昭和2期(仮面ライダーシリーズ)

登録日:2024/08/17 Sat 17:37:35
更新日:2025/02/23 Sun 00:57:18
所要時間:約 151分で読めます





1975年12月27日ストロンガーが終了。
さしもの『奇跡の番組』仮面ライダーも
遂にこの世から消えたと思われたが、

何と4年の歳月を経て不死鳥の如く再起した。

ここで『奇跡の番組・仮面ライダー』の奇跡ぶりを語れば、
この間に仮面ライダーの再生を願って活動を続けた
全国ファンの涙ぐましくも熱烈な力が
仮面ライダー復活の原動力となったのだ。

平山亨



昭和2期とは、公式に『昭和ライダー』と定義されている13作品のうち、1971年~1976年で一旦終了した「第1期シリーズ」から足掛け4年、厳密には3年8ヶ月の月日を経て復活し放映・展開された2番目の時代区分に含まれるシリーズを指す総称である。
具体的には

・仮面ライダー(新)/1979~1980*1
・仮面ライダースーパー1/1980~1981
・仮面ライダーZX/1982~1984*2
の3作品。

TVシリーズという括りであれば上の2作品のみであり、そのように表記する場合もあるが、制作の経緯やスタッフ、作風や世界観に至るまで上記2作品の正統な後継者であり、2年近くに及ぶ地道な活動と特番の1度限りとはいえ歴としたTV放映もされた作品なので『ZX』も大体は便宜上ここに含まれる。そもそもここで仲間外れにすると他に受け皿がない

殺陣:大野剣友会、音楽:菊池俊輔、メインプロデューサー:平山亨という、初代から一貫してシリーズを作り続けていた製作陣*3の復活、そしてフィナーレを飾った時代。
80年代という過渡期の時代を勇敢に戦い、その腕で未開の宇宙を切り開き、命を懸けてシリーズの血脈と誇りを守った3部作である。




+ 目次



前説

さて、この記事を閲覧しているWiki篭り諸氏はこの項目名とそこに含まれるシリーズに対してどのような印象を持っただろうか?

  • なんとなく谷間の印象で打ち切りが多そうな時代
  • 特番が急に1回出てきただけ
  • そもそも昭和は昭和でひと括りなんじゃないの?

などなど、色々あるとは思うが、溢れる情報メディアにより様々な風聞…どちらかといえばネガティブな情報が多く聞こえてくる年代かもしれない。
が、取り敢えずは諸々の先入観は重い荷物と共に枕にして、本項目に目を通して頂きたい。
時代に望まれ甦り、一度は地に倒れ伏しながらもかつての栄華を取り戻し、それでも最後は時代に泣いた作品群。
そこにまつわる当時のライダーファンの苦闘、奮起。必死の運動によって繋がれた命脈。
そして、5年という長いようで短い歴史の狭間の、空に、宇宙に、そして新たな地平に描かれた軌跡が見えてくるはずである。多分、きっと、メイビー。



この時代の特徴

+ 80年代という時代がもたらしたもの

・合成技術の進歩

現代の我々の視点からでは微々たるものかもしれないが、これが一番大きな変化である。
それまではゼロ大帝が「ビーム」と言いつつ火花を出しているだけだったり、怪人の特殊能力も火炎放射や指ミサイルなどの実物をマジでお出ししながら撮影している危ないものを除けば手書きエフェクトなどで工夫するしかない時代であった。
しかしこの頃になるとビデオ合成技術が発達。よりSFじみたエフェクトを表現できるようになり、怪人の特殊能力もその奥行きを増している。
初期ネオショッカー怪人の青白い光に包まれての消滅、アオカビジンによる無慈悲な大量虐殺でカビに蝕まれる人々や、自らの体を赤い電気の奔流へと変化させて電線に侵入するシビレイジンなどが分かりやすい例だろう。

これはもちろんライダー側も例外ではなく、ストロンガーでは火花や手書きで表現するしかなかった電気能力も、スーパー1のエレキ光線などは黄色い電流のエフェクトでよりSFチックな電流と光線を表現できるようになった。
ZXがキックを放つ際に纏う赤いオーラのような輝きも、この時代まで待たなければできない技術である。

そして流行を積極的に取り入れる東映は、アメリカのNASAで開発されたビデオ信号をレーザー光源でフィルム映像に変換する東通ecgシステムを導入。解像度こそ粗かったが、より自然に人物などをフィルム映像などに合成できるようになった。
スカイライダー初期の主観視点で蹴り足が映りながら怪人へと迫るスカイキック、そして何より代名詞のセイリングジャンプはこの恩恵を最大限に受けた描写である。
従来の飛び人形や青空セットに極端なドアップで空を飛んでいる感を出すのではなく、より自然にキャラクターが画面の中を動いて飛行する映像を表現できるようになったのである(手足を思いきり伸ばした飛行シーンはスーパーマンの影響が色濃い)。
セイリングジャンプ、ファイブハンド、ZXキック。これら特徴的な技やギミックは、この進歩した合成技術が不可欠であり、そして現代まで残る個性となっている。


・ライダーの能力の多様化

上記の映像技術の発展にも付随している部分。

それまではライダーマンのカセットアームやXライダーのライドルのように、武器と一口に言っても、手持ち武器や投擲縄など己の肉体と体術の延長で繰り出すものが殆どだった。
また、より明確な特殊能力持ちとしては“改造電気人間”ストロンガーもいたが、あくまで電気という一方面への特化であり、その表現も上記した通り実物の火花や手書きでの表現に依るものだった。

この点も2期では大きくメスが入り、スカイライダーは飛行能力が付与。使用が明言されなくなった番組後半でも明らかにその能力を行使しているとしか思えない大空を自由に飛び回るキック技や投げ技で番組を彩る。

スーパー1ではマルチツール・ファイブハンドを導入。あくまで忍者道具の延長であったカセットアームとは異なり、電気光線火炎放射と冷凍ガスロケット弾と飛び道具や特殊能力の兵装を使い分ける試みはシリーズ史上初である。
両腕部のみと限定されてはいるが、「状況に応じ様々な能力・形態を換装で使い分ける」という発想はフォームチェンジの原型と言っていいだろう。

ZXはファイブハンドのような形態変化ははないものの、スーパー1からメカニックライダーというコンセプトを受け継ぎ、多種多様な武装を使い分ける。
手裏剣・爆弾・鉤縄(マイクロチェーン)・煙幕・小刀(電磁ナイフ)と、全身の至る所に武器を備えた「忍者ライダー」となった。
換装の手間がかかるカセットアームやファイブハンドに比べ体からそれらを引き抜くだけでよく、シームレスに素早く様々な武装を使い分ける。
あらゆる武器を体に装備した、それはまさに人間武器庫

このようにライダーの武器や能力にも積極的な挑戦が行われた時代であるのも特徴である。
これらの形態変化・マルチツールによる武器の換装などの発想は平成以降のライダーでより強化されていく。


・映画式のオールライダー体制の確立

何をおっしゃい、と思われるかもしれないが、いわゆる昭和1期の頃は先輩ライダーが登場する時は極一部の例外*4を除いて、どんなに僅かな出番でも、声だけの出演でも、必ずオリジナルキャストという、実はかなり凄い事をしていた。
「素顔の7人ライダー」の勢揃いが実現したストロンガー最終回は、この集大成である。

しかし、時間の経過に伴う役者としてのキャリアアップなどの理由で、ほぼ100%出演できない方が増え始めたため、方針転換し、先輩を全員変身後オンリー&代役声で揃える体制を導入するようになる。
これは先輩が増えれば増えるほどスケジュール確保の難易度は上がるし、全員に公平に見せ場を担保するのは難しいという事情もあるだろう。

以降、どんなに規模が大きくなってもオリジナルキャストで出演する先輩ライダーは2人~3人程度に抑えられ*5、都合が付いた人員を中心に残りは変身後オンリーとし、オリジナルキャストの脂の乗った演技で話を締めつつライダー全員集合の豪華感を押し出す形式が恒例となる。
その役割は「サブ怪人や再生怪人軍団を引き受ける」という定番の展開で控えめながらも往時の輝きは健在である事を示すパターンが常で、またスカイライダーを圧倒する強豪怪人・グランバザーミーも3人以上のライダーと対峙した時は逃走を選択するなど、少なくともこの時代の製作陣は先輩たちをなるだけ無碍に扱わないように配慮している。
「現行の主役以外は全て代役声・変身後オンリー」という、近年の映画でも見られるオールライダースタイルはこの時点でほぼ完成している。


・より視聴者に近い目線を持つ主人公

1期の頃の仮面ライダーたる青年たちは、ある種の超然とした使命感と精神性を持ち、謂わばなるべくしてヒーローになった者ばかりだった。
強敵を前に敗北を喫し、挫ける事はあっても、弱音を見せるのは立花のおやじさんなど限られた個人の前でだけ。
守るべき子供たちの前ではどんな時でも「憧れのお兄さん」たろうとし、「坊や、話してごらん」などと諭すように言葉をかける。
長坂脚本時代の神敬介や、日本に来たばかりのアマゾンライダーも改造された肉体や未知の環境に悩む事はあったが、いずれも克服し、悪に立ち向かっていった。

一方でスカイライダー・筑波洋はより子供たちに近い目線で以て接する。
落ち込んでいる子供がいれば「元気を出すんだぜ!」と爽やかに元気よく声をかけ、弱虫でいじめられている事を悩む少年がいれば「自分も昔は弱虫だったんだよ」と真っ直ぐに自分の弱さを打ち明け、その経験に基づいて勇気を出すように励ます。
怪人といえど罪のない子供は懸命に育てようとし、その別れには涙を流す。肉親の事で揺さぶりをかけられれば、冷静さを失い怒りを露にする。

そう、等身大の人間らしさに溢れているのである。

企画初期の段階から、スカイライダーのドラマには、時代のニーズから「若々しさ」「優しさ」が求められていた。
実際の映像でもライダーはとかくそういった「子供との心の触れ合い」をより重視するようになり、寄り添うような描写が増えた。これに関しては、概ね好意的な評価で占められている。
代名詞である「ようっ!」と溌剌とした声で挨拶し、テレビの向こうの子供達に「元気いっぱいいこうぜ!」と語りかける、第4の壁を突破する次回予告などはその際たる物と言えるだろう。
歴代最年少だった当時22歳の若き村上弘明の爽やかなルックスも、この方向性に説得力を持たせている。

沖一也も平時は心優しい青年であるが、敗北を喫すると思い悩み、知力・体力の全てを使い果たして修行に打ち込む。とあるエピソードではヒロインのハルミの呼びかけを無視し、差し出してくれた弁当を鬼気迫る表情で跳ね除け、余裕のなさ・脆さを垣間見せる。
慎み深く清楚でありながらも寒さに耐えて凛とした輝きを放つ梅の花の心たらんとしても、己の未熟を律する事ができない。

そして、村雨良。彼は平山Pが雑誌連載のバックグラウンドとして執筆した小説において「詩を口ずさみ軽口や冗談を飛ばすヒーロー像を演出するが、それは悲しみを覆い隠すための擬態である」と設定され、自分の全てであった姉を失った事を嘆き、プラスティックと金属の塊となった我が身を呪う明暗の二面性を持つ青年として描かれている。
時には警察や国防庁の中枢にさえ食い込むバダンの権力と力に怯え、逃げ出す事もあった。だが、やがて個人的な恨みだけで戦ってきた自分を改め、同じく天涯孤独となり自分を信じて頼る少女・ルミを守るため、そしてバダンの非道に踏み躙られた全ての人のために戦うようになる。

総じて、昭和1期の主人公たちを「超然とした精神性を持つ完成された『大人』」とするならば、

「文武両道なれど内面は我々視聴者に近しいメンタリティを持つがゆえ、重すぎる使命に悩み、涙しながらも仮面ライダーという生き方を受け止め、他者にはより優しく、己にはより厳しくあろうとする『お兄ちゃん』」

という、よりビビッドな面を強調していると言えるだろう。


上記したものはあくまで一例に過ぎないが、仮面ライダー1号・2号がショッカー/ゲルショッカーと戦っていた時代からキャラクターの内面描写や特撮技術に変化あるいは進歩が起こり、平成・令和の世まで続く仮面ライダーシリーズではすっかり定番となった諸要素がこの年代から始まっているのは意義深い点である。
そういった意味で、歴史的にも重要性の高い年代だといっても決して過言ではない。



成立背景

+ 伝説はいかにして甦ったのか
1975年12月末、栄光の7人ライダーが日本を守り抜き、翌1976年1月の『全員集合!7人の仮面ライダー!!』でその思い出を振り返り、やがて日本を去ってから数年後。
その間にも幼年誌の特集などを代表とする書籍の定期的な出版、TVによる盛んな再放送*6、石森プロが音頭を取った上映会などによって、英雄・仮面ライダーの伝説は絶えず語り継がれていた。


やがて海外ではSF映画の金字塔『スター・ウォーズ』が77年に公開。今までの常識を覆す、まさしく「本物」のような巧緻な特撮技術の衝撃は海を超え、日本にまで飛来し、特撮というジャンルへの熱気が広まりつつあった。
そして翌78年、アメリカンコミックスの王者『スーパーマン』が映画で復活。当時最新鋭のSFXを駆使した空を翔ぶシーンの美しさは人々を魅了する。

こうした海外のムーブメントにより特撮ブームが甦り、そしてかつての名作が再び復活する「リバイバルブーム」*7が到来。
この波は日本特撮の由緒正しい名家である怪獣王ゴジラ、光の国の使者ウルトラマン、そして当然われらが仮面ライダーにも訪れる。

不倶戴天の宿敵・小学館がかつてのウルトラマンを特集した記事でリバイバルブームの機運に乗る中、講談社も7人ライダーを題材とした「きみはぜんぶおぼえてるかい?ウォンテッド!ライダー怪人」という特集カラー記事を1978年6月号のテレビマガジンに投入。
更にはかつての番組のムック本を多数出版する。

元より『ストロンガー』の終了後からシリーズ再開を願う声や手紙が多かったところにこれらの出版物の好評と地道な再放送は功を奏し、仮面ライダー復活を望む声は日に日にに増すばかり。
「放送終了後もシリーズ再開を願う声や手紙が本当に多かった」と平山Pは語っている。
そうしたファンの熱意に揺り動かされ、平山P毎日放送へ企画書を出し交渉を開始した。

当時の毎日放送と東映特撮のタッグは『ストロンガー』の後を継ぐように大部分を共通したスタッフが担当した『宇宙鉄人キョーダイン』や『大鉄人17』などの鉄人シリーズを世に送り出していたが、長年続くシリーズとはなり得ず終了してしまう。
戦力を求めていた毎日放送は1978年秋の時点で『仮面ライダー』の復活を欲していた。

そうした状況を追い風に関係各所への提案と交渉を辛抱強く続け、やがてそれは結実する。


新ライダー誕生にあたっての事前リサーチで最も好評だった過去作品は伝説のライダー1号・2号を擁する『初代』。ある意味では当然の結果だった。
それにより企画は初代のリブート、リメイク的作品とする方向に舵を切る。

ベーシックな仮面ライダーのシルエットながら、昆虫らしさをより強化したデザインとカラーリング。
シンプルな動物単一モチーフの怪人を擁するネオ「ショッカー」という、敵組織の回帰。
栄光の7人ライダーからの通し番号である8号よりも、原点の0号という呼称が当初の撮影現場では多く用いられたという。
そこへ、独自要素として、いたいけな少年少女が、人類が古くから抱き続ける憧れ・夢の力として「空を翔ぶ」能力の登場。

子供を抱き抱えて空を翔び、遠くに行ってしまった風船を取ってあげるライダー、というイメージイラストはあまりにも有名である。

ピーターパンが子供たちをネバーランドへ連れていくような、そういった童心の憧れと希望を託したのがセイリングジャンプなのだ。
もちろん、そこにはリーヴ版『スーパーマン』の影響も大きく含まれている。

スカイライダーという通称はこの段階で決まっており、主題歌の歌詞や放映開始前の児童誌で本編に先んじて名称が使用されていた。

当初は1979年の4月の放送開始を目処にしていたが、毎日放送発の全国ネット枠の確保が難航してしまう。
一時は企画そのものが流れる可能性も浮上しかけていたが、同年の正月に後楽園ゆうえんちで行われたライダーショーが通常の2倍以上の集客成績を叩き出すなど、もはや人の声には逆らえない状態にまで熱気は膨れ上がっていた。

最終的に10月から放送開始の枠組みを確保し、そこに至るまでに初代ライダーの変身ベルトやポピニカ玩具の販売、再放送や雑誌による特集記事などの包囲網が着実に築かれていく。


1979年の5月~6月頃には企画内容がほぼ固まり、放送を2ヶ月前に控えた各種児童誌の9月号(8月発売)でその姿がついに明かされ、ニュー・ヒーロー登場の報せはあっという間に駆け巡る。

プロデューサー:平山亨。
監督:山田稔。
殺陣:大野剣友会。
音楽:菊池俊輔。
メインライター:伊上勝。
物語を引き締めるナレーターには中江真司。
そしてスーツアクターにはMr.仮面ライダーこと中屋敷鉄也。

共通する関係者を挙げていけばキリはない。
かつての黄金時代を作り上げた英傑たちが、もう一度帰ってきたのだ。
(ライダー・怪人の造形は1期5作品を担当したエキスプロダクションからコスモプロダクションへと変わっている)

そして諸々への対策として「戦士は青空を舞う」の仮題で、とある作品がクランクイン。

熱き伝説は再び甦り、80年代という新時代へと向けての挑戦が始まった。



序章:飛翔─1979 K

+ スカイライダーのオーディション風景
ヒーローの復活に際し、その主役オーディションには実に4000人近くが参加した。
この手のオーデイションにつきものである賞金100万円という一文こそあるものの、この戦場に馳せ参じた青年たちの大半の目標がそんな次元に存在しないのは明白である。
賞金があるという点からも分かる通り、本オーディションは一般公募で執り行われた。
1次選考はお約束の書類選考。1979年7月14日消印有効。第2次選考7月25日予定。


身長・体重・特技。
全身・上半身・横向きの写真3点。
これらの記載と同封が義務づけられるとともに、候補者にはとある条件が課せられた。

その応募要項と条件は以下の5項目。

  • 年齢18歳〜25歳*8
  • 身長175センチ以上
  • オートバイ免許所持もしくは近日中に取得予定の方
  • 特定の会社と契約してない方
  • 運動神経抜群の方

Wiki籠り諸氏は何項目くらいクリアできただろうか?


『恐竜戦隊コセイドン』主演の大西徹也、『アイアンキング』メインスーツアクター・『スーパーロボット レッドバロン』『スーパーロボット マッハバロン』レギュラーの加藤寿など、一般公募に混ざって津々浦々の特撮ヒーロー経験者も参加した熾烈なレースを制したのは、村上弘明。

法政大学に通う現役の学生、かつ役者としての階段を登り始めた22歳の青年*9であった。



大空の勇者の行方~筑波洋が生まれるまで

当時の村上弘明は医学部を志しており地元の宮城県仙台市の予備校に通っていたが、東一番町通りの劇場『名画座』に通い詰め、映画の魅力に取り憑かれてしまう。
やがて「東京に行って映画に関わる仕事がしたい」と思うようになり、「教員免許を東京で取ったら帰郷して教職に就く」と両親を説得して上京し、法政大学に入学する。
そこで知り合った映画好きの友人が勝手に映画に応募書類を出してしまったという非常に王道のパターンで俳優として芸能界入りしていた。
当初は「映画に関わる仕事なら」というスタンスで俳優には然程関心は無かったが、好奇心で参加した映画『もう頬づえはつかない』のオーディションを勝ち抜き主役になりかけるという躍進を遂げる。
しかし残念ながら諸事情で端役程度の出番に収まってしまい、本格的な俳優デビューには未だ至らぬ駆け出し。
その縁で所属する事になった事務所「キティグループ」の俳優部門が持ちかけたのが、新・仮面ライダーのオーディションであった。

名画座で津々浦々の海外の名作に触れ"映画の世界"に憧れていた村上氏は「大人の番組で頑張りたい」という意識があり、
「自分には向いていない」「そもそも仮面ライダーなんて見た事ないし、あまり興味もない」
と正直に思いを打ち明けたのだが、マネージャーに
「新人が生意気言うな。どうせ受かるわけない。オーディションというのは自己表現の場なのだから、勉強のつもりで受けてこい」
と言われて渋々参加したという。

波乱の3次審査 「リアル」ライダーブレイク

他の候補者の熱気とは異なり、お世辞にも高いモチベーションとは言えない状態で参加した青年。
それがどんな巡りか1次審査の書類選考を通り、2次審査の水着審査を通り、あれよあれよと通過していく。
20人程度まで絞られた面々の次なる3次審査*10(仮面ライダーの相棒、オートバイへの搭乗。


さて、ここで述べておくが村上氏は当時


バ イ ク に 乗 っ た こ と が な か っ た 。


当然、自動二輪の免許なんてものはない。
事務所もここまで残るとは思ってなかったのだろう。凄まじき時代である。後年バイク旅の途中から物語が始まる主人公に選ばれても免許を取らなかった主演俳優が現れるが、それは別の話。

広大なグラウンドに1台のバイクが用意され、コースを1周せよという試験。ギアをローでスタートし、最後の直線でセカンドからトップギアに入れてスピードを出し停車せよと指定がついた。

「ギアチェンジ?なにそれおいしいの?」状態だったので前後の候補者に聞こうとしたが鬼気迫る雰囲気に何も言えず。
競い合うライバルなので当然ではあるし、そもそも仮面ライダーを志す者がバイクに乗れないなどと言えるはずもない。
のっぴきならなくなり、出たとこ勝負でバイクに跨る。
エンジンはかかった。しかしギアが分からない。噴かせど噴かせどスピードは上がらない。
気がつくとゴールは目前。止まろうとしたのだが、今度はブレーキがかからない。(かけ方がわからない)

もうどうにも止まらないので、村上氏は走行中のバイクから飛び降りた。

エンジンがかかったまま、横滑りで突っ込んでいく怪奇・無人バイク。その先には原作者や東映、毎日放送の重役が座る審査員席。

席上に置かれた茶は飛沫とともにブチ撒けられ、審査員一同は腰を抜かし、乗り手を失って突っ込んでくるバイクを呆然と見つめていた。
その惨状を生み出した当人には、吸い込まれるように審査員席へと唸りをあげるバイクがスローモーションに映ったという。

結果、突撃したバイクは審査員席に激突し粉砕。幸いにも、事件として表沙汰になるような事態にはならかった。
この騒動は、後の世に「リアルライダーブレイク事件」として語り継がれていく事になる。

「こんな事ならもっと早く落ちてれば」と途方に暮れたが、なんと最終選考の5人に残ってしまう。
過不足なくバイクを運転したであろう3次落選の15人が気の毒でならない。

後になって平山Pに理由を尋ねてみると「ドライビングの優劣ではなく、乗った姿を見て"格好いい"と思ったんだよ。いざとなったらスタントの人たちが演じてくれるしね!」と答えたという。そんなメチャクチャな…

このエピソードからもお判りいただけると思うが、スカイライダー序盤のエピソードを見ると明らかにバイクに乗って(走行して)いない。
スタントマンによる吹き替えで遠くから撮影したり、極端なアップショットで頑張ってカメラを揺らしたり、レッカー牽引などでバイクシーンに対処していた。
これは奇しくも筑波洋が先輩ライダーで最もお世話になった一文字隼人の演者・佐々木剛氏と同じ境遇である。
ちなみに風見志郎の演者・宮内洋氏も役が決まった後でバイク免許を取っているので、歴史は繰り返されているだけかもしれない

その後、1クール終了頃には無事に免許を取得。序盤の早い段階から自らバイクを駆るシーンが撮影されている。

ウィリー、アクセルターン。メキメキ上達していく操縦技術にワクワクした村上氏は東松山の撮影場でバイクのジャンプ台を前に

「ジャンプしたいなぁ…」

とすっかりライダー魂に目覚めていたが、シリーズの始まりに起こった大事故から主演が怪我したら番組止まるからマジやめろと諌められた。

最終選考

当初はなんとなくで受けていたオーディションに勝ち残り、村上青年の中に「この中で一番になってみたい」という熱が湧き上がる。

最終選考の5人は後日のカメラテストで決定。無論その中にはアクションも含まれていた。
選考にはカメラマンの小林武治、大野剣友会の技斗師・岡田勝などのメインスタッフも立ち合い、殺気を感じて向き直った方にいた怪人との戦いの末、カメラ目線で終わるという内容だったとされている。

中学時代は野球部で4番ショートを務め、大学では柔道部に在籍しており運動能力には覚えがあった村上氏だが、残った猛者4名の実力に圧倒されるばかり。
何もできず、「村上以外なら誰でも良し」という報告に落胆しながらも、帰り道では「多分君で決まりだろうからその腹づもりでいてね」と言われ混乱したという。

最後の決め手は逆指名?

冗談のようなどこまで真実か分からない逸話として「最終選考の5人は銀座のホステスに原作者が写真を見せて選ばせた」というものがある。
そこでお水のママさんたちに一斉に指さされたのが村上であり、謂わば逆指名が決め手になったのでは?とその場に居合わせた中村ブン(後に劇場版『8人ライダーVS銀河王』で共演)が語ったというのが事のあらまし。

もっと厳正な審査で決められるのではないだろうか?と当人にとっては腑に落ちず、しこりとなっていた。
その後、20年ほどの月日が経ち、諸々の事情を話せるようになった頃。
新宿でのイベント「空祭」に参加した際、同席した平山Pにこの件を尋ねてみると

「違うよ。みんなで決めて村上くんにしたんだ」

そう返答をもらい、数十年越しに安心を得られたと近年その心境を語った。
当時毎日放送の宣伝部にいた、根岸さんという女性の熱心な推挙も影響したという。
実際の意見もかなり割れていたが、当時大学生の新人で拙い演技の青年を見て、平山P自身も何か惹かれるものがあったと晩年の著書に記している。

石ノ森ヒーローの必須要項である「瞳の中の星」を、村上弘明は有していたのかもしれない。






第一部:仮面ライダー(新)

+ 1979年10月5日~1980年10月10日 全54話
空飛ぶ仮面ライダー登場!!
新番組10月5日スタート 金曜よる7:00


「伝説の復活」として鳴り物入りで大々的に事前PRが行われた本作。
ホームクラウンドたる児童誌のみならず、トレンディドラマなどが特集されるような一般のテレビ雑誌『週刊TVガイド』で表紙を飾るなど、まさしくスター的扱いであった。
連日の雑誌・TVなどメディアを使った宣伝に加え、スタートから約1ヶ月前の9月8日には45分の特番『不滅の仮面ライダースペシャル』を放送。
昭和1期のおやっさん・立花藤兵衛を演じた小林昭二が大泉東映撮影所を訪ね、子供達と7人ライダーの思い出を振り返り、最後に新ヒーローとしてスカイライダーを紹介するという、1期と2期の橋渡し的内容であった。
この新世代へのバトンタッチが、小林氏の最後の本家ライダーシリーズへの顔出し出演である*11ノリダーはノーカン

「これはね……君たちだけに教えてあげよう。
新しい仮面ライダーが出てくるんだ」


そして1979年10月5日・金曜夜19時。
週末前のゴールデンというこれ以上ない放送枠を獲得した本作は、いよいよ離陸する。
その未だ見ぬ行方を占うかのように、1話の撮影は濃い曇天に覆われていた。



改造人間 大空を翔ぶ~スカイライダー誕生

仮面アクション物の原点、不滅のヒーロー『仮面ライダー』の不思議で颯爽のスーパー・アクション綺譚

と、企画書に書かれている通り、本作の「原点回帰」とは怪奇アクションに集約されている。
見た目にもおどろおどろしい怪人の脅威。それを最後にはスカッと吹っ飛ばすアクション。
これらTV版で培ったノウハウをベースに石ノ森萬画版のアングラなエッセンスを取り入れようとした本作は、1話のメガホンを石ノ森章太郎が執る予定もあったが実現には至らなかった。

「そんな体でどう生きていく?死んだ方が身のためだ!」
とガメレオジンに吐き捨てられる1話。

「よく見ろ、あれが人間か?俺たちの仲間だ!」
ライダーと怪人の本質は同じ化け物であると、新入りのクモンジンの口からサラリと皮肉が流される2話。

妹と慎ましく暮らしているだけの女性が無理やり改造され、姉妹の愛を引き裂くネオショッカーにライダーが怒りを燃やすも
「2つの改造人間 怒りのライダーブレイク」と、あくまでも「2つ」で物扱いの4話サブタイトル。

初期はこのように、改造人間という人ならざる存在を強調したエピソードが数多く作られた。
しかし「若々しさ」「優しさ」というテーマをも内包した主人公の筑波洋は、悲嘆にくれるだけではない明るさとエネルギーの塊として描かれている。
人生を投げ出した青年を懸命に励まし、怪人の恐怖に怯える子供を必死に元気づける。
そして改造手術を施してしまった罪悪感に苦しむ志度博士を励ますために、空を翔ぶ力を素晴らしい力として感謝するといったように。
セイリングジャンプは単なる特殊能力ではなく、怪我をした少年を乗せて運ぶなど、人々に寄り添うヒーローの証でもあった。
原点回帰という改造人間の悲しみに、大空を自由に舞うという普遍的な夢で挑んだのである。


そして、バイクという「ライダー」の本質を疎かにせぬようバイクアクションを強化し、壁をぶち破るライダーブレイクを必殺技に設定。
セイリングジャンプとの2枚看板が、当初のスカイライダーのセールスポイントだった。

序盤戦

そんなこんなで始まった新ライダーの視聴率は、10%~15%の間を行ったり来たり。
充分な数字ではあるが、大々的に宣伝した「かつての王者」の凱旋としては物足りないという評価は否めなかった。
ハングライダークラブという作劇に活かすのが難しい拠点、あまり効果的に機能しない割に演者のギャラは主役より高い飛田今太など、不振の理由は挙げていけばキリがない。
しかし何より目立ったのは、空を翔ぶという新要素への批判
従来のシリーズからかけ離れた冒険に挑む新作には、ままある現象だ。

事態を重く見た製作陣は1クールが過ぎた頃の1979年末に検討会を開く。
東映と毎日放送の協議でシリーズの軌道修正についての会議が行われた。
そこには番組開始当初

「大成功した番組なんて、二度とやるもんじゃないですよ。」
「うまく行って当たり前、失敗すれば大ヤケド。第一、他に能が無いみたいで損ですよ」

と言って参加しなかった平山Pの相棒、阿部征司プロデューサーの姿があった。

スカイライダー3つの弱点 初期要素の死角をつけ

具体的な問題として真っ先に浮上したのは、前述の2枚看板である。
身も蓋もない言い方をすると、どちらも無理なく作劇に組み込むのが難しかったのだ。*14
セイリングジャンプは空を飛ぶ理由を捻出しなければならない。ライダーブレイクはいちいち破壊する障害物と、やはりそれを行う理由が必要になる。
かろうじて設定上は残りはしたものの、結果としてこの2枚看板は1クールで事実上消滅し、いずれも最終回間際でわずかに使われたのみとなった。

第2に、上手く話作りに活かせないレギュラー陣。
前述のハングライダークラブやコメディリリーフとして投入したカメラマン飛田今太の扱いに加え、肝心要の志度博士役の田畑氏が病気療養により降板というクリティカルヒットが重なってしまい、大幅なレギュラー入れ替えを余儀なくされる。
主人公の筑波洋も大学ではハングライダー部に所属した名手という設定で、序盤はそれによる空からの偵察シーンも描かれたが、拠点のハングライダークラブもろとも消滅した。

そして第3の点は、ライダーの戦い方に特徴がない事。
原点回帰を意識しすぎてプレーンになったスカイライダーの戦闘シーンは、悪く言ってしまえばそういう状態だったのだ。
セイリングジャンプも戦闘シーンに組み込んではいたものの活かしにくさは否めず、トドメは毎回スカイキック。
この点を解消すべく取り入れられたのが99の技である。まさかあんなプロレス地獄になるなんて

スカイライダー99の強化策の1つ(多分そんなに無い)

以下、番組強化策として提案されるも導入にまではいたらなかった諸々。
基本的に主役のスカイライダーについての意見が集中している。

  • 主役ライダーの完全なモデルチェンジ
主人公はそのままに、ライダーの姿を大幅にド派手に変えようという案。イメージとしてはBLACK→RXの変化に近い。
暗緑色で纏まった旧スカイライダーのカラーリングの暗さは常に議題に上がっていた。

  • スカイライダー8の秘密
大人気の先輩・V3にあやかったプラン。
「パワーアップに伴い付加」「戦いの中で少しずつ解明」と、完全に同じ流れ。

  • 99の技と100万馬力
前者は本編に採用されたが、実はもう1つアイディアがあった。
100万馬力は昔から分かりやすい力の指標だったのである。
2つ合わせて「力と技のスカイライダー」というキャッチコピーとなる案もあった。
結局、99の技が予想以上に脳筋パワフルすぎてそのまま力も兼ねてしまったため、100万馬力は単体での採用はなされなかった。

そして更に、これら以上の劇的な強化策も試案されていたのだが、これについては次項に譲る。



第2クールへの「変身」 喫茶店ブランカと魔神提督

1980年1月、第2クールスタート。
阿部Pの参入により、数々の強化策が投入された。

まずはぎこちなさが否めなかった原点回帰要素と、噛み合わせが悪かったセイリングジャンプ及びライダーブレイクの有名無実化。

次に新たなるおやっさん・谷源次郎の登場。それに伴い洋の活動拠点は志度ハングライダークラブから喫茶店ブランカに移動。
ゲストが店を訪ねてくるなど、話の導入部をスムーズに描きやすくなり、バーテンの沼さんやナオコ・アキなどのサブキャラクターが陽気な雰囲気を盛り立てる。

そして、飛田今太は16話を最後に特に何の説明もなくフェードアウトした。

ネオショッカー大幹部も、冷酷な軍人テイストでゾル大佐じみていたゼネラルモンスターから、派手な見た目で豪快に笑う地獄大使風の魔神提督へとバトンタッチ。
地道に国内で素体を攫ったり改造していた前任者に対し、「それまでの実績を重視する」という方針で海外から腕利きの怪人を招聘する作戦を展開していく。
明暗どっちつかずとなっていた作風を陽性にシフトし、いわば国内でまとまっていたスカイライダーの物語を世界規模に広げる事に成功した。
次回予告で筑波洋が「俺の相手も世界的になった!」と驚く台詞は、まさにこの新展開を暗示させるものである。

これら施策は継続的に行われ、最終的に2クール半ばの18話で衣替えを完了。
原点回帰という枷を取り払った『仮面ライダー(新)』は、徐々に『スカイライダー』独自の世界として生まれ変わっていく。
そして、とある海外招聘の怪人がスカイライダーを見て叫んだ。

「きさま、日本(・・)の仮面ライダー!」と。

かえってくる7人ライダー

新たな目玉として提案されたのは、栄光の7人ライダーの登場。
いつの世もヒーロー大集合とは童心を鷲掴みにするものである。

1月頃にはすでに8人ライダー路線での強化が各媒体の連携で行われ、児童誌では8人ライダーのスチルや特集記事が見出しを飾った。
この8人ライダー路線に非常にフットワークよく対応したのが玩具メーカーのポピー。
仮面ライダーといえばバイクという事で、歴代ライダーのマシンをモチーフにした「スーパーライダーセット」という玩具を発売する。

それに伴い、なんとストロンガー終了から4年の空白期間に失われた7人ライダーのバイクをCM撮影用に全部まとめて新造した
なんという太っ腹か。ポピー万歳。
CF*15では、新宿副都心を7大ライダーマシンが並んでの大爆走というド派手な映像も撮影された。
劇場版『8人ライダーVS銀河王』の予告編でもこの映像が使われている。

このバイクはスカイライダー本編でもふんだんに使用され、先輩登場エピソードに華を添えた。とてつもなく大きな功労である。
ただし、いっぺんに7台作るというコストや手間など諸々の事情から、各マシンのオリジナルよりひと回り小さいベース車を元に製造されており、ちょっと可愛らしい、悪くいえばチャッちい出来になっているのはご愛嬌。

小回りになっただけならまだ良いのだが2台同じバイクには出来ないという事情から旧サイクロン号(現在で言う「改造サイクロン」)の外観と新サイクロン号で分けられたダブルライダーのバイクはデザイン面の評判がすこぶる悪く、一部ファンからはブサイクロンだとかダサイクロンだとか蔑称で呼ばれたりする。

そして見た目が普通のバイク(ハスラー)であるライダーマンマシンは玩具のラインナップからもCM映像からも省かれ、スカイライダーまでいて8人ライダーの状態で「栄光の7人ライダーいまここに集結!」という悲しいナレーションが高らかに流れた。
スカイライダー本編で登場したライダーマンは赤タンクのライダーマンマシンに搭乗している。*16

そんなこんなで関係各所から手厚いバックアップを受けた8人ライダー登場路線。
呼応して本編もついに重い腰を上げ、試験的に製作されたのが20話・21話の前後編だった。

同エピソードはライダーの戦法の個性の乏しさにもメスを入れ、それまでなんとなく一本看板で通っていたスカイキックを正攻法で打ち破る怪人が2体いっぺんに登場する。
インドの重戦車・サイダンプと、香港から来た曲者・クラゲロン。
強力2怪人の名に違わぬ実力に、かつてない危機を迎えるスカイライダー。
そこに現れたのは、仮面ライダー7号・ストロンガーだった(声こそ荒木しげる氏ではなく池水通洋氏であるが)。

映像外の設定ではなんとなくふんわりとした繋がりがあった7人ライダーとの世界観の共有がこれで決定的になった。
魔神提督の実績重視で海外から怪人を呼びつけるスタンスが、海外のネオショッカーと戦っていた先輩ライダーが駆けつけるというお約束の展開に、より自然な説得力を持たせる事に成功している。

そしてストロンガーとの特訓によりスカイキックが大回転スカイキックにパワーアップするというイベントを挟み、後の99の技の会得への第一歩を固めた。
後半の作風への変化を予兆させる節目の佳作である。

スカイライダーにおける「先輩客演系エピソード」を語る上で、前後編……すなわち2話を2人の怪人で回していく構成である事は外せない。
数字の上では1話=1怪人と同じ着ぐるみの予算で済み、前後編に跨ぐ事でイベント感を出し、そして何より片方の怪人を先輩ライダーが倒す事ができる。
主役のキルスコアや出番が減るという問題もあるが、それでも折角出るからには先輩も大活躍した方が嬉しいに決まっているのだ。
仮面ライダーはすべて兄弟なのである。

この「ストロンガー特訓編」には批判的な声も寄せられたが、メイン視聴者のチビっ子を中心に概ね大好評で終わった。
今後を占う戦略の上々の成果に確かな手応えを感じ、第3クールに向けた一大作戦が展開されていく。

かくて無事に体勢を立て直し、飛躍への道筋をつけたスカイライダー。
しかし、光あるところには常に陰が射す。

絶不調、伊上勝

なんとここに至り、初代仮面ライダーからシリーズのメインライターを務めていた伊上勝が不調を来たす*17
第1期の屋台骨を支えた超売れっ子脚本家であった氏も、この頃になると大凡の発想・展開を考え尽くし、筆致が極端に遅くなっていた。
スランプを迎えてなおその需要は余りあり、依頼は殺到し、その精神は限界を迎えていた。


その後、伊上氏は23話をもって脚本を降板。
同話は二面作戦を展開するムササベーダー兄弟を相手に苦戦するスカイライダーを助けるべくV3が緊急帰国、二手に別れ作戦を各個打破したのちに共闘するという王道の内容で、上述のストロンガー特訓編と合わせ先輩ライダー客演というイベントの基礎設計図を改めて示し、後を託す。

その後は次回作スーパー1の20話で復帰。
残り28話のうち10話を執筆し、実質サブライターの頻度で登板していた。



第3クールは8人ライダーワールド 進化するスカイライダー

第2クールでのリニューアルにより、何とか視聴率を持ち直したスカイライダー。
そして迎えた第3クールで行われた新たな番組強化策は、スカイライダーのパワーアップだった。
数値が振るわなければもっとド派手な変化も検討されていたが、好調になった現状を自ずから崩す必要はないとされ、カラーチェンジに留まった。

そして第2に変身前のオリジナルキャストを呼んだ上での先輩ライダー客演ラッシュ。
前クールでは変身後のみに留めていた諸先輩方の生身の姿を出す事により、より密接な世界観のつながりを示すイベント編である。

当時は駆け出しの若手が多かった7人ライダーの演者たちも、月日が経ちすっかり売れ筋の俳優として成長。当然スケジュール確保も容易ではない。
しかし途中参入の阿部Pの魔術的手腕もあり7人中5人の出演を実現。かくて祭りは始まった。

8人ライダー友情の大特訓

28話で、スカイライダーはネオショッカーが誇る最強無敵の怪人・グランバザーミーを倒すために7人ライダーの薫陶を受ける。
その特訓は色んな意味で伝説級なのだが、話が脱線するのでここでは割愛する。

特訓の総仕上げとして、7人ライダーと手を重ね合わせ、エネルギーを注入される事でパワーアップを果たしたスカイライダー。
暗緑色の渋めの色合いは、鮮やかなローン・グリーンへと変化。
動きやすさ重視で非常に小ぶりだった変身ベルト・トルネードは、中屋敷さんのスリムボディの限界まで攻めるかのように巨大化、視覚的なパワーアップ感を強調する重厚さをアピール。
そして二の腕をピッチリ覆っていたタイツは、レザーをカバー状に加工したプロテクターのように変化した。

見た目の変化に伴い、7人ライダーの特訓で習得したという設定でスカイライダー99の技も登場。
スカイキックでワンパターン化していたアクションに大きな変革をもたらした。
セイリングジャンプこそ用いないものの、相手を抱えて空高く飛び上がり、スカイの名に相応しい空中というフィールドから頑丈になったレザー製の両腕でネオショッカー怪人を豪快にブン投げるスカイライダーの姿はメイン層の少年たちに大ヒット。
「電気」「忍者」といった外から見た場合に特徴付けやすい要素や単語にこそ乏しいものの空飛ぶ投げ技使いという歴代でもほぼ被りようがない個性を獲得した。

驚異の10話連続!やって来たぞ先輩たち!!

特訓によりパワーアップを果たしたスカイライダー単独での活躍を数話挟んだのち、それは実行された。

31話から40話まで跨いだ、先輩ライダーのオリジナルキャスト出演である。

前クールのストロンガー特訓編で作り上げた「前後編・2怪人の二面作戦で、うち1人を先輩ライダーが倒す」というフォーマットを一部例外を除いて実行。
ストロンガー終了から4年、逞しくなって帰ってきたかつての英雄は、28話でスカイライダーを特訓で強くしたエピソードを切り口に「久しぶりだな、洋」という導入で筑波洋と共演。
その活躍は、本来の主役であるスカイライダーを食い過ぎず、それでいて怪人を1人撃破するという、非常に美味しく絶妙な作劇バランスであった。
時に現役時代には見せなかった新技や新解釈の既存技を見せ、時にひとりの人間として筑波洋を導く先達たち。

これに興奮せぬ人間が何処にいるというのか。

惜しくも出演エピソードが1話に纏められたが現役時代には叶わなかったライダーマンの主役番組であるかのような1シーンを実現させたり、また神敬介の過去などキャラクター性を更に掘り下げるエピソードなどの心憎い物語の数々。
単なるファンサービスに留まらず、あの日欲しかったもう一歩を踏み出すかのようなエピソード群はファンからは「客演の理想型」とすら言われる。

特に1人だけ2編、合計4話の出演となった2号ライダー・一文字隼人の縦横無尽の大活躍は印象的で、新2号単独のライダーキックによる怪人撃破など貴重なシーンも作られた。
最終章のラスト2話でも改めて登場し、もはや準レギュラー級の存在だった一文字を筑波洋の相棒と見る視聴者も多い。


作品全体のイメージとして引き合いに出されることもある華やいだイベント編。
しかし、その大成功の裏で、とあるヘンテコな男が誕生していた。

日本一の正義の味方 正体はだれだ?

実は番組強化案の一つに、コメディリリーフの再投入があった。
そう、あの煙のように消えてしまったお騒がせカメラマン・飛田今太のリベンジである。

白羽の矢が立ったのは石ノ森章太郎のラフ画に「強力ゴリガン」*18と書かれた、奇矯で貧相な鍋やかんのような鎧を身に纏ったキャタクターのイラスト。
そいつは、がんがらがんと鎧を揺らして、のぼり旗をブッ刺したスクーターに跨りやってきた。

日本一のスーパーヒーロー(自称)、その名はがんがんじい。

34話という微妙な話数から出てきた、人とも怪人ともつかぬ奇妙な鍋鎧は、自らを正義の味方と称してネオショッカーに立ち向かうもてんで相手にされない。
行く先々で怪人に弄ばれ、ブランカの従業員たちには軽んじられ、戦線に割り込んではライダーに心配される役回りだった。

当然、鎧の下には素顔がある。
その名は矢田勘次、小柄でずんぐりとした怪力男。初期設定では柔道部に所属しており、岩ほどはある握り飯にかぶりつく姿はどう見ても三枚目以外の何物でもない。
スカイライダーをライバル視し、悪を倒さんと躍起になる青年だった。

コメディリリーフというキャラは非常に難しい。作品側の設定もだが、演者の技量が特に重要となってくる。
『人造人間キカイダー』のハンペンのようにユーティリティプレイヤーとして大成功することもあれば、惰性で投入した結果物語のテンポを損ね、視聴者の顰蹙を買い早期退場もしかねない。

順調に評価を高めていたスカイライダーの華やかな物語、先輩ラッシュというワイルドカードを投入していた絶好調の時期に突如として登場したズッコケ男は言ってしまえば異物感は否めず、「なんだこのヘチャムクレ?」と手厳しい見方も当然あった。

しかし、ドジや向こう見ずさでライダーの足を引っ張りながらも、誰かが襲われた時には勝ち目がなくても前に出て庇い、時に偽物騒動でライダーを憎む人々を体一つで懸命に説得したり、思わぬラッキーパンチでライダーの窮地を救うなど、「正義のヒーロー」という初志は決して変わらなかった。

先輩との邂逅を終え、単独ヒーローに戻ったスカイライダーになおも付き纏うこの鬱陶しくも愛すべき男を、いつしか不可欠の相棒であると評価するようになる者もまた、少なくはなかった。

この不可思議なキャラクター像と評価は、演ずる桂都丸の力に依るものであることはまず間違いない。
宙空に浮き上がりそうになるほどの軽妙な関西弁と自己主張で「がんがん」前に出てくる図太い心臓。
後に4代目桂塩鯛を襲名する咄家の真骨頂である。

大空を舞う勇者を、地上からどんがら音を立てて追いかけるスクーター。
この空地繋げる名(迷)コンビは、最終回まで番組を盛り上げた。

幻の銀幕デビュー 仮面ライダーV9/沖正人とは

さてここで、もしもの話を一つまみ。

先輩7人ライダーとの共闘を中心とした世界観の拡張と、お騒がせなコメディリリーフ。
これらの成功により持ち直した番組は、主人公のカラーリングの変更以外に大幅なテコ入れが加えられないまま進行した。

しかし、もしそれでも数字が芳しくなかった場合には、もっと劇的な強化策を投入する事も検討されていた。

それこそが、NASAの宇宙飛行士が変身するメカニック・ライダー。
仮面ライダー9号「V9」の登場と、それに伴うダブルライダー制の導入である。

80年2月時点で考案された設定は
米航空宇宙局の宇宙飛行士・沖正人。
頭脳・体力ともに秀でており、ネオショッカーに狙われてしまう。
瀕死の重傷を負ってしまうが、7人ライダーの手によって改造。 
生まれ変わった正人は生来の正義感を燃やし、スカイライダーのパートナーとして共闘
と箇条書きされている。
拳法関連の設定はないが、この時点で「宇宙飛行士」「メカニックライダー」という要素が構築されていたのは興味深い。

もし採用されれば1980年3月の劇場用新作に先行登場、その後TVシリーズに正式登場という、正史における強化されたスカイライダーと同じ段階を踏む予定だったという。
劇場版『8人ライダーVS銀河王』は多分にSF要素が含まれている作品だが、これはスカイライダーのフィールドである空を超えた、宇宙をテーマとする新ライダーへの布石でもあったのだ。
もしV9が登場していた場合のタイトルは『9人ライダー対大戦車軍団』。戦車と怪人軍団を相手に9人ライダーが立ち向かうという大筋には変化がない事がうかがえる。
V9が担う筈だった役割は、完成作品の7人ライダーと同じポジションとされている。


中には主役交代というよりショッキングな案もあったが、数字回復もあり「主役のスカイライダーを無碍に扱いたくない」という点は毎日放送と東映サイドで一致したため、登場案は基本的にダブルライダー制で考えられていたようである。

結局、番組が持ち直した事からV9登場は見送りとなる。
ただし、かなり設定が固まってきたので、「この好調を維持できるのならば次回作の主役に取っておこう」という事になった

現代の我々の視点から見れば、スカイライダーとスーパー1、8号と9号のダブルライダーが織りなす物語は果たしてどんな世界になったのか、想像の種は尽きない。



第4クールは怪奇の世界

客演ラッシュを終えて再び単独のヒーロー作品へと戻った第4クールの目玉は怪談シリーズ。
「怪奇アクション」を謳って世に現れた仮面ライダーの、正統派的なアプローチである。

廃墟・ゾンビ・耳なし芳一・化け猫・蛇の祟り・鏡の世界と、和洋問わず非常に幅広いジャンルの怪奇物語。
棒術・剣術・戦闘員から武器を奪うなど、ライダーの多彩なアクション。
よりユニークさを増した怪人のモチーフは王道の題材に奥行きを持たせる。

そこから切り替わるように登場した、ライダー研究を欠かさない策略家・アブンガー。
変身怪人・ドロリンゴの仕掛けた悪辣な罠で憎しみを浴びるも、それでも明るさと正義の心を絶やさないライダー。

1年を見渡してみると実にバラエティに富んだエピソード群と、それを支える快活で勢いのある作風。
7人ライダーの継承の物語であることを踏まえつつも、第1期とは違う独自の世界観を構築しつつあった本作。


しかし、別れはすぐそこまで近づいていた。




さらば筑波洋!8人の勇士よ永遠に…

スカイライダーの最終回3部作は、今まで培ってきた8人ライダーの世界を活かしつつも、物語の主軸はあくまでも筑波洋に置かれている。

オリジナルキャストで一文字隼人と城茂が駆けつけ、すでに死んだはずの洋の両親にまつわるエピソードと、それを優しく見守り共闘する先輩の群像劇が描かれた。
家族の無念を込めて大首領に立ち向かう筑波洋は、人々を守るため7人ライダーと共に翔び立つ。
やがて大気圏で起きた眩い爆発とともに、8つの星が輝いた。


次回作の撮影遅延と番組の好調を受けて、4クールの予定だったスカイライダーは1ヶ月延長、5クール目に片足を突っ込んだ全54話で完結した。
これはTVシリーズでは初代に次ぐ歴代第2位の話数であり、この記録は現在もまだ破られていない。
多くの人々に愛されたロングラン作品となった。


序盤は苦しみながらも、独自路線の開拓により持ち直した本作は、伝説の復活に恥じぬ人気作品となり、程よく暖まった空気は2年目に託された。



幕間:流星─1980 V

+ 2年目の足音 新世代スーパーライダー
そもそも前作の時点で8割ほど構築されていた次回作のヒーローは、比較的スムーズに完成した。
『仮面ライダーV9』の原案をベースに、単独で主役を務めるに足る要素を付け足していくのが次なる工程である。
原点回帰で仮面ライダーらしさを追求した昆虫スタイルだったスカイライダーに対し、よりメカニック性を強調。
ツリ目でクールな印象の複眼が際立つマスクは、新しい時代の到来を予兆させた。

そして、「人類の明日を守るためのヒーロー」と冒頭にある企画書に曰く、新ヒーローは

  1. 変身の積極性
  2. カンフーアクション
  3. 特殊能力を持った5つの腕

以上3つの特徴を掲げるキャラクターであると記された。

完成作品である当該のヒーローを見れば、③にはすぐ察しがつくことだろう。
メカニカル設定に付随した5つの腕、ファイブハンドだ。

②は、実はこの時点で具体的な流派や闘法は設定されていない。
ブルース・リー、ジャッキー・チェン、倉田保昭らの大活躍に影響を受けたと思しき香港映画めいた格闘技を人間体が修めており、変身後のアクションにも活かされるという、ふんわりとした案に過ぎなかった。

古来伝承の格闘技と最新鋭の機械の腕
温故知新を驀進する欲張りセットの個性は、前作の課題であった「ライダーの戦い方に特徴を設ける」事への明確なアンサーだった。

そして肝要なのが、遡って①。

今までの主人公たちが改造人間となった理由は
「悪の組織により意思を無視して改造された」
あるいは
「悪の手により瀕死の重傷を負い、延命のためやむなく改造」
というパターンに大別できた。

ストロンガー・城茂は
「自ら進んで五体満足の体を悪の組織に差し出す」
という形で改造人間となったが、これは親友の仇を討ち悪を倒す力を得るための方便だった。
つまるところ「悪の組織の被害が背景にある、後ろ向きな理由での改造」なのである。

新たな主人公は、その意思や尊厳を踏み躙られもせず、悪と戦う力を得たかったわけでもない。

「人類の未来を宇宙開発に求め、それを成すべく自ら改造を志願する」

非常に前向きな動機での改造、すなわち変身だった。
今までの定番を敢えて崩す、新しい挑戦の一つである。

平和な目的の改造。1980年代という新たな時代を開拓するヒーロー。
8人ライダーも宇宙へと消え、その名前は通し番号の9号だった「V9」から、新たな形に生まれ変わる。



あの日の一番を超えて

通年連続シリーズの2作目の常として、派手に、強く、手数豊富にと何かと前作以上の強みを求められるものである。
このニューヒーローはそれに応え、5つの腕や2つのバイクなど、とにかく極限まで盛りに盛られた。

仮面ライダーを超えたライダー。
すなわち、スーパーライダー

新たな時代に、宇宙という未開の領域を切り拓く、80年代最初の仮面ライダー。
すなわち、惑星開発用改造人間第1号

星と消えた8人ライダーの後継者。
ただ1人の、子供たちが愛した仮面ライダーの生まれ変わり。

これらの縁を全て手繰り、新ヒーローの通称はそのまま「スーパーライダー」、そして正式名称は

仮面ライダースーパー1

となった。


変身するは沖一也。アメリカ国際宇宙開発局・改造人間プロジェクトチームの研究員。
アストロノーツにして武道家という設定は盛りすぎに見えて、その実は文武両道が条件とされていた改造人間=仮面ライダーの適性をこれ以上なく提示。
お決まりの「大学生」ではなく、更には人類の未来のために自ら改造を志願するという斬新なキャタクター設定もまた、新世代の訪れを予感させた。
原点回帰の「0号」から、新世代の「1号」へ、道は繋がっていく。

これら主人公の基礎構造が固まり、1980年7月、スカイライダーが怪談シリーズに突入した頃から制作準備が本格的に始まる。

7人ライダーの継承者として、未だ見ぬ高みの青空を目指したスカイライダー。
そのバトンを引き継ぎ、空を超えて、宇宙へ。

見果てぬ希望と真っ暗闇が広がる広大な銀河へ、夢の流れ星が飛んでいく。

新世代の一番星が目指すのは、あの日の一番を超えた未知のフロンティア。



第二部:仮面ライダースーパー1

+ 1980年10月17日~1981年9月26日 全48話
見よ! 5つのスーパーハンド、Vマシーン
戦え!地球の平和を守るため!


1980年7月17日、主人公・沖一也役を決めるオーディションは佳境に入っていた。

後に『大戦隊ゴーグルファイブ』のブルーを演じる石井茂樹。
平成の世においてウルトラマン、仮面ライダー、牙狼の3大シリーズ出演を成し遂げた渡辺裕之。
残念ながら選考に残る事はできなかったが、どちらも後の世に英名を轟かす俳優たちである。

そして迎えた最終オーディション。
残り2名に絞られた、丁か半かの決勝戦。

そのうちの1人が、渋谷昌道。宇梶武志と共に菅原文太の付き人を務め、後に菅田俊の芸名を戴く青年である。
この人物については、今は置いておこう。

最後にこの勝負を勝ち抜き宇宙への切符を手に入れたのは、高杉俊介。

俳優としてはまだまだ新人だったが、自衛隊(原隊は重迫撃砲中隊)に入隊し、過酷なレンジャー過程を修了。自衛隊には5年*19在籍し、除隊後はアメリカ陸軍グリーンベレーの教育課程を1年間こなした異色の経歴の持ち主。

除隊後に自衛官時代に知り合ったタレントの上岡龍太郎、プロボウラーの中山律子の伝手を頼り芸能界デビューし、中山氏の自宅で居候させてもらい機会を窺っていた。

地道な下積みを重ねる中で元レンジャーの経歴を買われ角川春樹からスカウトを受け角川映画『野生の照明』に軍事トレーナーという役職で携わり、同役職を引き受ける条件として俳優としての出演と"角川春樹事務所男性俳優第1号"*20の契約を取り付けて本格デビュー。


その経緯から危険アクションも躊躇なくこなし、オーディションではロープ1本でビルの6階から降下するという恐るべき特技披露で他の候補者を圧倒した、歴代随一の変わり種にして、紛うことなき強者であった。




変身せよ、沖一也

候補者として決まりはしたものの、新時代のスーパーヒーローへの道のりは容易ではなかった。

まずは沖一也の年齢。
研究職上がりのアストロノーツという、従来の大学生より年長者で然るべき設定。
そして高杉俊介の生年は1949年7月。*21そろそろ31歳になろうかという時期であった。

宇宙飛行士という点を鑑みれば別段トウが立ちすぎている年齢ではない*22し、当人も正直に申告していた。

が、それでは22歳大学生の次に選ばれた若きヒーロー俳優としてはちょっと夢がないというのも切実な事情である*23
当時駆け出しでプロフィールなどが大々的に公表されていなかった事を利用し、制作側は高杉氏に4つほどサバを読むように頼み、高杉氏としても別段断る理由がなかったので承諾。
結果、役者の方も沖一也の設定年齢と同じ27歳で合わせる事に*24

栄誉ある称号かと言われると首を傾げる所ではあるが、実は後の世のネットスラングでいう所の「おっさんライダー」第1号という事になったりする。あの人この人達の大先輩なのだ。*25

オールドルーキー気味だったところに前作の主人公が歴代最年少の若手という事情も重なり、両者の現役当時の年齢差は実に9歳差。
それまでは大体20半ばくらいでそんなに差は無かったライダー俳優においてこの激しい高低差はしばしネタにされ、最年少の先輩と最年長の後輩となった。現実でも接し方が中々難しい対人関係である


そしてシリーズ史上初の試みである、戦場での機動性を重視したオフロードと整地でのスピードを重視したオンロード、2台のバイクの使い分け。

このうち後者のオンロードバイクが『Vマシーン』
アメリカ輸入車のハーレーダビットソンをベースに製作された。
バイクアクションを見せるため、軽・中量車をベース車に採用する事が常の歴代ライダーマシンにおいて、アクション用との使い分けを前提としたために初めて投入できた排気量1340CCのモンスターマシンである。

そしてこれまた初の、リアルタイムでのバイクの変形機能。
装甲が展開され、ウィングが伸び、Vジェットへと姿を変える。
このシークエンスを実際にバイクに行わせるという驚きのギミックである。

ただでさえ大きな機体に、設定上必要な無線機やランプ、車載バッテリーによる電動の変形機構を詰め込みまくった同車の最終的な総重量は実に 450kg以上
おまけに車載バッテリーがすぐに上がってしまうアキレス腱が撮影現場を常に悩ませた。
それはバイクというにはあまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、重く、そして繊細すぎた。

こんなマシンに必要な免許は当然、大型二輪しかない。


もしかして、と思ったそこのあなた。その通りでございます。


さて、高杉氏は当時……


大 型 二 輪 の 免 許 が な か っ た 。


かくて歴史は繰り返す。
「バイクの免許持ってます!」と豪快にフカしてしまい合格後に告白してこっぴどく怒られた説、普通の自動二輪はあったけど大型の方は無かった説と書籍により証言がバラついている。
ある意味では、史上初の大型バイクの試みがもたらした不幸ともいえよう。

間に合わせるために高杉氏はなんとカリフォルニアへ渡米。
日本にはなかった1週間で大型二輪の免許を取得できる短期コースを受講し、見事一発合格してみせた。
本編2話という早い段階から本人がVマシーンを操縦している映像が何よりの証拠である。

短期間とはいえアメリカ帰りとなった事は沖一也の設定と偶然の一致を見せ、現地のディズニーランドを満喫した写真や帰国後の成田空港で取材を受けた際の様子が「アメリカからきた沖一也!」の見出しで児童誌に掲載された。
この記事に際して撮影時にウエスタンジャケットにGパン、ウエスタンブーツといういかにもアメリカンな装いを求められた高杉氏の服装はスーパー1本編でも見ることができる。

衣装合わせの余裕も無かったので主に演者本人の私服で構成されている*26沖一也の服装はポリスジャケットにネクタイを締めたかと思えば部長とゴルフとか行ってそうなポロシャツなど落ち着いたものを着てみたり、アメリカ帰りの社会人ライダーという設定に絶妙に噛み合った。
ミントグリーンのなんともいえないジャケットなども有名である。あとジャッキー・チェンみたいなモコモコ頭

体を張った危険アクションをこなし、自衛隊での経験からアドバイザーもでき、射撃も得意。
この経歴ながら実は歌手志望でもあり、試しに披露した歌声は演歌のように伸びやかで心地よく万人の耳を通り抜ける。これをきっかけに番組主題歌を始め数多くの挿入歌を歌唱。
特撮ヒーローの主題歌という一般層からは白眼視されやすいジャンルにも関わらず、なんと放映年にゴールデンディスク賞受賞の大ヒット。

もはや不可能な事を探す方が難しい。
少なくとも当時の高杉俊介という男は、他の候補者から頭一つも二つも抜きん出ていた魅力的な役者だったのだ。

そんな高杉氏の経歴を鑑み、宙ぶらりんになっていた「格闘技」という設定にある志向性が加わる。


赤心少林拳


──そんな言葉が出たのは、脚本家からだった。

技は赤心少林拳 メインライター江連卓

前作で不調を来し、番組を降板した伊上勝に代わりスーパー1のメインライターを務めるのは江連卓。
伊上氏に代わってスカイライダーの後半を取りまとめ、最終回を執筆した流れからの続投である。

従来の仮面ライダーを社会現象にまで押し上げた「成熟した強いヒーローが敵を倒す」という作風に疑問を抱く江連氏は、ヒーローに厳しい苦難を与えたり、メインの視聴層である子供たちへのメッセージ性を強調した作風を好む人物である。

スカイライダーでの脚本作品の一部を挙げてみても、

ネオショッカーに山奥へと誘拐され、兵としての訓練を強制された子供たちを連れ脱出。
山道の過酷さや虜囚時の能力による待遇差別で争う子供たちを筑波洋が協力し合うよう諭す
「サンショウジン!地獄谷の脱出」

いずれ敵になるかもしれない怪人の赤ん坊を育てる筑波洋の優しさと涙を描いた
「重いぞ!重いぞ!! 50トンの赤ちゃん」

人間の植物化というおぞましい能力の犠牲になった大人たちが、悪事を働いてほしくないと涙がらに訴える子供の姿を見て怪人の命令を無視。
植物のはずなのに涙を流しているように見える姿に「人間を樹に変えられても、正義を愛する心まで変える事はできんぞ!」とライダーが闘志を燃やす
「百鬼村の怪!洋も樹にされるのか?」

そして最終回3部作など、随所にその思想と作風を滲ませている。
昭和2期の主人公たちが持つナイーブな感情の産みの親の1人といっても過言ではない。

そんな江連卓は、驚くべきもう1つの顔を持っていた。


道場に通い、北派少林拳を修めていたのである。
(ペンも拳も強いなんて反則だよね)


さて、ここまで並べるとなんとなくスーパー1の作風の設計図が見えてきたのではないだろうか?

拳法使いのホン書きという濃すぎる経歴を持ち、尚且つ高杉氏の空手有段者とレンジャー部隊上がりの経歴とアクションを目の当たりにした江連氏は、漠然としていた「カンフー」「少林拳」にする事を提案。
こうして「赤心少林拳」は誕生した。


この設定の追加にあたり、沖一也の高杉氏とライダーの中の人の中屋敷氏は、江連氏が道場で師事していた龍明宏*27の門を叩き、拳法の指南を受ける。

レンジャー出身の高杉俊介に、スーツ越しでも軽業師の如く動き回る中屋敷鉄也。
そんな2人に少林拳まで習得させようというのだ。
鬼に金棒などという言葉すら生ぬるい。鬼に迫撃砲、鬼に重戦車である。

かくて、水を得た魚の如く更なる進化を遂げた中屋敷氏はまるで常時早送りでもしているかのような華麗なアクションでスーパー1の無双ぶりに圧倒的な説得力を生み出し、スーパー1撮影当時の動きは「全盛期」とまで語り継がれるようになる。

高杉氏もさすがにMr.仮面ライダー相手では分が悪いものの必死に喰らいつき、少林拳設定に伴う過酷な修行シーンや殺陣の大半を吹き替えなしで熱演。

加えて両者のセリフや呼吸が合うように中屋敷氏が高杉氏と綿密に打ち合わせを行い、変身前とライダーの動きの一体感を生み出した。
前期エンディングテーマの映像でシンクロするかのように同じ動きで戦闘員を蹴散らしていく沖一也とスーパー1の映像こそがその象徴である。

クランクインを間近に迎え、かくてライダー拳はここに火を噴いた。
その影には、ペンの拳があったのである。



闘いの時きたり 梅花の心の戦士


北派少林拳に梅花という型がある。
梅の木は冬季には寒々として枯木のようにしか見えないが
春が近づくにつれ次第に命を漲らせ春の訪れとともに開花する。

桜の花のように咲き誇る事はない。
あくまでも慎み深く清楚、それでいて寒さに耐え
凛とした輝きを放つ気品のある花である。

ただ強いだけのヒーローには興味がない。
梅花の心を持った仮面ライダーを創造したかったからである。

力を尽くした人間がどたん場のどたん場で無意識の裡に
思いもよらぬ潜在能力を発揮するように
仮面ライダースーパー1は逆境に強い逆転男なのである。


馥郁たる梅の香りを漂わせて──。

江連卓


スーパー1の情報は9月1日発売の各種児童誌で一斉解禁。
流麗な銀のボディのお披露目となった。
クライマックスに突入したスカイライダーの次回予告でも番宣が行われ、TVにもその姿を見せている。

オンエアを目前にした4話の煙突からの飛び降りシーンで高杉氏が左足首を骨折*28するというアクシデントが発生し、主役交代の危機が囁かれるも、ギプスをつけ気迫の撮影続行。
このため本編の6話あたりまでは通常の会話シーンのテストでは松葉杖をつき、本番でカメラが回った瞬間に杖を放して気合いで演技し、全身が映るアクションシーンは引きの画でスタント処理が行われ、極端なアップショットのみ本人が演じるという形で難局を乗り切った。
また、この出来事に付随してかは不明だが、本編10話ではドグマ怪人バクロンガーが沖一也の幼少時の左足の事故のトラウマを想起させ一時戦闘不能に追い込むエピソードが撮影された。ライダーの足には何かが憑いているのかもしれない。

スーパー1の作風コンセプトとして打ち出されたのは、いわゆる修行もの。
『変身』は便利な道具でなく、危機の連続、迫り来る逆境を乗り越え、そして自分に打ち克つ精神性こそが、江連脚本の真骨頂である。

沖一也は時に怪人に敗れたり、特殊能力を攻略できずに苦戦する。
そんな時には赤心寺の門を叩き、修行の末に体得した新たな秘奥で勝利を掴むのが黄金パターンであった。
項目見出しにあるように「梅花の心」を根幹に持つ沖一也は辛苦に耐え、怪人打倒のために過酷な修行に身を置く。

けなげな一輪の梅の花が、寒風吹き荒ぶ冬の厳しい自然にあってこそ、春には可憐な花をつけるように。

知力・体力の全てを使い果たし、敗北が決定的な状況になって初めて、必勝を期する呼吸法を伴い、変身モードが胎動する。

我慢に我慢を重ね耐え抜き、悪しき力にはジッと耐えて柔らかく跳ね返す。それが極意と見つけたり。

スーパー1独特の長い変身ポーズは江連氏の経験から梅花拳の動きがモデルに取り入れられ、梅の花を包み込むような両手と共に変身ベルトが回る。
12話~13話の前後編ではこの作劇上のテーマとモチーフが明確に取り入れられ、劇中でも『梅花の型』を習得するエピソードが描かれた。

巨人の星の大ヒットを受け、過去に柔道一直線を生み出した平山Pのライダーシリーズは敗北を喫しながらも特訓でリベンジするなど初代からいわゆるスポ根を含んだ作風ではあったものの
この「修行」「根性」「精神性」を更に前面に打ち出したテイストは、歴代ライダーでも類を見ない斬新な試みだった。

また、この作風に際して江連氏は歴代ライダー要素を不要と判断。
スーパー1はTVシリーズの1年間を先輩ライダーの助けなしで戦い抜いた。
これは歴代ライダーとの繋がりと世界観を重視した前後2作品とは趣を異にしており、真ん中のスーパー1だけが異彩を放っている。
「そのために同じく氏が執筆したスカイライダー最終回のオチはああなった」とする黒い噂もあるが定かでない
しかし、この江連氏の頑固なまでの拘りがスーパー1の個性に繋がっているのもまた事実なのだ。

星と消えた8人ライダーに代わって地球に降り立った、流れ星のスーパー1。

一方、これはグローバルな広がりを見せた前作の8人ライダー路線を愛した視聴者に対しては残酷な仕打ちである事も意味する。
そのためこの辺は割と早めにフォローが入り、前作で消息不明となった8人ライダーは当時のテレビマガジンで「宇宙ステーションを建造、修理・療養を果たして無事に生還していた」という設定が語られ、劇場版で正式に8人ライダーがスーパー1の救援に駆けつける事によって映像でも無事安否確認。こうして子供たちの夢はスレスレの所で守られた。

おやっさんと仲間たち

2作目放映に際し、前のレギュラーは谷源次郎を残し刷新。
おやっさん枠だけが作品間を跨ぎ歴代ライダーを繋ぐ楔となる、立花藤兵衛と同じ基本構造を守っている。

拠点も喫茶店ブランカからバイクショップの「谷モータース」へと移行。
これも、喫茶店アミーゴから立花レーシングクラブへの変化を彷彿とさせる。

そんなおやっさんを支えるのがチョロこと小塚政夫。
沖一也をアニキと慕うお調子者の三枚目だが、意外な所で活躍を見せるコメディリリーフである。サモハンキンポーではない

ヒロインは、前作の数で攻めていたライダーガールズから久々に単独制に戻る。
草波ハルミ。沖一也の正体を知らずにほのかな思いを寄せる乙女。
そしてその弟で小学生の草波良。子供の視点でドグマの陰謀をライダーに伝える存在。

拳法の設定に伴い、修行パートでもキャラクターが必要となった。
秩父山中に潜む流派・赤心少林拳の総本山である赤心寺、その長こそ玄界。
ライダーとしての道に行き詰まり悩む一也に助言を与える老師にして、劇場版では単独で怪人を倒してしまった剛の者。

その一番弟子・弁慶。師範代で一也の兄貴分のような巨漢。
時に雑多な敵を引き受け、「一也!雑魚は引き受けた!」と前線に赴くその姿は、さながら伝説の相棒・滝和也のようでもあった。

前作とは異なり、一也の成長ドラマに必要な必要最小限の人員のみで物語は展開されている。

闇の王国ドグマ

新機軸のライダーに対し、その敵役も新たな個性を求められた。
ショッカー/ゲルショッカー、デストロン、GOD機関、ガランダー帝国、ブラックサタン、そしてネオショッカー──それまでの悪の組織はいずれもかの「第三帝国」の延長線上に立つもので、影から世界を自分たちの都合の良い形に調整するべく水面下で暗躍していた。
対するドグマは王国の名を冠した独裁国家であり、専制君主・テラーマクロを頂点とした理想郷建設のために表立って人間社会に侵攻を仕掛ける。

王国であるため形式上は裁判所や警察が存在するが、その実態はテラーマクロの意に沿わねば唯一絶対的な教義(ドグマ)を損ねたとして「思想的反逆者」「理想国家建設の因苦に勝てぬ者」の烙印を押される、ただの追認機関。
王国にそぐわない反逆者の末路は、死あるのみ。

ゆえに国民となる人類には自分たちの教義を押し付け、例えば機械が勝手に相性を判定し、適合したペアを強制的に婚姻させるなど独自の法を持つ。

テラーマクロもこれまでの首領に相当する存在とは一線を画し、煌びやかな王冠を被り玉座に君臨し、時には我欲を満たすために美術品や刀剣を献上させる指令を出すなど、非常に俗物的な独裁者としても描かれる。

大幹部のメガール将軍は、身も蓋もない事を言えば華のない髭面のオッサンである。
君主であるテラーマクロには意見すら許されず、権威のある親衛隊にはイビられ、部下の怪人たちは誰も彼も言う事を聞かない……と中間管理職の悲哀が漂うキャラクターで、その意外な正体を知ると多くの人が同情を傾けた。

美しく優れた者だけが住む事を許されるユートピア(理想郷)を騙る、帝王を絶対的支配者に置いた独裁国家。
王国の法こそ全てであり、逆らう者には死を与える闇の王国。
そんな横暴・圧政をしてテラーマクロは自らを「世界の混濁を救う救世主」であると嘯く。

企画書や本編の描写は概して上記の通りであり、拳法を通じ己を鍛え、ストイックな清貧さを旨とするスーパー1とは対極に、権力や物欲に囚われ、俗悪的な支配欲をぶつけてくる悪の集団がドグマなのだ。

そんな輩どもを相手にしてこそ、無敵の勇者スーパー1がなお際立つのである。



前半2クール スーパーライダー快進撃

こうして始まったスーパーライダーは、結論から言えば人気大沸騰のセンセーションを巻き起こした。

次々と切り替わる変幻自在のファイブハンド。
見栄えよく鋭く放たれる拳法アクション。拳法の型を模って美しく月面を描く宙返りのライダーキック。
2台のバイクを使い分ける派手な乗り換え。
そのどれもが真新しく、かっこよく、少年たちの心を鷲掴みにして放さない。

毎日放送お膝元の関西では初回の視聴率は23%、平均は19.58%をキープし、最高で26%にまで上昇したという。*29
これは同じく関西圏で38%を叩き出し社会現象にまでなったV3には及ばないが、当時の基準でも充分に高数値の大人気番組だった。

会心の手応えは製作側も感じ取っており、放送開始から間もなく劇場用新作の制作が決定。

ヒーローショーでの集客成績も天井知らずで、シリーズの黄金期に肉薄。
子供たちは連日スーパー1の主題歌を口ずさみ特徴的なアクションを真似て遊ぶ。
拳法の呼吸法による変身という設定も童心を一直線に突き刺す。
次回予告も、前作の「子供に語りかける」ノリを引き継ぎ、一時期の予告は道着姿の沖一也が子供たちに呼吸法を伝授するという内容だった。
「お腹に力を入れて、息を吸って、止めて、ゆっくり吐く」の呪文詠唱でお馴染みのアレである。
「これをやると、とても体にいいんだ」という締めのフレーズと合わせ、良くも悪くも子供達の印象に残り、放送翌日の学校では呼吸法大会。

流麗な銀のフォルムと、矢のように唸る赤心少林拳は実に華やかだった。

前作が暖めた空気を燃料に打ち上げられた宇宙船・スーパー1は、視聴率も商業面も絶好調。
これならばかつて嵐を巻き起こした初代仮面ライダー、そしてV3の人気にも比肩しうるかもしれない。
そんな期待が制作サイドを包み込んだ。

スカイライダーの空を超えて、宇宙へ。
新世代ライダー第1号はテラフォーミングに成功し、まだ見ぬ銀河の果てまで飛んでいく。新世界への航路は順風満帆だった。








そのはずだった。




突然の放送枠移動 瞬間消失の真相は?


テレビの
仮面(かめん)ライダー・スーパー(ワン)」は
4月(しがつ)から曜日(ようび)時間(じかん)
(かわ)ります
(つづ)けて()よう!


劇場版も無事上映された1981年3月、激震走る。
スター街道まっしぐらだったスーパー1の指定席、金曜ゴールデンの夜7時の座が、突如として消失した。
23話を最後に姿を消したスーパー1の後番組に収まったのは『愛の学校クオレ物語』
児童文学『クオーレ』を題材にした、いわゆる世界名作劇場系アニメである*30

1981年4月の或る日、スーパー1を楽しみに金曜夜のTBSにテレビを回した子供達は、イタリアの小学生のセンチメンタルな心の交流を描くアニメをブラウン管に叩きつけられ、唖然とした。

「スーパー1はどこへ行ったの?」

その答えは、冒頭に記した通り。
実はヒッソリとローカルセールス枠への移動──俗にいう島流しを受けていた。


関東地区の新たな放送時間はなんと、土曜朝7時*31


2000年代頃まで、当時の本邦の小学校はいわゆる「半ドン」であり、土曜でも朝早く起きて毎週学校に通っていた。
登校前に朝食を腹に詰めながら片手間に出だしだけ視て、それでも距離によっては遅刻するような時間帯に我らがスーパー1は飛ばされたのである。
当然、メイン層の小学生男児がまともに視聴できるはずがない。相変わらずビデオソフトは一般家庭に浸透しておらず、ネット配信などと便利な物は想像だにしない時代。
大人気番組としてはあまりにも、あまりにも無体な仕打ち。

加えて1981年の当時、インターネットやSNSなど毛筋ほども存在しない時代に、突然の放送枠移動を子供たちが把握するのは非常に難しかった。
新聞のTV欄をマメに確認するか、時たま該当の情報が掲載されている雑誌を購入し、目を通すくらいしか方法がなかった。
加えて、その情報をちゃんと理解し、記憶できる歳の頃でなければならない。
昭和1期の時代、TBS移動後のストロンガーの僅かな30分程度の放送時間の変化ですら命取りとなった時代、これは致命傷といっても過言ではない深傷である。

一応、劇場版の上映後にも告知はあったようで、その様子は映像ソフトにも収録されている。しかし東映まんが祭りのど真ん中に数秒だけ流れた情報を子供が覚えていられるかどうかはまた微妙なところ。
枠移動で急失速したTV番組の例は、Wiki籠りの諸氏にも幾つか思い浮かぶのではないだろうか。

流れ星がまだ燃え尽きてはいないと知らなかった当時の少年少女たちは、まるで人間社会に見捨てられ絶望したメガール将軍の如く恨みがましい気持ちでクオレ物語の流れる金曜夜のテレビを見つめていたという。

功績と栄冠に、まるで毒杯で報いたかのようなこの悪魔的人事異動の具体的な理由は、現在に至るまで明らかになっていない。
当時の新聞欄の推移や情勢に基づく仮説はあるが*32、そのどれもが後ろ暗く、また関連書籍でも前半は番組が快調であったとする点は強調しながらも枠移動についてはその事実以外何も語られない。以上のことから、恐ろしく闇の深い案件である可能性が高い。

いずれにせよ最大の要因は昭和・平成・令和の過去から現代に至るまで定期的にそちら方面のエピソードが存在するほどに悪名轟き、数多くのアニメ・特撮の謎の放送短縮や突然の終了の実例が後を経たないTBS編成局の、いわゆる「ジャリ番」をナチュラルに下に見る社風の根強さにあるのではないかとファンの間では目されている。
もしも毎日放送の腸捻転問題とその解消が起こらず、NET系列でライダーが続いていたら?──歴史のifを挙げていればキリがないとは言え、果たしてスーパー1がこのような道を辿る事はなかったのだろうか。


それでも即座に終了とならなかったのは、番組の人気がギリギリの所で勝ち取った成果。
こうして土俵際いっぱいで残ったスーパー1は、危急存亡の危機に立ち向かうべく方針の転換を余儀なくされた。



後半2クール 仮面ライダーと少年探偵団

放送時間変更に際し、スーパー1は小学生より更に下の年代、すなわち未就学児童を意識した作風にシフトしていく。

それに伴っての最大の変更は、根性路線の事実上の消滅。
まれに赤心拳の奥義を行使したり道着姿で座禅を組んだりはするものの、怪人に苦戦し修行で打破するという基本様式が消え、スーパー1は「強いヒーロー」としての役割を強調されていく。

それに伴って根性路線の象徴である玄界老師と弁慶が退場。いずれも名キャラクターだけに無念に思う視聴者も少なくなかった。

そして児童向けの目玉として、かつてチビッ子に大人気を博した「少年仮面ライダー隊」が復活する。
初代、V3に続く3つ目のライダー隊にしてより対象年齢が低い同組織はジュニアライダー隊と命名。
自転車を飛ばし、行く先々で不可思議な事件を発見してはスーパー1と連携をとる事が物語の基本構造となった。

続投の前期レギュラーのうち、草波良はこのジュニアライダー隊のメンバーという形で埋没していくが、谷さん・チョロ・ハルミの年長者3本柱は残り、終盤ではこの3人と沖一也の関係性を活かした物語も描かれた。

この作風のヒントとして同じく児童向けジャンルのメッカ『少年探偵団』のエッセンスがある。
子供ならではのフットワークと情報網で悪の陰謀を追い、最後の詰めは明智小五郎──すなわちスーパー1が担うのだ。

番組を30分で〆るクローズドの役割を負ったスーパー1は、中屋敷さんのキレッキレの動きと共にその強さを増していく。
戦闘員を千切っては投げ、主題歌や挿入歌をバックに怪人を圧倒する姿はかつての根性のドラマを好むファンからは否定的に見られるものの、映像の爽快感は凄まじく、幾多の戦いと別離を経たスーパー1・沖一也が人間として、武道家として、そしてヒーローとして円熟を迎えたという事実に説得力を与えている。

メインライターの江連卓は「ただ強いヒーローは好まない」としつつ、こういった無双ヒーローの作風も非常にスムーズにこなし、懐の広さを見せつけた。
ペンも拳も強く、そして引き出しも広い脚本家であった。

ジンドグマ 日常に潜む恐怖

この大幅な路線変更に至り、敵方も無事ではいられない。
専制君主の王国で不気味さと閉塞感を漂わせていたドグマはジンドグマへと交代。
独自のジンドグマ憲法を唱和させるなど闇の独裁国家的一面は維持しつつも、その空気は妙に明るくユーモラスだった。

首魁テラーマクロへの意見は以ての外、直下の中間管理職同士が所轄の違いなどでネチネチと凌ぎを削っていたドグマに対し、ジンドグマは老若男女バラバラの4幹部が常に対等で、それぞれの性格や視点からバラエティ豊かな作戦を展開。
新たなトップである悪魔元帥は作戦方針を尋ねる事はあっても其々の個性や独自性までは否定せず一任するなど懐の広い上司として描かれ、歴代でも類をみないアットホームさを特徴としている。
不安を掻き立てるような不気味なドグマの鈴に対してジンドグマは陽気なファンファーレをかき鳴らし、余暇の時間には全員でかき氷に舌鼓を打つなど、その和やかさは枚挙に暇がない。

そんな上層部の管轄下であるジンドグマ怪人にも、作風の変化に伴ったユニークな外見が求められた。
平山Pの当初の企画メモでは怪人のモチーフについて「大砲、火炎放射器、魚雷、レーザー、自動車、ジェット機、オートバイ」などが列挙されており、乗り物など方向性の変化はあるものの凡そは実践的な兵器類のデストロン機械合成怪人のような系列が考案されていた。

しかし江連卓をはじめとした脚本家陣が「日常生活にある身近な物の方が恐怖を引き出せる」と軌道修正を提案。こうして誕生したジンドグマ怪人たちはローラースケート、コマ、時計、ラジコン、傘、サングラス、冷蔵庫、石鹸、果てはビデオデッキなど付喪神の百鬼夜行が列を成す歴代でも類を見ない集団となった。
作戦内容もそのモチーフを活かしたユニークなものが目立ち、「雨の日に傘を無料で配れば手に取るに違いない」「サングラス型の洗脳装置」などバラエティに富んでいる。

見た目のコミカルさとは裏腹に上記の「日常に根ざした恐怖」も抜かりなく表現されている。
石鹸怪人シャボヌルンの特性石鹸を使ったマサル少年の体がゲル状に溶けて意識を保ったまま排水溝に吸い込まれるというおぞましいシーンなどはその最たる例といえよう。

一方でナイフ、ハサミ、ライターといったより攻撃的なモチーフもいくつか採用され、要人誘拐や暗殺、大規模な破壊計画などの従来の悪の組織テイストな作戦も実施、意外にも硬軟織り交ぜられている。

一度履いたら最後死ぬまで止まらない呪いのローラースケート、独りでに宙に浮かぶハサミ、まるでこちらを睨みつけるようにけたたましくなり続けるパトランプ、開くと異界に吸い込まれる冷蔵庫などなど、対象年齢を意識した児童文庫のホラーじみた世界観と、それらを最後には打ち倒すスーパー1の痛快アクションは、見てくれは違えど仮面ライダーが生来持つ「怪奇アクション番組」の1つの形である。

一見無邪気なモチーフ・外見の裏に潜む残酷なる悪の魔の手。
この極端な二面性こそが、ジンドグマ怪人なのだ。



地球よさらば!一也 宇宙への旅立ち!!

番組は最終的に、前作のような延長案は出ないまま大団円を迎えた。
放送開始から合計4クール。目安である1年間には達せたのが、せめてもの救いである。

健闘はしたものの、土曜朝という絶望的な時間帯での不利を覆すには至らなかった。
それでも、製作陣は最後まで戦い抜いた。

番組終盤ではジンドグマ怪人のオリジナルデザインを視聴者から公募。
1912個の応募作品から高杉俊介、石ノ森章太郎、平山亨ら作品の中核を成すメンバーの選考で消火器怪人ショオカキングが最優秀賞を受賞。
そして同怪人は実際に本編に登場し、御大・伊上勝の手による物語で活躍するなど、シリーズの集大成と別れを惜しむかのようなイベントとなった。

そして最終回3部作は、ジンドグマ4大幹部及び悪魔元帥との激闘。
赤心少林拳や後半の路線変更に食われがちであった宇宙飛行士の設定が物語を盛り上げ、やがて戦いを終えた沖一也は本来の任務である惑星開発に従事すべくシャトル*33で木星へと旅立ち、物語は終わった。

『仮面ライダースーパー1』全48話。
拳法アクションと沖一也の成長を描いたドグマ編、放送時間変更に伴い低年齢層を意識したジンドグマ編。
前作に比べ緊急処置的な強化策が目立たないのは、最初に打ち出したコンセプトを貫徹できた証。
番外のイベント的な趣の強い劇場版を除き、TVシリーズの1年間を単独で戦い抜いた事は、主演の高杉の誇りである。*34


こうして2年間戦い抜いた昭和2期シリーズは、3作目の構想すら遡上に上がらないまま無念の最期を遂げた。

空を超え宇宙を目指し、ようやく掴みかけていた新たな世界は、明日のない暗闇へと転じてしまった。

夢の流れ星は、星屑と消えてしまったのだろうか?


「メガール将軍より暗号無線が入っております。『流れ星消えた』──以上でございます」

「そうか……惜しい男よの。これも運命じゃ」


──だが、物語は続く。

鋼と機械の身体となりながらも人々のために戦い続けた仮面ライダー。
その勇姿に報いんがため、人々の諦めない気持ちがやがて奇跡を起こす。

「流れ星が甦ったとは面白いのう…」



幕間:新天地─1981 ZX

+ 10号胎動 ファンの想いが産んだ奇跡
まさに乗せられた感じだった。
彼等の熱気にあおられた形で
もう無いはずの10号を生み出してしまったのだ。

ぬいぐるみ作って、ストーリー作って、
写真ロケやって、漫画連載して…
結構金もかかる話だがやって見ようという訳だ。

嬉しくなってしまった私は
いま思えばしょうこりのないガキだったけども
夢中になって走り回ったネ。


平山亨



1981年9月、スーパー1が放送終了。
1971年の第1作目から10年が経ち、シリーズ当初からファンでい続けた少年たちもボチボチ多感な時期を迎える頃。
それとなく漏れ聞こえてくるスーパー1の大人の事情マシマシの無念の最期は、彼ら熱心なファンにはとても承服できるものではなかった。

幼少期、仮面ライダーの産湯に浸かり、より活発に動けるようになった青年たち。
彼らは群れを成し、やがてファンサークルが活発化。
かつての作品を懐かしみ、コスプレを見せ合い、ガリ版印刷で同人事を刷る。
文化や時代や違えど、現代にも通ずるファン同士の交流。

過ぎ去りし日々を思う人の流れは波となり、やがて大きなうねりをもたらした。

そうしたファンの集いのイベントは、やがてシリーズの生みの親である平山亨、そして原作者・石ノ森章太郎を特別ゲストとして呼ぶほどまでに大規模な運動となる。

1981年11月。
ファンクラブが中心となり、練馬区大泉の東京撮影所で「仮面ライダー復活祭」が開催。
全作品に関わってきた平山Pも開催に尽力し、過去シリーズの上映会を行い、出演者やスタッフとの交流会という夢のような時間だった。

盛り上がるイベントの最中、その場にいた誰もが共通の思いとして抱いていた切なる願いが声となって飛んでいく。

われらが仮面ライダーの復活を。節目である10号の生誕を。

轟く叫びを耳にして、石ノ森章太郎はなんとその場で仮面ライダー10号の創作を公約。
盛り上がるファンたち。何も知らされていない平山Pだけが熱気に置いていかれ困惑していた。
当時、無情にもTVシリーズを強制終了させられた直後。もう一度同じ舞台に上がるのは並大抵の事ではない。

「待ってください。この子たちは素人なんです。せいぜいガリ版印刷した同人誌です。いくら何でも先生のキャラクターは載せられませんよ」

しかし10号誕生の一報は気の早いファンの軽すぎた口を通して瞬く間に業界を駆け巡る。
まずは当時のテレビマガジン編集長・田中利雄から協賛の申し出。事前に東映のテレビ番組を統括していた渡邉亮徳も説得ずみという早業の上で
「TVが駄目でも、雑誌企画として連載したい」と談判した。
この号令に端を発し、講談社・徳間書店・秋田書店の3社が協力体制を敷く。

雑誌のスチル特写による記事──それは本来なら、TV番組ありきの存在だ。
これをひっくり返し、雑誌のグラビアをメインの媒体にしようというのである。
6を9に返すかのような発想の転換。初めは戸惑っていた平山Pだったが、思わぬ一筋の光明に希望を見出し、嬉しさに胸を膨らませながら方々を走り回った。

バイクを用意する金が工面できないとなれば、歴代ライダーマシンのベース車となったスズキの社長がなんとバイクを1台PONとプレゼント。
デザイナー原田吉朗の手により新たなライダーマシン「ヘルダイバー」が生まれた。

企画の目玉として恥ずかしくない立派な造形の着ぐるみを作るには金が入り用である。
何十万円もかかる、ライダーや怪人もいる。中の人もいる。金勘定をするだけで目眩が起きそうだった。

するとレインボー造型企画の社長・前澤範が名乗りを上げ、採算度外視で制作を申し出た。

「いいですよ。ライダーと怪人、1体ずつは作ってあげます。お金、要りません」

こうして昭和1期のエキスプロ、スカイライダー・スーパー1のコスモプロに代わってレインボー造型企画が着ぐるみを担当することになる。
これが現代まで続くレインボーとライダーシリーズの最初の縁であり、その中には俊英・品田冬樹の姿もあった。
雑誌連載ゆえ、TV映えする激しいアクションに耐えられなければならないという前提がないバタン怪人の造型は、歴代とは大きく異なる個性的なアプローチやアイディアを活用できた。
全身を覆うように展開する襟巻きの膜、身の丈の何倍もある巨大な大砲を伸縮自在に操るなど多種多様で、その総称をUFOサイボーグと名付けられる。



次いで、東映映像事業部がアトラクション開催の申し出。

「困ってるんだって?ウチは仮面ライダーのショーで食ってるんだから、10号ライダーを入れてくれればウチもお金出すよ!」


勢い破竹の如く、今度は日本コロムビアが主題歌制作を申し出る。
『仮面ライダー10号』の仮題のままイメージソング『ドラゴン・ロード』のレコードが製作。*35
カップリング曲(B面)の『FORGET MEMORIE'S』は雑誌展開で概ね決められた10号ライダーのハードな境遇を歌い上げる。記憶を失い全てを奪われた男が憎しみの炎を燃やす、従来のライダーと比べるとダークな歌である。

諸々の覚悟をしていた平山Pがあっけに取られるほど、事態はあれよあれよと進んでいった。
かつてライダーに携わった、TV局以外のありとあらゆる人々の愛に包まれて、仮面ライダー10号は世に生まれ出でんとしていた。

主役ライダーに初めてFRP(アップ用のみ)を採用したスーツは、メタリックな銀色の鎧を胴体に纏った左右非対称*36
そんな従来とは異なるフォルムから繰り出される、体中に装備した忍者武器。
スーパー1からメカニックライダーのコンセプトを更に受け継ぎ、同年スタートの『宇宙刑事ギャバン』の面影をも感じさせるような、どこかSF的デザインのサイボーグ忍者。

悪の組織から抜け出し正義を誓う「抜け忍」としての側面を持ち、かつて伊上勝が生み出した忍者の世界を基底に構築されていた仮面ライダー。
そんな作劇上のメソッドをモチーフに直接取り入れた忍者ライダー。名前が決まるまでの仮称は10号、あるいは訛ってジュドウ(JUDO)などと呼ばれていた戦士。

TVという枠にとらわれない、新しいスタイルの『仮面ライダー』

空を飛び、宇宙の遥か彼方を目指し、志半ばで地に墜ちても、それでも一歩前へ。
見果てぬ夢を焼き尽くされても、青い涙と復讐色の哀しみを乗り越えて。
荒涼とした大地と砂漠を進む10号キャラバンは互いに肩を寄せ合い、不屈の精神を胸に新天地を目指す。



名前はまだ無い

81年12月には制作サイドとファンクラブの有志が力を合わせた企画委員会を結成。10号プロジェクトが始動する。

82年の明け頃には、既に平山Pによる企画書が完成していた。
この時点での名称はまだ「仮面ライダー10号」である。

TVを前提とせず、児童誌グラビアを軸にした作品展開を予定。
代わりにTVでは諸々の事情で難しい対象年齢が高めな作風が予定されていた。
この背景には10号誕生のまさに立役者たちであり、幼少期を昭和1期と共に過ごしたあの日の子供たちが関わっている。
10年の時が経ち、自分で考えて行動する中高大学生の年の頃になった青年たちのために、TVが終わったからこそ、全てのしがらみから解放された彼らのための仮面ライダーを作りたい。そんな平山Pの想いがあった。

もちろん、これを足がかりに再びTVシリーズへ、という野心はある。
しかし、それよりも、仮面ライダーをこんなにも愛してくれた若者たちのために、たとえ最後となっても思い出を作ってあげたかった。
ある種の親心が、平山Pの体を突き動かす。

半年を費やしようやく諸々が纏まってきた企画は1982年7月号(6月発売)の児童誌で情報解禁。
「新仮面ライダーついに登場!」の煽り文で登場したメカニック忍者の姿は衝撃を与えた。
そしてこのニューカマーに際して『新ライダーの名まえ大ぼしゅう!』企画も展開、この新しい10号の名前を読者公募で決めようという一大イベントが行われた。(消印7月10日)
そして、8月に10号の名前の発表会を向ヶ丘遊園地のステージで大々的に執り行う事が決定。
ライダー・ファンの思いが業界に勝負を仕掛ける熱き夏の挑戦が始まった。


1982年8月15日、日曜午前1時(=14日の25時)。
翌日日中のネーミング発表会と連動し、かの大御所深夜ラジオ『オールナイトニッポン』で『仮面ライダー10号誕生記念・石ノ森章太郎のオールナイトニッポン』が放送。
深夜1時にも関わらず会場の銀河スタジオ前には件のファンクラブを始め50人程度の人数が押しかけた。
ゲストは原作者の石ノ森章太郎に、小林昭二と塚本信夫のダブルおやっさん、沖一也の高杉俊介、そして一文字隼人の佐々木剛*37

朝まで関係者が当時の思い出を語り明かすという珠玉の時間に、直接出演は叶わなかったが本郷猛の藤岡弘が祝辞の録音メッセージを残す*38など、同窓会的な内容となった。

実は、同日のメインイベントであるネーミング発表会に先んじて番組内で10号ライダーの正式名称を番組内で発表している。
夜更かししてラジオに耳を傾けていた大きいお友達は新ライダーの名前をを少しだけ早く知ることができ、鍛え抜かれた猛者は当然のように完徹でラジオ→イベントを不眠不休でハシゴし同じ発表に二度とも同じリアクションで狂喜乱舞したという*39

そして作品の基幹部分を説明する物語のラジオドラマが放送。
平山Pが雑誌連載に備えて考案していたストーリー*40を原案に制作され、10号=村雨良の声優はなんと神谷明が務めた。
新宿の種馬スイーパーはまだ原作すら始まっていないので、「リョウ」は本当に偶然である。

強化兵士ジュドーに改造され、姉と記憶を奪われた村雨良。
とある事故で放射線を浴び、失われた自我意識を取り戻し、地下都市バダンシティから脱出する。
裏切り者ジュドーの命を狙うバダンサイボーグ。
そんな組織でのコードネームを拒絶し、自らを仮面ライダーと名乗る村雨。

今まで詳細な情報が無かった10号ライダーがなぜ改造され、なんのために戦うのかを分かりやすく整理して説明するイントロダクションを兼ねた内容である。
同ドラマのラストではレコード発売やネーミング発表会よりも早く、主題歌の『ドラゴン・ロード』が流れた。

更に、番組開始と時を同じくして交通安全キャンペーンとタイアップした外回りの企画もスタート。
ひっそり世間に初お目見えの新ライダーのマシン・ヘルダイバーを筆頭に、10人ライダーのバイクが一斉に走り出したのである。
別動隊が外から中継する大掛かりなキャンペーンとなった。

まずは銀河スタジオのある有楽町からスタート。キャンペーンの建前上それなりにゆっくりとした速度で進行した奇跡のライダー部隊*41は番組の放送時間4時間いっぱいを使い海岸沿いに江ノ島まで走行した。

そして同日明けの15日午後1時、向ヶ丘遊園でついに本命の名前発表会がスタート。
夜通しツーリングした歴代ライダーマシンはそのまま現地入りし、10人ライダーが勢揃いで各々のバイクに乗る特写が撮影されている。
同イベントにはラジオから徹夜で移動した高杉俊介の他に宮内洋と山口豪久(旧・山口暁)のV3コンビが出演。後の正月特番でも出演する、3人の先輩ライダーである。
そこに発起人である石ノ森章太郎と平山亨が加わり、万全の布陣でイベントは始まった。

石ノ森氏がおもむろにヘルダイバーに乗り出したり、それに負けじと宮内氏がハリケーンに跨ってファンサービスを始めるなど非常にカオスな立ち上がりを見せたイベントは、ニューヒーロー誕生の立役者であるファンも主役の1人だった。

各々がライダーや怪人に扮したコスプレで舞台に上がり、それを見た平山Pが
「こういうファンの皆さんの熱意が新しい仮面ライダーを作りました」
と改めて感謝の気持ちを伝えるなど、まさに渾然一体となった晴れの舞台。

そして串田アキラが登壇し、『ドラゴン・ロード』を生歌唱。
(ラジオでの先行公開を除いて)本邦初公開の主題歌のライブの様相を呈する。


そして、運命の時が訪れる。


仮面ライダー10号の名前は、『ZX』
複数の応募者によって「ゼットエックス」とそのままの読みだったこの2文字は「ゼクロス」に改められる。

テレビ放映にとらわれない10号、仮面ライダーゼクロス。それが新天地を目指す名前だった。

正式に名前が決まったZXが9人ライダーと力を合わせて悪と戦うヒーローショーが展開された後、最後の情報開示となった。ZXに変身する主人公、村雨良の演者の正式発表である。
果たして、壇上に登場した人物とは──





諸君は、この青年を記憶しているだろうか?

そう、かつて東映の新人俳優として仮面ライダースーパー1の候補者に名乗りを上げた菅田俊だ。

彼は、この2年間を主に東映京都撮影所で過ごし、役者として逞しく成長していたのである。

スーパー1の次代、10号を拝名する者として選ばれたのは、必然だったのかもしれない。
菅田俊は、ついに仮面ライダーになったのだ。





第三部:仮面ライダーZX

+ 1982年8月15日活動開始 1983年8月グラビア連載終了 1984年1月3日TV特番放送
新ライダーの名まえがきまった!
十番目の仮面ライダー、その名はZX!


1982年のある日。
映画『修羅の群れ』や『制覇』などの撮影をこなしていた頃の菅田俊に一本の電話が入る。

「とにかく来てやってくれないか」

過去の記憶からライダーに良い思い出はない。しかし平山Pの熱心さに負け、京都から一路東京へ向かう。
指定された向ヶ丘遊園地にもういきなり石ノ森章太郎がおり、そこで初対面となった。

さて、有名な話ではあるが、ここで記しておく。
当時は『制覇』、つまりヤクザ映画の撮影が終わった直後の急な電話で本当に余裕がなく、役作りもクソもない状態で向かった菅田氏。
その風貌は、太眉に剃り込みのパンチパーマであった。
役作り上仕方ないのだが、この状態で特写連載のグラビア撮影も始まってしまい、後の世に893ライダーと揶揄される切っ掛けとなってしまう。

身長187センチのヤクザ仕立ての大男をヒーロー役の候補として紹介される──字面にすると中々凄まじい状態だが、石ノ森先生はいたくお気に召したらしく、その日を境にフワッとしたタッチだった村雨良のラフ画に太眉や険しい表情が加わり、菅田氏の面影が強く出るようになった。さすがにパンチパーマだけは反映されなかった

その後、今度は平山Pの直接訪問を受ける菅田氏。

「正直、仮面ライダーは終わりで、ダメかもしれない」
「それでも、もう一度やりたいから協力してほしい」

あまりにも熱心で、人柄を感じる心のこもった頼みだった。
苦い結果に終わったとはいえ、スーパー1のオーディションでは身を立ててもらった恩もある。
今こそ報いるべき時ではないだろうか?
過去の蟠りは、その時に消え去った。

「僕に出来ることでしたら、何でも協力させて頂きます」

ただ、そう答えたという。



旅の始まり 目指すべきゴールの場所は

ネーミング発表会に登壇し、村雨良として名乗りを上げた菅田俊。
しかし、その道行きは決して平坦なものではなかった。

繰り返し述べた通り、この一連の企画はTV作品になるかどうかも分からない明日なき十字軍である。
そのためにまずは特写撮影による雑誌連載と、日本全国の遊園地でのヒーローショーによるPR
その人気いかんでTV進出の足がかりに、という地慣らしが必要だった。

予想外の現在地に唖然とする菅田俊。地図はないが、道は探すしかない。
蜘蛛の糸を辿るが如くか細い光明を目指して、いま仮面ライダーZXの戦いが始まったのだ。

第1の作戦・遊園地めぐり。拠点の関東近郊を中心に、文字通りお遍路の如く全国各地の遊園地を渡り歩き、「仮面ライダーZXショー」を伝え広めていく。
主な移動手段は電車。主役の菅田氏、そして平山Pが地道に各地を行脚する二人三脚。
男2人、駅のホームで何かを話すでもなく座り込みジッと次の電車を待つ。移動時間の車内で駅弁をかっ食らう。
厳しい状況下だった。映像作品の保証はなく、ファンクラブを中心とした熱心なコア層の活力は顕在ではあるが、仮面ライダーというコンテンツに全盛期のような求心力はない。

それでも、平山さんに仮面ライダーに選んでもらえた事が嬉しかった。
結果として全国を渡り歩く日々が続いたが、その思いがあればこそ苦にはならなかった。

苦労の甲斐あって遊園地ショーの評判は概ね良く、子供達だけでなく同伴の母親達にも人気が出たようである。


菅田氏は後年この地道な外回りの毎日を『あしたのジョー』のような「ドサ回りライダー」とやや自嘲気味に語り、「こんなライダー他にはいないんじゃないかな?」とコメントを残している。

平山Pの人柄に触れ、時間の流れが緩やかな、穏やかな時間だった。
そんな時間が何よりの宝として胸に残ったという。
何気ない、小さな日々の物語である。


あるいは真の原作 雑誌グラビア連載

第2の作戦は雑誌グラビア。
『テレビマガジン』『テレビランド』『たのしい幼稚園』『冒険王』の各誌で特集記事が組まれた。

どれも月刊誌なので、基本的に撮影は月イチ。
講談社のカメラマンが集まり撮影された。

単なるカッコいい画の撮影会ではなく、各回ごとに登場する怪人や一定のストーリーが設定され、それに合わせて撮影されている。
後の特番もこれらのストーリーを元に45分に圧縮しているため、ある意味ではこれが『仮面ライダーZX』の原作と呼ぶべき存在である。
ストーリーは平山Pによって大まかに構想されており、1話が月刊連載の漫画及びTVドラマの1話程度になる。

内容は村雨良が姉の喪失に苦しみ、バダンの強大な力に絶望し一人海岸に走り傷心に浸るといった存外に暗めな作風。
時に姉の幻影を作戦にする卑劣なバダン、そのバダンにも単なる悪とは割り切れない怪人がおり、最初は復讐しか頭になかった村雨はそれらの人々との交流を重ね変わっていく。
自分は冷たいサイボーグだが、自分を慕ってくれるか弱い少女ルミのために……といった動機から、やがて9人の仮面ライダーと出会い、バダンの強化兵士ジュドーから人々のために戦う仮面ライダーZXへと変わっていく、という展開がおよそ1クールに相当する話数分である12話~13話をかけて描写されている。

ヒーロー物語としては異彩を放つ作風である。
しかし、振り返れば仮面ライダーは孤独の改造人間という出発点があり、人気向上のために陽性の路線へと転じるパターンが常であった。エンタメ路線を得意とする平山Pも、実はそういった作風を志向しているのである。
TVという制約が無くなったがゆえに、逆に挑戦できる土壌が広がったという状況と、10年以上シリーズを応援して青年へと成長していく若者たちを思い、更にそれからの人生のステップになるようなものを遺せればとの意図から、ZXでは対象年齢が高めのストーリーラインを構想したと平山Pは語る。

小説という媒体のため、9人ライダーが中盤以降オールスターキャストで人間体も含め全員出てくる豪華仕様で、沖一也の宇宙関係の先輩が物語の起点になったり、タカロイドの人間体・無双盟と戦闘機でのドッグファイトに挑む風見志郎など先輩ライダーにも活躍シーンが存在した。
あくまでプロットに過ぎないため、分量は然程ではあるが、読み応えのあるストーリーである。

またスーパー1と地続きである事を強調するためジュピター・スーパー1で旅立った沖一也がバダンの動きを察知して地球に戻るプロローグの構想もあったが、どの媒体でもこのシーンの実現には至っていない。

が、やはり掲載するのは児童誌であり、基本的に対象は子供の企画展開。
重々しいドラマは必要とされずニーズも合わないので本格的な掲載はされず、ZXとバダン怪人の戦闘を中心にした仕上がりになっている。
ここで陽の目を見なかったストーリーは1998年に出版された『仮面ライダーZX オリジナルストーリー』に掲載されたので、ファンは是非とも手に取って頂きたい。
児童誌の華やかな特写記事とこの小説を合わせて読むと、なんとなく物語の全容が見えてくる筈である。


バダン怪人の名称は前半は強化兵士、後半の第7話以降は時空魔法陣と電波で直結し、ごく一時的、かつ局所的ではあるが時空を切断する権能(=再生怪人を登場させる理屈づけ)を持った最新強力サイボーグの「UFOサイボーグ」に二分される。

パワーアップを果たした怪人の設定づけとして雑誌展開メインの企画を逆手に取り、後者のUFOサイボーグには変形機能が付与された*43
襟巻きが傘のように開くトカゲロイド、身の丈の倍ほどもある巨大な花弁を開花させるバラロイド、翼が複葉機のように広がり展開するタカロイドなど、実際に動かして殺陣をやったらまず間違いなくポッキリ逝ってしまうような見た目を重視した機能を、メインが写真連載という媒体を利用して造型したのである*44
文字通りサザエそのものの見た目でインパクトの強い暗闇大使の怪人体・サザングロスの外殻も、この媒体の違いによる利点を活かした傑作である。

雑誌掲載時のスーツアクターは我らが大野剣友会ではなく、創始者・大野幸太郎との意見の相違から独立した高橋一俊が設立したビッグアクションが担当。熱心なファンには「カシラ」と言えば通じる人物である。
基本的に遊園地でのショーも同団体が担当しており、この時のZXの中の人は山口仁。
観覧車の頂上で仁王立ち、10メートルくらいなら平気で飛び降りるという剣友会に負けず劣らずの命知らず。
彼らの捨て身のアクションによって、仮面ライダーZXという企画は支えられていたのだ。

最終的に同企画は概ね1年で終了。
テレビマガジンのみ最後の13話を前後編に分けた豪華仕様になりつつ、1983年9月号(8月発売)でもう一つのZXの物語は完結。
暗闇大使=サザングロスを撃破し、10人ライダーは去っていった。

その後、雑誌企画は特番決定を機に10月号から歴代ライダーの紹介記事にシフト。
84年1月号では同番組の告知記事、続く2月号で特番を中心とした特集記事を組みその役目を終えた。

2年近くに渡り10号ライダーを支えた屋台骨は、映像進出という大願を果たしその任を終えたのである。

仮面ライダーという仕事 菅田俊という男

ごく当然の帰結であるが、主役の菅田俊は今まで挙げた全てを体一つでこなさねばならなかった。
雑誌の方はライダーのみの登場で休みとなる号もあったが、遊園地の方は出ずっぱり。
誰よりも朝早く起き、誰よりも遅く帰り、移動の電車で揺られる日々。
京都撮影所の映画の仕事も当然並行して行う。

何よりも驚くのは、この激務に加え更なるタスクを己に課していている点である。

ヒーローに相応しい動きを身につけるべく、大手アクションチームA・T・Cの稽古に参加。
代々木体育館などで特訓に励み、トランポリンを使った前宙やバク転を努力の末に習得。歴代の先輩方のように体を張ったノースタント・危険アクションにも耐えうる体を作っていく。

立ち回りの練習なども行ったこの時間は現在の自分のアクションのベースであり、同団体には非常にお世話になったと述べている。
空き時間には今は亡き東映の大部屋で昼間から麻雀を打ちビールを飲みのドンちゃん騒ぎをしており別の意味で怖かったらしい

また、当時の役作りで太っていた*45体を気にして毎日8キロの走り込みを行い、最終的に体重を10キロ以上落とした。
その甲斐あって映像や特写での村雨良は非常に長身かつスリムで、ほっそりした腰つきから変身ポーズを流麗かつ躍動的な動きで決めている。

雑誌にせよ特番にせよ、『ZX』は常に赤貧に喘いでいた企画であった。よって村雨良の服装も自前である。
これは歴代ライダーも同じなのだが、純粋に菅田氏のセンスが問われる事となった。
初期の雑誌展開時は手探りゆえかグリーンのパーカーに素足スニーカーという物凄くラフな出立ちも見られたが、最終的に特番で披露した黒ずくめに白いブルゾンを着こなすスタイルはZXの背負う暗い背景と長身痩躯もあってかなりヒーローっぽいと評判である。

せめて見てくれだけは好青年に、ヒーローらしくありたいという菅田氏の役作りへの真摯さが成せる業であった。
外見だけでもなく、そんな氏の心にも間違いなくヒーローが宿っている事は間違いない。

バイク(ヘルダイバーではなく、村雨良の姿で乗るもの)も自前だった。丁度買い替えの時期だった事もあり、それならば歴代ライダーマシンのベース車にも多く採用された由緒正しい物にしようと、ハスラー250を購入。特番で村雨良が乗っている黄色いバイクがそれである。

結果としてこの心意気と歴代ライダーでも群を抜いた長身が仇となり、中型の250cc程度では菅田氏の体躯にまるで収まらず余った両足がガニ股になってしまう乗り方が後年ネタにされてしまう。大は小を兼ねなかった。
ハーレーダビッドソン(Vマシーン)辺りに乗っていたら似合っていたかもしれない。


兎にも角にも、ようやく掴んだ仮面ライダーという大役に対し、情熱と愛情を以て身一つでぶつかっていった菅田氏。
その甲斐あって後年は村雨良として声をかけられる機会も多かった。
とあるVシネマの撮影では指を詰めたマジモンの人にサインを求められ、悪役に定評のある役者であると身内に紹介しながらも「仮面ライダーってサインに書いてください」と求められビックリしつつ嬉しかったという。10号ライダーの名は本職にも知られていたのだ。

揺籠から墓場まで。
子供に大人にヤーさんまで。
地道な活動は人々の胸にしかと残り、文字通り仮面ライダーZXは幅広い層に愛される存在となった。

三度、落陽を迎えても

遍く人々の愛に背中を押されて始まった10号プロジェクトは、結果として1年でその旅路を終えてしまう。
結果が芳しくなかったわけではない。むしろ良かった。
遊園地ショーの甲斐あって仮面ライダーZXの名前を覚えるファンは増え、雑誌企画のアンケートも上々。
では何がと問われれば、メディア展開による利益の循環にあまりにも乏しかった。

TV放映という形式の強みがそこである。CMでスポンサーを集めるために放送枠を買い、全国ネットに番組を放映し、コマーシャルを流し、その枠で作品に因んだ変身ベルトやグッズを製作し、CMを流す。
そういった展開が現状の形式ではできないのである。撮影や興行で費用が嵩む割に販売に帰ってこない。それが弱点であったと平山Pは語っている。

「これが私の弱点で夢ばかり追って失敗した時の事を考えない。それにしても雑誌はよくここまでやってくれたよな」

テレビに囚われない全く新しい形式の仮面ライダー。新天地を目指した10号計画は他ならぬテレビ媒体の不在による利潤の欠如を理由に進退極まった。この砂漠には情熱があっても水が足りないのだ。


テレビ、テレビ局、テレビ放送。
ネットなどによる動画配信なども存在しない当時、キャラクタービジネスをやる上で絶対的な力を有していた天下のメディア。

お膝元に入れれば、それは体を暖めてくれるお天道様。
しかし一度見放されたが最後、照らしていた太陽が突如としてその灼熱性を露わにするが如く、作品の前に高き壁となって立ちはだかる。

テレビとは、最大の支援者にして、最大の難敵。
いわば仮面ライダーにとっての大首領でもあった。



その、誰もが諦めそうな何かに、体が震えそうになる。

これ以上は進めないと、また誰か(テレビ)が平気な顔をして、夢だと嗤う。

しかし誰もが諦めなかった。未来を止めたくなかった。

例え傷だらけの状況でも、どこかに明日があるというのなら。
可能性は必ず、ゼロではない筈だ。

製作陣もファンも思いは一つ。いかなる苦境にも同胞たちと力を合わせて立ち向かう。
それはまさに「仮面ライダーはすべて兄弟だ」と団結し、奇跡を巻き起こしてきたライダーたちの如し。

これまでの雑誌連載・遊園地興行などのデータを武器に、長年のパートナーである毎日放送に交渉を仕掛ける平山P。

それを助けるべく、ファンクラブの勇士たちは毎日放送へZXの新番組を要望する意見投書などで援護射撃を浴びせ続ける。

TBSほど露骨ではないものの毎日放送は学問教育分野の放送局としての自負心が強く、数字に繋がれば製作協力はするものの基本的に子供向けヒーロー番組を軽視する傾向にあった。
お膝元の関西などではライダーシリーズの再放送をピクリとも行わず、一部ファンからは「製作元なのに電波に乗せたがらないネグレクト放送局」などという誹りを受けるほどである。

初代仮面ライダーからストロンガーで終焉を迎えた昭和1期。

スカイライダーから始まりスーパー1で悲劇的結末を迎えた2期TVシリーズ。

そして、テレビ局を素通りしてそれ以外の企画展開で再起を図ったZXの終了。

既に三度の死を迎えたシリーズ。
これを再び説き伏せるのは、並大抵の事ではない。

しかし、平山Pの粘り強い交渉が、ファンのライダーを愛する気持ちが、このブラウン管と公共電波で作られた嘆きの壁に小さな穴を穿つ。


1984年1月3日(火曜日)。

たった一度の、一条の光明。

正月編成の特番という形で、われらが仮面ライダー10号は晴れ舞台へと躍り出た。

不死身のライダー。かえってくるライダー。

三度の終焉を迎えても、なお不滅の魂で甦ったのである。



10号誕生!仮面ライダー全員集合!!



それでも、もしかしたら
レギュラー番組になどと思いながら、しかしその一方では
これが、仮面ライダーの最後だろうなと思いつつ、でも


若者たちの思い出になる一篇が作れたことを
満足に思ったりしたものだ。


平山亨



ようやくTV進出を果たしたZX。
あまりの喜びに特番決定の報を平山Pは自ら足を運んで菅田俊に伝えに行ったことで知られている。

「たった1回だけなんだけどテレビで特番をやれる事になったんだよ!」

本来は主演である自分が真っ先に喜びを表して然るべき場面。
しかし、成し遂げた笑顔で大粒の涙を流す平山Pの姿こそが、まるで我が事のように嬉しかった。

「ああ、良かったですね…!」

世代も何もかも全く違う2人の男は、共に抱いた大きな夢に至った喜びを分かち合った。

この大一番に向け平山Pは殺陣、アクションを雑誌掲載時のビッグアクションから長年慣れ親しんだ大野剣友会に要請。
技斗師・岡田勝はこれが最後になるかもしれないという思いから剣友会の創始者である大野幸太郎の名前を連名でクレジットするように頼む。
が、大野氏は実際には参加せず、実質的に岡田氏単独の仕事となった。

以前より団体の名前さえ入っていれば「その時メインでやってる奴の名前を入れればいい」というスタンスで、自分の名前をクレジットする事に頓着の無かった大野氏。
平山Pはこの節目に当たって初代ライダーの撮影現場で見た大野氏の勇姿を今一度と熱心に頼んだが、折悪く氏の体調不良なども重なり実現はしなかった。
ゆえにエンディングの連名のクレジットにはこれまでお世話になった岡田氏の感謝の気持ちと、製作陣の敬意が籠められているのだ。

当然、主役の仮面ライダーのスーツアクターはMr.仮面ライダーの中屋敷哲也にという話になった。
しかし氏はこれを固辞。最終的に岡田勝の指名により当時『アンドロメロス』でアンドロマルスを演じた新進気鋭の城谷光俊がZXの中の人となる。
同じく大野剣友会の橋本晴彦が主賓を務める別のアクションチームに在籍していた事が縁となったようである。

中屋敷氏の真意は定かではないが、
「脂の乗り切った時期のアクションで一つの最高到達点とでもいうべきスーパー1への思い入れが強かったのかもしれない」
とずっとコンビで作品を作り上げた岡田氏は推測している。
主役のZXは断りつつ、スーパー1のスーツアクターを引き続き演じているのもその証左であろう。

ZXの宿敵・タイガーロイドのスーツアクターは山口仁。
ビッグアクション時代のZXであり、いわばTV版ZX 対 雑誌版ZXの様相を呈していた。

……と、思われたのだが、直前になって山口氏が捻挫をしてしまい断念。タイガーロイドは渥美博に交代になっていた事が近年の証言で明らかになっている。

そしてタイガーロイドの人間態であり、村雨良の嘗ての親友としてライバルであるバダン幹部の三影英介を演ずるのは、なんと中屋敷哲也。
元来は顔出しの役者を志す集団である大野剣友会の本分にして、実はこれまでライダーシリーズでも顔出しの役を何度が演じた影響で中屋敷一族とか言われてた氏の集大成である。

かつてのMr.仮面ライダーが宿敵であり、そしてスーパー1としてZXを導くこのキャスティングにファンは唸った。
最終作品でありながら、まるで世代交代のような構図である。

その他、シリーズの節目を彩るべく数多くのOBが集結する。
まさに「全員集合」であった。

平山P・阿部Pのダブルライダー。
監督に山田稔。
音楽に菊池俊輔。
脚本の平山公夫はV3の時代から参加し、7人ライダーの正月特番なども担当している。

先輩ライダーも数多く駆けつけた。
風見志郎・宮内洋。
結城丈二・山口豪久。
沖一也・高杉俊介。

一文字隼人・佐々木剛は火傷の影響で顔出し出演こそできなかったが、その溢れる郷土愛で2号ライダーの声を担当。
そんな裏事情を感じさせないまでに、往年の低くドスの効いた声は健在であった。

彼らの他に参戦を希望していた先輩*46もいたようだが、限られた時間の中では顔出し3人という人数が丁度良い塩梅だったかもしれない。

そしてナレーションは当然、中江真司である。


けたたましく鳴り響くお囃子。
それは賑やかで楽しく、そして別れを予期させてどこか寂しい。
盛大な祭りの幕開けである。

仮面ライダースペシャル 10人の仮面ライダー大決戦

そんなこんなで撮影は1983年の10月24日からスタート。
特撮ファンにはいつの間にかワープして火薬を炊く場所としてお馴染みの埼玉県は寄居の採石場を舞台に、1号・2号のダブルライダーがバダンニウム84を積んだ輸送トラックに奇襲をかける場面からクランクインを迎えた。

トラブルとは無縁ではいられないのがアクション番組である。
案の定、予算はさほど潤沢ではなく、村雨良の私服と変身前のバイクは相変わらず菅田氏の自前。
そんな中で東松山でのバイクの崖を駆け降りるシーンの撮影。輸送トラックを追うライダーマンとスーパー1をバダンの刺客だと誤解した村雨良が突撃する場面。
険しい岩肌のゴツゴツした斜面を強引に降ったためにボルトが抜け、オイル漏れにより動かなくなってしまう。
ライダーのために買ったハスラー250が、フォーサイクルのエンジンが……しかし驚くにはまだ早い。

なんと、撮影が終わったスタッフは斜面で立ち往生のバイクに対処するでもなくそのまま撤収してしまった。

「主役なのに」と思いながらも菅田氏は翌日に後輩俳優の力を借りてトラックでバイクを引き上げ、近くのガソリンスタンドまで山道をひたすらバイクを押して運び、根性で1日で現場復帰した。
それにしてもこの正月番組、手作り感に溢れすぎである。

クライマックスの阿修羅谷の死闘、下久保ダム*47での再生怪人軍団の名乗り。
バダン怪人からデストロンのカミソリヒトデまで登場したバラエティが豊かすぎる集団名乗りにどうしても中の人たちの足並みが揃わず、最終的に「俺は1番!」「俺は2番だー!」とやけっぱちで叫び続けた事でなんとか怪人軍団の皆様がOKテイクを貰った逸話で知られている。

特撮ヒーロー番組のサガでやっぱり色々と起こっていた撮影現場だったが、撮影は10日程度で無事終了し、オンエアを待つのみとなった。


さらば、われらの仮面ライダー


─この日のために、この身体は在った─
宿命の改造人間 仮面ライダーZX!

悪の秘密結社バダンの最終兵器
すべてを歪め、全てを消滅させる時空破断システムの恐怖!
世界の危機!人間の自由のために立ち上がる10人の改造人間!


『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』

1月3日火曜日 朝9時


正月とはいえ三が日のギリギリ末端で、休みの日にそこそこの早起きを求められる時間帯。
やっとの思いで獲得した放送枠だった。

当初は総集編メインで進行する予定だった。
というのも、全話収録した映像ソフトなど夢のまた夢で再放送が頼みの綱だった時代に、歴代ライダーの活躍を知らしめるパートの存在意義はとても大きかったからである。
しかし、結果として新撮によるZXの物語を大幅に制作。総集編パートは3回に分け約8分程度に収められている。
取り分け最後の『8人ライダーヒットメドレー』をバックに風見志郎がどこから用意したのが謎すぎるビデオを用いて村雨良に歴代の9人ライダーを5分かけて紹介する場面は限られた尺の中で村雨が先輩たちの存在を知る重要な役割を果たし、ビデオという形式を用いる事でテレビの向こうの視聴者にも語りかけるある種の第4の壁を超えた心憎い演出となっている。

これによりZXは9人ライダーの世界と接続し、歴代作品を纏め上げるのみならず、総集編パートで9人ライダーに興味を持った新規の視聴者への入り口も兼ねる二重構造の作品となった。
1度きりの放送とはいえ、その功績は計り知れない。

企画当初では85分枠(本編正味70分)となっていたが、色々あってオンエアでは60分枠(本編正味45分)の枠に縮まっている。またかよTV局
そのため予告編のCM*50の映像を見ると合成カットが微妙に違うエフェクトだったり、本編では途中で切れている戦闘シーンが本来はもっと長いカットである事が分かる。あるいは本来の尺だった頃の名残であろうか。

物語は雑誌版とほぼ共通し、序盤はバダンへの復讐に燃える村雨良の暗い情動を描きながらも
中盤には誤解による戦いを経て、ZXは個人の復讐を超えた守護者『仮面ライダー』という生き方を知る。

かつての友、三影英介との決闘。
地獄の影、怪人軍団に立ち向かう10人ライダー。

時空破断システムの圧倒的な力を前に挫けそうになった時、先輩たちの生き様を胸に、悪の渦を断つべく突っ込むZX。

「俺の体は今日のためにあった事を、あなた(V3)が教えてくれた。先輩…ありがとう!」

悪の組織に自由を奪われ、平和な営みを奪われ、あるいは命すら奪われた存在、仮面ライダー。
悲しみを、復讐を乗り越えても、人間に戻ることはない体に何が残るというのか?

否、残るものはあった。人々を苦しめる巨悪に立ち向かうために、戦えない全ての人々のために、この日のために、この体はあったのだ。

初代ライダーから脈々と受け継がれてきた物語、改造人間・仮面ライダーが抱える永遠の命題。
そんな仮面ライダーに常に寄り添ってきた生みの親、平山亨。
その最後を迎える作品に相応しい結論を出し、ZXは仮面ライダー10号となった。

「ZX。君に我々9人は助けられた」
「君は我々の仲間、仮面ライダー10号だ」
「おめでとう、仮面ライダー10号!」

「俺は…仮面ライダー10号!!」

この作品の視聴率が良ければ、例えば15%などの高数値が残せれば、宿願のTVシリーズに、という道もあった。
だが長年TVに姿を見せなかった仮面ライダーシリーズ、そして正月といえども早朝の時間帯では厳しい戦いであった事は否めない。

しかし、そのラストはとても美しい。
あくまで結果的にではあるが、歴代のシリーズ制作に携わった人々の想いを胸に──


平山Pの仮面ライダーシリーズは、グランドフィナーレを迎えた。




終幕:時よ止まれ 夜よ明けるな

ZXの正月特番は、平山ライダーの終焉であると同時に、平山Pの定年退職*51を記念した作品でもあった。

シリーズの代表曲『レッツゴー!! ライダーキック』をバックに暮れなずむ夕日に佇む9つの影、仮面ライダー。

呼ぶ声に応え、手を振る9人を見つめる村雨良。仮面ライダー10号に、もはや迷いはなかった。

「素晴らしい仲間たちだ。俺は9人の勇気に、自分の生きる道を見つける事ができたんだ」

それは、かつて9人の男たちも見出した答えに違いない。
人ならざる体に改造された仮面ライダー。そんな改造人間だからこそできること、生きる道。

スカイライダーが人々の夢と希望を乗せて大空を翔けたように。
スーパー1が人類の未来を宇宙に託して自ずから改造人間となったように。
この体だからこそできることに、誇りを持って。


夕日の向こうに消えていく仮面ライダー。
こうして、ひとつの時代は終わりを迎えたのである。

スカイライダー、スーパー1、ZX。通称「昭和2期」。

先輩7人ライダーの世界観を受け継ぎながらも、新たな独自性を多数盛り込んだ挑戦の3部作。

その活動期間は1979年~1984年。実数ほぼ4年の、84年の正月に跨った足掛け5年。
それは奇しくも、1971年~1976年、最後の76年の正月特番で足掛け5年となった昭和1期とほぼ同じであった。

そして、平山ライダー、大野剣友会ライダー……人により呼び名は様々だが、初代から大部分を共通した製作陣で産み出し続けてきた10人ライダーの世界は、その輝かしい歴史にピリオドを打ったのである。


仮面ライダー、不滅のヒーローたち
またこの世に危機の訪れる時、再び現れてくれるだろう


さらば、われらの仮面ライダー!





アニヲタWiki(仮)

昭和2期(仮面ライダーシリーズ)





おわり

この項目が面白かったなら……\ゼクロス!/


























仮面の歴史が、また1ページ。








+ Long Long ago 20th Century




              

              
              


1986年。
ようやくビデオの映像ソフトや再生環境が一般家庭にも普及し始めた頃。
それにより再放送くらいしか出会う手段の無かった過去の名作たちを映像ソフトで見直し改めて評価される「レトロブーム」が到来。
当然その中にはわれらの仮面ライダーの姿もあった。
歴代シリーズのビデオはかなりのセールスを記録し、更にはシリーズ15周年を記念してテレビマガジンが発行した『仮面ライダー大全集』が大ヒットを記録し、ブランド力の健在が証明されつつあった。

それにより東映は再度の仮面ライダーのTVシリーズを提案。


1986年3月、嘱託職員として東映に残っていた平山Pは石ノ森章太郎と共に企画書を制作。
タイトルは『キミは仮面ライダーをみたか?!』
再びの原点回帰を目指し、当時の最新技術で本郷猛=仮面ライダーの世界をリファインするという内容だった。
石ノ森氏も企画には意欲的であったが、『超時空要塞マクロス』や『装甲騎兵ボトムズ』などに代表されるリアルロボットアニメが隆盛を迎えていた時勢からスポンサーなどの反応が芳しくなく、同企画は頓挫。更に数ヶ月が経った。

そしてここに至り仮面ライダーシリーズは初めて平山Pの手を離れ、共に『秘密戦隊ゴレンジャー』などをプロデュースし、当時は宇宙刑事3部作に始まる『メタルヒーロー』シリーズをヒットさせジャスピオンやスピルバンの苦戦で四苦八苦していた吉川進プロデューサーが企画を掌握。

吉川Pは手始めにいわゆる平山ライダーとは世界線を共有しない*52独立した作品とする事を決定。
スタッフにもメスを入れ、自身と共に当時のメタルヒーローを支えた人員を中心に制作体制を刷新する。
かつてゴレンジャーのアクションが大野剣友会からジャパン・アクションクラブに入れ替わった時のように、それは実行された。

ZX特番のスタッフで残ったのは、効果音の大泉音映(阿部作二)と、スーツを担当したレインボー造型企画のみ。

スーパー1以前のスタッフは、一部の監督や脚本がいくらかサブで担当しただけ。

ファンが愛した泣き虫プロデューサーの面影も、サムライ集団・大野剣友会も、時代劇のような安心感ある菊池俊輔の音楽も、もうそこにはなかった。

ライダーシリーズの歴史をつなぐのか。
ピリオドを打つのか。

この、徹底した過去を葬るとでも言わんばかりの人事は、当然ながら賛否両論の的となった。

何が正しかったのかは、かつての歴史をただ俯瞰するのみの我々には、決して断言はできない。

確かな事は、従来の流れを断ち切った新たな作品として、再び仮面ライダーが誕生した事。

そして、紆余曲折を経て、令和の現代(いま)までシリーズが続いているという事実のみである。


そして石ノ森章太郎はもう4回目くらいの原点回帰を目指して「仮面ライダー0号」を提案。
最終的な完成形は、従来の仮面ライダーの強化スーツ的印象を廃した、神経の森に肉の大地が震えるような、生物的な筋肉が露出したボディライン。
真っ赤な目に、黄色のストライプ
そして、鈍く鉛のように、力強く輝く、黒いボディ。

1期を継いだ2期までの流れを断ち、新たに始まる第3期*53
時を超え、空を駆ける、黒い勇者の伝説が始まろうとしていた。


仮面ライダーシリーズ

つづく




余談

  • 谷間の世代という風評で判断されがちな昭和2期シリーズであるが、繰り返し述べた通り実際にはファンの復活を待ち望む声によって復活を果たしたファンに愛され、多大な支持を得たライダーである。
    ファンクラブの想いと活動によって誕生し、最終的に遊園地巡業からTV放映にまで漕ぎ着けたZXはその最たるもの。各作品の苦戦は、TV局などの時代の都合に依る部分も大きい事には留意されたい。
    (どの世代、どの作品にも言える事ではあるが)根強いファン層に支えられた3部作である。

  • とはいえ、いわゆる昭和ライダーとされる集団の中では不遇を囲っているグループである事も、また否めない。
    これは前をシリーズの本家本元である栄光の七人ライダー、後ろを過去作を知らない独立した時代で独特のファン層を形成しているBLACK二部作という物凄く濃ゆいグループに挟まれているゆえ。
    グッズなんかも大体この2グループの後か、スルーされるかのどちらか。
    • 昭和1期の7人ライダー世代には飛行や特殊武器といった挑戦要素やコミカルに振り切った作風が「何か違う」と言われ、時代をゼロから始めた独立部隊の気骨があるBLACK世代には自軍を引き立てるための叩き台として(例え見ていなくても)直近の比較例として下に見られやすいという、三兄弟の真ん中の次男のような微妙な立ち位置なのである。

  • とはいえ、なんだかんだと各々1年に渡るTV放映や企画展開で人気を得た実績はあり、飛行・ファイブハンド・忍者武器と各々の特性がはっきりしているので、後年の映画の戦闘シーンなどではそれらを活かした描写がしやすいグループである。
    • 飛行描写がCGで表現できるようになったスカイライダーは(扱いがよろしくない場面もあるが)、映像技術向上の恩恵を得ていると言える。ただしセイリングジャンプやキック技の初期のステレオイメージに基づくものばかりなので、フルCGで3点ドロップ辺りの後期の投げ技スタイルを見てみたいファンにはやや物足りないかもしれない。

  • 主役が歴代シリーズでも10本の指に入りうるほどに俳優業が大成した役者であり、後年の作品への出演やファンイベントの開催などが難しいというのも背景にある。
    村上弘明・菅田俊両氏の出演作品を調べてみると、その凄さが分かるだろう。
    • その間隙を縫うように世代の代表として2010年代の中頃まで孤軍奮闘していたのが9号の演者なのだが…お察したもれ。それを補うかのように近年は『スーパー1』で草波ハルミ役だった田中由美子女史が積極的にSNSを通じて他の特撮関係者との交流と発信を行っている。代表してインタビューを受けるのはもう一人の主役である中屋敷さんというパターンも増えた。
    • 近年の50周年イベントでは無理ゲーだと思われていた村上弘明と菅田俊に加えXライダー・速水亮のトリプルライダーがトークイベントを行うという奇跡が起こったのだが、今度は9号が事実上難しくなってしまい、当時からずっと3人の足並みが揃わないグループである。
    • むしろ多忙な俳優業の合間に村雨良として2度も復帰し、ゲームなどでも声を当てている菅田氏が物凄いとも言える。これもひとえに氏のZX愛がなせる業であろう。

  • なお3作品のキャラ同士の共演歴は『ZX特番』での沖一也と村雨良のみ。作品外のイベントなども勘定に入れればスカイ→スーパー1の引き継ぎイベントでは両者が顔出しで出演し握手を交わしている。
    残る筑波洋と村雨良は前述のトークイベントくらいだが、演者の村上弘明と菅田俊はライダー作品外の共演歴が非常に多く、親交が深い事で知られている。
+ 閑話:8号と10号 筑波洋と村雨良の思い出
両雄の物語は『スーパー1』オーディションの時まで遡る。オーディション当時は当然スカイライダーは制作中の放映中。
村上弘明は撮影の合間にその風景を高所に陣取った仮説のメイク室で見ていた。
そこには高杉俊介と菅田俊、最後に残った2人の候補者の姿があった。
殺陣師の岡田勝と談笑しながら様子を眺めていた最終審査。「彼ちょっと藤岡系の顔だよな」などと軽口を挟む岡田氏に空返事しつつ、村上氏は内心「どちらかといえば菅田さんの方が良い」と思っていたが、主役の自分が選考に与える影響を懸念し口出しは控えた。

菅田氏は当時のオーディションを振り返り「時代劇調で芝居くさかった」と苦笑するが、それでも最高だったと村上氏は請け合った。

その後、2人は時代劇や刑事ドラマで数多く共演する事になる。だいたい菅田さんの方が悪役
初共演=初対面となった現場では開口一番に「よっ!ゼクロス!」と声をかけられ、仮面ライダーの絆を感じ、上述のトークイベントでは
「京都の撮影所では弘明さんに立ち回りから何まで教えていただいた」
と、先輩ライダーへの感謝を伝えた。

自宅に電話をするなどの親交もあるらしく、ある時は受話器越しに村上氏が
「いまゼクロスと一緒に仕事してるんだよ」
とご子息に話す声が聞こえ、「みんな仮面ライダーを背負って生きてるんだな」と思えて無性に嬉しかったという。

年齢は菅田氏の方が上だが、俳優としてのキャリアはその逆。互いに丁寧な口調で俳優としての技量を称え合う先輩と後輩。
あるいはもし実際に筑波洋と村雨良が共演したら、このような関係になるのかもしれないと夢を膨らませつつ、両雄のライダー作品での共演をファンは願い続ける。

  • 近年はとかく20世紀作品の全てを『昭和』で一括りにされがちであり、その中で何となく『栄光の7人ライダー』という単語は浮いて出てくるため、その他グループとして雑然とBLACK系列と混ぜられがちである。
    • ……だったが、『Wヒーロー夏祭り 2024』で歴代ヒーローと写真撮影ができる『仮面ライダー写真館』の8月8日午後の部でなんとスカイライダースーパー1ZXとまさに本項で述べたような昭和2期トリオとして登場し、このデリカシーのある区分けに熱心なファンほど歓喜し記念写真を求めて突撃した。

  • そして、2024年10月。スカイライダーが、ひいては昭和2期が45周年を迎える時分。1期シリーズを再放送していたTOKYO MXにおいて、スカイライダーの再放送が決定。残念ながら本放送時と同じ19時番組とはいかなかったが、45年の時を越え、当時と同じ金曜日の夜に、大空の勇者が帰ってくる。令和の現代となっても、人々の夢と希望をのせ、改造人間は大空を翔ぶ。
    • 2024年10月11日。金曜日の夜8時半に放送は無事スタート。当時と同じ曜日ながらより夜の深まったゴールデンの時間帯。昭和2期の英雄譚は、再び我々の前に姿を現したのである。





「よう!長い項目だったけど、最後まで読んでくれてありがとな!」
「今日は追記・修正のやり方を教えよう。これをやると、体にとても良いんだ。みんなでやろう!」
「素晴らしい項目たちだ…俺はみんなの勇気に、新規項目作成の道を見つけることができたんだ!」




追記・修正は4年間の休止期間を経て復活を待望され
好評を博しながらも大人の都合でTVシリーズを終了させられ
それでも熱心なファン活動で10号を誕生させ地道な活動の果てにテレビ放送を実現してからお願いします。



この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • スカイライダー
  • 仮面ライダースーパー1
  • 仮面ライダーZX
  • 昭和2期
  • 昭和ライダー
  • 仮面ライダー(新)
  • 10号誕生!仮面ライダー全員集合!!
  • 平山ライダー
  • 有終の美
  • 一つの時代の終焉
  • 仮面ライダー
  • 大野剣友会
  • 伊上勝
  • 中屋敷哲也
  • がんがんじい
  • 村上弘明
  • 高杉俊介
  • 菅田俊
  • 所要時間30分以上の項目
  • 所要時間60分以上の項目
  • 所要時間90分以上の項目
  • 秀逸な項目
  • 愛のある項目
  • 毎日放送
  • TBS
  • 特撮
  • 所要時間120分以上の項目
  • 長寿番組
  • 所要時間150分以上の項目
最終更新:2025年02月23日 00:57

*1 正確なタイトルは『仮面ライダー』だが、初代と区別がつかないので新聞のラテ欄では(新)がついた。近年は専らスカイライダーと言えば作品の話でも通じるので本項もそれに倣うこととする

*2 TV放映は1984年のみだが、そこに至るまでの雑誌展開や遊園地ショーを展開していた期間も含む。細かい経緯は地獄の土産にこの項目でお教えしよう

*3 ここから、初代~ZXまでの作品を「平山ライダー」「剣友会ライダー」などと呼ぶファンも多い

*4 山口暁氏が『電人ザボーガー』とのブッキングでスケジュール的に無理だった『5人ライダー対キングダーク』など

*5 これは昭和1期の先輩回でもほぼ同様の傾向ではある

*6 当然だが円盤なんてものはないし、ビデオソフトもまだまだ一般家庭に普及していなかった時期である

*7 代表例として、本放送では鳴かず飛ばずも再放送で評価され始め、劇場版まで漕ぎ着けた『宇宙戦艦ヤマト』など。1960年~70年代までの作品も軒並みリメイク作や続編が作られ、ざっと挙げただけでも『科学忍者隊ガッチャマンII』(1978年)、『サイボーグ009』(1979年)、『鉄腕アトム』『鉄人28号』(いずれも1980年)、『タイガーマスク二世』(1981年)と多岐にわたる

*8 後に村上氏は「27歳以下」と上3項目のみだと語っている。公開されている画像から要項が緩和されたか、事務所が大雑把に通達して間違えたではないかと思われる。参加者の一人である加藤寿が当時29歳だが、過去の実績から選ばれた枠として、これら要項には当てはまらない可能性が高い。

*9 22歳というのは、誕生日を12月に控えての時点。つまり、当年取って23歳だった。学年と計算が合わないのは当初村上氏が医学の道を志ずも学業に身が入らず3浪を重ねた事に起因する。つまりこの時点で大学2年生くらいの計算…ちなみにスカイライダー2話のゲストに「大学受験で3浪し人生に絶望した青年」が出てくる…まさかね。

*10 書籍によっては村上氏はこれを"第4次審査"で第3次は失念したとコメントしている場合もあるが、支障はないので本項目はバイク審査が3次試験という前提で記述する

*11 声だけの出演も含めれば、93年発売のOVA『仮面ライダーSD 怪奇!?クモ男』に再度の立花藤兵衛役で出演。95年5月にリリースされたヒーロークラブの総集編ビデオ『復讐の戦士ライダーマン!』での新録ナレーションが遺作。

*12 平山Pは後年までこの共通項に気づいていなかった

*13 『悪魔くん』『ジャイアントロボ』いずれも平山Pがライダー以前に出かけた特撮作品。なおかつ、氏の出世作として知られる

*14 よく言われる「体の色が変わったからバンクが云々」は誤り。ライダー側の飛行パターンには限りはあったが背景は都度エピソードに合わせて変えられているし、5話ではゲストの少女を乗せて飛ぶパターンも合成された。そもそも最後にセイリングジャンプを使ったのは13話、体の色が変わったのは28話で1クール以上の開きがある

*15 コマーシャル・フィルムの略。CMのMはメッセージなので広告類全般なども該当する。デジタル撮影が主流になった近代ではやや死語化

*16 現役当時は緑タンク

*17 この不調はスランプで筆が走らなかった、または長期入院による療養のどちらかとされている。惨状を見かねた阿部Pが直接待ったをかけたとも。

*18 ごうりき・ゴリガン。つまりG・G。がんがんじいの胸の辺りをよく見てみよう

*19 資料によっては6年としている

*20 既に薬師丸ひろ子がいたので、このような言い回しになっている。こっちでも"新しい1号"なのだ

*21 『仮面ライダーX』主演の速水亮(1949年11月生まれ・1969年デビュー・ライダー現役当時24歳)と同い年・『仮面ライダーストロンガー』主演の荒木しげる(1949年2月生まれ・1968年にバンドでメジャーデビュー・ライダー現役当時26歳。)とも学年は違うが同じ年生まれ。沖一也の設定年齢の27歳と比較すれば誤差の範疇。

*22 職業上30代でも40代でも別に珍しくはない。1980年当時、日本人の宇宙飛行士は存在しておらず、世界を見渡しても最年少記録は「地球は青かった」でお馴染みのガガーリン少佐がボストーク1号に乗った当時27歳。これが沖一也の設定年齢に反映されている可能性は高い

*23 参考までに付記すると、『仮面ライダーZX』(1982年企画開始)主演の菅田俊は1955年2月生まれ、『仮面ライダーBLACK』(1987年)主演の倉田てつをは1968年9月生まれ、ぐんと飛んで『仮面ライダークウガ』(2000年)主演のオダギリジョーは1976年2月生まれ。『スーパー1』と同年放送の『ウルトラマン80』主演の長谷川初範は1955年6月・『電子戦隊デンジマン』主演陣で最年長の内田直哉は1953年5月生まれ。

*24 諸々に配慮し、この事情は近年まで伏せられていた。なので2000年代あたりの書籍やインタビューなどは1953年生まれになっている

*25 30なりたての年齢にそこまで言う事もない気がするが、そこはご愛嬌

*26 実は歴代ライダーあるあるネタの一つ。変身前の服装にはそのまま演者のセンスが反映されており、取り分け一文字隼人のオシャレな着こなしは有名である。例外は漫画的な一張羅を求めれられた城茂、そもそも半裸野人のアマゾンなど

*27 氏は「中国拳法指導 北派少林拳」の肩書きでエンディングにクレジットされている

*28 下にはマットが敷いてあったが、前日の雨で水を含んで固くなっていた

*29 一方、関東圏では最高16%。平均13%。前作より順調に伸びてはいるが、金曜夜にしては…と言えなくもない数値ではあるので、後述の諸々の口実に利用された可能性は高い

*30 厳密にはシリーズの名は冠していないが、作風としてはほぼ同じ

*31 関西地区は土曜17時。いずれにせよ子供がテレビを見るには厳しい時間帯である

*32 この手の名作系は児童福祉審議会とかの推薦がついて政府の助成金でウハウハになるので飛びついた説。ゴールデンにちょっと意識高い所を誇示したかった説。同時期水曜でTBS制作の『ウルトラマン80』が上手くいかず3月で終了するので毎日放送お膝元のスーパー1が続くのが面白くなかった説。その時に円谷と揉めたので腹いせに他の特撮作品に矛先を向け、好調だったスーパー1に八つ当たり人事をブチかました説など。ろくな話がねぇ…

*33 放送が終わった年の1981年はスペースシャトルが初めて飛んだ年。つまり一也は当時の最新機に乗ったのである

*34 「歴代ライダーを出す時はテコ入れ=番組の不振だ」と散々脅されていた

*35 発売は82年8月21日。後述のネーミング発表会の後だが、製作時点では決まっていなかったので2曲ともZXの名前は歌詞に含まれていない。そう、これはライダーシリーズ初の「ヒーローの名前を冠さない」主題歌であったのだ

*36 お陰で肩が上がりにくいらしい

*37 当時は全身火傷を負った痛ましい事故の直後であり、白いチューリップ帽を目深に被っての出演だった

*38 仕事の都合で出演できないと前置きしていたが、当時はライダーの仕事を避ける傾向にあった氏としては非常に珍しい。ただし「当時に一緒に出演していたおやっさん、スタントマンの方とか……ライダーマン、それからスタッフの人……」と若干記憶がふわふわしている。大野剣友会が1文字も出ないのは仕方ないとしても、ライダーマンは作品すら違う

*39 双方に出演した石ノ森氏と高杉氏も当然のように同じ徹夜コースだった

*40 児童誌の内容にはそぐわないアダルトなドラマが多く、掲載はされなかったが、後に『仮面ライダーZX オリジナルストーリー』の名前で作品の資料や写真と合わせて書籍化。ラジオドラマは同書籍でいうところの2話(ドクガロイド登場)をベースに1話の導入部や3話の暗闇大使登場シーンを合わせた内容となっている

*41 本当は湘南を10台爆走する凄まじい案もあったようだが、さすがに待ったがかかったらしい

*42 大阪での出来事と語るインタビューもある。宝塚での興行後、次の目的地が大阪だったという解釈もできなくはない

*43 ちなみに品田氏はこの7話からの参加で、UFOサイボーグのデザインやギミックには氏のセンスが大きく寄与している

*44 その経緯から当然であるが、これらギミックはTV特番撮影時にはオミットされている

*45 あくまで菅田氏の主観であり、当時の出演作を確認しても明確に肥満と言えるような体型ではない

*46 代表的な例として「声がかかれば出ていたのに」と語る速水亮。多忙なので気を遣って呼ばなかったと平山Pが証言しており、荒木しげるも同様だったとされる。当時の観点から言えば、事務所の都合でライダー関連の仕事を断っていた藤岡弘と村上弘明、重傷の影響で隠遁状態にあった岡崎徹が「無理ゲー三銃士」とされている

*47 ちなみに初代仮面ライダーの記念すべき第1話のロケ地が小河内ダム。阿修羅谷の下久保ダムと合わせ、平山ライダーの始まりの地と終焉の地は両方ともダムだったりする

*48 当時の芸名は「健磁」

*49 当時の芸名は「豪久」

*50 映像ソフトには未収録だが、当時放送されたCMを熱心に録画していた諸先輩方の功績によって動画として発掘。自己責任で検索してネ

*51 84年3月を以て55歳。以降も嘱託として5年勤務

*52 ……と言う割には「仮面ライダー」を名乗る切っ掛けが不鮮明であったり、中盤で大きく盛り返すものの結局カチカチの原点回帰路線が上手く回らず、次回作ではエンタメ重視に切り替えて好評を博すもTV局の都合で3作目が作られない──という、『スカイ』『スーパー1』とビックリするくらい同じ轍を踏んだり、結局はスポンサー側の都合で終盤に平山ライダーを投入=断ち切ったはずの過去に頼らざるを得なくなり、肝いりの世界観リセットが崩壊するなど、吉川Pにも苦難の日々が続くのだが、それはまだ先の話

*53 放送区分上は3期という事になり公式商品なんかでも使われる言い回しなのだが、過去シリーズを知らず世界観が一新されたBLACK世代にとっては自分たちの作品こそ独立した1作目であるという自負心が強く、通し番号で括られる3期という言い回しをあまり好まない人がほとんど