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+ 勇猛な血の怯者アレク
 ――20数年前

 マリーヴィアの街中は歓喜の声で溢れかえっていた。

「たった4人であの数の魔物を倒した英雄!マリーヴィアが生んだ勇者だ!みんな出てこい!盛大に出迎えよう!」

 大陸の東側半分に被害を出した魔物の大群。
その大半を殲滅して周った一行の中心にバレルがいた。
 溢れかえった魔物の群れの原因がローワン渓谷の洞窟である事を突き止めたバレルは、仲間と共に洞窟の奥に目覚めた魔物を討伐した。
 被害は大きかったものの、街に来る魔物はいなくなり、人々には安堵の表情が見える。
 街の傭兵団は、自分達の成せなかった功績をたった1週間で成し遂げた彼らを、素直に称賛している。
 彼らの向かう先はマリーヴィアの領主の家。
 領主からの招集を受け帰還した彼らは、照れくさそうな顔をしながら街の門の外まで伸びた群衆に手を振った。


「おぉ!炎の剣聖バレルの一行か。この度は大陸の為、本当によくやってくれた。面を上げてくれ」

 バレルは顔をあげて領主に顔を向ける。

「すまないが、他の者の名と顔がまだ一致していなくてな…紹介してくれるか?」

「はい。私の横にいるのが私達の盾となってくれたシャムール出身のウェルジ。彼が率先して魔物を引きつけてくれました。次に、回復魔法を得意とするエルア。エムル出身の彼女のサポートがなければ、私達はみんな力尽きていた事でしょう。最後に、攻撃魔法を得意とするアーラェ。彼女はマーニルで会得した究極の星魔法で、魔物の群れを一掃してくれました」

 領主は一人ずつ顔を見ながらうむうむと頷く。

「そなた達の功績は素晴らしいものだ。この勲章をレミエール王都の王から授かった。受け取ってくれ」

 領主が横にいた兵に目を合わせると、兵は豪華な箱に入った勲章を持ち領主の横に立つ。

「この勲章が勇者の証だ。さぁ、受け取るがいい……」


 ――現在


 金で作られた勇者の勲章を、空中に投げてはキャッチするバレルの息子。

「なんでよりによって俺の親父が勇者なのかねぇ。世の中不公平だねぇ。もっと普通の家に生まれていたら俺だって~~あっ……」

 取り損なった勲章は、音を立てて床に落ちコロコロと転がって本棚の隙間に入っていった。
 自然のまま伸びきった髪の毛の上から、ボリボリと頭を掻きながら枕に顔を埋める。

「はぁ……。ホント……勇者とか無理だし……」

 小さい頃から名前で呼ばれる事は少なく、みんな“勇者の息子”と声を掛けてくる。
 それが俺、“炎の剣聖”の息子が背負った宿命だった。
 幼い頃は、親父のように格好良くて、誰もが知っているような勇者になりたいと思っていた事もある。
 だから、その頃は庭で親父に剣の稽古を付けて貰っていたけど、その様子を見た友達に
からかわれたのをきっかけに嫌になった。
 いつも二言目には親父の話。

(お前も勇者になるんだろ?なぁ勇者ってどうやったらなれるんだよ!?)

(おぉ、勇者の息子じゃねぇか。お前も親父みたいに立派な人間になれるように頑張れよ!)

(マリーヴィアには勇者がいるから安心だわ~。私達がいつまでも平和に暮らせるように、あなたにも期待しているわ)

 友達も大人も、みんな俺に期待を寄せている。
 そんなプレッシャーに勝てる程、俺の心は強くないんだ…。

「魔物と戦うって事をみんな解ってない!誰だってミスはある…って事はミスったら…下手したら一発で死ぬんだぞ?そんなの絶対無理じゃん!無理無理無理無理無理!!」

 アレクはいつからか人と会うのが苦手になっていた。
 部屋に引き篭もり、ただ毎日が過ぎていく事を傍観する生活。
 バレルはそんな息子の様子を心配していたが、バレル自身もアレクに寄せられる期待を背負わせてしまっている事に罪悪感を覚え、特に何を言う事はなくアレクの引き篭もり生活を容認していた。

「親父だって、最初から勇者になろうなんて思ってなかっただろ…なろうと思ってなれるくらいなら皆なってるはずだしさ~!」

 その時、家のドアが空く音と同時に、複数の足音が荒々しく響いてきた。
 何事かと思い、そっと自室のドアを開けて、居間の様子を覗いてみる。
 何人かの男がバレルを担いで声を掛けていた。

「バレルさん!家に付いたぞ!今水を持ってくるから、大人しくしていてくれ」

 男達はバレルを寝室のベッドまで運ぶと、水を浸した手ぬぐいを額に起き、コップを口元に当てていた。
 アレクはドアから顔を出して恐る恐る声を出す。

「あ、あのぉ…親父どうか……したの……?」

「ん?誰だ……もしかして、バレルの息子か。ちょっと見ない間に大きくなったな…」

 男はアレクを上から下まで見ながら言葉を続ける。

「バレルが急に倒れたんだ。原因は分からねぇが…多分病だろう。熱が高くて、嫌な汗をかいてる。仲間が今術士を呼んできてるから介抱を手伝ってくれねぇか?」

「お、親父が…病気…?」

 今まで風邪も引いた事すらないようなあの父親が、倒れ込むような病に侵されているなど、アレクには信じられなかった。
 緊張しながら父親の部屋に入ると、真っ青な顔をしているバレルがアレクの方に顔を向ける。

「お、親父…大丈夫だよな?…ただ疲れが溜まったとか、そういうのだよな?」

 バレルはハァハァと苦しそうな息を吐きながら笑顔を見せる。

「あぁ……大丈夫だ……。心配するな……。すぐに……良くなる」

 普段と変わらない笑顔の父親に少し安心していると、玄関のドアが勢い良く開く音と共に、男が息を切らしながら入ってきた。

「こっちです!おいバレル!術士が来たからもう大丈夫だぞ!」

 治療の為に部屋から出された一行は、落ち着きなく診断の結果を待った。
 数時間が経過し、窓から夕日が差し込んできた頃、寝室のドアが開いて術士が出てきた。
 その深刻な表情から居間に集まっていた全員が不安を感じる中、一人の男が口を開く。

「ど、どうだった?バレルは大丈夫そうか?」

「今の技術ではどうする事も出来ない不治の流行り病です……できるだけ痛みが緩和するようにしましたが……もう……長くはないでしょう……」


 それからアレクは父の看病を続けた。
 こんなに父の側にいるのは、父から訓練を受けていた子どもの頃以来だった。
 日に日に衰弱していくバレルを見て、自分が何もできない事に腹立たしさを感じ、拳を握りしめる。

「アレクよ……少し良いか…?」

「ダメだよ父さん!寝てないと!術士の人だって言ってただろ?」

 起き上がろうとするバレルを止めるが、その声は無視されて肩に手を置かれる。
 居間に連れて行ってくれと言うバレルは、もう一人では満足に歩く事もできなかった。
 肩を貸しながら居間にやってくると、玄関先に置かれた自分の装備一式を指さしてバレルは口を開く。

「アレク…。お前にこの剣と鎧を託す」

 アレクは父の言葉の意味をまともに捕える事ができない。

「え?ちょちょ、ちょちょちょっと待って、どどどういう事だよ」

 バレルは少し笑った後に続ける。

「お前はまだ自信も持てずに、俺の事を恨んでいると思う。だが、いずれ立派な戦士になれると俺は確信している。お前は知らないかもしれないが、実戦から離れてから剣を教えてくれと言われて、兵舎に通い色んな人間に剣を教えた。しかし、お前のように飲み込みが早い奴は一人もいなかったんだ。やはり……お前は俺の子なんだと確信した」

「待てって!でもでもでもでも、俺には絶対無理だって!勇者になんてなれない!」

「あぁ、今はまだ早いかもしれない。だが、いずれは勇者になれるだろう。だから、俺の装備をお前に託すんだ」

 バレルは笑いながらアレクの頭を撫でる。
 アレクは反論しようとも思ったが、父の遺言になるかもしれないと考えた。

「わかったよ……。貰うだけなら…貰っとく……使うかどうかはわかんないけど……」

 バレルはまた笑顔を見せる。

「あぁ、それでいい。ゴホッ…ゲホッ…!!」

 苦しそうに咳をするバレルの背中を擦りながら、また寝室へと連れていった。


 数日後の夜、バレルは眠るように息を引き取った。
 寝室のバレルの前で、枯れるまで涙を流すバレルの仲間達。
 アレクは自室でバレルの剣を眺めていた。

「勇者になんて……なれるのかよ……」


 ――1年の月日が流れる

 アレクは少しずつ外に出るようになっていた。
 父のようになりたいという気持ちもあったが、なかなか行動に移す事ができない。
 父親が残してくれた遺産でいつまでも生きていく事はできないと考えて、自分でできる事を探そうとしていた。
 それでも人と話をするのはやはり苦手で、うまく接する事はできなかった。

 そんなある日、商店街で食材を探していると、一人の女性を見かける。
 透き通るような白い肌と、長く横に伸びた耳。
 不思議な形の帽子からは黒髪が伸びて、背中で結んでいる。
 白地に赤の衣装を身にまとい、天体を彷彿させる形の杖を持っていた。
 ブルーのクリっとした大きな瞳を見て、アレクはまるで稲妻に打たれたような感覚を覚える。

(誰だあの子…この街の人じゃなさそうだな…めっちゃかわいい…かわいいかわいいかわいい!!あの耳はエルフかな?豪華な服装だなぁ…すごく高貴な人なのかなぁ?かわいいなぁかわいいなぁ!)

 アレクはとっさに物陰に身を隠す。

(話しかけたいなぁ!で、でも俺みたいな奴が声かけたら絶対怪しいよな…特に用事ある訳じゃないし…でもかわいいなぁ!話したいなぁ!でももし貴族とかだったら…俺なんか絶対相手にされないよなぁ…あぁあああ!!!!もうどうして俺はこんな俺なんだ!!)

 明らかに怪しい動きをするアレクに気づかず、彼女は店の主人から果物を受け取り、笑顔で挨拶をして歩き出した。

(ここで買い物をしてるって事は近くに住んでるんだよな…え…どうしよう!あんな子がこの街に住んでるの!?気になる気になる気になる気になる!!!)

 アレクは意を決して、彼女の後をつける。
 彼女は坂を登った所にある見晴らしの良さそうな建物へと入っていった。

(ここって…宿屋だったよな?そうか!旅行ね!なるほどね!旅行してるのか!)

 入り口に置いてある看板の影からジッと中の様子を探ろうとするが、扉が閉まっているせいで全く見る事ができない。

(アレク!!勇気だ!!もう一回顔を見るだけだ!!別に怪しまれる事もないだろう……いや、怪しまれるか…俺の家すぐ側だしな…あ、誰かと待ち合わせしているって事にすればいいか!そうだ!そうしよう!)

 アレクは明らかに不審者の足取りで、宿屋の入り口に立ち扉を開けた。
 中には宿屋の主人がペンを持って何かを書いている所だった。

「いらっしゃい。ん?なんだ勇者の息子じゃねぇか。どうした?」

「べべべべ別にどうもしないんだけど…じゃなくて、えっとえっとえっと、友達と待ち合わせをしてるんだ!ここで!」

 宿屋の主人は片眉を上げながらアレクを見る。

「そんなもん店の中でやるんじゃねぇよ。誰だ?ここに泊まってる客か?」

「い、いやぁ…えっと、そういう訳じゃないんだけど…あはは…」

「じゃあどういう事なのか説明してもらおうか!?」

 全く想像もしていなかったが、よく考えてみれば当たり前の事を言われてアレクはあたふたする。

「んーと、えっと…ななななんだっけなぁ……そうだそうだ!商売は繁盛してるのかなぁ…なんてえっと…あはは」

 宿屋の主人の表情は更に険しくなっていく。

「今日はまだ一人しか客はいねぇが、明日から団体さんが来る予定なんだ!お前の相手をしてる暇はねぇんだよ!とっとと帰れ!」

 ドンとカウンターを叩く主人に、アレクはビク付いて後ずさる。
 その時、階段の上の方から年配の女性の声がした。

「ちょっと、こっち来て手伝っておくれ!」

「あぁ今行く!!ったく…しょうがねぇな…早く出て行けよ!」

 主人は首をひねりながらカウンターから出て、階段を上がって姿を消した。
 取り残されたアレクは、主人の姿が見えなくなってから、急いでカウンターに置かれた宿泊名簿に飛びつく。

(今日は一人しか客がいないって事は、彼女の名前は……あった!201号室…“ルピー”か!いい名前だな!えっと、今日の朝から泊まってるのか…。15日間も泊まるの!?彼女が15日もこの街にいるの!?やった!!やった!!)

 その時、階段から足音が聞こえてくる。
 アレクは急いで宿泊名簿を元に戻し、扉を開けて外に出た。

(2週間以上あれば…きっとチャンスがあるはずだ!ルピーと仲良くなれるかもしれない!よーーし!頑張るぞ!!)



 宿屋の正面の建物は、都合の良い事に空き家になっていた。
 窓から侵入したアレクは、その日から、2階の部屋で宿屋を見ながら一日を過ごすようになる。
 不思議な事に、ルピーは日中全く外に出ずに、彼女の泊まっている201号室はカーテンが敷かれていた。

(寝てるのか…?そんな事ないよな…部屋を暗くして何かしてるのかな?あ、俺みたいに日の光が苦手なのかな!?もしそうなら話合うかもしれないじゃん!うぉおおお!!すげぇえええ!!)

 しかし、日が落ちようとしている夕刻にルピーは外に出てきた。
 海岸の方へ向かう彼女をアレクは追いかける。

 浜辺についた彼女は、どうやら星を見ているようだった。
 何かをメモしながら、一晩中星を見ている。
 アレクはそんな彼女の表情を遠目から眺めていたが、声を掛ける事はできなかった。
 それでも、アレクは初めてこの世界が美しく見え、生きていて良かったと思えた。

 7日間が経ち、アレクはずっとルピーを影から見続ける。
 毎晩星を見る生活をする彼女に疑問を持ちつつも、その時間はアレクにとって幸せだった。

 ある日の午後、アレクは食料を調達しにいこうと空き家を出た所で、丁度宿屋の前で主人と鉢合わせた。
 とっさに物陰に隠れようとしたアレクだが、宿屋の主人はアレクを見逃さずに、すぐ側まで近付いてくる。

「お前こんな所で何やってんだ!?怪しい奴だな!俺の店になんかしようと企んでんのか!?」

「ちちちちがうよ!そんなななわわわ訳ないだろ!!」

「じゃあ何してんだ!?説明してみろ!!」

 宿屋の主は近くに立て掛けてあった箒を持ちだして、今にも殴りかかると言わんばかりに構える。

「ままままま待って!待って!説明するから!!ぼぼぼ暴力反対!暴力反対!」

 尻もちをついたアレクは観念して、自分が何をしているのかをしどろもどろに説明した。

「あぁ?お前、あの星詠み(ほしよみ)ちゃんにお熱なのか?はっはっは!若けぇなぁ!!」

 肩をバシバシ叩かれながら笑顔になった宿屋の主人に、アレクはホッとする。

「でもな、男だったら惚れた女には正面からガツンと言わなきゃだめだぞ?ウジウジしてっと誰かに取られちまうからな!俺も女房を口説く時は気合入れてぶつかったもんよ!!」

「そそ、そうなのか…。おっさんはすげぇな…。俺にはそんな勇気は……あっ、星詠みちゃんってなんだ?」

「なんだ知らねぇのか?星詠みってのはよ、夜空に出る星を見てその周期を記録する魔術師だよ。俺も良くは知らねぇが、星の周期と魔素がどうのってのは星詠みちゃんから聞いたぜ。各地に旅して星の観察をしてるんだとよ」

「だから夜にずっと星を見てたのか……もっと、もっと詳しく教えてくれよ!!」

「俺も良く知らねぇって言ってんだろ。そんなに知りたきゃ本人に直接聞くんだな!はっはっは!もうコソコソするんじゃねぇぞ」

 宿屋の主人は笑いながら行ってしまった。
 アレクは立ち上がろうとするが、突然の事に腰を抜かしたようでまったく立つ事ができない。

(直接って…そんなの聞けたら苦労しないだろっ!!無理難題すぎるよ!ちくしょう…せめてもっと俺が普通の人間だったら…)

 そのまま話しかける事もできず、ルピーの宿泊期間が終わろうとしていた。
 アレクは頭を抱えながら考える。

「どうするどうする!?明日の朝にはルピーはこの街から出てしまう…そしたらもう二度と会えないかもしれない…だったら…だったら俺はルピーの旅に付き添いたい!?でもどうやって?どうやって声かけたらいいんだよ!絶対普通に喋るなんてできない!あっ!そうだ!先に話しかける内容を考えよう!それだ!よし、朝までになんとか内容を作って、練習すればきっと大丈夫だ!冴えてるぞアレク!」

 一度家に帰り、身支度をする。
 ルピーの旅に同行させて貰う事だけを考えて、アレクは必死に頭の中でシミュレーションをした。
 日の出前、街の門の横にある木陰に隠れる。
 街を出るならば絶対にこの方向に来るはずだ。
 アレクは目の下にクマを作りながら、考えた文章を小声で何度も復唱する。

「やぁ、俺はアレク。君は星詠みの旅をしているんだってね。旅はきっと危険もあると思う。
だから邪魔じゃなければ君の旅に付き添いたいと思ってるんだ。良かったら同行させてくれないかな?」

(よし!噛まずに言えた!完璧完璧完璧完璧!!あとは、ルピーがOKしてくれるだけだ!いける!いけるぞ!)

 空が明るくなり、鳥のさえずりが聞こえてきたと思うと、門の向こうからルピーが歩いてきた。
 太陽が街に色を付け始める。
 その光景はアレクにとっては世界の夜明けのように見えた。
 心臓の音がやけに大きい。
 少し気持ち悪いような気もする。
 それでも、この機を逃す訳にはいかないと、勇気を振り絞る。

 ルピーが門を抜けると同時に姿を出したアレクは、さも街に向かう道を歩いてきたのだと言うばかりに歩を進める。
 アレクとルピーとの距離がどんどんと縮まっていく。
 顔がハッキリと見えた。
 ルピーもアレクに気がついたようだ。
 目が合った瞬間に、アレクは口を開いた。

「やぁ……」

 その先の言葉が出てこない。
 あれだけ確認したはずの台本は、頭の中で荒れ狂う嵐に吹き飛ばされていた。

「おはようございます」

 ルピーは笑顔で挨拶をした。
 そのまま足を止める事なく進んでいく。

「お、おはよう」

 とっさに挨拶を返したアレクは、もう何がなんだか分からない。
 そのまま彼女とすれ違い、街の門をくぐってしまった。
 もう何がどうなっているのか、自分が今どのような状態なのか、なぜ歩いているのか、アレクには分からない。

 アレクが振り返ると、ルピーの影は小さくなっていた。

(まだ終わってない…振られてもいないじゃないか!!伝えたい事を伝える事すらできなかった…そんなので終わりはダメだ!絶対にダメだ!)

 アレクはマリーヴィアを後にした。
 ルピーとは100m程度の距離を離し、木々に隠れながら後を追いかける。

(次のチャンスまで…そう!これは次のチャンスを掴む為に必要な事だから!今だけだから!)

 心の中で言い聞かせながら、見つからないように細心の注意を払い後を付けた。


 ルピーは険しい道を進んでいく。
 マリーヴィアから北上しているということは、次の目的地は“獣境の村ヴィレス”だと推測ができた。
 ヴィレスまでの道は決して安全ではなく、傭兵を付けなければ命の保証はないとされている。
 それでもルピーは、険しい獣道も、断崖の海岸線でも一人で進み続ける。
 横から魔物が飛び出せば、即座に魔法を放って撃退する。
 その姿を見たアレクは、何故か勇気が沸いていた。

(ルピーがあんなに強いなら、俺も強くならないと…俺が強くなればきっとルピーは認めてくれる…やらなきゃ…やらなきゃ!)


 夜になると、ルピーはテントを張って星を眺めて過ごしていた。

 ある日、アレクはルピーがテントで寝静まった後、不穏な空気を感じ取る。
目を凝らして暗闇に集中すると、テントの周りを魔物が取り囲んでいた。

(あいつら…ルピーは寝てるんだぞ…そんなの、そんなのってずるいじゃないか!)

 アレクは父の剣を抜いて、テントの横を走っていく。

(ほら!ついて来いよ!)

 一体の魔物を斬りつけて注意を自分に引き付ける。
 魔物の群れがアレクを追ってきているのが音で分かった。
 ある程度テントから離れた場所までくると、アレクは足を止めて振り返る。

「えっと…1、2、3、4…ちょっと、多くない?なんだよ…もう少し手加減してくれよな…幸いブリンだけか。なんとかなるよな?いや、なんとかしないといけないよな!!」

 ジリジリと魔物が詰めより、瞬間アレクに向かって飛びついてきた。

「ちくしょう!!やってやるよぉおおお!!」

 ボロボロになりながらも剣を振り続け、アレクは勝利する。
 ほっとして膝を付き、剣を地面に指して身体の支えにすると、父親の顔を思い出す。

「やった…やったぞ…俺も勇者になれるのか?なぁ父さん…」

 疲労が溜まり、そのまま後ろに倒れこんで空を仰ぐ。
 明けかけた空が目に入り、アレクはハッと飛び起きる。

「やばっ!ルピーが起きる!嘘だろ…今日徹夜じゃん!」

 急いで魔物を道の外に放り投げてから木の影に隠れる。
 テントがゴソゴソと動いたかと思うと、中からルピーが顔を出して、空に両手を伸ばしてウーンと伸びをした。

(なんだよ……あんな可愛い寝起き見せられたら疲れなんかどうにでもなっちゃうじゃないか…徹夜余裕!)

 魔物と戦ってこんな清々しい気持ちになれるのかと、アレクは自分でも少し驚いていた。
 あれだけ怖かった魔物との戦いに恐怖心はなく、ただただ倒す事だけに集中していた事が不思議でならない。
 それだけではなく、ルピーを守れたという事にとても強い達成感を感じていた。


 ヴィレスに到着し、また宿を取るルピー。
 アレクはすぐ近くにあった別の宿を取り、久し振りにゆっくりと休む事ができた。

 ヴィレスでの15日間続く星の観察も終わり、また歩いて“鎮魂の街ソーン”へと向かう。
 アレクはこの旅の道中で段々と力を付け、同時に自信がついていくのを感じていた。
 強い魔物が出てくる山の中でも、アレクは魔物に正面から当たり倒していく。

 しかし、それでもルピーに話し掛ける事はできなかった。
 戦闘に対しての自信はついてきたものの、マリーヴィアで一度顔を合わせてしまった以上、どうやって声を掛けても怪しいと思われるのが関の山だろう。
 それでも、“何かキッカケさえあれば”という希望を持ち、アレクはルピーを遠目から見続ける。
 後ろめたい気持ちもあったが、アレクは初めて充実した日々を過ごしているような気がして、どこか楽しんでいた。


 しかし、事態は一転する。
 ソーンの街につくと、何やら物々しい雰囲気が街を包んでいる。
 帝国の手に落ちたソーンには、駐留している帝国兵が街を占領しており、外部からの侵入は管理されていた。
 ルピーは街に入る門で、帝国兵の尋問を受けている。

「なんだ…あいつら…黒い鎧…どういうことだ?」

 アレクは何もできず、遠い所から見守ることしかできない。
 ルピーは何やら必死に説明をしているようだった。

 その時、門の外に少年が一人飛び出してくる。
 続いて帝国の兵が2人、少年を追って飛び出してきた。
 ルピーもアレクも、その様子を目で追っていた。
 少年は道端で転び、帝国兵に追いつかれてしまう。

「やめろよ!離せよ!!」

 帝国兵は少年を担いで街の中へ戻っていく。
 肩に乗せられた少年は大声で泣きながら、バタバタと暴れている。
 ルピーはその様子を見て、帝国兵に険しい表情で何か話しかけている。
 直後に少年は地面に落とされ、帝国兵は武器を抜いた。
 剣を向けられたルピーは動じずに、何やら話を続けている。

 アレクは剣を握るが、その手が震えている事に気がついた。
 今がずっと待ち望んでいた“キッカケ”かもしれないのに、遠目から見ても体格の良い兵士を見て足を動かせられない。
 足を殴りつけ、手を振り回し、震えを止めようとするが、どうしてもガタガタと震えてしまう。

(くそっ!くそっ!なんでこんな時に限って!!今まで魔物と戦ってきたじゃないか!相手が人間なだけじゃないか!!)

 そうこうしている内に、ルピーの元に更に帝国兵が集まり、帝国兵と一緒に馬車に乗せられてしまう。
 ルピーは抵抗する素振りもなく、真剣な表情だった。
 アレクはルピーに何が起こっているのか分からずに、横を通る馬車に見つからないよう身を隠す事しかできなかった。

「なんだよ…俺全然だめじゃん……もう死にたい……結局…俺はルピーの後を追っかけ続けた……ただの……変質者じゃないか……ちくしょう!」

 ふと、目を街の方に向けると、帝国兵の影はなくなり、先ほどの少年が馬車の行先を呆然と眺めていた。
 アレクは、なんとか立ち上がり、少年に声を掛ける。

「坊主、けけけ怪我はないか?」

「お兄さん誰…?その剣は…お兄さんは戦士なの……?」

 アレクはその言葉が胸に突き刺さる。

「俺は戦士なんかじゃ……」

 言いかけたが、少年はアレクのズボンを強く握り締めて涙ながら訴える。

「お願いお兄さん!あの人を助けて!!あの人は何も悪くないんだよ!お兄さんなら助けられるんじゃないの!?」

 少年の言葉で我に帰る。
 このままではルピーが星詠みの旅を続ける事もできなくなってしまうかもしれない。
 たった一人で、険しい道を越えて、ずっと続けていた事が、ここで終わってしまうかもしれない。
 それを止められる人物がいるとすれば、少年の言う通りアレク以外にはいないだろう。
 アレクは、少年の肩を掴んだ。

「ごめんな。俺、少しビビッてた。格好悪かったな。俺もルピーを助けたい。ありがとな。俺ちょっと行ってくるわ!」

 アレクはソーンの門を背に、馬車の後を追った。


 アレクは走る。
 がむしゃらに走り続けた。
 脇腹の痛みなんてどうでも良かった。
 息が苦しいなんてどうでも良かった。
 重たい荷物は街道沿いに捨ててきた。

 自分にできる事を、自分を信じて。
 勇気を出して。
 最後まで逃げずに戦う。
 きっと、それが勇者だ。

 馬車の後ろ姿が見えた。
 手の震えは、いつの間にか止まっている。
 走りっぱなしの足も、まだ動いている。

「うぉおおおおおお!!!!」

 馬車の横を通り過ぎると、進行方向に向かって剣を振り切る。
 突然目の前が炎で塞がれた馬車は急停止した。
 黒い鎧の兵士が何人も降りてくる。

「貴様!何者だ!!」

(もう迷わない……俺ならできる…やるぞ…やるぞ…!)

「守りたいもの一つ守れなくて、何が勇者だ!!!!」

 帝国兵の懐に飛び込む。
 剣を抜く帝国兵だが、アレクの速さに圧倒されていた。

「一人…!二人…!三人……後ろかぁ!」

 流れるような連撃を決めながら、アレクは帝国兵を圧倒した。

「ハァ…ハァ…ハァ…終わったか……?」

 6人の帝国兵はその場に倒れ、あちこちがアレクの斬撃でメラメラと燃えていた。

(ルピーは…無事だよな!?)

 馬車の中を覗くと、手縄と目隠しをされたルピーの姿があった。
 怯えている様子のルピーに恐る恐る声をかける。

「えっと…えっと…大丈夫…大丈夫か?」

 目隠しを取ると、ルピーは少し眩しそうに薄目になった後、除々に青い瞳を見せた。

「助けてくれたんですか?」

「あ、いや、えっと……困ってそうだったから…その、ほら、黒い兵士に攫われて…攫われた所を見ちゃって…あ、いや…男の子!男の子が助けてくれって言って…その…」

 ルピーは不思議そうな顔をしながらアレクを見つめる。

「あれ?あの、どこかでお会いした事ありましたか?」

「い、いいや、いやえっと、全然!全然初対面だと思うんだけど…その、あっ!怪我はないか!?」

 頭が真っ白の状態で、なんとかこれまでの事を必死に隠そうとするアレクは、自分でも何を言っているのか分からなかった。

「え、あ!はい!大丈夫です。あなたこそ大丈夫ですか?さっきすごい音がしていましたけど」

「おおおおおお俺はバッチリ!げげげ元気だよ!ほら!ルピーを守らなきゃっていう一心が力をくれたっていうか……」

「ん?私の名前をなんで知ってるんですか?やっぱりどこかで…」

 アレクは、自らがこの世の終わりを引き起こしてしまったような感覚を覚える。

「だぁあああ!!!えっとえっとえっと!!それは違うんだ!そうじゃなくて…なんとなく!なんとなくルピーさんじゃないかなぁって思っただけで…!知ってなんてなくて!ほほほほほほ本当にそうなんだ!」

 顔が真っ白になっていくアレクを見ながら、ルピーは微笑んだ。

「なんだか、よくわからないですけど…助けてくれてありがとうございます!」

 ニコっと笑いかけるルピーの顔を見て、アレクは言葉を失う。

 引かれたと思った。
 嫌われたと思った。
 気持ち悪がられると思った。

 しかし、ルピーは笑顔でお礼を言っている。
 これまでのアレクが過ごしてきた人生の中で、初めて誰かの役に立った気がした瞬間だった。

 ソーンの中には帝国兵が多く、中には入れないと考えてルピーが持っていたテントを張って、近くの森の中で過ごす事した。
 アレクも一緒にと言われたが、一人用のテントに一緒に入るなんて心臓が張り裂けてきっと死ぬと考えて、外で寝たいと話した。
 今までもずっとそうしてきたしと口から出なかった事は、アレクにとって奇跡的な幸運だった。

 そして、星の観察を始めるルピーと共に過ごす。
 ルピーは星詠みの家系の長女で、お母さんもおばあさんも同じような旅をしていたらしい。
 だから何があっても旅をやめる訳にはいかなかった。
 それでも、目の前で困っていた少年をほっておけなかった自分はまだまだ甘かったとルピーは話す。

「だから、アレクさんに助けて貰って、私は本当に幸せ者だなって思ったんです!」

(今の俺よりも幸せ者が、この世界にいる訳がない)

 心の声は出さずに、頭をボリボリと掻きながら返事をする。

「いや、まぁ、なんだろう?困ってる人は助けないとだしな。」

「アレクさんは本当にすごい人ですね」

 本題に入ろうとしたアレクは、自分の心臓の音がうるさくて堪らない。

「なぁ、えっとえっと、俺はさ、ルピーのその、星詠みの旅に……一緒に付き添いたいって思ってるんだけど…あ、いや!ほら!またいつあいつらが出てくるか分からないし!それに……えっと…」

 ルピーはクスクスと笑う。

「本当ですか?すごく嬉しいです。でも、アレクさんみたいに強い人なら、私よりももっと助けを必要としている人達を守って欲しいと思うんです」

 アレクは予想外の返答にまた頭が真っ白になってしまう。

「いや、おおおおお俺は強くないし……えっとえっとえっと………俺はどうしてもルピーを守りたいんだ!!!!!!」

 出せる限りの声で叫んでいた。
 ハッと気がついたアレクは、自分が今とんでもない事を言ってしまった事に気がつく。
 ルピーの顔を見ることが出来ない。
 そのまま空を、いや、何もない空間を見続けた。

「っ…フフフ…あはははは!」

 突然、ルピーの笑い声が響く。
 アレクは驚いてルピーの方を見ると、彼女は目に涙を溜めながら笑っていた。

「もう!いきなりびっくりするじゃないですか!」

「ごごごごごめん!ちがうちがう…えっと、そういう意味じゃなくて…俺は…俺は…」

「わかりました!同行をお願いします!」

「だから違うって……………えっ?」

 ルピーはお腹を抱えて笑うのを止めて、ニコッとアレクに微笑みかけていた。


 アレクは朝日の中、荷物をまとめて旅立つ準備を整え歩き出す。
 目の前に見慣れたルピーの影はなく、ただただ草木が生い茂る森を切り開いた道だけが続いている。
 横に歩くルピーは、なんだか楽しそうだった。

「なぁ、ルルルルピー…。その……ちょっといいか?」

「なんですか?アレクさん」

「そのさ、えっと、せっかくこれから一緒に旅をするんだ…。その“アレクさん”っていうの、やめないか?」

 ルピーは不思議そうな表情でアレクの顔を覗き込む。

「ええと、どうすればよいのでしょうか?」

「その……敬語も…やめにしないか?もう、ななな仲間なんだ!呼び捨てでいいよ!」

 彼女は一瞬空を見上げながら、アゴに人差し指を当てて考える。

「う~ん……そうですかぁ…。あ、いえ…そっか!アレクでいいかな?」


 この先、どんな敵が現れたとしても、ルピーと一緒にいればなんでもできるだろう。
 例えば、ルピーが大魔王に連れ去られたとしても、俺は必ず助けに行ける。
 凍てつく氷の海でも、灼熱の炎でも、雷鳴轟く雲の中でも。
ルピーの為なら、どんな強敵にだって立ち向かえる。
 歩を進めながら、横目でルピーの顔を見ると、目が合ってしまったのでとっさに視線を逸らす。

「うん!それで頼むよ…あ、改めて…その…こ、これからも宜しくな…」

「こちらこそ宜しくね!アレク!」
+ 白翼の麗剣シエロ
 獣境の村『ヴィレス』
 獣王ガレオスが統治し、多くのガルム族が暮らすこの村で、治安維持部隊の一員として任務に励むこの青年の名はシエロ。

「連れていけ……」

「ま、待ってくれぃ!悪かった!謝るからよぉ!」

 今回も村の住人から騒ぎの知らせを聞いて駆け付けたが、その実態は、昼間から泥酔した男が露店通りで暴れていただけのもの。
 しかし、そんな酔っ払い相手にも微塵も容赦はしない。
 兵士に引き渡される男は、半ベソを掻きながらシエロに許しを請う。
 その昂然とした態度に、周囲の目は冷ややかだ。

「さすがにやりすぎなんじゃねぇか……?」

 そんな言葉達はシエロの耳には届かない。
 彼が背負う覚悟と重圧は、軽々しい言葉で語られてはならないのである。
 ヴィレスに所縁を持つ貴族の名家に生まれたシエロ。
 彼ら一族は、ガルム族と他種族との政治的な橋渡しを担う事で、一種族だけでは成し得ない経済力、安定した治安、多種族融合型 の高い文化力をもたらし、この村を発展させた立役者だ。
 そんな先祖を持つシエロは、その偉業に恥じない言動を常に求められた。
 家の者、他の貴族、村人からも。
 年若い彼にとって、如何に過酷で、残酷なものだったか、想像できるだろうか。

 史上最年少で部隊に入隊し、期待に応えるべく、必死に結果を出し続けた。
 隊員や他の貴族達も、尊敬と称賛の声を惜しむ事はなかったが、それも今では……

「またかよ…しょうもない騒ぎで手間ばかり増やしてくれるぜ!」

「まだ多感なお年頃。善悪の境界線も曖昧なのでしょうなぁ……」

 がむしゃらに努力するシエロは、どんな小さな悪にも、全て等しく断罪の裁きを下した。
 そんな彼をちやほやしていた者達は、いつの間にか手のひらを返し、疎ましくさえ思うようになっていく。
 結果さえ出し続ければ、先代達の偉業にも並び、いつかは超えることもできる。
 そのために必要なのは、唯一信じられる己の力のみ。
 ますます結果を優先するようになったシエロの徹底ぶりに、もはや誰もその後ろをついて歩くことはせず、シエロは孤立した。
 ただ一人を除いては――

「きゃぁあああああ!!」

 一段落ついたかと思った矢先の悲鳴。
 しかし、村人の表情はむしろ冷めきっており、呆れた様子さえ感じられる。
 その表情はシエロも同じのようだ。

「やはり貴様か……エルネ!」

 念のために、とその場へ駆けつけるシエロ。
 が、場の状況を一目見て、疲れに似た何かがどっと押し寄せる。
 予想通り、そこには一糸纏わぬ姿となっている村娘と、娘に襲い掛からんとしている猫のガルムの姿。

「ニャ?」

 エルネと呼ばれたガルムは、シエロの声に振り向く。
 村娘は、自分の恰好を恥じらいつつも、必死に視線で助けを求めている。

「いい加減にしろ!貴様のせいで俺がどれだけ迷惑していると思っている!」

「また邪魔しに来たのかニャ……仕方ニャいニャ!」

 にじり寄るシエロに対し、建物の上へと跳び上がり、逃走を図るエルネ。

「逃がすか!」

 シエロもすかさず翼を広げ、エルネを追跡。

「ニャ!?女の子をまっぱのままにしておくなんて紳士の風上にも置けニャいやつニャ!」

「実行犯が言えたことか!貴様を逃がせば、新たな被害者が出るだろう!」

「アヒルに猫が捕えられると思うニャよ!」

「……また俺をアヒルと……このバカ猫がぁ!」

 文字通り、治安維持を目的とした部隊に所属するシエロが、エルネの犯行を防ごうと動くのは当然だが、問題は、エルネもまた同じ部隊に在籍しているという事実にある。
 しかも、基本的にツーマンセルで行動することを旨とするこの部隊において、エルネのバディはシエロなのであった。

「見失ったか……また、監督責任を問われることに……!」

 何故、自分があんな奴と組まなければならないのか。
 全て一人で片付ける覚悟と自信を持つ自分が、よりにもよってエルネと組まされている事をどうしても受け入れることができない。
 既に貴族として一定の地位を持つシエロ。
 先代達に負けぬ評価を得るために足りないものは実績。
 その為、彼が自身に課した目標は「ヴィレスでの力の統制」だった。
 まずは師団長、やがては総督の座へと就き、王と共にさらなる国の発展に従事する。
 足を引っ張るエルネの存在は足枷以外の何でもない。

 結局、今日もエルネを捕らえることができないまま、急に王の呼び出しを受け、王宮へとしぶしぶ足を向けたのであった。



 ――王宮にて

「急に呼びつけてすまぬな。シエロよ」

「はっ!とんでも御座いません」

 獣王ガレオスと、その前に跪くシエロ。
 シエロの家がもともと懇意にしていた貴族であることもあり、ガレオスはシエロに対し、親心に似た感情を抱いていた。
 こうして時々、直接シエロを呼出しては、言葉を交わす機会を設けている。

「また、エルネに逃げおおせられたそうだな……」

「私の監督不行き届きに御座います……面目次第もございません」

 誰とツーマンセルを組んでもうまくいかなかったシエロが、最後に強制的に組まされたのがエルネだった。
 噂では、周囲の反対を押し切ってまでそれを行ったのは、他でもないガレオスだという。
 一体、どのような意図がそこに……

「ふふ……いずれはなんとかせねばならぬが……今日呼んだのは別件だ」

 当然だろう。
 エルネの行動は確かに問題だが、負傷者などが出るような緊急事態とは言い難く、そのことだけを話すのであれば、急な呼び出しなどしない。

「如何様な任務でも果たして御覧に入れます」

「うむ。最近、近郊の森にて賊による強盗事件が多発しておる。これの解決を頼みたい」

「強盗?」

「奴らめ、味を占めたのか、特に最近は貴族ばかり狙った犯行を繰り返しておってな。それも女性ばかり」

「それは我等の威信にも関わる事態。直ちに部隊を編成し、討伐にいきます!」

「それがな……どうやら内部に不穏分子が紛れているようだ。何度か賊の情報を調査させたのだが、決まって直前に雲隠れされ、まったく尻尾が掴めぬ」

「情報を流している輩がいる、と……?」

「認めたくはないが、その通りだ。部隊で動くとなると、情報も漏れやすい」

「そこで、我々に白羽の矢が立った……というわけですね」

「危険も大きいが……引き受けてくれるか?」

 先人達が築き上げてきた威光に泥を塗る不埒者。
 彼の性格を考えれば、こういった類の連中が最も許せないということは明白だろう。

「承りました。王より賜りし厚い信頼。必ずや、応えて御覧に入れます」

 了承しながら、作戦を頭の中でシミュレートし、最も公算の高い選択肢を選ぶシエロ。

「無暗に探りを入れて、不穏分子に勘付かれては元も子もありません。ここは直接、賊の拠点を突き止める方向で動きます」

「うむ。油断せぬようにな」



 ――翌日

 事件について被害者から聴取を行った結果、必要な情報を揃えることはできた。
 襲われたのは、決まって女性。
 恐らく馬車の中を確認して、襲いやすい人物を選んで犯行に及んでいるのだろう。
 さらに、犯人は単独犯ではなく、集団であること。
 それも、ならず者ではなく、組織的に行動している節があるという。

 これらの情報を吟味した上で、対応策を練り、淡々と準備を整える。
 そして、その日のうちに事件現場である森に向けて馬車を駆り出発した。
 彼が座る御者台の隣に、バディであるはずのエルネの姿はない。
 任務ともなると、バディであるエルネを同伴させるべきでは。
 否、結局のところ、シエロは他人を頼るという考えは持ち合わせていないのだ。
 唯一信じられるものは、ただ己の力のみ。
 これまでも、そしてこれからもそうするだけだ――



 ――数時間後

 現場に到着したシエロは、早速、賊をおびき寄せるための罠の支度へと入った。
 自らが囮となり、賊を誘い出し、連中を締め上げてアジトの位置を突き止める。
 この作戦のキーは、自分をどこまで囮として機能させられるかという点に尽きる。

「ちっ……我ながら、とてもじゃないが、誰かに見られるわけにはいかないな……」

 木陰に身を隠しつつ、シエロは記憶の奥を探る。
 貴族達が集うパーティー会場。
 そこに連なるご令嬢たちの姿。
 プレゼント用だと偽って購入した服に袖を通し、母の化粧台から拝借した道具で自分なりにその姿を再現していく……

「こんなところか……」

 木陰から出て、傍に広がる湖の水面に映る自分の姿を、やや恐る恐る確認する。
 ぼやけた記憶と、初めての経験。
 それらから作られたと思えば、その出来栄えは十分に満足のいくものだった。
 囮を演じるため、女装することで貴族の令嬢を再現したシエロ。
 これ以上ない作戦だと確信しつつ、馬車へと乗り込む。
 そして、湖のほとりを回るように馬を歩かせた。

 ………………

 陽は昇り、また沈んでいく頃、湖を中心に三十周はしただろう。
 当初、満ち溢れていた自信はもはや見る影もなく、歩き続けて疲れた馬の足取りは、そんなシエロの心境を表しているようだった。

「何故だ……」

 情報が漏れていたのか?
 女が一人で馬車を駆る姿が不信感を?
 力無く握られた手綱を軽く引き、馬の足を止めた彼は、呆然とうなだれる。

 ――失敗?俺の力では無理なのか……?

「そんなはずはないっ!」

 ふと頭をよぎる考えを甘えと断じ、振り払うように地に拳を叩きつける。

「おまえ……鳥か?マジで鳥ニャのか!?キモッ!おえっ!!」

「な!?何故貴様がここにいる!?」

 聞くだけでドロッとした感情が湧いてくる声。
 誰よりも今の自分の姿を見られたくなかった人物。
 その張本人であるエルネが突如現れる。
 あまりの思わぬ展開に、常にクールに振る舞うシエロの冷静さはあっけなく砕け散った。

「いや、村で女の子を何人まっぱにしても鳥が現れないから………ちょっと気になっただけニャ」

「……ほう?女を剥くことにしか興味を示さんバカかと思いきや、他人の心配をするくらいの配慮はできるんだな」

「ニャハハハ!鳥が邪魔に来ないもんニャから、女の子達をまっぱにしすぎて、みんな家に閉じこもっちゃったニャ。おかげでヒマになったニャ……」

「少しでも貴様を褒めてしまった自分を許せそうにない……!!」

「んで?キモイ恰好して、ニャんの遊びニャ?正直、声をかけるかどうかけっこう迷ったニャ」

「任務だ、たわけが!この辺りで貴族女性を狙った強盗が相次いでいる。俺が囮になって犯人をおびき出し、一網打尽にする作戦だ!わかったら帰れ!」

 とにかく理由を説明して、エルネを追い払おうとしっしっと手を払う。

「……は?」

 その言葉を聞いた途端、エルネが発する気配が瞬く間に変質。

「オマエ、女子をニャめてんのか……?」

「なに?」

「それで貴族のお嬢様のつもりかって聞いてるんニャ……」

「な、なんだ!?」

「ニャんだそれ!?そんニャ胸元パッカー、背中パッカーの恰好、オマエの周りの女子達は発情期のメスしかいニャいのか!?」

 何故エルネが怒り狂うのか、どんな理由で自分が叱られているのかを理解できない。

「胸も詰め物してるだけニャ!?変装する気があるニャらちょっとは気を遣うニャ!どうせパンツも男もののままニャ!?ニャめてるニャ!ニャめきってるニャ!!」

「囮捜査だぞ!?見えもしないところにまで気を回す必要など―」

「うるさいニャ!貴族なら、職人技の光る繊細なレースで見事に飾り付けられた純白シルクの高級パンティくらい用意してみせるニャよ!!」

「論点がずれてきている!だいたい貴様の趣味など――」

「見られる予定がニャくても、万が一!そんニャ事態に備えて毎日パンツにも気を遣うのがマジもんの女子ニャ!!」

「恥知らずなバカ猫が!下着などお構いなしに裸に剥きまくる貴様が――」

「恥ずかしいのはオマエの恰好ニャ!アホ鳥!宝箱が貧相じゃ開けるときのワクワクが減るアレと一緒ニャ!!」

「バ、バカ猫の分際で……変にわかりやすい例えを――」

「メイクもニャ!なんだそれ!?顔面にヘドロぶちまけられたアヒルみたいにニャってるニャ!!」

「なに?記憶では皆このような――」

「正気ニャ!?お嬢様達が聞いたらオマエぶっ殺されるニャ!そもそもパーティー仕様でこんニャ森の中うろつくニャ!!」

「いや……あまり、女性というものを注意深く見た経験が――」

「それでも男ニャ!?オマエん家のメイドさんを観察すれば良かったニャ!!パニエやドロワーズまでしっかり装備したマジもんの素敵メイドさんニャんだぞ!!」

「待て!うちのメイドにまで手を出したのか!?」

「あと!オマエくっさいニャ!どんだけ香水使ったニャ!?匂いだけで強盗追っ払えそうニャ!」

「そ、そうなのか……!?」

「香水は纏うものニャ!水浴びしたいニャら、今すぐそこの湖に飛び込むといいニャ!」

「……す、すまん」

「わかったら女子力磨いて出直して来い!クソ鳥ぃ!!」

 自分の立てた作戦が失敗したからか。
 それともエルネに予想外の叱責を食らったからか。
 いつにも無く落ち込むシエロ。

「いや、その恰好でシュンとされてもキモイだけニャんだが……鳥らしくニャいんじゃニャいか?」

「……」

 普段は絶対に見られないシエロの様子。
 これにエルネは、やれやれ言わんばかりに提案を持ちかけた。

「はぁ……特別ニャ…今回だけニャ!エルネが手伝ってやるニャ」

 手伝う。
 一人で何でもこなしてきたシエロが久しく忘れていた言葉。

「な!?だ、誰が貴様の手など!」

「とりあえず、そのキモい顔を一回リセットするニャ」

「だから話を聞け!それから、さっきからキモイ、キモイ、キモイと何度も――ぶっ!!」

 シエロの頭を掴み、湖に沈めるエルネ。
 もがき苦しむ彼の姿を見下ろすエルネは、どこか嬉しそうな、悦に浸っている様子。

「ぶはっ……!げほっ……げほっ……!」

「ニャハハ。キレイにニャったら、次はメイクだニャ!」

「む、無茶苦茶な……!」

 こうして小一時間程かけ、完成した真の女装シエロ。
 メイク、服装、髪型、全てをプロデュースしたエルネ本人さえもうろたえる出来栄えだった。

「やばいニャこれ……鳥だと知らずに遭遇したら即まっぱニャ…」

「これが……俺、なのか……?」

 シエロもまた、水面に映る自身の顔に、エルネと同様、驚きを隠せずにいる。


 シエロにとって、今回のように誰かの協力を得て何かに取り組んだ例は初めて。
 あのまま一人だったら自分はどうしていただろうか、と考える。

「このまま任務続けるのニャ?」

「無論だ。溺れさせられたりと散々だったが、今回はこの功績を認めて不問にしておいてやる」

 どうも調子が狂う。
 早く任務に戻っていつもの自分を取り戻さねば。

「あとは俺が一人で何とかする。貴様は村に戻れ。くれぐれも騒ぎは起こすなよ?」

「作品の力をこの眼で見たい気も……ま、ここには女の子もいニャいし、そうするニャ!」

「その立派な耳には、都合の悪い部分の話は入らんらしいな…!」

「じゃ、あとは頑張るニャ!」

「……ああ」

 こうしてまた一人、任務へと復帰するシエロ。
 心に引っかかる小さな異物のような何かを握り潰すように、力を込めて手綱を振るう――

 ――それは訪れる。
 予想よりもずっと早く。
 エルネと別れ、馬を歩かせること三十分と程度だろうか。

「止まれ!!」

 シエロの乗る馬車の前に、急に飛び出してきた人影。
 フードを被ったまま大きく手を広げたそれに、馬が驚いて暴れだす。
 手綱を強く引き、馬を落ち着かせつつも、シエロは瞬時に周囲の気配を探る。

(……四……五。いや、木陰にもう一人。六人か)

 馬車を囲む形で影が五つ。
 少し離れた木陰に気配が一つ。
 止まった馬車にゆっくりと近づく影の手には、ナイフが握られているのが見える。

「……お嬢さん。お一人でお散歩かい?」

 警戒している。
 通常、主人である貴族が馬車を自分で操ったりはしない。
 恐らくは荷台の中、もしくはこの近くに付き人か護衛がいると考えているのか。

「妙だな……ま、すぐに済ませて戻ればいい」

 貴族の令嬢であることは疑われていない模様。
 エルネに仕立ててもらったこの姿が、違和感を誤魔化すほどの力を発揮している。

「馬車から降りて、金目の物を出しな。大人しくすれば手荒な真似はしねぇよ」

 声で正体が悟られぬよう、口は開かず、ただ静かに頷く。
 そして、シエロは手綱を離した手をそのまま足元へと伸ばした。

「ん?何をして――」

 ――ダンッ!

 足元に忍ばせていた剣を掴んだシエロは、目にも止まらぬ速さで木陰の気配へと飛ぶ。

「なん――」

 いきなり目の前に現れた剣を携えた令嬢。
 とても冷たく、鋭い眼光により、凍ったように身体が硬直する。
 驚きで上げかけた声は、描かれた剣線により寸断。

「やはり術士か。貴族の護衛を相手に立ち回るには、この程度の用意は当然だな」

 人形のように倒れた術士の上で、その生死を目視で確認するシエロ。
 一対一ならまだしも、集団戦において、遠距離から攻撃を仕掛けてくる術士や遊撃士は相性の悪い敵だと言える。
 この状況下で、真っ先にそれを潰しにかかった判断は正しく、結果、これが勝敗を分かつ要因となる。

「き、気を付けろっ!ただの貴族の娘じゃねぇ!」

「安心しろ。殺しはしない。聞きたいことがあるからなっ!!」

 ものの数分の出来事だった。
 抵抗らしい抵抗もできないまま蹴散らされた賊たちは、無残に地に転がる。

「思いのほか楽に片付いたな……」

 馬車のキャビンに隠していた縄を取り出しながら、アジトの場所をどのように聞き出すか頭を巡らせる。
 だが、その結論が出るよりも早く、近づく複数の人の気配を察知した。

「ちっ……中継役を用意していたのか?思ったよりも知恵が回る連中だ!」

 馬車を盾にするように身を隠したシエロは、気配の正体をそっと確認する。

「ご無事ですか、シエロ様!?どちらに!?」

 シエロの名を呼ぶ男の声。
 それは……ヴィレスの兵士が二人。
 キョロキョロとこちらを探している様子。

「何事だ?賊なら既に御覧の有様だ」

「その、お姿は……?」

「あ……こ、これは任務のために仕方なくっ……!」

「そ、そうでしたか……あ、これは失礼しました!我々、ガレオス王よりシエロ様を救援せよとの命を受け、馳せ参じた次第であります!」

 一人で発つことまで予想していたのか。
 差し向けられた救援は、まだ完全に自分の力が認められていないことを意味している。

「ちっ……」

「それにしても、さすがですな!お一人でこの人数を!」

「問題ない。貴様らの出番を奪うことになってしまったか?」

「はっはっは!いえいえ、我々の出番はここからですので……お気になさらず」

「なに?」

 その不審な返答に、体を兵士へと向けた瞬間だった。
 ガンッという重い音と共に、後頭部を襲った強い衝撃。
 瞬く間に意識が遠くなっていくのを感じる。

「き……さま……ら…………」

 背後にはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべるもう一人の兵士。
 手にした棍棒をぽんぽんと手の平で遊ばせながら、シエロを見下ろす。

「まだ意識があるのか……しぶとい野郎だ。おい、もう一発かましとけ」

「く……そ…………」
(…………エルネ)

 ――ガンッ!

 シエロの意識はそこで途切れた――



 ―― それから間も無く

「ニャ……?」

 再び湖まで戻ってきたエルネ。
 シエロを心配したというのも彼女の中にあるのかもしれないが、それよりもただ、なんとなく嫌な感じがした。
 その場を一目見て、エルネは漂う違和感に気が付く。
 暴れたであろう馬の蹄の跡。
 荒れた地面と大人数の足跡。
 微かに残る血の香り。
 だが、そこにシエロの姿はない。

「クンクン……鳥の匂いはするニャ。でも……何で森の奥に匂いが続いてるニャ……?」

 エルネは匂いを辿り、森の奥へと進む。
 彼女の鼻は、人間ではとても感知できない程の匂いも敏感に察知する。
 真っ直ぐにシエロの元へと急行できたのは、シエロが女装時に用いた香水の匂いが、後を追う者を導くように道を残しているおかげだった。

「追いかけやすくて助かるニャ!鳥のやつ、狙ったわけじゃニャいだろうニャ……ニャ?」

 走ることおおよそ十分。
 夜目の利くエルネの視界に、小さな灯りが微かに浮かぶ。
 人の目では到底認識できない距離で灯りを見つけたエルネは、速やかに足音を殺し、そのまま腰を低くして、獲物に這い寄るようにしながら、ゆっくりと近づいていく。

「なんでも貴族のご令嬢を捕まえてきたって話だぜ?」

「あぁ?おれは女装した変態だって聞いたぞ?」

 聞こえてくる聞き覚えのない声。
 その内容から、シエロのことを指していると確信。

「鳥のやつ……しくじりやがったニャ……」

 こうして事態を把握し、捕らえられたアジトを発見したエルネ。
 まずは彼の正確な居場所を掴むため、行動を開始する。
 いくつか見える木造の建物。
 匂いである程度の位置に当たりを付けるエルネだが、やはり直接視認する必要がある。
 足音は勿論、息さえも殺しながら建物へと近づいていく。
 建物の入口や、通りに立てられたタイマツの火が煌々と揺れる。
 もはや夜目など利かなくとも、一目でエルネの姿は発見されてしまうだろう。

「……女の子をまっぱにする時とはまた違うドキドキ感ニャ……」

 建物の前までなんとか辿り着くことに成功。
 窓から部屋を覗き込むと、壁に縛り付けられているシエロの姿があった。
 両腕を頭の上にあげ、縄で壁に括りつけられている。
 さらに、自由を奪うようにはめられた手枷。
 部屋の奥には、机に頬杖をつきながらウトウトと頭を揺らす見張りらしき男――

 ――カコォーン

「ニャ!?」

 乾いた音。
 状況を観察していたエルネの肩口からずり落ちた弓。
 それが意図せずタイマツを倒してしまったのだ。
 音に真っ先に反応したのは、見張りの男。
 驚いたように目を覚まし、部屋を飛び出してくる。

「だ、誰だてめぇ!?曲者だ!曲者がいるぞぉおおおおお!」

「しまったニャ!」

 身を隠す時間もないまま、存在が露見してしまうエルネ。
 しかし、そこは流石の猫のガルム。
 建物の上に軽く跳び上がり、風のように駆け抜けて森の中に姿を隠す。

「森に逃げ込んだぞ!追えぇえええええ!!」

 木の上へと駆け上ったエルネはそう簡単には見つからない。
 暫らくは森を探し回っていた賊達だが、徐々に諦めてアジトへと戻っていく。

「あ、危なかったニャ……!」

 ――ガサッ

 一息つく間もなく、不審な物音に身体をビクンと緊張させる。
 枝の影からそっと物音がした方向を確認すると、ヴィレスの兵士が見えた。

「……エルネさん……どこですか?我々は味方です」

 小声で周囲に呼びかけながら、エルネを捜し歩く男。
 味方の姿に安心したエルネは、音を立てないように木を降りる。

「ヴィレスの兵士さんニャ?」

「うぉ!?び、ビックリさせないでくださいよ……!」

 そのまま小声で事情を聴く。

「シエロ様が捕まったと聞き、王の命令でここへ来ました……」

「こんニャとこにいるからビックリしたニャ……」

「我々もですよ……森からアジトの様子を伺ってたのですが、そこから逃げてくるエルネさんを見た時はどうしようかと……」

「ニャハハ……ちょっと失敗したニャ……」

「まずは作戦を練りましょう…こちらへ。仲間を集めてあります」

「わかったニャ」

 エルネが兵士に近づいたその時だった。
 ふわっと彼女の鼻孔を刺激する香り。
 他でもないシエロが使っていた香水の匂い。

「…………ところで……鳥にはもう会ったかニャ?」

「……いえ?我々はここに着いたばかりですよ?」

「ニャるほど、ニャるほど……じゃあ、何でオマエから鳥の匂いがするニャ!?」

 シエロが兵士達に不意打ちを受けたあの時。
 薄れゆく意識の中で、なんとか自分の痕跡を残そうとしたシエロは、懐に持っていた香水を兵士に吹きかけていた。
 エルネならこのメッセージに気付くことができると、図らずもシエロが託した想い。

「ぐっ!勘のいいヤツ!おまえらぁああ!こっちだぁああああ!」

 メッセージに気付かなければ、恐らくそのまま賊達の中心へと投げ出され、シエロ同様に捕らわれの身となっていたことだろう。

「見つけたか!?どこだ!?」

 周囲から集まってくる多数の敵の気配。
 森の中とはいえ、このまま身を隠し続けることは難しい。
 結果、この状況は、エルネをシエロの元へと走らせる。

「そっちへ行った!男を助けるつもりだぞ!!」

 監視役としてアジトに残っていた者達がエルネの前へ立ちはだかる。

「邪魔すんニャ!!」

 背水の陣の中、孤軍奮闘のエルネ。
 押し寄せる敵の波を、その俊敏さを活かし翻弄。
 降りかかる無数の敵意を必中の弓で射ち落としていく。

「くそっ!挟み込め!男に近づけるなっ!」

 だが、奮闘虚しく、一人で打開出来るほど容易な戦闘ではなかった。
 体力と気力は徐々に削られ、手持ちの矢まで尽きかけている。
 この時、賊は見張りすらも出払い、全軍を挙げてエルネを捕らえようと必死になっていた。

「よぉし!追い込んだぞ!」

「ぐぬぬ……!」

 崖を背にする形で追い込まれてしまうエルネを、十数人の男達が囲む。
 残った矢も、今では最後の一本を残すのみ。

「よく頑張ったな子猫ちゃん!だが、ここまでだ!」

「……ニャハハ……ニャめんなよ盗人如きが!」

 それでも尚、その目に諦めの色は微塵も感じられない。
 むしろ、今日一番の集中力と気合で弓を引き絞るエルネ。

「あぁん!?今さらどうにかなるとでも思ってんのか!?」

 眼前で吠える男を歯牙にも掛けずに狙いを定める。
 彼女の発する気合と殺気に気圧された男たちはたじろぐ。

「フッ!」

 放たれた渾身の一矢――

 ――しかし、それが男達に突き刺さることはなかった。

「…………え?当たってねぇ……よな?」

 キョトンとした表情で、自分達の身の無事を確認する。
 結果、矢は男達から逸れ、明後日の方向へと飛び去った。

「ニャハハ……もうだめニャ……」

 最後の矢も失い、エルネに戦う術は残っていない。
 消耗しきった彼女は、ここでとうとう力尽き、あえなく男達に捕らえられてしまう。

「はっはっは!最後は残念だったな!」

「ふぃ~……どうなるかと思ったぜ!」

 ――ゴトンッ

 曲者を退治したことを喜ぶ男達。
 だが、全員が出払ってしまった故に、アジト内の建物、その一室で、何か重たい物が床に落ちたような、そんな音が響いた事実に気付いた者はいなかった――

 ――何の音だ?

 捕らえられた後、戦闘の気配で意識を取り戻していたシエロ。
 間も無くして見張りの男が部屋を出た。
 部屋に一人残された、またとない好機にあるにも関わらず、動けずにいる自分を恥じ、目をつむり、唇を噛みしめる。
 そこへ聞こえた『音』に目を見開く。
 目の前の床に転がるのは、自分の自由を奪っていたはずの手枷。
 ハッとなり手元を見上げると、手枷を打ち抜き、深々と壁に突き刺さった矢。
 見慣れた矢は、賊と戦闘を行っている人物の正体を悟らせた。

「バカ猫が……とんでもない借りを貸し付けてくれたものだな!」

 見張りが戻る前に、矢じりで縄を切り拘束を解く。
 そして、そのまま息を殺して部屋の入口の横に隠れた。

「やれやれ……手間かけさせやがっ――むぐぅ!?」

 程無くして帰ってきた見張りが入口をくぐった瞬間、背後からシエロがその口を塞ぐ。

「動くな。そのままゆっくりと俺の目を見ろ……!」

 首元に突き付けられるエルネの矢。
 言われた通りにシエロの目を見た男は戦慄。
 底の見えない深さと冷たさを秘めたそれ。
 直感的に、逆らうことを諦めさせられた。
 幸いなことに、先の戦闘を終えたことからの油断か、警戒の気配は緩い。
 武器庫まで男を案内させても、難なく辿り着くことができた。

「剣は返してもらうぞ……ん?これもだ……!」

 武器庫に放り込まれていた愛用の剣。
 そしてさらに、剣に引っ掛けられていたのはエルネの弓。
 予想はしていたが、自分を助けた後、やはり逃げることは叶わなかったのか。
 複雑な思いでそれらを握り締めるシエロ。
 男を縄で縛りつけ、猿ぐつわをはめさせる際に、男が纏っていたローブを拝借。
 それから、弓が並べられた台から、矢を一束。
 奪った大きなローブは、シエロと身体と、腰と背にかけた剣と弓矢をすっぽりと覆い隠す。

「いくか……」

 命を省みずに自分を助けたエルネ。
 自分の判断ミスが生んだこの状況。
 今まで感じたことない想いを感じつつ、今度はエルネの救出へとシエロが動き出す。
 エルネとの一件を終えた賊達は、立て続けに不測の事態に陥ることなど考えてもいない。
 ましてや変装した敵が自分たちの周りをうろついているなどとは思いもしないだろう。
 一番大きな建物の中を覗き込むと、首領と思わしき大男と、例の裏切者のヴィレス兵二人が盃を交わしていた。
 その目の前で、壁に縛り付けられているエルネ。
 敵は三人。
 シエロは一度、深く深呼吸をし、意を決した表情で部屋の中へと踏み込む。

「た、大変です!捕らえた男に逃げられましたっ!」

「何だとぉお!?」

「そこの女とやり合ってる時に逃げられたようで……!」

「ニャ?」

「次から次へと面倒くせぇ!すぐに全員集めろ!!」

「それと、もう一つお耳に入れたいことが!」

「ちっ……こんなときに何――かはっ!」

 男がズイッとシエロへと顔を近づけた瞬間、その顎をシエロの膝がかち上げた。

「て、てめぇ!何してやがる!?」

 味方であるはずの人間が同志を攻撃する現場を目撃した男達。
 すかさず腰の剣に手をかけようとするが……

「ニャハハ!」

「うぉっ!?」

 エルネが伸ばした足で二人を前へと蹴り飛ばす。
 そのまま前のめりになりながらシエロの間合いへと突き出された男。
 シエロは、鞘に刺したままの剣を思い切り男の脳天へと振り下ろした。

「はぁ!」

 解放されたエルネは、縄の跡の残る手首を少し痛そうにすりすりとさすりながら、床で気を失っている男を踏みつける。

「よくもやってくれたニャ!このっ!このっ!」

「……いろいろと言わなくてはならんこともあるが、まずは残った賊を蹴散らすぞ」

「ニャ?このままヴィレスに戻って、援軍呼んじゃった方がいいんじゃニャいか?」

「ダメだ。ヴィレスにまだ裏切者がいる可能性もある。まさかとは思うが、ガレオス王までも敵となっていることさえあり得るしな」

「ニャ!?なんでニャ!?」

「俺が襲われた時、兵士は俺の名を呼んだ。俺がそこにいると知っていたからだ。ヴィレスから後を付けたのか、または王の命令で動いたか、恐らくはこのどちらか……」

「なるほどニャ~……まあ、時間をかけて逃げられでもしたら、また女の子に悪さするニャ。放っておくわけにもいかニャいニャ」

「貴様の弓も取り返しておいたぞ。武器庫にあった矢も付けておいてやる」

「おぉ!ありがたいニャ!」

「よし……今ヤツらは油断している。一気にケリをつけるぞ!」

「ニャ?そういや……今度は俺が一人で何とかするって言わないのニャ?」

「……は?」

 エルネに指摘されて初めてその事実に気付かされた。
 口に手を当て、自身の変化に驚きを隠せないシエロ。

「まぁ、ここまできたら手伝ってやるニャ!せっかく助けてもらったことだしニャ!」

「ふん……これ以上、借りは作りたくないものだが……たまにはこうしてツーマンセルを組んで臨む任務も悪くないだろう」

「ニャハハ!じゃあ、ちゃっちゃとやるニャ!」

「ああ!」

 部屋を飛び出した二人。
 その姿は、まるで競い合うかのように敵を探し、手当たり次第に打ち倒していく。

「な、なんだ!?また曲者か!?」

 事態を完全に把握できていない状態で奇襲を受ける賊達。
 軍団としての機能取り戻すまでの間に、二人はその戦力の半分を消耗させた。

「ちっ……纏まりを取り戻してきたな……!エルネ!援護しろ!」

「忙しいやつニャまったく!」

 陣形を組み、数という戦力差で二人を押し返そうと構える男達。
 その群れに向かってシエロが駆ける。

「この野郎!一人でどうにかなると思って――ぐはっ!」

「エルネもいるニャ!」

 援護射撃により、男が一人射貫かれ、前衛に亀裂が走る。

「そこだぁああああ!」

 水の力を纏い、亀裂を裂くように高速で突撃したシエロ。
 陣形の中心へと侵入したシエロは、そのまま高速の剣戟を繰り出す。
 まるで一つの巨大な生き物の腹の中で暴れまわる獣の様だった。

「同時に襲い掛か――がっ!」

 隙となるシエロの背後をエルネの弓が守る。
 たまらず陣形は散り散りになり始めた。

「ちくしょう!たった二人相手にこんな……!」

 みるみる内に崩壊していく陣。
 その後衛には数人の術士達が身構えていた。
 だが、自分の攻撃が味方を巻き込む恐れがあるため、前衛の真っただ中で暴れるシエロに手を出すことができない。

「あの娘だ!ヤツを先にやるぞっ!」

 混乱する戦場を挟んで、術士達とエルネの目線がぶつかる。

「させるかぁ!」

 この動きに即座にシエロは反応。
 遠距離攻撃を互いに打ち合う場合、手数が多い側が圧倒的に有利だ。
 エルネの危機をカバーするため、前衛から抜け出し、後衛へと斬り込む。

「ま、待て!?前衛は何をやって――ぎゃぁあ!」

 抵抗の隙を与えないまま後衛を殲滅するシエロ。
 しかし、またしてもその背後には、追い打ちをかけようと、斧を振り上げる男。

「油断したな小僧!これで――ぐぉ!?」

「甘いニャ!」

 同時攻撃に対処することが難しいシエロだが、遠距離からの射撃があれば問題はない。

「バカ猫!術士がまだいる!」

「鳥!頭下げるニャ!」

 エルネの矢が最後の術士を貫いた瞬間、シエロもまた、最後のナイフ使いを斬り倒す。

 得手不得手を補い合う見事な連携。
 まるで熟練のバディ同士が見せる、舞うような戦闘だった。

「はぁ……お、終わったかニャ?」

「あぁ……なんとかな……」

 勝利の美酒が、疲れ果てた二人の心を満たしていく。
 シエロは今回の任務が一人では絶対にクリアできなかったこと痛感。
 これまで自身がどれほど無謀で、がむしゃらにやってきたのかを理解した。
 孤独ゆえの限界。
 協力することで生まれる力。
 この戦いはシエロにとって、かけがえのない成長を与える結果となる。


 ――数日後

 今回の一件の功績を称えられ、ガレオス王から勲章を授かることとなったシエロとエルネ。
 裏切った兵士達は、賊が送り込んでいた密偵で、ガレオスは介在していなかった。

「此度の働き、誠に見事であった。ヴィレスを代表し、貴殿らへの感謝と、その功績を称えさせてもらう」

 静かに目を閉じ、王の前に並んで膝をつく二人。
 その胸に勲章が掲げられた時、シエロは小声でガレオスへと質問を投げかけた。

「王よ。今回の件で、新しい自分の在り方を見出すことができました。貴方様はこうなる結果を予期していらっしゃったのではありませんか?」

「ふっふっふ……余はきっかけを与えたに過ぎぬ、貴殿の心があってこその結果だったのではないのかな?」

「……ふふ……お戯れを」

 勲章授与式を終え、帰路を共に歩くシエロとエルネ。

「ニャあ、鳥?さっき王様に何のこと聞いてたニャ?」

「あぁ……たまにはツーマンセルでやってみるのも悪くはなかったって話だ」

「やっとエルネのこと認めたニャ!?」

「か、勘違いするなよ!?たまたま、あの場合は二人でやった方が効率良かっただけだ!」

「素直じゃニャいニャ~……でも、エルネも鳥と組んで、一人じゃできなくても、二人ならできることがあるってこと知ったニャ!」

「……貴様、本当に理解しているのか?」

「ニャにを!?だったら実際に証明してやるニャ!」

「お、おい!何だいきなり!?」

 強引にシエロの腕を掴み、どこかへ走り出すエルネ。
 彼らが到着したのは、村の中でも最も人通りの多い広場。

「で、何ができるって……?」

「ニャハ~……鳥と一緒に戦った時に思いついた、鳥とエルネしかできない連携必殺技ニャ!」

「なんだと!?戦闘中にそんな発想を……!」

「いくニャ!鳥ぃ!」

「こ、ここでやるのか!?」

「まずは水ニャ!いっぱい、いっぱい出すニャ!」

「よくわからんが、それで連携技になるのだな!?よ、よし……はぁああああああ!!」

 大地に手を突き、渾身の魔力を込める。
 次第にシエロを中心に大地は揺れ、力に呼応するようにいくつもの水柱が立ち昇った。

「ニャァアアアアア!」

 それに合わせ、エルネが手にする矢に魔力を込める。
 放たれた風の力を纏った矢は、広場を旋回するようにしながら水柱を貫いていく。
 巻き上げられた水は風と折り重なり、暴風雨の如く吹き荒れた。

「こ、これ程の技になるとは……!!」

「ニャハハハハハハ!」

 少しして、落ち着きを見せ始める風力。
 シエロは賞賛の言葉をかけようと、思わずエルネに駆け寄る。

「エルネ!貴様もやればできるではないか!やっと少しは成長したよう――」

「「きゃあああああああああ!」」

「は……?」

「見ろ!鳥ぃ!」

 水浸しになった広場。
 当然、広場にいた村の人間は全員、頭から水をかぶったようにびしょ濡れ。
 その結果、女性達の衣服は肌に張り付き、その裸体が透けて見える事態に陥っていた。

「これがエルネの見つけた新たな可能性……『透け』だニャ!」

「……貴様」

「どうニャ!?まっぱとは違った良さがあるニャ!?」

「このため俺を使ったのか……?」

「蟻ん子一匹逃がさず、漏れなくずぶ濡れニャ!ニャ?漏れは無いのにずぶ濡れ……ニャハハハ!うまいこと言ったニャ!!」

「このバカ猫がぁああああ!粛清してやる!そこへなおれぇええええええ!!」

 こうして新たに生まれ変わったツーマンセル。
 これから彼らがどのような成長を遂げていくのかは、また別の話で――
+ 復讐と断罪の剣豪ロイエル
  冷たく暗い牢獄。
 水滴の音が響いている。
 俺は落ちていく雫を静かに眺めながら、オヤジの事を思い出していた――

 イエルのスラム街を束ねていたオヤジは、孤児だった俺を育ててくれた。
 そんなオヤジの背中に憧れた俺は、仕事について行きたくていつも駄々をこねる。

「なぁオヤジ、俺もそろそろ仕事に連れてってくれよ。もう十分強くなっただろ?」

 オヤジはニカッと歯が見える豪快な笑みを浮かべると、俺と同じ目の高さに合わせるようにかがみ込んでから話した。

「はっはっは!!お前みたいなガキには、まだ仕事は任せられねぇな。剣を自分の手足のように使えるようになってから、出直して来い!」

 そう言ってオヤジはいつものように笑いながら、俺の頭をグシャグシャと乱暴に撫でてから支度を始める。

 ――なんだよ、子供扱いしやがって!

 一度も仕事に連れて行ってもらえない事に不満を抱いていたが、オヤジの豪胆で屈託のない笑顔を見るのが大好きだった俺は、心の中でそう呟き、その大柄な背中へと投げつけた。

 オヤジが仕事に出ている間は、オヤジの部下達が俺の剣を見てくれた。
 元海賊や元殺し屋と屈強で強面な奴らばかりで、最初はおっかなかったが、共に暮らしていくうちに、優しくも厳しい兄貴のような存在になった。

 子供だからと容赦しない彼らとの修行のおかげで、俺が14歳になるころには、スラム街にいるオヤジ以外の誰にも、負けなくなっていた。
 俺に打ち負かされた大柄な兄貴は、尻もちをつきながらも感心した様子で言う。

「イテテッ!……ったくよぉ、オヤジも連れて行ってやればいいのにな。こんなに強くなっちまったんだからよ!」

 俺は木剣を鞘に納め彼を助け起こしてから、少し興奮気味に話しだした。

「それがよ!オヤジが次の仕事について来いってさ!」

 その言葉を聞いた兄貴達は、顔を見合わせた後、自分の事のように喜んだ。
 俺の周りを囲むように集まると、乱暴に俺と肩を組んできた。

「やったじゃねーかロイエル!オヤジもお前を一人前って認めたみてぇだな!この野郎!なんで黙ってたんだよ!」

 そういうと兄貴はふざけて頭を拳で撫でて来た。
 俺は兄貴を肩から引きはがし答える。

「痛いって兄貴!!みんなを驚かせたかったんだよ!どうだ!驚いたろ?」

 それを聞いた兄貴達は、「生意気な奴だ!」と笑いながら俺をもみくちゃにしはじめ、終いには、男泣きする奴まで現れた。
 俺はそんな兄貴達をなだめ、照れ臭そうに笑いながら続けた。

「おいおい、なにも泣くことねぇだろ!!大げさだな!オヤジはしつこく、スラムを出て騎士団にはいる気はないのか?って言ってたが、それでも認められたのは、兄貴達が俺に剣を教えてくれたおかげだぜ!ありがとよ!」

 俺の感謝の言葉を聞いた兄貴達は、柄にもねぇなと笑い飛ばし、今日は祝賀会だと俺を担ぎ上げると、俺の制止も聞かずに騒ぎながら酒場へと歩き出した。


 オヤジは貧しい人のために戦うのが仕事だった。
 汚れ仕事も沢山するが、その報酬はスラムの子供や貧民街に分け与えている。
 時には貴族の犬として動く悪党どもに、制裁を加えることもあった。
 金や権力にモノを言わせる貴族には全くなびかず、対等な立場で戦える英雄……。
 やっとオヤジの背中に追いつけた。
 オヤジの背を護り、一緒に戦える。
 そんな日々が待っていると俺は胸を躍らせていた――


 オヤジと仕事を共にするようになってから半年、俺とオヤジはとある商人の護衛でイエルの外れにある廃墟に来ていた。
 日が沈み、雨が降っているせいで、月明りもない。
 明かりは商人が持つ小さなランプだけだった。
 廃墟の外の暗がりの中、俺は何かが光るのが見えた。
 光の正体を探ろうと目を凝らそうとした次の瞬間、オヤジは俺を庇って、矢で胸を射貫かれた。

 目の前の光景が現実として受け入れられない。
 オヤジが横たわり、濡れた廃墟の床に鮮血が広がっている。
 兄貴達の怒号、賊を追いかける兄貴達の足音、雨音が遠く聞こえる……。
 そんな中、オヤジが俺を呼ぶ声だけが、はっきりと聞こえた。
 息も絶え絶えのオヤジの身体を起こし、呼びかけると確かな強さがある声で話始める。

「ロイエル……お前は全うな道で生きろ。いつまでも、スラムにいちゃいけねぇ。スラムは部下達に任せるんだ……俺の背中は追うんじゃねぇぞ。これは俺からの最後の頼みだ……」

 オヤジの大きな手が俺の顔に触れる。

「何言ってんだオヤジ!!勝手にくたばろうとしてんじゃねぇ!!お、俺はまだ何も……オヤジに何も返せてねぇじゃねぇかッ!!」

 涙を流す俺の顔見たオヤジは、いつものように笑いながら俺の頭を乱暴に撫でると、眠るように息を引き取った。

 ――オヤジを殺した賊は結局見つからなかった。
 俺はスラムを出て騎士団の傭兵に志願すると兄貴達に告げた。
 最初はスラム街の出身者だからと舐められていたが、兄貴達に鍛えられた剣の腕で、多くの任務をこなし、騎士団では右に出る物がいないと言われるほど名を上げた。
 名声を上げればいろんな情報が手に入りやすくなる。
 俺の目的は最初からこれだった。
俺は、オヤジの最後の願いを素直に聞き入れられなかった。
 オヤジはきっと今の俺を見て怒っているだろう。
とんだバカだと。
 それでも俺は、オヤジの仇を探し出し復讐する。
 その為ならどんなことでもする覚悟があった。

 仕事が終わると酒場へ寄っては、オヤジを殺した人間の情報を探した。

 やっとのことでオヤジを殺した刺客の男の情報を得た俺は、夜道でその男の後をつける。
 男が一人になったタイミング見計らい、人気の無い路地へと無理やり連れ込み、背後から刺客の喉に剣を押し当てた。

「今から言う俺の質問にだけ答えろ。変な真似をして見ろ。すぐにお前の喉を斬ってやる」

 男は目線だけで背後の俺を見ようとしている。

「くっそ!てめぇ、何もんだ……がっ!」

 俺は剣を持つてに力を入れ、男の喉に強く押し当てる。
 男は少し苦しそうに口をパクパクとさせ、観念したのか大人しくなった。
 次はないと男に告げ剣にいれた力を緩めると、慌てた様子でしゃべりだした。

「わ、分かった。なんでもしゃべる。な、なにが知りたい」

「お前がスラム街のボス……カザシスを殺した刺客で、間違いないな?」

 俺が剣の刃を少しだけ、男の喉から離すと素早く頷いた。

「お前は、誰に雇われた?なぜオヤジを殺した。」

 知りたかった真実を目の前に、俺の腕に少しだけ力入り、男の喉に強く剣が押し当てられる。
 男は小さな悲鳴を上げた後、雇い主の名を吐いた。

 ――雇い主はイエルの三大貴族のシュレイドという男で、スラムのボスであるオヤジと対立していた貴族達の元締めということが分かった。
 敵の全貌が分かると、黒い気持ちが一気に込み上げてくる。
 シュレイドへの復讐へと目標を変え、刺客にトドメを刺し、その場を後にした。

 後日、騎士団より辞令が下り、シュレイド家の私兵として雇われることになった。
 情報を手に入れてすぐに……偶然にしてはできすぎている。
 確実に罠だと感じ取った。
 だがもしそうだとしても、俺にはもう止まることはできない。
 そして俺は――

 ふと、現実へ意識を戻すと牢の前には、私兵を連れたシュレイドが立っている。
 俺をゴミでも見るかのように見下ろし、歪んだ笑顔を見せる。

「滑稽だなロイエル。お前もあの薄汚いスラムのボス……カザシスと同じように死んで行くのだ。せっかく奴に助けてもらった命を自ら捨てに来るとは……私には全く理解ができんな」

 あまりのクズっぷりに笑いが込み上げてきたが、俺はその台詞を鼻で笑うだけに収め、冷たく鋭い怒りを込め、シュレイドを見上げる。

「オヤジを殺したのは、やっぱりお前だったんだな」

「いかにも……」

 俺の問いかけに悪びれるわけでもなくシュレイドは即答した。
 フツフツと怒りが湧きあがる。

「私が命じて、奴を殺した。馬鹿な男だ。お前のようなロクデナシを庇って死ぬとは、滑稽極まりない」

「俺を馬鹿にするのはいいがオヤジを馬鹿にするのは許さねぇ…」

「ふん、笑わせるな。ブタ箱の中で何ができるというのだ?お前は明日、私へ剣を向けたことによる、反逆罪で処刑される。良かったじゃないか。これでお前の大好きな“オヤジ”と再会できるのだ。感謝したまえ」

 そう言い残してシュレイドは去っていった。
 また、静寂が帰ってくる。
 聞こえるのは、水滴と看守が歩く音。
 俺はこんなこともあろうかと、下着の中に隠していた針金を取り出し、手枷を外した。

「とりあえず、ここを出ねぇとな……」

 幸いにも看守はたった一人。
 先ほどシュレイドについていた私兵と入れ替わったばかりだ。
 交代はしばらく来ないだろう。
 牢の扉を静かに開け、看守を後ろから絞め落し剣を奪う。

「俺が逃げることも想定されてると厄介だな……」

 気絶させられてから連れてこられたため、ここがどこだか分からなかったが、看守がシュレイドの私兵であるところを見るとどうやらシュレイド家の敷地内にある地下牢のようだ。

 階段を上りきると格子の小窓がついた、木製の戸があった。
 小窓から静かに辺りを見回す。
 戸のすぐ横に一人、少し離れた所に談笑する兵士が見えた。

「思ったよりも手薄でありがたいが……俺も舐められたもんだな」

 戸を勢いよく開け、外へと飛び出し、俺の姿に気がついた兵士を素早く切り伏せる。
 その騒ぎに気がついた兵士が、声をあげ応援を呼びだした。

「ちっ!まだいたか!……戦っても切がねぇ。走り抜けるしかねぇか」

 目の前に立ちふさがる兵士達へと真っ直ぐ走り、次々に剣で薙ぎ払う。
 何とかシュレイド邸を抜け、商業街の人込みへと紛れた。

「これで、しばらく時間が稼げるだろ」

 俺は一息ついてから、これからどうするか少し考えた。
 シュレイドへの復讐はまだ、諦めたわけじゃない。
 奴の寝首を掻くなら、しっかりとした装備が必要だろう。
 俺は、無茶な使い方をしたせいでボロボロになった、兵士の剣を見た。

「いつまでも兵士から奪った鈍らを使うわけにも行かねぇしな。
そういや隠れ家に行けば鎧とオヤジの剣があったな……」

 スラム街にある隠れ家へと進路を決め走り出す。

 スラム街への入り口に差し掛かった時、人気の無い路地裏から騒ぎ声が聞こえ足を止めた。
 路地を覗くと、兵士に囲まれた貴族の少女が杖を構えているのが見えた。
 どうせ貴族のワガママに兵士が振り回されているんだろう。
 ここにいる兵士は6人程度だが、少女を探している兵士が他にもいる可能性がある。
 別の道を行ってもいいが、ここで下手に動いて、スラム街に逃げ込む俺の姿が兵士に見つかれば、兄貴達に迷惑がかかるかもしれない。
 まったく面倒なことばかりだな。
 仕方ない、ここは迂闊に動かず様子を伺うか……。
 じりじりと詰め寄る兵士達の足元に、少女は躊躇なく魔法を放ち威嚇する。
 おっかねぇ御令嬢だな。
 お転婆ってどころじゃねぇぞ。
 俺が容赦ない攻撃に関心している間に、少女はすっかり兵士達に追い詰められてしまっていた。

「道を開けて下さいっ!どれだけ貴方達が止めても私はこの街を出ます!!」

「レティシア様!これ以上は!…お父様も心配されてます!どうしてもというなら力ずくでも…」

 剣を構える兵士達に臆さない少女は、杖を強く握り、兵士達へと一歩踏み出した。

「止めると言うなら覚悟してください!貴方達でも容赦しません!私達貴族が街の住民をおとしめるようなこの街を私は変えなきゃいけないんです!」

 この街を変える……?
 俺はその言葉に苛立ちを覚えた。
 オヤジにもできなかったことをお前が?
 大層なもんだな…本当にそんなことができると思ってるのか?
 杖を構え続ける少女の顔を物陰から伺う。
 その目は今まで見た何よりも強い意志を帯びている。
 少女の表情に貧しい人のために戦うオヤジの顔がよぎった。
 オヤジ……もし、俺に復讐以外の道があるなら、今がその時なのかもしれねぇな。

「面白ぇ。ひとつ、お嬢様を試してやるか。俺が脅してもブレねぇなら本物。そうじゃなきゃ、ただの不満だけ言う、ワガママなお嬢様ってとこだな。まずは、邪魔者を掃除してやるか……」

 にやりと笑みを浮かべて、兵士たちに声をかける。

「おいおい。お前ら、エスコートの仕方も知らないのか?」

 その台詞に振り返った兵士達は、俺の顔を見るなり驚いた様子で剣を構える。

「き、貴様!!ロイエル……!なぜここに!?お前は投獄されたはずじゃ……」

「悪いがじっとしてられる性分じゃねぇんだ。それじゃ、そのお嬢さんを放してもらうぜ?」


 兵士達を気絶させ、少女へ目を向けた。
 少女には怯えているような様子は無く、兵士達を心配そうに見つめていた。

「安心しろ、眠ってるだけだ、そのうち起きるだろ」

 その言葉で少女は俺の方へと向き直る。
 彼女は礼を言おうとしたのか口を開こうとするが、俺は剣を向け遮る。

「お前、さっき街を変えたいとか言ってたな?貴族様ってのは、自分さえ良ければそれでいいんじゃねぇのか?俺のオヤジは街を変えようと、少しでも良くするために戦ってた。だから、消された。例えお前がどんだけ偉い貴族様の御令嬢でも、そんなことしたらただじゃ済まねぇだろ。なぜ変えようと思う。利益のためか?」

 少女は向けられた剣を気にも留めず、俺の言葉に真っ直ぐな目で答えた。

「貴方が私達貴族にどの様なことをされてきたか想像もつきませんが、それを知らないまま生きていくのは嫌です!知っているのに何もできないのはもっと嫌!!私は、私の大好きなこの街の住民を護りたい!それ以外に理由なんていりません!たとえ私の家が地位を失うことになっても……。大好きな人達を護るためなら喜んで私は捨てましょう!」

 突然、大声で言い切った彼女に驚いてしまった。
 彼女なら本当に何かできる、そんな気がする。
 もし、オヤジならこんな時どうするだろうか。
 オヤジの笑顔が頭をよぎる。
 それと同時に心の底から笑いが込み上げてくる。

「はははははっ!面白れぇ!でも、さっきみたいに囲まれて逃げ出せねぇようじゃ、用心棒が必要なんじゃねぇか?」

 俺のその言葉に少女は真剣な表情で悩みだした。



 イエルを出た俺は、とある街へと隠れ家を移した。
 用心棒や賞金稼ぎの真似事でなんとか生活をしている。
 仕事終わりに酒場でひとり酒を飲んでいると、酔った男が話かけて来た。
 どうやら相当酔っているようで、酒場にいる連中みんなに話しかけて回り、俺のところに流れ着いたらしい。

「なぁにいちゃん、あの噂を聞いたか?」

「何だ?面白い話なんだろうな?悪いが、くだらない話なら遠慮させてもらうぜ?」

 男は手に持っていた酒を一気にあおると、マスターに追加の酒を頼む。
 俺から離れる気はないようだ。

「へっへっへ!まぁ聞けよ!イエルの大貴族、シュレイド家の頭首に剣を向けた傭兵がいるんだってよ!……なんでも、スラムのチンピラ上がりで、剣の腕だけでのし上がった奴らしい。妙な剣技を使うとか……。捕まるときも、何人もの兵士をやっちまったって聞いたぜ」

 イエルから離れた小さな街にも伝わってるのか。
 噂ってのは恐ろしいな……。
 尾ひれも沢山ついていそうだが、飛んでもないスピードで伝わるもんだ。
 相手は酔っ払い、しかし、警戒するに越したことはない。
 俺は剣をいつでも抜けるようにしながら、話を合わせた。

「ふっ!大層な奴だな。一度手合わせしてみたいもんだ……」

「にいちゃんも腕に自信があるってのか?ははははっ!なんでもそいつは最近脱獄したらしくてな…。貴族の御令嬢…レティシア嬢を拉致して逃げちまったんだってよ!そいつの首にとんでもない懸賞金がついてるらしいぜ?」

 なんだか、俺の知らないところで面倒なことになってるな。
 流石、貴族だ。
 都合の悪い事は全部俺のせいか。
 愉快なことこの上ない。
 あいつはちゃんとうまくやっているだろうか?

「おっさんもその懸賞金目当てでその男を探してるのか?」

 俺はそう質問しながら、気づかれないように剣の柄に触れた。

「と、とんでもねぇ……!化け物の相手なんざ俺はごめんだ!まだ死にたくねぇからな!」

 そう言うと男は、マスターが持ってきたばかりの酒を一気に飲み干した。
 男に敵意はないと判断し、俺は続きを話し始めるのを待った。

「この街でその”ロイエル”って男が潜伏してるって噂だ!貴族に雇われた賞金稼ぎやらなんやらが大集合だ!おっかなくて酒でも飲んでなきゃやってられ……」

 その時、突然酒場の扉が勢いよく開けられ、飛び込むように一人の少女が入って来た。
 大きな音に酒場の全ての会話が打ち切られる。
 少女は、俺の姿を見つけるや否やその場から大きな声で話し出した。

「ロイエルさん!大変です!すぐにここを出ましょう!!外に傭兵の皆さんが……あっ……えーと……」

 言葉の途中で、酒場中の人間の注目を集めていることに気がついた少女は、その場で苦しい愛想笑いを見せながら、立ち尽くす。
 ご丁寧に扉の横にある張り紙には、彼女とまったく同じ顔が描かれた行方不明の張り紙が並んでいる。
 俺はため息を吐き、ジョッキの酒を飲みほした。

「おっさん、わりぃが用事ができちまった。あー……一つその噂に付け加えるとしたら、そのレティシアってお嬢様は世界を変える為に旅に出たんだ。ちっぽけな力で何ができるかわからねぇが……それでも、自分の意志でイエルを出た。イエルで”一番強い用心棒”をつれてな!」

 そう言い残して、酒場の入り口で愛想笑いしながら立ち尽くしているレティシアに声をかける。

「いつまで、そこに突っ立てるんだ?逃げるんだろ?というかローブはどうした?お前、目立つから着てろって言ったじゃねぇか?」

「動きづらかったので、捨てて来ました!急いで教えたかったので仕方がありません!」

 彼女は我に返ったのか、焦りながら苦しい言い訳をしている。
 後先考えないほど真っ直ぐな彼女に先が思いやられる。
 酒場の外には、街中から”俺達”を狙いに来た連中であふれていた。

「ロイエルさん!私も加勢します!」

 杖を構える彼女の言葉に呆れながら、俺も剣を構える。

「ったく!少しは反省しろよ!……しゃーねぇ!行くぞ!レティシア!」

 俺達はお互いの背中を護りながら、平和な未来を信じて旅を続けた。
+ 甘き夢見る恋風のミーユ
「えっと、この依頼なら一人でも出来るかな?」

 酒場の張り紙に注意深く目を通し、出来るだけ高額、且つ自分一人でも出来そうなものを見繕う。
 最初は傭兵なんて出来るのか不安でいっぱいだったが、少しずつ慣れてしまうものだ。

「よし、これにしよう」

 一枚の依頼書を壁から剥がし、酒場の奥のカウンターへと持っていく。
 ある貴族の地下倉庫に大量発生しているネズミ退治。
 剣を持つ事にも慣れてきたミーユにとっては、至極簡単な依頼に見えた。

「すみませーん。この依頼を受けたいんですけど……」

 商業都市イエルについてから、何ヶ月が経っただろう。
 エムルの街を駆け落ち同然で飛び出してから、大陸の各地を歩き回って、最終的にこの街に辿り着いた。
 クライスが探しているものはまだ見つかっていないし、どこにあるのかも分らない。
 それでも、情報が一番入ってくる都市に身を置く事が一番の近道だって彼が言うもんだから、結局この街で生活をする事になった。

「はい、じゃあ頑張ってね」

 酒場の女性が笑顔で依頼書に判を押すと、スカートの裾を翻して酒場を後にする。

 初めての単独での仕事。
 内容は簡単であるはずなのだが、いつも隣にいる“うるさい奴”がいないという事に、一抹の不安を感じる。
 それでも、顔を両手で叩いて自分に言い聞かせた。

「いつまでもあいつに頼ってちゃダメ。私一人だって大丈夫なんだから!」

 そう、今回は一人で片づけなければならないのだ。
 もうすぐ訪れるバレンタイン。
 今の生活では、チョコレートなど高価なものを買う余裕なんてどこにもない。
 だからこそ、せめて原材料であるカカオを買う資金を自分一人の力で調達する。
 『もしそれが出来なければ、この胸の気持ちを伝える資格なんてない』という自らの気持ちを問うような縛りをつけたのは、同棲状態であるにも関わらず、何も進展のない関係に終止符を打てない自分への戒めだ。
 逆に言うと、このミッションを遂行した暁には『想いを伝える資格』が手に入るという事だろう。

 色々な考えや想いが絡み合う少女から導き出された答え。
 はたから見れば笑ってしまうのかもしれないが、彼女はどこまでも真剣なのだ。

「この門が家の入り口なのかしら?大きいわねぇ……」

 故郷のエムルで一番大きな家だった、長老ドロウスの屋敷でも、目の前に聳える巨大な建物からすればオモチャの様に見えるかもしれない。
 今の自分の格好で屋敷の中に入って良いものかどうか、少しの間考えた後に、門に付いている鐘を鳴らしてみた。

 カァーーン……

 ほどなくして貴族の衛兵だろうか、鉄のヘルムを付けた男がやってくる。

「なんだお前?ここになんの用だ?」

「えっと、私、酒場で依頼を受けてきたんですけど……あっ!これです!」

 自分の場違い加減に頭が真っ白になりかけたが、なんとか依頼書を取り出して男に見せた。

「おぉ……なるほど。ついに来たか。ふむ……こっちだ、付いてこい」

 ミーユを頭のてっぺんからつま先まで眺めた男は、何かに頷くと門を開き中へ招き入れた。

「地下倉庫はワインの保管庫になってる。中にはお前らのような庶民がどれだけ汗を流しても口に出来ないような高級品もある。無茶に暴れて壊したりでもしたら報酬はないと思え」

 歩きながら男はたっぷりと嫌味を含んだ説明をしてくる。
 この街に来るまでよく知らなかったが、貴族という人種はどこまでも偉そうで、雇われている人間までもその権力を振りかざしているように見えた。
 どうせ目の前にいる男もただの雇われ兵で、生活水準は良くても中の上。
 でなければ、雨風に晒される門番などしていないはずだ。
 話に出ている貴重なワインの香りをこの男が知っているとは思えない。

 しかし、これも仕事のうちだと割り切れるのは、ミーユも少し大人になったということなのかもしれない。
 いや、もっとひどい戯言をここ数ヶ月毎日のように聞いているからかもしれないが……。

「ここだ。この階段を下った正面の扉を開け。そこが地下倉庫だ」

 男は薄暗い階段を指差した。

「じゃあ行ってきます」

「くれぐれも気をつけろよ」

 どこまでも偉そうにしている男を尻目に、階段を慎重に降りていく。
 足を進めるにつれて、少しジメジメとしながらもひんやりとした空気を頬に感じる。
 正面の扉に手をかけると、ギギギという音を立てながら漆黒の闇がミーユを迎え入れた。

「なるほど……ネズミが好きそうな場所ね」

 ほのかに熟れた果実のような香りの室内。
 日の光は一切なく、1メートル先の視界もない状態だった。

 ポケットに入っていたマッチを取り出して火をつけると、壁掛けのランプが目に入った。
 そのままランプに火を灯すと、地下倉庫の全貌が見えてくる。

「さて、ネズミちゃんはどこかしら?」

 壁一面に規則正しく並んでいるワインの瓶を眺めながら、目的のネズミを探すミーユ。

「おかしいわね……全然いないじゃない」

 辺りを注意深く観察するが、ネズミどころか、その足跡や齧り跡なども一切ない。

「どういう事かしら……」

 地下倉庫の中をグルグルと散策するも、その痕跡を見つける事が出来ずに困り果てるミーユ。
 いっその事、このまま『無事に退治しました』報告をして報酬を貰うという事も頭によぎる。
 しかし、それは正当な報酬ではないような気がして、首を振る。
 そんな事をしては、『想いを伝える資格』が手に入らないような気がしたからだ。

「持久戦かしらね」

 もしかしたら深夜にならなければ出てこないのかもしれない。
 ネズミの習性というものを少し調べてからくれば良かったと後悔しながらも、床に腰を下ろしてその時を待つ。
 足を止めると、ひんやりとした空気が急に肌寒さを感じさせてきた。

「寒いわねぇ……もう……なんでこんな思いしなきゃいけないの」

 段々この状況が腹立たしくなってくる。
 よく考えれば、あんな門番を雇える程の人物であれば、自分の兵士にネズミ退治をさせれば、わざわざ街の傭兵に仕事を頼む事もなかったのではないか。
 ネズミの駆除もできないような兵士であれば、それはもう兵士と言えるのだろうか。
 それなら自分の方がよっぽど優秀なのではないか。
 来るはずもない敵に備えて、門の前に立ったまま訪れる民間人に睨みを効かせている仕事に誇りはあるのだろうか。

「あぁ!もうイライラする!なんでこんなに寒いのよ!隙間風が吹いてくるし!」

 気がつけばブツブツと独り言を始めるミーユ。
 両腕を擦りながら、寒さと戦う時間が続く。

「寒い寒い寒い寒い!!……あれ?」

 その時、ミーユは一つの疑問を持った。
 この風はどこから吹いているのだろうか。
 降りてきた階段からこの地下倉庫に来るまでに分かれ道はなかったはずだ。
 入り口が一つしかない地下倉庫ならば、風が通る事もない。

 ならば、この風はどこから来ているのだろうか。

 人差し指をペロリと舐めてから、風の方向を確かめる。
 風は地下倉庫の奥から入り口に向かって吹いていた。

「穴でも開いてるの……?ネズミの通る穴って所かしら……」

 人差し指を上に立てたまま、風の出処に向かって歩いていく。
 こうしていると、風と共に生活をしていた故郷を思い出す。
 そういえば街を飛び出した時も、風に頼って2人で歩いていた。

「えっ?なにこれ?」

 風の出処は、大きな樽が並べられた壁だった。
 この壁に穴が開いてるとでも言うのだろうか。

「もう……面倒くさいわねぇ……」

 ブツブツと文句を言いながらも、重たい樽をひとつひとつ転がして動かしていく。

 そして、出てきたのは壁に取り付けられた木の板。
 複数の木の板が何枚も何枚も重なり、壁を補強しているようにも見える。
 その隙間から、あの冷たい風が部屋の中に入り込んでいた。
 しかし、その隙間はどれも小さく、とてもネズミが入り込めるような大きさではない。

「向こう側に何かあるのかしら……?」

 この壁の向こう側に、今回の依頼の答えがあるのかもしれない。
 体勢を低くして、なんとか木の板の間から壁の向こう側を覗こうとするも、小さな隙間の奥には闇が広がっており、何も見る事は出来ない。

「壊すのはまずいわよねぇ……」

 ミーユはその場で暫く頭を悩ませる。

 その時、確かに彼女の耳に何かが届いた。



 ガキキキ……カカカカ……



「えっ!?何!?」

 風の音ではない。
 なにか、硬い物同士がぶつかるような音。
 木の枝よりも硬い……骨のような……。

「何!?なんなの!?」

 何か背筋に冷たいものを感じる。
 嫌な汗が吹き出す。
 この壁の向こう側に、何かがいる。

 ガシャ……カタカタカタ……

 不気味な音は続いている。
 それも、除々に、こちらに近付いてきている。

「いや……もう……なんなのよぉおお!!!」

 カシャ……カシャ……ガカカカ……


 除々に近付いてくる音は、ついにミーユの目の前まで迫った。


 ……ドンッ

「きゃぁっ!!」


 突然、見つめていた木の板に何かが当たり、物凄い音を立てた。
 驚いたミーユは後ろに飛び退いて尻もちをつく。

「何っ!?なになになになになになに!??」


 ……ドンッ……ガンッ……ガッ……バキ……メキメキ……

 木の板は、何かに殴りつけられているようで、音をたてながら割られていく。

「もう!来るなら早く来なさいよ!!」

 恐怖が頂点に達したミーユは、この時間が早く終わるならばなんでもいいと、声を震わせながら怒鳴りつける。

 ……バキンッ……


 ミーユの想いが届いたのか、木の板はバラバラに砕け散り、その奥から何かが出てきた。


 ガキキキ……

 暗闇の奥から気味悪く伸びてきたそれは、人間の手のような形をしながらも、細く、関節がむき出しになっている。

「ア、アンデッド!?」

 それが骨であると認識したミーユは、腰から剣を取って構えた。
 壁にぽっかりと空いた穴から姿を現したのは、全身真っ白の骨。
 頭をミーユの方向に真っ直ぐと向けた魔物は、そのままミーユに襲いかかる。

「もう!どこがネズミなのよ!!」

 必死に魔物の攻撃を剣でいなしながら、体勢を整える。
 あの門番の男のような兵士に解決できなかった事も、この依頼がやけに高額だった事も、全て納得できた。
 今思えば、『ネズミ退治に高額の報酬を出すなんて貴族はお金の価値観が全く違うのだろう』と浅はかに考えていた自分は馬鹿だった。

「やってやるわよぉおおお!!」

 剣を構えて一気に踏み込む。
 そして魔物の胴体目掛けて一気に剣を振り抜いた。

 ズバンッ――

 手応えは確かにあった。
 剣を鞘に仕舞い、ふぅっとため息を付く。

「よし……これで――」

「ディストラクションデモリッション!!!」

 突然部屋に響き渡った声。
 その声の正体は、ミーユがこれ以上聞きたくない程聞き慣れた、あの男の声だった。
 そして、目の前に倒れていた魔物の亡骸に突然短剣が刺さる。

 ……ガガガ……カッ……カッ……

 魔物は苦しそうな声を上げた後、一切動かずに絶命したようだった。

「ク、クライス!!!」

「詰めが甘いぞミーユ。このシュバルツカオスは胴体を切ったくらいでは死なない」

「なんでこんな所にいるのよ!?私を追ってきたの!?」

 この任務は自分一人で遂行する筈だった。
 絶対にクライスにはバレないように、髪を切りに行ってくると宿を出てきたのだ。
 そうまでして、用意をしてきたというのに、目の前にクライスがいるこの状況が全く理解できない。

「ククク……俺はどこまでも歪んでいる……闇の力に呼ばれれば、吸い寄せられるように来てしまうのだ。この力があるからこそ、俺はバベルへ近づけるのだ!!」

 ミーユ訳:ミーユの行動を不思議に思って尾行してきたんだ。

「何がおかしかったっていうの!?私は普通にしてたじゃない!」

「隠し事のある者はガイアに漆黒の影を落とす。それがルナティックワールドの理。選ばれし使者の瞳にのみ、漆黒の影はエンボディするのだ」

 ミーユ訳:何か隠してるように見えたよ。

「はぁ……大体分かったわよ……。クライスの言葉はよくわからないけど」

「ミーユ。この先にまだシュバルツカオスが待っている。俺達を呼ぶ声が聞こえる。何か、邪悪な者の存在だ。まさか……!ククク……面白くなってきたじゃないか……!!」

 ミーユ訳:まだ先に何かあるから確かめに行こう。

「えっ?ちょっと待って!あっ!もう!クライス!!」

 体勢を低くしながら魔物が通ってきた穴の向こうに進んでいくクライス。
 仕方なくミーユも後を追う。
 穴を抜けた先は、地下倉庫よりも随分と湿気が高く、ゴツゴツとした岩肌でできた、まるで洞窟のような場所だった。
 クライスは炎の魔素を扱いながら、少しずつ視界を取って奥へ奥へと進んでいく。

 思ったよりも洞窟は広い。

「貴族の屋敷の下に何故こんな場所があるの?何か知ってるの?クライス!聞いてるの!?」

「静かにしろミーユ。……この強いインディケーション……感じるぞ……インヴィクタの断片か……それとも……」

 ミーユ訳:この先に嫌な気配があるから気をつけてね。

 進んでいく2人の足取りから、不安の色が伺える。
 この先に待つものは、見てはいけないもの……何故かその確信があった。



 そして――



「なるほどね。これじゃあまともな依頼が出来ないのも頷けるわ」

 ミーユは目の前にしたものを見て、ため息を吐いた。

「ミーユ……どういう事だ……?」

 クライスは真剣な眼差しでミーユを見据える。

「クライス?ここまで来ちゃったのは仕方ないけど、私はここの主に報告をすませないと報酬が貰えないの。貴方は不法侵入みたいになっちゃうからこのまま帰って」

「フッ……そういう事ならばいいだろう……。俺は引き続きアブソリュートゼロへの手がかりを探しに行く。この件の後処理は任せたぞ」

 ミーユ訳:分かった。先に帰るね。

 クライスと別れたミーユは、まずは門番の男の所へ向かい、この屋敷の主へ報告する為に謁見を申し出た。
 門番の男は依頼を遂行したというミーユの顔を疑い深い目で見ながらも了承し、主の部屋へと案内する。


 コンコン――

「失礼します。酒場に出した依頼を終えたという傭兵が参りましたので、お通ししても宜しいでしょうか」

「構わん、入れ」

 部屋へと通されたミーユは、まずは依頼書を主へと差し出し、更にひとつ、あの洞窟内で拾った物を手の平に乗せて見せた。

「それは……なんだね?」

 不思議そうな顔をする主。
 ミーユは臆することなく話を進める。

「人の骨です」

 主の表情が明らかに曇ったのを、ミーユは見逃さなかった。

「ほ、ほぉ……なぜそんなものを?どこで見つけたのかね?」

「地下倉庫から繋がっている洞窟がありまして、その奥で見つけたんです」

「ど、洞窟!?」

「はい。ご存じないという事はないかと思います。その洞窟に繋がる壁が何度も補強されたように木の板が打ち付けられていましたから」

「…………」

「洞窟を進んでいくと、このお屋敷の井戸に繋がっていました」

「っ……!」

 主の眉間にシワが寄る。

「井戸の真下に、このような骨が沢山落ちていました。何故かは解りませんが……」

 ミーユは主の表情を見ながら、冷静に話を進めていく。

「わ、ワシは何も知らんぞ!!」

 机を叩きながら取り乱す主。
 ミーユは冷静に冷静に話を進める。

「そして、その亡骸がアンデッドとなっていました。私はそのアンデッドの魔物を討伐してきましたので、もうあの地下倉庫は安全だと思いますよ。あと、ネズミもいませんでしたので。依頼は達成したという事で良いでしょうか?」

 最後にニコっと笑いながら、主を見下ろす。

「……わかった。報酬を払おう……」

 額を汗で滲ませながら、主はそっと机の引き出しに手を掛ける。

「あ、でもアンデッドの退治は依頼にはございませんでしたので、追加でその……」

「わかった!!倍額払おう!それでいいか!?」

 ミーユはニコっと笑ってからお辞儀をした。

「ありがとうございます!」



 報酬の一部で大量のクレアシオンカカオを購入したミーユは、宿へと足を運ぶ。
 あそこで貴族の悪を暴いた所で、きっと小さな自分達は貴族という大きな組織に葬られてしまう。
 自分は小さい。
 エムルを出てから、散々その事を痛感した。

 だから、彼がいつか大きな力を手に入れるまで、私は彼をサポートしたい。
 本当に手に入れられるかどうかなんて分らない。
 『この世界のバベルとなる』
 彼がいつも言っているその『バベル』というものが何だかは分らない。
 それでも、彼には夢がある。
 私にないものを沢山持っている。
 そんな彼だからこそ、こんなにも愛おしく思うのだろう。

「ただいま!クライス?ちょっと外に出てて」

「なんだ?俺は今いにしえの古文書の解読が忙しいのだ。悪いが今は……ぐぁああ!!」

 クライスのマントを引っ張り、無理矢理外へと追い出す。

「私はちょっと極秘でやらなければならない事があるの。2時間くらい外にいてくれるかしら?」

「何……!?ふん……なるほど……そういう事か。ククク……ミーユ。お前もついに盟約の儀式に手を出すのだな……。いいだろう!俺は外を散歩してくる。この街にもシュバルツカオスが迫っているかもしれないからな!」

 何をどう勘違いしているのか、はたまたバレてしまったのか。
 ミーユには判断が出来なかったが、何にせよクライスが外に出ていってくれた事にほっと胸を撫で下ろす。

 彼は常人には理解が出来ない事を沢山口にする。
 だからこそ、私が最高の理解者でありたい。
 欲を言うなら、少しはああいう発言は控えて欲しいけれど、それを取ってしまったら彼でなくなってしまう気もする。
 きっと、彼のそういう部分も含めて、好きになってしまったんだろう。

「それじゃあ!チョコ作り頑張りますか!」

 これを作ればきっと言える。
 この気持ちを伝えられる。
 だからこそ、最高のチョコを作るんだ。
 この街、いや、この世界で一番のチョコを。


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最終更新:2017年07月28日 16:51