維新の十傑

登録日:2025/03/05 Wed 16:49:55
更新日:2025/07/10 Thu 13:57:23
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維新の十傑とは、江戸時代末期(幕末)~明治時代初期にかけて活躍した人物のうち、代表的な10名を選び出したものである。
明治維新は約260年続いた江戸幕府が終焉し、天皇を中心とした、それまでとは全く異なる政治体制を生み出した一種の革命である。その革命においては、無事に明治改元まで生き延びた者もいれば、その過程で命を落とした者も決して少なくない。
そうした人物の中から10人を選んだというわけなのだが、これは人々によって解釈が異なる。本稿では、3種の『維新の十傑』を紹介する。



山脇版『維新の十傑』

おそらく、もっとも有名な『維新の十傑』のラインナップは、この山脇之人(やまわきゆきと)(生没年不詳)によるものであるといえよう。
山脇は、1884年(明治17)年に『維新元勲十傑論』を出版しており、そこに10名の人物が挙げられている。
以下に、その人物を表にして記す。

人物 生没年 出身地 死因
西郷隆盛 1828~1877 薩摩 戦死
大久保利通 1830~1878 薩摩 暗殺
小松帯刀 1835~1870 薩摩 病死
木戸孝允 1833~1877 長州 病死
大村益次郎 1824~1869 長州 暗殺
広沢真臣 1834~1871 長州 暗殺
前原一誠 1834~1876 長州 刑死
江藤新平 1834~1874 肥前 刑死
横井小楠 1809~1869 肥後 暗殺
岩倉具視 1825~1883 病死

ここにあげられた10名の人物は、小御所会議を経て、王政復古の大号令を達成した新政府発足時の中心人物である。それ故に、榎本武揚、勝海舟、山岡鉄舟などの「旧幕臣」はここにはリストアップされていない。
しかし、この表から新政府を構成した『薩長土肥』の四藩のうち、明らかに欠けている藩がある。そう、土佐藩である。
これは、新政府発足当時の土佐藩の代表者が板垣退助と後藤象二郎で、『維新元勲十傑論』発刊当時はいずれも存命であったためと、山脇が自由民権派、すなわち土佐藩出身者の派閥に嫌悪感を抱いていたためであるとされる。
大村益次郎と横井小楠はいずれも明治2年に凶刃に斃れた*1が、大村は陸軍の雛型を作った人物として重要な働きをしており、横井に至っては維新樹立を打ち立てた思想家としての功績が大きかったためであるといえるだろう。新政府草創期に斃れたものの、その礎を築いた功績を決して無視することのできない大村と横井がリストアップされたのではあるまいか。



伊藤版『維新の十傑』

伊藤痴遊(いとうちゆう)(1867~1938)は政治家として知られるが、政治活動の一環として講釈師も務め、小説形式で明治初期の歴史をつづった『隠れたる事実 明治裏面史』などの著作を発刊したことで知られる。晩年の伊藤が1934(昭和9)年に記した『実録維新十傑』における『維新の十傑』のメンバーは以下のとおりである。

人物 生没年 出身地 死因
西郷隆盛 1828~1877 薩摩 戦死
大久保利通 1830~1878 薩摩 暗殺
木戸孝允 1833~1877 長州 病死
吉田松陰 1830~1859 長州 刑死
高杉晋作 1839~1867 長州 病死
坂本龍馬 1836~1867 土佐 暗殺
中岡慎太郎 1838~1867 土佐 暗殺
勝海舟 1823~1879 江戸 病死
岩倉具視 1825~1883 病死
三条実美 1837~1891 病死


山脇版と共通のメンバーは、西郷や大久保、木戸らいわゆる『維新の三傑』と岩倉具視の4人のみである。肥前出身の人物が一人もいないが、これについての理由は不明である。公家や幕臣からも選出されている点にも注目したい。
また、山脇版のメンバーが全員明治改元以降まで生存していたのに対し、松陰・高杉・龍馬・中岡の4名はいずれも明治改元前に何らかの形でこの世を去っている。この四人は後述する金澤版でも選出されている。
伊藤版はややバランスが取れたメンバーの選出であるといえよう。



金澤版『維新の十傑』

金澤正造(生没年並びに詳細不詳)は、著書『維新十傑傳』(1941年)にて以下の10名を『維新の十傑』と位置付けている。

人物 生没年 出身地 死因
吉田松陰 1830~1859 長州 刑死
頼三樹三郎 1825~1859 刑死
有村次左衛門 1839~1860 薩摩 自決
高橋多一郎 1814~1860 水戸 自決
清河八郎 1830~1863 庄内 暗殺
伴林光平(ともばやしみつひら) 1813~1864 河内 刑死
平野国臣 1828~1864 福岡 刑死
佐久間象山 1811~1864 松代 暗殺
高杉晋作 1839~1867 長州 病死
坂本龍馬 1836~1867 土佐 暗殺

山脇版と伊藤版は明治新政府に寄与した政治家を中心に選出しているが、金澤版では「幕末を生きた革命家」を選出しており、のちの政府の高官が一人もいないために前者二者とかなり毛色が違うことがわかる。表を御覧の通り、メンバーは全員明治改元前に落命している。
特に、高杉以外のメンバーは暗殺や刑死などの外因死により落命していることに注目されたい。例えば、松陰と三樹三郎は『安政の大獄』で刑死の憂き目を見ている。有村と高橋は原因の遠近こそ異なるが、「安政の大獄」の後の『桜田門外の変』により落命している。伴林と平野は過激ともいえる尊王攘夷活動を行い、それにより斬首されている*2




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最終更新:2025年07月10日 13:57

*1 大村の場合、早期に治療すれば命を落とす可能性は低かったが、なかなか治療のための勅許が降りず、それが降りたころには襲撃を受けてから2か月以上が経過しており、もはや手の施しようがなくなっていた

*2 伴林は「天誅組の変」に加担した廉で逮捕され、斬首刑となっている。また平野は、やはりその尊王攘夷運動に目をつけられて、禁門の変の京都大火のどさくさに紛れて処刑されている