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+ 久遠の探求者ルティア・マーニル
「では、いくかのぉ」

 魔法学校の校門。
 この敷地から外に出るのは何十年振りだろうか。
 術式が刻まれたローブを羽織った学校の生徒が、彼女の横を通り過ぎて校内に入っていく。

「今週末のテストやばいよ!全然勉強してない!」

 彼女がこの学園の最高責任者だと知っている者は少ない。
 表に顔を出す事も殆どないのだから、それはそうなのだろう。

 街の外までこんな噂が流れている。

――800年間、名前の変わらない魔法学校の学長


 大きなトランクを引き摺る少女は足を止めた。

「まだ見ておるか?もう飽きたとは言わせんぞ?」

 帽子のツバを左手で上げて、澄み渡った青空を眺める。

「のぉ?…………レンズ――」




 ――約800年前


 魔導研究都市『オウルホロウ』

 街の様々な場所に旗が掛けられ、どこか街全体が浮かれていた。
 この街にある様々な魔法研究施設が一堂に会し、新しい技術を発表する魔法技巧の祭典の決勝が明日に控えているのだから仕方がない。
 この祭典での最優秀賞者は、世界で最先端をいく魔法科学者として認められるのと同義。
 今年もその技術をひと目見ようと、大陸中から観光客が殺到している。

 街の商店街や酒場、民家の中から聞こえてくる人々の声は、ある話題で持ち切りとなっている。

「今年はどっちが勝つと思う?」

 天才と呼ばれた9歳の少年と少女。

 第72回 魔法技巧祭 最優秀賞 レンズ・ガリギア
 第73回 魔法技巧祭 最優秀賞 レンズ・ガリギア
 第74回 魔法技巧祭 最優秀賞 ルティア・マーニル

 一介の研究者には出場さえ難しいとされる魔法技巧祭であるにも関わらず、ここ3年間連続で決勝に残り続けた2人に人々の注目が集まるのは必然だった。
 オウルホロウ科学研究所の天才少年『レンズ・ガリギア』
 オウルホロウ魔法学園の天才少女『ルティア・マーニル』

 2人の天才は、偶然にも同じ日に生まれているのだから、民衆の盛り上がりに拍車が掛かる。
 去年はレンズの3連覇かと噂されていたが、遂にルティアが初の優勝を飾った。

 魔法と科学。
 両者は似て非なる進化を遂げていた。

 元々魔法とは、魔素と呼ばれる小さな物質を術者が錬成する事で発動する。
 複雑な術式により、火の魔素は燃え盛る炎になり、水の魔素は氷塊へと姿を変える。
 科学は、この魔素を錬成する部分を機械に任せて、特別な訓練を受けずとも魔法を扱えるようにするという目的が起源となっているが、今では独自の進化を遂げ、人の手による錬成では到底不可能な術式を実現した。
 ここ数年は人体という限られたリソースに縛られない科学が有利だと、専門家は口を揃えていたが、ルティアは去年その下馬評を覆したのだ。
 はるばる王都からも学者や政治家等、様々な人間がオウルホロウに集まっている。
 もはや今年の祭典に興味のない者など、探し出すほうが難しいだろう。


 人々が胸を踊らせて眠れない夜。
 祭典が開催される会場の一室に2つの小さな影があった。

「ならば、氷から水、水から水蒸気にする時よりも、氷を一瞬で蒸発させた方が空気中に舞う魔素の結合率が高くなるというのか?」

「まだ実験段階だけど、結びつきが違うんだ。だからさ、超高圧縮した氷を物凄いエネルギーで蒸発させる事ができれば……」

「なるほど……それならば、前に上昇気流を発生させない燃焼方法の術式の話をしたが、あれの応用で……」

 2人の会話は常人にはついていけないだろう。
 普段の生活ではこんなに明るい表情を見せることはない。
 天才と呼ばれた2人には話の合う友達がいなかった。
 さらに、魔法学園と科学研究所の人間はお互いに相容れず、ギスギスとした敵対関係にある。
 だから2人は、こうして大会の前夜にコソコソと密会する事を余儀なくされていた。


「……のぉ、レンズ。いつか、一緒に研究ができたらいいの」

 ルティアは、話に区切りがつくと、去年と同じ事を口にした。

「そうだな。いつか2人で、最強の魔法科学を完成させよう!!それで世界をアッと言わせるんだ!」

 レンズも去年と同じ返答をする。
 その瞳は、希望の光で満ちていた。
 それがどれだけ難しい事か、2人は解っている。
 解っているからこそ、その約束をするのだ。


「では、明日は本気でくるのじゃぞ!」

「この僕が負けると思ってるのかい?」

「去年はワシが勝ったのじゃぞ?忘れた訳ではあるまいな!?」

「忘れるものか……忘れられないからこそ、今年は自信がある成果を持ってきたんだ!」

「フフフ……楽しみじゃのぉ」

 ルティアは笑顔でライバルに手を振る。

「ではな、レンズ!」

「あぁ、おやすみ!ルティア」


 二人は背中を向けて、それぞれの控室へと向かった。



 ――それから10年後


「どうしてこうなってしまったのじゃ……レンズ……」

 ルティアはあの時の写真を見ていた。
 トロフィーを挟み、レンズと並んで撮った最後の写真。
 レンズの用意した科学と、ルティアの用意した魔法は、偶然にも同じ魔素を使用した演目となった。
 決勝でレンズの出してきた光を打ち付ける装置。
 そしてルティアの出した光の柱。

 光の魔素というものを発見し、それを実用化レベルまで落とし込んだ2人の発表は、大陸中を震撼させた。

 しかし、それに一番驚いていたのは当の本人達だった。
 なんの打ち合わせもせず、同じ物を発見していたのだから。

 その時、ルティアは素直に嬉しかった。
 レンズはやはり見込んだ通り、自分と同じ思考レベルを持っている。
 更には、魔法と科学という違いはあれど、同じ物に興味を持ち、そして実現まで漕ぎ着けたのだから。
 レンズのあの表情を見れば、自分と同じ事を感じていたのは間違いなかった。

 しかし、周りの反応は2人の想いとは別の方向に走り出した。

 どちらかが研究を盗んだという噂が広がり、先人はどちらだという議論ばかりされていた。
 当の本人達がいくら否定した所で、騒動は収まるどころか輪をかけて大きくなっていく。

 そして、翌年の魔法技巧祭は、魔法学園の過激派と科学研究所の過激派が激しく衝突した事をきっかけに、中止せざるを得なくなってしまった。

 両者は魔法と科学、互いに自分達がより優れていると主張するようになっていく。
 そしていつからかオウルホロウの街は、魔法が優れていると主張するマーニル派と、科学が優れていると主張するガリギア派に分断されていった。

 その争いは次第にエスカレートしていく。
 ガリギア側のデモ隊が魔法学園を覆うと、翌月には科学研究所の門が燃やされ、報復として魔法学園のシンボルである銅像が破壊された。

 ルティアは魔法学園の学生リーダーとなり、事態を集束させようと躍起になる。
 レンズは研究所の新規開発部門リーダーとなったと風の噂で聞こえてきた。
 互いの勢力のリーダーが手を取り合うという意志を見せれば、この殺伐とした関係も解消される筈。
 そう思って、全力を尽くしてきた。

 しかし、ルティアが学生集会でどれだけのスピーチをしても、事態は一向に収まる気配を見せず、むしろ悪化していく。
 普段はルティアにいい顔をしている学生も、少しずつ溜まったストレスを裏で吐き出しているらしい。

 そして今日、ついに過激派により死者が出た。
 少数のマーニル派が研究所の近くでガリギア派の人間と口論をして、あろうことか魔法でガリギア派の人間を怪我させたらしい。
 それに激怒したガリギア派は機械で自己防衛を謳いながら交戦。
 ついには死者数名、重傷者数名を出す大惨事となってしまった。
 自身の研究室で心を決めたルティアは、両手で頬を叩いてからドアを開けた。

「マーニルさん!どこへお出かけですか!?」

 校門を出ようとした所を、警備の学生に止められる。

「レンズに直談判しにいく」

 学生は血相を変えてルティアを全力で取り囲んだ。

「ダメです!!絶対に行かせません!!奴ら何をするかわかりません!!昨日、あんな事件があったばかりなんですよ!?」

「だからじゃ!こんな事が今後起きぬように、停戦協定を結びに行くのじゃ!」

「ここを通す訳にはいきません!話が分かる連中らならば、ここまで事態は悪化していない!」

 両者は一歩も譲ろうとせずに押し問答となる。
 事実上、マーニル派の代表として持ち上げられているが、実際は彼らが掲げる“魔法こそが正義”という思想、信念の象徴となる人物がルティアだというだけだった。
 故に彼女の意志を彼らが尊重する事はない。
 ルティアは、警備の学生の言葉を聞いてため息を吐いた。

「はぁ……。なんでお前達はいつもそうやって戦う事ばかり考えているのじゃ……?お互いに上を目指して研究して、科学では出来ないような術式を身につけようとは思わぬのか?」

「あなたは分かっていない!あなたの魔術は誰もが認める最高の魔術です!それに異を唱える科学者のバカ共に教えてやらねばなりますまい!」

 今や、オウルホロウは真っ二つに分断されてしまった。
 治安もどんどん悪くなっている。
 この様な思想がこれ以上広がる前に、止めなければならない。

「なんと言われようとワシはレンズに話を付けに行く。止められるものなら止めてみるがよい!!」

 ルティアが手のひらを向けると、眩い光が辺りを包み込む。
 ただの目眩まし。
 しかし、それは光の魔素の扱いを十分に理解している者でなければ習得する事は難しい上位の魔法。

「くっ!!マーニルさん!!」

 学生が目を開けられるようになる頃には、ルティアの姿は完全に消えていた。



――オウルホロウ科学研究所

 ルティアがここに足を運ぶのは初めてだった。
 ずっと魔法学園の研究室に篭りきりだったルティアは、学園の敷地の外に出る事すら殆どない。
 それこそ、年に一度の祭典が唯一の外出といっても良い。

 研究所の正門は焼け落ち、立ち入り禁止となっていた。
 大げさなバリケードが張られ、周りには人気がない。
 以前過激派の連中が燃やしたという話が現実なのだと突きつけられる。
 ここの科学者達は他の門を使用しているのだろう。
 ルティアにとっては好都合だ。
 自前の帽子とローブを脱ぎ、鞄へとしまい、大きなゴーグルを装備する。
 顔の半分が隠れる科学制のゴーグルは、視界をより広くする為の装備らしいが、ルティアがこれを被る目的は顔を隠す為だった。
 これで研究所の人間に見えるだろう。

「お邪魔するぞっと」

 バリケードを乗り越えると、正面の広場に立てつけられた研究所の敷地の地図を眺めながら、レンズがいるであろう場所を探す。
 様々な建物名の中で、ルティアの目を引いたのは敷地のほぼ中央に位置する『開発本部研究棟』。
 レンズが噂通り新規開発部門のリーダーとなっているならば、ここにいる可能性が高そうだ。
 ルティアはその場所を目指して足早に正門を後にした。

 開発本部研究棟に入り込んだルティアは、レンズを探す。
 棟内の地図を見ると、第01、第02研究室と番号しか書いておらず、地道に探すしかなかった。
 ひとつひとつ研究室の中を覗き込んでは、中にいる人物を確認して回る。
 廊下には殆ど人影がなく、ルティアを怪しむ者はいなかった。
 外ではあんなにデモやら抗争やらが発生しているのに、内部は随分と静かだと考えたルティアだったが、それは魔法学園も同じかと思い出して納得する。
 きっとレンズもこの状況をどうにかしたいと、ルティア同様に悩んでいるに違いない。
 事実上トップの2人が手を取り合い、停戦協定を発表すれば、表で発生しているゴタゴタも全て解決する。
 頭に思い描いたシナリオに少し笑みを見せつつ、レンズを探す。

 そして、第38研究室にその姿はあった。
 ノックをすると、中から声が響いてくる。
 記憶の中にあるレンズの声を成長させれば、こんな声色になるだろうと想像できる声に一致した。
 ルティアは胸を躍らせて扉を開いた。

「久しぶりじゃの。レンズ」

「……誰だ?今丁度忙しいんだ。悪いが、用事なら後に……」

 ゴーグルを外し、顔を見せた。

「ッ……!?ル、ルティア!?」

 彼の顔を見るのは、あの祭典以来。
 その驚く顔も懐かしく感じる。

「調子はどうじゃ?新しい研究は進んでおるか?」

 部屋の中にズカズカと入っていくルティアは、直前までレンズが睨みつけていた設計図らしきものを眺めた。
 何やら小さな装置を中心に、装置とは比にならないほど巨大な術式が円形に広がっている。
 なんの研究か分らないが、ルティアにそれを理解するのは難しそうだった。
 レンズは設計図に目を向けながら話を進める。

「オウルホロウがこんな事になっているというのに、どうやってここまで来た!?」

「こんな事になっているからこそ来たのじゃ。マーニル派代表としてのぉ」

 レンズは少しの間考え込むような仕草をしてから、色々と察したように口を開いた。

「……すまないが、君の力になれそうにはない。いや、なりたくないと言ったほうが適切かもしれないな」

 どこまでを読んでその結論に達したのかは分らないが、レンズであればルティアの行動の意図を全て読み切っていると確信できる。

「何故じゃ!?オウルホロウはワシ等のせいで分断されておる。死者も出ているのじゃぞ……。こんなのいい訳がないじゃろう!」

 少しだけ感情的になってしまった。
 ルティアのシナリオが崩れていく。

「フフフ……。身体が大きくなっても君は変わらないね。あの頃のままだ……」

 レンズは明るい笑顔をルティアに向ける。

「そんな事は聞いておらぬ!説明するのじゃ!」

「ルティア……。僕は君との約束をまだ忘れてないんだよ」

「はぁ……相変わらずその話の途中をすっ飛ばす癖は治っていないのじゃな。お前の下で働いている研究者は苦労が耐えぬだろうに」

「ははは、良く分かるね。どうやら僕は助手を持つのが苦手みたいだ。誰かに手伝って貰って効率が良くなった例がない」

 他愛ない会話をしながらも、頭の中ではレンズの話を組み立てていく。
 “約束を忘れていない”
 意味するのは、やはりあの約束だろう。

『いつか、一緒に研究ができたらいいの』

『そうだな。いつか2人で、最強の魔法科学を完成させよう!!それで世界をアッと言わせるんだ!』

 今の状態はとても一緒に研究が出来るような状態ではない。
 ならば、意図するのは“最強の魔法科学の完成”だろう。

 しかし、いくら考えてもその先の答えが出ずに、結局聞かざるを得なかった。

「最強の魔法科学の完成に、この争いは必要ないのではないか?」

 レンズは、深く椅子に腰掛け直した。

「ルティア、君は……この街の活気に気が付かないのかい?」

「活気?今街の治安は悪くなっておるし、殺伐としておるではないか」

「確かにそう捉える事も出来るな。しかし、研究者の熱が上昇しているのを感じている。君にも思い当たる節はあるだろう?」

 少し考えてから、ルティアはレンズの意図を理解した。
 闘争心による相乗効果。
 確かに、最近魔法学園の中でも打倒ガリギアという目的の為に、研究室に篭もり研究に没頭する学生が急増している。
 新たな術式の発表会の開催も、以前の3倍近くになった。
 それは科学研究所でも同じなのだろう。
 革新的な技術改革に向けて大きく前進しているのは事実だ。

「人が傷つき合う事で得られる成果などワシは望んでおらん!」

 気がつけばルティアはまた感情的に叫んでいた。
 どうしても、研究者同士が争うなんて見ていられない。
 ルティアにとって、抗争の話を聞いただけで、ガリギアと仲違いをしているような気分になる。
 何よりも、人が傷つき、死者まで出ているのだ。

「そうだな。流石に死者が出たとなると話は変わってくる。でも、僕はもう少し見守ろうと思っているんだ。もし、本格的な戦争にでもなりそうだったら、その時は僕だって止めるさ。今の過激派の連中が何を生み出すのか、君は興味がないのかい?」

 興味がないと言えば嘘になる。
 しかしそれを見過ごせるかと聞かれたら、首を縦には振れない。
 研究者としての興味よりも、優先したいのは人命だ。

「お主、変わったのぉ。昔はもっと、ワシと同じだと思っておったのに……」

「そうかい?僕も君も、あの頃から研究に打ち込んでいたじゃないか。今になって研究よりも優先したいものが出来たという君の方が変わってしまったというのが僕の見解だよ」

 レンズの目の奥は、どこか寂しそうだった。

 と、その時、トントンと部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「レンズさん、コーヒーをお持ちしました」

「あぁ、置いといてくれ」

 ドアを開けて入ってきたのは研究員だろう。
 白衣を着たスラっとした女性がルティアの顔を見ると、まるで幽霊でも見たかのような顔をしながら飛び跳ねる。
 その拍子にトレイに乗せられたマグカップは宙を舞い、そのまま床に落ちると盛大な音を立てて砕け散った。

「ル、ルティア・マーニル!!!」

 青ざめた顔でガクガクと震えながら、ゆっくりゆっくり後ずさりをする女性。
 レンズがすぐにフォローに入る。

「あぁ、悪い。客人がいると言えば良かったね。僕の客だから丁重に扱ってくれ。丁度持ってきたコーヒーも無くなってしまったようだし、2人分淹れてくれるかい?」

「いや、ワシの分はいらん。レンズは平気かもしれぬが、これ以上ここにおると迷惑になりそうだしの。目的も済んだ」

 ルティアは怯える女性に向けて笑顔を向ける。

「驚かして悪かったの。お主等の大事な“ガリギア”に何かしようとは思っておらぬから安心するのじゃ。こやつの助手は難儀だろうが、頑張るのじゃぞ」

 女性は想像の中のルティアと、目の前にいるルティアに余程の違いがあったのだろうか、キョトンとした表情に変わり目をぱちくりさせている。

「そうか、なら――」

 レンズが口を挟もうとするが、ルティアは手のひらを出して拒否をする。

「見送りなぞいらぬ。来た時と同じように帰るだけじゃからな。それにお前の研究の邪魔はしたくはない。世界をアッと驚かせる研究を早く発表するのじゃ!」

「まったく……わかったよ……」

 ルティアはゴーグルを被り直すと、そのまま科学研究所を後にした。


 この争いは“一緒に研究”をしていると言えるのだろうか。
 幼い頃のルティアが想像していたものとは全く違う今。
 それでも、レンズは約束の為に現状維持を望んだ。
 周りから新しい研究が続々と開発されるこの環境が悪くないというのは理解できなくもない。
 根っからの研究者のレンズならば争い続ける方が技術の発展に繋がると結論付けるのも納得出来る。

 しかし、ルティアの胸の中にはザワザワした何かがあった。

(レンズ……ワシ等は本当にこれでいいのか?)

 ただ今は、レンズを信じるしかない。
 あの男が言っているのだから、彼女は信じるしかなかった……。



 ――5年後

 レンズの思惑通り、オウルホロウの魔法学園では目まぐるしい技術の改革が続いた。
 闇の魔素の発見と、その応用。
 水圧を用いた物体の圧縮により、固形物から魔素を抽出する技術の証明。
 夜空に浮かぶ星の位置と魔素の関係の解明等々。
 数十年に一度出るかどうかの、それまでの根底を覆すような革新的な研究論文が次々と発表された。

 しかし、ルティアは悩んでいた。
 24歳になった彼女は、学生の立場から学園の名誉教授となっていたが、ルティアの中では大きな変化はなかった。
 今までと同じように誰とも会話をせず、研究に熱を入れ続ける。
 書きかけの魔法陣を見つめながら首を傾げているが、頭の中は他の事でいっぱいになっていた。

 つい先日、学園の学生達がマーニル軍として旗を掲げ、ガリギア派に宣戦布告をしたと耳に入ってきたからだ。
 そして昨日、街の南側で大規模な戦闘が起こり、両陣営に多大な被害が出たらしい。
 それだけならばまだしも、民間人にも怪我人が出たと言う話まである。

「本当に……これで良いのか……?…………良い訳がないじゃろう!レンズ!!」

 ルティアが拳を叩きつけると、使い古した机が大きな音を立てて揺れる。
 その拍子に、上に置かれていたペン立てや本が転げ落ちた。

『もし、本格的な戦争にでもなりそうだったら、その時は僕だって止めるさ』

「あの言葉は嘘じゃったのか!?ワシを騙したのかレンズ!!これはもう立派な戦争ではないか!ワシとお前が大切にしている魔法と科学が殺し合いをしているのじゃぞ!?これ以上ワシは見ている事などできん!!」

 ルティアは長いローブの裾を翻して、研究室を飛び出した。

 学園の壁には『マーニル万歳』や『打倒ガリギア』などと書かれた張り紙や落書きがあちこちに散らばっていた。

「ワシ等の名を……なんだと思っておるのじゃ……」

 怒りが込み上げてくる。
 ことの発端は確かにこの2人なのかもしれない。
 しかし、今ではその名は独り歩きしている。
 集団が共通で持とうとしている目標が、その名として使われているような気がした。

 数人の若い学生とすれ違った。
 しかし、学生達はルティアの顔を少し見ただけで、話を中断する事なく歩き続ける。
 もう、学園に在籍する学生達の中には、ルティアの顔を知らない者も少なくないのだろう。
 自ら“マーニル軍”と銘打っているにも拘わらず……。

 学園の敷地を示している門と壁は、巨大なバリケードへと姿を変えていた。
 『マーニル軍に勝利を』の横断幕が、でかでかとその存在を主張している。
 こんな物があるから何も事情を知らぬ者までも、面白半分に戦闘に参加しているのだろうと考えるだけで胸が苦しくなる。

(こんな戦争は……間違っておる……!)

 手の平に光の魔素を溜める。
 彼女の周囲100m程にある光の魔素がその手に集まり、視認できる程の眩い光が手の平の上数センチに留まる。
 そして、集中してからその手を一気に前に出した。

 オウルホロウ魔法学園の隅から、光の柱が上がった。

 ルティアは“バリケードだった”場所を歩き、学園の外へと歩を進める。

 外の風景はそれほど昔と変わらない。
 しかし、昔溢れていた活気はそこに無く、静まり返った建物が項垂れるように見下ろしている。
 信じられない光景に、ルティアは服の上から胸の辺りを強く握った。

(これが技術の進歩を加速させた結果だと言うのか……)

 魔法は人の心を豊かにし、科学は人の生活を便利にする。
 学園の授業で教えられた一節はただの理想だと考えずにはいられなかった。

 色々な事を考えさせられながら市街地を通り抜けると、5年振りにそこへやってきた。


――オウルホロウ科学研究所

 こちらも魔法学校に負けず劣らずの巨大なバリケードが張られていた。
 ただ、目の前にある壁には大小様々な装置が付けられており、何かが動く機械音がそこら中から聞こえている。
 キュイン……キュイン……と不気味な程規則正しいリズムの音があちらこちらで鳴っており、ルティアに近づくなと警告をしているようだった。

 ルティアは一歩ずつ威圧感を出す壁に近付いていく。
 すると、様々な機械が動き出し、一斉にルティアに向かって何かを向けた。
 砲筒の様なものもあれば、ガラス製の丸い水晶体の様なものもある。
 これ以上近づけば侵入者と見なされて何かが飛んでくるのだろうと直感した。

「前のように簡単にはいかぬか……」

 杖を身体の前に出したルティアは、その先端を真っ直ぐ巨大な壁に向けた。

「光に包み込まれるがよい!」

 杖の先端から放出された光は、巨大な壁を一瞬で吹き飛ばし、辺りには焼けるような匂いが充満する。

「鉄というのはなんでこうも臭いのじゃ……」

 鼻をローブで抑えながら、開いた門を通り抜けるルティア。

「お邪魔するぞっと」

 すると、突然大きな音がルティアの耳を刺激する。
 ウーー……ウーー……という嫌な音は、警報なのだろうか。
 そして、複数の足音がルティアの元に向かってくる。

「まずいのぉ……レンズに会う前に捕まる訳にはいかないというのに……」


 ルティアは早足で敷地内を駆け抜けて、開発本部研究棟の第38研究室に向かう。
 あのレンズの事だ。
 きっと自分と同じように同じ研究室に引き篭もっているに違いない。
 ルティアは確信していた。


 研究塔の中に入り込むと、階段を駆け上り第38研究室に迷うことなく向かう。
 そして、そのドアを勢い良く開けた。


「レンズ!!何故こんな事態になっても止めないのじゃ!ワシはお前の言葉を信じていたのに!」

「シー。静かに。せっかく寝付いた所なんだ」

「ん?」

 予想通りというか、あまりにも自然にレンズはそこにいた。
 ルティアに顔を向けるレンズは人差し指を唇に当てて、小声で話す。
 その横には小さな揺り籠があり、ルティアからは見えないが状況から察するに赤ん坊がいるのだろう。

「お前、子どもが出来たのか……?」

 驚いたルティアは唖然としながらレンズの顔を見る。

「柄にもないだろう?僕もそう思うよ……」

 レンズはフフっと笑いながら鼻の下を人差し指で擦る。

「ならば尚更……こんな危険な世の中にしておく訳にはいかぬではないか……」

 人の命の重さは、子を持つ事で大きく実感すると聞く。
 ルティアには分らない事だが、きっとレンズならば分るだろうと言葉を紡ぐ。

「ハハ……ハハハハ……!!」

 急に笑いだしたレンズ。

「こんなに飛躍的に技術が発展しているんだよ?君の所の魔法も、こちらの科学も!この急成長をどうして止められるだろうか?聞いたか?先日の抗争……。その中で出したマーニル軍の闇の魔法!ガリギア軍が出した無人迎撃兵器!技術の向上を何故止められるんだい?君との約束を果たせる日も近そうじゃないか!」


 その瞳は、狂っているように見えた。
 技術の進歩……。
 それが何を意味しているのか……。
 ルティアには分からなくなりそうだった。

「何も争う事はない!ワシ等が幼き頃、魔法技巧祭に向けて努力した日を忘れた訳ではないじゃろう!?争わずしてその結果を得る事も出来る筈ではないか!!」

 ルティアは気付かずに、頬を濡らしていた。
 レンズは机の上にあったコップに入っているコーヒーをひと啜りすると、ルティアを直視する。

「僕は、あの頃から思っていたよ。君に……ルティア・マーニルに勝ちたいと。君もそうではなかったかい?」

「それは――!!」

 否定しようとして、心臓を針で刺されたような感覚を覚える。
 確かにあの頃、最大の目標はレンズを超える事だった。
 最初に出場した年、惜しくもレンズに負け、次の年も2位……
 そして3年目にしてようやく頂点に立つ事が出来た。
 あの時の嬉しさ……それは頂点に立ったという事よりも、レンズに勝てたという喜びだったかもしれない。
 研究中、絶対にレンズに勝ってやるといつも思っていたかもしれない。

 闘争心があったからこそ……あそこまで研究をしたのかもしれない……。

 言い淀んでいると、レンズが言葉を続けた。

「争いは……技術を加速させる……それを君も証明しただろう?」

「だからそれは――!!」


 言いかけた時、ルティアの後ろで勢い良くドアが開かれる音がした。

「ガリギアさん!!大変です!!研究所内にマーニルが……!!」

 ルティアが振り向くと、研究者だろうか、大きな機械を手に持った若い男が入ってくる所だった。
 男はルティアの顔を見るやいなや、顔を青くして声を上げた。

「大きな帽子……長い髪……金色の杖……長いローブ……間違いない!!いたぞ!!マーニルだ!!!」

 手に持った機械を、ルティアに向けた。
 大きな筒の中から白い光が溢れてくる。


「ここで死ねええええ!!!」


 ルティアは咄嗟に魔法で対抗しようと詠唱を始める。
 しかし、男の持つ機械は、その時間を待ってはくれなかった。

「くっ……!!!!」






 部屋に鮮血が飛び散る。






 ルティアは何が起こったのか理解できない。






 目の前に飛び込んできたのは、倒れ込むレンズ。
 腹部から大量の血が溢れている。


「ガリギアさん……!!なんで……!!なんで……!?」

 ガシャ――。

 うろたえる男は、まだ煙の出ている機械を床に落とした。

「早く……早く術士を呼んでこい……ワシの学園にいる最高位の術士を早く!!」

 ルティアは出せる限りの声を上げていた。

「そんな……マーニル軍になんか……頼らずに……」

「ならば貴様等の治癒装置でもなんでもいい!!一刻も早くレンズを救うのじゃ!!!!」

「は……はぃっ……!!」

 ルティアの剣幕に押し切られたのか、男は足をもつれさせながら部屋の外へと走っていった。


「はぁ……はぁ……」

 ふと、足元で苦しそうな呼吸音が聞こえてルティアは我に返る。

「レンズ!!大丈夫か!?息はあるようだな!!今止血を!!」

 急いでうつ伏せにしているレンズを転がして傷口を確認する。
 腹部にぽっかりと開いた穴を必死に塞ごうとした。

「はぁ……はぁ……」

 なんとか呼吸は出来ているらしい。
 が、傷が思ったよりも相当深い。
 ルティアは声にならない声を出した。

「レンズ――!!!!」


 レンズの胸にポトポトとルティアの涙が溢れる。
 ふと、苦しそうな息の隙間から、小さな声が聞こえてきた。

「これが……技術……進歩……の………代償……か……」

「喋るなレンズ!!もう喋るな!!」

 涙が止まらない。

「結局は……はぁ……お前が……正しかったのか……?」

 レンズは喉から声を絞り出している。

「喋るなと言っておるじゃろう!!」

「それでも……僕は技術の……成長を止めたくなかっ……」

「絶対に助けてやる!!だから!!」

「大丈夫……だ……。研究室の……装置で…………」

 レンズは左手で部屋のどこかを指差した。
 指の方向をルティアが見ると、そこには何か巨大なカプセルのような装置が置かれている。

 と、レンズの方へ目を戻すと、彼はズルズルと身体を引き摺るようにそこを目指して進んでいた。
 彼の通った後は、まるで赤い絨毯が敷かれたようだ。

「待て!レンズ!ワシが運んでやるから!」

 ルティアは彼を動かしてはいけないと思いつつ、あの装置ならばこの傷を治せるのかもしれないと考えて、レンズの両腋をしっかりと持つと力任せに引っ張った。

 装置の前まで来ると、レンズは装置に付いているボタンを力強く叩いた。
 装置は大きな音を立てて、ガタガタと動き出す。

「レンズ!どうすればいいのじゃ!?レンズ!!!」

「争いは……止めたぞ……」

 レンズはニッと笑ったように見えた。

「な、何を言ってるのじゃ!?」

「今ので……オウルホロウに張り巡らせた……ある……回路が起動したんだ……」

「回路!?」

「そうだ……ルティア……もう……この街の……魔素は……全て…ここに集められた……」

「何を言っているのだ!?」

「誰も……機械を使う事も……魔法を使う事も……できない……」

 レンズの言葉が理解できない。
 しかしルティアは、次の瞬間に理解せざるを得なかった。
 頭の中で術式を組もうとすると、周りに魔素がないのだ。
 どんなに小さなものも……。

 絶魔地帯――
 魔素が存在しない世界。
 よく論文で目にするその単語は、理論上の物でしかない。
 しかし、ルティアの周りは、まさにその状態だった。

 そういえば、前に一度ここに来た時、この装置を見た気がする。
 いや、あれはまだ設計図の上だった。
 それを取り囲むような巨大な術式……。
 あれが街全体を覆うような回路だったとでも言うのだろうか。


「お前……そんな事をしたら……どうやってお前を治療すればいいのじゃ!!!」

 魔法が使えないのであれば、術士も意味を成さず、治癒装置も使えない。

「フフッ…………」

 レンズは笑う。

「何を笑っているのじゃ!!お前を……お前をどうやって助ければ良いのじゃ!!答えろレンズ!!」

 すると、レンズはゆっくりと喋り出す。

「喋るなと言ったり……答えろと言ったり……支離滅裂だな……。まぁ……いいさ……。その真っ直ぐな瞳は……ルティア……君の証だ……」

「何を言っておるのじゃ……?」

「僕の目的を……話そう。それは……今も昔も変わらない。君と…最強の魔法科学を……完成させる……事だ……。僕は考えた……。技術の進歩には……もっと……大きな……闘争心が必要だと」

 コクコクと、ルティアは首を縦に振った。

「もちろん今のような殺伐とした……状況を望んでいた訳ではないが……状況が悪くなればなるほど……死ぬ気で研究を進めていく…人間が増えたんだ」

「それはワシの所も同じじゃ……」

 ルティアは大粒の涙をボロボロとこぼしながら彼の話を聞き続ける。

「でも……僕が間違って……いたかもしれない……命は……有限…だから……僕は……生きているうちに……約束を果たせそうに……ない……すまない……ルティア……」

「諦めるなと言っておるじゃろ!!」

 ルティアの言葉が部屋に響くと、赤子の鳴き声が聞こえてきた。

「っ……!!ほれ!お前には子もいるのじゃろう!?」

 レンズが少し笑ったように見えた。

「だから……君にお願いが……ある……僕の意思はそこにいる僕の子や……その先の世代に受け継がれていくだろう……。だから……君が最強だと思うような魔法科学が……完成するまで……見守って貰えないか……?」

「どういう事じゃ!?そんなの出来る訳がないじゃろ!?お前無しでお前が求めているような技術は――」

 ガリギアはうっすらと開いた目をルティアに向ける。
 その瞳は、あの、幼い頃祭典の会場で見せていた時の、希望に溢れた光を帯びていた。

「僕が……この街の魔素を……一点に集めたこの装置は……魔力を生命力に変えるものだ……」

「生命……力……?」

「元々は治癒效果のあるものにしようとしていたが……モルモットでテストをしていたら……元々の寿命の……何倍も……何倍も生き続けてしまってね……。膨大な魔素を……集めれば集める程……その效果は強くなる事を証明した……」

「なんじゃと……!?」

「満足な臨床実験は出来ていない……どんな副作用があるかも解らない……オウルホロウ中の魔素を使って上手くいくか……どうなるかわからない……それでも……これを君に使ってみたいんだ……」

「っ……!?」

 レンズは……一体何を言っているのか。
 常人ならば理解は出来ないだろう。
 そんな無茶苦茶な話を、信じろと言った所で笑われるだろう。
 しかし、ルティアは真剣な表情で話を聞き続ける。
 そんな装置を作れるとしたら、目の前の男しかいない。

「僕は……この怪我ではどうやっても助からない……だから……僕達の夢を君に託したいんだ……」

「…………」

 ルティアは言葉を失う。
 レンズは本気で言っている。

「僕は科学者として……対した功績は残せなかったかもしれない…でも――」


「――僕が“愛した人”の……命を繋げるならば……科学者冥利に尽きるだろう?」

 それを聞いて全てを悟ったルティアは叫んだ。

「お前はバカか!!!自分勝手すぎるじゃろうが!それにお前、結婚もしたんじゃろう!?実の子の前で、なんという事を言っておるのじゃ!」

 しかし、レンズは真剣な目で語る。

「僕と君が結ばれたら……争いが止まる……そうすれば技術の成長が…がはっ!!」

 血を吐いて倒れこむレンズ。

「おい!!レンズ!!」

 この男は、そこまでして約束を?

「つくづく僕は……バカな奴だと思うが……最後くらい……我儘を言っても……」

 突然慌ただしく複数の男が部屋になだれ込んできた。

「ガリギアさん!何故か街中で魔素が枯渇してしまい……治療ができない状態でして……!!」

 ルティアの望みが音を立てて崩れた。
 機械であれば、魔素を充填出来ると昔レンズに聞いた事があったが、レンズの作ったこの装置は機械の中の魔素も根こそぎ集めてしまったらしい。

「ハハハ……僕の理論が証明された……」

 血を吐きながら尚、嬉しそうにするレンズ。



 ルティアは心を決めた。



「お前ら、そこのレンズの子を連れて部屋を出ろ」

 男達は慌てている。

「いや、しかし……」

「この子の言う通りにしろ……僕からも頼む……」


 男達が言われたとおり、赤子を連れて出ていくと、レンズは笑顔を見せていた。

「ありがとうルティア……さすが僕のライバルだ……」

「ワシはお前との約束を果たすと約束する。ただし、ワシからも我儘を言わせて貰う」

「なんでも言ってみろ……」

「お前も……天から行く末を見守れ」

「死後の世界か……非科学的だな……。でも……君の願いだ………約束しよう」




――マーニル魔法学校 校門前



 少女は青空を見つめる。

 あれから数ヶ月。
 魔法都市マーニル、科学都市ガリギアという2つの街ができた。
 オウルホロウは“絶魔地帯”として、今でも立入りが禁じられている。

 魔法学校を開校して自らが学長となってからも毎日研究を続けていたが、レンズとの約束を果たしたと言えるような魔術は完成していない。

 あの時の副作用なのか、身体が随分と縮んでしまったままだが、そんなに不自由はしていない。
 自分の名が街の名前になるという事はむず痒かったが、100年もすれば慣れてしまった。
 2つの街は、あの頃よりはマシになったが、今でもいがみ合いを続けている。

 しかし、帝国軍という第3勢力が出た今ならば――



 科学都市ガリギアに向かう彼女は天を仰ぎつぶやく。



「まだ見ておるか?もう飽きたとは言わせんぞ?」

+ 漆黒纏う魂の先導者ザラムゴール
「お前を直接触らせてくれ……ヒヒヒッ、その美しい魂に触れてみたいのだ!」

 コルキドからシャムールに差し掛かる街道で、遂にかの魂との邂逅を果たす。
 体の奥底から湧き上がる欲望を抑え込むことができない。

「そ、そそそそんな汚らわしい事できません!」

 その声に呼応して吹き荒れる吹雪。
 拒絶。
 それもまた必然。
 この者はまだ自身の価値と、その役割を知らぬ。
 だからこそ、その価値を示してやらなければならない。
 その役割へと導いてやらねばならない。

「ヒヒヒヒッ!素晴らしい!こんなにも力が!!やはりその魂、我の手中に収めたい。お前が欲しいぞ!!」

「うぅぅうういやぁぁぁああああああっ!!!!」

「ヒヒヒっ!どこまで逃げようと無駄だ!我が名はザラムゴール!お前を!必ず手中に収める!ずっと視ているからなぁ!ヒヒヒヒヒヒッ!!」

 収まらない興奮。
 あれこそが新たなコルキドの盾。
 名はシルティア。

「あそこまで必死に逃げようとするとは……まぁ、ひとまずは魂の質を確かめられただけでも良しとすべきか。まさかとは思ったが、あれほど間近で目にしたというのに、魂に一切の濁りさえも見えなかった……ヒヒ……ヒヒヒヒ……欲しい……」

 まさに純白。
 雪景色の背景にすると、色が相まって視認することが難しい程の穢れ無き白。
 それが彼女の魂の色。

 彼女の魂が如何に素晴らしく、貴重で、特異で、異常かを理解するには、まずは魂というものについて深く知らねばならない。
 思えばこれまでの我の生涯は、この出会いの価値を高めるための布石だったのだろう。

 我はコークの祈祷師の家系に生まれた。
 祈祷師と聞いて何を思うだろうか。
 いかがわしい嘘っぱちの肩書。
 そう思う者も多いのではないか。
 そもそも祈祷師とは、名は違えど世界各地に実在する能力者の総称だ。
 祈祷は具体的な願いを信仰の力によって祈り、具現化しようという試みであり、それらを行えば、その者は皆、祈祷師だといえる。
 五穀豊穣、大漁追福、雨乞いなどの天候祈願。
 個人の吉凶を占う事は勿論、宗教的な教え、悪魔払い、呪術、魔術まで幅広い意味を持ち、果ては野草や薬草による医術とも縁浅からぬものだ。
 我々一族は祈祷師として、死に直面した動物や人の魂を看取り、弔い、成仏させられるよう願いを捧げることを生業としていたのだが、あることをきっかけにその仕事も少し変わった。
 一族の中に魂を視認することができるものが現れ始めたのだ。
 その力は代を経るごとに強くなり、魂を視て、その者が就く仕事や役割が本当に相応しいかを見定めたりといった仕事を生業にするようになった。
 どこか高尚ぶった嫌味な仕事だと思っていたが、我は全力で励んだ。
 仕事そのものではなく、その過程の中に特別な価値を見出していたからだ。

 魂。
 その存在の有無を問えば、万人が万人ともイエスと頷く絶対不変の真理。
 例えそれを視認することはできなくても、その人間と接することで『心が綺麗』だとか『崇高な精神』だとか感じることは多かろうと思う。
 しかし逆に『汚い』『卑しい』『悪趣味』だと感じてしまう人間に出会うこともあるはずだ。
 このどれもが魂を基準にして表現される感情だが、何故同じ人という種でありながらこうまで違ったモノが出来上がるのか。
 それは各々の人生に起因するところが大きい。
 元来、生まれ落ちた魂は皆、純白で美しい。
 遺伝や疾病などの例外はあるが、生まれた時から穢れた魂というものは存在しないと言っていい。
 魂はそれからの人生の中で変化していく。
 知識や経験を得ることで、また、異なる文化や他人と関わる中で様々な影響を受けていく。
 こうして無垢なる純白の魂は徐々に影響を受け、その色を変容させていくのだ。
 生きとし生ける種全てに魂は内包されているが、あらゆる生き物中で、人間の魂ほど最も多様さに秀で、興味をそそられるものはない。
 百人の人間がいれば、百通りの魂の色が存在する。
 ただし、その中に生まれたままの純白の魂はありえない。
 魂の穢れは人が生きてきた証であり、生きていることの証明でもある。
 だからこそシルティアの純粋無垢なる魂の存在はあまりにも稀有で、異常なのだ。

 故に彼女には彼女にしかできない役割がある。

 あれは数年前。
 まだ祈祷師としての仕事に従事していた頃の話だ。

「正義は我等にあり!これに楯突く不遜な輩に、裁きの鉄槌を下すのだ!!」

「「おぉおおおおおお!!」」

 祈祷師として各地を巡る中、たまたま遭遇した戦場。
 山間の平野に陣を敷く二つの軍勢が、今まさに衝突しようというところだった。
 所詮は縁も所縁もない者達同志の闘争だ。
 争いは虚しいだとか、傷つけあうのは悲しい事だとか、そんな感傷的な想いはこれっぽっちも沸いてはこない。
 だが、その光景は我の興味をそそるものだった。
 陣頭で剣を掲げ、高らかに正義を謳う軍団長の、酷く濁った魂の醜悪さに。
 軍団長を見つめる兵士達の魂の、希望、欲望、恐怖、愉悦、様々な色に彩られた多様さに。

 戦いを経て、その魂がどのように変容していくか気になった我はその様子を静観した。
 開戦し、死にもの狂いで斬り合う両陣営。
 そして、そんな彼らの肉体が死を向かえる瞬間を目撃した。

 肉体が機能を失うと、そこに収まっていた魂は追い出され、行き場を求めるように彷徨う。
 やがて、その魂は最も強く想い続けた純粋な思いに染まり、霧散していった。

「う……死にたく……ない…………」

「痛い……助け……てくれ……!」

 終戦。
 勝者は去り、屍と間も無く死にゆく者達だけが残された、戦場の跡。
 我は誘われるようにしてそこへ立ち、消えゆく魂達を見送った。
 その時、ふと思いついた。
 魂が見えるからこそできることが、ただ彼らを見送ることだけ。
 否。
 気付いていなかった本当の役割があるのではないだろうか。
 そう思い、魔素で死肉と魂を繋ぎ合わせ、導く様に道を示してみた。
 するとどうだろうか。
 再び動き出した死体。
 挙動不審で動きもぎこちないが、確かに死んだはずの肉体が、消える運命にあったはずの魂が生を取り戻したのだ。
 しかし、間もなくして肉体は再度機能を失い、その際に魂も燃え尽きた。
 本来の器ではないため、定着することができないのだろう。
 ならば、より多くの魂を集め、力を合わせることで肉体に繋ぎとめることはできないだろうかと考えた。
 試してみると、死肉の中で多数の魂は混ざり合い、強大な力となり命を維持し続けた。

 そこでようやく気付いたわけだ。
 我の役割は死に行く魂を救済すること。
 それこそが天に与えられた使命であると。

「――――というわけだ。我の使命のために、その魂を貸してはもらえぬだろうか?」

「お、お断りします!!」

「何故だ……これだけ懇切丁寧に事情を話したというのに……!」

「そ、そもそも……そんな話をしながら走って追いかけてくる方にどう接したらいいのかわかりませんっ!!」

 せっかくシルティアに会うことができたのだ。
 みすみす逃す手はあるまい。
 そのまま追いかけてみたはいいが、思えばいきなり魂をよこせというのは我ながら紳士的ではなかった。
 だからこそこうして事情を説明したのだが……。

「わ、私にもやらねばらないことがあります!そのためにも、魂をお渡しするわけにはいきません!!」

「ほう……聞こうではないか。足を止めよ。我としても、もう少し落ち着いて話がしたい」

「ち、近づかないでください!!男の人に触られるなんて……そんな……!!」

「む?そうか……考えれば、お前はコルキドの王宮に閉じ込められていたのだったな。安心すると良い!!道端の有象無象ならともかく、我はあのような男達とは違う!!だから話を聴いてはくれまいか!?ヒヒヒヒ!」

「確かに国にいた男の方たちとは違います!私にもわかります!貴方は危険です!!」

「何を言うか!?口を開けばでまかせばかりで、自分の魂がどんな色をしているかも知らぬ無知な輩と一緒に――ぬぉっ!?」

 つい取り乱し、石ころに躓いたザラムゴール。
 そのままの勢いで、顔面から地に突っ伏すように数メートルに渡る盛大なこけっぷりをシルティアに見せつける。

「ぐ……おぉ……」

 いかん。
 我としたことが。
 逃げられてしまう。

「あ、あの……大丈夫……ですか?」

「…………」

 顔をあげると、心配そうな彼女の顔。
 あれほどまでに拒絶していたはず我に対し、なんという……

「ヒヒヒ……そうか。我に惚れたか」

「な、ななな、なんでそうなるんですか!!」

「隠すでない。そうか……これが噂に聞く『つんでれ』というものだな」

「『つんでれ』というものが何かは知りませんが、大丈夫そうですね!もう追ってこないでください!!」

 そう言い残し、再び駆けだそうとするシルティア。

「待て!待ってくれ!頼む……!」

「……な、なんですか?」

 なるほど。
 少しずつこの女が分かってきた。

「少しだけ話を聞いてくれ……少しだけでいいのだ……頼む!」

「う…………じゃ、じゃあ……少しだけなら……」

 大丈夫かこの女!?
 ちょろすぎて逆に心配になるぞ!
 ともあれ、ここで我にとってこの女が如何に必要であるかを訴えれば、丸め込むことができるやもしれぬ。

「ありがとう……優しいのだな」

「そ、そんなこと言っても、魂を貸したりはしませんからね!」

「我も話を急ぎ過ぎた。順を追って説明しよう」

「聞いてますか!?貸しませんからね!?」

「お前の魂の価値と、我の使命については先ほど話した通りだ。では、その魂が何故、我にとって必要なのかを説明しよう……」

「あの……聞いてくれてますか……?」

「我の使命は魂の救済だ……だが、それにはいくつかの課題があった……」

「勝手に回想に入らないでください!あ!ちょっと――」

 死霊術を開発した我は自身に課せられた使命について理解した。
 そして、その使命を全うすべく己の技を高めていった。
 全ては善良なる魂を救うためにだ。
 これまでの成果でわかったことは三つ。

 一つ。
 いくら状態の良い肉体を用意しようとも、他人の魂一つではその機能を維持するには限界がある。

 二つ。
 多くの魂を掛け合わせることでいくらか機能を維持することはできるが、いくら善良な人間の魂でも、その魂には微かな濁りやくすみがある。
 そんな魂をいくつも掛け合わせると、濁りは濃くなり、限界を迎えると自壊してしまう。

 三つ。
 それでも肉体と魂を維持しようとするなら、多くの魂を穢れ無き姿に中和するだけの無垢なる魂が必要不可欠である。

 それに気づいた時、我は絶望した。
 己の使命を果たすことができないと悟ったからだ。
 無垢なる魂。
 そんなものは存在するはずがない。
 数多の魂を見続けてきた我だからこそわかる事だった。

 そんな時だ。
 コルキドの新たな盾の器の噂を小耳にはさんだ。
 なんでも雪のように白く純真な心を持っているとか。
 半信半疑ではあったが、最後の希望として見るだけ見ておくのも悪くないと思った。

 その女は、王宮の中に隔離されていた。
 我はコルキドの王宮の鉄壁の守りを崩すため、大量のアンデッドを用意した。
 戦場で死肉を漁り、彷徨える魂達に助けを求めたのだ。
 彼らは生にしがみ付ける喜びの代償として我に力を差し出した。
 そして、そうして作り上げたアンデッドの軍勢を一挙にコルキドの街に攻めこませ、あとは混乱の隙を突いて王宮内に忍び込むだけとなった。
 だが、何かがおかしい。
 圧倒的な戦力差であるはずにも関わらず、何故か前線が押し返されはじめたのだ。
 前線の様子を伺うと、そこには明らかに異質な魂が一つ。
 吹き荒れる吹雪の中、雪の白さに紛れながらもなんとか視認できたそれこそが新たなるコルキドの盾と、その魂だった。
 その魂の有り様には感動したぞ。
 一切の穢れ無き純一無雑な魂。
 強大な意思と絶大な精神力の強さが伺えるそれは、まさに我が求めた魂。
 なんとしても欲しい。
 そう思った。

 我は再びアンデッドに命令を出し、その者に向けて突撃させた。
 しかし、軍勢は動かない。
 用意した死肉の中にあったはずの魂たちが皆、完全に浄化され、消え去っていったのだ。
 清らかな魂が、濁った魂を浄化することは知っていたが、こんなことはあり得ない。
 そもそも清らかな魂の方も影響を受け、一定の濁りが生じるはずなのに、それすらも一切感じさせなかった。
 もっと見たい。
 もっと知りたい。
 この手で触れたい。
 この手で穢したい。

「そう……それこそが――」

「私じゃないですか!というか、王宮を襲ったのは貴方だったのですね!やっぱり悪い人です!!」

「ぐほぉ!?」

 不意にみぞおちを襲う衝撃。
 投げつけられたのであろう石が地面を転がる。

「ま、待て!襲ったのではない!救おうとしたのだ!!うら若き美しい乙女を王宮という名の牢獄に閉じ込め私利私欲のために利用しようとする者達からお前を!!」

「う、うぅうう、美しいだなんて……はっ!そ、そうだとしても!コルキドの方たちを傷つけたことは許されません!だいたい私は閉じ込められてなどいません!」

「ここまで言ってもわからぬとは……やはり力尽くで連れて行くしかあるまい……!」

「そんなことはさせません!私にも果たすべき使命があります!」

「そのような盾一つで我が眷属達を退けられると思うなよ……?」

「眷属……?」

「我のみに許された御業だ!恐怖するがよい……我が呼び掛けに応え、この者に魂の救済をぉおおおお!」

「…………」

「……ん?」

「あ、あのぉ……アンデッドさん達はコルキドで私が……」

「ヒヒ……我としたことが……」

「えっと……ご、ごめんなさいっ!」

「がっ!?」

――――――
――――
――

 目を覚ますと、当然そこにシルティアの姿はなかった。

「我を殺す絶好の機会だったものを……やはり惚れられたか?我も罪作りな……ヒヒ……」

 この時、ザラムゴール自身はまだ気づいてはいない。
 魂の救済という己の信じる使命とは関係なく、シルティアという一人の人間と、その魂に特別な関心を抱き始めていたことを。
 そして、それがやがて使命を超えた、彼最大の目的となる事を。



 当然、シルティアの後を追いかけるザラムゴール。
 その行方を探すことはさほど難しい事ではなった。

「あぁ!大きな盾を持ったお嬢さんね!」

「お姉ちゃんに風船とってもらったの!!」

「おぉ!あの子なら南に向かったぜ!!」

 すれ違う人という人に、大きな盾を持った女について尋ねると、皆が笑顔でその行先を教えてくれた。
 あの性格である。
 頼みごとをされれば勿論のこと、少しでも困った人間を見かければ居ても立っても居られないのであろう。
 それどころか、少しでも何か手伝えそうなことがあれば自分から声を掛けに行きそうだ。
 その証拠に、彼女に助けられたと言う人間を辿ると、そのまま綺麗にシルティアが通ったであろう道ができあがった。

「このまま行くとジールの街か……ヒヒヒ……」

 先のやり取りでは思わぬ誤解を与えてしまった。
 我が使命の崇高さと素晴らしさを説明しても再び拒絶されるだけだろう。
 ならばここは一つ、罠を仕掛けてみるのも良い……

 ジール街に到着し、早速準備に取り掛かる。
 日避け用のフードで身を隠し、簡単な露店を用意したザラムゴールは、占い師としてシルティアの登場を待った。

「ここでならフードを被っていても怪しくない上、占い屋といういかにも女が好みそうな趣向。我ながら隙の無い見事な戦略だ……ヒヒヒ」

 客として訪れたシルティアに、占い師としてアドバイスをする。
 旅の道中で知り合った祈祷師の話に耳を傾け、信用して協力するように、と。
 そうして彼女を取り込み、魂を手中に収める算段である。

「あとはあの女を待つだけか……ん?」

「…………」

 店の前で立ち止まり、じっとこちらを見つめる女。
 恰好から見て、この街の人間のようだが。

「ここ……占い屋だよな?」

「あ、あぁ……どこからどう見ても占い屋だろう?」

「ふ~ん……」

 なんだ?
 まさか偽物だとバレたのか?

「まぁいいや。ところでよぉ……ど、どんなことでも占ってもらえるのか?」

「え?あぁ!も、勿論だ!我に占えぬことなど無いぞ!」

 こんなどうでもいい女を相手にしている暇はないというのに。
 今まさにあの女が通りかかりでもすればどうしてくれるつもりなのだ。
 しかし、ここで騒ぎを起こすわけにもいかぬか……。

「じゃ、じゃあちょっと占ってもらおっかなぁ~!」

「う、うむ……何を占いたいのだ?」

「えっと……その……今、ちょっと気になるっていうか、そんな感じの人がいるんだけどよぉ?その人とこれからどうなるかな~……なんて……」

「なんだ……色恋の話か……」

 下らん。
 なんと下劣で低俗な話か。
 こんなことで一喜一憂できる気楽な人生が羨ましい限りだ。

「……ど、どうだ?」

 どうでもいい。
 そう答えたいところだが、あまり無下に扱って泣かれでもしたら厄介だ。
 ここは無難にやり過ごすのが一番だろう。
 それにしても、この女もなかなかどうして綺麗な魂をしている。
 あの女のように純白とは言わないまでも、十分に清らかで、それでいて真の通った力強さを感じる。
 その魂の美しさに免じて、少し情けをかけてやるか。

「ふむ……良き兆しが見える。その想いを大切にしておれば、やがては必ず報われる日が訪れるだろう……努々、その心持ちを損なわぬことだ」

「そ……そっかぁ!いやぁ……まさかあのシャフールさんと……そうか、そうかぁ!!」

「シャフールというのがお前の想い人の名か?」

「ちょ!?お、想い人なんかじゃねぇよ!!ただ、ちょっと気になるだけっつーか……てめぇ!変なこと言ってんじゃねぇ!!」

「は?なにを――ぐほぉえ!」

「そっか、そっか……へへ……へへへへ……」

 不意にみぞおちを抉られ、のたうち回るザラムゴールをよそに、上機嫌な面持ちで店を後にしていった娘。

「げほっ……な、なんと野蛮な……あのような魂を少しでも綺麗だなどと思ってしまった我の過ちだ……やはり真に美しいのはあの女の魂だけなのだ……!」

「大丈夫ですか!?しっかりしてください……!」

 膝を突き、呼吸を整えているところに差し伸べられた手。
 その透き通るような肌には見覚えがあった。

「立てますか?」

 顔を上げて確認する。
 シルティアである。

「あ、あぁ……ありがとう」

「何があったのですか?」

「いや……何でもない」

 そう。
 こんなこと何でもない。
 目の前に目標が現れたのだから。

「すまない、お嬢さん。お礼に何か占ってあげよう」

「占いですか?」

「あぁ。見たところ旅の途中と見受けられる。その旅路の行く末について、なんてどうかな?」

「いえ。どうぞお構いなく!大したことはしてませんから!では、わたしはこれで!」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ!」

 慌てて彼女の腕を掴み、引き留める。

「え!?あ……その……手……」

「手?」

「ご、ごめんなさい!男の人に触られると私っ!どどどど、どうにかなっちゃいそうなんですぅうううう!!」

 途端、ものすごい力で腕を引き剥がされ、そのままどこへとなく駆けて行ったシルティア。
 作戦失敗。
 どころか、作戦に入るまでも無く回避されてしまった。

「なるほどな……」

 次なる作戦を考えねばならない。
 どうやらあの女は男を未知の対象、あるいは恐怖の対象として見ている節がある。
 ならばそこからメスを入れていくか……



 街の者に墓地の場所を聞き、陽が落ちてからそこを訪れたザラムゴール。

「ヒヒ……我等の時間だ……起きよ我が眷属達!!」

 呼び寄せられるように彷徨っていた墓地の魂を手ごろな墓穴へと導くと、少しして、這い出るようにアンデッドが数体姿を現した。

「ヒヒヒ。眠りについていたとこすまないが、少し手を貸してもらうぞ……?」

 それらにフードを被せ、安物のナイフを手渡すと、立派な盗賊集団の出来上がりだ。
 武装させたアンデッド軍団を街内へと差し向けたザラムゴールは、姿を見せないようにしながらその少し後ろをついて歩いた。

 街を徘徊すること小一時間。
 シルティアの姿を見つけた彼は、アンデッドへと命令を出す。

「行け……我らが大儀のために……!」

「きゃぁああああああ!」

 ザラムゴールの指示の元、街民に襲い掛かったアンデッド軍団。
 当然、その異変を察知したシルティアが現場へと駆けつける。

「何事ですか!?」

「た、助けてください……!」

 今にも斬り付けられんとしている街民。

「今だ……!」

 屋根上から颯爽と姿を現し、魔術の詠唱を開始する。

「罪の無い人間に危機迫る中、それを助け出す我!あの女は我の人間性への認識を改め、自ら歩み寄ってくる!そしてそのままあの魂を手に入れる!完璧クオリティ!今助けてやるぞ……我が使命のために利用されるだけの傀儡よ!」

「おやめなさいっ!!」

 何かが辺りを駆け抜けた。
 シルティアの発した声がそのまま衝撃となり、ザラムゴールとアンデッド軍団の動きを封じる。

「な……何だこれは!?」

 恐怖。
 それに似た感情が体を支配し、硬直する。
 街民は何が起こったのか理解できない様子でキョロキョロと辺りを見回すばかり。

「まさか……一喝しただけで……気迫だけで我らを制しているとでも言うのか!?」

 硬直の隙を見逃さず、アンデッドの懐まで踏み込んだシルティアは、そのまま流れるような体術と盾術で軍団を薙ぎ払う。
 その瞬間、死肉へと込めた魂達が瞬く間に浄化されていくのが見えた。

「ふぅ……大丈夫ですか?」

「え、えぇ……ありがとう」

 あてられただけで抵抗すらできなくなるほどの清気。
 ダメだ。
 アンデッドやそれに属する力では対抗しようがない。
 まさしく天敵。

「あ!貴方は……!!」

「む!?」

 悠長に屋根上でうろたえていたザラムゴールの姿をシルティアが捉える。

「また貴方の仕業だったのですね!許せません!!」

「ま、待て!これには事情が――」

「問答無用ですっ!!」



 ここ数日で何度気を失うハメになった事だろう。
 そのまま屋根上で大の字になり気絶してしまったザラムゴール。
 朝日が眩しい。
 浄化されてしまいそうだ。

「我は諦めぬぞ……ますますその魂を手に入れたくなった…!」

 存在し得ないはずの奇跡を前にして、いつの間にか使命などどうでもよくなっていたことに気が付いた。

「ヒヒヒ……我もまた浄化されてしまったとでもいうのか?」

 ならば残された感情はただ一つ。
 あの魂を欲する欲望のみ。



「あの……た、助けてください……!」

「どうしました!?」

「実は……盗賊に荷を奪われてしまって……」

「なんですって!?大変です!今すぐ取り返しに行きましょう!」

 次なる作戦はこうだ。
 事件の被害者を装い、人気のない所までこの女を連れて行く。
 そして、あらかじめ用意しておいた落とし穴に誘導し……捕らえる!!
 シンプルゆえに不確定要素の入り込む余地の無いプラン設計!!

「ど、どうやらあの遺跡の方にアジトがあるようで……」

「なるほど……自警団の方たちに相談はしましたか?」

「え!?あ、あぁ……その、急いで取り返さなくてはいけないもので……その……」

「わかりました!私に任せてください!!」

 向けられる満面の笑みに意識が遠のく。

「う……あ、案内します……こちらです」

「はい!」

 何やらとてつもない罪悪感に苛まれ始めた。
 手早く済まさねば精神上あまり良くない。

「この辺りから遺跡の中に入っていったようなのですが……」

「なるほど……少し探索してみましょう!」

 徐々に落とし穴へとシルティアを誘導し、今か今かとその時を待ちわびる。

「おかしいですね……何もないようですが……」

「もう少し右だったような……!」

「右ですか?この辺りでしょうか……?」

「あー……少し行き過ぎです!もう少し右です!いや、左……あと二歩ほど……!」

「左ですか?やけに具体的ですね……えっと……」

「そう!あと一歩……!」

「あっ!」

「遂にこの時がぁああ!!」

「ありましたよ!遺跡への入口!!確かにこれは見つけにくいですね!」

「なんだとぉ!?!?」

「!?」

「あ……」

 ついフードを取っ払って決めポーズを取ってしまっていたザラムゴール。
 その様子を見て、シルティアもまた色々と察した様子である。

「また貴方ですかっ!何度も何度も私を騙して……!」

「ご、誤解だ!我にお前を謀るつもりはない!ただ、その魂が欲しいだけなのだ!!」

「死者を蘇らせる手伝いなどできませんっ!それは死者に対する冒涜です!!」

「何を言う!想いを遂げられずに散らした命を、我は救済しようというのだぞ!?これ程に崇高で気高い役目が他にあるとでも言うのか!?」

「それは悲しいことです!ですが、それもまた運命です。それを勝手に解釈して捻じ曲げる行為は良くないと思います!」

「ヒヒヒ!何も知らぬ人形が言うではないか!!」

「だからこそ世界を知り、少しでも多くの人々を救う手伝いができるように願い、コルキドを出たのです!」

「世界を知るだとぉ?それは世に溢れる穢れに触れるという意味だぞ?お前の価値は失われるかもしれないのだぞ!?」

「穢れ無きこの身、この魂のみが価値だというのならば、私には価値がないのでしょう!私は穢れも受け止め、弱き人々の盾になることを誓ったのです!」

 まるであての無い願望。
 理想だけを口にし、妄想にふける愚かな者をごまんと見てきた。
 そうした連中の魂は傲慢な自己陶酔に染まりきり、ヘドロのような色をしていた。
 この女は連中と全く同じ台詞を吐きながらも、相変わらずの無垢なる魂のまま。

「本物か……」

「なんのことですか……?」

「ヒヒ……ヒヒヒ……やはり我はお前を欲するぞ!あぁ!欲しい!お前が欲しい!!お前だけが欲しいのだ!!!!」

「ほ、欲しい!?」

「もっと間近で見せてくれ!直接この手で触らせてくれ!我の欲望で穢させてくれぇ!!」

「はわわわわわわわ!?な、なんてことを……!?!?」

「シルティアぁああああああああ!!」

「い、いやぁあああああああああああ!!」



 またしても気を失ったのか。

「おかしい……作戦は完璧なはずなのに、どうしてこうも失敗するのだ。まるで、森羅万象全てがあの魂を穢すまいと味方しているかのような……」

 今はただ純粋に知りたい……
 そして欲しい……

 心から彼女を美しく思う。
 ああも純一無雑な魂が存在し得るのだろうか。
 心が綺麗だと言われる人間がたまにいるが、その多くは運良く穢れを避けた人生を歩んでこられただけに過ぎない。
 絵の具の白がほんの僅かな黒でくすんでしまうように、少しでもそれに触れれば魂は穢れる。
 時間や経験、他の魂との関わりの中で多少浄化されることはあっても、決して元の純白には戻らない。

 しかし、彼女はどうだろうか。
 物事に対して決して無関心でもなければ無感情でもない。
 コルキドでの戦いを経て、魂の混沌とも呼べる戦場を経たからこそ、心から生を尊び、死を悲しむことができる。
 同時にそれは、魂の深淵に触れた証明だ。
 だというのに微塵の穢れすらも無いではないか。
 まるで透明と見紛う如き純粋さ。

 あれはもはや人の枠に収まる器ではない。

 ずっと見ていたい……
 心が洗い流されるようなあの無垢なる姿を。

 直に触れてみたい……
 その魂に触れることで、己の魂がどう変わってしまうのか。

 その先を知りたい……
 あの姿がどういった顛末を経て、どう染まっていくのかを。
 この先、幾重の戦場を渡り歩き、幾百の魂を手にかけ、幾千の骸を踏み締め、幾万の怨念を背負い、その魂がどの様に穢れていくのかを……

 果てに漆黒に堕ちるか。
 それとも全てを祓う無垢な姿であり続けるか。

 その存在は神の悪戯か、はたまた怪物の類か。

 我だけが見ていたい。
 我だけが触れていたい。
 我だけが知っていたい。

 旅の終着点。
 そこで再びその姿と対面できたなら……

 その時は、我がこの手で染めてやろうぞ……!

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最終更新:2017年07月28日 17:27