マイシンザン(競走馬)

登録日:2024/03/04 Mon 15:19:01
更新日:2024/03/08 Fri 20:52:59
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日本が誇る「ナタ」の系譜

「切れ」受け継いだ3代目

週刊100名馬 vol.52 マイシンザン


マイシンザン(My shinzan)とは、日本の元競走馬、種牡馬。日本最強の血統から生まれ、鉈の切れ味・溢れ出る闘争心を武器に三強に待ったをかけた戦士の末裔である。

【データ】

性別:牡
毛色:鹿毛
誕生:1990年3月7日
死没:2013年3月19日
享年:23歳
父:ミホシンザン
母:ファイブソロン
母父:パーソロン
調教師:山本正司 (栗東)
主戦騎手:松永幹夫
馬主:菅原吾一
生産者:武田牧場
産地:北海道新冠町
獲得賞金:1億3889万7000円
通算成績:12戦4勝 [4-1-0-9]
主な勝鞍:1993年 NHK杯(GⅡ)、1995年 朝日チャレンジC(GⅢ)

【血統】

ミホシンザンは1985年に皐月賞・菊花賞を優勝しクラシック二冠を達成、1987年の天皇賞(春)も優勝し、3年連続で最優秀父内国産馬を受賞した。
その父シンザンは戦後初のクラシック三冠馬。「神馬」「シンザンを超えろ」のフレーズで知られ、19連続連対の最高記録を誇る21世紀現在においても日本競馬の至上命題として語り継がれている。ミホシンザンはシンザン産駒の「最高傑作」と称されている。

ファイブソロンは35戦2勝。3歳牝馬Sにおいて後のエリザベス女王杯勝ち馬ビクトリアクラウンと壮絶な叩き合いを見せ、活躍を期待されたが、クラシック登録漏れという不運にあい、その後気性難から大成しなかった。
母の父パーソロンは日本で大成功を収めたアイルランド出身の種牡馬。親子3代天皇賞(春)連覇を成し遂げたメジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーン、史上初の無敗三冠・七冠馬シンボリルドルフなど数多くの活躍馬を輩出した。
産駒およびBMSとして気性難の傾向が強く、母ファイブソロン・本馬ともその色が濃く出た。

【競走馬時代】

誕生

1990年3月7日に北海道新冠町の武田牧場で誕生した。当地からは第1回スーパーダートダービー(交流GⅠ)勝ち馬サンライフテイオーが輩出されている。
ファイブソロンの5番仔であるが特に活躍したきょうだいはいない。リアルシャダイを始めとした輸入種牡馬の活躍が目立つ中、内国産種牡馬ミホシンザンの2世代目としてその潜在能力は評価されていた。

デビュー~2歳シーズン

母ファイブソロンや重賞2勝マイスーパーマンを所有した菅原吾一の所有馬となった。
栗東の山本正司厩舎に入った。騎手時代に1965年日本ダービーをキーストンで制し、調教師として重賞32勝・うちGⅠ級8勝を記録した名門である。

山本の愛弟子・松永幹夫を主戦にデビューする。1992年12月5日の阪神新馬戦に出走、1番人気に応えるかのような上り最速の豪脚を披露するもアタマ差2着だった。
続く12月19日折り返しの新馬戦でその名を馳せることになる。ここでも1番人気になると、伊藤修司厩舎期待のニッポーグランプリ*1を突き放すとその差はどんどん広がり、圧倒的上り最速で1.4秒差・9馬身差付ける圧勝劇を収めたのであった。

3歳シーズン

圧倒的な走りでファンの注目をつかむと、1月17日初重賞チャレンジに挑む。祖父の名を冠するGⅢシンザン記念である。西のクラシック候補・OP勝ち馬マルカツオウジャ*2に次ぐ2番人気だった。
最悪なことに、末脚ではなく母方譲りの気性難が爆発してしまった。暴走の末ズルズル失速し勝ち馬アンバーライオンから2.8秒差殿負けという、シンザンの孫としてあってはならない惨敗となってしまった。
2月のダート1800m戦・飛梅賞で巻き返しを狙うも、1番人気6着と残念な結果に終わった。これには陣営もマズいと思ったのだろうか、連闘で芝1600mこぶし賞に出走させた。

これが凄かった。新馬戦で2着に9馬身差付け、後にOP洛陽S2勝を挙げるフジワンマンクロス、豪華メンバーで知られる第44回安田記念にてノースフライトの2着に入るトーワダーリンが出走し中々のレースだった。そんな中マイシンザンは桁違いの末脚を発揮し、後の重賞ウィナー・ケイウーマンに2馬身差つける快勝を収めた。勝ち時計1:34.9は当時の京都芝内回り1600mのレコードタイムという3歳馬として破格のものだった。

その代償に腰部を痛め約2ヶ月の休養に入った。そしてぶっつけ本番で祖父・父が優勝した皐月賞に挑むこととなる。休養明け・鞍上が今となってはスクリーンヒーロー・エフフォーリアの調教師である鹿戸雄一だが中堅クラスの騎手だったため13番人気の低評価だった。松永幹夫はGⅢ毎日杯勝ちの無敗馬シクレノンシェリフを選択している。
上り2位で追い込むもナリタタイシンの鬼脚から0.7秒差9着といまいちな結果で終わった。松永のシクレノンシェリフは4位入線(繰り上げ3着)だった。

マイシンザンは松永幹夫に戻り当時芝2000mのダービートライアル・GⅡNHK杯に出走した。皐月賞3着も斜行により8着降着となったガレオンが1番人気、タマモクロス初年度産駒として期待されたグロリークロス、流行のトニービン産駒にして無敗のサクラチトセオーに続く4番人気だった。
レースは最後の直線を前にグロリークロスが競走中止・予後不良となり悲鳴が上がる中、マイシンザンは前走の鬱憤を晴らすかのように上り35.0の鬼脚を披露、ガレオンに3・半馬身差つける圧勝を収めたのだった。

先頭はマイシンザンだ!祖父に続け!父に続け!マイシンザン、松永幹夫!!
フジテレビ入社5年目青嶋達也アナウンサー

3着サクラチトセオーは後に天皇賞(秋)で三冠馬ナリタブライアンを撃破、4着トーヨーリファールは重賞3勝することとなり、マイシンザンの圧勝劇は評価されることとなる。父ミホシンザンにとっても産駒重賞初制覇だった。

祖父が二冠を達成し、父が舞台に立つことができなかった東京優駿・日本ダービーにBNW三強に続く4番人気で出走した。鞍上はGⅠ級7勝を挙げている田原成貴だった。
レースはマルチマックスが南井騎手を落馬させ波乱のスタートを切った。シンザン記念勝ち馬アンバーライオンが逃げる。最後の直線でマイシンザンは大外からの末脚勝負に賭けるがBNWには届かない。ウイニングチケット柴田政人の執念が先頭で駆け抜ける中、マイシンザンはガレオンとの叩き合いに敗れ5着、生涯最初で最後の夢はまたもいまいちのまま終わったのであった。

秋の京都新聞杯、菊花賞に備える中、激走が祟り屈腱炎を発症してしまう。松永のシクレノンシェリフは14着に敗れこちらも屈腱炎を発症、元の実力戻らぬままひっそりとターフを去った。

4歳シーズン

復帰は予想以上にかかってしまった。4歳10月の毎日王冠に出走も7着と振るわず。祖父と父に続くべく秋の天皇賞にも出走したが同期のネーハイシーザーの13頭立11着と惨敗。同期のスター・ビワハヤヒデ、ウイニングチケットはレース中に屈腱炎を発症、そのまま引退となった。
気性の悪さが目立ち、入れ込んで無理に走ったため2度目の屈腱炎を発症してしまった。そしてまたも長期休養に入るのだった。

5歳シーズン

5歳9月の朝日チャレンジカップで復帰、主役不在の中、熊沢重文騎手を迎え4番人気で出走した。やや末脚に復調の兆しが見え、同期の重賞勝ち牝馬スプリングバンブーをクビ差で競り勝ち、2年4か月ぶりの勝利を挙げたのだった。
その後毎日王冠で皐月賞馬ジェニュインに先着する5着になる。回避馬の出現によりなんとか本番の天皇賞(秋)に出走…できなかった。一時はナリタブライアンを抑えて1番人気に支持されていたが、前日に3度目の屈腱炎を発症して出走取り消しとなった。結果は同期のサクラチトセオー優勝であった。
追い切り後の翌日にもう一回追い切ったことが屈腱炎の原因だと山本師がマスコミからバッシングを受ける中、マイシンザンにはある決断が下された。「現役続行を断念」、12戦4勝でターフを去った。

名馬というには重賞2勝ではビワハヤヒデらBNWには敵わないが、日本が誇る最強の血統を背景に鋭い末脚を誇ったマイシンザンの競走成績を惜しむファンは少なくない。

引退後

CBスタッドにて種牡馬として供用されたが、父ミホシンザン同様にサンデーサイレンス・トニービン・ブライアンズタイム・リアルシャダイ・ダンシングブレーヴら輸入種牡馬の活躍には太刀打ちできず失敗に終わる。
父ミホシンザンは2001年愛知杯を制したグランドシンザンが最後の産駒重賞勝ちとなった。
マイシンザンは20頭の産駒だけを残し、2003年12月1日付で用途変更されてしまった。2008年に岩手で活躍した産駒シルクセレクションの引退を以てシンザン系はこの世から姿を消したのである。牝系やばんえい競馬、乗馬で細々と血が続いているかどうかという状況といわれている。

マイシンザンは引退後名馬のふるさとステーションに繋養されていたが、突然の北海道ホースマンアカデミーの全生徒65人による休学届提出(集団ボイコット)が発生、マスコミの渦中から逃れるため従業員も移動となった。繋養馬の健康状態を不安視した道議会議員・藤沢澄雄らの行政指導要請・責任者解任によってふるさとステーションは閉鎖された。
その後繋養馬の移動が執り行われる。安田記念勝ち馬フレッシュボイスをはじめ19頭が其々穏やかな生活が送れる先へと移った。
マイシンザンは重賞2勝で大親友のワイルドブラスターと共に浦河乗馬公苑へと移っていった。

北海道ホースマンアカデミーで教官として勤務していた本多列央・敏江夫妻によって引き取られたのだ。毎月計13~14万円が夫婦にのしかかり、不十分な環境にいたマイシンザンらもやせ細っていたが、夫婦の努力により回復、静岡県の乗馬クラブEQUINE-HOLICで馬生を送り始めた。2011年12月には山梨県のウインズ石和での撮影会に赴いている。
夫婦いわく、2頭とも未だ去勢していないが「去勢の必要はない」「あまり心配していない」と現役時代とは違いマイシンザンは大人しかったという。
一方で、普段の性格は大人しいが、プライドが高く時々テンションが上がる時があった。頭が良いため馬栓棒を外して馬房から逃亡することもあったらしい。静岡では富士山をずっと眺めながら悠々自適の生活を送り大親友のワイルドブラスターと大好物のバナナに囲まれ、2013年3月16日に腸捻転により23歳でこの世を去った。ワイルドブラスターも2017年6月13日に25歳でこの世を去った。

シンザン系が途絶えたのは残念だが、マイシンザンを始めとした引退馬が幸せな余生を過ごせたのは大変いいことであろう。

追記・修正は最強の末裔にお願いします。

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最終更新:2024年03月08日 20:52

*1 ハギノトップレディ・ハギノカムイオーを姉弟に持つニッポーテイオー産駒。

*2 超地味な血統・抽選馬という立場から好走し鞍上に武豊を迎え、期待されていたがシンザン記念4着後に故障。1年3か月近く休養に入り、大成することなく終わっている。