはだかったのはよりによってディープ産駒コントレイル
皐月賞は最終直線の叩き合いで惜敗、ダービーは最後に外から回ってまくりに行って追いつけず連続2着で2冠を許すも激走したといえる。
菊花賞は見切りマイル路線に進んで古馬相手の毎日王冠を快勝。しかし以降イマイチで、適正距離など諸々含めて不安視されていた。
かと思えば、香港マイルで3着と久々に好走を見せた。次いで、ドバイターフに登録していたのに何故か出走した高松宮記念では初の2桁着順で惨敗するも安田記念ではマイル王シュネルマイスターとその最大のライバルにして本レース勝ち馬のソングラインに続く3着と好走。そして、2年ぶりの毎日王冠にて、馬群を割って末脚を繰り出し、かつてと同舞台で復活勝利を果たす。
終わった馬と揶揄されつつも何処か憎めない、妙な人気のある奴といった印象だった彼は、一転して時代のマイル王候補に名乗りでる資格のある姿を見せた…が次のマイルCSでは前走の反動か14着に沈み、
種牡馬入り前のラストランになるはずだった香港マイルは、まさかの現地医師による診断で左前肢ハ行とされ出走取消。最後を飾るどころか走る事すら叶わずターフから降りることになった
幸いにも血統の良さも評価されたのか社台スタリオンステーション入りが決まったため、父の後継として無念を晴らせるか期待しよう。

12年目産駒にして代表産駒その32頭目のダービー&有馬記念馬
馬主は自他共に認める世界一の武豊ファン、松島正昭が武豊を凱旋門賞で勝たせるために立ち上げた株式会社キーファーズ。
そのため、この馬も負傷による離脱期間を除けば、全レースで武豊が騎乗している。
詳細は当該リンク参照。

  • ノットゥルノ
ドウデュースと同じ12年目産駒。オーナーは数々の名馬を所有する金子真人氏*5で、名前はイタリア語で「夜想曲」の意。
芝であるデビュー戦と2戦目ではそれぞれ4着・6着と当初ぱっとしなかったが、ダートに転向した3戦目で2着に5馬身差の圧勝。
その後も1勝クラスを初戦で快勝するが、続く伏竜ステークスは2着、重賞初挑戦となる兵庫チャンピオンシップも2着に終わってしまう。
それでも賞金を確保して3歳ダート馬の頂点を決めるジャパンダートダービー(JDD)に出走。記録的な大雨による不良馬場の中、大外枠から好位で先行すると、4コーナーでブリッツファングと並んで抜け出し、直線で振り落とすとペイシャエスの追撃を振り切って1着。
一躍3歳ダート馬の頂点に立つとともに、ハーツクライ産駒ではYoshida以来となるダートGⅠ馬となった。
鞍上の武豊はこれがJDD4勝目。また、同年の日本ダービーも制していたため、史上3度目*6となる同一年の芝・ダート両ダービー制覇を成し遂げた*7
陣営は秋についてダートGⅠの大一番・チャンピオンズカップを候補に入れているとアナウンスして…いたが、その後「菊花賞も考えている」という話が出てきた。
結局秋の初戦は日本テレビ盃となったが、ここでは古馬たちに跳ね返され7着。同期の2着クラウンプライドにも先着を許す形となった。
しかし、3歳最後のレースとなった東京大賞典ではウシュバテソーロの2着に入り、この年に帝王賞を制したメイショウハリオや川崎記念馬のショウナンナデシコに先着。JDD覇者の意地を見せた。

余談

  • 大和屋暁
先述のようにハーツクライの一口馬主であった大和屋氏はハーツクライのことを相当気に入っており、自身が担当したアニメ『イクシオンサーガDT』でキャラの名前にハーツクライ産駒を引用しまくった(「バリアシオン」「ギュスターヴ」など)なんてエピソードも。

  • フィクション作品への登場
●漫画『新・優駿たちの蹄跡』(やまさき拓味)
「喉笛」で登場。橋口調教師の視点を主に、喘鳴症発症から引退までの様子を中心にハーツクライの軌跡が描かれている。何故か最大の見せ場である第50回有馬記念は飛ばされたけど。
…が、途中でいきなりSDキャラ化した講師ハーツクライ(関西弁)と生徒ロジック・ペールギュント・ローズプレステージによる「喘鳴症講座」コントが展開された。なぜだ。
また厩舎で噛みつき癖があり、厩務員はダメージを防ぐためヘルメットとアーマー装備で彼の世話に当たってメット越しにパクつかれていた。シンコウウインディ(本作の別回で主役)かお前は。

●漫画『馬なり1ハロン劇場』(よしだみほ)
2004年菊花賞頃から顔を見せだしてはいたが、本格的登場は2006年から。
有馬記念後周囲の「空気読めよ」ムードに消沈していたが、かつて三冠馬2頭を撃墜した名馬カツラギエースの霊と出会い励まされ立ち直りドバイを勝利。
引退後は種牡馬としてディープインパクトをライバル視しつつ産駒達の前にしばしば登場している。
しかし2014年にはオークス時ヌーヴォレコルトの前で空気読めないのを売りにし、その翌週ダービー前にはワンアンドオンリーに「橋口調教師のため空気読んで勝て」と激励する真逆さをみせていた。

  • スイープたん
某掲示板などでは「スイープたーん!!」というネタが存在する。
これは宝塚でスイープ1着ハーツ2着、秋天でスイープ5着ハーツ6着と、スイープトウショウと一緒に走るとハーツはいつもケツを追っかけて走っていたため。
それとスイープのツンデレっぷりが合わさり、スイープたんハアハアみたいな片思いネタが生まれた。
一応2頭の間にスイープセレリタスという子もいるが、名馬の仔と思うといまいち振るわないまま引退してしまった(スイープ仔としては2024年現在現役の仔を除けばトップタイの4勝を挙げてはいる。リアルでは大したものである)。
なおこれとは別に、ハーツクライ産駒のスワーヴリチャードとスイープトウショウ産駒のビジュートウショウの間の仔に2024年のチューリップ賞を制したスウィープフィートもいる。



追記・修正は覚醒して大本命を撃破してからお願いします。

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最終更新:2024年03月22日 21:43

*1 例えば2004年、ダンスインザムードで天皇賞(秋)とマイルCSに、コスモバルクでジャパンカップに挑むも、いずれも2着に終わった。この年もダイワメジャーでマイルCSに挑むも、前年と同じく2着に終わっている。

*2 キングジョージでは珍しくないことではある

*3 実際、2023年のドバイワールドカップミーティングは3月25日、つまりハーツクライの死の約2週間後に開催予定であった。

*4 出典:https://news.livedoor.com/article/detail/23846075/

*5 産業用ソフトウェアメーカー「図研」代表取締役会長。ハーツクライが下したディープインパクトのオーナーでもある。

*6 2002年のタニノギムレット(日本ダービー)×ゴールドアリュール(JDD)、2005年のディープインパクト(日本ダービー)×カネヒキリ(JDD)。

*7 最も、現在武騎手以外に同一年の芝・ダート両ダービー制覇を成し遂げた騎手はいないのだが。