3ニー27,,ニーファイ第3書  第27章
3ニー27,*-*,イエス・キリスト、自らの教会に銘々したもう。すべてのことは御父が書き誌したもう。人間はさまざまの
記録に従って裁判を受ける。
3ニー27,1,イエスの弟子たちは旅をして歩いて、それまでに見たり聞いたりしたことを宣べ伝え、またイエスの御名
によってバプテスマを施した。この弟子たちは、ある日のこと集って熱心に祈りと断食とをしていたが、
3ニー27,2,イエスの御名によって御父に祈りを捧げたところ、イエスがまた現われてからの中に立ちたまい”汝らは
何をわれより与えられんと願うや”と仰せになった。
3ニー27,3,そこで弟子たちは答えて”主よ、この教会の名は何と言ったらよいか、これを私たちに教えたまえ。それ
はこれについて民の間に論争がある故に”と言った。
3ニー27,4,するとイエスは弟子たちに答えて言いたもうた”われまことに汝らに告ぐ、民がこのことにつきてつぶやき
争うは何故ぞ。
3ニー27,5,かれらは’汝らキリストの名を受くべし’と言う聖文を読まざるか。キリストとはわが名にして、終りの日に汝
らはこの名にて呼ばるべきなり。
3ニー27,6,さて、わが名を受けて終りまで堪え忍ぶ者は、終りの日になりて必ず救わるべし。
3ニー27,7,されば、何事にてもわが名によりてなさざるばからず。故に教会にはわが名をつけ、また御父がわがた
めに教会を祝福したもうよう、わが名によりて御父に祈れ。
3ニー27,8,わが名をつけざるものはいかでわが教会ならんや。教会にもしもモーセの名をつけたらばそはモーセ
の教会なり。あるいはまたある人の名をつけたらばそはある人の教会なり。もしわが名をつけて、わが福音を基とな
さらば、そはわが教会なり。
3ニー27,9,われまことに汝らに告ぐ。汝らはわが福音を基となる故に、何事にても名をつくるものはわが名前をつけ
よ。故に、教会のために御父に祈るときこれをわが名によりて祈らば、御父は汝らの祈りを聞き届けたもう。
3ニー27,10,さらにまた教会もしもわが福音に基けるときは、御父は教会に於てその御業を現わしたもう。
3ニー27,11,されど教会もしもわが福音に基かば、しばらくの間その技を喜ぶことあらんも、次第に終りの日近づき
来りて、これらは切り倒され、1度入らば2度と出る能わざる日の中に投げこまれん。
3ニー27,12,これらは自らのなしたる行いの報いを受く。切り倒さるるはその行いの悪きによる。よりてわれがすでに
汝らに告げたることを記憶せよ。
3ニー27,13,見よ、われはすでにわが福音を汝らに授けたるが、その福音を言い換れば次のごとし、まずわが父わ
れをつかわしたまいたれば、われは父のみこころを行わんとてこの世に来れり。
3ニー27,14,わが父のわれをつかわしたまいしは、われが十字架にかけられて、後にあらゆる人々をわれに引きよ
せがためなり。また人がわれを十字架に上げたる故に、今度は御父が世の中の人を必ずひき上げて、これを各々
の行いの善悪に応じて裁判するためにわが前に立たせたも
3ニー27,15,われが十字架にかけられたるはこのわけなり。すなわち、われは御父の権能によりてあらゆる人間を
われに引きよせ、それぞれの行いによりて裁判をなす。
3ニー27,16,悔い改めてわが名によりてバプテスマを受くる者は聖霊に満さる。またその者が終りまで忍ばば、われ
が世の中の人々のを裁判する日い、御父の前にてこれを罪無き者とせん。
3ニー27,17,終りまで忍ばざる者は、また切り倒されて火の中へ投げこまるべし。その者は御父の正義が要求する
によりて、いつまでも火の中より出ることを得ず。
3ニー27,18,こはすなわち御父が世の人々に告げたまいし言葉にして、御父は必ずこれを成就したもう。御父は偽
ることなく、その告げたまいし言葉をことごとく実現させたもう。
3ニー27,19,そもそも清からざるものは御父の王国に入ることを得ず。信仰をし、すべての罪を悔い改め、終りまで
誠をつくし、以てわが血によりてその衣を洗いし者のほかには御父の安息に入り得る者なし。
3ニー27,20,さて、世界の隅々に至る者たちよ。汝らは聖霊を受けて聖められ、また終りの日にわが前に罪なしとせ
られんために今悔い改め、われに来てわが名によりてバプテスマを受けよ。これ汝らに与うる命令なり。
3ニー27,21,われまことに、まことに汝らに告ぐ、以上はわが福音なり。わが教会に於てなすべきことは、汝らすでに
よく知れり。すなわち、汝らが見たるわが行いを汝らもせよ。これらのことは汝らも行うべきことなればなり。
3ニー27,22,汝らその通り行わば、終りの日に高くあげらるる故に汝らはさいわいなり。
3ニー27,23,汝らが見聞きしたることは、禁ぜられたるもののほかみな記録せよ。
3ニー27,24,これまで民のなしたることを記録したるが、その如く今度もこの民の為すことを記録せよ。
3ニー27,25,すでに造られたる記録およびこの後作らるる記録によりてこの民は裁判せらるべし。これらの記録によ
りてこの民の行い明らかに人に知らるる故なり。
3ニー27,26,見よ、御父はすべてのことを書き誌したもう。それ故に、このさまざまの記録によりて世の人々は裁判を
受くべし。
3ニー27,27,ここに汝らの知るべきことあり。すなわち汝らはわれが汝らに委ぬべき正義の裁判によりてこの民を裁
判する者となるべきゆえに、汝らはいかなる人物にてあるべきか。まことに汝らはわれと同じ人物ならざるべからず。
3ニー27,28,さて、われは今御父のもとへ行くべきが、われまことに汝らに告ぐ、およそ汝らがわが名によりて御父に
願い求むるものは汝らに与えらる。
3ニー27,29,すなわち、乞求めよ、さらば求むるものを与えらる。門を叩け、さらば汝らのために門は開かる。何とな
らば、乞い求むる者はみなその求むるものを与えられ、門を叩く人には門を開かるべければなり。
3ニー27,30,われが汝らとこの時代の人々に感ずる喜びは大いなる喜びにて満ちあふる。御父もすべての聖き天
使もみなひとしく汝らとこの時代の人々とのために喜びたもう。そは1人もその中に断ち切らるる者のなき故なり。
3ニー27,31,されど、今言いたることは誤りなく了解せんことを欲す。わが言葉は今現に生けるこの時代の人々の中
には1人も断ち切らるる者なしと言うことにして、われが喜びにあふるるのはこの時代の人々のみなり。
3ニー27,32,しかも今より4代目の者たちにつきてはわが心憂いあり。そはかれらが”滅亡びの子”のごとくサタンに
誘いまどわされて、金銀ならびに虫の食うものと盗人押し入れて盗むものとに替えてわれを売るべければなり。そ
の時われは各々その行いに報いて必ずこれを裁くべ
3ニー27,33,イエスはこう言ってから、その弟子たちに向って仰せになった”永遠の生命に行く道は細く、その門は
狭くしてこれを見出す者は少し。死に至る道は広くその門も広し。而して誰も働くこと能わざる夜のごとき暗やみの
境涯来るまで、この死に至る道を旅する者多し。汝
3ニー27,33-1,門より入れ”。
最終更新:2008年07月05日 01:59