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+ 灼嵐に舞う金眼の大鷲ミルヴァ
「わぁ……ありがとう、グラフィードさん!」

 そう。
 この日、ボクは十歳の誕生日を迎えたんだ。
 父さんの友人のグラフィードさんから贈られた品を頭上に掲げ、父さん譲りの金色の瞳を輝かせるボク。

「グラフィードよ。今日来てくれたことには感謝するが……息子の誕生日祝いが生肉というのは、どうなんだ?その……一般的に」

「仕方ねぇだろ……祝いの品なんて真面目に考えたこともなかったんだからよぉ……俺なら喜ぶぜ?」

「ふふ。ミルヴァも嬉しいわよね?今晩の夕食はあなたの大好きなハンバーグにでもしようかしら」

「だろ?たんまり肉食って、もっと男らしい身体にならねぇとな。今のままじゃ線が細すぎるぜ?」

 ボクの頭を、グラフィードさんがワシワシとぶっきらぼうな手つきで撫でまわしている。
 男にしては軟弱で気弱、体つきもほっそりしていたことから、昔から女の子に間違われることが多く、そのことがボクのコンプレックスだった。
 その桃色の髪からもわかるように、きっとボクは母さん似だったんだと思う。
 だからこそ、かつてシャムール義勇兵団で遊撃隊の隊長を務めていた父さんや、傭兵として名を売っていたグラフィードさんのような屈強で、いかにもな男らしい人に憧れた。
 いつか、この人たちみたいに強い男となって、誰かを守れるような人になりたいと。
 そう、強く思った――



――……ヴァ?ミルヴァ?もぅ……いつまで寝てるの?

「ん…………あれ……?」

「やっと起きたのね。さ、今日の鍛錬の時間よ」

 夢……?
 また、昔のことを思い出してしまった。

「あ……ご、ごめんなさい、おじさん!急いで支度します!!」

「やぁねぇ……おじさんじゃなくて、お姉さんって呼びなさいってば。何度言ったら覚えてくれるのかしら?」

 ボクの目の前で、口を尖らせながらお尻を振っているこの人は、ジョセフィーヌおじさん。
 母さんの実のお兄さん。
 つまりはボクの叔父にあたる人で、それ故にボクは彼のことを『おじさん』と呼ぶ。
 ただ、そう呼ばれるのをなぜか嫌い、自分を『お姉さん』と呼ばせようとするのだけど、こんなにも逞しい身体を持っているのに、あえて女の人のように呼んで欲しいだなんて、理解に苦しむばかりだ。

「さ、とりあえず眠気覚ましに一発かかってらっしゃい」

 いつも特訓の相手をしてもらっている屯所の中庭に着くと、早速と言わんばかりに斧を構えるおじさん。

「はい!」

 ボクは手にする短弓に矢を番えると、おじさんに向かって引き絞り……
 放つ。

「ん~……ダメダメ。そんなんじゃアタシのハートは射貫けないわよっ!」

 自分の胸を目がけて飛んでくる矢を、人差し指と中指のみを使って、意図も容易く受け止めるおじさん。
 そうなることは知っている。
 だから、それはただの目くらまし。
 矢を受け止めることに集中した隙を突いて、ボクは彼の頭上へと飛び上がり、続けざまに三発の矢を放つ。

「はあっ!!」

 この角度と手数なら、一本くらいは……

「数打ちゃ当たるで引っかかるのは尻の軽い女だけ……アタシを落とそうと思うなら、それじゃ甘いわね」

「うわぁ!?」

 彼が手にする斧をグルンと振り回すと、生じた風圧で矢が全て巻き上げられ、ボクの身体まで空高く押し上げた。
 経験したことの無いような高さに、恐怖で身体が凍り付き、着地体制を整えられないまま落下したボクは、地に勢いよく叩きつけられることとなる。

「うっぐ!痛たたた……!」

「六十点ってとこね。アプローチの仕方は悪くなかったのに、最後のキメがダメダメよ。いける!と思ったのなら、一撃で相手を落とすつもりで攻めなさい。保険を掛けるような真似してウジウジしてたら、一発一発が軽くなって、簡単にいなされてしまう。今みたいにね」

「うぅ……うまくいったと思ったのに…………」

 渾身の出来と思ったはずの攻撃でさえ、文字通り子ども扱い。
 それもそのはず。
 この人はここ楽都『アルモニア』が保有する最高戦力であるところのアルモニア音楽騎士団の団長を務める方なのだから。
 そして、そんな凄い人がボクの師匠でもあることは、とても幸運なことだと思う。

「ま、相手がアタシじゃなくて、そこいらの三下だったなら今のでも十分なんでしょうけど、あなたが辿り着きたい場所はそんな低いところじゃないはずよね?」

「……はい!」

 おじさんの指導を受け始めたのが一年ほど前。
 ボクは、自分の弱さが原因で父さんと母さんを亡くし、生まれ故郷であるシャムールの街まで失った。
 思い出したくもない記憶。
 危うくボク自身も命を落とすところだったけど、そこをおじさんに助けられ、今のボクがある。

 こんな小さな命だけど、それを立派に守ってくれたおじさん。
 でも、おじさんはその日のことを心から悔やんだ。
 妹であるボクの母さんと、友であったボクの父さんを救うことができなかったのは、まだ自分に強さが足りなかったからだと。
 それはボクも同じ気持ち。
 心から悔しく思う。
 あの時、ただ震えて泣きすがることしかできなかった弱さを。

 父さんと母さんを見送る葬儀の場で、ボクとおじさんは誓った。
 強くなって、いつか必ず、シャムールの街を取り戻すと。

「さ、もう休憩も十分でしょ?もう一回戦……いくわよ?」

「はい!お願いします!!」

 こんなに強いおじさんでさえ、自身の強さはまだ足りないと思ったんだ。
 だったらボクは、もっともっと努力をしなくちゃいけない。

「やぁっ!」

「こらこら……また動きが雑になってるわよ?熱くなると一心不乱になっちゃうのは悪い癖ね。初々しいのは嫌いじゃないけど」

 強く。

「てやぁああああ!」

「ちょっと、聞いてるの?ミルヴァ?」

 もっと強く。

「はぁああああああああ!!」

「ちょ、タンマ!落ち着きなさい!!」

 せめて、彼と同等の位まで駆け上がって、一緒に更なる上を目指せるように!

「これで……どうだぁああああ!!」

「ちょっ――待てって……言ってんだろぉがぁああああ!!」

「う……はぁ!?」

 鉄のように堅いおじさんの腕の筋肉の感触。
 それが凄まじい衝撃となって首元を襲ったところで、ボクは我に返った。

「……っは!?大丈夫!?!?ミルヴァ!!!!」

「う……ごほっ…………!」

 おじさんがボクの元へ駆け寄ってくるのが見える。
 そこで、ボクが彼の一撃で何メートルも吹っ飛ばされていた事実を知った。

「やだぁ、もう!アタシとしたことが思わず本気でがっついちゃった……傷は付いてないでしょうね!?特に顔は乙女の命なんだからね!?ほら、ちゃんと見せなさい!!」

「だ、大丈夫です……それにボク、男ですし」

 あれ?
 今、おじさん『本気』って言ったような……

「あら……そうだったわ。アタシが嫉妬しちゃうくらい綺麗な顔立ちだから、たまにうっかり忘れちゃうのよね……ごめんなさい」

 思えばこの一年。
 この人に全力を出させた試しなんてなかった。
 いつも簡単にあしらわれてばかりで、一撃も入れたことはない。
 そんなおじさんが、ボクに本気を出してくれた?

「ど、どうでしたか!?ボクの攻撃!?ちょっとがむしゃらみたいになっちゃいましたけど、ボクなりにけっこう頑張れたかなって思うんですけど!!」

「えぇ。そりゃもう、めちゃくちゃだったわ……でも、攻めの要所要所には確かにアタシのハートを揺さぶるものがあった。大したものよ?基本がしっかり染みついてきてる証拠ね。安心なさい。あんたは成長してるわ!」

「そ……そっかぁ……!!」

 込み上げる喜びに、ボクは両手をギュッと握り締めた。
 ボクは近づけている。
 この人のいる高さまで。

「あんた、これだけ吹っ飛ばされておいて、よくめげないわね……ホント、そういうところはアギラとそっくりだわ」

「……父さんと?」

「昔、あいつを殴り飛ばしたことがあってね。そしたらあいつはすぐに立ち上がって、涼し気な台詞を吐いてたわ……プ!膝はこっちが笑っちゃうくらいカックンカックンしてたんだけどね!ンフフフフフフ!!」

「そっか……ボクも父さんみたいに…………!」

「それと、さっきみたいに夢中になると、後先考えずに行動しちゃうところはアタシの妹譲りね。あ~あ……面倒なところばっかり引き継いじゃって……あんたこれから大変よぉ?」

「母さん……父さん…………」

「さ、今日はこれくらいにしときましょ。なんてったって……今日は昼から可愛い新人ちゃんたちの入隊式があるのよ!あんたも見ていきなさい!いい子がいたらチェックしといて、後でアタシに教えること。いいわね!?」

「はい!」

 今日は、自分が確実に強くなれていると実感することができた。
 もっともっと頑張ろう。
 誰かを守れる強い男になれるまで。
 誓いを果たせるだけの強さを手に入れるまで。





 同日、午後。
 アルモニア音楽騎士団屯所のメインホールには、数多くの人々が足を運んでいた。
 これより行われるのは今期の新規団員入隊式。
 格式高く、長き伝統を持つアルモニア音楽騎士団への入団志願者数は年々増加傾向にあるという話は前におじさんから聞いていたけど、これほどのものとは思わなかった。
 新たに団員となる人たちと、その親族といった関係者。
 式を執り行う現団員と街の有権者たち。
 ざっと見まわしただけでも、五百人以上の人々が、所狭しとホール内にうごめいている。

「す、すごい数ですね……」

 ホールの舞台の裏手袖から会場を見渡し、その光景につい息を呑んでしまう。
 その隣で、挨拶の言葉が綴られた原稿を優々と眺めているおじさんは、あっけらかんとした口調で話す。

「他の騎士団では厳しいふるいにかけたりして、有望そうな子だけ拾うとこもあるらしいけど、うちは基本来るもの拒まずなの。だから、自然と入団者も多くなるのよ」

「えっと……その……実際、団員としては大丈夫なんですか?なんというか……思ったよりも厳しくて辞めちゃったりとか……」

「勿論、そういう子も多いわよ。でも、こういう仕事だもの。基本的には心も身体も強くなくちゃやっていけない。そういう資質を見極めるためには、訓練や試験じゃなくて、実際の現場で見定めることが必要になるってアタシは思ってるわけ。ん!?ヤダ!あの子いいじゃな~い?将来有望ね……!」

「遅いか早いかの違いってことですか?」

「そうね。それに、たまにいるのよ。最初は見向きもされないような雛だったけど、メキメキと頭角を現して、すごい才能を発揮する子ってのが。そういう子が入団試験で埋もれてしまうのはもったいないってもんでしょ?ちなみに、あそこに座ってるあの子もそんな一人よ」

 そう言って、舞台上を指差すおじさん。
 ボクはその指し示す方向を見て、すぐにそれがどの人物を指しているのかを察した。

「え……?あれって……こ、子供じゃないですか!!」

 そこは、現アルモニア音楽騎士団の各隊長が並んで座る長机。
 その一番端に、ボクよりも若そうな子供が堂々と座っていることに目を疑う。

「そ。入団からわずか数年。若干十二歳にして二番隊隊長に就任。しかし、その実力は団内の誰しもが認める天才。その名も……エリオットちゃんよ!!」

「じ、十二歳……!?」

 十二歳といえば、まだボクがシャムールで何不自由なくのんびりと暮らしていた頃。
 その実力は隊長どころか、父さんの狩りに付き添い、少し弓を教えてもらっていただけの、ひよっこ以前の次期。

「あの子は……ちょっと訳ありで、アタシが騎士団に推薦したようなもんなんだけど、それでも普通の騎士団の試験だったら落とされてたでしょうね。ついでに言っちゃうと、あんたもその口よ」

「そ、そうですか…………」

「だから気落ちする必要はないんだってば!あくまでもそれは出発点が他の人より少し離れたところにあっただけで、そこからどこまで進んでいるかは自分次第なの。事実、あのエリオットは想像を絶するくらいの経験と努力の末にあそこに座っているのよ?」

「十二歳で隊長になるような天才でも……」

「そう。だからあなたも頑張りなさい!アタシと一緒にシャムールの街を取り戻すんでしょ?」

 ボクには、そう言いながら舞台上に歩いて行ったおじさんの背中がすごく遠くに思えた。
 少しでも近づけたなんて思ってしまったことが今は恥ずかしい。
 遥か遠くの場所に立つ隊長たちの、まだ先に彼は立っている。

 でも、諦めない。
 おじさんも言っていた。
 出発点が遠くとも、どこまで進んでいけるかは自分次第だと。
 必ず追いつきます。
 だから、もう少し待っていてください。



「やっと終わったわ……たくさんかわいい子が来てくれるのは嬉しいけど、それだけ式も長くなっちゃうのが悩みどころよね……」

 ひとしきり式の様子を見学し、いち早く稽古場に戻ったボクが弓の調整をしていると、おじさんが戻ってきた。

「あ、お疲れ様です!おじさん!」

「こら。お姉さんでしょ?いい子にしてたら素敵なサプライズをプレゼントしてあげようと思ったけど、やめちゃおうかしらぁ?」

「サプライズ……ですか……?」

「ほら、この子よ。さっき話したミルヴァ。軽く挨拶してあげなさいな」

「団長……先程も言いましたけど、僕はまだ仕事が残っているのですが?」

 聞き覚えのない声。
 その主が、おじさんの大きな背中の影から歩み出て、ボクの前に立つ。

「あ……あなたは…………」

「初めまして。アルモニア音楽騎士団二番隊隊長を務めているエリオットです。団長がどうしても顔を見せたい人物がいると無理やり連れてこられたのですが……あなたがそうなのでしょうか?」

「あ、えっと……そ、そうみたいです。は、初めまして!ミルヴァです!よろしくお願いします!」

「刺激になると思って、連れてきてみちゃった!どう?ミルヴァ」

「え、えっと……突然過ぎて、何を話していいのか……」

 おじさんの意地悪……
 ボクが人見知りなのを知っててやってるんだから、もう!

「ところで……確か、ミルヴァさんは団長の甥であると聞いたはずですが……団長、この方は……?」

「ふふ……ふふふふははははは!でしょ!?いたいけな少女が困ってるように見えたでしょ!?でも、ざ~んねん!この子には立派な男の証がついてるのよぉ~!でも、そこがいいの!わかる?わかるかしら!?」

「また団長にからかわれたわけですね……その気持ちについても、わかりたくはありません……」

「あ……ははは……なんか、すみません……ボクのせいで混乱させてしまったみたいで……でも、おじさんの言う通りボクは男ですので、そういうことでよろしくお願いします」

「あ、いえ。あなたが気にすることではありません。団長の親族の方とあれば、僕にとってもあなたは大切な方です。騎士団員一同、団長とあなたを全力でお守りしますので、どうかご安心を」

「えぇ!?いや、そうじゃなくて……!えっと……ボクは騎士団の人間でもないですし――」

「騎士が民の命を守るために戦うことは当然のことです」

「だから、そうじゃなくて!ボクも……ボクも、誰かを守れるような人になりたくて、おじさんに稽古してもらってて……だから、ボクを守るよりも、もっと他の人を守ってあげてください!」

「んふ……んふふ…………」

 一体、何が楽しいのか。
 おじさんはボクらの様子をニヤニヤと笑みを浮かべながら目を細めて眺めるばかり。

「団長が直々に鍛錬を……?」

「まぁね。もう一年くらいになるかしら。そういえばあなたが入団して間もない頃、よくアタシや団員連中が相手をしていたわね。エリオット。昔を思い出すかしら?」

「えぇ。まぁ、そうですね……」

「そこでエリオットちゃんにお願いがあるんだけど、聞いてくれるかしら?」

「ボクにミルヴァさんの相手をしろというお話ですか?」

「流石に察しがいいわね。ミルヴァが使うのは短弓。斧使いのアタシとは相性が良いとされているけど、実戦となるとそうはいかないわ。相手がどんな武器を使ってくるかはその時次第だし、人であるとも限らない。そろそろいろんな相手と戦う経験を積んでもいい頃だと思うの」

「ぼ、ボクがエリオットさんの相手ですか!?っていうか、おじさんと相性が良いなんてとんでもない!!まだまだ軽くあしらわれてるのに!」

「それはまだあなたが色々と経験不足だから。それに、一人の相手に練習を続けるのは基礎を学ぶ分には問題ないけど、相手を知りすぎてしまう分、癖が付くの。それはこの先のことを考えてもあまり良くはないわ」

「そ、そんなぁ……」

 やっとの思いでおじさんの動きに慣れてきたと思ったのに、それを攻略する前に新しい相手。
 しかも、天才とまで言われたエリオットさんが相手だなんて……

「団長のお考えは正しいと思いますし、僕としても協力してあげたいとは思います。ですが、僕にも仕事があります。ミルヴァさんに都合を合わせることは難しいと思いますが……」

「手が空いた時だけでいいわ。なんだったら、あなたからエリオットちゃんを見かける度に襲っちゃってもいいのよ?ミルヴァ?」

「そんな強引な!?エリオットさんだって忙しいって今――」

「これもあなたが強くなるため。言ってる意味、わかるわね?」

「おじさん…………」

 そうだ。
 こうでもしないと、ボクはいつまでたってもひよっこのまま。
 おじさんやエリオットさんに追いつくことなんてできやしない。

「わ、わかりました……ボク、やってみます!エリオットさん!どうかお願いします!!」

「ミルヴァさん!?」

「決まりね。それとも、デスクワークばかりでプニっちゃったお腹じゃ不安かしら?エリオット」

「……そうまで言われては引けませんね。わかりました。ミルヴァさん。いつでもかかってきてくれて構いません。僕は全力でその全てを打ち払います!」

「……はい!」

「いいわねぇ、若いって……食べちゃいたいわぁ…………」



 それから、ボクは隊舎内でエリオットさんの姿を見かける度に勝負を仕掛けた。

「エリオットさん!勝負です!!」

「またいきなりですね……でも、いちいち声をかける必要なんてありませんよ?実戦ではそれが当たり前ですから」

 それくらいのことはボクでもわかってる。
 相手は自分より年下ながら隊長に抜擢された天才。
 でも、だからこそ正面切って勝てるくらいまで強くなりたい。



「エリオットさん!勝負です!!」

「相変わらず真面目ですね……あなたは!!」

 せめて一撃。
 少しずつでも近づいてみせる。



「エリオットさん!勝負です!!」

「またですか……見た目よりもしつこい性格ですね……」

 何度弾き返されたって、諦めない。
 せっかくおじさんがボクのためにこんな機会を用意してくれたんだから。
 全てはボクと一緒に誓ったあの約束のため。





「おじさん!また負けました!!」

「またやったの!?これで何度目よ!?」

「今日はまだ二回です。通算では三十二回目になります」

「で……あの子の鼻は明かせたかしら?」

「全然、歯が立ちません!!」

「はっきり言ってくれるわね。今日で丁度一カ月。あんた悔しくない――わけないわよね……」

「…………グスッ!」

 死ぬほど悔しい。
 こんな思いは初めてだ。
 いくら隊長だからって。
 いくら天才だからって。
 相手はボクよりも年下。
 あの手この手で攻めてみても、ボクの矢は一本たりともかすることもしない。

「はぁ……どうせ、また力任せに突っ込んでるんでしょ。あの子はアタシより器用だし、速さにしてもアタシより上なのよ?同じやり方が通用するはずないじゃなぁい!」

「でも……他にやり方が…………」

「……まぁ、だいぶ基礎はできてきてるし、そろそろ次のステップに進みましょうか」

「必殺技ですか!?」

「こら!調子に乗らないの!必殺技だなんて、それこそ実戦を何度も経ることで見つけて、磨き上げていくもんなの!」

「じゃあ……」

「魔素の取り扱いね」

「魔素……魔術のことですか?」

「あなたの父さんも使ってたでしょう?確か、アギラは風の魔素を扱うのが得意だったわね」

「はい!矢の軌道を変えたり、速くしたり……いろいろやってました!」

「まずはあんたのタイプを知って、そこから開発ね。魔素をある程度扱えるようになれば、戦略の幅も広がるし、単純に攻撃力も上がるわ。もちろん扱い方を間違えれば自分自身が大火傷する羽目になるけど、ちゃんと練習すれば大丈夫。やってみる?」

「はい!!それで強くなれるなら!!!!」



 一カ月。
 エリオットさんに返り討ちにされ続けた時間。
 そして、また一カ月。
 エリオットさんに勝つために、強くなるために魔素の修行に励んだ時間。

「お久しぶりです。エリオットさん……」

「最近、姿をお見掛けしなかったので、奇襲を狙っているものとばかり考えていましたが……その様子を見る限り、僕の予想は外れたようですね」

「はい。あなたに勝つため、特訓してきました!今日のボクを、今までのボクとは思わないでください!」

「一度たりともあなたを侮ったり、手を抜いたことはありません。それが騎士として、男としての礼儀だとわきまえているので。今日とてそれは変わりません」

「ありがとうございます…………いきますっ!!」

「来いっ!!」

 ボクは思い切り地を蹴って、エリオットさん目がけて真っ直ぐに突っ込んだ。
 エリオットさんの視線が針のように突き刺さる。
 その眼光に、油断は微塵もない。
 これまで通り、言葉通り、全力の天才騎士。
 でも、ボクは変わった。

「はっ!!」

「――っ!?これは!?」

 エリオットさんが手にする槍の間合いに入る直前、ボクは彼の頭上を飛び越えるように宙を舞う。
 その背に、炎の翼をはばたかせて。

 ボクには炎の魔素を扱う適性があった。
 おじさんはボクの眼を見て、ボクらしいと笑っていた。
 理由を聞くことはしなかったけど、ただただボクは嬉しかった。
 炎の魔素は、おじさんが操る属性の魔素でもあったから。

「魔素を扱えたのか!?」

 驚きの言葉とは裏腹に、体勢を崩すことなく頭上目がけて槍を突き出してくるエリオットさん。
 これも予想通り。

「ぐっ!?」

 だけど、狙いは確かに逸れ、刃先はボクの脇をかすめていく。
 燃え散る火の粉と炎の翼のせいで、ボクの姿を一瞬見失ったからこそのミス。

「ここだっ!!」

 いつか聞いた、おじさんの言葉。
 『隙を突けたのなら、一撃で相手を仕留めるつもりで攻撃するようにしなさい』
 それを今、噛み締めながら実行する。

「ちっ……させるかっ!!」

「はぁああああ!!」

 母さんから授かった髪の色や体つき。
 父さんから授かった瞳の色や弓の扱い。
 そして、おじさんに授かった炎の魔素と教え。

 皆の愛を注がれて、今のボクがここにいる。
 ボクを信じ、育ててくれた人たちの気持ちに応えるためにも、今こそ一矢報いて見せる!





「勝てなかった……」

 結論から言うと、エリオットさんに勝つことはできなかった。
 必殺を意識して放とうとした一撃だったけど、矢から手を離す直前、エリオットさんの身を案じてしまったことで行動が遅れ、ギリギリのところで矢は盾に弾かれてしまったのだ。
 その後はいつも通りがむしゃらに戦ってみたけど、結局良いとこまでいけたのはその一発だけ。
 魔素の扱いを多少身につけたことで、エリオットさんも以前よりやりにくそうには戦ってはいたけど、まだ実力の差は大きかったということなのだろう。

「はぁ…………」

 泥だらけになったボクは、そのまま屯所の風呂へ足を運んだ。
 こうして暖かい湯に浸かっていると、悔しい思いばかりが頭に浮かんでくる。

「もう出ようかな……」

――ガラガラッ!

「「あ……!」」

 大浴場の扉を開いたところで、エリオットさんと鉢合わせした。
 なんだか、気まずいような、くすぐったいような気持ちになる。
 あれだけの大見えを切って挑んで、結局手も足も出ずに負けたのだから、それも当然か。

「ど、どうも!ボクはもう出ますので――」

「し、失礼しましたぁああああ!!」

 ボクを見るなり、脱衣所を通り越して廊下まで走り去って行ったエリオットさん。
 顔を合わせにくいのは僕も同じ気持ちだけど、さすがにこの反応は傷つく……

「あ、あれ?やっぱり……ミルヴァさん?」

 と、思いきや、すぐに戻ってきたエリオットさんだが、まだ廊下から脱衣所に足を踏み入れようともしない。

「は、はい……先ほどはどうも……」

「…………なんだ……そういうことでしたか」

「はい??」

 彼曰く、女子用の浴場と間違えて入ってしまったものと思ったらしい。
 それは、裸のボクが女性に見えたということなんだろうけど、この手の勘違いはもはや慣れっこ。
 何度も顔を合わせているとはいえ、場所と恰好がこうも違えば、随分とモノは変わって見えるものだから。

「すみませんでした……僕としたことが、早合点を……」

「いえ……なんというか……これまでもこういう所に来ると、たまにあったので……はは……」

 エリオットさんも勝負の最中、汗をかいたので、さっぱりしに来たとのこと。
 自分で言うのもなんだが、結果はともかくとして、激闘と呼べるものだったと思う。
 そして、その相手であった彼と、今背中を流し合っていると考えたら、少し笑えてくる。

「そんなに気を落とすことはないと思います。本当にいい勝負でしたから。僕が敗れてもおかしくはありませんでした」

「うぅ……負かされた人に言われても嬉しくないです……」

 勝者に慰めの言葉をかけられながら、背中を流してもらう。
 この歳にして、なかなかできない経験をしている気がする。

「まだあなたは戦術も魔素の扱いも発展途上です。それは僕にしてもそうですが、それでもあなたよりは多少経験が長い。その長さが今回の勝敗を分けたのでしょう」

「エリオットさん程の人でも、自分はまだまだだって思ったりするんですか?おじさんもそんなことを言ってましたけど、ボクには想像もできません。それだけの実力がボクにあったとして、同じことが言えるかどうか……」

「あまり誇れる内容でもないので、今は詳しくは話しませんが、僕にも目的というか……目標みたいなものがあります。それを果たせるようになるまでは、まだまだ道半ばだと思っていますので」

「そう……だったんですね……あんまり軽々しく言える事じゃありませんけど、なんとなくわかる気がします。ボクにも大事な約束がありますから」

「はは……あなたの姿を見ていればわかります。そうですか……いつか語り合ってみたいですね。共に目的が果たせた時に」

「はい……!」

――ガラガラガラガラッ!

「エリオットちゃんとミルヴァちゃんがお風呂場で全身洗いっこしてるって話はホント!?」

「だ、団長!?!?」

「キャァアアアアアアアア!!なによ、なによ!美少年が二人して泡まみれで濡れ濡れでキャッキャウフフなんてマジで眼福ものじゃない!!うぉい!誰かカメラ持ってこいやぁああああ!!カメラァアアアア!!」

「ぼ、ボクはこれで失礼しますので、あとはミルヴァさんとごゆっくり――」

「逃がさないわよぉおおおお!」

「うわぁああああ!?」

「エリオットさん!?」

 いつになくハイテンションなおじさんがエリオットさんの手を引いてそのまま浴場でダンスしている。
 今日はめずらしい経験が多い日だなぁ。

「いつもアタシが風呂に入る時間を避けてるエリオットちゃんと浴場で遭遇!しかもミルヴァまで!!とりあえず、アタシの背中を流してもらいましょうか!?その後はサウナへゴーよ!!蒸し暑い小さな個室でハァハァと吐息を漏らしながら、あの日あの時の思い出を語らうの!!そうね、少なくとも三時間……いや、五時間は付き合ってもらうわよ!!!!」

「う……!?こうなったら……!!」

「あぁああああああああああああああああ!?!?」

 途端、大浴場内に電流がほとばしる。
 エリオットさんが発生させたであろうそれは、彼の身体から飛び散る飛沫を通じておじさんの身体を直撃。
 けたたましい悲鳴と共に、屈強な肉体をブルブルと震わせるおじさんだったけど……

「あぁ……!いいわ、これ!電撃マッサージなんて、なんだか流行りそうな響きじゃない?」

「ミ、ミルヴァさん!お願いします!!何とかしてください!!」

 ケロッとしているおじさんの顔を見て、エリオットさんの顔が見たこともない表情に変わる。
 恐怖や焦りを隠すこともせず、心から救援を望むその声に、ボクは無意識のうちに駆け出していた。

「お、おじさん!エリオットさんを離してくださ――」

――ツルンッ!

「え?」

「「あ!」」

 それからの記憶は無い。
 気付けばボクはおじさんの膝の上で眠っていた。
 話によると、石鹸で足を滑らせたボクは床に頭をぶつけ、そのまま気を失ってしまったらしい。
 エリオットさんはというと、まるで何かに怯えた様子で、その時のことを頑なに語ろうとはしなかった。
 翌日、二番隊を率いて任務のためにラキラの街へと発って行ったエリオットさんの背中は、相変わらず委縮したように小さく、ボクは彼の身に何があったのか気になったけど、聞いてはいけないような、そんな気がした。

 そして、ボクが初めて戦士として戦場に立つ日は、突然やってきた。





 エリオットさんがラキラの街に向かってから三日。
 その日は朝から、おじさんを始めとした騎士団の上層部が作戦会議室を占有し、長時間何かを話し合っていた。

「急ぐのよ!非番で手が足りないところは他の隊から補充を手配して!!」

 そして、部屋の扉が勢いよく開け放たれたかと思うと、おじさんの声が廊下の端まで鳴り響く。

「何があったんですか?おじさん」

「ミルヴァ……あんたは気にしなくていいの。ただ、ちょっと急がないといけないことがあっただけよ」

 ボクに優しく声をかけるおじさんの顔は、その声とは裏腹に、とても静かな怒りで満ち満ちている。
 ボクは知っている。
 おじさんがこういう顔をするときは、決まって大切な誰かのことを強く想っている時。
 特に、騎士団の仲間のことを想っている時。

「……エリオットさんに、何かあったんですね?」

 確信はない。
 でも、タイミング的にそれしかないと思い、彼の名前がボクの口を衝いた。

「いい?ミルヴァ。これは騎士団内だけの機密情報なの。わかるでしょ?」

「そんなこと言わないでくださいっ!!」

「ミ、ミルヴァ……!」

「おじさんだって知ってるはずです!ボクは団員じゃないけど、エリオットさんにはすごくお世話になったし、それに……もう友達なんです!仲間なんです!仲間は家族なんですよね!?おじさん前に言ってましたよね!?」

「……誤魔化せないものね。そりゃ、この一年ずっと一緒にいたんですものね」

「やっぱりそうなんですね!?」

「ええ。二番隊が向かったラキラの街を…………帝国軍が襲撃しようとしているわ」

「帝国軍……!!」

 その名を聞いた瞬間、ボクの心の内から、今まで感じたことがない程の怒りが溢れてきて、同時に、火に包まれた街の記憶が蘇る。

 傷つきながら、一人強大な敵と戦う父さんの姿。
 血を流しながら倒れ伏す母さんの姿。
 涙を流しながら、怒りに打ち震えるおじさんの姿。

 帝国軍。
 他でもないシャムールの街を攻め落とした憎き敵の名。
 魔物の襲撃に便乗し、思い出に溢れた故郷を、そして父さんと母さんを奪った誓いを果たすべき相手の名。

「……ミルヴァ、落ち着きなさい」

「あ……」

 呆然と立ち尽くしていたボクの肩に手を置き、心配そうな表情のおじさん。

「元々エリオットたちは、帝国軍の侵略を阻止する防衛任務の援軍としてラキラに向かったの。ただ、帝国軍について、嫌な噂が聞こえてきてね……念のため、アタシたちも援軍に向かうことになったわ。正直、間に合うかどうか微妙だけど……あんたはアタシとエリオットのことを信じて、ここで待っていてちょうだい」

 今まで見たことも無い程に悲痛に歪むおじさんの表情。
 ただ、それはエリオットさんを思うがためのものだけではない気がした。
 それもそのはず。
 ボクの母さんはおじさんの妹で、父さんは親友だった。
 おじさんにとってもまた、帝国軍は怨敵なのだ。

「ぼ、ボクも連れて行ってください!!」

「ミルヴァ…………」

 今までも、ボクがおじさんの任務に同行をせがむことはあった。
 自分の力を試したかった。
 少しでもおじさんの役に立ちたかった。
 でも、おじさんはボクのお願いを聞いてくれることはなかった。
 そもそも正規の騎士団員ではないボクを、騎士団の任務に同行させることは規則に反したものであり、同時に、おじさんはボクが傷つくことを無性に避けようとしていたから。

 ただ、今回は違う。
 騎士団員を家族のように想うおじさんと同じく、ボクにとってもエリオットさんは恩人であり、友であり、かけがえのない人。
 それに、ボクがおじさんと共に誓ったあの日の約束。
 それを果たすための一歩を踏み出す時が来たのだと、ボクは胸に手を当てて確信する。

「……いいわ。一緒に来なさい。いつまでもアタシの手の中で守られるわけにもいかないものね」

「おじさん……!!」

「羽ばたく時が来たわよ、ミルヴァ!あんたの力、アタシに見せてみなさい!」

「はいっ!!」

 ラキラの街までは、どんなに馬を急がせても五日はかかる。
 既に動き出している帝国軍は、それよりも早く到着するだろう。
 ボクたちの救出作戦が間に合うかどうかは、ラキラの街で戦うエリオットさんたち次第。

 どうか……どうか間に合って!!





「――っ!やはり遅かった……!!」

 五日後、ラキラの街を目前に控えたボクらの視界に、天高く立ち上る黒煙が見えてくる。

「お、おじさん……エリオットさんは……!!」

「大丈夫よ!あの子を信じなさい!!」

 目の前の光景は、言葉にするのも躊躇われるほど悲惨で悲しいものだった。

 街の外に広がる美しい花畑は無惨に踏み荒らされ、一部は火に焼かれて灰に。
 高い外壁が囲う街の至る所から、戦闘による煙があがっている。
 聞こえてくるのは怒声、悲鳴といった、耳を覆いたくなるような声ばかり。

「あれね……!」

 おじさんの目線の先。
 そこに街の外縁に陣を敷く帝国軍の姿があった。

「陣形を展開!ここに本陣を置くわ!」

 団長の号令を受け、無数の騎馬の隊列が、一つの生き物のように速やかに形を変える。

「リーベルト、バートン!ラキラ突入の二番隊救出部隊を編成!一個小隊を編成完了次第、行動開始!」

「「はっ!!」」

 おじさんは流れるような指示で部下のリーダー格二人に指示を出し、部隊を二分する。
 片や街の外で帝国軍と睨み合う本隊と、ラキラ内部で救出任務にあたる分隊だ。
 ただ、ボクは一つだけ気がかりだった。

「おじさん……その……エリオットさんたちだけじゃなく……!」

 街で煙が上がっているのは、既に街の内部に帝国軍が侵入し、戦闘が行われている何よりの証拠。
 そこには二番隊の皆だけでなく、同じくラキラの街を守ろうと戦う人や、恐怖に震えながら逃げ惑う住民たちが多く存在するはず。
 でも、おじさんは救出部隊を『二番隊救出部隊』と強調した。
 まるで、任務の目的が二番隊の救出のみを指しているように。

「ミルヴァ……あんたの気持ちはわかるわ。アタシだって全員を助けられるならそうしたい。でもね、アタシたちもまた彼らと同じく人間なの。できることには限界がある。それを理解せずに、多くのモノを抱えてしまえば、結局、全てが不意に終わってしまうこともあるのよ……!」

 おじさんは、ボクの気持ちを全て汲んだ上で、そう言葉にした。
 唇を強く噛みしめ、眉をひそめながら。

「ご、ごめんなさい…………!」

 まさに断腸の想いだったことだろう。
 それなのに、ボクはそんなおじさんに鞭を打つことを口にした。
 少し考えればわかること。
 あの優しいおじさんが、助けを求める人々を目の前に、ただ座することの意味を。
 ボクはおじさんに謝罪すると同時に、自分の弱さを再び呪った。

「団長!部隊の編成が完了!これより二番隊救出に向かいます!」

「頼んだわよ!外のことはアタシたちに任せて、必ず救い出して来なさい!!」

「はっ!!」

 今しがた指示を受け、救出部隊を編成していたリーベルトさんたちがラキラの街へ向け、馬を走らせていく。
 お願いします。
 どうか間に合って!

「しばらくは様子見ね。気を抜いちゃダメよ?あそこで待機している帝国本隊が動けば、アタシたちが対応することになる。絶対に目を離さないように気をつけなさい」

「わかりました……!」

 本隊の陣頭で、ラキラの外縁部を見つめるおじさん。
 刺すような視線は、街の外に陣を敷く帝国兵たちを捉えたまま微動だにしない。

 ラキラの街には、東西南北に備えられた大きな門が四つある。
 その内、帝国が陣を築いているのは北の正門前。
 おじさんは、そこから最も近い東門前に本陣を構え、あえて帝国に姿を晒している。
 それが牽制であることはボクにも理解できた。
 門外で睨み合いをすることで、彼らの意識をこちらに釘付けにする狙いだ。
 そうなると、帝国軍は街内での侵略作戦を推し進めるための援軍を向かわせることはできない。
 本陣が手薄になれば、こちらから仕掛けてくるかもしれないと考え、迂闊に動くことができないからだ。
 同時に、それはこちらの街内での救出作戦が遂行しやすくなることも意味している。
 こちらも第一目標はあくまでも二番隊の救出。
 だから、こちらから動くことはない。
 つまり、このまま街の外は膠着状態に入る。
 おじさんも間違いなくそう睨んでいる。

「――は!?嘘でしょ……何でよ!?」

 だけど、そんな思惑は大きく外れることとなる……

「迎撃態勢!突っ込んでくるわよ!!」

 街の外で陣を敷いていた帝国兵たちは隊列を組み、なんとこちらに向かって進撃してきたのだ。

「お、おじさん……帝国軍が……!」

「安心なさい。まだ大丈夫よ」

 予想に反した動きを取り始めた帝国軍だったけど、おじさんは冷静なままだった。

 敵方は数十人程の小隊規模。
 対してこちらは、部隊を二分したとはいえ、未だ百名を数える。
 おじさんの号令により、迎撃態勢を整える騎士団員たちにも、まだ余裕が伺える。
 大丈夫。
 その通りだ。

「…………おかしい……何でそんな無謀な突撃を?」

 でも、帝国が徐々にこちらとの距離を詰めていくにつれ、おじさんの表情がゆっくりと困惑に染まっていく。
 これにはボクも同意見だった。

 ここでどちらかの本陣が大きな打撃を受けることになれば、均衡は崩れ、どちらかが壊滅、もしくは撤退するまで続けられる掃討戦になる。
 彼ら帝国兵たちの胸に、どんな誇りや意志があるのかは知らないけど、そのことがわからないわけではないはず。
 それなのに、なぜ彼らは足を止めようとしないのか。

 次の瞬間、ボクらの渦巻く思考は怪しい光によって寸断された。

『ゴァアアアアアアアアアアアアアア!!』

「あ……あれは…………!?」

 アルモニア音楽騎士団の本陣に突撃してくる帝国兵たちの一部が手を前に掲げたかと思うと、その手先が眩く光り輝き、光の中からヤツらは現れた。
 紫色に光る鉱石のような鱗に包まれた皮膚。
 大木のような太い尾と、陽光を遮る二枚の巨大な翼。
 ボクはそれを知っていた。

「なんで……なんであの竜がこんなところに……!?」

 再び脳裏をよぎるあの日の光景。
 傷つきながらも、父さんがたった一人で立ち向かったヤツの姿。

 間違いない。
 あの日、シャムールの街を襲った魔物。
 ヤツらの襲撃が原因で、シャムールの騎士団は帝国の攻撃に対応が間に合わず、結果として敗北。
 シャムールの街は失われることになった。

 そんな魔物が、たった今、ボクの目の前で帝国兵の手によって召喚された?

「おじさん…………」

「えぇ……ミルヴァ。ようやくわかったわ。どうして、あの日シャムールの街中にあれが突然現れたのか。どうして、その出現を予期していたように帝国軍の侵攻が開始されたのか……」

 シャムールを失うことになった原因と、その実行犯。
 別々だと思っていた二つの畏怖の対象が、一つの敵として、おじさんとボクの頭の中で混ざり合っていく。

「「帝国軍っ……!!」」 

 突如出現した巨大な魔物の姿にうろたえる団員たちの前で、二人して目を見開き、心に怒りの火が灯る。

「貴様らぁああああああああああああ!!」

 誰よりも早く駆けだしたのは、おじさんだった。

「やぁああああああああ!!」

 毛ほども躊躇することなく、ボクもそれに続く。

――カッ!!

 再度瞬くあの光。
 帝国兵が、彼らを迎え撃つために走り出したボクらを見て、新たに魔物を召喚する。
 それでもボクらが止まることはもうない。

「くたばれやぁああああああああああああ!」

 召喚され、視界を得た時には、もう目の前まで迫っていたおじさんの剣撃。
 魔物はそれに反応することすらも許さないまま、一方的な衝撃に晒される。

『グゴッ……ォオオオオオオ!?』

「はぁっ!!」

 天に舞ったボクは、無抵抗のまま地に伏した魔物の顔面めがけ、これ以上ないほどの力を込めて一撃を見舞う。

『ガッ!?…………ォオオオオ…………!』

 ボクの着地と同時に、力無く動くことをやめた竜型の魔物。
 これで一匹。
 残りも全て倒してやる!

「「おぉおおおおおおおお!!」」

 ボクとおじさんの突撃から、数瞬遅れて戦列に加わる団員たち。
 ラキラの街外は乱戦模様の戦場へと変わった。



「ふんっ!!おらぁああああ!!」

 おじさんは吼え、目の前の敵をことごとく切り伏せていく。

「やっ!!はぁっ!!!!」

 ボクも負けじと弓を引き絞り、矢を放つ。

 気付けば、帝国軍の戦力は既に大部分が機能を失い、撤退を始めていた。

「このっ!!このっ!!!!」

「がっ!?」

「た、助けて――ぎゃぁああああ!!」

 戦意を失い、背を向け逃げ惑う帝国兵に向かって、なおも矢を射続けるボク。
 今の彼らがそうしているように、生きたいと願っていた人々の命を、彼らは多く奪い去った。
 それなのに、いざ自分たちが同じ状況に陥ると、命乞いまでし始める始末。
 ボクにはそれがたまらなく許せなかった。
 自分たちがしたことの報いを受けろ。
 お前たちが殺してきた罪のない人たちの恨みを思い知れ。
 一本。
 また一本。
 ボクは矢を番えるたびにそう念じ、弦を引き絞る手を離した。

「ミルヴァ!!」

「――はっ!?」

 強く腕を引かれたことで、ボクは我に返る。

「お、おじさん……」

「もう十分よ。これ以上はあなたの心が傷を負うことになる」

 荒くなった息を整えながら、ボクはゆっくりと思考を取り戻していく。
 ふと、自分の手を見ると、指先を弦で切ったのか、右手は血まみれになっていた。

 こうして帝国軍を退けたボクたちは、再び本陣を構え、彼らの動向に気を払った。

 幸いだったのは、その後帝国軍がこちらに仕掛けてくることはなかったこと。
 もしも彼らが第二陣、三陣と、ボクたちを執拗に攻撃し続けてくるようなことになっていれば、ボクは同じように戦い続けることはできなかったと思う。
 初めて戦場という場所に立ち、どす黒い感情に身を任せて戦った経験は、これ以上ない恐怖と辛さをボクの心に深く刻み込んだ。

「アタシはあんたをできることなら戦いに参加させたくはなかったわ……あんたの何かが変わってしまう気がしたから。どう?一つ戦いを終えてみて……何を思った?」

「ボクは……」

 正直、もう二度と御免だとも思った。 
 戦いに勝利したとしても、こんなにも辛く、悲しい思いをすることになるのなら、と。
 でも、おじさんやエリオットさんは、もっと悲惨な戦いをいくつも乗り越え、今を生きている。
 例え自分や相手を傷つけても、その手で守れる命が沢山ある。
 それを糧にして彼らは懸命に戦っている。
 ボクもそうならないといけない。
 そうしないと、おじさんとの誓いも果たすことはできない。
 だからこそ、胸を張らなければいけない。

「大丈夫です。ボクも、おじさんたちみたいに強くなりたいと思います……!」

「そう……やっぱりあんたは強いわね。その心根の強さは、まさしくアギラから受け継いだものよ」

 その時のおじさんの顔は、今までのどんな顔よりも静かで、優しいものだった。

「救出部隊、ラキラの街より只今帰還しました!」

 丁度、そのタイミングで本陣へ帰ってきた救出部隊。
 ボクらが帝国軍の本隊を足止めしていたこともあり、救出部隊の皆は一人として欠けることは無かったという。
 でも、救出部隊に連れられ、足を引きずりながら歩く二番隊の騎士たちの顔を先頭から順番に見て、ボクはあることに気が付いた。

「エリオットさんが……いない?」

「隊長は……戦闘中に消息を絶って、今もその所在が不明のままです……」

 おじさんの元を訪れた二番隊の隊員が、顔を伏したまま報告を口にする。

「そんな…………!」

「エリオット……一体どこで油売ってんのよ……!」

 その言葉は、おじさんがエリオットの生存を信じているからこそのもの。
 ボクもその気持ちは同じだ。

 でも、帝国は既に再度態勢を整えつつある状況。
 街内にもまだ別動隊がうろついてもいるはず。
 撤退か、待機か。
 おじさんが判断を迫られる。

 その時だった――

「団長!ラキラ東門よりこちらに向かってくる人影有り!!」

 その声を聴いた面々の顔が緊張でこわばる。

「あれは……エ、エリオット隊長!傭兵らしき男と一緒です!」

 エリオットさんの名に、喜びに沸く一同。

「――っ!?その背後から帝国兵!二人を追ってきている模様!」

「救援に向かいなさい!あの子を死なせるんじゃないわよ!」

「「はっ!!」」

 おじさんの声を受け、馬に乗っていた騎士数人が二人の救出へと走る。

「隊長!ご無事ですか!?」

「お前たち……!」

 エリオットさんの救出に走った面々と、その後方で陣を構えたまま鬼の形相で睨みつけてくるおじさん。
 それを見て、追ってきていた帝国兵たちの足は止まり、すごすごと門の中へと引き下がっていくのが見えた。

「命、拾っちまったな……」

「そのようですね……」

 救護班の元に運ばれていくエリオットさんの無事を心から喜び、涙で視界をにじませていたために、ボクは気づけなかった。
 その隣。
 彼に肩を貸し、共にラキラから逃げ延びてきた傭兵の正体に。

「おい、お前……ミルヴァか……?」

「え?」

 自らも傷ついていながら、その足でエリオットさんを救護班まで運んでくれた傭兵に声をかけられ、ボクはハッとする。
 その声には聞き覚えがあった。
 遠く懐かしい日によく聞いた、低くて野太い声。

「グラフィード……さん?」

「なんでお前がこんなとこに……」

「良かった……グラフィードさん!あの日からずっと会えずにいたから……生きてたんですね!!」

 父さんの友であり、幼い頃、よくボクの世話をしてくれていた、ボクにとってもう一人のおじさんとも言える人。
 ボクはその胸へと飛び込み、彼の命がまだこの世界にあったことを確かめ、その有り難さを噛み締める。

「痛っ……つぅ……………!」

「あ!ご、ごめんなさい!つい……!」

「いや、大丈夫だ……これくらい掠り傷だからな」

 ボクを受け止めた衝撃で、グラフィードさんの顔が歪んだ。
 でも、すぐに笑顔に変わり、改めてこの人の温かさを思い出す。
 幼い頃、抱き上げてもらった時に感じた力強い胸板も昔と変わらない。

「それよりも、ミルヴァ。お前はこんなところで何を――」

「一人の戦士としてここまで来たのよ。仲間を助けるためにね」

「あんたは……」

 遅れてボクらの元までやってきたおじさんが声をかける。

「確か、ジョセフィーヌだったな?あんたにミルヴァを預けたのは正しかったのかどうか、気になってはいたんだが……どうだ?」

「彼は立派に成長しているわ。アギラにも負けないような、誰かを守れる立派な騎士になりつつある」

「そうか……俺の目も節穴じゃなかったらしい……」

「エリオットの治療が済んだら、あんたも診てもらいなさいな。その掠り傷とやらをね……?」

「はは……んじゃ、有り難くそうさせてもらうよ」

「グラフィードさんは……これからどうするんですか?」

「俺はこれからも傭兵として、あちこち顔を出すつもりだ。お前ともゆっくり話はしたいが、先に挨拶してやらねぇといけない奴がいる……悪いが、数年越しの大事な客だ」

「そう……ですか…………」

 そう口にしたグラフィードさんは、少し思いつめたような、何かを決意したような、そんな表情をしているように見えたのは、ボクの気のせいだったんだろうか。
 ただ、その客というのが、エリオットさんのことを指しているのであろうことはなんとなくわかった。
 二人の間に、どんな過去があるのかは知らないけど、きっと大切な何かがあるんだ。
 そのまま彼は、エリオットさんが運び込まれた救護班のところへ歩きながら、こう続けた。

「ま、戦場を渡ってりゃそのうちまた会える。その時、立派になったお前の姿を見ることを楽しみにしてるぜ?」

「……はい!」

 もう少しゆっくりと彼と話していたい気持ちはあったけど、彼もこう言っていた。
 『そのうちまた会える』
 これは、共に戦場に立つ一人の戦士として、少しはボクを認めてくれたということ。
 そう思いたい。
 彼やおじさんが認めていた、ボクの父さんのように。

 今日は多くのことを経験し、学んだ。
 そして、これからもそれは続く。
 これから激化するであろう戦乱の世を予感しながら、この景色を目に焼き付けると共に、今一度誓いを立てる。

 シャムールの街を取り戻す。

「おじさん。ボク、もっともっと強くなります!まだ父さんや、おじさんや、エリオットさんにも、グラフィードさんにも追い付けていないけど、いつか絶対、皆に追いついてみせますから!」

「あんたならなれるわ……待っててあげる。でも、あんまりもたもたするんじゃないわよ?エリオットはともかく、アタシたちはもう若くないんだからね?」

「はい!」

「そこっ!!否定するところでしょ!!それから、最近すごく自然に『おじさん』って呼んでるけど、アタシは許したわけじゃないから!?ツケは全部アルモニアに帰ってから払ってもらうつもりだから、覚悟しておきなさぁい!」

「……は、はい。お姉さん」

+ 理を廻す歯車ヒューズ・ガリギア
「ヒューズさん、コーヒーをお持ちしました」

「あぁ、置いといてくれ」

 研究室の入り口に目を向けることなく、ヒューズは設計図にペンを走らせる。
 部屋に入ってきた助手は、彼の真剣な表情を見て何かを察し、湯気の立つカップを音を立てないよう静かに置いた。

 ヒューズが現在手がけているのは、半永久的に自立稼働し続ける機械兵器。
 この研究がうまくいけば、今まで成し得なかったことが実現するだろう。
 感情という不確定要素を持ち合わせておらず、どんなに無慈悲であろうとも、どんなに無茶であろうとも、ただただ命令に忠実。
 そんな兵士が大量生産されれば、大陸のパワーバランスは一気に傾くことになる。

 今までこの研究を成功させた者がいない理由として、魔素をエネルギーに変換する機械のコアとなる部分の摩耗が激しく、長期的な運用が難しいとされていたからだった。
 しかし、光の魔素が結合、そして反射させる際に生まれる屈折の圧力エネルギーを利用することで、ソリッドステート状態のコアの開発を成功させた。
 つまりは、従来ネックになっていた“機械は動き続けることで消耗し壊れる”という機械の根本にある欠陥を一つ解決してしまったのだ。

 光の屈折エネルギーを抽出するにあたり、必要不可欠となったのが絶魔状態の空間の確保。
 この絶魔空間というものは、ガリギアの技術者ならば概念として幼い頃から触れてくるものだが、その実現に達した者はいない。
 全く魔素のない空間を作り出すということは、空気中に漂う魔素を全て排除した後、外気からの干渉を一切許してはならない、または常に魔素を取り除いた空気を入れ替え続けなければならない。
 これまでも理論上では実現可能という論文がいくつも世に出回ったが、反対に未来永劫実現不可能という内容の論文も世の中から一定の評価を得ているのだから、一流の科学者の中でも自らの答えを持っている者は少ない。
 その雲を掴むような発明を、ヒューズは成し遂げた。
 それこそが、“発明の父ガリギア”と呼ばれている由緒ある血筋が、ただの噂や伝説ではないという証明となるだろう。


「ふぅ、しばし休憩しよう。脳に糖分が足りてない」

 糖分がどうのこうのよりも、ここ3日間眠らずに作業し続けている方が余程問題なのではないかと助手は呆れそうになるが、その気持ちは胸の中に留めることにする。
 彼はこういう人間なのだ。
 それはこの開発本部研究棟、通称“時計塔”に配属されてから毎日のように思い知らされてきた。

「ラキラの砂糖菓子がありますので、召し上がって下さい」

「あぁ、そうさせて貰うよ」

 眉間を指で押さえながら、深刻そうな表情を浮かべるヒューズ。

「それと、少しは休んで下さいね」

「あぁ、そうさせて貰うよ」

 いつもの反応に肩を落としながらも、彼らしいと笑ってしまいそうになる。
 しかし、伝えなければいけないことを思い出し、気を引き締め直した。

「ヒューズさん、少しお話してもいいですか?帝国から新たな要求がありまして……」

「またか。要件は?」

 ヒューズは顔色一つ変えずにコーヒーを一口啜り、受け皿にカップを戻しながら椅子に腰掛けた。

「先日に続き、帝国軍への軍事融資の件です」

「……」


 1年程前、突然ガリギア中に警報が鳴り響いた。
 正門の防衛システムが何者かに破壊され、周辺にはむせ返るような焦げた鉄の匂いが立ち込める。
 幸い、死者は出なかったものの、数年をかけ科学者達が作り上げた要塞のような壁が破壊されてしまったのだから、只事ではない。
 少数の帝国軍兵士が、夥しい数の魔物を手懐けて街の中に入って来る。
 “反抗の意志がなければ危害を加えるつもりはない”
 黒髪で黒い剣を持ったリーダーのような男は、不安そうな住人達に向けてそう告げた。
 しかし、彼の言葉に安堵する者は少ない。
 言葉の裏にあるものは『降伏』。
 そして『支配』であった。

 あの日から、少数の帝国兵が街に常駐し、事ある毎に様々な要求をしてくるようになった。
 無論、帝国にいい顔をしようと考える者などおらず、街から排除しようとする者達さえ現れたが、そんな声は理不尽な力の前に太刀打ち出来ず、ただ消えていくのが必然だ。

 ヒューズもそのことは知っている。
 街の最高責任者なのだから、当然と言えば当然のこと。
 だが、感心が薄いのか、帝国に対して他人事のような態度を取ることが多い。
 現に、帝国が攻め入ってきた際にも『その程度の要求なら飲んでも良い。それよりも、正門の修繕に相応しい技術者を集めて、設計書を早急に作るよう手配してくれ。設計の段階で僕も目を通す』などと、帝国兵が街を襲ったという事実よりも、長年使い込んできた正門を作り直すというプロジェクトに目を輝かせているように見えた。
 助手は、住民の暮らしに気を揉む領主のような役回りより、その方がよほど彼らしいと頷きながら、街の方針を周知し、正門の改修チームを編成した。
 その方針に口を出す者も多少いたが、それよりも街の発展、更には技術の発展のためにと多くの科学者が携わり、僅か9ヶ月という短い期間で新たな防衛システムを組み込んだ正門が作り上げられたのだった。

 しかし、正門が出来た途端に目標を失った技術者達は、帝国への不満を露わにし始めている。
 どんよりと淀んだ空気をその肌でひしひしと感じていた助手は、ヒューズへ打診する機会を伺っていた。

「以前、要求のあった新型の魔導装置ですが、ザクセン砦というメルキスの北側にある施設に配備して欲しいとのことです」

「わかった。では手配してくれ」

 ヒューズにすれば、それは気にするまでもない些細なことなのかもしれない。
 しかし助手には懸念があった。
 悪い言い方をしてしまえば、深く考えず、ただ帝国の言いなりになっているだけなのではないだろうか、と。

「あの、ヒューズさん……私から言うのもなんですが、本当にこれでいいのでしょうか?」

「ん?なにか問題点でも?」

「その……このまま帝国の要求を飲み続けるのは、個人的になのですが、技術者の士気を下げるのではないかと思うのです……我々には信念があるはずです。プライドもあります。原点魔素の基礎方程式も分からないような連中に大きな顔をさせておくのは、このガリギアの科学者のためにならないように思うのですが――」

 ヒューズは助手の話を聞き終わる前に結論に達する。

「マーニルに勝利を譲ると言うのか?」

「えっ?そんなことは……どうしてそうなるのでしょうか……」

 幼い頃から話を飛ばして結論から話す癖があった。
 ヒューズの父を知る人間の前でこの癖を出してしまうと、親子だなと言われてしまうので、極力治したいとの自覚はあるが、『少し思考すれば、自ずと答えにたどり着きそうなものだ』と頭の隅で考えてしまうと、どうにも素直に歩み寄る気持ちにはなれない。
 しかし、それはそれ、これはこれ。
 相手に自分の意思とプロセスが伝わらなければ、この会話すら無意味なものになる。
 それどころか、諦めてしまえば、相手がより理解できる人間へと成長するチャンスを奪ってしまうことにすらなり得る。
 ならば、分かり易く噛み砕いて説明をすることはむしろ害となるだろう。

「今君が言ったように、我々には信念がある。マーニルの術士が扱う魔法よりも、我々の科学が優れていることを証明する。そのために誰もがこの街の勝利を確信できるような素晴らしい魔法科学を発明するのだ。この街の総戦力を持ってすれば、帝国兵を街から追い出すくらいのことはできるだろう。しかし、それではマーニル側の人間に今の我々の手の内を明かすことになってしまう。そうなればこの街の勝利は遠ざかるどころか、我々の長い歴史に最悪の形で終止符を打つこととなるかもしれない。全くナンセンスだよ」

 そんな言葉は冷たいトーンで淡々と吐かれたが、その芯には燃え盛るような闘争心が確かにある。
 代々ガリギアの血に受け継がれてきた宿命。
 それこそがこの地に街を築いた先祖の魂であり、決して負けることが許されない戦争。
 マーニル、ガリギア。
 互いに相容れることなく、双方が最高の魔法科学の名を冠するために続けてきた長い争い。
 時には血を流し、時には長い沈黙を続けてきた。

 助手もその歴史は知っている。
 科学研究所では、子供の頃から耳が痛い程この話を聞かされてきた。
 しかし、実際には長い冷戦状態に入ってから久しく、本当に争っているのかも分からない。
 ガリギアにいる科学者は戦争に興味をなくし、既にマーニルとの関係は過去のものだとされているようにも見える。
 現に、魔法に勝つために、などと熱を上げている者など、この街にはいない。
 この男、ヒューズ・ガリギアを除けば。

 助手は小さなため息を床の上に落とすと、ヒューズの機嫌を損ねないように慎重に切り出した。

「それはもちろんそうかもしれませんが……えっと、少し変な話をするかもしれませんが、その戦争はここ百年くらい冷戦状態ですよね?私達は授業で学びましたが、戦争と言われてもピンとこないというか……」

「言いたいことは解る。既にガリギアの科学者の闘争心がマーニルではなく、肩を並べている科学者に向けられていることは重々承知の上だ。そして、今の状態を招いたのが僕や父、祖父だということも理解している。しかし、これは祖父が出した結論なのだよ」

 そう。
 ヒューズの祖父、アンペル・ガリギア。
 彼こそが、マーニルとガリギア間の争いを今の状態に持ち込んだ張本人と言っても過言ではない。
 長い歴史の中で、マーニルの魔術師がガリギアに攻め込んだことはほぼないと言っていい。
 例外として、少数の過激派がガリギアの門にありったけの魔法を叩き込んだり、ある氷魔法の使い手が街中に紛れ込み、テロを働いたことはあったが、どれもこれも歴史に語られる大戦に比べれば、事件とさえされないような小さなもの。
 では、マーニル軍は何故、ガリギアへと本腰を入れて攻め入ることをしないのか。
 その答えは、当時アンペルが提案した戦法にあった。

 今までガリギアがマーニルを打ち破ることが出来なかったのは、ガリギアの長所を活かしきれなかったことに起因する。
 長所とは、ガリギアの門にも配備されている自動で動く迎撃装置の存在。
 それらは目的、規模、基礎原理などで幾重にも渡って種を枝分かれさせ、今では数千種にも及ぶと言われており、今なお科学者各々が日々開発に熱中しているため、もはや正確な数を数えることは難しい。
 この力を持ってすれば、いかに強大な魔法を操るマーニル側の術者とて苦戦は必至。
 しかし、そんな力を人の力を介さずに発動しようとすれば、自ずと兵器本体は肥大化。
 動力のことも考えれば持ち運べる物はかなり限られ、遠くマーニルの地まで移動させるとなると、性能にも大きな制限がついてしまう。

 そこで、アンペルは装置群の力を最大限に生かせるガリギアに留まり、専守防衛の構えでマーニル軍を迎え撃つ戦法を提唱した。

 だが、ここからがアンペルの誤算。
 マーニルの魔術師は、待てど暮らせどガリギアの街に出兵してこなった。
 わざわざ相手が有利な土地で戦う必要はない。
 至極当然の考えだが、プライドが高く、自分たちの魔法に絶対の自信を持っているマーニルの人間ならば、それでも躍起になって攻めてくるはず。
 そんな当てが外れたのだ。
 これこそが、百年にも及ぶ冷戦状態が続くきっかけとなる。


「だから僕は思うんだ。このままではいけないと。百年待ち続けてもあちら側から攻めてこないのであれば、我々から攻める以外に勝利する方法はないとね。攻めてこないのであればね……」

 助手には、話しながらヒューズの表情が僅かながら変化したように思えた。

「それは確かにそうかもしれませんが……もしかしたら、マーニルの魔術師達ももう忘れているかもしれませんよ?戦争のことも、勝ち負けのことも。もしそうだとすれば……」


「忘れておる訳がないであろう!」


 突如、どこからともなく飛んできた甲高い声。
 まだ声変わりもしていない小さな子供のような……。
 しかしその落ち着いた雰囲気が幼さを否定する。

「だれですか!?」

 助手は声の出処を探す。
 ここはガリギアの中枢、時計塔。
 幾重にも張り巡らされた電磁ドアが外部からの侵入者を許さないことで知られている。
 その最上層ともなれば、文字通りねずみ一匹通さない、大陸内外でも最高のセキュリティと言えるだろう。

 助手は辺りを見渡すが、侵入者の影を見つけることはできない。
 目線をヒューズに戻すと、彼は椅子に座ったまま落ち着いた様子でコーヒーを啜っている。

「ヒュ、ヒューズさん!?」

「落ち着いてくれ。ついにその時が来たということだろう……ここまでどんな手を使って入り込んだのかは本人に聞いてみればいい。いや、正確には時計塔に穴を開けたあの光の正体か。聞きたいことは魔素の種類よりも多いが、まずは目的を聞こうか」

 コーヒーカップを皿に戻し、返答を待つ。

 時計塔の最上層に何者かが入り込んだことなど、歴史上初の事件であることは間違いない。
 それ程のことを成す人物。
 そしてここに用事がある人物。
 そして“あれ程”の魔法を扱う人物。
 ヒューズの中に答えは出ていた。

「なぁ、マーニル」

「えぇ!?」

 助手は驚きのあまり、思わず大声を上げてしまう。
 そんな状況でも、ヒューズは依然として落ち着いていた。

「相変わらずせっかちな奴じゃのぉ……まぁ、そんな所もガリギアの血というやつなのかもしれんが……」

「えっ!?」

 助手は更に大きく驚いた。
 今度は声の方向が分かったのはいいものの、それは頭の上、天井の方向だった。

 見上げると、フワフワと大きな紺色のローブを靡かせながら、大きな帽子を抑えた少女がフワフワと落ちてきている。
 落下速度は遅く、まるで何か透明なエレベーターのようなものに乗っているのではないかと錯覚してしまう程。
 その異常な光景に目を奪われ、その場から動くことができない。
 よく見ると、少女の周りには光の魔素が大量に集まり、キラキラと輝いているように見える。
 それはこの科学都市でなければ、神やらその類に見えてもおかしくないだろう。

 そのまま低速で地に足を付けると、少女は杖でトンッと床を鳴らした。
 大きくてヘンテコな帽子から伸びる桃色掛かった白髪、天球のような形をした金色の杖。
 教科書に記された因縁の相手の特徴のまま。

「ル、ルティア・マーニル!!!??」

 青ざめた顔で腰を抜かし、バランスを失った助手は目の前の机に思わず手をついた。
 中央に足のあるテーブルは大きく傾き、激しい音をたてながら上に置かれていたカップがバラバラになっていく。
 目の前にいるのが生ける伝説のような人物なのだから、登場の仕方にこそ目を瞑ることができても、こちらはそうはいかない。

――800年間、名前の変わらない魔法学校の学長

 そんなおとぎ話のような噂。
 現代科学においては不可能とされている不老不死。
 歴史の中で何人もの科学者がそんな装置を作ろうとしているが、良くても冷凍保存したネズミの蘇生を成功させた程度。
 人間のコールドスリープ、ましてや不老不死など到底不可能と言われる技術。
 そんなものを作れる人間がいたとすれば、マーニルとガリギアの戦争をも一瞬で終わらせられる程の、最高の科学として未来永劫讃え続けられるだろう。
 しかし、この噂話は大陸の住人であれば誰しもが聞いたことがある程に有名な話。
 もちろん、伝説は伝説でしかなく、実在はしないと口にする者も多いが、その伝説が目の前にいるのだから、もはや信じる意外の選択肢はない。

「調子はどうじゃ?新しい研究は進んでおるか?」

 助手のことなど全く気にせず、ヒューズに話しかける少女。
 ヒューズは眉をしかめることもなく、涼しい顔で対応する。

「初対面の相手に、まるで友人のように話し掛けてくるのだな。敵である我々の研究施設に不法侵入。こちらの質問は無視。更には研究の進捗を報告しろとなると、心良く言葉を交わそうとする者はいないと思うのだが?それが君の国での礼儀作法なのか?」

 少女は楽しそうに研究室を歩き回りながら、ヒューズの話を聞いているのか聞いていないのか、部屋の中にあるもの手当たり次第に物色しているようだ。

「ドアから入って正面に何もないスペース。少し進んだ所に休憩用のテーブル。そして左側に本棚。それから作業机があり、広げられているのは大きな設計図。ふふふ……やはりガリギアの血が濃いのじゃな」

 一通り部屋を見回ったと思うと、ヒューズの方へくるりと顔を向ける。

「な、何をしにきたんですか!?あなたは……ルティア……ルティア・マーニルですよね!?ヒューズさんを狙ってきたんですか!?えっと……今警備を呼びます!!」

 助手は慌てながらバタバタとうまく動かせない足を必死に前に出しながら出口へと向かう。
 しかし、その足をヒューズの言葉によって止められた。

「まぁ、待ってくれないか。彼女は何やら話をしに来たようだ。君はまず倒したテーブルを元に戻して、割れたカップを拾うこと。そして新しいコーヒーを2杯持ってきてくれ。彼女を……彼女を僕の客として扱うように。他の者には他言無用で頼む」

「えっ……!そんなのわからないじゃないですか!マーニルとは長い戦争をしてきたってさっきも言っていましたよね!?私だって知らない訳じゃありません!そんな相手が急に部屋に入って来たんですよ!?安全だなんて言い切れる訳が――」

「問題ない。もしこの魔法使いが僕の命を狙ってきたのならば、部屋に侵入した時点で僕を攻撃していただろう。金属で組み上げられたこの研究室の天井に音もなく穴を開ける魔法を扱えるのならば、僕を殺傷することは十二分に可能だったはず。このコーヒーの表面に彼女の姿が映ってから喋りだすまでの時間でそれをしなかったということは、彼女の目的は他にある。そうだろう?」

 少女はどこか狡猾さを含んだ笑顔を見せながら、ゆっくりと首を縦に振る。

「そうじゃな。お主がそんなにも丁寧に助手に説明ができる奴じゃとは、驚きを隠せんな」

「僕を知ったような口を叩くのだな。これで言うのは二度目だが、初対面だろう?」

「ふふふ……そうじゃな。“お主とは”初対面で間違いない」

 何か含んだ言い方に聞こえたが、いちいち突っ込む気にもならないヒューズ。
 今までのやり取りで、この少女の一言一句に質問をしていては、いつまでたっても確信に迫れないと考えが至っていた。

 少女はポカンとしている助手に向けて笑顔を向ける。

「驚かして悪かったの。お主らの大事な“ガリギア”に何かしようとは思っておらぬから安心するのじゃ」

「そういうことだ。僕の客として扱ってくれ」

 助手はヒューズがどうしてそこまでこの少女を信じられるのかと頭を悩ませながら、倒れたテーブルを元の位置に戻し、割れたカップを拾うと部屋を出ていった。


「さて、本題に入ろうかのう。ワシがここに来た理由じゃったな。どこから話せば良いかのぉ……」

「前置きはいらない。単刀直入に頼む」

「ふふふ……そうじゃな。ではそうさせて貰うとするかの」

 少女はそう言うと、テーブルを挟んでヒューズの前に座った。

「ワシがマーニル魔法学校の学長ルティアじゃ。お主とある賭けをしたいと思っておる」

「賭け?」

「どちらが早く帝国軍を滅ぼせるか。互いの技術をぶつけてみる気はないかのぉ?」

 ヒューズが想像していた内容よりも、随分とまた突拍子もない打診に困惑する。
 色々と想像しては破綻し続ける仮設の山で、頭の中が埋まった。

「ガリギアとマーニルはここ数百年、戦争を繰り返してきた。その事実を知っているのか?」

「そうじゃな。知らぬわけがないじゃろう」

 彼女からその言葉が出るということは、本当に800年以上生きているとでも言うのだろうか。

「帝国の戦力は、お前たち魔術師だけでは手に負えない程の相手なのか?」

「どうじゃろうな。やってみんことにはわからんが、王都レミエールを堕としたんじゃ。一筋縄でいく相手ではないじゃろうな」

「何故、帝国を敵視する?」

「敵視というよりも、この大陸を支配して何をしようとしておるのか、何故王都を潰せるまでの力を急につけたのか、そこに興味があるというのが本音じゃな。お主もそうじゃろう?」

 確かに、小国である筈のガルヴァンドが、一夜で王都を陥落させたと報告を受けた時には耳を疑った。
 この街に攻めてきた時に従えていた魔物。
 あの魔物達をどのようにしてコントロールしているのか――

「興味がないとは言わない。だが、我々の争いに決着を付けるためとはいえ、わざわざ帝国とまで戦争をするなどと……あえて回りくどい方法を望む理由が理解できない」

「ふむ……そうじゃのぅ……」

 それまでは筋書き通りに話していたかのようにテンポ良く返ってきていた言葉が止まる。
 彼女は天井を、いや、その上の空を見上げているような、そんな目をしていた。
 時間にして数秒。
 しかし、その間に思考していることにこそ、ルティア・マーニルという人間の本質があるのではないだろうかと、ヒューズは次の言葉に身構えた。

「元々ワシは人が争うことを嫌っておる。それは今でも変わらん。しかし、ある男は違ったのじゃ。争うことで、技術を発展させようとしておった。争えば争う程、技術が発展すると」

 それには一理ある。
 闘争心がもたらす相乗効果。
 好敵手という存在が人を飛躍的に成長させる様に、戦争は技術力を飛躍的に進化させる。
 しかし――

「争いが必要なのであれば、我々ガリギアとマーニルの直接対決でも叶えられることだ。その方がどちらに軍配が上がったかも分かりやすい」

「先程も言ったように、帝国は今や大陸の脅威となっておる。ワシらが戦い、消耗したところで、帝国が本腰を入れて大陸全土を滅ぼしに掛かってきたらどうするのじゃ?敵の敵は味方と言う言葉があるじゃろう?」

 ヒューズは椅子の背もたれにもたれ掛かりながら、しばし思考する時間を取る。
 この少女の言葉には、何か裏があるような、そんな気配を感じるのだ。
 そして、結論は出た。

「やはり……断らせて貰う」

「何っ!?なぜじゃ!?互いの研究の成果を帝国にぶつけて競おうというだけじゃぞ!?帝国軍を常駐させているガリギアにも利はあるはずじゃろう!助手も言っておったではないか!」

 この女……いつから話を盗み聞きしていたのだろうか。

「理由は簡単だ。君を信用することができない」

「なんじゃと!?」

 ヒューズは厳しい視線を少女に向ける。

「先程、君はルティア・マーニルだと名乗った。僕も君がこの部屋に入ってくる時はそう確信があったのだが、顔を見てからというもの否定的な要素が多すぎる。君はあのルティアではない」

「……何が信じられないというのじゃ」

「噂では、君はマーニルの街ができた頃から生きている。だが、君はどこからどう見ても幼すぎる。化物のような年齢であれば、染色体からなる遺伝子や、それが作り出す細胞に劣化が生じるはず。噂が本当であれば、僕はてっきり身体を機械化しているのだろうと想像していたが、その様子もない。君が800年以上の時を生きてきたなど、まるで少女の夢物語。君はルティア・マーニルを騙る他人。そんなどこの輩と知れない者と協力し、帝国に対して宣戦布告するなど……受け入れられる人間がいるのか疑問だな」

 それは思想ではなく、状況からの推察で導き出した理屈。
 しかし、目の前の少女は依然として不敵な笑みを浮かべている。
 この年齢で、ここまでの振舞いができているところを見ると、何かしら特殊な教育や訓練を受けているのだろうか。
 一考の余地はあるが、それでもここで受けるべきではない。
 それがヒューズの出した解答。


 少女は、大きな法衣を翻し、ヒューズに背を向けた。

「少し予定が狂ってしまったのぉ。筋書き通りに進まんのは昔と同じという訳か……」

「諦めがついたならば、大事になる前に帰って貰えるか。君が僕の期待していたような人物ではないとなると、僕が君を匿う必要もなければ、これ以上話をする時間さえ惜しい」

 少女は何か思い直したようにひとつ頷くと、首を回して横目でヒューズを見る。

「やはり、何も知らないのじゃな。お主達らしい……ガリギアの技術で人をこんな身体にしておいてからに……」

 最後の方はギリギリ聞き取れるかどうかの小さな呟き。
 しかし、その声はなんとかヒューズの耳に届いていた。

「おい、今のはどういう意味だ?」

 少女はまた背を向ける。
 大きな帽子でその表情は一切分からない。

「今日は諦めるとするかの。お邪魔したぞっと……」

 そう言い終わるや否や、少女の身体は光に包まれる。
 質量を持つ程に圧縮した眩い光の魔素に少女が足を乗せると、そのまま空中へと浮かびだす。
 マーニルの魔術師は、自身の体内で術式を構築し、魔素を操ることが出来ると聞くが、これ程までに高度な術式を脳内で組むことができるとでも言うのだろうか。
 機械に組み込もうと思えば、文字にして数十万行の式を組み込む必要があるだろう。

「待て!!僕の質問に答えろ!!」

 少女を包んだ光は急激に高度を上げ、入ってきた時に開けた穴へと消えていく。

「おい!!くそ……!」

 光は穴から空へと飛び去り、研究室には静寂だけが残った。




 それから数日間、ヒューズは進めていた研究を止め、資料館にこもって過去のレポートや書物を読み漁っていた。

「ガリギアの技術で人をこんな身体にして……あれは一体どういう意味だ?本当にあの少女がルティア・マーニルだとすれば、不老不死の身体は我々ガリギアの技術の成果ということなのか……?」

 この街の歴史を遡る。
 膨大な量の資料。
 800年にもこの街の歴史となれば、それもその筈。
 『不老』『蘇生術』『時間走行』
 それらしい言葉を片っ端から漁っていくが、不老不死という答えには到底たどり着けない。
 それどころか、研究の失敗、断念、打ち切りという、スタートラインにすら立てていない文献の数々。

 やはり、全てはお伽話。
 ルティア・マーニルは実在せず、あの少女がその名を騙っているだけ、という仮説は覆らない。
 800年以上生き続ける人間など、存在する筈が――

「待てよ……!!僕は何故こんなに単純なことに気が付かなかったんだ……」


 至極簡単な話。
 もし、不老不死などという技術が確立しているのであれば、ガリギアに住む人間がそれを知らないということはあり得ない。

 それが倫理観に反するという理由で闇に葬られていたとしても、何かしら痕跡は残る。
 仮に、それを何者かが隠蔽したとしても、当時の記録に残されるはずの空白や矛盾が存在するはずなのだ。
 歴史の改竄、抹消とはそういうもの。
 しかし、どの歴史年表や資料にもそれが皆無である事実は、その技術の存在はこの街、科学都市ガリギアの歴史上の出来事ではないことを指している。

 そもそも、ルティア・マーニルが本当に800年以上生きているのであれば、その時間はこの街が紡いできた歴史の長さと重なる。
 それだけでも、必死にこの街の歴史を洗っていた作業が如何に無駄であったのかを思い知らせてくれる。
 こんなにも簡単なことを何故見落としていたのか……。

「僕としたことが……滑稽だな……」

 身長の倍以上はある本棚に背中を預けると、額に手の甲を当て、ため息を付く。

「ふぅ…………」

「あの……ヒューズさん、お疲れでしたらお休みになった方が良いのではないでしょうか?もう丸4日は横になっていませんよね?」

 聞きなれた声が耳に届く。

「君か……。そうだな……そうさせてもらおうか」

 フラフラと歩くヒューズの肩を、助手が支える。

「もう!無理しすぎですよ?」

「頼みがある……僕が休んでいる間に、この街の一番古い文献を集めておいて貰えないか?街が作られた経緯が知りたい」

「わかりました。任せて下さい!……でも、そんなことなら授業で習いましたよ?機械が好きな人達が集まって研究都市を作った。そのリーダーとなったのが初代のコイル・ガリギアさんですよね」

「その話を詳しく調べ……たいんだ……」

「でも意外ですねぇ……ヒューズさんが歴史を学びたいなんて!魔素と回路くらいしか興味がないと思っていました!」

「…………」

「あ、すみません、失言でしたね。悪気はない――」

「…………スー……スー……」

「寝ちゃいましたか。もう、せめてベッドまで歩いてからにしてくれたらいいのに……」




 ヒューズが目を覚ますと、そこは研究室のベッドだった。
 深い眠りについていたのか、少し頭がボーっとする。
 上半身を起こし、辺りを見渡すと、机の上に助手が運んだであろう資料が積まれていた。
 彼は無意識にその中の一冊を手に取ると、静かに頁をめくりはじめた。



「ちょっとヒューズさん!?ヒューズさん!?」

 読んでいる本の文字が左右にブレる。
 どうやら誰かが肩を揺さぶっているようだ。

「君か……どうしたんだ?」

「どうしたんだじゃないですよ!どれだけ呼んだと思ってるんですか!聞こえてましたよね?」

「呼んでいた?僕をか?」

「もう!!食事を用意しましたから、食べて下さいね!」

「あ、あぁ……」

 どれほど没頭していたのだろうか。
 横のテーブルには、暖かそうなスープが湯気を立て、隣にはふわふわとしたパンが並んでいた。

「絶対食べて下さいね!」

 頬を膨らませた助手が部屋から出ていくと、ヒューズは椅子の背もたれに体重を預けて天井を見る。


「オウルホロウ……か……」


 古い歴史書に記された記録。
 伝えられている通り、この街が出来た当時のリーダーはコイル・ガリギア。
 しかし、どこか不自然なことがある。
 65回目の街の設立記念日にコイル・ガリギアは死去している。
 だが、『享年67』という記述があったのだ。

 両の数字をどちらも真実とするなら、コイルがリーダーとなった時点での年齢は2才。
 いくら天才といえど、歩き始めたばかりの子供をリーダーにするとは思えない。
 となると、今ガリギアの街に伝えられている歴史は間違っていることになる。
 しかし、誰が何のために歴史の改竄をしたのかという疑問は現状の資料からは読み取れなかった。

 そして、核心に迫る情報がまた一つ。
 科学都市ガリギアを創設する前身の街。

 魔導研究都市『オウルホロウ』の存在。
 その場所は記されていなかったが、ある情報から位置を特定することができた。

――マーニル派との抗争が続いていた頃、装置が誤作動を起こした

――魔素が枯渇し、土地を移動せざるを得なかった

 端々に散らばった情報ではあるものの、これが意味するは何かしらの実験が失敗して大惨事となったということだろう。
 そして、その結果街から魔素が無くなり人が住める状態ではなくなった。

 大陸で一箇所、魔法都市マーニルと科学都市ガリギアの中間にある不思議な土地。

 『絶魔地帯』

 基本的に立ち入りが禁止されているが、そこには人工物があるという。
 遺跡調査の兵団が何度か立ち入ったようだが、魔素がない状況で魔法も機械も動かすことはできず、その中心地へ辿り着いたという話は聞いたことがない。

 そして注目しなければならないのが、このオウルホロウの事故がおよそ800年前だということと、オウルホロウにはマーニル派とガリギア派という人種が住んでいたということ。
 今では考えられないマーニルとガリギアの共存。
 そこでは一体何が行われていたのだろうか。

 もし、あの少女が本当にルティア・マーニルだったとして、かつてオウルホロウに住んでいたのだとすれば、ガリギアの技術に触れる機会もあったかもしれない。
 だとするならば――


「確かめる必要があるな……」



 ――2日後


「それでは出発するとしようか」

「はい。私が運転しますね」

 船に乗り、科学都市ガリギアのある島から大陸本島へ。
 そこから自走車に乗り、絶魔地帯へとハンドルをきるヒューズの助手。
 この最新型であれば、僅か半日程度で目的地へと辿り着けるだろう。

「しかし助手席に助手が乗っていないっていうのは何かおかしいですね~あはは」

 ヒューズの耳に助手の言葉は届かない。
 頭の中は、あの少女との会話でいっぱいになっていた。

(元々ワシは人が争うことを嫌っておる。それは今でも変わらん。しかし、ある男は違ったのじゃ。争うことで、技術を発展させようとしておった。争えば争う程、技術が発展すると)

(やはり、何も知らないのじゃな。お主達らしい……。ガリギアの技術で人をこんな身体にしておいてからに……)

 オウルホロウでも、マーニルとガリギアは技術を高め合い、そして争った。
 その結果、ルティア・マーニルは不老不死に。
 それは、ガリギアの技術が原因で……

「何がなんだか……さっぱりわからんな……」

 ヒューズは慣れない陽の光を遮るために手首を額に乗せる。

「いや、ただの冗談ですよ!まさかヒューズさんに運転させる訳にはいかないですから」

「何の話だ?」

「え……いえ……なんでもないです」



 慣れない揺れに身を預けながら、東へ東へと進んでいく。
 日が傾きかけた頃、明らかに周りの空気が変わった。

「車を止めてくれ。これ以上進めば魔素がなくなり帰りは徒歩になるぞ」

「わかりました」

 絶魔地帯まで数kmという所で、最低限の荷物を肩に掛け歩き始める。
 濃い霧が立ち込め、この先には生き物がいないということが直感できるような、まるであの世の入り口のような場所。
 思わず、足を止めたくなるのも無理はない。

「この先が……絶魔地帯か……」

「不思議ですね。霧が出ているのに水の魔素がないなんて……」

「そうだな」

 魔術師は魔素を自らの感覚で捕えることができるらしい。
 その魔素を集めて魔法を放つのが魔法使いという人種だ。
 科学者が作る機械は、魔素を集める、または魔素を充填する装置を使って魔素を集めるため、扱う者には特別な資質や訓練も必要ない。
 それこそが、人の暮らしを豊かにする科学なのだ。

 そんな科学者でさえ、違和感を感じずにはいられない。
 魔素がない空間というのは、それ程までに常軌を逸していた。

「ん……?霧が晴れた……?」

 つい先程まで、数歩先の視界も確保できないほど濃い霧が続いていたのだが、急にその霧が晴れている。

「何という光景なのだ……」

 思わずヒューズが目を疑ったのも無理はない。
 後ろを振り向けば、先程まで歩いてきた濃い霧の壁。
 その壁は空を覆い、ドーム上に空間を作っている。

 そして、その中心には建物がいくつも見える。
 これだけ年月が経っているというのに、荒廃もしていないということは、雨風に晒されることがないのだろうか。
 太陽は出ているはずなのに薄暗く、物音が何ひとつない。

「これが……オウルホロウか……」

 2人は街の中へと足を踏み入れる。



「800年前の街なんて想像もできなかったですけど、思ったよりも近代的なんですね」

 緩やかな坂道を登りながら助手が話し掛ける。
 街の至る所に回路に使うケーブルが張り巡らされているので、躓かないように身長に足を上げていた。

「金属で出来た建造物が見受けられるな。しかし、鉄ではない何かだ……全てが分厚く、加工に苦労しそうだな。きっと圧延する技術がなかったのだろう」

「回路を乗せる基盤を作るのも大変そうですね。あと重くなりそうです」

「ここまでぶ厚い金属を加工する技術が既に確立されていたということでもある。それにしても、このケーブルは何だ?」

 地面に張り巡らされたケーブルを目で追うと、決まってどこかの施設に繋がっている。
 もしかしたら、これで魔素や電気、あるいはそれに類する何かを送っているのかもしれない。
 しかし、ケーブルがこうもむき出しになっていては、歩行するのに邪魔で仕方がない。
 地下に収納するなどという技術がまだなかったのか、それとも収納する手間を惜しんで突貫で作業したためか。

「ん?あの建物は……入ってみるぞ」

 一際太いケーブルが伸びる先。
 そこには、所狭しと並ぶ大きな建物の中でも、一際背の高い建物があった。
 今となっては見かけないレトロな機械が無数に取り付けられた塀が、その建物を守るように囲んでいる。
 どうやらケーブルはこの中に続いているようだ。

「研究施設ですかね?ここだけ機械の量が……」

 塀を回り込むように入り口を探す。
 取り付けられた機械の中には水晶体がついたものもあるようだ。
 これらは、現在ガリギアの街を守っている門に取り付けられた自動迎撃システムと同じようなものなのだろう。
 今も昔も考えることは変わらない。
 根本の思想は当時、既に構築されていたということになる。
 革新的な技術改革が進んでいないことを恥じるか、今の技術の根本を当時作り上げた技術者達を褒めるか、複雑な所だ。

「枝は別れ、延び、何かを実らせようとも、根の成長は止まったままということか。これを開発した先人達が嘆いているような気がする」

「なんの話ですか?」

 助手は不思議そうな顔を向けてくるが、今は余計なエネルギーを使いたくはない。
 ただでさえ魔素がない状況で、ただ歩いているだけでも身体への負担が普段の比ではないのだ。

「あ、塀が途切れています。中に入れそうですよ」

「これは……」

 助手が言うように、確かに大きな門が口を開けていた。
 しかし、何か様子がおかしい。
 門は門としてあるのだが、そこには何重にも付け足されたようなバリケードが設置されている。
 そしてその中央は、入り口として開いているというよりも、何かによって破壊されていた。

「高熱によって焼かれているな……街が機能していた頃のものか」

 バリケードの切れ目は鉄が黒く変形しており、よく見ると焼き切られていることが分かる。
 鉄を構成している元魔素が風の魔素と反応して爆発的なエネルギーを発生させる。
 鉄が燃焼するという事実は、鉄を扱う者にすれば比較的一般的な知識だが、これだけ巨大な鉄の塊を燃焼させるエネルギーを想像すれば嫌な汗が噴き出してくる。
 現代における最大出力レベルの炎吐機が使われていたのか、難しいと言われている光の魔素を操ることが既に出来ていたのか定かではないが、オウルホロウにおける争いでは、こうしたものが当たり前のように使われていたということだ。
 以前、ガリギアがマーニルの街に攻め込んだ際にも、様々な兵器が用いられたが、あくまでも降伏を促すための威嚇射撃をする程度の運用だった。
 それが街中で堂々と発射されていたとなると、どれだけの犠牲者を出したのか。

 そして、この現象を再現しようとすると必ず魔素が必要となる。
 つまりは、絶魔地帯となる前の出来事であると、簡単に推測することができた。

 更にはこの塀に取り付けられた迎撃システム。
 今ガリギアにあるものと比べると随分大きいが、目標を定め、鉛の弾を射出する装置だろう。
 こんなものが人に当たれば、運が良くても重症。
 多くの場合は即死だろう。

 この街で具体的に何が起こっていたのかは分からないが、日常的に戦闘行為が横行していて、沢山の血を流されていたことだけは間違いない。


 焼かれたバリケードを抜けて中へ入ると、いくつもの建物が並んでいる。
 所々に見える横断幕。
 『打倒マーニル!』『ガリギアに勝利を!』『科学が正義!』
 資料にあった、マーニル派とガリギア派の裏が取れた。
 やはり、この街で両者は争っていた。
 我々の戦争の発端は、ここにこそあるのかもしれない。

 正面には大きな掲示板のような物があり、近づいてみるとこの施設の地図が記されていた。

 地図の一番上には『オウルホロウ科学研究所』と大きな文字が目を引く。
 ガリギアの前身である施設がここだとすれば、あの少女が言っていた謎に近づけるかもしれない。
 保証はないが、期待するくらいならばバチは当たらないだろう。

 地図で見る限り、施設の敷地はかなりの広さ。
 一つ一つじっくりと見聞してみたいが、これら全てを周ることは叶わない。
 ここにいられる時間は有限なのだ。

「文字は変わらないのですね。800年という歴史を経ても同じということは、この文字は殆ど完成されていると言ってもいいのではないでしょうか」

「確かにそうかもな。ん?これは……」

 地図のほぼ中央に位置する大きな建物。
 その名を見た助手とヒューズは目を丸くする。

「開発本部研究棟!?ガリギアの時計塔の正式名称と同じじゃないですか!」

「ここからの名残でそう命名されているのかもしれないな」


 2人は迷うことなく開発本部研究棟へと足を運ぶ。
 見えてきた建物は周囲の建造物と比較しても一際大きく、階層こそ高くないものの最上階付近には大きな時計が堂々と敷地を見下ろしている。

「真昼間か……」

「えっ?何がですか?」

「魔素が無ければあの時計も動かないだろう。これだけ大きな施設だ。故障したままにしておくことも考え辛い」

「んー??……あっ!なるほど。事故が起こって魔素が無くなった瞬間に時計が止まったということですね。確かにそうですね!」

 時計の文字盤に記されている構成は現代のものと変わらない。
 ということは、時刻も同じように示しているだろう。
 針の指す時刻は太陽が登りきった昼過ぎ。
 つまり、人が活動している時間帯だ。

「ふむ……」

 何かしらの天変地異によるものか。
 それとも人為的なミス、または意図的に引き起こされたものか。
 絶魔地帯が作られたと原因を究明するためには、まだピースが足りない。
 だが、少しずつ核心に迫っているような、そんな気がする。
 この施設には、何かがある。
 そんな“非科学的な予感”。

「柄にもないな……絶魔地帯で精神もやられているのか……?」

「ん?どうかしました?」

 頭を抑えるヒューズの顔色を伺うように助手が覗き込む。

「いや、何でもない。進もう」

「あっ!待ってくださいよ~!」



 研究棟の中に入ると、棟内の地図が壁に張られていた。

「第01、第02研究室!!本当に時計塔と同じですね!」

 各部屋に振られた番号。
 これは今の時計塔と同じように振られている。

「これは面白いですね!本当に私達の祖先がここに居たんだって証明されているような、そんな気がします!……ん?」

 確かに、ここまでくれば助手の言う通りなのだろう。
 機械に囲まれた塀、建物の名前、ガリギア派の人間の痕跡、そして今回の部屋の名前。
 何世代前の者かは分からないが、ガリギアの名を持つ人間が800年前にここに立っていたとしても何らおかしくはない。

「ヒューズさん!これ見て下さい!第38研究室がありますよ!」

「何っ!?」

 『第38研究室』
 唯一、時計塔にはない研究室の番号。
 それは部屋数が足らない訳ではなく、理由は分らないが38番は欠番となっているのだ。
 噂では、かなりの頻度で目にするが修正が面倒なエラーコードが「38」だからという説や、以前はあったが自殺者が何人も出て誰にも見つけることが出来ないように細工をされているから等、オカルトのような話がいくつもある。
 真意を確かめることも出来ないので、面白がっている人間がいるという程度だ。

 しかし、ここに『第38研究室』があるというのは引っ掛かる事案であることも確か。

「行ってみるか……」

「まるで、何かが私達を吸い寄せているような気がします!」

 確かに、ここに来てから何かがおかしい。
 魔素がないことで身体に何かしらの異常を来していることも考えられるが、今まで感じたことのない何か……。
 まるで、誘い込まれているような、そんな空気すら感じるのだ。

「……非科学的だ」

 何かを振り払うように頭を横に振り、自分の気を確かめる。
 ここに長く居座るのは危険だ。

「先を急ぐぞ」

「はい!」



「本当にありましたね」

 目的地は地図上と同じ位置にしっかりと存在した。
 地図上に存在するのであれば、それは当然の成り行き。
 だが、いわく付きの『第38研究室』という部屋に限っては、疑う気持ちが多少生まれるのも仕方がないといえよう。

「入るぞ」

 扉は元々機械仕掛けで開閉するタイプのようだったが、都合が良いことに開け放たれている。

「これは……」

 部屋に入るなり、視界に飛び込んでくる大きな機械。
 中央にはカプセルのような物があり、大の大人がすっぽりと入れるくらいの空間がある。
 太いケーブルが部屋の外からこの装置に繋がっていた。

「どうやら街に張り巡らされたケーブルは、この装置のためのようですね」

 助手が興味津々という顔で装置に近づいていく。

「その装置は僕が調査しよう。君は他に目ぼしい物がないか探してみてくれ」

「わかりました」

 多少残念そうにしている助手だったが、ヒューズの声にすんなりと頷く。
 機械のことはヒューズに任せた方が手っ取り早い上に確実。
 彼女も優秀な人材には違いないが、相手がヒューズであれば比べるまでもない。

 ヒューズが調査を初めて一刻程で、この装置の大体の概要が掴めてきた。
 どうやらこれは生命体の治癒のために作られたようだ。
 多少形式は違うが、やろうとしていることは理解出来る。
 端々に見たことのない回路が組まれているが、作成者の意図が手に取るように分かるのだ。

 どうやら、大量の魔素を用いて、対象の細胞を再生する装置。
 そこまでは頷ける内容だ。
 しかしここからがヒューズの頭を悩ませるようになる。

 単に治癒を施す装置であるならば、そこまで多量の魔素は必要とせず、街中にケーブルを張り巡らせる手間も不要。
 だとすれば、何か別の目的がある筈だ。
 頭に思い浮かぶのは、命を失った者を生き返らせる、人体蘇生。
 そしてもうひとつ。

「不老不死……」

 あり得ない。
 現在においてもそんな技術は開発されていない。
 到底不可能なのだ。
 ガリギアの資料館でも、それは確かめた。
 否定出来る材料の数は、1つの自走車に使われているビスの数よりも多い。

 しかし、それでは説明が出来ない。
 これ程までに大掛かりな装置を作る理由。

 そして、その仮説は、全てを繋げてしまう。

 これだけの装置であれば、ケーブルを張り巡らせた範囲の魔素を一点に凝縮することができる。
 そして、それにより引き起こされるのは、ここ一点を除く絶魔空間。
 この装置が、今のオウルホロウの状況を作り出した原因となったとすれば説明がついてしまう。

 そして、800年という時を生きているルティア・マーニル。

『ガリギアの技術で人をこんな身体にしておいてからに……』


 もし、もし仮にだ――。
 この装置で不老不死が実現できたとする。
 そして、ルティア・マーニルに使用したとしよう。

 オウルホロウの魔素は枯渇し、絶魔地帯となった。
 とても人が住める環境ではない。
 ならば移住が必要だ。

 オウルホロウにはガリギア派とマーニル派という勢力があった。
 そして、その2つが分断し、新たな街を築いたとしよう。



「……………………いや、あり得ないな」



 ヒューズは座り込み、装置のガラスに頭を預ける。
 熱でもあるのではないだろうか。
 そう思える程に、その仮説を否定出来る材料がある。


 マーニル派とガリギア派は争っていた。
 そう、争っていたのだ。

 もし仮に、不老不死を実現させる装置を完成させたとして、敵軍の長にそれを使用する意図は何か。

 不老不死となることを、ある種の罰、つまり終身刑のようなものだと考えたとしよう。
 哲学者が良く口にしているように、無限の命とは、決して幸福なものとは限らないのかもしれない。
 だが、実際に不老不死になった人間が、そう口にした例があるわけではない。
 多くの場合、それは人が憧れる夢物語の一つ。
 そう、これがもし不老不死を実現する装置であるならば、人類にとっての夢の装置。
 その開発に成功したのであれば、敵勢力に使用するはずがない。

 しかも、代償として街一つを潰すことは予見していたはず。
 気軽に扱える代物でもない。

 では、マーニル軍がその存在を知り、装置を勝手に使用したとするならどうか。
 あり得ない話ではない。
 それ程までに魅力的な力なのだ。

 だが、それもすぐに否定できてしまう。
 あの魔術師が機械の力を信じるだろうか。
 長い時を経て尚も機械を信じようとしない連中だ。
 当時はその傾向もより顕著なものだったはず。
 魔術と科学は成果がもたらす結果こそ似通ったものだが、根本からして決して交わることがないもの。

 ならばどのようにしてルティア・マーニルがこの装置を使用したというのか。



「ヒューズさん!見つけました!本当にありましたよ!なんで解ったんですか!?その装置にヒントがあったんですか?」

 助手が部屋の隅から声を上げている。

「悪いが静かにしてくれないか?一体何の話をしているのか想像もつかないが、今僕は考え事をしているんだ」

「それは……申し訳ありません。でもヒューズさんが言った通り、揺り籠の床下に収納スペースみたいなのがあったんです!」

「『揺り籠』?君……絶魔地帯で頭がおかしくなっているのではないか?僕は……まぁ、独り言を口走ったかもしれないが、そんなことは一言も言っていないはずだぞ?」

「えぇ!?何言ってるんですか!?確かにヒューズさんの声でしたよ?もう良いからちょっと来て下さい!」

 そう言ったかと思えば助手はヒューズの元に駆け寄り、腕をぐいぐいと引っ張りはじめる。

「一体何だと言うのだ……」

 仕方なく腰を上げ、助手に引っ張られるままに歩きだす。
 視線の先にはベッドが置かれ、その横に赤子用の揺り籠が設置されていた。

「そう言えば……」

 ふと、あの少女の言葉を思い出す。

『ドアから入って正面に何もないスペース。少し進んだ所に休憩用のテーブル。そして左側に本棚。それから作業机があり、上には大きな設計図。ふふふ……やはりガリギアの血は濃いのじゃな』

 装置にばかり気を取られ、全く気付かなかった。
 改めて見回した部屋は、レイアウトがヒューズの研究室に酷似している。

「なんだ……いったい……」

「ほら、見てください!もう!どうしちゃったんですか!?これが探していた物じゃないんですか?」

 助手に促されて視界を戻すと、足元にぽっかりと大きな空間がある。
 床から50cm程だろうか、正方形に切り取られたような空間には、何かが保管されていた。

「板で隠してあったんです。その上に揺り籠がありました」

「意図的に隠していたのか……?」

「もう!ヒューズさんが教えてくれたんじゃないですか!『揺り籠の下を調べてくれ』って」

 そんな記憶は一切ない。
 それどころか、揺り籠の存在など知っている訳がないのだ。
 もし仮に、自分の研究室と酷似したこの部屋を、何かと錯覚したとしても、ヒューズの研究室に揺り籠など置いていない。
 この収納スペースにしてもそうだ。

「何がどうなっているんだ……」

「難しい顔してないで中身を見てみましょうよ。取り出してみますね」

 助手はその場に屈むと、床に空いた穴に向けて手を伸ばす。

「よっと……これは、トロフィー……?でしょうか?」

 その手には高さ30cm程の金色に輝く模型。
 歯車と杖を模したような造形は、芸術品としても一定の評価を得られるだろう。
 土台には、何か文字が刻まれている。

「第72回……魔法技巧祭……最優秀賞……」

「あ!もう一個同じような物がありますよ。はい!」

 助手から同じ形の像が手渡される。

「第73回……魔法技巧祭……最優秀賞……」

 魔法技巧祭。
 その名の通りの内容だとすれば、魔法に関する技術を競い合う大会のようなものだろうか。

「賞状もありましたよ!えっと……レンズ……ガリギア…………って、ヒューズさんの親戚ですか?」

 これが800年前の物だとすれば、親戚というよりは先祖と呼んだ方が相応しい。
 助手から手渡された羊皮紙には、確かにその名前が記載されていた。

「最優秀賞。レンズ・ガリギア殿。あなたは魔法技巧委員会主催の第72回、魔法技巧祭において頭書の成績を収め……」


「うわぁあああああ!!!ヒューズさん……!!これっ!!これ見て下さいっ!!」


 突然、足元の収納スペースの中で助手が叫び声を上げた。
 ため息を漏らしつつ、そろそろ引き上げる準備でもしなければ、と頭の隅で考える。
 しかし、助手が顔を青くしながら差し出してきた物を見て、思わず叫んだ気持ちが理解できてしまった。



「……!!!!」



 それは小さな写真立て。
 普段であれば、まず800年前に写真が存在したという事実と、その技術力の高さに感心を寄せるところなのだが、そうした思考を全て吹き飛ばす程の衝撃が走る。
 写真に写っていたのは、一人の見知らぬ男。
 そして、今しがた手に取ったトロフィーと賞状に酷似した物を挟んで、男の右側に立っている一人の少女。

「ル……ルティア・マーニル……本当に…………」

 時計塔を訪れたあの魔術師。
 大きな帽子から伸びる桃色掛かった白髪、天球のような形をした金色の杖。
 先日、ヒューズの研究室を訪れ、ルティア・マーニルを名乗ったあの少女の姿が、そのままの形で、今手にしている写真の中に写っていた。


 ――

 ――――

 ――――――


 助手とともに科学都市ガリギアに戻ったヒューズは、長い時間を考察にあてていた。
 思考の海の中に散らばった大量の情報と推察を整理していく。
 こうした作業の際、ヒューズはいつもメモ書きなどせず、全て頭の中だけで完結させてきたが、ここ数日の出来事や発見は明らかな情報過多。
 足りないピースを想像で埋めていくことは、困難を極めた。

 まず、800年前に撮られた写真の中に、ルティア・マーニルを確認したこと。
 他人の空似、または血族などの可能性を残しつつも、ひとまず本人だと見てまず間違いないだろう。

 次に、ルティア・マーニルがどのようにして不老不死の身体を手に入れたのか。
 オウルホロウ科学研究所に作られた装置で実現したのだろうと推測される。
 しかし、何故、どのようにして敵対関係にあったマーニルに使うことになったのかは不明。

 あの地が絶魔地帯となった理由。
 例の装置を使用したことが原因である可能性は極めて高い。
 人為的に絶魔地帯を生成してしまう程の危険な技術だが、その記録が残っていないということは、突発的な事故であった可能性もある。
 そうでもなければ、あえてあんな街のど真ん中で起動する筈がない。
 現に、絶魔地帯となった街は人が住める状態に非ず、住人は避難しているのだから。
 しかし、そうせざるを得なかった何かしら理由があったとしたらどうか。
 例えば、オウルホロウを崩壊させることが目的だった……とか。

 オウルホロウの中には、マーニル派とガリギア派という2つの派閥があった。
 両者は相容れず、互いに今よりも壮絶な争いを続けていたことも事実のようだ。

 その争いの発端。
 オウルホロウの街中に落ちていた雑誌の記事には、技術の盗用があったと書かれていた。
 内容を掻い摘むと、第75回魔法技巧祭において、光の魔素を使用した演目が決勝で披露されたらしい。
 しかし、この頃はまだ光の魔素は発見されていなかったため、それは全く新しい技術だった。
 にも関わらず、オウルホロウ魔法学園所属のルティア・マーニルと、オウルホロウ科学研究所所属のレンズ・ガリギアの両名が、それぞれ光の魔素を用いた演目を行った。
 これにより、どちらかが相手の技術を盗用したのではないかという騒動が両陣営間で巻き起こる。

 ルティア・マーニルの発言について。

『元々ワシは人が争うことを嫌っておる。それは今でも変わらん。しかし、ある男は違ったのじゃ。争うことで、技術を発展させようとしておった。争えば争う程、技術が発展すると』

 抗争の火種と、この発言を鑑みれば、マーニル派、ガリギア派のどちらかが争いを激化させたか、または発端を作ったということになる。
 だとすれば、真実を知るはずのルティア・マーニルは、何故争いを止めようとしなかったのか。
 または、止めようとしたが止めることが出来なかったのか。

 そして、彼女は現ガリギアの長である自分に、帝国をどちらが先に潰せるかで技術を競おうと打診してきた。
 その理由は……。


 結局、これ以上は考えても分らない。
 走り書いたメモ帳は、既に真っ黒に染まっている。


「当事者に事情を聞くのが一番の近道……か……」


 ヒューズは立ち上がる。

「君、荷物を纏めてくれ。魔法都市マーニルへ行くぞ」

「えっ!?ちょっとヒューズさん本気ですか!?今から行くって言うんですか!?」

 ひっくり返りそうになっている助手の横を通り抜けて、最新式の機械を装備し始めるヒューズ。

「戦闘になるかもしれない。しかし、僕は確かめねばならない」

 助手は、こんなヒューズの顔を見たことがなかった。
 好奇心ではなく、使命のために動いているような、そんな表情。

「わかりました。半永久エネルギー生成装置の試作品も持っていきますか?」

「あぁ、テストには丁度良いかもしれないな」


「何が丁度良いのじゃ!土産ならまだしも、物騒な武器を抱えおって……お主も過激派なのかのぉ!?」

 研究室にこだまする声。

「手間が省けて助かる。旅は苦手でね」

 ヒューズは肩に背負った弓を台座に戻し、マントを翻す。

「マーニル。そっちから来てくれるとは好都合だ」

 またも部屋の上方に現れた影に言葉を掛けた。
 不敵な笑みを見せる少女、ルティア・マーニル。
 その名に嘘偽りはなかった。
 だからこそ、聞かなければならないことがある。


「まずは、お主のようなインドア派がわざわざワシを訪ねようとしていた理由を聞こうかのぉ」

 床に足をつけたルティアは部屋の椅子に腰掛けた。
 ヒューズも、人生の中で最も長い時間過ごしているであろうデスクの椅子に深く座る。
 助手は、何故か緊張感が感じられない二人の様子に困惑しつつ、2人分のコーヒーを淹れるために退出した。

「オウルホロウの科学研究所である装置を見つけた。あれを動かしたのは誰だ?」

「ほぅ……そこまで調べておるのか。先程のインドア派というのは訂正しなければならないようじゃな」

「質問には答えてもらえるのか?」

 ルティアはどこか遠くを見るような、そんな目をした。

「お主と同じガリギアの人間。ワシの友人じゃ……」

「ならば、次の質問だ。何故、その友人とやらは装置を君に使用した?オウルホロウ中の魔素を集めて、君をそのような身体にした理由が知りたい」

 ピリっとした空気が流れた。
 ルティアは少し驚いた様子だったがすぐに笑みを作り、足を組み直す。

「流石はガリギアの科学者じゃな。ワシはあれを見ても理解することなどできんかった」

 普段であれば、質問以外の返答をされれば話す気も失せてしまうのだが、何故か今はルティアの言葉を黙って聞いてしまう。

「真意はワシにも良く分からん。お主ら科学者の考えは、正直理解に苦しむものがある」

「なら君が見て体験したことを教えてくれ」

「ふふふ……800年も前のことじゃ。もう忘れてしもうた」

 そんな時間を生きた経験があるわけもないので否定しようのない感覚だが、釈然としない。
 ならば……

「人の脳は記憶を呼び出すトリガーがあると言われている。何らかのきっかけで忘れていたことを思い出した経験はあるだろう?これを見て、何か思い出さないか?」

 テーブルの上に置いたのは、あの研究所で見つけた物。
 ルティア・マーニルと、レンズ・ガリギアであろう男が写った写真。

「これは……!!お主、これをどこで見つけたのじゃ!?」

「先程も言っただろう。オウルホロウの科学研究所だ。装置が置かれた部屋に、隠すように保管されていた」

「…………」

 ルティアの顔から笑みが消えた。
 写真を見つめたまま、完全に動かなくなっている。
 こうして見ると、本当にただの少女に見える。
 その瞳が、次第に潤み出し、溢れそうになった所で帽子の鍔で顔を隠す。

「何か思い出したか?この男はレンズ・ガリギアという男なのか?君とはどんな関係がある?話してくれ」

 ルティアは、ヒューズから見えないように目元を拭うと、おもむろに立ち上がり、背を向ける。

「すまんな。やはり何も思い出せん。ワシが気付いた時には既にこうなっておったのじゃ。……それだけじゃ」

 その言葉は果たして真実だろうか。
 こうも堅く口を閉ざすからには、よほど知られたくないか、知らせるわけにはいかない理由があるということ。

「そろそろ、ワシがここを訪ねた目的の話に入って良いかの?過去の話よりも未来の話をしようではないか」

 結局何も分らない。
 しかし、これ以上平行線を辿るよりは有意義かもしれない。

「いいだろう」

「賭けの話をしたことを覚えているかのぉ?」

 そう言いながらくるりと回って顔を見せる。
 先程見えていた涙は綺麗に消えており、その変わりにあの不敵な笑みが張り付いていた。

「どちらが早く帝国軍を滅ぼせるか。互いの技術を競い合うという話か?」

「そうじゃ。その賭けの内容を話していなかったと思ってのぉ」

 前進しているのか、振り出しに戻ったのか。
 何にせよ、結局はあの提案を取り下げる気はないようだ。

「お主の……ガリギアの技術が勝てば、それがトリガーとなって昔のことを思い出せるかもしれん。ワシの知る全てを話してやろう」

「くっ……!!」

 やはり隠しているだけ。
 ルティアは鮮明に記憶している。
 800年前の真実は、今のヒューズにとって、魔術師から差し出されるものの中では、勝利の次に欲っするもの。
 仮にルティアがあの装置についても詳しく知っていたとすれば、不老不死という技術さえも手に入るかもしれない。

 ヒューズは、自分自身に冷静になれと言い聞かせ、ひとつ間を置いてからルティアの目を見る。

「…………それで?君達マーニル軍が勝った場合は何を要求する気だ?土地か?この心臓か?」

「ふふふ……魔術師を何だと思うておるのじゃ?悪魔とでも言うつもりかのぉ?」

「悪魔など想像上の生き物だ。そんな非科学的なものは信ずるに値しない」

「そのカタさは相変わらずじゃのぉ……概念の話でも良いではないか」


 少し間を置いた。
 また、どこか遠くに目線を浮かべるルティア。
 何を思っているのか、どこを見ているのか。


「ワシが勝ったら、お主はワシと魔法科学の研究をするのじゃ」


「……………………なんだって?」


「言葉の通りじゃ。お主の科学とワシの魔法、互いの知識を最大限に活用して究極の魔法科学を研究したいのじゃ」

 何がどうなってその要求になるのか。
 ガリギアを潰すつもりなのか、はたまた統合を図っているのか。
 だが、それではどちらにせよ土地を奪われ、ガリギアの民の人権は失われるに等しい。

「この土地を渡すことはできないし、民を降伏させることもさせない。マーニルの傘下に下ることを選ぶくらいなら、喜んで死を選ぶ者さえいるだろう。それがガリギアの科学者だ。そんな約束、僕がするとでも――」

「あぁ、すまんな。一つ前提が違っておる。これはあくまでも個人の話。ワシとお主、2人だけの話じゃ」

「なっ!?たった……たった2人で帝国と戦おうと言うのか!?」

「そうじゃが……何か問題があるのかのぉ?ん?お主、さては自信がないのじゃろ?」

 顔を近づけてくるルティア。
 王都を制圧した帝国と、たった二人だけで戦う。
 本気で言っているのだろうか。

「そんな馬鹿な話があるか。負け戦にも程がある」

「それはどうかのぉ?ワシら魔術師は日々技を磨き、お主らも技術を高めておる。そうした成果が、帝国にとっての脅威となることに疑いは持つまい?じゃが、マーニル軍とガリギア軍の大部隊が同じ戦場に居合わせれば、何がきっかけとなって互いを潰し合うか知れたものではない。じゃから、ワシら2人だけなのじゃ」

 部分的に肯定はできる。
 しかし……

「無論、技術の進歩は魔術師に負けていない。君がどれ程長く生きていようが、僕が不利である理由にもならない。僕の今の力とて、長年の研究や技術を受け継いできたが故に成り立っている。だが、そういう話ではない。そこまでして危険に飛び込む必要性がどこにある?命懸けで世直しの真似事をしたところで、技術は――」

「技術は、争いの上で向上する。それはガリギアの言葉なのじゃ。その言葉をワシは長い間避けてきた。しかし、無為に時間だけが過ぎていった。ワシはお主達を信じることにしたのじゃ。信じているからこそ、争いの中に身を投じてみようと思うたのじゃ」

 なぜか、その言葉には理屈ではない何か別の説得力があった。
 そこまでしてルティア・マーニルが得たいもの。
 争いのない世界……
 それとも本当に、究極の魔法科学を欲しているとでも言うのか。

「そんなことは聞いていない!リスクというものを――!!」


 その時、視界が一気にぼやけていく。
 まるで透明度の低いガラスが目の前に重ねられていくように。

「くっ……!なんだ……!!」

 目を必死に擦るヒューズ。
 しかし、何をしても視界が戻る事はない。

 立っている事もままならないような混乱。
 バランスを保つ為に壁に手を付こうと、精一杯腕を伸ばすが、そこにあるはずの壁に当たらない。

「何がどうなって……」

 次に目を開けると、そこには全く別の世界が広がっていた。




 暗い。
 夜だろうか。
 窓の外には星が見える。
 ここはどこだろう。

 横には、少女がいる。
 僕はこの少女を知っている。
 ルティア・マーニル。
 確か、さっきまで話をしていて……

 横には少年がいる。
 僕はこの子も知っている。
 レンズ・ガリギア。
 あの写真に写っていた……



「……のぉ、レンズ。いつか、一緒に研究ができたらいいの」

 少女が喋る。
 僕は何をすることもできない。

「そうだな。いつか2人で、最強の魔法科学を完成させよう!!それで世界をアッと言わせるんだ!」


 なぜ、争っている2人がそんな約束を……?

 争いがない……?

 そうか、この時はまだ――



 気がつくと、ヒューズの研究室に戻っていた。
 何か、とても長い夢を見ていたような、そんな気分がした。
 目の前のルティアは、眉をハの字に曲げながらこちらを凝視している。

 今のは夢……?
 夢ではない……そう直感できるのだ。
 魔術師の幻影でも、ホログラフでもない。
 現実……?

「聞いておるのかガリギア?」

「最強の……魔法科学を……完成……?」


「……っ!!!お主!!何故その言葉を知っているのじゃ!?」

 あのルティアが取り乱している。
 ヒューズの両肩を掴み、激しく揺らしてくる。

 その時、テーブルの上に置かれた写真立てが床に落ち、ヒューズの足元に転がってきた。
 ルティアが開けた穴があるものの、風もなく、ましてや写真立てが落ちるような衝撃がテーブルにあった訳ではない。
 上に置かれたコーヒーの表面が全く揺れていないのがその証拠。
 足元に落ちた写真の中の少年が、自分の事を見ているような、そんな気がする。


 非科学的だ。
 笑えてくる程に。
 死者の魂など、存在しないことは科学者に言わせれば常識。
 それを君は覆してくるというのか?
 レンズ・ガリギア……。




「マーニル。僕は君の賭けに乗ることにした。ガリギアの技術は魔術師の比ではないことを証明してみせよう」

 ヒューズの肩を掴んだままのルティアは、手の力を抜いてぽかんとした表情を浮かべた。
 それはそうだろう。
 ほんの数秒か、数十秒の間に、意見を180度変えたのだから。

「何故じゃ?何故そんな急に……」

 視線をあちこちに泳がせているルティア。
 混乱するのも仕方がないだろう。
 ヒューズはどう返答をすべきか悩んでいた。
 その理屈は、理屈と呼べないほどに、非科学的なのだから。

 足元に落ちた写真が目に入ったのか、何かハッと気が付いたように顔をあげる。

「まさか……!!さっきの言葉は――!!」

 ルティアはそこまで言うと、言葉を失う。
 そのまま視線をゆっくりと上空に上げる。
 ヒューズは、何も言うことができぬまま、ただその様子を見守っている。

 そして、ルティアはぽつりと呟いた。






「本当に約束を守っておったのか……真面目すぎるにも程があろうに……」


 ひと雫の涙が、ルティアの頬を伝う。


「レンズ……」

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最終更新:2017年09月26日 14:27