3ニー11,,ニーファイ第3書  第11章
3ニー11,*-*,永遠の御父がキリストはわが子なりと言いたもう。復活したキリスト現われたもう。群衆、1人1人キリスト
の傷に触れることを許される。バプテスマの洋式を規定する。争闘と論争禁ぜられる。岩なるキリスト。
3ニー11,1,バウンテフルの地にある神殿のまわりには、大勢のニーファイの民が集って共に怪しみ驚きまた共にあ
の大きな不思議な変化を示し合い、
3ニー11,2,すでにその死のしるしが現われたイエス・キリストについて話し合った。
3ニー11,3,民がこのように話し合っていた時に、天から出てくるような声が聞こえたが、群衆はこれが何を言ってくる
か解らなかったのであたりを見まわした。この声は荒々しい声でもなく、また高い声でもなかったが、小さな声であり
ながらもこれを聞いた者たちの骨の髄までつ
3ニー11,3-1,あってかれらは全身ことごとくふるえおののいた。この声はまことにかれらの中心にまで浸みわたり心
が燃えるような感じを与えた。
3ニー11,4,かれらは再びこの声を聞いたが、それが何を言っているか解らなかった。
3ニー11,5,さて、この声は3度まで聞こえたが、かれらはこのたびはよく聞き分けるように心を注いで声のする方向
へ目を向け、その声が出てくる天をじっと眺めた。
3ニー11,6,すると3度目にはその声の意味が解った。その声は、
3ニー11,7,”わが喜ぶ愛子を見よ。われはこれに由りてすでにわが名の栄光を示しぬ。わが愛子に聞け”とかれら
に仰せになっていた。
3ニー11,8,群衆はそN意味が解ってまた天を仰ぐと、天から1人の男の方が降りたもうのが見えた。このお方は白
い衣を召して、降ってきて群衆の中に立ちたもうた。群衆の目はみなこのお方の上に注がれたが、互いに物を言う
勇気がなかった。みなは自分らに現われたこのお方を
3ニー11,8-1,であると思ったが、そのお方が降りたもうたわけは知らなかった。
3ニー11,9,時にそのお方はてを伸して群衆に話しかけて仰せになった。
3ニー11,10,”見よ、われはイエス・キリストなり、予言者らがこの由に来ると証をしたるその者なり。
3ニー11,11,2-内容? われは世の光にしてまた由の生命なり。われは御父がわれに授けたまいしかの苦き杯をす
でに飲み、由の人の罪をわが身に引き受けて御父の栄光を示したり。世の人の罪をわが身に引き受けることに於
て、われは最初よりすべて御父のみこころに従えり”と。
3ニー11,12,イエス・キリストがこの言葉を言いたもうと群がっていた一切の者は、キリストが昇天してから自分らに現
われたもうと言う予言が自分たちの間に伝えられていたことを思い出して地にひれ伏した。
3ニー11,13,その時主は群衆に向って言いたもうた。
3ニー11,14,”汝らわが肋にそのてをさし入れ、わが手足にある釘あとに触れて、われがイスラエルの神にして全世
界の神なること、またわれが世の人の罪を負うて1度殺されたるを知るために起ちてわれに近づけ”と。
3ニー11,15,そこで群がっている人々は近よってそのてをイエスの肋にさし入れ、またイエスの手足にある釘あとに
触れた。かれらは、1人1人みなイエスに近よってこれをなし、各々みな目で見、手で触れて、この御方が予言者た
ちによってこの世に来る誌されたお方であることを
3ニー11,15-1,また証をすることができた。
3ニー11,16,人は各々みな近よって親しくこれを見、親しくこれに触れたからみな一せいによばわって、
3ニー11,17,”ホザナよ。いと高き神の皆を讃美す”と言い、イエスの足下にひれ伏してイエスを拝した。
3ニー11,18,イエスはニーファイを呼んで(ニーファイは群衆の中に居た)ここへ来よと言いたまい、
3ニー11,19,ニーファイが起って行ってイエスの御前にひれ父子そお御足に口つけをすると、
3ニー11,20,イエスはニーファイに立てと言いたもうたので、ニーファイは身を起してイエスの前に立った。
3ニー11,21,するとイエスはニーファイに仰せになった”われは汝に権能を与う。われが再び天に昇りし後、汝はこ
の権能を以てこの民にバプテスマを施せ”と。
3ニー11,22,イエスはまたほかの者たちも召してこれらにも前と同様のことを言い、バプテスマを施す権能を与えた
もうた。それから、権能を受けた者たちに教えて宣うた”汝らは次の方法を以てバプテスマを施さざるばからず。より
て、この儀式につきては今後再び論争するばから
3ニー11,23,まことにわれ汝らに告ぐ、汝らの言葉によりてその罪を悔い改め、わが名によりてバプテスマを受けん
と願う一切の人々に、汝らは次の方法を以てバプテスマを施さざるべからず。すなわち汝ら降り行きて水の中に立
ちわが名によりてかれらにバプテスマを施せ。
3ニー11,24,その時に用いる言葉は次のごとし。まずバプテスマを受くる者の名を呼びて、
3ニー11,25,次に’われはイエス・キリストより権能を受けたれば、天父と御子と聖霊との御名に由りて汝にバプテス
マを施す、アーメン’と言え。
3ニー11,26,それよりその者を水の中に沈め、沈め終りて再び水より上れ。
3ニー11,27,わが名によりてバプテスマを施すには右の方法を以て行わざるばからず。何となれば、われまことに
汝らに告ぐ、御父と子と聖霊とは1つの神会を成す。われは父にあり、父はわれにありて、われと父とは1つの神会
の中にあり。
3ニー11,28,され、われが今汝らに命じたる通り、汝らはかくバプテスマを施せ。而して、これまで行いしごとき論争
はこの後これをなすべからず。またわが教義の何れの点につきてもまたこれまで行いしごとく論争すべからず。
3ニー11,29,まことに、まことに汝らに告ぐ、争いを好む心ある者はわれに属く者にあらずして悪魔い属くものなり。
悪魔は争いを生む親にして、人々の心を先導して互に怒り争わしむる者なり。
3ニー11,30,見よ、人々の心を煽動して互に怒り争わしむるごときはわが教義にあらず。わが教義はかくのご如き
怒りと争いとを止めよと言うものなり。
3ニー11,31,見よ、まことに、まことに汝らに告ぐ、われはこれよりわが教義を汝らに宣べ伝えんと欲す。
3ニー11,32,すなわち、次に述ぶるはわが教義なれど、わが教義は御父がわれに授けたまいしものなり。われは御
父のことを証し、御父はわがことを証したまい、また聖霊は御父とわれのこととを証したもう。われは御父が世界いた
る所の人々に悔い改むべきことと、われを信ずべき
3ニー11,32-1,命じたもうことを証す。
3ニー11,33,ゆえにわれを信じてバプテスマを受ける者は誰にても救わるべし。かかる者は神の王国に住むことを
得る者なり。
3ニー11,34,われを信ぜ、バプテスマを受けざる者は救われず。
3ニー11,35,まことに汝らに告ぐ、こはわが教義なり。われは御父より授かりし通り証を立つ。故いわれを信ずる者
は御父もまた信ずるなり。御父はその人に火と聖霊とを与えてわがことを証したもう。
3ニー11,36,かくのごとく御父がわがことを証したもうのみならず、聖霊はその人に御父のこともわがことも証したも
う。御父とわれと聖霊とは1つなればなり。
3ニー11,37,また汝らに告ぐ、汝ら悔い改めて幼児のごとくになり、わが成によりてバプテスマを受けざるばからず。
しからずば決して右の恵を受くることを得ず。
3ニー11,38,さらにまた汝らに告ぐ、汝らは悔い改め、わが名によりてバプテスマを受け、幼児のごとくにならざるば
からず。しからずば、とうてい神の王国に住むことを得す。
3ニー11,39,まことに、まことに汝らに告ぐ、これわが教義なり。故にこれに基を置くものはわが岩の上に基を置くな
れば、地獄の門はこれらの者に勝つことを得ず。
3ニー11,40,これより過ぐることまたこれに及ばざることを宣べてイエス・キリストの教義なりと言う者はすべて悪魔より
出る者にして、わが岩の上に基を置かず砂の上に基を置くにより、地獄の門は常に開き、大水出で風吹きてその
者たちに当る時かれらを引き入れん。
3ニー11,41,されば、この民の中に出で行きてわが告げたることをあまねく地の隅々まで宣べ弘めよ”と。
最終更新:2008年07月05日 01:51