百詩篇第3巻60番


原文

Par toute1 Asie2 grande3 proscription,
Mesmes4 en Mysie, Lysie & Pamphylie5:
Sang6 versera par absolution7
D'un ieune noir rempli de felonnie.

異文

(1) toute : tout 1590SJ
(2) Asie : Asia 1672
(3) grande : grand 1605 1611 1628 1649Xa
(4) Mesmes 1555 1557U 1557B 1568A 1588-89 1590Ro 1840 1981EB : Mesme T.A.Eds.
(5) en Mysie, Lysie & Pamphylie : en Mysie, lysie & Pamphylie 1589PV 1590SJ, en Lysie, & en la Pamphilie 1627 1644 1653 1665, en Mysie, Lysie, & Pan Philie 1649Xa, en Lysie, & Pamphilie 1650Ri, en Mysie, Lydie, & Pamphilie 1672
(6) Sang : Sans 1653 1665
(7) absolution : dissolution 1672

(注記)1630Ma は比較できず

校訂

 2行目 Lysie は Lycie となっているべきだが、ピエール・ブランダムールは特に校訂していない。ささいな綴りの揺れに過ぎないためだろうと思われる。

日本語訳

アジア全土で大規模な追放が(あるだろう)、
とりわけミュシアリュキアパンピュリアにて。
赦免のために血が流れるだろう、
背信に満ちた黒い若者の(血が)。

訳について

 1行目の「アジア」は2行目から考えても小アジアのこと。アジア大陸全土と勘違いされないようにと、アジアではなく「アシア」(古代ローマのアシア属州)と表記するのも一つの手かもしれない。
 2行目 mesme(s) は副詞としては「~でさえも」などの意味で、エドガー・レオニピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースは even と英訳し、高田勇伊藤進は「~においてすら」と訳している。他方、中期フランス語では「特に、とりわけ」(surtout, en particulier)*1の意味もあり、エヴリット・ブライラーの英訳、ピエール・ブランダムールジャン=ポール・クレベールの釈義はその意味が採用されている。
 なお、ブランダムールは mesmes en は mesme en と同じように2音節で読むとした。

 後半はブランダムールの釈義、シーバースの英訳、高田・伊藤訳などに従ったが、高田・伊藤が指摘するように、「背信に満ちた黒い若者の赦免のせいで、血が流されるだろう」とも訳せる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「ミシア リジア パンフィリアと同じように」*2は、少々不正確。mesmes (même)が「同じ」の意味で使われるのは名詞の前に形容詞としておかれる場合で、この詩のように前置詞の前に置かれる用法の訳としては適切といえない。
 3行目「血は堕落によってこぼされ」は底本の違いによるものだが、absolution を dissolution と改変したのはテオフィル・ド・ガランシエールのみであり、現代の実証主義的論者に支持している者はいない。
 4行目「希望のない若い人から大いなる不信が」は、3行目と切り離してこの行だけで訳せば、そういう訳も導けないわけではないが、妥当性は疑問である。

 山根訳について。
 1行目 「アジア全域に大規模な弾圧 追放が行なわれよう」*3は、proscription を「弾圧 追放」と二語で訳すことに少々疑問がある。
 3・4行目「若者の無罪放免で血が流されよう/叛逆の悪行でこりかたまった黒い青年」は上述のように、そういう訳も可能ではあるが、原文に一度しか出てこない jeune を「若者」「青年」と違う語に訳し分けてしまうと、同じ人物を指しているとは分かりづらくなるように思われる(実際、後述の原秀人の解釈は、これらが同一人物を指していると認識できていなかった可能性が高い)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「ミュシア、リュディア(ガランシエールによるリュキアの修正)、パンピュリアはアジアの地方である」としかコメントしていなかった*4

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は解釈時点から見て近未来における小アジアにおける大規模な(キリスト教徒に対する?)財産没収(confiscation)の情景とし、4行目の「黒い若者」を若い暴君と解釈した*5
 息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)はこの解釈をほぼ踏襲し、やはり近未来の情景とした。
ジャン=シャルルの解釈では、財産没収がキリスト教徒に対するものであることが明記されている。晩年の著書でも、細かい解釈に変化はあるものの、近未来の弾圧とする基本線は維持されていた*6

 アンドレ・ラモン(1943年)は当時継続していた第二次世界大戦の戦火が拡大し、極東だけでなく、トルコを含むアジア全域にまで及ぶと解釈していた*7

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は「さるアジア人がアジアの遊牧民族たちを征服軍に強制編入する」としかコメントしていなかったが、の改訂(1994年)では、そこに、戦車で弾圧された中国の学生デモとする解釈が追加されている。事件名が明記されていないが、これは天安門事件(1989年)のことだろう。

 エリカ・チータム(1973年)は1行目を中国の軍事システムの描写とし、その影響が東方すなわちトルコ、イラン、イラクなどに波及すると解釈しつつ、未成就の予言かもしれないとしていた。しかし、その日本語版(1988年)では、中東のテロ続発とする解釈に差し替えられており、3行目の解放される「若者」はPFLP(パレスチナ解放人民戦線)のハイジャック事件に関連して釈放されたテロリスト、4行目の「黒い青年」は日本赤軍ないし(エジプトのサダト大統領を暗殺した)ムスリム同胞団ではないかとされた*8。チータム自身は、のちにカンボジア内戦やイラン・イラク戦争と関連付けつつ、謎の「黒髪の青年」は反キリストに関わりのある人物ではないかとする解釈に差し替えていた*9

 ヴライク・イオネスク(1976年)は、1920年代のトルコとソ連(領土のかなりの部分がアジアに属する)の情勢と解釈し、前半はトルコにおける共和政樹立と初代大統領ムスタファ・ケマル・アタチュルクについて、後半はスターリンの恐怖政治についてと解釈した*10

 セルジュ・ユタン(1978年)は前半はアジアの内戦などを描いたもので、後半はパトリス・ルムンバ(コンゴ民主共和国独立の中心人物の一人で、コンゴ動乱の最中に殺害された)についてと解釈した*11ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、現代における西アジアからトルコまでの騒乱を描いたものとする解釈に差し替えられた*12

 川尻徹(1990年)はPamphylie をアナグラムしてフィリピンを導き、1990年代初頭のフィリピンで共産主義革命が起き、これを弾圧しようとする政府側との間で大混乱が起こると解釈していた(ミュシアとリュキアについての解釈は無し)*13

同時代的な視点

 エドガー・レオニすぐ前の詩(未作成)と関連付け、残虐な若いスルタンに関する詩篇ではないかとした*14
 ピーター・ラメジャラーは未特定のオスマン帝国史の事件がモデルではないかと推測した*15

 エヴリット・ブライラーは挙げられている地名がすべて『新約聖書』で言及されていることから、原初のキリスト教に帰れと主張したプロテスタントの隠喩を読み取れる可能性を示し、カルヴァン主義を間接的に攻撃したものではないかとした。彼の解釈では、「黒い若者」(ジューヌ・ノワール)と「ジュネーヴ市民」(ジュヌヴォワ Genevois)も関連付けられている*16

 ピエール・ブランダムールは「黒い若者」について、1559年5月向けの予兆詩第43番(旧39番)に出てくる「黒い若者における魂は火によって返される」(黒い若者が火刑に処せられる)との関連性を示唆した*17

  ジャン=ポール・クレベールは1559年向けの散文予兆「・・・何か大きな破局がリュディア、リュキア、パンピュリア、カラブリア、ノルマンディ、レーゲンスブルク、ルーアン、(サンチアゴ・デ・)コンポステーラに・・・」(『散文予兆集成』第4巻198番)との関連性を指摘した。
 もっとも、この散文予兆の前後の文脈は洪水を示しており、百詩篇第3巻60番とそこまで関わるかは少々疑問に思える。とはいえ、ブランダムールとクレベールが似通ったモチーフを挙げている出典が、どちらも『1559年向けの暦』であるというのは興味深い。この一致は偶然なのだろうか。

【画像】関連地図。ミュシア、リュキア、パンピュリアはいずれも地方名なので、位置関係は大まかなものである。


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コメントらん
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  • “赦免のため”とあるので逮捕され恩赦を受ける者が現れたら要注意という意味。 -- れもん (2015-12-16 12:31:40)
最終更新:2015年12月16日 12:31

*1 DMF p.412

*2 大乗 [1975] p.112。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 山根 [1988] p.133 。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Garencieres [1672]

*5 Fontbrune (1938)[1939] p.246, Fontbrune (1938)[1975] p.260

*6 Fontbrune [2006] p.495, Fontbrune [2009] p.120

*7 Lamont [1943] p.325

*8 チータム [1988]

*9 Cheetham (1989)[1990]

*10 Ionescu [1976] pp.470-473

*11 Hutin [1978]

*12 Hutin (2002)[2003]

*13 川尻『ノストラダムス最後の天啓』pp.143-148

*14 Leoni [1961]

*15 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]

*16 LeVert [1979]

*17 Brind'Amour [1996]