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+ 恋獄の暗殺者リーズレット
「なんだ貴様等は!!!」

 イエルの資産家である男は、今この瞬間まで何不自由ない生活を送っていた。
 目を覚ますと、見知らぬ男と少女が枕元に立っている。
 何が起きているのか、男には想像する事すら難しいだろう。
 屋敷の中は勿論、門にも配置した筈の兵士達はいったい何をしているのか。

「誰か!こいつらをつまみ出せ!」

 大きな声を上げるが、屋敷の中は静まり返っている。

「リーズレット……」

 黒いスーツに身を包んだ男は、少女に声を掛けた。

「はい」

 少女は無表情のまま返事をした。

「誰なんだお前達……っ……!!」

 突然、声が出なくなった。
 何が起こったのかは分からない。

「詰めが甘いぞ。見ろ。まだ目が動いている」

 スーツの男の手が頭上に伸びる。
 手には短剣が握られていた。
 その短剣を見て全てを悟った。

 暗殺家系の一族の持つ赤い短剣。
 貴族の男から聞いた事があった。
 金さえあれば、人の命すら奪う組織がある……と。

 表には決して出ず、影の仕事をする者達。
 痕跡を残さずに人を消す暗殺者。
 そんな者を雇い、自分を殺そうとする人間を思い浮かべる……。
 多すぎて絞り込む事も出来ない。

 しかし、このまま何もできず死ぬのは嫌だ。
 伝えなければ…………。

「見ろ、この男は書くものを探している。分かるか?」

 ベッドから手を伸ばしてサイドテーブルの上を漁っている。

「死にそうになった者は、何かを伝える事に必死になるのだ」

 少女は黙ってスーツの男の言葉を聞きながら男を見続ける。

「確実に息の根を止める事を覚えろ」

 短剣が男の胸元に振り下ろされた。
 男の身体は動かなくなる。

「ごめんなさい。お父さん」

 少女はその光景を見ながらも顔色を変えずに、ただジッと、もう動かない男を見続けた。

「謝って済む問題ではない!」

 スーツの男がリーズレットの腹部を蹴りつけると、少女はその場に倒れこむ。

「ほう……よく胃液を現場に吐かなかったな。偉いぞ」

必死に口を抑え耐えるリーズレット。
 声も出さず、咳き込む事もせず、身体を丸めて息が整うまでただひたすら耐えて待つ。

「よし、帰るぞ」

 父は少女を気にもかけずに、部屋から出ようとする。
 リーズレットはなんとか立ち上がり、父の後を追った。


 初めて父に連れて来られた現場。
 人を殺すという事は、彼女にとって思ったよりもあっけないものだった。


 代々、暗殺を仕事とする家系。
 一族が住む屋敷に産まれたリーズレットは、幼い頃から、仕事をする為に徹底された教育を受けてきた。
 それは一族の掟でもあり、この運命から逃れる事は死を意味していた。
 しかし、この家に産まれたリーズレットにとっては日常的に行われる訓練が当然のものだと考えており、特に疑問に思う事もない。
 幸せな家庭を知らない事。
 それは彼女にとって救いでもあり、この生活を続けざるを得ない絶望でもある。

 夢を持ってはいけない。
 人と深く関わってはいけない。
 人に好意を持ってはいけない。

 仕事に支障が出るであろう要素はことごとく禁止されていた。
 一流の暗殺者になり、一人で仕事が出来るようになる事。
 それだけがリーズレットに課せられた使命であり、目指す目標であった。

 家長を務める父は、一族の中でも優秀な暗殺者。
 その父だからこそ、リーズレットへの行き過ぎた教育は加速していく。
 できて当たり前。
 できない時には体罰。
 一族の者達の中には、リーズレットに同情する声もあるにはあったが、掟を破る事となる為、皆一様に見て見ぬふりをしていた。

 そんな父に育てられたリーズレットは、父の技をひとつひとつ盗み、自分のものにしていく。
 ストイックな父の英才教育の賜物か、はたまた生まれ持った才能か、リーズレットのナイフ捌きは父も目を見張るものがあった。


 父に連れてこられたイエルの街。
 初めて見る活気ある街並も、リーズレットには少しの感動を得ることもなかった。
 同じ年頃の少女であれば、異国の文化に心を踊らせ、道行く人々に興味を持つものだが、彼女にとって他人は殺害するものであり、少しの期待もしていない。
 強いて言えば、父のように隙なく歩く人間がいない事に多少の違和感を覚える程度だった。

 宿に戻り、いつものように会話もなく椅子に座る。
 シャワーを浴びた父が部屋に戻ると、また出かける準備をしていた。

「私は次の仕事に行ってくる。夜には戻る」

 そう言うと、父はドアを開けて出かけていった。
 リーズレットは連れて行って貰えない事に脱力する。
 あの男を殺しきれなかった事を父はまだ怒っているのだろうか。
 自分に足らないものは……。

 リーズレットは宿の鍵をかけ、一人街に出かけた。
 気配を消し、誰にも見つからないように宿を出る。
 これも父から教わった隠密の技術。
 これだけの人の目がある街中を、誰にも勘付かれずに歩ければ父も認めてくれるだろうか。
 物陰に隠れながら、人々を観察する。

 ここから4歩で、まずあの人の背中を刺す。
 倒れこむ人に目がいった2人目の横に回り込んで首を落とす。
 その流れで3人目もいけるけど……4人目は少し距離がある……なら一旦馬車に身を隠してから近寄った所を……。

 頭の中でシミュレートした殺害計画はエスカレートしていく。

 122人目と123人目の喉を掻っ切った所で、一度周りに人はいなくなる。
 ひと目につかない安全な所に退避しないと……。

 リーズレットは目に止まった家を見上げる。
 地上3階建の建物にはバルコニーが各階についていた。

 バルコニーと雨よけを伝っていけば……いけるかしら?
 直ぐにその家の庭へ侵入すると、音もなく屋根の上へと飛び登った。

 目につく所の人間は全員殺した。
 まだ人がいるとすれば……小さな路地。

 大通りから外れた細い路地が見えた。
 屋根から屋根へと素早く移動して、細い路地を見下ろしてみる。
 路地には3人の男の姿が見えた。
 もし、大通りで仕事をしたならば、あの3人は見ているかもしれない。
 疑いのある者は全て消す。
 それが父のやりかただった。

 この距離で3人……。
 手持ちの短剣は2本。
 短剣を投げて殺したとしても1手足らない。
 他の方法で殺さないと……。

 この高さから飛び降りたら自分の身体が無事で終わる保証ができない。
 周りに何か殺害に使えそうな物はないか探してみる。
 屋根に使われたレンガは確実性に欠けるだろう。
 他に使えそうな物は目につかない。
 彼らは私の犯行を見て誰かに伝えてしまう……。
ならば、飛ぶしかない。

 向かいの建物には2階の窓が見える。
 窓に足を付くことが出来れば、一度勢いを殺して比較的安全に男に飛びつく事が出来る。
 あとは、あの窓までジャンプできるかどうか……

 その瞬間。
 足元のレンガがリーズレットの重みに耐え切れず、崩れてしまった。
 リーズレットはそのままバランスを崩して天地が逆になる。

「わっ……!!」

 普段滅多に声を出さないリーズレットだったが、この時ばかりは小さな声を出してしまう。
 そのまま、重力に逆らうことなく地面に吸い込まれるリーズレット。

「うぉわっ!!!なんだなんだ!!!?」

 3人の男は跳び跳ねて驚く。
 狭い路地で物盗りの計画を立てていた彼らの直ぐ横に置いてあったバケツが、突然爆発したような音を出したのだから無理もない。
 突然現れた赤いものが、人間の髪の毛であると認識するのに数秒が必要だった。

「お、女の子!?なんだよ!?空から降って来たのか!?」

「こいつ死んでるのか!?今の話を聞いてた訳じゃねぇだろうな」

 リーズレットはハッと気が付いて顔を上げる。

 やばい……見つかった……どうしよう……殺す?
 だめ……仕事以外の殺しはしないってお父さんと約束がある…。
 身体は……動く。
 どうにかしてやり過ごさないと。

 リーズレットは立ち上がる。

「ごめんなさい。お邪魔しました」

 歩き出そうとするリーズレットに、男の一人が話しかける。

「待てよお嬢ちゃん!大丈夫か!?」

 リーズレットはそのまま歩き始める。

「私は平気です」

 しかし、次の男の声で足を止める。

「おい、この獲物はお嬢ちゃんのかい?」

 リーズレットが振り返ると、男の手には、父から貰ったあの短剣が握られている。
 いつも隠している腰を確かめると、確かに1本無くなっていた。

 まずい……取り返さないと……。

 何も言わずにジッと短剣を見る少女に、男達は顔を合わせる。

「こりゃ高そうな短剣だな。ガキには勿体無い。こいつもしかして金持ちか?」

「へぇ?じゃあ確かめなきゃな……」

 先ほどまで呆気に取られていた男達の表情は、ニヤニヤとした品のない笑顔に変わっていく。

「お嬢ちゃん!悪いようにはしねぇからよ、お兄さん達と遊んでくれよ~」

 突然手を出してきた男に反応してとっさに身を引いた。

「お嬢ちゃんお家はどこだい?お父さんはお金持ち?俺達に協力してくれたら、美味しいおやつをあげるよ?」

 短剣を奪われる訳にはいかない……。
 でも……どうやって取り返せばいい……?


「お前ら、女の子をイジめんなぁあああああ!!」

 狭い路地に響く大声。
 男達は声の方向に顔を向けたかと思うと、男の一人が路地の奥に飛んでいった。

 誰……?
 男の子……?

 路地に飛び込んできたのは、リーズレットと同年齢くらいの少年だった。
 リーズレットが呆然と立ち尽くしていると、突然手を握られる。

「大丈夫か!?こっちだ!逃げようぜ!」

「えっ?」

 そのまま手を引っ張られ、身体が勝手に動き出す。

 この人はなんなの?
 なんで私の手を握ってるの?
 なんで逃げるの?

 リーズレットには分からない。
 助けられたという事がない彼女にとって、自分の身を案じる人間がいるなどと考えられなかった。
 彼が何をしているのか、理解ができない。

 戸惑っていると、後ろから殺気を感じる。
 とっさに右に避けて殺気をかわすと、男の腕が目の前を通りすぎた。
 男の手はそのまま前方を走っている少年の二の腕を掴んだかと思うと、力任せに後方に引っ張った。
 少年は男に引っ張られて視界から消えていく。
 リーズレットはその場で立ち止まった。

 持ち上げられた少年は壁に叩きつけられ、男に何かを言われている。
 リーズレットは男の一人が持ったままだった短剣をジッと見つめていた。

 あの子に気を取られている……。
 今なら……。

 瞬間的に飛び出すと、男の手から短剣を奪い、反対側の壁を蹴ってバルコニーに登ると、そのまま屋上まで駆け上った。
 短剣を奪った男を見下ろすと、手から離れた短剣を探して周りを見ている。

 気付かれていない……。
 このまま逃げれば……。

 少年は男達に殴られ、口から血を出している。
 いつも自分が父にされているような行為。
 見ているのは平気だと思っていたが、自分以外の人間が殴られているのを見るのは正直気持ちの良いものではなかった。
 立ち去ろうとするリーズレット。

 このままなら逃げられる。
 逃げる事ができるのに、何かが後ろ髪を引く。

 自分は助けられた。
 それなのに、このまま置き去りにしていいのだろうか。

 …………。
 借りを返すだけだから……。

 リーズレットは大通りの方面に走ると、バルコニーをトントンと駆け下りて地上に戻る。
 先ほど、殺そうとシミュレーションしていた商店街の人々に声をかける。

「男の子が襲われてるの……たすけて……!!」

「なんだって!?クラッズか!?どこだ!?」

(あの子はクラッズという名前……?)

「こっち!早く!」

 男達を路地に案内すると、3人の男に囲まれたクラッズに向かって走っていった。
 これで貸し借りはなし。
 ホッと胸を撫で下ろした。


 数分後、男達が戻ってくる。
 リーズレットは姿を消す事もできたが、本当に少年が助けられたのか、事の顛末を見届けたいとその場に居続けていた。
 少年が男に担がれて運ばれてくる。
 男は少年を商店街の隅に下ろすと肩に手を置いて何かを喋っているようだ。

 よかった。
 あの子は無事なのね。

 ふと、父の顔が頭に浮かんだ。
 この話しが父に届いたら、どんな仕打ちが待っているのだろう。
 想像したら、足が震えてきた。

 早く宿に戻ろう……。

 リーズレットが背を向けようとした時、少年がこちらに歩いてくるのが見えた。
 いや、左足を引き摺りながら右の膝に手を添えている様子は、歩いているとは言い難い。

「カッコ悪いところ見せちゃったな……みんなを呼んでくれてありがとう」

 腫れた目を薄く開けながら、笑顔で手を差し伸べてくる。
 その姿は、リーズレットには到底理解できるものではなかった。

 私のせいで傷付いて……それでもなんでお礼を言ってくるの?
 普通だったら私は殴られてもおかしくないのに、なんで嬉しそうにしているの?

 こんなに近くで人の笑顔を見たことなんてない。
 ボロボロになった少年を見て、どうしていいのか分からない。

 気がつけば、涙が溢れそうになる。
 人前で泣いた事なんてないのに、どうしても我慢ができない。
 この涙の理由も、今の自分の気持ちも分からない。
 それでも、次の言葉が自然と喉から溢れ出てきた。

「私の方こそありがとう。沢山怪我させちゃって、ごめんね」


 今まで感じたことのない心の温度。
 それがなんなのか、彼女には分からない。

 その後、2,3言葉を交わした気がする。
 内容は覚えていない。
 少年は商店街の男に担がれて連れて行かれた。

 その時、男は確かにこう言った。

「……レノール伯…いや、お前の父ちゃんにも……」

 レノール伯……。
 聞いたことはない。
 しかし、彼の情報だった。
 忘れないように、頭で何度も繰り返す。

 レノール伯……レノール伯……


 そして、宿に戻った。
 父は先に戻っていたようで、ドアの向こうに気配を感じる。

「どこに行っていた?」

「少し……街を歩いていました……」

「何をしていた?」

「街を見ていただけです……」

「ふん……」


 初めて父に嘘をついた。
 短剣を見られた事。
 あの男は、この短剣がどんな物か知っているような雰囲気ではなかったが、父からすれば自分達の情報に繋がるものと考えるかもしれない。
 自分の失態に恐怖していたのは確かだ。
 それでも、心の中では違うことを考えている。
 あの少年との接触は隠さなければならないと思った。
 それが何故だかは分からない。
 父には知られたくないと、心の中で叫んでいる自分がいる。
 その正体がなんなのか……この時はまだ分からなかった。

 父は口を開く。

「まぁいい。世の中を知ることも重要だ。掟を破らない範囲で好きにしろ。私は予定通り、これから3週間程度ある貴族の家に潜入して仕事をする事になっている。宿の主人には、仕事があると話を通しておいた。一人にするが、3週間後の朝にはここにいろ。わかったな?」

「はい」

 リーズレットは、心にまだ温かさを感じていた。
 3週間。
 この期間で何が出来るかは分からない。
 出来る限りの事をする。
 この温度の正体を知らなくてはならない。


 翌朝、父の背中を見送ると身支度を整えて街に出た。
 商店街の人間には顔を見られている。
 できるだけ違うルートで辿りつかなくてはならない。

 昨日の商店街とは別の露店が立ち並ぶ朝市にやってきた。
 早い時間だというのに、既に活気で溢れている。

 果物を売っている男と視線が合った。

「リンゴを一つ頂けるかしら」

 リーズレットは金貨を一枚手のひらに乗せて露店商に渡す。

「はいよ!って金貨!?ちょっと待ってな!お釣り、お釣りっと」

「いいの。お釣りの変わりに情報をいただけない?」


 イエルの貴族街に屋敷を持つレノール伯。
 貴族では珍しく評判の良い家柄だが、貴族の中では立場が弱い。
 一人息子のクラッズというヤンチャ坊主に手を焼いている。
 そして屋敷の特徴まで。

 男は陽気に話してくれた。
 その情報でリンゴを数百個買える程の価値がないと考える男は、リーズレットに釣りを必死に渡そうとしている。
 笑顔で断ると、手を降ってレノールの屋敷に足を運んだ。


 レノールの屋敷についたリーズレットは門の陰に身を潜める。
 貴族とは言うものの門番はおらず、警備は手薄なようだ。
 予想よりも簡単に潜入できるかもしれない。
 屋敷の間取りを、その外観から想像しながら、クラッズの部屋はどこだろうかと思案する。

 すると、庭先から声が聞こえてきた。

「うぉおおお!!」

 クラッズの声だった。
 リーズレットの心臓がドクンと響く。
 あの優しさに溢れた声。

 門をくぐり抜けて、木陰に身を隠しながら庭の様子を見る。

 そして彼を見つけた。
 またリーズレットの心臓が大きく動く。

 あちこちに巻かれた包帯は、昨日の怪我が大きかった事を物語っている。

「クラッズ様……何をしておられるのでしょうか……」

 自然と独り言が出ていた。
 彼は庭を走り、木に登っては飛び降り、また走っては鉄の棒を振り回し、また走っては声を出していた。
 その様子をジッと見つめるリーズレット。

 1時間はそうしていただろうか。
 クラッズは突然芝生に倒れこみ、息を切らして空を見つめる。
 彼が発した一言をリーズレットは聞き逃さなかった。

「必ず……冒険者になるんだ……強い……冒険者に……」

 リーズレットは感動していた。

「あれは、クラッズ様の目指すもの……夢……」

 “夢を持ってはいけない”

 一族の掟。

 自分が決して持ってはいけない夢を、彼は持っている
 彼女の胸に、一つの目標ができた瞬間だった。
 彼の夢を、応援したい。

 彼の喉を潤そうと、庭先に置かれたテーブルにそっと水を注いだコップを置いた。
 彼が一秒でも早く、冒険者になれるようにと、今できる精一杯のサポートをする。

 リーズレットは冒険者というものを調べる事にした。
 街の北西に様々な書物が保管されている巨大な倉庫のような建物に侵入し、冒険者についての資料を探す。
 子ども向けの小説に、冒険者の事が書かれていた。

 本の中の冒険者は、盗賊のアジトに単身乗り込んで彼らが盗んだ宝物を手に入れて、王様に表彰されていた。

「これが…クラッズ様がなりたい冒険者なの?」

 リーズレットは計画を立て、そして3週間の期間内にクラッズを冒険者にする為に動き始めた。


 イエルの街で手に入れた山賊の情報。
 行商人が数回襲われているらしい。
 リーズレットは目撃された場所へと足を運び、3日目に山賊と接触する事になる。

「あなた達は山賊?」

「あぁ?なんだてめぇ?言い掛かりつけてんのか?」

「違うならいいの。お互いの利益になる話をしようと思っただけだから」

 山賊に与える情報は、武器や宝石を積んだ行商人が1週間以内に通るルート。
 彼等からすれば、そんな美味しい情報をタダで渡してくる少女に違和感を覚えるのは当然だろう。

「それを俺達に教えて、お前に何か得があんのか?」

 リーズレットは山賊の一人の顔の前に短剣を突き出す。

「あなた達が行商人を襲ってくれたら、別の仕事がしやすくなるだけ」

「おめぇ……その短剣……暗殺一族の者か…………」

「察しがいいわね。これは取引。あなた達は私が教えた行商人を襲うだけ」


 山賊の男達は顔を合わせる。
 目の前にいる幼い少女に歯向かえば、明日には組織が壊滅しているかもしれない。
 暗殺の一族を知る者にとっては、恐怖する存在でしかない。

「わかった……。お頭に話を通す」


 レノールが管轄する行商人の情報は、レノールの家を調べれば直ぐに洗い出す事ができた。
 そして、その行商人達の旅のスケジュール、積み荷、ルートまでを把握する。
 情報を山賊に流せば、自動的に山賊は行商人を襲う。
 そして山賊の情報はレノールの耳に入る筈だ。

 クラッズ様であれば、その情報を元に冒険者となろうとする。

 リーズレットの計画内にある、“クラッズが情報に気が付かなければいけない”かつ“情報に気が付いたクラッズが山賊のアジトに向かう”という2つの条件が成立するか否かは、賭けに近かった。

 しかし、リーズレットは確信を持っている。

「クラッズ様ならば、必ず冒険者になる」

 山賊に情報を流し始めてから6日目、ついにその日が訪れた。
 レノールの屋敷に商人が訪ねてくると、山賊についての情報をレノールに流した。

 クラッズはその様子をしっかりと見ている。
 リーズレットの計画通り。

「さすが……クラッズ様……」

 しかし、リーズレットの想定外の事が発生する。
 クラッズはその話を聞いた直後、山賊のアジトに向かってしまった。
 山賊を別の場所に移動させた後、もぬけの殻となったアジトをクラッズに散策させる予定だったが、動きが想定よりも早すぎる。

 慌てて山賊のアジトに先回りをして、初めて山賊に嘘の情報を与えた。

「今から宝石商がすごい宝石を持って西の街道を移動するわ」

 山賊達はリーズレットを多少疑うような目で見ていた。
 今までは3日前には行商人の予定を教えていたにも関わらず、突然今からと言われれば疑いを持つのも仕方がないかもしれない。

 最悪、ここで山賊を消す事になったとしても……。

「わかった。野郎ども行くぞ!ダラダラすんな!」

 山賊の頭領は部下を連れてアジトを出て行った。
 ホッと一つ胸を撫で下ろし、後はクラッズを待つだけとなる。


 しかし、待ってもクラッズは姿を見せない。
 行商人がレノールに話していた情報の中に、正確なアジトの場所がなかった事にリーズレットは気がつく。
 それでも、クラッズを信じて、ただひたすら待った。

 日が落ちて、空に月が出始めた頃、草木を分ける音が聞こえてくる。

「クラッズ様……信じていました……」

 リーズレットが待ち望んだ少年の顔が見えた。
 クラッズは辺りを警戒しながら山賊のアジトへと入っていく。
 あとは、クラッズが武器や宝石を見つけ、安全に抜け出すだけ。

 しかしその時、複数の足音が近付いてくるのをリーズレットは聞き逃さなかった。
 山賊達が帰ってきてしまう。
 クラッズはまだアジトの中にいた。

 やるしかないかと、短剣を構えて様子を伺う。
 アジトの中に山賊が入ってから数十秒後、中から怒鳴り声が聞こえてきた。

「誰だ!そこにいるのは!!出てこい!!」

 直後に何やら大きな物音が聞こえてくる。

 まずい……クラッズ様が危ない。

 リーズレットはアジトに向かい走ると、ドアに手を掛けた。


 次の瞬間、アジトは爆発した。


 リーズレットも爆風に吹き飛ばされてしまう。
 何が起こったのか分からない。

 土煙が収まると、クラッズだけが立っている。
 大きな盾を構えて、周囲に風の力を纏っていた。


「さすが……クラッズ様……」

 彼はリーズレットの力を借りる事なく、山賊をねじ伏せてしまった。
 それは彼女にとって最高の喜びであり、一つの目標を達成した瞬間だった。
 リーズレットの心臓は踊るように動いていた。

 次の日、クラッズの顔は晴れ渡っていた。
 巨大な盾を握りしめ、天に掲げる。
 その顔を見て、リーズレットは満足していた。

 応援する事ができた……冒険者にする事ができた。
 レノールの屋敷に背を向けるリーズレット。
 目標は達成した。
 達成感はあるものの、何かが足りない。

 振り返り、クラッズに今一度視線を送る。

 彼から離れるのは辛い。
 彼と一緒にいたい。

 リーズレットの心拍数が上がる。
 この時に自分の気持ちに気が付いた。
 人に好意を持ってはならない。
 一族の掟を破ってしまった。
 それでも、リーズレットに後悔はない。


 約束の3週間が経過し、父と合流して街の門を潜る。

 この門を少し前に潜った時には、私はただの暗殺者だった。
 今の私には夢ができた。
 一族の掟を破ってしまうけれど、この気持ちを止める事なんてできない。
 私は、必ず戻りますので、それまで待っていてくださいね………クラッズ様………。

 リーズレットはこころに強く誓ってイエルの街を後にした。


 ――数年後

 イエルの街に入る門を見上げるリーズレット。
 あの時の誓いを果たすために家から飛び出してきた。
 父に一人前と認められたまでは良かったが、家を出る事には反対された。
 一族の皆が反対するものだから……。

 まだ新しい血のついた短剣を腰に、リーズレットは門を潜った。
 もうあの家に帰る事もない。
 これからはクラッズと共に生きる為に……


 全てを消してきた。


 その足でレノールの屋敷へと足を運んだ。
 屋敷はあの日から何も変わっていないように見える。
 門の前で立ち話をしていたレノールを見かける。
 相手は商人だろうか、笑いながら話していた。

 会話の内容から、レノール伯はクラッズが家の跡継ぎになれるかどうかを心配し、メイドを雇う事を考えている事が分かった。
 これはチャンスだと考えたリーズレットは、商人の後を追い、家を突き止める。
 次の日、メイドの装いをして商人の家にやってくると、メイドとして雇って貰えないかと打診した。
 金銭的に余裕はないから無理だと断られる。
 それならば、と、メイドを探している人を紹介して欲しいと金貨を渡すとレノール伯の話が出てきた。
 全てはリーズレットの計算通りに動いている。


 レノール伯の屋敷にやってきたリーズレットは、貴族のメイドとして生計を立ててきたが、その貴族が没落した為に生活を失ってしまったと話し、レノールに雇われる事となった。
 クラッズのメイドとして、彼を勉強させて欲しいと願いを聞き、リーズレットの計画はついに現実のものとなる。


 数年ぶりにクラッズと顔を合わせる。
 彼も成長していて、リーズレットはうっとりと彼を眺める。
 レノールから紹介を受け一つ頭を下げると、彼は口を開いた。

「君は……もしかして……」

 クラッズ様が……私を覚えてくれている……!?

 ただし、今はこの家に来たメイド。
 初日から粗相をするわけにはいかない。
 なんとか気持ちを落ち着かせて受け答えをする。

「早速ですが、クラッズ様のお部屋にお勉強のご用意をさせて頂きました。一緒に来て頂けますか?」

 しかし、クラッズと直接顔を合わせたのはあの路地裏での一度きり。
 それなのに、彼は私の事を覚えているとしたら……。
 リーズレットの心臓が大きく跳ねる。

 廊下を2人で歩いていると、半歩後ろを歩いているクラッズから声が飛んできた。

「なぁ、リーズレット…?昔、商店街の路地でチンピラに絡まれてなかったか?」

 本当に覚えていた……。
 リーズレットはあまりもの感動に立ち止まってしまった。
 目に浮かぶ涙を必死に堪えてから、頭を軽く振る。
 今日からクラッズ様のメイドとなったのだ。
 今は、しっかりとメイドとして信用を築かなければいけない。

「申し訳ありませんクラッズ様。そのような記憶は御座いません」

 嘘を付くというのは、ここまで苦しいものなのだろうか。
 溢れそうな涙を堪えて無理矢理笑顔を作った。


 ――こうしてクラッズのメイドとしての生活が始まる

 ――リーズレットにとって、最高に幸せな時間が続く

 ――それは初めて手に入れた幸せだった


「なぁ、リーズレット。貴族ってのはなんで勉強ばっかりしなきゃいけないんだ?」

 不意に話しかけてきたクラッズ。
 リーズレットは笑顔で答えた。

「そうですね。いずれレノール様の後を継ぐ事になった場合、街の情勢や貴族間の歴史、大陸の外との貿易の知識は家の反映の為に必要ですから」

 クラッズは不満そうな顔をする。

「俺は家を継ぐよりも、他の事をしたいんだ…」

「他の事……というと……?」

 やはりクラッズ様はまだ……。

「笑われるかもしれないけどさ……俺は冒険者になりたいんだよ」

「素敵な夢ですね」

 クラッズは驚いた表情でリーズレットに顔を向けた。

「リーズレットもそう思うか!?」

「はい。勿論です」

 クラッズの顔が晴れ渡っていく。

「そっか……俺に嫌われない為に言ってるのかもしれないけど、俺の夢を認めてくれたのはリーズレットが初めてな気がするよ」

 私が初めて……。
 クラッズ様が……。
 私に認められたと喜んでいる……。


 クラッズは夜な夜な外に出るようになっていた。
 リーズレットも後を追う。
 静かな真夜中の街中を歩くクラッズ。

 クラッズが何か事件に巻き込まれる事のないように、毎晩リーズレットは影から見守り続ける。



 ――そんなある日の事だった。

 突然レノールから聞いた話に、リーズレットは耳を疑った。
 クラッズを婿養子に出す。
 そんな事が許される訳がない。
 リーズレットは気が狂いそうになりながら、どうにかしてこの話を消せないか模索する。

 クラッズ様が結婚する?
 私以外の人と?
 考えるだけでおかしくなりそう……。
 私とクラッズ様は相思相愛なのに……。
 私が止めなきゃ……。

 夜。
 レノールの私室に入り、シュレイドとの契約書を発見する。
 そこには税の引き上げ等、シュレイド側が得する内容が書かれていた。
 つまりシュレイドは自分の家にクラッズを迎える事でこの家門の安泰を提示しながらも、自分達が得するように動いているようだ。
 クラッズ様を……金儲けの道具にするつもりなのかしら……。
 リーズレットは怒り狂い、契約書を手に取って部屋を後にした。

 ――翌日

 筆跡を真似して作り上げた契約書。
 この偽造された契約書を一晩で作り上げたリーズレットは、これからの計画を頭の中で固め、クラッズの部屋の前に立つ。
 自分が止めなければ、クラッズが自分以外の誰かと結婚してしまう。
 何が何でも、止めなければならない。

 この結婚の話は全て仕組まれていて、クラッズの命が危ない事にしてしまう。
 その証拠にと、偽造した契約書を作った。
 クラッズがこれを見れば、きっとシュレイドに直談判をするだろう。
 そして、自らこの話を破棄しろと動く。
 クラッズならば、レノールに相談などせずに絶対に自分で動く。
 そう確信していた。

 クラッズに全ての話を終えると、一人で考えさせてくれと言われた。
 クラッズが動くとすれば今日の晩。
 その前に、シュレイドの屋敷に出向いてクラッズのサポートをする。


 短剣を腰に隠して屋敷を出るリーズレット。
 シュレイドの屋敷は、流石にイエルの三大貴族と言われるだけあり、警備の数も多い。
 目の付く正門は諦めて、裏門に周り、まずは兵士3人を消す。
 兵士の持ち物を漁り、裏口のドアの鍵を見つけて屋敷の中に潜入する。
 屋敷の中にも兵士は配置されており、一人ずつ隠密状態で殺害していく。
 死体は物置となっている部屋に一纏めにした。
 シュレイドの部屋を突き止めて、裏口からこの部屋までのルートの安全を確保した。
 あとはクラッズを待つだけとなる。
 シュレイドの部屋の隣に位置する部屋に侵入して、じっとクラッズを待った。


 そして、計画通りクラッズはやってきた。
 リーズレットは、その足音でクラッズだと確信すると、息を潜めてクラッズを待つ。
 ついに近くまで来たかと思うと、大きな声が屋敷の中に響いた。

「おらぁああああ!!」

 どうやらシュレイドの部屋にクラッズが入れたようだ。
 ものすごい音と同時にシュレイドの声が聞こえてくる。

「何事だ!!」

 話し合いが始まったが、どうやら交渉は決裂したらしい。
 さらに大きな音が鳴ったかと思うと、窓を突き破る音が聞こえてきた。

 とっさに窓際に寄ったリーズレットは、クラッズが胸ぐらを掴んでバルコニーの外に宙吊りになっているシュレイドが見えた。

「頼む!助けてくれ!お前の家にはもう何もしない!頼むから!」

 リーズレットはホッと一息ついた。
 どうやら、少しモメたようだが、シュレイドはクラッズの話を聞き入れたらしい。
 クラッズはシュレイドを部屋の中に投げ入れると、何かを書かせている。
 そして、何かを書かせた紙を持ってクラッズはシュレイドの部屋を後にした。

 さすがクラッズ様。
 もしかしたら、私の手伝いは不要だったかもしれません……。

 クラッズに惚れ惚れとしていると、シュレイドの声が聞こえてくる。

「兵は何をしていたのだ!このポンコツ共が!あの家は絶対に崩壊させてやる!レノール家は終わりだ!密書を出せ!根絶やしにしてくれるわ!!」


 リーズレットは耳を疑った。

 せっかく……クラッズ様が直々にお話を通したというのに……。



 救えないゴミは、メイドとして、お掃除しないといけませんね。



 ――数日後

 シュレイドの家は滅んだというのに、クラッズは浮かない顔をしていた。
 それが何故なのか、リーズレットは分からない。

「なぁ、リーズレット。なんでシュレイドは死んだんだ?」

「人を悲しませる人間は、嫌われるものではないでしょうか」

 クラッズは何も知らなくていい。
 クラッズの中では、シュレイドは改心しているのだ。
 わざわざ真実を教えて、彼を悲しませる事はできない。

 そして、クラッズは真剣な表情になる。

「リーズレット。俺はこの家を出る。本当の冒険者になるんだ」


 それは、一緒に来てくれという事ですよね?
 クラッズ様が私を誘ってくれている。
 この屋敷を出て、一緒に暮らそうと……そう言っている。

 リーズレットは笑顔を作る。

「わかりました。今までありがとうございました」


 レノール家の門を出るクラッズ。
 見送るリーズレットは、彼の気持ちに興奮していた。
 別れ際に、手を降って笑顔で合図を送ってくるクラッズ。
 リーズレットはニコっと笑顔を返してから、レノールの家を出る準備を始める。



 走って、走って、街道に立つクラッズの影を見つけた。
 その大きな盾を背負った姿に、鼓動が高鳴る。

 しかし、後から馬車が走り抜けたかと思うと、大勢の男が馬車から降りてきてクラッズを囲んでしまう。
 とっさに出ようとするリーズレットだが、相手が誰なのか分からない。
 暗殺者として、知らない人間を殺す事は、自分にとても不利だと教えられていた。
 クラッズが馬車に乗せられるのを見守り、その後を追う。


 ――辿り着いた先は……


 クラッズが連れてこられたのは別の貴族の屋敷。
 調べると、シュレイドの傘下の貴族だった。
 シュレイドが消えた原因がクラッズにあると踏んだのだろう。

 どこまでもゴミは湧いてくるのですね。

 リーズレットは屋敷の中に足を踏み入れた。
 目に入った人間を一人ずつ殺していく。
 最後に辿り着いたのは、地下に作られた牢獄だった。

「クラッズ様…………」

 牢獄に入れられたクラッズは気を失っているようだった。
 自分のせいでクラッズを危険に晒してしまった。
 リーズレットは激しい後悔の念に駆られる。

 涙を流して、クラッズの手に触れる。

「私が甘かったです。もう絶対に離れないと、誓わせて頂きます」

 自分の手とクラッズの手に、大きな手錠を掛けた。

「これで、もう……離れる事はありませんよね……」

 しっかりと手錠に鍵が掛かった事を確かめる。
 涙を流しながら、5cm程の手錠の鍵を飲み込む。

「この苦しみは……クラッズ様の苦しみ……」

 喉に引っかかる鍵を無理矢理通すと、リーズレットは笑う。

「もう安心して下さいね。私は離れませんから」


 ――そしてクラッズが意識を取り戻した

 辺りを見回した後、リーズレットに気が付いた様子のクラッズ。

「こんな所で・・・何をしてるんだ・・・?」

「何をしてるって、私はクラッズ様のメイドですから……」

 彼を真っ直ぐ見つめる。

「俺はあの屋敷をもう出たんだぞ!?」

「だから……ではないのですか?」

「どういう事だよ……」

「申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに、クラッズ様を危険に晒してしまいました」

 屋敷を出たからこそ、今度こそ2人きりで旅をする。
 その出鼻を挫かれてしまった。
 もう同じ過ちはしない。

「この手錠は……なんなんだよ……?」

「これでもう、離れてしまう事はございませんね」

 笑顔で返すリーズレット。
 クラッズは何かに恐怖しているようだった。

「大丈夫ですか?すごい汗ですよ?どこかお怪我を……」

 近づこうとすると、後ろに飛び退くクラッズ。

「なんだよ!来るなっ!!」

 逃げようとするクラッズだが、手錠がリーズレットを引っ張り、そのままクラッズの胸に抱きついてしまう。

「クラッズ様……っ!!!」

 ついに、自分を受け入れてくれた。
 リーズレットは、クラッズを強く抱きしめる。

「もう……離れませんから……」

「なんなんだよもう!!!」

 クラッズに盾で殴られるリーズレット。
 壁にぶつかり、意識が遠のく。

「クラッズ様……」


――


 リーズレットが目を覚ますと、手錠の鎖は断ち切られていた。
 そこにクラッズの姿はない。

「クラッズ様……」


 思考を巡らせる。

 突然の事で、恥ずかしかったのですね……。
 私も少し、大胆になりすぎてしまいました。

 頬を赤らめるリーズレット。

 手錠の鎖を切ったという事は、こんなものがなくても2人は離れないという強い意志ですね……。
 クラッズ様は私よりもずっと……私を想ってくれている……。


「クラッズ様は伝えてくれた……」

 リーズレットは、スッと立ち上がった。

「私も、この気持ちを……クラッズ様に伝えなくちゃ」
+ 蒼き双刃の執事レスター
 傭兵として戦場に立ち、勝って帰った報酬銀貨五枚と銅貨七枚。
 それが仕事に見合ったものかどうかを考える必要はない。
 少なくとも自分には……

「おう!帰ったか。稼ぎは?」

 家に帰ると、ドアの前で父が待ち構えるようにして立っている。
労いの言葉一つかけることもせず、息子の稼ぎを搾取する父。
 銀貨四枚と銅貨七枚を手渡されると、満足そうな顔を浮かべてしばらく家を出て行くのだから何とも気楽なものだ。

「レスター?帰ったの?」

「ただいま、母さん。これお給料」

 ポケットから取り出した一枚の銀貨を手渡す。

「いつもありがとう。このご時世に数日で銀貨一枚なんて……商店街の裏方の仕事なんでしょう?危ないことはしてないのよね?」

「もちろん。悪い事なんてしてないよ。ちゃんとした仕事さ」

 母には本当の事は伝えていない。
 商店街の地主に裏方の仕事を紹介してもらったと嘘を付き、本当は傭兵として戦うことを仕事にしている。
 まだ十歳の子供がそんなことをしていると知れば、無理をしてでも止めようとするだろう。
 女手一つで家計を支えようと、長年無理をしてきた母を少しでも楽にしてあげたい。

 大陸南の海沿いに位置する小さな街。
 そんなところでできる仕事といえば限られる。
 近くにある流水の都『ラグーエル』まで出稼ぎに行くか、傭兵として戦場に出る。
 そうでなければ漁業の手伝いくらいなものだ。

「あの人は……?」

「出て行ったよ。しばらく帰ってこないんじゃないかな?」

 最初にこの仕事を紹介してきたのは父だ。
 父は昔、そこそこ名の知れた傭兵だったらしい。
 実際に使っていた短剣と磨き上げた技と生き残るための知識。
 幼い頃からそれを叩き込まれたが、それは苦ではなかった。
 父と刃を交える瞬間はその力と誇りを感じることができたから。

 だが、昨年のことだ。
 いきなり傭兵として戦場に放り込まれた。
 命からがら帰ってきた自分を見ると、あろうことか、父はその報酬をふんだくり、ラグーエルのカジノへ入り浸るようになる。
 最初からそうだったのだ。
 代わりに金を稼ぐ身代わり作り。
 自分はあの男にとってそれ以上でも以下でもない。
 それでも感謝できる点を挙げるなら、賃金の中からくすねた金を母に渡せるようになったことと、母を支え、護るだけの力を与えてもらったことだ。

 そんな矢先、ギャンブルに負けた父が家の金に手をつけた。
 最初は自分の稼ぎ。
 それが面倒になって息子の稼ぎ。
 そして最後に母が懸命に工面していた金。
 怒りで我を失いそうだった。

「ゴメンね……あなたの頑張りだって含まれてるのに……」

「そんなこと言うなよ!僕がもっと頑張るから!!」

「……もういいの」

「なんとかやってこれたんだ!もっといい仕事を紹介してもらえばすぐに……!」

「もういいの」

「何がさ!?」

「お母さんと、この家を出ましょう」

「……え?」

「ラグーエルのウィース家は知ってるわね?」

 ウィース家。
 ラグーエルに居を構える由緒ある貴族で、街全体の貿易を管理している。
 街の住人からの信頼も厚く、ラグーエルの実質的リーダーの一角ともいえる一族。

「そのメイド長がお母さんの昔のお友達なの。前から相談してたのだけど、今回の話をすれば助けてくれると思うわ」

「それじゃあアイツから逃げたみたいじゃないか!?」

「あなたが気にすることじゃないわ。お母さんが決めたことよ。あなたを守るために」

「母さん……」



 こうして長年暮らした家と父を捨て、母と自分はウィース家を頼ることとなった。
 当のウィース家はというと、母の頼みを快く受け入れ、住み込みで働かせてくれるとのことだ。

「ゴメンなさい……押しかけることになってしまって……」

「水臭いわよ。人は助け合うことで共に生きていける。旦那様がいつもおっしゃっているわ」

「ありがとう……」

「そちらは息子さんね?まだ若いのに大変だったでしょう」

「初めまして。レスターです」

「ふふ。お嬢様とも良いご友人になれそう。部屋に案内するわ。荷物を置いたら、旦那様方に挨拶に伺いましょう」

 見るもの、触れるもの全てに生きる世界が違うと痛感させられる。
 いくらジャンプしても届きそうにない高い天井。
 フカフカの絨毯が敷き詰められた廊下。
 見慣れない景色にいかんせん落ち着かない。

――コンコンッ

「旦那様。お二人をお連れしました」

「うむ。入りたまえ」

――ガチャッ

「待ちわびたよ!彼女の友人だと聞いて楽しみにしていた!言ってくれれば迎えを寄越したのだが、遠慮したのだろうか?なかなか謙虚な性格のようだね。ところで昼食はもう済ませたかな?我々はこれからなのだが良ければ一緒にどうだろう?立場上、街の外に足を運ぶ機会を作ることも簡単ではなくてね。是非、外の話を聞かせてもらいたいものだ。そうだ!代わりに海の向こう側の話を聞かせよう!行商人達からの受け売りのものばかりだが、面白い話も多くてね!おや?押し黙ってしまって。緊張でもしているのかね?」

「……違いますわ、お父様。また悪い癖が出てますの!」

「おっと……失敬。話好きな性分なものでね。この調子でいつも相手を困らせてしまっているのだが、どうも癖というのは抜けないもので、こうして娘に注意されてしまう。ところで――」

「お父様!」

「うむ。危なかった」

「お初にお目にかかりますわ。ウィース家長女、リオーネ=ウィースですの」

「ウィース家当主、レオナルド=ウィースだ。家を代表して歓迎するよ!」

 まるで夥しい数の弓でも浴びせられたような衝撃だった。
 だが、なんにせよ悪い人ではないようだ。

 その日から母はウィース家に仕えるメイドの一員として働くことになった。
 自分はというと……

「レスター!屋敷の中に隠れるなんて卑怯ですのよ!」

「かくれんぼは見つかりにくいところに隠れるのが当たり前だろ?リオーネは屋敷の中は禁止だなんて言ってなかったし」

 ウィース家ご令嬢、リオーネと遊ぶ日々。
 彼女の父レオナルドは仕事が忙しく、これまではメイドが遊び相手をしていたようなのだが、歳が近いこともあり、自分が屋敷に来てからは自然と自分が遊び相手となった。
友情を深めていく中で、このように衝突することも少なくない。

「言うまでもないですの!お外で遊ぼうと言いましたわ!」

「だから始めるときは外に出たじゃないか!だいたい庭の真ん中に隠れられるところなんてないだろ!?」

「お嬢様!如何なさいました!?また息子が何か失礼を!?」

「違うよ、母さん!リオーネが――」

「お嬢様とお呼びしないとダメでしょう!少し目を離すとすぐにこうなんだから……あぁ……申し訳ありません!」

 その度に母が大慌てで頭を下げに飛んできたが、彼女も二人の勝負だと言い張って譲らずますますヒートアップ。
肝心のレオナルドはというと、書斎からその様子を笑って見守っていた。

 そうして数年を過ごしたある日のことだった。


 母が他界した。

 買出しに出向いた先で、暴漢に襲われたらしい。
 何かが心の中で崩れていくのを感じた。

 そういえばここに自分がいられたのは、住み込みで働く母がいたからだ。
 母がいなくなった今、もうこのお屋敷にはいられない。

「これまでお世話になりました……」

 すでに陽も落ちていたが、屋敷を一人出たレスターは、門を出たところで振り返り、深く頭を下げた後、どこへともなく歩いて行った……



「起きなさい!!」

 虚ろな目を頭上に向けると、眩しい朝日に被る形でリオーネの顔が見える。

「ん……リオーネ?」

 体を起こそうとすると、じわりと体中に広がる鈍い痛み。
 路地の石畳と、屋敷のベッドの寝心地の違いが身に染みる。
 あても無く街を歩き続け、終にはそのまま道端で眠ってしまったようだ。

「呑気なものですわね!探しましたのよ!」

「……何で?」

「貴方を連れ帰るために決まっていますわ!」

 自分を立たせようと手を差し伸べる彼女。
 だが、その手を取ることはできない。

「もう母さんもいないし、何もできない僕を屋敷に置いておく理由はないじゃないか……」

「いいから早く帰りますわよ!!」

 手を掴み、何が何でも屋敷に連れ戻そうとする彼女。
 なぜそこまで必死になっているのかが理解できない。

「リオーネ。探したぞ……大丈夫かね?」

「お父様!レスターが!」

「わかっているよ。少し落ち着きなさい」

「わかりましたわ……」

「リオーネ。もう日も落ちる。屋敷に戻りなさい」

「いやですわ!レスターをこんな所に置いて帰れるわけがありませんの!」

「いいんだよリオーネ。元々僕は血もつながってないただの他人だし……母さんがいなくなったんだから屋敷にいて良い訳がないじゃないか……」

「何を言っていますの!?許しませんわ!」

「レオナルドさんもそう思いますよね!?僕を養うメリットなんてないじゃないか!」

「うーん……困ったね。レスター君の言う事も一理ある」

「お父様!?」

「わかっただろうリオーネ!?もう放っといてくれよ!!」

 レオナルドは難しい顔をしていた。
 同情しているのだろうか。
 そんなもの……いらない……僕には……

「いやですわ!!」

 リオーネは歯を食いしばりながら、目に涙を溜めているように見えた。

「いい加減にしろよ!僕に屋敷で暮らす資格なんてないんだ!」

「ならわたくしがその資格を作りますわ!!レスターは今からわたくしの執事になりなさい!」

「はぁ!?何言ってんだ!?」

「決めましたわ!今直ぐ屋敷に戻りなさい!わたくしの執事なんですから!」

「待てよ!何勝手に!!レオナルドさんもなんとか言って……」

「決まりだね。この子が一度言い出したら私でも止められないことは知っているだろう?」

 レオナルドは笑顔を向ける。
 まるで、最初からこうなる事が分かっていたかのように。

「レスター君。大変申し訳ないが、君にはこれからこの子の専属執事として、正式に働いてもらうことになった。面倒な手続きなどは私の権限によりこの場で省く。これで君は屋敷に戻る権利を得ると同時に、義務を課せられてしまったわけだ。わかるね?」

「さぁ、すぐに帰りますわよ!」

「ちょっと待って――」

 こうしてなし崩し的にリオーネの専属執事となったレスター。
 考えるよりも先に行動しがちな彼女らしい判断だが、今回に至っては彼女の父までがそれを後押ししている。
 やはり親子だ。
 彼が言うには自分もまた家族らしい。
 状況を飲み込み切れずにはいたが、新たな家族を得たという嬉しさと、楽しかった屋敷での暮らしに戻れる喜びは、断る気を根こそぎ奪い去っていった。



 湯気に煽られふわりと漂う茶葉の香り。
 音を立てずに差し出されたティーカップの取手をつまみ、ゆっくりと口元に運ぶ様子を微かに緊張した面持ちで見守る。

「……うん。合格ですわね。お供がマカロンなら満点でしたわ」

「ありがとうございます。明日、ご用意いたしましょう」

 リオーネの専属執事となったあの日から数年の月日が流れた。
 この数年で培った経験は何から何まで彼女仕様。
 肉体的にも精神的にもかなり堪える。
 喧嘩を見かければ中心に飛び込み仲裁しようとする。
 買い物のお供をすれば、片道数日はかかろうという距離のミールまで連れ回され、買って帰ったのはランプ一つ。

 その程度ならまだマシだ。
 風呂の支度を任されれば、待ちきれないと言いながらタオル一枚で入ってくる。
 部屋に呼ばれたかと思えば、ドレスの背中のファスナーを上げてくれだの。
 そもそもそこにいるのが自分と同年代の男であるという自覚はあるのだろうか。
 それを当たり前だと思っているのか、それとも相手を選んだ結果なのか……

 こんな日中を過ごす毎日だが、レスターはどこか楽しんでいた。
 そして日が落ちると、レスターは違う顔を見せるようになる。

――カランッ

 路地裏にひっそりと戸を構えるバー。
 カウンターまで歩み寄ると、バーテンに銀貨三枚を手渡す。
 探しているのは情報。
 既に母の死の悲しみは乗り越えた。
 だが、下手人が何の罰も受けずにのうのうと生きていると考えると、我慢がならない。
 レスターはリオーネが眠りについた後、毎晩のように夜の街へと出かけ、母の死の真実を探っていた。
 目撃情報から、犯人が剣の旗を掲げた海賊であることはすぐにわかった。
 しかし、その所在をいくら調べても掴むことができない。

「――というわけです。何かご存じありませんか?」

「海賊ねぇ……近頃この辺に出没してるらしいが、剣の旗となると知らねぇな」

「そうですか……何か情報を掴んだら教えてください」

「……あいよ」

 さらに差し出された銀貨一枚。
軽く笑みを浮かべながらバーテンは答えた。

「今日も収穫は無しですか……ん?」

 数時間ほど街を徘徊し、屋敷へ戻ろうと踵を返した矢先、何やら揉めている男達の姿が見える。
 夜の街では時々こうしたトラブルを目撃する。
 貿易業を管理するウィース家にとっては、ラグーエルの治安は信用そのもの。
ウィース家に拾われた恩を少しでも返そうと、素性を隠して速やかに解決することにしていた。
 いつしかラグーエルの夜闇に舞う仮面のヒーローなどと噂されているらしいが、こうした噂が犯罪の抑制に繋がるならば大いに結構。

「どうしましたか?」

 どうやら男達が数人がかりで一人の兵士をいたぶっている様子。
 今回のはただの喧嘩のようだ。

「あぁ?何だそのふざけた仮面は?誰だてめぇ!?」

「おい……こいつ、噂の仮面のヒーローじゃねぇか?」

「丁度いい。その仮面ひっぺがして、正体暴いてやるよ。皆知りたがってるだろうぜ」

「やれやれ……やはりこうなりますか」

「スカしてんじゃねぇぞ!」

 男が隠し持っていたナイフが勢いよく突き出される。
 レスターはヒラリと躱し、腰に差していた短剣で打ち払う。
 驚いてひるむ男達。
その隙に一撃ずつ加え、瞬く間に床へ転がす。

「すまねぇな……助かったよ」

「いえ。では私はこれで」

「一つだけ聞きたいんだが、その短剣……あんたのか?」

「これですか?そうですが何か?」

 鞘に収められた短剣を覗き込むようにしながら問いかける男。
 昔、父にもらったものだが、あの男を知っているのだろうか。
あえてはぐらかすようにレスターは答える。

「……いや、なんでもねぇ。ありがとな!」

 数日後、思わぬ形でレスターは驚かされることとなる。

 レスターの耳に、仮面のヒーローの新たな噂が飛び込んだ。
 その正体として、ある人物の名前が挙がっているそうだ。
 その名は救世主ラザレス。
 父の名である。
 ラザレスの使っていた短剣が、ヒーローの持っていた短剣と酷似していたことから生まれた話らしい。
 短剣を見られたことがこんな形で誤解を招くとは。

 話を聞くと、その名が知れ渡ったのは二十年前に起きた、魔物の襲撃事件の時とのこと。
 その際、最前線で最も大きな功績をあげ、街を救った救世主として称えられた傭兵が父だ。
 当時、この事実は街中で大々的に報じられ、当時ウィース家を含む街の権力者たちは彼を表彰しようとしたが、父は金や名誉のためにやったことではないとこれを拒否。
 ある貴族がその態度を咎め、母と共に国外追放処分としたのだという。

 あの男が一体何を想って剣を握ったのか。
 今回の件は、聞くべきではなかったと後悔している自分がいる。
 ただの憎らしい父のままでいてくれた方がよほど気楽というもの……

「あら?ここにいましたのね」

 メイドに父にまつわる話を聞いた後、リオーネの部屋へと向かおうとしたところで彼女とバッタリ出くわした。

「近くにいないものですから探してしまいましたわ」

「申し訳ありません。すぐにお荷物をお運びいたします」

 ちょうどその日は、予てよりリオーネが楽しみにしていたアスピドケロンへの旅立ちの日だった。
 彼の地では、年に一度弓の大会が開かれる。
 由緒ある歴史と規模は大陸一と言っても過言ではないだろう。
 数年間打ち込んできた弓の技量を試す目的とはいえ、小さな大会などには目もくれず、いきなりそれに出場しようという辺りがいかにも彼女らしい。

「二人とも準備はできたかね?」

「えぇ!お父様」

「うむ。では行こうか」

 娘の晴れ舞台を傍で応援しようと、レオナルドもまた同行する。
 出るからには優勝……とはいかないまでも、せめて二人が笑顔となる結果に終わってくれれば幸いである……
…………
……

「お父様!レスター!見まして!?優勝しましたわよ!」

「なんとも……これは……」

「お、お見事……です」

 弓の鍛錬に励む姿を見てきた自分やレオナルドにすら予想外の結果だった。
 思えば、彼女以外の弓の使い手を見る機会はなく、それゆえに彼女の才能がいかに優れているものか考えたこともなかったのだ。
 本来なら三日かけて開催されるはずだった大会。
 しかし、予選で他の参加者と観客に見せつけた圧倒的な才能のせいで、ほとんどの選手は棄権。
 残った参加者も健闘していたが、思わぬダークホースの出現に困惑したのか、平静を欠いたまま脱落していった。
 最終的にはわずか数時間足らずで大会の幕が下りる結果となり、歴代最年少優勝という肩書と共に、見事優勝を果たしたのがリオーネだったわけだ。

 三日間の滞在を予定していた為、ぽっかりと予定が空いてしまった一行。
 レオナルドは丁度溜まっていた仕事があるといい、お供を連れて先に帰ったが、リオーネとレスターはそのまま二日かけて街を観光して回った。

「実に楽しかったですわね!時間が一瞬で通り過ぎたかのようでしたわ」

「はい。道中の船旅の方が長く感じてしまうほどでございます」

「……レスターは、わたくしがこの旅で目的にしていたことが何かおわかりかしら?」

「弓の実力を試したかった……のでは?」

「それもありますわ。でも、もう一つありますの。わたくしの夢にとって、得られるものがあると考えたからですわ」

「夢ですか……それを私に聞かせていただけると?」

「お父様にも言ってませんのよ?内緒にしてくださるかしら?」

「お嬢様がそう望まれるなら」

「……わたくし、お父様のように優しくて、力のある人間になりたいと考えていますの」

「でしたら今でも十分に――」

「それはあくまでわたくし個人の力に過ぎませんわ。皆を代表する立場に立ち、信頼され、その想いに報いるために力を振るう。お父様は昔からわたくしの憧れでもありますの」

「…………」

「お父様は自分を信頼してくれる全ての方々を家族だと思っていますわ。未熟なわたくしは、まだ屋敷にいる皆がせいぜい。でも、お父様のように街全体を……そしていつかは大陸中を一つの家族として、最高に幸せな世界を作って見せますの!それがわたくしの夢の終着点ですわ!今回の旅は、将来家族になっていただく方々と触れ合う貴重な機会にもなると考えたからですの」

「私にはスケールが違いすぎて想像もできない世界です。ですが、お嬢様がそれを望まれるなら、私はそれを執事として、家族として全力で支えたいと思っております」

「素敵な言葉ですわね!レスターはどんな夢をお持ちですの?」

「私は……夢など考えたこともありません。ウィース家に仕える前は母と共に生きることに必死でしたので。今はその頃に比べて本当に幸せです。これ以上は何も望みません」

「そう……何かやりたいこともありませんの?」

「そうですね……果たしたいこと、という意味でしたら、母の命を奪った連中には然るべき報いを受けさせてやりたいとは思います」

「レスター……」

「あっ……申し訳ありません!お嬢様のお耳にこのような……」

「いいえ。あの方は、私にとっても家族でしたわ。その無念を晴らすことは間違ったことだとは思いませんの」

「お嬢様……」

「でも、道に外れる様なことだけはしないと誓っていただきますわ!ならばわたくしもできる限りの協力を惜しみませんの!」

 そう。
 ウィース家を訪れたあの日から、今は自分と同じように母を想ってくれる人がいる。
 それだけで救われる気がした。

「必ず誓います……」



――二日後

「ただいま帰りましたわ!」

「無事に戻った様で何よりだ!レスター君もご苦労だったね」

「とんでもございません」

「お父様!祝勝会の用意は進んでおりますの?」

「それが……祝勝会は少し待ってくれるかな?」

「……何か急用ですの?」

「あぁ。すまないな」

 その時の様子がどうにも気になった。
 茶を運んだ際、そのことについて尋ねてみたレスター。

「やはり私は隠し事が苦手なようだ……実は、君たちが留守の間にやっかいなことが起きてね……」

 ラグーエルの商船が度々海賊に襲撃される事件が発生。
 レオナルドが屋敷へ戻った直後に報告を受けたという。
 様々な策を講じるも、毎度の如く逃げ果せられてしまい、今も対策に追われているとのことだ。

 『海賊』

 その言葉は、レスターの胸をざわつかせる。

「リオーネには内密に頼むよ。また無茶をしかねない」

「承知いたしました……ところで……」

「君の考えていることはなんとなくわかる。が、こういう時こそ冷静に対処しなくてはならない。わかるね?」

「……はい」

 それから数日、リオーネが自室にこもりっきりになった。
 初日は、自分の出したお茶が口に合わず気を悪くしたのかなどと、さほど重くは考えていなかったが、かれこれもう三日になる。
 海賊のことが彼女の耳に入れば、飛び出して事件の渦中へ飛び込んでいくのは目に見えているので、幸いその危険は無さそうだが、これはこれで心配だ。

「お嬢様?夕食をお持ちしました。もう部屋に閉じこもって三日。旦那様も心配されております」

「……入って構いませんわ」

「失礼します。一体どうなされたのですか?」

「レスター。わたくし、海賊討伐に参加しますわ。留守を頼みますの」

「……今なんと?」

「今、お父様の雇った傭兵の方達が海賊を討伐するための作戦を立ててますの。なんでも軍用船を商船に偽装して彼らを誘き出す作戦のようですけど……それではダメ。同じ作戦を何度試してもダメですわ!」

 確かにレオナルドは様々な策を講じているとは言っていたが、部屋に閉じこもったままどうやってその話を聞きつけたのか甚だ謎である。
 口元は笑っているが瞳の奥が燃えているリオーネが良からぬ事を考えている気がしてならない。

「わたくしはお父様には出来ない作戦を決行しますわ!」

「お待ちください!なぜお嬢様がそのような危険を――」

「レスター!お父様はこの件でずっと頭を悩ませていましたの……なら、家族としてそれを解決する手助けをするのは当然ですわ!」

「それは……間違ってはおりませんが……しかし――」

「ウィース家の一員として、外の方達だけに任せて事態をただ見守るなんてわけにはいきませんわ!なんと言われましても、わたくしは行きますわよ!」

「旦那様が傭兵を雇われたのは、お嬢様や家の者達を危険に晒すまいと考えたからなのでは!?」

「それは父としての判断で、ウィース家当主としてのものではありませんわ!わたくしは父レオナルドの娘である前に、ウィース家の一員ですのよ!」

「ならば傭兵と協力しましょう!それならいくらか危険を減らすことも――」

「海賊は生きるために船を襲いますの。獲物を観察し、確実に仕留められると判断した時にのみ行動を起こしますわ。軍船をいくら巧妙に偽装したところで、そんな彼らの目を本気で誤魔化せるとお思い?」

「ではそれを傭兵に伝え、作戦の変更を提案すれば――」

「どのみち外の方達の手を借りる形で解決することをわたくしは望みませんの!」

 ダメだ。
 こうなった彼女は止められない。
 恐らくレオナルドにも無理だろう。
 ならばせめて……。

「……わかりました。しかし、私も同行させていただきます。これは絶対条件です」

「レスターが!?わたくし一人で……」

「それができないのであれば、屋敷から出すわけにいきません」

「ぐっ……仕方ありませんわね……くれぐれもわたくしの邪魔をしようなどとは思わぬことですわ!良いですわね!?」

「承知しております……時にお嬢様?ここ数日、部屋に籠られていた理由は何なのでしょう?」

「何でもありませんわ。少し調べ事をしてましたの」

 今回の騒ぎを聞きつけた理由もその辺りにありそうだが、追及しても今ははぐらかされるだけだろう。

 お嬢様の事だ。
 海賊に報いを受けさせる……。
 アスピドケロンの大会の帰路で私が話した事がキッカケになっているのだろう。
 お嬢様が何を言っても聞く耳を持たない時は、誰かの為と決まっている。

「家の者に見られぬよう抜け出しますわよ。バレたら連れ戻されかねませんわ……」

「承知いたしました……」

 そこを理解していながらの行動は、褒めるべきか呆れるべきか。

 なんとか誰にも見られることなく屋敷を抜け出した二人。
 船着き場へと到着し、乗り込む船を探すと、まさに出港準備中の商船が停泊していた。
 二人は人目を避け、船尾から船へと潜り込むと、適当な船室に身を隠して出航を待つ。
 数時間後もすると、甲板が少し騒がしくなってきた。
 間もなく出航のようだ。

「ん……レスター?どうしましたの?」

「まだお休みになっていてください。そろそろ船が出るようです」

「そう……お言葉に甘えて、もうお少しだけ寝かせてもらいますわ……着いたら起こしてくださいまし……」

 船室のベッドで仮眠を取っていたリオーネだが、このような質素なベッドで眠る経験などない彼女には、熟睡することは難しかったのだろう。
 目を開けないまま、再び眠りについてしまった。

 それを見守るレスターの心中は彼女への謝罪の言葉で溢れていた。

 海賊が現れたら自分一人で片を付ける。
 屋敷では決心が固められずにここまで連れてきてしまったが、穏やかな彼女の寝顔を見て、ようやく心は決まった。
 相手がどれほどの戦力を持っているかもわからず、彼女には実戦経験もない。
 戦闘が発生すれば、確実に彼女を守れる保証はない。
 いっその事、このまま何事もなく目的地まで着き、海賊の方は傭兵がなんとかしてくれれば。
そんな希望的観測が頭の中を巡る。
 彼女さえ無事でいてくれるのなら……

 そんなレスターの願いは、次の瞬間に打ち砕かれる。

「おい!なんだあの船!?……海賊だ!!」

 ここまでお嬢様を連れてきた罰でも当たったのか、海賊船の襲撃を知らせる声が甲板から響き渡る。

「くっ……お嬢様!こちらへ!」

「レスター?どこへ行きますの!?」

 行先は船底。
 そこに都合のいい物置を見つけると、リオーネを半ば無理やり中へ入らせる。

「ちょっと……何ですの!?海賊が出たのでは!?」

「申し訳ありません。後でいくらでもお叱りは受けますので!」

「どういうことですの!?」

「お願いいたします!絶対にここから動かないでください!お嬢様を危険に晒すわけにはいかないのです!」

「そんな!ここまできて!!レスター!!」

「どうかお許しを!」

 扉を閉め、傍にあった木箱で塞ぎ閉じ込める。
 そのまま即座に踵を返し、レスターは甲板へと駆け戻った。

「急いで荷を隠せ!違う!!貴重品からに決まっているだろう!!」

「ちくしょう……ちくしょう……!」

既に甲板は混乱に陥っていた。
 ゆっくりと距離を詰めてくる船影。
 旗を確認するが、そこに剣の印は見えない。
 結局、自分にとっては無駄足となってしまったわけだが、今はそんなことも言っていられない。
 全て自分一人で片付ける。

「お、おい誰だお前!?うわっ!!」

 突如、メインマストの上にある見張り台からの声。
 何事かと思い、見上げた視線の先。
 そこには身を半分乗り出して見張り台から落ちかけている男と、あろうことかリオーネの姿があった。

「な……!?お嬢様!」

 扉を塞いでいたとはいえ、無理をすればそこから出ることも可能だっただろう。
 だからこそ自分はあれだけ頼み込んだというのに。

「あの女……何する気だ!?」

 眼前の船を真っ直ぐ見据え、弓を弾き絞るリオーネ。

「まさか……」

「狙いましてよ!」

 掛け声とともに、船腹に向けて雨のように弓を浴びせるリオーネ。
 完全に不意打ちを食らう形となった海賊船は、逃げることも抵抗することもできないまま、見る見るうちに沈んでいく。
 レスターにそれを止める術はなかった。



 何はともあれ、レオナルドにはこの件を報告しなくてはならない。
 だが、なんと報告すべきなのか考えがまとまらず、結局夜が明けても答えを出せずにいた。
 当然、リオーネが海賊船を沈めましたなどとは口が裂けても言えない。
 かといって彼女の気持ちを父に一切伏せるというのも心苦しい。
 考えは堂々巡り。

「仕方ないですね……」

 もう済んでしまったことだ。
 今回の件は正直に話し、自分だけでなるべくお叱りを引き受けよう。
 それがレスターの出した答えだった。

「本当に恐いもの知らずというか……ねぇ?」

 レオナルドの書斎へと向かう途中、メイドたちのそんな会話が耳に入ってきた。

「何かあったのですか?」

「あぁ、レスター君。なんでも昨日、帝国軍の船が商船に沈められたんですって」

「帝国……の船……?」

「ほら。最近、海賊の一件で街が慌ただしいでしょ?帝国軍も哨戒任務中だったらしいのだけど、見かけた商船を検問しようとした途端、弓で一方的に攻撃されたらしいわ」

「……その話、お嬢様には?」

「いえ。まだお聞きになっていないと思うわ」

「そうですか。お嬢様にはご内密にお願いします。これ以上、問題事をお耳に入れるのは好ましくありませんから」

「そうね……わかったわ」

 なんということだ。
 帝国は何が何でも犯人を見つけ出そうと今も血眼になっていることだろう。
 自分が彼女を止められていればこんな事にはならなかった。
 彼女の意思を尊重したかったと考えつつ、結局は自分の手で彼女を悲しませたくなかっただけの甘えた行動のつけだ。
 きっかけはなんにせよ、レオナルドや街のことを想って取った行動がウィース家の危機を招いたと知れば、とてつもない苦しみが彼女を襲うことになるだろう。
 自分の甘さが最も彼女を傷つける結果を生んでしまった。

 恐らくこれが最後の日記となることだろうと考えながらペンを走らせる。
 明日、レオナルドにこの一見の犯人が自分であることを告げに行く。
 きっと戻っては来る事はできない。
 部屋を整理して、出来るだけ物を残さずに去ろう。

 少なからずウィース家の名誉を穢すことにはなるだろうが、直系の者でないのなら最悪の事態だけは避けられるかもしれない。



「レスター君!大変よ!お嬢様が……!!」

 翌朝、レオナルドの元へと向かおうとしていたレスターが呼び止められる。
 メイドが言うには、朝になってもなかなか起きてこないリオーネを不審に思って部屋を覗いてみると、ベッドはもぬけの殻となっており、彼女の姿を屋敷中探したが見当たらないようだ。

「お嬢様!?」

 ノックもせずにリオーネの部屋へと踏み入るレスター。
やはり彼女の姿はない。

「くそっ!どこに……これは?」

 ふと彼女の机に、一冊の本が開かれたまま置きっぱなしになっているのが見えた。
 悪い考えが頭を過り、屋敷を飛び出して街の方へ走り出す。

 机の上に置かれていた本。
 それはレスターが日々の出来事を記録していた日記だった。
 迂闊な事に、そこには帝国軍船をリオーネが沈めたことも書いており、それを見たリオーネが何らかの行動を起こしたのだ。

「すまない!誰か、ウィース家のリオーネお嬢様を見かけなかったか!?」

「珍しいな。昼間からここに来るなんて」

 夜な夜な足を運んでいた酒場。
 表通りをひとしきり探しても彼女を見つけられなかったため、今度は裏道沿いを捜索する。

「そのお嬢さんかはわからないが、向こうの通りで揉めてる男女なら見かけたぜ?」

「本当か!?」

 それがリオーネなら、トラブルを起こしていた相手は帝国軍の関係者である可能性も十分考えられる。
 もし、連行されでもしたら取り戻すのはまず無理だろう。

「くそっ……どこだ!?」

 その時、レスターの頭の底から一片の記憶が蘇る。

「そういえば……この辺りは……」

 反帝国勢力。
 巷でその存在が噂されている彼らのアジトがこの辺りの地下にあるという話。

 路地を少し探索すると、確かに地下に降りる階段が見つかった。
 そのまま階段を駆け下りると、そこには地下とは思えないほど広いホールのような空間が広がる。
 さらに、少し遠目に何やら男達と口論している人影……そこに彼女がいた。

「お嬢様!!」

 駆け寄るレスターに気付きはしたようだが、意にも介さず口論を続ける。

「何故わたくしの入隊を認めませんの!?」

「ウィース家のお嬢さんと言えばこの街じゃ有名人だ。俺達があまり目立ちたくないのはわかるだろ?大体、帝国の船を沈めたのがあんただって証拠もないだろう?」

「ですから!弓の腕前ならばいくらでも見せますわ!!」

 平行線を辿る会話の中、リオーネの腕を掴み来た道を引き返そうとする。

「お嬢様。屋敷に戻りましょう。彼らも困っています。旦那様には私が説明しますから」

 レスターとしては帝国にあえて弓引く組織へリオーネを預けるなどあってはならない。
 家に迷惑をかけたくないという彼女の想いはわかるが、このやり方は危険すぎる。
 幸い、先方も断っているようだ。
 便乗してなんとか説得しようと試みるが……

「おい!ちょっと待った!」

 鎧を着込んだ男がレスターを止める。

「申し訳御座いません。ご迷惑をお掛けしました。今後同じことのないようお話しますので」

 そこまで口に出すと、男の後方にある重たそうな鉄のドアが開いた。

「あっ頭首……お疲れ様です」

 門番をしていたであろう男は軽く頭を下げる。

「そこの2人。この場所をどうやって知った?」

 汗が出る程の威圧感。
 そんな中でも、リオーネは態度を変えない。

「馬鹿にしないでくださいまし!こんな所に身を隠して、本気で帝国の目から逃れられるとでも思っていまして?」

「なんだと……?」

「現に、噂だけでここへ辿り着いた人間が二人もいましてよ?本当に帝国と戦う気がありますの!?」

「ぐっ……言わせておけば……!」

 門番の男は剣を抜いた。
 それに反応してレスターも短剣を抜く。

「なるほど……本当の事だったか……」

 頭首の男はニヤリと笑う。
 レスターにはその意味が分らない。

「お嬢さんの入隊を認めよう。だが、どうやら君の執事は反対しているようだが?」

「お待ち下さい!お嬢様をこんな組織に加入させる訳には……」

「悪いが、君は少し黙っていてくれ」

「大丈夫ですわ、レスター」

 大丈夫な訳がない。

「では先程の条件通りですわね」

「あぁ、その男も一緒だというなら入隊を認める」

 リオーネはレスターに向き直る。

「聞いていましたわね?レスター。わたくしと共に帝国軍と戦いますわよ」

「お嬢様!!何故そうなるのですか!?」

 そんな話を受け入れられる訳がない。
 しかし、こうなった彼女を止めることがどれだけ難しいか……

 頭首の男は、レスターが手にする短剣を指差しながら笑みを浮かべた。

「お嬢様が心配だよな?なら共に剣を持とうぜ。仮面のヒーローさん?」

「っ……!?」
(なぜこの男がそれを……短剣……!?)

「お嬢さんの話は本当だったか。こんな芝居を打ってまで俺達に確認させようとは、大したお嬢さんだ」

(芝居?)

「噂は聞いてるぜ!あんだけ街の中を騒がしてれば聞かねぇ方が変だがな。あんたほどの手練れが仲間になるのなら、お嬢さんくらいのリスクは喜んで抱えようってもんだ。俺らは新たな戦力を手に入れ、あんたらは俺達という後ろ盾を手に入れる。どうだ?」

 リオーネがニッと笑うのをレスターは見逃さなかった。

「レスター?これまで夜な夜な屋敷を抜け出してあなたがしていた事を、わたくしが知らないとでも思って?」

「……全て計算済みというわけですか……なるほど。話が見えてきました」

 レスターは深い溜め息を吐く。

「しかし、それでもお嬢様を危険な目に合わせる訳にはいきません。私の正体をバラしたいのであればどうぞご勝手に。そんな脅しで私が揺らぐとでも――」

「違いますわ、レスター。あなたが断るのであれば、わたくしは帝国の船を沈めたと帝国軍に出頭するだけですわ」

「っ……!?そんな!!お嬢様それは!!」

「あなたは自分の命を帝国に差し出す事でウィース家を守ろうとしている。わたくしがそれに気付いていないと思っていますの?」

「それは……お嬢様の執事として――!!」

「それをわたくしが良しとすると思って?」

「それは――」

 続く言葉が出てこない。

「選びなさいレスター。わたくしが帝国軍に出頭して罪を償うか、わたくしと共に帝国軍と戦うか」

 母の敵討ちの件を話してしまったミス。
 商船に乗せてしまったミス。
 日記を覗かれ、真実を知らせてしまったミス。

 全て自分の至らなさからここまでの事態になろうとは。
 覚悟を決めなければいけない。

「ふぅ……困りましたね。どうしましょうか」

「何がですの!?早く決めて頂けませんの!?」

「帝国と戦うとなると……旦那様にどう説明すればよいか……」

 問題は山積みだが、レスターの気持ちは穏やかだった。

「ということは、一緒に組織に入ってくれますのね!?」

 一人で抱えようとすると、いつも助けようとするお嬢様。
 誰かの為ならば、どんな無理もしてしまうお嬢様。
 もう十二分に優しくて、力を持っているお嬢様。

 このお嬢様を、何に変えてもお守りしたい。

「はい。私は、リオーネお嬢様に仕える執事ですから」
+ 魔蝶の声を聴きし者ルリア
 穏やかな風に煽られ、金の麦穂たちが波を打つ。
 ここ、風車の街『エムル』では、間もなく今年の収穫祭が開かれようとしている。
 豊かな自然に囲まれ、様々な作物の産地として名の通る街だが、その最大の特徴は他にある。
 街の冠ともなっている風車。
 古きより風の恩恵を何よりも大切にし、自然と共に生きてきたこの街には、至る所に風車が立ち並ぶ。
 製粉や地下水の揚水、生活の基盤を支える処々に風を利用しており、それは民達の生命線ともいえる存在だ。

 穂を狩り入れている農夫達の様子を伺うと、彼らが皆一様に同じ形のブローチを身に着けていることに気が付く。
 街の大門に掲げられている木彫りの像も同様で、全て蝶を象ったものだ。
 それは、彼らが守り神と崇める『魔蝶』の姿をモチーフとしたシンボルである。

「今年も良い風を恵んでくださった!」

「あぁ。本当に感謝いたします……」

 彼らが崇める魔蝶。
 エムルの街を抜けて大陸に送り出す風は、豊饒の恵みを司り、その恩恵は万物に繁栄をもたらすとされる。
 事実、この風を大切に守ってきた護り手の一族、ひいてはエムルの民は、その恩恵によりこれ程までの振興を図ることができた。
 街より僅か北の外れ、魔蝶の住まう森を眺めながら、民達は口々に感謝の言葉を述べていた。

「そういえば、そろそろ『守護者』様の継承者がお生まれになるとか……」

「本当か!?なんともめでたい!!」

 その昔、魔蝶を守護するためにエムルより森に遣わしたエルフの一族がいるという。
 以来、彼らは森の中で役目に従事しながらひっそりと暮らしているという。
 彼ら一族の者は皆『護り手』とされ、その中でも、魔蝶の眷属として仕え、一族の長となる存在は『守護者』と呼ばれた。
  街の人間でも、ほとんどその姿を見た者はいない。
 だが、収穫祭の後、供物として捧げられる作物を、森の入口から魔蝶へと届ける役目をも担う姿を、幸運にもその場に居合わせた人間たちは確かに目にするそうだ。
 その時、僅かばかりの言葉で情報を交わしつつ、互いの労をねぎらい、末永い繁栄を願い合うという。

 そして間もなく、次代を担う新たな守護者がその生を芽吹かせようとしていた……。



――十数年後

 魔蝶の森内、護り手の一族の集落では怒声が響き渡っていた。

「なんということか!未だに、眷属達との意思疎通すらも叶わぬとは……!!」

「申し訳ありません……ドロウス様……」

「…………」

 集落の中心に根を張る巨大樹の幹の中に作られたとある部屋。
 怒りで顔を真っ赤にした老人と、その前に跪きながら首を垂れる二人の少女の姿がそこにあった。

「立派に守護者の務めも果たせず、貴様らを生んだ母に申し訳ないとは思わぬのか!?」

 彼女達の名は、アリルとルリア。
 生まれながらにして『守護者』となる運命を背負った、護り手一族のエルフである。
 しかし、その生まれは決して望まれた通りの形ではなかった。
 守護者は代々、己の実子へとその役目を託す、一子相伝の慣わしにより引き継がれてきた。
 しかし、現守護者である姉妹の母が、その歴史上、未だ例のない双子として彼女達を生んだ為、守護者候補が二人になる珍事に陥ってしまっているのである。

「いずれ……いずれ、必ずや守護者の御力を賜れるよう邁進して参ります!」

 腰を撫でる長い髪と、大きく見開かれた目をした姉のアリル。
 その持ち前の明るさと人当たりの良さもあり、集落中の子供達から姉のように慕われる。

「どうか、お気をお鎮めください……」

 短髪で、姉に比べて少し半目気味のキリッとした目から、大人しい印象を受ける妹のルリア。
 見た目通り、内向的ではあるが、文武二道の秀でた才と、深い想いやりの心を持つ。

「黙れぃ!もうよいわ!一体、これまでに何度この問答をしてきたことか!!さっさと出て行けぃ!!」

「はい……失礼します」

「失礼します……」

 彼女達を大声で叱責する男の名はドロウス。
 この姉妹が生まれた際、どちらを次の守護者にするかということで揉めに揉めていた一族の者達を取りまとめた人物である。
 集落において最も高齢である彼は、一族の長である守護者に勝るとも劣らぬ発言力と影響力を持っており、今回、二人の成長を見守り、その素質をより濃く示した方を守護者とすることを定めた。
 しかし、自ら二人の指導役を買って出るも、全く守護者としての力が発現しない姉妹の様子に、日々不満を募らせている様子。

「アリル……」

 部屋を出た二人。
 ルリアは姉の裾をつかみ、心配そうに声をかける。

「大丈夫よ、ルリア!!私がなんとかしてみせるからっ!!」

 姉に比べて気弱なルリアは、日に日に度を増していくドロウスの叱咤に怯えていたが、妹を庇い、矢面に立っていた姉アリル。
 同じ立場にありながら、情けない自分を護ってくれる姉には感謝しつつも、それ以上に彼女の身が心配で居た堪れない。
 守護者としての資質を認められれば、姉妹揃ってこの苦しみから解放されることになる。
 そのためにも、日々あらゆる修練に励み、技や知識を身に着けてきてはいるものの、肝心な守護者の力が目覚める気配はない。
 守護者は、他の護り手とは異なる特別な力を有し、同じく魔蝶の眷属である蝶達と意思を通わせ、力を借りることにより、強大な力を行使することができるという。
 これは技術でなく、受け継がれる血がもたらす異能の力。
 いくら努力を積み重ねたところで、強制的に発現させられるものではなかった。

「今日も…………いたの………………かしら……」

「…………次の…………どうなるんだ……?」

 ドロウスの部屋から自室に戻るまでの間、姉妹を目にした集落の者達が何やらひそひそと話している声が聞こえた。
 ハッキリと聞き取ることはできないが、その内容は聞かずともわかる。
 守護者を継ぐはずの二人にその兆候が全く見られないため、一族の先行きを不安がっているのだ。
 いつも一緒に遊んでいた同世代の子達は、親たちに制され、姉妹には近づかなくなった。
 二人を庇っていた両親は、その心労から体を壊してしまった。
 もはや、二人にとって心安らぐ場など無く、このままでは姉も両親と同じ道をたどることとなるかもしれない。
 そう考えると怖くて堪らなくなる。

 しかし、ルリアまだ気が付いていなかった。
 この時すでに、アリルの精神的な負担は限界を迎えつつあったことを……。


――翌日

 今日もドロウスによる厳しい指導が行われる。
 これまでに基本的な教育の他、守護者としての力を発現させるべく考えうる限りの修練がなされたが、やはり今回もこれに関しては変化が見られない。

「やはりダメか……このまま守護者の名が貴様らの代で潰えでもしてみよ!?ご先祖様方へなんと報告すればよいのじゃ!?」

「あの……その……」

「ごめんなさい……」

 当然、ドロウスの怒りが収まるはずはなく、姉妹を目の前に座らせては罵声を浴びせるように声を張り上げる。

「貴様らも間もなく十五を迎えるが……これは人間が成人と認められる年齢だ!にもかかわらず、貴様らときたら!これっぽっちも成長せん、赤子以下じゃ!!」

「お待ちください!他種族のことは我々には――」

「黙れいっ!誇りある守護者がこの有様……。エムルの民の目にどう映ることか……くぅううう!!」

「ですから――」

「一族の恥さらしめが!わしらの顔にまで泥を塗りよって!!」

「そんな……私達は……」

 またしても彼を一人で諫めようと、姉がなんとか言葉を紡ぐ。

「えぇい!ルリア!!貴様は話を聞いているのか!!」

「は、はい!ごめんなさい……!」

「……ルリア」

 ひそめた眉。
 曇った瞳。
 そこにいつもの明るい姉の面影は無い。

「ア、アリル……?」
(いけない……!アリルはもう……!)

「……あの……その…………」

「ド、ドロウス様。もう……今日のところは……どうか……」
(許さない……これ以上、アリルを叱るというなら……私は……私は……!)

「なにを――ぬ!?ぬぅ…………」

 恐れに耐えつつ、決死の想いでドロウスを睨み、訴える。
 彼がその瞳の奥に何を感じたのかはわからないが、どこか怯んだ様子で姉妹に部屋を下がるよう言い渡した。



「アリル……大丈夫……?」

「うん……平気だよ……」

 自分達の部屋へと帰る最中、何度も何度もそう尋ねた。
 彼女が無理に作って見せる笑顔は、何よりも心を締め付ける。

 自室の戸を開き、いつも二人で肩を抱き合っていた部屋の隅っこへと向かう。
 そして考える。
 嫌な思いをする度に慰めてくれた姉。
 辛い事がある度に励ましてくれた姉。
 同じ重荷を背負っているはずなのに、自分のせいで更に辛い思いをさせてしまっている。
 いい加減、姉に頼りきるのは終わりにしよう。

「もう、私に構わないでいいから……」

「え?」

「もう……守ってくれなくていいから……」
(これ以上、頑張っちゃったらアリルがもたないよ……)

 目を瞑ると、ドロウスの怒り狂ったあの顔が浮かんでくる。

「…………」
(怖いけど……でも……!)

「なんでよ!?ルリア!」

 自分を奮い立たせようと思い詰めていたところに飛び込んできたのは、姉の悲鳴にも似た叫び声。
 思わず体がビクッと震える。

「え、私……」

「またそうやって!私だって苦しいのに!!私だって!!!!」

「ご、ごめん……もう……大丈夫だから……」
(ち、違う……そうじゃなくて…………)

「こんなに苦しいなら守護者なんてもうどうでもいい!私も何にも考えずにいられたらどんなに楽か!!」

 とうとう爆発した姉の想い。
 こんなになるまで自分のために耐え続けてくれていたことを改めて痛感する。
 釈明しようとした気持ちを想い留め、静かに姉の言葉に耳を傾けた。
 これは罰だ……

「うん……」
(全部吐き出してくれていいから……)

「双子なんかに生まれたくなかったよ!ルリアのバカぁ!もう知らないから!!」

「…………」
(もう辛い思いはさせないから……)

 ここで謝ってしまうと、たぶん永遠に姉に顔向けできなくなる。
 許しを乞うことなんて許されるはずも無い。
 自分がこれまでどれだけの事をしてきたのか、どれほどの重圧の中に姉をひとり置き去りにしていたのかを噛み締めろ。

「え!?」

 懸命に作った笑顔を姉へと向ける。
 それはせめてもの気持ち。
 込み上げる涙を漏らさぬよう堪えながら、できる限りの明るい笑顔を姉に覚えていてもらいたい。
 予想していなかったルリアの顔に驚いたのだろう。

「私……ご、ごめん……!!」」

 アリルは逃げるように部屋を飛び出していった。
 一人、部屋に残されたルリアは再び考える。
 どうすることが何よりも最善なのかを。

 これまで守護者はその実子へと受け継がれてきた。
 自分達は双子であるが故に事態が混乱している。
 ならば、自分が消えれば候補者は姉一人となり、今のような苦しみからは解放されるのではないだろうか。

 何度考えても同じ答え。
 ルリアは立ち上がり、静かに部屋を出た。

 その足で目指したのは魔蝶が住むとされる聖木。
 守護者を含め、その眷属にのみ立ち入ることが許されるその場所は、未熟者の自分には教えられていない。
 特に行く当てもなかったことに加え、知りたかった。
 もしかすると、自分が将来目にすることがあったかもしれないその光景を。
 禁忌とされていることだろうと、今の自分にはもはや関係のない事。



「はぁ……はぁ…………」

 ルリアらしからぬ、思いつきでの行動。
 そして、やはりというか、それはあまりにも無謀だった。
 集落を抜け出し、森の奥へと入ってからそれなりに歩いたはず。
 だが、聖木らしきものは影も形も見当たらない。
 さほど広くない森とはいえ、まだ年若い娘の足で簡単に踏破できるはずもなかった。
 一族の者と共に踏み入ったことのあるラインはとっくに超え、既に帰り道すらもわからない状況。

「まだ帰り道のことなんて気にしてるんだ……私……」

 戻らぬと決めた道を振り返り、またすぐに前を向いて歩みを進める。
 その一歩一歩が自分の命を削ぎ落としていくような、そんな感覚だった。
 そういえば、もうどれくらい歩いただろうか。
 右へ左へと足元がふらつく。
 徐々に力が入らなくなってきている。

「…………あ……あれは……?」

 そんな時だった。
 視線の先に捉えた、一本の巨木。
 果たしてそれが目的の木であるかはわからないが、最後の力を振り絞り、足を前に出す。

 目の前にすると、その大きさが良く分かる。
 壁のように目の前に反り立つそれを、幹にもたれ掛かりながらぐるっと一周してみる。

「そうだよね……」

 それは求めていた聖木などではなく、ただの朽ちかけた大木。
 精根尽き果てたルリアは、ちょうどそこにあった樹洞へと潜り込み、あの部屋の隅でしていたように膝を抱えた。

「私、何のために生まれてきたんだろ……」

 望まれぬ双子の生まれ。
 資格のない継承者。
 姉の足を引っ張り続ける日々。
 無駄足に終わった最後のちっぽけな望み。

「……う……うぅ……ぐすっ……アリルぅ……」

 見出せない自分の存在意義や、姉への懺悔の気持ちから漏れる嗚咽。

――ルリア!

「アリル……!?」

 姉の声が聞こえたような気がした。
 だが、周囲を見渡しても人の気配は皆無。

「………………」

 それは幻聴だったのかもしれない。
 だが、ルリアの耳には確かに聞こえた声だった。
 この期に及んでも、まだ姉の温もりを欲しているのかと自身を内心でほくそ笑む。
 結局、最後もまた姉に励まされてしまった。

「もし……もしも……もう一度チャンスがあるなら……」

 姉の声が芽吹かせた一つの願い。

 自分がいなくなれば姉は守護者になれる。
 無事に将来的にそうなったとしても、重い使命と責任を背負い続けることに変わりはないのではないだろうか。
 今、自分が選択している道は、姉への贖罪などではなく、ただ逃げている事に他ならないのではないだろうか。
 また姉だけに背負わせてしまうところだった。

「これからは、私も一緒に背負います……今まで甘えていた分も背負いますから……どうか……どうか……この先も姉と共に……生きる未来を……」

 目の前の朽樹を聖木に例える。
 見えもしない魔蝶の御前で祈るように。
 片膝をつき、胸の前で祈り手を合わせて願う。

――ナンダ、ナンダ?

「え!?」

 突如、頭上からの声。
 祈りを捧げていたルリアの頭上をヒラヒラと舞う光。

――ルリア、ドシタ?

「蝶ちょ……?」

 仰ぐ空に続々と集まってくる光る蝶達。
 母に聞いた言葉を思い出す。
 守護者の力を持つ者には、眷属である蝶の姿が輝いて見え、意思と言葉を交わすことができると。
 それにしても、これまでありとあらゆる方法を用いても手に入れることができなかった力が何故、今になって……

「守護者……私が……」

――ンン?ナイテル、イタイ?

「え……?あ……だ、大丈夫……大丈夫……」

 驚きと喜びのあまり、またしても涙を零すルリア。

「眷属さん……私の話、聞いてくれる……?」

――オハナシ、キク

「ありがとう……!」

 まさに夢のような時間。
 普段は決して口数の多い方ではなかったが、このときの彼女の姿は、まるで気の知れた友人たちとのおしゃべりのようだった。
 昔の楽しい思い出話から、辛かった修練の話。
 大好きな姉のことや、ケンカしてしまったこと。
 時間を忘れるほどに夢中で話し続けたルリア。

――ルリア、アリルニ、アイタイ?

「……うん。これからの事を話したいよ」

――ナカナオリ、スル

「そうだね……ちゃんと謝らないと……」

「ルリア!?いるの!?!?」

「え……?アリル!?」

 思いもよらぬ姉の声。
 樹洞から這い出て、声の聞こえた方へ視線を向けると――

「ルリアーーーー!!」

 駆けた勢いのまま飛び付いてきたアリル。
 力が入らずぐらつく足で懸命に踏ん張りながら、姉の身を受け止めた。
 再び出会えた喜びと、姉の体温で体が熱くなる。
 しかし、誰にも告げずにここまで来た自分をどうして見つけることができたのだろうか。

「なんでここが……?」

「そう!聞いてよ、ルリア!実は――」

「……?」

「もうここしかないと思って、とにかく森の中をずっと駆け回ってたの。そしたら、ここに蝶が集まってるのが見えたから、もしかしたらと思って!」

 アリルだってここには来たことがないはず。
 まっすぐ進んできた私よりも、ずっと長い距離を走り回っているだろう。

「会えて良かったよぉ……ルリア……ゴメンね!あんなこと言ってゴメンねぇ……!」

 それを言いに、ここまで走ってきたんだ。
 アリルを……お姉ちゃんをそこまで心配させてしまった。

「私も勝手なことして……ゴメン……もう……逃げないから……」

「うん……!これからも一緒に頑張ろう!私も頑張るから!」

「うん……もう……アリルだけに無理させないから……」

「見つけられて本当に良かった……!もう二度と会えないかと思ったよぉ……」

「本当にごめん……もう絶対にこんなことしないから……」

「約束だからね!こんなとこで一体何してたのよ!これからどうするつもりだったの!?」

 ギクリとした。
 いつの間にか眷属達の輝きが消えている。
 たまたま一時的に力が発現しただけ?
 それでも、守護者としての資質が自分に備わっていることだけは確かだ。
 この事実をドロウス達が知れば『守護者』として認めざるをえないはず。
 ただ、姉はどうなのだろう?
 もしも自分だけが力に目覚めたとなれば、姉は一人で居場所を追われることになってしまう。

「あ……えっと……か、考えてなかった……」

「もう!本当に馬鹿なんだから!私より勉強はできる癖に!」

「それは、考えなしに森を走り回るアリルも同類……」

「う……ま、まあね!あはははは!」

「ふふ……」

 恐ろしくて聞くことも、言うこともできない。
 まだ、今はまだ……

「そうだ!ルリア!!私と一緒に修行しない!?」

「修行……?」

「うん!今まではさ、お母さんやドロウス様の言いつけで、いろんな訓練はしてたけど、やっぱり守護者の力に目覚めなかった。だから、今度は自分達でいろいろ考えながら修行してみない?」

 姉からの意外な申し出に、これは好機だと思った。
 双子のアリルであれば、自分と同様に守護者の資質が備わっているはず。
 二人の修行でそれを目覚めさせることができれば、二人揃って胸を張り守護者になれる。
 確証なんてなくとも、叶えると決めた夢を諦めてなるものか。

「……うん。それ……すごく良い……」

「明日から早速始めるからね!」

「わかった……頑張ろ、アリル」



 早速、翌日から開始された修行は、森の奥深くに設けた特製の修行場にて行われた。
 この件が公になると、他の者からどのような事を言われるのか容易に想像できる。
 さらに人目を避けるため、寝静まった夜更けになるまで動くのを待った。
 二人揃って、守護者の資格を見せつけると誓い合った約束。
 今日も二人は森の中に作った修行場へと忍んで向かう。

「アリル……起きてる?」

「もちろん。じゃあ行こっか」

 しかし、思うように成果は得られなかった。
 自分自身、どうやって眷属達と繋がることができたのかわかっていないのだから当然だ。
 ここ一週間、足繁く修行に通うも、彼女たちに力が発現する気配は感じられない。
 とはいえ、悲観はしない。
 十数年もの間、そのきっかけさえも見つけることができなかったのだ。
 ようやく掴んだ糸口を必死に手繰り寄せようと足掻き続ける。

「ドロウス様。二人は今日も森の中へと向かいました」

「うむ……調べはついておるのか?」

「はい。やはりドロウス様の睨んだ通り、守護者としての力を発現させるべく、何やら修練を積んでいる模様です」

「そうか……」

「これで結果が出れば良いのですが……」

「んん?あぁ……そうじゃな…………」

 まさかこの時、ドロウスが自分達の行動を見抜いていたことなど想像もしていない姉妹。
 しかし、ドロウスは憤ることなく、ただただじっと夜空を眺めていた……。



――翌日

 その日の指導を終え、部屋に戻った二人は夜の修行に備えて、すでに床に就くところだった。

「今日のドロウス様、なんだか優しく……はないけど、いつもと違うように感じなかった?」

「言われてみるとそうかも……いつもみたいにガミガミしてなかったし、なんか不気味……良い事だけど」

「ルリアってば、あんまり言うとバレた時に怒られるよ~?」

「その時は、アリルも同罪……!」

 他愛無い話に花を咲かせていたところに、ノックも無く開かれる部屋のドア。
 そこにはドロウスからの遣いが立っていた。

「アリル。ドロウス様が、お部屋まで来るようにとのことだ」

「え?私一人ですか?」

「ああ。急げよ……」

 二人の顔も見ず、用件だけ手早く伝えて去っていった男。
 思い当たる節を探し、アリルとルリアは眉をしかめる。

「アリル……」

「何の話かわからないけど、たぶん大丈夫よ!もし遅くなっちゃったら、先に行ってて!」

 見送る姉の背を見つめながら、胸に手をやる。
 前例のないアリルのみへの呼び出し。
 男の挙動。
 様々な違和感は混じり合い、不安となって押し寄せる。

「…………大丈夫かな」

 横になっても収まらない胸騒ぎ。
 目を閉じても全く眠れる気はしなかった。

 小一時間程してからだろうか。
 部屋の前に人が立つ気配を感じ、体を起こす。
 開かれた戸を潜り入ってきたのはアリル。

「おかえりなさい……何のお話だった……?」

「ただいま。うん……実は、最近修行してることがバレちゃってたみたいなの」

「また……怒られたの……?」

「ううん。むしろ褒めてくれたよ!そのうちホントに守護者の力が目覚めるかもって!でも、夜中に森の奥まで行くのは危ないからって注意されちゃった。しばらく修行はやめておいた方がいいかも」

「そっか……じゃあ今日の修行は無し……?」

「そうだね。明日、また新しい修行方法を考えよ!」

「うん……わかった」

 無事に戻った姉の様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
 無理に強がっている様子も無く、本当に何も無かったようだ。

「じゃあ、今日のところは寝ようか。久しぶりにゆっくり寝られるね!」

「いつもぎりぎりまでお寝坊してるくせに……」

「あはは!じゃあ、おやすみ!」

「おやすみなさい……」



 安心して眠りについたルリアだったが、またしても違和感を覚えて目を覚ます。
 虫の知らせとでもいうのだろうか。

「なに……?」

 寒くも無いのに体が震える。
 姉に相談しようと、彼女の寝床に這い寄るが、そこは既にもぬけの殻だった。

「アリル……!?」

 布団はまだ微かに温かい。
 部屋を出てから、そう時間は経ってはいないということ。
 窓の外を見ると、『真紫月(しんしづき)』が夜空の天辺に達しているのが見えた。
 紫の明かりに、どんどん強まっていく嫌な予感。

「アリル!?どこ!?!?」

 慌てて部屋を飛び出して辺りを見回すが、こんな時間に外をうろつくような者がいるはずも無い。
 となると、見えないところに姉はいる。
 己の経験を思い出す。
 暗く、木々に遮られて視界も悪い森の中。

「まさか……」

 熟考などしている時間はない。
 鼓動が急かすように強く訴える。
 自分の直感を信じ、ルリアが森へと入ろうとした時だった――

「……っ!?」

 何者かの気配。
 背にする小屋の影から感じるねっとりとした視線。

「ふー…………」

 立ち止まり、深く息を吐いて精神を研ぎ澄ませていく。
 普段の彼女であったなら、怖気づき、そのまま放置していたかもしれない。
 ただ、今の彼女は違った。
 何よりも優先して守るべき存在のため、ただそれだけに集中したその姿は、一族の者達が見てきた彼女とは一線を画す。

「…………!!」

 振り向き様に一瞬で気配の位置を確認。
 彼女の強烈な殺気を孕んだ眼光に、人影が怯んだ。

「ひぃいいいい!?」

 瞬く間に間合いを詰め、腰に差していたナイフを対象の喉元へと走らせる。

「待て待て待て!おれだ!おれだよ!!!!」

「あれ?貴方は……」

 ルリアの足元で震えながら尻餅をついている男は、先刻自分達の部屋を訪れたドロウスの遣いだった。
 腰には普段身につけていない短刀が見える。

「か、勘弁してくれ!いきなり何をするんだ!!」

「…………」

 またも直感が告げている。
 こいつは何かを隠している。

「……言いなさい。何を隠しているの?」

「はぁ?こっちが聞きたいくらいだ!だいたいこんなことしてただで済むと思っているのか!?」

「言わないなら……」

「いい加減に……し…………」

 短刀に手をかけようとした男の手を払いのけ、喉元のナイフに力を入れる。
 男の目に、ルリアはどう映っていたのだろうか。
 恐らくは本人でさえも抑えきれないであろう程の殺気。
 彼女に比べ、男の存在は羽虫のようにちっぽけに見える。

「くそっ……お……おれは何も知らない!言われた通りにしただけで!」

 それは誰に向けての言い訳なのか、その表情から薄ら笑いは消え去り、ただ助かりたいという思いでのみ行動しているようだ。

「命令したのは誰……?」

「あ……あぁ……それは……!」

 まだ抵抗する気迫が残っている?
 否、天秤にかけているのだ。
 命の危険さえ伴うほどの今の状況と比べられるほどの脅威。
 そう考えると、導き出せる答えは一つだけ……



――コンコンッ

「む……誰じゃ?」

「ルリアです。失礼します……」

「誰が入れと言った?」

 訪れたドロウスの部屋。
 こんな夜更けだというのに、休んでいた様子はない。
 もっとも、静かに寝息でも立てていれば、そのまま永遠に眠らせてしまいかねない。

「どうか……言葉にお気を付けください……今の私を刺激しないように……」

「……なんだその言い草は……部屋に戻れ……」

「アリルはどこ……?」

「……部屋におらぬのか?わしは何も知らん……」

「アリルはどこだと聞いているの!!」

 ドロウスは小さく舌打ちをする。

「ちぃっ……お前はもう少し頭が良いと思っていたが……買いかぶり過ぎだったようじゃのぉ」

「どういう事!?説明して!」

「わしはお前を……守護者にしようとしているだけだ……」

「……っ!?どういうこと!?」

「お前の姉……アリルもそれを容認した」

「そんな筈は……!!」

「姉の性格を考えてもみよ……本当に否定しきれるのか?」

 確かに……アリルならばそう打診されたら受け入れるかもしれない。
 他でもない、私を……妹を誰よりも想っている……あのアリルだから。

「それが……本当だとして……アリルはどこに行ったの!?」

「……それを知ってどうする?」

「守護者になるのは私でもアリルでもない!二人でなると決めていた!だから私達は二人だけで特訓していた!!」

「その特訓とやらの成果はあったのか?」

「……それは……まだ……でも、いずれ……」

「いつまで続けても同じ事じゃろう。姉もそう悟ったのじゃ……」

「そんな筈は……」

 段々とルリアのトーンは落ちていく。
 アリルを疑っている訳ではない。
 アリルだからこそ、その答えを導き出す可能性があった。

「姉の気持ちくらい分かる奴だと思っていたが……まぁいい。これからは守護者となる為に精進するのじゃ。さぁ、もう部屋に戻れ」

 これ以上、何を言おうと無駄だと悟った。
 下手に外にいた使者の話をすれば、ここで捕われてしまうかもしれない。

「わかりました……」

 アリルが危ない……
 ドロウスは姉を消そうとしている。
 それだけは確かだ。
 ドロウスの使者の男は森へ向かっていた。
 アリルは森にいる。
 私を守護者にしようとしているという話が本当か嘘かなんて今はどうでもいい。
 アリルを助けないと……

 懸命に森を走り回るルリア。
 しかし、この森のどこにアリルはいるのだろう。

 こんな時、守護者の力が扱えれば姉を救うことができるかもしれないのに。
 時間の経過がとてつもなく早く感じる。

「アリルぅううううう!!お願い!!返事をして!!!!」

 激しくなる動悸。
 息も絶え絶えになりながら姉の名を叫ぶ。
 既に顔は汗と涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「あぁ…………お願い……アリルを助けて……魔蝶様!守護者になれなくてもいいから!だからアリルを助けてよぉおおおお!!」

――ルリア!!

 滲む視界にふと浮かび上がった光。
 それは姉の形を成したと思いきや、自分の名を呼びながらこちらに手を差し伸べた。

「アリル!?」

 とっさにその手を掴むルリア。

 次の瞬間。
 体が宙を舞ったかのように世界は広がり、傍にアリルを感じた。
 いつの間にか集まってきていた小さな光達。

――ルリア、タダイマ、オカエリ?

「眷属さん……!また会えたね!」

 習ったわけでもないのに、そうするものだとわかる。
 意識を集中したルリアは、姉へと意思を飛ばす。

――アリル。私たち……

 うん。わかるよ――

 至る覚醒の時。
 言葉を介さずとも、想うだけで流れ込んでくる様々な声と意思。
 アリルが何を想うのか、魔蝶が何を望むのか、眷属達を通して全てを理解した。

 眷属を纏いながら、アリルがならず者達を前にしている光景が見える。

――二つを一つに……

――我ら、魔蝶を守護する番(つがい)の風。森を汚せし蛮族を、粛正する

 声を揃えて述べる口上。
 魔蝶達を通し、自分の力がアリルへと流れていく。
 力を受け取ったアリルは、手にする槍へとそれを込め、その存在を高めていく。

「これは……ちっ、引くぞ!!」

 後退していく男達。
 逃がしはしない。

「覚えておけ……我ら番の守護者がいる限り、エムルに吹く穏やかな風は決して止むことは無い……」

 男達の群れめがけて放たれた槍。

「おのれぇええええええ……――」

 魔蝶の風と、守護者の力を纏いし一撃は、いとも簡単に男達を殲滅した。



「アリル……!」

 静けさを取り戻した森を再び走るルリア。
 もう道に迷うことは無い。
 真っ直ぐに姉の元へと駆けつけ、腰を落としたまま動けずにいるアリルを抱きしめる。

「お姉ちゃん……!」

「うわぁ!?ル、ルリア!!」

 絶望の淵で拾った奇跡。
 もう二度と会えないと思った。

「ルリアぁああ!恐かったよぉおおおお!!」

「アリル……無事で良かった!本当に良かった……!!」

 想いは互いに同じ。
 守護者の力を用いずとも確信できた。
 その様子を心配したのか、魔蝶の眷属達も周りに集まってきた。

――ルリア、アリル、ナイテル

――イタイ?ヘーキ?

 自然と流れ込んでくる眷属達の意思。
 完全に覚醒したことで、体がそれに適応してくれている。

「うん!平気だよ。やっぱり眷属さん達だったんだね!」

「また、お話しできた……助けてくれてありがとう。眷属さん」

「また?」

「あ……うん。実はね――」

 姉妹は手を繋ぎながら集落へと帰った。
 二人はその間、いろいろな事を話し、知ることとなる。

「え!?ルリアも眷属さんとお話したことがあるの!?」

「うん……その時は言えなかったけど……」

「そっか。私も……同じ。あーあ……最初から全部話してれば、こんなことにならなかったかもしれないのに」

「でも、そしたら『守護者』にはなれなかったかも……」

「そうかもね……あはは」

 アリルは微笑んでいる。
 そう、私達は二人で一つ。

「私、今回のことで気が付いたんだけどさ……たぶん守護者になるためのきっかけって、誰かを強く想うことなんじゃないかなって」

「私たちが同時にお互いのことを想ったから?」

「そう。お母さんが昔、言ってたんだ。護りたいものを強く愛する人になりなさいって」

「あ……私も覚えてる……」

「その時はよくわかんなかったけど、今ならわかる気がするよ」

「うん……」

  心の中がスッキリしたような気がする。

「じゃあ、行くよ」

「ドロウス様のところ……」

「いろいろ聞かなきゃいけないことがあるからね」



――夜明け

 集落へと帰り着いた二人は、真っ直ぐにドロウスの部屋へと向かう。
 入口にはあの時の男が立っていたので、とりあえず一睨み利かせておいた。

「ドロウス様。お話があります……」

「な!?き、貴様ら……!?」

 我が物顔で部屋に上がり込んできた姉妹の姿に、ドロウスは椅子に踏ん反り返りながら目を丸くしている。

「あなたが差し向けた刺客でしたら、眷属達の力を借り、撃退しました」

「眷属の力だと!?馬鹿なことを言うでない!守護者でもないお前たちに、そんなことできるわけがなかろう!!」

「信じられませんか……?」

 ゆっくりと顔を見合わせる姉妹。
 静かに目を閉じ、守護者の力を発現させる。

「こ……これは……!?」

 部屋を埋め尽くさんとする程の煌き。
 瑠璃色になった瞳は、守護者の証そのもの。
 そして、彼女達が放つ蝶の加護の力は、歴代の守護者をも遥かに超える圧倒的なものだった。

「……そんな…………まさか…………」

『我らを魔蝶の守護者と認めよ……』

 意識がシンクロした二人。
 その口から出る言葉は、魔蝶の意志だとドロウスは直感する。

『貴方は貴方のすべき責務を果たそうとしたまで』

「そ、それはそうかもしれぬが……」

 尊厳をも投げ捨て、遜るドロウス。

『私達は……あなたを恨んでいません……』

「な、何故じゃ……?わしは……殺そうと……」

『それは許しがたい事。しかし、今回の件で守護者として私達が目覚めたのもまた事実です。ですから……これからも私達と、この集落をお願いします……』

「…………あぁ……勿論だとも……!この命枯れ果てるまで、お仕え致しますぞ!」

 一族で最も権力を持っていたドロウスが認めた新たなる守護者。
 その手の平の返しように皆戸惑ってはいたが、彼の横に並ぶアリルとルリアの清々しくも誇らしい顔は、皆を頷かせるのに値するものだった。
 後日、一族の者たちを集め、正式に姉妹を守護者と定めることが決定し、名実共に新たな『守護者』は誕生した。





「うわぁ……!」

「アリル……挨拶!」

 更に後、ドロウスに案内されて訪れた魔蝶の住まう聖木。
 初の魔蝶との対面。
 風車の羽根にも勝るとも劣らぬ羽には、幻想的な模様が浮かび、その神々しさの前にはただ息を呑むしかなかった。

「この度、守護者のお役目を賜りました……ルリアと申します」

「アリルと申します」

 守護者となったその身は魔蝶の眷属の一員となる。
 そのための儀がこれより執り行われようとしている。

――新たなる守護者の子らよ。そう臆することはありません。此度の件、さぞや大変だったことでしょう。

 ずしりとした重さの中に感じられる温かな優しさ。
 幼い頃、耳にしていた母の言葉のような……

――我が眷属達の目を通し、全てを見ていました。只今、この時より、そなたらもまた我が眷属として迎えましょう。

「光栄の至りです……」

――アリル、そしてルリアよ。我が盾であり、眷属であり、盟友であり、そして子である娘達よ。此処に最初の命を授けます。

「「はっ!」」

――眷属らと共に世界を巡りながら、所縁ある地を繋ぎ、我らが領域を築きなさい。

「……領域?」

――我らは遠く離れた地においても、眷属同士で意思を交わし、その地の事柄を知ることができます。

「あちこちの森に眷属さんを連れて行って、それを結びつけることで、警戒網を作る……」

「おぉ!そういうことか!!ルリア、やっぱり頭いいね……!」

――不穏な輩を事前に察知することで、今回のような悲劇も未然に防ぐことができることでしょう。

「でも、私たち……森の外の事は何も知らない……」

「エムルにすら行ったことないもんね……」

――これはそなたらが成長するための試練でもあるのです。世界を知り、見聞を深め、守護者としても、人としても立派になって帰ることを願っています。

「世界かぁ……」

――さあ、行きなさい。その旅路に幸運あらんことを。恵みの風はどこまでもそなたらの姿を見守っています。

「「はい!」」

「行くよ、ルリア!」

「うん。お姉ちゃん……!」

 微かな不安を感じつつも、それ以上の期待に胸を膨らませる姉妹は駆け出した。
 森から吹く風に背中を押されながら、その境界線を越え、新たな旅への第一歩を今踏み出す。

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最終更新:2017年07月28日 16:55