平家物語

登録日:2010/12/23 Thu 05:53:01
更新日:2025/06/03 Tue 20:58:58
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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。



平家物語』とは、学校の教科書に冒頭部分だけ引用されがちな軍記物語である。

かの日本古典文学における最高峰『源氏物語』が光源氏の性へk……恋を中心に、平安貴族のセックs……雅な物語を描いたとするならば、
『平家物語』は平家一門の栄華と没落を縦糸に、〈雅〉な貴族と〈俗〉な武士の人間模様を横糸に、激動の時代を奥行きとして紡がれる無常な物語であるといえる。

世間的には

「祇園精舎がどうのこうの……和漢混淆文で琵琶法師がどうのこうの……」
「ショッギョ・ムッジョ!」
「ああ、ヤシマ作戦の元ネタね」
「義経=チンギス・ハーン説」
「ギオン・ショウジャって書くとジオンの軍人っぽくね?」

──といったところだろうか。だいたい合っている。



あらすじのようなもの】

時は平安時代末期。地方の武士たちが反乱起こすは飢饉があるはで国土は荒廃。
宮中を見れば『源氏物語』時代のキャッキャウフフからは程遠く、相次ぐ権力争いからの刃傷沙汰で正にリアル世紀末状態

そんな中、頭角を現していったのが平清盛という人。

まあ、最後にはみんな消えて無くなるからどうでもいいんですけど。



【登場人物】

※ごく一部です。

《平家SIDE》

◆平清盛
平家の大黒柱で前半部分の主人公。
親の七光りと政権へのコネ、なにより保元の乱]と平治の乱における実力で大出世を遂げるも、悲壮な晩年を迎える。
最近は、貿易港としての神戸の基礎を築いたり、まとまった貨幣経済を導入したり、鎌倉幕府に繋がるシステムを考案したことに加え、温厚で情け深い人物像から、評価の見直しが行われている。

平家物語内では暴君として恐れられる風聞、残忍な処刑や拷問、度々の強引な振る舞いを描かれる。しかし恩人の息子に報恩し、人柱を静止する善行に加え、後白河法皇を幽閉する際にその違約や態度の悪さを糾弾したりする等、善性や相手側の非も取り上げるなど、善悪・清濁併せ吞む様子が描かれる。
ある意味三国志曹操ポジ。

◆平重盛
清盛の長男。平家の良心にして清盛の暴走を止められる唯一の人。
身を挺して国家安泰・御家安泰のために尽力するが清盛より先に死去。
人格者ではあったようだが、史実だと重盛の暴走を清盛が止めることも。
それでも概ね心優しく頼もしい武人であったと評価されがち。

◆平宗盛
清盛の三男で政治担当。ちなみに次男家盛はさっさと死亡。
非力の一号。お人よしで無能な二世の典型例として描かれる。
史実では軍事手腕や都落ちの手腕を含め、評価が分かれるものの、軍記物語・史実ともに家族愛の深さは共通して描かれる(地味に先立たれた嫁の子を男手で育てるイクメンな一面も)。
後述の「義経被害者の会」の会員

◆平知盛
清盛の四男で軍事担当。
知略の二号。ウィットに富んだ会話も出来る素敵な御仁。作中でも義仲と義経に並ぶ名将として描かれる。
史実でも清盛の信頼が最も厚いと評される程、人格と能力が優れていたが病弱と言う致命的な欠点があり、出撃すると勝つが、連戦激戦の末に体調を崩しがちだった。しかし水島合戦に代表されるように、出撃した時の圧倒的な軍略は天下一品。

平治の乱以降に武蔵(東京周辺)の知行国主となり、十数年に渡って兄の重盛、忠臣の伊藤忠清などと共に坂東武者を配下にしていた。しかし鹿ヶ谷の陰謀治承三年の政変の影響で統制を失った。この点では批判される余地を否定できない。ただしこの時、畠山重能(後の有力御家人である畠山重忠の父)ら配下の坂東武者を処断せず帰郷を許すなど、彼なりに思うところはあったらしい。

◆平重衡
清盛の五男でこれまた軍事担当。頼朝からも認められるくらいの人物で、更に美男子
奈良で好き放題する僧兵を鎮圧しようとした際、東大寺の大仏を燃やしてしまうと言う大ポカをやらかしてヘイトを集めた結果処刑。

◆平維盛
重盛の息子で軍事担当……なんだが肝心の戦で運がない。ある意味平家の末路の象徴。
父・重盛から越前、遠江の知行国主を受け継いでおり、よりにもよって頼朝と義仲の進撃路の行政と軍事を担当していたのが運の尽きであった。近江周辺での攻防では勝ち戦もそこそこあるが、富士川と倶利伽羅の2連敗で弱将のイメージが強い(そもそも富士川は情勢不利による戦略的撤退、俱利伽羅は敵のホームグラウンドと稀代の名将、後の旭将軍が相手なので仕方ないが)。

◆平教経
清盛の弟・教盛の子で弓の名手。通称「能登殿」。平家の武の象徴のような人。
義経の「八艘跳」を演出した人。ただし史実での活躍は曖昧。

◆平敦盛
清盛の弟・経盛の子で十七歳くらいの美男子。笛とか上手い美男子。ギギギギ。
織田信長が好んで舞ったという『敦盛』のモデルの人。
『敦盛草』と呼ばれる栽培が非常に難しい幻の花もある。

◆平時忠
清盛の妻・二位尼の兄。平氏ではあるがだいぶ遠縁。
「平家にあらずんば人にあらず」と言った人だが、政治家としてもかなり有能な人。
平家滅亡後も何とか命は助かった。平家滅亡後に娘を義経へ嫁がせるなど、政略では光るものがある。
しかし癖の強い人格、政略に偏る面から、度々と問題・失敗も見られる。

◆平頼盛
清盛の弟。頼朝の命乞いをした清盛の義母・池禅尼の実子。
勝てないと見て平家が西国に逃げる中で置き去りにされたため平家を離脱。
助命の恩もあり、また朝廷とのパイプ役が欲しい頼朝に保護され、壇ノ浦の戦いの翌年にひっそりと死去した。

◆平忠度
清盛の末弟。薩摩守。源氏の武士を上回る武勇を持ち和歌にも通じていた文武両道の超人。
死んだときは敵味方から惜しまれた。
読みが「ただのり」のため、キセル乗車の隠語「薩摩守」の由来にも。

◆悪七兵衛景清
平家の武士で腕力が尋常じゃない人。強い。
地獄から甦って仇敵の源頼朝を倒しに向かったりロボット兵器のモデルになったりもしたが、それはまた別のお話。


《源氏SIDE》

◆源頼朝
ご存知、鎌倉幕府の人。THE征夷大将軍!武家の棟梁!!源氏の嫡流!!!……が、そんなに登場しない。
兄より優れた弟の不可実在理論」の信奉者とか、配下が優秀なだけ、義経への扱いが散々、冷血非情な政治家、と一般での評価は芳しくない。

だが史実においては、先進的な統治制度や組織づくりの精巧さ、最善でなくとも妥当な手を打つ堅実さ、可能なら敵方でも配下へ取り込もうとする懐の広さ、なにより海千山千の猛者が集った治承・寿永の乱の最終勝者となったことから、高く評価されている。
また肉親へのダダ甘な面があり、そのせいで痛い目や辛い決断にあったことも多数。
一方で猜疑心が強く、親族や御家人を粛清しまくったことも事実。
その勢いは度が過ぎたか、気付けば肝心の源氏嫡流が絶滅危惧種になってしまった。

◆源義朝
清盛初期のライバル。保元の乱では清盛とともに活躍するが、平治の乱で仲違い。
仲違い以降は清盛の策略に敗れ、一説ではかつての配下に裏切られて殺された。遺言は「我れに木太刀の一本なりともあれば!」
なお当の裏切者は、清盛に激怒・軽蔑・罵倒され、頼朝には一旦召し抱えられてコキ使われた挙げ句に拷問・処刑される因果応報な末路を辿ったとも……

◆源義経
ご存知、頼朝の弟(厳密には異母兄弟)。後半部分の実質的主人公で八面六臂の大活躍。
それ故にお兄ちゃん2人や御家人から疎まれることに。合言葉は「門出良し!」。
平家物語もそうだが、むしろ後代の「義経記」や歌舞伎などの派生作品で活躍や美談が盛られまくった。
(FGOアニメでも採用されたド派手な宝具「壇ノ浦・八艘跳」も、元を辿るとただの逃走だったりする)

史実では戦術眼、在京活動、都での評判などは評価はできるが、平家物語とは違った意味での傍若無人、無思慮、残虐をやらかす困った側面も散見される。最後は兄と対立して九州へ都落ちを試みたが失敗し、放浪の末に奥州藤原氏を頼り、そこで裏切られてその後は…… チンギス・ハーンになったとかいう有名なホラ話もある


◆源範頼
頼朝の異母弟で義経の異母兄。よく義経と一緒に出陣するが一般的な知名度は低い。
史実で任されてた役割は義経以上に重要なものもあったのだが。活躍を奪われたり、手柄を横取りされたり、人格と手腕まで貶められたりと、さながら三国志演義の「孔明被害者の会」ならぬ「義経被害者の会」の筆頭。
ただし義経滅亡後は彼もまた頼朝の猜疑心により……
「義経被害者の会」の筆頭は「頼朝被害者の会」の一員でもあった。

◆常盤御前
義朝の妻で義経の母親。清盛の妾となって生き長らえ、このため義経は命を助けられる。
昭和時代、妾になった妻にも親権を認めるべき!!と常盤御前を引き合いに出して説いた弁護士にちなんで「常盤御前判決」と言われた裁判がある。

◆源義仲
「木曾義仲」とも。幼少期に、父の源義賢が甥の悪源太義平 (源義平、頼朝の兄にして義朝の嫡男)に討たれ、自身も九死に一生を得る。そこを坂東武者の斉藤実盛らに救われ、信濃で匿われた。治承・寿永の乱にて挙兵し、北陸を中心に圧倒的な軍才と人間的魅力で暴れまわった。やがて鎌倉の頼朝と対立しかけるが、息子と娘の縁組みを行うことで(一旦は)和睦し、上洛を目指す。

俱利伽羅峠の戦いで平家を破り、恩人の斉藤実盛の犠牲に涙を流しつつ、京都から追い出した……までは良かったが、京都の貴族世界に慣れず粗忽に振舞い続けてしまう。皇位継承に口を出したり、軍勢の統制に失敗したことから朝廷の信望を失い、トドメに水島合戦で逆襲を誓った平家に渾身のカウンターパンチをもらって完全に没落した。

追い詰められた後も、上手いこと朝廷との話をはぐらかしたり、腹を決めて法皇を幽閉し、平家や奥州藤原氏との連携を模索するなど必死の抵抗を見せる。だが実らず範頼と義経らを筆頭にした鎌倉の大軍には敢なく敗れ、壮絶ながら男らしい最期を遂げる。

◆巴御前
義仲の愛人。並の武将より強く、義仲の部下が残り5騎になっても従っていたほど。
全国に墓がある。

◆梶原景時
源氏の武士。義経のやんちゃを頼朝に告げ口するお目付け役だがおかげでヒールに。
人にとっては彼を「頼朝の意向を忠実に実行させるための政治将校」と評価するものも。
もっとも彼は義経以外のほとんどの御家人からも恨みを買っており、その末路は奇しくも義経と似たものとなる。

◆那須与一
源氏の若手スナイパー。ピンヘッドもお手の物。
でも出番はそこしかない。ヒラコーの漫画でめっちゃ生き生きしてる。

◆武蔵坊弁慶
空気。いるだけ。
主を守るべく奮戦し、立ち往生した最期で知られるが、よく似た話が三国志の典韋(曹操に仕えた豪傑)にも見られる。
主を守り切った典韋に比べるのも酷なので、ここは弁慶の勇気を賞賛したい。


《その他》

◆後白河院
絶賛院政中で朝廷のトップ(治天の君)。よく幽閉されるが、水面下では……?

史実での評価は割れに割れ、血も涙もない謀略だらけの天狗だの、教育係からは稀代の暗君だのと評価される。
関係が良好だった頃は、清盛と共に宋人(皇族が外国人と接触するのは良い行いとされない)へ面会したり、個人として親しかった重盛を見舞ったり、ひたすらに今様(歌謡)へ熱中するなど、面白いエピソードに事欠かない。

◆俊寛
平家一門相手にクーデターを起こそうとして失敗し流刑になったまではよいが、強がったあまりに流刑になった後がみっともない。
番外編で救済される辺り捕まった他の面々に比べてまだ幸せな部類か。

◆安徳天皇
わずか八歳で壇ノ浦に散った御方。いわゆるショt<!---不敬罪により削除・粛清されました--->
後鳥羽天皇と在位が重なった時期がある。何気に戦乱により死亡した唯一の天皇。
海の底の都で極楽に過ごしていることを、ひたすらに願わずにいられない。

◆文覚
頼朝に平家打倒を勧める破天荒な怪僧。若い頃に無茶をしまくった。口が悪い。本名は遠藤さん。

◆祇王&仏御前
うわさのフォークデュオ。低い。


【物語の発展】

繰り返すが『平家物語』は主に“平家の”物語である。が、時代が下っていくにつれ、

「刀や弓でチャンチャンバラバラやってる方が面白い」
「義経の逆落としカッコイイ!」
「頼朝に狙われて義経可哀そう」
「敦盛マジ人間五十年」

など本筋以外の所──義経関係や壮絶な最期を遂げる人──にやたらと人気が出てきて、結果大量のスピンオフ作品・派生作品が作られていった。
あれこれそれみたいなことは昔からあったのだ。

最初にどこでどうやって成立したかすら仮説の域を出ていないのが実情である。
同時代の『愚管抄』『玉葉』と言った九条関白家視点の資料と共通部分が多い事から、彼等に近い人物が『怨霊鎮魂』『戦死者の慰霊』『仏教の布教』を兼ねて制作した可能性が高いと言われている。
比較的有力な人物としては、源義経や義仲の右筆(代筆担当の秘書役)だった人物が候補。
その上、『平家物語』自体も多くの人の手により増補・削除・編集を繰り返し洗練されていった。
特に『耳なし芳一』の怪談からも分かる通り盲目の僧の副業である琵琶法師の語り芸の演目でもあったのでそういった者達が演じる際には独自アレンジが施され易かった。
異形なものになると歴史資料やら中国古典やら噂話やらを参照しながら増補を繰り返し行い、当社比で三倍以上の分量になるものまで現れた。
執筆者の執念を感じる作品である。冗長? 知りません。

こんな状態なので、中身が史実であるか否かは限りなく疑わしい…というより、史実でない要素がかなり入っていると思っていい。
壇ノ浦の戦いなど、平家物語ではドラマチックに描かれるが史料性の高い公式な史書ではちょびっとしか書かれていなかったりする。
この時代の史料自体が割と乏しく平家物語だけに詳細に収められている部分も多いため、「信用性は乏しいが、少ない史料の穴埋めにはある程度使える」と言った所である。

しかし、怨霊鎮魂や戦死者の慰霊、そして布教の為に、琵琶法師が全国で語って回った事で日本語の統合と言う面では非常に貢献している
ラジオもテレビも無い時代に関白家が集めた資料を元に語学力と文筆に優れた貴族が書いた面白い物語が津々浦々で公開されるのだ。
娯楽の少ない時代の人間なら夢中になって聞き入り、知的好奇心も刺激されるだろうし、そこらの悪ガキも源義経や木曽義仲と言った英雄・勇士の活躍に興味を持つだろう。
しかも、仏教知識のみならず、歴史や軍事、地理と言った社会科の教材として有益な内容を多々含んでいる。
遠く離れた土地に旅行するにしても「取り敢えず平家物語の真似をして話せば意思疎通が出来る」「共通の話題を平家物語の有名場面から引用出来る」と言うのは計り知れないメリットなのだ。

おかげさまで日本全国に「巴御前の墓」や「平家落人の里」ができることにもなったが。


【備考・余談など】

義経が持つショタっ子のイメージは幼少期の頃を描いたスピンオフ作品から来るものである。

特に謡曲「鞍馬天狗」はヤバイ。マジヤバイ。
年老いた大天狗が年端もいかぬ牛若丸(=義経の幼名)に恋慕してしまう話なのだが、この牛若丸の可愛らしさときたら!

いじらしさと愛くるしさを兼ね備えた牛若丸は最強に見えて、その上晴れ着を着たときの艶やかさは幻想的にエロい。
大きなお姉さんと一部の大きなお兄さん垂涎である。

声高らかに断言しよう。


牛 若 丸 は 、 シ ョ タ で 、 エ ロ い 。


平家が用いた赤旗、源氏が用いた白旗は、体育で使う紅白帽の色の元ネタになったと言われている。
紅白歌合戦の「紅白」も、この赤旗・白旗に由来。

1993年から1995年までNHKで『人形歴史スペクタクル 平家物語』が放送された。『人形劇 三国志』と同じ川本喜八郎が人形美術を担当しており、森本レオが出演している。
ちなみに本作品は2022年には大河ドラマの鎌倉殿の13人の放送に合わせてか、2022年8月9日早朝から11月17日未明(16日深夜)までNHK総合にて、深夜から早朝の時間帯に再放送が断続的に実施されていた。

また、2022年1月からは古川日出男が現代語訳した『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09 平家物語』を底本にしたテレビアニメ版がフジテレビ系列で放送されている。制作はサイエンスSARU。




追記・編集・その他何でも宜しくお願いします。

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最終更新:2025年06月03日 20:58