登録日:2024/01/27 Sau 18:53:59
更新日:2025/01/11 Sat 00:08:45
所要時間:約8分で読めます
JRA-VAN広場 名馬メモリアル メジロアルダンより
メジロアルダンは日本の元
競走馬・種牡馬。"重戦車"と呼ぶにはあまりにも脆い脚で最強世代を駆け抜けた。
500kgを超える馬体を沈めるように低い重心を保ちつつ前肢をかき込むように繰り出すフォームが"
重戦車"と例えられた。
データ
性別:牡
毛色:黒鹿毛
誕生:1985年3月28日
死亡:2002年6月18日
享年:17歳
父:アスワン
母:メジロヒリュウ
母父:ネヴァービート
調教師:奥平真治 (美浦)
馬主:有限会社メジロ牧場
産地:北海道伊達市
獲得賞金:2億4332万9000円
通算成績:14戦4勝[4-3-2-5]
主な勝鞍:1989年 高松宮杯(GⅡ)
誕生
1985年3月28日にメジロ牧場で生産された。双子として生まれたメジロヒリュウの6番仔は素晴らしく目をひく馬体が注目される一方で体質の弱さが懸念されていた。片割れは胎内で死産したという。
父
アスワンはノーザンテースト産駒、社台グループ創設者吉田善哉に「体形が
ノーザンダンサーそっくりなので気に入った馬でした」と言われ活躍を期待され、主戦吉永正人に「エンジンがかかってからの脚の回転はケタ違いに速かった」と称される逸材だった。京成杯・NHK杯を制し日本ダービー有力馬と見られたが故障により通算6戦3勝で引退した。
種牡馬として98%超の受胎率とコンスタントに重賞勝ち馬を輩出し内国産種牡馬として上位の活躍を見せたが、2004年の種牡馬引退後、功労馬繋養展示事業の対象馬になれず消息不明となった。母父として1999年の秋華賞を12番人気で制したブゼンキャンドルを輩出している。
母
メジロヒリュウはメジロの基幹牝馬アマゾンウォリアーの仔。二冠女王テスコガビーの同期であったがオークスで3.4秒差の16着。平地25戦4勝・障害6戦1勝で繫殖入りし、4番仔
メジロラモーヌが史上初の牝馬三冠を達成した。母の半弟は東京優駿5着、菊花賞・有馬記念3着の実績を残した小さな逃亡者メジロイーグル(
メジロパーマーの父)。
母の父
ネヴァービートは血統を見込まれて日本で種牡馬入りした英国馬。リーディングサイアー・ブルードメアサイアーに其々3度輝き、産駒が八大競走4勝を挙げ、JRA
顕彰馬「飛越の天才」グランドマーチスなど優秀な成績を残した。BMSでは天皇賞(秋)優勝馬サクラユタカオーやマイルCS連覇
ダイタクヘリオスを輩出している。
いとこに日経新春杯・中山牝馬S勝ち馬メジロランバダがいる。
メジロヒリュウの6番仔は
メジロアルダンと名付けられた。
メジロ牧場は年ごとにテーマを設けて馬名登録しており、1987年産のメジロ御三家こと
メジロマックイーン・
メジロライアン・メジロパーマーがアメリカの著名人の名前を由来とするのがその一例。
1985年度は海外の名馬がテーマだった。
Ardanは1944年に仏ダービー・
凱旋門賞を制したGⅠ級6勝の名馬で、その血統から日本ダービー馬ロングエース、オークス馬リニアクインが出ており20世紀の競馬界では著名な存在。
85年産は他にメジロマスキット(19世紀ニュージーランドの名種牡馬Musketが由来、1989年最優秀障害馬)、メジロマーシャス(第二次世界大戦期の仏国の名ステイヤーMarsyasが由来、函館記念勝ち馬)、メジロコロラド(1926年英2000ギニー勝ち馬Colorado、マックイーン半兄)、メジロサッチ(1973年サセックスS勝ち馬Thatch、未勝利)などがいる。
デビュー
美浦の名調教師・奥平真治厩舎に入る。開業3年目で八大競走・有馬記念を制して以降「トウショウ」「メジロ」軍団を預けられ、アルダンの半姉メジロラモーヌを送り出した。
奥平師は「他の大御所の調教師がやりたがっていたんだ。だからうちの厩舎には来ないものと思っていたら、おばあちゃん(北野ミヤ)が『やれ』って言って…。それでうちに来ることになったんだ」と後年コメントしている。
体質の弱さからデビューは遅れ3歳3月の未出走戦、皐月賞トライアル・スプリングSの翌日に行われたダート1200m戦となった。柏崎正次を背に単勝1.5倍に応え勝利した。
2戦目は皐月賞と同日に行われた芝1800m戦・山藤賞。後に大川慶次郎の日本ダービー本命
23着ブービー負けのナカミリーゼントをクビ差で抑え2勝目を挙げる。競走馬時代前半の主戦として三冠ジョッキー
岡部幸雄を以降迎えることとなる。
3走目は日本ダービーの前哨戦
GⅡNHK杯(芝2000m)に出走した。
1番人気は
GⅠ阪神3歳S勝ち馬でJRA賞最優秀3歳牡馬に選出、「
テンポイントの再来」と呼ばれた
サッカーボーイだった。レースはサッカーボーイが4着に敗れ、田村正光を迎えたアルダンは10番人気マイネルグラウベンにアタマ差2着。初重賞で健闘しダービー出走権を得ることができた。
第55回東京優駿
メジロ牧場、奥平厩舎が制覇に燃える日本ダービーに6番人気で出走する。
1番人気はサッカーボーイだったが前走から蹄のコンディションが最悪で河内洋騎手は「お客さん無茶しおる」と呟いていた。
2番人気は
皐月賞馬
ヤエノムテキ、3番人気は
GⅠ朝日杯3歳S・GⅡ弥生賞勝ち馬
サクラチヨノオー、その後はダービーまで3戦連続上り最速の末脚を見せた
コクサイトリプルにマイネルグラウベン、アルダンと続いていた。サッカーボーイが単勝5.8倍であり混戦必至が予想されていた。
テレビ馬アドバンスモアの玉砕大逃げでハイペースの道中、サッカーボーイは追走に精一杯、サクラチヨノオーが単独2番手でラップを刻むのをアルダンと岡部幸雄はマークしていた。
4コーナーでサクラチヨノオーが抜け出すと岡部幸雄が残り200m付近で押し切りをはかる。岡部幸雄は
シンボリルドルフ以来のダービー2勝目を、メジロ牧場と奥平厩舎は初の制覇を、デビューから2ヶ月でのダービー制覇の偉業がなされる…
はずだった。
一杯になったはずのサクラチヨノオーが内から差し返しに来たのだった。小島太の剛腕に応えるような信じられない気迫迫った二の脚、さらに外からコクサイトリプルに迫られたのに怯んでしまったのか、チヨノオーのクビ差2着に夢は潰えたのだった。
勝ち時計は2分26秒3のレコードタイム、2024年においても歴代25位、アドバンスモアが単騎大逃げだったとはいえ厳しい戦いだった。サッカーボーイはアルダンから1.4秒差15着だった。
その代償にサクラチヨノオーは屈腱炎を発症、復帰後は惨敗に惨敗を重ねターフを去った。アルダンも骨折により長期休養となった。
結論を言えばメジロ牧場も奥平厩舎もダービーを制覇できずに終わった。メジロライアンとレオダーバン(岡部騎乗)の2着が最高で、岡部幸雄も2勝目を挙げられずに終わった。
休養中にダービー9着ガクエンツービートが菊花賞で
スーパークリークの2着に入り、サッカーボーイはマイルCSを制し最優秀短距離馬に選出されている。
4歳
復帰は1年ぶりとなる4歳の5月27日、OPメイSだった。コクサイトリプルと同じ単勝2.9倍(2番人気)だった。ダービー2着サニースワローやオークス2着マルシゲアトラスら年上相手に上り最速で完勝している。
7月の中京
GⅡ高松宮杯(芝2000m)に河内洋と出走、スーパーGⅡだけあって有力馬が揃う。安田記念を制し宝塚記念5着の同期
バンブーメモリー(余談だがアルダンは6走目、バンブーは20走目だった)、桜花賞&エリザベス女王杯2着の同期シヨノロマン
(ヤエノムテキの片思い相手)、オークス馬コスモドリーム、最低人気はGⅢ勝ち馬で当時としては破格の580kg台の馬体重を誇ったマルカセイコウ。
ちなみに重賞初挑戦のダイユウサクもいた。
単勝1.6倍の圧倒的支持に応えバンブーメモリーに2馬身半の差をつけるレコード勝ち。最初
で最後の重賞制覇を飾った。河内洋も絶賛する内容で秋競馬に期待がかかる。
第40回毎日王冠
秋の初戦は天皇賞(秋)の前哨戦・GⅡ毎日王冠。同期のスターホース
オグリキャップ、春のGⅠ王者
イナリワンが出走し8頭立て少数精鋭だった。オールカマーを完勝したオグリキャップが単勝1.4倍の1番人気、アルダンはイナリワンを上回る2.9倍の2番人気だった。
なおサッカーボーイが出走すれば史上初の「4頭単枠指定」となるはずだったが、故障・引退により叶わなかった。
レジェンドテイオーの逃げで進み残り200mの地点ではメジロアルダンとウインドミルが抜けるとオグリキャップ・イナリワンが襲い掛かりデッドヒートとなる。
「横に広がった!叩き合いが続く!叩き合いが続く! 200を切った!オグリ来るのか!オグリ届くのか!
イナリワンも凄い、イナリワンも凄い脚だ! さあメジロアルダンか!メジロアルダンか!
イナリワンか! オグリか!3頭並んだ!3頭並んだ! そして2頭になった!並んで、並んでゴールイン!
並んでゴールイン! 外オグリ!内イナリワン!外オグリ!内イナリワン!」
オグリキャップとイナリワンの一騎討ちに1馬身半後れを取る3着だった。
本番の天皇賞(秋)は3番人気。先行策から最内を突く競馬を見せるが同期の菊花賞馬スーパークリーク・オグリキャップとの叩き合いの末3着だった。
しかし1着スーパークリークからクビ+クビ差、ヤエノムテキとイナリワンに先着したことからジャパンC・有馬記念での更なる走りを期待されたのだが…ガラスの脚が激闘に悲鳴を上げ
屈腱炎を発症した。
復帰はまた長くかかり11か月後となってしまった。
ジャパンCはオグリキャップとホーリックスが、有馬記念はスーパークリークとイナリワンが激闘を見せている。もし無事なら変幻自在の脚が輝いていたかもしれない。
5歳
5歳復帰戦は9月のGⅢオールカマーだった。二冠騎手菅原泰夫を迎え1番人気だったが初の重馬場が影響したか伏兵に破れ4着だった。
この第36回オールカマーは11番人気―8番人気―6番人気での決着で上位人気は悉く敗れている。
第102回天皇賞(秋)
安田記念をレコード勝ちし秋天2年連続2着のオグリキャップが1番人気、そのオグリを宝塚記念で破ったオサイチジョージと続き、アルダンは5番人気だった。
しかしここで問題が生じた。アルダンの主戦だった岡部幸雄が騎乗を断ったのである。奥平師が「技術があったから『ここが悪い』とか『今回はやめたほうがいい』とかハッキリ言う人だった。でも彼が『良い』と言う時は大体勝ち負けできた。状態の見極めが他の騎手以上に優れていましたね」と評価するように、脚に爆弾を抱えるアルダンとは手が合う騎手で乗ってくれるものだと陣営は思っていたのだが…
岡部幸雄は3番人気ヤエノムテキを選んだ。ヤエノムテキを管理する荻野光男調教師が「これで負けたら仕方がない」と感じるまで調子の上がっていた中、「勝つ確率はどちらがより高いか」で騎乗を選ぶ岡部幸雄の眼鏡にかなったのだろう。仕方なくメジロはアルダンは同厩舎のメジロライアンの主戦であった横山典弘を迎えた。
レースはロングニュートリノにラッキーゲランが絡み前半1000mを58.2秒で暴走していく。
岡部幸雄と最内でジッと我慢していたヤエノムテキが最後の直線で早めのスパート、オグリキャップが伸び悩みそこに観客の注目が行く中、アルダン・バンブーメモリーらが襲い掛かってきた。
「最内突いてヤエノムテキ!オグリキャップは来るのか! バンブーメモリー来た!バンブー来た!
オグリはどうだ!オグリはどうだ! メジロアルダンも来ている!メジロアルダンも来ている!
メジロアルダン凄い脚だ! バンブー!そしてメジロアルダン!7番のヤエノムテキ! ヤエノムテキ!
ヤエノムテキ!メジロアルダン! 並んでゴールイン!並んでゴールイン! 青い帽子が先頭2番手!」
メジロアルダンの末脚はアタマ差届かず、皐月賞ヤエノムテキの復活を許すこととなった。そしてこれが最後の雄姿だった。
有馬記念は2番人気だったがオグリキャップの復活を眺める10着惨敗、放馬したヤエノムテキにさえ先着できずに終わった。
6歳
年が明けて1番人気の日経新春杯で4着の後、屈腱炎が再発。春は全休、オグリキャップを始めとしたGⅠ馬の同期たち5頭は種牡馬入りしていた。
復帰戦はOP富士Sだったが1着から1.2秒差の6着。もう力は残っていなかった。
ジャパンCはファンの不安視が当たり12番人気14着のブービー負け。14戦4勝で引退した。
引退後
ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りするも、OPクラスのメジロスティードやガルフィンドリームらの活躍が一杯だった。
2000年10月27日付で中堅種牡馬スリルショー・19頭の繁殖牝馬・1頭のポニーとともに中国へ輸出され、目白阿尔丹という名で北京龍頭牧場で繋養された。しかし2002年6月18日、種付け中の心臓発作により17歳で亡くなっている。敷地内に葬られた。
だが同期のGⅠ馬がサッカーボーイを除いて種牡馬成績で不振の中、アルダン産駒から大物が出ることとなる。
一緒に輸出されたスリルショー産駒ヤマニンディライト2002年産馬である。
名を无敌・Wu Di(中国語で無敵であるという意味)という。
1400mから8000m競走で27勝をあげ、全国速度賽馬锦标赛三連覇(2006年の2600m戦、2007年の2400m戦、2008年の8000m戦)を果たした。
「無敵は古代の神馬で、詳細な情報は残っていない」賭け事が禁止される中国競馬ゆえ詳細はまったくもって不明だが、間違いなく言えることは、世界で唯一のノーザンテースト系最後の希望だということである。
无敌は2010年に引退し、新彊ウイグル自治区の牧駿農牧業髪展有限責任公司で種牡馬入りし、2015年には最佳種公馬(中国最優秀種牡馬)に輝いた。
産駒からは玉龙神话(玉龍神話)・东兴小将(東興小将)兄弟がタイトルを獲得しており、後継種牡馬にも恵まれているという。
順調に使えていれば「相当出世した馬だったはず」…未完の大器が果たせなかった夢は中国で続いているのだ。
【創作作品での登場】
お人好しでやや天然気味のおぼっちゃんキャラで登場。
馬の温泉で序列ルールを無視してオグリキャップの背中を流したり、馬なのに乗馬クラブに行って門前払いされたりとどこかマイペースな言動が多い。
心優しい深窓の令嬢で名門『メジロ家』出身のウマ娘。
史実でも故障続きだった事を反映したのか、体、特に脚が弱いらしく、「ガラスのように繊細」と言われている。
史実と同様に姉としてメジロラモーヌが存在する。
初出は
スピンオフの漫画『
ウマ娘 シンデレラグレイ』で、2021年7月11日にサポートカードとして参戦が発表。
同時にcvも公表され、2022年2月08日には育成キャラとして実装された。
シンデレラグレイ初出組としてはサクラチヨノオーに続く実装となった。
追記・修正は大陸に果たせなかった夢を残せる方にお願いします。
- 実に充実した内容の項目で乙。ウマ娘から知ったにわかだけどダービーといい天皇賞といい、あと僅か同期のライバルに届かなかったという史実がホント悲しいんだよなメジロアルダン… -- 名無しさん (2024-01-27 19:40:31)
- 何か産駒の情報で8000m競争とか書いてあるけど中国には距離8000mのレースがあるのか? -- 名無しさん (2024-01-28 01:42:14)
- 12000mまで中国競馬はあるそうです、ウェイバックマシンで結果等見やすくなっているそうです -- 名無しさん (2024-01-28 12:41:00)
- 笠松のあの馬主さんが無敵産駒を輸入したいって息巻いてたけど、現在どうなってるんだろうか -- 名無しさん (2024-01-28 13:14:52)
- ↑あまり前例(中国からの産駒輸入)がないからスムーズにはいかないみたいですね。とはいえ向こうとはコネができつつあるとか。 -- 名無しさん (2024-01-28 20:38:21)
- ↑国際セリ名簿基準委員会未承認・国際法違反・非サラブレッドとの交配がパート1国日本には無理難題のようで -- 名無しさん (2024-01-30 12:39:04)
- 重賞制覇は高松宮杯の1回だけれども、その1回が前年のオグリのレコード塗り替え&GⅠ昇格にともなう距離変更により二度と塗り替えられぬ永遠の蹄跡になったという点は彼もまた88クラシック世代の代表の一角に相違ないことの証明だと思う -- 名無しさん (2024-03-10 18:11:46)
最終更新:2025年01月11日 00:08