モロナ8,,モロナイ書  第8章
モロナ8,*-*,モロナイにあてたモルモンの手紙。幼児は悔改めのバプテスマの必要がないこと。
モロナ8,1,次にあげるのは、私が教導の職に任ぜられて間もなく父モルモンが、私モロナイにあてて送った手紙で
ある。その中で父は、
モロナ8,2,”私の愛する子モロナイよ。私はお前の主イエス・キリストがお前に心を留めて、その御教導の職と神聖な
事業にお前を召したもうたことを非常に喜んでいる。
モロナ8,3,私は祈るたびにいつもお前を心に留めて、父なる神がお前のいつも御名を信ずることを認めたもうて、そ
の限りない恵みでお前に終りまで忍ことを得させたもうよう神の聖い御子イエスの御名によって祈っている。
モロナ8,4,私の子よ、私は非常に私を悲しませる事についてお前に話そう。お前たちの中に論争が起るのは悲しい
ことである。
モロナ8,5,もし私の耳に入ったことがうそでなければ、お前たちは自分らの幼児にバプテスマを施すことについて互
いに論争をした。
モロナ8,6,私の子よ、私はお前がこの大きな過ちを改めてお前たちの中からこれを取り除くことに力をつくしてもらい
たい。私はこの目的でこの手紙を書くのである。
モロナ8,7,お前たちの中にこの論争があると言うことが耳に入ると、私はすぐこのことについて主にお伺いをした。す
ると聖霊の力によって主の御言葉が私に伝わってきた。そして、
モロナ8,8,’汝の贖い主たり、汝の主たり、汝の神たるキリストの言葉を聞け。わがこの世に降りしは義人に悔改めを
勧むるためなり。医者の助けを必要とするは健康なる者にあらずして病気なり。幼児は罪を犯すこと能わざれば健
康なる者なり。従ってアダムの受けたるのろいは
モロナ8,8-1,幼児より取り去られてもはやかれらを如何とする能わず。また割礼の律法もわれにより廃されてもはや
なし’と。
モロナ8,9,聖霊がこのように神の言葉を伝えたもうたから、私の愛する子よ、私はお前たちが幼児にバプテスマを施
すことはかえって甚しく神を朝弄しているだけであることを知っている。
モロナ8,10,よく言っておく。お前たちは罪を犯すことができ罪の責任を負うことができる者に悔改めとバプテスマと
を教えよ。すなわち、親たる者に悔い改めてバプテスマを受けなくてはならない、またその幼児のようにへりくだら
なくてはならないと教えよ。かれらがそうするな
モロナ8,10-1,幼児と共に救われるにちがいない。
モロナ8,11,しかしその幼児には悔改めのバプテスマは一切不要である。バプテスマは人がすでに悔い改めたこと
を証明しまた確めるため、また罪の赦しを得るための神の命令を守るために施すものである。
モロナ8,12,幼児は世の始めからすでにキリストにより救われている。もしもそうでなければ神は不公平な神であり、
変ることも人をかたよって見ることもある神である。なぜならば、バプテスマを受けないで死んだ幼児の数はいかに
も多いではないか。
モロナ8,13,従って幼児がバプテスマを受けなければ救われないと言うならば、死んだ幼児は永遠の地獄に行った
にちがいない。
モロナ8,14,よく言っておく。バプテスマが幼児に必要であると思う者は、罪の縄目に縛られて苦汁を飲まされている
者である。この者には信仰も希望も愛もなく、もしその考えを革めない内に死ぬ者は地獄に行かなくてはならない。
モロナ8,15,この幼児はバプテスマを受けたから神に救われるが、あの幼児はバプテスマを受けないから必ず亡び
ると思うことは甚しく恐ろしい悪事である。
モロナ8,16,このように主の教えを曲げる者は悔い改めないと亡びるから禍である。見よ、私は神から授かった権能
を持っているから恐れずに勇しく話す。完全な愛はすべての恐怖をなくするから私は人のすることを恐れない。
モロナ8,17,私は永遠の愛が胸に満ちているからすべての幼児は私の目に等しく見える。私は完全な愛で幼児を愛
する。幼児はみな等しく救われている。
モロナ8,18,私は神が不公平な神でなく変りたもう神でもなく、無限の過去から無限の未来にわたって同じにましま
すことを知っている。
モロナ8,19,幼児は悔改めをすることができない。それであるから、神の純粋な恵みを幼児が受けないと信ずること
は恐ろしい悪事である。幼児はみな神の深い憐みによって救われている。
モロナ8,20,そして、幼児はバプテスマを受けなくてはならぬと言う者はキリストの憐みを拒み、キリストの身代りの贖
罪と救いの効果とを否定する者である。
モロナ8,21,従って、このような人々は死と地獄と永遠のせめくとを受けようとしているから禍である。これは神が私に
言えと仰せになったから恐れずに勇ましく言うのである。お前は注意してこの言葉に聞き従え。そうしなければお前
がキリストの法廷に立つときにこの言葉はお前
モロナ8,21-1,証詞となる。
モロナ8,22,すべての幼児と律法のないすべての者はキリストによって救われている。贖いの効力はは律法を与えら
れないすべての者に及んでいる。従って、罪があると認められない者は悔改めをすることができない。それである
からこのような者にはバプテスマの必要がなくまた利
モロナ8,23,むしろ、このような者にバプテスマを施すのは神の朝弄し、キリストの憐みとその聖い”みたま”の力とを
否定して役に立たない形式にたよるのである。
モロナ8,24,それであるから私の子よ、このようなことがあってはならない。悔改めは罪があると認められる者、律法に
背くのろいを受けなくてはならぬ者にかなうのである。
モロナ8,25,そして悔改めの結ぶ最初の実はバプテスマである。バプテスマは人がすでに信仰があるから、また神
の命令をなしとげるために行い儀式である。この命令をなしとげると罪の赦しを受け、
モロナ8,26,罪の赦しを受けると柔和謙遜な心を生じ、柔和謙遜な心があると聖霊が降る。この”慰め主”は希望と完
全な愛とを人の胸に満す。完全な愛は人が怠らず熱心に祈ることによって、すべての聖徒らが神と共に住める終り
の日まで人の胸に宿るのである。
モロナ8,27,さて私の子よ。私がもしすぐとレーマン人に向って戦うために出て行かなかったならまた手紙を書こう。
この民であるニーファイ人は悔い改めないとその高慢のためにみな亡びるにちがいない。
モロナ8,28,私の子よ、ニーファイ人が悔い改められるようかれらのために祈れ。しかし見よ、おそらく”みたま”はす
でにニーファイ人を励まさないようになって居りたもうと思う。この地方では人民が、神から受けた権能と勢いをみな
亡ぼそうとし聖霊を否定している。
モロナ8,29,私の子よ、人民は1度あの偉大なことを知ったにもかかわらず今はそれをことごとく否定しているから必
ず速に亡んで、予言者たちが述べた予言と私たちの救い主が親しく告げたもうた言葉とが事実となって現われる
にちがいない。
モロナ8,30,私の子よ。また手紙を書く時まであるいはまたお前に逢う時まで、さらばである。アーメン”と書いてい
る。
最終更新:2008年07月05日 02:37