張遼

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張遼 - (2009/12/16 (水) 02:13:48) の1つ前との変更点

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#image(left,ZhangLiao-sango-face.gif,title=こっちみ・・・み、みないでください…) &sizex(7){&big(){&color(gray){&italic(){&bold(){「アァ~~イ」}}}}} #clear #image(left,ZhangLiao-アァ~イ.gif,title=アァ~~イ)  &bold(){張遼}(ちょうりょう、ピンイン: Zhang Liao(ジャン・リァオ)169年 - 222年)は後漢末~三国時代の武将。  字(あざな)は&bold(){文遠}(ぶんえん、wen yuan(ウェンユェン))。  雁門郡馬邑県(現在の山西省朔州市朔城区)の出身。 仕えていた丁原が[[呂布]]に殺されたため董卓に、呂布が董卓をも殺したため呂布に従う。 呂布が敗れると降伏して曹操に仕えた。 合肥の戦いでは、&bold(){7000の兵}で&bold(){10万}を号する呉軍と対峙。普通ならまず勝ち目が無い戦のはずなのだが…。 同僚の李典と共に精兵800人を将いて呉の大将・孫権の本陣に朝駆けし、自ら&bold(){将2人・兵30数人を斬る}。 しょせん少数だと気がついた孫権に幾重にも包囲されるが、その武力でもって&bold(){強行突破}。 さらにとり残された兵士達が「我らを見捨てるのか!」と叫ぶのを聞き&bold(){再突入}、 またも包囲を切り崩して&bold(){全員を救出}するというチートぶりを発揮。 気勢を挫かれた孫権は一時撤退を決めるが、なおも張遼に追撃され、部下の命がけの奮戦でかろうじて逃げ延びた。 後にまた魏を攻めた孫権だが、張遼が病を押して前線に来たことを知ると、ガクブルしながら 「張遼は病めりと雖も当る可からざるなり、之を慎め(病気だろうが張遼には勝てん、奴との戦いは避けろ)」 と諸将に命じている。 …ここまで正史『三国志』張遼伝・呉主権伝・淩統伝に記載された&bold(){史実}。人外魔境っぷりでは[[本多忠勝]]といい勝負である。 この時のトラウマから、呉では「遼来、遼来(張遼が来るぞ)!」と言うと泣く子も黙った、という。 //り、病に冒された彼を相手にするときも、 //&bold(){「張遼、病むと雖も当るべからず。これを慎め」} //(張遼が病んでいるのだとしても軽々しく挑んではならず、これには危機感を持って当たらなければならない) //として孫権が部下へ軽挙妄動しないよう戒めたという。 //ちなみに、講談物を纏めた為、誇張表現が目立つ「三国志演義」における合肥の戦いの活躍は非常に控えめに描かれている。 //(演義自体が劉備および蜀を中心とした内容になっているため仕方のないところもあるが) //結果として&bold(){正史が創作よりも凄まじい}という数少ない例となっている。 //昨日このへん追記した者だが、なるべく本家wikiと重複しないよう配慮して書いてるんで、あっちからコピペしてくるの勘弁してくれ。 //追加しろってんなら張遼伝と演義の原本から追加しておくから。あと遼来々、出典の『蒙求』では「遼来遼来」。口語の問題だからどっちでもいいんだが。 『演義』では、経歴からして流されるタイプのわりに義理堅い性格だったことになり、 曹操に敗れながらなんだかんだと命乞いする[[呂布]]を見苦しいと一喝、進んで刑に臨んだことから曹操に気に入られ、 義理堅い仲間として親交のあった[[関羽]]の推薦もあり、曹操の下で呂布の騎馬軍団を引き継ぐこととなる。 しかし曹操の魏軍は『演義』における敵役なため、主人公サイドの蜀将たちと違って活躍を削られることが多く、 合肥の戦いが描かれる第六十七回「曹操 漢中の地を平定し 張遼 威は逍遙津に震ぶ」では、 兵数の極端な不利には触れず、楽進を囮にして引きつけた孫権本隊を、李典とともに2000の騎兵で襲撃し、散々に打ち破った、 程度にしか書かれていない。関羽の親友ということで&bold(){比較的}好待遇の張遼でこれだから、他の連中は推して知るべし。 『正史』の記述の方がよっぽどチートである珍しい例。 ちなみに『演義』では義理堅い性格だが、元来は傲慢な性質であり同期を軽んじる性分だったと言われる。 呂布からの降将である事に加え性格的な問題から、[[夏侯惇]]・[[夏侯淵]]・于禁など曹操の旧知の臣との仲が悪かった。 ただし武将としては非常で優秀である事を曹操も認めており、不仲の夏侯一門が主に押さえていた西方ではなく、 東方の孫呉との要である合肥に着かされる事になった。 ちなみに一緒に赴任していた楽進・李典ともやはり仲が悪かった。 そんなリアルチート人生を歩んだ彼も、近年の通称はすっかり「[[山>山田十平衛]][[田>四季映姫・ヤマザナドゥ]]」。 『真・三国無双2』での真無双乱舞発動ボイス「邪魔だ!」が &bold(){「山田あああああああああああ!」}[[に聞こえる>八神庵]]という[[空耳]]のためである。 公式でもネタにしている節があり、『3』では鳴りを潜めたが、『4』でエボリューション攻撃のシメで言うようになり、 そして最新作の『5』では&bold(){「おkー!!」}(「退けー!」)という新しい空耳も引っさげて真無双乱舞のボイスに復活。 お祭り麻雀ゲー『雀・三国無双』でもやっぱり言っており、もはや定番ネタになっている。『6』でどうなるか期待しよう。 &nicovideo(sm1671912) ---- 格闘ゲームとしては台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム 『[[SangoFighter>SANGO FIGHTER]](正式名『三國志 武將爭霸』)』の正統続編『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』にて、 魏の武将の追加キャラクターとして登場。 MUGENでは、『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏の製作したものが存在する。 整った髭をたくわえた理知的な印象を受けるキャラクター。 勝利時には&bold(){「[[アァ~~イ>エレクトロゾルダート]]」}というやけに耳に残るボイスと共に相手を[[やれ>空条承太郎 ]][[やれ>ソル=バッドガイ]]といった感じで見下してくる。 性能的には滑るように高速移動しながら回転足払いを繰り出すかなりトリッキーなキャラクター。 [[お覇王>覇王翔吼拳]]ばりの強力な飛び道具も持ち、ハマればかなりの強さを発揮する。 必殺投げ→落ちてきたところを足払いで拾う[[コンボ]]を主体としてガンガン攻めていこう。 #image(ZhangLiao-高速足払い.gif,title=かわせるものならかわしてみろ!!) ***出場大会 [[【MUGEN】ゲージMAXタッグトーナメント【ゲジマユ2】]] [[【MUGEN】ゲージMAXシングルトーナメント【Finalゲジマユ】]]
#image(left,ZhangLiao-sango-face.gif,title=こっちみ・・・み、みないでください…) &sizex(7){&big(){&color(gray){&italic(){&bold(){「アァ~~イ」}}}}} #clear #image(left,ZhangLiao-アァ~イ.gif,title=アァ~~イ)  &bold(){張遼}(ちょうりょう、ピンイン: Zhang Liao(ジャン・リァオ)169年 - 222年)は後漢末~三国時代の武将。  字(あざな)は&bold(){文遠}(ぶんえん、wen yuan(ウェンユェン))。  雁門郡馬邑県(現在の山西省朔州市朔城区)の出身。 仕えていた丁原が[[呂布]]に殺されたため董卓に、呂布が董卓をも殺したため呂布に従う。 呂布が敗れると降伏して曹操に仕えた。 合肥の戦いでは、&bold(){7000の兵}で&bold(){10万}を号する呉軍と対峙。普通ならまず勝ち目が無い戦のはずなのだが…。 同僚の李典と共に精兵800人を将いて呉の大将・孫権の本陣に朝駆けし、自ら&bold(){将2人・兵30数人を斬る}。 しょせん少数だと気がついた孫権に幾重にも包囲されるが、その武力でもって&bold(){強行突破}。 さらにとり残された兵士達が「我らを見捨てるのか!」と叫ぶのを聞き&bold(){再突入}、 またも包囲を切り崩して&bold(){全員を救出}するというチートぶりを発揮。 気勢を挫かれた孫権は一時撤退を決めるが、なおも張遼に追撃され、部下の命がけの奮戦でかろうじて逃げ延びた。 後にまた魏を攻めた孫権だが、張遼が病を押して前線に来たことを知ると、ガクブルしながら 「張遼は病めりと雖も当る可からざるなり、之を慎め(病気だろうが張遼には勝てん、奴との戦いは避けろ)」 と諸将に命じている。 …ここまで&bold(){正史}『三国志』張遼伝・呉主権伝・淩統伝に記載された。人外魔境っぷりでは[[本多忠勝]]といい勝負である。 この時のトラウマから、呉では「遼来、遼来(張遼が来るぞ)!」と言うと泣く子も黙った、という。 //り、病に冒された彼を相手にするときも、 //&bold(){「張遼、病むと雖も当るべからず。これを慎め」} //(張遼が病んでいるのだとしても軽々しく挑んではならず、これには危機感を持って当たらなければならない) //として孫権が部下へ軽挙妄動しないよう戒めたという。 //ちなみに、講談物を纏めた為、誇張表現が目立つ「三国志演義」における合肥の戦いの活躍は非常に控えめに描かれている。 //(演義自体が劉備および蜀を中心とした内容になっているため仕方のないところもあるが) //結果として&bold(){正史が創作よりも凄まじい}という数少ない例となっている。 //昨日このへん追記した者だが、なるべく本家wikiと重複しないよう配慮して書いてるんで、あっちからコピペしてくるの勘弁してくれ。 //追加しろってんなら張遼伝と演義の原本から追加しておくから。あと遼来々、出典の『蒙求』では「遼来遼来」。口語の問題だからどっちでもいいんだが。 『演義』では、経歴からして流されるタイプのわりに義理堅い性格だったことになり、 曹操に敗れながらなんだかんだと命乞いする[[呂布]]を見苦しいと一喝、進んで刑に臨んだことから曹操に気に入られ、 義理堅い仲間として親交のあった[[関羽]]の推薦もあり、曹操の下で呂布の騎馬軍団を引き継ぐこととなる。 しかし曹操の魏軍は『演義』における敵役なため、主人公サイドの蜀将たちと違って活躍を削られることが多く、 合肥の戦いが描かれる第六十七回「曹操 漢中の地を平定し 張遼 威は逍遙津に震ぶ」では、 兵数の極端な不利には触れず、楽進を囮にして引きつけた孫権本隊を、李典とともに2000の騎兵で襲撃し、散々に打ち破った、 程度にしか書かれていない。関羽の親友ということで&bold(){比較的}好待遇の張遼でこれだから、他の連中は推して知るべし。 『正史』の記述の方がよっぽどチートである珍しい例。 ちなみに『演義』では義理堅い性格だが、元来は傲慢な性質であり同期を軽んじる性分だったと言われる。 呂布からの降将である事に加え性格的な問題から、[[夏侯惇]]・[[夏侯淵]]・于禁・楽進・李典など曹操の旧知の臣とはことごとく仲が悪かった。 ただし武将としては非常で優秀である事を曹操も認めており、不仲の夏侯一門が主に押さえていた西方ではなく、 東方の孫呉との要である合肥に着かされる事になった。 ちなみに一緒に赴任していた楽進・李典ともやはり仲が悪かった。 そんなリアルチート人生を歩んだ彼も、近年の通称はすっかり「[[山>山田十平衛]][[田>四季映姫・ヤマザナドゥ]]」。 『真・三国無双2』での真無双乱舞発動ボイス「邪魔だ!」が &bold(){「山田あああああああああああ!」}[[に聞こえる>八神庵]]という[[空耳]]のためである。 公式でもネタにしている節があり、『3』では鳴りを潜めたが、『4』でエボリューション攻撃のシメで言うようになり、 そして最新作の『5』では&bold(){「おkー!!」}(「退けー!」)という新しい空耳も引っさげて真無双乱舞のボイスに復活。 お祭り麻雀ゲー『雀・三国無双』でもやっぱり言っており、もはや定番ネタになっている。『6』でどうなるか期待しよう。 &nicovideo(sm1671912) ---- 格闘ゲームとしては台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム 『[[SangoFighter>SANGO FIGHTER]](正式名『三國志 武將爭霸』)』の正統続編『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』にて、 魏の武将の追加キャラクターとして登場。 MUGENでは、『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏の製作したものが存在する。 整った髭をたくわえた理知的な印象を受けるキャラクター。 勝利時には&bold(){「[[アァ~~イ>エレクトロゾルダート]]」}というやけに耳に残るボイスと共に相手を[[やれ>空条承太郎 ]][[やれ>ソル=バッドガイ]]といった感じで見下してくる。 性能的には滑るように高速移動しながら回転足払いを繰り出すかなりトリッキーなキャラクター。 [[お覇王>覇王翔吼拳]]ばりの強力な飛び道具も持ち、ハマればかなりの強さを発揮する。 必殺投げ→落ちてきたところを足払いで拾う[[コンボ]]を主体としてガンガン攻めていこう。 #image(ZhangLiao-高速足払い.gif,title=かわせるものならかわしてみろ!!) ***出場大会 [[【MUGEN】ゲージMAXタッグトーナメント【ゲジマユ2】]] [[【MUGEN】ゲージMAXシングルトーナメント【Finalゲジマユ】]]

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