ヒラマ3,,ヒラマン書  第3章
ヒラマ3,*-*,北方の地へさらに移民が行われる。大きな湖がある地、セメントの建築物。多くの記録を誌す。ヒラマン
の息子のニーファイがそのあとをつぐ。
ヒラマ3,1,判事治世の43年目には、教会の中にいささか慢心がきざしたために国民の間に多少の紛争が起った
が、この紛争は43年目の終りにしずまった。このほかにはニーファイの民の中の不和もなかった。
ヒラマ3,2,44年目にも国民の間に不和が起らず、45年目にもかくべつの争いがなかった。
ヒラマ3,3,ところが46年目になると不和がひどくなって謀叛が多く起り、ゼラヘムラの地を去って北の地へ移住する
国民が非常に多くなった。
ヒラマ3,4,この人たちは長居旅路を経て、ついに多くの大きな湖と多くの川がある地方へきた。
ヒラマ3,5,そしてかれらは、以前にその地方に住んでいた多くの人々のために荒されず樹木がなくなっていない
所々へひろがった。
ヒラマ3,6,この地方には耳目の乏しい所があったが、そのほかには欠乏していなかった。しかし以前その所に住ん
だ人々の滅亡がひどかったので荒廃地と言ったのである。
ヒラマ3,7,北方の地には木材が少なかったから、ここへ移り住んだ者たちはセメントを使って家を建てて住んだ。
ヒラマ3,8,ニーファイはその入口がますますふえひろがって、南方の地から北方の地へ移り、南の海から北の海に、
西の海から東の海に全地の面を占めるようになった。
ヒラマ3,9,北方の地に居って者たちは、天幕やセメントの家に住んでいたが、後から家屋、都市、神殿、会堂、聖堂
およびあらゆる建物を建てるのに入用な木材を手に入れるために、その地上に生えるあらゆる木を大きく成長させ
た。
ヒラマ3,10,北方の地には樹木が非常に少かったから、南方の地の人は船によって多くの木材を北方の地へ送っ
た。
ヒラマ3,11,それで北の地の人々は木材とセメントで多くの都市を建設することができた。
ヒラマ3,12,アンモンの民の中にはレーマン人の血筋の者で北の地へ移住した者が多かった。
ヒラマ3,13,ニーファイ人の中で多くの人々は民の記録を多く作ったが、その記録はくわしい大部の記録である。
ヒラマ3,14,しかし本経典の中にはこの民の行いの100分の1さえものせることができない。レーマン人の事、ニーフ
ァイ人の事、この両つの民の戦争、不和、謀叛、伝道、予言航海の業、神殿と会堂と聖堂の建築、善事、悪事、人
殺し、強盗、掠奪、あらゆる憎むべき行い、あら
ヒラマ3,14-1,みだらな行いなどは一々経典にのせることができない。
ヒラマ3,15,しかし多くの書とあらゆる記録があって、これらは主としてニーファイ人が記録したものである。
ヒラマ3,16,ニーファイ人が罪の淵に沈んで殺され、持物を奪われ、追い立てられ、追い殺され、ここかしこの地へ
散らされることなどがあって、もはやニーファイ人と言われないまでレーマン人と雑って、よこしま、野蛮、猛悪となり
実際にレーマン人となってしまった時まで、以
ヒラマ3,16-1,代々ニーファイ人に伝わった。
ヒラマ3,17,さて、再び私の書くべき記事へ帰ろう。北の地へ移住した者について書いたことは、ニーファイの民の中
にひどい不和、騒動、戦争、謀叛などがあってからのことである。
ヒラマ3,18,判事治世46年目は終った。
ヒラマ3,19,47年目にも、、48年目にも国内にはまだ烈しい不和があった。
ヒラマ3,20,しかし、ヒラマンは正義かつ公平に裁判の職を務め、慎んで神の律法と裁決と命令とを守り、たえず神
のみこことにかなう事を行い、その父にならって道をふみ行ったから地に於て栄えた。
ヒラマ3,21,ヒラマンには2人の息子があって、兄をニーファイと呼び弟をリーハイと呼んだが、どちらも成長するにつ
れて主を畏れかしこむ道を学んだ。
ヒラマ3,22,ニーファイの民を治める判事治世の38年目の末、ニーファイ人の内乱と不和とはややしずまった。
ヒラマ3,23,判事治世の49年目、強盗ガデアントンが国の中で人口の多い所々に組織した秘密結社を除いては、
国中平和を妨げる者はひきつずきなかった。そのころ、政府の司たちはこの秘密結社があることを知らなかったの
で、これを亡ぼして国外に追いはらうことをしなかった
ヒラマ3,24,同じ年に、教会は非常に栄え何1、000人と言う人々が教会に加わって、すでに悔改めをしたしるしとし
て、バプテスマを受けた。
ヒラマ3,25,それであるから、教会の隆盛と民が受けた祝福は、大祭司たちや教師たちまでも、みな非常に驚かず
にはおられないほど大きなものであった。
ヒラマ3,26,主の御業の栄えたことは、何万人にさえものぼる数の人々がバプテスマを受けて神の教会に入ったくら
いであった。
ヒラマ3,27,これによって考えるに、主はすべてまごころからその聖い御名を呼び求める者に憐みを垂れたもうことが
明らかである。
ヒラマ3,28,また、神の御子イエス・キリストの御名を信ずるすべての者のために、天の門が開いていることが明らか
である。
ヒラマ3,29,そればかりでなく、また神の御言葉は生命があり力があって、悪魔の狡猾な謀ごと、わな、誘惑をことご
とく破り、罪人を引き込むために備えてあるあの永遠の不幸の淵を安らかに渡る真直ぐで狭い道へキリストを頼る
者を導く。この神の御言葉を受け入れる心のある者
ヒラマ3,29-1,これを受け入れることができるのは明らかである。
ヒラマ3,30,すなわちこの神の御言葉は、この者の”霊の結合体”すなわち不死不滅となった”霊の結合体”がアブラ
ハム、イサク、ヤコブおよび私たちのすべての聖い先祖と共に天の王国に於て席につき、いつまでもそこを去らな
いように、これを神の右に導くことが明らかである
ヒラマ3,31,この年に、ゼラヘムラの地とそのまわりの地とニーファイ人の住む国の全体とはたえず喜びに満ちてい
た。
ヒラマ3,32,49年目の終りまででなく、判事治世の50年目も平和と大きな喜びとが続き、
ヒラマ3,33,判事治世の51年目も教会に起り始めた慢心のほかには平和を妨げるものはなかった。この慢心が神の
教会に起り始めたと言ったが、本当は神の教会の中でなくて、自分から神の教会に属していると唱える人々の心の
中に起ったのである。
ヒラマ3,34,これらの人々の慢心はようやく増長して多くの同胞兄弟を苦しめるようになった。これは大きな悪事であ
って、国民の中の謙遜な人たちに烈しい迫害と多くの艱難とを蒙らせた。
ヒラマ3,35,しかし謙遜な人たちはたびたび断食して祈り、ますますへりくだっていよいよ固くキリストを信仰したか
ら、喜びと慰めとがその心に満ち、その胸は聖く神聖になった。このようなきよめはこれらの人がその心を全く神に
従わせたからできたのである。
ヒラマ3,36,52年目には、国民の心に生じたひどい高慢を除いては平安を妨げるものなしにその年は暮れた。この
慢心は、民が地上で大いに富み栄えたから起ったのであって、日に日に増長した。
ヒラマ3,37,判事治世の53年目にヒラマンが亡くなってその長男のニーファイがあとをついで国を治め始めた。ニー
ファイは正義かつ公平に裁判の職を務め、神の命令を守り、その父にならって道をふみ行った。
最終更新:2008年07月05日 01:33