アルマ56,,アルマ書  第56章
アルマ56,*-*,ヒラマンがモロナイへ送った手紙。アンモン人青年らの驚くべき信仰と勇気。再び大戦争。ニーファイ
人の大勝利。
アルマ56,1,判事治世30年目の1月2日、モロナイはヒラマンから手紙を受け取ったが、それにはヒラマンのいる地
方の人民の情況が書いてあった。
アルマ56,2,ヒラマンの書いた言葉は次の通りである。主に於けるわが愛する兄弟よ。また今の戦に於て艱難を同じ
くするわが深く愛する兄弟モロナイよ。この地方の戦について汝に知らせることがある。
アルマ56,3,それは、アンモンがニーファイの地から連れてきた人々の息子である2、000人の人々にかかわることで
ある。汝は、すでにこれらの人々がわれらの先祖リーハイの長男レーマンの子孫であることを知っているから、
アルマ56,4,かれらの言伝えと不信仰とについて汝に語る必要はない。汝はこれらのことをみなよく知っているからで
ある。
アルマ56,5,われはただかれらの子孫である2、000人の青年が武装をして、われにその司令官になってくれと言
い、われらが時刻を守るために出陣したということを言えば充分である。
アルマ56,6,汝はまたこの2、000人の青年の親たちが、同胞に向って再び武器を執り血を流すことをしないと誓っ
たことをよく知っている。
アルマ56,7,しかし判事治世の26年目、かれらは国民がかれらのために艱難に逢い非常に苦しむ有様を見たの
で、すでに立てた誓いを破り国家を守るために武器を執ろうとした。
アルマ56,8,しかし、かれらが立てた誓約を守るためにわれらが益々苦しむことのないように、神はとくに力を添えて
下さると思ってわれはその誓約を破ることをかれらに許さなかった。
アルマ56,9,しかし、われらが大いに喜ぶ1つの事があった。すなわち、26年目にわれヒラマンはこの2、000人の青
年を率いてユダヤ市へ行き、汝がその地の軍の司令官としたアンテプスを助けた。
アルマ56,10,その時われはわが2、000人の子(この2、000人の青年はわが子と呼ぶにふさわしい者である)をア
ンテプスの軍に加えたから、アンテプスは1方ならずこれを喜んだ。それはレーマン人がわが軍を大勢殺したから、
アンテプスの軍はすでに減少していたからであ
アルマ56,10-1,われらはわが兵の多く殺されたことを悲しまずにはおられない。
アルマ56,11,それでも、またわれらはかれらが国の為、神の為に死んですでに幸福を受けていると思って心に慰め
を得るのである。
アルマ56,12,レーマン人はまた多くのとりこを以ていたがこのとりこは皆大士官であった。そのほかにとりことなった
者は、レーマン人がみな殺してしまったからである。思うにとりこになっている大士官らは今ニーファイの地に居る
であろう。レーマン人がこれを殺さなかったなら
アルマ56,12-1,必ずニーファイの地に居るのである。
アルマ56,13,レーマン人がわが軍の多くの勇士の血を流すことによって占領した都市は次の通りである。
アルマ56,14,マンタイの地、すなわちマンタイ市、ゼーズロム市、クマナイ市、アンテパラ市がこれである。
アルマ56,15,これらはわれがユダヤ市に着いた時レーマン人がすでに占領していた都市であって、われはアンテ
プスとその軍とがユダヤ市の防禦に力をつくしているのを見た。
アルマ56,16,かれらはその都市を守るために、昼は勇ましく戦い夜は苦労してあらゆる苦難に逢ったため肉体精神
ともに疲れていた。
アルマ56,17,かれらはもしユダヤ市で敵に勝たなければ必ず死のうと覚悟をしていたから、われがつれてきたこの
小さな軍、すなわちわが子である青年たちのために大きな望と喜びとを得たことは言うまでもない。
アルマ56,18,レーマン人はアンテプスの軍が遠兵を得たと知ると、アモロンの命令でユダヤ死またはわが軍を攻め
ることを禁ぜられた。
アルマ56,19,このようにしてわれらは主の助けを得た。もしレーマン人がわれらのまだ弱い内に攻めよせてきたなら
ば、われらの小さな軍を亡ぼしたかわからない。しかしわれらはこのようにして守られたのである。
アルマ56,20,レーマン人はこれまでに占領している都市をみな固く守れと言う命令をアモロンから受けた。これで
26年目は終った。27年目の始め、われらはすでに自身と自分らの都市とを守る備えを完成していたが、
アルマ56,21,われらはレーマン人をそのとりでにこもっているまま攻撃したいとは思わなかったから、レーマン人から
攻めよせてくればよいと思っていた。
アルマ56,22,われらはいつも4方に間者をつかわし、レーマン人が夜にも昼にもわれらの所を過ぎて来たの方にあ
るわれらの他の都市を攻めることのないようにその動きをうかがっていた。
アルマ56,23,なぜならば、来たの方にある都市の民はレーマン人を防ぐに足る力がないことが解っていたからであ
る。それであるからレーマン人がもしもどうとかしてわれらの所を過ぎることができたなら、われらはわが軍を以て後
ろからこれを襲い、かれらの正面から向うと共に後
アルマ56,23-1,攻めたいと思っていた。われらはこの策を以てレーマン人に勝つことができると思っていたところ
が、その望ははずれた。
アルマ56,24,レーマン人は思い切って全軍でわれらの所を過ぎることができず、また軍の1部では充分強くないか
ら亡びるかも知れぬと思って過ぎなかったからである。
アルマ56,25,かれらはまた思い切ってゼラヘムラ市を攻めるために軍を進めようとはせず、またサイドン川の源を越
えてニーファイハ市へ行くことも危いと思ってしなかった。
アルマ56,26,それでかれらは、それまでに占領している都市を軍勢で固く守ろうと決意をした。
アルマ56,27,この年の2月、わが子である2、000人の青年の親から多くの食糧をわが軍にとどけ、
アルマ56,28,またゼラヘムラの地から2、000人の援兵を送ってきたから、われらには10、000の兵とこれに必要な
食糧と兵と兵の妻子に要する食糧とがあって準備が整った。
アルマ56,29,レーマン人はわが兵が日々増加しこれを養う食糧がくるのを見て恐ろしくなり、われらの所へ送ってく
る援兵と食糧の道をふさごうと思ってたびたび出撃してくるようになった。
アルマ56,30,われらはレーマン人がこのようにいよいよ不安になるのを知り、1つの計略を施そうと思った。よってア
ンテプスはわれとわが年若い子らに命令を下して、隣りの都市へ食糧を運ぶふりをして一しょに行けと言った。
アルマ56,31,こうすると、わが兵はアンテパラ市の向うにあって海に近い都市に行くふりをしてアンテパラ市の近くを
通らねばならなかった。
アルマ56,32,そこでわれらはあたかも食糧を運んでその市へ行くようなふりをして進軍して行った。
アルマ56,33,われは小さな軍を率いてアンテパラ市に近づくと、アンテプスはその軍の1部をくり出し、ユダヤ市の
守りのためにほかの兵をのこして進んできた。
アルマ56,34,アンテパラ市にはレーマン人の1番強い軍が1番多く駐屯していた。
アルマ56,35,それであるから間者によってわが軍の行動を知ると、すぐに軍をくり出しわが軍に向って進んできた。
アルマ56,36,そこでわれらは北の方へ逃げてレーマン人の1番強い軍隊を遠くへ誘い出した。
アルマ56,37,かれらをずいぶん遠くへ誘い出したところ、レーマン人は後からアンテプスの軍が急いで追ってくるの
を覚り、左へも右へも曲らず真すぐにわが兵を追ってきた。かれらはわが兵にとり囲まれぬよう、アンテプスの軍の
追いつかぬ内にわが兵を殺すつもりであったらしい
アルマ56,38,アンテプスはわが兵が危ないのを見て急いで進んできたが、もう夜になってレーマン人がまだわれら
に追いつかず、アンテプスの軍もまでレーマン人に追いつかなかったから、われらは天幕を張って夜を過した。
アルマ56,39,翌日、まだ夜の明けない中にレーマン人が再びわれらを追ってきたが、われらはこれと戦う力がなく、
またわれはその若い息子らをレーマン人の手に落したくないと思ったから荒野へ進んで行った。
アルマ56,40,レーマン人はとり囲まれることを恐れて左へも右へも曲らず、われもまたレーマン人に追いつかれたな
らこれに抵抗ができずに殺され敵を取り逃すといけないと思って左にも右にも曲らず、この日もまた暗くなるまで1
日荒野へ逃げて行った。
アルマ56,41,夜が明けると、われらはレーマン人が今にも追いつこうとする様子を見てまた逃げた。
アルマ56,42,しかしこのたびレーマン人はわれらを遠く追わずに止まった。時は7月3日の午前であった。
アルマ56,43,われらはレーマン人がアンテプスに追いつかれたかどうかは知らなかったが、われはわが部下に問う
て”敵はわれらに攻めさせよう兵を止めて、われらをわなにかくて捕えようとするのかも知れない。
アルマ56,44,しかしわが子らよ汝らはどう思うか。敵と戦うつもりか”と言った。
アルマ56,45,わが愛する兄弟モロナイよ。われはニーファイ人の中にさえも次に言うような偉大な勇気を見たことが
ない。
アルマ56,46,われが常にかれらを指して(みな非常に若かったから)わが子らと呼ぶように、かれらもまたわれを指し
て父と呼び”父よ、われらの神はわれらと共にましまして必ずわれらを倒れさせためわないから、われらは行って戦
おう。われらの同胞がもしも日頃われらに迫らな
アルマ56,46-1,ならばわれらはこれを殺さないであろう。かれらは迫ってきている。同胞であるこの敵がアンテプス
の軍に勝たないようわれらは行って戦おう”と答えた。
アルマ56,47,わが子らはまだ戦ったことがなかったが死めことを恐れず、自分の命よりも親の自由を重んじ、また疑
いを抱かないならば神が必ず自分らを救いたもうとその母から教えを受けていた。
アルマ56,48,かれらはその母の言葉をわれに話して”われらの母はわれらに教えたことを自分で確に知っている。
われらはこれを疑わない”と言った。
アルマ56,49,さてわれは、われらを追いかけたレーマン人を攻めるためにこの2、000人の兵を率いて言ったが、見
よ、アンテプスの軍はすでにレーマン人に追い着いて烈しい戦が始まっていた。
アルマ56,50,しかし、アンテプスの軍は僅の間に遠い道のりを進んだため、疲れてまさにレーマン人に負けようとし
ていた。もしもわれがその2、000人の兵をつれて帰ってこなかったならば、レーマン人はその目的を遂げたことで
あろう。
アルマ56,51,アンテプスとその軍の重な士官たちの多くは急いで進軍したために疲れて早くも剣に倒れたから、そ
の兵は重な士官らが死んだのを見てうろたえ騒ぎレーマン人から退却し始めた。
アルマ56,52,レーマン人はこれを見て勇気づき全力をあげてアンテプスの軍を追撃する。レーマン人がアンテプス
の軍を追撃する内に、ヒラマンはその2、000人の兵を以てレーマン人の背後から攻撃して大いに敵を殺し始めた
から、レーマン人の軍は止まって今度はヒラマンの軍
アルマ56,52-1,向ってきた。
アルマ56,53,そこでアンテプスの軍は、レーマン人が転じて今その背面に向っているのを見て、残りの兵を集めて
再び敵の後方を襲った。
アルマ56,54,よってニーファイの民であるわれら、すなわちアンテプスの兵とわれとわが2、000人の兵とはレーマン
人をとりかこんでこれを殺したから、敵はやむを得ず武器をひきわたして自らとりことなった。
アルマ56,55,敵が降服してから、われはわが部下の青年が多く死んで居わしないかと思って数をしらべたところ、
アルマ56,56,嬉しいことに1人も失わなかった。まことにかれらは神の限りない力を得たかのように戦った。人がこの
ように不思議な力で戦ったことはいまだかつて例のないことであった。かれらはレーマン人も驚くばかりの大きな力
で攻撃したから、レーマン人は降服してとりこに
アルマ56,56-1,とりこになったのである。
アルマ56,57,その地にはとりこを見張ってレーマン人の軍に取り返されないようにしておく所がなかったので、われ
は殺されなかったアンテプスの兵の1部をつけてこれをゼラヘムラの地に送らせ、アンテプスの残りの兵をわが若
い子であるアンモン人に加えてユダヤ市に帰った。
最終更新:2008年07月04日 22:56