+ 恒星と咲く焔の瞳ルピー
「忘れ物はない?地図は持ったわね?あ、もう……帽子が曲がってるじゃない。ほら、ちょっと来なさい」

「もぅ……大丈夫だよ、お母さん。私だってもう子供じゃないんだから」

 そんな私の言葉も届いてはいないのか、相変わらず心配性のお母さんは眉をハの字に曲げての困り顔。
 あれやこれやと世話を焼いてくれるその優しさを、少しだけ疎ましくも思ってきたりしていた今日この頃。
 でも、この光景も当分は見ることができないと思うと、寂しいような、愛おしいような、なんとも形容しがたい複雑な気分です。

「あなたはこの旅を楽しみにしていたけれど、本当に厳しい旅なのよ?命に危険が及ぶようなことだって十分に起こり得るわ。用心するに越したことなんてないんだからね……?」

 この言葉には、母が我が子にかける思いやりと、師が弟子に授ける教訓の二つの意味があります。
 今はまだ後者の方が強いかもしれません。
 だからこそ、この旅を無事に終え、一人前の『星詠み』として認めてもらいたい。
 そうして師弟の関係に一区切りをつけることで、初めて素直に親子としての絆を確かめ合うことができる気がするのです。
 つまり、私が楽しみにしているのはこの旅そのものではなく、旅を終えた先にあるものということですね。
 星詠みの法衣に袖を通す感触に頬を緩めていた私が言っても説得力はないかもしれませんが……
 だってだって、伝統的デザインのはずなのに、こんなにも可愛らしいんですよ?

「わかってる。大丈夫だから」

「全然信用できないわ。あなた、何にでも首を突っ込みたがる癖があるでしょう?そんな真似してたら、旅はいつまでたっても終わらないんだからね?」

「うん、気をつける。心配しないで」

 たとえ万の言葉を尽くそうとも、お母さんの心配を拭い去ることができないことは分かっています。
 嫌というほど繰り返してきたやり取りですので。
 でも、今はそれを大切に噛み締めながら、旅立ちに際しての最期の儀式を執り行います。

「じゃあ、お母さん……杖を……」

「……えぇ。ルピー……頑張るのよ!」

「うん――わっ!?」

 代々星詠みが受け継いできた杖。
 それを、先代であるお母さんから、次代を継ぐ私が受け取る。
 が、私はそれをうっかり落としかけてしまいました。
 ボーっとしていたわけではありません。
 数々の願いや想いといった、形にならないものたちを秘めた杖の重さは、素材以上のものを私に感じさせたのです。
 こんなことではいけません。
 紡がれてきた歴史と成果を自分の代で潰えさせないためにも、しっかりしなければ!

 大陸に点在する街や村を辿り、それぞれ十五夜に渡り星を読み取り、書き記す。
 我が一族が長い時をかけて繰り返してきた星詠みの歴史。
 蓄積された膨大な星の記憶は、魔素の理と結びつき、偉大なる力をもたらす。
 この旅は、我が一族の数多の先駆者たちが歩んだ研究の旅。
 おばあちゃんも、お母さんも、かつて同じように歩んだ道。

 まずは星詠みとしての使命をちゃんと果たす。
 自分の望みを考えるのはそれからですね。

「本当に大丈夫?街の外まで見送ろうか?」

「大丈夫だって!行ってきます!」

 母であり、師である方から受け取った杖をしっかりと握り締め、私は住み慣れた家を後にします。
 泣きませんよ。
 今生の別れというわけでもありませんしね。

「行ってらっしゃい……ルピー」



 なんだか不思議な感じです。
 いつも歩いているはずの街の光景が、とても新鮮なものとして目に映る気がします。
 通りの石畳の模様も、お気に入りのお店の看板も。
 普段そこにあるのが当たり前すぎて、今まで気にかけていなかっただけでしょうか。
 人は失ってから、初めてその大切さに気が付く。
 これは誰の言葉でしたっけ。
 まぁ、それとも少し違うのでしょうが、心の持ちよう一つで世界は随分と違った姿を見せてくれるものだなと、十七年も生きてきて初めて思い知らされます。
 次にこの景色を目にするのは、一年は先になるでしょう。
 その時、このマーニルの街並みはどんな姿を私に見せてくれるのでしょうか。
 ちょっぴり楽しみですね。

「おや?ルピーちゃん、その格好……」

 ふと声をかけられたので振り向いてみると、そこには行きつけのパン屋のおじさんが店先から頭をひょっこり出していました。

「こんにちは、おじさん。今日から少し旅をしてきます。しばらくパンを買いに来ることはできませんけど、どうかお元気で!」

「旅ぃ?観光かい?」

「ふふ……違いますよ!星詠みの旅です!」

「おぉ、そうか!もうルピーちゃんも星詠みの旅をする歳になったか!」

 おじさんの焼いたパンをしばらく口に出来ないと思うと、少し寂しくなってきました。
 いけませんね。
 せっかくの門出です。
 笑顔でいきましょう!

「そういえば、お昼ご飯のことを考えていませんでした!せっかくですので、クロワッサンを三つ包んでもらえますか?」

「よしきた!一番うまく焼けたのを選んであげよう!」

「ありがとうございます!帰ってきたら、真っ先に買いに来ますので、またおいしいパンを食べさせてくださいね!」

「懐かしいねぇ、その台詞……」

「はい?」

「もう何年前だったかな……オレがまだオマエさんくらいの歳だった頃の話だよ。オマエさんのお袋さんが旅に出る時、同じことをオレの親父に言ってたのを覚えてる」

「お母さんが……」

 立派に使命を果たして街に帰ってきたお母さん。
 優秀な星詠みとして名を馳せ、次世代に意思を託したお母さん。
 私にとっては憧れでもある人ですが、お母さんも今の私と同じように、沢山の希望と、ちょっぴり不安が入り混じった、こんな気持ちでその言葉を口にしたのでしょうか。

「なんだか安心したよ。きっとオマエさんも、あの人みたいに元気な姿で帰ってくるんだろうさ!ほら、一個おまけしておいたから!頑張ってきな!!」

「ありがとうございます!きっと無事に帰ってきますから!!」

 私はおじさんに大きく手を振りながら、再び歩き出します。

 そういえば、まだこの旅の目的を説明していませんでした。
 今回、開始したこの旅は『星詠みの旅』と呼ばれる、私の家の一族に古くから伝わる伝統の儀式であり、その目的は、星詠みとして一人前になることと、各地で星の動きを観測し、それを詳細に記録することです。
 そもそも私たち星詠みとは、魔道都市『マーニル』に本家を構える術士の血統の一つで、星々の力を魔素と組み合わせ術を行使する者たちのことを指します。
 実際、近年では星の位置関係により大気中の魔素の流れが変化することは一般的に浸透し始めていますが、私たち星詠みは遥か昔からその事実を突き止め、技として発展させてきました。
 より効率良く魔素を扱うにはどうすればよいか。
 より大量の魔素を扱うにはどうすればよいか。
 その発展には地道な観察が必要です。
 一定周期毎に新たに星詠みとなった者に大陸各地を回らせ、星の情報を記録。
 時代毎における星の変化が、魔素にどういった変化をもたらしていたのか。
 そんな研究を代々繰り返すことで、私たちは大衆に認められるだけの成果を形にしてきたのです。

 この旅は、まさにその研究の根幹を成す調査の旅といえます。

 魔道都市『マーニル』を旅立った私は、まずは流水の都『ラグーエル』へ向かい、十五日間星の記録を行います。
 それを終えると次は炎鉄都市『イオ』へ赴きまた十五日。
 続いて、樹上都市『メルキス』、花園の都『ラキラ』、楽都『アルモニア』、商業都市『イエル』、港町『マリーヴィア』、獣境の村『ヴィレス』、鎮魂の街『ソーン』と……えっと次は……と、とにかく各地の街や村でそれぞれ十五日ずつ滞在し、大陸を一周してようやく魔道都市『マーニル』へと帰ることができるのです。

「ここからが私の旅の始まり……」

 マーニルの街の内と外を分かつ門の下で私は立ち止まります。
 見知らぬ土地を、重要な使命を帯びてたった一人で巡る旅。
 お母さんが言っていた通り、決して楽な道のりではありません。
 旅を完遂させる目的や使命感はしっかり持っているつもりです。
 でも、ここにきて、心の内から溢れてくる不安や怖れ。
 それらが私の足を地に縫い付けます……

「ルピー!しっかりなさい!!」

「――っ!?」

 しばらく聞くことはないと思っていた、耳に染み付いたその声。
 私は慌てて振り返ります。

「お母さん……!?」

「もしかしたらと思ったけど、やっぱりね……」

「見送りはいらないって言ったのに……!」

 本当はちゃんと見送って欲しかった。
 でも、そんな甘えたことを言うと、お母さんを余計に心配させてしまうんじゃないかって……

「ふふ……本当に何から何まで同じ。間違いなく私の娘だわ……」

 両の手をポンッと私の肩に置いて、いつになく優しい声でお母さんは言いました。

「強がらなくていいのよ。私も昔、あなたと同じようにここで怖くなって立ち止まってしまったの。そしたら、家から送り出してくれたはずのお母さん……あなたにとってはおばあちゃんね。あの人が私の後ろに立っていて、こう言って私を見送ってくれたの――」

 その言葉は、私の心に安らぎをもたらしてくれます。

「太陽が昇っていても、空に浮かぶ星々はいつも変わらずそこにある。ただ見えないだけ。それと同じように、たとえ見えなくとも、お母さんはあなたのことをいつも想い、見守っているわ……」

「……ありがとう……お母さん……!私、頑張るから!!」

「やっぱり親子ね……私と同じこと言ってるわ」

「うふふ……じゃあ、今度こそ行ってきます!」

「行ってらっしゃい。願わくば、幸多き旅路とならんことを……」

 改めて踏み出す足は軽く、心は澄み切った空のように晴れやか。
 もう挫けたりしません。
 私を信じて送り出してくれたお母さんの、師匠の想いに応えるためにも、愛娘、愛弟子の底力を見せてやります!





 前略

 お母さん。
 ご無沙汰しています。
 そちらはお変わりありませんか。

 私は今日、港町マリーヴィアに到着し、港から流れてくる潮風を感じながら筆を執っています。
 マーニルの正門より意気込んで旅立ってから、あっという間に三カ月が経ち、旅にもすっかり慣れました。
 当初私の胸を締め付けていた不安も、今やどこ吹く風といったもので、この日々を心より楽しんでいます。
 勿論、旅の本分が星詠みとしてのお役目であることは忘れていませんので、どうかご安心を。

 ラグーエルの港には大きな商船がズラリと並んでいて、圧倒されました。
 イオでは、鍛冶工房から溢れてくる熱気にあてられ、あまりの熱さに眩暈がしたことを覚えています。
 メルキスでは、私たちと同じエルフが、全く違った生活文化を営んでいました。
 ラキラの美しい景色や、アルモニアの街中から聞こえてくる楽しい音楽は、今でも私の眼と耳に焼き付いており、それを思い出しながら眠ることが日課になっています。
 イエルでは、様々な人種の人たちが通りに溢れ返っており、見たこともない品々が露店に並んでいました。
 初めて訪れる土地。
 初めて出会う人々。
 毎日が新しい刺激に溢れていて、うっかり今日まで連絡することを怠っていました。
 どうかお許しください。

 これらの経験は、私にとって、将来かけがえのないものになると確信しています。
 次は是非お母さんとも一緒に同じ旅がしてみたいです。
 きっとお母さんにとっても、懐かしい思い出を振り返る楽しい旅となることでしょう。

 ソーンに到着したら、また手紙を書こうと思います。
 では、また。
 再会できる日を楽しみにしています。

 ルピー





「こんなところかな?」

 思えば、お母さんにちゃんと手紙を書くことなんて初めてで、絵葉書一枚分に言葉をまとめるのに一時間もかかってしまいました。
 マリーヴィアに到着したのが今朝のこと。
 星詠みのお役目は星が夜空に浮かんでからでなければ始められないので、これといってやることのない日中の暇つぶしにはもってこいでした。
 手紙も書き終えたところで、のんびりお昼寝というのも悪くありませんが、まずは街の観光としゃれこむことにします。
 二日目からの日中は、夜に取った星の記録を詳細にまとめ、研究用資料に起こさないといけませんし、夜に備えて睡眠もしっかり取らなければ。
 当然、遊んでなんていられません。
 そういう意味では、次の目的地に向かう道中と、街に到着した日の日中のみが私に与えられた休暇ということになるのでしょう。

「すみません。少し外を歩いてきます。帰りはお昼過ぎになるかと思いますので」

「承知しました。んじゃ、鍵をお預かりしますね。どうか気を付けて!」

 宿屋のご主人はなんとも気さくな方でした。
 こうして一旦、鍵を預けて、私は自由時間を満喫します。
 手紙の配達依頼をさくっと済ませ、まずは何か美味しいものでも頂きましょうか。

「ごめんください。もうお店は開いてますか?」

「いらっしゃい!旅人さんかい?大丈夫だよ!」

 朝食にしては遅く、昼食にしては早い中途半端な時間でしたが、食堂のご主人は快く私を中まで案内してくれました。
 まだ店内には他にお客さんがいなかったので、遠慮なくテーブル席を広々と使わせてもらいます。

「ご注文はお決まりで?ちなみに、今日のオススメはこちらのマリーヴィア特製の海鮮リゾットになっております!」

「では、せっかくなのでそれを。あと冷たいお紅茶をお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちを」

 流石は港町ですね。
 魚介類をふんだんに使ったお料理は、港から遠い街ではあまり食べることができません。
 大抵の食堂のメニューには書かれているのですが、海から遠い土地ではちょっと手が出しにくいお値段になっているのです。
 それがここではこんなにお手頃。
 海の幸はラグーエルで食べた白身魚のムニエル以来ですね。

「お客さん。随分と変わった格好をなさってますが、どこかの祭司様か何かで?」

「――え!?あぁ!違いますよ。私、これでも星詠みの巫女なんです。とはいっても、まだ見習いのようなものですけどね」

 いけない、いけない。
 つい妄想に耽ってしまっていました。
 先に紅茶を持ってきてくれた店主さんに顔を見られてしまったでしょうか。
 さぞかし間抜けな顔になっていたことでしょう。
 うぅ……恥ずかしい……

「おぉ!星詠みの!!では、アーラェ殿とも所縁が?」

「えぇ。アーラェは私の母で、師匠でもあります」

 こんなところでお母さんの名前が出てきても、特別驚くことはありません。
 私の母はそれなりに有名人ですから。
 あ、この紅茶おいしいです!
 癖の強いマーニルの茶葉に比べて、優しい味をしています。

「なんと!それはお会いできて光栄です!!お母上はお変わりありませんか!?」

「えぇ。少なくとも、私がマーニルを旅立った数カ月前は元気でしたよ」

 十年以上昔、大陸中に魔物が溢れ返る事件があり、その原因である親玉の魔物を討伐し、大陸を救った四人の英雄たち。
 その内の一人というのが、他でもない私のお母さんアーラェ。
 私がいくら話を聞こうとしても、肝心のお母さんがなぜかその話をしたがらないので、娘ながら詳しくは知りませんが、あの口うるさくも優しいお母さんが、星魔法で魔物の大軍を一掃する働きをしたとかしていないとか。
 普段のお母さんをよく知っているだけに、想像もできません。

 それにしても、星詠みと聞いただけでお母さんの名前が咄嗟に出てくるとは。
 リーダーだったらしいバレルさんの名こそ万人が知るところなのですが、それに比べるとお母さんの名前を知る人は流石に少なくなります。
 こちらの店主さんは、よほど英雄譚や冒険話がお好きなのでしょうか。

「炎の剣聖バレルが率いた英雄一行!鋼の守護神ウェルジ!癒しの聖母エルア!星の大魔導士アーラェ!この街の人間なら誰もが知ってますよ!なんせ、そのバレルの生まれた街こそ、ここマリーヴィアなんですからね!!」

「そうだったんですね!母はあまり昔のことを語らない人なので、全然知りませんでした。ところで……その二つ名は初めて聞いたのですが……」

「バレルのヤツには『炎の剣聖』なんて大袈裟な二つ名が付いてるのに、一緒に戦ってくださった方たちに二つ名が無いのはひどい扱いってものでしょう?ですので、僭越ながら私が付けさせて頂きました!無論、この食堂に訪れる旅人さんたちには、皆さん二つ名付きでお話させて頂いております!」

 まさかの店主さんの自作でしたよ、お母さん。
 もしかして、お母さんが若い頃の話をしたがらないのは、こうしたことが原因なのではないでしょうか。
 お世辞にも矢面に立ちたがるような人ではありませんし、噂話に語られる自分の姿が恥ずかしかったのかもしれませんね。

「そ、それは何とも……えっと、バレルさんとは親しいのですか?何だかそのように聞こえましたが」

「昔からの馴染みでしてね。私と同じ年頃の男連中はみんなアイツに連れられて、毎日のように外を走り回っていたものです。それがいつの間にか、やれ剣聖だの、英雄だの呼ばれるようになっちまいやがって。でも、元々狭い街の枠に収まるような男じゃないような気はしてたんですよ。ははは!」

「今もこの街にいらっしゃるのですか?是非お会いしてみたいと思います!」

「……申し訳ありませんが、それは、ちょっと無理なご相談です」

「まぁ……それは残念ですね。やはりお忙しいのでしょうか?」

「いえ……そうではなく……アイツは……もう、死んじまいやがったので……」

「そんな…………!」

「一年前くらいです。流行り病でコロッと逝っちまいました。アイツは間違いなく英雄で、魔物なんか簡単に倒しちまうようなヤツでした。でも、やっぱり私たちと同じ人間だったんですよ……」

「そうですか……申し訳ありません。知らぬこととはいえ……」

「いやいやいや!お客さんは悪くありませんよ!良かったら時間のある時にでも墓に顔を見せに行ってやってください!アーラェ殿の娘さんだって言ったら、驚いて墓穴から飛び出してくるかもしれませんよ!?はははは!」

 その後に店主さんが運んできてくれたリゾットはとても手が込んでいて、すごく美味しかったです。
 それはもう、ついつい涙が零れてきてしまうほどに。

 私は食事を済ませた後、食堂の店主さんにお酒を注文し、それを持って店を出ます。
 そして、真っ直ぐバレルさんのお墓に向かいました。
 場所はあらかじめ聞いておいたので問題ありません。
 ただ、そこは港に近い高台の上の墓地だったのですが、そこへ上るための階段というのがとても急で、私は息を切らしながらなんとか休まず上りきります。
 どうしてこんなところに墓地を作ったのでしょう。
 お参りする方たちは何とも思わないのでしょうか。

「わぁ……!」

 やっとの思いで墓地まで辿り着いた途端、私の身体を涼やかな潮風が洗い、階段を上っていた時に抱いていた疑問を吹き飛ばしてくれました。

 まさに絶景。
 眼前に広がる大海原。
 果てに望む水平線。
 自分も、こんな素晴らしい景色を望みながら眠ることができたなら。
 そう思わせるものでした。

 死者へ贈るせめてもの手向け。
 この高台に墓地を設けようと決めた人たちは、きっとそのように考えたのでしょう。
 そうであるなら、ここに眠る人々はその人たちに皆感謝していることと思います。

 岩壁に最も近いところに建てられた一際大きな墓石。
 そこにバレルさんの名が刻まれていました。

「初めまして、バレルさん。私の名前はルピー。昔、バレルさんと共に戦ったアーラェの娘です。今日は星詠みの旅の途中でこの街に立ち寄ったのですが、一言バレルさんにご挨拶がしたくて参らせてもらいました」

 食堂で店主さんに選んでもらったお酒を供えて、私は手を合わせます。

「これ、バレルさんが大好きだったお酒だと聞きました。そろそろ飲みたくなった頃なんじゃないかと思って。お母さんたちとも、一緒にお酒を飲んで夜を明かしたりしたんですか?お母さんはバレルさんたちとの思い出を教えてくれないので、代わりに沢山教えてください」

 もし、彼に私のような子供がいたなら、その子は親の死をどう受け止めたのでしょう。
 お母さんが急に死んでしまう。
 まだまだ死ぬことなんて考えられないような年齢です。
 それがある日、亡くなってしまうなんて。
 今の私には現実味がなさ過ぎて想像することもできません……

「あ、ごめんなさい!せっかくなので、楽しいお話をしましょう!バレルさんはマーニルで暮らすお母さんのことを知らないと思うので、私がお話しますね!きっと一緒に戦っていた頃とは違ったお母さんの姿だと思いますよ!」

 一体、どれくらいの時間そうしていたでしょうか。
 気付けば太陽は天辺を通り過ぎ、傾き始めています。

「もうこんな時間……私、そろそろ行きますね。長々とごめんなさい。今度は母も連れて来ようと思いますので、またその時まで」

 少し痺れた足を撫でながら立ち上がり、バレルさんのお墓に背を向けた時でした。

「――わっ!?」

 思わず前のめりになりそうなくらい強い潮風が背中を押します。
 たまらず振り返った私の目の前には今しがたお別れをしたバレルさんのお墓。

「ふふ……ありがとうございます!私、頑張りますね!」

 なぜ感謝したのかと聞かれると、少し答え辛いですね。
 ただ、私はその時、バレルさんが背を優しく押して応援してくれたような、そんな気がしたんです。



 そろそろ宿に戻り、夜に備えてひと眠りしようと考えた私は、途中で見かけた商店街に立ち寄って、お夜食代わりのリンゴを二つ購入しました。

「ありがとね!またよろしく!」

「はい。また寄らせて頂きます!」

 同じ港町でも、ラグーエルとは少し雰囲気も違いますね。
 ここは元々軍港を兼ねていたとのことですが、そうした理由からか、どこか規律染みた、きちっとした空気を感じます。
 暮らす人々こそ様々ですが、綺麗に区画整理された街造りや、整列する様に並んだ看板や標識がそう思わせるのでしょうか。

 ともあれ、マリーヴィアの観光はこれで終わり。
 当日の寝起き次第ですが、もしかしたら次の目的地であるヴィレスに向かう前に、もう少しだけ観光ができるかもしれません。
 その際は、またあのリゾットを頂きたいですね。
 そんなことを考えながら、私は宿のベッドに横になり、ゆっくりと目を閉じました。



「ん……」

 目を覚ました私は、カーテンの隙間から窓の外を覗き込み、良い感じに日が暮れようとしていることを確認します。
 習慣というやつですね。
 今日は数時間ほどしか寝ていないはずなのですが、もうこれ以上ないくらいに目が冴えています。
 手早く準備を済ませて出かけましょう。
 星詠みとしてのお役目の時間です。

「おや?さっき戻ったばかりなのに、またこんな時間からお出かけかい?」

「はい。今度は朝まで戻りませんので、戸を閉めていただいても構いません」

 なんだかちょっと破廉恥なことを口走ってしまったような気がします……

「街の外に出るなら気を付けなよ?いくらこの辺りの治安が良いといっても、夜になると魔物が出てくることも少なくないからな」

「ありがとうございます。浜辺まで降りて、星を眺めるだけですので」

「そういえば星詠みの巫女さんなんだったな!噂は聞いたぜ!星の大魔導士アーラェの娘さんらしいじゃねぇか!だったらそこいらの魔物くらい返り討ちだな!ガッハハハ!!」

「ど、どうも……」

 凄まじいご近所情報網です。
 もう私のことが知られているとは……
 発信元が食堂のご主人さんであることは、二つ名付きで語られていることからも明白ですね。
 まぁ、変に引き留められたりしないのは気楽で良いです。

 そうして私は一旦街の外に出てから、ぐるっと街の外縁を回り、浜辺へと降りていきます。
 浜辺に到着した時には、すっかり陽も落ちて、夜空には美しい星々が煌いていました。

「さてと……」

 丁度いい流木が浜辺に打ち上げられていたので、それを椅子替わりにして、空を仰ぐ。
 一つ一つの星を見据え、それぞれの位置関係をしっかりと記録。
 見渡せる星を全て記録し終える頃には、水平線の向こう側からお日様の頭がひょっこりと顔を出そうかという時間です。
 帰りに明日のご飯を買い、早く帰ってゆっくり寝ましょう。

 お夜食のリンゴでお腹が満たされ、もう眠気が限界です。
 おまけに睡眠不足のツケまであります。



 翌日。
 目が覚めたのはお昼過ぎ。
 食事を済ませたら、昨晩の星の記録を研究書にまとめます。
 そして、夕方にまた外出して、リンゴを買って浜辺へ。
 同じように昨晩を含めて連続で十五夜。
 途中、星が完全に隠れてしまうような悪天候に見舞われなければ良いのですが。

 そうそう。
 後々気付いたことなのですが、浜辺で星を詠んでいる最中、私をどこかからじっと見つめている気配に気が付きました。
 魔物が襲い掛かる機会でも伺っているのでしょうか。
 まぁ、遠くの物陰から私に存在を気付かれているようでは、そこまでの脅威ではないでしょう。
 こちらから手出しするつもりはありません。
 襲い掛かってくるようなら応戦せざるを得ませんが、そのうち諦めてくれるかもしれませんしね。

 そんなこんなで無事に十五日の滞在が終わり、次なる目的地、獣境の村『ヴィレス』へ旅立つ日がやってきました。
 宿と食堂と果物屋さんのご主人たち。
 皆、良い人ばかりで、本当によくしてくれました。
 私は彼らにしっかり感謝と別れのご挨拶を済ませ、マリーヴィアの街を去ります。

「……ん?」

 街の門を潜り、街道に向かう私の行く手から、同じ年くらいの青年がやってきます。
 一人でしょうか。
 私が言うのもなんですが、こんなに若い旅人さんは久しぶりに見ます。

「やぁ……」

 挨拶までしてくれました。
 出発した矢先に、いきなり素敵な出来事が。
 旅路の幸運を暗示してくれているようで、何だか少し嬉しくなってしまいます。

「おはようございます」

 私も満面の笑みで答えます。
 どうか、マリーヴィアで過ごすこの方の時間が素敵なものになりますように、と。

「お、おはよう」

 なぜでしょう。
 すれ違いながら返してくれた笑みとその言葉は、どこかたどたどしいものに感じました。
 見ず知らずの女にいきなり満面の笑みを向けられ、困惑されたのでしょうか。
 次からはもう少し控えめにいくことにしましょう……

 ちょっぴり幸せと、ちょっぴり後悔を胸に。
 さぁ、いざヴィレスへ!

 などと気楽に考えていられたのはその時だけでした。
 途中、旅人さんに道を尋ねたところ、なんとマリーヴィアから伸びる街道は、ヴィレスまでは通じていなかったのです。
 それはいけません。
 あまり時間をかけていては、ここまで記録してきた星の周期と大きくズレが生じ、結果的にこの旅の成果が全て無駄になってしまいます。
 そして、そんな私の困り顔を見た旅人さんはこう続けます。

「まぁ、直接行けないこともないんだけど……危ないよ?」

 贅沢は言っていられません。
 元より安全な旅だとは思っていませんでしたからね。
 そうして教えてもらったヴィレスへの直通ルート。
 これがもう大変な道のりです。

「はぁ!」

『ギャゥウウウ!!』

 獣道のような山道を擦り傷だらけになりながら抜け、海岸線の断崖絶壁の淵をプルプルしながら慎重に歩き、今度はまた獣道。
 度々魔物にも襲われ、その都度、命の危険を感じる道中です。
 咄嗟に私が放つ術でも追い払える程度の魔物だったのがせめてもの救いでしたが、もしも彼らが群れたり、長時間の詠唱を要する高位の術でないと倒せないような個体と遭遇していれば、とてもじゃありませんが、ここまで進むことはできなかったでしょう。

「はぁ……はぁ……これは想像以上ですね……」

 この道を教えてくれた旅人さんは、三日ほどでヴィレスまで抜けられると言っていましたが、女子供で、しかも運動があまり得意ではない私の足ではもう少しかかると思ったほうが良いでしょう。
 間もなく陽も沈んでしまいます。
 欲張ってもう少し進む手もありますが、視界の悪い暗闇の中、物陰から魔物に襲われてはたまりません。
 周辺の魔物はあらかた追い払えたようなので、今晩はここで野宿することに決めました。

 実は、マリーヴィアの砂浜にいた時から感じていた私をじっと見つめる視線。
 あの視線を今でも微かに感じるのですが、もしかしてマリーヴィアからずっと着いてきているのでしょうか。
 気に入ってくれるのはそう悪い気分でもありませんが、魔物が獲物に向ける興味となれば遠慮したいものです。
 まぁ、無視して問題はないでしょう。
 ここまで手を出してこないとなると、早々襲ってくることは無いはずですので。

「……今日も星が綺麗に見える」

 何を呑気な、と思ったことでしょうが、これも星詠みの性とでも言いましょうか。
 辺りに街の街灯や松明のない場所では、暗い夜空に一層美しい星たちが瞬きます。
 街から街へ渡る道中で見上げる夜空はいつもこうですが、マーニルにいた頃はお目にかかることができなかった光景です。
 これを見逃すことなんてできませんよ。
 明日もたくさん歩かなければなりませんので、体力を温存するためにも、夜更かしして星の記録に勤しむことができないのは残念ですが、代わりに私の瞳と心に存分に焼き付けます。
 この輝く星の大海原を。





 ヴィレスに向けてマリーヴィアを出発して三日目の夜。
 そろそろゴールにほど近いところまでは来ているはず。
 明日にはヴィレスに到着できると良いのですが。
 この日の夜空はそんな心配事を反映したかのような曇り模様。
 星はほとんど見えません。
 それを見て、私の心はますますどんよりしてきますが、ここまで来てくよくよしていても仕方がないので、明日に備えて今日も早めに床に就くことにします。

「おやすみなさい……」


――ガサッ!

 横になって間もなくして、テントの傍で物音が聞こえ、慌てて飛び起きます。

「――っ!?」

 真っ先に魔物の襲撃を予感しました。
 まさか、私を見つめていた視線の主?
 私は枕元に置いてあった杖を掴み、テントの外へ。

「…………?」

 ですが、テントの周りは至って静かなもので、どんなに神経を尖らせても獣の気配一つ感じません。
 物音を聞いたのは間違いと思うのですが、虫が草むらでも揺らしたのでしょうか。
 ともあれ、思い過ごしであったのなら何よりです。
 私は念のため、四半刻ほど周囲を警戒してみますが、感じていた視線も今は感じられません。
 安全も確認できたようなので、再度眠りにつかせてもらいます。
 まったく、人騒がせな虫さんですね。



「ん~……!」

 早朝、明るくなった空を仰いで、ぐーんとひと伸び。
 昨日の曇天が嘘のような快晴。
 自然と気分も昂揚してきます。
 今日はこの調子でヴィレスまで駆け抜けてしまいたいです。

 なんて考えている間に到着しました。
 獣境の村ヴィレスです。
 私が昨晩野宿したところは、なんとヴィレスの目と鼻の先。
 ちょっと間抜けな話かもしれませんが、これはこれで嬉しいサプライズだとしておきましょう。

 街についてからの私の行動は何も変わりません。
 これまで旅してきた数々の街と同じ。
 十五夜に渡って星を観察、記録し、それを研究書にまとめる。
 違ったことと言えば、この街に暮らす住民の多くはガルムと呼ばれる半獣の方々で、そんな方たちと接する機会を得られたことが嬉しかったということでしょうか。
 あ、それからどの店でも店員さんが笑顔で運んでくる、てんこ盛りのお肉料理。
 とても美味しいのですが、私には多すぎても、毎日苦しい思いをしながら腹に収めたことは良い思い出になりそうです。

 続いて向かうのは鎮魂の街『ソーン』ですね。
 この街について、私は噂一つ聞いたことがなかったので、到着するのが実に楽しみです。
 道のりもヴィレスに向かう道中に比べるとずっと短く、楽な移動でした。
 魔物に一度も遭遇しなかったのはこれ以上ない幸運だったと思います。
 正直なところ、先日、夜中に飛び起きた一件があって以来、野宿に対して密かな恐怖心を感じていたのですが、お星様がそんな私に加護を与えてくださったのでしょう。
 それとも、お母さんの想いが私を守ってくれたのでしょうか。



「止まれ!」

「はい……?」

 ソーンの街に到着すると、正門の前で呼び止められました。
 街に入るための手続きか何かでしょうか。
 これまで訪れた街の中にもこうした例はいくつかありましたが、ソーンの警備員さんは少し風体が異なります。

「ここへは何をしにきた?」

「私は星詠みの巫女で、ここには星の記録のために参りました」

「星詠みぃ?オマエのような小娘がか?」

「……はい。十五日間の滞在を希望します」

 黒い鎧と、そこに刻まれた紋章。
 それを見て彼らがソーンの住人ではなく、帝国軍の方たちであることを私は察します。
 ちょっぴりムッとする反応をされましたが、下手に騒ぐわけにはいきません。
 私には無事、完遂しなければならない使命があるのですから。
 それを抜きにしても、言い返せるほど気丈な振る舞いができる性質じゃないんですけどね……

「…………いいだろう。滞在を許可する。名簿に必要事項を記入してから門を通れ」

「……わかりました。ありがとうございます」

 何でしょうか。
 じっくりと舐め回すように見られた気がします。
 とても嫌な感じです。
 ですが、ひとまず街に入るお許しは得られたようなので、早々にこの場から退散しましょう。

「おいっ!?待て、小僧!!」

「はいっ!?!?」

 名簿に名前を記入しているところで、急に大声で呼び止められました。
 って……小僧?
 確かに、自慢できるほどの身体ではありませんが、それでも男性と間違われるほど未成熟だとは思っていないのですが……

――ドンッ!

「きゃっ!?」

 直後、私の身体が跳ね飛ばされます。
 警備員さんに?
 いいえ。
 ソーンの街から飛び出してきた小さな人影と衝突したのです。

「うわぁっ……!?」

 衝突の衝撃で尻もちをつく私と小さな人影。
 その正体は、まだ幼い少年でした。

「こいつ!!」

「くそっ……!!離しやがれ!!」

 その後ろを追いかけてきた別の帝国の兵士さんが少年を取り押さえます。
 先程の大声はこの方が発したものでしょう。

「大人しくしろっ!!」

「ぎゃっ!?」

 ボカッという鈍い音が響き、少年がうずくまります。
 私はただただ状況が呑み込めず、呆然としていたのですが、それにしても乱暴が過ぎるというものです。
 大の大人があんな小さな子に手を上げるなんて。

「やめてください!」

 やってしまった。
 そう思いましたが、一度口にしてしまったらもう止まりませんでした。

「ん?なんだ、オマエは?」

「事情はわかりませんが、手荒な真似は止してください!この子が一体何をしたというのです!?」

「その娘は旅人だ。星詠みの巫女らしい」

 後ろからは先程の警備員さん。
 私は屈強な男性二人に挟まれる形になってしまいます。
 それでも、ここまできて後戻りはできません。

「ふんっ!関係のない者が口を挟むな!これは我々とソーンの問題だ!」

「やめろよ!離せよ!!」

 兵士さんは私の言葉に耳を傾けることはせず、子供を抱え上げ、街の中へと戻ろうと歩き出します。

「待ってください!確かに関係はありませんが、このような所業、見過ごすわけにはいきません!こんな子供に暴力を振るうなんて、恥ずかしくないのですか!?」

「貴様……我々に立てつくつもりか……?」

 兵士さんは少年を無造作に地に投げ捨てると、腰に下げてきた剣を抜き、その切先を私の喉元に突き付けます。
 うぅ……ここで謝れば許してもらえるでしょうか……
 でも、このままだとあの子が……

「私は星詠みの巫女です。重要な使命を帯びた身ですので、ここで死ぬわけには参りません。ですが、それが疎外されない範囲であれば何でもします!ですので、その子を離してあげてください!!お願いします!!」

「そんなことでこの状況がどうにかなるとでも――」

「待てっ!!」

 剣を振り上げた兵士さんを呼び止めたのは後ろで様子を静観していた警備員さん。
 何やら、兵士さんに耳打ちし始めました。

「…………よ。このまま………………な?」

「……なるほどな」

 話の内容までは聞き取れませんが、恐らく私に対する要求の相談のようです。
 何でもするなんて気安く言ってしまいましたが、何をさせられるのでしょうか。
 ちょっとした雑用やお遣いで済むようなことであれば良いのですが……

「よし。少しここで待っていろ。小僧、お前はさっさと家に帰れ。次は見逃してやらんからな。覚えておけ?」

 そう言うと、兵士さんは一人街の中へ去っていきます。
 警備員さんはというと、なにやらニタニタと笑みを浮かべるだけで、何も口にはしません。
 本当に何をさせられるのでしょうか。

 少しして、先ほどの兵士さんが街の中から戻ってきました。
 その後ろには大きな馬車が一台。
 周りに数人、お仲間の兵士さんも連れています。

「乗れ……」

 吐き捨てるように命令され、私は馬車に乗せられます。

「へへっ……役得ってやつだな」

「まだ我慢しろ。他の連中に知られると面倒だ」

 どこかへと走らされる馬車の中で、兵士さんたちのそんな会話だけが聞こえてきます。
 手縄と目隠しをされた私は、もうどうすることもできません。
 いくら私が鈍かったとしても、ここまでくればこの先の展開が予想できるというものです。

「…………うぅ」

 息苦しいです。
 心がきゅっと締め付けられ、溢れてくる涙が止められません。

 そういえば、困っている人を見かけては、後先考えず助けようと動いてしまうのは今に始まったことではありませんでした。

 見知らぬ土地で見かけた迷子を、道もわからないのに家まで送り届けようと奔走したり。
 落とした財布を探すのを手伝っているうちに陽が暮れ、落とし主が諦めて帰ったにも関わらず一人延々と探し続けたり。
 結局、迷子はお母さんに逆に見つけてもらい、財布は役所に届けられていたなんてオチでしたっけ。
 さっきの子供はちゃんと無事に帰れたのでしょうか。

 所詮、私にできることは星を眺めてそれを記録することだけ。
 いえ、それさえもこんな形で終わりを迎え、全て無駄になってしまうのかもしれません。

 自分の行動が招いた結末だとしても、やっぱり悔しい……
 こんなことなら勇気を振り絞ったりするんじゃなかったと、後悔の念に押し潰されてしまいます。



「うぉおおおおおお!!!!」

『ヒヒィイイイイン!!』

 そんな時でした。
 突然、誰かの叫び声が聞こえたかと思うと、馬が悲鳴を上げ、馬車が急停止したのです。

「な、なんだ!?」

「よくわからんが、敵だ!剣を持っているぞ!!」

 馬車が急に止まったせいで、腰掛から投げ出された私は馬車の荷台に這いつくばっています。
 ですが、そんな私を他所に、兵士さんたちは皆馬車の外へと飛び出していったようです。

「貴様!何者だ!!」

「――ぎゃぁああああ!?」

 馬車の外から聞こえてくるのは、戦闘の音と、悲痛な叫び声。
 私は怖くなって、そこで震えることしかできませんでした。

 程なくして戦闘の音は止みます。
 そして、誰かが馬車に近づいてくる気配を感じました。

「いや…………!」

 奪われた手の自由と、真っ暗闇の視界が恐怖を助長します。

「えっと……えっと……大丈夫……大丈夫か?」

 優しい声が私の心を包み込みました。
 丁寧に目隠しが外され、眩しい光に目が眩みます。

「…………」

 徐々に定まる視界に、私の手縄を外そうとしている青年の顔が浮かんできました。

「助けてくれたんですか?」

 状況を見れば聞くまでもなかったんでしょうけど、このときの私はそんなことにすら頭が回らないほど参っていたんだと思います。

「あ、いや、えっと……困ってそうだったから……その、ほら、黒い兵士に攫われて……攫われた所を見ちゃって……あ、いや……男の子!男の子が助けてくれって言って……その……」

 私を怖がらせないように言葉を選んでいるのでしょうか。
 やけにたどたどしく青年は話します。
 そこで私はえも言えぬ違和感を覚えました。

「あれ?あの、どこかでお会いした事ありましたか?」

「い、いいや、えっと、全然!全然初対面だと思うんだけど……その、あっ!怪我はないか!?」

「え、あ!はい!大丈夫です。あなたこそ大丈夫ですか?さっきすごい音がしていましたけど」

「おおおおおお俺はバッチリ!げげげ元気だよ!ほら!ルピーを守らなきゃっていう一心が力をくれたっていうか……」

「ん?何故私の名前を知ってるんですか?やっぱりどこかで……」

 言葉を交わしながら馬車を降りると、そこには地に横たわったままピクリとも動かない六人の兵士さんたちの姿。

「だぁあああ!!!えっとえっとえっと!!それは違うんだ!そうじゃなくて…なんとなく!なんとなくルピーさんじゃないかなぁって思っただけで…!知ってなんてなくて!ほほほほほほ本当にそうなんだ!」

 彼の手を見て、私は気付きます。
 話し方はともかくとして、彼は確かにふるふると小さく震えていたのです。

 一見したところ、あまり鍛え込んでいるという体つきではありません。
 それこそ、傍に横たわる兵士さんたちと比べると、まるで体格が違います。
 そんな人たちを何人も相手に。
 それもたった一人で。
 全ては私を救うために取った行動。

 さぞ大変な恐怖だったはず。
 あらん限りの勇気を振り絞ったはず。

 自身の勇気から目を逸らしてしまった私とは違う。
 まさに勇ましき者。
 勇気を切って捨てるのではなく、恐怖と向かい合い、打ち勝つ強さをこの人は持っている。

「なんだか、よくわからないですけど……助けてくれてありがとうございます!」

 私はもう一度信じてみようと思います。
 勇気の果てに得られるモノが必ずあると。
 そして、それを教えてくれたこの方に、心からの感謝を。
 絵本に出てくるような英雄とは少し様子が違うけれど、彼はこの時、間違いなく私にとっての英雄となったのです。

 これは何という感情なのでしょうか。
 この人と共に。
 胸の内からそんな思いが溢れてきます。

 お母さん。
 バレルさんに付いていこうと決めた時のお母さんも、こんな気持ちだったのでしょうか――





――三カ月後

「次の村まで、あと少しね!」

「うん。なんていうか……こうして旅をしてると、親父が冒険に魅せられた気持ちが少しわかる気がするよ」

 今、私の隣にはアレクがいます。
 護衛役として、私の星詠みの旅に同行してくれているんです。
 たぶん、私の心は限界を迎えつつあったんだと思います。
 長期間の一人旅。
 心細い道中。
 ソーンでの一件は、私の心があげる悲鳴に気付かせてくれるきっかけにもなりました。
 だからこそ、彼が自分からそれを申し出てくれたことは、涙が出ちゃうくらい嬉しかったんです。

「アレクのお父さんは冒険者なの?私のお母さんもそうだったよ」

「俺が生まれる前の話だけどね」

 二人での旅路となった頃、彼はすごくあたふたした話し方だったけれど、ずいぶん落ち着いて言葉を交わせるようになりました。
 これも、ちょっと悪戯して驚かせたりするだけですぐに戻っちゃうんですけどね。
 人は彼のことを臆病だとか、気弱だとか言うかもしれませんが、私はそれでも良いと思うんです。
 恐いものは恐い。
 意味なく強がったりもしない。
 それは彼が自分に嘘をつかない誠実な人である証拠。
 そして何より、彼が恐怖に立ち向かうだけの強さを持っていることを私は知っています。

「面白いモノを探しに行く!なんて出て行ったらしいんだけどさ、帰ってきたら英雄になってたっていうんだから笑えるよな」

「英雄!?すごい人だったんだね!」

 あれ?
 ちょっと待ってください。
 アレクの出身地であるマリーヴィアの英雄。
 それって……

「あぁ……えっと、その……俺はこんなだけど、父さんは“炎の剣聖”とか“マリーヴィアの英雄”とか呼ばれててさ……マリーヴィアではちょっとした有名人……だったみたい……」

「えぇええええ!?バレルさんってアレクのお父さんだったの!?なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」

「えぇ!?ルピーは父さんの事知ってるの!?マーニルまで名前が届いてるの!?」

「もちろん!有名な話だよ!?というか、私のお母さん、バレルさんと一緒に旅をしてたし!」

 そりゃ興奮もしちゃいます。
 マリーヴィアではお墓参りまでさせてもらったんですから。
 私とってもバレルさんはもう赤の他人はありません。

「えぇええええ!?もももももしかして、ほ、星の大魔導士の……ア、アーラェさんが、ルピーの母さんなのか!?」

「うん!お母さんも私と同じように星詠みの旅をしてたの!」

「お、おお、おぉおおおお!なんかよくわかんないけど、凄い偶然だ!!父さんはルピーの母さんと旅をしてて……今は俺とルピーが一緒に旅をしてて……!!」

 本当に、本当にすごい偶然です。
 偶然という言葉では説明ができない程に……
 そう、それは星に定められた――

「星に定められた運命みたいだね!」

「…………う、運命?」

「……え?」

 はわわわ……!
 何だか勢いで凄いことを言ってしまいました。
 そうですよね。
 運命だなんて勝手な押し付けをしてしまうのは失礼です。
 それがとても喜ばしいものに思えてしまいました。
 なんでそんなことを言ってしまったんでしょう。

「運命……」

「ア、アレク!なんか……違うの!そうじゃなくて!いや、そうなんだけど……えっと……あれ?なんだか私がアレクみたいになってる!?」

「運命…………」

「だ、だから、違うんだってば!今の忘れてぇええええええ!!」



 少し前まで、お母さんが心配するのも無理はないくらい、ちょっと危なっかしかったかもしれない私だけど、今はどんな困難も乗り越えていける気がします。

 皆が教えてくれました。
 魔法はお母さんが、勇気はアレクが。
 もう、迷うことなんてありません。


+ 夜霧彷徨うプリシィ
 マリーヴィアの裕福な家庭に産まれた長女は、プリシィと名付けられた。
 父は領主の家に務める外交官。
 父の秘書であった母は、仕事を辞めてこの家に嫁いできた。
 子どもを身籠ってからは父も母も産まれてくる我が子の為に出来る限りの準備をしていた。
 母は彼女が5才になってもまだ困らぬほど大量の服を編み、父は彼女が成人するまでの教育に必要な費用を十分賄えるだけの蓄えを作った。
 そうして生まれてきたプリシィは、沢山の愛情を注がれて育てられる。
 母は唄を歌い、プリシィを愛でていた。

 出産から2週間後のその日が来るまでは……。


「いやぁあああああ!!!!」

 夜、母の悲痛な叫びが家に響いた。
 飛んできた父は、部屋のドアを押し開ける。

「どうした!?何が……」

 母は、我が子の前で崩れ落ちていた。
 その絶望に打ちひしがれた表情を見て、父もただごとではないと悟る。

「何があったんだ……?教えてくれないか……」

「瞳が……瞳が……」

 母の指差す方向には、プリシィが寝かされている揺り籠がある。
 父は恐る恐る近付き、中に寝かせられたプリシィを覗き込んだ。

「これは……まさか……そんな……」

 赤子の目が初めて開くという事は、本来両親からすればとても嬉しい事だろう。
 その日、プリシィも初めて目を開いたのだから、2人からすれば喜ばしい事……。
 しかし、その瞳の色を見て、2人に笑顔が溢れる事はなかった。

 左右、違う色の瞳。
 オッドアイと呼ばれるこの特徴は、悪魔が取り憑かれていると言われ、大陸の人間から忌み嫌われていた。
 絶大な魔力を持ち、成長すると人々に災いをもたらすとされ、産まれた際は、即座に息の根を止め、街の首長に報告する事が義務付けられている。

 数百年前、王都の国王夫妻から産まれた第一子も不幸な事にオッドアイだったが、その時ですら例外なく葬り去られたと噂がある程だ。
 この風習から逃れる事は出来ないだろう。

 父は母に肩を寄せ、力強く抱きしめた。

「この子は……残念だが……無かったことにしよう」

「そんな!!!そんな事ができ……!!」

 母が途中まで叫んだ時、父は人差し指を唇に当て、静かに息を吐いた。

「この子は産まれなかった。そうだろう?死産だったんだ。まだ誰にも見せてはいない。君や僕の両親すらも知らないんだ。今ならまだ、なかった事に出来るだろう」


 こうして、プリシィは一歩も家から出ず、隠されて育てられる事になった。
 2人は誰にもプリシィの存在を悟られないように、細心の注意を払い日々生活を送ることとなる。


 プリシィが10才になる頃、最大の危機が訪れた。

 マリーヴィアの街にやってきた帝国兵。
 街はたちまち占拠され、住民は怯えて生活する事を余儀なくされた。
 そして数日後、街の北側から帝国兵による家の中の調査が行われる事になる。

「あなた……どうしましょう……明日にはウチの番になるわ。そうしたらこの子は……」

 ここまでオッドアイの子どもを育ててしまった2人は、もはや罰する対象になるだろう。
 父は難しい顔をしながら、ある決断をする。

「……この街の生活を捨てて、海へ出よう……。そうすれば……この子も……」


 ――深夜

 家財を船に積み込む2人の姿があった。
 誰にも見つからず、遠い海に逃げ……新しい生活を始める。
 簡単ではないかもしれない。
 それでも、親子3人で暮らす望みがあるとするならば、方法はこれしかなかった。
 最後の荷物を運び、船を沖へと出す。

「この街ともお別れだな……」

「パパ?外に出てもいいの?これからどこに行くの?」

「パパとママとプリシィの3人が笑って暮らせる所に行くんだよ」

 プリシィは初めての家の外に感動していた。
 大きな空に浮かぶ星々。
 どこまでも続く海を月明かりが優しく照らす。
 これから、もっと幸せな生活が待っている。
 そんな事を予感せずにはいられなかった。

 海に出てから数日が経過した時、大海原に一つの小さな影が見えた。

「あれは……船か?」

 父は望遠鏡を覗き込み、小さな影を捉える。
 影はどんどんと大きくなり、やがて肉眼でも船だと認識できるようになった。
 父は望遠鏡から目を外すと、突然大きな声を上げる。

「プリシィ!!船室に入りなさい!お前もプリシィと一緒に!さぁ早く!!」

 慌てた様子の父を見ると、母はプリシィの手を引いて船室へと身を隠す。

「ママ……どうしたの?」

「大丈夫よ……。きっとなんとかなるわ」


 ジッと船の中で縮こまるプリシィ。
 母の表情から、何か嫌な空気を感じる。

「なんだ貴様ら!!おい!勝手に…!!!」

 沢山の足音が船室まで響いてくる。
 母はプリシィの肩を掴み緊張した様子で声をかけた。

「ここで大人しくしていなさい。ママはパパの様子を見てくる」

「待ってママ……」

「大丈夫だから」

 プリシィに笑顔を向けると、ドアを開けて甲板へと出る母。

 大人しくなんてしていられる訳がない。
 きっと外では怖い事が起きている。

 恐る恐る、ドアの隙間から覗き込むプリシィ。
 見知らぬ男が数人。
 手には武器を持っている。

「パパ…?ママ……?」

 男達に囲まれた両親は震えているように見えた。

「っ……!?」

「なかなか良いもん着てるな…どこかの貴族か?まぁいい。ここでお前らは終わりだ!」

 男の風貌から、海賊だろうか……。
 ヒゲを伸ばし、目の大きな傷跡は、まさに無法者といった所だ。

「いや……いや……」

 泣き出しそうなプリシィ。
 この歳の少女が、目の前の光景を受け入れられる筈がなかった。

「いや……だよ……」

 急に瞼(まぶた)が重たくなってくる。
 こんな状況で、なぜ眠気が来るのか。
 受け止めきれない現実がそうさせているのか……。
 プリシィはその場に崩れ落ちた。

「パパ……ママ……」

 その時、夢か、現実か、知らない声が聞こえた気がした。

(私が守ろう……)

 もう目を開ける事も出来ず、揺れる船室に倒れ込むプリシィ。
 外からドアノブに手が掛けられる音がした。



 真っ暗な世界の中で、プリシィはひとりぼっちだった。

「ここはどこ?私、しんじゃったのかな……」

 すると後ろから声が聞こえる。

「大丈夫。私が守るから」

 振り向くと、少女がそこに立っていた。

「あなたは…だれ?」

 その顔は黒いフードでよく見えないが、会った事はなさそうだ。
 両親以外と接した事のないプリシィは、自分に普通に話しかけてくる少女に違和感を覚える。

「アタシは……あなたを守る者……」

 口を開いた少女は、少し笑っているようにも見えた。

「私はまだいきてるの?ここはどこなの?」

「ここはあなたの夢の中よ。そうね……そろそろ目を開けてもいいかしら」

「えっ!?どういうこと?」

 少女は踵を返してプリシィに背を向ける。

「ちょっと!待ってよ……!」

 少女に必死に手を伸ばす……。


「あれ……?」

 気がつくと、船の船室に倒れていた。
 伸ばした手の先には、甲板へと出るドアがある。
 その奥には、あの男達がいる筈だ。

 しかし、何か様子がおかしい。
 波の音以外、何も聞こえない。
 外に人の気配がまったくしないのだ。

「どうなってるの?」

 恐る恐る、ドアを開くプリシィ。


 そこには誰もいない甲板と、広い海が広がっていた。


「えっ…?なんで……?」

 甲板に出ると、さっきの男達が乗っていたものだろうか、少し大きな船がプカプカと浮いている。

「みんな……どこ……?」

 大海原の真ん中で、プリシィはひとりぼっちになった。


 ――数日後

 あれから何日が経っただろうか。
 一人船に残されたプリシィは、今日も海を眺めながら母が歌っていた唄を歌う。
 何が起こったのか解らない。
 寂しさで泣き出しそうになると、この唄を歌うようになった。
 水平線は永遠と続き、島や船の影すら見えない。
 横に停まっていた男達の船も、気がつけばどこかに行っていた。
 長い航海を計画していたのだろうか、食料は船に大量に積み込まれていたので、それを少しずつ食べる。

 きっといつか助けが来る。
 そう思わなければ気が滅入ってしまう。
 ただ、誰かが助けに来たとして、自分は無事でいられるのだろうか。
 オッドアイを持つプリシィを見たら……。

 ふと、海に霧がかかっている事に気がついた。
 船は霧の中へと導かれていく。
 船の操舵方法は解らないプリシィはただそれを見ている事しかできない。

 霧の中に入ると、視界はほぼゼロに等しくなった。
 どこに向かっているのかも解らない。
 ただ波の音と、不気味に船体が軋む音が響く。
 怖くなったプリシィは、またあの唄を歌う。

 何日間、霧の中にいただろうか。
 もう日にちの感覚すらなくなっていた。


 目を覚ましたプリシィは、窓から指す光が明るくなっている事に気がついた。
 包まっていた毛布から飛び出て甲板へ出る。

 外は霧が晴れ、頭上には青空が広がる。
 そして、船は大きな島に辿り着いていた。

「ここは……」

 プリシィは、何日ぶりかも解らない陸に足を下ろす。
 綺麗な海岸には輝くような砂浜が広がり、その奥には森が広がっている。
 マリーヴィアの街は殆ど見た事がなかったが、ここがマリーヴィアでない事はすぐに直感した。

「人は……いるのかな?」

 海岸線には船の影が見えず、島の中にも人工物のような物は見えない。
 ここが無人島である可能性を考えたプリシィは複雑な気持ちだった。

 人がいれば、助けてくれるかもしれないが、オッドアイの自分が暖かく迎えられる可能性は低い。
 人がいなければ、その不安はなくなるが、やはりひとりぼっちのままだ。

 色々な不安が押し寄せながらも、初めて状況が変化した今、事態を好転させられる可能性があるならばと、島に足を踏み入れる。

 砂浜を抜け、森に入ると、木々には美味しそうな果実が成り、図鑑でも見たこともない鳥や虫が沢山いる。
 普通の人間であれば、ここは楽園だと考えるかもしれない。

 プリシィは目を輝かせながら森を進んでいく。
 木々を掻き分け、奥へ奥へと歩いていくと、突然視界が開けた。

「あれは……?遺跡……?」

 目に飛び込んできたのは、石造りの大きな建物。
 この島で初めて見つけた人工物。
 島に人がいる可能性がぐっと高まった。

「こんにちはーー!!誰かいますかーーー!?」

 プリシィの声が辺りに響くが、どれだけ待っても返事はない。

「勝手に入っちゃっていいのかなぁ……」

 不安の表情を浮かべながらも、遺跡の中に足を踏み入れる。
 大きな門を潜り、石畳の通路を通って入り口に差し掛かろうとした時だった。

「良くここまで辿り着いたわね」

 ビックリして振り返るプリシィ。


「あっ!あなたは……!!」


 両親がいなくなったあの日、夢の中に出てきた少女。

「なんで?あれ?えっと、私の夢の中に出てきたのに!あれ?」

 混乱するプリシィ。
 少女はプリシィの様子をフードの中から伺っていたが、プリシィの言葉に驚いたようだ。

「アタシの事を知っているの?」

「えっと、夢の中で一度会ったんだけど……あれ?私だけ…なのかな?あれ?」

「フフフ……そう……」

「う~ん、それじゃあ初めましてかな?私はプリシィ!パパとママと一緒に船に乗ってきたんだけど、2人共いなくなっちゃって……今は一人で、この島にきたんだけど……」

「そう……。大変だったわね」

「あなたは……!?あっ……」

 久しぶりに会話が出来る相手を見つけたとはしゃいでいて忘れていた。
 目の前の少女は、まだプリシィがオッドアイだと気がついていないかもしれない。
 もし、それに気が付いたら、プリシィの前からいなくなってしまうかもしれない。
 またひとりぼっちになってしまう。
 プリシィは、それが怖かった。

「アタシはエレシュ。良く来たわね。よろしく」

 少女はフードを頭から外し、挨拶をした。

「あれ!?あなたも……!?」

 プリシィは驚く。
 それもその筈。
 フードで隠れて見えなかった少女の瞳は、プリシィと同じように左右で色が違う。
 右目が赤く、左目が青という所まで、プリシィと同じだった。

「どうしたの?アタシの顔に何かついてる?」

 プリシィが少女の顔をジロジロと見ていると、少女は不思議そうに手を顔に当てる。

「あ、ううん!違うの。私と目が同じだなぁって思って」

 プリシィは嬉しかった。
 先程まであった不安。
 自分がオッドアイだと分かったら友達になる事が出来ないかもしれないという不安が、一気になくなった。

「エレシュちゃんだね!よろしく!エレシュちゃんはここに住んでるの?」

「まぁ、そんな所よ。アタシもあなたと同じように、船に乗ってここまで来たから」


 初めて、両親以外の人間と言葉を交わしたにも関わらず、自然と打ち解ける事が出来た。
 プリシィにとっては、その事が何よりも嬉しく、島の生活が家にいた頃よりも幸せだと感じる程だ。
 ただ、時々両親の事を思い出しては、夜な夜な唄を歌い、寂しさを紛らわしていた。
 両親にはきっと何処かで会える。
 そう信じていた。


 エレシュとの生活は楽しいものだった。
 2人で毎日冒険のような日々を過ごす。
 エレシュは遺跡の中にプリシィを案内し、中にある祭壇から一本の杖を渡した。

「島の中には魔物もいるわ。あなたはアタシと同じ瞳を持つなら、特別な魔力を持っている筈。ある程度、自分の身を守れるようになりましょう」

 魔法なんて使った事もなければ、見た事すらなかったプリシィ。
 しかし、エレシュに基礎から教えられると、すぐにその高い魔力を使いこなす事が出来るようになった。

「エレシュちゃんは、誰に魔法を教わったの?」

 エレシュは答えなかった。
 きっと、教えてくれた人はこの世にいないのだろうと考えて、プリシィはその質問をもうしない事を心に決める。


 ――数ヶ月が過ぎた

「プリシィ。今日はどこに行く?」

「そうだなぁ~海に行って魚を捕まえようよ!」

「アタシ……泳ぐの苦手なんだけどな……」

「大丈夫!私が教えてあげるよ!あれ?私も泳いだ事なかった…」

「それじゃあ2人で練習しましょ」

「そうだね!そうしよう!」

 いつもの楽しい会話の後、海に向かった2人。
 プリシィの乗ってきた船は浅瀬に座礁して動かす事が出来なかった。
 乗せてきた家財はエレシュに手伝って貰い、使えそうなものを遺跡まで運んだが、たまに船の様子は見に来ていた。
 いつか島を出る事になった時に、この船が唯一の希望だったからだ。

「ん~~!やっぱり海から吹く風は気持ちがいいね~~」

「プリシィはいつかこの島を出たいの?」

 エレシュは少し悲しそうな目でプリシィを見た。

「そうだなぁ……やっぱりパパとママには会いたいし……生きてたらだけど……。エレシュちゃんはずっとここに居たいの?」

「アタシは……よくわからない。この島でずっと暮らしててもいいとは思うけど、プリシィが外に出たいっていうなら、一緒に出たいと思うよ」

 プリシィはそれを聞いて笑顔を向ける。

「それじゃ、いつか2人で一緒にこの島を出ようよ!外の海を2人で冒険するの!楽しそうでしょ!?」

「そうだね。いつか……できたらいいね……でも、外の世界は危険がいっぱいかもしれないわよ?オッドアイの人間だし……」

 プリシィはエレシュの肩を持って一生懸命励ます。

「大丈夫だよ!私達の魔法で、怖い人たちはやっつけちゃえばいいし!」

「うん……そうだね……」

 エレシュは優しく笑いかける。
 その時、プリシィの視界に何かが映り込む。


「あれ?エレシュちゃん!アレみて!?」

 プリシィの指差す方向には、広い海の上に小さな影が見えた。

「船……?この島に……誰か来るの?」

「人は乗ってるかな?もしかしたら助けに来てくれたのかも!」

「まってプリシィ。様子が変だわ。あの船……ボロボロよ?」

 だんだんと近づいてくるその船は、帆が避け、マストは傾き、今にも沈みそうだ。

「とりあえず、様子を見ましょう。誰かが乗っていたとして、友好的な人間だとは限らないわ」

「わかった。あの木の上に隠れよう!」

 砂浜が一望できる森の中の大樹によじ登り、2人は息を潜める。
 船はゆっくりと砂浜に辿り着くと、陸に乗り上げたのだろうか、それ以上動かなくなった。

「誰かが出てくる様子はないわね……」

「もっと近くで見てみる?」

「そうね……ただし、慎重にね」

 2人は木から降りると、息を殺しながら船に近づく。
 帆に描かれたドクロのマークが、物々しく2人を見下ろしているようだった。

「これは……きっと海賊船ね」

「海賊?」

「海で暴れている人達よ。商船を襲ったりして迷惑を掛ける連中」

「えぇ!?」

 プリシィは両親がいなくなったあの日を思い出す。
 そういえば、あの日、誰もいなくなった船にもこんなドクロの印がついていたような気がした。
 そう考えると、警戒心を強めずにはいられない。

「大丈夫だよエレシュちゃん!何があっても私が守るから!」

「ふふっ……プリシィにそう言われる日が来るとはね」

「どういう意味?」

「こっちの話よ。ふふふっ」

 エレシュはプリシィの緊張を解そうとしているのだろうか、明るく振る舞っている。

 船の目の前まで来た2人は足を海水につけながら周りをぐるりと一周した。

「う~んやっぱり人の気配はないね……どうする?中に入ってみようか?」

「そうね。この船がどうしてここに来たのか、何か手がかりがあるかもしれないし」

 2人は細心の注意を払いながら船の甲板へとよじ登る。
 プリシィが乗ってきた船に比べると随分大きく、あちこちに大砲がついていた。

「やっぱり、海賊船なのかなぁ……」

「船の至る所に刃物で付けたような傷がある。きっと戦いに敗れてここに流れ着いたに違いないわ」

「じゃあ、中も見てみよっか!」

 甲板から階段を降りて、船室の中へと足を運ぶ。
 ギシギシと軋む船の中は、まるで幽霊船のようだった。

 船室も広く、長い廊下にはいくつものドアが並ぶ。
 2人はドキドキしながら進んでいると、エレシュが突然歩みを止めた。

「どうしたのエレシュちゃ……」

「シッ……人の気配がするわ」

「えっ……こんな船に人が乗ってるの?」

 にわかに信じられないプリシィだったが、エレシュの真剣な表情を見れば、冗談を言っていない事は明白だ。
 静かに静かに、先へと進んでいく。
 廊下の突き当りにある一際豪華なドアの前に立つと、エレシュが口を開いた。

「このドアの奥よ」

「じゃあ、開けてみよっか」

「静かにね」

 ゆっくりゆっくりドアノブを回す。

『ガチャ……!!』

(ちょっと!なんでこんな音するの!?)

(落ち着いて、静かに。手前に引くわよ)

 小声でやりとりをしながらゆっくりとドアを開く。

『ギィイイイイイ』

(うるさいなぁ!!!なんで静かにならないの!?)

(木が湿気って曲がってるのね……心臓に悪いわ)

 小さな2人ならば通る事が出来る隙間を作り、中の様子を伺ってみる。
 暗い室内には、天蓋付きのベッドが置いてあり、どうやらその中に人がいるようだ。

(入るわよ)

(うん…えっ!?ちょっとまって……)

 先陣を切ったエレシュが中へ入る。
 プリシィは怯えながらその後に続いた。

(女の人……?)

 ベッドの側に来ると、赤い髪を後ろで結んだ女性が寝ている。
 寝ているというよりも、倒れていると言った方が正しいかもしれない。
 右目には眼帯を付け、首には豪華なアクセサリーが光っている。

(海賊なのかな……?どうしたんだろ?)

(わからない。どうする?敵か味方か分からないわ)

(う~ん、起きるのを待つ?)

(それも一つの手ね。もう動けないように殺してしまってもいいのだけど)

(だめだよ!!それはだめ!!話を聞かないといい人か悪い人か分からないじゃん!)

(あら、悪い人だったら殺してもいいの?)

(そうじゃなくて……あれ?なんかこの人苦しそうじゃない?)

 よく見ると、顔は赤く、うなされているように見えた。

(丁度良かったじゃない。このまま放っといても死にそうね)

(だからダメだって!もうエレシュちゃん怖すぎ!一回起きるまで面倒見ようよ!)

(面倒ね……まぁ、プリシィがそうしたいならいいけれど)

 プリシィは急いで戻ると、タオルとバケツを持ち船に戻る。
 バケツに海水を入れてタオルを冷やし、キツく絞ると寝ている女性の額に乗せた。

「う……う~ん……」

(大丈夫かな?このまま死んじゃわないかな?)

(これ以上アタシたちには何も出来ないわ。気長に目を覚ますのを待ちましょう。あ、でもこの人がもし伝染病とかに掛かってたらここにいたら危ないわね。どうしよう……)

(う~ん……それなら交代で時々見に来る?ずっとこの部屋にいなければきっと大丈夫だよ!)

(そうね。窓を開けておけば換気にもなるし、直接触らなければ大丈夫だと思う)


 それから、船の女性の様子を交互に見るようになる。
 2人は女性が何も食べないとまずいと考え、果物をすりつぶしてジュース状にしたものを口の中に流し込んだりして介護を続けた。

 ――数日後

「プリシィ!!船の女が起きたわ!」

 走ってきたエレシュの声を聞くとプリシィは飛び上がる。

「わかった!!」

 船まで走り、女性の寝ている部屋に恐る恐る入る。
 ベッドの横に来ると、本当に女性は目を開けていた。

「お前……誰だ?」

「気が付いたんだね!良かった!私はプリシィだよ!もう起きないのかと思って心配しちゃった!はい、果物と水があるから、とりあえず口に入れて!」

「あぁ…悪いな…。看病してくれてたのか?」

「そうだよ!色々お話を聞こうと思ってね!」

「そうか……船は……あっ!!」

 そこまで言うと、女性は飛び起きた。

「ここはどこだ!?デビルズガーデンか!?」

「でびるずがーでん??」

「違うのか?どこかの街に漂流してきちゃったか?」

 後ろからエレシュが口を開いた。

「確か、海賊の間でこの島はそう呼ばれていたかも」

「そうなの!?じゃあこの島はでびるずがーでんって名前なの?」

 女は目を見開くと、果物と水を口の中に突っ込んで一気に飲み込んだ。

「こうしちゃいられねぇ!!外に行くぞ!」

 ベッドから飛び降りると、壁にかけてあった帽子を被った。

「ちょっと!まだ動いたらだめだよ!!」

「こうしちゃいられないって!ついに来たのか!?ヒッヒッヒ!」

 女性はエレシュの横を走り抜けるとドアを蹴り開けて甲板へ走っていく。

「もう……騒がしい人だなぁ……」

「アタシ達も行こう」


 エレシュに手を引かれて甲板へと出る。


「うぉおおおお!!本当にデビルズガーデンか!!ついに来たんだなぁ!!」

 目を輝かせて島を眺める女性は、プリシィ達よりも子どものようにはしゃいでいる。

「もう!そんなに飛び起きて死んじゃっても知らないんだから!」

 頬を膨らませるプリシィに振り向くと、女は笑いながら言う。

「あー悪い悪い。誰にも成せなかった事をやったんだなって思ったら感動しちまってなぁ~!アタシはジェーン。プリシィだっけ?よろしくな!」

 ジェーンは悪びれた様子もなく笑顔を向けてくる。

「誰にも成せなかったって、どういう事?この島は特別なの?」

「特別も何も!!一年中霧に覆われ悪魔の住むと言われる海域!!コンパスも効かず、視界も全くない中を進んだ先にあると言われている伝説の島!!それがデビルズガーデンさ!!何人もの海賊がこの伝説の地に眠ると言われている財宝を求めて旅をしたが、誰一人帰ってきた者はいない!そこにアタシは辿り着いたんだ!感動しなくってどうする!?」

 エレシュは落ち着いたトーンでその会話に答える。

「誰も来たことがないって言ってもアタシ達はいるけど……」

「あれれ!?そうだね……えっ!?ちょっと待って!そんなに怖い島だったのここ!?」

 プリシィはエレシュのように落ち着いていられない。
 この島に暮らし始めてからかなりの時間が経っているが、そんな話を聞けば誰でも驚くだろう。

「っていうか、なんでこの島に子どもがいるんだ?お前はどうやって来た?もしかして島の住民がいるのか?」

 ジェーンは、ふと気が付いたように質問をぶつけてくる。

「私はパパとママと一緒に船に乗ってたんだけど、いつの間にかここに来ちゃったの」

「アタシも同じようなもの」

 ジェーンはふむふむと頷きながら答える。

「なるほどねぇ~遭難者か。まぁ、そうでもなければこの海域に来る事すらないとは思うけど……他に人はいないのか?」

「ここにいるのはアタシとプリシィだけよ」

「うん……」

 ジェーンは少し考えると、ぽんと手を鳴らした。

「そうか、それなら良かった!アタシの仕事を手伝え!この島には詳しいんだろ?財宝の在り処を教えてくれよ!そしたら、一緒にこの島を出よう!どうだ?悪い話じゃないだろ?」


 こうして、ジェーンと共に行動する事になった2人は、次の日から財宝を探す事になった。
 プリシィはあの後エレシュと話し合い、この島で日々を生活する上で目標が出来るならば……また、この島から出る方法なんて皆目検討がつかない現状から前進できるのであれば、ジェーンの話に乗るのもいいのではないかと結論を出す。
 島の中はまだ2人が行ったことのない場所も多く、多くの洞窟や遺跡が沢山あった。

「ん~今日も収穫はなしか~。やっぱりお宝ってのは簡単には手に入るもんじゃないね~」

 ジェーンは酒を喉に流しながら、捕えた魔物の肉を頬張る。

「なんでジェーンはそんなにお宝が欲しいの?」

「アタシはさ、海賊なんだよ。バルバームの海賊!聞いたことないか?アタシの両親はさ、世界を旅する海賊だったんだ!ガキの頃から船に乗せられて色んな場所に行ったよ!そんでな、ある日、デビルズガーデンの話を聞いたんだ。誰も帰ってこないヤバイ場所だっていうから、アタシはバルバームの島に置いていかれてさ……この懐中時計を預かったんだ。戻ってきたら返せだってよ。勝手なんだから……」

「それで……帰ってきたの?」

「いや、戻っては来なかった。こいつが形見になっちまったな」

 ジェーンは首から下げている懐中時計を見つめていた。

「ごめんね……辛い話させちゃった……」

「あーあー!気にすんな!アタシは全然気にしてないっていうか、冒険をしてればこういう事は普通にあるんだよ!実際!今まで色んな船が帰ってこないって事あったし、それがアタシの両親の番だったって話。辛気臭くなっちまったな!悪い悪い!」

 プリシィの目には、ジェーンが無理に明るく接しようとしているように見えた。

「そうだ!この懐中時計な!あのオウルホロウで作られたものらしくて、絶対に止まったり狂ったりしないんだよ!すごいだろ!親父がその街に行った時に買って来たんだってお袋が話してたよ。これが最初で最後の貰ったプレゼントだとか言ってな~ハハハ!まぁ、そんなこんなでよ!親父達にできなかったことをこのアタシがやってやろうって思って、ここ!デビルズガーデンに来たって訳よ!」

 ジェーンはその後も様々な話を続け、プリシィ達は興味深い内容に耳を傾けた。

 ――翌日

 今日も3人は、ジェーンの探す財宝を見つける為に、島のあちこちに点在する遺跡の一つに足を踏み入れた。

「お宝あるかな~?もし見つけたら、一緒にこの島を出られるんだよ~?早く見つかると良いね!」

 ジメジメとした遺跡の中を歩きながら、プリシィは横を歩くエレシュに話しかける。

「そうだね。それにしても島にこんなに遺跡があったなんて、探してみるものね」

「ちょっと静かにしろ……魔物の匂いがする」

 2人の会話をジェーンに止められる。
 遺跡の中に一際大きな目が見えると、3人は戦闘体勢に入った。

「うわわわ~!?お宝の番人かな~?」

「そうだといいな!よっしゃ!やっちまおうか!」

 ジェーンはそう言い放つと、巨大なイカリを手に魔物に向かって襲いかかる。
 プリシィとエレシュは、ジェーンに合わせて魔法を詠唱した。

「おっしゃ!今日も良いチームワークだったな!アタシと一緒に海賊やるか?ヒッヒッヒ!」

 魔物を倒したジェーンは笑顔をプリシィに向ける。

「海賊~~?そんなのできるかな~~?」

「その魔法があれば大丈夫だろ!その歳でそれだけの魔術を扱えるなんて大したもんだ!」

 ジェーンは頭に手を組んで楽しそうに前に歩き出す。

「えへへ~褒められちゃった~。これもエレシュちゃんのおかげかな~」

 エレシュは満更でもなさそうな顔をしながらも、恥ずかしそうに下を向いていた。

「そんな事ない……。プリシィがもともと才能あっただけよ」

「おおおお!!これ見てみろ!!すっげぇぞ!!!」

 ジェーンが歓喜の声を上げている。
 急いでプリシィ達も奥へ進むと、そこには巨大な砲筒が置かれていた。

「これな~に?大砲?」

「そうだ!船に乗せる用の飛び切り上物だな!」

「それじゃあ!財宝を見つけたって事なのかな!?」

「こんな形の砲筒見たことないし!これをアタシの船に乗せれば、そりゃあ驚かれるだろう!」

「やったやったぁあああーーー!!」


 こうして、ジェーンにとっての島の財宝を手に入れた3人は、その砲筒をジェーンの船まで運び出した。
 目標を達成した証として、先端に付けた大きな砲筒は一際輝いて見える。

「でもジェーン……この船で本当に大丈夫なの?」

 船はこの島にやってきた時のまま、ボロボロだった。
 こんな船で本当に海を越えられるのか、不安が残る。

「あのな!この船はアタシの大事な船なんだ!絶対にこの船じゃなきゃだめなの!なんたってアタシの魂が入ってるからな!」

「名前はあるの?」

 エレシュも興味があるようだ。

「ヒッヒッヒ……!ジェーン・ドゥ号だ!これから乗る船の名前くらい覚えておけよな!それと、アタシの海賊船に乗るなら、今日からアタシの事は船長って呼ぶんだな!」

「せんちょう?」

「船で一番偉い人の事だよ!わかったか?」

「わかったよ!船長!!」

「わかったわ」

「ん~それでもプリシィみたいな子どもが乗ってると海賊船っぽくないか~?どうするかな~舐められたら嫌だし……」

 ジェーンは何か悩むような素振りを見せると、突然手を叩いた。

「そうだ!!お前、うちの船の幽霊になれ!!」

「えっ?幽霊?」

「そうそう!こんなボロボロの船でもよ!幽霊船って言ったら格好良いだろ!?アタシは幽霊船の船長!そしてアタシが従えている幽霊!決めたぜ!!」

 ジェーンの勢いに流されそうなプリシィは、慌ててエレシュに助けを求める。

「でもでも!幽霊なんてわからないよ!どうすればいいの!?」

「海賊船にプリシィみたいな女の子が乗ってたら、きっと黙ってても幽霊っぽいんじゃない?」

 エレシュは楽しそうに答えた。

「えぇえええ!?」

「アタシは幽霊すら従えてしまう極悪船長!!お前はその船に乗る幽霊!そんな奴を仲間にしてる海賊なんて、前代未聞だろ!!ヒッヒッヒ!!」


 翌朝、出航の準備を整える為に、ジェーンの船にプリシィが持ってきた家財を運び込む。

「プリシィお前、結構良い家に住んでただろ?この鏡なんてすげぇ上物だよな?」

 そんな事を意識した事のなかったプリシィ。
 金の装飾のついた手鏡は他の物を見たことがなかったプリシィにとって至極一般的なものだと考えていた。
 改めて見ると、確かに値の張るものなのかもしれない。

「う~ん……あっ……」

 手鏡を覗き込んだプリシィは、その時まで忘れていた。
 この島に来てから、エレシュに出会い、オッドアイの持ち主だと言う事を後ろめたく思うことがなくなっていたのだ。

「そう言えば、船長は……私を見ても怖くないの?オッドアイなのに……」

 ジェーンは不思議そうな顔をしている。

「ん?あぁ、そうだな。確かに珍しいとは思うけど、なんでだ?」

「オッドアイの持ち主は、悪魔が取り憑かれているらしいよ!だから私は魔力がすごく高いって……」

「そうなのか!?そりゃあ好都合じゃん!だってアタシの船の幽霊がそのオッドアイなんだろ!?ヒッヒッヒ!」

 ジェーンは何か悪巧みをするように笑う。
 理由はどうであれ、ジェーンは瞳の色を気にしている様子がない事に、プリシィは安堵した。



 その時は気が付かなかった。
 プリシィの後ろにいる筈のエレシュが、鏡の中にいない事を。



 ――翌朝

 全ての準備を整えた3人は、出航の計画を練っていた。

「船長!!この島の海域は、確かコンパスが効かない悪魔の海域なんだよね?どうやって海に出るの?」

「それなんだけどな!プリシィ!お前の氷の魔法で、ここから海に目印を敷くんだよ!氷の目印を海に貼れば、方角がわからなくなってもその目印を頼りに航海が出来るだろ?」

「なるほど!!そんなに上手くできるかな?」

「大丈夫よ。アタシも手伝うから」

 プリシィの肩にエレシュが手を乗せる。

「よーし!海賊で最初の仕事!!頑張るぞーーー!!」

 海に向かい集中すると、プリシィとエレシュは同時に詠唱を始める。

「大魔法!!ででででーーーん!!」

 海に巨大な氷柱が降り注ぎ、船の両サイドから海に向かって2本のラインが出来た。

「おおおおお!!思ったよりもすごいな!!ヒッヒッヒ!!アタシが見込んだ以上だ!」

 ジェーンはプリシィの頭を撫でながら船に乗り込む。

「よっしゃー!!出航だぁああああ!!!」


 ジェーン・ドゥ号は、破れた帆を張り、大海原へ乗り出した。

「エレシュちゃん大丈夫?もしかして船酔い?顔色悪いよ?」

 プリシィは横にいるエレシュを心配そうに見つめていた。

「うん。大丈夫だから。アタシはあなたと一緒にいる」

「いつか2人で一緒にこの島を出ようって約束達成だね!これから2人で大冒険だよ!」

 突然、背中に衝撃が走ると思うと、後ろから肩に腕を巻きつけるジェーン。

「なんだ~その約束??まぁ確かに、これから大冒険だな!ヒッヒッヒ!!」


 船を出してから半日は経っただろうか。
 霧で視界が奪われ、ジェーンの持っていたコンパスは落ち着き無くグルグルと回転している。
 しかし、海に張った氷の目印はなんとか目視できたので、その目印を信じて進み続ける。

「さぁ!プリシィ!誰かに会った時の為に、幽霊の練習をしないとな!やってみろ!」

「お化けの練習?どうやればいいの?」

「そうだなぁ~。よし、うらめしや~~って言ってみろ!」

「うっらめしやーーー!!!」

「ダメダメダメ!!元気すぎるよ……幽霊を何だと思ってんだ?」

「えー……難しいよぉ……」

「もっとこう……おどろおどろしくだな……」

「こんな感じかな?うら……めしやーーーーー!!!」

「違う違う違う!!」


 そんなやり取りを続けていると、いつの間にか辺りの霧が晴れてきた。
 ジェーンはコンパスがしっかりと正しい方角を指すようになったのを確認すると拳を天に掲げる。


「よっしゃーー!!悪魔の海域を抜けたぞ!!アタシ達はデビルズガーデンから生還したんだ!!」

「やったね船長!!」

 プリシィは鼻歌であの母の唄を歌いながら海を眺める。
 一人で遭難していた時とは、気持ちが全然違った。
 両親が生きていれば、きっとまた会える。
 もう一人じゃない。
 エレシュも船長も一緒にいる。
 これからどんな事があろうと、一人じゃなければ心細くもないだろう。

「これからも宜しくね!船長!エレシュちゃん!!」

 プリシィが甲板へ振り返ると、船長が不思議そうな顔でこちらを見ている。

「プ、プリシィ……?」

「あれ?船長!エレシュちゃんはどこに行ったの?」

 つい先程までそこにいたはずのエレシュの姿がない。
 不思議に思ったプリシィは、船内を走り回りエレシュを探す。

「エレシュちゃんーーー!!?かくれんぼなのーーー??」

 船内を隈なく探すがエレシュの姿は見つからない。
 ジェーンの部屋に入ろうとした時、突然誰かに肩を掴まれて振り返った。

「エレシュちゃん……!?」

 そこにはジェーンが少し困ったような顔で見ている。

「いきなりどうしたんだよ?プリシィ?」

「船長……エレシュちゃんがいないの……」


 ジェーンは頬をポリポリと爪で掻きながら首を傾げた。


「なぁプリシィ……。エレシュって……誰だ?」


+ 静かなる砂塵の支配者シャフール
 『自警団』
 近年、帝国軍の武力行使が横行し始めてから、大陸各地でよく耳にするようになった言葉だ。
 各国の首脳たちが組織する軍隊や騎士団とは違い、街や村といった共同体を維持するために有志が集い、立ち上げた組織。
 それこそが自警団である。
 彼らの多くは、風紀取り締まりのためのパトロール、周辺に発生した魔物の駆除といった治安維持活動が主で、街へ危害を及ぼす野盗などの武装組織への抑止力といった見方もある。
 他にも、地域によっては遺跡などの歴史的財産を管理、維持することを担っていたり、周辺の清掃活動といった行為まで進んで行うところも珍しくはない。
 ここ、砂漠の町『ジール』における自警団も、まさにそんな自警団の一つであり、町民たちから厚い信頼と尊敬の意を集めている。
 そして今日、そこに新たなる一員を迎えるべく、ジール自警団団長シャフールは隊舎を訪れていた。

「お!おはようございます、団長!」

「お疲れ様です。シャフールさん」

 執務室も兼ねた隊舎の指令室のドアを開けると、見知った二人の男が挨拶の言葉をシャフールへと投げかける。
 シャフールと並び、この自警団の最古参の二人であるデューンとドゥーナだ。
 その後に他の団員達の声が続き、そして最後に聞き覚えのない声が耳に入る。

「お、おはようございます!」

 今日から同じく自警団の一員となるその少女は、その場にいる誰よりも緊張しつつも、しかし大きな声で挨拶を口にした。

「……おはよう」

 少女の声に対し、シャフールの返答の声はとてもか細く、端的なものだった。
 見る者が見れば睨まれたと思うような鋭い目つきで一瞥し、その後、せっかくの新人に何の言葉をかけることも無く席に着く。

「気にすんな!団長はもともと、ああいう人だからな!怒ってるわけじゃねえから安心していいんだぜ?」

「ふふ。むしろ、声に出して挨拶をする方が珍しいくらいだよ。ご機嫌なのかな?」

 少女がその対応に落ち込むことを気にかけたのだろう。
 デューンとドゥーナがフォローに入る。

「ん?あぁ、平気だ――ですよ?気にしてませんから!」

「はっはっは!見た目よりもずっと図太い神経してんだな!頼もしい限りだぜ!」

「こらこら。レディに向かって失礼だよ、デューン」

「そうだ!お嬢ちゃん、まだ団長に自己紹介とかしてねぇんだろ?今の内にパパッと済ませちまいな!」

「え!?自己紹介!?あ……えっと……その……は、はいっ!」

 緊張した面持ちでシャフールの前へと歩み出る少女。
 それに対し、相変わらず全く意に介さない様子で今日の報告書に目を通し続けているシャフール。
 どことなく重い空気が室内を包み込んでいく。

「は、初めまして!ほ、本日付で皆さんに合流させてもら、させていただきます……シャンティだ、です!よ……よ……よろしくお願いします!」

「……あぁ」

「はいっ!!」

「…………」

「え……えっと…………」

 返事をする際、微かにシャンティの方を見た気がしたが、ただそれだけ。
 不愛想を通り越しての無関心。
 そう思えてしまうシャフールの態度に、流石にシャンティも動揺を隠せずにいる。

「いやいやいやいや!流石にもっと他にあるでしょ団長!!」

「そうですよ!シャンティさんも勇気を振り絞ったんですから!こんな時くらいもっと饒舌に!」

「…………」

 またしてもシャンティのフォローに入ったかに思えた二人。
 が、これはフォローというよりも、むしろシャフールに対して何かを注意しているように見える。

「だ・か・ら・口にしてくれねぇとわかんねぇっていっつも言ってるでしょう!?」

「ほら!思ったことをそのまま口に出せばいいんですよ!!」

「…………」

「ど、どうしたんです?」

「この人の悪い癖だよ!頭の中じゃゴチャゴチャ考えてる癖に、ほとんど何も口にしねぇもんだから、町のみんなにも怖いだの陰険だの言われちまうんだよ!」

「勘違いはしないでね、シャンティさん。団長は至って普通の人だよ?ただ……少し不器用というか……変わってるというか……」



「………………」

(陰険?変わり者?聞こえているぞ。ただ誰よりも思慮深く相手のことを想って言葉を選んでいるだけに過ぎないのだが……先程はこの娘のあまりの声の大きさに少々驚いてしまっただけであって、決して無下にしようだなどと考えたわけではない。彼女と今後の関係を築くにあたって、どう声をかけるのが一番良いかを吟味していただけだ。新しい人間関係を築く上での第一声だぞ?ここで誤った言葉をかけてしまえば、彼女の心証どころか、未来にまで悪影響を与え兼ねないというのに、どうしてコイツらはそこまで安易に言葉を口に出せるのか全く理解に苦しむ)

「なんかアタシまずいこと言っちゃったのかと思っちまっ――ちゃいました!そうだったんですね!おほ……おほほほほ……」

「もう引きかけてますぜ!?せめて一言!なんかあるでしょ!?」

「名誉挽回の一言ですよ!どうぞ!」

(名誉挽回の一言……シャンティにとって喜ばしく、かつ団長としての威厳を保ちつつ場を丸く収める一言。『期待しているぞ』か?否、過剰な期待はプレッシャーとなり彼女の重荷になるかもしれない。やはりここも無難に『あぁ』と返事をしておけば問題ないか?否、これは先ほど口にしたばかりだ。全く同じ言葉を連続で口にするなど、語彙力の無い低知識人だとレッテルを張られてしまう恐れがある。それは団長という立場上、回避せねばならないな。いや待て、名誉挽回?そもそも汚名を着せられた覚えなどないぞ?これについては後で二人に確認しておかねばならない。さてと、本題に戻るか。彼女の言葉を思い出せ。『は、初めまして!ほ、本日付で皆さんに合流させてもら、させていただきます……シャンティだ、です!よ……よ……よろしくお願いします!』だったな。考えろ。これに対する最適解は何か。それは……『よろしく頼む』だ。相手の言葉に対する的確な対応。しかも上司と部下という関係を崩さぬ無難な言葉)

「………………よろしく頼む」

「は……はいっ!こちらこそです!頑張ります!」

「……おい、ドゥーナ。こんなんでいいのか?」

「まぁ……シャンティさんも喜んでるみたいですし、今回は多めに見ましょうか」

「…………」

(こいつらには懲罰業務を用意してやらねばならないな。それはさてと、このシャンティという娘。やはりあの時の……)

 自警団での顔合わせを終え、笑顔で談笑にふける一同。
 だが、シャフールだけはいつもの無表情のまま、その裏である疑念をシャンティに対して抱えていた。
 それが生まれた原因と呼べる出来事は、この日より少し前に遡ったある任務中に起こった――





――数日前
 ジールの周辺に点在する古代遺跡のパトロール中のことだった。
 隊を各遺跡へと分散させたシャフールは、自身の担当分としてある遺跡のパトロールを一人で行っていたが、そんな時、彼の耳が不審な声を拾う。

「ちっ……ここもハズレか!これで一体どれだけの遺跡を回ったと思っている!?影も形も見当たらんぞ!?」

「た、大陸のどこかにあるとしかわかっていないため、必ずしも遺跡に眠っているという保証も無く……!」

 静かに身を屈め、気配を消しながら声の聞こえる方向へと間を詰めるシャフール。

「上からは、この一帯の遺跡を探索せよと命令されたのだぞ?確かな情報もなく、ただ闇雲に探させているということか!?そんな馬鹿な話があるか!!」

 リーダー格らしき男と、それを取り巻く三人の人影。
 皆一様にローブですっぽりと素性を隠しており、その正体について詳細な情報を得ることはできない。

「…………」

(大分苛立っているな。埋蔵品を狙った盗掘屋か?何にせよ、あの人数ならさして問題はないだろう)

 物陰に身を潜めつつ、敵の立ち振る舞いからおおよその戦力分析を終えたシャフール。
 何にせよ身柄を拘束して、素性と目的を聞かない事には話は始まらない。
 奴らに気取られないよう注意しつつ、手に握る杖に大気中の魔素を集めて力を高めていく。
 しかし、今まさに攻撃しようと杖を振り上げようとした瞬間、遺跡の奥から新たな人影が現れたことで、攻撃を中止。
展開を再び見守ることとする。

「隊長!ご報告します!」

「うむ。戻ったか。で、目標は発見できたのか?」

「それが……捜索中に盗賊と思わしき集団と遭遇し、兵士数名が捕縛されました……!」

「何だと!?くそ……ここはヤツらの巣か……!」

 シャフールはこのやり取りで大方の事情を把握した。

「…………」

(なるほど。恐らくは『目標』とやらの捜索のために遺跡内に散らされていたのは部隊の下っ端。その男が口にした『隊長』という言葉と、これ見よがしの敬礼。そして、敬礼の際にめくれたローブの奥から覗いた漆黒の軽鎧。確証はないが、消去法でいけばほぼ間違いなく帝国軍だな。『目標』が何を指し示しているのか会話からは把握できないが、様子から察するに、よほど重要なモノと見える)

「いかがいたしますか!?」

「このままおめおめと手ぶらで帰れるはずがなかろう!外の部隊に伝達だ!所詮は烏合の衆よ……圧倒的な戦力で軽くひねりつぶしてくれる!」

「はっ!!」

「へぇ~、まだ外にお仲間がいやがんのか!」

「誰だ!?」

 報告のために戻った男の後ろから遅れて姿を現した人物。
 それは、いかにもな体躯に、巨大な獲物を担いだ男。
 そして……

「さっさとそいつらも連れてきな!アタシらの城を荒らす輩にはきつい仕置きをしてやんねぇとなぁ!!」

 男の隣に並ぶように歩み出たのは、まだあどけなさの残る少女。
 だが、男に負けず劣らずの巨大な大剣を背に構え、薄ら笑みを浮かべながら帝国兵を見据えるその姿は、まさしく戦士のそれであった。

「おぅおぅ!まだいやがったのか!」

「お頭ぁ!俺らの分の獲物も残してくれよぉ!?」

 さらに続いて現れた、屈強な男達。
 恰好から察するに、さきほどの会話にあった盗賊団に違いない。

「…………」

(面倒なことになってきたな。一度、遺跡を出て団員を集めなければ。しかし、気になるな。先頭に立つ男は頭領だとして、あの娘は一体……)

「ガルヴァンドに歯向かう愚か者共がぁ!穴蔵でこそこそ身を潜めていればいいものを……後悔させてやるわ!!」

「台詞が小物だぜ、おっさん!さっさとかかってきな!!」

「こ……の……小娘がぁ……!!かかれぇ!!」

「よっしゃぁああああ!行くぜ、おまえらぁ!!」

 こうして帝国軍と盗賊団間における戦闘が開始された。
 団員を呼び寄せるため、先程までこの場を後にしようとしていたシャフールだったが、彼はその場から動けずにいた。

「…………」

(噂には聞いていたが、あれが遺跡に住まう盗賊団か。近年は帝国軍を相手に物資を強奪して付近の貧しい村に恵んだり、武器を奪い戦闘行為を妨害したりしているとの話だったな。いわゆる義賊か。それにしても、一介の盗賊とは思えない練度だ。各々がしっかり鍛錬を積んでいる。帝国相手に立ち回ることを考えれば当然だが、決してお遊びなどではないということか。特に戦線を支える要となっているあの娘……年齢や性別を全く感じさせない戦闘力。センスも良い)

 各地で戦闘行為を働き、大陸中に戦乱を巻き起こす帝国とは敵対関係といえる自警団。
 そして、僅かな戦力ながらも同じ敵に立ち向かう盗賊団。
 立場は違えど、同じ志を持つ者達の戦い。
 シャフールはそこから目を離すことが出来なかったのである。

「おい、シャンティ!何人か連れて右側から回り込めぇ!」

「あいよっ!てめぇら!ついてきなっ!」

「任せな、お嬢!」

「…………」

(小隊を横道に?なるほど。挟撃するつもりか。いいタイミングだな。戦力が拮抗している以上、このままでは消耗戦が続くだけ。そうなれば物量で劣る盗賊団に勝機は無い。いずれ帝国側に押し切れられていたことだろう。やはりあれが頭領か。指揮官としての腕も十分と見える。それとあの娘、団員に『お嬢』と呼ばれていたな。すると頭領の娘ということか。優秀な後継者に恵まれたな。直に決着もつきそ――)

「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 終戦の兆しが見えたかに思えた直後、戦場の様子は一変した。
 響き渡る魔物の怒号。
 全長十数メートルはあろうかという巨大な蛇。
 それが気配も無いままに何処からともなく出現したのだ。

 広場の中央に突如現れた敵に、まさに睨まれた蛙のように動けずにいる盗賊団の面々。
 広場全体を上から観察していたシャフールさえも察知できなかった事態。

「ぎゃあああああああああ!」

「くそったれがぁあああああああああ!」

 たった一匹の蛇の魔物は、単身で簡単に戦況を塗り替えていく。

「ひ……く、来るなぁああああ!!」

 また一人、盗賊団員が毒牙の餌食となろうとした時だった――

「…………」

(さすがに傍観もしていられないな。そもそも俺が早く自警団を集めてさえいれば、このようなことになる前に戦闘を終結させられていたかもしれない。まだ味方と呼べる仲ではないが、今は同じ敵を前にする者として、彼らのために力を振るおう!)

「えっ?」

 男に襲い掛かる魔物の前に颯爽と躍り出たシャフール。
 虚を突かれ、魔物が躊躇している僅かな間に、杖に魔素を集中させる。

「シャアアアアアアアアアア!!」

 高まりつつある魔力を察知し、シャフールに向け牙を剥く魔物。

「…………」

(危険を察知する本能は流石だが、無策で突っ込んでくるとは。やはり獣は獣か)

 シャフールの目がカッと見開かれると、それに呼応するように杖が眩しく輝く。
 周囲の砂が巻き上げられるようにして魔物を包み込み、球状へと押し固めていく。
 抵抗もできずに砂の中へと呑まれていく魔物を見ても、そこにかけられているであろう圧力の凄まじさが伺える。

「な、何だとぉ!?」

 魔物を封じ込めることができる程のレベルの術士の登場など想定していなかった帝国軍。その動揺は隠しきれない。

「…………」

(封じ込めることには成功したな。まだ息はあるだろうが、仕留めるのは帝国兵を片付けた後か。それにしてもこの魔物。帝国兵が召喚したのか?術士の気配はなかったはずだが……まぁいい。奴らを捉えて全て吐かせれば――)

「今だぁああああ!押し返せぇえええええええええ!」

 盗賊団の頭領が発する号令。
 その声に素早く反応した団員達が次々と帝国兵へと襲い掛かる。

「てっ、撤退だぁああ!退けぇええええええ!!」

 もはや戦線を維持できるような士気は無く、あえなく退散していく帝国軍。

「…………っ!」

(まずい!せめて隊長と思しき男だけでも確保しなければ!いや、攻勢に転じるタイミングとしては間違ってはいない!だが、それでは奴らの目的を聞き出すことが……!魔物を抑え続けるにしても、術の力が弱まることは避けなければならない!だからといって……くそっ!どうする!?)

 シャフールにして、力を弱めたつもりなど無かったのだろう。
 だが、これほど巨大な魔物を長時間に渡り、たった一人で拘束し続けることは人の力で簡単に成し得ることではない。
 少し思考が揺らいだだけ。
 そんな毛ほどの気の緩み。
 たったそれだけのことで簡単にひっくり返ってしまうほどに、魔物の力は強大である。

「……シュルルル!」

 拘束していた術に走った小さな裂け目。
 魔物はその隙間を突き、鞭のようにしならせた尾をシャフールに向けて放った。

「……ぐはっ!」

(この期に及んで油断とは……何をやっているんだ俺は…………)

 防御態勢を取る間も無くまともに身に受けた一撃。
 加えて、吹き飛ばされた先に待っていた石壁との衝突。
 ここでシャフールの意識は完全に途絶えた……



「……う……んん」

 シャフールが目を覚ました時、彼の視界には見慣れない石の天井が広がっていた。
 そのままゆっくりと体を起こし、部屋を一望。
 続いて、自分の身体に異常がないかを確認する。

「…………」

(気を失っている間に運ばれたのか。どこだ、ここは?開けっ放しのドア。拘束もされていない。治療を施してもらっているところを見ると、敵地という訳ではないようだな。そういえば、つい今の今まで誰かが傍にいたような気が――)

――バタンッ!

 と勢いよく閉められたドアの音。
 シャフールが部屋の入口に視線を向ける。

「気が付いたか。ここは俺たちのアジトよ」

「…………」

(この男……帝国との戦闘中に指揮をしていた頭領の……ということは、ここは盗賊団のアジトといったところか。遺跡内に住み着いているとのことだが、思いのほか居心地は悪くないようだな)

「ふん。噂通り無口な野郎だ……」

「…………」

(噂か……一体何を言われているのか聞いてみたいところだが、それよりも、今のこの状況の方がずっと興味深い。俺たち自警団と、彼ら盗賊団。そのトップ同士が人知れず、会談する機会を持ったのだから)

「まぁ、それならそれでいい。手短に済ませられそうで何よりだ。おめぇさん、何で俺たちを助けた?」

(魔物の件か?こちらも気を失っている間に助けられ、その上、治療まで受けている以上、一体どっちが助けられたのかわかったものでもないがな。さて、質問についての返答をせねばならないが、どう応えるか。彼の質問の意図を考えろ。『何で俺たちを助けた?』これは通常、敵対する者か、それに類する者に対して投げかけられる問い。だが敵対視されているわけではない。そうであるなら、護衛も付けずに俺と一対一での会話に臨むはずはないし、せめて俺の身体を拘束しておくくらいのことはするはず。敵対視していないのであれば、俺には、ひいては自警団には盗賊団を助ける理由がないと考えている。つまりは立場を確認するための問いだ。ならば答える。俺が彼らに手を貸す理由。共通の敵という存在を)

「……帝国軍は敵だ」

「そりゃ違いねぇが、自警団のあんた達にとっちゃ、俺ら盗賊も敵なんじゃねぇのか?」

(今度ははっきりと確認しにきたか。用心深いな。だが、これは好機だ。同じ敵を持つことは、同盟を結ぶ理由としては至極一般的。俺たちにしろ、彼らにしろ、自分たちの組織だけでは帝国と戦い続けることは難しいことを理解している。敵は今や強大な力を有する大国。同志は多いに越したことはない。となると、残すは同盟を結ぶための手続き。それこそがこのやりとりの真意。口ぶりから察するに、彼らは俺たちのことをある程度知っているようだ。だがそれはこちらも同じこと。この質問の意図は『確認』だ。敵対関係にないことを改めてハッキリさせた上で手を組むための。ならば、こちらも彼らの意志を理解していることを伝えれば良い)

「……君達のことは知っている」

「けっ……ただの英雄ごっこって訳でもなさそうだな」

(これで互いの関係を確認できたな。手続きは済んだ。さて、ここまで御膳立てしてもらった上に、最後の言葉まで彼に言わせるわけにはいかない。彼らとは対等な関係でいたい。だからこそどちらかが協力を求められる形ではなく、互いに手を取り合う形を望む。今度は俺から手を差し出す)

「……我々と協力を」

 かけがえのないものを手に入れた。
 表情はいつもの無表情のまま。
 それでも握手を求め、手を差し出す行為には、シャフールの感じる喜びが十分に表れていた。

「あぁ?俺らと手を組もうってのか?断る!」

(……今、何と言ったのだ?『断る』?わからない。今しがた互いの関係を確認し合い、手を結ぶことに決まったのではないのか?保留ということならまだ理解はできる。組織の立場が違うために身辺を整理する時間が欲しいということなら頷ける。だが、ここにきて関係を反故にする理由は何だ!?)

「……何故?」

「うるせぇ。話は終わりだ。もう歩けるだろ?助けてもらったことには礼を言うが、こっちも借りは返したつもりだぜ……」





シャンティを初めて見た時の記憶と共に、苦い思い出がシャフールの脳裏をよぎる。

「…………」

(考え直してもやはりわからない。何故、あの時シャンティの父でもある頭領が協力を断ったのか。そして今ここにいるシャンティ。二人の間に何かがあった?喧嘩?家出?それとも、父に何かを指示されて潜入した?)

「団長~?報告書の確認は終わりましたかい?そろそろ俺たちも任務に向かいましょうぜ!」

「…………あぁ」

(いや、それこそ考えるだけ無駄。想像で事を決めるのは危険だ。幸い、彼女は俺が正体を知っていることに気がついていない。ひとまずこのままシャンティを近くに置き、観察する他ないな……)



 新たにシャンティが加わった自警団での日々は過ぎていく。
 遺跡周りを清掃しながらのパトロールや、害獣駆除。
 自警団での日々は思っていたほど刺激的ではなかったのか、シャンティはやや不満げな様子を隠せずにいたようだが、それでも手を抜くことはせず、日々懸命に任務に打ち込んでいたことには。

「…………」

(シャンティが隊に配属されてから十六日と六時間。これといって怪しい点は見当たらなかった。むしろ誰よりも献身的に任務に励んでいた。だが、ますますわからないな。彼女の目的は何だ。本当に自警団としての活動に参加したいがために入団したのか?

 シャフールが少し考えにふけっていた時だった。
 ふと自身の真横に人の気配が現れ、慌てて飛びのく。

「…………っ!」

(気配!?こんなに接近されるまで気づかなかっただと!?)

「わっ!?ゴ、ゴメンなさい!シャフールさん?大丈夫ですか?」

「…………シャンティ?」

(いつの間に横に立たれていた?気配を全く感じなかった。俺が最後まで気づかなければどうするつもりだったんだ?まさか……シャンティがここへ来た目的は……俺を…………!)

「すいません!気配を殺して生活するのが癖になっちゃってて……驚かせちゃいましたか?」

(この娘の家系の裏には暗殺者の血でも流れているのか?いや、落ち着け。盗賊団ともなれば気配を消さねばならない状況も多々あったのだろう。そもそも俺は何を考えている。もしもシャンティの狙いが俺だとすれば、これまで何度もチャンスはあったはずだ。疑心暗鬼にでもなっているのか?)

「…………どうした?」

「あ、えっとですね……何か難しそうな顔をしてるな~なんて思いまして、ちょっと……その……心配に……あ、いや!勘違いならいいんです!!」

「…………」

(難しそうな顔だと?そういえば、誰かに顔色を心配された経験はほとんどないな。怒っているのかと聞かれたことは山ほどあるが、俺という人間を知れば誰もが気にしなくなった。表情をあまり表に出したりしないタイプだという自覚はある。そんな俺が悩んでいる顔?そんなにも顔に出ていたのか?気を付けなければ。気が緩んでいる証拠だ)

「もしかして……あの事を思い出してたんですか?」

(何の話だ?何を指している?情報量が足りない。『あの事』ということは、俺自身、または俺がその場にいた過去の出来事を指しているのは間違いない。そしてシャンティもまた知っている事実。この娘が自警団に来てから今現在までの二週間と少しの間に起こった出来事の中で、その条件に当てはまり、俺が難しい顔をするようなもの……………………思いつかない)

「…………あの事?」

「その……デューンさん達に聞いちゃったんです……シャフールさんの昔の話」

「…………」

(アイツらぁ!だが、そうなると選択肢が多すぎる。あの二人と共に自警団を立ち上げてもう五年にはなるか。その間に起こった全ての出来事が対象となると、もはや当たりを付けることは――)

「シャフールさんはジール自警団の団長なのに、いつも団員の誰よりも率先して動いて、一番も危ないところに立っていて……それでいてみんなの事をいつも気にしています。アタシ、それがどうしても不思議で、デューンさん達に聞いてみたんです。ずっとこんな人だったのかなって……」

「…………」

(そうか。あの話を聞いたのか。自分を英雄であるかのように勘違いした、無様で無能な男の話を……)

 それは、まだ帝国の脅威がこの地区までは届いていなかった頃の話。
 町の治安を維持し、守るための組織が存在していなかったことを危惧したシャフールは、先見の明にて、間も無く訪れるであろう戦乱の時代を予感。
 町でも名の知れた二人の男を説得し、仲間に引き入れることで自警団設立を果たした。
 片や、毎日ケンカ三昧だった札付きの不良男。
 片や、薄汚いやり口で町中の露店商を裏から牛耳っていた悪徳商人。
 どうやって二人を味方に付けたのか驚かれたが、所詮は英雄ごっこのしたい若者と、それにあてられた屑が二人。
 誰もがそう鼻で笑った。

 しかし、一年もしないうちに彼らは自分たちの価値と力を証明してみせた。
 崩壊が懸念されていた遺跡の管理や保管。
 手が付けられないとされていた周辺の害獣と魔物の駆除。
 献身的な町のパトロールによる犯罪への対処。
 町の誰しも彼らを認め、称え、求めるようになり、自警団への入団希望者も日に日に増加。
 瞬く間に町を牽引する立派な組織と相成った。

 そして『あの事』が起きる日は訪れる。

 人員が増えたことにより、全体の管理が組織全体の管理が難しくなったため、シャフールは現場に出ることよりも、集団全体をうまく機能させることを優先するようになる。
 隊舎の椅子で構え、統率を取ることに尽力して指揮を振るう彼の判断は、一般的に見ても正しいものだ。
 だが、その体制は長くは続かなかった。
 ある遺跡の損傷確認任務中、ある部隊が内部で未確認の魔物の集団と遭遇。
 突発的に戦闘が開始された。
 この情報はすぐにシャフールの元へと伝えられ、シャフールは遺跡崩落の危険を考慮。
 ただちに戦闘行為を中止し、遺跡外へ撤退することを命じた。
 その命令を届けるために伝令部隊が駆け付けた時、命令を受け取るはずだった部隊は既に遺跡崩落に巻き込まれ、全員が殉職していた。

 指揮系統においては勿論、伝達に際してもミスなどはなかった。
 それでも防ぐことのできなかった事故。
 シャフールはそれを自分の過ちであるとした。
 前線の状況をもっと早く把握することができれば。
 ありとあらゆる状況を想定し、不測の事態でも正しい対処が取れるように団員達を指導できていれば。
 彼を責める人間は一人としていなかったが、考えれば考えるほどに自分の過ちに思えたのだろう。
 道半ばで命を落とした同志に対し、責任を一人で追うことを決めたシャフールは、以来、二度と誰一人欠けることがないようにとの誓いを立てた。
 それからシャフールは組織そのものを縮小。
 可能な限り現場の最前線に立つようになった。

 出来るかどうかではなく、誓いを立てたが故の行動。
 そうして今も彼はここに存在する。



「その話を聞いた時に思ったんです!アタシも――あ、えっと……いろいろあって、大事なもの守りたいって思って……それを置いてきて……でも、それはアタシが誓ったことで……えっと……」

「…………」

(またあの二人は余計な事を吹き込んでくれたものだ。忘れてなどいない。だが、誓うことによって、諦めないことによって、自分の中では決着を付けられたはずの話だ。まだ引きずっていると思われているのか?それに、何故この娘はここまで感情的になれる?結局のところは他人事だ。何か自分に重なるところでもあるのか?)

「なんか……うまく言えないですけど……す、す……すて……素敵だと思います!そんなシャフールさんのこと!!」

「…………え?」

「え?」

「…………」

(つい思考が止まってしまった。涙まで浮かべながら何を言うのかと思えば…………だが、期せずしてシャンティという人間を少し知ることはできたか。恐らくシャンティ自身も何かを誓い、盗賊団を後にしてきたのだろう。その正体については本人に問う他ないが、今はそれも必要ない。この娘の力。そして心。信頼できる人間だ。となれば、話を聞ける機会はまたいずれ自然と訪れるだろう。これで気を揉む心配はなくなったな)

「す、すすす、すみません!アタシ変なこと言っちゃいました!!あぁああ……あぁあああああ……とにかく失礼します!!」

 シャフールから逃げる様にその場を去っていったシャンティ。
 その時、彼女の背中を見つめるシャフールの口元が、微かにほころんだように思えた。





――数週間後

「…………おはよう」

 いつものように兵舎の指令室のドアを開けたシャフール。
 まだ誰も来ていないのか、室内は静まり返っている。

(珍しいな。アイツらならいつも来ている時間のはずだが、今日は俺が一番早いのか。まぁ良い。うるさいのが来る前に報告書を処理して、任務に備えるか……ん?)

「…………ん?」

 部屋に入り、数歩進むと、足元に見慣れないものが転がっているのを発見する。

「…………」

(クマのぬいぐるみ?こんなものが何故この部屋に。ふむ……なかなかに良いクマだ。愛らしさの中にも気品がある。腕の良い裁縫師の手によるものだな。生地も質の良いベルベット。毛足の長さのせいで刺繍が難しいが、デザイン的に違う生地を挟むことでそれを解消しているのか。綿も丁寧に粒化させた綿を使用し、柔らかさと耐久性を両立している。何よりも見過ごせないのはこの目だな。オニキスを加工して埋め込むとは、職人技だ。オニキスは古来より邪気や悪気を祓う魔除けの石としても知られるが、このぬいぐるみを贈られた持ち主はよほど大切にされているのだろう)

 シャフールはひとしきりぬいぐるみを評価した後、ひとまずどこかへ置いておこうと部屋の隅のあるソファへと向かう。
 すると、そこには静かに寝息をたてるシャンティの姿があった。

「すー……すー……」

「…………」

(昨晩は部屋に戻らずここで寝たのか?そういえばキリのいいところまでやっておきたいと言って、最後まで一人雑務を片づけていたな。特別急がねばならないようなものでもなかったはずだが、生真面目な娘だ。しかし、これはどうしたものか。疲れも溜まっているようだし、もう少し寝かせてやりたい気もするが、直に他の団員も出勤してくる。こんな姿を皆に晒すのはシャンティにとっても気持ちの良いものではないのではないか?)

 シャフールは考える。
 クマのぬいぐるみを手にぶらさげながら。

「…………」

(やはり起こすか。団長である俺が職務中に寝ている団員を見過ごすというのは組織の模範であるべき立場としては許されるものではないだろう。自警団全体の規律を乱す原因になり兼ね――いや、待て。だが、寝ている女性を無理に起こすというのはどうなのだ?もしもセクハラなどと騒がれでもすれば俺の信用はどうなる?それが全体に知れ渡った日には『セクハラ団長』などと後ろ指をさされることになるのではないか?)

 シャフールは考え続ける。
 無防備に寝入っている少女の前で。

「…………」

(まったく、何を考えているのだ……シャンティがそんなふざけた反応をするような娘でないことはわかっているだろう。これまで何を見てきたのだ、俺は。そして、俺もこの自警団の団長としての振る舞いをシャンティに見せてきたはずだ。何を心配することがあるのだ)

 少しして、深いため息をついたシャフールは、小さく咳払いをしてからシャンティの耳元へ顔を寄せる。

「……シャンティ?」

 しかし、反応はない。

「…………シャンティ」

「………んぁ……声が……こんな…………聞こえ…………」

 シャフールの声にシャンティが反応を示すが、うわごとのように何かを呟くだけ。
 声がもっと届くようにと、さらに顔を近づけて彼女の名を呼び続ける。

「…………シャンティ!」

「……近い……シャフールさん……ダメですって…………」

「……!?」

(ダメ!?ダメとは何だ!?やはりセクハラなのか、これは!?いや、シャンティを信じると決めたはずだ。ここで諦めるわけにはいかない!)

「……起きろ、シャンティ!」

「いや……近い……近い……近い近い近い近いって……ふぁ?」

 ようやくシャンティは目を開け、ポリポリと頭をかきながら、体をゆっくりと起こす。

「ふぁあ……!」

 まだ意識まではハッキリしていないのか、欠伸しながらボーっと部屋の隅を見つめている。

「……起きたか?」

(頼むから騒いでくれるな?俺はおまえのことを信じているぞ)

「あ、シャフールさん。わたし、また寝ちゃったみたい……ふぉおおおおおお!?」

 シャフールの存在に気づいた瞬間、彼女の意識が完全に覚醒。
 今の今まで寝ていたなどと思えぬ機敏さで身体中のあちこちをまさぐり、何かを確認している。

「えっと……えっと……」

 そして、彼女の視線がシャフールの手にぷらぷらと下げられているクマのぬいぐるみに止まる。

「あぁああ!シャ、シャフールさん、それ、それはですね……えっとですね……!」

「……」

(ひとまず騒がれる心配は無さそうだな。やはり俺の目は正しかった。これで俺の信用も、組織の規律も無事に守られた)

「そ、そう!これは、知り合いの子にプレゼントとして用意したものでして!」

(ん?このぬいぐるみのことか?これはシャンティの持ち物だったか。なるほど。これを贈られるとすると、さぞかしその子も喜ぶことだろう。良いセンスをしている。それにしても何を慌てているのだ?まさか、職務に関係のない物をこの部屋に持ち込んだことに対し、叱責を受けるとでも思っているのだろうか。私物まみれにでもされればそれもあり得るが、せっかくの贈り物を一時的にここへ置いておくことくらい、わざわざ目くじらを立てる様なことでもないだろう。ここは彼女を安心させるためにも、一声かけておくか)

「……可愛いクマだ」

「え……?あ、あぁ!ありがとうございます!!」

(不安も無くなったようだな。何事もなく終えることができて何よりだ。それにしても異様に疲れた気がする。今後はこのようなことが起きぬよう気をつけねば。そういえば、シャンティがここに来て以来、休みらしい休みを与えることができていなかった。普段、そういう素振りを見せないので忘れていたな。いくら腕が立ち、真面目で、元気が溢れているように見えても、まだ年若い少女なのだ。監督責任を果たせていなかった俺の失態だな)

「……今日は休んでいい」

「え?」

(そういえば今日から『星見祭』か。良いタイミングだな。気分転換にもなるだろう。これまで励んでくれた分、思い切り羽を伸ばすくらいのことをしても罰は当たらないはずだ)

「……疲れもたまっているな。丁度、今日祭りがあるから、顔を出してみるのもいいだろう」

 毎年この時期、ジールの町を挙げて行われる『星見祭』
 夜空に浮かぶ星々が最も綺麗に見られる三日間を期間とし、大陸中から多くの人々が足を運ぶ。
 それに際し、様々な物品や見世物も集まるため、毎回盛大な盛り上がりを見せるものだ。
 中には魔法都市の星詠みが研究のために訪れるという話もあり、その意味合いはただの祭り騒ぎの枠に捕らわれない価値を持っている。

「あ……」

「……?」

(ん?どうかしたか?祭りにはあまり興味がなかったか?)

「い、いえっ!なんでも……なんでもありません……!」

 顔を伏せ、膝の前で手を遊ばせる彼女の様子は、明らかにいつもと違うものを感じさせる。

「……あの、シャフールさん。その……仕事が終わってからでいいんで、ちょっと、ほんのちょっと、一緒にお祭りどうですか?」

 シャフールが予想もしていなかった申し出。

「あれ?今アタシなに言いました!?わ、忘れてくださいっ!!」

(そうか。そういえば俺もしばらく休養など取っていなかったな。シャンティもそれを知っていて気を使ってくれたのか。こういう時くらい、自分のことだけを考えていれば良いのだが、こうした優しさもまた彼女の良き一面なのだろうな。俺と一緒に祭りを回るよりも、一人のほうが気楽だろうに。)

「……わかった」

「え?」

(だが、そうなるとあの件についてはますます気が抜けない。せっかくの善意だ。無下にもできまい。もしかすれば、シャンティが盗賊団を抜けてまでここに来た理由を聞ける好機にもなるかもしれないしな)

「……なるべく遅くならないようにしよう」

「ほ、本当ですか!?じゃ、じゃあ、中央広場の噴水の辺りで待ってますんで!」

「……わかった」

「で、では、失礼しますっ!」

 深々と頭を下げてから、部屋を飛び出していったシャンティ。
 シャフールはぬいぐるみをソファに座らせ、自席へと向かう。
 すると、間もなくしてデューン、ドゥーナが部屋の扉を開け入ってきた。

「おはようございます!団長!へへへっ!」

「本当にお疲れ様です。シャフールさん」

 が、何やらニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている二人。

「…………」

(いつも以上にヘラヘラとして、一体何を笑っているのだ?祭りの高揚感にでもあてられたか?)

「団長にしては頑張ったんじゃないですかね?欲を言えば、笑顔の一つでもあれば満点だったんですが、まぁ合格点でしょうぜ!」

「それも団長の良さの一つだと思うよ?確かに、不意に見せる笑顔というのは非常に魅力的な武器にもなりえるけど、切り札はここぞという時のために取っておくものだからね。まだ使うべき時ではないとの判断、僕は支持しますよ!」

「なるほど!流石は団長!敵も女も、攻略する時は何にでも全力を注ぐ!俺たちも見習わねぇとな、ドゥーナ!」

「僕は君ほど本能で動くタイプじゃないからね。デューンこそ、団長にその辺の手ほどきを受けると良いんじゃないかな?」

「…………!」

(こいつら部屋の外でシャンティとのやり取りを盗み聞きしていたのか……完全に気配を絶っていたな。変なところで上げた腕を披露してくれるものだ。攻略だと?馬鹿げたことを。まぁ、手ほどきが受けたいのなら喜んで一肌脱いでやろう。熱砂の砂嵐さえも涼やかな風に思えるほどの地獄の苦しみと共に教育してやる……!)

「まぁ、これで負けられない理由が一つ増えちまいましたね!」

「だね。シャフールさん。本当なら今すぐ休みを取ってシャンティさんのところへ行ってあげてほしいところではありますが、そうもいきません。今日は例の件で少し遅くなってしまったのですが、裏は取れました」

 口調は変えずに、話し続ける二人だが、彼らの纏う空気が一変。
 ピリッとした緊張感漂うものへと変容する。

(真面目なのか、ふざけているのかわからない奴らだ。これで報告が無ければどうしてやろうか考える羽目になるところだったがな。さて、その報告は地獄の手ほどきを免除するに値するものか聞かせてもらおうか)

「…………報告を」

「はい!」

 それは、数日前にシャフールが二人に命令した、新設組織のある計画についての調査報告だった。

 その計画とは、町の南に新たに立ち上げられた盗賊団が今夜、祭りの会場であるジールを襲撃して金品を強奪しようとしているというものだ。
 『星見祭』には多くの人や物が集まり、中には貴族や富裕層、珍しい物品なども少なくない。
 人が集まればそれだけ金も動く。
 各地に点在させている覆面の調査員がその尻尾を掴み、正体を突き止めるところまで漕ぎ着けた。

「計画の実行についてはもはや疑う余地はありません。今日、陽が沈んでから決行されるものではないかと思われます!」

「会場警備のほとんどはボランティアの素人だ。戦力には数えられねぇ。会場に奴らが来る前に片を付けなきゃ、ですよね?」

「……あぁ。町の人間や一般客にはその存在すら気づかせることなく、奴らの身柄を拘束するぞ」

「う……おぉ……いつも以上にやる気だぜ!」

「うん……敵ながら同情したくなるね……!」

 いつになく多くの言葉を並べ、口にするシャフール。
 その眼光の鋭さと殺気に、彼をよく知るはずの二人でさえ、つい後ずさる。

「……作戦メンバーが揃い次第、奴らのアジトを強襲する。準備を急げ」

「「了解!」」





――数刻後

 町から南に数キロ離れた地点にある、風化してボロボロの廃墟となった小さな遺跡。
 そこでは、いくつものテントが張られ、その陰で五十にも上る数の男たちがせっせと手を動かしていた。

「馬の準備は!?あぁん!?まだかよ!さっさとしやがれ!!」

「荷台には六人ずつだ。地図で担当箇所を確認しておけよ!」

 祭り会場であるジールに向かうための最終準備。
 怒鳴り声のように響いてくる声を聴くに、もう間もなく出発するといった様相。

 自警団の面々は、自分たちの存在がギリギリ気取られない距離を維持しつつ、身を伏せながら遺跡の周囲を包囲すべく陣形を整え、シャフールからの指示を今か今かと待っていた。

(数は敵がやや有利か。だが、数の有利がそのまま勝敗を決める絶対的要因にはなり得ない。個々の実力、戦術、戦略、士気、地理、タイミング、数多の要素が絡み合い、勝敗は決せられる。それが数十程度の数の差であれば、ひっくり返すことはさほど難しいことではない)

「…………作戦開始」

「了解だぜ、団長!おらぁああああ!いくぞ野郎ども!!俺らの力を思い知らせてやれぇええええええ!!」

「「おぉおおおおおおおお!!」」

「な、なんだ!?あいつら……まさか、自警団の連中か!!」

「敵襲だぁああああああ!!自警団の奴らに勘付かれた!!」

 ジール自警団延べ三十余。
 対して、盗賊団延べ五十余。
 単純な数であれば不利。
 しかし、シャフールの率いる自警団にとって、その程度の差は戦局を左右する程のものではなかった。

 不意を突かれ、指揮系統が混乱する盗賊団と、シャフール指揮による的確かつ迅速な連携。
 新設盗賊団のごろつきと、精鋭自警団員の経験、練度の差。
 負ける要素など微塵もなかった。

「第一班、敵さんの制圧を完了!これっぽっちの異常もありませんぜ!」

「第二班、敵の制圧完了しました。同じく異常ありません」

「…………周辺の捜索と警戒を続行。こちらも頭は抑えた」

 背中で両手を縛られ、シャフールの前へと引きずり出された盗賊団の頭領。
シャフールを見上げる彼の顔は、信じられないといった驚きと、化け物をみるような恐怖で悲痛に歪んでいた。

 いくらごろつきのリーダーとはいえ、これだけの数の人間を従える男。
 シャフールと同等とまではいかなくとも、それなりの修羅場もいくつか乗り越えてきたはず。
 その彼が痛感している。
 組織として、指揮官として、戦士として格が違いすぎると。

「…………聞いたことに素直に答えろ。いいな?」

「あ……あぁ……」

 もはや抗う意志は微塵も無かった。
 何をしても無駄。
 その事実は、男が尋問に対し、素直に従うこと選ばせる理由としては十分すぎる物だった。

「…………目的は?」

「……俺たちみたいな生きる場所を持たない人間でも、生きる権利はあるはずだ。俺たちは自分たちの権利を守るために戦うことを選んだのさ!」

 通常、このレベルの規模の盗賊団であれば、いくらおいしい獲物とはいえ、大きな町一つを自分達だけで襲撃するといった行動はまず取らない。
 相手が戦闘訓練を積んでいない一般人であったとしても、自分たちの数十倍にも及ぶ数の人間を制圧するためには、余程入念な下準備と、完全に近い作戦があって初めてできることと言える。
 彼らにしても、簡単にいくとは到底思っていないだろう。
 それでも行動を起こすということは、何か理由あってのことだとは踏んでいたが、シャフールにとっては到底納得のいく答えではない。

(いつもながら変わらないな。独り善がりの言葉を並び立て、自分たちに言い聞かせながら、何の罪もない人間を不幸に陥れる。こうした連中のほとんどがそうだ。反吐が出る)

「…………金か」

「違ぇよ!目的のためだ!生きるためにはどうしたって金が要る。こんな集団でも、守るためには必要だったんだ!」

(同情でもして欲しいのか、見苦しいまでに意固地になって、自身の掲げたエゴを守ろうとする)

「…………他の手段もあったはずだ」

「へっ……爪弾きにされた俺たちがまともな仕事にありつけるとでも?日陰者には手段なんて選んでられねぇのさ。お前らにはわかんねぇよ」

(やはり違うな。少なくともあの一団だけは違った。町を追われても諦めず、捻じ曲がらずに生きることを選んだ。自由を享受しながらも誇りを守り、気高くも剣を振るうあの者たちは、こいつらとは似て非なるものだ)

「…………過去の境遇を悔やみながらも、恨むことはしない。虐げられる弱者を背に、力を盾にする簒奪者の前に立つ。そんな志を誇りとし、見返りを求めずとも戦い続ける。そんな盗賊たちも存在するぞ?」

「あぁ……東の盗賊団の話か。聞けば見返りも求めず、正義の味方ごっこに励んでるらしいじゃねぇか。馬鹿だねぇ……そんなことしても居場所が手に入るわけでもねぇ……堕ちた奴はもう這い上がることなんてできねぇのによぉ」

「……それは違――」

「言っただろ!?お前にはわからねぇ!町の皆に称えられて、求められて!そんな明るい道だけを歩き続けてきた奴に理解できるわけがねぇ!!」

 その顔は、いつか見た顔だった。
 かつて、ある遺跡の中のランプに照らされた薄暗い部屋で、自分の差し出した手を払い除けたある男の顔と同じだった。

「…………」

(俺は思い違いをしていたな……彼らが受けた苦しみを理解しようともせず、ただ同じ場所へと立たせようとした。それが一度蹴り落とされた場所でもあるにも関わらず。なんという傲慢。なんという卑劣。なんという侮辱。俺はそんな穢れた手で彼に触れようとしたのだ。少なくとも彼にはそう見えただろう。世界の在り方に絶望した彼らと、世界の庇護の元で生きる俺たち。決して相容れぬ対極)

「何をぶつぶつ言ってやがんだ?」

「…………たとえ日の当たる場所に戻ることはできずとも、彼らの行動により救われ、感謝した者たちがいたはずだ。立ち位置は違えど、その行いの先にあるものは我々と同じ。彼らは彼らのやり方でそこへたどり着くために剣を握ると誓ったのだ。無知な者たちが彼らを蔑もうとも、その本質が損なわれることはない。彼らの気高き信念は微塵も変わらず在り続ける!」

 何ともつかない感情が湧き上がり、そのまま言葉となって溢れ出す。

「な…何だ、急に!?それだけで戦い続けられるほど強い人間ばかりじゃねぇことぐらいわかるだろ?努力してもちっぽけな感謝を得るだけで、世に認められることはない。虚しいだけじゃねぇか!」

「…………今はそうかもしれない。だが、少なくとも俺は彼らのことを知っている。いずれ多くの者達が同じように知り、世に認められる日が――否、そういえばもう一人いたな。不器用な頭で必死に考え、大切なものが壊れてしまわぬよう、愚直に努力し続ける人間が……」

 そこまで口にしたところで、シャフールはハッと我に返った。
 彼女の言葉。
 彼女の行動。
 彼女の想い。
 頭の中で目まぐるしくその一つ一つを想起する。

(今ならわかる。シャンティが何をしようしているのか。家と家族を捨ててまで何をしようとしているのか。俺たちと彼ら、その中間に立ち、世界そのものを変えようとした。ただ一人、対極を繋ぐための架け橋になろうとしたのだ)

「何の話だ?」

「…………世界が変わることを座して待つも、行動を促すために手を差し伸べることも、自分の力で世界を変えようと立ち上がることも、ただやり方が違うだけという話だ」

(本当に馬鹿だな。たった一人で世界を相手取ろうなどと。だが、あの娘らしい。いつかの誰かとそっくりではないか。出来るかどうかではなく、誓いを立てたが故の行動。きっと俺は、その行動を蔑む連中がいたなら、迷うことなく彼女を支持し、守ることに全力を尽くすだろう)

「わけわかんねぇ。まぁ、今日でそれで全部おじゃんだ。お前らが必死に守ってきたものは全部壊れるんだろうぜ。夢見た理想が訪れることはない!」

(これも仕方のない事か。多くの異なる考え方が存在すれば、理解できる者も、理解できない者もいる。しかし、この期に及んでまだ何かできるつもりでいるのか?それとも別の計画があるのか?)

「……まだ何か企んでいるのか?」

「なぁに、元々の計画のままさ。お前らが阻止したと思ってる計画のままだよ。成果は得られなかったが、結果は残る。それだけの話さ……へへへ……」

(『阻止したと思っている』だと?成果。これは計画が成功した際に手に入るはずだった金品のことを指す。ならば結果とは何か。計画が失敗したという結果だけが残るはず。『守ってきたものは全部壊れる』とこいつは言った。俺たちが守ってきたもの。それは町の平和と遺跡の存在。それが壊れる?既に身動きの取れないこの連中に何が壊せる?そもそもこの連中はたったこれだけの人数にも関わらず、どうしてこんな無謀な計画を実行しようとしたんだ。否、身動きの取れる何者かが他に居たとすれば可能か?例えば、どこかに伏兵、または罠を置き、計画実行を支援させる。否、事前の調査は万全だった。事実、連中の人数も調査通り。動向にも警戒した。町に忍び込んで工作を図るのは計画発覚のリスクが大きすぎる。そもそも、なぜ今日なのだ?祭りの最中はボランティアとはいえ警備の目も増える。金だけが狙いなら祭りの今日を狙わずとも良いはず。多少利益が少なくなるとしても、その方がリスクはずっと低い。祭りの今日を狙った理由――――しまった!!)

「…………まさか!?」

「たぶん正解だ。既に会場には俺と契約を交わした仕掛け人が潜入済みよ。残念だったなぁ?」

「……くそっ!!」

 祭りの最中は町の外から訪れる人間も多い。
 見ず知らずの人間が町中をうろつけば不自然がられるが、今日という日はそうならない。
 観光客であれ、行商人であれ、大人数でも大量の荷物でも簡単に町に入れることができる。

「……ドゥーナ!俺は町に戻る!ここは任せたぞ!」

「シャフールさん!?」

 現場の指揮をドゥーナに任せ、単身で急ぎ会場の町へと走るシャフール。
 今頃、どのような事態になっているか予想もつかない。
 その焦りは、彼の足と鼓動を逸らせた。





「……はぁ……はぁ…………」

(どうなっている?祭りの様子に異常は感じられない。まだ仕掛けが発動していないのか?)

 ジールに帰り着いたシャフールの視界には、至って平和に盛り上がる祭りの光景が広がる。
 むしろ、どこかいつもよりも活気づいているようにさえ見えた。
 彼は談笑しながら酒を飲みかわす男たちを見つけると、言葉を選びながら声をかける。

(とにかくまずは確認だ。)

「…………すまない……何か変わったことは無かったか?」

「おや?これは自警団の団長さん!おかげさまで平和に楽しめてるよ!あの子……えっと……シャンティちゃんだったかい?一時はどうなるかと思ったけど、見事なもんだったよ!」

「あぁ!さすがは団長さんの部下だ!あんなおっかねぇ魔物を三匹も相手に勝っちまうんだからなぁ!!」

(シャンティだと?魔物?どういうことだ?)

「…………詳しく聞かせてくれ」

 話の概要はこうだった。
 シャフールが町に戻る直前、見世物小屋の魔物が三匹脱走。
 それをシャンティが一人で討伐し、死傷者一人出すことなく解決したというのだ。

 その後、シャフールはシャンティと待ち合わせをしていた中央広場の噴水を訪れたが、そこに彼女の姿は無かった。
 戦闘で疲れたのか、それとも負傷したのか。
 もしそうであれば自室に戻っている可能性もあると考え、彼女の部屋を訪ねてもみたが、戻った形跡は見当たらない。
 隊舎も同じ結果。
 当てをなくしたシャフールは、それでもシャンティを探して町を歩き回っていた。


(大事な商品を見せ歩くような見世物小屋が、簡単に商品を逃がしてしまうような杜撰な管理をするはずはない。それが魔物ともなれば最大限の管理がなされているはず。あの手の商売は一度でも信用を失えば復帰は難しい。となれば、信用を捨ててまで手に入る何かがあった。もしくは何者かが故意に事件を引き起こした。どちらにせよ、これが例の『仕掛け』で間違いはないだろう。腕の立つ者は全て盗賊団確保に参加させていた。作戦メンバー以外の団員は町に残していたが、まだ彼らには魔物相手に大立ち回りできる実力はない。シャンティが町に残っていたのは幸運だった。それにしても、シャンティはどこへ――)

「…………!」

 その時、シャフールの視線が町の外壁の上に座るシャンティの背中を捉えた。
 まるで人目を避ける様に膝を抱えて体を小さくしている。

「……シャンティ」

(こんなところにいたのか。まずは彼女が負傷していないか確認せねば……)

 シャフールの声に、体をビクッと震わせたシャンティ。
 彼女が振り返る前、そそくさと袖で目元を拭った仕草をシャフールは見逃さなかった。

「シャ、シャフールさん……何でここに……?」

(泣いていた……?こういう場合の対処についてはあまり慣れていないのだが、シャンティもあまり触れて欲しくはないだろうし、とにかく沈黙は避けねば)

「……待ち合わせ場所に姿がなかった」

「あ、あぁああ!アタシ、何も言わずに約束破っちゃって!」

(何という失態だ……一人で魔物と戦い、その後何らか理由で泣いていた少女に対し、慰めどころか、責めるような言葉を投げかけてしまうとは……早くフォローしなければ彼女をますます悲しませることになる。まずい、沈黙は避けねばならない。早く、早く次の言葉を……!)

「……構わない」

 そう口にし、シャフールも壁の上まで飛び上り、シャンティの隣に腰を掛ける。

「え!?シャフールさん!?」

(考えてもこれほどまでに答えが出ないことは初めてだ。もう思考に頼るな。思ったことを、思った通りに口にしろ。できるだけ優しく。できるだけ心を込めて。この程度のこと、彼女の頑張りに比べれば何でもないはずだ)

「……話は聞いた。頑張ったな」

「……はい……頑張りました」

「……綺麗な星空だ」

「……はい……とっても綺麗です」

 シャフールは静かに星を見上げるシャンティの横顔をちらっと横目で見て、様子が落ち着いたことを確認する。
 同時に、何か違和感のような思いが胸をついた気がした。

(もう大丈夫か。どうやら祭りも十分満喫できたようだな。にしても、今……シャンティの何かが違うように見えたのは気のせいか?髪型やドレスがいつもと違うのはすぐに分かった。だが、本当にそのせいか?装飾品か?明かりの少なさがそう見せたのか?背景……角度……姿勢……?)

 結局、考えても結果は判らなかった。
 またしても考えることを諦めたシャフールは、もう一度星空を見上げる。
 彼女と共に見るこの星の輝きは、例年にも増して美しく見える。
 それだけは勘違いなどではないと確信できた。





――数日後

 再び、シャンティの父が頭領を務める盗賊団のアジトを一人訪れていたシャフール。
 差し出した手が握られることがなかったあの部屋で、シャフールは男ともう一度向き合っていた。

「で、何の用だ?前と同じ申し出ならお断りだぞ?」

(変わらないな。だが、以前この男に対して抱いていた不信感はもう感じない。彼は今も尚、変わらぬ決意の元、仲間たちと戦い続けているのだろう。変わったのは俺か。俺の理解が変わったのだ。俺たちの進む道と、彼らの進む道。それらは決して繋がることは無いのかもしれないが、同じ目的を見て歩んでいる。それがわかったのもシャンティのおかげだ。彼女は俺と彼、そのどちらとも違う道で目的へと進んでいる。少し遠回りをしてでも、そうしたいと必死に考え、選び、生まれた小さな功績の一つがこれだ)

「…………今日は報告を」

「ほぅ?何の報告だ?」

「…………シャンティは本当に強い娘だ。彼女の事は俺が全力で守り、責任を持って預かる。だから安心してくれ。これからも、貴方は貴方の志を胸に、気高く在り続けて欲しい。何も憂えることは無い!」

(こうして思いのたけを口にすることで、より深い理解を求め、意思を伝えることが出来る。これまでは軽視していたが、こんな当たり前の事さえも彼女に気付かされてしまったのかもしれない……)

「て……」

「……て?」

「てめぇ!!アイツに惚れたんじゃねぇだろうな!?俺は認めねぇぞ!!アイツの貰い手は俺が心から認めた男じゃねぇとダメだ!お前みたいな日焼けモヤシなんぞと結婚させてたまるかぁあああああああ!!」

「……!?」

(何だと!?どうなっている!?貰い手だと!?何を勘違いしているのだこの男は。俺はただ彼女の決意を応援し、守ってやりたいと思っただけで、結婚の話などしたつもりはない。とにかく誤解を解かなければ……だが、言葉を間違えれば本気で斬り付けられそうな剣幕だ。『結婚する気などない』か?馬鹿か俺は。大事な娘を奪った男が、そんなことを口にすれば父はどう思う?それこそ真っ二つだ。ひとまずは間を繋ぐために『誤解だ』これで落ち着くはず!)

「何黙りこくってやがんだてめぇ!!図星かぁああああ!?」

「…………ご、誤解だ!」

(しまった……間が遅れた!だが、これで意志は伝えた。後は落ち着きを取り戻す彼にゆっくりと説明し直せばそれで万事解決となるはず――)

「誤解もへったくれもあるか、ごらぁああああ!!くたばれやぁああああああ!!」

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最終更新:2017年07月28日 17:27