概要
私闘
甲板での殴り合いは、刃を抜く手前の段階で互いの鬱憤を吐き出す場として、二人の間に定着している。
試合運び
殴り合いの口火を切るのは、たいてい互いへの駄目出しである。新曲の感想を求められたユールが理屈っぽさを切り捨て、シーナが試合記録の後半で息切れした場面を突きつけたあたりで、どちらからともなく上着が甲板に放り投げられる。序盤はシーナの間合いで進み、太い腕から繰り出す拳は一撃ごとに重く、組み付いてからの投げでは、ユールの体を甲板の端まで運んで手すりに叩きつける。対するユールは、打たれることを前提に距離を詰め、額で受けた拳の勢いを、頭突きに乗せて返す。投げに持ち込まれかけた場面でも、ユールは腕を振りほどく手間を省いて相手の腰帯を掴み、二人まとめて甲板に倒れ込む形で投げを潰しにかかる。痛みを後回しにする体の使い方は戦場で身についたもので、倒されるたびに笑いながら起き上がってくる相手を前に、殴っている側のシーナの方が先に気味悪がる。中盤に入ると、ユールの持久力がものを言う。呼吸の上がり始めたシーナの懐に潜り込み、割れた腹筋の上から同じ箇所を叩き続けるのが、ユールの定石である。シーナの側も、最初の数発は腹に力を込めて受け止め、笑ってみせる余裕を残しているものの、十発を越えたあたりから笑みは引きつった歯噛みに変わっていく。追い詰められたシーナの腕に
雷属性の放電が走り、殴られたユールの足元で爆圧が弾けるのも、この頃の決まった流れとなっている。
後始末
甲板の損害は回を追うごとに積み上がり、剥がれた塗装に加えて、凹んだ手すりと割れた舷窓が修理の帳簿に並ぶ。修理費は負けた側の持ち出しと決められているものの、勝敗の食い違いが続く限り、支払いは毎回折半に落ち着いてきた。術を封じる取り決めも毎回交わされる一方で、守られた回数を覚えている者は二人の周りに皆無である。蹴り飛ばされたペンキ缶が船体に色の飛沫を散らした夜は、翌朝の塗り直しを誰が受け持つかで二回戦が始まりかけた。夜更けの物音に悩まされた桟橋の管理人からは苦情の書面が届き、シーナは苦情の束を捨てる代わりに、星取表の隣に一枚ずつ貼り足している。決着がつく場面は稀で、多くは二人揃って甲板に大の字で倒れ込み、夜空を見上げながら悪態の応酬を続けるうちに終わる。騒ぎを聞きつけた
遊理部の面々が桟橋に集まる夜もあり、
部長が胴元を務める賭けの札は、毎回決め手を欠いたまま払い戻しとなった。勝敗の記録が船の壁で二通りに割れている理由も、倒れた順番をどちらが先と数えるかの食い違いにある。翌朝には、腫れた顔のままユールが詫びを入れに来て、シーナは氷嚢を二つ用意してから朝食を作る。
公式戦
闘争競技の公式記録に残る対戦は現時点で一度きりであり、観客の数と修繕費の桁は、甲板の私闘から大きく跳ね上がった。
発端
公式戦は、シーナ本人が関与する前に組み上がっている。学区をまたぐ興行の目玉を探していた
部長が、エキシビション枠の出場申請をシーナの名で勝手に提出し、対戦相手の欄に「紅刃爆雷」と書き込んだのが始まりである。受理の通知が船に届いたのは試合の三日前で、抗議に駆け込んだシーナを待っていたのは、既に売り切れた観戦券の束と、話を聞いて大笑いするユールの姿であった。取り下げの手続きを調べる間にも、会場の告知には二人の異名を並べた「鉄屑紅刃戦」の対戦名が大きく掲げられ、引き返す道は日ごとに狭まっていく。興行主から試合放棄の違約金の額を示された時点で、シーナは取り下げを断念した。試合の前夜にはユールが船に現れ、甲板に手入れ道具を並べて互いの得物を磨き合った後、明日は手加減抜きだと言い残して帰っている。残された三日間、シーナはユールの過去の試合記録を船の壁に映し出し、剣撃と爆圧の間合いを夜通し数え続けた。闘争競技の選手登録を欠いたシーナの出場資格は、部長が遊理部の名義で書類を揃えて押し通しており、審査の窓口では係員が何度も書面を見返したと伝えられる。当日の客席は、歌い手の追っかけと闘争競技の常連が半々に入り混じり、開始前から野次の応酬で温まっていた。控室の壁越しに互いの準備運動の音を聞きながら、二人は試合前の最後の駄目出しを怒鳴り合っている。
試合経過
開始の合図と同時にシーナが放った初弾はペンキ弾で、
光子ブラスターから撒かれた塗料により、ユールの赤い腰布は数発のうちに三色の斑模様に塗り替えられる。塗料に視界の半分を塞がれたユールは、腕で目元を拭いながら前進を続け、客席が沸いた直後に足元の床を爆圧で砕き、舞い上がった瓦礫を盾に一気に距離を詰めた。剣の距離に入ってからは重量同士のぶつかり合いが続き、
振動大剣が雷を纏って打ち込まれるたびに、ユールの剣を伝った放電が手袋を焦がす。ユールが剣撃の直後に叩き込む爆圧は、シーナの踏み込みを毎回半歩ずつ押し戻した。中盤には、シーナの張ったホログラムの幻影に二度続けて空振りしたユールが、闘技場の床ごと爆圧で薙ぎ払い、幻影を丸ごと消し飛ばす一幕もあった。応じたシーナが
冬属性の冷気で剣を振り上げる肩を凍らせにかかると、ユールは霜の張りかけた腕ごと爆圧で振り抜き、砕けた氷の欠片を客席の手前まで撒き散らしている。組み付いたシーナが力任せにユールを投げ飛ばした場面では、闘技場を囲う防護障壁に亀裂が走り、最前列の観客が一斉に後ろの席へ逃げ込んだ。審判は規定の時間で二度にわたって制止をかけたものの、その声は二人の怒号に掻き消され、試合は延長戦にもつれ込んだ。実況席の解説者は、飛び散る破片と放電の音に遮られ、この間は言葉を挟む隙を失っている。沈黙した実況席に遊理部の応援席から部長が乗り込み、マイクを奪って勝手に解説を始めたことで、会場の音声には延長戦の終わりまで、片方に肩入れした煽り文句ばかりが流れ続けた。
余波
延長戦の終盤、息の上がったシーナが
春属性の気流でユールの軸足を掬い、ユールは崩れた体勢のまま至近で最大の爆圧を起こした。両者は同時に場外へ吹き飛ばされ、観客席の手前で並んで仰向けに転がっている。起き上がろうとした二人が互いの足を踏みつけ合い、再び揃って倒れた場面は、試合で最も大きな歓声を集めた。記録上の判定は両者場外による引き分けとなり、船の壁の星取表には、この一戦だけで互いに白星が一つずつ書き込まれた。試合の後、二人は闘技場の医療区画で隣り合った寝台に寝かされ、治療の合間も駄目出しの応酬を続けて看護担当を呆れさせた。寝台の間の仕切り布は、互いの点滴台を倒し合う攻防の末に取り払われている。審判の制止を聞き流した件については、
闘争競技国際理事会から二人に揃って罰金が科され、ユールの公式記録には同種の違反が一件、シーナの側には初めての違反が書き加えられた。退院の朝、珍しく先に詫びを入れに来たのはシーナの方で、ユールは返事の代わりに、市場で見繕った果物を寝台の脇に積み上げている。三色に染まったユールの腰布は洗濯を重ねても斑が残り、本人は次の試合にも、斑模様の腰布を巻いたまま出場した。防護障壁の修繕費は主催者から遊理部に請求され、部長は興行の売上から全額を支払ったうえで、翌季の同じ枠に再戦の申請を出している。この申請を知った二人が、初めて意見を一致させて部長を追い回した一件は、部内で長く語り草になった。
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最終更新:2026年09月25日 19:28