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+ | 海を駆る蒼き絆レイナ |
徐々に遠ざかっていくアスピドケロンの姿は既に米粒のように小さい。
それが見えなくなるまで、いつまでもいつまでも船の甲板上から見つめ続ける少女。 そしてその少女を同じ甲板上で少し心配そうに観察する少女がもう一人。
「ちゃんとバイバイできた?」
「うん……またいつか会おうねって」
「今からでも追いかけられるけど……ルルーテは帰りたい?」
「ううん……大丈夫。もうわたしは街には帰れないから。それに、レイナと――おねぇちゃんとも約束したから」
「そっか!でも……いつかまた会いに来ようね!」
「……うん!!」
アスピドケロンに背を向け、振り返りざまに満面の笑みを浮かべるルルーテ。
目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。 彼女にしか分からぬ様々な想いが溢れているのだろう。 それでも笑ってみせたのは、レイナを心配させたくないとの気持ちからだろうか。 そんな彼女に応えるように、負けじと満面の笑みを返すレイナ。 仲睦まじげな姉妹のように見える二人だが、その出会いはつい先程の話なのだ。
巨大な亀を思わせる魔物がそのまま街となった海獣都市『アスピドケロン』
その暴走を止めるため街から生贄として捧げられたルルーテを、そうとも知らずに助け出したレイナ。 ルルーテの命を救い、アスピドケロンの暴走を止めることを条件に、レイナは自らが船長を務めるバルバーム海賊団の一味へ、ルルーテが加わるよう提案。 これをルルーテは承知し、見事にレイナは約束を果たした形だ。
「改めてよろしくね!バルバーム海賊団へようこそ!!」
「こちらこそ!レイナおねぇちゃん!」
――フンフンッ……
「きゃぁあ!?なになに!?」
ルルーテの太もも辺りに急に冷たい何かが触れ、その場を飛びのく。
「こら!驚かせちゃダメだよ、パピー!」
「……スンッ!」
「その子はパピー。私の大事な家族。ルルーテのことが気に入ったみたいね」
「わぁ……よろしくね、パピー!」
「ウォン!!」
「さーて、そろそろ帰ろうか!」
「バルバームへ行くの?」
「そうだよ!村のみんなが私たちの稼ぎを待ってるからね!」
「へぇ……わたし、アスピドケロンの外は初めてなんだ」
「ふ~ん……じゃあ、いろいろお話しよう!どうせバルバームまではけっこうかかるしね!」
「聞かせて!レイナちゃん達のことも、バルバームのことも!」
「こら!お姉ちゃんでしょ!大人の女に向かって失礼だよぉ?」
「そ、そうだったね!おねぇちゃん!」
どうみてもルルーテより更に幼く見える女の子に対する呼び方としては相応しくないかもしれないが、これも船長命令では仕方のないことなのである。
「よしよし……じゃあ何から話そうかな……」
「おねぇちゃんはずっとバルバームで暮らしているの?」
「違うよ!じゃあそこから話そうか……!」
――――――
―――― ――
「ま、待ってくれ!君は……」
その男は、大陸から見て極東に位置する孤高の島国『アルジア』の出身。
「何か用かい?」
その女は、流浪の村『コーク』に住んでいた、狼の血を引くガルム族。
コークがマリーヴィアの近くを通りがかった際に二人は出会い、瞬く間に結ばれ、男はすぐに父親になり、女は母親となった。
二人の間に生まれた娘は『レイナ』と名付けられた。
「パパ、お帰り!!」
「おぉ!?いいパンチだな、レイナ!ママにも負けてないぞ!?」
「何言ってんだい……またぶっ飛ばされたいのかい?」
父親は仕事のためアルジアとマリーヴィアを行ったり来たりの生活だったため、母親はレイナと共にコークを出てマリーヴィアに移り住んだ。
快活でしっかりものだった母親の影響を受け、よく似た性格に育つレイナ。 アルジアから帰ってくる父の土産話を聞きながらじゃれあうのが一番の楽しみだった。
その様子を見て母親は常々思っていたようだ。
父親の職業柄仕方のない事だとは理解しつつも、彼には少しでも長くマリーヴィアに留まってもらい、レイナと自分、家族との時間を大切に過ごしてほしいと。
そんなやりとりが度々あり、寂しさからか夫婦喧嘩に発展することもままあった。
その場合、決まって母親は父親に決闘を申し込み、暴力を持って決着させる。 戦いはいつも母親の圧勝だった。 子供の教育上、あまり良い方法だとは思えないが、レイナの目には勇ましい母親の姿がキラキラと輝いて見えていたことだろう。 父親は勝負に勝つことこそなかったが、どれだけ打ちのめされても絶対に諦めない姿勢だけは貫いていた。 その根気に負け、結局母親が折れる形となることもしばしば。 勝負に負けて試合に勝つ。 そんな父親の姿もまたレイナにとっては関心の的なのであった。
こうしてすくすくと成長していったレイナ。
彼女が七歳を迎えた頃、彼女の人生に大きな転機が訪れる。 ついに家族全員でアルジアに移り住むことが決まったのだ。 家族みんなで過ごす時間が増える。 これには家族全員が心から喜んだ。
しかし、それは叶うことの無いまま夢と消えることとなる。
アルジアへと向かう航行の最中、大きな嵐に遭遇してしまった一行。
高波に煽られて船は損傷し、瞬く間に沈んでいく。 三人連れ立って海に飛び込むも、激しい潮の流れに揉まれ、散り散りになってしまった。
「ん……っぷは……マ、ママ!?パパぁ!?」
一人で荒波の中をもがき続けるレイナは、浮かんでいた木材に必死にしがみつき、いつまでもいつまでも両親を呼び続けた……
――ペシペシ
「んぁ……?」
「おい!?お嬢ちゃん、大丈夫か……?」
頬を軽く叩かれた衝撃で目を覚ましたレイナ。
おぼろげな視界ではあったが、自分の目の前に見覚えのない男の顔があることはわかった。
「え……うっわぁ!?」
――ドンッ
物凄い勢いで後退りする彼女だったが、その背に硬い何かが当たる。
振り返ると、それは太い木を交差させて設置された手すり。
「ここって……何で!?」
立ち上がり周囲を見渡すと、無限の広がりを見せる大海原。
ここでやっと自分が大きな船の甲板上にいることを認識することができたレイナ。
――数日後
再び所変わり、ここは海賊の村『バルバーム』
海で両親と生き別れたあの日、気を失ったまま海を漂い続けていたレイナを救ったのはこの一帯を縄張りとする海賊の船だった。 そのまま海賊達に保護され、村に連れてこられたレイナは、特に何をするでもなく、ただただボーッとするだけの日々を過ごしていた。
ここに連れてこられるまでの間、船の上では海賊の男達が聞きもしていないことを色々と話していた。
彼らが見つけたのは、船の残骸と、漂流していたレイナ一人だけだったこと。 レイナに対して悪意は抱いておらず、彼らの村で保護するつもりであること。 そしてバルバームのこと。
バルバームは海賊達の根城ともなっていた小さな村で、元々は島流しにされた犯罪者やならず者達が集まり作った小さな集落に過ぎなかったが、近年、著しい発展を遂げ、今では人口も文化レベルも大陸の立派な街と肩を並べる程にまで成長している。
その理由は海賊の生業に起因する。
時折、海で見かけていた帝国軍船。 海賊達は、彼らの大陸での傍若無人っぷりを知るや否や、その船を積極的に襲うようになる。 そうして資源や技術を奪うことで、著しい発展を遂げることに成功したのである。 当然、帝国も安全な海上ルート確保のため、これに対処しようと躍起になっているようだが、バルバームは村の外の者にその存在が知られないよう、特別な結界によって隠されている村であるため、今もこうして平穏な暮らしを営むことが出来ていた。
「ウォン!」
「ん?どうしたのパピー?お腹空いた?」
海賊は悪い奴。
いくら自分を助けてくれたとはいえ、こうした世間一般的な印象を拭い切ることはできなかった。 真っ向から拒絶するでもなく、ただし自分からは決して近づかない。 そんな微妙な距離を保ちつつ、村の中心的存在とも呼べる彼らに心を開くことのできないレイナ。 当然、そんな彼女が村に馴染めるはずも無かった。 ただ、パピーだけは例外だった。
「スンスン……スン……」
「ごめんねぇ。さっきお昼ご飯食べちゃったから何も持ってないんだ」
「クゥン……」
パピーとはバルバームの村で飼われている不思議な雰囲気を持った狼の名だ。
飼われているといっても明確な飼い主がいるわけではなく、村人達みんなで世話しているといった方が正しいかもしれない。 パピーは村に連れてこられたレイナを初めて見た瞬間から彼女に対して興味を抱き、進んですり寄っていっては懐くようになった。 レイナが狼系のガルムのハーフであることから、同胞であると考えているのだろうか。 そのわけはパピーしか知らない。 少なくともレイナ自身は、言い表しようのない不思議な繋がりを感じていた。
「相変わらず仲が良いなぁ!」
「あ……えっと……」
「おっと……そんなに警戒しないでくれよ。そろそろおやつの時間だろ?コイツもお腹を空かせてると思って持ってきたんだ。もちろん嬢ちゃんの分もあるぜ?」
静かに寄り添う二人に話しかけてきた海賊団の船員だと思われる若い男。
その手には干し芋の入った紙袋が握られていた。
「隣いいかぃ?一緒に食べないか?」
「う、うん……」
こうしてたまに話しかけてくる村人も少なくないが、重苦しい空気とレイナの暗い表情に耐えきれず、いつもすぐにその場を離れて行ってしまう。
恐らくこの男もすぐに……
「ほら、パピー。オマエも食え」
「スンスン……ワォン!」
「ははは!やっぱりオマエはこっちの方がいいよな!」
観念したようにポケットから干し肉を数切れ取り出すと、パピーに与える男。
この村にレイナが来る以前からこうしておやつの時間を楽しんでいたのだろう。 それを思うと、唯一の友達が取られてしまったような、少し悔しい気持になる。
「ほら?嬢ちゃんも、干し芋。あ、干し肉の方が良かったか?」
「いや……私は……」
「……嬢ちゃんを見てると、この村に来たばかりのパピーの姿を思い出すなぁ」
「……パピーを?」
「あぁ。三カ月くらい前だったかな。パピーも嬢ちゃんと同じように、俺達に拾われてここに来たんだ」
「この子も海を漂流してたの?」
「仕事中に見かけた難破船にコイツだけが残ってたんだ。詳しくはわからねぇけどな。だが、コイツも今の嬢ちゃんみたいに暗い顔してたぜ?毎日何かを探すようにフラフラとな」
「おじさん達はいつもそんなことをしてるの?」
「そうさ!この村に住んでいる三割くらいの人間が、ここに生きる希望を求めてやってきたり、海で遭難したり、嬢ちゃんみたいに漂流してたヤツらさ。俺も含めてな」
「そうなの!?」
「海賊って言うと聞こえは良くないけどな。でも、やってることは間違ってるとは思わねぇよ?ここに連れてこられたときは俺も何されるか怖くて堪ったもんじゃなかったけどな。だが、すぐに考えは変わった」
男は話す。
行く当てのある人間は、保護したらそこまで送り届け、行き場のない人間は誰であろうと村で保護して生きる手伝いをする。 村の人間が普段食べている食料のほとんどは、海賊団からの施しによりもたらされたもので、食料に限らず、衣服、雑貨、その他もろもろ含め、ここでの生活は海賊達の支えがあってこそ成り立っているものだと。
「海賊なのに良い人なの……?」
「良い人……とは言えねぇだろうな。俺達は奴隷船や密輸船ばかり襲って稼いでいるわけだが、村のためとはいえやってることは盗人だ。良い人のすることじゃねぇよ」
「でも村の人たちはみんな感謝してるんでしょ?」
「まぁな。だが、心の中は後ろめたい気持ちでいっぱいだったり、俺達を軽蔑してるヤツもいるかもしれねぇ。それでも俺達は海賊を辞めるわけにはいかねぇんだ。少なくとも、今は生きるためにな」
「……生きるって……難しいんだね」
「あぁ。だから俺は進むことを選んだんだ。拾ってくれた恩を返したいって気持ちと、ここでの暮らしが好きで、守りたいって気持ちには嘘はなかったからな。それで海賊団に入れてもらった。悩んだまま立ち止まることをしたくなかったんだ」
「それで、おじさんの選んだやり方は正しかったのかわかった?」
「まだだ。俺はバカだからよ!いつか答えが出るかもしれねぇが、当分かかりそうだ。ははは!」
「そっか……」
レイナは男の話を全て理解することはできなかった。
良い事のように見えても、それは悪い事かもしれない。 義賊であっても、海賊であることに変わりはない。 自分が知らない価値観と世界。 わからなくとも、それは彼女の興味を強く引き付けた。
「こんにちは!」
「ワォン!」
「おぅ、レイナ!パピーもご機嫌だな!」
海賊の船員の話を聞いたことがきっかけに、徐々に船員達と打ち解けていったレイナ。
当時の暗さは完全に払拭され、村人達とも笑顔で言葉を交わせるようになった。
「ねぇ?船長さんに話があるんだけど」
「おやっさんにか?何の用だ?」
「うん。実はね……ここの海賊団に入りたいの!」
レイナが海賊へ向ける興味は次第にその形を具体的なものへと変えていった。
今日、その意志を直接、海賊団の船長に伝えるために港を訪れたのだ。
「いやぁ……驚いた。まさかそんなこと考えてたとはな」
「海賊に入るには、船長に許しを貰わないといけないんでしょ?」
「え?そりゃあ……まぁ、そうなんだが……無理だと思うぞ?」
「何で!?聞いてもいないのにそんなのわかんないじゃん!?」
「だってなぁ……ま、いいか。決めるのはおやっさんだ。俺がどうこう言っても仕方ねぇ」
「うん!」
「あっちのテントで飯食ってるはずだから行ってみな。ただし、おやっさんがダメだと言ったら諦めるんだぞ?」
「大丈夫だもん!!」
決してただの興味本位や、思い付きからの行動ではなかった。
助けてもらった恩を返すため。 そして、行方不明の両親を探すため。 説明すれば理解してもらえるはず。 その時のレイナはそう信じて疑わなかった。
「ダメだ……」
「何で!?」
「ダメなもんはダメだ!」
「だから何で!?」
「オマエの気持ちは嬉しいさ。だが気持ちだけで十分だ!親を探したいなら仕事の合間に俺達が探してやる!だから諦めて村で大人しくしてな!俺達は海賊だぞ!?オマエみたいな小娘に務まるような甘い仕事じゃねぇんだ!!」
レイナの話を聞くなりすぐさまこれを拒絶した船長。
自信のありようはともかく、まだ幼く、それも女の子であるレイナが自ら危険な場所へと踏み込むのを止める。 船長の判断は、世間的に見れば至極真っ当であると言えた。 それでもレイナは決して引き下がろうとはしない。
「私なら大丈夫だよ!自分の身は自分で守れるもん!!」
「そうやって簡単に言えちまうところがガキなんだ!無理だ!!」
「だったら決闘だ!それで私の力を証明してやる!!私が勝ったら海賊団に入れてよ!!」
「本気で言ってんのか?」
「船長が相手でもいい!!」
「おいおい……勘弁してくれ。オマエみたいな小娘とマジで立合ったとなりゃ俺が笑われちまう」
「じゃあ誰がやるの!?私は誰でもいいよ!」
「……どうやら本気みてぇだな。確認するぞ?決闘に負けたらきっぱりと今回の話は諦める!それでいいな!?」
「わかった!!」
「いつがいい?」
「いつでもいい!今からでも!!」
「よし……相手は用意してやる。今日の昼過ぎに村の広場で待ってな」
「うん!!」
言うまでも無く、この時のレイナの頭の中には母と父の決闘の光景が回想されていた。
女でありながらも果敢に父に挑み、いつも勝利を手にしていた憧れの母の姿。 今、その姿を自分に重ねているのだ。
「おい、レイナがおやっさんに決闘申し込んだってのはマジか?」
「レイナが突っかけたらしいぜ?船に乗せるかどうかを決めるらしいな」
船長との話を終えるとすぐに広場へと向かい、静かに集中力を研ぎ澄ませていたレイナ。
いつの間にかこの件の話を聞きつけた船員達が、勝負の行方を一目見ようと広場を囲むようにして集まりつつあった。 さらには、その様子を見て事情も知らない村人たちまでもが何だ何だと野次馬となっている。
「ん?もう来てたのか。どうやら待たせちまったようだな。随分と気の早いことだが、まだ約束の時間までは少しある。どうする?もう始めちまうか?」
「いつでもいいよ……!」
「よし。まずはオマエの相手を紹介しよう。うちの古株の一人で、まぁそこそこの腕利きだ。こいつに勝つことが出来ればオマエを俺達の船に乗せてやる」
「わかった!」
「おやっさん直々の頼みだから引き受けはしたが、本当にやっていいのかぃ?」
「好きにやれ」
見るからに屈強そうな男。
鍛えこまれた筋肉と、体のあちこちにある戦闘の傷跡が猛者の雰囲気を匂わせる。 軽口を叩いてはいるが、その眼光は決してレイナを侮ってなどいない。 下手な油断は命取りであることを体の芯まで理解していることは勿論、船長の目の前で、しかも自分の体格の半分にも満たないような少女に後れを取ったとなれば、どんな仕打ちが待っているとも知れない。
「二人とも、ルールを説明するぞ。互いに全力を出して構わん。ただし、相手を殺すのは無しだ。だが、殺されないことを理由に無駄な足掻きを続けるような真似は絶対に許さん。俺が決着だと判断した時が決闘終了だ。いいな?」
「あいよ……」
「うん……!」
「じゃあ始めるぞ……?」
広場中央に立つ二人を中心に、静かに固唾を飲んで見守る観衆。
片や身の丈と同等の長さを誇る大剣を構える海賊の男。 片や身の丈以上の斧を背負うガルムの少女。 体格差こそ圧倒的だが、得物の破壊力に差は見受けられない。 問題は果たしてそれを使いこなすことができるか……
「始め!!」
「てぃやぁああああ!!」
開始の合図と共に飛び出したレイナ。
策も無しにただ真っ直ぐに突っ込んだだけ。
「うぉお!?」
だがその速度は、人間の常識のそれではなかった。
巨大な斧を抱えたまま、まさか一瞬で間を詰められるなど想像もしていなかった男に動揺が走る。
「えぇい!!」
――ドッゴォオオオオン!!
反射的に後ろに跳ぶことで、間一髪レイナの振り下ろしを回避する男。
本来、彼の頭に振り下ろされるはずだった斧は大地を穿ち、硬い岩盤をもお構いなしに深々と突き刺さっている。
「冗談じゃねぇぞ……!?」
あんなものをまともに喰らってしまえば命の保証なんて言っていられない。
男の表情は先程までの冷静さを完全に失い、焦りと驚きに染まっている。
「流石はガルムだな……まぁ、ひよっこでもこれくらいはやってのけるだろ……」
戦いを見詰める面々の中、ただ一人冷めた目でレイナを見据える船長。
だが、当然自分の部下が負けるとは思っていない。 初手の衝撃で場の空気こそ味方につけたレイナだが、戦いはそう単純なものではないことをこの男は熟知していた。
「ふぅ……マジで驚いたぜ。これは気が抜けねぇな」
船長に次いで、冷静さを取り戻したのはレイナと対峙する船員の男だった。
自身の経験が危険信号を発しているのを感じる。 だがしかし、この手の相手に勝つための術は知っている。
「来なよ、レイナお嬢ちゃん。まだ始まったばかりだぜ?」
「言われなくたってぇ!!」
観衆達の予想に反し、相手を圧倒している様子のレイナ。
だが、戦闘が開始されてから時間が経過する程に、その違和感に皆が気付き始める。 船員は手を出すこともせず、じっくりとレイナの動きを観察しつつ回避に専念。 一撃も有効打を受けることの無いまま、既に開戦から五分以上が経過しようしていた。
「くっそぉ!!逃げてばっかりでずるいぞ!!」
「攻撃だけが戦いじゃねぇんだぜ?にしてもすげぇスタミナだな」
ここまでの戦況を鑑みるに、腕力、脚力、体力はガルムの血を持つレイナが勝っているように思えるが、彼女の表情からはそんな優位性は感じられず、逆に徐々に焦るような、不安の表情を浮かべ始めている。
「よし……大体わかったぜ。今度はこっちから攻めさせてもらう。覚悟しなよ?お嬢ちゃん」
「ふんっ!今さら何だ!!もう私の方が強いのはわかってるんだから!!」
「そうかい!?」
声と共に、真っ直ぐと大剣を突き出す男。
レイナの研ぎ澄まされた反射神経はこれを楽々と捉え、意図も容易く回避。 そのまま身を翻し、勢いをつけて男を叩き切ろうと斧を握る手に力を込める。
「これで……!」
「甘いぜ!!」
「わ!?なに!?!?」
肩口を足で抑え付けられた途端、振り回そうとしていた腕に力が伝わらなくなった。
それはレイナが知るはずのない戦いのための技術。
「おらよっ!!」
「わわっ!?」
体勢を崩しながらも、カウンターをなんとか躱したレイナ。
「覚えときな。強いだけじゃ勝てないんだぜ?」
「くそぉ……!!」
経験の差。
リーチの差。 それは身体能力で勝るレイナを少しずつ追い詰めていく。 焦りは呼吸を乱し、体力を瞬く間に奪っていく。 それでも何とか凌ぎ続けてはいるが、次第に男の攻撃はレイナの動きを捉え始めていた。
「ちっ……しつこいにも程があるぜ!!」
「うぅ!!」
「よく頑張ったよ。遊び半分だったが俺にとってもいい経験になった。もっと強くなったらまたやろうぜ?」
「ま、まだ終わってないんだからぁ!!」
この時点で、大勢は誰の目から見ても明らかだった。
観衆の中には、船長から発せられる決着の合図を待つ者も多かったことだろう。
「せやぁあ!!」
それでもレイナは諦めない。
「このぉ!やぁ!!」
決死の想いで斧を振り続けるも、握力の衰えた攻撃は簡単にいなされてしまい、遂に喉元に男の剣の切っ先が突き付けられた。
「おやっさん!これで決着ってことでいいんだよなぁ?」
「くぅ……」
「あぁ。この勝負……」
「ウォン!!!!」
「パピー!?」
決着の合図を寸断する咆哮。
目にも止まらぬ速さでレイナと男の間に割って入ったパピー。
「はぁ?なんでオマエが出てくるんだよ!どっかいけってんだ!」
「グルルルルル……!!」
男に対して明らかな敵対心を感じる。
鋭い牙を?き出しにして威嚇するパピー。 決闘の様子を見て、レイナがいじめられていると勘違いしたのだろうか。
「お、おやっさん!?どうすんだこれ!?」
「ウォン!」
「うん!行くよパピー!!」
「あっ!?てめぇ!!」
隙を突き、パピーの背に跨ったレイナ。
瞬く間に男の間合いから離脱し、体勢を整える。
「おい!いいのかよ、おやっさん!?」
「アイツを手懐けたのも……いや、アイツの信頼を勝ち取ったのもレイナの力ってわけだ。そいつらは二人で一人前なんだよ」
「そんな決闘ありなのかよ……まぁ、犬っころが一匹増えたところで大して恐くねぇけどな!」
「パピー……アイツをやっつけるよ!!」
「ウォン!!」
レイナを乗せたまま目まぐるしく男の周囲を旋回するパピー。
その動きはもはや目で追うことすら難しいものだった。
「くっそ……ちょろちょろと!!」
大剣を大きく振り回して自分の間合いを死守しようとするが、少しずつ目の慣れてきた彼は、パピーの背にいたはずのレイナがいつの間にか居なくなっていることに気が付く。
「あ、あれ?」
「当たれぇ!!」
「上か!?」
死角になっていた頭上から斧を振り下ろすレイナだが、ギリギリのところで勘付かれ、再び間合いを取られる。
だが……
「ガルルルル……!」
「な!?パピー!?てめぇ!!」
後ろに跳んだ男の裾を咥え込み、動きを封じたパピー。
着地したレイナは、踏ん張る脚でそのまま地を蹴り、男の懐へと飛び込んだ。
「ありがとう、パピー!いっくよぉおおおお!!」
「ちょ、待て!!俺の負けだ!!おい――」
「カッキーーーーーーーーンッ!!!!」
レイナが斧腹をぶつける様にして男をひっぱたくと、彼はそのまま港を飛び越え、海へと落ちていった。
「はんっ……大したもんだ。レイナ、パピー。オマエ達の勝ちだ」
「やったぁあああ!!私達の勝ちだよ、パピー!!」
「ウォオオオオオン!!」
こうして正式に海賊団に入団することが認められたレイナ。
当然、これからのパピーの居場所もレイナの隣である。
「レイナ!飯はまだかぁ~!?」
「今日の上りは上々っと……そろそろ肉も仕入れとかないといけないか……」
「お~い!レイナ~!!」
「わかってるよ!ちょっと待ってってば!!」
レイナにとって、海賊団での日々は想っていたのとは少し違ったモノだった。
男衆しかいなかった海賊団の中で、母直伝の料理や、父譲りの金勘定のスキルを発揮していった彼女は、すぐに一団にとって必要不可欠な存在となっていき、幼くも船の生活を支える母親役のような不思議な立ち位置へと収まっていった。
レイナの成長はそれだけに留まらず、船上での戦闘でも、リーチ差を埋める巨大斧とパピーとの素早い連携により次々と戦果をあげていく。
こうして船長を含め、船員達の信頼を瞬く間に厚くしていった結果、船長が船を降りることを決めた時には、次代の船長の座を任されることになった。
本来ならば、最も若く、最も新入りであるレイナが船長を務めることに、船員からの不満の一つでも出そうなものではあるが、そんな声を上げようとは誰も思わなかった。 この話を聞くだけでも、どれほど彼女が努力を重ねてきたかが少しは理解できるだろうというものだ。
「そろそろ目的の海域?」
「おぅ、レイナ。見てみろよ?ここらにはまだ手付かずの船が山ほど沈んでるんだぜ!?」
「宝の山だぁ~!って……そろそろ船長って呼んでよね!!」
船内に残されているお宝目当てに、沈んだ船をサルベージしようとバルバームから少し離れた海域にまで足を伸ばしていた一行。
海賊団結成以来、こうした行為は初めてではなかったが、いつもとは違う海域での仕事はどうしても緊張が伴う。 船内はいつもよりもほんの少しだけピリピリしているように感じられた。 この空気を敏感に察していたレイナも周囲の警戒を怠ることはせず、パピーもまた同じくである。
「んん……?あんなところに島なんてあったっけ??」
波で少し船が流されでもしたのか、いつの間にか遠くに島が見えていた。
この距離でも視認できるサイズとなると、島の中でも相当巨大な部類に入るだろう。 とはいえ、特別興味を惹かれるものでもなかったため、レイナは再び作業に戻る。
「……あれ?え!?何で!?!?」
先ほどの違和感がとてつもない異常であることに気が付き驚愕する。
作業に集中していたとはいえ、遠くに小さく見えていた島が明らかに大きく、否、距離が詰まっていた。 こんな短時間でそこまで流されるような波は出ていない。 つまりは動いているのは船ではなく、島の方であるという事実が見えてくる。
「皆ぁ!大変!!島が近づいてきてる!!」
「あぁ?何だって??」
「島だよ!!あの島がこっちに近づいてきてる!!」
「島だぁ?……おぉ!?ハハハ!こりゃ縁起が良い!」
船員達に緊急事態を直ちに知らせたレイナだが、事態を把握しても慌てているのはレイナ一人だけ。
中にはレイナよりも早く島の存在に気づいていながら、笑みを浮かべて様子を見守る者さえいるようだ。
「な……なんで?」
「そういえば、レイナはアレを見るの初めてだったか?あれはアスピドケロンだ」
「アス……アスピ……?」
海獣都市『アスピドケロン』
巨大な亀の様な生物の背に人々が暮らす、移動する海上都市。
「航海中にアスピドケロンを見ると、その船は幸運に恵まれるってな。昔から言われてる迷信だ。今日の仕事は期待できるんじゃねぇか!?ハハッ!」
「あれって生き物なの!?」
ひとまず危険はない事を悟って胸を撫で下ろしつつも、レイナの興味は尽きない。
まだまだ幼い彼女の知らない広き世界。 そこにはまるでお伽話の様な話がいくらでも存在しているのだ。
アスピドケロンの登場に、活気立つ船上。
話を聞いた船員達も続々と甲板に集まってきていた。 だが、その顔はみるみるうちに青ざめていくこととなる。
「なぁ……ちょっと早すぎやしないか?前に見た時はもっとゆっくり進んでいたような……」
「あぁ……しかも、こっちに真っ直ぐ突っ込んできてやがる……このままじゃ……」
「「…………逃げろぉおおおおおおおお!!」」
急いで錨を引き上げ、帆を張って船を走らせる一同。
アスピドケロンはもう船の目と鼻の先まで迫っており、我を忘れたように怒り狂った顔が恐怖を煽り立てる。
「取り舵いっぱぁああああい!!」
アスピドケロンとの衝突コースから逃れようと、船首がゆっくりと左を向く。
躱しきれるか微妙なタイミング。
「おい!あそこ見ろ!アスピドケロンの顔の横!」
船の運命が間も無く決まるという最中、船員の一人がアスピドケロンを指差す。
波飛沫と船の揺れでしっかりと確認することはできなかったが、人間大の光る玉のようなものが宙に浮いているのが辛うじて見て取れた。
「バカ野郎ぉ!こんな時に何言ってんだ!!」
「す、すまん!!」
「……あれ……何だろ?」
我に返った船員達が再び忙しなく手を動かし始めるが、レイナだけは光の玉から視線を逸らさなかった。
「やべぇぞ、レイナ!避けられねぇ!!」
「そのまま直進!!」
「はぁ!?テンパってんじゃねぇぞ!?」
「あの子を助けないと!!」
「あの子って……誰のこと言ってんだ!?」
「あの光の玉!女の子が捕まってる!!」
「何だとぉ!?」
彼女の野生譲りの視力だけが捉えていた。
玉の中にぼんやりと浮かぶ、光る人影。 涙しながらに祈りを捧げる少女の姿を。
「前進!!早く!!!!」
「ぐ……ちっくしょう!どうなっても知らねぇぞ!?」
押し寄せる高波の中、前進を続ける船。
激しい揺れと、甲板にまで登ってくる海水の勢いで船員が次々と海面へと投げ出される。
「レイナぁ!こ、これ以上は無理――うわぁああああ!」
「コラぁ!船長って呼べぇ!!って、誰も残ってないの!?」
ただ一人、マストにしがみ付いて足を踏ん張り続けるレイナ。
その時、光の玉がアスピドケロンの眼前にふわりと躍り出る。
「なになに!?」
アスピドケロンが大きな口を開けた途端、光の玉は水泡のように弾け、中から女の子が放り出されるのが確認できた。
「ダメぇええええ!!」
「ウォン!!」
「パピー!?」
もう間に合わない。
諦めかけたその時、パピーが船の錨を引きずりながらレイナの傍に寄ってきた。
「おぉ!!それだ!!!!」
パピーから錨を受け取り、肩に担いだまま船首へと駆け出すレイナ。
船から投げ出された船員達は、荒れ狂う海面からなんとか顔を出し、その様子を見守る。
「いっけぇええええええええ!!」
レイナの手から勢いよく放たれた錨は、放物線を描きながら少女の元へと駆ける。
「早く捕まってぇええ!」
少女はその声に反応した。
反射的に伸ばされた手が錨の鉤を確かに掴んだ。
「やった!!」
「「おぉおおおおおおおおおお!!」」
物凄い速さで船の元へと引き返す錨。
それを離すまいと必死にしがみ付く少女は、辛くもアスピドケロンの口元から逃れることに成功し、そのまま船腹付近の海へと落ちた。
「わわわわっ!?落ちちゃった!!」
「ウォン!!」
「おぉ!ありがと、パピー!!」
慌てるレイナの足元に駆け寄ったパピーの口には大きな網が咥えられていた。
その網で少女を急ぎ海から掬い上げ、容体を確認する。
「ぷはぁっ…ハァ…ハァ…」
「生きてるー!?生きてたら寝てないで手伝ってー!せっかく助けたんだから!」
――――――
―――― ――
「――という訳でね?見事、ルルーテを救い出した我ら海賊団!!そして、そして、こここそ我らがアジトのバルバームだぁ!!」
「わぁ!!ここがお姉ちゃんたちの村なんだね?」
半日程の航海。
アスピドケロンとルルーテとの邂逅を経て帰り着いたバルバームの村。 帰りの航海中、延々と続くレイナの話を聞き続けたルルーテだったが、その表情は明るい。 目の前で激しく繰り返される喜怒哀楽を心から楽しみ、様々な希望を胸に抱くこととなったその船旅は、ルルーテにとってとても充実したものとなったことだろう。 ルルーテの様子に、レイナも自分のこと以上に喜んでみせた。
「じゃあ、あとはよろしくね!!報告は後で聞くから!!」
「おぃ、レイナ!雑用押し付けて先に帰る気か!?」
「船長でしょ!!私はルルーテに村を案内してあげないといけないの!!」
「へぃへぃ……後で俺達にも話聞かせろよな!?」
「わかってるよー!じゃあ、いこっか?ルルーテ!パピー!」
「うん!レイナお姉ちゃん!」
「ウォン!!」
その仲睦まじい光景に、船員達の顔もついほころぶ。
船長という肩書を背負いながらも、やはりレイナもまだ少女。 初めて同年代の友を得たことがたまらなく嬉しいことは聞かずとも理解できた。
「そういえばルルーテのこと、全然聞いてなかった……ねぇ!?今度はルルーテの話を聞かせてくれる?」
「え~……あんまり面白い話はできないよ?」
「いいのいいの!教えて!ルルーテのこと、もっともっと!」
「じゃあ、どこから話そうかなぁ……」
この時点ではまだルルーテが自分より年上であったことを知らずにいたレイナ。
それを知ったところで、レイナが先輩風を吹かせてルルーテを妹分にすることに変わりはないわけだが、狼を連れた怪力少女船長と強大な魔力を操る右腕ルルーテ。 この義姉妹の名がバルバームを飛び出し、海を越えて大陸中に轟くことになるのは、そう遠くない未来のことである。 |
+ | 愛叫ぶ轟音の歌姫ジョセフィーヌ |
遠くアルモニアで、たった一人アタシの帰りを待つ愛する妹キャサリン。
何よりも大切な唯一の肉親。 アタシはあなたのために今、ここで刃を振るうわ。
「さぁ、出てきなさい!アタシの妹に手を出そうだなんて命知らずは、どこのどいつかしら!?」
事はほんの数日前、楽都『アルモニア』にて起こる。
遠征でアルモニアを訪れたシャムール義勇兵団。 その中の一人が、あろうことか道ですれ違ったアタシの妹に一目惚れして、声をかけた。 幼い頃からアタシが男なんて寄せ付けさせなかったから、あの子に男に免疫なんてあるわけがない。 だからこそあの子はコロッと騙されてしまい、その気になってしまった。 それは確かにアタシの不覚。 仕事であの子の傍にいられなかったことも、世間の恐ろしさを教えることを怠ってしまった。 でも、だからといって許せるはずがないじゃない!
「き、貴様!何者だ!!」
「ここがシャムール義勇兵団の屯所と知っての所業だろうな!?」
「アタシが何者かって……?見たらわかるでしょうが!!」
そう。
アタシこそ、大陸に名を馳せるアルモニア騎士団一番隊長ジョセフィーヌ! ただし、今日のアタシは愛する妹をたぶらかし、傷つけようとする不届き者を成敗するため、遠くアルモニアから遣わされた愛の守護者!
「……カマか?」
「いや、変態だ……!」
「はぁああああ!?何ですってぇ!?!?」
許さない。
あの子だけでなく、アタシの乙女心まで踏みにじるなんて……よくも……よくも!
「あんたらも同罪よ……いいかしら?あんた達は乙女に手をあげたのよ?心無い言葉でガラス細工のように繊細で美しい心を殴りつけたの……」
「な、何なんだこいつは……!?」
「覚悟なさいっ!アタシの……シャウトッ!!」
「ひっ――!?」
安心なさい。
死にはしないわ。 ただし、その心に刻み付ける! 乙女を傷つけた代償として、痛みと共に最大の恐怖を!
「はぁああああっ!!」
――ドゴォオオオオオオオオン!
「――っ!?」
「これ以上の狼藉は見逃すわけにはいきません……ガラス細工の美しさを語るにしては、横暴が過ぎるというものでしょう」
振り切られたアタシの拳を素手で受け止めたのは、見慣れない隊服に身を包んだ大鷲のガルムの男。
よくよく見ると、男とアタシの拳の間には、風の魔素で生成された障壁が存在した。 とはいえ、直接のダメージが防げたところで、アタシの拳の衝撃はちんけな障壁一つで全て吸収しきれるものじゃない。 それを受け切るだけの鍛え方はしてるってわけね。
「あんた……誰よ?」
「無論、義勇兵団の関係者です。名高きシャムール特産のガラスを扱う職人でもあります」
「職人のくせして、少しはやるみたいだけど……それくらいでいい気になってんじゃないでしょうね?」
「まさか。アルモニア音楽騎士団、一番隊隊長ともあろう方の全力が、この程度だとは思ってはいません」
「あら……流石ね。職人なだけはあるわ。見る目あるじゃない。それとも単にアタシのファンかしら?」
「見紛うはずもない。深紅の隊服に、雄叫びを上げて敵を薙ぎ倒す豪斧。『轟音の赤鬼』ジョセフィーヌ殿。直接お目にかかるのは初めてだが、その武勇は遠く聞き及んでいます」
「その呼ばれ方はあまり好きじゃないのよね。いかにもゴツくてむさ苦しそうな名前じゃない?で、そういうあんたはどなた様なのかしら?」
「これは失礼。名乗りが遅れました。私はシャムール義勇兵団の遊撃隊隊長を任されております、アギラという者です。なにやら屯所で暴れている者がいると部下に聞き、参上しました」
シャムール義勇兵団?
そういえばさっきからそんなこと言ってたわね。 えっと……なんだったかしら。 確か『自分たちの芸術を守るため』とか言ってこの辺の有志が集まってできた非正規兵団だったわね。 今ではそれが転じて『正義のために』だとかなんとか。
「でも、まぁ……つまりはあんたもアタシを止めに来たお邪魔虫ってことでいいのよね?」
「止めに来た、というのとは少し違います。正直なところ、私一人で貴殿を完全に抑え込むとことは難しいでしょう。ですが、それはあくまで実力行使ならば、という話です」
「と、言うと?」
いちいち面倒な言い回しをする男ね……
いい加減イライラしてきたわ。 ストレスはお肌の大敵だって言うし、さっさとぶっ飛ばしちゃおうかしら。
「聞けば、貴殿は妹に言い寄った我が兵団の者を探しているとのことですが、その妹君はキャサリンという名では?」
「…………不思議ね。アタシはここで妹の名前を口にした覚えはないのだけど」
「アルモニアでキャサリン殿に声をかけたのはこの私だったというだけのことです。つまり、貴殿の目的はこの私ということになる。ならば、私さえいれば無関係な仲間たちに刃を向ける理由もなくなると思うのですが……いかがでしょう?」
「へぇ……あんたがね…………」
見返りも求めないで剣を持ったその志は結構なことだけど、そんな連中がナンパに精を出してるようじゃ笑い話にもならないわ。
安心なさい、キャサリン。 あなたを毒牙にかけた悪しき男は、アタシが成敗してあげる。 所詮、男なんて女の前では飢えた狼でしかないの。 それが世界でアタシの次にプリティなあなたの前となれば、例え忠節を重んじる騎士であろうと、万人に崇められる聖人君主であろうと、一瞬で本性を剥き出しにする。
「いいわ……ちょっと表に出なさいな。直接話が付けられるならアタシも大歓迎よ」
「心遣い、痛み入る。というわけだ。全員屯所から出ることは許さん。この方は私の客人だ。いいな?」
「で、でも……アギラさんとはいえ、轟音の赤鬼を一人で相手にするのは――」
「客人だと言っている!いいな!?」
「わ、わかりました……!」
とことんくっさい男ね。
剣を捧げた場所は違っても、正義のために戦う者としての流儀は共通ってわけ? いいわ。 すぐにその化けの皮を引っぺがしてあげる。
「――んなもん知ったこっちゃねぇんだよぉおおおお!!」
「ぐ……はぁああ!?」
「アギラさん!?!?」
ベラベラと薄っぺらな言葉ばかり垂れ流す、そのいけ好かない顎を完璧に捉えたわ。
「アタシの素性を知って、どうせ大したことはできないと踏んだんだろうが、お生憎様だったなぁ!!」
「貴様っ!!アギラさんの誠意を無下にするつもりかっ!?」
「黙ってろ、三下ぁ!知ったこっちゃねぇんだよ!アタシにとっては愛する妹こそが第一!何よりの正義!騎士の誇りも礼節も、遥か彼方に置き去りにしてここに来てんだ!いい加減に悟れやぁ!!」
「っち……皆で取り囲め!!所詮は多勢に無勢だ!!」
「やめろ!!」
「ア、アギラさん……!」
「手出し無用!これは私とジョセフィーヌ殿との問題だ!」
軽~く五メートルは吹き飛ばされておいて、それでも立ち上がろうってわけ?
そりゃ、仲間の前で簡単にやられるわけにはいかないものね。 まぁ、これで少しはやる気になったのならいいわ。 一方的に攻めるのは嫌いじゃないけど、すまし顔のまま逝かれるのは大嫌いなのよね……!
「仲間の手前、カッコつけてるとこ悪いけど、膝が笑ってるわよ?いいから全力でかかってきなさい。あの世まで返り討ちにしてあげるから」
「殺すつもりなら今の一撃でそうしていたはず……そうしなかったということは、何か狙いがあってのことでは……?」
「減らず口も大概にしなさいよ?あんたなんて斧を振るうまでもないと思っただけのことよ。それを今から証明してあげるわ」
なんてことを言ってはみたけど、この男が言ったことは的を得ている。
アタシの目的は『殺し』じゃない。 あくまで、妹に仇なす者を成敗すること。
「ふんっ!!」
もし仮に、心からキャサリンと愛し合う男が現れたとして、その男とあの子の未来に待ち受ける結果が、あの子が傷つくようなものだとしたら、そんな一時の幸せなんて得ない方がマシ。
「どりゃぁああ!」
ましてや、アタシの拳で簡単に音を上げるような軟弱な男に、あの子と真に幸せな人生を築くことなんてできるはずがない。
これまでだってそうだった。
「うぉらぁああああああああ!!」
薄っぺらな愛を語って、妹に近づこうとする男は皆そう。
何があっても幸せにしてみせる? 一生あの子を守り抜く? あの子に誓ったはずのそんな台詞を、アタシを前にして言い続けられた男なんていやしなかった。
「ふんぬぅうううううううううううう!!」
だというのに、どうしてこの男は立ち上がってこられる。
これだけアタシの拳を受け続けても、瞳の奥で燃える炎はこれっぽっちも衰えちゃいない。
「ど……どうしました……もう満足しま……したか……?」
明らかに違う。
これまであの子に近づこうとした有象無象とは。
「…………いいわ。話くらいは聞いてあげようじゃない。あんた、遠征でこっちに来た時にアタシの妹をナンパしたんですってね。大切なお仕事をほっぽりだしてまで女に現を抜かすなんて、あるまじき行為なんじゃない?義勇兵団とやらは見せかけだけの正義マンごっこだったってわけかしら?」
「そう……ですね…………自分でも、何故あのような行動を取ったのか……今でも理解できません…………しかし、これだけは確かです。私はキャサリン殿を一目で愛し、幸せにしたいと心から願ってしまった!」
「な……!?」
「相手がキャサリン殿の兄君であろうとも、ここは譲るわけにはいかない!まだ気が済まないと言うのであれば、何度でも拳を振るうと良い!だが、これだけは覚えておいていただきたい!我が剣はすでにキャサリン殿に捧げた!例えその斧でこの首が刎ねられることになろうとも、一度捧げた剣を曲げるような真似は絶対にしてなるものか!!」
「…………」
アタシとしてことが、言葉を失ってしまった。
このアギラという男なら、もしかすると――
「――っ!?危ないっ!!」
その声でハッと我に返り、身を翻すと、猛スピードで一台の馬車が突っ込んできた。
でも、馬車に突っ込まれた程度で逝ける身体なら、アルモニア音楽騎士団の隊長なんて張ってないのよねぇ。
「ふんっ!!!!もう……危ないじゃない!!」
アタシは馬車から飛び降りてくる人物を目にして、驚きを隠すことができなかったわ。
馬車を受け止めたアタシに目を丸くしている御者なんて、比較にならない程にね。
「ジョセフィーヌ兄さんっ!!」
「キャ、キャサリン!?どうしてあなたがここに!?」
「騎士団の方々から聞きましたの!兄さんがアギラ様を追いかけてシャムールへ向かったと!」
「だからって、あなた護衛も付けずに――」
「アギラ様!?」
話の途中だというのに、あの男の姿を見た途端に駆け出すキャサリン。
あなたという子は、もうそんなにも彼のことが……
「ご無事ですか!?あぁ……こんなにも血を流して……私の兄が本当に申し訳ありませんっ!」
「キャ、キャサリン殿……よいのです。兄君は、あなたを想うがために、私の元を一人訪れ、真価を試そうとしただけに過ぎないのですから」
「だからといって……早く治療を……!」
「心配は無用です。あなたの顔を見た途端、痛みなど忘れてしまいました。あなたの姿、声こそが、私にとっての何よりの癒し。どうか笑ってください。愛する妹のために全てを投げ捨て突き進む兄君と、こんな不器用な形でしかあなたへの想いを証明できない私のことを」
「……ふふ。あなた様がそう望むのであれば、キャサリンはいくらでも笑いますわ」
「おぉ……身体の内から力が湧いてくるのを感じます。やはり、あなたは私にとっての女神だったのですね。キャサリン殿……」
「アギラ様……」
「黙れ○○○野郎が!その○○臭い手をすぐキャサリンから離せぇええええ!」
なによこれ。
なんなのよこれ。 前回アルモニアで顔を合わせて、今日がまだ二回目。 それなのに、もうお互いの全てを信じ、完全に通じ合っています的な空気。 許すまじ。 あぁ、許すまじ。
キャサリン。
すぐにでもこの男の正体を暴いて、あなたの目を覚まさせてあげる!
「まだ認めては頂けないようですね……いいでしょう!ならば私も拳をもって、貴殿にキャサリンとの愛を理解してもらうのみ!」
「よく言ったぁああああ!!二度と立てないように捻り潰してやるわぁああああああああ!!」
――二日後
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ…………」
「はぁ……はぁ…………ま……まだ……だ……!」
「二人共!!もうやめてくださいませ!!」
キャサリンを賭けたアギラとの男同士――じゃなかった!
女と男と戦いは、二昼夜に及んで続いた。 互いに一歩も引かず、拳の交換を続けてはいたけど、それは最初のうちだけ。 やっぱりアタシの拳に敵う男なんて、そう易々と見つかるわけがなかった。 でも……それでも……
「な……何で……これだけやられても立ってこられるのよ!?あんたは!!」
「……全ては…………キャサリン殿に捧げた……我が愛のため…………例えこの身が引きちぎれようとも…………彼女が見守ってくれている限り……この心が折れることはない!」
「あんた……」
「アギラ様……!」
こんな男に出会えるなんてね。
最愛の妹ながら、良い眼をしてるわ。 認めましょう。 この男なら本当にキャサリンを幸せにしてくれるかもしれない。 アギラに寄り添うキャサリン。 その絵は、まさに『お似合い』で、こんなにもアタシの心を震わせるんだもの。
「いいわ……その根性とキャサリンの気持ちに免じて、交際を認めてあげる」
「おぉ……感謝しますぞ!ジョセフィーヌ殿!いや、ジョセフィーヌ兄さんとお呼びしたい!!」
「そこまで許した覚えはないわよっ!!それに、もし!キャサリンを傷つけるような真似を一度でもしてみなさい!?その時は、アタシが絶対にあんたを許さないから!いいわね!?アギラ!!」
「あぁ……承知した!!」
「それよりも兄さん!今回の件、騎士団へはどのように報告するおつもりですか!?シャムール義勇兵団の方々にここまで無礼を働いてしまった以上、タダでは済まされませんわよ!!」
「そ、それは…………」
「構いません。仲間たちには私が口止めしておきます。あくまで、私とジョセフィーヌ殿の間に置ける個人的な問題であったと。ですので、ジョセフィーヌ殿はアルモニア音楽騎士団の方々に同じように報告してもらえれば、それで事は収まるかと」
「アギラ様……何から何まで申し訳ありません。もう二度とこのようなことがないよう、兄には私が責任を持って言いつけておきますので、どうかお許しを……」
「あなたは私が愛する家族も同然の方。となれば、その兄君であるジョセフィーヌ殿も私の家族。平和を守ること以上に、家族を守ることに理由が必要でしょうか?」
「ありがとうございます……!」
「ごらぁああああ!そこっ!二人の世界に入ってんじゃねぇぞ!?調子に乗りやがって、このガキャーー!!」
「もうっ!少しは兄さんもわきまえてください!ほら、兄さんも頭を下げて!!」
「あ……ヤダっ!ちょっとキャサリン……無理やりだなんて……」
てっきりキャラ作りかと思ってたけど、この男本物だわ。
くそ真面目なのに天然とかいう一番めんどくさいタイプ。 しっかり監視しておかないと何をしでかすかわかったもんじゃないわね。
「はははっ!では、これからよろしく頼む。ジョセフィーヌ殿。共にキャサリン殿を守り抜こうではないか!」
「いきなりタメ口だなんて、馴れ馴れしいわね。ほんっと、手の速い男だこと……まぁ、いいわ。堅苦しいのはアタシもゴメンだし。あ、あと『殿』も付けなくていいわ。どうせ何かつけるなら可愛らしく『ちゃん』とかにしてくれるかしら?」
「感謝する。ジョセフィーヌ殿。では、共に守っていこう!キャサリンちゃんを!」
「そっちじゃないわよ!!」
「な、なぜ怒る!?『ちゃん』とは若い女性に用いられる敬称で、キャサリン殿をそう呼ぶように指示されたものと解釈したのだが、違ったのか!?まさかジョセフィーヌ殿を『ちゃん』付けで呼べというわけではあるまい!?」
「あーーーーー!!やっぱ嫌い!!アタシこいつ嫌いよ!!!!」
「兄さん!!いい加減にしてくださいっ!!」
その後、アタシはキャサリンに連れられてアルモニアへと帰還。
到着直後に騎士団からの呼び出しを受け、今回の一件についての釈明を求められた。 少し意外だったのは、アタシへのお咎めが全くといっていいほどなかったこと。 団長から注意こそ受けたものの、当のシャムール義勇兵団からは抗議どころか『今後もより良い関係を』なんて書簡が届いたもんだから、部下たちへの体面もあってか、重い処分を科することは難しかったのでしょうね。 キャサリンは喜んでいたけれど、それがアギラの口添えあってのものだと考えると、少し複雑な気持ちにはなる。 とはいえ、これがきっかけとなり、彼らとの間に軋轢が生まれようものなら、キャサリンは大手を振ってアギラと顔を合わせることすらできなくなるわけで、それはあの子がひどく悲しむ。 だから、今回の事に関してはアギラに感謝しなくてはいけない。 仮にもアタシが認めた男だしね。
そうして本件は一件落着。
アタシとアギラは、共に妹を愛す、良き友人となったわけ。
ちょっと悔しいわね……
シャムールでの一件から一年。
アタシがアルモニア音楽騎士団団長に就任することが決まった。 前団長がいい歳になってきたもんで、後継者を指名するとか言い始めたのが始まりで、後継者を決める会議で満場一致の支持を受けたのがアタシ。 めんどくさそうな書類仕事に追われるのはお肌にも悪そうだから断ろうかと思ってたのだけど、このことをキャサリンに話すと大喜び。 最前線で戦っていたアタシをずっと心配してくれていたのね。 だからこそ、アタシは前線から一歩身を引く決心をした。 それで少しでもあの子が安心してくれるなら、書類の山の処理くらい安い手間ってもんよね。
「ジョセフィーヌ。団長就任おめでとう!君が団長ならば皆も安心することだろう!」
「兄さん。おめでとうございます。これで少しは気を休めることもできそうですわ」
式典衣装に着替え、会場へと向かう途中、廊下でアタシを待っていたのはアギラとキャサリンの二人だった。
来賓として招いたのだけど、二人揃って気が早いこと。
「ん~!ありがとう、キャサリン!もうあなたに心配かけないようにアタシ頑張るわね!アギラ!!式典中、アタシの監視がないのを良いことにキャサリンとイチャついたりしたらタダじゃおかないから……ね?」
「もうっ!兄さんってば!!」
「ははは!わかってるさ!むしろ変な虫が付かないよう心して警護しなくてはね」
「いやですわ、アギラさん。兄さんの前で……」
「そこっ!!!!イチャつくなって言ってんのよ!!!!」
「おっと、もう式が始まってしまう!急がなくては!」
「ちょっと!?わかってるの!?ねぇ!?ホントにわかってるんでしょうね!?」
「ほら!兄さん、急いで!!」
その後、式典はつつがなく執り行われた。
「アルモニア音楽騎士団一番隊隊長ジョセフィーヌ。今を以て、貴公の一番隊隊長の任を解き、新たに騎士団長の任を命ずる」
「はっ!謹んでお受けいたします!」
アルモニア音楽騎士団の新団長の誕生を受け、式典に出席してくれた面々が盛大な拍手をアタシに浴びせてくれた。
「姉御!いや、団長!!昇進おめでとうございます!!」
「あんなことまでやらかしておいて、団長にまで昇り詰めちまうだなんて、流石っすね!!」
「お姉さま!これからも騎士団をよろしくね~!!」
「団長になっても私たちのジョセフィーヌ様でいてね~!」
主に騒がしいのは団員たちで、その様子に騎士団外からの出席者が圧倒されているのがわかる。
「ちょっとあんたたち~?まだ就任式は終わってないんだから、少しは礼節ってものをわきまえなさい!!」
形式ばった重苦しい空気は一変、あっけらかんとした暖かい空気に包まれる会場。
これには前団長もやれやれといった様子。 うちの騎士団にはこっちのが合ってるものね。
そんな雰囲気をそのままに、式典後のパーティーへと移る会場。
「すごい人気だったな……『ジョセフィーヌ』の名は私たちの故郷でも聞き及ぶところではあるが、ここまでとは思わなかった」
「兄さんは私の事となるとああですけど、仲間想いで、人望が厚いと聞いていますわ。それだけに無茶をすることも多くて、私もハラハラすることが多々ありましたの」
「は~い!そんな妹想いで、仲間想いのジョセフィーヌさんの登場よ~!残念だけど、二人っきりの時間はこ・こ・ま・で!今夜はアタシが主役なの!」
「おぉ、ジョセフィーヌ!丁度君の話をしていたところだ」
「兄さん……お酒臭い……それに、そのお連れの方たちは……」
「ん~??」
ほんの数本ワインを空けてから、急いで二人のところにきたつもりだったのだけど、背中にしがみついたまま離れない部下達に気付かないまま引きずってきてしまってたみたいで。
「何よあんたたち!アタシはこれから愛する妹と兄妹水入らずの時間を過ごすのよ!!あっちへお行きっ!!
「ひっどいっすよ、姉御~!これから任務でご一緒する機会も減っちまうんですよ~?」
「そうっすよ!俺たちと思い出話でもしながら盛り上がりましょうよ~!!」
「嫌よ!!なんであんたらみたいなむさ苦しい男共に囲まれて酒飲まなきゃいけないのよ!一緒に飲みたけりゃ王子様系のイケメンでも引っ張ってきなさい!!なんならアタシの拳で今すぐ美しい顔に整形してあげようかしら!?」
「姉御のいけず~!飲みましょうよ~!!」
「んもうっ!剣を振ることばっかりでパーティー慣れしてない子はこれだから!!あ、ほら!あそこにダンスの相手を探してる子猫ちゃんたちがいるわよ!アタシほどじゃないけど、そこそこイケてるわね!」
「なにぃ!?おい、行くぞ!!」
「おぅよ!!」
しがみ付いて離さなかった部下たちを何とか振り払うアタシを楽しそうに笑いながら、アギラがこんなことを口にする。
「はははは!私たちのことは気にしなくて大丈夫だ。せっかくの機会だ。君も部下たちと親睦を深めてきたまえ!キャサリンのことも私が責任を持って警護する」
「気にするっての!だいたいあんたはいっつもいっつもそうやって余裕ぶっちゃってもぅー!なに!?アタシを挑発してるわけ!?」
「なんのことだ?」
「きーーーーっ!!」
これもいい機会だと思った。
キャサリンとアギラが交際を始めてそろそろ一年。 あの時の誓いを忘れていないか試してやるわ!
「いいわ……もう一度はっきりさせようじゃない。あんたがキャサリンに捧げた剣とやらで、この子を本当に守り抜けるか……!」
「なるほど……一年越しの再試験というわけか。その勝負、男として背を向けるわけにはいかんな!」
「アギラさん!?兄さんも、ちょっと落ち着いてください!」
「ふんっ!なによ!!ちょっと仲良くなって『アギラさん』なんて呼ばれるようになったからって、腑抜けて剣が鈍ってたりでもしたら即アウトよ?アウト~!」
「無論。むしろ、この一年。愛する者を守るため、以前にも増して鍛錬には力を注いできたつもりだ!今では君を相手取ることも叶うものと信じている!」
「は……よく言った……この爽やかチキンが!素揚げにして食ってやるわぁああああ!!」
「はぁああああああああ!!」
「むっ!?」
流れるように放たれる強烈な蹴り。
そして、このキレ。 アタシが飲んでいることを抜きにしても、速い。
「しかし、甘~~~~い!!」
「ぐはぁ!?」
「魔素も纏わせてないただの蹴り一発でアタシを満足させられるとでも思ってるのかしら!?そうやって場所や周りの目を気にしてる余裕が、いつかキャサリンに傷をつけることになるのよ!このおバカ~!!」
「ふ……たしかに、酒に飲まれるような男ではないか。ならば遠慮も無用という訳だ。どうだろう、ジョセフィーヌ?一つ賭けをしないか?」
「おもしろいじゃない。アタシが勝ったらあんたとキャサリンは即破局!絶縁よ!永遠にド田舎の果てで泣いてなさい!」
「いいだろう!ならば私が勝ったなら、キャサリンがシャムールで私と共に暮らすことを許してもらう!!」
「…………は?」
それっていわゆる同棲ってやつ?
結婚前のカップルが夫婦になった時の生活を想定して一緒に暮らすラブラブイベントってやつ?
「認めるわきゃねぇだろぉ、ボケぇ!!だいたいそれじゃアタシがキャサリンと過ごす時間が減っちまうだろぅがぁああああ!!」
「キャサリンとの別れを賭けるのだ。否が応でも認めてもらう!」
普通にやり合えば実力的にまだアタシの方が上のはず。
だけど、空気に煽られたアギラのこのやる気…… 酒もまだ抜けきっていないし、もしも負けでもすれば……
「この決闘を見守る全ての者たちが証人だ!私が勝てばキャサリンとの暮らしを許してもらう!あなたが勝てば、私は手を引くことを誓おう!異論はないな!?ジョセフィーヌ!!」
「ぐ……!」
ちょっとした試験のつもりが、決闘同然の様相を呈してきたもんで、会場内の皆が騒ぎに気付いて集まってきちゃったじゃない。
もしものことを考えて、この場を煙に巻いてしまうのは簡単。 でも、新団長が就任初日にそんな醜態さらしたりすれば、騎士団そのものに不信感を抱かせることにもなる……
「涼しい顔してえげつないこと考えるじゃない……アギラ。アタシが一度は認めた男だけのことはあるわね……」
「と、いうことは?」
「いいだろう……その決闘!!受けて立ぁああああつ!!」
あの子の兄として、親代わりとして、あの子の幸せだけを願って生きてきた。
漢として、絶対に負けられない闘いがここにある! それでもアタシを倒してのけたなら、もう何も言うまい! あんたに全てをくれてやる!!
「いくぞ!アギラぁああああ!!!!」
「こい!ジョセフィーヌぅうううう!!!!」
「待ってください!!」
「――っ!?」
その時、突然アタシとアギラの間に割り込んできたキャサリンによって拳が止まる。
「危ないじゃないの、キャサリン!」
「ジョセフィーヌ兄さん!私をいつまでも子ども扱いしないでください!!」
「キャサリン、どいていてくれ。これは私とジョセフィーヌの誇りを賭けた男同士の決闘だ。何人も止めることは許されない!」
「いいえ!これは私とアギラさんの問題ですっ!アギラさん変な空気にあてられ過ぎです!」
「キャサリン……?」
「兄さんが私のことを想い、これまでずっと守ってきてくれたことはよく知っています。でも、もういいんです!いつまでも私が兄さんにおんぶにだっこされていては、兄さんが報われません!」
「……いいのよ、そんなこと。アタシはそうしたいからそうしているだけ。あなたの幸せがアタシにとっての幸せでもあるの」
「いいえ!今回は私だって引きません!もし、それが兄さんの幸せだとするなら、そんな幸せは間違ってます!私はアギラさんの幸せを願うと共に、自身もまた幸せになろうと決めました!そう思える人に初めて出会えたんです!だから、兄さんにもそう思える人を見つけて欲しい。そうして初めて兄さんは自分の人生を歩むことができるんです!」
キャサリンが私に正面切って対立している。
初めての経験。 なんだかんだ言っても、いつでもアタシを信じ、後ろをついて歩いてきたキャサリン。
いいえ。
思えば、アギラと出会ってからこの子は変わった。 アタシという鳥篭から抜け出し、自分自身で幸せを見つけるために飛び立とうとしている。 なら、アタシにはもう……
「今まで守ってくれてありがとうございました……兄さんのおかげで、今の私がここにいます。だから、もう十分なんです。今度は、私が兄さんの幸せを願う番です……」
「……アギラ……今一度誓いなさい。この子を泣かせるような真似をしたらブッ殺す!絶対に、守り抜くと誓いなさい!!」
「おうとも!私は彼女を永遠に守り抜くことを我が魂に誓う!!」
「任せたわよ……」
「兄さん……わかってくれたんですね」
「ごめんなさいね……もしかしたら、アタシのしてきたことは酷くおせっかいだったのかもしれないわ。守っているつもりが、いつまでもあなたを縛り付けていただけだった……」
「ううん……いいのよ、兄さん……だって、こうして私たちの結婚まで認めてくれたんですもの……!」
そうね。
これでキャサリンもアギラと結ばれて―― ん?
「ちょっと待ちなさい、キャサリン。今、あなた『結婚』って言わなかったかしら?」
「はい、そのように。だって、アギラさんは『永遠に守り抜く』とおっしゃってくれましたので……」
「安心してくれ、ジョセフィーヌ。誓いは違えない。我が剣は必ずやキャサリンの幸せを守り抜く!」
「てめぇ!!そこまで許した覚えはねぇぞぉおお!?」
「ぐほぉ!?」
「あぁ!?アギラさん!!兄さん、一体どうしたというの!?」
後日、間も無くキャサリンはアギラとめでたく式を挙げた。
当初は式をぶち壊してやるつもりで式場に乗り込んだアタシだったけれど、それも結局起きることはなかった。 花嫁衣裳に身に包み、心からの幸せを感じ、涙するあの子を見てしまったら、そんな気なんて失せてしまったわ。 アギラもそれに胸を張って応えていた。 きっと大丈夫ね。 あの二人なら、誰もが羨むような幸せを築いてくれる。 アタシも頑張らなくちゃね。 あの子もアタシの幸せを願ってくれてるわけだし。 どこかにいい男いないかしら。
「――って!何なのよこれ!?違ーーーーう!!こんなのアタシが予定していた幸せ発見ライフと違ーーーーう!!!!」
流れゆく日々。
団長となったアタシの日常は、早くも十五年が経過したが、自分の幸せを見つけるための道に影を落としたのは、毎日山のように机に積まれる書類たちだった。 最初の内だけだと思っていたこの憎たらしい山は、年を追うごとに巨大化し、今やアタシのデスクを埋め尽くそうとしている。
「団長……手が止まってますよ?」
「あぁん……エリオットちゃん!今や、あなただけがアタシの心のオアシス……いっそのこと、このまま二人で愛を育む永遠の遠征にでも出かけちゃう?」
「これが全部片付いたらそれも考えます」
「だって!どんだけ処理しても後から後から後からポンポンポンポン上乗せされていくじゃないの!!全部燃やしちゃっても手が追いつかないわよ~…………え!?今考えるって言ったわよね!?」
「ちなみに、団長の目の前の山の一番下に、妹さんからの手紙を挟んでおきました。書類を燃やしちゃったら、その手紙も燃えちゃうことになりますが、いいんですか?」
「手紙……キャサリンからの……はっ!?今日は太陽の日!?」
「その山を全て処理したら読んで頂いて構いません。ボクも手伝いますから、頑張りましょう」
「おっしゃぁああああ!やったろうじゃねぇかぁああああ!!」
毎月太陽の日に届けられる、愛する妹キャサリンからの手紙。
それはあの子がアギラと共にアルモニアを離れて十五年経った今も続いている。 子供が生まれ、日々すくすくと成長していること。 アギラが休暇の日には、家族みんなで近くの湖にピクニックに行くこと。 そんな幸せな日々が綴られた手紙は、唯一アタシが妹の幸せを知る手段となっていた。 でも、手紙の最後にはいつも同じ言葉が記されている。
――兄さんは自分の幸せを見つけることができましたか?
ごめんなさい、キャサリン。
あなたが願ってくれたアタシの幸せ。 それを見つけることはまだできていないの。 だって、騎士団の子たちときたら、アタシが付いてないと危なっかしすぎて、とてもじゃないけど自分のことなんて考えていられないんだもの。
でもね、最近こう思えてきたの。
忙しくて大変な毎日だけど、そんな日々の中で皆と笑い合える一瞬に感じる小さな幸せ。 そんな小さな幸せが積み重なったところに、アタシの幸せはあるのかもしれないって。
「――っしゃああああ!辿り着いたわよ、キャサリーーーーン!」
「お疲れ様でした。毎日これくらいの量を処理してくれれば、終わりも見えるというものなんですけどね……」
「また生意気言っちゃって。これは愛による力なの。そして、アタシはだれかれ構わず愛を振り撒くはしたない女とは違うの……」
「僕にはよくわかりませんね……」
「あら……じゃあアタシが愛を教えてあげましょうか?」
「たった今、相手を選ぶという話をしていませんでしたか……?心から遠慮します」
「あらぁ!あなたはその辺の有象無象とは違うもの~!ダメよ~?自分を小さく見積もったりしたら。身体とかいろいろ大きくならないんだからね!」
この子はエリオット。
五年程前、アルモニアの路上で拾った孤児。 いろいろと事情のある子なんだけど、放っておくこともできなくて今もここに置いている。 もしかしたら、話に聞くキャサリンとアギラの子共と歳が近かったこともあったのかもしれないわね。 でも、それは決して、この子の本質を見抜いたうえでの行いではなかった。
「でも、お陰様で助かってるわ。一人じゃとてもじゃないけど処理しきれる量じゃないもの」
「いえ。僕にとっても勉強になりますから」
「ホント、いい子を拾っちゃったわ……あんたなら隊長になっても皆が文句を言うことはないでしょ。いいえ!アタシが言わせないわ!エリオットちゃんを悪く言ってるのはドコの誰!?顔面を凹ませてあげる!!」
「それも団長が組織体制の見直しに尽力してくれたからです。本来なら、僕のような子供が……しかも新参者が隊長になろうと思ったら何十年も努力しないといけないはずなのに……」
「そういう見栄やしきたりを重んじるやり方は嫌いなのよ。アルモニア音楽騎士団は違うわ。なんてったって、他でもないアタシが団長なんですもの」
アタシ自身が驚いている。
今やこの目の前の少年の実力は騎士団内でも指折り。 ずぶの素人だった子が、わずか数年でここまでの才能を発揮するなんてね。 それについては、もはや団内の全員が知るところで、明日はこの子が二番隊隊長に就任するための式が執り行われる。 十二歳の少年を隊長にすると言った時のお偉方の顔ときたら…… 説得には苦労したけど、頑張った甲斐あったってもんよね。
「アルモニア音楽騎士団団長補佐エリオット。今を以て、貴公の団長補佐の任を解き、新たに二番隊隊長の任を命ずる」
「はいっ!謹んでお受けいたします!」
翌日、予定通り行われた就任式の場で、エリオットは堂々たる姿で新たな任を拝命した。
「「おぉおおおおおおおおおおお!!」」
歴代隊長の最年少記録を大きく更新した彼の隊長就任に、団員たちは大いに沸いた。
これもアタシにとっては小さな幸せの一つ。 幸せを掴み取ってみせたと、キャサリンに胸を張って言うことはまだ難しいけれど、それでも少しずつ近づいている。 キャサリンの願いが実を結ぶまで、アタシは頑張るわ。
「おめでとう。エリオット……」
そんなある日、シャムールから応援要請が届いた。
近頃、シャムールの街周辺で、正体不明の魔物の目撃例が多発していて、シャムールが総力を挙げて調査に当たってはみたものの、件の魔物を捕獲することは叶わず、原因を突き止めることができずにいるらしい。 長期間に渡り街の不安を放置するわけにもいかず、原因の究明と解決にあたり、アルモニア音楽騎士団に協力を依頼してきたってわけ。
一つ気になったのは、何故か応援部隊の指揮として、アタシが指名されていること。
でも、少し考えたら全てわかった。 シャムールでこんな事件が起きたことを知れば、遅かれ早かれアタシはキャサリンの身を案じて飛び出していく。 それこそいつかの殴り込みの時のように。 とはいえ、今やアタシは騎士団の顔である団長。 そんな真似をすれば、今度は直属部隊だけでなく、騎士団全体が動揺することでしょう。 そこで、あえてシャムール側から指名することでアタシに大儀名分を与え、動きやすくする。 アタシの性格をよく知っていて、シャムールの意向に介在できる力を持つ者。 まぁ、アギラしかいないわよね。 キャサリンからの手紙では、アギラ自身はもう前線を退いて、若い人材の育成に尽力してるって話だったけど、元義勇兵団の遊撃隊隊長ともなれば、シャムールのお偉方に口添えするくらいのことは今でもできるんでしょう。
「一番隊を召集してちょうだい!要請を受け、これよりシャムール周辺の魔物の調査、討伐任務の現地へ向かうわよ!」
乗せられた感があることは否めないけど、感謝するわ、アギラ。
もしかしたらキャサリンや甥の顔を見る時間もできるかもしれないしね。
でも、そんな妄想はあくまでも妄想に過ぎなかったということなのかしら。
「話と違うじゃない……どこにいるのよ、その魔物とやらは!?」
「我々にもさっぱりわからんのだ……アルモニア音楽騎士団に応援を打診した頃は、確かに魔物が周辺をうろついていた。それは調査団の報告でも確認できている」
シャムールに到着し、現地の騎士団連中に案内させながら調査に乗り出したアルモニア音楽騎士団。
でも、どれだけ探索しても、その魔物とやらの姿を発見することはできなかった。
「その魔物ってのはどんなヤツなの?」
「正直なところ謎だらけだ。姿形は様々だが、今まで見たこともないような奇妙な形をしている個体ばかり。捕獲して詳しく調査しようにも、人が近づこうとすると、すーっと煙のように姿をくらましてしまう始末だ」
「魔物が人間相手にかくれんぼってわけ?シャムール周辺のヤツらは随分と気が利くものね。おかげで退屈せずに済んでるわ」
「今のところはケガ人も物的被害も出ていない。ただ、存在していることだけは間違いないという状況だ」
「ホントにもう……気持ち悪いわね」
「まったくもってその通りだ。我々としても早急に解決したいところなのだが、なかなか成果をあげることができずにいる……」
案内役の顔を見ると、完全に参ってしまっていることがよくわかる。
ちゃっちゃと任務を済ませて、余った滞在時間でキャサリンたちとの時間を過ごそうと思っていたけど、任務を途中で放棄してそんなことするわけにはいかないし、残念だけどまたの機会になりそうね……
「アタシたちがアルモニアに帰るまで、まだ三日あるわ。その間に何としてもヤツらを見つけ出すわよ!」
「協力、感謝する!」
シャムールの人々とアルモニア音楽騎士団は連携し、徹底的に街の周辺を捜索したが、丸三日が経過しても、標的どころか、その痕跡を発見することさえできなかった。
謎は深まるばかり。 アタシたちがやってきたことで、戦力的に不利になったと見て、どこかに身を隠しているのかもしれない。 だとしても、ここまで完全に自分たちの痕跡を断つことが、魔物の知能で可能なのかしら。
「あ~あ……結局、空振りだったわね……こんな気分でアルモニアに帰ることになるとは思ってなかったわ……最悪ね、もう……こんなにブルーになったのはいつ以来かしら?」
「これだけ探してもダメだったんです。何か進展があるのを待つしかないでしょう……」
「シャムールからも、引き続いて情報提供はしてくれると申し出があったわけですしね」
シャムール滞在最終日。
この日の調査も終了し、いよいよアルモニアへの帰路に就くまで残すところ数刻。 肩を落としながら部下たちと話すアタシの目の前では、帰投準備に駆け周る団員達の姿。
「そういえば、団長。シャムールには妹さんがいらっしゃったのでは?もう長いこと会ってないんじゃ……」
「まぁね……でも、任務も失敗しちゃったし、アタシだけウキウキしながらあの子のとこに遊びに行くわけにもいかないでしょ……」
これは自分に課した誓約。
騎士団内で最も権力を持つ団長という肩書があれば、多少仕事を部下に任せてプライベートな時間を作ることは簡単。 でも、アタシはその肩書を振りかざしたりはしない。 騎士団に所属する者たちは皆がアタシにとっての家族。 家族が一人でも頑張っている内は、アタシも役目を放って遊び呆けたりするわけにはいかない。 どのみち、甥の顔なんて見ちゃったら、戻って仕事なんてできなくなっちゃうでしょうしね。
「行ってきてくださいよ!もうあんまり時間もないですけど、こんな機会早々あるもんじゃないですよ?」
「……気持ちは嬉しいわ。でも、アタシも帰る準備とか、シャムールの面々に挨拶とかいろいろあるし――」
「大丈夫っすよ!団長、ずっと休み無しに騎士団のために働いてたじゃないですか!これくらいの特別休暇があっても誰も文句言いませんよ!それに、団長らしく振舞おうだなんて、姉御らしくないですよ?」
「姉御、ね……懐かしい呼び方しちゃって……でも、いくらアタシでも団長の立場ってもんが――」
「姉御も丸くなりましたね~?らしくないっすよ?俺たちは姉御が団長になるって聞いた時、すごく嬉しかったんすよ!団長になったからって、団長らしくなってほしかったわけじゃないんす!」
「挨拶や荷造りは自分たちがやっておきます!だから行ってきてください!!」
「あんたたち……」
「ほら!どんどん時間がなくなっちゃいますよ!!」
「もぅ……馬鹿ねぇ……団長をそそのかす団員なんて、あるまじきだわ!罰として、アルモニアに帰ったら酒樽の中で溺れさせてあげるから、覚えてらっしゃい!!」
「「いぇーーーーい!!」」
部下の計らいで得られたほんのひと時の余暇の時間。
十五年ぶりにキャサリンとアギラに、そして初めて甥に会える。 馬を走らせるアタシの視界が揺ら揺らとぼやけていく。 もう歳かしらね……涙もろくなっちゃっていけないわ。
「確か……こっちの方って聞いたけど…………」
シャムール義勇兵団の屯所で聞いたアギラの家の住所。
とはいえ、不慣れな土地で目的地まで真っ直ぐ向かうということはなかなか難しい話。 焦らないように、でも、急ぎつつ目的地を目指す。
「この道を真っ直ぐ進んで、突き当たりの家ね……!」
今行くわよ、あんたたち。
まずは思い切り抱きしめて、それから――
――ズドォオオオオオオン!!
『ヒヒィイイイイイン!!』
「――っなに!?」
途端、地鳴りのように響き渡った爆音により、馬が足を止めた。
続いて同じ爆音が街のあちこちから響き渡り、ただ事ではない事態であることを告げる。
この時、アタシは二つの選択肢を迫られた。
一つ、キャサリンたちのところまで急行し、安否を確認する。 一つ、騎士団のところまで戻り、事態の把握と対応に努める。
ジョセフィーヌ個人としては前者。
アルモニア音楽騎士団団長としては後者。
迷いは延々と絡み合い、アタシの足を地に縛り付ける。
「敵兵発見!!」
「――っ!?」
直後、行く手に現れたのは、漆黒の鎧を纏った兵士たち。
それを見て、アタシは無意識の内に馬の腹を蹴っていた。 奴らが現れたのが、キャサリンの家がある方角だったことが理由だったのだろうと思う。
「おぉおおおおおおおお!!」
「な、何だこいつ……急に――ぐぁああああ!!」
間違いない。
こいつらがこの騒ぎの首謀者。 その正体は、帝国軍。 理由はともかくとして、シャムールを襲撃してきたのだ。
「キャサリィイイイイン!!」
立ちはだかる雑兵を蹴散らし、前へ前へと馬を走らせる。
『ゴァアアアアアアアア!!』
「何よ……あれ……!!」
目的の家に近づくにつれ、その家が既に半壊していること。
そして、そこにいる巨大な魔物が、何かに向けて威嚇している様子が見えてくる。
「母さんっ!!」
魔物の足元。
ちょうど家の影になって見えはしなかったが、そこから響き渡った幼い声を聞いた途端、アタシの脳裏でブチッと何かが切れる音がした。
「うぉらぁああああああああ!!」
比べようのない体格差。
黒く、硬い鱗に覆われた皮膚に刃は通るのか。 そんなこと考えるまでもなく、アタシは魔物の脳天目がけて斧を叩きつける。
『――ッグ……オォオオオオ……!!』
「キャサリン!?アギラ!?」
着地と同時に家内を見回すと、そこに見覚えのある顔が。
「ジョ、ジョセフィーヌ!?よく来てくれた、友よ!!」
「アギラ!!」
ちょうど魔物と相対する形で、血だらけになりつつ弓を構えていたアギラの姿。
その背後に、背中から血を流して床に伏すキャサリンと、泣きながら彼女にすがりつく小さな子供。
「何なのよ、コイツは!?」
「わからん……!突然現れて、暴れ出した。その時、崩れた屋根からミルヴァを庇ってキャサリンが……!!」
「ミルヴァ……?」
それは手紙で伝え聞いていたキャサリンとアギラの子の名前。
すると、他でもない、キャサリンにすがるこの子供こそがミルヴァ。 実際に見るのは初めてだけど、綺麗な桃色の髪は紛れもなくキャサリンから受け継いだもの。
「とにかく、さっさと片付けるわよ!コイツだけじゃない!帝国軍も街に攻めてきてる!!」
「帝国軍が!?くっ……なんて間の悪い……!!」
『グルルルル……!!』
よくよく見て、目の前の魔物がこれまで見てきた魔物のどれとも異質なものであることがよく分かった。
竜種のようだけど、体を覆う鱗と鉱石のような皮膚。 こんな個体、見たことない。 まさか、これがシャムール騎士団が探していた例の謎の魔物ってわけ?
「やれるわね?アギラ!」
「無論だ……!キャサリンを決して傷つけないと君の前で誓っておきながら、この様……罰なら後でいくらでも背負おうというもの!今はこいつを倒すのみ!!」
『ゴォアアアアアアアア!!』
振り下ろされる巨大な爪を皮一枚のところで避け、前へと足を踏み出す。
威力はとてつもないけど、そんなどんくさい動きじゃアタシは捕まえられないわよ!
「ふんっ!!」
地を蹴り、勢いに乗った体勢のまま放たれる一撃がこめかみを捉え、僅かに竜の重心が傾いた。
「はあっ!!」
すかさず同じ場所をアギラの矢の雨が襲い、竜はそれを庇おうと翼を盾にする。
でも、それじゃ視界が遮られて、アタシの姿が見えないでしょ?
「おらぁああああああああああああ!!」
『グギャァアアアア!』
余裕をもってあらん限りの力を溜め、渾身の一撃を見舞う。
かつて、どんなに巨大で強大な魔物であろうと仕留めてきた必殺の一撃。
「どうかしら?たまんないでしょ!」
「――っまだだ!ジョセフィーヌ!!」
『グルゥアアアア!』
迂闊だった。
技を放ったがための脱力感と、経験がもたらした油断がアタシの反応を一瞬遅らせた。
「ぐっ……!?」
「ジョセフィーヌ!?」
大木のような尾が鞭のようにしなって頭上から襲い掛かり、強烈な衝撃によりアタシの身体は床板を突き抜けて沈む。
「い、痛いわね……やってくれる……じゃない……!力任せは嫌われるわよ……?」
「無事か!?」
「えぇ……なんとか。なんて硬いのかしら……」
手早く片付けてしまおうと意気込んだはいいが、予想をはるかに上回る強靭さに、アギラの顔に焦りが見え始める。
アタシも同様だった。 必殺のつもりの一撃でさえ、僅かばかりのダメージを与えることが精一杯。 これでは逆にアタシたちの体力が持たない。 しかも……
「母さん?母さん!?」
さっきからキャサリンがぐったりしたまま動かない。
出血の程からみても、かなり深手であることは間違いみたいね。
「このままじゃ……!」
「…………ジョセフィーヌ。頼みがある」
「なによ、こんな時に?」
「キャサリンとミルヴァを連れて、ここから逃げてくれ……!」
「あんた……なに言ってるの?」
意図していることは理解できる。
戦うにしても、背に二人を庇ったまま倒せるような敵ではない。 キャサリンの治療も急がないといけない状況。 それはわかる。
でも、傷ついたアギラが一人で戦って勝てるはずはないし、どんな理由があろうとも一人残していくような真似――
「頼む……友よ。私には二人を抱えて逃げるだけの力は残っていない。だが、君ならなんとかできるだろう……?」
「だったら二人で逃げるのよ!アタシが二人を抱えるから――」
「追ってくるコイツをどうするつもりだ……?」
「それは……あんたが弓で牽制してくれれば……」
「はは……さっきも見ただろう。弓だけで抑え込めるならこんなことにはなってないさ。それに、帝国軍の奴らもうろついているはずだ」
「でも…………」
「大丈夫だ。私一人でもなんとか時間くらいは稼げる。君たちがこの場を去ったら、隙を見て私も脱出する……!」
「…………くっ!!」
アギラはそう言うが、それが容易でないことは明らか。
でも、全てを選ぶことはできない。
「アギラ……忘れてないでしょうね?あんたはキャサリンを『一生守る』と誓ったのよ!?こんなところで死んだりしたら、アタシがもう一回ぶっ殺すからね!!」
「あぁ……!すぐに追いつく!二人を頼んだぞ!!」
アタシはもう振り向かなかった。
キャサリンを背負い、ミルヴァを脇に抱え、駆ける足に力を込める。 信じるしかない。 アギラの誇りと信念を。
「父さん……!!」
「ミルヴァ……母さんを頼んだぞ!」
それからの道中のことはよく覚えていない。
噛み切った唇から滴る血に気付いた時、アタシはシャムール義勇兵団の屯所にいた。
腰かけた椅子に立て掛けられた斧の刃には夥しい血が付着していて、ここに辿り着くまでに相当数の帝国兵を斬ったことはうっすらと記憶にある。
それと、思い出せることがもう一つ。
屯所に駆け込み、急いで治療を施したキャサリンが、すでに息絶えてしまっていたこと。
アタシの頭は真っ白になった。
十年以上も顔を合わせることができずにいて、ようやく会えると思ったところに待っていたこの結末。 自身の幸せを掴み取り、兄のアタシの幸せまでも願ってくれた優しいあの子はもういない。
「……う……ひっぐ…………!」
ミルヴァはアタシの膝に顔をうずめながらずっと泣いている。
この子もまた、アタシと同様、アギラにキャサリンを託された。 でも、命を賭けて託された想いを、アタシたちは酌んでやることはできなかった。
「シャムール義勇兵団の屯所はここか?コイツを頼む……」
その時、屯所に訪れた男を見て、アタシの意識は覚醒した。
正確には、その男が大事に両手で抱いていたそれを見て。
「アギラ!?!?」
「え……?父さん!?父…………さん?」
男が抱いていたのは、アギラの亡骸だった。
「ミルヴァ……お前は無事だったんだな……!」
「グ、グラフィードさん!?」
ミルヴァがグラフィードと呼んだ男は、自身が先程見てきた光景を語った。
帝国軍と魔物の両方に襲撃されたシャムールの街がすでに酷い有様であること。
家で寝ていたところ、街が騒ぎになっていることに気が付き、表に出たところでアギラの家が燃えている現場に遭遇。 駆け付けはしたが、そこには巨大な魔物の死骸と、アギラの亡骸だけが残されていたこと。
あの魔物は炎を吐いたりはしなかった。
ということは、家が燃えたのは彼が自分自身の手で火を点けたということ。 幸せな思い出の詰まった家を自分で焼き払う。 それも、全ては愛する家族に生きて欲しいがため。
「俺がもっと早く駆け付けていれば結果も違ったかもしれねぇ……すまん…………すまん、ミルヴァ……!!」
「父さん……うぅ…………あぁ………………!!」
アタシは立ち上がり、ミルヴァに深々と頭を下げるグラフィードの元へと歩み寄る。
その時のアタシの心の内は、悲しみよりも、別の感情に支配されていた。
「あんた……傭兵のグラフィードね?名前くらいは聞いたことがあるわ」
「そういうあんたは……?」
「アルモニア音楽騎士団団長ジョセフィーヌよ」
「アルモニアの……?そういえば、遠征でこっちに来てたんだったか。不運だったな。出先でこんな事態に巻き込まれちまって」
「そんなことどうでもいいのよ……アタシが聞きたいのは、あんたがこれだけの騒ぎになるまで、どこで何してたかってことよ!」
力いっぱい襟元を締め上げられながらも、グラフィードは少しも抵抗しようとはしない。
やっぱり後ろめたいことがあるってわけ?
「俺は…………っ!」
「あんたがさっさと剣を振っていれば、もっと多くの人を助けられたんじゃないの!?キャサリンも!!アギラも!!!!皆が必死に戦って、守ろうとしている間、てめぇ――」
「やめてくださいっ!!」
間に割って入ってきたのは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたミルヴァだった。
「グラフィードさんは悪くありません……!ボクが……えっぐ……ボクがもっと強ければ……ひっぐ……」
「ミルヴァ…………」
この子が抱いている感情は自分のことのようによくわかる。
アタシだってそう。 キャサリンとアギラを守れなかった自分の弱さが憎い。
でも、この子はアタシとは違った。
アタシはそれをグラフィードに押し付け、現実から逃げようとしてしまったのに対し、この子は自分の弱さを認める強さをこの歳にして持っている。
「……ごめんなさい……悪気はなかったの…………」
「いや……こんな時だ。仕方ねぇさ。俺も同じようなことを考えることがあるよ…………」
「ミルヴァ……あなたにもよ。ごめんなさい…………!」
「おじさん……?」
それしか言葉にすることができなかった。
言い訳も、反省も、慰めさえも。
もっと注意深く魔物を調査していれば、何らかの兆候を得ることができていたかもしれない。
変な意地を張らず、キャサリンたちの家にすぐに向かっていれば守れたかもしれない。 たらればなんてくだらない。 終わってしまった時は還らない。
そう思っていたはずなのに、夥しい数の小さな後悔が重なり合い、大きな波となってアタシの心を揺さぶった。
その後、私は部下に引きずられるようにしてシャムールを脱出した。
最後まで抵抗を続ける姿勢を崩さなかったシャムール義勇兵団を街に残して。 アタシもアギラの故郷を取り返さんと斧を握ったが、アルモニア音楽騎士団団長という立場は、その行為を許してはくれなかった。 ここで団長を失うようなことになれば、シャムール騎士団ばかりか、アルモニア音楽騎士団までもが崩壊してしまう。 そのことを案じた、現地の団員が、アタシの前に立ちはだかったのだ。
グラフィードは、ミルヴァをアタシに預け、シャムールの戦火の中へと消えていった。
生きているのか、死んでしまったのかもわからない。 だけど、別れ間際の彼の顔は、自分の道を見つけた。 そんな顔をしていたような気がする。
後に、数日が経って、シャムールを完全に占領した旨の告知が、帝国軍より発表された。
それはシャムール義勇兵団の壊滅と、キャサリンとアギラが幸せを築いた街が失われたことを意味していた。
「……おじさん。ボク、強くなりたいです」
「そうね……アタシももっと強くならないといけないわ……」
妹夫婦を含む、シャムールで失われた多くの命の葬儀は、所縁の深かったアルモニアの地で行われた。
アルモニア音楽騎士団の全員が通りに並び、盛大な追悼曲を街中に響き渡らせる中、参列者たちの列の一端で、ミルヴァはアタシの手を強く握りしめる。
「アンタはこれからどうするの?」
「言った通りです。強くなります。ボクの力で、誰かを守ってあげられるように」
「アンタは十分に強いわ。自分の弱さを認め、それでも前を向いて歩き出そうとしているんだもの。それは簡単にできることじゃないわ。その強さを教えてくれた父さんと母さんに感謝なさい」
いくつもの死と戦場を乗り越えてきたアタシでさえできないことを、こんなにも小さな少年がやってのけるなんてね。
「はい……でも、結局母さんを守ることはできませんでした……」
「それは、その心の力を現実にするだけの経験がアンタになかっただけよ」
「だったら教えてください!心の力を現実にする術を、ボクに!」
本当に強い子。
あれだけの経験をしておきながら、真っ直ぐとアタシを見る瞳の奥には、熱い信念に裏打ちされた炎が灯っているのがわかる。 そういえば、アギラもこんな目をしていたわね。
「いいわ。アタシが本気であんたに叩き込む。その心が報われるだけの漢にしてあげるわ」
「そうすれば、ボクもおじさんのようになれますか?」
「それはこれからのあんた次第。努力なさい。そして、父さんみたいないい男になるのよ?」
「はい!」
「それと、アタシはおじさんじゃない。心は乙女よ。お姉さんと呼びなさい?」
「はい!!」
この子といつか、シャムールを必ず奪還して、あの子たちに見せつけてあげなきゃね。
あんたたちが育てた雛鳥が、堂々と翼を広げ、希望の空を羽ばたく姿を…… |
+ | 漆黒纏う幽船の長ジェーン |
「おい!待てって!ジェーン!」
男達は1隻の船に向けて声を荒げる。
広げられた帆に書かれた大きなドクロのマークが広大な海原に視線を向ける。
「アタシを止めようったって無駄さ!絶対に見つけてやるさ!よっし!出航だぁああ!!」
ジェーンが舵を切ると、船は荒波へと乗り出した。
目指すは悪魔の海域の中にあるデビルズガーデン。
「戻ってこいジェーン!!誰も帰ってきやしねぇんだ!お前だって死んじまうぞ!」
男達は揺れる船を心配そうに見つめながらまだ何か叫んでいる。
誰も帰って来ない悪魔の海域。 コンパスも効かず、見通しの悪い霧の中を進まなければ、その島にはたどり着けない。 本当にその海域の中にあるかどうかも分からない島を目指すという事は、命を投げ捨てるも同義だ。
「ヒッヒッヒ……。んなことは分かってるよ。だからこそ、アタシは帰ってくるさ!!」
誰に話しかける訳でもなく、ジェーンは海を見ながら楽しそうに笑う。
彼女をこの島に惹きつけるのは、怖いもの見たさ、興味本位、誰も出来なかった事を成し遂げてやろうという野心……。
色々な理由はあるものの、やはり根底にあるのは島を目指したきり帰ってこない両親の存在。 バルバームの島にジェーンを置いていったきり、彼らが戻ることはなかった。
首から下げた懐中時計を手に取ると、まだあの2人の声が聞こえてくる気がする。
――
――――
――――――
「なんでだよ!アタシも連れていけよ!家族だろ!?」
父は海図を広げた机を眺めながら、駄々をこねるジェーンを一蹴する。
「何度言えば分かるんだ?家族だと思っているからこそ、今回の旅には連れていけないと言っているだろ」
「くそ親父が!そんなに危険な所だったら行かなきゃいいだろ!」
ジェーンは机の足を殴り付け、怒りを露わにする。
「おい!やめろ!」
「うるせぇな!お前らがやめればいいだろうが!」
机の上に置かれていたコンパスや羽ペンが床に転がり、部屋の中は険悪なムードに包まれる。
ジェーンも喧嘩などしたくはないが、ここまで来たら引くに引けない。 父親はジェーンに乗せられて更にヒートアップしていた。
「ガキがグダグダとうるせぇんだよ!俺が決めた事に口出すんじゃねぇ!」
部屋のあちこちで物が宙を舞う。
壁にランプや本が当たる音を聞きつけて、母が部屋に飛び込んできた。
「二人共いい加減にしなさい!まったくあなたはどうしていつまでも子どもなのかしら!ジェーン!そんな男は放っておいてこっちにきなさい!」
母には頭が上がらない父は、舌打ちをしてから大きな音を立てて椅子に腰掛ける。
ジェーンは部屋を出る間際、最後の反抗だとばかりに落ちていたインク瓶を投げつけてから力いっぱいドアを閉める。
「反省しろバカ親父!」
「ジェーン、あなたも少しは大人になりなさい」
母は少し怒った様子でジェーンを見下ろした。
「だってよ!次の航海はすげぇ冒険なんだろ!?なんでアタシは留守番なんだよ!おかしいだろ!」
「私もジェーンの歳だったらそう言ってたわ。でもね、本当に帰ってこれないかもしれない危険な航海なのよ?」
「それは分かってるよ!だったら必ず帰ってくるなんて言わなければいいだろ!?変じゃんか!」
母は首から下げた懐中時計を外すとジェーンに見せる。
「あなた、これ欲しがってたわよね?」
ジェーンからすれば、欲しいなんてもんじゃない。
珍しいオウルホロウで作られた懐中時計。 バルバームの海賊の中に、持ってる人間なんて見たこともない。 あの父が結婚指輪の代わりにって母に渡したらしいが、本当にあのダメ親父がそんなガラにもない事をするのかと、疑わざるを得なかった。 母はこの時計を肌身離さず持ち歩き、大切に大切にしている。
「これを貴女に預けておくわ」
母は笑顔で、その懐中時計をジェーンの首に下げた。
「いいのかよ……?これあのアホ親父に貰ったんだろ?最初で最後のプレゼントだって言ってたじゃんか!!」
「勘違いしないで。預けておくだけよ?私達が戻ってきたら返して貰うから」
「な、なんだよそれ……」
ジェーンは懐中時計を見つめ、母にそれほどの覚悟がある事を理解した。
――――――
――――
――
「本当にバカな奴だ!後悔しても遅ぇんだからな!」
きっとあの2人が船を出した時もこんな言葉を掛けられたのだろう。
でなければ、海賊仲間から“夢見がちな夫婦の娘”なんて言われたりする訳がない。 両親はみんなからバカにされていた。
伝説のデビルズガーデン。
あの海域の中に本当にあると信じている人間は少ない。 噂は知ってはいるが、数あるおとぎ話の一つとして語られているだけだ。 魔の海域に隠された島デビルズガーデン、海の中に眠る街ポートレア、コルキドの氷海に眠る伝説の宝剣。 その一つでも証明する事が出来れば、この海に名を馳せる事が出来るのは間違いないだろう。 しかし、そんなものを大真面目に探していればバカにされるのは当たり前だった。
だが、ジェーンの両親はそのロマンを追いかけ続けた。
「夢見るのが海賊ってもんだろ!船も気持ちも全力前進だ!沈んで良いのは夕日だけってな!」
親父がいつも言っていた。
ジェーンはそんな親父を鬱陶しがっていたが、血は争えないらしい。 両親をバカにする海賊達の話を聞いていると腹が立った。 死人に口なし……何とでも言える。 戻ってこない親父達がバカにされるのは当たり前なのかもしれない。 それでも、だからこそ、自分がデビルズガーデンを見つけて戻ってくる。 そうすれば、きっと親父達をバカにしてた奴らを黙らせる事ができる。 何より、ロマンを追いかけたかった。
だから今日この日、単身悪魔の海域に向かって船を出す。
誰も成し遂げられなかった大義を果たす為に。
「てめぇら!見送りご苦労さん!ちょっくら悪魔に挨拶して戻ってくるわ!!」
バルバームの島はみるみるうちに小さくなり、やがて360度大海原に囲まれた。
待ってろよ親父、お袋。
今からアタシがお前らの汚名を返上してやる。
――数日後
船は順調に目的地へと近づいていた。
見えてきたのは、忽然と現れた霧の壁。 噂では聞いていたが、いざ目の前にするとこの世のものだとは思えない。
「ヒッヒッヒ……こいつは楽しそうじゃん!」
ジェーンは笑い、臆する事なく霧の中に真っ直ぐと船を向ける。
中に入ると、驚いた事に数メートル先も見ることができない濃霧で囲まれた。
「こんな中進まなきゃならないのか?やってやろうじゃん!」
風が出てきたのか、帆がバタバタと音を立てる。
霧の中で強い風が吹くというのは、なんとも奇怪だ。 ここでは海の常識など通用しない事をジェーンは思い知る。
波が荒立ち、ギシギシと船体が軋み始めた。
そして、追い打ちのように雨が降り、やがて嵐がやってくる。
「こんなんどうしろって言うんだよ!」
舵を切る事もままならなくなり、立っている事がやっとな甲板から船内へと避難するジェーン。
船室にいれば雨風はしのげるが、いくら船に慣れているとはいえこの尋常ではない揺れ方に三半規管がおかしくなる。
「やっべぇな……一旦嵐が収まるまで待つしかないか……」
壁を伝い、自室までやってくると天蓋付きのベッドに飛び込む。
ここ数日、ろくに寝ていないせいで意識は朦朧とし、やがて深い眠りに落ちた。
――
――――
「あれ?どこだここ?」
目を覚ますと深い霧の掛かった海に立っている。
海に足を付けているのにも拘らず、沈みもしない事に疑問を感じなかったのは、目の前の少女に視線を奪われたからだろうか。 黒いフードを被った少女は、ジェーンを真っ直ぐ見ながら口を開く。
「あなたは、ここに何をしにきたの?」
ジェーンは驚く事もなく、少女に笑顔を向ける。
「アタシはジェーン!海賊だ。ここらへんにあるっていうデビルズガーデンって島を探しにきた。お前は?」
少女は少しだけ動いたかと思うと、フードの影から瞳を向ける。
その瞳は、なんとも不思議な赤色をしていた。
「アタシは……守る者……」
「守る?守るって島をか?おい!ちょっと待てよ!」
ジェーンから少女が高速で離れていく。
特に歩いたり走ったりはしていない。 急速に遠くへ行く少女にジェーンは手を伸ばした。
「おい、待てって!!」
――――
――
「待てって言ってんだろ!!」
目を覚ますと、天蓋付きのベッドで上半身を起こしていた。
「あれ……?夢か……」
もう一度ベッドに倒れ込んだ。
額に手を当てて、落ち着きを取り戻そうとする。
「えっと、今日は何日だ……」
自分が何をしていたのか、ハッキリと思い出す事ができない。
夢の中の少女の声が耳にへばり付いて、意識を集中する事ができないような変な感覚。
ふと横を見ると、見慣れない小さなタオルが落ちている。
手にとって見ると、ひんやりと冷たい。 よく見れば、ベッドの横に椅子が置かれており、上には鉄のバケツに水が揺れている。
「誰かがこの船にいる……?」
警戒しながら辺りを見渡すと、ドアが半分開いている。
バケツも小さなタオルもこの船の物ではない。 ならば、外からこの船の中に誰かが入ってきている事は間違いない。 看病をしていたのならば敵対している訳ではなさそうだが、何にせよまずはどんな奴なのか確かめなければ……。
次の瞬間、半開きだったドアが物凄い勢いで開いた。
飛び込んできたのは、年端もいかない少女。 構えていた自分が馬鹿らしくなるほど、明るい笑顔を向ける。
「お前……誰だ?」
少女は銀髪を靡かせながら、元気に口を開く。
「気が付いたんだね!良かった!私はプリシィだよ!もう起きないのかと思って心配しちゃった!はい、果物と水があるから、とりあえず口に入れて!」
少女のテンションについて行けず、呆然とするジェーン。
一体何が起きていたのか……。 一つずつ確かめなければならない。
「あぁ…悪いな…。看病してくれてたのか?」
「そうだよ!色々お話を聞こうと思ってね!」
「そうか……船は……」
そう言えば、船は波に揺れている様子がない。
ならば、どこか陸につけているのだろう……。 そこまで考えて、記憶が戻ってくる。
「あっ!!」
飛び起きると、プリシィと名乗る少女の肩を掴む。
「ここはどこだ!?デビルズガーデンか!?」
「でびるずがーでん??」
「違うのか?どこかの街に漂流してきちゃったか?」
プリシィは何か考えるような様子を見せる。
「そうなの!?じゃあこの島はでびるずがーでんって名前なの?」
島……やはり辿りついたのだ……。
記憶はないが、魔の海域を抜けて、ついに……。
渡された果物を一気に頬張ると、水で流し込む。
「こうしちゃいられねぇ!!外に行くぞ!」
壁に掛けられた帽子を被り、船室から走り出す。
「ちょっと!まだ動いたらだめだよ!!」
「こうしちゃいられないって!ついに来たのか!?ヒッヒッヒ!」
廊下を走り抜けて外の光が漏れるドアを蹴り開ける。
眩しさに目を細めながら、辺りを見渡した。 そして、見たこともない島が目に飛び込んできた。
「うぉおおおお!!本当にデビルズガーデンか!!ついに来たんだなぁ!!」
両手を上げて歓喜の声をあげる。
船の先端まで走り、島をよく眺めて見ると美しい砂浜の奥に森が広がり、あちこちに遺跡のような建物が見える。
「もう!そんなに飛び起きて死んじゃっても知らないんだから!」
後ろから急いで追ってきたのか、息を切らしながらプリシィが口を挟んだ。
「あー悪い悪い。誰にも成せなかった事をやったんだなって思ったら感動しちまってなぁ~!アタシはジェーン。プリシィだっけ?よろしくな!」
「誰にも成せなかったって、どういう事?この島は特別なの?」
不思議そうな顔をする少女に、興奮しながら説明する。
「特別も何も!!一年中霧に覆われ悪魔の住むと言われる海域!!コンパスも効かず、視界も全くない中を進んだ先にあると言われている伝説の島!!それがデビルズガーデンさ!!何人もの海賊がこの伝説の地に眠ると言われている財宝を求めて旅をしたが、誰一人帰ってきた者はいない!そこにアタシは辿り着いたんだ!感動しなくってどうする!?」
「あれれ!?そうだね……えっ!?ちょっと待って!そんなに怖い島だったのここ!?」
プリシィは慌てている様子だ。
そう言えば、そんな島に何故少女がいるのだろうか。 あまりにその場に馴染みすぎて忘れていた事を思い出したジェーンは、プリシィに疑問をぶつけた。
「っていうか、なんでこの島に子どもがいるんだ?お前はどうやって来た?もしかして島の住民がいるのか?」
「私はパパとママと一緒に船に乗ってたんだけど、いつの間にかここに来ちゃったの」
いつの間にか来れるような場所でもないような気がするが、逆に来ようとして来れる所でもない。
妙に納得できる答えに、ジェーンは頷いた。
「なるほどねぇ~遭難者か。まぁ、そうでもなければこの海域に来る事すらないとは思うけど……他に人はいないのか?」
「うん……」
プリシィは寂しそうに答える。
そうか、両親と来たはずなのに、その両親がいないっていう事ははぐれたのか、もしくはこの島に来たのはこの少女だけという事になる。 なら、ここは明るく振舞って元気づけなきゃならない。 沈んで良いのは夕日だけだ。
「そうか、それなら良かった!アタシの仕事を手伝え!この島には詳しいんだろ?財宝の在り処を教えてくれよ!そしたら、一緒にこの島を出よう!どうだ?悪い話じゃないだろ?」
「財宝?どういう事?」
少なからず、こんな少女でもデビルズガーデンに来た者としては先輩な訳だ。
何か島について知っている事もあるだろう。 両親と離れ離れになっているならば、その寂しさは誰よりも知っている。 親代わりとまではいかないにしろ、プリシィの面倒を見る事を決めた。
こうして、ジェーンとプリシィの二人は、翌日から島の各地にある遺跡を探検する事になった。
いつの物かも分からない風化した遺跡は、魔物の巣窟となっているらしい。 こんな危険な島でよく一人生きてこれたなと、プリシィを見て感心する。 彼女の扱う水魔法は、その年頃の少女の力とは思えない程。 こんな島に来た少女なのだから、何かそれなりに選ばれた人間なのだろうと笑みをこぼす。 この島を出たら、プリシィを自分の船に乗せる。 ジェーンはいつからか、そんな事を考えるようになっていた。
――数日後
いくつの遺跡を回っただろうか。
特に目ぼしい物はまだ見つかっていないが、この探索は苦痛ではない。 こんな島に遺跡があるという事は、何かとっておきのお宝があるに違いない。 そう確信していたジェーンは、どこか常にワクワクした状態が続いていた。
「お宝あるかな~?もし見つけたら、一緒にこの島を出られるんだよ~?早く見つかると良いね!」
プリシィも相変わらず楽しそうに後ろを付いてくる。
長い間この島に暮らしているせいだろうか、明確にジェーンに話しかけている訳ではない独り言を口にする。 きっと色々なショックもあるのかもしれないと、特に何も言わずに放っている。
ただ、この時に限ってはそうも言っていられない。
「ちょっと静かにしろ……魔物の匂いがする」
遺跡の奥から今までにない程の禍々しい気配を感じる。
慎重に角を曲がると、大きな広間に巨大な四足獣の瞳が見えた。
「うわわわ~!?お宝の番人かな~?」
プリシィは小声で戯けた様子。
こんな敵を前にしても、泣き出したりパニックにならない辺り、やはり船に乗せても問題ないだろう。 むしろ、これほどの戦力ならば、そこら辺の海賊よりもよっぽど頼りになる。
「そうだといいな!よっしゃ!やっちまおうか!」
巨大なイカリを手に魔物に向かって襲いかかる。
プリシィは、ジェーンに合わせて魔法を詠唱した。
ジェーンの一撃が入ると四足獣は怯み、そこにプリシィの魔法が炸裂する。
浮き上がった所にジェーンがトドメの一撃を叩き込んだ。
「これで終わりだぁああああ!!!」
四足獣は倒れ、ピクリとも動かない。
「おっしゃ!今日も良いチームワークだったな!アタシと一緒に海賊やるか?ヒッヒッヒ!」
ジェーンは笑顔をプリシィに向ける。
「海賊~~?そんなのできるかな~~?」
「その魔法があれば大丈夫だろ!その歳でそれだけの魔術を扱えるなんて大したもんだ!」
認めている事はしっかり伝える。
父親を反面教師に、自分の有り方を考えていた。 バルバームに帰れば、誰もがジェーンの船に乗りたがる。 なにせ、あのデビルズガーデンからの生還者。 伝説の海賊船の船長となるからには、部下に信頼されなければならない。 そんな事を頭の隅で考えるようになっていた。
四足獣がいた広間を抜けて奥の祭壇までやってきたジェーンの目に飛び込んできたそれは、彼女が望んだ一品だった。
「おおおお!!これ見てみろ!!すっげぇぞ!!!」
「これな~に?大砲?」
船に装備する大砲がデビルズガーデンから拾ってきた物だとすれば、それ以上に象徴となるような物はないだろう。
財宝と呼ぶには少し違う気もするが、金目のものよりも何倍も価値がある。
「そうだ!船に乗せる用の飛び切り上物だな!」
「それじゃあ!財宝を見つけたって事なのかな!?」
「こんな形の砲筒見たことないし!これをアタシの船に乗せれば、そりゃあ驚かれるだろう!」
「やったやったぁあああーーー!!」
プリシィも自分の事のように喜んでいる。
いや、彼女もこの島から出る事が目的となっているならば、自分の事で正しいのだ。
砲筒をやっとの思いで運び出した2人は、さっそくジェーンの船に取り付ける。
船の主砲となったどこか神々しい砲筒を見て、プリシィも満足そうな顔をしていた。
「でもジェーン……この船で本当に大丈夫なの?」
プリシィが突然質問をぶつけてくる。
確かに、あの嵐をくぐり抜けてきた時に限界を迎えていたのだろう。 帆は破れ、あちこち傷つき、ボロボロになった船は、大凱旋を果たす船としては格好がつくか微妙な所だ。 それでも、一人でコツコツと資金を貯めて、ド派手な借金を作ってまで手に入れたこの船は、ジェーンにとって捨てられる筈のない船だった。
「あのな!この船はアタシの大事な船なんだ!絶対にこの船じゃなきゃだめなの!なんたってアタシの魂が入ってるからな!」
思えばここに来ると決めて、自分の船の名前を考えた日から随分長い時間が掛かった。
今でも信じられない事をしたという実感が徐々に湧いてくる。
「ヒッヒッヒ……!ジェーン・ドゥ号だ!これから乗る船の名前くらい覚えておけよな!それと、アタシの海賊船に乗るなら、今日からアタシの事は船長って呼ぶんだな!」
「せんちょう?」
「船で一番偉い人の事だよ!わかったか?」
「わかったよ!船長!!」
プリシィは楽しそうな笑顔を向けてくる。
こうして見ると、戦闘をしていない時の彼女は本当にただの女の子で、どこからあんな魔力が沸いてくるのか不思議に思う。
「ん~それでもプリシィみたいな子どもが乗ってると海賊船っぽくないか~?どうするかな~舐められたら嫌だし……」
プリシィを見ながら頭を悩ませる。
この海賊船に乗せてもビシっと決まる方法は何かないものか…。
「そうだ!!お前、うちの船の幽霊になれ!!」
「えっ?幽霊?」
「そうそう!こんなボロボロの船でもよ!幽霊船って言ったら格好良いだろ!?アタシは幽霊船の船長!そしてアタシが従えている幽霊!決めたぜ!!」
「でもでも!幽霊なんてわからないよ!どうすればいいの!?……えぇえええ!?」
一呼吸置いてから、無茶苦茶なことを言われていると気が付いたらしい。
「アタシは幽霊すら従えてしまう極悪船長!!お前はその船に乗る幽霊!そんな奴を仲間にしてる海賊なんて、前代未聞だろ!!ヒッヒッヒ!!」
デビルズガーデンからの生還だけではなく、更に強力な仲間を手に入れた。
両親をバカにしていた海賊達も、これで何も言う事は出来なくなるだろう。 考えるだけで笑いがこみ上げてくる。
デビルズガーデンから船が出る。
もう追い風を受ける帆は、ボロボロでないに等しいが、変わりに船首に取り付けたドクロの頭が、口から主砲を出しながら堂々と大海原に向かう。
霧の中でも迷わないようにプリシィの作った氷の道に沿って走る船は、ゆっくりと揺れながら順調に航路を進んだ。
甲板で舵を切るジェーンは、ふとプリシィの方に顔を向ける。 何やら一人でブツブツと独り言を言っているようだ。
「いつか2人で一緒にこの島を出ようって約束達成だね!これから2人で大冒険だよ!」
その言葉はジェーンに向かって吐かれた言葉なのだろうか。
背を向けているプリシィを見て、またいつもの独り言かとも考える。 後ろから脅かすつもりで肩を抱きかかえた。
「なんだ~その約束??まぁ確かに、これから大冒険だな!ヒッヒッヒ!!」
よほど驚いたのだろうか、プリシィは身体をビクっと震わせて、ジェーンの腕を掴む。
「もう!びっくりするじゃん船長!」
「ヒッヒッヒ!幽霊がこれくらいで驚いてたら世話ないぞ?もっと堂々としてないとな!」
「そんなのいきなり無理だよぉ……」
「なぁに!プリシィなら大丈夫だって!アタシが見込んだ女だ!」
「そうなのぉ?う~ん……わかった!もっと堂々とする!でも、どうやったら堂々となるの?」
そんな会話が霧に覆われた甲板に響き渡る。
この時のジェーンは、きっとプリシィはまだ色々と不安を抱えているのだろう程度にしか考えてはいなかった。
やがて、船は晴れ渡る世界へと飛び出す。
「よっしゃーー!!悪魔の海域を抜けたぞ!!アタシ達はデビルズガーデンから生還したんだ!!」
ジェーンは大空に手を伸ばして喜びを表現する。
プリシィも真似をして、両手をあげて飛び跳ねた。
「やったね船長!!」
ジェーンはこれからの事を考える。
まずはバルバームの島に行き、この大冒険の話をして、あの海賊達を見返してやる。
その後は……そうだな……。 世界を旅しながら、伝説の海賊として名を轟かせる。 この世界に、ジェーンの名を知らない者がいなくなるまで。
プリシィは楽しそうに笑う。
「これからも宜しくね!船長!エレシュちゃん!!」
「プ、プリシィ……?」
初めて聞く単語。
エレシュ……ちゃん……?
「あれ?船長!エレシュちゃんはどこに行ったの?」
突然プリシィは船の中を走り始めた。
「エレシュちゃんーーー!!?かくれんぼなのーーー??」
心配になるジェーン。
この船にはジェーンとプリシィしか乗っていない。 プリシィは何を探しているのだろう。
「ちょっと待てプリシィ!」
プリシィを追いかけて船内へと走り出す。
プリシィは不安そうな声を出しながら、船の中の部屋を片っ端から開けていた。
彼女が何をしているのか、ジェーンには想像も出来ない。
そして、廊下の突き当りにある最後の部屋、ジェーンの寝室に入ろうとしたプリシィの肩を掴んだ。
「いきなりどうしたんだよ?プリシィ?」
「船長……エレシュちゃんがいないの……」
ジェーンの首筋に、嫌な汗が流れる。
「なぁプリシィ……。エレシュって……誰だ?」
「え?何を言ってるの船長?」
不思議そうにしているプリシィ。
「いやいや、何を言ってるのか聞きたいのはアタシだ。エレシュっていうのは誰だ?」
プリシィの表情がどんどんと曇っていく。
「なんでそんな事言うの……ひどいよ船長……今までずっとずっと一緒に……3人でいたのに……」
プリシィは泣き出した。
ジェーンは、どうすればいいか分からない。
「待てってプリシィ!アタシ達は2人だっただろ?2人で財宝を探して、2人でデビルズガーデンから出たじゃんか!?なんか、悪い夢でも見たんじゃないのか?そうなんだろ!?」
プリシィはジェーンの手を振り解いて走り出した。
「船長なんかもう知らないもん!!」
ジェーンはその場から動けずに、プリシィをただただ見ている事しか出来なかった。
プリシィは何か夢のようなものを見ていて……いや、あんな島にずっと一人でいたんだ。 頭の中に友達を作らないと生きていくのも困難だったのかもしれない。
「アタシはどうすりゃいいんだよ……」
その場に座り込み、しばらく考えるジェーン。
話を合わせて、エレシュはデビルズガーデンに置いてきたとでも言うか……。 エレシュという名の人物が誰なのか分からない以上、適当な嘘を付いたとしても簡単にバレてしまうだろう。 どうすればプリシィを傷つけずに、いい方向に持っていける? エレシュの事が何も分からないなら、下手に芝居は打てない。 ならば、プリシィに当たり障りのないように、少しずつ聞くしか方法は……。
ジェーンはプリシィの部屋の前に立つと、一つため息を吐く。
「今は、正面切って聞いてみるしかないよな」
半刻程考えた後、覚悟を決めてプリシィのいる部屋のドアを開ける。
「プ、プリシィ……?」
部屋の中に入ると、彼女はベッドにうずくまっている。
そっと近づくと、微かに寝息が聞こえた。 泣き疲れたのか寝ているようだ。
「まったく……しょうがない奴だなぁ……」
次の瞬間、ジェーンは背後に凄まじい殺気を感じ取った。
「誰だ!?」
振り返ったジェーンは、目を疑う。
黒い布に包まれた“ソレ”は、明らかに生者ではない。
「……っ!?」
「大きな声を出さないで。プリシィが起きてしまう」
ジェーンの口元に人差し指を当て、声を出させないようにする。
その指は、白く、冷たく、硬い……まるで骨のような……。
その時、ジェーンは気が付いた。
この声、どこかで聞いたことがある。 記憶を辿り、その声の正体を探る。
(あなたは、ここに何をしにきたの?)
そうだ。
デビルズガーデンに来る直前の夢の中。 黒いフードを被った少女。 あの時の声と、同じ声だ。 しかし、あの時は少女の外見をしていた筈だが、今目の前にいる“ソレ”はまさしく死神と言った風貌。
ジェーンは笑顔を作る。
「わかった。大きな声は出さないよ。アタシの部屋で話そう」
黒いフードの横を通り過ぎて、自室へと向かう。
ドアを開けると既に先回りしていたのか、“ソレ”が待ち受けていた。
「よし、質問をさせてもらうぞ。お前がエレシュか?」
「……随分と受け入れるのが早いのね。もう少し驚くと思ったわ」
「ヒッヒッヒ……海賊を舐めて貰っちゃ困るぜ。これから幽霊船の船長をやろうってんだ!これくらいでビビってたら世話ないだろ。まぁ……さっきは少しだけビビったけどな……」
「不思議な人ね……。お察しの通り、アタシがエレシュよ」
ジェーンはホッと胸を撫で下ろす。
プリシィの探していた人物に会えたのだから、状況は前進していると考えていいだろう。
「よし、1つずつ聞こうか。お前は、まず何なんだ?」
「アタシはあの子……プリシィを守る者」
そう言えば、夢の中でそんな話をしていた気がする。
「一回、アタシの夢の中で会ったような記憶があるんだけど、あれは夢じゃなかったって事でいいのか?」
「アタシはプリシィを守る者……あなたはデビルズガーデンに入ってきてしまった。だからプリシィの敵なのか、どうなのか、知りたかった」
「そう言えばあいつが言ってたな。オッドアイの人間だったか……今までずっと狙われてたっていう事か?」
「まぁ、そんな所ね」
「なるほど。安心してくれ!アタシはプリシィをどうにかしようなんて思ってないからな!あ、一緒に海賊をやろうとはしてるけど…ヒッヒッヒ……」
「貴女はそういう人だって知っているわ。だからアタシは手を出さずに今まで見てきた。プリシィをあの島から出そうとしてくれていたしね」
「じゃあ、次の質問だ。お前は、その、幽霊なのか?」
「幽霊……と言っていいのかは分からない。でも生者ではないわ。アタシはあの子の呪いとでも言うべきかしら。オッドアイの人間が高い魔力を所有しているのは、2つの魂を身体に宿しているから」
「ふ~んなるほどな」
「やけにあっさりと納得してくれるのね」
「まぁ、疑っても仕方ないだろうし、お前が嘘付いても良いことないだろ?」
「それはそうなのだけど……」
エレシュはジェーンが普通に会話を続けている事、更には自分の言った事を全て鵜呑みにしている事に疑問を覚えている様子だ。
しかし、ジェーンからすればそれは当然の事だった。
「プリシィの親はどうした?いなくなったって言ってたけど」
「……アタシが殺したわ」
「っ……!?なんでだ!」
ジェーンの表情が一気に強張る。
「あの子の親は、あの子を殺そうとしていた。直前まで悩んでいたみたいだけれど、あの子を庇い続ける事に限界を感じていたみたいなの。家財を詰んで海に出たのはいいけれど、何の宛てもなく海を彷徨う内に、気が滅入ってしまったのでしょうね。彼女を海に捨てると話していたのをアタシは聞いてしまった。結果、アタシが手を出す前に、海賊に殺されてしまったのだけれど、アタシはあの人達を見殺しにした。結果、アタシが殺したという事」
ジェーンは真剣な表情でエレシュの話を聞き続けた。
「それはエレシュが殺したんじゃない。クズみたいな海賊が殺したんだ。海賊は色々いる。そいつらみたいに、船を襲って金品を奪う奴らや、海の宝をサルベージして稼ぐ奴ら。アタシの親みたいに、色んな島に言って財宝を探す奴らとか、本当に色々いるから、アタシ的には一括りに海賊って言って欲しくないんだけどな」
「貴女の事は、それなりに信用しているからこそ、こうして姿をさらしたんだから」
「まぁ、その話は大体わかった。プリシィに変な期待をさせないようにするよ。それでいいか?」
「えぇ。構わないわ」
「それじゃ、最後の質問だ」
一番気になっていた事。
それを確かめなければいけない。
「何故プリシィに姿を見せない?」
エレシュは、それまでとは違い、少し間を置いてから切り出す。
「本来アタシは、あの子に姿を見せられないの」
「どういう事だ?」
「あの子にアタシの姿を見られたら2つの魂が消えてしまう」
「……なら、何故プリシィはエレシュの事を知ってる?」
「あの島、貴女がデビルズガーデンと呼ぶ島の周りは、世界の理がよじれた場所。アタシはあの空間にいる時だけ、あの子の意識と会話をする事ができた」
「なんだそりゃ?」
「貴女はあの島が本当にただの島だと思う?」
「……いや、そういう訳じゃないけどさ……変な遺跡いっぱいあったし」
「アタシだって最初は信じられなかった。あの子と会話が出来る日が来るなんて想像もしていなかったから」
「なら、なんであの島からプリシィが出る事を許容したんだ?お前だってプリシィと話したりしたいんじゃないのか?」
「それはそうだけれど、アタシと話しているよりも、プリシィには本当に理解のある人……生きている人間と生活をして欲しいから」
ジェーンは考える。
エレシュはこんな見た目をしているが、色々な事を考えて、今まで色んな選択をしながら、本当にプリシィの幸せを願っている。
「……わかった。アタシもお前と一緒だ。プリシィには楽しく生きて欲しいし、同じ船に乗る者として守ってやらないといけない。今からエレシュもアタシの船の仲間だな!ヒッヒッヒ……」
ジェーンは楽しそうに笑う。
「アタシが……仲間……?」
「おう!なんだ?アタシの船が不満だってのか!?」
「……フフフ……。そんな事を言われる日が来るとはね」
「これからよろしくな!ヒッヒッヒ……。そうだ、最後になんか一つプリシィに渡せるようなものないか?」
「あの子に渡せるもの?」
「あいつを納得させなきゃならないだろ?」
――数時間後
プリシィの横に座るジェーンは、その寝顔を眺めていた。
「う、うーーん」
「起きたか?プリシィ!」
「船長……?あれ……?」
「ちょっと話があるからまず顔洗ってこい」
プリシィの意識を覚醒させてから、本題へと入る。
「エレシュがな、こいつをお前にって」
ジェーンは、黒のリボンを取り出した。
「え!?エレシュちゃんが?」
「あいつはな、あの海域から出る事が出来ないんだってよ。さっきまでアタシはエレシュの事知らなかったんだ。悪かった……。お前の大切な友達だったんだってな」
プリシィはリボンを受け取ると、まじまじと見つめる。
「これ、エレシュちゃんがつけてた……」
「あぁ。だけど、プリシィの事はずっと見守ってるし、アタシと一緒に海賊頑張れって言ってたぞ。お守りとして、それを付けててくれって」
ジェーンは、プリシィの手からリボンを取ると、彼女の右足に巻きつける。
「無くさないようにな。肌身離さず持っておけ。エレシュからの伝言だ」
キョトンとしているプリシィに笑顔で返す。
「船長……。エレシュちゃんにはもう会えないの?」
「そうだなぁ~。アタシの目的が済んだら、もう一度あのデビルズガーデンに行ってみようぜ?そしたら、また会えるだろ?」
「うん!そうする!!じゃあ、それまで海賊頑張らないとだね!」
笑顔になるプリシィを見てホッとするジェーン。
少し端折ってしまったが、彼女を納得させるには今はこれでいいだろう。 もし、本当の事を話さなければならない時がきたら、その時にまた考えればいい。
「よっしゃ!!それじゃあ!バルバームに向けて出発だ!遅れるなよプリシィ!」
船は小さな島を目指して進み続ける。
穏やかな風に乗り、順調な航海。
やがて、目的地であるバルバームが見えてきた。
「帰ってきたなーー!!」
「船長!まずはどうするんだっけ?」
「アタシの事をバカにしてた奴らの度肝を抜いてやるんだ!」
この時の事をシミュレーションして、沢山の言葉を考えた。
ついにそれを吐き出せると思うと、胸が高鳴る。
しかし、近づいてくる島を望遠鏡で覗いていると、何かがおかしい。
見慣れない船が多数、そして見慣れない建物。 大きな石作りの造船場は姿を変えて、レンガ作りの綺麗な建物になっている。
「ど、どういう事だ?」
とりあえず船を港につけたジェーンは、出迎えてくる海賊に更に驚く事になる。
「てめぇら!どこからやってきた!?そんなクソボロボロの船でバルバームに乗り込んでくるとはいい度胸だな!?」
剣を向ける海賊達。
その中に知っている顔がいない。
「待て待て!アタシはバルバームの海賊だ!ジェーンだよ!」
「ジェーン!?そんな奴は知らねぇな!!うちの島にはいねぇ!」
「どういう事だ!!?」
「船長どうしたの?」
プリシィが不安そうな表情でジェーンを見る。
「わからねぇ……が、何か変な事が起こってるのは確かだな」
ジェーンは混乱する。
「怪しい奴らだ!ちょっとこっちに来い!!」
男達に囲まれたジェーンとプリシィは、為す術もなく捕まってしまう。
「ちょっと待てよ!なんなんだよ!!」
「お前、珍しいモン持ってるじゃねぇか!」
ジェーンの胸に掛けられた懐中時計に手をかけようとする男。
「ふざけんな!これだけは渡さねぇ!」
男の手を振り解き、戦闘態勢に入るジェーン。
「プリシィ!もうめんどくせぇけど、やってやろうぜ!」
「海賊の戦いだね!船長!」
男達もそれに合わせて身構える。
「この懐中時計はオウルホロウで作られた超レアな代物だ!お前達が軽々しく手にしていいようなもんじゃない!」
「……オウルホロウ?どこだ?」
海賊達は顔を見合わせる。
何か反応がおかしい。 あの、魔導研究都市を知らない人間がいる訳がない。
男の一人が声を上げる。
「そう言えば聞いた事がある。何百年も昔に滅んだ、マーニルとガリギアの元となった都市が……確かそんな名前じゃなかったか?」
「あぁ!それなら聞いた事あるぜ?確か……絶魔地帯になっちまったんだろ?」
何百年も前に滅んだ?
親父がその街に行ったのはせいぜい30年前……。
ジェーンの頭に一つの仮設が浮かぶ。
この様変わりしたバルバーム。
知っている人間は誰一人としていない。 周りを見ると、見たこともない船の装備。 滅んだオウルホロウ。 行ったものは誰一人として、帰ってこない海域……。
エレシュの言葉を思い出す。
(あの島、貴女がデビルズガーデンと呼ぶ島の周りは、世界の理がよじれた場所)
(貴女はあの島が本当にただの島だと思う?)
「なるほどな!!そりゃ誰も帰ってこない訳だ……」
急に叫んだジェーンに、プリシィはビックリしたようだ。
「どうしたの船長!?」
「ヒッヒッヒ……プリシィ、アタシ達はどうやら、未来に船を出しちまったみたいだぞ」
「……え?」
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