登録日:2022/07/10 Sun 23:44:38
更新日:2025/04/19 Sat 20:00:16
所要時間:約 50 分で読めます
「鎌倉殿の13人」(The 13 Lords of the Shogun)とは、2022年放送の第61作目の
大河ドラマである。
◆概要
舞台は平安時代末期から鎌倉時代。
主人公は鎌倉幕府宿老13人の1人であり、2代執権となる
北条義時。
伊豆の豪族の次男坊だった純朴な青年が、流人・
源頼朝と出会ってしまった事で、武士の頂点かつ日本の天下を手に入れる過程を描く。
源平合戦から御家人間の内紛、そして前代未聞の賊軍が勝利する
承久の乱を描いた。
源平モノは2012年「
平清盛」以来10年振り、鎌倉幕府草創期を描いた大河としては「草燃える」以来43年振りである。
ちなみに鎌倉時代中後期を扱った大河は「北条時宗」と「太平記」しか無いため、両作まで観れば執権北条氏の始まりから終わりの全てが分かる(時代もほぼ連続している)。
タイトルの「鎌倉殿」とは、東国武士政権、所謂「鎌倉幕府」の棟梁を指し、特に初代鎌倉将軍である源頼朝と深く結び付いた言葉。
「13人」とは頼朝の死後、2代将軍頼家の補佐役として設置された「13人の合議制」を指すが、この13人にも色々な意味が込められているらしい。
大河ドラマでアラビア文字が使われるのは初であり、英題が用意されているのもまた初。今までの大河にない、色々と新しい試みが実践されている模様。
音楽を「
ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のエヴァン・コール氏が担当しているのもその一環か。
出演俳優は三谷氏脚本の「新撰組!」「真田丸」などに出演した三谷組の俳優や、同時代を扱った「平清盛」の出演者が多い。
近年恒例の声優出演もある。
◆作風
三谷氏お得意のシットコムなホームドラマ……に見せかけた
無法ドラマにして、ダークかつ陰惨な粛清劇。真田丸の豊臣家を思い出せば大体あってる。
三谷氏曰く
「原作は吾妻鏡」。同書にある記述を描きつつ、行間の詳細が不明な部分は制作側が大胆な想像力を巡らしてドラマを作っている。
そのためか、「
平家物語」や「義経記」で伝わる有名なエピソードも「吾妻鏡」に記述がなければカット・変更されることも多い。
公式サイトに「華やかな源平合戦」などと記載されてはいるが、メインは
凄惨な鎌倉幕府の(しかも縁戚関係が多い身内同士の)内ゲバと、朝廷勢力との相剋である。
「鎌倉殿の13人」なるタイトルも「南総里見八犬伝」のような「集まった13人が平家や朝廷に立ち向かう!」ような意味合いはなく、
「
今から13人に殺し合いをして貰います」の方が近い。本邦初の
デスゲーム大河。
まあ、1話目から幼児が抹殺されてるしな……。
物語序盤の敵は平家ではあるものの、初期から内紛や朝廷との激突を連想させる伏線が、数多く張り巡らされている。
初めのうちは考えの読めない頼朝と、彼に巻き込まれる小四郎(義時)によるコメディ大河の雰囲気ではあったが、
次第に血滾る合戦どころか、暗殺、誅殺、謀殺が当たり前のように展開される血みどろのアウトレイジと化した。
また、「平清盛」同様天運や呪詛が真面目に語られ、(本当に超常現象が起きているのかはともかく)物語を動かす展開が多い。
平安末期から鎌倉時代初期の人間は占いや呪いの存在を前提として考えているため、八卦で今後の指針を決めたり、
天命厨な義経ファンボーイが出たり、頼朝の夢枕に後白河法皇の生霊が出てきたりする。本能寺で姪の生霊を見た? 知らない子ですね。
ある時期からは
殆ど毎話、名有りキャラが死んでいくサスペンス劇場の様相を呈し始め、
特にいい人に限って碌な結末が待っていない。
まあだからといって「憎まれっ子世に憚る」わけではなく、大半の悪い奴も碌な末路を辿らないのだが。
そんな作風のためか、
サザエさん症候群とは別種の意味で日曜夜を憂鬱にさせる番組との声も。
えげつない展開の度に繰り返される
「三谷には人の心がない……」←「原作(吾妻鏡)にそう書いてある」のやり取りはもはや様式美。
戦国・幕末とは異なり、ややマイナーな時代背景である事も手伝って、「予測不能のエンターテイメント」と銘打たれているほか、
「ネタバレ注意」といった歴史モノらしからぬ警告が公式サイトで確認できる。
本作はSNSでの反響が非常に大きく、25話連続でTwitter世界トレンド1位を獲得するなど毎回大きな話題を呼んでいる。
オリジナルの展開を見せつつも最終的に絶妙に史実のエピソードに回帰する、
「あの事件の裏ではひょっとして本当にこんなことが!?」と思わせる辻褄合わせの秀逸さは「三谷マジック」と呼ばれ本作の大きな魅力となっている。
「吾妻鏡」とは?
鎌倉幕府が編纂した北条得宗家のプロパガンダ公的歴史書。
以仁王と源頼政による挙兵から第6代将軍・宗尊親王京都送還、年号にして1180年から1266年までの出来事が記されている。
同時代を研究する上で第一級の研究史料なのだが、明らかに曲筆が目立ち、本当なのか怪しい「史実」が満載である。
- 頼朝落馬辺りの記事が欠落
- 2代将軍の頼家の評価はボロクソ
- 持ち上げ感半端ない畠山重忠の勇姿
- 初代執権の時政追放は「仕方なかった」風な描写
など、北条得宗家寄りの視点で記録されている。
……が、それにしては政子の「後妻打ち」などのやべー逸話や義時の謀略の数々、和田合戦で二日酔いの泰時の記事など、
「(プロパガンダ的な意味で)それは書いていいのか?」と聞きたくなるような、ある意味で歴史書らしい内容も散見される。
上記のとおり本作の原作ではあるが、そのままドラマにするとお茶の間に流せなくなるため、
(これでも)視聴者に配慮して内容が和らげられている所もある。
◆その他
そんな時代設定ではあるが、近年は鎌倉・室町ブームが熱く、
- 同時代を描くアニメ「平家物語」
- 元寇テーマの「Ghost of Tsushima」や「アンゴルモア元寇合戦記」
- 鎌倉幕府滅亡から始まる「逃げ上手の若君」
- 鎌倉北条氏の名跡を継いだ後北条氏の始祖を描く「新九郎、奔る!」
- 室町時代に活動した実在の能楽師・犬王の活躍を平家物語を絡めて描くアニメ映画「犬王」
が本作の放送と並行して展開している。
北条氏の将来を辿れるほか、平家側の悲哀、鎌倉幕府の更なる内ゲバ、武家以上におかしい皇室や公家などを見る事が出来る。
北条に限らず、「鎌倉殿」に登場する武家や公家は、後世で活躍する一族の黎明期であり、意外な先祖や子孫の関係を楽しめるだろう。
ちなみにNHKもこの流れを意識してか、1993年から1995年に放送された『人形歴史スペクタクル 平家物語』を8月から11月まで、深夜から早朝の時間帯に再放送を断続的に行っていた。
本作の舞台は言うまでもなく現在の
神奈川県であるが、同年4月~9月に放送されていた
連続テレビ小説の『ちむどんどん』も途中から神奈川県(横浜市鶴見区)が舞台となっていた。
そのため、神奈川県内では「
朝も神奈川、夜も神奈川」というキャッチコピーを使い両作品を並べた独自のポスターを見ることができた。
序盤の舞台は
静岡県の伊豆半島。来年の大河でも浜松や駿府が出ることが予想されるなど恵まれている。
なお、本作後半の怒涛の展開から、あちらに掛けた
『しぬどんどん』というとんでもないワードも生まれた他、
他の朝ドラに掛けた『あさしんが来た』、『全部、黒い。』、『トウ姉ちゃん』、『ちゅうさつ』、『おかえりホネ』、『シヌシヌエヴリバディ』、『死にやがれ!』などのワードが生まれる等、大喜利大会と化している。
◆登場人物
大体みんな族滅する。
本作で生き残っても
「北条時宗」や「太平記」で跡形も無く族滅する可能性が高い。
前作「青天を衝け」では「みんなが幸せなのが一番」がテーマだったが、
本作は
「ほとんどの登場人物が不幸になる」と囁かれている。
それは
勝者側とて例外ではない。
運が良くて流刑ってどうなってるんだ
なお、本作においては登場人物が名乗る際に「ほうじょうのときまさ」のように苗字と名前の間に「の」を入れて名乗っている。
「源頼朝には『の』が入るが足利尊氏には『の』が入らない」という覚え方をしている人もおられるだろうが、
平安時代においては本姓と苗字の区別が曖昧であり、苗字の後にも「の」を入れていたという近年の研究を反映したものになっている。
本項におけるルビは本姓と苗字を区別した一般的な呼び方で統一する。
北条家
伊豆の豪族。
平家同様、本姓は桓武平氏(という事にされている)だが、その辺は特段取り沙汰されない。
平凡かつアットホームな武士の一家だったが、娘の政子が源頼朝と結婚したことで、奇しくも天下人への道を歩む事になる。
頼朝を支え鎌倉の有力御家人となりながらもアットホームさは保ち、仲良く餅つきをしていた……のだが、頼朝が倒れた途端に家庭崩壊を引き起こし始めた。
なお、北条早雲等の武将が有名な、戦国時代の後北条氏とは無関係。
・北条義時(演・小栗旬)
本作の主人公。通称
小四郎。
鎌倉幕府2代執権。
13人の宿老の1人。
本朝開闢以来の
究極の朝敵にして、天皇廃位と三上皇の配流を成し遂げた唯一の人物。
「多分……(皇国史観的に)日本史上こんなに悪いことした奴はいねぇよ……」な人物なのだが、
父や姉、義兄といった周囲に濃い人物が多すぎるせいで、相対的にマイナー寄りの扱いをされている天下人。
ちなみに、「父親を追放する」「最終的に下克上のような形で北条の天下を招いた」という点から「冷徹な策略家」扱いされがちだが、
近年では本作の義時のように、
「当人に野心はさほどなかったが、激動の時代に降りかかる火の粉から自分や親族を守っていたら最高権力者になっていた」
「頼朝が彼の人生に関わってこなければ、一介の東国武士としてその生涯を終えていた」
と、まるで巻き込まれ系主人公のような人物(人生)であったとされることも。
物語序盤の彼は、伊豆の豪族の次男坊。
温厚かつ心優しいごく普通の若者であり、武芸よりも米勘定などの裏方を好む朴訥な性格。
ただ序盤で頼朝が坂東武者を露骨に田舎武者扱いする舐めた態度を取った時は、語気を荒くするなど坂東武者らしい一幕もあった。
良くいえば人当たりが良い、悪く言えばお人よし過ぎるため、いろんな人間に振り回されがちな巻き込まれ体質の苦労人。
欲しいものを聞かれても「わからない」と答えるなど、我欲に乏しい性格であり、最高権力者となっても私怨で粛清・報復等を行うことはほぼなく、
承久の乱直前、かの有名な政子の演説でも、
「確かに義時は今まで憎まれるようなこともしてきたが、それはあくまでも鎌倉を守るためであって、私欲に走ったことは一度もない」
とそれまでの行いを評され、それを聞いた坂東御家人たちからも、表立ってそれを否定する声はなかった(『尼将軍』に面と向かって異を唱えるのはハードルが高いという理由もありそうだが)。
一方で、
ストーカー一歩手前な八重への求婚など、奇行に走る側面もある他、「女子はキノコが好き」という謎の思い込みを持っており、
八重にキノコの贈り物を(当の本人からは困惑されているにもかかわらず)繰り返し、結果として八重に想いを受け容れてもらえたため、息子の泰時にもこの教えを施し、
その泰時が初(矢部禅尼)にこの作戦を実行して突っ返された時にはショックを受けたが、結局その教えを授けた当人に「嘘だ」と言われた晩年まで信じていた様子。
ちなみに、史実においては八重の後の妻である「姫の前」が義時からストーカーじみた求愛をされたとされており、
本作ではその姫の前(比奈)から好意を抱かれた義時が迫られ、根負けするような形で結婚するという流れになっているが、
この八重ストーカーの経歴は比奈の実家である比企家にまで伝わっているらしく、
道からは「むっつり」、比奈(姫の前)から「薄気味悪い」と散々な評価を受けている。
義兄・頼朝が挙兵した事で源平合戦に参加。
家督を継ぐ筈だった兄の宗時が戦死した事で北条を牽引する事となり、頼朝の右腕として、鎌倉政権の維持や裏方工作を担うなど、その立場は大きく変わっていく。
伊東家の没落後は江間を領地とし、江間小四郎を名乗る。
特に宗時の「坂東武者の世をつくり、そのてっぺんに北条が立つ」というある種の遺言が、その後の彼の行動指針となった。
やる事なす事裏目に出ることが多く、どっちつかずで迷っている小四郎のせいで状況が悪化する事も。『亀の前事件』ではこのことで「田んぼのヒル」等と政子に罵られたこともある。
基本的には善人で正義感が強く、頼朝へ諫言する場面も多い。頼朝が恐怖政治による天下草創を謳った際も、傅く御家人達の中で唯一、頼朝と対峙していた。
しかし、そんな真っ直ぐな性格の一方で八方美人なきらいがあり、人当たり良く接しながらも、
結局、上総介誅殺や義仲追討を見過ごした経緯から、三浦義村には「頼朝に似てきてる」、木曽義高には「貴方を信じることが出来ません」と言われてしまう。
小四郎はまだ黒い部類だがこの辺は10年代以降の大河ドラマの主人公あるある。
そして、憧れの八重と結ばれ、最愛の息子・金剛の誕生を契機に、頼朝が下す誅殺ミッションをこなす覚悟を決め、奸計と謀略に手を染め始める。
一条忠頼や藤内光澄誅殺の際には「父を許せ」と泣いていた彼も、義経を謀略に嵌めて自害に追い込んだ後は、笑顔で金剛にお土産を持参するまでに成長。
「頼朝暗殺計画(その2)」が起こった時には、
影武者として殺された工藤佑経を利用して「曾我兄弟の敵討ち」なる美談としてでっち上げ、時政を驚かせる。
失敗も多い彼だが、頼朝には初期からその素養を期待されており、大江広元も義時を評価している。上記の汚れ仕事も、頼朝なりの試練である模様。
八重が亡くなると、金剛と、彼女が助けた鶴丸の養育に注力。父親としては優しく模範的で、礼儀や道理を金剛に教え込む。
頼朝の右腕、頼もしい父親として成長する一方、段々と面白ストーカー小四郎君の側面は鳴りを潜め、衣装にも暗さが増していく。
その頼朝が危篤に陥った際には、姉と違って「もう助からない」という前提で頼朝の死後に備えた根回しなどを粛々と進めるが、
それはあくまで「頼朝のために自分が出来ることをやる」という意識からであり、いざ彼が死去した際にはその死を悼んで涙を流す。
そして、「頼朝を支えるためだけに生きてきた自分がやるべきことはもう鎌倉にはない」として、彼の死後は伊豆に帰ろうとするが、
その意思を聞いた政子には鎌倉に残って自分と頼家を支えてくれと強く引き留められ、残留を決意。
頼朝の遺した鎌倉を守るべく、「悪い根を断ち切る」ことを新たに自分がやるべきことと定めて行動を開始する。
覚悟を決めてからの義時は、一度やると決めたら一切情け容赦なく手を下すようになり、
禍根を残すと判断すれば粛清対象のみならず、女子供も含む関係者すら容赦なく粛清する冷徹ぶりを見せ、
例えば比企一族を族滅させた際には、一度泰時が助命した一幡を自ら出向いてまで殺害し、この一件が元で泰時とは一気に溝が深まっている。
ただ、これらの行動は亡き宗時の「坂東武者の世を作り、そのてっぺんに北条が立つ」という遺志を実現しようとする思いからくるもので、
当人が権力欲に取り付かれたり、心まで冷酷非情になったりしたわけではなく、例えば善児が宗時の仇だと知った際も、「自らに責める資格はない」と仇討ちすることはなかった他、
泰時にあえて自らの冷徹な所業を間近で見せていることについても、泰時の妻である初は「泰時に『自分のようになるな』と暗に伝えている」(意訳)と推測している。
また、かつて共に戦った御家人を粛清する際にも決して躊躇いを見せることはないが、彼らへの情は残っているようで、
必要がないとなれば粛清せずに済ませようとしたり、かつての盟友を手にかけることに人知れず苦悶の表情を見せたりしている。
しかし、懐刀であった畠山重忠を守れずに粛清に追いやり、その彼に戦の最中殺されかけ、
配下の兵士たちの前で醜態を晒してからはその御教書を出した源氏将軍への思い入れは変化。
立派な鎌倉殿になることを期待していた甥の実朝に、傀儡として生きるよう強要するようになったことで彼の怒りを買い、その母である政子とも対立。
実朝による源仲章の重用と大御所構想の前に精神をすり減らし、とどめと言わんばかりに「鎌倉を捨てて京に行く」という、
頼朝や義経・広常・重忠ら鎌倉のために命を投げうった先人達の苦労を顧みない実朝の姿勢にとうとう幻滅。
公暁の実朝暗殺計画を知りながらも敢えて止めずに見殺しにし、仲章もトウに暗殺させようと企み、
結果的に流れこそ変わったが実朝、仲章、公暁を三人とも排除することに成功し、頼朝から続く源氏将軍を滅ぼした。
敵こそいなくなったものの、泰時からは宣戦布告される結果となってしまった(義時が望んでいた面もあるが)。
皮肉にも主君の頼朝を失ってからも苦労人気質は変わっていないとも言える。
ティザーポスターでは、13色の布を
{呑み込むような、真っ黒な衣装の彼が立っているが、それが意味するところは果たして……。
また、三谷氏がこれまで手掛けた大河ドラマの主人公は、近藤勇(『新選組!』)に真田信繁(『真田丸』)と、いうならば歴史の敗者側だったのに対し、
本作の主人公・
北条義時は史実においては歴史の勝者となった人物なのだが、三谷自身は関連書籍にて、
「勝利のために多くの犠牲を払う事となった義時は、果たして人生の勝者と呼べるのか(意訳)」と述べている他、
その最期には謎も多く、本作でどのように描かれるのかが注目の的であったが、これまでの大河ドラマの
最終回とは一線を画す終わり方であった……。
ちなみに、奇しくも前作「青天を衝け」が武家政権最後の将軍に仕えた男の物語であったように、本作「鎌倉殿の13人」は武家政権始まりの将軍に仕えた男の物語となっている。
なお、本作はコロナ禍での撮影ということで、リハーサルまではマスクを着用し、本番で初めて外すという撮影が行われたのだが、
義時役の小栗氏はそのマスクに時事ネタや当時の自分の気持ち、共演者やその役どころの名前を描いていたといい、それらがインターネットにアップされると、
「全部大泉のせい」や「俺たちの泰時が来た」、「さらば二朗」などの、収録回や視聴者の反応、役者さんの出演作に絡めたユニークなマスクがSNSで大反響を巻き起こした。
ちなみに、このマスクが取り上げられた特番の時点で最も名前(役)の言及が多かったのは、やっぱりというべきか源頼朝/
大泉洋氏であった。
・北条時政(演・坂東彌十郎)
義時兄弟の父。通称は四郎。パパ上。
鎌倉幕府初代執権。 13人の宿老の1人。
北条家の当主で、謀略の北条氏始祖とは思えぬ、気のいいオッサン。
良くも悪くも坂東武者らしい一本槍な男で、頭に血が上りやすく、事態が良い方にも悪い方にも転がしてしまう。
頼朝の面倒を見る事になったのもその場の勢いであり、権力者になる事など夢想だにしなかっただろう。
挙兵失敗時にはワガママな頼朝を敵方にくれてやる算段までつけていたが、何だかんだ舅殿として頼朝からは気を配られており、大役を与えられる機会も多い。
また、年長者として初陣の息子達を安心させたり、義経を諭したりなど、年の功を見せつける頼れる父上でもある。
後白河法皇との双六でイカサマを見抜き、行かないでムーブもさらっと躱すなど、単なる田舎侍でもなくなかなか食えないコミュ力の高さも持つ。
家族を大切にしており、特に妻のりくにはベタ惚れ。
亀の前事件では頼朝の振る舞いにブチ切れて伊豆に引っ込むも、上総介誅殺を聞き及び、謀反人認定を避けるため、鎌倉へ帰還。
そして、鎌倉殿と御家人のシステムが土地という恩賞で動いている事を見抜き、源氏に取り入って北条が生き残る道を模索する。
他方、権力に接近する比企能員の事は気に入っておらず、将軍家の外戚として、互いに
ライバル視している。
妻のりくは折に触れて上昇志向を見せるも、時政自身はさほど野心のようなものは見せず、
鎌倉の重鎮となった自身の立ち位置も未だに信じられないと範頼に漏らしている他、
『亀の前事件』で頼朝のりくや政子への言い草にプッツンして伊豆に戻った際には、「こっちの方が性に合っている」とかつての暮らしを満喫したりしていた。
だが、頼朝の死を発端に、比企と対立する北条の危うい立場をりくから説かれ、全成の次代鎌倉殿就任など、暗躍に動き出す。
結局頼家が鎌倉殿を継ぐも、孫である筈の彼を比企の人間と見做しており、彼を支える義時・政子と対立。
義時が「鎌倉あっての北条」と考える中、時政はりくの考えに則り「北条あっての鎌倉」であると考えている。
頼家が危篤に陥った際には、実朝を次代鎌倉殿とするべく、義時らと共に比企一族と対立。
謀略によって比企一族を族滅に追い込み、奇跡的に回復した頼家を鎌倉殿の座から下ろして実朝を三代将軍にし、自分はその後見役となる。
しかし、自身とりくの子であり、嫡男としていた政範が謎の死を遂げ、娘婿の平賀朝雅に下手人が畠山氏だと吹き込まれたりくにそそのかされ、
確かな証拠も無いのに畠山氏に謀反の疑いを掛けて外孫でもあった重忠の嫡男を殺し、そのまま重忠をも討ったことで義時と完全に対立。
朝雅を次代鎌倉殿にするべく実朝を自らの屋敷に拉致して退位を迫った、後の「牧氏事件」を引き起こし、制圧されたことで失脚。
義時と今生の別れをした後に伊豆に追放され、二度と政界に戻ることなく、生まれ育った土地で静かに余生を送り、見舞いに来た泰時と再会した後78歳の生涯を終えた。
・政子(演・小池栄子)
時政の娘。義時と実衣の姉で、宗時の妹。
源頼朝の正室かつ、大姫、頼家、三幡、実朝の母。いずれ尼将軍(鎌倉殿)と呼ばれる女性。
坂東武者の娘らしく、ハッキリとした物言いの女性。雅な人が好きらしく、流人の身分を気にせず頼朝と結婚した。
史実通りに非常に嫉妬深く、頼朝に女の影が見えるとあの手この手で潰そうとする。亀の前事件は吾妻鏡よりマイルド描写になったが……。
とはいえ、多少腹黒いもののこの作品の中では比較的緩い部類の性格。
初期の頃は、幸せな結婚生活を恋敵の八重に見せびらかすなど色々あったが、最終的に義時の妻となった彼女を温かく迎え入れた。
だが、鎌倉入り後も、御台所としての政治的な立場を理解しておらず、自分の言動が亀の前事件や藤内光澄の誅殺を招いてしまう。
頼朝と御家人の仲を取り持とうとしたり、最愛の妻の八重を亡くした義時を励ますために、お忍びで家に出向いて元気付けるなど、本質は優しい性格。
また、頼朝とは衝突する事も多々あるものの、時政、広元、盛長といった腹心にすら見せなかった義経への思いを打ち明けられるなど、
やはり唯一無二の正室として扱われており、征夷大将軍になったときは夫婦そろって大はしゃぎした。
母親と過ごす時間の短かった(ただし本作では触れられていないが)義経にも母親や姉のように懐かれており、
膝枕をせがまれたり、政子が第一子を妊娠した際は「元気な子が生まれてきますように」と優しくお腹を撫でられたりしている。
一方、死にたいと嘆く大姫に「母を悲しませないで」と返したり、公暁の不遇さを責る実朝の話を途中で拒んでしまったりするなど、
(政子自身も辛い境遇にあるとはいえ)究極的には他人の気持ちに寄り添えず、自分の感情を優先してしまうきらいがある。
その性質もあって、頼朝死後は北条に与することも、息子たちを守るために行動することもできず、結果として日和見に走ってしまうこととなった。
そのような姿勢が相まって、将軍となった息子たちが(理由は違えど)どちらも北条と対立した結果、頼家からも実朝からも最終的に母として拒絶されている。
(なお義時や北条家と対立してでも2人を守ろうと行動した甥の泰時は、頼家、実朝の双方から北条家では例外的に最後まで信頼されており、政子とは対照的と言える。)
頼朝が倒れると御台所として鎌倉の命運を決める立場へ立たされる。
次の鎌倉殿は息子の頼家か妹婿の全成か。政子が選んだのは頼家であり、それが実家の北条をも分裂させる契機となった。
そして、頼朝の死をもって鎌倉から去ろうとする義時に対して頼朝の小さな仏像を手渡し、「私を支えて」と彼を引き留めた。
後家になってからは政治に関わるようになり、政治の仕組みを学ぶなど強い意欲を見せたが、やはり経験不足な面が否めず、
「頼家のためにと義時を強引に13人の補佐役の一人に加え、頼家の北条家への不信感を掻き立てる」(義時はそうなることを危惧して辞退しようとしていた)、
「公暁や時元ら他の将軍候補の意思を確かめないまま大御所構想を立て、早急にことを進めたことで公暁の実朝殺しを決意させる」、
と失敗が続き、前述の日和見に走った姿勢もあり、息子と孫を死なせる結果を招いてしまった。
実朝と公暁に先立たれた際には、夫、息子、孫の死に絶望し、自害を図るまでに思いつめるが、トウからの説得を受け、
さらにこれらの悲劇と政争に関わったことで政治に対する自身の見解を持つようになり、さらに暴走する義時に逃げずに立ち向かった。そして、最終回では…。
ちなみに「政子」という名前は、後年朝廷が官位を与えるために「時政の子」という意味で付けた公文書上のものであり、彼女が実際に政子と呼ばれていた訳ではない。
・実衣(演・宮澤エマ)
後世に伝わる阿波局。
宗時、政子、義時の妹。
お喋り好きで、何処からか噂を聞き付けては広めるトラブルメーカー。
揺れ動く北条家を観察する皮肉屋であり、視聴者目線で冷静にツッコミを入れる場面も多い。
阿野全城と結婚した後も、源氏の妻どころか全成が完全に北条の婿っぽくなっている。
物語が暗い展開になってからも、彼女と全成の夫婦漫才は頻出し、本筋から少し離れた場所でコメディリリーフを担っていた。
そんな実衣も甥・千幡の乳母となり、巻狩りで頼朝と万寿の
死亡説が流れた時は、「千幡の乳父母となって育ててきた甲斐があった」と本人も無意識の内に漏らしてしまう。
シニカルな傍観者だった筈の彼女も、
ゲームのプレイヤーに躍り出てしまうのであった。
全成を次代鎌倉殿に推す両親の提案に乗り、自身も御台所となる決意を固めるが、それを告げた政子からは「貴方に御台所が務まるものですか」と嗜められ、
夫の鎌倉殿就任が潰え、自分も御台所になることを阻まれた際には、「頼家を頼む」と全成に願う政子に恨み節をぶつける。
あんなに仲が良かったのに……。
そして頼家が失脚し実朝の鎌倉殿就任が決定すると、実朝の乳母としてとうとう政治に本格参戦。
しかし鎌倉を狙う後鳥羽院の刺客、源仲章相手に実朝を守るどころか無防備を晒したりと早くも幸先が思いやられたが、
果たしてその予想通り、実朝が本格的に政治を摂るようになってからは、乳母の立場を盾に色々と口出しするも、
政治家としての
経験値が違う義時たちにはあまり相手にされず、実朝も独自の道を歩み始める。
その実朝が暗殺された後は、我が子であり、源氏の血を引く阿野時元を鎌倉殿にするべく暗躍するが、
征夷大将軍になる方法を三善康信に訊ねたことで、彼経由で義時に企みが露呈し、時元は謀反人として粛清される。
夫も子も失った実衣は自暴自棄になって希死観念を抱き、「罪を認めてはならない」という政子の助言に背いて自らの関与を認め、投獄されるが、
これ以上身内の死を見たくないとして「尼将軍」に就任した政子に、実衣が涙ながらに「死にたくない」と本心を吐露したことで和解。
政子の尽力もあって最終的にお咎めなしとされ、出家して「尼副将軍」として政子を補佐した。
なお、釈放されたのちに義時に「私を殺そうとしたでしょ」とチクリと嫌味を言ったが、義時は「言ってない、愛しき妹よ」となんとも白々しいセリフを吐いていた。
余談だが、「実衣」の由来はムーミンのリトル・ミイかららしい。つまり政子はミムラねえさん?
・りく(演・宮沢りえ)
後世に伝わる
牧の方。
時政の3番目の妻として京からやって来たお嬢様。
後妻として政子や実衣と対立する場面も目立つが、時政を中心に北条を盛り立て、いずれ京に返り咲く事を願う策略家。
その手腕は三浦をして流石と言わしめるほど。
亀の前事件で政子に嫌がらせを企てるも、最終的に政子が可哀想だと頼朝に詰め寄ったり、
時政が伊豆に帰ると言えば彼に従って農作業に勤しむなど、根っからの悪女
というわけでもない。
しかし、源氏の外戚であるが時政筆頭に何処かほのぼのしてる北条家を不安視しており、度々周囲を焚き付ける。
大姫の死で悲しむ政子に強くならなければないと諭すなど、北条を取り巻く現状をよく把握している人物でもある。
江間小四郎(義時)ではなく、自分と時政の息子こそが北条の跡取りである事を常に意識しており、遂に待望の男児に恵まれるが……。
政子や実衣とは衝突もあるものの、継母と連れ子のような単純な関係ではなく、特に政子に対しての発言は師匠のようでもある。
そして、政子が北条家と対立する比企一族に育てられた頼家を二代鎌倉殿に就けたことに反発し、以降は政子や義時と対立。
頼家や比企一族を排除するべく時政を唆したり、頼家の調伏を半ば無理矢理全成にやらせたりと暗躍し、
念願叶って比企一族が族滅され、頼家も退位して時政が後見人であった実朝が三代鎌倉殿となるも、愛する息子である政範が不審死を遂げてしまう。
悲しみにむせぶりくは、実際に手を下したのが彼だと知らないままに平賀朝雅の「畠山氏による陰謀である」という嘘を信じ込み、
復讐するべく時政を嗾けて畠山氏を滅亡に追い込むが、これが義時と時政を仲違いさせる決定打となり、彼の謀略で時政は失脚。
捕らえられたりくは、義時によってトウを差し向けられ、暗殺されかかるも、たまたま居合わせた義村によって助けられた。
後に義時と対面した時にはその時のことを揶揄するが、同時に「せっかく手の届くところに大きな力(執権)があるなら掴み取りなさい」と最後の助言をし、時政と共に伊豆に向かった。
ただ、田舎暮らしはやはり性に合わなかったらしく、やがて時政の下から離れ、京の親族を頼ったことが語られている。
最終回で久々に登場し、承久の乱の終結後、自らを訪ねてきた時房や泰時に再会。
時政の晩年の生活の様子や時政が9年前に死去したことを知らされたのだが、時政への愛情が冷めていたわけではなかったようで、
「あの人はそういう人だったわ。女性が放っておかない人だったのよ」と涙ぐみつつ、ありし日の夫を回想した。
・北条宗時(演・片岡愛之助)
義時兄弟の長兄。通称は
三郎。
全ての始まり。初回から「平家をぶっつぶすぜ」と奮い立つ北条家の跡取り息子。
金融庁の検査官ではない。
彼が伊東に追われた頼朝を北条館に匿った事から、全てが始まってしまった。
熱血かつ直情的で平将門公に憧れる危ない兄貴。根回しを全て義時に押し付け、弟を振り回すなど、彼もまた坂東武者である。
その辺ノリで動いている事がバレていたのか、当初から頼朝は本心を義時にしか明かさなかった。
それでも頼朝に挙兵を促し続け、念願の決起に至るも、石橋山の戦いで敗走。
頼朝のワガママから本尊を取りに実家へ向かうが、善児の襲撃を受けて命を落とす。
これによって義時は事実上時政の跡取りとなり、また、宗時が自分との今生の別れ際に語った彼の本心が、以後の義時の指針となり、それが義時の心を縛る呪いとなっていく…。
なお、演じた片岡愛之助氏は三谷大河の皆勤賞俳優の一人であり、これで四度目の大河出演となるが、
なぜか「演じた人物が全員敗戦する」というジンクスが存在する。
・北条時房(演・瀬戸康史)
後の
鎌倉幕府初代連署。通称
五郎。
物語中盤から
北条時連として登場する義時兄妹の異母弟。
厳密な初登場は1話目で、北条ファミリーの背景に映っていた
赤ちゃんの1人が彼だとか。
政子と同様に上昇志向は薄く、兄である義時に絶対の信頼を寄せ、彼のために生きると決意しており、
彼の側近として実朝が建造を命じた船の設計図に細工をして実朝の貿易計画を破綻させるなど汚れ仕事も行う。
しかし、謀反に加担していた妹の実衣を処刑しようとした際に異議を唱えるなど、身内にも容赦しない義時のやり方(考え方)に思うところがある様子も見せる。
時政に似ているらしく、抜けているところも多い。餅を丸めるのも下手で、危うく頼朝を殺しかけた。
ヘンゼルなのに
成人し、年を重ねてからも、甥の泰時と並んでも同年代に見えるほどの童顔であり、
源頼家が優秀な若手を集め出した際、義時らの頼みによって甥と共に潜入したが、本人の懸念を余所に若手に混じってもバレなかった。それどころか一番若いと思われている
泰時に愛嬌の大事さについて語り、泰時に自身には愛嬌があるのかを聞かれて「あるんだよ、それが(ドヤ顔)」と語るなど、自身の武器を理解している食えないところも。
ただし、すべて計算でやっているあざといキャラというわけではなく、後鳥羽上皇との初対面時に(彼の正体を知らなかったとはいえ)馴れ馴れしい態度をとってしまうなど、
基本的には天然ボケで、やらかしてしまうこともあるが、その童顔や本人の人格もあってか、なんやかんやで丸く収まってしまうタイプ。
その愛嬌は朝廷との外交において遺憾なく発揮され、当人も蹴鞠の名手である後鳥羽上皇とは蹴鞠を通じて親しくなり、
親王将軍を巡るW杯外交蹴鞠対決では上皇から有利な条件を引き出すことに成功する。
最終話では義時を死に至らしめた毒薬を誤って飲んでしまうが、幸い舌が痺れるだけで済むなど変わらぬギャグキャラ補正癒しキャラを貫いた。
なお、上述の通り、北条時政の友人である三浦義澄の弟・三浦義連から偏諱を賜って時連を名乗っていたが、
彼の蹴鞠の師である平知康から、「『連』は銭を連想させる字で品がないから、京で出世したいなら名を変えた方が良い」と指摘されたため、
鎌倉殿こと源頼家から新たな名を貰い、家族等から「トキューサ」と聞き間違えられつつも「北条時房」と名乗るようになる。
・ちえ(演・福田愛依)
義時の異母妹。
畠山重忠に嫁ぎ子を儲ける。
夫の死後、その所領を譲り受けるも"謀反人"として討たれた重忠を思い、幕府への返上を申し出る。
後に武蔵の本領で再婚し、生まれた子が畠山の名を継いだ事が示された。
・あき(演・尾碕真花)
義時の異母妹。
稲毛重成に嫁ぐも、身体が弱い事が示唆される。
ナレ死どころか公式サイト相関図死という形で視聴者に知らされ、第26回では彼女の三周忌が描かれた。
・きく(演・八木 莉可子)
義時の異母妹。時政とりくの娘。
平賀朝雅に嫁ぐ。
京から鎌倉に戻ってきた夫に労いの言葉を掛けるもりくに取り入ろうとする彼に
スルーされてしまう。
・北条政範(演・中川翼)
義時の異母弟。時政とりくの間に生まれた待望の男児。
母親から溺愛されており、時政が就任した執権別当の地位を継承する後継者として期待されていたが……
・北条泰時(演・坂口健太郎)
後の鎌倉幕府3代執権。もう一人の主人公。
幼名は金剛。元服後は北条頼時で通称は太郎。
謀略と陰謀まみれの北条において史実でも真人間である名宰相。
坂口健太郎氏が朝ドラ「おかえりモネ」で演じた菅波先生がSNS上で「俺たちの菅波」と呼ばれ、人気を博したことにかけて、視聴者から「俺たちの泰時」と呼ばれる。
義時と八重の息子。両親の育て方が良かったのか、他人を思いやれる上に礼儀正しい理想的な人物。
八重が世話をしていた孤児の一人・鶴丸とは最初は犬猿の仲だったが、鶴丸が安達弥九郎からいじめを受けていた時に金剛が弥九郎を殴って鶴丸へのいじめをやめさせ、
しかも鶴丸がそのことを義時に話すまでは黙っていたことがきっかけで、本当の兄弟のように仲良くなる。
万寿とは明らかに出来が違うため、頼朝が「金剛はワシに似てないか?」と笑えないクソムーブをかますほど。
政子も甥っ子として可愛がっており、ゆくゆくは父親の跡を立派に継ぐことを期待されている。
ちなみに、子役が演じていた前回からそこまで間が空いていない(その間わずか1年弱)筈なのに、巻狩り回で演者が坂口氏になるという(中の人の)急成長ぶりに、
予告時点で視聴者から突っ込まれていたが、そのツッコミは折込済みだったようで、「成長著しい金剛」というテロップで片付けられ、視聴者の腹筋を破壊した。
成長後は早くも真面目で優秀な面を見せ、後の名宰相の片鱗を覗かせている。
軍隊の指揮官としても有能で、和田合戦では和田軍の弓に対し朝時の行動にヒントを得た、
民家の戸板を盾代わりにして軍の正面と側面をガードしつつ進軍する「戸板ファランクス」で戦線を押し上げて突破口を開き、
承久の乱でもそれを応用した急造の筏で朝廷側の最終防衛ラインである宇治川の突破に成功している。
その一方、空気の読めないマジレス君な面も見せており、富士の巻き狩り中に余計なことを言いかけて親父に小突かれたことも。
この時はまだ(見た目は成長著しいとはいえ)数えで10歳だったため、仕方ないと言えば仕方なかったが。
義時が比企氏の乱の後に比奈と離縁し、二階堂行政の孫娘・のえと結婚した際にも「義母上を追い出してもう新しい妻を娶るのですか?」と真正面から非難し、
義時からは初めて「もう一度申してみよ」と低い声で凄まれ、初から思いっきり平手打ちを喰らっていた。
頼朝から偏諱を賜り頼時として元服したが、所領・伊豆で領民のトラブルを見事解決した手腕を頼家に妬まれ、
「将軍となった自分と同じ字(頼)を持つのは肩身が狭いだろう」と「天下泰平」の字から泰時に改名されてしまう。
父からも事あるごとに「何とかせよ」と、まるでかつての頼朝と義時のように無茶振りされる事が多くなる苦労人。
もともと親子仲は良好だったものの、義時が容赦なく粛清を繰り返し、冷徹な一面を見せ始めるにつれて父の行動に疑問を持つようになり、
自身の幼馴染でもある頼家と、その息子である一幡を粛清したことをきっかけに、父を本気で嫌い、対立するようになる。
以降は義時と親子関係こそ切らず、共同生活を続けているものの、妻の初に父親の行動に対する反発・罵倒を愚痴るようになるが、
初には、義時を敵視するあまり、その行動の表だけを見て裏…その真意までを読み取ろうとしない泰時の思慮の浅さといった、青臭い態度を度々窘められている。
対立しながらも信頼されていることに泰時自身は嫌気がさしたこともあり、一時的に酒に逃げたこともあったが、弟の朝時から叱責されたことで改心。
その後の義時との会話で久方ぶりに心を一つに通わせた。
そんな初や朝時(+盛綱)からの影響もあり、実朝が将軍に就任してからも表面上は対立している一方で、
内心では義時は泰時に多大な期待をかけ、泰時もその気持ちを察していることが示唆され、その親子関係は義時の第三の妻・のえをして「気持ち悪い」と言わしめている。
実朝が政治に目覚めると目の上の腹立つたんこぶ源仲章を訝しみつつも彼に協力。彼の大御所構想を応援した。
しかし、源氏将軍への思い入れに関しては傀儡として利用するだけ利用し、自分や坂東武者を捨てたら見限る方針の義時とは最後まで分かり合えず、
結果的に義時の妨害で実朝を公暁の凶刃から守ることに失敗。
これを機に父に宣戦布告し、「阿野時元謀叛に関わった叔母実衣を処刑する」、「義時が後鳥羽上皇に自らの首を差し出す」、
そして「都の廃帝を殺害する」という義時の過激な政策をいずれも(政子の手助けもあって)阻止した。
承久の乱で自信をつけたあとは時房や朝時、初、盛綱の支えも借りながら、
義時の頃とはまた違った苦労もしつつ学のない御家人でも読めるように作った貞永式目、後の世に知られる御成敗式目を作成。
結局は一代限りとなってしまったが、麒麟の来るであろう争いのない世を作るのだった・・・。
この際に「父のやってきたことを無駄にしないためにも」と義時の永年の想いを汲む発言をしており、愛憎入り混じる複雑な親子関係に自分なりに決着を付けてみせた。
上総広常が誅殺された直後に生まれ、義時に抱き上げられた際に「ぶえい」と聞こえる産声を上げたり、
成長してからは「双六ができない」「やろうとすると気分が悪くなる」など、広常の生まれ変わりであるような描写がある。
ちなみに、泰時役の坂口氏は、義時役の小栗氏や義村役の山本氏曰く「笑いの沸点が低い(ゲラ)」とのことで、
リハーサルでは(本編が重苦しいこともあって)山本氏が坂口氏を笑わせようと仕掛ける(わざと床板に躓いて「あいた」と呟くなど)ことが度々あったといい、
特に義時らと評定を行うシーンでは、リハーサルでの山本氏の「源仲章殿」を「源中尾彬殿」と言い間違うボケが坂口氏のツボに入ってしまい、
本番で「源仲章殿」の台詞に差し掛かる度に坂口氏が笑ってしまって何度も撮り直しになり、義時役の小栗氏は「もうここ読みたくないよ」と嘆いたとか。
・鶴丸(演・きづき)
八田知家が何処からか連れてきた少年。
両親を亡くした孤児であったことから、八重が預かる事になるも、周囲に馴染めずに居た。
そして、川遊びに出た際に鶴丸は流されかけてしまう。水死した千鶴丸を思い起こした八重によって助けられるも、代わりに八重が命を落とす。
その後、八重が養育していた子供達が方々で引き取られる中、八重の忘れ形見である鶴丸は義時が引き取り、金剛と共に育つ。
その金剛とは預けられた当初こそ仲が悪かったのだが、義時に引き取られて以降は、
鶴丸が安達盛長の息子の弥九郎に孤児であることをからかわれた際に金剛が鶴丸を庇ったことで友情を結び、成長後も彼を支えていく。
公式では泰時の従者であると述べられていたが、お互いタメ口で、泰時も鶴丸に相談を持ちかけたりするなど、幼少期の友人関係をそのまま続けていると言えよう。
演者曰くオリジナルキャラクターだそうだが、内管領長崎氏の祖となる出自不明な北条の家司・平盛綱になるのではないかとの考察があり、それは的中することになる。
・北条朝時(演・西本たける)
義時の次男。母親は比奈。通称次郎。
後の名越流北条氏の祖。
幼少期は義理の母親であるのえに育児を侍女に丸投げされるなど冷遇される。
成人後は両親とは似ても似つかないまさかのゲスキャラとして登場し、視聴者から驚きを持って迎えられた。
泰時と違い義時からはあまり期待されておらず、当人もそれを感じ取って何かと不貞腐れた姿勢を見せている。
御所に仕える女房に手を出した為に義時から駿河国での蟄居を命じられたが、和田合戦の直前に「非常事態」ということで処分を撤回され、呼び戻される。
和田合戦では指揮官として戦場に出るのを嫌がる兄を「期待されていない奴の悲しみを考えたことないだろ」と叱責して彼の成長に一役買う。
一方で、敵兵に怖気付く姿勢を泰時に呆れられるも、彼が戸板で身を隠したことが泰時にヒントを与えた。
和田合戦の後、泰時が戸板を使って矢を防ぐ戦法を朝時の手柄として報告した事で、義時から赦され蟄居を解かれた。
その後もやらかしながらも実績を上げ、時房と共に泰時の補佐を義時から託される。
最終回ではかつて散々年配の御家人をじいさん呼ばわりしてきた義村に「ジジイうるせえんだよ」と悪態をつき、彼を怒らせた。仮にもお前の兄貴のお舅さんやろがい
最終盤からの登場だったものの強烈なインパクトを残したこともあり、西本氏はグランドフィナーレで司会の大役を任されることになった。
・牧宗親(演・山崎一)
りくの兄。京の武士。
御台所・政子の教師役として鎌倉入り。彼女に公家の作法を厳しく教え込む。
りくの兄らしく醜聞を好み、頼朝と亀の前の関係を利用して政子への嫌がらせを企む妹の謀に手を貸した。
後妻打ちを政子にさせる事で頼朝の彼女に対する心象を悪化させようと自ら実行役となるも、居合わせた義経がやり過ぎて亀ハウスを焼き討ち。
全てを知った頼朝に責任を取らされ、髷を切られるという屈辱を受けた。
鎌倉幕府
言わずと知れた日本史上初の本格的武家政権。
武家政権を「幕府」と称するのは江戸時代末期であるため、作中では単に「鎌倉」と呼ばれる。
鎌倉幕府なる概念の定義も未確定であり、本作は「鎌倉殿の武家政権」が徐々に確立していく過程が描かれる。
源氏の内ゲバと坂東武者の内紛が頻繁に起こる血塗られた組織。
坂東武者たちは蛮族ながら皆まるで家族のように仲のいい集団だったが、次第に権力欲に溺れておかしくなっていく。
まるで内部抗争中の暴力団だが、少なくとも挙兵初期の幕府は賊軍頼朝と御家人の私的関係で成立しているただの武装勢力である。
なのでヤクザそのものと言っても過言ではない。誰が呼んだか『指定暴力団・関東源組』。
以下、鎌倉に対する諸氏の見解
「鎌倉は恐ろしいところです」
「お前たちはおかしい。狂っておる」
「私が生きていくところではない」
視聴者からは幕府成立1185年説を元に「いいやつころそう鎌倉幕府」などの声が上がる。
源氏将軍家
正確には清和源氏の一流、河内源氏の一族。
頼朝はその嫡流の血を引く、ということになっている。
平治の乱で源義朝が平清盛に敗北し、頼朝を筆頭に義朝の血筋は各地に流されていた。
頼朝の挙兵に呼応し、弟達が鎌倉へ参集。源氏の名の下に東国武士が集い、遂に平家を打ち倒すが、そこから源氏将軍家の凋落が始まる。
頼朝の生前より、彼の血筋である将軍家や兄弟の係累、果ては他の清和源氏も「鎌倉殿」の候補者として御家人達に祭り上げられ、鎌倉パワーゲームの御旗として、数々の悲劇を生む。
なお、北条家とも縁戚関係にあり、後に末裔が室町幕府を開く足利氏や、
その室町幕府を作るため、足利尊氏らと共に鎌倉幕府を滅ぼした新田氏もこの時代から居る筈なのだが、
このパワーゲームに絡んでいないせいなのか、影も形も無く、完全にスルーされた。
まあ御門葉として源氏一門待遇を受けた足利氏はともかく、頼朝の不興を買って干された新田氏はそもそもパワーゲームへの参加資格がないのかもしれないが…
鎌倉殿
・源頼朝(演・
大泉洋)
河内源氏の嫡流。
鎌倉幕府初代将軍。
近年の大河に当てはめれば、斎藤道三や徳川慶喜枠。つまり前半のほぼ主役。
坂東で名を馳せた源義朝の三男。
謀反人から一転、武家政権を立ち上げた稀代のカリスマ政治家であり、冷酷な策略家。
平治の乱で父が敗北し、清盛によって伊豆へ流罪に。流人の身なれど、周囲からは「佐殿(すけどの)」と呼ばれている。
坂東武者の神輿として挙兵するも、担がれるだけの無能ではなく、その人身掌握術で多くの武士を仲間に引き入れた。
父・義朝が拠点としていた鎌倉へ入ると「鎌倉殿」と呼ばれるようになり、平家追討と東国武士政権の樹立に注力し始める。
序盤は八重やら仏像やら亀の前やらが関わる騒動でコメディリリーフを担当し、視聴者からは「スケベ殿」「キャバクラ殿」などとネタにされ、
また、コメディリリーフっぷりと頼朝を演じた大泉氏の代表番組から「鎌倉どうでしょう」とも揶揄されるなど、主に笑いの方面で清涼剤になっていた。
が、物語の様相が変貌する「足固めの儀式」以降、やったことがやったことだけに「カス殿」「頼朝 落馬」「全部大泉のせい」などの不穏なワードがネット界隈で散見されるようになる。
ただ、数々の粛清劇を繰り広げる一方で、上総介を討った後に彼直筆の、頼朝の今後を考え、書き出した紙を見て「あいつは謀反人だ」と言いつつもどこか複雑そうに握り潰す、
義高の討伐命令を大姫の嘆願に折れて撤回し、その念書を書いている最中に討伐の報せを受け、やはり複雑そうに念書を握り潰す、
届けられた義経の首桶と一人で対面し、「よう戻ってきた」と優しく声を掛け、その後号泣しながら首桶に縋り付いて「すまぬ」と謝り続ける等、
自分の目的を果たすために鬼となっているが、数々の粛清を始めとした自分の所業に人知れず後悔の念などを見せており、
乳母である比企尼が「優しい子だった」と称した性根は変わっていないのか、骨の髄まで冷酷になっているわけではないと分かる描写も。
奥州藤原氏を滅ぼして思い悩む義時に対し、良い悪いは天が決める事であると断言した。
その人生から挙兵の際は人身掌握の一環であらゆる人物に「お前を一番頼りにしている」と言いまくったりしたが極度の人間不信に陥っているが、
圧倒的な家格の差がある政子を最後まで正室とし、舅の時政に目を掛けたりと、何だかんだで北条家の事は立てている。
中でも義時は義弟として挙兵前から頼りにしており、大江広元との会話から、義時への非情な誅殺ミッションも、彼なりの帝王学であると思われる。
平家を倒すと、義経を追い込み、奥州藤原氏を滅亡へ追いやった。
武力を手中に収めた彼は、万寿への家督相続と大姫の入内に動き出す。
上洛し、後白河法皇に謁見。法皇の死後は征夷大将軍の座を手に入れ、遂に武家の棟梁として、国家的軍事・警察権を手中に収める。
数多くの修羅場を乗り越え、ついに自らが望んだ頂きに立った頼朝は、自らに寄り添ってくれた政子とその喜びを分かち合ったが、
その後に起きた曾我兄弟の敵討ちの一件で、義時に「助かりはしたが、これまでの窮地と違って天の導きを感じなかった」と語り、自身の天命が尽きた事を自覚する。
そして、大姫の死を契機に完全にタガが外れてしまい、流罪に留めたはずの範頼を「源氏を呪う者」と断定し、梶原景時に誅殺を命じる。
※ちなみに頼朝が殺せと命じた人間は伊東祐親・伊東祐清・上総広常・木曽義仲・源義高・一条忠頼・藤内光澄・源義経・藤原泰衡・河田次郎・曾我五郎・曽我十郎・源範頼……13人である。
これが堪えたのか自分の死に怯え、全成にアドバイスを求めた挙句、彼が口から出まかせで言った死亡フラグをことごとく踏んでいった。
しかし、北条家とのふれあいや餅をのどに詰まらせて危うく死にかけた事を経て、やがて天命を受け入れ、
清盛の晩年を意識した生き方を思い描きながら、義時、政子に頼家と鎌倉を託す。
その後、一番の家人である安達盛長を連れ立ち帰参するさなか、「…くろぉ…」と言い残し史実通りに落馬。
落馬後は昏睡状態に陥り、周囲も生存を絶望視するが、死の間際に奇跡的に意識を取り戻し…
「…これは、なんですか…?」
…伊豆で政子と最初に交わしたものと同じ言葉を投げかけた直後、政子が人を呼んでいる間に息を引き取った。
なお、落馬の原因について、泰時は父の義時に「状況から見て落馬する前から意識を失っていたと思われ、何らかの病気であった」と推測している。
おそらくは脳卒中。また後鳥羽上皇は「しきりに水を飲んでいた」ことから「飲水の病」、つまり「糖尿病」か「尿崩症」を患っていた可能性を指摘している。
恐怖政治を敷き、御家人たちを束ねていた主人を失った事が、ナレーション曰く「暴れ馬(鎌倉)が暴れ出す」事態に繋がっていく。
その偉業とは裏腹に、歴史上の人物としては義経に比べるとイマイチ人気も低いが、
室町草創期の
足利尊氏は自身を頼朝になぞらえて幕府を開き、
次回作の主人公は吾妻鏡マニアかつ彼の大ファンなど、後世の日本史に圧倒的な影響を与えている。
・源頼家(演・金子大地)
鎌倉幕府2代将軍。
頼朝と政子の息子で嫡子。幼名は万寿。
本作のタイトルには様々な意味が込められているようだが、字義通りに捉えればタイトルの「鎌倉殿」とは彼の事になる。
頼朝と政子待望の長男として誕生するが、まだお腹にいる頃に「千鶴丸を死に追いやったものを葬り、千鶴丸が成仏しないと無事に生まれない」などと阿野全成が進言したことで、
千鶴丸抹殺を部下に命じた伊東親子が粛清されるなど、誕生前から不穏な空気が流れていた。
……そして千鶴丸を殺すよう指示した伊東祐親は確かに死んだが、彼の命を受けて千鶴丸に直接手を下した者はまだ生きている。
比企能員と道を乳父母に育ち、自身の成長の儀式を御家人にでっち上げられクーデターに巻き込まれたりもしたが、すくすくと育つ。
金剛(泰時)と素養を比較され、巻狩りで実力差を見せつけられる事もあるが、正攻法にこだわり、御家人たちが接待のために作った茶番がすぎる鹿の作りものに気づいたり、
曾我兄弟の敵討ちで頼朝死亡説が流れた時は武田や奥州の残党を予測しながら御家人に的確な指示を出すなど、単純な暗君では無さそうな描写もある。
比企家の娘であるせつとの間に一幡が生まれるも、源氏の血筋であるつつじとの間にも子供が出来るなど、父親譲りの女好きで義時を困らせる(頼朝は頼もしいと褒める始末)。
頼朝の急死後、二代目鎌倉殿として将軍職に就くことになるが、為政者としては理想に燃えるも野心が空回りする典型で、
家柄に囚われない実力主義への改革を掲げる一方で、鎌倉殿としての政務に関しては経験の少なさも災いして頼りなく、御家人に不安視される。
そして、頼家の政務、特に訴訟の裁断をサポートするべく、有力御家人で構成された13人の宿老が結成されるが、これは頼家のプライドをいたく傷付け、
結果、頼家は宿老を頼りにするどころか、自分が見込んだ若手による六人衆を結成し、宿老への対抗姿勢を明確にした。
ちなみに、皮肉にもこの回のタイトルは「鎌倉殿と十三人」であった。
御家人への不信感とプライベートの修羅場で孤独感を深めた結果将軍としてはますます迷走し、
蹴鞠にのめり込む、部下の妻を強引に奪おうとする、裁断を気まぐれに行うなど、
吾妻鏡に描かれたような『暗君』としての振る舞いを見せ、自分を諫める御家人の言葉も煩わしく思うように。
しかし、そんな頼家を見かねた時連の必死の諫言と、政子の後押しを受けたせつの訴えで心を動かされ、
自身の弱さを認めた上でせつを正式なパートナーに選ぶなど人として成長を遂げる。
が、その矢先に謎の病に倒れ、一時は万に一つも助からないと看做されるほどの危篤状態に陥る。
最早死は避けられないと判断された頼家は、父・頼朝同様に末期出家を行われることとなるが、
この事態を受けて北条・比企間で自身の跡目争いが激化し、結果として北条によって愛するせつも含めた比企一族が族滅させられる。
その後に、頼家は父とは違って奇跡の生還を果たしたが、それを一番喜んだであろうせつは既にこの世に亡く、
むしろ比企一族を族滅させた北条家にとっては、母である政子を除けば、頼家の生還は望まぬ奇跡でしかなかった。
比企の族滅を知った頼家は、自身の生還を喜ぶ政子諸共北条を憎み、その報復を遂げようとするが、
比企が族滅した時点で、最早北条に比する勢力は鎌倉に存在せず、その報復を成し遂げることは叶わなかったばかりか、
実現可能性を考えずに「時政を殺せ」と頼家に命じられた仁田忠常が、忠義と罪悪感の板挟みになって自害したことをきっかけに、
「頼家が起きる前の状態に戻す」ことを決めた義時及び北条により、半ば無理矢理将軍の座から引きずり降ろされ、修善寺に幽閉されることに。
頼家は最早自らに力がないことを痛感するも、愛する妻子を殺された憎しみから北条や自身の跡を継いだ千幡(実朝)との対立姿勢を崩さなかったが、
そのことが返って義時に「頼家は生きているだけで鎌倉に戦乱を呼ぶ」という考えに至らせ、遂に善児を差し向けられる。
頼家の殺害に反対しており、たまたま暗殺現場に居合わせた泰時が善児の姿を見咎め、窮地を悟った頼家は善児と斬り合いになり、
負傷しつつも自身が一幡の実父だと知った善児の動きが鈍ったところで彼に一太刀浴びせ、撤退させるも、彼の後継者であるトウによって殺害された。
ちなみに、かつて叔父である全成による前述の占いの内容を元に「千鶴丸に実際に手を下した善児が未だ生きている」ことに不吉なものを感じた視聴者も多くいたが、
結果として善児とその後継者によって頼家は命を奪われる結末を迎えることとなってしまった。
また、両者に直接とどめを刺したのはトウであるが、ある意味「善児と刺し違えた」とも言える最期となった。
善児相手に一歩も引かない大立ち回りを演じての死は武士の総大将に相応しい結末といってもよく、その点では落馬で命を落としたことで「武士の名折れ」とも揶揄された父の頼朝を超えたと解釈することも出来る。
なお、『愚管抄』や『保暦間記』にはその最期について「ふぐり(睾丸)を押さえられて動きが鈍ったところを絞殺された」「入浴中に殺された」と記されており、
そのことを知る視聴者には頼家がどんな最期を迎えるか(放送倫理的な意味で)ハラハラしていた者もいた。
時は過ぎ、最終回。義時は「病死」として表向きは処理したことを忘れ、頼朝死後の政変に巻き込まれた13人の政治家の事をつぶやいた。その中には頼家も入っていたが…。
政子「待って、どうして頼家がそこに入っているの?」
・源実朝(演・柿澤勇人)
鎌倉幕府3代将軍。
頼朝と政子の次男。幼名は千幡。全成夫妻を乳夫母として、その養育を受ける。
頼朝存命時から鎌倉殿の有力候補として度々名が挙げられはしたものの、自身は幼さから何か主体的に行動することはなかった。
兄であり、二代目鎌倉殿の頼家が危篤状態に陥ったことで事実上鎌倉殿の座が空位になったことを受け、
後鳥羽上皇から「実朝」の名と将軍の位を授かり元服。兄に代わって新たな鎌倉殿に就任する。
その翌週の放送回から演者が柿澤氏へ交代。
線は細いながら成長著しく大人になったような印象こそ抱かせるものの、未だ12歳であることから執権別当に就任した祖父・時政が政務を代行し、
実朝には有力御家人や文官たちがそれぞれ武芸や学問、実務女の扱いのイロハを教導することで、将来を期待する体制がとられた。
将軍として身に付けるべき教養や身体能力をひたすら学ぶ御所での生活はやはり息が詰まるのか、
一度和田義盛の館に招かれ、義盛や巴の人柄も含む素朴な環境を気に入ってからは、息抜きも兼ねてちょくちょくお忍びで和田の館に行くようになった。
まだ若年で、時政が執権として政治の実権を握っていることもあり、どことなく頼りなさげに見える場面もあるが、
一方で『鎌倉殿』としての自覚は備わっており、自らの進退を時政に迫られた時には、時政に刀を抜かれても自らの意思を曲げなかった。
しかし、義時からは最早執権として政治の実権を握る自身の権威付けとしての『鎌倉殿』の役目しか求められておらず、
義時から身内贔屓の人事を要求された際に初めて「道理に合わない」と強硬に反対するも、
「ならば引退させていただきましょう。政は鎌倉殿のお好きなようになさればよろしい」という義時の老獪な駆け引きによって屈服させられ、傀儡としての立場を受け入れさせられた。
また、頼家の死の真相を察する、朝廷と結び独自の政治基盤を作ろうとするなど決して暗愚ではないものの、やはり経験不足な点、理屈より自分の感情を優先してしまう点から致命的な失敗をしてしまう側面もある。
能動的だった兄・頼家とは異なり、実朝は大人しく内向的な青年であり、武芸についてはあまり得意としない一方、
文化的なもの、特に和歌に関しては自ら学ぼうとするほど興味を持つ。
また、特に鎌倉殿就任後は悪い意味で頼朝に似てしまって女性に奔放だった頼家に対し、実朝は鎌倉殿に就任後も派手な異性関係はなく、
御台所(妻)となった千世にも遠慮がちで、軟禁されていた実朝が帰還した際に心配していた千世が縋り付いたときは、仮にも妻なのに抱き返すのを躊躇うリアクションを見せていた。
後に、千世から直接、実朝が自身を避けていることへの不安を吐露された実朝は、覚悟を決めて「自分は女性を恋愛対象として見られない」ことを、生まれて初めて他人に告白。
御台所として後継ぎを望まれる千世にとってはまさに残酷な告白だったが、彼女は怒るどころか声を荒げることもせずに静かに受け止めた後、
自分を信じて誰にも話せないであろう悩みを打ち明けてくれた実朝の真心と共に全てを受け容れる姿勢を見せた。
そうして、自身の真の理解者となってくれた彼女に感謝した実朝は、今度は自らの意思で彼女を抱きしめた。
また、かねてより泰時に対して、婚姻の悩みを相談するなど、特に心を開ける人間として信頼を寄せている節があったが、
実はそこに恋愛感情のようなものも混じっていたようで、泰時が幼馴染の鶴丸と抱き合って喜びを分かち合う場面では、複雑な表情を浮かべていた。
天然痘による死の淵から回復した後には実朝は泰時に和歌を贈り、返歌を求めていたが、それは恋の歌であった。
歌を見た(送り主を知らない)源仲章から、実朝の歌に込められた真意を伝えられた泰時は、実朝に「送る相手を間違えている」と告げ、
それが泰時の遠回しな断りの返事だと察した実朝は、失意を隠し、改めて泰時に「大海の 磯もとどろによする波 われて砕けて 裂けて散るかも」という和歌を贈るのだった。
ちなみに実朝の同性愛者説は歴史研究では比較的ポピュラーなものであったが、
彼の代表作でもあるこの和歌に対する哀しき新解釈は、視聴者の間で大きな反響を呼んだ。
その後も傀儡としての側面を抱えながらも自分にできる事を模索。
自身が心を開いていた和田義盛を義時が挑発して一触即発の事態に陥った際には、一度は両者を和解に持ち込む事に成功するが、行き違いの果てに義盛は決起。
最終的に自らの目の前で義盛は落命してしまうが、それを機に「鎌倉を源氏の手に取り戻す」と決心し、泰時といった信頼できるものを側近として積極的に政務に関わりだす。
だが自らの経験・権威の浅さを理解していたが故に「朝廷(後鳥羽上皇)の権威を借りる」手法を選択した事で「坂東武者の世を作る」決意を持った義時からより強い反感を買ってしまう。
更に自分が「夢で見た景色」と同じ内容を話した宋の技術者・陳和卿の進言を聞き入れて唐船の建造を企図するが、これまた義時の反感と謀略の結果失敗。
そこで今度は(政子の入れ知恵もあって)上皇の皇子を次期鎌倉殿とし、自分は大御所として政務に携わる事を計画。
更にいずれは京に拠点を移す事も考え始めるが、この選択は次期鎌倉殿の座を望む公暁、そして鎌倉の守護を至上命題としてきた義時にとっては到底受け入れられない判断だった。
その後、朝廷から右大臣に任ぜられ、鶴岡八幡宮にて拝賀式を行う事になったが、ここで公暁が自身の暗殺を考えている事を知り、
その理由――兄の死の真相を康信から聞き出す。
その事実に衝撃を受けた実朝は、公暁の下に単身で赴き謝罪。そして共に協力して鎌倉を源氏の手に取り戻そうと説得する。
……が、その際に「(北条を)法に基づいて裁く」と言った事で、公暁に実朝と自分との間に明確な思考の差がある事を実感させてしまい、復讐心を余計に煽る格好になってしまう。
そして、拝賀式の日。
雪の降り積もる鶴岡八幡宮の階段で、公暁が義時(だと勘違いして仲章)を襲撃し、斬殺。
直後に実朝の前に立ちはだかった。
この時、暗殺を危惧していた泰時の進言で、実朝は短刀を所持しており、応戦しようと思えば出来たのだが、
その直前、かつて義盛に紹介された歩き巫女(演:大竹しのぶ)と偶然再会し、彼女から「天命に逆らうな」とお告げを受けていたことを思い出し、
「公暁に討たれるのが自身の天命」と悟ったかのように短刀を自ら手放し、公暁の凶刃をその身に受け、斃れた。
「鎌倉最大の悲劇」と称された彼の死をもって、頼朝から続いた源氏嫡流の血筋は事実上断絶。
そして彼が凶刃に斃れた事を皮切りに、物語は一気に終局へと進み始める事となる。
なお、ある意味では実朝の死の遠因となった歩き巫女は、和田合戦の直前にその顛末を予言するなど実力は確かで、それ故に実朝にも信頼されていたが、
拝賀式の頃には高齢のせいか完全にボケてしまっており、「誰彼構わず『天命に逆らうな』としか言わなくなった」ことが北条朝時から語られていて、
実朝は言ってみれば「ボケてしまった老人の譫言」のせいで死んでしまったという、救えないオチが付いてしまった。
ちなみに、『天命に逆らうな』としか歩き巫女が言わなくなったのはボケたからではなく、
戦闘や権力闘争に明け暮れる鎌倉の武士たちを見て絶望し、神の代弁者として『天命に逆らうな』としか言えなくなったためとする考察もある。どっちにしろ救えないって?それはそう
頼朝の縁者
・大姫(演・南沙良)
伊豆流人時代の頼朝と政子の間に生まれた長女。悲劇の女性。
許嫁として鎌倉にやって来た(事実上)人質の木曽義高と親しくなっていき、
幼い二人が惹かれ合っていく様子が、つかの間、澱んだ鎌倉の清涼剤となる。
しかし、頼朝と義仲が敵対し、義仲が義経に討たれたことで状況は一変。
義高は頼朝から命を狙われることになり、政子たちの協力で鎌倉から逃亡するも、
頼朝は逃げ出したことに激怒し、見つけ次第義高を殺すように命令して御家人に捜索させる。
義高を死なせたくない大姫は、自分の命を手玉に頼朝に命令を撤回するよう懇願し、
ついに折れた頼朝は撤回することを決めるも一足遅く、義高の首桶が彼の下に届けられたのだった。
以降、大姫の心には何年経っても義高がおり、彼の早すぎる死を悼み続けたことで精神を病んでしまい、
怪しいおまじないにハマった挙句、
源氏物語に登場する葵(恋敵の生霊に呪殺された)を名乗り始める。
北条ファミリー集合会でも家族のためにまじないを行うも、その回に八重殿が退場。これもしかして呪いでは……?
一条高能との婚姻も跳ね除け、義高を思い続けるが、同じく義高を知り、思い人を亡くしている巴の説得を受け、帝への入内を決意。
しかし、亡き法皇の寵妃丹後局から厳しい言葉をぶつけられる洗礼を受け、雨の夜に姿を消してしまう。一度立ち直らせてからのコレかよ
偶然出くわした三浦義村から、自分の生きたいように生きるよう助言された後、大姫は病に倒れ伏す。
政子たちは大姫の快復を願うが、当の大姫には既にこの世に生き続ける意志も未練もなく、間もなくその生涯を閉じた。
大姫が最期に選んだ「自分の生き方」とは、これ以上この世に留まることなく、生涯愛し続けた義高…「冠者殿」が待つあの世へ旅立つことだったのだ。
そして翌々年には推しの子に転生した。
・三幡(演・東あさ美)
頼朝と政子の次女。大姫、頼家の妹。
頼家が鎌倉殿を継いですぐ、姉同様に病で亡くなってしまう。
・千鶴丸(演・太田恵晴)
頼朝と八重の息子。
源氏嫡流の血を引く幼児だったが、流人の子供が産まれた事を知った祖父の伊東祐親の命により、善児によって川に沈められてしまう。
その死に対し、頼朝は天命であったと嘯くも、内心では祐親を決して許さぬと怒りに震えていた。
八重もまた千鶴丸が出家させられたと聞かされていたが、その真実を知り、父との関係に苦悩する。
しかし、祐親もまた、千鶴のために立派な菩提を建てるなど、やはり孫殺しには後悔があったようだ。
・源義朝
一瞬の回想とシャレコウベ(偽物の可能性が高い)だけ登場する頼朝兄弟の父。10年前は玉木宏だった人がどうして……。
平治の乱で平清盛に敗れた彼のライバルで、彼が鎌倉を拠点に活動していた関係から、幕府が置かれる事になった。
息子達に負けず劣らず、彼もまた源氏内ゲバの体現者である。
なお、史実では敗走する最中、信じた部下に裏切られて首を取られるという最期を迎えており、
その父の最期を知る頼朝は、部下に裏切られて首を取られた秀衡に父の無念の死を重ねたらしく、
恩賞目当てに首を持ってきた河田次郎の主への不敬を痛罵し、斬罪に処している。
頼家の縁者
・つつじ(演・北香那)
後世に伝わる
辻殿。
頼家の正室。尾張源氏加茂重長の娘で、母親は
源為朝の娘。
源氏の血筋であるため、正室に認定される。
頼家のもう一人の妻であるせつからは嫉妬されるも、彼女とは対照的に穏やかな性格。
せつにマウントを取られたりもしたが、頼家の次男、善哉を出産する。
・一幡
頼家と比企家の娘であるせつの息子。
比企の血を引いた名実ともに比企家の若君であり、北条家にとっては外戚の地位を脅かす存在でもある。
・公暁(演・寛一郎)
一幡の異母弟。幼名は善哉。
頼家と源氏の血を引く娘であるつつじの息子。運命の子。
坂東で名を馳せた源義朝と“平安のモビルスーツ”源為朝の血を引く究極の内ゲバ河内源氏ハイブリッド。
北条と比企の争いにより幼くして父と兄を失う悲劇に見舞われ、政子によって権力闘争から守る意図で出家させられる。
成長後に鎌倉に戻り、政子の配慮とは裏腹に四代目将軍就任の期待に胸を躍らせるも、実朝が親王将軍を計画していることを知り落胆する。
その野心を乳母夫の義村に付け込まれる形で親兄弟の死の真相を知らされ、幼少期の比企尼の呪詛も重なって鎌倉殿への野心と北条家への憎しみが一気に高まる。
その後、時を同じくして自身の鎌倉殿就任の真相を知った実朝の決死の謝罪に一度は心を許しかけるも、
双方の境遇の違いと実朝の平和主義への懐疑から逆に実朝への不信感を強めることとなってしまう。
そして、鶴岡八幡宮での拝賀式の日に、恨み骨髄の実朝と義時を部下と共に襲撃。
義時は直前に源仲章に(半ば無理矢理)太刀持ちの役目を奪われていたために実朝に同伴しておらず、彼と間違って仲章を斬り殺すに終わるが、
実朝の暗殺には(彼がとある事情で応戦しなかったこともあって)成功。
その後、北条家で唯一信頼していたと思しき祖母の政子を秘密裡に訪ね、暗殺の真意と鎌倉殿への変わらぬ執着を語って立ち去ると、
味方と信じていた義村の下に向かい、食事をしながら今後の展望を語るが、既に義時側に付いていた彼に裏切られて殺される最期を迎えた。
公暁の首は義村によって毎度お馴染みの首桶に入れられて義時に提出され、三浦が北条や鎌倉に対して敵意がないことの証明とされ、
義時も形の上では義村の忠義を称えるが、彼の内心を察している故に、どことなく空々しい空気が漂うのであった。
ちなみに演者の寛一郎は上総広常役の佐藤浩市の息子であり、源頼朝に謀殺される人物を演じた俳優の息子が源氏の血筋を断絶させる人物を演じるという因縁の配役はキャスト発表の時点で話題となった。
また、公暁の「偉大な祖父と父を持つ自分の名を知らしめたかった」というセリフに三國連太郎と佐藤浩市の血を引く彼自身をダブらせた視聴者も。
阿野家
・阿野全成(演・新納慎也)
頼朝の異母弟。義経と義円の同母兄。おもしろハゲ。
自分の嫁と道ならぬ恋に落ちて時房顔の主人公を孕ませた男と死闘を繰り広げた王や、宗時顔の医師と共に医学書の翻訳出版に挑んだ坊主頭医師ではない。
源氏と北条にあって空気の読める男。頼朝の挙兵を知り、彼の兄弟の中で最初に駆け付けた。
北条家の女性陣を救うシーンで初登場。法力で風を起こそうとするも、何も起こらなかった。
その後も卜占や読経を通して兄・頼朝を支援する。が、その占いは半分しか当たらない(つまり何の効果もない)事を自覚している。。
要するにポンコツ魔術師である
降霊術と称して義高の霊
と再来年の大河の主人公の紫式部を呼び出した時も、フリをしているだけと大姫に看過されキレられるという色々な意味でコメディギリギリな場面もあった。
一方で出まかせから口にした
死亡フラグは全て頼朝が直面し、しかも踏み抜いている。
悪い事だけは当てられるのかも……?
実衣と結婚後はほぼ北条一族として扱われており、義経と頼朝の仲が悪化すると「両者の間を取り持つ兄弟」として範頼の名が上がった一方で、全成は忘れ去られていた。
源氏ながら権力から一歩引いた立場に居るものの、千幡の誕生後は実衣と共に乳父母となり、鎌倉パワーゲームに否応なく巻き込まれていく。
ただ、元々上昇志向にはやや欠けており、曾我事件発生後も頼朝の跡目争いに参加するどころか関わること自体遠ざけ、それによって頼朝の粛清から逃れた反面、
自分が頼朝の跡目を継ぐことを期待する実衣との間に隙間風が吹いてしまい、彼女の変心への焦りから時政・りくの鎌倉殿への呪詛の頼みを聞いてしまう。
気が進まない様子ながら頼家の名を記した人形を作成し、呪詛を始めるが、当人にやる気がないためか一向に成果が出ず、
焦った義父母から急かされ、呪詛のために頼家の髪等を求めて彼の様子をうかがっていたところで、平知康井戸落ち事件が発生。
彼を助けようとして逆に自分まで井戸に落ちてしまった頼家と、彼らを救おうとする義時を見ていられずに手を貸し、
間一髪助かった頼家の心情を聞いて「成長しても可愛い甥には変わりない」として、呪詛を中止し、実衣との関係も修復された。
ここで、めでたしめでたし…とはならないのが吾妻鏡『鎌倉殿の13人』。
全て回収し、処分したはずの呪詛人形が一つ残っており、それを発見されるという最悪のうっかりをしてしまい、
「絶対に認めてはならない」という義時の忠告もむなしく、抜き打ちの家探しで自分の仕業だとバレてしまった。
甥の信頼は失いつつも、せめて北条家は巻き込むまいと、拷問されても彼らの関与は認めなかった全成は、頼家の命で流罪に処される。
義時の「長くとも半年ほどで流罪を解かせる」という言葉を信じ、粛々と流刑先に向かった全成だったが、
頼家が手に余るようになった比企能員から、実衣がまだ怪しまれていると脅され、彼の頼みで再び甥に呪詛を掛けざるを得なくされてしまう。
そして、事が露見した際に、流石に二度目はないとして頼家から斬首の沙汰が下り、メンツを潰された知家直々に処刑されることに。
刑場に引っ立てられる最中、全成はひたすら呪文を唱え続けるも、誰に助けられるでもなく、ついに跪かされるが、
まさに斬首される寸前、突如として暴風雨が発生し、付近の木に落雷が発生。
衝撃で目測を誤った刃で縄を切られた全成は、実衣の名を叫んだ後、自分の法力に恐れ戦く知家の家人に変わり、知家自ら刃を抜いて迫られ、座り込んだところを斬られた。
この際、知家は全成を「悪禅師」と呼ぶが、この「悪」は悪辣と罵る意味ではなく、「恐ろしいほど優れている」という賞賛の意味である。
その顛末は義時によって実衣に伝えられ、暴風雨を起こしたのは夫の法力だと信じる実衣は、夫の最期を涙ながらに、しかし誇らしげに讃えるのだった。その後、頼家は前後不覚の病に倒れた。
彼の死後も実衣と時元は権力への執着を捨てられず、悲劇を繰り返してしまうこととなる。
皮肉にも、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇の妃・阿野廉子は彼の子孫である。
・頼全(演・小林櫂人)
全成と実衣の息子。ryzn。
京の寺の修行で「百壇大威徳法の業」を行う旨を手紙に記して母・実衣に送る。
全成が謀反の罪で斬首されると、謀反に加担した疑いで源仲章に処刑される。
・阿野時元(演・森優作)
全成と実衣の息子。頼全の弟。
比企と北条がぶつかり合う直前、鎌倉殿の後継者候補として千幡、一幡、善哉と並ぶ形で名前が挙がる。
後に元服して再登場。実衣の意向で実朝の従者の従者となるが、
乳母子の関係にある彼と自分との扱いの差に得心がいっておらず、実朝の追放を画策する時政の謀略に乗ってしまう。
実朝が公暁に暗殺され、その公暁も討伐されて鎌倉殿の座が空白になったことを受け、
今度は母親の実衣の口車に乗る形で、朝廷に働きかけて自分が征夷大将軍及び鎌倉殿になろうとするが、
それは義時ら幕府首脳部の望むところではなかったため、動きを知った彼らに謀反だと断じられ、
所領に戻って兵を整えていたところに追討軍を差し向けられ、敢え無く自害に追い込まれた。
ほか、全成と実衣の娘も登場している。
義経一党
・源義経(演・菅田将暉)
頼朝の異母弟、通称
九郎。
平家追討の総大将。
日本史上最大の英雄だが、本作では実利主義な天才として描かれ、視聴者から「
サイコパス義経」などと恐れられた。
本格的な登場早々、「どちらかが仕留めた狩りの獲物を巡って諍いとなった相手に『弓の腕前で勝負しよう』と持ち掛け、不意打ちで射殺して相手の命と獲物を奪う」、
「頼朝の前で鎌倉を奥州と比較しdisる」「坂東武者への態度がデカい」など、目的の為なら手段を選ばず、また、空気も読めない問題児として描かれる。
一応、頼朝への兄弟愛は本物なのだが、自分だけを見てほしいがために「同母兄の義円を戦場に送る」「嬉々として亀ハウスを焼き討ちにする」など、
ファングジョーカーバーサーカーな面や目的のためならば手段を選ばない面が強調され、登場人物はもちろん視聴者からも恐れられるが、
当人の言う通り戦に関しては天才的であり、平家との合戦が本格化し、武将としてそれに参戦すると、天才軍略家としての才能を遺憾無く発揮。
こんな戦闘狂な義経だったらチンギス・ハンになってもおかしくない
なお、後世には「仲が悪い」とか「対立していた」と伝わる梶原景時とは、最初こそ史実通りに対立するものの、
義経は彼の才覚を見抜いてか、いつしか「平三」と気安く呼んで信頼を寄せるようになり、
景時もまた、次第に魅了された義経のために一芝居打つなど、互いに強い信頼関係で結ばれるようになった。
また、男所帯で育てられた影響か、兄の妻…つまり義経にとっての「(義)姉」となる政子には初対面から甘えるような態度を見せ、
膝枕をしてもらったり、妊娠中の政子のお腹を「元気な子供が生まれてきますように」と優しく撫でたほか、
後に京を追われた時には感謝の念を述べるなど、まるで本当の姉のように慕っている様子を見せていた。
これらの事象から推測するに、「良くも悪くも自分の心に素直すぎる」のが本作における義経の最大の特徴である。
頼朝の期待に応え、木曽義仲を討ち、壇ノ浦の戦いでついに平家を滅亡させるという大金星を挙げるが、
平家が滅んだ戦場跡に立つ彼の顔に喜びはなく、小四郎に流れ着いた遺体を丁重に葬ってやるように指示を出すと共に、
「この先私は誰と戦えば良いのか」という、彼自身の不吉な未来を予期するかのような言葉を残した。
そして、後白河法皇に検非違使に任じられると、徐々に頼朝との関係が悪化。
色々な不運も重なり、奥州へと帰還する。
義時の奸計で鎌倉への武力蜂起を企むも、最早抜き差しならない状況に陥った時に彼とその背後にいる頼朝の策略(奥州征伐の大義名分作り)に気付き、
鎌倉に恭順の意を示すために襲撃してくるであろう藤原泰衡に敢えて首を取らせることで奥州を守ろうと考え、史実通り奥州でその生涯を終えた。
その首は泰衡の手で美酒に漬けられた上で首桶に入れられ、生前果たせなかった鎌倉への凱旋と、兄との(無言の)再会を果たした。
なお、泰衡に討たれる直前に館に招いた義時に語った鎌倉攻略計画は、およそ150年後、新田義貞が取った戦法とよく似ていた。
やはり、八幡大菩薩の化身じゃ……。
ちなみに、このある意味新しい義経を好演した菅田将暉氏は、撮影中に脚本家の三谷氏と直接顔を合わせたことがなく、撮影終了後も三谷氏が望む義経を演じられたのか不安だったそうだが、
とあるTV番組の企画で菅田氏の演技について聞かれた三谷氏は、「自分の考えた義経をまさにそのまま演じてくれた」と絶賛すると共に、「問題は大泉の方」と爆弾発言をしていた。
・静(演・石橋静河)
後世に伝わる静御前。
京の白拍子であり、義経が一目惚れ。
里と対立するも子を宿していたため、義経は長旅は無理だと判断。鎌倉へ送られる。
義時たちは素性が分かれば殺されかねないとして、頼朝らの前でわざと下手な舞を踊って別人だと押し通すように彼女に忠告し、
静も当初そのようにするが、やがて白拍子としてのプライドと義経への愛から、有名な「しずやしず〜」を頼朝の面前で歌い、
自身の素性が頼朝たちに露呈するも、その覚悟を悟った政子の取り成しで命までは取られず、義経の子を産んだ後、鎌倉から追放されるにとどまった。
その後鎌倉で出産するが、性別が男であったために取り上げられ、善児に連れていかれてしまった。
・弁慶(演・佳久創)
体格の大きい義経の従者。本作では一貫して義経を「御曹司」と呼ぶ。
義経の部下として日本史においては超有名人ではあるが、本作においては非常に活躍が少ない。
というのも、後世に伝わる弁慶の活躍は概ね「義経記」が元ネタで、本作の『原作』こと「吾妻鑑」には名前ぐらいしか記述されていないからだと思われる。
佐藤忠信等の、弁慶以外の義経の郎党も「義経記」には詳しく登場しているが、「吾妻鏡」には詳しい記述がないためか、
本作においては義経の郎党らしき人物は複数登場しているものの、名前が設定されていないなど
モブキャラ扱いである。
義経が頼朝と不仲になり、追われる立場となってからも付き従い、ついに義経が追い詰められた時には最後はよく知られた僧兵姿に。
有名な「弁慶の立ち往生」のシーンは、直接的には画面に映されてはいないものの、
弁慶の最期の戦いを実況する義経の口ぶりから「何か凄い事が起きている」ことが示唆されるという、捻りの効いた最期となった。
その他の頼朝の兄弟
・源範頼(演・迫田孝也)
頼朝の異母弟。平家追討の総大将。
蒲冠者。「蒲殿(かばどの)」と呼ばれる。
登場時は義経から遊女の子であると揶揄され、凡庸な作戦立案や義仲との面会中に腹を壊すなど、やや頼りない面が目立った。
しかし、御家人がクーデターを起こすと、万寿を守るために率先して相手を斬り伏せ、実衣から「意外と出来る」と評される。
出兵中に食糧が尽きると率先して魚釣りに出ようとしたり、壇ノ浦に沈んだ神器の回収に注力するなど、性根の優しく真面目な面が次第に強調されていく。
頼朝と万寿の死という緊急事態に際し、鎌倉を守りたい一心(と縁戚関係にある比企氏の謀略)で鎌倉殿を継ごうとしたにもかかわらず、
生還した頼朝に怪しまれ、仇討ちの黒幕認定されるという、その性格が最悪の形で裏目に出て伊豆の修善寺に流罪へ。
最初は抗弁していたが、頑なな兄を見て説得を諦めてしまった。
その後は鎌倉や政から離れ、修善寺の近くに住む村人と作物を育てる穏やかな日々を過ごしていたが、
早世した大姫の死因を範頼の呪いと断定した頼朝により、差し向けられた善児に村人諸共暗殺されるという最期を迎えた。
・義円(演・成河)
頼朝の異母弟。
全成、義経とは同腹の兄弟。
頼朝の挙兵に応じて鎌倉へ馳せ参じた実直な青年。
兵法書にも通じており頼朝からは期待されていたが、彼を妬んだ義経の計略に嵌められ、叔父・行家に従軍。
功を焦った義円は、平家との戦で無念の戦死を遂げた。
坂東
東国とも。大体現在の関東地方とその周辺を指す。
坂東武者なる蛮族達の土地であり、都から坂東を間接的に支配し権勢を振るう平家が気に食わないので頼朝の挙兵に呼応して源氏の名の下に御家人として集う。
しかし、彼らにとっては頼朝とて他所者であり利害が完全に一致しているわけでは無い事が、様々なすれ違いを生じさせる。
特に土地を第一とする彼らにとってはわざわざ京まで行かなくても…感が見え見え。
御家人間でも複雑な縁戚関係や地政学から対立が潜在化しており、頼朝の生前から火種は燻っていたが、彼の死を契機に「鎌倉殿」を巡って数々の内紛を引き起こす。
誉れは浜以前に死んでいた……?
鎌倉
現代の鎌倉市とその周辺。相模国にある幕府所在地。
元々は頼朝の父・源義朝が本拠地としていたほか、更にその先祖である源義家(八幡太郎)の拠点でもあった。
鶴岡八幡宮が置かれるなど、河内源氏とは縁が深い地域。
安達家
頼朝第一の家人・安達盛長を祖とする一族。
足立遠元や比企家とは親戚関係にはあるものの、他の豪族と比較しても一層家格が低く、北条家以上に頼朝あっての家系。
・安達盛長(演・野添義弘)
頼朝第一の家人。通称藤九郎。13人の宿老の1人。
本作の良心。流人時代から頼朝を支えた従者で、頼朝が本心を明かせる人物。
色々と苦労を掛けられるも、頼朝自身は盛長を格別の部下として扱っている。
史実では頼朝の弟、範頼に娘が嫁いでいるため彼の舅なのだが、特段詳しくは触れられなかった。
優しい性格で、失恋した義時を慰めたり、頼朝がこれ以上御家人から嫌われないか心配し、起点を利かせて義高逃亡計画をサポートする。
その性格から頼朝の(主に女性関係の)悪だくみを止めようとして押し切られることもあったが、
比奈を夜這いしようとした時には毅然と窘め、夜中に見回りをしていた(結局影武者に騙されるが、義時が比奈のところに詰めていたので夜這いは失敗している)。
息子の弥九郎が金剛に殴られた時も義時親子を快く受け容れ、八重の死で出仕を辞めてしまった義時に待っていると声を掛けた。
天命を悟った頼朝に帯同する最後の人物となり、懐かしの「佐殿」と久方ぶりに昔を振り返るも、彼の落馬に直面し、慟哭する。
北条の裏切りさえも警戒していた頼朝が、最後まで信頼を寄せていた人物であり、葬儀では彼の棺を持つ役を務めた。
頼朝の死後は出家し、亡き主君の菩提を弔う日々を送るが、比企に頼まれて13人の宿老に参加。
ただ、政治に意欲はないのか、議論が紛糾している時に堂々と居眠りをかましたことも。
亡き主君の嫡男である頼家にも誠実に仕えるが、その頼家が息子の妻を奪おうとした時には、
息子と共に直々に抗議に向かい、「首を切る」と脅されても一歩も引かず、その傲慢さを毅然と戒めた。
これで当の息子の嫁が貞淑だったら言う事が無かったのだが、それは言うまい
その後、死期を悟った彼は小四郎に「小指の先だけでもいいから、頼朝様の墓の近くに葬ってくれ」と遺言し、この世を去った。
・安達景盛(演・新名基浩)
盛長の息子。幼名は弥九郎。
鶴丸を孤児と馬鹿にした事で、金剛に殴られる。
謝罪に来た義時の土産に颯爽と手を付けようとするなど、父親よりも強かな性格。
後に嫁を娶り、頼家に仕えるが、当の嫁が頼家と不倫したばかりか、彼女を手に入れたい頼家にあわや嫁を奪われかける羽目に。
頼家追放後も修善寺へ引き渡すよう彼から文が鎌倉へ届くも、宿老たちの話し合いで当然ながら却下された。
本作後の時代、泰時の息子に自分の娘を嫁がせ八代執権時宗や北条氏最期の当主時行等の先祖となり、三浦絶対族滅マンこと義村亡き後の三浦氏殲滅主導者になるのは別の話。
文官
・三善康信(演・小林隆)
鎌倉幕府問注所執事。13人の宿老の1人。
京の下級役人であり、頼朝とは昔馴染み。
流罪後の頼朝に京の政局を手紙で伝えており、情報面から支えてきた。彼の早とちりな側面が頼朝の決起に繋がってしまう。
大江ら文官3人を頼朝に推挙し、後に自らも鎌倉へ下向。出家し頭を丸めた姿で登場する。
頼朝死亡の早合点から、範頼を鎌倉殿に押し上げてしまい、その後も次の鎌倉殿を話題にして頼朝に怒られるなど何処となく不憫枠。
合議の仕事はそつなくこなすが、過去のやらかしを気にしているのかパワーゲームにはあまり絡もうとしない。
実朝の治世においては彼に和歌の教育、さらに亡き父・頼朝の和歌に触れさせ実朝に和歌への魅力に目覚めさせる文化史上重要な役目を果たす。
なお、教育の際にはお茶目な言い回しで和歌を表現した人呼んで「てててて康信」。
・大江広元(演・栗原英雄)
鎌倉幕府政所別当。13人の宿老の1人。京から下向してきた官僚。
登場から間もなく物語の雰囲気を一変させた、坂東武者とは異なる次元でやべー奴。
着任早々、坂東内の力関係を見抜き、勢力の強い上総介を危険視。頼朝と共に誅殺計画を実行に移した。
義時の事を信用の置ける人間と見做しており、頼朝に彼を重用するよう進言している。
常に硬い表情を崩さないため、頼朝以上に何を考えているか分からないが、
自分を都落ちと馬鹿にした京の連中を見返すため、鎌倉の組織作りに腐心しているのが本心のようである。
だが、それ以外は特段私利私欲や権力欲を見せず、鎌倉殿システムのために淡々と陰謀を画策する様は、もやは
幕府だけを生かす機械である。
頭脳担当でありながら戦闘能力も高く、和田合戦では御所で闇討ちした兵士4、5人を素早く返り討ちにし視聴者を騒然とさせた。
頼朝の死後も幕府存続マシーンとして淡々と事に当たるが、主導役として動き出した義時に力を貸し始める。
梶原景時弾劾の訴状を頼家に提出せず和田義盛から詰められるも、「梶原殿が不憫で」と漏らすなど、景時の能力には一定の評価を持っていたようだ人の心あったんか。
頼家→実朝と鎌倉殿が代替わりしても変わらず義時と共に鎌倉幕府の存続のために動くが、
激務と年齢のせいか視力が急激に衰え、目を閉じていることが多くなった。
また、鎌倉幕府のために働くモチベーションには、夫や息子を相次いで喪い、それでも気丈に「尼御台」で在り続ける政子への想いも強く、
政子もそんな広元の気持ちを悪くは思っていないようだが、流石に視力の話題で「心には尼御台の姿が常にある」と言われた際には「重すぎます」とツッコんだ。
先祖は院政期の近臣、大江匡房。
子孫の一つに毛利氏があり、武家政権を作り上げた彼の血筋は数百年後
西国に覇を掲げ、
さらに未来で長州藩として朝廷を抱き武家政権を終わらせる数奇な運命を辿る事になる。
人呼んで「鎌倉の
オーベルシュタイン」。
・中原親能(演・川島潤哉)
鎌倉幕府の文官、広元の実兄。13人の宿老の1人。
広元、行政と共に鎌倉へ下向してきた対朝廷担当の外交官。
義経について平家追討に従軍するが、彼の朝廷や法皇に対する振る舞いに右往左往する。
史実では13人の宿老による合議が行われた記録は存在しないが、宿老達の捲し立てる諍いを書記役の親能が速記出来なかった結果、歴史に残らなかったという解釈がなされた。
三幡の乳母父だったが、彼女が病死するとあまりのショックに出家。
京都へ戻ってしまい、13人の宿老最初の脱落者となった。
しかし、物語からは退場せず、法服姿で後鳥羽上皇に鎌倉の動向を伝えるなど、未だに京と鎌倉を繋ぐ役割を果たしている。
・二階堂行政(演・野仲イサオ)
鎌倉幕府の文官。
13人の宿老の1人。
広元、親能と共に鎌倉へ下向してきた。
藤原氏の流れを汲む下級貴族の出自で、下向当初は藤原行政を名乗る。
宿老としての立場を重んじており、合議の場に来なくなった時政に声を荒げたことも。
演者曰く「鉄面皮」な人物らしい。
子孫は顔芸で名を馳せたのに。
終盤になると孫娘のえを義時に嫁がせて自らの立ち位置を強めようとするが…。
相模
現代の神奈川県辺り。
三浦党
その名の通り相模国の三浦半島を本拠地としている豪族。
桓武平氏平良文を祖とする坂東八平氏の一つ。
・三浦義澄(演・佐藤B作)
大豪族三浦党の当主。通称次郎。13人の宿老の1人。
時政とは共に伊東の妻を娶った義兄弟であり、友人関係にある。時政とジジイ同士でどつき合い(イチャつき?)をした結果、
水鳥が羽ばたき平維盛が撤退するという珍エピソードを披露した(どつき合いは脚色だが水鳥云々は吾妻鏡に書いてある史実である)。
北条家を盟友として大切にする一方、反頼朝勢力の一員としてクーデターにも参加。
しかし、上総介誅殺で鎌倉殿の恐ろしさを思い知り、義高を匿い飄々としていた息子を一喝する。
ただ北条家の躍進には無頓着であり、大豪族三浦から見れば、時政は小突けば収まる程度の友人と考えている。
・三浦義村(演・山本耕史)
通称平六。
義時の従兄弟であり、盟友。
義時が困った時に頼る信用ならないドラえもん。義村もそんな友人のために力を貸すが、何を考えているのかよく分からない。
頼朝を信用していないが、頼朝の女を取る事で頼朝を超えるといった謎の理論を繰り出したり、八重やりくに粉を掛けたり、突然娘の養育を八重に押し付けたりしている。
八重を救えなかった時は心配する蒲殿に対し、「義時もよくよく運のない奴だ」と冷たく言い放つも、彼が冷たい台詞を言う時は大体本心ではなく、強がっているだけにも見える。
義時に隠居をチラつかせながらも今後も共にある事を誓うも、大姫入内の際には時政が帝の外曽祖父となりうる程北条が力を持ってきた事に焦りを覚えており、
危機感を持っていない義澄と土肥実平に呆れている。
その後、入内を恐る大姫に対し、生きたいように生きるよう助言するも、前段の脈絡を見る限り100%善意の言葉かは怪しいところがある。
頼家につつじを引き合わせ、義時の要請で二人の息子の乳父となるなど、次第にパワーゲームのプレイヤーに躍り出る。
梶原失墜の裏から糸引いた人物で、曰く彼がいると色々やりにくかったらしい。
戦わずして勝つタイプのキャラながら実は武芸においても圧倒的で、作中ではアサシンの善児とトウをそれぞれ相手にしながら八重とりくの護衛に成功しており、純粋に武芸のみなら作中最強候補の人物でもある。
北条氏の天下となってからは虎視眈々と三浦一族台頭の機会を狙うようになり、野心家に対して陰ながら助力し謀反を煽るようになる。
その一方で自身はギリギリまで動かずに様子見をし、旗色が悪ければ早々に密告、翻意をして義時に恩を売りつつ数々の謀反人を裏切り見捨てる決断を下す。
結果として権力に執着しながらも修羅の国鎌倉でのらりくらりと失脚・破滅を免れている。裏切った相手はほとんど死んでるし
なお、義時曰く「義村は自分の本意ではないことを喋ると、話している最中かその後に襟を正す」というクセがあり、
義村に自覚があるか、また、あったとしてそのクセを義時に見抜かれていることを知っているかは不明なものの、
確かに義村が本意ではなさそうなことを言っているシーンではこの仕草をしており、最初から見直してこの仕込みに鳥肌が立ったという視聴者の声もちらほら見られた。
演者の山本氏は、「義村が上の空になっていそう(本意ではないことを話している)場面で、その気持ちを表すべくこのような仕草を(おそらくアドリブで)していた」とのことで、
山本氏の言葉を信じるならば、撮影を進める中で山本氏のこの仕草に気が付いたスタッフ(脚本家)が話の重要な伏線として取り入れたということになる。
『承久の乱』の直前には、北条家(義時)を裏切って朝廷側に付こうとするが、上皇が根回しをしていた自分と他の御家人に同時に院宣を渡していたことにいたくプライドを傷つけられた結果、
謀反を画策していた弟や仲間をまたしても裏切り、院宣を義時のところに持ち込み、北条に恩を売る。
それでも諦めずに朝廷側に寝返る機会をうかがっていたものの、政子のカリスマ性と義時(と泰時)の人望により、彼の考えとは裏腹に御家人が一致団結してしまい、
そのままの勢いで上皇軍を打ち破り、義時も生き延びたことで、彼の裏切りはまたしても失敗に終わった。
そして迎えた最終回、密かに義時に毒を盛っていたことが彼にバレたのえが白状したことで、義村が毒を用意したことが発覚してしまう。
そうとも知らずに義時の誘いに応じた義村は、彼との会話ややり取りで、のえへの自らの関与がバレていることを悟り、
その上で「毒入りの酒を呑め」(意訳)と義時に詰められたことで、覚悟を決めたように勧められた毒酒を呑み干す。
毒で呂律が回らなくなりながらも、最早自らの腹積もりは義時にバレていると察したらしい義村は、
イキりの自分を差し置いて幕府の最高権力者である執権にまで上り詰めた義時に抱いていた、長年の嫉妬心を吐露する。
つまり義村の一連の裏切り行為は、三浦一族の繁栄のためではなく義時に対する個人的なライバル感情が理由であった。
その後、最初から義村を死なせるつもりなどなかった義時から、「よく話してくれた。礼に俺も打ち明ける」という言葉と共に「これはただの酒だ」と種明かしをされ、
普通に話せるようになった義村は、自身の本心を初めて打ち明けたことと、自らの裏切りを事実上不問にされたことを受け、襟に触ることなく北条家への忠誠を誓った。
なお、これ以降は本音を晒したためか、若い頃のように義時と含むところなく話し始めたが、
その会話の中で、かつて義村は義時に「女性はたいていキノコが好き」という嘘を吐いたということを当人にバラし、
義時と彼の謎理論の出所が義村であったことを知った視聴者に衝撃を与えた。
言われた義時の、かつての「小四郎」に戻ったような表情とリアクションも必見である。
「…もっと早く言ってほしかった……」
ちなみに、早い話数から山本氏が演じているが、史実の彼の年齢と照らし合わせると
話によっては十代前半だったりすることも。
初出の一話の時点ではまさかの
一桁の年齢である。
お前のような少年がいるか
メフィラスは鎌倉時代から暗躍していたのかもしれない。一部視聴者からは「平安時代から悪左府として潜伏していた」との声も。
余談だが、よく知られているように義村本人は天寿を全うできたが、泰時の死後に三浦一族は北条氏に滅ぼされることになるが、それは別の話。
・初(演・福地桃子)
後世に伝わる矢部禅尼。
三浦義村の娘。生後すぐに母と死別し、義村によって一方的に八重の下に預けられる。
こうした境遇のためか実の父親である義村との絡みは少ない。
成長後は父親譲りの洞察力と育ての親譲りの思いやりを持つハイスペック女子へと成長。
幼馴染の泰時に好意を寄せられ義時直伝のキノコアタックにドン引きしたりと最初は辟易するもなんやかんやで夫婦へ。
結婚してからも精神的に未熟な泰時をリードする姐さん女房となり、泰時のクソ真面目なところに時として呆れたような態度を見せるも、
泰時には無い視点を提示する事で上手く盛り立てている。
和田合戦では旧知の仲である和田義盛との戦いに不服で大将に命じられながら飲んだくれていた泰時に頭から水をぶっかけるという豪快な尻叩きで泰時の酔いを醒ました。
史実では泰時と離縁し佐原盛連に再嫁したとされているが、本作では離縁した描写は無く最後まで泰時の妻として振る舞っていた。
・和田義盛(演・横田栄司)
通称小太郎。13人の宿老の1人。
義澄の甥で三浦一族。
典型的な坂東武者らしい見た目と性格で、粗暴かつ猪突猛進な男。武芸の実力は御家人一。
決起の際、勝利の暁には侍大将になりたいと豪語。
その後本当に頼朝から侍所別当に任命される。
兎のような妻が居るらしいが物足りず、合戦中に出会った巴を気に入り、彼女を愛妾として引き取った。
前述のとおり軍事長官なのだが、御家人クーデターに参加したり、しょっちゅう鎌倉殿の陰口を叩くなど、立場に反して問題も多い。
敵対していた畠山重忠の事が気に入らず、重忠とは逆の行動を取ろうとする傾向にある。また、上総介を御家人の面前で惨殺した梶原景時も嫌っている。
一方、裏表の無い性格から笑いを誘う場面も多く、無邪気に騒ぐ彼の姿は本作の癒しでもある。
特に巴御前との戦闘報告は「かわいらしい」イラスト付きで頼朝に届けられた。この報告書は放映中に大河ドラマ館で飾られた。
頼朝の落馬による死を「武家の頭領なのに情けない」と詰り、徐々にその坂東武者らしい性格が悪い方向に出始める。
だが、頭が悪いことは本人も自覚しているらしく、時政の要請で13人の宿老に選ばれるも、北条方の数合わせ要員に過ぎなかった。
頼朝の生前に侍所別当の地位を梶原景時に奪われていたらしく(本人は1日だけのつもりだった←???)、彼の弾劾状を取りまとめ、反対する土肥実平を恫喝。
頼家に66人の連判上を供覧しない大江広元をも脅して景時の鎌倉追放に成功する。
その後は時政と義時による陰謀の戦力として活躍する一方で、すっかり鎌倉の評議の場には姿を現さなくなってしまった。
しかし、実朝政権に入り、実朝の教育係となってから、彼とその一族の先に暗雲が立ち込めることとなる。
武芸の先生(師匠)となった彼は、文化人で武芸が苦手な実朝にもっと体力をつけてほしいと自邸に招き、獲ってきた獣の肉鍋で宴会を催すが、
堅苦しい御所にうんざりしていた実朝は、彼とその妻である巴が住む朴訥な屋敷を主共々気に入るようになり、私的な関係を義盛と築き始めていった(武衛ならぬ羽林とはこのこと!)。
ここまではよかったのだが、義時の専制政治が幕を開けると、義盛を通じて御家人の声が実朝のもとに流入し始めたこともあって義時にとって文字通り目の上のタンコブとなり、
義盛の一族による後顧の憂いをなくす意図もかねて「最も頼りになるものは最も恐ろしい」とデスノートに名簿入り。
源仲章によく似た御家人の陰謀を機に義時との対決は避けられないものとなり、一時は政子の計らいで義時と和解するも、息子たちの暴走によりやむなく挙兵した。
後世で言うところの「和田合戦」の始まりであった。
その和田合戦では、武芸には優れるが謀略が苦手な和田勢は武芸には劣るが謀略には勝る北条勢に援軍を奪われるなど劣勢を強いられ、
唯一突破口を開きかけた戦線も朝時にインスパイアされた泰時の奇策によってあえなく崩されて総崩れ。鎌倉の一角に立て籠もって再起を図った。
その最中、実朝の来訪を受け、彼との面会に応じることに。「義盛、お前に罪はない。----中略----。私にはお前がいるのだ」と今回の一件を不問にするという実朝からの言葉を聞き、感涙。
降伏を決意したが、将軍である実朝自らが(北条以外の)特定の御家人とその一族を特別視することを許せば幕府の運営に支障を来すことを熟知していた義時は、
後ろに詰めていた三浦義村に攻撃命令を出し、義盛は北条勢から放たれた無数の矢を浴びせかけられて討ち取られ、和田一族も粛清された。
この時の義時の弾劾により、義盛は一族共々【鎌倉殿に取り入ろうとする者の末路を示す見せしめとして】討ち取られたこととなったが、
攻撃命令を出した時点で義時も半ば察していたと思われるが、これによって実朝との対立は決定的となり、義時への宣戦布告と源仲章の台頭という窮地を招くことになった。
・岡崎義実(演・たかお鷹)
三浦義澄の叔父。通称平四郎。
坂東武者らしく血気盛んな老将。
史実では頼朝ワッショイのガチ勢なのだが、御所の場所が希望通りにならず、
出兵は推し進められ、文官ばかりが贔屓されるなどの不満が溜まり、本作では反頼朝の急先鋒となる。
曾我兄弟の敵討ちでは、工藤祐経だけでなく、頼朝を亡き者にしようと陰謀を企てた。
最終的には企てが露見し、出家。景時が現れたことで「あんたが来たっていうことは、そういうことか」と誅殺も覚悟するが、
平家への挙兵時にいち早く馳せ参じた功績から、殺される事は無かった。
その際は挙兵の頃をとても遠い過去のように思い返していた。
なお、曾我兄弟の黒幕説は本作の独自解釈だが、敵討ち直後に多くの御家人が出家している事から「何か」があった事は確からしく、
出家した面々に義実が名を連ねていたのは事実である。
梶原家
鎌倉群(現在の鎌倉市)梶原、まさに本作の舞台となる地域に拠点を置いた豪族。
坂東八平氏の一つ。
・梶原景時(演・中村獅童)
侍所所司。通称平三。13人の宿老の1人。
鎌倉KGB長官にして義経ガチ勢の天命厨。
坂東武者らしからぬ教養の持ち主。
義経の振る舞いを頼朝へ讒訴したチクリマンとして後世に伝わるも、本作は斬新な解釈の基、その活躍が描かれる。
序盤は平家方の大物武将、大庭景親の縁者として登場。
石橋山の戦いで敗走する頼朝を見つけるも、彼に天命を見出し、見逃す。
その後は上総広常を自軍に引き入れる過程で義時と出会う。そして、頼朝の攻勢が激しくなると大庭を見限り、頼朝の軍門へ。
頼朝の側近となり、諜報人として鎌倉で暗躍を開始。
御家人クーデターの際はわざと反乱方に潜り込むも、疑う頼朝にその忠義を試され、御家人の面前で上総広常を抹殺。
以後はスパイ活動も相まって、御家人達(特に上司の筈の和田殿)の嫌われ者になってしまう。
平家追討時には軍監として義経に同行。彼の奇想天外な戦略に憤りと嫉妬を覚えるも、誰よりもその才能を理解しており、義経と奇妙な友情関係を築く。
だが、史実通りに義経の振る舞いを頼朝に讒訴。兄弟の仲を不安定にする一因を作った。
しかしその理由は、義経の道理にもとる戦法や才能への嫉妬からではなく、
「天に選ばれた頼朝と義経の両者が並び立つ筈が無いから」という、天命厨らしい斬新過ぎる解釈がなされた。
義経と頼朝を天秤に掛け、彼は頼朝を選んだのである。
事実、景時は義経を「八幡大菩薩の化身」とまで評価していた。
義経の死後も万寿(頼家)に九郎殿ファンボーイの知見からアドバイスするが、その正攻法でないやり方から却下されてしまう。
色々あったが頼朝の信頼は厚く、彼が鎌倉と頼家を託したのは義時、政子、そして景時だった。よりによってこの3人かとか言ってはいけない。
その後は未熟な頼家の政治を助けるべく、支援者として五人組を組織しようとするが、
比企と北条が互いに勢力を伸ばそうと自分に近しい者を引き込みまくったせいで13人にまで数が膨れあがり、
結果、義時の危惧通り、頼家を助けるための取り組みで逆に彼から「自分を信頼していない証拠」と不興をかってしまうハメに。
さらに、頼家を侮辱するような発言をした朝光を謹慎、次いで死罪にしようとした際には、
普段の振る舞いから反感をかってしまっていたため逆に御家人たち66人から排斥を求められる連判状を出されてしまう。
それでも自分は鎌倉に必要だと信じ一切の弁明を行わなかったために謹慎を申しつけられ、
さらに京の後鳥羽上皇から誘いを受けたことを知った義時が頼家に報告したことでついに流罪に。
このまま終わることを良しとせず、一幡を人質にとる暴挙に出るが、義時の説得により断念。
最後は義時に坂東武者の世をつくることを約束させ、武士として戦の中で死ぬべく、流刑地に行くと見せかけて京へと向かい、
景時の内心を見抜いていた義時が差し向けた追討軍と戦い、ついに駿河国で一族諸共討ち取られる、武士らしい終焉を迎えた。
基本的に感情を見せることがなかった景時だが、頼家に対する忠義心は本心からのものだったらしく、
主君から謹慎を申し付けられた後、面会に訪れた義時に「自分は必要ないのか」という嘆きを洩らし、涙を見せた。
・梶原景季(演・柾木玲弥)
景時の嫡男。上総介誅殺の際は父のアシストをした。
父が流罪となった際には彼に付き従い、そして、父と共に駿河国で最期を迎えたと思われる。
武蔵
比企家
俵藤太こと藤原秀郷を祖とする武蔵国の豪族。
頼朝の乳母を務めた比企尼の娘たちやさらにその子供たちの婚姻を通じて勢力を拡大させていく。
・比企能員(演・佐藤二朗)
比企尼の甥で養子。13人の宿老の1人。
生まれは阿波国であり、生粋の坂東武者ではない。
頼朝の死相が濃くなるにつれ、パワーゲームを加速させていく黒幕。
登場自体はかなり初期。頼朝を気遣う尼と比べると、特に源氏への思い入れはなく、挙兵にも上総広常や千葉常胤より後に参加。
しかし、乳母への恩を忘れぬ頼朝により、道ともども万寿の乳父母になる。その後、北条家が全成とも姻戚関係となった事を「上手くやった」と解釈。
範頼や義経に比企尼の孫娘を送り込み、着々と源氏外戚の地位を確立していく。
万寿の成長と共に2代将軍の世が訪れる事を心待ちにしており、御家人がクーデターを起こす度、秘密裏に呼応したり見て見ぬふりをしている……が、世渡り上手なために露見することはない。
曾我兄弟の事件では頼朝どころか万寿も失ったと確信するや、すぐに縁戚関係の範頼を鎌倉殿へと担ぎ出すなど切り替えも早い。
序盤はとぼけた風見鶏野郎な側面が強かったが、徐々に黒い面を見せ始め、時政のライバルとして暗躍する。
その真なる目的は鎌倉を足がかりにして京へと上り、平家の如き力を手にする事にあった。
そのために頼家を立てて裏から実権を握ろうとするも思い通りに制御できなくなったため彼を呪殺し、より操りやすい幼い一幡を鎌倉殿にすべく画策する。
しかし、陰謀に加担する一方で割と道理は重んじており、頼朝を「坂東をおかしくした元凶」と憎む曾我兄弟を「何も知らない若造が!」と叱り付けたり、
自分が早とちりで鎌倉殿になるよう唆し、結果謀反の疑いを掛けられた蒲殿の弁明を試みたりしている(どちらも最後は保身に走ったが)。
全成の処刑への自らの関与に気付いた義時とも対立するようになった直後、頼家が急病に倒れ、頼朝の最期を彷彿とさせる危篤状態に陥ると、
一幡を後継者にと望む比企家と千幡(実朝)を推す北条家との対立は決定的なものになり、両家の融和を望んでいた義時もついに比企の族滅を決める。
能員も北条家との戦いに備えていたが、時政からの話し合いの提案を受け、心配する家族を「丸腰なら斬られないだろう」と説いて邸宅に赴くが、
その考えが裏目に出てしまい、最初から殺すつもりの時政・義時とその協力者・配下に完全武装で出迎えられ、
「丸腰の私を斬れば誇りが傷つく」という彼の理論武装も「生き残るためならなんでもやる」と時政に一蹴され、抵抗するも瞬く間に取り押さえられる。
さらに、味方だと思っていた三浦義村にこっそり着込んでいた鎧の存在も暴かれ、ついに進退窮まった能員は、北条家や鎌倉への呪詛を吐いた後に首を取られた。
その後、北条家によって遺された比企一族も一幡諸共族滅され、比企氏は歴史の表舞台から姿を消すことになるが、
頼家が奇跡的に生還したことで、結果的に比企氏の族滅は、それを行った義時・北条家と鎌倉幕府の行く末に更に暗雲をかけることとなった。
・道(演・堀内敬子)
後世に伝わる比企局。
能員の妻。万寿の乳母。
夫以上に比企家の繁栄を夢見る野心家。
淡白な性格で、自分達に危害が及そうであれば誰であろうと切り捨てる。
当初は頼朝への協力を渋っていたが、万寿の乳母となったことで、覇権を目指して能員を焚きつける。
その後、頼朝が死去し、万寿が源頼家として鎌倉殿(将軍)を継いでからは、政子や北条家と対立することになる。
頼家の急病によってついに対決が決定的となった矢先、能員が時政との話し合いに出向いて帰らないという緊急事態を迎え、
北条家の手勢に邸宅を囲まれたことで、北条に夫を謀殺され、今まさに自分たち比企一族が滅ぼされようとしていることに気付いた道は、
せつや一幡を逃がしつつ、自らは館に突入してきた北条家側の御家人の前に立ちはだかる。
その最期は描かれていないが、その後登場しないため、この時に殺されたとみられる。
・比企尼(演・草笛光子)
比企能員と道の義母。
頼朝の乳母であり、流人時代の彼を支えた人物。
頼朝の配流に併せて京都から引っ越し、娘婿の盛長を従者として斡旋、二十年も仕送りを欠かさないとその支援のガチっぷりは半端ではなかった。
頼朝も非常に大切に思っており、比企家の引き立ては彼女への恩によるところが大きい。
娘が安達殿に嫁いでいる関係から、彼の要請を受け、範頼謀反を疑う頼朝を取りなしに現れる。
その際、小さな菩薩をあげた頃の頼朝からあまりに変わってしまった事を嘆き、彼に平手打ちをする。その結果、範頼は流罪に留め置かれる事になるのだが……。
頼朝の死後はその息子で跡を継いだ頼家を、能員や比企一族と共に支えようとするが、
対立が決定的となった北条家に能員を殺された上に自らの一族まで族滅されそうになり、北条に呪詛を吐いた。
比企一族と運命を共にしたと思われるが、比企一族の族滅後、一幡の異母弟である善哉(後の公暁)の前に浮浪者のような装いで現れ、
「北条を許してはならない」という呪詛を吹き込んだ後、善哉が一時視線を逸らした間に、まるで最初からいなかったようにその姿は掻き消えた。
・里(演・三浦透子)
後世に伝わる郷御前。
比企尼の孫で義経の正妻。父方は武蔵の豪族河越氏。
彼が鎌倉へ帰るのを待っていられず、京まで上るが、頼朝と義経の関係悪化により鎌倉への帰還が叶わなくなった上、
義経は白拍子の女(静御前)と良い仲になってしまい、夫とも疎遠になってしまう。
そして、静と義経の関係が気に食わず、源行家と共謀し、鎌倉方の襲撃に見せ掛けて義経と静を奇襲させ、
二人を引き離すことに成功した後は奥州まで付き従い、娘をもうける。
そして、頼朝の脅迫に屈して義経を討つことを決めた藤原泰衡の軍勢が迫る中、鎌倉に帰りたいと述べるも、
最早死は避けられないと悟ったか、義経に京での襲撃は頼朝の差し金ではなく自分の仕業であったと白状し、激昂した義経に刺殺された。
我に返った義経はその亡骸に縋り付いて謝罪を口にした他、後に義時が館に招かれた時には、娘の遺体と共に布が掛けられていた。
・比奈(演・堀田真由)
後世に伝わる姫の前。
比企尼の孫で、義時の2番目の妻にして正室。
前妻の子である頼時(泰時)にとっては継母にあたるが、母上ではなく姫と呼ぶように言い含めている。
元々は頼朝の側室にするべく比企能員に送り込まれるも、政子に勘付かれたことで計画は頓挫し、
政子に
問い詰められた頼朝の出まかせをきっかけに、義時の後妻に推薦された。
当の義時は八重への未練もあり、再婚に対しては消極的だった上、
比奈も「薄気味悪い」と漏らすほど、当初は義時にも、彼との再婚にも意欲を見せなかったが、
彼の言動に徐々に興味を持ち、(史実とは逆に)比奈の方から義時に接近していき、
偶然にも義時が八重を口説いた言葉で、彼への思いを伝え、夫婦となる。
比企の娘である事からりくにいびられたり、ボケた時政に「八重」と呼ばれるなど不憫なところもあるが、明るく振る舞っている。
しかし、比企と北条の対立が決定的になったことで、自身の立ち位置を心配した義時の気持ちや立場を慮ってか自ら離縁を切り出し、
本心では納得できずとも、その離縁を受け容れた義時をいつものように見送った後、義時の館から去っていった。
・せつ(演・山谷花純)
能員と道の娘、後世に伝わる若狭局。
頼家との間に男児・一幡を産むも、頼家のもう一人の妻であるつつじが源氏の血筋であるため、正室に認定されていない。
自身と一幡を顧みない頼家に憤り、懐妊前のつつじにマウントを取るなど、女の戦いを(政子の前で)繰り広げる。
だが、両親と異なり比企の覇権や一幡の後継者問題については気にしておらず、ただ頼家に側に置いてほしいと願う純真さを持つ。
その思いが頼家に通じ、彼は一幡を嫡男とし、せつと共に鎌倉を作っていくことを決心する。
しかし、そんな矢先に頼家が急病に倒れ、せつは一幡をその後釜に据えようとする比企一族の側に立つが、
千幡に跡目を継がせようとする北条と比企の争いに巻き込まれ、滞在していた比企の館が北条の手勢に囲まれてしまう。
せつは一幡と命からがら逃げ延びようとするが、父から一幡とせつの抹殺を命じられた泰時とその部下と鉢合わせしてしまい、
内心では父の決断に納得していない泰時は見逃そうとするが、そんなことを知る由もないせつは短刀を抜き、一幡を護ろうと彼に突進。
主の危機を防ごうとしたトウによって返り討ちにされ、一幡の名を呼びながら息絶えた。
畠山家
・畠山重忠(演・中川大志)
武蔵国の大豪族にして坂東八平氏の一つ・秩父家の一門。通称次郎。
武士の鑑かつ、音曲ガチ勢のイケメン。作中屈指の常識人であり、義時の信頼も厚く、同じく三谷が脚本を担当した「新撰組!」の山南敬助を思い出したという声も。
総合力では御家人一と評されたことも。
序盤は平家方で参戦。三浦党の当主・三浦義明を討ち、和田義盛と交戦した。
その後はしこりが残りながらも鎌倉方に付き、源平合戦に従軍。
義経の常識破りの戦略を窘めることもあったが、一方で彼の「天才」ぶりを称賛することもあり、彼に従って壇ノ浦を戦い抜いた。
御家人クーデターの際も曾我兄弟の際も常に活躍の場が与えられている。曽我兄弟に鎌倉殿のところに行かれたけどね!
物語中盤で北条家の娘・ちえと結婚し、北条ファミリーの一角となる。頼時からは坂東武者の全てを兼ね備えた男として尊敬されている。
その人柄から、有力御家人として北条共々幕府を盛り立てていき、北条父子からも「頼りになる婿殿(義弟)」と信頼され、
頼朝の死後も北条氏に付き、「北条に敵対するのは自殺行為」という諦めのような感情も見せつつ、時政や義時の下で動いていた。
しかし、比企能員の乱以降、専横を強めていく義父の時政が先祖代々受け継ぐ武蔵の地を狙っていることに気付いて反感を強めると共に、
「父に話してみる」等と対応を約束しつつ、あまり状況を好転させてくれない義時に対する信頼も失っていく。
そして、時政とりくの嫡子である北条政範が変死し、息子の重保がその咎を(実際に手を下した)平賀朝雅から擦り付けられたことがきっかけとなり、
平賀の不審な行動を目撃した息子が証言したにもかかわらず、実朝が畠山討伐の下知を下した上、息子を騙し討ちにされたことで堪忍袋の緒が切れてしまう。
元々、無実の訴えをするために鎌倉に僅かな手勢で向かっていた重忠は、息子の戦死を知った途端、鎌倉近くに陣を敷き、対決の姿勢を見せるが、
所領に戻って兵を整えることはせず、義時が総大将を務める鎌倉幕府の追討軍を寡兵で迎え撃ち、自身は泰時を狙うことで義時を引きずり出して一対一に持ち込む。
武士の鑑と呼ばれる重忠と、戦に向かない義時では実力に開きがあり、刀・拳でやり合いつつも義時を追い詰め、ついにマウントポジションを取って短刀を取り出すが、
死を覚悟した義時の顔のすぐ近くに短刀を突き立てて解放すると、あまりの気迫にたじろぐ周囲の敵兵を尻目に撤退していき、その後、討ち取られたことが実朝に報告された。
義時はその首級が入った首桶を、鎌倉に陣を敷いていた時政の下に持参すると、政範の一件も、謀反の疑いも謂れのない濡れ衣であり、
重忠は自らの潔白を証明するため、所領に戻って兵を集めることも、弁明することもせず、追討軍と戦って戦死し、武人として意地を通したと訴え、
そんな男に濡れ衣を着せて死なせた時政に、自らが死なせた彼の首級をその目で見ろと迫るが、結局時政は首級を見ることなくその場を去るのであった。
室町幕府三管領の畠山家とは血縁関係で無いものの、無関係でもない。なぜなら……。
その他武蔵の御家人
・足立遠元(演・大野泰広)
文武両道な武蔵の豪族。13人の宿老の1人。
政子の鎌倉入りと同タイミングで現れた御家人で安達盛長の甥にあたる。御所のコンシェルジュ役を担い、大姫の遊び相手も務めている。
宿老結成時には時政から北条方の要員として組み入れられる。
同じ武蔵の豪族なのに、比企能員から一切声が掛からずショックを受けていたが、義時からは「一徹だから」と何とも言えないフォローを受けて喜んでいた。
宿老の数が減る中でも評議には参加してはいるが、自分が出席する意味はあるのかと義時に尋ねるなどその立場には戸惑っている様子。
・稲毛重成(演・村上誠基)
北条家の娘・あきを娶った武蔵の豪族。言及は無いが、秩父家一門の出自で畠山重忠とは従兄弟の関係。
活躍が少ない事をりくに咎められるが、妻の供養のために人々の役に立つよう橋を架けるなど愛妻家で優しい人物。
畠山重忠の乱では、時政から重忠の後釜に据えることをちらつかされ、重忠の息子・重保の誘い出しに成功するが、
手向かってきた彼を、殺すなと厳命されていたにもかかわらず、和田義盛、三浦義村の軍勢と共に討ち取ってしまい、結果的に乱の発端を作ってしまう。
さらに、乱の終結後、御家人たちが重忠の潔白を信じ、自身への反感が強まっていることを知らされた時政により、義時の提案もあって乱の黒幕に仕立て上げられ、
必至に弁明するも全く聞き入れられず、義時の懲罰も込めた指示を受けた義村により、乱の首謀者として斬首される結末を迎えたが、これは義時が父に仕掛けた陥穽であった…。
最後の最期で出番はあったものの、重保を(義盛たちと共に)殺してしまって乱の発端を作る、父と義兄弟にスケープゴートにされると、なんとも不憫な結末だった。
上総・下総
・上総広常(演・佐藤浩市)
通称介八郎。官職の「上総介」で呼ばれる。本作の萌えキャラ。
二万の兵力を抱える坂東の大勢力、坂東八平氏上総氏の棟梁であり千葉氏の親戚。
平家を倒さずとも既に満足した生活を送っており、「この戦、俺が付いた方が勝ちだ」とまで豪語。
頼朝から派遣された義時と、平家方から派遣された梶原景時を天秤に掛ける。
しかし、彼の言動を逆手に取った義時の交渉術で平家打倒を決意。
遅刻しながらも大軍勢で頼朝の元へ参陣。有名な「吾妻鏡」のエピソードを経て頼朝を気に入る。
その後は頼朝を「武衛」と呼んで親しみ、字が書けないコンプレックスが義時にバレるなど、強いのに笑える面白おじさんとして視聴者から親しまれた。
御家人クーデターが起こると、大江広元の提案で、逆に制御役としてクーデター側に回る。
彼の活躍によって謀反は大事に至らず、頼朝から賞賛を受け、一献を向けられた。イイ話ダナ〜。
ところが、それは頼朝と広元の罠でもあった。
上総介の御家人への影響力を危険視していた二人は、クーデターが収まると上総介の抹殺に舵を切り、
上総介はクーデターの首謀者として、集められた御家人の面前で梶原景時に斬り掛かられる。
そこに現れた頼朝に「武衛」と助けを求めるように呼び掛けるも、彼は険しい表情で上総介を見つめるばかりであり、
そんな彼と、義時も含めて誰一人自分を助けようとしない御家人たちのそれぞれの態度に事の真相を悟ったのか、
絶望に塗れた顔でもう一度「武衛」と呟いた後、景時からトドメを刺され、事切れた。
死後、頼朝の武運長久を願う、読み辛い字で書かれた文が見つかる。
それを目にした頼朝は「あれは謀反人じゃ」と吐き捨てるように言うが、どこが自分の所業を後悔している風でもあった……。
頼朝恐怖政治の始まりは物語のターニングポイントとなり、人気者を失った視聴者もまた、あまりに理不尽過ぎる展開に慟哭した。
ちなみに、その最期については史実では「謀反の企てがあると聞いた頼朝の命を受けた梶原景時に殺された」ことと、
「彼の死後、その鎧から頼朝の武運を祈る文書が見つかり、頼朝が後悔した」ことくらいしか分かっておらず、本作の最期の展開はほぼ創作。
そのため、原作史実を知る視聴者にも衝撃と哀しみを与え、結果初回放送週は「大泉のせい」というワードがTwitterでトレンド入りした。
・千葉常胤(演・岡本信人)
通称
千葉介。
上総介の親戚で、下総の大豪族。こちらも坂東八平氏に名前を連ねている。
一見すると穏やかそうな老武者だが、手土産代わりに敵将の首級を持参するなど、この人もやはり坂東武者。
決起に参加した際、頼朝の人身掌握術に感激するも、御家人の不満が溜まると反抗勢力に付いてしまう。
義経の事を気に入っていたらしく、酒宴の場で度々「それにしても九郎殿は強かった」と連呼している。
常胤と三浦義澄の父・
三浦義明、そして上総広常の三人は、あの
玉藻前を退治したことで知られる。
宿老候補にも上がったが、三浦義村から「もうすぐ死にます」と却下され、「じいさんは止めておきましょう」と(本人の与り知らぬところで)追い討ちをかまされている。
ちなみに千葉氏直系自体は紆余曲折を経て戦国時代に滅んだものの、福島沿岸を治め、末裔が持ち牧場から名馬スーパークリークを輩出した相馬氏や、
先祖に千葉氏伝承がある各地の人々がその歴史を後世に伝えている。
常陸
・八田知家(演・市原隼人)
北関東を治める豪族で、頼朝の乳母の一人・寒河尼の弟。13人の宿老の1人。
誰にも与せず、個人主義を貫く。
鶴丸を拾い義時に託すが、土木工事しかしていない謎多き御家人。
いつも胸元がはだけている。
初登場からしばらくは、普請ばかり担っている鎌倉出入りのセクシー土建屋にしか見えなかったが…。
物語が後半に突入しだすと、比企能員の要請で13人の宿老に。だが、比企にも北条にもつかず「俺は俺だ」と自己を貫き通している。
幽閉された阿野全成が領地で呪詛を働いていた事が発覚した際は、事の深刻さを即座に理解。
処刑の沙汰を手配し、最後は雷雨の中、法力を発動させた全成を「悪禅師」と讃え、斬り捨てた。
頼家から実朝に鎌倉殿が代替わりした後も、変わらずに宿老として仕えていたが、
演者の風貌もあって若く見えるが、実は三善康信と同年代であり、実朝の考案した船の建造を最後の仕事に隠居することを決める。
結局、義時らの策略によって完成した船を海に浮かべることは叶わなかったが、宣言通りこの仕事を最後に表舞台から去った。
ちなみに、この船を海に浮かべようとするシーンでは、八田知家が上着を脱いでまで思い切り船を引くカットの後、
観覧席で見ているだけで、特に上着を脱ぐ必要がないのに何故か上着を脱いで上半身裸になっている三浦義村が視聴者の目を引き、
演者の山本耕史氏が八田役の市原氏が脱いだことに触発され、アドリブで上着をはだけたのではないかと話題になった。
しかし、後に山本氏が語ったところによると、むしろアドリブで脱いだのは市原氏の方であり、脚本段階で義村は「何故か脱いでいる」となっていたが、
脚本を見た市原氏は「義村が脱いでいてもおかしくないようにしなければ」と考え、「裸のリレーを繋げる」との意気込みで脱いだという。裸のリレーってなんだよ
下野
現代の
栃木県辺り。
足利氏は何処行った!?……と思いきや、最終話で名前だけ登場した。
小山家
藤原氏の一流。未登場の御家人である小山政光の息子三兄弟が登場する。
・小山朝政(演・中村敦)
下野の豪族、秀郷流藤原氏。
亀の前事件で登場。
頼朝の乳母・寒河尼の義理の息子で、梶原景時の運命を変える結城朝光は異母弟。
・長沼宗政(演・清水伸)
小山朝政の弟。
承久の乱の際に義時追討の院宣を受け取る。その事を報告するのが三浦義村よりも遅れた為に政子から咎められた。
・結城朝光(演・高橋侃)
小山朝政と長沼宗政の弟。通称七郎。
琵琶の名手であり実衣に琵琶の手ほどきをする。
「忠臣は二君に仕えず」という
春秋戦国時代の故事を引き合いに、頼朝が死んだ時に出家すべきだったと口にした事で、
梶原景時から鎌倉殿(頼家)に対する叛意であると糾弾される。
これにより一時は窮地に陥るも三浦義村の策により難を逃れた。
伊豆
現代の静岡県辺り。
・仁田忠常(演・高岸宏行)
伊豆の頃からの北条のお隣さん。
場を和ませる癒し枠なのだが、主に政子へ悲報を届ける役目を負うことが多い。演じた本人曰く「主な任務は挨拶と伝令」。
演者が芸人であること、常に前向きな人柄で知られていることから、彼が悲壮な顔をしているだけで状況の悪さが否が応でも分かってしまったり。
一条忠頼誅殺の際は彼が手を下しているほか、曾我十郎と切り結んで勝利するなどかなり強い。
政子からも頼られており、彼女の頼みで頼家の部下をおいかえしたことも。
演者持ちネタの「やればできる!」を披露するなどコメディリリーフの役割もこなすが、次第に彼の曇り顔が増え始め、物語の過酷さを視聴者は実感していく。
そして、比企能員の乱で比企一族の族滅に手を貸した後、目覚めた頼家に妻や息子の死の報復として「北条時政・義時を討て」と命じられると、
自責の念と強い忠誠心の板挟みになり、苦悩の末に自決するという最期を選んでしまう。
義時はその死を強く悼み、彼のような者をもう出さないようにという思いもあって、頼家を鎌倉殿の立場から強引にでも退けることを決意した。
・工藤茂光(演・米本学仁)
狩の腕前高い伊豆の武士。
頼朝挙兵の初期から馳せ参じるが、物凄い巨漢である事から彼に心配される。
石橋山での敗走後、鎧を取り替えるため、頼朝の観音様を取りに行く宗時と共に伊豆へ戻るも、善児の襲撃を受け殺されてしまう。
伊東家や工藤祐経、二階堂行政とは遠い親戚関係にあるほか、子孫に画家の大家である狩野正信がいる。
・土肥実平(演・阿南健治)
湯河原にある温泉郷の領主。坂東八平氏土肥氏棟梁。
頼朝最大のピンチだった石橋山の戦いに付き従い、辛くも危機を乗り越える。
御家人の謀反に参加するも抜け出して義時に事の次第を伝えるなど根は温厚な人物で、「みんな仲良くじゃ」が口癖。
報告書の字が汚すぎて読めない。
通説では頼朝の将軍就任前に亡くなっているはずだが、未だに登場してはのほほんとした表情を見せている。
13人の宿老結成の際は誰からも声を掛けられず、義時にフォロー役で居て欲しいと宥められる。
本人曰く入る気も無いが「誘われてから断りたかった」らしい。
また、そんな思いも、すべては鎌倉殿のためにもう一度役に立ちたいという純粋な気持ちからのもの。
梶原景時弾劾の際は、御家人たちに「何故また身内同士でいがみ合わねばならんのだ!」と一喝。
和田義盛から「いいんだぜ? 一緒に土肥実平殿への訴状をこしらえても」と脅されるも、「鎌倉はどうなるのだ!」と一歩も引かない気概を見せつけた。
400年後、天下分け目の決戦最大のキーマンとなる小早川氏の祖(養子縁組で直接の子孫ではないが)。
・工藤祐経(演・坪倉由幸)
伊東家の一族。北条家とも遠い親戚。
1話目から汚らしい格好で登場。京都に番役へ出ている間、伊東祐親に領地を奪われてしまう。
その後、祐親の息子、河津祐泰を狙うも失敗。その後暫く登場しなかったが、鎌倉と木曽が争う世情で再登場。
河津祐泰を討ったことで妹の八重から恨まれ、祐泰の息子達(曾我兄弟)からも石を投げつけられる。
義時の世話により御所勤を始めるも、一条忠頼の誅殺に怖気付き、頼朝に発破を掛けられるも失敗。
続く藤内光澄の処刑では斬首役となるも、処刑後は鎌倉を去るような描写もあったが、京文化への教養から頼朝に抜擢され、その地位を上げた。
その後はいつの間にかへり下っていた筈の義時にも横柄な態度を取るように。
最期は頼朝の夜這いのため、彼に成り代わったところ、頼朝と誤認されて曾我五郎に討ち取られる。
ただ、後述の通り本作では曽我兄弟は、佑経への復讐を「頼朝を襲撃する際、怪しまれず時政等から兵を借りるための方便」くらいにしか思っていなかったため、
彼を討った曾我五郎には仇として意識されるどころか、自分をひっ捕らえた鎌倉方(梶原景時)に伝えられるまでそもそも殺したことすら認識されておらず、
仇討ちを果たしたと知った後もそんなことより頼朝が生きていたことが衝撃だった五郎は喜ぶ様子も見せない…と、ある意味殺され損な最期であった。
・藤内光澄(演・長尾卓磨)
伊豆の武士。多分本作で一番かわいそうな人の一人。
頼朝が編成した木曽義高追討軍に参加し、張り切って山狩りに向かう。
後に大姫の嘆願に折れた頼朝が義高追討を撤回するが、その命が伝わる前に光澄は義高を捕捉し、その首級を上げてしまった。
そして、最早レギュラーと言ってもいい首桶にその首級を入れ、嫌な予感に青ざめる畠山らの前に意気揚々と現れた彼は、
そのまま頼朝に謁見して義高を討ち取ったことを誇らしげに報告するも、政子からは「許しません」と怒りをぶつけられた上、
褒美ではなく縄目を受け、義時立会いの下、最後まで「何故だ」と叫びながら斬首され、その首を晒されるという最期を迎えた。
なお、史実では大姫の憔悴ぶりを見た政子が、怒りと憎しみのあまり頼朝を押し切る形で光澄を獄門にかけたと伝わるが、
本作では政子自身は命を取らせようとまでは思っていなかったが、「御台所が『許さない』と批難した」ことを重く見た頼朝の命により、
政子に自らの立場を理解させる意味も含め、光澄を厳罰に処した形となった。
その他の御家人
・佐々木秀義(演・康すおん)
宇多源氏の血を引く近江出身の豪族。元々、源義朝の配下で平治の乱の敗戦の為に坂東に逃れ親類の下で生活していた。
頼朝とは旧知の間柄で、頼朝の挙兵に馳せ参じる。だが、歯が殆ど抜けているため、息子たち四兄弟の参集で一悶着起こした。
作中では描かれなかった三日平氏の乱で戦死している。
頼家を補佐する宿老として、時政が「佐々木の爺さんは?」と候補に挙げた際、義村から「もう死んでます」とあっさりその死が語られた。
ちなみにこの会話は頼朝死後(1199年)のことだが、彼が死んだのは15年も前(1184年)である。
孫は医者。
佐々木家はその後も本拠近江で名門武家として続き、佐々木道誉や京極高次ら子孫がその後の歴史でも活躍している。
・平賀朝雅 (演・山中崇)
信濃国出身の御家人。清和源氏の一流信濃源氏であり妻は時政・りく夫妻の娘。
本作未登場の父・兄は頼朝の厚遇を受け、母は比企出身と順当にいけば鎌倉政界を主導しうる人物。
御家人の中でも由緒ある出自から京都守護、武蔵守と鎌倉・朝廷の双方から役職を任じられておりパイプ役を担う。
比企能員の変を経て将軍頼家の失脚後に登場、実朝の将軍就任や京からの御台所斡旋の為、後鳥羽上皇に近侍する。
義父母である時政夫妻とは良好な関係である一方で、血筋で言えば格下にあたる北条の下風に立たされていることには内心蟠りもあり、
それを見抜いた上皇の意を受けた仲章から義弟・政範の暗殺を唆され実行。
さらに、その企みの一部を目撃し詰問してきた畠山重保が、自身の政範毒殺の疑いを幕府に訴えることを見越してか、
息子を喪ったりくの動揺と傷心に付け込み、逆に重保に疑いを被せる形で矛先を彼に向け、畠山重忠の乱の端緒となる。
自身を疑う義時の尋問はなんとか躱したものの、情勢が落ち着けばいずれ自分に疑いの矛先が向けられることは理解しており、
畠山への疑いが幕府内で広まる前に、そそくさと逃げるように京へ帰還した。
荒れる鎌倉情勢からは距離を置きつつ、執権の後釜となる機会をうかがうが、
そんな彼の意向とは裏腹に、時政たちは彼を鎌倉殿に据えることを画策しており、
その打診が来た時には冗談ではないとばかりに激昂し、ほとぼりが冷めるのを待とうとする。
しかし、時政が伊豆に追放されて本格的に義時が二代目執権となると、
畠山氏の乱や実朝追い落としのすべての元凶という名目でその義時から軍勢を自邸に差し向けられ、
逃げまどいながら「鎌倉殿に成り代わろうと思ったことなど一度もない!」と訴えるも、めった刺しにされて粛清された。
その他の鎌倉関係者
・善児(演・梶原善)
暗殺者。本作のオリジナルキャラクター。
みんなのトラウマメーカー。
元々は伊東家の家人。初回より祐親の命に従って、千鶴丸を川で沈めるに始まり、次々と伊東の敵を葬り去る。
が、やがて鎌倉方に捕らえられ、その後はよりによって梶原景時の間者として用いられることに。
そして、千鶴丸の霊を鎮め、子供(頼家)が無事に生まれる事を願う頼朝の命により、かつての主人を暗殺(この時、善児の生存をじさまが喜んでいたのがまた悲しい)。
広常誅殺の際にも暗躍し、直接手は下さなかったが彼が護身用に持ち歩いていた短刀をすれ違いざまに掠め取り、抵抗を封じた。
また、義時が奥州へ赴く際には景時から貸し出され、義時に襲い掛かろうとした藤原頼衡を一瞬で亡き者にした。
その後、景時が鎌倉を去る際に「置き土産」として義時に仕えるよう命じられた。襖を開けた先に真顔で控えている善児は若干ホラー
義時配下となった後も、彼の手駒として働くが、父の命を破って泰時が助けた一幡を預けられ、彼と親子のような時間を過ごしたことで心境に変化が訪れ、
それを知った義時に一幡を手ずから殺すように命じられるが、自身を信頼しきった一幡を殺すことが出来ず、ひいては殺害そのものにも抵抗感を持つようになる。
しかし義時はそんな彼の内心を慮ることなく頼家を暗殺するよう命じ、善児はトウと共に頼家のいる修善寺に潜入。
たまたま居合わせた泰時に正体を看破された際には、「泰時は殺すな」という指示を受けたとして放置し、
目的が頼家の暗殺と察した泰時が頼家を守ろうとすると、トウに彼を任せて自身は頼家のもとに向かう。
当然抵抗する彼と大立ち回りを演じ、一時は優位に立つが、頼家が書いた「一幡」の習字がふと目に入って一瞬動揺したところを斬りつけられ、重傷を理由に撤退。
その後、一幡の墓らしき石の前に辿り着くが、頼家の始末を済ませて合流したトウに「両親の仇」と詰られ、自らの後継者に殺されるという最期を迎えた。
何を命じられても無感情な「へえ」の一言で従い、「仕事」の際には音も無く現れ、息をするように獲物を仕留めるその姿は、登場する度に視聴者に恐怖の念を抱かせ、
訓練された視聴者の中には、OPのキャストクレジットで「善児」の文字が出ただけで展開を察して落ち込む者もいる。
彼自体は本作の創作人物だが、汚れ仕事を担う吾妻鏡にも残っていない人間は、当時確実に居たと思われ、善児はその象徴的人物だと考えられる。
なお、善児のキャスティングは三谷氏の希望であり、曰く「梶原善にこういう役柄をやらせてみたかった」とのこと。
果たして三谷氏の目論見通りというべきか、梶原氏演じる善児はSNS等で話題となるほどの反響となったわけだが、
梶原氏が他の現場で善児役を自らの「当たり役」と称しているのを耳にしたという三谷氏は、「(そういうことは)役者本人が言う事じゃない」と笑いながらツッコんでいた。
以下、被害者リスト
千鶴丸、北条宗時、工藤茂光、江間次郎、伊東祐親、伊東祐清、上総広常(アシスト)、義経と静の息子、藤原頼衡、トウの両親、源範頼
※余談だが、未遂に終わったものの一時は死を覚悟させられた八重や、トウに殺害された善児自身を含めると、被害者数は…13人である。
・トウ(演・山本千尋)
善児が拾った孤児であり、彼の後継者となるべく育てられた。こちらも本作
オリジナルキャラクター。
範頼が暗殺された時、巻き添えで善児に殺された百姓夫婦の娘であったが、如何な心境か善児は彼女を手に掛ける事はなかった。
その後、景時から譲られる形で義時に仕えることになった善児が「自分も年なので」と二代目として紹介し、師弟二代で彼に仕えることになった。
演者である山本氏が中国武術(武術太極拳)を得意とするためか、善児とは対照的に派手なアクションが目立つが、育ての親同様に感情を見せることはほぼない。
義時の息子である泰時の護衛に付く場面も見られ、比企氏族滅の際には、短刀を手に泰時に襲い掛かったせつを返り討ちにしている。
善児が一幡を泰時に預けられて以降は、彼と共に彼のお守りをしていたようだが、自分たちの住居に来訪した義時の目的が一幡の抹殺だと察すると、
情によって一幡を殺せない善児に代わり、一幡を「川遊び」に連れ出した。以降一幡が出てこないこと、前述の彼の墓らしき存在から、この時にトウが抹殺したと思われる。
善児の頼家暗殺任務にも付き従い、頼家を護ろうとする泰時を気絶させて無力化した後、善児が殺し損ねるも重傷を負った頼家にトドメを刺した後、
頼家の反撃で満身創痍の善児を、初めて感情を露わにして「両親の仇」と詰るや、(おそらく)一幡の墓の前で彼を殺害した。
ちなみに殺害した頼家と一幡はいずれも両親の死のきっかけとなった頼朝の子孫である。
善児への敵討ちを果たした後も変わらず義時に仕え暗殺稼業を請け負うも、りくと源仲章の殺害にはいずれも失敗するなど精彩を欠くようになる。
仲章の配下による捕縛からの逃亡後の消息は不明だったがその後、実朝暗殺事件で失意のどん底にいる政子の下に現れ彼女の自害を思いとどまらせるという思わぬ行動に出る。
頼朝の乱心で人生の歯車が狂わされただけで、本来は殺しとは縁遠い性格だったことがうかがえる。
最終話では政子から命を救った恩人として、戦で孤児となった子供たちに
護身術を教える役職を与えられる。
幼少時より殺しの世界に身を置いてきた彼女が最終的に幸せになれたことは政子と泰時の治世により鎌倉における修羅の時代が終わりを告げた象徴的な出来事であった。
ちなみに頼家役の金子大地氏は最終話での該当のシーンをパブリックビューイングで視聴して複雑なリアクションだったそうな。
・文覚(演・市川猿之助)
京都神護寺の僧。乱世によくある胡散臭い坊主。史実だと神護寺や東寺東大寺の復興にも関わったのだがカット
誰のものとも分からぬ頭蓋骨を源義朝の髑髏と称して頼朝に挙兵を呼びかけるために参上するも、追い返される。
一方で後白河法皇からの覚えはめでたく、平清盛の呪殺儀式を執り行っている。
その後は鎌倉入りするも自身の境遇に不満を抱き、御家人クーデターへ参加。
万寿を利用した「足固めの儀式」による謀反を計画する。
謀反事態は失敗したがちゃっかり生き延びて京へと渡っていた。
そこでまたも謀略に関わって捕らえられ、自分を殺せば鎌倉が黙っていないと息巻くも頼家からは「知らん」とあっさり切り捨てられてしまった。
そのまま物語から退場……と思ったら、最終話でまさかの再登場。
承久の乱に敗れ、隠岐に流される事になった後鳥羽上皇の輿の担ぎ手として姿を見せ、
「隠岐は良いところだ~」「何もないぞ~一緒に暮らそう~」などと怨み言を言いながらで上皇の頭に齧り付き、視聴者の腹筋をブレイクさせた。
だが、史実では文覚は承久の乱の20年近く前に亡くなっている事や、周りにいる人間がノーリアクションだった事から、
この文覚は上皇が見た幻、ないしは亡霊だったのでは、という考察がされている。
・亀(演・江口のりこ)
後世に伝わる亀の前。
頼朝の愛人。顔の薄い女。
漁師の妻だったが、頼朝の愛人となり傍若無人に振る舞う。
政子にいじめられた悲劇の人物ではなく、政子や八重を出し抜く強かな人物として描かれた。
様々な行き違いから亀の前の事件で屋敷を燃やされるが、その後も上総介に匿われたりなどして逃げ切る。
だが、結局政子に居所を暴かれ、頼朝との関係はご破算に。
彼女に対して教養が足りない事を見抜き、坂東女の憧れとしてもっと勉強に励むよう忠告した。
・源行家(演・杉本哲太)
義朝の弟。
頼朝兄弟や義仲の叔父。山伏に扮して平家から身を隠していた。
以仁王の令旨を手に挙兵を呼び掛けるも、頼朝からは信用されていない。
行家も兵を出さない頼朝が気に入らず、義円を連れ出した結果討ち死にさせて関係が悪化。
その後は義仲に付いたり義経に付いたりと立場を替えるも、自分が味方になった軍勢は必ず敗北する運命にある。叔父上さあ……。
義経を見限ったシーンが最後の登場となり、ナレーションから死神認定を受けた挙句、その死もさらっと語られて終わる(所謂ナレ死)等、
散々な扱いを受けたが、数々のやらかしが災いし、義経や上総介のように視聴者からその死を悼まれることはあまりなかった。
・のえ(演・菊地凛子)
後世に伝わる伊賀の方。
未登場の御家人である伊賀朝光の娘。二階堂行政は母方の祖父に当たる。
義時が比奈と離縁した後、行政の願いもあって彼の継室となる。
初対面時には楚々とした態度と作中初の「女子はキノコが好き」を体現した対応で義時の好感を得たが、
実際には食事しながら裁縫をするなど素行が悪く、嫁いだ理由もぶっちゃけ玉の輿狙い。義時の事も裏では「辛気臭い男」と言い放っていた。
こうした陰口を目撃した泰時や女を見る目はやたらと確かな義村からは警戒されていたが、そうした本性をうまく隠していたためか義時とは当初は揉めることはなかった。
しかし、義時の政敵・源仲章からの誘いに乗って遊ぶという軽挙妄動を義時から指摘されると「やきもちを焼いてる」と呑気に勘違いしたばかりか、
自分が産んだ政村(演:新原泰佑)を北条の跡継ぎにする事を望む気持ちから、泰時の母である八重や朝時の母である比奈が北条と敵対した伊東や比企の娘であることを引き合いに出した事で、
泰時の家督相続を望む義時の怒りを買って「八重も比奈も、もう少しできた女子だった」と比べられるという屈辱を味わう。
これだけでも彼女にとっては耐え難いことであったが、京都守護を任されていた兄の光季が承久の乱の折に宮方に討たれたばかりか、
そのことに関して一切(妹の)自分に弁解するどころか説明すらしない義時の態度に怒りが爆発。
乱の終結後、義時に薬と称して毒を呑ませ、その暗殺を目論むも、途中でそれが義時自身に露見してしまう。
外聞を気にした義時の意向により、表立って離縁などはされなかったものの、義時の屋敷から追放される形となったのえは、
屋敷から去っていく際に、政子との関係や義村の裏切りを伝えた。
ただし、夫の毒殺を目論み、実際に毒を吞ませながらも、敢えて死ぬまで時間がかかる毒物を選んだのは、
「義時が少しでも自分に関心を持っているならば気付くだろう」という彼女の願望からで、
事ここに至っても、彼女は義時に対して憎しみだけを抱いていたわけではなかったことが窺える。
結果としてその彼女の想いは義時に通じることはなく、「あなたは一度も私を見ようとしなかった」という皮肉を残して義時の前から去っていった。
なお「政村が北条を継ぐ」という願いは、後に「泰時の曾孫時宗が成人するまでの代行として、政村が第7代執権となる」という意外な形で叶う事になるのだが、それは『北条時宗』での話。
・運慶(演・相島一之)
仏師。東大寺の金剛力士像の作者の一人であり、日本人なら誰でも名前だけは聞いたことがあるであろう教科書レベルの偉人の一人。
気さくでやや風変わりな人柄だが、敬虔な仏教徒で他者に酒を勧めても自身は仏像の前では決して飲酒しない。
また、金剛力士像の制作においては自身は設計図を描き、実際の彫像は弟子たちに担当させるという制作の裏舞台を明かした。
義時の闇落ちレベルを示すバロメーターのような存在で
阿弥陀如来像の制作で対面した義時に興味を持ち「いつかあんたの像を彫ってみたい」と発言する。
次に再会した際は「まだ迷っている」「その迷いが救いだ」と発言したものの、実朝の暗殺事件で生き延び、増長した義時と会った時には、
彼から自分の像を彫るように依頼されると「つまらない顔になった」「お前に興味はない」とこれを拒否した。
それでも像の制作を強制されると顔の後ろに13の穴が開いている邪神像のごとき像を作り義時を激怒させる。
自身の処刑をちらつかせる義時にも「お前はもう引き返すことは出来ん」と嘲り、最終的に処刑はされなかったものの、像は義時に焼却処分された。
平家方の坂東武者
伊東家
坂東に土着し、豪族となった藤原氏の一流。
戦国時代に日向国(
宮崎県)を治めた伊東はこの伊東。ただし直系ではなく工藤祐経の子孫。
・伊東祐親(演・浅野和之)
伊豆の豪族。
河津祐泰、伊東祐清、八重の父。
娘達は北条時政、三浦義澄に嫁ぎ、義時兄弟や三浦義村の祖父である「じさま」。
身内からも恐ろしいと評されるほどで必要とあらば身内にすら容赦しない。
平治の乱で流された頼朝の監視役でもあった。
八重が頼朝の子・千鶴丸を産むが、平家方に付く彼は孫を善児に殺害させる。
その後、逃亡した頼朝が北条に匿われる事で物語が始まる。
物語序盤の大きな敵であり、頼朝の蜂起後は義時達と敵対。
平家方として頼朝の鎮圧を開始し、善児に暗殺された宗時の首にも動じる事は無かった。
だが、千鶴丸の事は彼にとっても辛い選択だったようで、大きな菩提を用意して弔っている(史実)。
最後は祐清共々鎌倉方に捕らえられるも許され、八重と再び家族として暮らす事を夢見る。
しかし、千鶴丸の霊が成仏出来ず、新たに生まれる頼朝の子に災いが降りかかるという全成の進言により、
梶原景時の配下となった善児が遣わされ、祐清と共にかつての家人に殺されてしまった。
史実では、やはり敵の子供とは言え自身の孫を殺害したことへの罪悪感が強かったのか、頼朝の恩赦が下ったにもかかわらず自害しており、
祐清もまた頼朝からの助命を拒み、まるで死に場所を探すかのように平家方との合戦に参陣し、戦死している。
・八重(演・新垣結衣)
後世に伝わる八重姫。伊東祐親の娘で、義時兄妹の母の妹。
つまり、血縁上は後に結婚する義時とは叔母と甥の関係にあるのだが、時代背景上現代よりも近親婚に対する忌避意識が薄い他、
年が近いこともあって義時とは幼馴染に近い関係で、義時の彼女への好意を知った者も、特に両者の血縁上の間柄を気にする様子はなかった。
父が監視役を担っていた頼朝と恋仲となり千鶴丸を産むが、父によって殺され、頼朝と離縁させられる。
その後は懲罰の意味合いも込めて家人だった江間次郎に嫁がされ、頼朝を引き取った北条と政子の夫婦生活を見せつけられるが、
源平合戦では伊東が平家方に回りながらも、彼女自身は頼朝のためにサポート。
その後も頼朝の近くに居る事を望み、御所の女房として働き始めるも、頼朝と亀の密会を目撃して傷付いていく。
父と次兄も殺された後、その遺領を受け継いだ義時の配慮で、故郷である伊豆の江間の館で傷心の日々を送る。
半ばストーカーと化した義時に頻繁に様子を見に来られ、最初は愛想笑いを浮かべたりと軽く引き気味だったが、
徐々に彼に心を動かされていくと共に、頼朝への未練も吹っ切れ、義時の愛を受け入れて結ばれた後、金剛を産んだ。
その後は戦で身寄りを失った子供たちを養育したり、時政のために草鞋を編むなど、優しい女性として甲斐甲斐しく奔走。
もはや八重の目に頼朝の姿はなく、汚れ仕事に苦しむ義時を常に支え続けた。
しかし、子供たちを連れた川遊びで鶴丸が流されると、亡き千鶴丸の姿を重ね、彼を救いに急流へ駆け出す。
そして、千鶴を義村に託して力尽きてしまったのか、そのまま急流に飲み込まれ、帰らぬ人となってしまった。
その死は義時に大きな喪失感をもたらしたが、彼は一人で八重の遺した金剛と鶴丸を育てる覚悟を決める。
ちなみに、史実での金剛の母親は
「阿波局」という名前以外正体不明なのだが、
ロマンレベルではあるが「八重姫=阿波局」なんて仮説が存在するため、そっちを採用したものと思われる。
さらなる余談になるが、1979年の大河ドラマ「草燃える」では八重ポジションの人物は大庭景親の娘とされている。
・河津祐泰(演・山口祥行)
祐親の長男。八重の長兄。
所領を奪われた怨恨から祐親を狙った工藤祐経によって誤って襲撃され、殺される。
・伊東祐清(演・竹財輝之助)
祐親の次男。八重の次兄。
宗時と仲が良く、当初は北条館に頼朝を匿う彼を支援していたが、頼朝の挙兵に際しては父と共に平家方へ。
最後は父同様、善児に殺される。
・曽我十郎祐成(演・田邊和也)
・曽我五郎時致(演・田中俊介)
河津祐泰の遺児たち。伊東祐親の孫。十郎が兄で五郎が弟。
父を殺した工藤祐経を恨んではいるが、それ以上に祖父を殺した頼朝を憎悪している。
十郎が時政を烏帽子親に元服すると、岡崎義実と共謀して祐経への仇討ちを装った頼朝暗殺計画に邁進。
そして、富士の巻狩りに乗じて計画を実行し、時政等から借り受けた兵と共に頼朝の寝所に向かうが、
「(佑経を討つのなら)進む方向がおかしい」と気付いた仁田忠常に真意を問い質されたため、
十郎は後ろから忠常に斬り掛かり、五郎たちを先に進ませるべく彼と激突。後に討ち取られた模様。
五郎とその一行は頼朝の寝所に向かうが、計画を察知し、待ち構えていた畠山重忠の軍勢に迎撃され、
なんとか五郎は頼朝の元に辿り着き、彼を討ってその首を取ったと思われたが、
捕縛された後、梶原景時からその時討ったのは頼朝ではなく、その影武者をしていた工藤佑経だと知らされる。
捕縛された五郎は義時と景時の策略により、鎌倉殿を狙ったクーデターであった事実を隠蔽するため、
彼ら兄弟の謀反は「父の仇討ちのために工藤を討った美談」(=後世に伝わる「曽我兄弟の敵討ち」)に仕立て上げられ、
五郎は自分たち兄弟の決死の謀反が身に覚えのない美談に改竄されるという形で捻じ曲げられ、尊厳を破壊されたことに愕然としていた。
沙汰を宣告された彼は必死に本来の謀反の趣旨と「頼朝が坂東をおかしくした」ことを訴えるが、その言葉は黙殺され、斬首に処された。
・江間次郎(演・芹澤興人)
伊東家の家人。
朴訥で寡黙な性格で、祐親にも従順な男。
頼朝と離縁させられた八重を下げ渡されるも、変わらず頼朝を慕う彼女には夫と思われずに家人扱いされ続け、
伊東を(事実上)裏切れと言われた時には、流石にこれまでの扱いも含めて「私はあなたの夫だ。侮るな!」と反発したが、
八重に毅然と「恨みたければお恨みなさい」と返されて何も言い返せず、結局折れたこともあって家人扱いは変わらなかった。
頼朝と伊東の対決が不可避となった際には祐親から八重を殺すよう命じられてしまうが、
やはり八重への愛情は消えてはおらず、「俺には貴女を殺せない」という苦悩を吐露して彼女を逃がそうとする。
次郎の真心に触れた八重には共に逃げようと促され、「妻」から初めてかけられた優しさに思わず涙するが、
こうなるだろうと察していたらしい祐親が差し向けた善児に不意を突かれ、八重を守ろうとしたものの彼に瞬殺されてしまった。
彼の領地は後に義時が拝領し、義時は「江間小四郎」となった。
と、完全に端役のキャラクターながら、あまりにも薄幸な設定と八重に対する健気さから視聴者の共感を集め、
演じた芹澤興人もイベントでその反響の大きさに驚いたと発言している。
その他の坂東武者
・大庭景親(演・國村隼)
「相模の奉行」、「坂東の後見」の異名を持つ平家方坂東武者の大ボス。もうアウトレイジだろこの大河……。
この人の大庭氏も坂東八平氏に数えられている。
頼朝を巡って衝突寸前だった伊東と北条の矛をも収める実力者であるが、
後述の堤信遠のように、平家の権力をかさに着て尊大な態度をとることはしなかったので、時政から「そんなに悪い奴じゃない」と評されていた。
頼朝挙兵の際は、石橋山の戦いで返り討ちにする。
しかし、徐々に鎌倉方の攻勢に押し負け、縁者の梶原景時に「粗暴な貴殿とはもうこれまでだ」とばかりに見限られてしまう。
敗北後は鎌倉方に捕らえられるも、
命乞いはせずに飄々とした態度を貫き、
上総広常には「せいぜい気をつけることだ。あのとき必ず頼朝を殺しておけばよかったと思う時が来るかもしれんぞ」と警告。
最期は斬首・晒し首にされたが、本作未登場の兄・景義が頼朝に仕えており大庭氏は御家人として細々と続くこととなる。
余談になるが、大庭家の縁者には前述の梶原景時の他に坂東八平氏では唯一未登場の長尾家もいる。
この長尾家は、
「大庭景親らとともに平家方で参戦→頼朝に投降、三浦家預かり→宝治合戦で三浦方で参戦、族滅寸前にまで追い込まれる」
という苦難の日々を乗り越えた後に、上杉家という主家に恵まれ室町時代に関東や越後へ勢力を拡大。
そして、戦国時代に長尾景虎(上杉謙信)というビックネームを輩出することになる。
・山内首藤経俊(演・山口馬木也)
頼朝の乳母・山内尼を母に持つ坂東武者。
日和見主義者で挙兵に応じる約束をするも頼朝を裏切り平家方へ。
大庭景親と共に捕縛され取り乱すが、母親が頼朝に嘆願した事で解放された。
『鎌倉殿』ではここで退場したが、史実では頼朝の御家人として仕官し、
頼朝亡き後は、梶原景時の弾劾の際に、反景時派として署名するシーンで名前だけ再登場している。
作中の活躍は散々だが、1125年に死去するまで長命を保ち子孫に山内一豊や山内容堂がいる。
・佐竹義政(演・
平田広明)
清和源氏の一流、常陸源氏。
なお戦国時代に出てくる佐竹氏は義政の弟の家系で、「江戸時代のダ・ヴィンチ」こと平賀源内のマブダチの7代藩主・義敦や、
戊辰戦争をしぶとく生き残った最後の藩主・義尭、放送当時の秋田県知事を輩出するなど現代に残っている貴重な源氏。
平家方に付いているため、鎌倉方は佐竹へ出兵。
上総介と知り合いだったらしく、最初は普通に会話していたのに、
「お前老けたなあ」と述べた直後、
それが気に障ったらしい上総介に斬られ、戦端が開かれてしまった(頼朝は和睦を考えていた)。
こいつがつまんねえこと言うからよぉ……。
演者は
サンジの人で、大河ドラマで斬られるのが夢だったという。
・堤信遠(演・吉見一豊)
「驕る平家」の体現者である伊豆の武士。
平家方の人間であり、頼朝を引き取った北条家が気に入らず、すれ違った義時を地べたにはいつくばらせ、礼を取らせる傲慢な人物。
伊豆の代官として派遣された山木兼高の後見役となる。
その際、山木へ挨拶に来た時政と義時へ高圧的に接し、
二人が持参した野菜を踏み潰し、それを時政の顔に擦り付ける(同話のOPでこの年は飢饉であった事が説明されていた)。
彼の専横は義時に反平家の覚悟を決めさせ、山木と共に、頼朝挙兵時の標的に提案される。
その後は時政に斬られ、義時がトドメを刺そうとするも、怖気付いた彼の刀で苦しむ中何度も切り付けられ、最後は宗時に討ち取られた。
・山木兼高(演・川原勝利)
伊豆の代官。
伊豆の国司であった源頼政が敗死したため、後任の平時忠によって派遣された。
野菜を持参した時政親子の話を聞いた際、「ワシは
コオロギか⁉︎」と嘲るが、堤ほど悪人の描写は無かった。
伊東祐親からは政子の再婚相手として提案されるなど、平家方の実力者であり、頼朝挙兵の際の国衙襲撃には、血祭りの第一号となった。
「吾妻鏡」では政子が兼高の館から抜け出して頼朝と駆け落ちし、夫婦となったという逸話が収録されているが、本作では政子との絡みは皆無。
信濃
・木曽義仲(演・青木崇高)
清和源氏の一流、信濃源氏の棟梁。
頼朝の従兄弟だが、父親を頼朝の兄(悪源太義平)に殺されている。要するにいつもの源氏の内ゲバ。
平家を京から追い出す事に成功した頼朝のライバルで、鎌倉方との交渉の結果、愛息の義高を人質として送る。
本作では従来の山猿的なイメージとは違い、道理を重んじる実直な人物として登場。
ただし、教養や礼儀を知らないため、
三種の神器を奪われた法皇に自分の刀を渡そうとするなど、頓珍漢な部分も見られた。
上洛こそ果たしたものの、京での配下の乱暴狼藉を抑えきれない、自分を田舎者扱いする法皇の近臣の貴族・平知康を殴る等して京での信用を失い、
遂には法皇を幽閉したことで、最終的には朝敵として義経と戦う羽目になり、彼に敗北して京から落ち延びることに。
最期は義経の追撃を躱しつつ、義高を心残りとしながら死に場所を探していたが……。
・巴(演・秋元才加)
後世に伝わる巴御前。
木曾義仲の便女で幼馴染かつ女武者。
義仲のことを愛してはいるが、愛妾のような関係にはなく、配下として彼のために尽くしている。
原作「吾妻鑑」に出てこないはずだが、武蔵坊弁慶同様に属性モリモリの有名人を出さない訳がなく……。
義仲にずっと付き従いつつも、彼が都から落ち延びる最中に彼の指示もあって泣く泣く別れる。
ここまでは有名なエピソードなのだが、本作ではその後も描かれ、彼女の見どころはむしろここから。
義仲から託された義高への手紙を帯びて鎌倉に向かう最中、和田殿の手勢に見つかり、手向かったことで危うく殺されかかるも、
制圧されてなお闘志を失わない巴の「強さ」に惹かれ、気に入った和田殿により、生きたまま鎌倉に連れていかれ、
和田殿の計らいで義高に義仲の「鎌倉を恨むな」との手紙を渡し、そう書いた彼の真意も伝えるが、義高はそれに従えず、それが遠因となって命を落としてしまった。
その後は和田殿からの求愛を受け入れて彼の妻となり、大姫と義仲・義高の話をした時には、既に義仲の面影が薄れつつあることを話し、
自分が義盛の妻となって日々を過ごしているように、大姫も義高に囚われずに前に進むよう諭した。
頼朝が訪ねてきた時は居留守を使うも、結局は対面する事に。義仲追討の一件を頼朝に謝罪され、困惑してしまう。
和田合戦に際しては、夫と共に戦場に赴かんとするが、義盛本人から戦わず生き延びるよう諭される。
そして鎌倉によって二度も愛する男性と死に別れることとなり、最後は亡き義盛の着物に身を包んで馬で駆けながら、
自ら「鎌倉随一の忠臣の妻、巴なり」と名乗りを上げ、怒りとも悲しみともつかない慟哭と共にその出番を終えた。
・木曽義高(演・8代目市川染五郎)
義仲の嫡男。信濃冠者。通称冠者殿。
貴公子然とした少年。大姫の許嫁という名目で、人質として木曽から鎌倉へ送られてくる。
大姫の遊び相手となり、すぐに彼女に気に入られ、仲睦まじい姿を見せた。
当初は婚約を勝手に決めた事で不満げな政子も、その凛々しさからすぐに気に入るなど、鎌倉方は好意的だった。
にもかかわらず、義仲が京で騒ぎを起こすや、頼朝は義経を派遣。義仲が討たれた後は敵討ちを恐れ、義時に誅殺を命じる。
板挟みとなった義時は奔走するも、義仲に理解を示しながら追討を見過ごした義時を義高は信頼できず、最終的には逃走。
大姫の決死の嘆願で頼朝は誅殺を諦めるも間に合わず、藤内光澄に発見されてしまう。
その際、抜刀して反撃を試みるも、普段大姫と遊ぶために持っていた鞠が絡まり刀が抜けず、討ち取られてしまう悲劇に繋がった。
ちなみに、演者の一族は三谷作品に出演経験が多い。
甲斐
・武田信義(演・八嶋智人)
甲斐源氏の棟梁。
言わずと知れた戦国武将・
武田信玄の祖先。
頼朝から支援を要請されるも、ライバル関係にあるためか中々兵を出さず、使者として訪れた時政・義時親子を翻弄する。
義仲追討には軍を出したが、頼朝の政治工作で法皇からの恩賞も少なく、頼朝を詰った。
そして、嫡子の一条忠頼と共に、義高を利用した鎌倉へのクーデターを画策。
しかし失敗に終わり、忠頼まで失うと義時に二度と逆らわないといった内容の起請文を書かされた。
その際の「謀反」に対する見解、「お前達はおかしい、狂っておる!」という迫真の訴えに視聴者に視聴者は深く頷いたとか。
なお、物語では触れられていないが、結局この後甲斐に攻め込まれている。
・一条忠頼(演・前原滉)
信義の息子で甲斐源氏の嫡子。
木曽義高の幽閉を察知し、鎌倉へ反旗を翻すよう彼に口添えするも拒否される。
その後も義高を口説こうとするが、従者と入れ替わり、逃亡した事に気付く。
義高逃亡を知らせた立役者として頼朝に呼び出されるも、義高にクーデターを唆した事を詰め寄られ、義時の差配で仁田忠常によって誅殺。
義時が率先して奸計に手を染めた犠牲者第1号となった。
奥州
・藤原秀衡(演・田中泯)
奥州藤原氏の3代目。義経からの敬称は「御館(みたち)」。
黄金郷を築いた傑物で、殆ど独立国家と化した陸奥・出羽国の頂点に立つ男。
その勢力は平家、源氏ともに警戒されており、時には彼らの動きを制限するほど。
幼少の頃から義経を庇護しており、平家滅亡後に鎌倉から追われた彼を再び匿う。
老齢から天寿を全うするが、その死が平泉滅亡のトリガーとなってしまう。
・とく(演・天野眞由美)
秀衡の正室で泰衡の母。
夫の遺言で、義理の息子である国衡の妻となる。平安末期とはそういう時代である……。
・藤原国衡(演・平山祐介)
秀衡の長男。正室の息子ではないため嫡男ではない。
その身分を憂慮した父の計らいによりとくを妻としたことで、当主泰衡の「父」となるが、それが新たな対立の火種となる。
弟とは異なり義経を重用し鎌倉に牙をむかんとしていた。
・藤原泰衡(演・山本浩司)
奥州藤原氏の4代目。秀衡の次男。
兄と対立するほか、義経の存在も鎌倉との火種を産みかねないと危険視しており、義時の計略で彼の抹殺に動き出す。
最期は頼朝自ら総大将となった鎌倉勢に攻め入られ、部下であるはずの河田次郎に討たれる。
・藤原頼衡(演・川並淳一)
秀衡の六男。
義時を怪しんだ結果、善児に殺されてしまう。
そもそも実在していたかどうかさえ疑わしいレベルの人物であり、それ故にかなり強引に退場させられた感がある。
吾妻鏡にも登場してないんだからこれだったら登場しない方がマシだったような……
・河田次郎(演・小林博)
泰衡の部下。
平泉滅亡の際、鎌倉へ取り入るために主人である泰衡を裏切って討ち、首を手土産に頼朝の元へ馳せ参じるも、その行為が頼朝の逆鱗に触れ、誅殺される。
頼朝の父である義朝の最期を思えば、こうなって当然としか言えない最期であった。
平家
桓武平氏の一流、伊勢平氏。
平治の乱で源義朝に打ち勝った清盛により、朝廷の実権を掌握。
安徳天皇の外戚として権勢を振るい、坂東にも息の掛かった武士を配置する源氏と坂東武者の宿敵。
……なのだが、本作の原作は「吾妻鏡」であり「平家物語」ではないため、出番は少ない。
当初は官軍として源氏方と戦うも、最終的に賊軍として追われ、壇ノ浦で滅亡した。
悪役なシーンが少ないため、本作だけ見ると源氏や坂東武者より真っ当かつ可哀想に見えてしまう。
・平清盛(演・松平健)
平家の総帥。安徳天皇の外祖父。松山ケンイチ(マツケン)の後釜は松平健(マツケン)だった。
ある意味前作主人公的人物。後白河法皇とは盟友にして生涯の宿敵。頼朝にとっては父の仇。
平治の乱で頼朝の父・義朝を下して権力を握り、大陸との交易で莫大な財を築いた、武士として初めて栄華を極めた男。
だが、義朝の息子達を流罪に留めてしまった事が、平家滅亡の原因となってしまう。
頼朝を流罪にしたことは忘れており、挙兵当初もあまり気に留めていなかった。
その後、鎌倉方の攻勢により、宗盛に発破を掛けるも、高熱で病に倒れる。
その時の遺言が、後の平家の運命を決定づけた。
頼朝が倒れる直前、大御所となり船でも造ってどこぞの入道のように交易に力を入れると語っており、目指す先は似ていたようである。
・平宗盛(演・小泉孝太郎)
清盛の三男にして嫡男。
父と異なり頼りない穏健派な人物として描かれる。
頼朝を「流人」と呼んで父以上に軽視しており、追討の命を出されても縁起のよい日を待つなど全く危機感を持っていなかった。
清盛死後は一門の棟梁として奮戦するも、義仲や義経に追い詰められ、最後は安徳天皇らと共に壇ノ浦で入水。
しかし、宗盛は生き延びたため、京都へ送還。義経が鎌倉へ帰還する名目として、彼も鎌倉へ連れられる。
その際に義経と頼朝の確執を知り、早世した兄の話を持ち出すなどして交流を経る。
そして、義経のために有名な腰越状を代筆する事になるが、その文が義経の書いた物ではない事が気付かれ、頼朝を更に激怒させる事になってしまった。
結果として逆効果になってしまったが、義経は代筆してくれた恩に報い、宗盛と息子・清宗を秘密裏に引き合わせ、
宗盛は二度と会えないと思っていた息子と、死に臨む前に親子の対面を果たすことが出来た。
・平維盛(演・濱正悟)
清盛の孫。「光源氏の再来」。
早世した平重盛の長男であり、異母弟である宗盛が嫡男となった現在は、平家内でも微妙な立ち位置にいる。
富士川の戦いに総大将として臨むが、ジジイ共のじゃれつきのせいで惨敗する。
・平知盛(演・岩男海史)
清盛の息子。宗盛の同母弟。
平家軍の司令官なのだが活躍が少ない。
・平清宗(演・島田裕仁)
宗盛の嫡男。
壇ノ浦の敗北後、義経の計らいで生涯会えずじまいのはずだった父と再会する。
朝廷・京
伏魔殿。妖怪の巣窟。
京都人としての陰湿さをこれでもかと見せつける。
平家と源氏の武家社会の煽りを受け、力を失いつつあるがそれでも権力を狙う全ての者にとっていまだ憧れの地であり続けている。
朝家(皇室)
言わずと知れた現代まで続く日本の君主一族。
衰退しながらも権力を握り続けようとする藤原摂関勢力、地方から現れ台頭していく武士階級と否応なく向きあい続けることとなる。
武力こそ微々たるものだが歴史が作った威厳と謀略を武器に彼ら勢力と渡り合う。
・後白河法皇(演・西田敏行)
治天の君。第77代天皇。日本一の大天狗。何人目なんだ西田敏行……。
諱は雅仁。事実上、国家の頂点に立つ人物のはずだが、平家の権勢に押し負け、清盛によって幽閉されてしまう。
その後は頼朝の夢に定期的に現れ、彼に挙兵を促しながら、密かに平家追討の院宣を発する。
歴代随一の謀略家であり、1人だけが力を持つことを良しとせず、平家を追い落とす中、武士の力を削ぐために義仲、義経、頼朝を争わせる。
鞠を脇に挟んで脈を止めるという謎の技を持つ。
「真似をしてはいけない」
特に義経とは意気投合し、対頼朝カウンターとして重用するも、彼の失脚後は脅されていたと鎌倉方へ弁明するなど食えない御仁。
痴呆なのか性格が悪いのか分からない場面も多く、登場人物達を困惑させる。
奥州藤原氏の滅亡後、上洛した頼朝と謁見。「戦の無い世を作る」と唱える頼朝の真意を見抜き、「薄っぺらい」と看過。大河恒例のテーマを否定し、視聴者の度肝を抜いた。
その後、あらゆる勢力を翻弄しながらも朝廷を守りきったと豪語した法皇は、
後鳥羽天皇に「楽しまれよ」と言い遺して大往生。
法皇が何もしなかった場合どうなっていたかはわからないとはいえむしろ法皇が色々やったせいで朝廷の権力が弱体化したような……
「世をかき乱すだけかき乱した後白河法皇が、死んだ」とナレーションから評された。
・以仁王(演・
木村昴)
後白河の皇子。
平家を外戚とする言仁親王(安徳天皇)にその座が移り、皇位継承が絶望的になった事で、源頼政と共に「以仁王の挙兵」を企てる。
すぐに鎮圧されてしまったが、源行家を通して全国にばら撒かせた以仁王の令旨が、治承・寿永の乱の火蓋を切る。
演者は
ジャイアン(または
仮面ライダーバイス)。
・安徳天皇(演・相澤智咲)
第81代天皇。諱は言仁。平清盛を外祖父に持つ平家の皇子。
木曾義仲によって平家が都落ちすると、官軍の御旗として三種の神器と共に連れ出されてしまう。
以後、源氏方は安徳帝と神器の奪還を試みるも、果たせないまま壇ノ浦の戦いを迎え、
最早これまでと悟った平家方により、安徳天皇は神器と共に入水させられてしまった。享年8歳。
この光景には平家方はもちろん、それまで戦っていた源氏方も思わず戦を止めるほど唖然とし、
流石の義経も我を忘れて「やめろ!」と叫ぶほど愕然とした様子を見せた。
なお、演者は女の子である。
・後鳥羽上皇(演・尾上松也)
第82代天皇。諱は尊成。偉大なる帝王。
既に項目がある辺り、やはり別格の人物である。
後に承久の乱を引き起こす義時最大の敵にして、本作の
ラスボス(予定)。
多趣味かつ器用な人物で、幅2㎝程度の双六の駒を延々と積み上げる「一人ジェンガ」で1m近く積み上げたり、
モデルが思わず不快感を示すような誇張した似顔絵を披露したりしている。
平家に連れ出された安徳帝の代わりに、三種の神器が無いまま、後白河法皇の手で践祚した。
幼帝時代は安徳帝と同様、女性の子役が演じている。
後に土御門天皇へ譲位し、頼朝の死後、新章開幕と同時に後白河法皇に次ぐ治天の君
後鳥羽上皇として本格登場。
4年前の頼朝上洛時の状況から、彼の死が飲水の病であったと推察。
鎌倉から遠く離れた京でわずかな手がかりからその死因に迫る名探偵ぶりで土御門通親を感服させる。
朝廷に欠ける軍事力を持つ鎌倉の存在を重要視し、自らの影響下に置く為に策謀を巡らす。
鎌倉で梶原景時が謹慎すると「早速仲違いが始まったか」と幕府の状況に呆れつつも、景時の有能ぶりを通親から聞き及び、手中に収めるべく書状を送る。
その後の頼家政権に対しては積極的に動かず静観していたが、頼家の昏倒をきっかけとした比企一族の誅殺、田舎者と見下す北条の実権確立から積極的な介入に乗り出し、
新将軍となる千幡に自ら「実朝」という名前を与えるとともに、教師役として源仲章を派遣する・北条時房と蹴鞠の交流を深め、個人的な関係を築くなど鎌倉殿への影響力の増大を図ろうとする。
実朝の懐柔がうまくいった矢先、彼と仲章の暗殺に直面。新将軍を巡る駆け引きや内裏修繕などにおいて【鎌倉の東蝦夷】北条義時の追討令を発する。
しかし、政子の呼びかけや泰時の迅速な出陣・時房への過度な期待もあって失敗。時房を通じて自己保身を図ったが、鎌倉での死闘を経験していた義時に見逃されるわけもなく、【東蝦夷】と見下していた彼の沙汰によって流罪に処され、罪人のような扱いを受け、退場した。
京の公家・武士・僧侶
・丹後局(演・鈴木京香)
後白河法皇の寵姫。
平家のせいで夫を失っており、法皇と共に平家を倒すために立ち回る。
法皇や平知康と共に色々と策謀を仕掛けるも、知康追放の折には、後白河に追随して責任を彼に押し付けた。
法皇が世を去り出家するもその権勢を誇り、政子と大姫を見定める。
法皇に付き従ってきた経緯から、武力を誇る頼朝を敵視しており、坂東の娘である政子を東蝦夷呼ばわりし、京都人ムーブを遺憾無く発揮。
その苛烈な物言いは、立ち直りかけていた大姫を深く動揺させ、彼女の入内をご破産にした。
ただ、言い方はともかく入内の恐ろしさを知っている彼女の言葉は割と真っ当な内容で、
その後の「宮中で掛けられた言葉はその裏を読め」という趣旨の発言も合わせ、大姫に入内の実像を知らせるためにわざとキツい物言いをしたとも取れる。
・平知康(演・矢柴俊博)
後白河法皇の側近。「鼓判官」の異名を持つ。
桓武平氏だが清盛率いる平家方とは別系統の出身。
法皇や丹後局と共に策謀を張り巡らせる。
木曾義仲を馬鹿にしている典型的な公家ムーブが目立つ人物だが元は法皇の護衛役を務めた武士であり、
彼らがクーデターを起こした際は、率先して鎧を身に付け、法皇の元に駆けつけた。
奥州の滅亡後、頼朝が力を付けると、法皇から義仲と義経を失った責任をなすりつけられ、京から追い出されてしまう。
それから暫くは姿を見せなかったが、頼家の2代目就任以降、鎌倉へ流れ着き、彼の元で蹴鞠の師範を仰つかる。
だが、義時に諭され、頼家が政治に向き合うことを決心すると、お役御免を言い渡されると同時、鞠を放り投げられるも取り損ね、井戸に落ちかけてしまう。
頼家と義時、通り掛かった全成の(コントのような)活躍により、無事に救出され、本人の預かり知らぬところで頼家と全成の仲を取り持った。
なお、井戸に落ちるというエピソードは状況こそ異なるが、吾妻鑑に記された史実である。
比企氏の乱の直前に頼家の命により帰洛してから長いこと登場していなかったが、第47話で後鳥羽上皇の使者「押松」として久々に登場する。
・源頼政(演・品川徹)
清和源氏の一流、摂津源氏の棟梁。
源三位の異名を持つ頼朝の遠い親戚で源氏の長老。
平治の乱では平清盛と共に戦い、武士では異例の従三位の地位に着いたが、以仁王の挙兵に従い、平家政権へ挙兵。
源頼光の子孫、
鵺退治、名刀獅子王、息子・仲綱に対する宗盛畜生エピなど話題に事欠かないが、本作ではすぐに敗死してしまった。
夫のライバルが減った事で喜ぶ政子を頼朝は一喝。頼政の冥福を祈り念仏を唱えるも、その顔はほくそ笑んでいた。
・九条兼実(演・田中直樹)
藤原摂関家の一流・九条家の祖であり、摂政・関白・太政大臣を歴任した実力者。
頼朝追討から義経追討に切り替えた法皇の差配に困惑し、何度も聞き返してしまう。
頼朝の上洛に協力するが、大姫を後鳥羽天皇に入内させようとしていた頼朝に対し、自分の娘の入内の方が早かったと勝利宣言する。
までは良かったが、結局男子に恵まれず、クソ真面目な保守派という政治姿勢が後鳥羽天皇と対立して失脚している。
なおこの人の書いた日記「玉葉」は吾妻鏡と並ぶかそれ以上の同時代一級史料。
・土御門通親(演・
関智一)
村上源氏の一流、土御門家の公家。
スネ夫なおこれで『秀吉』・『天地人』(義時)・『真田丸』(義村)・『戦国BASARA』と3人石田三成経験者が揃ったことになる。
九条兼実の政敵で、娘を後鳥羽天皇に入内させ、土御門天皇の外祖父として実権を握る。
丹後局と連携しており、頼朝と協調する兼実を牽制する。
しかし、上洛した頼朝から「土産」を貰った時は悪い笑みを浮かべていた。
にもかかわらず、あまり良い口利きはしてくれなかったらしい。
子孫に戦闘力のおかしい南朝の公家・北畠親房、北畠顕家の親子が居る。
・一条高能(演・木戸邑弥)
藤原北家中御門流、一条家の公家。
頼朝の妹・坊門姫の子息。つまり頼朝の甥。
大姫の嫁ぎ先として候補に上がり、鎌倉へ下向。だが、大姫から義高が未だに許嫁であると主張され、京へ帰ってしまう。
甲斐源氏の一条とは関係なく、五摂家の一条家とも関係ない。ややこしい。
・源仲章(演・生田斗真)
宇多源氏。
後鳥羽上皇の側近にして、幕府にも仕える特殊な立ち位置にある在京の御家人。
阿野全成の誅殺後、鎌倉(比企)の指令で頼全に斬首の沙汰が下された際に出向き、気怠そうに立ち会ったのが初登場。
三代将軍となった源実朝の教育係として鎌倉に出入りするが、後鳥羽上皇の意向で動く朝廷側のスパイでもある。後半戦最大のキーパーソンといっても過言ではない。
頼全が自らの立ち合いの下、処刑された後に、その親族である北条氏が幕府の事件を握るが、特に処罰を受けることなく鎌倉で飄々と立ち回る。
北条家の台頭を非常に嫌っており、平賀朝雅をそそのかして北条政範毒殺とそれに伴う畠山重忠滅亡、北条時政追放の元凶を作ったり、
「泉親衡」と名乗って御家人をそそのかし、和田義盛滅亡の原因を作るなどの暗躍を繰り返すが、自らの尻尾は掴ませない狡猾さで生き延び、
牧氏事件の後、時政が追放されて義時が二代執権となった後は、本格的に鎌倉政権に介入するように。
義時には協調を約束するなどして敵対しないようにしていたが、義時の「頼朝が幕府を作って以降に入ってきた新参者を信用しない」スタンスと、
和田合戦の引き金となった「泉親衡の乱」で、件の人物の正体こそ掴めなかったが「都の臭いがした」ことから関係を疑われ、彼には信頼されなかった。
そして、実朝による大御所政治構想が実現に向かって進んでいくと、かつての比企能員のように本性を剝き出しにして公然と義時に喧嘩を売るようになり、
「私が関白になって政務を取り仕切ることになったら執権殿は伊豆に帰られよ。なんならいっそ私が執権になろうか」と引退を勧め、
義時の継室である「のえ」を懐柔して頼家急死の真相(北条氏の関与)を暴こうとするなど、義時にとっても無視できない存在となった。
いよいよ仲章の動きを危険視した義時は刺客としてトウを送り込むも、仲章はその動きを読んで逆にトウを捕えてしまい、逆王手をかけられてしまうが、
義時を挑発する意味も込めて彼から太刀持の役を奪ったことで、仲章は実朝と義時を暗殺しようと襲撃してきた公暁に義時と間違えられて斬られてしまい、
情けない悲鳴を上げた後、「寒い、寒いぞ…寒いんだよぉおおおお!」と叫んで息絶えるという因果応報の最期を迎えた。
ついに義時を追い落としたと思った矢先に、結果的に彼の身代わりとなって斬殺されるという死に様は、義村や広元から「ざまあ」と言わんばかりに嗤われるが、
自分まで標的にされ、一歩間違えれば自分が骸を晒していたことを知った義時の表情には、宿敵が死んだことに対する喜びなどどこにもなかった。
演者の生田氏はそれまでの大河ドラマで善人を演じていたこともあって、仲章役の非常に憎たらしい怪演は視聴者の話題を呼び、
SNS上にアップされた「みなもとの なんか腹立つ 仲章 顔はいいのに 顔はいいのに」という視聴者の心を代弁するかのような狂歌が注目を浴びた。
そして、2025年の大河ドラマでも…。
・慈円(演・
山寺宏一)
天台宗の僧侶。天台座主にもなっている。
九条兼実の弟にあたり、僧侶としての法会の傍ら、後鳥羽上皇の側近としても振る舞っている。
夢のお告げと称して鎌倉を失われた草薙剣に例え、上手く扱うように進言した。
彼もまた権力への執着が強く、親王将軍成立の可否を巡って対立する京と鎌倉の騒動に付け込んで自身の縁者である三寅を後継者に推挙し成立に成功する。
この際の、義時と政子が混乱するほどにややこしい三寅の家系を超絶活舌で説明する場面は、声優の面目躍如といったところか。
史実ではこの時代の一級史料である「愚管抄」の著者として有名。
また演者は過去にもドラマ『合い言葉は勇気』やNHK人形劇『新・三銃士』『
シャーロック・ホームズ』で三谷作品に関わっていた。
何気に三谷作品に俳優として出演するのはこれが5作目である。
・藤原兼子(演・シルビア・グラブ)
後鳥羽上皇の乳母。後鳥羽上皇の皇子の一人である頼仁親王の養育係を任されている。
源実朝の後継者として親王の鎌倉下向を依頼する為に上洛した政子と対面する。
初めは田舎者の政子に対してマウントを取ろうとするが、政子の気の利いた切り返しや頼仁親王が鎌倉に下向する事が双方の利となる事を説く様子に感心し態度を改めた。
・藤原秀康(演・星智也)
北面武士兼西面武士。各地の国司を歴任した上級武士。
後鳥羽上皇の前で、三寅の鎌倉下向を取りまとめた慈円の振る舞いを実家の九条家への利益誘導であると非難する。これにより上皇が慈円を遠ざけるきっかけを作った。
承久の乱では宮方の総大将として出陣するも鎌倉方との圧倒的な兵力差の前に敗れる。史実では鎌倉に送還されたのち、斬首されている。
その他
・ナレーション(演・長澤まさみ)
毎話のOPで
あらすじを語ってくれるほか、場面が飛んだ時の状況や現代とは異なる当時の価値観をフォローする名脇役。
時たま笑いを誘う視聴者への忠告や、ギャグのようなナレ死を淡々と告げるなどコメディもこなす。
ナレーション故に顔出し出演はないが、長澤氏が義時とすれ違う侍女役で出演した回が一度だけある。
・首桶
『麒麟がくる』、『青天を衝け』に引き続き登場の大河準レギュラー。
戦国時代が舞台の『麒麟がくる』や『
おんな城主直虎』より登場頻度が高く、もはやUber eats並みの気軽さで現れる。
・徳川家康(演・松本潤)
ご存知、後の江戸幕府初代将軍にして次作の大河ドラマ『どうする家康』の主人公。
最終話冒頭で番宣のためにシークレットゲストとして、まさかの登場。
史実でも愛読していたことで知られる『吾妻鏡』を読み、当時の武士たちの生き様に思いを馳せていた。
家康の特別出演は主演の小栗旬の提案であり、それを三谷幸喜と『どうする家康』の脚本家の古沢良太が共同で実現させたというサプライズ演出であった。
次回作主人公の特別出演はかつての
アニメや
ドラマでしばしば見られた引継ぎ演出であるが、
大河ドラマでは初の試みであり、最終話における伝説の一つとなった。
ここで登場したことにより徳川家康は
大河ドラマに4作品連続で登場するという快挙(?)を遂げる。
戦国時代が舞台であった前々作『麒麟がくる』と、自身が主役である次作『どうする家康』はともかくとして、
かたや家康が江戸幕府を開いてからおおよそ260年後である幕末から明治を描いた前作『青天を衝け』、
かたや家康が生まれる200年以上前の鎌倉幕府創設期を描いた本作『鎌倉殿の13人』と通算して徳川家康が大河ドラマに四年連続出演するなど、誰が予想できただろうか。
尤も、前々作では戦国史に残るターニングポイントの出来事に巻き込まれ、前作で自ら築いた江戸幕府の終焉を解説役として見つめ、
今作では日本史上初めての武家政権にして初の幕府を築いた鎌倉幕府の遍歴を後の時代の人間として見ていた彼の物語がようやく語られる、という点で歴史は一つに繋がっていると感じるだろう。
また、『鎌倉殿』は一度は同じ主君の下に集って旧体制を打破した家臣同士が、その後の権力闘争で血みどろのデスゲームを繰り広げる物語なのに対し、
『どうする家康』は(物語開始時点では)弱小大名家の主君と家臣たちが力を合わせ、激動の戦国時代を生き抜くという対照的な作品であるのも興味深い。
その点を意識した上で、改めて両作品を見比べるのもまた一興だろう。
追記・修正は、鎌倉パワーゲームに勝ち残ってからお願いします。
- ↑4 大河は出演料かなり安いらしい。 小栗旬とか民放なら1話300は行くのに大河は200切ってるって言われてる。 -- 名無しさん (2022-12-15 08:59:07)
- この作品の政子の視点からしたら、愛した人と結ばれ天下を獲ったら待っていたのは家庭崩壊でことくごとく身内が悲惨な死に方をして孫にいたってはあの死に方は何を呪えばいいのかわからなくなるくて自死を選びたくもなるよな(ただ、それが責任放棄になってしまうのもまた) -- 名無しさん (2022-12-17 00:58:03)
- ↑2 紅白とかも安いんだが、それを差し引いても「出た」ということはプラスになることが多いので出演依頼は光栄なことと取る人は多いのだとか。広い世代に名が売れる(人気役者でも世代が違うと知名度さっぱりとかある)、大河だと習った作法を見込まれて来年以降の年末特番ドラマに呼ばれる等々。 -- 名無しさん (2022-12-19 00:42:43)
- 最終回で明かされたタイトルの本当の意味… -- 名無しさん (2022-12-19 10:20:18)
- 鎌倉殿の(亡くなった後で義時に粛清された)13人って・・・。 -- 名無しさん (2022-12-19 23:37:27)
- 文覚再登場は一見荒唐無稽に見えて上皇が配流される隠岐には文覚上人のものと伝わる墓(…信州などにもあるらしい)があったりするのでもしかしたら…というロマンはある -- 名無しさん (2022-12-19 23:51:10)
- すげえ最終回だった、一生忘れねえよこんな悲しい最後… -- 名無しさん (2022-12-20 16:25:44)
- 主人公に報いと救いを同時に与えるとか最後の10分間が完璧すぎる。この手の話としては一番綺麗な終わり方というか見本みたいな完成形作ってきたなって感じ。 -- 名無しさん (2022-12-20 19:44:18)
- 大河ドラマに4年連続で出演したタヌキがいるらしい… -- 名無しさん (2022-12-20 20:01:20)
- ×The 13 Lords of the Shogun 〇The 13 Victims of the Shikken だったな… -- 名無しさん (2022-12-20 21:25:59)
- 主人公の息子が善性が強くて救いになりつつも、主人公の最期はあれだからな… -- 名無しさん (2022-12-20 21:56:05)
- 政子は本当に義時の死の翌年に死んだと知ってもう駄目だった・・・ -- 名無しさん (2022-12-21 21:21:00)
- 舞台っぽい感想をよく見る最後の暗転、完の一文字は、三谷幸喜の脚本にはなく、演出家によるアイデアとのこと。三谷幸喜本人も放心した締め方は、途中や次の番組にもCMを挟まないNHKだからこそ、三谷幸喜本人すら放心させた締め方ができたのだろう。 -- 名無しさん (2022-12-22 03:52:23)
- ↑削除ミスで、おかしな文章になってしまいました。 -- 名無しさん (2022-12-22 05:22:05)
- ↑3 のえこと伊賀の方もこのすぐ後に起こった伊賀氏の変で敗れ配流された先で(義時の死と同じ年に)亡くなってるのがなんとも…。政子によって潰された説もあるけど -- 名無しさん (2022-12-22 05:44:00)
- 前年の渋沢栄一とはまるで対極の最期と言われてたな -- 名無しさん (2022-12-22 10:57:08)
- 「誰しも一度は人の上に立ちたがるもの」というのがこの作品のコンセプトだったんだろう -- 名無しさん (2022-12-25 13:10:20)
- 最終話冒頭で松潤を出したのは小栗旬のアイディアらしい。 -- 名無しさん (2022-12-25 14:18:23)
- 足利氏の存在をひた隠しにするのは話のテーマが御成敗式目を着地点にする必要があるので次の秩序である室町幕府を想起させるものを出せなかったという解釈を見た -- 名無しさん (2022-12-26 02:11:07)
- 反対意見がなかったためコメントをログ化しました。 -- (名無しさん) 2022-12-26 20:36:38
- 三谷幸喜は歴史マニアなだけあって題材選びがまず面白い。 もちろん番組サイドとのすり合わせもあるんだろうけど、歴史物語は教科書レベルの偉人オールスター以上に新時代への過渡期の物語の方がドラマチックで魅力的なことを一般視聴者にも教えてくれる。 新選組も真田丸も時代の敗者だし、本作も時代の犠牲者と新時代と共に退場した主人公を描いている。 -- (名無しさん) 2022-12-29 21:51:00
- 信玄の先祖がいたり、毛利元就の先祖がいたり、歴史のつながりを感じさせるなぁ -- (名無しさん) 2022-12-30 21:56:03
- 物語の全体的な構成はミステリ畑の人だということを再認識する -- (名無しさん) 2023-01-01 19:39:57
- 最初に「しぬどんどん」って言い出した人天才だよなあ…元ネタ知らなくても「どんどん死ぬ」と普通に言うより「しぬどんどん」の語感の方が何となくシュールでおかしいし、元ネタに気づくと二度おいしい。 -- (名無しさん) 2023-04-13 23:00:13
- 人物の「鎌倉殿」の欄、三寅は加えなくていいのか? -- (名無しさん) 2023-05-20 12:51:41
- 昭和後期末期のバイオレンス物のラスボスで、戦時中に私腹肥やしの限りを尽くし戦後政財界の黒幕として君臨してきた老人というのが定番の一つで『鎌倉の御前』と呼ばれるパターンが多かった。なんで鎌倉?と謎だったが本作のおかげでわかったような気がする。 -- (名無しさん) 2023-07-12 13:04:01
- のえのところ、あえて時間のかかる毒物を選んだってあるけど毒を用意したのは義村なのでは -- (名無しさん) 2023-08-14 21:57:47
- 義村は調達した側で希望したのはのえでしょ。 -- (名無しさん) 2023-12-01 05:46:02
- ↑3 鎌倉の御前は鎌倉に住んでるからだよ。余談だけど昭和の鎌倉は東京にそこそこ近くて、政経済人の別荘や住宅も多い高級住宅街だったから、黒幕が住むのにふさわしかった。 -- ( ) 2024-07-19 19:20:16
- オープニングの刀構えた武士石像と笏を持った貴族石像、序盤は頼朝と清盛に見えて終盤は坂東武者と上皇に見えるし、中盤も違う見え方があった気がする。本当いい構図だ。 -- (名無しさん) 2024-08-12 21:05:50
最終更新:2025年04月19日 20:00