アットウィキロゴ
+ 射抜き獲る眼光エルネ
 港町マリーヴィア。
 青い海に面したこの街は、大陸外の国とも盛んに貿易が行われている。
 一年中潮風が吹き抜ける為、背の高い建物は港に作られた灯台くらいだった。
 その灯台の一番上から、マリーヴィアの問題児は今日も弓を構える。

「可愛い女の子はどこかニャ~~?」

 額に手をかざし、街を歩く小さな影を物色する。
 膝を曲げてしゃがみ込み、長いマフラーをヒラヒラと風になびかせながら、前傾姿勢でクネクネ尻尾を揺らす。
 突然何かに気が付き、目を閉じてクンクンと鼻を鳴らした。

 「ニャニャッ!」

 急に目を見開いたかと思うと、大きな弓を構えて狙いを定め、商店街を抜けた先の坂道を歩く一つの影に全神経を集中させる。
 瞬間、その弓から風をまとった矢が放たれ、小さな影に向けて一直線に飛んで行く。
 距離や潮風、高低差までも全て計算された矢は、確実に小さな影を捕らえている。

 買い物から家に向かっていた少女は、その身に何が起こったか分からなかった。
 突風が吹いたかと思うと、目の前の地面に矢が突き刺さる。
 先端に鉄の金具がついた茶色くて細長い革の…まるでベルトが千切れたような物が、矢尻に付いていた。
 少女はふと、坂道に通り抜ける風を全身で感じる。
 自分の足元に目をやり、その身に何が起こったかを理解した。

「キャアーーーー!!!」

 少女の悲鳴がマリーヴィアに響き渡る。
 近くにいた人々は、とっさに少女に駆け寄り着ていた上着を脱いで被せると、険しい表情で辺りを見渡す。

「エルネーーー!!出てきなさい!!今日という今日は!!」

 マリーヴィアの女性たちは、毎日のように続くエルネの悪戯に業を煮やしていた。
 灯台の先端からその姿を眺めていたエルネは、尻尾をくねらせながらその様子を眺める。

「ニョホホーーー!絶景だニャーーーー!!」

 縦長の瞳孔をハート型にしながらひっくり返り、足をバタバタさせながら歓喜するエルネ。
 悪質な事に、旋風を纏った矢は巻き込んだ服を木っ端微塵に切り裂き、元の形に戻す事は不可能。
 身体は傷つけずに服のみを射抜く、エルネの弓の精度は日々研ぎ澄まされ、その射程圏は1kmを越えていた。
 「女の子の裸が見たい」という強すぎる願望は、エルネの技術を歯止めなく向上させていく。


 その日も朝から、エルネは灯台に登り獲物を探していた。
 マリーヴィアの領主の家に入っていく女性は、エルネの求めた絶世の美女。
 エルネは鼻息を荒くして弓を構えながら、その女性が顔を出すのを今か今かと待ちわびる。
 昼になり、夕日が落ち、月が空の真ん中まで到達した頃、領主の家の2階の窓に明かりが灯った。
 その窓に美女が出てくるや否やエルネは弓を放つ。
 夜目が利くエルネにとっては、昼も夜も変わらない。

「生まれたままの姿にニャるニャーーーー!!ムッホーー!!!!これはまた!脱いでもすごいニャーーーー!!!」

 鼻血を出しながら後ろに倒れるエルネ。
 何時間もの間、限界まで精神を集中し続けた事により溜まった疲労は、一瞬で幸せの頂点となり解き放たれる。
 その場に倒れこみ、達成感を全身で感じつつ泥のように眠る。

「この世の春だニャ……」

 朝になり目を覚ますと、エルネは屈強な兵士達に取り囲まれていた。

「なんなのニャお前ら!!ちょっと、いきなり何なのニャ!ヤメるニャよーーーー!!」

 身動きが取れないよう何重もの縄が身体に巻かれ、エルネはどこかへ連れていかれる。
 見えてきたのは街の高台にある大きな屋敷、そこは領主の家だった。
 兵士達は足を止める。

「領主様!問題児を捕らえて参りました!」

 扉が開かれると、そこにはエルネを見下ろす領主の姿があった。
 領主の背後には大広間が広がっている。
 大広間の突き当りには階段があり、広く大きな壁には若い頃の領主が描かれた絵画が掛けられているが、無残にもその額には見覚えのある矢が突き刺さっていた。
 更に絵画の裏の壁にヒビが入り、その亀裂は絵画の外にまでくっきりと見えている。

「君が噂のエルネ君か。随分と派手に暴れ回っているようだね」

 領主は淡々とした口調で話す。
 その表情は笑顔だったが、瞳の奥のグラグラと煮えたぎる怒りはエルネにも感じ取る事ができた。

「君のせいで、大事な絵が台無しだよ。どう責任をとってくれるのかな?」

 エルネ嫌な汗を流しながら笑顔を取り繕う。

「ニャハハハ……いやぁ、領主さん、最近シワが増えてきてるし、そろそろあの絵も…描き直した方がいいんじゃないかニャ~~ニャんて……」

 領主の額に無数の血管が浮かび上がる。

「余計なお世話だ!!今まで見過ごしてきたが…今日という今日は許さん!!」

「ニャ~んだ!見過ごしてきたって事は、領主さんも、やっぱりかわいい女の子の裸が好きなんニャねー!」

「黙れ!!そんな事があるものか!!」

 ふぅふぅと鼻息を荒くしていた領主だが、これ以上挑発に乗るのは威厳に関わると考え、一つ咳払いをして落ち着いたトーンへと戻る。

「ゴホン……。君の故郷は確かヴィレスだったね…。本日付けでマリーヴィアでの住民権は剥奪。変わりにこれをエルネ君にプレゼントしよう」

 領主が手を前に出し、エルネの顔の前に一枚の紙が開かれる。
 紙の一番上には『退去強制令書』と記述されていた。

「これは何なのニャ?えーっと、なになに…マリーヴィアで数々の問題を起こすエルネに対し、だすなまこくへの…きょうせい……?読めないニャ!!」

 首を傾げるエルネに、領主は嬉しそうに話す。

「出生国への強制送還。君は問題を起こし、この街を追い出されるのだよ。そして、生まれたヴィレスでそれ相応の処罰が待っているだろうね」

 エルネの故郷、“獣境の村ヴィレス”は獣人であるガルム族の村であり、ガルムの王によって統治されていた。
 ガルム族は、元々人間との間に確執があったが、長い歴史の中で交友関係を結び、今では共存できている。
 しかし、村の外でガルムが問題を起こせば、交友関係に亀裂が入る可能性を考え、罪を犯した者には厳しい処罰が待っていた。
 普段は脳天気なエルネも、目の前の紙に書かれている意味を理解して青ざめる。

「ま、ままま待ってくれニャ!エ、エルネはこれから真面目になるのニャ!もう絶対女の子を脱がしたりしないのニャ!素敵な領主さんなら、分かってくれるニャよね!?」

「あぁ、分かるとも。君は更生するようなお利口さんではない事くらいね。連れていけ!!」

 横にいた兵士はエルネを担ぐと屋敷を出ていく。

「コラ!離すニャ!エルネはこの街が好きニャの!!ヴィレスには帰りたくないニャーーー!!」

 手を組んで見送る領主は高笑いを抑える事ができない。

「はっはっはー!ヴィレスで楽しい余生を過ごしたまえ!」

「ニャんだとーーー!!このムッツリエロじじいーーー!!覚えてニャよーーーー!!」


 ――数日後

 馬車から降ろされたエルネは目を開ける。
 鼻をクンクンとさせて、久し振りの故郷の匂いを嗅いで懐かしさに浸っていたが、兵士に身体を起こされて正座をさせられる。
 眼前には、ヴィレスの王が腕を組み悠然と佇む。
 周囲には屈強なガルム族の男達がエルネを取り囲み、エルネは緊張する。
 マリーヴィアの兵士から『退去強制令書』を受け取った王は、一通り目を通し口を開く。

「なるほど、後はこちらに任せてくれ。この者が手を掛けさせてすまなかった。領主にも宜しく伝えてくれ」

 兵士はその場を後にし、王はエルネを見下ろした。

「ニャははは…王さま…お久しぶりだニャ……」

 苦笑いをするエルネに王は静かに答える。

「エルネよ。随分と人様に迷惑を掛けたと聞く。覚悟はできているな」

 エルネはビクッと全身を毛羽立たせる。

「ニャッ…!そ、それは……」

 『退去強制令書』を爪で指しながら、王はエルネの言葉を遮る。

「お前が犯した罪は深い…だが、ここに記された事が本当であるならば、まずはその弓の腕を見せてみよ」

「ど、どうかそれだけは………ニャ?」

 予想した言葉とは違う内容に戸惑うエルネに、王は睨みつける。

「できぬのか?」

「や、やるニャ!弓なら誰にも負けニャいニャ!」

 周りにいたガルム族の男達は、急な展開にザワつく。
 しかし、王が決めた事であれば、彼らも行く末を見守る他なかった。


 ヴィレスの北にある海にやってきた一同は、小さな一隻の船を確認しようと目を細める。
 潮風の強い海岸線で縛られていた縄を解かれたエルネは、海の上の船を目で追っていた。
 海へ出た船は沖へ沖へと進み、海岸からは小さな点のようにしか見えない。
 王が手をあげると船は帆をたたみ、波の強い沖合でユラユラと揺れながら停泊した。
 帆柱の先端には、片手用の盾が一つ。

「エルネよ。あの盾を射抜いてみよ」

 船でさえ点に見える距離で、その場にいる誰しもが無理難題だと思っていた。
 エルネは鋭い目で船を睨みながら鼻をクンクンと鳴らす。

「わかったのニャー」

 なんとも軽い返事に一同は拍子抜けする。
 見物に来ていた村の住人たちは、エルネと船を交互に見てその時を待った。

 エルネは弓を引き集中する。
 次の瞬間、エルネは横に飛んだかと思うと叫び声が辺りに響き渡る。

「キャーーーーー!!!」

 住民は何が起こったかと辺りを見渡すと、観戦していた女性のガルムの服のベルトが射抜かれ裸を隠している。
 更に、悲鳴はあちこちから聞こえる。
 エルネは小刻みにジャンプをしながら、次々に見物人の女性の服を剥がしていった。

「そこまでだ!!その者を捕らえろ!!」

 悲鳴の中、王の声が響き、屈強なガルム族の男衆がエルネを捕えた。

「何なのニャ―!!痛いニャー!!」

 エルネに近付く王は、エルネを見下ろした。
 ガルムの兵は、エルネに槍を構える。

「貴様!王のご慈悲をなんだと考える!!お前のような者はこの場で死ね!!」

「待つのニャーーー!!ちょっとした冗談だニャーー!!」

 足をバタバタさせるエルネに、王が口を開く。

「止めろ、そこまでだ」

 王の顔を見るガルムの兵。
 王は手の平を兵に向けて、『止めろ』という合図を送りながら、海の方角を見ていた。
 目線の先を見ると、海の上に浮かんでいた船がこちらに近付いてきている。

「痛いニャー!!離すニャー!!!」

 尚も暴れているエルネに耳を貸す者はおらず、ただ船が戻ってくるのを待った。
 船が海岸に辿り着き、乗っていた男のガルムが走ってくる。

「王……これを……」

 彼の手には、7個の穴が空いた盾があった。
 王はそれを見て、裸にされた女性の数を確認する。

「なるほど。確かに問題児だな」

 王は、取り押さえられジタバタと動いているエルネの方に向き直る。

「エルネよ。お前にはこの村の治安維持部隊として働いて貰う。仕事を全うすれば今までの罪は不問とする」

 それだけ言うと、王はマントをひるがえし村へと戻っていく。
 エルネは嬉しそうに、兵の槍を跳ね除けて飛び起きる。

「本当ニャ!?本当にホントだニャ!?」

 周囲の者はどよめき、跳ねまわるエルネを見ていた。

「やったニャーーーー!!」

 服を脱がされた7人の女性はエルネを睨みつけるが、エルネはそれに笑顔で返す。

「なかなかいい物持ってるニャね~~ニヒヒヒ!!」


 エルネはガルム族の兵団宿舎に暮らすこととなった。
 治安維持部隊とは、ヴィレスの周りに生息する魔物を討伐して安全を確保したり、住民に被害を与える族の始末、更には要請があれば他の街にまで赴いて仕事をこなす兵団だった。
 基本的には2人一組で行動し、エルネは第18小隊として配属された。
 ツーマンセルを組むことになった相棒は、白い翼を持った白鳥のガルム『シエロ』。
 まだ若い青年だが、エルネとは真逆の性格だった。

「えーっと、白い羽に銀髪の男…あ!エルネの相棒ってお前ニャ?エルネは弓なら誰にも負けないニャ!これからよろしくニャー!」

 シエロは脳天気そうなエルネに対して厳しい目線を送る。

「お前がマリーヴィアから送られてきた問題児か。チィッ…なんで俺がこんな奴と…。くれぐれも俺の邪魔だけはするな」

 シエロは舌打ちをしながらその場を去ろうとする。

「待つニャ!エルネは何をすればいいのニャ!?」

 振り返ったシエロは、更に厳しい言葉を吐き捨てる。

「俺の邪魔だけはするなと、今言った筈だが?」

 エルネはそんなシエロにお構いなしに質問攻めをする。

「なんでニャ?折角ニャんだから仲良くやろうニャ!あ、名前はなんていうのニャ?どんな女の子が好みなのニャ!?」

 苛立つシエロは剣を抜き、エルネの顔の前に突き出した。

「何度も同じ事を言わせるな。俺の邪魔をしなければそれでいいと言っているのだ」

 エルネは動じずに、剣をひらりと交わし、シエロの耳元で楽しそうに喋る。

「でも~~?女の子の裸には興味あるニャよね~?」

 シエロはとっさに後ろに下がり剣を構える。

「うるさい!!貴様はなんなのだ!!何故王はこんなバカを……」

「エルネの弓の腕を見込んでくれたニャ!ちゃんと働かないと、エルネは王さまに怒られるニャよ!」

 シエロはため息を吐き、剣を鞘に収めた。

「俺は貴様のような奴が嫌いだ。俺の家系が何代も掛けて築いた他種族との交流を…無下に扱うクズが…」

 背を向けて宿舎を出て行くシエロ。
 エルネは急いで支度をしてその後をついていく。

「おい!鳥!置いていくニャ!エルネも行くニャー!!」


 行商人が行き来する街道を歩くシエロの後を追いながら、エルネは暇そうに尻尾をブラブラさせていた。

「鳥~~。エルネは疲れたニャ~。こんな何もない所をずっと歩いてどうするのニャ~~?」

 シエロはエルネの言葉に耳を貸さない。

「はぁ…つまらニャい奴だニャ~~。どうせなら可愛い女の子と組みたかったニャ~~……ニャ??」

 ふと何かに気がついたエルネは、立ち止まり鼻をクンクンと鳴らす。

「なにかニャ?この匂い。おい!鳥!ちょっと待つニャ!」

 シエロは様子が変わったエルネの方を向くが、その顔は相変わらず険しい。

「うるさい奴だ…なんだ?」

 エルネは西の方に指を向け、興奮気味に喋る。

「あっちの方から女の子の匂いがするニャ!!」

 シエロはため息を吐き、エルネを無視して歩を進めだす。

「最後まで聞くニャ!魔物の匂いも一緒ニャ!きっと女の子が襲われているニャよ!!」

「何だと!?それを先に言えバカ猫!どこだ!?」

 エルネは構って貰えた事に嬉しがりながらも、詳細な情報を伝える。

「あの山を越えた向こうに、川が流れてるニャ。そこからもう少し先に行った所ニャね」

 シエロは目を丸くしていた。
 どれだけ遠くの匂いを嗅ぎ分けているのか、それが本当なのか分からないが、もし本当だった場合は見過ごす事はできない。


 できるだけ早く走る2人。
 エルネに案内されるまま、シエロは後を追った。
 現地に到着すると、エルネの言っていた事は全てが本当だった。
 道に迷っていた行商人の一団は、魔物の群れに襲われていた。
 幸い、連れ添っていた傭兵が退治までは至らないが、食い止める事はできていた。

 魔物の群れに飛び込むシエロ。

「許す訳にはいかないっ!」

 とてつもない連撃を浴びせ、魔物を次々に消し去っていく。

 エルネは高い木に登りシエロの背後に周り込む魔物を射抜こうとするが、シエロはそんな状況をものともせずに一人暴れ回る。
 魔物の群れは劣勢となり、1体、また1体と逃げていく。

「逃がすか!」

 シエロがものすごいスピードで逃げる敵の背後に迫る。
 魔物はバタバタと倒れ、シエロの背中についた白い羽がその場に舞った。

「罪を自覚しろ…後悔はあの世でするんだな」

 エルネは魔物が粗方片付いたのを確認して、木から飛び降りシエロに近付く。

「鳥!一人で気合入れすぎニャ!エルネの分もちゃんととっておいて欲しいのニャ!」

 行商人の一団は、シエロに感謝の言葉を述べ、深く頭を下げながら泣いて喜んでいた。


 行商人を送り届けている道中、シエロは真っ直ぐ前を見ながら後ろを歩くエルネに話しかける。

「ただのバカかと思っていたが、少しは使えるようだな」

 エルネはその声に、頭の上に両手を組んで満更でもなさそうな表情を見せる。

「世界中の女の子はエルネが守るのニャ!ニャハハハハ!これからもエルネを頼ると良いニャよー!」

「調子に乗るなバカ猫。お前の評価はマイナス1000から、マイナス999になった程度だ」

 エルネは頬を膨らましながらギャーギャーと白い翼の背中に文句を言うが、シエロはそれ以上言葉を発しない。
 無事にヴィレスに辿り着いた2人は、今回の件を報告した。


 ――月日は流れる


「可愛い女の子はいニャいかな~~」

 ヴィレスの高台で指を加えながら座り込むエルネの元に、シエロが声を掛ける。

「バカ猫。油を売っている場合じゃない。緊急招集だ。今すぐ降りてこい」

「何だニャ?今日は朝からうるさいニャ~~」

 王都に帝国が攻め入ってから、隣国のソーンには帝国軍が駐留していた。
 ヴィレスの王は、王都が陥落した事を知り、ヴィレスの兵を玉座へ集めた。

「皆、集まったな。帝国軍が各地を侵略している事は皆も承知だろう。王国の協定に加盟している村として、付近の偵察の任を治安維持部隊に任せたい。ヴィレスのガルムの誇りを忘れるな」

 険しい顔で王を見つめるガルムの兵達は、武器を高く掲げ声を張り上げた。


 鎮魂の街ソーン。
 王都から一番近い街は、帝国軍の姿で溢れていた。
 王都を陥落させた帝国の本隊は王都にいるが、拠点となっていたこの街にもまだ兵を置いているようだ。
 第18小隊のシエロとエルネは、ソーンへと続く街道を目立たないように進んでいた。

「ニャ~~。偵察ならエルネだけで充分ニャのに、なんで鳥と一緒に歩かニャきゃいけニャいのニャ~??」

 不満げなエルネにシエロは舌を打つ。

「チィッ…少しは静かに出来ないのか…。この部隊はツーマンセルでの行動が絶対だ。破る事などできない。もし許されるのだとしたら、お前のようなバカと俺が一緒にいる訳がない…」

「ニャにおー!!それはこっちの台詞だニャ!脳みそ全部鉄でできてる鳥と一緒ニャのかニャー!頭も身体も…柔らかい方がいいに決まってるニャ!」

「無駄口はその辺にしておけ。任務中だ。」

「鳥から言ってきたんニャろーーー!!あんまりエルネをバカにしてると、その内その羽に穴開けるニャよ!?」

「やれるもんならやってみろ……ん?」

 シエロは街道に刻まれた複数の足跡を見つける。
 まだ新しい複数の足跡を目で追った後にエルネを見る。

「バカ猫。この先に敵の匂いはないか?」

 エルネは鼻をクンクンと鳴らせると、突然飛び上がる。

「ニョホーーー!!この匂いは!!素敵な女の子ニャ!!!鳥、エルネは急用が出来たニャ!お先に失礼ニャーーー!!」

 エルネは横の林の中に姿を消していく。

「待てバカ猫!!貴様ぁああああ!!」

 一人取り残されたシエロは、眉間に血管を浮き上がらせながらエルネの消えた方向を見ていたが、一人でも任務を遂行しようと前に歩き始める。

 やがて、シエロの前方に数人の人影が現れる。
 身を隠しながら近付いていくと、黒の鎧に身を纏った帝国の兵士が5人、ソーンへ向かい歩いている。
 全員頭をすっぽりと覆うヘルムを着用し、ガッチリとした鉄の鎧を着ているが、5人程度ならばなんとかなるとシエロは突っ込む。
 急襲で1人を倒し、剣を抜いた2人目も即座に戦闘不能にする。
 残り3人の帝国兵は顔を見合わせて、その中の一人が何やら詠唱を始める。
 止めようとするが、槍を持った鎧の兵士が前に立ち塞がる。

「お前は多少やるようだな。だが、罪人には死あるのみだ」

 シエロは槍をギリギリで交わすとその鎧と鎧の隙間に剣を通し、槍の兵士も倒しきる。
 しかし、奥で詠唱していた兵がその準備を終えたらしく、真下に魔法陣が現れた。
 とっさに距離を取るシエロの前に、見たこともない魔物が召喚される。

「なんだ…こいつらは…」

 跳びかかってくる謎の魔物と交戦するシエロ。
 魔物はそこまで強くはないが、倒しても倒しても召喚される魔物に体力を奪われていく。
 ついには魔物に突進を貰い、剣を落としてしまう。

「畜生…!」

 迫り来る魔物に死を覚悟するシエロ。
 その時、遠くから声が聞こえる。

「ひっぺがしてやるニャーーーーー!!!」

 瞬間、風を纏った矢が魔物に当たり、魔物は吹き飛んでいく。
 その一瞬の隙を見逃さずに剣を拾ったシエロは、残り2人の帝国兵に向かう。
 しかし、シエロは足を止めた。
 帝国兵の1人は弓で貫かれて倒れており、魔物を召喚していた一人の姿が見えず、目の前には裸を隠している女性の姿があった。
 女性の周囲にはバラバラになった鎧が散らばっており、目の前で屈んでいる女性が魔物を召喚していた帝国兵だと分かる。

「絶景ニャ~~~!!あれ、鳥?こんなとこで何してるニャ?」

 駆け寄ってきたエルネにシエロは集中を解いて怒り出す。

「バカ猫……貴様どこへ行っていた!!」

 エルネは不思議そうに首を傾けて答える。

「どこって、可愛い女の子の匂いがしたから…ちょっと寄り道してただけニャよ。あぁ、鳥もエルネが脱がせた女の子を見に来たのかニャ?」

 シエロの怒りは限界に達する。

「そんな訳があるか!!こいつらは帝国兵だ。俺は一人で戦っていた……そんな中で貴様は何をしていたのだ!!」

「ん~~?でもそれニャら結果オーライニャね。エルネが全部倒したニャよ!鳥より優秀だニャ~~~!ニャハハ!!っていうか、エルネ達は偵察を頼まれてたんニャから、勝手に戦うのは命令違反にニャらないのかニャ~~??」

「ぐっ……。貴様言わせておけば……!今回の事は全て俺から報告する。帰るぞ!」

「ニャにを偉そうに…エルネが助けてあげニャかったら、鳥は今頃焼き鳥だったニャよ?」

「誰が焼き鳥だ!!脳天国バカが…真面目に仕事をしろ!」

「ニャにおおおおお!!アヒルよりはエルネの方が役にたったニャよ!」

「だぁ…れぇ…がぁ……アヒルだぁあああああ!!」


 ヴィレスに戻り報告をした2人は、命令違反によって仲良く謹慎処分となり、数日間は宿舎の掃除をしていた。
 床を磨きながら屈辱に耐えるシエロの背中に声が掛けられる。

「鳥~~!もう掃除は終わりでいいって言われたニャよーー!!」

「バカ猫……それ以上騒ぐな…!」

「でも、帝国と戦う為に、はん…ていこく…そしき…?なんだっけニャ……。とにかく、エルネと鳥が行くことになったのニャ!」

「くそ……何故お前とまた一緒に……」

 シエロはため息を吐く。

「はぁ…。まぁ…このままよりはいいか…。くれぐれも俺の邪魔はするなよ」

「はいはいニャーー!」

 ヴィレスを出た2人は道中喧嘩をしながらも、妖精に案内されながらイエルへと向かった。
+ 蒼き幻想の探索者レイルス
 雲一つない青空と、それを映す海。
 水平線を挟んで続く、果てしない青の世界。
 その中に、ふと黒い点がポツンと浮いているのが分かる。
 近づいてみれば、それはいくつもの点の集合体であることがわかり、さらに近づくと、それが巨大な艦隊であることがわかった。

「司令。海賊の確保を完了しました」

「うむ。ご苦労」

 艦隊の先頭を進む、一際大きな艦の甲板上。
 そこに複数の人影が見える。

「任務もこれで完了だな。港へ帰投するぞ」

「了解。各艦に伝達します」

 受けた指示を艦隊全体へと伝えるため、その場を後にする乗員らしき男。
 届けられた書簡に目を通し、帰投指示を出したのは司令と呼ばれた初老の男である。

 部下がその場を去ったことで、甲板に残った人影は二つ。
 一つは司令である初老の男。
 もう一つは、二人のやり取りをただ静かに聞いていた少年のものだった。

「今日も大活躍だったね。父さん」

「おぉとも!なんてったって俺の艦隊だからな!!いずれはお前の物になるかもしれんのだったか?レイルス」

「そうさ!父さんの跡は僕が継ぐ。そして、僕が『黒鉄の艦隊』の司令官になるんだ!」

「ならもっともっと勉強しないとな。知識だけじゃないぞ?いろんなものを見て、触れて、自分のものにしていくんだ」

「わかってるよ!きっといつか、海中都市だって見つけてみせるんだ!」

「ははは!まだ諦めてなかったのか?ありゃただのお伽話だ。実物を見た者は誰もいやしない。そもそも実在するかどうかもわからんものを見つけるってのは、それはそれは大変なことなんだぞ?」

 笑う父に向かい、少年は至極真剣な表情で反論する。

「そんなもの無いって決めちゃうのは簡単さ。でも、誰も見たことがないってことは、無いと証明されたわけじゃない!だったら僕は可能性の小さい方に賭けてみたいと思うよ。それが何にせよ、初の発見者はいつも存在してたんだから!」

「ま、お伽話ってのは事実を元に作られた話も多い。俺もあれば面白いと思うぞ?それを見つけるのがお前だったなら、もっと面白いな!」

「うん!任せてよ!」

 レイルスと呼ばれた少年。
 年の頃は十と少しといったところだろうか。
 その割には受け応えや立ち振る舞いがしっかりとしている。
 それもそのはず。
 艦隊司令である父を持ち、その姿に憧れた少年。
 常に父の後ろを歩き、同じ景色を見て、様々の経験を経ながら成長していく毎日。
 同年代の子らと比べ、彼がこれまでの人生の中で得てきた経験と知識は、質も量もまるで次元が異なる。




「おはよう、父さん。今日は艦には乗らないんだっけ?」

「あぁ。王都から呼び出しがかかっている。最近、海で悪さする輩が増えてきてるからな。恐らくその辺についての話だろう。城の中に入れてやれるかはわからんが、お前も付いて来るか?」

「いいや。僕は艦隊の哨戒任務に付いて行くよ。王様には僕が司令になったら会えるようになるしね!」

「相変わらず口はだけはとっくに一人前だな……俺がいないからって、艦の奴らの足を引っ張るんじゃないぞ?」

「わかってるよ!僕が何回乗ってきたか知ってるでしょ?やるべきことも、やっちゃいけないことも覚えたよ!」

「簡単にそう言えちまうところが不安なんだが……まぁいい、しっかりやるんだぞ!」

「了解しました!司令!へへっ!」

 港町『マリーヴィア』には、大陸に点在する他の街や港とは決定的に異なる点がいくつかある。

 まず、一つ目。
 同じく貿易が盛んなことで有名な流水の都『ラグーエル』は、行き交う物量でこそマリーヴィアを上回るものの、それはあくまで一般市民に出回る日用品や食料が主であり、マリーヴィアで取り扱う品々とはジャンルが異なるのだ。
 理由は明白である。
 ここは王都に最も近い港町ということもあり、レミエール国王から多大な援助を受けている。
 その援助とは、金銭のみならず、様々な特権の事をも指し、その中に武器貿易を認めるとの条項があるからだ。

 続いて二つ目。
 孤高の島国『アルジア』との直接貿易を唯一許されていること。
 基本的に外交を遮断している謎の多い島国のため、大陸の平和を担う王都としても慎重に目を光らせるべき土地ではあるが、その技術と文化の独自性は極めて高く、それらが反映された品々はどれも奇抜で、興味をそそられるものなのだ。
 当然、希少価値については言わずもがなで、そうした商品に目を付けた商人がわんさかと訪れ、賑やかな声をあげている。

 最後に、レイルスの父が預かる『黒鉄の艦隊』の存在だ。
 マリーヴィア開港当初、ここに目を付けたのがレイルスの祖父である。
 しがない一商人に過ぎなかった彼は、マリーヴィアの領主と交渉し、貿易港としての機能を大きくすることを提案。
 町興しのために自身も尽力することを条件に、彼の提案は受け入れられた。
 それから彼は、類まれなる商才を発揮し、ボロ船一隻のみを所持する小さな貿易会社を、瞬く間に巨大貨物船が連なる巨大貿易会社へと成長させ、さらには、他の貿易会社をも取り仕切る貿易組合の長となり、マリーヴィア一の功労者として語られることとなる。
 彼が生んだ貿易による利益は、マリーヴィアの成長だけに留まらず、王都の発展にも多大な貢献を果たした。

 しかし、それを機に彼は突如代表の座を引退。
 実の息子に跡を引き継いだのだった。

 次代の代表となったのはレイルスの父である。
 港が大きくなり、多くの船が出入りするようになれば、海賊が目をつけたり、魔物による事故が目に見えて増えていた。
 そこで、海上の保安とマリーヴィアを訪れる商船を守る為、彼は父から引き継いだ権力と資金を用いて、会社の貨物船団を軍用に改装し、軍艦数隻からなる小規模の艦隊を設立する。
 丁度その頃、陸上の軍備拡張に力を入れるあまり人手が足らず、海上整備が後手後手になっていた王国軍は、彼の動向を知るや、それを支援した。
 そうして、いつしか人々は彼らを「黒鉄の艦隊」と呼ぶようになる。

 そんな父だからこそ、レイルスは自分もそうなりたいと憧れた。

「レイルス?今日は司令が乗艦しないんだろ?一人で乗ってもいいのかい?」

「こんにちは!父の許しは貰ってます。迷惑はかけませんので!」

「ははは!君なら大丈夫だろう。司令もきっと安心して送り出してくれたんだろう」

「どうでしょう。そんな風には見えませんでしたが……」

 既に港には出航準備を済ませた艦が並んでいる。
 レイルスはいつも通り旗艦へと搭乗し、出航の時を待った。
 任務はいつもと変わらぬ近海の哨戒。
 貿易船を海の脅威から守るためのものだが、戦闘が起こることは滅多にない。
 艦隊設立当初はそうした事も多々あったようだが、艦隊の名が知れ渡るにつれ、ここ一帯での被害は少なくなった。
 数年前から艦に乗せてもらえるようになったレイルスも、戦闘を体験したことは数えるほどしかない。
 この日も、何事も無い平和な海を巡回して帰投するだけ。
 そう、当たり前のように信じていた。

「よし!出航だ!!司令がいないからといって気を抜くんじゃないぞ!!」

 違うのは、いつもならそこにいる父がいない。
 ただ、それだけのはずだった――





 ――港を出航してから数刻が経過。

 黒鉄の艦隊は、マリーヴィア沖数十キロの地点で波に遊ばれていた。

「一体何が起こった!?状況を報告しろ!!」

「わかりません!!突然、海が荒れて……!!」

 それは突然だった。
 穏やかだったはずの海面が、白く染まり始めたかと思いきや、嵐の真っただ中にいるかのような激しい揺れが艦隊を襲う。

「レイルス!?無事か!?」

「大丈夫です!何があったんですか!?」

 甲板上でいつもと変わらぬ景色を楽しんでいたレイルスは、突然の揺れに際し、艦から振り落とされまいと必死に手すりにしがみ付いていた。
 視界には、荒れ狂う海を余所に、海鳥たちが呑気に舞い踊る至って平穏な空。
 彼にはそれがかえって不気味に思えた。

「俺達にもまだわからない!とにかく艦内に避難する!今からそっちに行くから、それまで頑張るんだぞ!!」

「わ、わかりました……!」

 艦内から飛び出してきた乗員は、腰にロープを巻き付けながら、仲間と共にレイルス救出の準備を急いでいる。
 いくら精神的に大人びているとはいえ、レイルスはまだ子供。
 その小さな体にいつ限界が訪れ、波にさらわれてしまうかわかったものではない。
 そんな不安が乗員たちの心を急き立てる。

「まだか!?急げ!!」

「もう終わる!!これで……よし!いけるぞ!!」

「レイルス!すぐに助けるから――!!」

 激しい焦りの中にあっても、ミスなく迅速に救出準備を整えた乗員たち。
 厳しい教えと訓練を耐え抜いてきた彼らだからこそ、これだけの早さで事を済ませることができた。

 だが、それでも間に合わなかった。
 乗員の視線の先には既にレイルスの姿は無く、ガランとした甲板だけが吹き荒れる潮に晒されていた。





「う……ぶはっ!ふ、艦に……!!」

 一方、甲板から投げ出され、荒れ狂う海に引きずり込まれようとしていたレイルス。
 少し耐えていれば必ず助けが来る。
 そう信じ、彼は艦の傍に寄ろうと必死に手足を動かしている。

「くそ……な、何で……!?」

 しかし、そんな彼の努力を嘲笑うかのように、無情にも自然の力は彼を艦隊から引き離していく。
 当然、力いっぱいもがき抵抗するが、ギリギリ頭を海面から出すのがやっとだった。

「はぁ……ぶ――っはぁ!はぁっ!!」

 みるみるうちに体力が奪われていく虚脱感。
 抗いようのない絶望感。
 脳裏によぎる死の予感。
 様々なものが波と共に彼を呑みこもうと襲い掛かり、悲痛に顔が歪む。

「はぁ……はぁ…………も、もう…………ダメ――」

 たった一人、小さな体で自然の力に抗い続けたレイルス。
 だが、最後まで願い続けた救援の望みも叶わぬまま、ついには力尽き、彼の姿は海の中へと消え入く。


――あぁ……僕はこんなところで死ぬのか……


――父さんの跡を継ぐことも……海中都市を見つけることもできないまま……


――悔しいなぁ…………


 海底へと沈みゆく最中。
 朦朧とする意識の中で、これまでの自身の人生をゆっくりと振り返り、憂い、悔やむ。
 短い時ではあったものの、その濃さは決して薄いものではなかっただろう。
 だが、結局のところ、自身が本当に果たしたかったことを何一つ果たすことが出来なかったことを思えば、すんなりと受け入れられる結末ではない。

 それでも受け入れるしかなかった。
 抗う力など既に残されているはずもない。

 もう何もできない。


――あれは……?


 潮の流れに揉まれながら、水中をたゆたうのみとなったレイルスのぼやけた視界に何かが映り込んだ気がした。


――本当にあったんだ…………


 海底で淡く輝く光の群れ。
 その中には、建造物のようなものが確かに見て取れる。
 否、建物ではない。
 そこには街が存在した。
 目を凝らすと、その街をまるまる包み込む巨大な水泡がドーム状に広がっているのが分かる。
 まさに幻想世界。
 レイルスがお伽話の中に見た『海中都市』そのものだった。

 そして、もう一つ。


――女……の子……?


 海中都市に被さる様にして、大きくなっていく何か。
 こちらに近づいてくるそれは、女の子のように見えた。
 それはまるで女神のように美しい女の子。
 綺麗な金色の髪を波になびかせながら、必死にこちらに手を伸ばそうとしている。
 その光景は、まるで夢の中にいるような――


 ――――――

 ――――

 ――


「……ん……んん?」

 閉じた目の隙間から差し込んでくる眩い光。
 ゆっくりと目を開けると、そこは見慣れない一室。

「ここは……?」

 キョロキョロと視線を動かすと、自分がベッドの上で横になっていることがわかる。

「あれ……僕……生きてる…………」

 ぼんやりとした頭が少しずつ覚醒していく。

 ゆっくりと体を起こす。
 綺麗に片付けられた小さな部屋。
 窓の外に見える風景は、いつものマリーヴィアの街並み。

「ん?もう立ち上がって大丈夫なのかね?」

 振り返ると、ノックも無しに開かれたドアの傍らに老人が立っている。
 恰好から察するに、術士のようだ。

「えぇと……体は大丈夫みたいです……ここは、診療所ですか?」

「あぁ、そうだよ。無事でなによりだ。君の知り合いも皆心配していた」

「知り合い……?」

「黒鉄の艦隊の皆さんだよ。彼らが海に浮いていた君たちを救助して連れ帰ったんだ。幸いだったよ。彼らの応急処置がなければ助からなかったかもしれない」

「そうでしたか……後でお礼を言わないと――ん?君『たち』っていうのは、僕以外にも海に投げ出された人がいたんですか?」

「君のとこの乗員ではないみたいだが、もう一人、同じところに浮いていた女の子がいたと聞いている」

「女の子……!?」

 鮮明に蘇る記憶。
 金髪の女神。

「その子はどこに!?」

 レイルスは飛び付くように老人の肩を掴んだ。

「う……う~ん……実は、ここに運び込まれる予定だったんだが、直前に目を覚まして、どこかへ逃げ去ってしまったらしいんだ」

「僕……行かないと!!」

「レイルス君!?待ちたまえ!!まだしばらくは安静に――」

 老人の制止を振り切り、診療所を飛び出すレイルス。

 夢ではなかった。
 海中都市のことも。
 女神のような女の子のことも。

 聞きたいことがある。
 話がしたい。
 とにかく会わなくてはならない。

 そう思うと、じっとなどしていられなかった。


「あの!!僕と一緒に助けられた女の子はどこに!?」

「レイルス!?もう回復したのか!?」

 診療所で眠っているはずのレイルスを目の前にして、港でがん首そろえて目を丸くする艦隊の乗員達。

「本当に良かった……お前にもしものことがあったら司令にも顔向けできないところだったよ……」

「そ、それよりも、女の子は!?」

「え?あぁ……あの子なら、目を覚ましてすぐにどこかへ逃げてしまったんだ。俺たちも追いかけたんだが、とんでもなく足が速くてね……辺りを探したが見つけられなかった。知り合いなのか?どうして一緒に海に浮いていたんだ?」

「えっと……あ、後で説明します!僕、あの子を探さないと!」

「レイルス!?」

 その後、一晩中駆けまわって彼女の行方を捜したレイルスだったが、その行方を掴むことは叶わなかった。

 彼女が走り去ったという方向を闇雲に探したが、情報はゼロ。
 海中都市の人間ならば、どのようにしてあの場所に戻るのだろうか。
 色々な可能性を考えては、手当たり次第に聞き込みをしたが、これっぽっちの成果も得られなかった。

 まさか自力で泳いで帰ったのではないか。
 そんな途方もない発想に一縷の望みを託そうともしたが、その真偽を確かめる術があるわけもない。

 日が暮れた頃、街外れで膝を抱えていたレイルスを艦隊の乗員が保護した。
 ただでさえ衰弱していた体に鞭打ったため、ろくに歩くことさえできなくなっていたのだ。

 大きな背に抱えられ、家へと帰る途中、レイルスは艦から投げ出されたときの話を男達に打ち明ける。
 海中都市のこと。
 金髪の女神のこと。
 乗員の男はレイルスをなだめる様に話を聞いてくれてはいたが、その内容を信じてはくれなかったようだ。

 レイルスの願望。
 伝説の海中都市を見つけるという夢が、文字通り夢となって現れたのではないか。
 そして、たまたま助けてくれた少女もが、その夢に出てきたのではないか。
 レイルスを知る人間であればあるほど、そう考えるのは自然なのかもしれない。

 もはや彼女と再会できる望みは絶望的といえよう。
 いっそのこと、彼らが言うように夢だったんだと諦め、忘れ去ってしまおうともした。
 しかし、それはもうできない。
 彼はもう気付いてしまっていた。
 自身の心に刻み込まれた彼女の顔と、密かな想いに。





――それから、数年の月日が流れた。

「到着しましたよ、お客さん。あれがラキラの街さ!」

「おぉ……なんて美しいんだ……!」

 マリーヴィアから遥か南西。
 そこに、乗合馬車から降り立ち、花園の都『ラキラ』を微笑みながら仰ぎ見るレイルスの姿があった。

 元々年齢以上に大人びた言動の彼ではあるが、その雰囲気は幾重にも増して頼もしいものとなり、立派な好青年へと成長している。
 無論、それは時間経過によるものだけではない。
 あの日、あの海難事故以来、彼は一つの夢を胸に秘めたまま日々を邁進した。

 幼い頃から信じ続けていた海中都市へと再び辿り着く。
 そして、自分を助けてくれた金髪の女神にもう一度会いたい。
 そんな想いを目標にして生きてきた。

 彼はあれから誰にも海中都市と金髪の女神について話すことをしなかった。
 なぜなら、否定されたくなかったから。
 なぜなら、現実であることを信じ続けていたかったから。

 だから、それを果たすための努力を怠ることは無かった。

 艦隊司令の父の跡を継ぐための勉強を続け、その技術と知識を瞬く間に吸収。
 備え持っていた、何でも器用にこなす才能も相まってか、その成長速度には父さえも舌を巻いた。
 父は自らの後継者に、実子であるレイルスを指名。
 若すぎる次期司令の推薦には戸惑いの声こそ少なくなかったが、関係者の中に反対しようと声を上げる者は一人としていなかった。

 さらには、あれから何度も一人で海図を睨みつけ、海中都市の場所に目星を付けてみたり、あの少女がどのようにして姿を消したのかを自分なりに考えられるだけ考えていた。
 これらについてはなんの成果も得られていないが、それでも諦めないのは、レイルスの想いがそれだけ強いからだろう。


「今日、ここを訪れるってことは『花授式』の見物かい?」

「はい。ラキラの歴史が始まって以来続く伝統だと聞いています」

「ラキラの人間は皆、花の名前を自分の名前にします。花授式は、子供たちがその花を大司教様から授かる大切な行事なんですよ」

「大陸各地で様々な土地を見てきましたが、その中でも特に珍しい文化の一つですね。興味深いです」

「綺麗でいい街さ!式以外にも見どころが沢山ありますよ。良い旅になるよう祈ってます!」

「ありがとう。また利用させてもらいます!」

「どうも!」

 御者とわずかながらの言葉を交わし、ラキラ近郊の街道に一人残されたレイルス。
 花の香りで包まれた街の外観を楽しむと、思い出したように荷物を手に取り、市街へと歩き出す。

 この時よりおよそ一年前、マリーヴィアにて父から基本的な教育を一通り叩き込まれた彼は、将来のため、見識を広めることを目的とした旅をするように言い渡された。
 海中都市然り、珍しい文化や体験に興味を持つ彼にとって、その言いつけは極めて有意義かつ嬉しいものであった。
 あくまでも勉強の一環。
 それは彼自身も当然理解しているが、それでも心の内から湧き上がる高揚感を抑え込むことが出来ない。

「では、これを。この街にいる間は、そのアクセサリーを常に身につけるようにしてください」

「わかりました」

 ラキラに到着したレイルスは、手早く門で手続きをし、街に入る許可を得る。
 渡されたのはタンポポの綿毛をモチーフとした、ゲストアクセサリー。
 風に乗り旅をする花を、そのまま旅人に例えたものだ。

「しまった……少しゆっくりしすぎたか?」

 ラキラの門を潜ると、そこに殆ど人影は無かった。
 ぐずる子供の手を引きながら、街の奥へと急ぐ親子が見える。
 間も無く――否、既に花授式は始まっているようだ。
 レイルスもまた駆け足でその後を付いて行った。



「何をやっているんだ僕は……この式を見逃してしまったら、今日という日を選んでここに来た意味が無くなるというのに……!」

 式典は毎年行われている伝統行事ではあるが、物心ついた大勢の子供たちが、生涯の名を一斉に授かるというその珍しい光景は、毎年多くの人出で賑わい、大陸内でも有名な式典の一つに数えられているという。
 これを逃してしまえば、次はいつ見られるかわからない。

 式典会場である教会まで辿り着いたレイルスは、ゆっくりと入口の大扉を開き、式典の邪魔にならないよう音を殺しながら中へと入るが――

「お父様!この女とラキラの剣聖、どちらがその名を取るに相応しいか決闘をさせましょう!!」

 突然、甲高い声が会場を包み込む。

「な、何だ……?決闘……?」

 会場に到着したばかりのレイルスは、思いもしていなかった状況に面を食らう。

「リリア……何を言っているそんな事は……」

「ワタシは構いまセンヨ!」

「しかし……」

「面白いじゃないですか。構いません。その勝負、受けましょう」

「ローズ!!いけません!そんな事は……!」

「そのチビちゃんが私に勝てたら名をあげる。私に負けたらその花の名になる。それのどこが悪いというの?それとも何?私が負けるとでも?」

 何やら数人の関係者が壇上で揉めているようだ。
 観客の影に隠れる形となってしまい、その様子を目視することはできないが、その会話の内容からおおまかな流れを察する。

 式典参加者の一人が欲しがる花の名は、既に誰かの名となっており、その花の名を賭けて決闘をするか否やの綱引き中。
 そんなところだろう、とレイルスは考える。

「決まりね!さぁ、皆の者、準備をなさい!闘技大会を開いている会場を使うのよ!今すぐよ!」

 再びあの甲高い声。
 会場の警備にあたっている兵士たちは、困惑しつつもそそくさと観覧客の誘導準備に入っている。
 声の印象ではまだ幼い少女といったところだろうか。
 しかし、兵士たちの対応を鑑みると、よほどの発言力を持っている人物のようだ。

「皆様、聞いての通りです。式典は一度中断させて頂きます」



 所変わって闘技場。
 式典会場にいた観覧客のほぼ全てが流されるまま順々にここへ移動してきている。
 かくいうレイルスもまた、その流れに身を任せてここまできてしまっているわけなのだが……

「決闘だというのに、物好きな人が多いな……ここではこれが普通なのか?」

 周囲を見渡しても、誰一人として神妙な面持ちの者などいない。
 皆が一様にワクワクするといった気持ちを堪えきれずにいるようだ。

 その時だった。
 観客が一斉に沸き起こり、その視線が会場の中心へと注がれる。

「出てきたぞ!剣聖だ!!」

「剣聖にケンカを売るなんて身の程知らずにも程があるぜ……」

 剣を腰に差した凛とした雰囲気を漂わせる女性。
 自信に満ち溢れ、決闘相手の登場を待ち構える堂々たる出で立ちは、素人にも強者である風格を感じさせる。

「すみません。『剣聖』とは一体何なのでしょう?良かったら教えてくれませんか?」

「んあ?何だ、坊主。余所者か?」

「ええ。花授式の観光に来ていたのですが、急にこんなことになってしまって……」

 隣に座っていた地元の人間らしい男に、レイルスが胸のタンポポのアクセサリーを見せながら声をかけてみると、男は饒舌に語ってくれた。

「剣聖ってのは、いわばラキラの騎士みたいなもんだよ。花の剣聖ローズの名前は代々剣聖だけが継いできた、とんでもなく名誉ある名前でな?戦があれば先陣切って剣を振るう!まさに正義の味方なのさ!!」

「つまり、花授式でその『ローズ』の名前を欲しがった子供が剣聖の決闘相手を名乗り出たと?」

「ん~……まぁ言い出したのは本人じゃないんだが、結果的にはそういうことになっちまうかな。他の名前が良いなんて駄々をこねる子はたま~にいるんだが、それがローズの名前である以上、ワガママなんて可愛い言葉じゃ片付けられねぇのさ。剣聖の名はラキラの象徴でもあるからな」

「なるほど……よくわかりました。ありがとうございます」

「お?言ってる傍から出てきたぜ?剣聖の名を欲しがった身の程知らずの登場だ!!」

 男に促され、再び視線を会場の真ん中へと向けるレイルス。
 果たしてどんな子供なのか。
 笑いごとではないのかもしれないが、街の外の人間である自分にとっては結局のところ他人事。
 興味はあるが、それを素直に楽しんで良いものか疑問を感じながらも、新たに登場した人影の姿に目を凝らす。

「……は?」

 次の瞬間、レイルスは言葉を失った。

 見惚れる程美しい金色の長髪。
 愛らしさを残しつつも整った容姿。
 それは、あの日、海中都市と共にレイルスの心に刻み込まれた金色の髪の女神の姿。
 否、正確には、彼女をそのまま成長させた姿だった。

「……何で……あの子がこんなところに…………!?」

 途切れ行く意識の中で、数瞬だけ目にした顔。
 しかも、それから数年の月日が経過している。
 同じ人物であっても、それなりの変化はしているはず。
 それが子供ともなれば、より成長は著しいものである。
 それでもレイルスは、その少女が脳裏に焼き付いたあの女神であることを確信した。

「俺が1本を取ったとみなした方を勝者とする。問題なければ両者前へ」

 審判の声で、剣聖と金髪の女神が向かい合い、剣を構える。

「ま、待ってくれ!その子は――」

「よし、始め!!」

 審判の男が開始の合図を告げた途端、どっと沸き上がる歓声にレイルスの声はかき消された。

「ダメだ!どいてくれ!!お願いだ!!」

 決闘の展開になど見向きもせず、観客をかき分けながら彼女の元へと向かうレイルス。
 彼女たちが手にしているのは模擬戦や訓練で使われる木製の剣。
 それでも相手が剣聖ともなれば、軽い怪我程度では済まないかもしれない。
 ましてや、剣聖の名を欲した愚か者への制裁ともなれば尚更だ。

「その勝負!少し待ってくれ!!」

 客席の最前列を飛び越えたレイルスは、審判に訴えかけようと舞台傍まで駆け寄る。

「I must not fall」

「……え?」

 耳に飛び込んできた聞き慣れない言葉。
 客席からではまず聞きとれなかっただろう。

 しかし、それ以上に驚いたのは舞台上に広がっていた光景。
 仰向けに転がる剣聖と、その喉元に剣の切っ先を突き付ける金髪の女神の姿。

「そこまで!勝者は挑戦者!!」

 再び湧き上がる歓声。
 死闘を演じたであろう舞台上の剣士二人だけが、時間が止まったかのように静止していた。
 レイルスは息を呑み、その様子にただただ見惚れてしまった。

 暫しの沈黙の後、未だ鳴り止まぬ歓声の中で、あの少女がハッと我に返る。

「あ…………」

 今か今かと待ちわびた時であったにもかかわらず、そんな彼の気持ちを知らぬ少女は、わずかな隙さえも許さぬまま反対側の客席へと駆けて行ってしまう。

「ちょっと!?君――うわっ!?」

 追いかけようとしたレイルスだが、ニューヒーローの登場を祝福しようと舞台に押し寄せる観客たちに阻まれ、前に進むことができない。
 少女はそのまま人混みの中へと埋もれていき、とうとうそのまま見失ってしまった。

「まずい……このままじゃ……!!」

 必死に人混みを押しのけ、足を前へと進めるレイルス。
 ここで諦められるはずがない。
 ずっと願い続けた夢が叶うかもしれないのだから。

「どいてくだ……さい!お願いします!道を……道を開けてください!!」


 人を押しのけても、また人。
 何度阻まれようとも前へ。
 もう既に彼女がどこにいるかはわからない。
 それでも前へ。

 やがては人の姿が減っていき、身動きを取ることも難しかった密集地帯を抜ける。
 レイルスはすぐに周囲を見回して、あの金髪を探す。



――見つけた!あの子だ!

「おーーーーーーい!!」

 喉から絞り出した精一杯の声をある一点へと飛ばす。

 その一点を歩いていた二つの人影が、声に反応して振り返る。
 一つは堂々たる体躯の大男。
 そして、もう一つは見紛う事なき金髪の女神。

 絶え絶えの息を落ち着けることもせず、そのまま二人の元へと駆け寄ると、言葉を選びながら少女に問う。

「変な事を聞くかもしれないけど……君はもしかして、海中都市を知っているんじゃないか!?」

 レイルスの様子に戸惑いながらも、少し考え、思い出したように目を見張る少女。

「アナタ!!あの時、溺れてた人デスカ!?」

 やはり間違いではなかった。
 何年も信じ続け、再び出会える時を夢見て努力してきた。
 言わないといけないことが沢山ある。

「やっぱり!!君が……僕を助けてくれた――」

 そこまで口にし、思い直すようにして頭を抱えるレイルス。
 まずは落ち着こう。
 いきなり本題に入るべきじゃない。
 しかし、こんな状況がいきなりやってくるなんて想定外だ。

「アナタ……大丈夫デスカ……?」

「ごめん……えっと、その、あぁそうだ!まずは、その……自己紹介をしよう。僕はレイルス。マリーヴィアの護衛艦隊に勤めているんだ。えっと君の名前は……ローズになったんだよね?さっきの試合を見させて貰ったんだ!感動したよ!おめでとう!!」

「えっと……ありがとう……じゃなくてデスネ……エェ!?!?」

「え!?な、何を驚いているんだい?」

「アナタが……あの時の…………!!」

「そ、そうだよ?君にありがとうと言いたかったんだ!君のおかげで僕は助かったんだろう?あれからすぐに逃げてしまったと聞いて心配してたんだ。でも、何でこんなところに――」

「アナタのせいデス!!」

 突然耳を裂くうな声が響く。

「…………え?」

 叫び声と共に、刺すように向けられるキッと吊り上がった視線。
 その怒りを露わにした表情を見た途端、何かに亀裂が入る音がした。

「アナタのせいデス!アナタが全部悪いデス!!アナタの……アナタのせいでワタシは!!」

「ま、待ってくれ!何の事だい!?」

 夢が叶った喜び。
 再会できた幸せ。
 そんなキラキラとした想いがガラガラと音を立てて崩れていく。

「アナタのせいで、ワタシはポートレアに帰れなくなったデス!」

「ポートレア……?海中都市のことかい?帰れなくなったって一体どういう――」

「アナタがあそこにいなければ、ワタシはこんなことにならずに済みマシタ!パパとママと離れ離れになることもなかったデス!」

 こんなはずではなかった。
 気恥ずかしさを感じながら楽しく語り合い、仲良くなって、それから……

「ちょっと待って!もっとわかるように説明してくれ!何が何だかわからないよ!!」

「うるさいデス!どうしてくれるんデスカ!?ワタシをポートレアに帰してくだサイ!」

 これは何だろう。
 やっとの想いで夢が叶ったかと思えば、喚き散らされた。
 本当に、この目の前の娘こそが自分のこれまでの人生を賭けて再会を願った少女本人なのだろうか。
 自分が淡い想いを抱いた、あの美しい金髪の女神なのだろうか。

 喜びは困惑に染まり、そして怒りへと変わりつつあった。
 キンキンと耳に響く彼女の声がレイルスを苛立たせていく。

「君は故郷に帰りたいんだね?だったら、僕が力になろうじゃないか!責任は取るさ!僕はもうすぐ艦隊司令官になるんだ!そうすればきっと君を海中都市に戻すこともできる!」

「今すぐデス!早く責任とってくだサイ!ママとパパに会いたいデス!!」

「い、今すぐだなんて……それに、海中都市に辿り着くための方法も調べないと……だから説明してくれ!一方的に喚かれてもわからないと言っているんだ!!」

「なんで怒るんデスカ!?怒るのはワタシデス!」

「怒ってない!ただ、このままじゃ話が進まないだろう!?」

「アナタなんか助けるんじゃなかったデス!!」

「な!?ぼ、僕は助けてくれなんて言った覚えはないぞ!?助けるかどうかは君が選んだんだろう!?その後どうかなるかなんて、君自身が一番わかってたんじゃないのか!?」

「……っ!?」

 感情任せの言葉とはいえ、それは言ってはならない言葉だった。

「ち、違う……それでも勿論助けてくれたことに感謝したいんだ!できるなら君の力にもなりたいと思っている!だから――」

「Shut up!!Just shut up!!
 もういいデス!!アナタなんて知らないデス!!」

「あ…………」

 連れの男の手を引いて、駆けていく彼女の背中を前に、呆然と立ち尽くすレイルス。

 彼女の力になりたい。
 それは本当だ。
 だが、今の彼はあくまで艦隊司令官になる予定の男。
 ただそれだけ。
 何の力を持っているわけでも、彼女を故郷に帰す術を知るわけでもない。

 必至に大切にしてきた夢を壊された悲しみ。
 それをその場で抑え込むには、まだ彼は若すぎた。

 レイルスはこの直後、ラキラの街を後にした。
 ローズと喧嘩別れした形のままで――





―― 五年後。

 レイルスは港町マリーヴィアに戻り、父の跡を継いで艦隊司令となっていた。
 その面持ちは、去っていくローズを呆然と見送った時のそれではなく、むしろその時より無表情にも見える。
 しかし、それは表面上の話。
 その胸の内は、当時とは比較にならない程の熱を宿している。

 彼は悔いていた。
 あの日、あの場で、故郷に帰りたい想いを吐露したローズを助ける力がなかったことを。
 自身の無力さと、未熟さを。

 それでも諦めはしなかった。
 剣聖となったローズと共に歩むに相応しい男になり、いつか必ず故郷の海中都市に帰してみせる、と。
 来るかもわからない再会の日にて、今度こそ夢を果たすと。

 その決意は、彼を更なる努力へと仕向けた。
 司令官として必要な戦略的、戦術的知識及び技能を学んだ。
 艦隊運用に必要な統率力と判断力を身に着けた。
 海上気象学、船舶知識といった航海に必要な知識を勉強した。
 自らが前に立ち、彼女を守れるよう、アスピドケロンで弓を覚えた。

 そう。
 全ては彼女のために。



「レイルス司令。報告します。先日捕縛した不審船の乗組員を尋問したところ、奴らは商船から奪い取った武器を海賊に横流ししていたようで……今後の処遇について、どうかご判断を」

「ご苦労。やはりそうか。その男には僕からも話を聞こう」

「了解しました」

 レイルスはひとつ息を吐くと、椅子に腰掛ける。

 自由気ままに生きられるのなら苦労はしない。
 だが、今の自分たちには力があり、立場があり、守るべきものがある。
 そのことを思うレイルスの気持ちは、艦に乗る者全員が理解していた。

「失礼します!司令!!」

「今度はどうした?」

「王都より伝令が!!帝国が……ガルヴァンド帝国が……王都を占拠しました……!」

「何だと!?」

 大陸の歴史が大きく動いた瞬間だった。

 ガルヴァンド帝国といえば北の小国。
 そんな所があのレミエールを陥落させたなど、到底考える事ができない。
 この事態はあまりにも異常すぎた。

「ありえない!一体何があった!?戦力差は歴然だったはず……!内部工作?それとも特殊な兵器か?くそっ……もっと情報はないのか……!」

 彼が机をガンと殴りつけた丁度その時、指令室の戸が開いた。

「レイルス!いるか!?」

「父さん!?どうしたの!?」

「王都の話を聞いた。こんな形になっちまったのは残念だが、お前に渡さないといけないものがあってな」

「渡すもの?そんなことより今は――」

「まぁ、聞け。港に新しい艦を停泊させてある。あれはお前の力になってくれるはずだ」

「艦?」

「本来ならお前の司令就任一周年を祝ってやるつもりで用意してたんだがな。不幸中の幸いってやつだ。昔のコネを使って、ガリギアの職人たちに頼み込んで造ってもらった、とっておきだ!」

 電磁都市『ガリギア』
 魔導と対を成す科学や機械を製造、研究している都市。
 独自性と機能性に優れる反面、未知なる不安要素も多いとして王国により危険視された過去を持つが、今ではその監視から逃れるために王都とは絶縁し、技術の粋を結集した研究を続ける独立都市である。

「ガリギアって……そんなもの、王都に知られたら大変なことになるんじゃないのか!?」

「俺たちは王都の所属でもなければ、軍属でもない。それに、それくらいの勝手が許されるだけの働きはしてやったつもりだぜ?」

「そうか……でも、なんでこんな時に?」

「領主からお達しだ。艦を全て出航させろとの事だ」

「それは……逃げろってことかい?」

 王都が陥落したとなると、次に攻め入られるのはここマリーヴィアである可能性は高い。
 無暗に戦うことを避けるべきなのは理解できるが、町の人々を置いて逃げろとはどういう事だろうか。

「お前の気持ちは分かる。しかし、あの小国がどうやって王都を落としたのか皆目検討がつかん。だからこそ、ここは一度、戦力を外に出して町は完全な降伏状態にする。王都が手も足も出なかったんなら、俺達がどうこうできるとは考え辛い。敵の手の内がハッキリするまでの間、艦隊という戦力を無傷で隠すって訳だ」

 意味は理解できる。
 正しい選択だとも思う。
 しかし、レイルスの胸中には、これから町に降りかかるであろう惨状が鮮明に思い描かれ、素直に首を縦に振ることが出来ない。

「お前の考えている事は分かる。だが安心しろ。俺が残る。町の奴らを置いて逃げるわけにはいかないからな」

「な、何を言ってるんだ!?だったら僕だって逃げるわけにはいかないだろ!?」

「お前は逃げるわけじゃねぇだろ?もう何の力も持ってない俺とは違う。お前ならわかってるはずだ」

「……情報と戦力を整えて、勝つための好機を待つ」

「そうだ!」

「それが黒鉄の艦隊司令である……僕の使命……そう言いたいんだろう?」

「そうだ!!頼んだぞ、レイルス!いつか必ずこの町を――いや、この大陸を救ってくれ!」

 父のこの表情。
 信頼した人間に仕事を任せる時の顔。
 本当に自分にそんな事が出来るのだろうか。
 不安はある。
 しかし、もう自分は黒鉄の艦隊の司令官なのだ。

「あぁ……わかってるよ、父さん!」

「うむ!それでこそ我が息子だ!」

 期待に答えられるかどうか。
 そんな不安を持つようではいけない。
 今後は、どのように進むか、自分で舵を取るしかない。

「じゃあ……僕も港に急ぐよ……どうか無事で……!」

「お前に心配されるようになるとはな。安心しろ。こっちはこっちでなんとかやるさ」

「……ありがとう!」

 レイルスは涙を堪え、指令室を後にする。
 振り向きたい気持ちを必死に押し殺しながら。
 そして、その気持ちは彼の父もまた同様だったはずだ。



「あ!司令!お待ちしてました!!」

 父から話が通っているのだろう。
 錨を上げて帆を張る艦の前で、仲間達がレイルスを出迎えた。

「全艦、出航準備はできているのか!?」

「問題ありません!それから、こいつも!」

「これが父さんの言っていた……!」

「えぇ。ガリギア製の特注戦艦らしいですね。先程、お父上から操船マニュアルを預かりました。潜水機能まで備えているとかなんとか……」

 見慣れた艦の横につける異型の艦。
 サイズは一般的な戦艦の半分程度。
 丸みを帯びた独特なフォルム。
 艦首下部に配置されたガラス張りの艦橋と、上部に設置された砲塔。
 さらに、艦尾に取り付けられた巨大な風車。
 その姿は、あまりにもレイルスの知る戦艦のそれとはかけ離れていた。

「もう操船はできるのか?」

「はい!まだ完全ではありませんが、通常航行であれば問題ありません!」

「よし!全艦隊に伝達。順次出航だ!」


 それから数刻も経たぬ間に帝国はマリーヴィアへと侵攻。
 からくも黒鉄の艦隊は、マリーヴィア沖に脱出することに成功した。



「司令……」

「王都の陥落が事実ならば、最大の脅威がいなくなった帝国は武力行使を推し進めるだろう。我々は戦わねばならない。マリーヴィアのみならず、あらゆる市民の平和を守るために!」

「我々は司令の命令のまま行動するのみです!艦に乗ることを決めた時から覚悟はできています!」

「ありがとう……!」

 この時をもって、黒鉄の艦隊はマリーヴィアの護衛艦隊としての役割を放棄した。
 しかし、それはまだ敗北ではない。
 彼の率いる艦隊は、これより海上の反帝国勢力として、不当に支配される人々救出のために戦う道を進むことになったのである。



 マリーヴィア脱出から数えて早一カ月。
 黒鉄の艦隊は帝国軍の海上戦力を相手に厳しい戦いを強いられていた。
 日に日に激化する戦闘の最中、その被害が皆無などという結果になるはずはなく、乗員たちの心身と共に、艦隊もまた着実に消耗していた。

「レイルス司令。そろそろどこかで補給を受けなければ……海上での艦の整備にも限界があります」

「まずは近くの町に補給隊を出し、同時にラグーエルに整備受け入れの要請を出そう。最寄りの町で、補給が可能な所はどこだ?」

「ここからですと……ラキラが適当かと思われます」

「ラキラ……か……」

 苦い思い出がレイルスの心を締め付ける。
 同時に、彼女との再会への期待が込み上げてきた気がした。

「よし……ラキラの街道沿いの岸に向かう。護衛は不要だ。足はこの艦が一番早い。各艦は西の海域へ移動し、待機するよう伝達。補給完了後、合流してラグーエルへと向かう」

「了解しました」

 レイルスの乗る艦は艦隊を離れ、単艦にてラキラの方角へと舵を取った。

「念のため姿を隠しながらラキラへ近づく。三分後に潜航だ。艦内に伝達」

「了解しました。各員、潜航用意!!潜航予定は三分後!!潜航用意急げ!!」

 いくら大陸に名を馳せた護衛艦隊とはいえ、彼らの艦隊だけで帝国の全海上戦力を相手に戦うことは不可能である。
 だが、今日まで可能な限り被害を抑えつつも帝国と渡り合ってこれたのは、偏にこの最新鋭艦の能力あってのことだった。
 唯一無二ともいえる潜水能力。
 従来の戦艦を遥かに凌ぐ航行速度と、旋回性。
 独自の発射機構を持つ巨大砲塔による長距離砲撃。
 レイルスはこの艦の性能を存分に活かすことで、なんとか戦い続けていた。

「司令……間も無くラキラの街道沿いです」

「周囲の警戒も怠るな?付近に帝国の偵察部隊が伏せている可能性もある」

「了解しま――し、司令!!ラキラの街から、黒煙が上がっています!!」

「何っ!?帝国か!?」

「まだ遠すぎて詳細は確認できませんが、戦闘によるものである可能性が高いかと思われます!」


 王都とマリーヴィアが帝国に占拠されてからまだ一カ月。
 各地の内情整理さえまだ終わってはいないはずのタイミング。
 もし、ラキラに攻め込んだのが帝国であるとすれば、いくら何でも早すぎる動き。

――ローズ!!

 脳裏をよぎったローズの姿。
 今の彼女はラキラの花の剣聖。
 戦争にでもなれば、最前線で剣を取る身。
 今すぐに駆け付けなければ、最悪彼女とは二度と会えないかもしれない。

「……っ!!」

 しかし、レイルスは歯を食いしばるのみだった。

「司令?動きますか?」

「………………」

 あくまでローズの件は自分一人の問題。
 関係のない部下まで巻き込むわけにはいかない。
 しかも、敵の正体が帝国であるとは断言できず、その部隊の規模も分からない。
 この場から救援に向かえる人間は自分を含めても十数人。
 どう考えても無謀。

「………………く……そ……!!」

 ならばいっそのこと、自分一人でラキラへと向かうかとも考えるが、艦隊と、艦に乗る者たちの命を預かる司令という人間が使命を放棄して勝手な行動を取って良いわけもない。

「司令。ご命令を!」

「まずは……状況の確認。詳細が把握できるまで各員待機だ」

 握り締めた拳からは血が滲む感覚。
 レイルスはギリギリのところで、司令としての職務を全うする。

「司令。本当にそのような命令でよろしいのですか?」

「……は?」

 しかし、部下から帰ってきた返事の言葉は、命令に対する承服ではなかった。

「お顔を見ればわかりますよ?」

「助けに行きたいんでしょう?友人……いや、恋人ですか!?」

「マジかよ!?いや、でも司令も年頃の男だからなぁ!」

「あれか?旅の途中で知り合った名家のご令嬢……とか?」

 艦内が異様な雰囲気に包まれていく。

「待て!お前たちは何を言って――」

「いいんですか?本当に」

「俺たちは司令の命令に従うのみです。言ったでしょう?」

「むしろここで『行け』と言ってくれないと幻滅ですよ?」

「お前たち……」

 いつも冷静に、正しい判断を下すことに徹してきた優秀な司令。
 部下達は、そんなレイルスだからこそ、今すぐに飛び出していきたいという想いを察することが出来た。
 かつて彼らが見たとこがない程に苦悩に塗れた表情をしていたのだろう。

「僕は司令官失格だな……」

「でも、男としては合格ですよ?」

「ばーか!まだ女って決まってねぇだろ?」

「はは……女の子だよ。金髪で、とても綺麗な子さ」

「「おぉおおおおおおおおおおおお!!」」

「急ぎ上陸部隊を編成!装備をまとめ、一分以内に出撃だ!当然、僕も出る!」

「「了解ー!!」」



―― 一刻後。ラキラ正門前。

「これは何のつもりかしら!ワタシが誰か理解して邪魔してるんでしょーね!貴方たち!この不届き者たちをたっぷりこらしめてやりなさい!!」

「こちらも少々立て込んでいますので、ご自分でお願いします」

「ちょっとぉ!ワタシの言うことが聞けないって言うの!!」

「今ちょっと無理デス!戦ってる真っ最中デス!」

「ワタシだって戦ってるわよ!も~!!次から次から次から次へと鬱陶しいわね!!」

 正門前で、円を描く様に布陣された帝国軍の兵士たち。
 その数は優に百を超える。
 彼ら一人一人の手を見ると、それぞれに剣が握られ、その切っ先は円の中心へと向けられていた。

「どうなっている……!相手はたったの三人だぞ!?」

「しかし……とんでもない強さで……!」

「そんなこと見ればわかるわ!数で押し切れ!!どうせ今の威勢も長くは続かん!!」

 部隊を指揮する男が檄を飛ばす。
 それも無理もないだろう。
 地べたに力無く転がる兵士たちの数を数えれば、どれだけその三人相手に手こずっているのかがよくわかる。

「ふぅー……数が多すぎる……剣聖!お前は無事か?」

「大丈夫デス!でも、このままじゃ……!」

「え?ちょっとヴィーネル?ヤバいの?けっこうヤバいの!?」

「やっと理解していただけましたか?」

「ワ、ワタシももっと頑張ればいいんでしょ!そうね!ラキラの姫たるこのワタシが困っている民を救うことは当然だものね!!」

「とはいえ、流石に苦しいか……!」

 ここまでの戦況は互角。
 どちらも押し切ることができずに、押し問答を続けている状態。
 しかし、このまま時間が経過すれば、三人の疲弊は限界に達し、圧倒的な数に押し込まれることは目に見えていた。



 そんな戦場から少し離れた丘の上に仁王立つ新たな人影。
 その後ろには十数人の男たちが並ぶ。
 レイルスである。

「これはどんな状況だ……?」

「帝国兵。総数およそ百。他勢力と交戦中のようですね……」

 現場に到着したばかりのレイルスは目を凝らし、戦況を分析。
 情報の収集を開始する。

「ワタシに逆らうからこうなるのよ!いいからさっさとそこをどきなさい!これは命令よ!!」

 どこか聞き覚えのある様な一番大きな声を張り上げている一際小さな人影。
 小奇麗なドレスに、頭にちょこんと乗せた王冠が目を引く。
 剣と盾を携えてはいるが、倒した敵を見下ろしながら威張り倒している様は、とてもじゃないが剣士には見えない。

「ひ!?ま、待て――ぎゃああああ!」

「お嬢様……ここは戦場です。時と場合を考えてください」

 最も果敢に前に出て、目につく敵を次々と斬り伏せる人影が少女をいさめる。
 あれだけの動きを繰り出したのにも関わらず、息一つ切らすこともしていない。
 黒い戦闘服に身を包み、盾と槍を構え直す姿は、歴戦の戦士を思わせる風格である。

「倒しても倒してもキリがないデース!!」

 彼女の背後にもう一つ人影があったことを見逃していた。
 そのあまりの速さは目で追うことすら至難な程。
 動きを止め、呼吸を整えている隙にその姿を確認する。

 そして、レイルスはその正体がローズであることを認識した。

「ローズ!?まさか……たった三人であの数を相手にしているというのか!?」

「三人!?無茶です!!司令!早く救出しなければ!!」

「殲滅は無理だが、一点突破なら望みはある。敵の背後から陣形に穴を開け、そこから三人を脱出させるぞ!」

「了解しました!」

 レイルスの指揮で慌ただしく布陣を整える部隊。
 艦から持ち出してきた銃を全員に構えさせ、レイルス自身も弓に矢を番える。

「僕の矢に合わせて続け!目標は帝国軍背面だ!」

「「了解!!」」

「いくぞ!!」

 レイルスが声を発すると共に、魔素が込められた矢が放たれる。
 矢は流星のように瞬き、直後、帝国陣営の一部を吹き飛ばした。

「な、何だ!?」

「敵の増援です!後方から――ぐぁっ!?」

 爆発を合図に、着弾点めがけて弾丸の雨が降り注ぐ。

「撃ち続けろ!このまま脱出路を確保する!!」

 突然の奇襲に際し、帝国陣営は混乱。
 手が出せない距離から攻撃を仕掛けてくるレイルス達に対し、ただただ慌てふためくばかり。

「どうしたデスカ!?」

「わからんが陣形が崩れた!今の内に突破するぞ!!」

 戦況の変化を見逃さなかった三人。
 緩んだ包囲網の隙間を突き崩し、一気に突破を試みる。

「司令!残弾わずかです!!」

「構わない!全て撃ち尽くせ!!」

 徐々に壁が崩れ、包囲されていた三人の姿が近づいてくる。

「援軍か!?ありがたい!!」

「なかなかやるじゃない!後で褒美を取らせてあげるわ!」

 前後から挟撃される形となった者達は、己の命惜しさに剣を投げ捨て逃げ惑う。
 他の者達は包囲網を崩すまいと足を踏み出そうとするが、勢いに乗った三人の鬼神の如し暴れように委縮してしまい動けない。

「道を開けるデース!!」

 ローズの放つ一閃が、とうとう最後の壁を取り払い、道を切り開く。

「ローズ!!」

「え!?なんでアナタが!?」

 開かれた道の先から自身の名を呼ぶ声。
 その声に反応したローズが、援軍の正体がレイルスであることを知る。

「そのまま走れ!!」

 彼の声に従い、三人はレイルスたちの元へと駆け抜ける。

「撤退するぞ!全員艦まで辿り着け!!」

「「了解!」」

 三人の突破を見届けたレイルスは、すぐさま部隊に撤退指示を出し、最後の一手に手を掛ける。
 逃亡者を逃がすまいと、我に返った帝国兵たちが押し寄せてくる中、丘の上でただ一人弓を構え続けるレイルス。
 助け出した三人と部下たちがその背中からどんどん離れていくというのに、その表情は極めて冷静なものだった。

「待つデス!?あの人は!?」

「司令は大丈夫です!信じてください!!」

 たまらず振り返ったローズを制止し、そのまま歩を進めるよう促すレイルスの部下。
 ローズは足を止めないまま、レイルスの姿を見つめる。
 その時、レイルスが残った最後の矢を放った。


『ドォオオオオオオオオオオン!』


 轟音と共に、レイルスの前方の草原が爆炎をあげる。
 追撃を振り払うために前もって設置しておいた爆薬を矢で射抜いたのだ。

 そんなものがあるとは露とも思っていない追撃兵たちは爆炎に巻き込まれて四散する。
 後続の兵士たちは立ち昇る粉塵と黒煙のせいでレイルスの姿を見失い、この隙にレイルスもローズ達の後を追いかけた。





 ラキラから脱出し、レイルスの艦の上で洋上を仰ぐ一行。

「全員無事でなによりだ。僕はレイルス。今は黒鉄の艦隊を指揮して、帝国と戦っている。これから僕らは他の場所で待つ同志たちと合流するのだが、それまでは途中で降ろすことが難しい。申し訳ないが、しばらく付き合ってくれ」

 見慣れない洋上の景色を静かに楽しんでいた三人にレイルスが声をかける。

「アンタが私たちを助けてくれた者たちの頭か。お互い聞きたいことも多いとは思うが、まずは礼を言わせてくれ」

「礼には及ばない。僕が助けたいと思ったから助けただけだ。ところで、君たちは……?」

「私たちが誰かも知らずに助けたというのか?ははははっ!なかなか変わった趣味をしているな。私はヴィーネル。ラキラ家で指南役を勤めている。いや……勤めていた……になるか」


 場が少し落ち着いたところで、ヴィーネルからラキラでの出来事を全て聞いた。
 突然の襲撃で、ラキラが帝国の支配下に落ちてしまったこと。
 街の大司教が、娘のリリアを帝国の手から逃がすため、ヴィーネルに彼女を連れて逃げるよう依頼したこと。
 このままでは永遠に故郷に帰ることが出来なくなることを予感したローズが、たまたまその場に居合わせ、共にラキラ脱出を実行するために協力関係となったこと。


「ちょっと、ヴィーネル!このワタシを差し置いて話を進めるなんて、ずいぶんと偉くなったじゃない?」

「こちらはラキラ家のご令嬢。リリア様だ。私が指南を担当していたお相手でもある」

「ヴィーネル!!だから勝手に話を進めないでって言ってるじゃない!!聞こえなかったのかしら!?」

「はい。そうですね。あぁ、こちらは大丈夫だ。剣聖の知り合いなのだろう?先程、彼女の名を呼んでいたな。どういった関係かは知らないが、邪魔はしない」

「ちょっと!邪魔って何よ!?屋敷を出たからって調子に乗りすぎてるんじゃないの!?そんなにお仕置きされたいのかしら!?」

「ほう……お嬢様が私をお仕置きですか……良いでしょう。ちょっとあちらで話しましょうか」

「え……嘘!?ちょっと待って!ごめんなさい!もう言わない!!もう言わないから!!ヴィーネルぅううううう!!」

 リリアを引きずり、その場を離れるヴィーネル。
 言わずもがな、レイルスとローズを二人きりにしてやろうという計らいである。

「え……えっと……無事でよかったよ……ローズ」

 いざとなると上手く言葉が出てこない。

「何で……助けてくれたんデスカ?」

「何でって……君を助けたいと思ったから……」

「ワタシは前にアナタに酷いこと言いました。アナタなんてもう知らないデスって……」

「あぁ……そんなこともあったね……」

 以前会った時と比べ、ローズが随分としおらしい。
 突然の再会でのとまどいや、助けられた恩や、過去の発言の申し訳なさ。
 様々な感情が彼女の心を揺らしているのだろう。

「僕も、君に酷いことを言った。危険を承知でせっかく僕を助けてくれたのに、そんな君の気持ちを踏みにじってしまった。本当にすまない」

「え!?あ……ワタシも……ごめんなさいデス」

「今ならわかるよ。どんなに危なくても、誰かを助けなくちゃって気持ち。改めて君の行動に感謝したい。ありがとう」

「ワ。ワタシも……ありがとうデス。助けてくれて」

「それで……なんだが……君を故郷に帰すために、僕に協力させてくれないか?」

「え……?」

「海中都市……ポートレアと言ったか?協力させてくれなんて言ったけど、僕は未だにそれがどこにあるのかわからない。しかも、今は帝国との戦いの真っ最中だ。そんな中で君にできることなんてほとんどないかもしれない。それでも僕は、最大限君の力になりたいと思っているんだ」

「…………」

 ローズは無言のままうつむくのみ。

「ダメかい?」

「………………本当に……本当に……ポートレアに帰れマスカ?」

「今すぐにとは言えないけど、いつか絶対に!僕を信じてくれないか?」

「…………わかったデス!レイルスを信じマス!」

 顔を上げたローズの目元には光る涙が浮かんでいた。
 この時の彼女の顔は、レイルスが心の底から欲した顔。
 自分に向けてくれることを夢にまで見た、愛しい女神の笑顔だった。

「ローズ……!」

 彼女の肩を抱き寄せようと、レイルスが手を伸ばす。

「これでおあいこデスネ!」

「……っ!?」

 しかし、くるんと踵を返したローズにかわされ、その手は空を切る。

「ワタシが一回レイルスを助けて、レイルスも一回ワタシを助けてくれました。そして、ワタシが一回レイルスにごめんなさいして、レイルスもワタシに一回ごめんなさいしました。これでレイルスとワタシは友達デス!」

「……友達……あ、あぁ……うん。そうだね……」

「レイルスはワタシをポートレアに帰すために頑張ってくれマス。だから、ワタシもレイルスを手伝ってあげマス!」

「え!?」

「レイルス帝国と戦ってマス。だから、私も一緒に戦って、レイルスのお手伝いするデス!」

「いや、そんなことは頼んで――」

「あー……でも、帝国は元々ワタシにとっても敵デス。これじゃお手伝いにならないデスネ……」

「いいんだよ。そんなこと。僕が君の力になりたいだけなんだ」

「えー!でも、それじゃワタシが一回負けてるみたいデス!」

「いや、勝ち負けとかじゃなくて――」

「うん!じゃあ、ポートレアにワタシを帰してくれたら、その時にワタシがお礼にレイルスのお願いを何でも一つ聞いてあげマス!」

「…………何でも?」

「何でもデース!」

 甲板上の真ん中で、空を仰ぎながらクルクルと踊り出すローズ。
 微笑ましい光景ではあるのだが、レイルスの心中はかつてない程に動揺していた。

「なん……でも……いや、待て!落ち着け!僕は何を馬鹿なことを考えて――」

「お前も苦労するな……」

「な!?いつの間に!?」

 いつからか背後に立たれていたヴィーネルに声を掛けられる。
 その気配を微塵も感じ取ることが出来なかったレイルス。

「ひとまずこれからの予定を聞いておこうと思ったのだが、邪魔をしたか?」

「いや、それは構わない。ところで、なぜ気配を絶って?まさかとは思うが、今の話を聞いていたのか?」

「あー……いや、盗み聞きするつもりはなかったのだが……甲板が思いのほか狭くてな……つい……聞こえてしまった。気配を殺すのは癖みたいなものだ。許してくれ。だが、安心してくれて良い。お嬢様は向こうでお昼寝中だ」

「…………僕としたことが!」

「まぁ、短い付き合いだ。あまり気にするな。岸に着いたら、ひとまず私はお嬢様を連れて故郷のミールに向かうつもりでいる。そっちはローズとこのまま行動を共にすることになったのだろう?」

「まぁ……そういうことになるな」

 綺麗な金髪に透ける夕日。
 眩しいくらいの笑顔。
 改めて彼女への想いを実感する。
 愛する人の傍で、その人のために努力できる幸せ。
 つい頬が緩んでいないか気になり、自分の頬を撫でてしまう。
 これからの航海の事を思いながら、レイルスは暫らくローズの様子を眺め続けていた……



「こういったことの心得は私もあまり多いとは言えんが……脈はあると思うぞ?」

「ほっといてくれ……!」


+ 戦飢なる鷹の眼イザドラ
 コルキドより南方、ガライア村から数里の地点。
 人里から少し離れ、静かで雄大な自然に囲まれるその場所に、辺りの景観をぶち壊す派手で巨大な屋敷がそびえ立つ。
 主の名はゲメイン。
 元は一介の商人だったが、周辺を治める領主の腰巾着として奔走し、苦難の末に下級貴族の位を授かるに至った野心家である。

「ゲメイン様。お客様がお見えです」

「うむ。通せ」

 執事から報告を受け、自らの書斎に客人を招き入れるゲメイン。
 聞けばその者は元軍属で、自分の部隊をまるまる私兵として受け入れる人物を探しているとのこと。
 既に十分な数の私兵を抱えていたゲメインではあるが、戦闘の元プロを、それも集団で手に入れることができるまたとない機会。
 この話を受けた時から、ゲメインは今日という日を心待ちにしていた。
 彼はそれだけの理由を抱えていた。

「失礼いたします」

 軽いノックと共に書斎のドアが開かれ、豪勢な椅子に踏ん反り返るゲメインが刺すような視線を向ける。
 その時だった。

「――ひっ!?」

 扉の向こうから現れたその人物と視線が合った瞬間のことだ。
 ゲメインは心臓を貫かれるような、そんな殺気を感じ、本能的に身体が硬直してしまう。

「お初にお目にかかります。ゲメイン卿。お約束をさせて頂いておりました、私イザドラと申します。はて……如何なさいましたか?顔色があまりよくないようですが……」

「……え?」

 頭を下げつつ挨拶の言葉を述べたその人物。
 その後、気分を尋ねられたことでゲメインはハッと我に返る。
 手も足も普通に動く。
 気のせいだったのだろうか。

「あぁ……何でもない。少し驚いただけだ」

「驚く……ですか?」

「話には聞いていたが、まさか本当に女だとはな」

 色白の肌に整った容姿。
 淑女らしい振舞いと品位さえ感じられる。
 だが、少し目線を動かすと、その端々に散りばめられた普通ではない要素が目を引く。
 右目には眼帯。
 はみ出し伸びる傷跡が、眼帯の下の目が既に目としての役割を果たせない状態にあることを嫌でもわからせる。
 それに、この服装は高官用の軍服だろうか。
 おかげで纏う空気が一般人のそれとは根本から異なる。

「信じられますまいが、これでも部隊長を務めておりました。女の身には風当たりの厳しい世界ですが、正当に私の能力を評価してくださる酔狂な方もいるものです。おかげで、軍を離れても慕ってくれる大切な部下たちとも出会えました」

「確かに。男は利よりも誇りを重んじる愚かな生き物だ。儂を含めてな」

(元軍人だと聞いていた手前、礼儀礼節も理解せぬ粗暴な輩かと覚悟していたが、随分と社交的ではないか。これも一つのビジネスなのだから、ある程度の猫を被ることは当然としても、部下からは厚い信頼を寄せられているようだ。この女もなかなか捨てたものではない……)

「フフ……ご冗談を。たった一代で貴族の地位を築き上げた商売人ともあろうお方が、プライドになど値は付けますまい」

 この言葉にゲメインが微かに眉をしかめる。
 貴族となる以前、商人として財を成していたゲメインは、野望のためにあくどい商売を手広く営んでいたため、近辺の住人までならず、顧客として相対したほとんどの者から恨みを買っており、その中には同じく貴族も含まれていた。
 イザドラが当時のゲメインの生業を知るということは、必然的に彼に敵が多いこともまた知っていることになる。

「ふん……儂のことを随分と調べ上げているようだ」

「どうかお気を悪くしないでいただきたい。我々としても雇用主についての情報はできる限り把握しておきたいのです」

「軍人らしいな……いや、構わん。むしろ当然だ。それくらい慎重で冷静でなければ雇う側としても困る」

「ご理解感謝いたします」

「それでも儂を雇用主に選んだのは、自分たちなら問題なく対処できるという自信の表れと取っていいのだな?」

「…………」

 イザドラは答えない。
 ただ、口元を卑しそうに歪ませただけ。

(ふん……戦闘狂め。そうまでして戦う相手が欲しいか。だが、使えなくはない……)

「まぁ、腕の立つ兵の獲得はこちらとしても願ったり叶ったりだ。最後に貴様たちの経歴を話してもらう。こちらも事前に調べさせはしたが、念のためにな」

「承知しました。では、我々の部隊が設立された時の話からいたしましょう……」

 国王を元首とする君主制国家コルキド。
 その国が保有する戦力は、かつての大国レミエール王国に匹敵せんとまでいわれ、数でこそ王国に劣るものの、厳しい環境と訓練により培われた精神力と肉体は、極めて高い兵士としての質を誇る。
 中でもイザドラが引き連れている一団は、王の勅令により設立された第一特殊戦術部隊に所属していた面々だった。
 それはありとあらゆる戦闘訓練を潜り抜けた戦闘のエキスパートたちで編成され、隊長イザドラの指揮の元、絶対勝利を掴み取るために作られた特別部隊である。

 しかし、ガルヴァンド帝国との同盟を経て、帝国が王都を滅ぼしたことを機に国内の情勢が大きく変化する。
 帝国に恐怖したコルキドの上層部は、帝国に言われるがままの傀儡(かいらい)と化し、実質的支配下に置かれることとなった。
 間も無く、コルキドにおける全ての部隊は強制解散させられ、イザドラたちはそのまま国外追放となったという。

 イザドラはこれらの情報を微塵の躊躇もなく淡々と語った。
 国家機密に当たるはずの情報さえも包み隠さず。

「……いくら国に捨てられたとはいえ、かつては忠誠を誓った国家の内政情報まで惜しげもなく語るとはな」

「既に決別した国……それに、今のコルキドは忠を尽くすに値にしない。ただそれだけのことです。それとも、情報そのものをお疑いでしょうか?」

 この時、ゲメインがイザドラに感じたのは、哀しみではなく、静かな怒りだった。

(本心か否か……儂をただ試しているのか……まぁ、この際何でも構わん。元コルキドのエリート集団ともなれば、戦力としては貴重この上ない。信用に足るかどうかは後々知っていけばよい。今はメリットの方が遥かに大きいだろう……)

「よかろう。君たちを正式に我が屋敷の私兵として雇い入れることとする」

「荒事くらいにしか使えぬ我々ですが、国に捨てられて尚も居場所があるとは……私が口にするのもなんですが、随分と物騒な世の中になったものです。心より感謝しますよ。ゲメイン卿」

 こうしてゲメインは、イザドラを含む約二十名の元兵士たちを丸々私兵として雇い入れた。
 その際に交わした契約内容は大別して三つ。

 一つ。
 報酬は出来高払い。
 ただし、衣食住は保証され、その他にも装備の調達、任務や演習にかかるものなど、私兵団を運用する上で必要となる経費についてはゲメインの承認を受けた後に支払われることとする。

 二つ。
 私兵団の統括指揮、育成など、戦闘に関わる全ての要素における方針決定はイザドラが行うものとする。
 ただし、行動実行前には予めゲメインへ報告し、その可否を問うこととするが、緊急時においてはその限りではない。
 団員には元々ゲメインが持っていた私兵も含まれており、イザドラは新規団員と合わせ、その全員を束ねる私兵団団長としての役職が与えられる。

 三つ。
 以上の契約に違反した場合、ゲメインはイザドラを含む全ての私兵を対象に禁固等の罰則、または解雇を強いる権限を有する。

 これらは雇用主であるゲメインが思い通りにイザドラを操れるように交わしたゲメイン有利な契約。
 だが、雇用主有利になることが自然とはいえ、元軍人の部隊長ともなれば、それなりにプライドもあるだろう。
 何らかの交渉があると踏んでいたゲメインだが、そんな予想とは裏腹に、イザドラはこれら契約条項を快諾した。

(一体何を考えている?部下たちを守るためならプライドなど二の次、三の次ということか?わからん……儂はまだこの女の本性をあまりに知らなすぎる……)

 ゲメインにとっては都合の良い流れではあるが、やや肩透かしを食らった気分になり、少し顔を曇らせる。

「では、現時刻をもって任務を開始いたします」

「やけに急くではないか……」

「一息つくにも、まずはそれが可能な環境かどうかを確かめてからでなくては落ち着くこともできますまい」

「なるほど。気構えからして儂らとは違うな」

 このやり取りだけ見ても、彼女の綿密さ、慎重さといった要素は十分に伝わってくる。
 それだけに、契約内容を快諾した点の不自然さが異様に際立つ。

「では、まず屋敷内の全ての武装を見せて頂けますか?アンティークや飾剣も全てです。それから私兵団用に用意されている施設も視察しておきたい。その後、ゲメイン卿が契約している私兵を全て庭に召集するようお願いします」

「は……?今すぐにか!?」

「戦力、状況の把握。団員同士の顔合わせと指揮系統の確認。この程度は当然でしょう。私は貴殿をお守りすることを約束しなくてはならない。これはそのために必要な措置です」

(途端に威勢が良くなったではないか……なんとも面倒な。まぁ、今はこれくらい許してやるか。しばらくはその手前をとくと拝見させてもらおう)

「いいだろう……だが、全てとなるとそれなりに時間がかかることになるが、構わんな?」

「致し方ないでしょうな。我々の常識は、貴殿らとはだいぶ異なるようです。差し当たっては、施設の視察から参りましょうか。その間に武装を揃えておくよう手配をお願いいたします」

「わかった…………」





 そして、ゲメインは徐々に知ることとなる。
 戦争屋、否、イザドラという人間が、決して自身の考えの枠内に収まるような存在ではないことを。



「何だこれは……何なのだこれは!?」

「おはようございます。ゲメイン卿。いかがなさいましたか?」

 イザドラと契約を結んだ翌日の朝。
 起床し、私室から出てきたばかりのゲメインとイザドラが廊下で向かい合う。

「あやつらは貴様の部下だろう!?あれは何をしているのだ!?」

 ゲメインが窓の外を指差すと、そこにはイザドラの部下たちが屋敷周囲の外壁をハンマーで打ち壊している姿があった。
 さらに、撤去された外壁部に新たに極太の鉄柱を次々と打ち込んでいる。

「昨日お話した通りですよ。屋敷を拠点とした防衛戦において、今の環境はあまりにも戦闘に不向きであると申しました。なので、まずは外壁をより強固に、より高く作り直しているまでです」

「ここの環境が防衛に不向きであるとは聞いた!今後は防衛力を強化していくともな。だから儂は貴様に訴えに応じて武器やら何やら手配したのだぞ?だが、屋敷に手を加えるなどとは一言も聞いていない!!」

「申し訳ありませんが、今は全ての目的、内容を事細かに説明している時間などないのです。貴殿はあまりに無知で、無防備でいらっしゃる。全ては貴殿と、貴殿の私産を守るためです。どうかご理解いただきたい」

(この期に及んでまだ儂のためなどと言い張るか……!)

「だが、屋敷も儂の私産であることに変わりはない。それを許可なく破壊することが許されるとでも……!?」

「可能であれば、屋敷に手を加えることは避けたかったのですが、外壁の外はゲメイン卿の私有地ではありませんので領主殿の了承が必要となります。また、外壁の内側に新たに壁を設けた場合、レンガ造りの旧外壁を足場にして、敵勢が外壁を乗り越えてくる可能性があります。よって、これが最速、かつ最善の策だと判断し、実行したまでです」

「だが――」

「繰り返しますが……これも貴殿と、貴殿の私産を守るため……ただ、そのためにです」

 途端にイザドラの纏う空気が変わった気がした。
 その眼光は、昨日ゲメインが彼女を初めて目にした時に感じた殺気のような圧を孕んでいる。

(儂は……とんでもないモノを身近に引き入れてしまったのではないか……?)

「ぬ……ぬぅ……良かろう。だが……今後、このような作業を行う際には儂にも報告するように……よいな?」

「承知しました。ご理解感謝いたします……」

 その後もイザドラ主導による屋敷の改築は続く。
 全ての部屋の扉は金属製のものに交換され、備え付けの窓の外には鉄格子を設置。
 さらに、床下、天井も鉄板で補強された。
 続いて、広大な隠し地下室と、かつての倍以上もある武器保管庫の増築。
 外壁の四隅には監視塔が建てられた。

 こうして生まれ変わったゲメインの新たな屋敷は、さながら要塞の体を成していた。

「とりあえず環境の改善はこれで完了したといえるでしょう。いかがですかな?」

「……これが貴族の屋敷たる姿か?これではまるで、儂が常日頃から命を狙われ、しかもそれを恐れているようではないか……!」

 要塞と言われればまだ聞こえはいい。
 が、ゲメインにはまるで自分を収監する刑務所のように見えた。
 口調を荒げぬよう抑えてはいるが、その怒りはイザドラにも確実に伝わっているはずだ。

「我々の認識では、そうなる可能性も決して低いものではないと捉えております。だからこそゲメイン卿も多くの私兵を雇い入れ、あげく我々のような者とまで契約したのでは?」

「それはわかっておる!だが、ここまでする必要があったのかと聞いておるのだ!」

「恐れは恥ではありません。危険を承知の上で最善の対策を講じない方がよほど滑稽です。勇敢であることと無謀であることを一緒くたにしてはいけません。古の教えを妄信して死を誇りとする愚か者は騎士だけで十分ですよ」

 騎士を愚か者と吐いて捨てるイザドラ。
 淡々とした言葉ではあったが、彼女の『死』に対する認識は騎士のそれに比べ、戦場に立たない者にとってはよほど納得ができるものだった。
 死は尊ぶより先に恐れるべきもの。
 本来それは、生を謳歌する人間が失ってはならない価値観。

「……言わんとすることはわかった。だが、これだけは確認しておく。この所業は本当に儂のためであったと、そう言い切れるか?」

(人間とは雇い主のためにここまで尽くせるものなのか?心から信用に足ると判断し、全てを捧げると誓わせるだけのものを儂はこやつに与えていない。ならば他に何かがあるのだ。確かに感じる、この不安と恐怖。それがこやつの中には潜んでおる……)

 ゲメインはこうまで言葉を尽くすイザドラの、その奥に潜む何かが気にかかって仕方がなかった。

「勿論です。貴殿は今や我々の雇い主であると共に、忠を尽くすべき王なのですから」

「また歯が浮くような台詞を……良いだろう。今は信用してやる」

「…………」

 イザドラは、口元を歪ませ、再びあの不敵な笑みを見せつけた。





 イザドラがゲメインの屋敷に来てから二週間が経過した。

――コンコンッ

「ゲメイン卿。またです」

 ゲメインの書斎のドアがノックされ、ドア越しにイザドラの声がゲメインの耳に入る。

「……またか。いつものように処理しておけ。何かわかったら報告するように」

「承知しました」

 ドアが開けられることのないまま会話は終わり、廊下からイザドラの気配が消える。

 『また』
 この言葉は屋敷に近づく不審人物のことを指していた。
 イザドラたちが屋敷に来てからというもの、数えること五人。
 恐らくは今回も屋敷が急に様変わりしたことを不審に思っての偵察といったところだろう。
 というのも、素性と目的に関しては、これまでの四人の不審人物全員の調べは付いている。
 イザドラの率いる私兵団は、こうした不審人物が屋敷に近づく前に察知し、屋敷に近寄らせることすらせずに身柄を抑えていた。
 その後に行われるのは厳しい尋問。
 初めは皆一様に口をつぐんでいたものだが、さして時間もかからぬ間に口を割り、最後には助けを求めて泣き叫ぶばかり。
 そうした者たちの背景は、決まって金で雇われた諜報員だった。
 雇い主は近隣の貴族。
 ゲメインを快く思わない者たちである。

 今になってわかる自分の危うさ。
 一部の者たちから反感を買っていることは無論承知の上。
 だが、ここまで直接的な行動に出る者がいようとは考えてもいなかった。
 堅牢な屋敷はそうした敵から身を守るだけでなく、おびき寄せる餌としても機能し、これまで把握しきれていなかった敵の姿を日に日に浮き彫りにしていく。

「さて、どうするか……」

 ゲメインは静まり返った書斎で一人考える。

(これもあやつの狙い通りという訳か……ヤツの狂気は大きな危険を孕んだ爆弾ともいえるが、あの優秀さはもはや疑う余地はない。何とか完全に懐柔することはできないものか……)



 その直後のことだった。
 既に陽はとっくに沈んでいるというのに、庭から大勢の人の気配を感じ、ゲメインが窓を覗く。

「くそぅ!今度は何をしている!!」

 そこには、装備を整えた私兵団の面々が隊列を組んで待機していた。

――コンコンッ

「ゲメイン卿。ご報告が」

「入れ!」

「失礼します」

 再びノックされたドア。
 今度はそれが開かれ、イザドラが部屋へと入る。

「あれは何の真似だ?」

「これより近辺に巣食う山賊、またはそれに類する対象を全て掃討して参ります」

「山賊だとぉ……?」

 突拍子もない単語の登場に、不機嫌面だったゲメインの表情が困惑の色に染まる。

「はい。先程捉えたネズミがアジトの情報を吐きました。どうやら敵は金で山賊を雇っていた模様です」

「……儂の命を狙ってか?」

「そのようです。遅かれ早かれこうした事態になっていたのでしょうが、我々が防御を固めたことを受けて、それが完全になる前に急ぎ強硬手段に出たというところでしょう。ですが、敵方は不運でしたな。我々のような存在をゲメイン卿が握っていることまでは知らなかったようで……ゲメイン卿にとっては幸運だったとも言えますか……」

「……儂を殺すために雇われたのが貴様らでなくて良かったと言わせたいのか?」

 ゲメインがイザドラに対し不信感を持ち始めているのを察した上での発言なのか。
 それとも単にからかっているだけなのか。
 どちらにせよゲメインにとっては面白くもない。

「まさか。我々を雇おうなどと考える酔狂な御仁もそう多くはいますまい」

「……まぁよい。儂とて貴様らの力は認めておるつもりだ。山賊たちの件、方法は任せる。直ちに排除しろ」

「……ククッ……変わられましたな。平和ボケしていた頭もようやく切り替わったようで安心しました」

「そのやり方を見ていれば嫌でも変わるわ」

「何よりです……ヤツらに聞いてみるとしましょう。自分の命が、果たして受け取った金に見合うものだったかどうか。私の部下の半数を置いて行きます。通常の警護であれば十分事足りるでしょう。それでは……」

 部屋を出て行くイザドラの背を見ながらゲメインは思う。

(爆弾であることは百も承知。だが、所詮は駒。道具に過ぎぬ。ならば儂が使い潰してやる。ヤツらに呑まれないだけの狂気をもってして……)





 イザドラたちが屋敷に戻ったのは、翌日の昼前のことだった。
 所詮は素人相手。
 てっきり手早く片付けて戻ってくるかと思っていたゲメインは、イザドラの報告を楽しみにしながら待っていた。

「ふん……たかがごろつき集団を処分するのに、どれだけ時間をかけておるのやら。でかい口を叩いていた割に、その実たいしたことはなかったという訳か……」

――コンコンッ

「ゲメイン卿。今、戻りました。任務のご報告を」

「入りたまえ」

 ドア越しに聞こえたイザドラの声はいつも通り淡々としたもの。

「随分と遅かったではないか。そんなにも手こずる相手だったということか?」

(健気に平常心を装ってはいるが、どんな醜態を聞かせてくれることやら……)

「これはこれは……気を揉ませてしまったようで申し訳ございません。昨晩捉えた一味の者はおおまかにしか組織人数を把握していなかったため、確認作業に少々手間取りました……」

「ほう?詳しく聞かせてもらおう」

「では、作戦の第一段階から……」

 イザドラのやり方は徹底した掃討戦だった。
 闇夜に乗じての奇襲に始まり、慌ててアジトから顔を出してきた賊を狙撃。
 自分たちが囲まれていることを察し、アジトに立てこもったところを最新の高性能爆弾で集中爆撃。
 崩壊したアジトに向けて一斉射を加えた後、隊を分散させて息のある者がいないかを念入りに捜索。
 続いて、周辺三キロ圏内を捜索。
 アジト外に出ていた賊を駆逐した。

「たかが賊相手にそこまでしたのか……!?」

「実戦とは程遠い作業染みた戦闘ではありましたが、久方ぶりの演習と思えば悪くはなかったでしょう。このところ屋敷の改築のせいで鈍っておりましたので、そうした意味では手頃でした」

「演習だと!?あの爆薬がいくらしたのか知っているのか!?」

「さぁ……詳細な値段までは。ですが、良い物でしたよ。流石はガリギア製。あれをまた同量補充していただきたい」

「なん……だと……!?」

 屋敷に来てからというもの、屋敷の改装費を手始めに、装備の充実や補充など、何かと金を使いまくるイザドラ。
 ゲメインは自身の資金力を誇示し、イザドラたちの信用を得るためにも、当初はこれらに応じ、財産の多くを支出していた。
 この爆薬というのもその一つで、これだけでも大きな屋敷を数件は建てられる程の大枚をはたいていた。
 全てはイザドラたちを飼い慣らし、誰も逆らえぬ程の地位を築き上げるため。

(つけあがりよってこの狂人め!餌代と思って甘くしたのは間違いだった!!こんなにも軽々しく……!!)

 ゲメインの顔が怒りで赤々と染まり始めるが、イザドラは微塵も気にかけることなく続ける。

「話を戻しましょうか。実は、件の山賊ですが、全滅していない可能性が僅かながら残っています」

「ふざけるな!!多大な損失を被ったうえに、任務を途中で放棄してきたというのか!?」

「戦闘後、生き残っていた者に尋問してもみましたが、こやつらも同様。賊のハッキリとした人数を把握しておりませんでした。近隣の街に物資調達に出ている者などがいた場合、討ち漏らしていることになります」

「で!?どうする気だ!?!?」

「勿論、その場合を考慮し、アジトの付近に数名の部下を潜伏させております。もし生き残りが戻ってきた場合はこれで対処できるでしょう。ですが、これも絶対ではありません。そこで、雇い主である貴族邸に一個分隊を派遣しました。許可を頂ければ直ちに処理いたします」

 怒りで赤く染まっていたゲメインの顔が一変し、今度はみるみるうちに青ざめていく。

「ま……待て!貴族を手にかけるつもりか!?」

「ご自身の命を狙った輩ですよ?放置すれば、再び命を狙われる危険もあるでしょう」

「だが、貴族を討ったとなれば他の貴族からの大規模な調査も免れまい!儂の指示であることが発覚すれば、貴様らとてタダではすまんぞ!?」

「…………任務に発つ際に『変わられた』と言いましたが、これはどうやら私の勘違いだったようです。貴方は何も理解していない。命のやり取りとはどういうものなのかを。良いでしょう。部下には警告だけさせて引き上げさせます」

「あぁ。それで――」

「ただし!」

 ゲメインの言葉を遮ったイザドラが豹変。
 今まで見え隠れしていた本性が、完全に顔を出した瞬間だった。

「今回だけだ。今後、同じことがあれば我々は容赦なくそれを叩き潰す。戦闘と戦争は違う。その点をわかっていない以上、我々の指示には従ってもらう他ない。まさかとは思うが、我々の飼い主にでもなったつもりだったか?それは違う。あくまで金銭と紙切れによる契約で結ばれた協力関係にあるだけだ。そこには命を賭けるに値する価値も忠義も存在しない」

「だ、だが、その契約では主導権は儂にあったはずだ!」

「平時においてはそうだ。だが、緊急時における取り決めがあったはずだぞ?最も熱り立つべき本人が今さら怖気づいている。あまつさえ敵に温情をかけろと?これが緊急時でなくて何だ?いいか。これ以上、我々の領分を穢すようならば、我々も対応を考えなければならん……余り踏み込んでくれるなよ?」

「う…………」

(何がこの女にここまでさせるのだ……儂は間違っていた……関わるべきではなかったのだ……!)

「返事が聞こえんぞ……?」

「わ、わかった……!」

 雇い主としての沽券などに構っている場合ではない。
 命の危険さえも感じ取ったゲメイン。
 結局、金にがめつく、プライドだけが高い成り上がり貴族の老人に、そもそも首を横に振る権利などありはしなかったのである。

「では、事後処理が残っておりますので、これで失礼します」

「あ、あぁ……」

 契約という結びつきを飛び越え、生物としての上下関係が確定された瞬間だった。






 それがきっかけだった。
 この日を境にイザドラは変わる。
 なんだかんだあっても、基本的にはゲメインに尽くす形に徹していた彼女だったが、一度見せた本性がますます際立ってくるようになったのだ。
 演習と称して周辺の野盗や山賊を率先的に狩り、それに伴う費用についてはこれまで以上に無心してくる。
 費用と称し、隠れて蓄えでも作っているのではないだろうかとさえ思わせる。
 その狂気と金遣いは、もはや一人の成金貴族の手に負える範疇を大きく超えていた。



「帝国軍の正規兵装備だと!?そんなもの手に入れる伝手がどこにある!?」

「探してください。我々には必要なのです」

「大体そんなもの何に使うつもりだ!?余計なことをして目を付けられでもすれば――」

「一方的に王都を陥落せしめた連中ですよ?今後どのような動きに出るか知れたものではありません。もしもの際、貴殿をお守りするためにも、なるべく正確に戦力を把握しておく必要があります。あくまでも、貴殿をお守りするために、ね……」

「無茶だ!こんなもの――」

「できない、と……?」

「う……じ、時間をくれ……出来る限りのことはしてみよう……」

「よろしくお願いしましたよ?」

 それでも何とか自身の被害を留めようとゲメインも試みるが、一度決まってしまった上下関係を覆すことは叶わず、イザドラの圧に押され、毎度毎度首を縦に振らされる。

 極め付けは、私兵団内の変化だった。
 イザドラの傍若無人な言動と団長としてのカリスマ性は、元々ゲメインが飼っていた私兵を次々と惹き付ける結果となり、ゲメインが気付いた時には、もはや彼の言葉に耳を傾けようという者さえもいなくなっていた。

 ゲメインがイザドラと契約を結んで三カ月。
 この時点で、ゲメイン邸はゲメインを傀儡とするイザドラが代表を務める小さな君主国家と成り果てる。



「ガリギア製の最新鋭機関銃と……防弾装甲……確かに。これで屋敷の守りもより盤石なものとなるでしょう。どうかご安心を。ゲメイン卿」

 相も変わらず金と装備を無心し続けるイザドラ。
 これまでにゲメインが調達させられた武装の量は、数十人の団員にあてがうにしても、とても装備しきれる量ではない。
 一個中隊が丸々完全武装できるほどのもの。

「……それは……なによりだ」

(こやつ……戦争でも始める気なのか……?)

「これから試射に向かいますが、同行されますか?」

「……結構。また山賊でも狩る気か?」

「いえ。もうこの辺りに山賊などおりませんので。ただの動作確認ですよ」

「そうか……」

 毎週のように演習に赴き、その相手として山賊、盗賊、それらを殲滅。
 イザドラたちが全滅させた組織は三つ以上。
 さすがに噂も立ち、誰も寄り付かなくなるはずである。

「ところで……先日、山賊を雇ってゲメイン卿のお命を狙った貴族を覚えておられますか?」

「あぁ……無論だ」

「確か名前は……失礼。失念してしまいました。まぁ、すぐにこの世から退場願う身です。覚えていても意味はないでしょうが」

「まさか……」

「屋敷付近に配置していた監視より報告がありました。何やら良からぬ連中が屋敷に出入りしていると。既に一度警告はした。奇跡的に免れた死を、さも当然であると勘違いでもしたのだろうな。貴族だから殺されぬだろうと……舐められたものだ……!」

「だが――」

「我々の尻尾を掴ませんよう、偽装工作は徹底する。それで問題なかろう?」

「…………」

 イザドラが部屋を出て、私兵団を連れ出撃するまでの間、ゲメインは何も言うことはなかった。
 自分では止められないことを知っているから。
 否、あの眼をした彼女を止められる者などいないことを知っているから。

「どうしてこうなってしまった……儂はどうすべきなのだ……この期に及んで契約を破棄しようものなら、どんな手段に出るかわかったものではない……関わってしまった以上、後戻りもできん……だが、このままではヤツらに食い潰されるか、最後には共倒れになるだけだ……どちらにしても破滅……ならば――」

 書斎で頭を抱えるゲメインが漏らす。

 どう飼い慣らそうか。
 どう使い潰そうか。
 そんな立場も今や逆転。
 じわりじわりと心を蝕んでいく恐怖。
 もはや耐えられない。
 そして彼は、引かされた貧乏くじをどう処理するのかを決める。

「おい!馬を用意しろ!!」

 ゲメインは書斎を飛び出し、執事を呼びつける。

「お待ちください、ゲメイン卿。イザドラ団長より、不用意な外出は控えさせるよう厳命されております」

 執事より先にゲメインの元に駆けつけたのは、私兵団員の一人。
 イザドラが監視と警護のために残していった者だろう。

「知ったことか!貴様らご自慢の団長様が何をしようとしているのか知らんわけでもあるまい!儂は万が一のために周辺貴族に根回しをする。この所業が誰かに知られれば、困るのは儂だけではない。貴様らとて同じだろう!」

「団長の作戦通りであれば、その危険性は非常に低いかと――」

「最善を尽くすことに不満があるか!?これはあやつの言葉でもあるのだぞ!わかったらそこをどけ!!」

 ゲメインは団員の制止を無理やり退け、馬車へと乗り込む。

「急ぎオグール卿の屋敷へ迎え!」





 ゲメインの屋敷から西に数里。
 霧がかる辺境の地にオグールの屋敷は存在した。
 廃墟となった古城を屋敷に改装したその建物は、得も言えぬ不気味さが漂っている。

「ゲメインだ。突然、約束もなしに失礼なのは承知しておるが、オグール卿と急ぎ話がしたい。取り次いでもらえるか?」

「……かしこまりました。客間にご案内いたします」

「助かる」

 アポなしであるにも関わらず、門でゲメインを出迎えた執事と思わしき男は、すんなりと屋敷の中へと馬車を通す。
 彼らにとってはこうした例は日常茶飯事なのだろう。
 オグールが生業とするのは人材紹介事業。
 奴隷、商人、執事、メイド、貴族などなど、職や階級に捉われないコネクションを多方面に持つ人物である。
 中には急を要する顧客も多い。
 そして、これは貴族間では有名な話だが、彼は暗殺者や傭兵などの、荒事を専門とする連中への橋渡しも請け負っていた。

「お待たせして申し訳ない。お目にかかるのは初めてですな。ゲメイン卿」

 客間で待っていたゲメインの前に現れたオグール。
 異常なまでに笑顔を強調する表情。
 この男も普通ではない。

「突然押しかけた無礼をお詫びする。だが、背に腹は代えられぬ事情があって参った次第」

「なるほど。ビジネスのお話ですな?」

「御察しの通りだ。前置きは省こう。急ぎ始末したい連中がいる」

「ふむふむ……では、標的の詳細をご存じの限りお聞かせ願いますかな?」

 ゲメインがここを訪れた理由。
 それはイザドラたちを始末するため、それができるだけの者たちに渡りをつけるためである。
 待つも流されるも果ては地獄。
 最後に自身が生き残る可能性を見出した先、その方法がイザドラたちの抹殺だった。
 屋敷を出る際、それらしい目的をでっち上げて彼女の部下を跳ね除けたが、ゲメインにとって、今この時はイザドラの監視が緩まった絶好の機会なのである。

「始末して欲しいのは、儂が抱えている私兵団の連中だ……」

「ほう……なんとも珍妙なお話で」

 ゲメインは語った。
 イザドラたちの過去、戦力、行動理念、自分が知る限りの全ての情報を。

「そういうことでしたか。最近、私が商品にしていた山賊共と連絡がつかなくなっていたので、調査をさせていたのですが……消息はつかめず、見つかったのは跡形もなく破壊されたアジトだけ。犯人の手がかりになりそうなものは何一つない……」

「面目ない……儂ではもうヤツらを止めることはできんのだ!」

 怒りを買ってしまったかと思い、慌てるゲメイン。
 だが、オグールはニコニコとした表情を崩すことなく続ける。

「いえいえ。むしろ感心しているのです。それだけ派手に動けば痕跡の一つくらいは残るものですが、彼らを消したのが貴殿の話す私兵団の仕事だったとなると、その実力はもはや疑いようもありませんな。むしろ興味が湧いてきました。その私兵団の方々に。実に欲しいものです……が、恐らく交渉は不意に終わるでしょう」

「だろうな……交渉に乗ったフリをして、逆に喰らいにくるような連中だ」

「わかりました。貴殿の望みを叶えるだけの駒を用意しましょう。ただし、紹介料と彼らへの報酬。安くはありませんぞ?今回は相手が相手ですので」

「わかっておる……いくらでも出すさ。破滅と天秤にかければ、安いものだ!」

「では、手配が済みましたら、後日ご連絡させていただきます」

「感謝する」

 これでダメなら諦めるしかない。
 藁にも縋る思いで、ゲメインがかけた大勝負。



「ふぅ……」

 会談を終えたゲメインは急ぎ屋敷へと戻り、書斎にて大きく息をつく。

――コンコンッ

「ゲメイン卿。今、戻りました。ご報告を」

 直後、部屋の扉がノックされた。
 作戦終了の報告に訪れたイザドラである。

「うむ……入れ」

 部屋に彼女を招き入れるゲメインは平静を装う。
 彼女の部下の制止を振り切ってオグールと接見した。
 相手や目的までは知られていないとしても、屋敷を出た行動そのものがイザドラにとって快くは思えない行為だろう。

「おや?お疲れのようですね。ゲメイン卿……?」

 静かで、冷たく、這い寄るようなイザドラの声に、冷汗が噴き出る。

「疲れもする。まさかこんなことになるとは思っておらんかったからな」

「我々が行動を開始した後、ゲメイン卿が護衛も連れずに屋敷を発たれたと報告を受けました。そこまで急いでどちらへ……?」

 作戦の報告よりも優先してゲメインの動向を探るイザドラ。
 不信感を隠すつもりはまるでないのだろう。
 だが、ゲメインとて今さら退く気は毛頭ない。

「屋敷を発つ際、貴様の部下に伝えたはずだ。貴族を討つならば、根回しが必要となる。少しでも身の潔白を証明してくれる人間を増やしておくことは当然の対応だ」

「ほほう……ゲメイン卿の話にそこまで耳を傾けてくれる御仁がおられたとは……」

「あまり儂を舐めるな?そうした繋がりは時間をかけ作ってきた。今日話し合いを持ったオグール卿は、広く顔の利く人間だ。その伝手を借りたまでのこと」

「なるほど……これは余計な詮索でした。では、万が一の心配もこれでなくなったということですね?」

「不満か?自分たちの力に全て任せてもらえなかったことが。それとも、儂が思い通りに動かなかったことか?」

「まさか……そうでなくては私としてもやりがいがない。次はどのような面白い事が起きるのか……楽しみで堪りませんな……」

「ふん……!」

(つくづく狂人……どこまで掴んでいるのか知らんが、儂は決めたのだ。今に目にものみせてくれる!)

 彼女の眼に宿る光は怒りではなかった。
 もっと異質な、禍々しく狂気に染まった淀んだ光。





――数日後

 ゲメインは周辺貴族が集う会議の場に召集されていた。
 議題は先日討たれた貴族に関する周知と今後の対応について。

「――というわけで、犯行は物取りを目的とした賊の仕業と思われるが、厳重な警備を掻い潜っての犯行だ。皆も警戒を怠らぬようお願いしたい」

「賊の特定に繋がるような手がかりは何かないのですかな?」

「今のところはない。目撃者はおろか、屋敷には生き残りすらおらぬ状態だったと聞く」

「おぉ……なんと惨い……」

「屋敷にあった金目の物は全て奪われていた。こうした事実から、賊は手練れ、それも大規模な組織ではないかと推測される」

「そういえば、周辺の山賊たちが姿を消したとの噂も聞いておりますな。それと何か関係があるのでは?」

「現時点では何とも言えんな……」

 領主を筆頭に、白熱した議論を交わす周辺貴族たち。
 だが、その内容は具体性をまるで欠いており、それはゲメインの手の者による犯行だとは知られていないことを意味する。
 というのに、ゲメインの顔色は優れない。

「……ゲメイン卿は何かご存じありませんかな?聞けば、屋敷の警備に大変力を入れておられるそうで」

 やはり来た。
 イザドラ独自の判断で行った事とはいえ、あれだけ大規模な屋敷の改装。
 嫌でも噂は立つ。
 それに加え、直後にこんな事件が起きては疑惑の目が向けられるのも当然だ。

「最近、屋敷付近で数度に渡って怪しい人物が目撃されておりましてな。先程お話に出た山賊の件もそうですが、何やら物騒な気配を感じたので、自衛手段を取ったまでのことです」

「それにしても度が過ぎるのでは?まるで刑務所のようだったとも聞いてますぞ?」

「はは……お恥ずかしながら臆病な性格なものでして。これまでは見栄を張っておりましたが、居た堪れなくなり、気づけばあのように不格好な屋敷に成り果ててしまった次第です」

 何とか疑惑の念を晴らそうと、ゲメインは饒舌に語る。

「ですが――」

「まぁ、良いではありませんか。私も身の回りでそうした事があれば不安で堪らない気持ちは同じ。皆さんもそうでしょう?」

「それは……まぁ…………」

「ここでゲメイン卿を責めるのはお門違いというものです。彼とてそんなことをすればどういう目に遭うかよく理解しているはずですよ」

 ここでオグールが、追及の憂き目に遭うゲメインのフォローに入る。
 この場にいる者の中で、本件の犯人がイザドラたちであることを知るのは彼女たちの雇い主であるゲメインと、その所業を全て聞かされているオグールの二名のみ。
 それでもオグールがゲメインを庇うのは、既に契約がある段階まで進み、引き下がれない状況にまで来ているということ。

「オグール卿の言う通りだな。ところで、貴殿はとても顔が広い。そうした連中の心当たりはないか?」

「情報が少なすぎますな。山賊、盗賊、あるいは傭兵団など、それが可能と思われる者たちはいくらでも存在します。そうした組織を全てしらみつぶしに調査するというのは、いささか我々の力の適うところではありますまい」

「確かに……だが、可能性がないわけでもない。できる限りで構わん。調べてみてくれ」

「承りました。事件解決のためにも、全力を尽くすことをお約束いたしましょう」

「うむ。頼んだぞ。では、この辺で一度休憩を挟むとしよう」

 次の話題に入る前に休憩が入る。
 会議が始まって半日近くぶっ通しだったのだから無理もない。
 さすがに議場の椅子に座る面々にも疲れが見える。



「外の風にでも当たりに行きませぬか?ゲメイン卿」

 椅子に深く腰掛け、溜め息をつくゲメインに話しかけたのは、先日取引を持ち掛けたオグールだった。

「オグール卿……それは良い。気分転換にもなる。だが……」

(今二人で行動するのはまずいのではないか……周辺警備にはイザドラも参加している……)

「ご安心を。彼女たちには屋敷の外周警備を担当してもらっていますので、気にする必要はありますまい」

 周囲を気にするゲメインの耳元で囁くオグール。
 それを聞き、ゲメインの口元が微かに緩んだ。

「では、参ろうか」

「ええ。是非是非」

 二人は他愛のない話をしながら、階段を下りていく。
 だが、これはカモフラージュ。
 この場で二人っきりになることを所望したオグールの真意を当然ゲメインも察している。

「こちらへ……」

「うむ」

 ゲメインが案内されたのはテラスではなく、一階の外れにある小さな部屋。
 部屋の前には見慣れぬ男が立っているが、風体から察するに屋敷の執事などではない。
 鍛え上げられた分厚い胸板だけを見てもそれがよくわかる。

「ゲメイン卿をお連れした」

「ご苦労様です、オグール卿。どうぞ……団長も心待ちにしてましたよ」

(やはりここで請負人の紹介を済ませてしまおうということだな。再びオグール卿の屋敷に足を運ぶことになるのは危険だと思っていたが、今日の会議は絶好の目くらましになっているわけだ。最も焦らなくてはならん儂にとって絶好の好機とは……皮肉なものだ)

 薄暗い部屋の中に通されると、目の前には簡素な椅子が用意されており、その向かい側には筋骨隆々の大男が一人、いやらしい笑みを浮かべながらゲメインたちを待っていた。
 ふとその隣を見ると、あまりにも場に似つかわしくない幼い少女が直立不動で立っている。

 頭に乗せた大きな耳は彼女がガルムであることを告げており、希薄な表情も相まって、まるで精巧な人形のように見える。
 彼女も大男の関係者だろうか。

「紹介しましょう。ゲメイン卿。こちらは傭兵団『戦場の狩人』のディーノ団長と、その部下のルゥ殿です」

「面倒な挨拶は省こうや、オグールの旦那。時間がないのはお互い様だろう?」

「そうですな。では、あとは当人たち同士でのお話ということで」

 そう述べたオグールは、ゲメインと傭兵二人を部屋に残して退出していく。
 あまりゲメインと揃って行動することは避けた方が良いとの計らいだろう。

「というわけだ。お初にお目にかかるぜ、ゲメインの旦那。紹介に預かった『戦場の狩人』で団長を張ってるディーノだ。こっちの小さいのは気にしなくていい」

「儂がゲメインだ。この場にいるということは、仕事を請け負ってもらえるものと捉えてよいのだろうか?」

(傭兵団『戦場の狩人』といえば、戦ごとに疎い我々貴族でさえ聞き及ぶ名だ。戦場で最も相手にしたくない傭兵団の一つで、相対した者たちは彼らを狩人と称して恐れたことからその名が付いたという……この者たちであれば、確かにあやつらを討ち取ることも叶うやもしれぬ)

「勿論、喜んでお受けしよう……!」

 気持ちのいい二つ返事。
 だが、それだけに気にかかる。

「失礼を承知の上で聞くが、報酬目当てか?オグール卿から話は聞いているとは思うが、相手は一筋縄ではいかぬ相手だぞ?それをここまで快諾するその理由が知りたい」

「そりゃ金は大事だ。傭兵団も酔狂だけで戦してるわけじゃねぇからな。だが、今回に関して言えば……理由はその『相手』だ」

「相手……?」

「オグールの旦那から話を聞いた瞬間に予感した……そして、さっき本人を直に見て確信したよ。遠目でも十分だった。ありゃ間違いなく『鷹の眼』だ……!」

「鷹の……眼?」

 ゲメインにとっては初めて聞く言葉だった。
 イザドラ本人から自己紹介を受けた時にも、そんな言葉は出てこなかった。

「まぁ、あんたら貴族が知らねぇのも無理はねぇな。戦場に生きるヤツらの一種の噂みたいなもんさ。曰く、数里先から獲物の眉間を撃ち抜く腕前。その眼に捉えられた者は逃げる術を持たない」

「確かによく弓を背負ってはいたが……」

「それだけじゃねぇよ?鷹の眼はかつてのコルキド軍精鋭部隊の隊長を張っていてな。そいつらと戦った敵は例外なくこの世から消え去っている。徹底的に、跡形も残さずだ……」

「特殊部隊の隊長を務めていたとは聞いた……だが、それだけでは鷹の眼と断定することはできないのではないか?直接会ったことがあるわけでもないのだろう?」

「あの眼と纏う空気だよ……命をやり取りしてきた俺らみたいなのにはわかるんだ……あれとやり合えるんだぜ?それだけでもこの仕事には価値がある!」

「自分たちなら負けるはずがないと……?」

「それを証明してやるのさ!ヤツの伝説に俺らが終止符を打ってやる!鷹とうちの猟犬……どちらが強いかの生存競争だ……!!」

 ディーノが静かに吠えた時、隣のルゥが小さく頷いたような気がした。

「確かに儂らにはわからぬ世界だ……では、任せて良いのだな?」

「おっと……報酬は勿論別に頂くぜ?俺らは安くねぇが、成功報酬で構わねぇ!」

(見た目に反して抜け目のない……だが、ヤツを排除できるならもはや金になど糸目はつけん……これは儂とヤツとの戦争なのだ!)

「いいだろう。儂は結果だけを求める……!」

 ディーノはゲメインに屋敷の警備体制や人員の数、装備の詳細などを確認。
 それに対し、ゲメインは知り得る限りの情報を包み隠さずディーノに打ち明けた。
 私兵団から隔離されているゲメインとはいえ、主だった武装の手配などはほとんどゲメインを通して行われたもの。
 警備体制の詳細はともかくとして、戦力的な分析はほぼ完全に的を射ていると言っても過言ではなかった。

「少しでもヒントになればと思って聞いてはみたが、こりゃ想像以上だな。ここまで完璧に戦力が把握できたなら、負けた方が恥ってもんだ……よし!決行は今夜だ!時間はあまり空けたくねぇ。勘付かれる恐れもあるし、これ以上武装を強化されるのも面倒だ!」

「勝てるのか!?」

「あぁ!気を揉むのも今日限りさ。明日からは思う存分羽を伸ばせることだろうぜ!」

「そうか……そうか!フフ……フフフフ!!では、頼んだぞ。儂は会議場に戻る。オグール卿がそれらしい気を利かせてはくれているだろうが、思った以上に時間がかかってしまった」

「あぁ。オグールの旦那にもよろしくな!」

 この後、会議場に戻ったゲメイン。
 案の定、オグールの機転により、ゲメインは腹を下したということになっていたため、他の者からの追及はなく、警備たちの者たちにゲメインの不在が知れることもなかった。

 そして、一日かけた会議は終了する。
 それだけかけて出た結論はというと、引き続き本件の調査は続行されるということと、解決まで周囲の異常には気を配るようにとの注意のみ。
 追及の手が消えることはなかったものの、こうも具体性にかける結論に導いたあたり、イザドラたちの手腕もたいしたものである。
 そんな呑気なことを考えながら帰路に着くゲメイン。
 道中、馬車の中で、向かい合うイザドラと言葉を交わす。

「どうやら他の者たちに尻尾は掴まれていないようだ。流石だな」

「お褒めに預かり光栄です。ゲメイン卿こそ、よほど心配なされていたのでしょうな。ようやく安心されたご様子で……」

「あぁ……やっと肩の荷が下ろせそうだ……」

「ククッ……まだ解決していないというのに、気の早いことです」

「フフ……まぁ、それもそうだな」

(こやつのことだ……何かしら察知している点もあるのだろうが、もう遅い。既に作戦は動いている……)

 残すは、今夜の作戦開始をただ待つのみである。





 屋敷に戻った後、ゲメインは書斎に閉じこもり、来たるべき時を待った。

「フ……フフ…………いかんな……笑いがこらえきれぬ……」

 間も無く全てが終わる。
 憎たらしいあの顔を見ることも、必死に金を工面する必要もなくなる。
 そう考えただけで、緩む口元が抑えられない。

――コンコンッ

 そして、書斎のドアがノックされた。

「ゲメイン卿。またです」

「そうか……今度はどこの手の者だ……いつものように処理しておけ」

「承知しました。ですが、今回のはこれまでの輩と少々異なる連中のようです」

「……ほぅ?」

「手練れです。少々荒れるやもしれませんので、ゲメイン卿は決して外に出ないようお願いします……」

「貴様に手練れと言わせるか……どこの手の者だ?」

「今のところは不明です。が、どうやら傭兵のようですな。雇い主については蹴散らした後に尋ねてみるとしましょう……」

「……わかった……手早く……な……」

 イザドラの気配がドアの向こうから消えて間もなく、戦闘によるものと思われる爆発音が庭の方向から小さく響いてきた。
 『戦場の狩人』と『鷹の眼』の戦争が開始された合図である。

「……フ……フフ……フフフフフ……ハッハッハッハッハッハ!これで終わりだ、イザドラ!二度と会うこともないだろう!!地獄の淵で精々悔やむことだ!!ハーハッハッハッハッハ!!!!」

 堪えきれなくなった笑いを盛大にぶちまけながら、ゲメインは一人、静まり返った書斎の天井を仰いだ。
 戦闘による騒音を飛び越え、イザドラの耳に届かせんばかりに。
 ただひたすら笑い続けた。





 開戦から一刻は経過しただろうか。
 時計の短針が天辺を指す頃になると、あれほど騒がしかった音もほとんど聞こえなくなった。
 笑い疲れたゲメインはというと、項垂れるように椅子に座ったまま動くことをしない。
 消えゆく音と、イザドラの命を重ね感傷に浸っている。

――コンコンッ

 再びドアが叩かれ、作戦成功の報せを待っていたゲメインの体がビクリと揺れる。

「…………」

 だが、ドアの向こうからは誰の声も聞こえてこない。

「…………だ、誰だ?」

 たまらずゲメインが応答を求めると、ぼそりと呟く声が微かに聞こえてきた。

「ボク……ルゥ……」

「ルゥ……だと?」

「マスターから報告……勝利……作戦終了」

「お……おぉ……おぉ!そうか!!勝ったか!!」

 自身をルゥと名乗りつつも、ゲメインは彼女の声を聞いたことがなかった。
 普段のゲメインであれば警戒し、廊下に立つ人物が敵ではないことを確信するまでドアを開くことも躊躇っただろう。
 だが、それは彼が待ちに待った勝利の報告。
 喜びのあまり、彼は自ら反射的にドアを開け放つ。

「わっ……ビックリした……」

 ドアを開き、視線を下に動かすと、チョコンと廊下に立つルゥの姿。
 驚いたと言いつつ、相変わらずの無表情はさほど変わっていないように見える。

「お、おぉ……すまんな!つい取り乱してしまった」

「報酬……受け取りに来た……」

「そうか、そうか!成功報酬の約束だったな!今、金庫を開けるから少し待っておれ」

 踵を返し、喜々として金庫の前まで向かうゲメイン。
 金庫のダイヤルを回しながら、ゲメインはふと思う。

(思えば何故ディーノは彼女を一人で寄越したのだ?報酬額もハッキリとは決めていなかったはず。そうした話をするのであれば、団長である彼がここを訪れるのが当然であろう……)

「ところで……ディーノ殿はどちら――がっ!?」

 振り向こうとしたゲメインの胸部に走る激痛。
 わなわなと震えながら、視線を胸元へと向けると、そこには背後から自身の体を貫く小さな手。

「な……何を…………!?」

 尚も振り返ろうとするゲメインだったが、体を貫いた手が一気に引き抜かれ、その衝撃で床に仰向けとなって転がる。

「がふっ……が……あぁ…………はぁ……はぁ……」

 自身の身に何が起こったのかを理解した時には、呼吸すらもままならない状態。
 霞んでいく視界でなんとか捉えられたのは、淡々と部屋を後にしていくルゥの姿。
 その右手は色鮮やかな赤に染まっている。
 そして、彼女が部屋を出ようとした直前、ルゥは一旦そこで立ち止まり、廊下に向かって少し視線を上げた。

「マスター……任務完了しました……」

「よくやった、ルゥ。覚えておけ?あれが我々に牙を剥いた者の末路だ。この先、ああいったものを山ほど見ることになる」

「ボク……頑張る……マスターのため」

「あぁ……期待しているぞ……」

 ドアの影に隠れて、その人物の姿は確認できないが、ゲメインはその声を確かに知っていた。

 静かで、冷たく、這い寄るような女の声。

「イ……ザ…………ド………………」

 その人物の名を最後まで呟くよりも早く、ゲメインの意識は闇へと沈んでいった――


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年07月28日 17:23