3ニー26,,
ニーファイ第3書 第26章
3ニー26,*-*,救い主、最初からのあらゆることの意味を説き明したもう。幼児の口から述べる驚嘆すべきこと。弟子
たちの働き。
3ニー26,1,イエスはこれらのことを述べてから、その意味を群衆に説き明し、また事の大小の区別なくあらゆる事を
かれらに説きたもうた。
3ニー26,2,そしてイエスは”御父は、汝らがさきに持たざりしこの聖文を汝らに示せとわれに宣えり。この聖文を未
来の人々に伝うるは御父のみこころなればなり”と言いたまい、
3ニー26,3,また最初から、イエスがその栄光を具えて再びこの世に降りたもう時に至るまでのこと、言いかえると最
初から大いなる終りの日、すなわち武士とが酷熱で溶かされ、大地の巻もののように巻かれ、天地がともになくなる
日、
3ニー26,4,すなわち、あらゆる人々、あらゆる血族、あらゆる国民、あらゆる国言葉の民が各々その行いの善悪に
応じて裁判を受けるために神の御前に立つ大いなる終りの日になるまでこの大地の上に起る一切の事を告げてこ
れを明らかに説きたもうた。
3ニー26,5,この大いなる終りの日に、人はもしもその行いが善けらば、よみがえって永遠の生命を受け、その行い
が悪ければよみがえって永遠に断ち切られる。すなわち、善の始めよりも先にすでにましましたキリストの慈愛と正
義公平とによって、1方には1種のものがあり、他
3ニー26,5-1,他種のものがあって互いに対応している。
3ニー26,6,イエスが本当に民に教えたもうたことは、その100分の1さえも本経典にのせることができないが、
3ニー26,7,それらのことの大半はニーファイ版に刻んでのせてある。
3ニー26,8,私がこれに書いたのは、イエスが民に教えたもうたことの幾分かだけである。これをここに書いたのは、
この言葉がイエスの告げたもうた通りに異邦人のてを経てまたこの民に伝えられるためである。
3ニー26,9,この民が始めこの幾分かを授けられるのは、かれらの信仰の厚いか薄井かを試みるのに必要である。も
しかれらがこの幾分かを信ずるならば、これより以上に大きなことをかれらに示そう。
3ニー26,10,しかし、かれらがこの幾分かも信じなければ、これ以上に大きなことは伝えられずに、かれらは罪ありと
されるのである。
3ニー26,11,見よ、ニーファイ版に刻んであることをみな写そうと思ったが、主はこれを禁じて”われはわが民の信仰
を試みん”と仰せになった。
3ニー26,12,それで、私モルモンは主が書けと言いたもうたことだけを書き記すから、私はこれで説明の言葉を終
り、主が書けと言いたもうたことを書きつずける。
3ニー26,13,さて私はあなたたちに次のことを知って欲しいと思う。イエスは本当に3日の間民に教えを伝えたもう
たが、その後たびたび民に現われてたびたびパンを裂きこれを祝して民に与えたもうた。
3ニー26,14,さきに言った群衆の子供たちにも、イエスは導きと恵みとを授け、物を言う力を与えたもうたので、子供
たちはその親に向って驚嘆すべき偉大なことを告げ始めたが、その告げたことはイエスが親しく民に教えたもうたこ
とよりも勝っているほどであった。
3ニー26,15,イエスは昇天したもうてから、また2度目に群衆に現われ、その中の病んでいる者をみな医し、あしな
えを医し、めくらの目を開け、つんぼの耳を聞けるようにし、群衆の中でいろいろの病気をなおし、また1人の男を
死から蘇生させて、イエスの持って居りたもう権と
3ニー26,15-1,群衆に現わしてからまた天に昇って御父のもとへ行きたもうた。
3ニー26,16,そのあくる日、多くの民は群がり集って今言った子供たちを見、またその言うことを聞いた。まことに乳
飲み児さえも物を言う能力を得て驚嘆すべきことを言い出したが、それらのこは誰も書いてはならぬと止められた。
3ニー26,17,イエスが選びたもうた弟子たちは、その時から自分のところへくる者にみな教えを説き、これにバプテ
スマを施すことを始めた。そしてイエスの御名によってバプテスマを受けた者たちはみな聖霊に満された。
3ニー26,18,この者たちの中には書くのをとめられた口に言い表し難い多くのことを見たり聞いたりした者が多くあ
った。
3ニー26,19,またこれらの者は互いに教え、互いに奉仕して、一切の物を共有してお互い同士を義しく取り扱い、
3ニー26,20,また何事でもイエスの命令なさる通りにした。
3ニー26,21,そしてイエスの御名によりバプテスマを受けた者たちの団体はキリストの教会と呼ばれた。