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+ 炎帝の魔神ガルスターク
「我…炎の化身…全てを…焼き尽くす…!!!」

 赤々とした皮膚からは、触れることさえ許されない程の炎が吹き出す。
 彼が踏み歩いた草は灰になり、樹木は燃え上がる。
 他の者を寄せ付けない…その風貌はまさに魔神。

 魔神は帝国の兵士に連れ去られた一人の少女を探し、北へ北へと歩を進めていた。
 魔神がまだ人間だった頃の人格は、僅かに残る精神で炎の魔神から身体を取り返そうと、必死にもがく。

(それ以上破壊を繰り返しても何も得ることは出来ない!今すぐ俺の身体から出て行け!)

「フンッ!精神のみで…未だ足掻くとは…!黙って我の復活を見届けろ!」

(くそっ!どうして…こんなことになってしまったのだ……)


――数週間前

 炎鉄都市イオの鍛冶職人の中でも、ひときわ体格の良い大男がいた。
 彼の作る防具は鍛冶屋街でも指折りの名品と評判高く、遠くイエルの傭兵団からも発注がある程だった。
 人柄も良い男は、街の人々から「ガルさん」と呼ばれ慕われていた。

 その日も男は一人工房で肩当てを作成していた。
 赤々とした鉄にハンマーを打ちつけては水に付け、邪魔にならず且つ強度の高いフォルムを目指す。
 額の汗を拭って真剣な目で鉄の塊を見つめ頷くと、最後の仕上げに入った。

 そんな工房を一人の少女が訪れる。
 長い黒髪に赤いリボンをつけたまだ幼さの残る少女は、工房の入り口に立ったままジっと彼を見つめていた。
 どうみても客ではないその風貌から、迷子か何かだと思った男は心配して声を掛けた。

「おや、お嬢ちゃん見ない顔だな。どうしたんだい?」

 少女は表情を変えずにボソボソと返答をする。

「……おじさんはわたしを助けてくれる?」

「なんだ?ママとはぐれちまったのかい?どっから来たんだ?」

「ママは……いない……。だから……会いたい……」

 少女の顔が少し歪んだような気がした。
 入り口から工房の中に静かに歩いてくる少女。
 何か訳ありのようだと、男は少女に近付く。

「お嬢ちゃん、名前は?」

「私はララノア。おじさんは…」

 少女が話していると、男は身体が一瞬軽くなったような感覚を覚えた。
 長い時間作業をし続けていた疲れが、その瞬間だけなくなったような不思議な感覚だった。

 少女は言葉を続ける。

「もう……私の……」

 その瞬間、地響きと共に工房が揺れ、外からとてつもない爆発音が聞こえた。
 地震……いや、もっと何か、想像も出来ないような事が起こっていると、男は直感的に感じ外に飛び出す。

「っ……!!」

 屋外に出ると肌を焼かれるような熱を感じる。辺りを見渡すと、街の象徴である火山が真っ赤に燃え上がり、そこら中に火の粉が飛び散っていた。

「こいつは……大変な事になった!!」

 目の前の光景を理解した男は急いで振り返る。

「お嬢ちゃん、悪いが少しばかりここで待っててくれるか?俺は街のみんなを助けなきゃ……」

 工房の中に少女の姿はなかった。

「確かにそこにいた筈なのに……ララノア?どこだい?」

 辺りを見渡しても少女の姿はなく、霧のように消えて無くなってしまった。
 何が何なのか分からず、唖然としているとまた外から爆発音が聞こえ、工房が大きく揺れた。

「くそぉっ……!!どうなってんだ!?」

 今は最優先で住民の避難をしなければならない。
 男は工房を背に街の路地を走り周りながら大声を出す。

「みんな無事か!?火山が噴火した!!!全員避難しろぉおお!」

 声の出る限り叫ぶが、返事もなければ人の姿が一切ない。
 もう避難をしたのだろうか……。
 更に走り回ったが、普段賑やかな商店街にも、街の集会場にも人の影はなかった。

 男は呼吸を整えながら足を止め、ふと火山の方に目をやると、火山の山道の入り口に人の影が見える。
 その長い黒髪と体格から、あの少女以外に考えられなかった。

「ララノア!そっちは危ない!ダメだ!!」

 言葉が届かないのか、少女は山道へと歩いて入っていく。
 男は必死で追いかけるが、炎に包まれた建物の瓦礫が崩れ、道を阻まれる。
 回り道をしながら死にもの狂いで走るが、少女に追いつく事ができない。

 無我夢中で走り、火口まで辿り着いた所で、男は目を疑う。
 火口から噴き出るマグマは巨大な炎の魔神となり、少女を見下ろしている。
 普段であれば現実として受け入れる事が出来ない状況だが、そんなことを気にしていられる状態ではなかった。

「ララノア!逃げろ!」

 炎の魔神は拳をあげて、少女に襲いかかる。
 男は、腰にぶら下げていた鍛冶用のハンマーを手に取り、魔神に向かって跳びかかる。
そのまま魔神の身体を力任せに殴りつけた。

「グォオオオオオオオ!!!!」

 魔神はよろけるが、すぐに体勢を立て直す。
 男はこの魔神が天変地異を起こしている原因だと直感し、魔神を睨みつける。

「貴様の好きにはさせない!この街は俺が守る!ララノアにも指一本触れさせはしない!このガルスタークが相手をしてやる!!」

 男は高く飛び上がり、男の2倍はある魔神の頭上からハンマーを渾身の力で振り抜く。
 しかし、魔神はマグマの中から盾を取り出して男の攻撃を防ぎ、更に男を盾で殴りつけた。
 ハンマーは遠くへ飛んでいき、男はものすごい勢いのまま壁に打ち付けられる。

「ぐあっ!畜生………なんの…これしき!!」

 魔神はそのまま少女を狙い、盾を振り上げて少女に襲いかかる。

「させるかぁあああああ!!!」

 男は燃えている魔神に素手で殴りかかった。
 魔神は大きく怯み、体勢を崩す。
 男は殴りかかった勢いのまま、更に魔神の手に蹴りを入れて、持っていた盾を振り落とさせる。
 魔神の手から落ちた盾を手に取り、更に高くジャンプすると盾を上空に構え、魔神を睨みつける。

「これで終わりだ!!あるべき場所に帰れ!!」

 魔神の頭に盾を振り下ろし、確かな手応えを感じた。

「グォオオオオオオオ!!!!」

 魔神は火口に倒れていき、マグマの中に落ちる。
 火口の崖に着地した男は、集中を切らさずマグマの底を睨む。
 魔神はマグマの中で暴れるが、そのまま沈み、消えていった。

 男はほっとして尻もちをついたが、少女の事を思い出して側に駆け寄る。

「怪我はないか?ララノア…」

 少女に差し伸べた手は、ボロボロに焼けただれていた。
 少女は泣きながら男の手を握り、声にならない声を出す。

「なんでそこまで……。今…私が…治して…あげるから……」

 その時、火口から炎が吹き出し、少女に向けて降り注ぐ。

「危ない!伏せろ!!」

 男は魔人から奪った盾を構え、少女を守る。
 しかし、襲い来る炎を防ぎ切る事はできず、盾を回りこむように炎が男の身体を包み込み、そのまま男の中へと流れ込んだ。
 そして、男はその場に倒れ、そのまま意識を失った。



 男が意識を取り戻すと、慣れ親しんだ工房だった。
 仰向けに寝ているが、身体が熱く、何かがおかしい。
 自分の腕を見ると、あの魔神の腕そのものだった。

 炎が吹き出し、熱せられた鉄のように赤々としていた。

「気がついた……?」

 聞き覚えのある声の方向を見ると、あの少女が座っていた。

「ララ…ノア…無事……だった…か……」

 少女は涙を浮かべている。

「ごめんね……私のせいで……」

 男は少女の顔を見て、少しだけ安心した。

「ララノ…アの…せいでは…ない……泣くな…」

「違うの……私が…私が…」

 大粒の涙を流す少女の背後から、多数の影が見えた。
 どこかの兵士?
 鎧を着た男達があっという間に泣いている少女を取り囲む。

「貴様ら…誰だ…!」

 男は必死に身体を動かそうとするが、傷が深いのか起き上がる事さえできない。
 兵士の一人が少女の顔を見て頷き、他の兵士に合図をする。
 兵士達はそのまま少女を担ぎあげて工房の外に連れ去った。

 男は薄れゆく意識の中、必死に少女の名を呼ぼうとするが、もはや声すらも出せずに闇の中に落ちていく。


 男が意識を取り戻すと、街の郊外の草原にいた。
 何か、身体がおかしい……思ったように動かせない。
 そればかりか、自分の意識と関係なく身体が動いている。

(これはどういう事だ!?勝手に身体が…!?)

「騒々しい…誰だ…我の中で…叫ぶのは……?フン……なんだ……この身体の……“前の”主か……」

 男の身体は、炎の魔神に乗っ取られていた。
 今は魔神に話しかける事しかできない。

(貴様!どこに行くつもりだ!?)

「我を…邪魔する…あのガキを…始末する……。さすれば…この身体は完全に……我のモノだ……」

(なんだと!?ガキとは…ララノアの事か!?ララノアに手を出すな!あの子は何も悪くない!)

 魔神はごうごうと燃えるその手を頭に当てる。

「この身体に……入る時…ガキが何かをした…許さぬ…。ヤツを殺せば…貴様も消えるだろう…グハハ!!」

 あの時、あの火山で、死に際の魔神はその魂を男の身体に宿したとでも言うのだろうか。
 しかし、男がそれを確かめる術はない。

 魔神は歩みを進める。
 男は何もできない自分に苛立つが、どんなに足掻こうが身体を制御する事はできなかった。

 数日後、男が目覚めると目の前に帝国軍の兵士団が見えた。
 魔人は兵士団へと真っ直ぐ歩いていく。
 帝国兵達は突然現れた、魔人が何なのかまだ分からない様子で、警戒の色を見せている。

「なんだあいつは……!?魔物か……!?」

 魔神は歩みを止めずにニタリと笑うと帝国兵達に問う。

「ガキを……連れて…行った…鎧……と同じ……。ガキは……どこだ……」

 兵士は魔神に驚き、剣を抜く。

「なんだこいつ喋ったぞ……何を言っているんだ…??くそっ!全員構えろ!こいつを討つぞ!!」

 剣や弓を構え、魔神に向かい襲い掛かった。

「大人しく差し出せば良いものを……ウォオオオオアアアア!!」

 魔神は身体に力を入れ、赤く光ったと思うと大爆発を起こす。

「燃えろ……グォォオアアアア!!!!」

「うわぁああああああ!!!」

 あたり一面が焼け野原となり、そこに立つのは魔神だけだった。

「ゴミ共が……我に……歯向かうとは……ガキは……どこだ……」

 男はなんとかして状況を打開しようと考えたが、その惨劇をただ見ている事しか出来なかった。
 魔神は“少女を探し、帝国軍を目の敵にする化物”として大陸の中で噂となった。

 噂が広まってから数週間後、誰も近づく事のなかった魔神に、声をかけた妖精がいた。

「こんにちは!うわわ。噂通り、すごい人ですね」

「何だチビ…我に……殺されたいのか…?」

 妖精は炎の魔神に向かい、物怖じせず会話を続ける。

「いやいやそんな…!私は敵ではないですよ!お兄さんが探しているのは、帝国軍に連れ去られた少女なんですよね?」

「いかにも…。貴様……何か知って…いるのか……?」

「その少女の情報はないのですが……帝国と敵対している勢力がありまして、そこの人と協力すれば帝国の事も詳しいんじゃないかと思いまして…革命軍という組織を紹介したいのです。一人で広い大陸を探すのは大変だと思いますし…よかったらお話だけでも聞いてみませんか?」

 魔神はニヤリと笑う。

「面白い…チビだ……いいだろう……我の力…貸してやる……」

「そうこなくっちゃですね~!ではでは、早速ご案内しますね!」

 妖精に連れられ、魔神は歩を進める。
+ 無垢なる氷壁シルティア
 見上げるほどの巨大な氷の壁で囲まれた氷塞都市コルキド。
 コルキドは都市国家のひとつであり、国王を頂く王権制を敷いている。
 分厚くて堅牢な氷の壁はあらゆる攻撃を防ぎ、敵は攻撃の無意味さと極寒の環境に屈していく。

 コルキドには三種の神器と呼ばれる武具が伝わっており、そのうちの一つは神器エーデルラインと名前がついた氷の盾であった。
 その盾は、雪のように白く純真な心を持った人間のみが触ることが出来る。

 代々の所有者は心映しの儀と呼ばれる儀式で選出されてきた。
 心映しの儀が行われるキッカケは満月の夜、神器エーデルラインから始まる。


「こ、これは…王に知らせなければ!」

 宝物殿を守る衛兵は王に報告するために慌ただしく走った。
 神器エーデルラインを扱うに足る資格を持つ適合者が生まれると盾は淡く白い光を発する。
 王宮に安置された神器は、適合者である子供が生まれた事を知らせた。


「ヴァ、ヴァーンフリート王!報告します!エーデルラインが淡い光を放ち始めました」

「なんだと?それは真か?」

「はい!しかとこの目で確認いたしました」

「そうか、では心映しの儀の準備をするよう司祭に伝えるのだ」

「は、ただちに!」

 衛兵は王からの命令を司祭へ伝えるために慌しく走っていった。


 翌日、コルキドで布告が出される。

『氷の盾、神器エーデルラインはコルキドで適合者が生まれたことを知らせた。これによって、次の新月の晩に王宮で心映しの儀を執り行う。昨日、生まれた赤子の親は、次の新月の日に必ず王宮へ来るように』

 適合者を探す儀式は、すべての穢れが浄化された穢れ無き新たな月の夜。
 つまり、盾が反応してから最初の新月の夜に“心映しの儀”を行い探さなければならない。
 これはコルキドで昔から行われている伝統の儀式であった。

「準備は順調に進んでいるか?」

「これは、ヴァーンフリート王。このような場所まで…ご足労感謝いたします」

「よい、それよりも状況はどうなのだ?」

「は、祭壇の造営は滞りなく進んでおります。儀式はなんら問題なく行えるかと」

「そうか」

 ヴァーンフリートと司祭は王宮の中庭に建てられた祭壇を見上げる。

「新月までもうすぐだな、適合者が見つかるとよいが…」

「御心配には及びますまい。すべては神器エーデルラインが導く事でしょう」

「うむ、そうだな」

 造営は順調に進み、祭壇は完成を迎えた。
 新月の夜まであと一日を残す。
 其の頃、コルキドの街は心映しの儀の話でにわかに色めき立っていた。
 適合者として盾に選ばれれば王宮での生活が待っているからだ。

「おい、ついに明日だな?いや~うちの子が選ばれたらと思うとドキドキするぜ。そういえばアンタんとこにも赤ちゃんいたよな?」

「はんッ!このやろ!うちの子はもう3ヶ月目だ!たく…知ってるくせに!」

「へっへ…すまねぇ、悪かったよ。そう怒るなって」

「まあ、選ばれれば将来は安泰だろうし。浮かれる気持ちはわからんでもないがな」

「王宮で暮らすようになれば、食いっぱぐれる事はないからな」

 適合者と認められればその家族と共に王宮で仕えることとなる。
 極寒の環境であるコルキドは生きていくだけでも大変である。
 誰しもが王宮での豊かな生活を夢見るのも無理はなかった。

 そして儀式当日…王宮の中庭には赤子を連れた十名程の人が集まる。
 厳かな雰囲気の中で司祭の声が祭壇に響く。

「皆の者、よく集まった。今宵は神器エーデルラインが新たな所有者を選ぶ新月の夜。これより継承者選別の為“心映しの儀”を執り行う。順に赤子を連れて祭壇を登ってくるのだ」

 司祭の号令を合図に“心映しの儀”が始められた。
 集まった人々は赤子を腕の中に抱きながら、順番に祭壇を登る。

「この白く凍り付いた盾に触れた時、濁りが解け鏡のように触れたモノが映し出された時、その者が継承者となる。心して受けよ!」

 最初の親子が司祭の前へと進み出る。
 そして赤子の手を盾に触れさせる。

「ううむ、エーデルラインには何も変化が起こらんな。残念ながらこの子は適合者ではない。次の者、前へ進むがよい」

 こうして次々と盾に触れては変化を見るが、一向に適合者は見つからなかった。

「次で最後か……この子の名は何と言う?」

 最後に残った親子に司祭は名前を尋ねる。

「はい、シルティアと申します。司祭様」

 だあだあと赤ん坊は司祭に向けて手を振っていた。

「シルティアか……悪くない名だな。そなたらで最後だ。適合者であってほしいものだが…さあ、エーデルラインに触れるがよい」

 母親は赤ん坊の手を盾へと伸ばす。
 そして、赤ん坊の手が盾に触れた時だった。

 白く濁っていた盾は、手が触れた部分を中心に、まるで何かが溶けていくように澄み渡っていく。
 どんどん透明感を増しては綺麗になっていく盾は、やがて赤ん坊の顔をはっきりと鏡のように映し出した。

「お…おお……なんという」

 周りでは適合者が現れたと喜びの声が聞こえる中、司祭は言葉を飲み込んだ。
 盾の変化が止まらずに続いていく。
 一度、鏡のように赤ん坊を映していた盾の表面はさらに透き通りくっきりと向こう側が見えるほどになっていた。
 前例のない事態に司祭をはじめとして、祭壇に集まった人々がざわざわと騒がしくなる。

「盾がこんなにも反応を示すとは…」

「これは一体どういうことだ?」

「この赤ん坊は本当に適合者なのか?」

 場は一転して討議がなされた。
 前例のない盾の反応から、本当に適合者として認めてよいのかと議論のやり取りが始まる。


「皆の者、静まるのだ!」

 様子を見ていたヴァーンフリートが、皆を落ち着くようにと鎮める。
 そして、祭壇上の司祭に向かって問いかけた。

「その子は適合者で間違いはないのだな?」

「はい…間違いはないでしょう。しかし、ここまでの反応が出るとは…。この赤ん坊はエーデルラインに選ばれた歴代の所有者を超える存在かもしれません」

「そうか、それでは緊急で協議を開く為この場を一旦解散とする!衛兵、シルティアとその母親を客間に案内せよ。追って沙汰を伝える」

「は!かしこまりました」

 シルティアと母親は衛兵に王宮内の客室へと連れられて行く。

「司祭、今後の事を相談したい。関係者を集めてくれ」

「承知しました」

 そして、程なくして王宮内の一室に王や司祭をはじめ、コルキドの長老や学者などが集まってきた。

「皆の者よく集まってくれた。話は聞いているだろうが、シルティアという赤子がエーデルラインに選ばれた。そして、今までに例のないほど強い力を秘めているようなのだ。これに対して何か意見はないか?」

 一人の学者がすっと立ち上がり意見を述べる。

「王様、神器エーデルラインは心を映し、心の美しさを力へと変える盾。恐らくシルティアの心は穢れがまったくないのでしょう」

 コルキドで長老と呼ばれる老人が席を立つ。

「純粋すぎるガラスのような魂は汚しちゃならん!穢れじゃ!穢れから守るのじゃ!」

 長老は激しくまくしたてる。

「長老…落ち着いてください。」

 その様子を見た司祭も口を開いた。

「確かに穢れから守るというのは一理あります。力を失ってからでは手遅れでしょう」

「そ、その通りじゃ!手遅れにしちゃいかんのじゃ!穢れから守るのじゃ!!」

 長老の言葉はさらに激しさを増していく。

「王様、如何でしょうか?シルティアを穢れから守るために隔離した環境を用意するというのは?」

 学者が提案すると司祭もその案に相槌をうつ。

「なるほど、それならば力を失う心配はなくなりますね。私もその案に賛成致します」

 ややあって、目をつむって考え込んでいた王が口を開いた。

「シルティアを我が王宮で徹底管理の元に育てることにする!」

 衛兵が呼ばれ客室にいる母親に協議の結果が伝えられる。
 最初は驚いていた母親だったが、後に姿を見せた司祭にコルキドの為だと諭され、泣く泣く了承する。
 そして、シルティアは母親から引き離されコルキドの王宮で育てられる事となる。


――数年後
 シルティアは王宮で徹底された管理の元に穢れと考えられるもの全てから隔離された。
 身の回りの世話は王宮に務める女中が手伝い、異性との接触がないように細心の注意をもって育てられた。
 それは、異性との関わりは穢れを生んで純真な心を傷つけてしまうと考えられた為であった。

 シルティアが物心ついた頃から施設での教育が始まる。
 武術や魔法の勉強、純粋な心を穢さないように美しい童話だけを与えられた。
 武術は清く正しい心構えとコルキドの盾として戦える力を、魔法は回復魔法や身を護る防御魔法を中心に教えられていく。

 シルティアが娯楽として与えられた童話は王宮の者達が内容を厳選していた。
 それは、誰も死なないし誰もが幸せな物語であった。

「ねぇ、この本読んでー?字が難しいのー」

 シルティアは本を持って女中のエプロンを引っ張ってせがむ。

「はいはい、よろしいですよ…あれまぁ!?シルティア様、いつもの童話はどうしたのです?これはシルティア様の読むものではありませんよ!」

 シルティアの持ってきた本を見て女中は驚く。

「えー…そうなのぉ?」

 納得できない様子でシルティアは不満気な顔を見せる。

「ええ、あちらで童話の本を読みましょうね!そうそう…シルティア様、この本はどこから持ってきたのですか?」

 シルティアは不満げだったが、黙って台所のテーブルを指差す。
 女中は本を取り上げてからシルティアを読書室へと連れて行く。
 後に台所のテーブルに本を置いていた者が見つかり、厳しい処分を受けていた。

 シルティアは育つに連れて夢を見るようになる。
 いつか童話のように白馬に乗った王子様が自分を迎えに来ると。

 そして、穢れを知らずに清く純粋な魂のまま育ったシルティアが盾の正式な所有者となる日が来た。

「シルティアよ、さあ神器エーデルラインをその手に取るがいい」

 司祭に促されて祭壇から盾を手に取る。
 パァアッと盾が輝き、白く濁った部分は無色透明に透き通っていく。
 司祭はその様子に満足しながら両手を高く掲げる。

「皆の者、祝福の声をシルティアに!ここに新たなコルキドの盾が誕生したことを宣言する!」

 ワァアーッと歓声が上がる。
 その日からシルティアはコルキドを護る最強の盾としての活動を始めた。


 “コルキドの盾”とは名誉ある称号であり、コルキドを護る使命を帯びている。
 そして、シルティアは兵士と共に街へ押し寄せる魔物と戦う事となっていく。

 初めての戦闘。
 初めての魔物との対峙。

 魔物は人を襲う危険な生き物で、決して相容れるものではないとシルティアは教えられていた。
 しかし、美しい童話を読んで育ったシルティアには分からなかった。

「なんで同じ生き物なのに手を取り合うことができないのでしょうか…」

 自分の目の前で傷ついていく兵士や魔物達を見たシルティアは、お互いに傷つかないように戦いを収める方法を考える。
 そして、次の戦闘が行われた時だった。

「まったく次から次へとキリがないな!」

「本当だよなー、一体どっから湧いてきてるんだか…」

 防寒具をまとった二人の兵士が顔を見合わせて話しをしている。
 兵士は魔物達の動向を見張るのが役目であった。
 視界に映るのは集結する魔物の群れ。

「奴ら、そろそろ行動を起こしそうだな…狼煙をあげるか」

「ま、待て!あれはシルティアじゃないのか!?」

 一人が大声を上げる。
 兵士が目にしたものは盾を掲げて魔物の群れに突っ込むシルティアの姿だった。

「無茶だ!急いで狼煙を上げろ!シルティア様に何かあったらまずいことになるぞ!」

 兵士の一人が慌てて火を起こし始める。

「あ!おい!あれを見てみろ!」

 突然、魔物の群れの前に猛吹雪が巻き起こる。
 荒れ狂う猛吹雪の前に魔物達は怯えはじめ、一体、また一体と退散していく。
 そして、最後の魔物がいなくなると同時に吹雪は止んだ。
 晴れた後にはシルティアがその場にただ一人立ち尽くしていた。

「ま、マジかよ…こいつはすげぇ!」

 一部始終を見ていた二人の兵士は感嘆の声を上げる。
 シルティアが魔物の群れに前に立ち、盾を構えると同時に猛吹雪が巻き起こる。
 それはまさしく神器エーデルラインの力であった。

 この日を境に魔物は鳴りを潜める。
 この事は人間、魔物共に死傷者なく戦いを終わらせた事として、瞬く間にコルキド中の噂となった。
 シルティアは、その実績と魔物すら傷つけないという優しさでコルキドの人々から厚く信頼される。

「あ、ママ!シルティア様だよ!わーい、シルティア様ー!」

 ぶんぶんと子供がシルティアに声をかけては手を振っている。
 人気の高いシルティアが街に姿を見せると、人々はコルキドの盾を一目見ようと集まって来ていた。

 ある日の事だった。
 今日もシルティアの周りには人だかりができている。
 沢山の人々に囲まれる中で、一人の男が前に進み出てきた。

「君みたいな綺麗な人がコルキド最強の盾なんて!!ボクのハートは君の虜だよ!是非握手させてくれ!」

 返事を聞くよりも先に男はシルティアの手を握っていた。
 そして、手を握られて変な汗をかきだすシルティア。

「へっぁっ!?あ、あの!その!えーっと……」

 シルティアが男に何かを言おうとするが、男は満足したかのように手を振りながら人混みへと消えていった。
 シルティアは男に握られた手をジッと見てみる。
 今は変な汗も引いているようだった。
 その後、同じように女性にも手を握られるが変化はない。

「さっきのは何だったのでしょうか…?」

 コルキドの兵士たちはシルティアに対してうやうやしい態度で接する。
 ずっと女性に囲まれて育ったシルティア…その為、先ほどの握手が異性と触れた初めての瞬間だった。


 平穏な日々が続いていた。
 あれ以来、魔物もコルキドを襲うことはなくなっていた。
 だが、静かな日々は長くは続かない。

 コルキド近辺に帝国軍が駐屯していた時の事。
 シルティアは陣を歩きながら沢山の帝国兵達を珍しそうに見ていた。

「なあ、次の進軍先聞いたか?」

「いや、まだ指令はきてないから決まってないんじゃないか?この戦争は負けるわけにはいかないからな。お偉いさん方も慎重に軍議しているんだろう」

「それもそうだな…沢山の人が死んでるもんな。あーあ、早くこんな殺し合いみたいな戦争終わらせて欲しいよ」

「おい、滅多なこと言うもんじゃないぞ。こんなん聞かれたら俺もお前も懲罰もんだ」

「す、すまねえ」

 二人の帝国兵の雑談だろう。
 その会話のやり取りをシルティアは耳にする。
 …センソウ? 沢山の人が死ぬ…コロシアウ?
 聞いたこともない単語だったが、ただひとつ“沢山の人が死ぬ”という、この言葉の意味だけははっきりと理解できた。
 そして、気になったシルティアは帝国兵達の側まで駆け寄り質問をぶつけた。

「あ……あの、少し聞きたいことが…あるんですが、先ほど言ってた…セ、センソウとかコロシアイとは…ど、どういう意味なのですか?な、なぜ沢山の人が…し、死ななければならないのでしょう」

 目も合わせずに、どもりながら質問を投げかける。
 いきなり現れた少女に帝国兵たちはきょとんと顔を見合わせたが一人が口を開いた。

「見たとこ…お前さん、コルキドの盾だよな?こんな少女だと思わなかったが…お嬢ちゃんはそんな事も知らねぇのかぁ?」

 帝国兵はシルティアに戦争について講義を始めた。
 戦争とは人々が互いの正義を押し付けあうこと。
 それによって殺し合いが始まり、沢山の人がお互いを傷つけ合っては死んでいく。

「例えばだな…この剣。こいつは人を殺すための道具だろう?」

 帝国兵は腰に携えた剣をスラッと抜いてシルティアに見せる。

「それに、お嬢ちゃんの持ってる盾だって、武器にもなるし使い方によっちゃあ、人も殺せるだろう?」

「え、え……」

 シルティアは大きなショックを受ける。
 今までそんな風に思ったことがなかったからだ。
 神器エーデルラインを持つ者はコルキド最強の盾となる。
 一度も、武器としてこの盾が人を傷つけるなどとは思ってもみなかった。

 そして、純粋に『何も知らずに』言われたことだけをしていた自分が急に嫌になる。
 もしかしたら、何の罪もない人や魔物の命を一歩間違えれば奪う事になっていたのかもしれない。

「私は世の中の事、何も知らなかったんですね…」

 そう考え始めた瞬間、穢れがシルティアの心に少しだけ広がる。
 途端に盾は濁り始め、透明度がだんだんとなくなっていく。
 自分が魔物達にしてきた事でさえ、いけない事だったのではないだろうか?
 シルティアがそう思い始めると同時に持っていた盾は凍りつき始める。

「エーデルライン……」

 盾がシルティアの心情を表したかのようだった。
 凍りついた盾はそのまま氷に包まれていき持つことすら出来なくなる。

『雪のように白く純真な心を持った人間のみが触ることが出来る』

 シルティアはエーデルラインに伝わる言い伝えを思い出す。
 そして、盾は王宮の一室に安置される事となる。
 幸いな事に今までの功績からシルティアが王宮を追い出されるような事はなかった。

「シルティア、何か迷いがあるようですね。穢れがなくなれば、また盾を扱うことが出来るようになるはずですよ」

 事情を聞いた司祭も穢れがなくなれば、また、盾を扱えるようになるとシルティアを励ます

「エーデルラインは代々の所有者の意志が宿っております。時期が来るまで…穢れがなくなるまで…今は休む事です」

 司祭の言葉にシルティアは、はいと小さく頷いた。


 盾を持つことが出来なくなってから数日が経ち、シルティアは塞ぎ込んでしまっていた。
 そんな時だった、息を切らしたコルキドの兵士が王宮に駆け込んでくる。

「ハァ、ハァ…た、大変です!そ、外に!コ、コルキド目指して大量のアンデットの集団が迫ってきています!!」

「え…そ、それは間違いないのですか!?」

 兵士からの報告を受けシルティアは慌ててベランダから王宮の外を窺う。
 既に数体のアンデッドが街に入りこんでおり、ただならぬ雰囲気と穢れた死の匂いが街を包み込もうとしていた。
 街の住民はただただ怯えている様子だ。

「なんていうことなのでしょう…」

 シルティアは呟くと同時に神器エーデルラインが保管されている部屋へと走る。

「わ、私が何とかしなければ…コルキドの盾として…!」

 住民を護ることしか頭にない。
 盾を持てなくなったという事実は忘れていた。

 シルティアは部屋に着くとエーデルラインが安置されているのを確認する。
 盾は冷気を纏い、真っ白に凍りついた状態で、静かに…誰も近づけない様子だった。

 盾にそっと手を触れる。
 表面から微かに濁りが解けた。
 そして、霞んだ鏡のようになった盾にシルティアの姿が映る。

「皆を護りたい…でも、この力で誰かを傷つけてしまうかもしれない…」

 強力な力を持つ神器エーデルライン。
 シルティアはその力を使うことで誰かを傷つけてしまう事に深い葛藤を抱く。

「貴女にとって穢れとは…何ですか?」

 突然、盾に映ったシルティアの姿が、シルティアに語りかけ始めた。

「え……」

 盾は淡い光を放ち鏡面に映し出されたシルティアの姿がシルティアに問う。

「貴女にとって穢れとは…何ですか?」

 シルティアの姿は同じ質問を繰り返す。

「け、穢れとは……」

 シルティアは戸惑っていた。
 盾に映る自分の姿はどんな答えを求めているのか?これはエーデルラインの心?色々な考えが脳裏に浮かんでは消えていく。

「穢れを知らぬ者は、純真であるとは言えません。穢れを知っているからこそ、純真であり続けられる。貴女にとって穢れとは何ですか?」

 盾に映ったシルティアの姿は質問を繰り返す。
 シルティアはその言葉の意味を考える。

「私は…穢れとは人を故意に傷つけ、不必要な苦痛を与える事だと思います」

 盾の中のシルティアは更に質問を続ける。

「では、穢れはどうすればなくせると思いますか?」

「護ってあげることが出来れば……」

 そこまで言ってからシルティアはハッとした。
 私は誰かを傷つける事を恐れていた…けど、それを理由に恐れていては何も護れない。
 戦争、殺し合い、穢れは至る所にある。
 私は弱き者や大切な人を護るための盾になりたい。

 シルティアはひとつの答えを導き出した。

「私が護って…その穢れを受け止めます!弱き者や大切な人、私が人々を護るための盾になります!」

 一瞬、パァアッと盾が輝く。
 そして、盾に映ったシルティアの姿はにっこりと微笑みながら透き通っていった。

「我が名はエーデルライン。所有者の心を映し、その美しさを力に変える盾。先人達の意志は、貴女を真の所有者として認めます。貴女の御心はきっと多くの者を救うでしょう」

 盾の濁りが晴れて表面が美しく透き通る。
 シルティアはぎゅっと盾を掴んでみる。

 この盾を受け継いできた先人達の意志を強く感じる…。

「同じだったんですね…悩んで悩んで、悩み抜いて決心したのですね」

 シルティアは決意を固め、盾を持ってコルキドの外へ向かって駆け出す。
 コルキドの兵士達は街に入り込んでいたアンデット達と交戦していた。
 その後に続くアンデット達の姿はなく、兵士達がよく食い止めてくれているようだった。
 コルキドの街門に差し掛かる頃、激しい剣戟(けんげき)の音が耳に入ってくる。

 街壁前ではアンデットの群れとコルキド兵達は激戦を繰り広げていた。
 どの兵士も必死の形相で踏ん張っているが、兵士達の顔には疲労の色が濃い。
 そして、数体のアンデッドが兵士の一角を突破する。
 一箇所でおきた綻びは全体の陣形の乱れを起こし、アンデット達は我先にと街壁へと迫っていく。

「ええいっ!持ち場を離れるな!踏ん張れ!」

 指揮官が声を張り上げて励ます。
 しかしアンデッドは数を増やし続け、奇怪な声と音が除々に大きくなっていく。
 そのあまりに不気味な音に、兵士達の士気は落ちていくようだった。


「く、くっそぉ…コルキドが魔物なんかに負けるかぁっ!」

 兵士達は奮戦するが、その顔には悲壮感が漂っていた。
 コルキド陥落…その言葉が頭に浮かんではかき消していく。

「ゴッ!?グガアアッッ!」

 突然ドーン!と大きな音を立てて城壁に取り付いていたアンデッドの数体が地上まで落とされる。

「な、なんだ?一体どうしたんだ?」

 一人の兵士が街壁の上に視線をやる。
 そこには神器エーデルラインを構えた一人の少女…コルキドの盾であるシルティアが立っていた。

「シ…シルティア!?盾は使えなくなったのでは…」

 兵士はシルティアの姿に驚く。

「皆さん!諦めてはいけませんっ!!」

 空に向かって大きく盾を構えたシルティアは短い助走をつけ、街壁から一気にアンデット達の群れに向かってダイブする。
 そして、全身全霊の力で盾を地面に突き刺した。

「私は迷いません!無垢なる氷壁の意志達よ…私に力をッ!」

 盾は光を放ち、あたりに吹雪が巻き起こる。

「エーデルラインッ!」

 シルティアは盾からシールドを張りその場にいた兵士達を守る。
 そして、巻き起こった吹雪は段々と勢いと激しさを増していく。
 あたり一帯は一切の視界がなくなるほどの猛吹雪と化していた。
 数十分後、吹雪は勢いが弱まっていき辺りが晴れ渡っていく。
 アンデット達の姿は一切なかった。
 周囲にはアンデット達の物であろう壊れた武器、そして氷の破片が落ちていた。

「か、勝ったのか?や、やったー!」

「うぉおお!コルキドの盾の力を見たかっ!俺達の勝利だー!」

 戦場のそこかしこで歓喜の声がドッと沸く。
 兵士達はシルティアに駆け寄っては感謝の念を伝える。
 照れているのだろうか、そこには顔を真っ赤にするシルティアの姿があった。


 シルティアはアンデット達を追い払った事を報告する為に王宮へと帰還する。

「カニコフ王、街を脅かしていたアンデット達を追い払う事に成功しました」

「おお、よくやったぞ!さすがは我がコルキド最強の盾だな!はっはっは、よい気分じゃ。苦しゅうない。これからも我がコルキドの為に……」

「あのっ!お言葉ですが……」

 王の話を遮ってシルティアが意を決したかのように話をする。

「カニコフ様が…王の代理になってから帝国の蛮行が目立つようになったと…街の人から私は聞きました」

「シ、シルティア…?」

 王は焦りの表情を見せる。

「カニコフ様。いや、コルキド王!私は帝国の蛮行を止めるために旅に出ようと思っています」

 シルティアはスゥーと息を吸い込んでから言葉を続ける。

「私はこの盾に宿る所有者達の意志と約束をしました。弱き者達を護ると。今、大陸では戦争が起きていて、多くの人が傷つき、殺し合っていると聞きました。私はこの争いを止めます。例えそれがどんなに愚かだとしても、それが私の意志です。私は…やっと自分が生まれて来た意味が分かった気がするのです」

 そういうと唖然とする王を背中にシルティアは王宮を後にした。


 シルティアが去るという報を聞き、続々と住民が訪ねてきては名残惜しそうに別れの言葉をかけられる。
 中には引き留めにかかる者もいたが、シルティアの強固な意志の前は変えられなかった。

――この戦争を止める

 コルキドの街を出発しようとすると住民達が列をつくるようにシルティアを見送りにきていた。
 以前、シルティアに握手を求めた男も姿を見せていた。

「本当に出て行ってしまうんですね……とても残念です!必ずコルキドに帰ってきてくださいね!コルキドの住民は誰もがシルティア様の帰りを待っています!」

 前よりも一層強く手を握って握手をする男。

「!!!あ、は、はい!あ、あありがとうございます。必ずコルキドにこの盾と共に帰りますから、そ、その手を……」

 シルティアは手を振り切り慌てて出発した。


 永久凍土である山を降り、絵本でしか見た事のなかった雪や氷のない緑の森を見てシルティアは感動を覚えた。
 だが、コルキドから一番近い街のシャムールへ辿り着くかの頃…シルティアは周囲からただならぬ気配を感じる。

 盾を構え周囲を見渡す…すると、真っ黒な出で立ちをした男がシルティアの前に姿を現す。

 男は全身にドクロを纏い、多くの穢れと死を間近においているように感じていた。

「ヒヒヒヒ……お前が、コルキド最強の盾か!あぁ!なんと美しいいい!」

 男は不気味な笑い声を上げながらシルティアに話しかける。

「だ、誰ですか!?私を知っているのですか?」

「あぁ…我はずうぅっと、ヒヒッお前を見ていたぁ。その無色透明な魂……そして盾!」

「そ、そうなんですね。あ、あの、そ、そんなにじろじろ見ないでください!」

「ヒヒヒ……1度でいい。その盾に触れさせてくれぇ……我が触ったらどうなるのか知りたいのだ」

 男はシルティアの持つ盾に目をやって近寄ってくる。

「あ、あなたからは良くないものを感じます……そそ、そ、そんな人にこの盾を触らせるわけには……!」

 後ずさりながらシルティアは威勢を張ろうとするが、男はお構い無し一気に距離を詰める。

「ならば、お前を直接触らせてくれ……ヒヒヒッその美しい魂に触れてみたいのだ!」

 男はシルティアに手を伸ばそうとした時だった。

「そ、そそそそんな汚らわしい(穢らわしい)事できません!」

 シルティアは顔を真っ赤にして地面に盾を突き立てる。
 そして、瞬時に周囲には吹雪が巻き起こった。
 だが、男は吹雪にも動じなかった。

「ヒヒヒヒッ!素晴らしい!こんなにも力が!!やはりその魂、我の手中に収めたい。お前が欲しいぞ!!」

 男は不気味な笑い声を上げながら興奮気味に喋る。

「――――!!!!!!!!」

 シルティアは得体の知れない男とその言動にパニック状態に陥ってしまう。

「うぅぅうういやぁぁぁああああああっ!!!!」

 突然、シルティアは大声を張り上げた。
 そして、地面に刺した盾に力をいれ、男との間に壁を作っては一気に駆けて逃げ出す。
 シルティアは初めての事にパニックになりながらも男は絶対に穢れの塊、触れてはならない存在だと顔を真っ赤にし、涙目になりながらも全力で走り去った。

「ヒヒヒっ!どこまで逃げようと無駄だ!我が名はザラムゴール!お前を!必ず手中に収める!ずっと視ているからなぁ!ヒヒヒヒヒヒッ!!!」

 男は去るシルティアを遠目に見ながら不気味な高笑いをあげていた。

+ 冒険望む精霊の風クラッズ
 商業都市イエルの東側にある貴族街。
 気品のある屋敷の一つが、レノール家の屋敷だった。

 他の貴族に比べれば弱小家門のレノール家。
 家長のレノール伯は、仕事では部下を使わずに自らの足を使う主義であった為、忙しい毎日を送っている。
 その影響で市民に顔が広く知られており、貴族の中では評判の高い男だった。
 家を任されていた妻は、メイドと共に長男クラッズを大事に育てる。

 クラッズは母やメイドに甘やかされながらすくすくと育つ。
 中々会えない父がたまに帰ってくると、クラッズはその日あった事や、母が読んでくれた絵本の話を、休むことなく話し続けた。
 父はクラッズの話を半分聞き流しつつも、自分の後継者として育てようと考えていた。
 そんな父親の考えは知らずに、クラッズは好奇心旺盛な子どもに育っていく。

 5歳になると、母が読んで聞かせてくれた冒険者の本の主人公に憧れ、自分も冒険者になる事を夢見る
 一人街に出ては何か事件はないかと探しまわる。
 商店街を歩き、周りの人達に話しかける。

「おっちゃん!何か困った事はない!?何でも言ってよ!俺がなんでも解決するよ!」

 果物の露天を出す中年男性は、笑いながらかわいい常連さんに手を振る。

「はっはっは!!レノール伯の坊主か!今日も元気だな!今は何もないから、何か困った時にまた頼むよ!」

 手を振り返したクラッズはそのまま街を散策する。
 今まで入った事のない路地に入り、薄暗い道を進む。
 ふと、更に狭い横の路地から声が聞こえてきた。

「お嬢ちゃん!悪いようにはしねぇからよ、お兄さん達と遊んでくれよ~」

 クラッズが路地を覗くと、燃えるような深紅の髪が目に止まる。
赤髪の持ち主は小さな女の子…その周りにはチンピラのような男が3人。

「お嬢ちゃんお家はどこだい?お父さんはお金持ち?俺達に協力してくれたら、美味しいおやつをあげるよ?」

 見ていられなくなったクラッズは、その路地に走って突っ込む。

「お前ら、女の子をイジめんなぁあああああ!!」

 全力で男達に向かって走り、男の一人に渾身の飛蹴りを入れる。
 男は吹っ飛び、道に派手に転んだ。

「大丈夫か!?こっちだ!逃げようぜ!」

 赤髪の少女の手を取り、逃げようとするが男達に腕を掴まれる。
 そのまま持ち上げられて壁に叩きつけられた。

「ヒーローごっこか?ガキが調子乗ってんじゃねぇぞ?」

「あの子困ってるじゃんか!お前らみたいな悪いやつ……」

 クラッズの腹部を殴りつける男。
 ゲホッっと咳き込みしゃがみ込むクラッズに、容赦なく蹴りを見舞う。

「おい!どうした!?この子を助けてぇんだろ!?」

 クラッズは口から血を出しながら薄目を開けて赤髪の少女を見ると、いつの間にか姿を消していた。

(良かった…助けられた…)

 初めて絵本の中の冒険者のように人を助ける事ができたと、嬉しさがこみ上げた所で大きな声が響く。

「てめぇら何やってんだ!!」

 駆けつけてきたのは、角材や包丁を持った商店街の男達だった。

「やべぇ、逃げるぞ!」

 3人組は反対方向に走って逃げていく。
 倒れたクラッズの元に商店街の男達が駆け寄った。

「坊主大丈夫か!?おーい!連れていくから道開けろ!」

 果物屋の男に背負われたクラッズは、そのまま商店街まで連れて行かれた。
 氷が入った袋を顔に当てられると、痛みが走る。
 クラッズは赤髪の少女の事が気になった。

「おっちゃん…女の子は…どうした?」

「おう、そこにいるぞ。坊主がやばいって俺達に声かけてくれたんだ。この子を助けたんだってな!お手柄だぞ坊主!」

 腫れた目を見開いて辺りを見渡すと、少し離れた場所から赤髪の少女は心配そうにクラッズを見ていた。
 クラッズは起き上がり、痛む足を我慢しながら赤髪の少女の方に歩いて行く。

「カッコ悪いところ見せちゃったな…みんなを呼んでくれてありがとう」

 笑顔を見せて手を出し握手を求める。
 赤髪の少女は一瞬驚いたような顔を見せた後、目に涙を溜めながらその手を握り返した。

「私の方こそありがとう。沢山怪我させちゃって、ごめんね」

「お前、なんで泣いてるんだ?どっか怪我したのか?」

「大丈夫…そうじゃないから…」

「良かった!俺も全然平気だから!気にしなくていいぜ!」

 笑顔を見せるが、その視界に突然地面が映りこむ。

「うわぁあああ!」

 後ろから果物屋の男に腰を掴まれて抱えられたクラッズは、足をバタバタとさせて暴れる。

「なにが平気だよ!ボロボロになりやがって。家に連れてってやるから大人しくしてろ。レノール伯…いや、お前の父ちゃんにも俺から説明してやるから」

「離せよ!おい!」

 そのまま肩に乗せられて、後ろ向きに貴族街に連れて行かれるクラッズ。
 赤髪の少女は手を振ってクラッズを見送る。

「本当にありがとう!」

 クラッズは身体を起こして、大きな男の背中から手を振り返す。

「もう変な男に捕まったりするんじゃねーぞー!」


 クラッズを見て顔面蒼白の母は、すぐに手当を始める。
 果物屋の男は経緯を説明した後、もう少し早く気が付ければと深く頭を下げる。
 クラッズの母は助けてくれた事で充分だと礼を返した。
 屋敷のメイドに包帯だらけにされたクラッズは、ベッドに寝かせられて額に氷を付けられてる。

 初めて、お話の中の冒険者のように強敵に立ち向かい、人助けが出来た。
 怖さと嬉しさが混ざり合ったような不思議な興奮が冷めずに、クラッズは眠れない夜を過ごす。

『冒険者になる』
 心の中で強く決心した。

(あんなチンピラに負けているようじゃダメだ…俺はもっと強くなる!)

 次の日から身体を鍛え始めた。
 屋敷の庭で走り回り、木に登っては飛び降りて、はたから見れば子どもが遊んでいるようにしか見えないかもしれないが、クラッズは強くなる為に無我夢中だった。
 ふぅ…と額の汗を拭い、庭に置いてあるテーブルの上に水の入ったコップを見つけて飲み干す。
 どうやら母も応援してくれているようだった。
 一層気合が入ったクラッズは、また走りだす。

――数週間後

 屋敷の門にメイドが並び頭を下げると、その横をレノール伯に続き果物屋の男が歩く。
 数日振りに帰ってきた父親の顔は険しく、何か問題が出ているのだろうとクラッズは直感する。
 父が屋敷に入るのを確認すると、裏口から先回りして父の書斎の隣の部屋である物置に身を潜めた。
 父が入ってくると、果物屋の男を招きいれる。

「では、詳しく教えてくれるか」

 果物屋の男はクラッズに接している時とは違い、真面目な顔で報告をしている。

「巷で噂になっている山賊の件ですが、行商人が被害にあっておりまして、我々商人の元に品が届かない事がしばしばありまして…特に被害がひどいのは宝石商と武器商です」

「その山賊の隠れ家は分かっているのか?」

「それが…見た者によれば北東の山に帰っていくようですが、詳しい場所までは分かっていないようです」

「なるほど…。傭兵団に相談しても良いが…時間が掛かるやもしれん。こちらでもできるだけ調査はしよう」

「ありがとうございます」

 クラッズは直ぐに身支度を整えて家を出た。
 北東の山と言えば、クレアシオンの森の奥。
 見つけられるかは分からない。
 山賊の住処を見つけられたとして、自分に何ができるのかも分からない。
 それでも何もせずにはいられなかった。

 クレアシオンの森を抜けて、獣道を進んで山の奥へ奥へと進んでいく。
 日が落ち始め、辺りが暗くなってきたがクラッズは引き返そうとは少しも思わなかった。

 やがて、木々の隙間から山小屋が見えてきた。
 人の気配はない。
 クラッズは慎重に山小屋に近付いて、窓から中の様子を確認するが、やはり中には人がいそうにない。
 ドアには鍵が掛かっておらず、侵入する事に成功した。
 中の部屋へと進んでいくと、盗まれたと聞いた宝石や武器が山のように積まれていた。
 その光景に、間違いなく山賊のアジトだと確信したクラッズは、他に何か情報はないかと山小屋の中を物色する。

 しかし、遠くから人の声が聞こえてくる。
 とっさに奥の部屋に逃げ込み、最初に目についた大きな盾の影に隠れて物音を立てないようにジッと待つ。
 ドアの開く音がして、足音と共に男の声が聞こえてきた。

「はぁ~今日はなんだったんだ?ガセネタ流されたのか?」

「いつもは積み荷の中身までバッチリなのにな…まさか行商人が感づいて直前でルートを変えたか……」

「いや、そんな筈はねぇ!今までは直前に予定を変えたって情報もあっただろ」

 どうやら、山賊達に情報を流している者がいるらしい。
 クラッズは、山賊達の会話を頭の中で復唱しながら、必死に内容を覚えようとしていた。
 その時、クラッズの隠れている部屋のドアが開く音がする。

「もう信じねぇ方がいいんじゃねぇのか?この盾が本当にすげぇ一品なのか分からねぇし…」

山賊達は、乱暴に持っていた武器を部屋の中に投げ捨てる。
 斧や剣が飛んできてクラッズの隠れている盾に当たる。

「たっ……!」

 思わず漏れてしまったクラッズの声を山賊達は聞き逃さない。

「誰だ!そこにいるのは!!出てこい!!」

 クラッズは考える。

(今、全ての武器をこっちに投げていたとしたら、相手は丸腰だ…なんとかなるかもしれない)

 瞬間盾を持って山賊に突っ込んでいくクラッズ。

「うぉおおおおおお!!!」

 山賊は盾で押し倒されて転げまわる。

「だぁああ!!!なんだ!?」

 無我夢中で盾を振り回していると、クラッズは自分の身体に異変を感じる。
 身体が軽く、奥底から力が湧き出てくるような感覚に襲われる。
 その時、盾に周りの空気が吸い込まれているような気がするが、何が起きているのかが分からない。

「チビ!!てめぇなんのつもりだ!!」

 山賊は武器を拾ってクラッズに立ちはだかる。
 盾の吸い込む風はどんどん強くなり、小屋がガタガタと揺れだした。

「なんだ!?これは……おい、チビ!てめぇやめろ!!」

 山賊は慌てふためく。
 クラッズは目を閉じて盾を抑えているのが精一杯で、それ以上何もできない。
 盾の吸い込む風は勢いを増して、ついに山賊は立っている事もできず小屋の柱にしがみつく。

「あの盾……本当に……!!」

 山賊が言葉を発したかと思った瞬間に、盾は眩い光に包まれて大きな爆発音を立てた。
 クラッズは閉じていた目を少しずつ開けると、周りには木材が散らばり、上を見上げると星が出ている。
 山小屋は完全に破壊されて、山賊が何人も倒れていた。

「なんだ…これ…どうなってるんだ?」

 盾を持ったクラッズは、まだ少し風の出る盾を持ったまま立ち尽くしていた。
 瓦礫が崩れる音がするとボロボロになった山賊が立ち上がってきた。
 クラッズは盾を構え直して力を入れる。
 すると盾からまた風が吹き荒れて、山賊は吹き飛び近くの木に激突した。

「ぐあっ…!こんなガキが……精霊の風使いだと……どういう事だよ…」

 クラッズは盾を構えたまま近付いていく。

「まて…まてやめろ……悪かったから…死にたくねぇ…」

 怯える山賊に違和感を覚えたクラッズは、盾を構えながら質問をする。

「精霊の風って何の事だ?」

 山賊は尻もちをついて、両手を軽く横に出して敵意がない事をアピールしながら話し出す。

「なんだよ知らねぇのか…。その盾は骨董品でな、精霊の祝福がついた盾っていう話だ。俺達にはただの鉄くずにしか見えないが……見るやつが見ればすげぇ値段が付くって聞いて奪ってきたんだよ。精霊の風使いでなきゃその能力は出せないって聞いたが…お前がそうなんじゃないのか?」

 クラッズは自分の手を見る。

「俺が精霊の風使い?」

「なぁ、知ってる事は話した。もういいだろ。助けてくれ」

 その時、遠くの方から草木を掻き分けてくる足音が聞こえた。
 音の方向を見ると、鎧を着た数人の傭兵が歩いてきているのが見えた。
 傭兵の一人がクラッズの顔を見ると、驚いた様子で足を止めた。

「あんたは…レノール伯のぼっちゃんか?これは一体……」


 イエルに戻ったクラッズは、事の経緯を父親に報告した。
 山賊の一味は傭兵に捉えられて、今は檻の中にいるそうだ。
 レノールは心配そうな表情でクラッズの肩に手を置く。

「何故そんな危険な所へ…精霊の風とやらがなかったらどうするつもりだったのだ」

 クラッズは盾を父親に見せて嬉しそうに話す。

「大丈夫だよ父さん!俺はこの盾で冒険者になるんだ!だからこの盾を俺に譲ってくれるように武器商人の人に…」

 クラッズの言葉は遮られる。

「クラッズ…あまり私を困らせないでくれ…」

 クラッズは話を聞こうともしない父親に苛立った。

「もういい!父さんになんと言われようとも、俺は絶対に冒険者になるから!」

 部屋を出て行くクラッズを呼び止めようともせずに、ため息だけ吐いた父親は書斎の椅子に戻って仕事の続きを始めた。
 クラッズはその足で武器商人の元に向かう。
 夜も遅く、店は閉まっていたが、ドアをガンガンと叩いて武器商の男を呼んだ。

「うるせぇな!こんな時間にどこのどいつ……あ…?なんだレノール伯の坊主じゃねぇか。どうした?」

 男はクラッズが持っている盾を見ると目を丸くした。

「お前、その盾は……。なるほどな。傭兵の奴らが盗まれた武器を回収してきてくれたが、盾を使いこなした精霊の風使いってのは坊主の事だったのか!お手柄だったじゃねぇか!」

「頼みがあるんだ!この盾を譲ってくれよ!」

「はっはっは!レノール伯のぼっちゃんに頼まれたんじゃ断れねぇなぁ!それに、みんな山賊に頭を悩ませてたんだ…坊主が解決してくれたんなら、商店街の奴らを代表してお礼をしねぇとな!いいぞ!持ってけ持ってけ!」

 こうしてクラッズは精霊の盾を手に入れた。


 クラッズは屋敷にいる事が少なくなる。
 街に繰り出し、周りで起こる事件に片端から頭を突っ込んでは暴れ回った。
 「お前のせいで仕事がなくなっちまう」と傭兵から言われては、嬉しそうに笑っていた。
 しかし、商店街の人々はささいな疑問を持っていた。
 精霊の風使いというのがどれ程の力なのかは分からないが、何故いつも事件に関わる事ができて、且つどんな状況でも打開できてしまうのか。
 例えば、クラッズが追い剥ぎを追いかけていると、逃げ道の先の橋が突然崩れて捕まえてしまった。
 他にも、ただの幸運では片づけられないような事が度々起きていた。
 街の中で噂が広がる。

 『精霊の風使いは、精霊の加護を受けている』

 クラッズはそんな噂を気にせず、冒険者になることだけを考えて毎日暴れ回っていた。


――数年後

 レノール伯の書斎で、青年となったクラッズは父に呼びだされていた。

「お前は私の後継者になって貰わなければならない。少し甘やかしすぎたようだ…。これからは勉強をしなさい。立派な大人になって私の跡を継ぎ、家門を発展させる為に全力を尽くしてもらう」

 クラッズは驚いた。
 その顔は疲労が貯まり、少し見ない間にシワだらけとなった父を前に、クラッズは動揺していた。

「まってくれよ。俺は冒険者に…そろそろ家を出ようと……」

「ならん。お前には専属のメイドを付け、勤勉に勤めて貰う。入ってくれ!」

 レノール伯が廊下の方に向かって声を掛けると、静かにドアが開きメイド服を着た一人の女性が入ってくる。

「失礼します。本日からクラッズ様のお世話をさせて頂く事になりました、メイドのリーズレットと申します。よろしくお願いいたします。」

「まってくれ!俺はそんな……」

 言いかけたクラッズは、入ってきた女性の姿を見て言葉を詰まらせる。
 燃えるような深紅の髪。
 脳裏に焼き付いているあの少女が成長した姿を想像すれば、目の前の女性のようになるだろう。
 忘れる事が出来ない、初めて冒険者のように勇気を出せたあの日の、赤髪の少女に似たその女性から目を逸らす事ができない。

「君は……もしかして……」

 リーズレットの目がほんの少し動いたような気がした。

「早速ですが、クラッズ様のお部屋にお勉強のご用意をさせて頂きました。一緒に来て頂けますか?」

「あ、あぁ……」

 クラッズはあまりの衝撃に、彼女に言われるがまま自室に行く。
 廊下の途中で、どうしても確かめたいと思いリーズレットの背中に声を掛けた。

「なぁ、リーズレット…?昔、商店街の路地でチンピラに絡まれてなかったか?」

 リーズレットは足を止めて、一つ間を置いてから振り返る。

「申し訳ありませんクラッズ様。そのような記憶は御座いません」

 彼女は笑顔で返答するが、クラッズにはとても人違いだとは思えなかった。
 自室のドアを開けると、机の上から床まで山積みになった本が天井まで届きそうだ。

「あの…これ全部読むの……?」

「いいえ!読むのではなく、覚えて頂きます!」

 ニコっと笑うリーズレットに立ちくらみがした。


 それからクラッズは言われた通り勉強をする。
 歴史、政治、外交、物流と貿易…。
 毎日、朝から夜まで本を睨みつけている生活になり、頭がおかしくなりそうだった。

 片時もクラッズの側を離れようとしないリーズレットには隙がなく、逃げ出そうにも逃げ出せない。
 少し外に行きたいと打診してみるが、レノール伯に怒られてしまうからダメだとあっさり断られてしまった。
 仕方なく言われた通り勉強を続けていたが、本に囲まれた生活に限界を感じて、屋敷の者が寝静まった深夜に窓から抜け出すようになった。

 夜の街を一人歩くクラッズ。
 前のように事件がないかと探すが、真夜中の街には人が少なく、ただ星を見ながら散歩をしているだけだった。
 それでも、ずっと部屋の中で勉強漬け、更にはリーズレットに監視されている事で溜まったストレスの発散にはなった。
 一人の時間は長くはなく、日が昇る前に部屋に戻らなければならなかったが、その時間だけは自由に、自分の思った方向へ足を進める。
 クラッズはそんな生き方がしたいと心から思いながら、現実逃避とも言える散歩を毎晩のように繰り返していた。


 ある日、クラッズはまた父に呼び出された。
 今は言われた通り勉強をしている。
 何も咎められる事はないだろうと思いながらも、何を言われるのかと考える。
 父の書斎のドアをノックしてあけると、父が難しそうな顔をしていた。

「クラッズ。真面目に勉強しているようだな」

 父の声はやせ細り、本当に父なのかとクラッズは疑う程だった。

「父さん?どうしたの…?なんか…元気ないけど……」

 レノール伯はその声を無視して話を続ける。

「クラッズ、お前をシュレイド家に婿養子として出す事にした。この家の為に勉強させていたが、それも無駄にはならないだろう。相手はシュレイドの一人娘だ。なんだ?その顔は…約束された大出世だぞ?」

 シュレイド家は、イエルの3大貴族の一つの大貴族。
 婿養子になるという事は、シュレイド家の跡継ぎになるという事だった。

「なんだ…それ…。そんなのなんで勝手に決めるんだよ!?なんでよりによってシュレイドなんだよ!!」

 クラッズは怒りを抑えられなかった。
 シュレイド家は、自分達の利益の為には住民を苦しませる事も厭わない、更に言えば利益が出るならば人も殺すという噂までクラッズの耳に入る程、評判の悪い家門だった。
 レノール家門は、これまでシュレイドとは出来るだけ関わらないようにしていた。
 シュレイドのやり方にレノール伯は賛同せず、これまでどんな取引が持ちかけられても首を縦に振らなかった筈だった。

 レノール伯は静かに言葉を続ける。

「シュレイドは力をつけすぎた。もう、うちのような弱小家門は反発すれば潰されてしまう。もし潰されてしまえば今までの苦労が全て水の泡だ」

 確かに、シュレイドは次々とその傘下に貴族を引き入れて、3大貴族の中でも頭一つ飛び抜けた存在となっていた。
 その傘下に入るばかりか婿養子となれば、確かにレノール家は安泰だろう。
 しかしそれでも、今まで家門の為に足を使い、その人生を捧げてきたような父が、正反対のような男の権力に屈したという事に、クラッズはどうしても納得ができない。

「そうだとしても!!シュレイドの傘下に入ったら、父さんが今まで頑張って作り上げた街の人達の信頼がなくなっちゃうかもしれないだろ!?それでも良いっていうのかよ!!」

 レノール伯は、肩を震わせながら背中で語る。

「今までずっと遊んでいたお前に…何がわかるというのだ……」

「なんにもわかんないよ!!俺は反対だ!大体、結婚なんかしたくもないし、シュレイドの所なんて尚更ごめんだ!!」

 大声を出したクラッズだったが、父はクラッズの方を振り向いて負けないくらいの声量で怒鳴り散らす。

「もう決まった事なのだ!!!見ろ!!契約書だ!!これで家門は安泰なのだ!!!黙って言う通りにしろ!!」

 涙を流しながら叫ぶ父親を前に、クラッズは呆然とした。
 父の泣いた顔なんて初めて見た。
 目の前の男の苦労なんてクラッズには想像もできないが、きっと何か訳があるのだろう。
 今までずっと、大貴族と一人で戦い続けていたのかもしれない。
 父はクラッズの胸に崩れ、肩を掴んで俯いた。

「もう決まった事なのだ…頼む…」

 父の姿を見て、クラッズは決心する。

「わかった。俺に任せてくれよ」


 それからは屋敷の中でクラッズは何もせずにいる。
 リーズレットは相変わらずクラッズの側にいた。
 クラッズは、ふとリーズレットに訪ねてみる。

「なぁ、リーズレット。俺がシュレイドの家に行く事が決まったのは知ってるのか?」

 リーズレットは表情を変えずに返答する。

「はい。存じておりますよ」

「そうか……」

「補足をするのであれば、まだ正式な婚姻は決まっておりません。シュレイド様からレノール様に色々と注文が来ているようで、それを全て飲まなければ、この話はないと……」

「何!?そんな話があるのか!?」

 クラッズは立ち上がる。

「どういう事か詳しく教えてくれないか!?リーズレット!!」

「最初は、商店街から取っている税の引き上げと、上げた分の税の横流し。次はレノール様が管轄する地域で行われている傭兵の巡回警備の縮小。その次は、この家門が保有している土地の30%を贈与。最後に、事故と見せかけてクラッズ様を殺して、婚約者の家であるシュレイド家が盛大な葬儀をあげる事で、レノール家が得ている市民から信頼をシュレイド家に渡す計画まで」

「待て待て!!なんだよそれ!!」

「全ては、レノール家を存続させる条件として、シュレイド様が注文されているものです」

「シュレイド……!!」

「私はクラッズ様に亡くなって欲しくありません。だから、この契約書がシュレイド様に届く前に拝借してきました」

 リーズレットから手渡された紙には、確かに父の文字があった。
 確かに、クラッズの命と引き換えに、目の眩むような金額が書かれている。

 クラッズは拳を強く握る。
 シュレイドは父と結託している…。
 そして、自分の命をも取ろうとしている…。
 そう考えると、いても立ってもいられなくなった。


――その日の深夜


 クラッズは静かに盾を持ち、いつもと同じように窓から屋敷を抜けだした。
 向かうはシュレイド家。
 イエルの街を牛耳り、父を苦しめるシュレイドを許せるわけがなかった。

 坂を登り、シュレイドの大きな屋敷が見えてきた。
 クラッズは身を潜めながら正門を覗く。
 大きな門の周りには、あちこちに重装備の見張りがいる。

「正面突破はさすがに厳しそうだな……」

 屋敷の裏門へ回るクラッズ。
 日が登れば更に見張りが増えるだろう。
 時間はあまりなかった。

「ん?なんだ?」

 裏門を見ると丁度交代の時間なのか、人の姿がない。
 なんなく敷地内に侵入し、屋敷の裏口までやってきた。
 そっと扉に手を掛けると、裏口の鍵が空いている。
 これだけの大貴族ならば、侵入者なんて何年もいないのかもしれない。

「都合がいいな…」

 そのまま屋敷の中に入り、シュレイドを探す。
 所々に兵士はいるものの、やり過ごしながら進む。

できるだけ足音を立てないように広い廊下を進んでいくと、2人の兵が護りを固める大きな扉が目に入った。
 きっとあの扉の中にシュレイドがいるのだろう。
 クラッズは確信して兵の前に姿を出した。

「おらぁああああ!!」

 兵士2人を盾で殴りつけて、そのまま扉が開かれる。
 天蓋付きのベッドに寝ていたであろうシュレイドが、慌てふためいて床に転がり落ちる。

「何事だ!!」

「シュレイド。随分好き勝手やっているようだな。今日でそれも終わりだ」

 クラッズは盾を構えてシュレイドに向ける。

「貴様は…レノールの息子か!?そんな事をしてどうなるか分かっているのか!?お前の家は終わるぞ!?」

「どっちみち終わらせる気なんだろ?なら、俺が何をしようと変わらないよな?」

「くっ……!」

 シュレイドがベッドの枕の下に手を潜らせたのをクラッズは見逃さなかった。
 盾を構えてシュレイドへ突っ込んでいく。
 シュレイドは短剣を構えていたが、クラッズの盾に吹き飛ばされ窓を突き破る。
 バルコニーに飛び出たシュレイドの胸倉を掴んで、クラッズは柵の外に腕を伸ばす。
 屋敷の3階に位置するこの場所から落ちれば、間違いなく無事ではいられないだろう。

「さぁ、どうするシュレイド?ここで死ぬか、父さんと交わした約束を全て破棄するか、どちらか選べ」

 シュレイドはあまりの恐怖にガタガタと震え、クラッズの腕にしがみつく。

「頼む!助けてくれ!お前の家にはもう何もしない!頼むから!」

 後方から足音がした。

「シュレイド様!ご無事……貴様!!そこで何をしている!!シュレイド様を離せ!!」

 見張りの兵士たちが部屋に入ってきて武器を構えたが、クラッズはシュレイドを掴んでいない方の手で盾を掲げて力を込める。
 盾から物凄い風が出て屋敷内を吹き抜け、兵士は立っている事も許されない。
 その風に巻き込まれているシュレイドは、足をバタバタさせながら泣いていた。

「本当に…お前の言う通りにする…だから……助けてくれ……」

 クラッズはシュレイドを部屋の中に投げ捨てると、紙とペンを取り出してシュレイドに突きつけた。

「今の言葉、嘘じゃないよな?一筆書いて貰おうか」

 シュレイドは泣きながらペンを走らせる。
 紙を受け取ったクラッズは、シュレイドに向けて言い放つ。

「夜分にお邪魔したな。これからは汚い事しないで、真っ当な貴族になるんだな!」

 屋敷を後にしたクラッズは、清々しい気分でレノール家に戻る。
 これで、全て終わった。
 そう思っていた。


――翌朝


 リーズレットに起こされクラッズは目を覚ました。

「クラッズ様。レノール様がお呼びです」

 昨晩の事が父の耳に入ったと考えて、クラッズは父の書斎に向かう。
 ドアをノックしてから中へ入るとレノール伯は上機嫌な顔で出迎えた。

「クラッズ!ゴミ共はいなくなった!私達の時代だ!」

 父は今までに見せた事もない優しい顔をしている。
 クラッズはそんな父に厳しい目線を飛ばす。

「あんたがした事は全部わかってる。俺の命を売ろうとしてた事も全部だ!」

 レノール伯は、クラッズの顔を見て気まずそうな笑顔を見せる。

「……知っていたのか…。それはただの口約束で、本当に実行する訳がないだろう。これまでお前の事は大切に育てたのだから」

「嘘だ。なんなら今から一緒にシュレイド家に行くか?シュレイドに聞けば分かる筈だ」

 父は笑いながら話す。

「あぁ、いいとも!もっとも、もう話せる状態ではないがな!」

 クラッズは何か会話が噛み合っていない事に気がつく。

「話せる状態じゃない…?」

「なんだ?全部リーズレットから聞いている訳ではないのか?ならば教えてやろう。昨晩シュレイド家に何者かが侵入して、敷地内にいたものは……」

 レノールは楽しそうに笑いながら、言葉を続ける。

「全員虐殺されたんだぞ?」

「なっ………!?」

 クラッズの頭が真っ白になる。

(虐殺?どういう事だ…昨日確かに暴れたけど…誰一人殺してなんか…)

「お前は何か勘違いをしているようだが、そんな約束なんかなかった。今まで私はシュレイドに脅されていただけだ。」

 クラッズは混乱した。

(何が…どうなってる……)


 自室に戻ったクラッズは頭を抱える。

(シュレイド家の人間が虐殺された?昨日あの後に誰かが入ったのか?そんな短時間で…あの量の兵士を全員…?どれだけ大勢で…?そんな大規模な戦闘が…?)

 いくら考えても答えは出ない。

 数日が立ち、街の傭兵団が事件を調査していたが、犯人は分からず仕舞いだった。
 よく考えれば、街の人間に嫌われていたシュレイド家が滅んだ所で損をするのは一部の人間。
 それならば傭兵団も対して力を入れて捜査をしないのも当たり前なのだろう。
 現に、あれだけ色々な痕跡を残したクラッズも容疑者に挙がっていなかった。

――数日後

 クラッズは決心をして父の書斎にやってきた。

「父さん、今ちょっといいか?」

「なんだクラッズか…何の用だ?」

「俺はこの家を出て行く。俺の命を売ろうとしたあんたの跡なんて継ぎたくない」

 レノール伯は少し考えた様子だったが、ため息を吐いて答えた。

「帰ってきたくなっても、お前など息子でもなんでもないぞ?」

 どこまでも人をバカにしたような態度を取る父に拳を握る。

「そうさせてもらう」


 荷物をまとめて、屋敷の外に出ると、母やメイドが見送ってくれる。
 母は悲しそうな表情をしながら別れを惜しむ。
 クラッズは母にはこれまでの事を何も言わないと決めていた。
 不良息子が家を出たくらいに留めておかなければ、ただたんに母を悲しませるだけだと思っていた。

 リーズレットにも手を振りながら屋敷の門から外に出る。
 大きな盾を持ち、クラッズは本当の冒険者としての1歩を踏み出した。


――イエルの街を出て、街道を西に向かって歩きながらこれからの生活にワクワクしている。
 空に向かって両手を上げて伸びをした時、妙な視線を感じた。
 後ろを振り向くと、3台の馬車から大勢の男達が出てくる。

「誰だお前ら…?」

 周りを囲まれたクラッズは盾を構える。
 一人の男が口を開く。

「大人しく街を出られると思うなよ…人殺しが…」

 その男には見覚えがあった。
 確か、シュレイドの傘下に入っていた貴族の家門の長…。
 大方、シュレイド家が滅亡した事で利益を出しにくくなった奴らが、その原因はクラッズと考えて復讐しようとしているのだろう。

「一人相手に随分な人数だな」

「シュレイドの家を一人で崩壊させた男が何をいっている…よし、かかれ!!」


 必死に戦うクラッズだったが、何十人もの兵を相手に多勢に無勢だった。
 後ろから殴られ意識を失う。

「っ……!くそ……!」


 目を覚ましたクラッズは、薄暗い牢獄の中にいた。
 湿度が高く、ジメジメとした室内には血の匂いが漂っている。
 手には手枷がつけられ、頭も身体もあちこち痛い。

 周りを見渡していると、何か不自然な事に気がつく。
 目の前の鉄格子の扉が空いているのだ。
 壁掛けランプが地面に落ち、横になりながらも小さな火がゆらゆらと揺れている。
 その明かりが照らす先に、兵士だろうか…鎧を着た男が倒れ、腹部から血が出ているように見えた。

(どうなってる……?俺は捕まったはずじゃ……)

 近づこうと腰を上げようとすると、「ジャラ」と音がした。
 自分の腕を見ると、右手に大きな手枷がついている。
 手枷からは太い鎖が伸び、鎖は床に落ちて暗闇の中へと続いている。
 だんだん目が慣れて来た。

鎖の先を追うと、靴がうっすらと見える。
この狭い空間に、もう一人、生きた人間がいる。

「っ……!!?」

 鎖の先はその人間の腕に伸び、自分の右手についている物と同じ手枷がつけられている。

クラッズは、まだ覚醒しきらない頭を必死に働かせる。
今の状況や、これまでの事。
自分の知らない所で、想像もできないような“何か”が起きていたとすれば、目の前の人物が関わっているのだろう。

「こんな所で・・・何をしてるんだ・・・?」

 言葉を選んで質問するクラッズ。

彼女は、燃えるような深紅の髪の隙間から、白い歯を見せた。
+ 光機の鎧デアラスール
 ――暗い……

 ――何も見えず……

 ――何も聞こえず……

 意識を取り戻した時には既にここにいた。
 それは『闇』としか呼びようのない空間だった。
 いつからなのか。
 何故なのか。
 答えを探すべく、闇の中でそれは思考を巡らせる。

 ――名は……デアラスール……

 ――私は……何をしていたのだろうか……

 ノイズがかる記憶の中、鮮明に思い出せることが一つ。

 決して大きくはないが、どこか犯しがたい神秘的な雰囲気が溢れる建物。
 荘厳な門を開き、我が家に入るかのように足を踏み入れる自分。
 その手にはとても大きな……盾のようなものが握られている。
 玄関間の奥まで進むと、ふと立ち止まって振り返る。
 眩い陽の光を浴びながら、潜ってきたばかりの門を静かに見つめる。
 どうやら何かを待っているようだ。
 そして……待つ。
 ただただ、ひたすらに待つ……

 ――私は何を待っていたのだろうか……

 記憶と呼ぶにはあまりに思い出せることが少ない。
 それでも、なおその記憶が自分自身のものであることは確信できた。
 なぜなら、自分が何物にも代えることのできない、それ程の使命感を抱いてそこにいたことを覚えているからである。
 このわずかな記憶は、そんな感情があるからこそ失われずに残ってくれているものなのかもしれない。

 だが、その使命の正体までは思い出すことはできなかった。



 しばらく考え込んでみた結果、やはりというか、それ以上の情報を思い出すことはできなかった。

 しかし、不思議と落胆はない。
 並の者ならばこの時点で打ちひしがれてしまう者がいてもおかしくないのかもしれない。
 我が身のこととはいえ、感情の起伏が乏しいというか、楽観的というか……
 自分というものが少しわかった気がした。

 それからいろいろなことをした。

 時間だけはいくらでもあった。
 あるかどうかも分らなかったが、脱出を目指して出口を探し回った。
 歩けているのだろうか?
 いるかどうかも分らなかったが、同志を求めて呼びかけてみた。
 声は出ているのだろうか?

 しばらくして、動くことをやめた。
 脱出不可能。
 孤独。
 無。
 得られた情報はそれだけ。

 訪れるかわからなかったが、変化を待つことにした。
 その間、途方に暮れていても仕方がないのでいろいろ考える。
 開けているのか、閉じているのか、完全な暗闇の中で自分の目がどうなっているのか、それを確認する術について考察してみた。
 そもそも自分の体は今どうなっているのか、触覚がないままに確認する術について考察してみた。
 浮いてはいないが、落ちてもいないような、なんとも不思議なこの空間の謎について考察してみた。
 思考ができるという事実から、意識だけは確実にここに存在しているわけで…………
 意識のみが存在する世界ならば、この『暗闇』と例えた黒い景観は…………………
 色とはそもそも物体に反射した光情報を……………………………

 無とは黒か、白か、透明か………………………………

 すなわち『透明』の世界とは………………

 …………………………

 ………………

 ……



 16573……


 思いつく限りの事をすべてやり尽し、最終的には考える事柄すらも思いつかず、ただ時間を数え続けるだけとなった。

 3015031……

 意識を取り戻してからどれほどの時間が経ったのだろうか。
 あれだけいろいろやったのだから数日ということはないだろう。
 1年?
 それとも10年?
 初めから時間を数えておけばよかった。

 524902097……

 永遠とも思える膨大な時間が教えてくれたのは、自分が如何に絶望的状況に置かれているのかという事実のみだった。

 70376845322……

 刻まれていく数字が大きくなるにつれ、心にのしかかる絶望感もまた重くなっていくような気さえする。

 100000000000……

 またひとつの大台を迎えた。
 一段と重い絶望感と微かな達成感が入り混じり苦笑がこぼれ落ちる。

 …………………………

 数を数えることすらも諦めた。
 助けてくれ。
 死すらも存在しない世界の重圧。
 ここにきてそれに耐えきれなくなった魂が悲鳴を上げはじめる。

 バチッ!

 そんな音が聞こえた気がした。
 絶望故か、微かに視界が歪む。
 もしかするとこのまま消えることができるかもしれない。

 が、そんな解釈を打ち消すように瞬く間に闇を払い広がっていく光。
 徐々に明るさを増していく世界の中で、待望の変化により思考が止まり一瞬呆ける。
 何をやっている!
 状況を打開する術を、必死に希望を探す。

 あれは……

 月?太陽?
 闇を照らす巨大な光源。
 あまりの眩さに目がかすむも……しがみつく様にそれに手を伸ばす……





「あ、あれ…?空っぽ?確かに人の気配がしたのに…なんでだ??えぇえええ!すごい!動いてる!!なんでなんで!?」

 久しく聞いた『音』は、少しおどけた様な、どこか間抜けな声に思えた。
 強烈な光に眩んでいた視力は間も無く戻り始め、キラキラと目を輝かせながら自分を覗き込むように見つめる人物の姿を認識したところで、自分があの世界から抜け出せたことを理解する。

(まさか……女神……?)

 口から出かける「女神」という言葉。
 だが、それは真っ先に目についた、特徴的な三つ編みの金髪と、頭に乗せたゴーグルとリボンにより過ちであることを諭される。
 女神と呼ぶにはあまりに珍妙だった。

「ここは、どこだ?」

 実際に耳にする自身の声さえも懐かしく感じ、感動すら覚える。

「アタシの研究に関わっていた人間がこの技術を盗んだのか…?」

 傍らに転がっていたデアラスールの頭部を拾い上げ、何やらブツブツと言いながら観察している少女。

「ねぇ、この兜ってどこで手に入れたの?」

 返答はおろか、質問したいことがまだ山ほど残っている自分に対し、お構いなしと言わんばかりに問い詰めてくる少女。

「……わからない。何も覚えていない……」

 その答えに考え込んでしまう少女だが、本当にそれ以外の答えが見つけられなかった自身を情けなく思う。

「それとも、アタシの研究……この努力の結晶を、他の研究者が先に完成させていたとか……?」

 頭についた三つ編みを豪快にぶんぶん振り回しながら苦悩し続ける様は思いのほか微笑ましいものだ。

 状況が大きく変わってから少し時間が経ち、少女の姿のおかげもあってか、緊張もほぐれ、思考が大分まとまってきた。
 あの空間から抜け出す際、自分を包んだ光から強力な力が流れ込んでくるのを感じた。
 恐らくこの少女が身に着けているグローブに何らかの魔力的機能が備わっているようだ。
 そうなると、やはり自分を救ってくれたのはこの少女……
 そして、自分がまず何をしなければならないのかを思い出す。

「私は助けてくれたお礼がしたい!あなたの為なら何でもしよう」

 自分が何者で、何が起こり、何をしていたのか、そんなことよりもまずは感謝を。
 心からの想いは自然と体を動かし、平伏するかの如く少女の前にひざまずかせる。

 少し何かを考え、にやりと笑う少女。

「ふーん。ちょうど実験台が欲しかったところなんだ!君はなかなか興味深いしねぇ。そうだ、遺跡の外に出れば君の事を知ってるやつがいるかもしれないし、アタシについてきてよ!」

「はい、主様。このデアラスール、主様にこの身を捧げま…す」

(む?力が……)

「うわぁぁあああ!!バラバラになった!!」

 身体機能を取り戻すにはどうやら魔力が不十分だったようだ。
 各部の結合が解けてしまった鎧の体を見て少女は慌てふためく。

「主様……すみません。身体にまだ力が足りていないようです」

「力…?あ!そうか!」

 少女は床に散らばるデアラスールへと近づき、その本体にグローブで触れ、魔力を一気に流し込んだ。
 魔力に反応し、磁石のように再び繋がっていく鎧を見た少女は興奮する。

「おおおお!!なにこれおもしろい!!」

「感謝いたします。主様」

「実験開始ぃ!!」

「……主様?もう十分です。主様?」

 少女は、デアラスールが元の姿に戻ってなお、グローブから流れ出る魔力を止めることはしなかった。
 それどころか、その出力をどんどん上げていく。

「主様?これ以上は……うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」

 羽が生えた。

 体に満ち満ちる力。
 まるで生まれ変わったようだった。

 そして次の瞬間、手足が吹き飛んだ。
 鎧の体が耐えうる限界を超えたためか、溢れ出した光の魔素が爆発を起こしたようだ。

 ――これが主様と私の出会いだった。



 ジゼル。
 それが主様の名だった。

「よーし!デアラスール!今日は君の体に組み込んだ魔力回路の基礎稼働実験をするよ!」

 ジゼルは、科学技術が非常に発達した『電磁都市ガリギア』で、魔素を利用した身体強化の研究を続けていた科学者だった。
 しかし、街が帝国軍の攻撃を受けたために街から避難。
 その避難先として逃げ込んだこの遺跡の中で偶然デアラスールを発見し、以降ここを拠点として研究を続けている。

「準備は整っております。主様。いつでも開始してください」

 デアラスールの鎧の身体には、ジゼルが自身の研究により開発した、グローブ型身体能力強化デバイスの基礎となっている魔力回路に酷似したものが備わっていた。
 その技術を解析、発展させ、さらには己の研究と組み合わせることにより、さらに一段階進んだ新境地へと研究をシフトさせることを考えた。

「それじゃあ……ポチッと!」

「……魔力の発生を感知。今のところ問題ありません」

 デアラスールは、自身を救ってくれたジゼルの恩に報いるため、身を捧げて忠義を尽くすと誓った。
 そんな彼にとって、我が身が彼女の最大の目標に大きく貢献できることは至上の喜びであったことだろう。

「よしよし!じゃあ出力上げていくよー!」

 遠隔操作で出力を徐々に上げていくジゼル。

「む?主様。これはいささか出力を上げすぎではないかと……」

「回路の最大出力測定と負荷実験のほうもパパッとやっちゃおうと思ってね」

「効率的……さすがでいらっしゃいます主様」

 2人が出会ってからというもの、毎日が実験の日々だった。
 ジゼルは自分の開発したグローブの魔力回路をデアラスールへと組み込んだり、もともとデアラスールに備わっていた回路を改造したりと、様々な研究を行った。
 この実験もその一環である。

「けっこう出力上げちゃってるけど大丈夫―?」

「……問題なし。主様の望む限りどこまでも上げ続けてくださいませ」
(こ、ここで私が先に折れてしまっては、主様の実験が中断されてしまう……それはあってはならん!絶対にだぁああああ!)

「おー!余裕あるねぇ!じゃあ、もういっちょ出力上昇ポチッ!」

「ぬぉおおおおおおおおおおおおお!力が……!みなぎってくるぅうううううう……あっ」

「えっ?」

 直後に響き渡る爆発音は、遠くカリギアの街中まで響き渡った。


 ――翌朝

「昨日の実験は大変だったね……」

「申し訳ありません主様。私が不甲斐無いばかりに……」

「いや!おかげでかなり高出力まで魔力を高めることができると証明できたよ!このままの性能をグローブに移植できれば研究はまた大きく前進する!」

「たとえ失敗の中からでも、貴重な成果を見つけ出してはものにする探求心。さすがでいらっしゃいます主様」

「でさぁ、前々から思ったんだけど、さらなる実験のためには、被験者でもある君の強化も必要なのかなって思ったのよ」

「なんということか……昨日の実験で情けなくも下半身が木っ端微塵になった私のためにまた貴重なお手を煩わせてしまうとは……」

「まあまあ……遅かれ早かれ、研究が先へ進めば必要なことなわけだしね」

「どこまでもお優しい方であられる……どうぞ。お仕えした時よりこの身体、全て主様のものにございます」

「むっふっふ……じゃあ遠慮なくいかせてもらうよー?」


 ――さらに翌朝

「一夜漬けにしてはよくやったアタシ!やっぱ天才!?あぁ、もともとか!」

「感謝感激。見た目は以前と変わらぬ様子。しかし、それでも確信できます。今の私はもはやデアラスールでありデアラスールではない。それほどの力の変化を感じます」

「見た目か……そういえばさ、君って武器って持ってないよね」

「確かに。否……確か以前は盾を携えていたような……」

「まだ遺跡のどっかに転がってるのかなぁ……じゃあさ、とりあえずその盾が見つかるまでの間、代わりの武器が必要になるよね?」

「確かに……。主様に何時如何なる危険が及ぶとも限りません。そのようなものがあれば、より確実に主様をお守りすることができます。あ、いや、武器がなくとも我が身に変えても必ずや主様をお守りし――」

「あー、わかった!わかったから!で、何が欲しい?せっかくだからさぁー……気分を変えて盾以外のものなんかも使ってみてもいいと思うんだよねぇ」

「主様より与えられるものは全て最高、最適です。全てお任せいたします」

「むふ……じゃあいろいろいってみようかねぇ……とりあえず12本腕に改造しての十二刀流プランA……次に緊急射出攻撃機能搭載腕部プランB……そんでもって頭部への光魔法発射機構装備プランC……」

「素晴らしいです主様。どれも画期的かつ独創性溢れる主様ならではの発想です」
(どんな姿になろうとも私は主様への忠義を忘れることはない。決して。絶対に)

 実験の過程による鎧の損傷を防ぐ為のデアラスール強化を含め、ジゼルの研究は進んでいった。



 ――数ヵ月後

「……まさか……まさか全て失敗するなんて……」

 遺跡の一室。
 そこには、しゃがみ込みながら頭を抱えるジゼル。
 そして、その少し上をクルクルと旋回しつつ飛び回るデアラスールの姿があった。

「主様。魔力転換式浮力生成翼。コントロールが難しいものの、素晴らしい完成度です」

「当たり前でしょ!ほかでもないアタシが改良したんだから!」

 しばらくジゼル達が取り組んでいたデアラスールの武器の作成作業だったが、その過程は凄惨たるものだった。
 ここにきて、デアラスール自身の性能を高めすぎた故の弊害が発生したのである。
 生身の人間が扱うことを前提に作られた武器や兵器では、デアラスールの圧倒的な出力に耐え切れなかったのである。

「剣を持たせれば握った柄が砕け散るわ……槍を持たせれば振った端から柄が折れるわ……機械兵器を組み込めば出力に耐え切れず爆発四散……はは……失敗したままになんてできるわけもなく来る日も来る日も……ははは……」

「しかし、この翼は正常に動いているようですが?」

「その翼はアタシと会った時に生えたものでしょう?もともと、君の鎧の一部だったぶん、魔力回路との相性も良いの。外部から全く新しい別の回路を取り付けるよりも確実で安定してるってわけ」

「理解しました。ですが、そうなると一つ疑問があるのですがよろしいですか?」

「グローブの回路は外部からの回路なのに、君の中でも正常に機能しているのはなぜかって?それは君に備わっている魔力回路の性質と、グローブに組み込んである回路の性質が似ているからだと思うんだ。どっちも魔素を媒介にして、身体を動かしたり、強化するものだからね」

「理解不能。申し訳ありません主様。未だに技術的な話になると理解が追いつきません」

「ん?いいのいいの。君は君にできることを十分にこなしてくれてるから……っていうか、さっきからちゃんとデータは記録してるよね!?」

「む?」

「む?……じゃないっての!ばかーっ!」

「ご、ご安心を主様!まだ余力があります。今からでも記録を開始し――」

「ちょちょちょっ!前っ!前見てっ!」

「はっ……!?」

 デアラスールは弁解しようと視線をジゼルに向けたため、コントロールを誤り、そのまま壁へと高速で激突した。

「弁解の余地もありません主様…また損傷してしまいました……」

 頭部だけが壁にめり込んだままジゼルへ謝罪する。

「少し気を抜くとコントロールがぶれるか……」

 翼の改良への興味で頭がいっぱいの彼女の耳には、壁の奥から漏れ出してくるデアラスールの言葉は届かず、結局壁の中から彼が救出されたのは、半日ほどが経過した後であった。



 ――翌日、同所

「膨大な魔力は当然強力だけど、それだけコントロールが難しい。特に飛ぶときなんかは常に安定させつつも高魔力を消費し続けなくちゃいけない。」

「状況把握。昨晩の新機能の出番というわけですね」

「そう!基礎回路に新たに加えた新機能!飛ぶために発生する魔力の流れに対して、違う魔力の流れをぶつけることで強制的に流れを修正して安定させる優れもの!」

「飛行操作が安定すれば、他の行動に余裕が生まれるということですね」

「あぁ……知ってたこととはいえ、自分の才能が恐ろしい……これが天才ゆえの苦悩というやつなのか……あ、ちなみに、前に出力上げすぎて君が吹き飛んだことがあったでしょ?限界値を超えそうになるとブレーキをかける為の機能もついでに追加しておいたから」

「爆散回避。主様……やはりあなたは天才であられた……」

「じゃ早速、実験いってみようか!」

「かしこまりました……でゅわっ!」

 実験開始に伴い、さっそうと空を舞うデアラスール。

「何その掛け声……」

「申し訳ありません。なぜか言わなくてはいけないような気がしました」

「まあいいや……じゃあ記録とっていくねー」

「極めて良好。昨日に比べて格段に操作性が向上しています」

「よしよし!安定装置のほうは機能してるみたいね!じゃあ、次は出力上げて制御装置の方の検証いくよー」

「おぉおおおおお!順調に出力が上昇。まだまだいけるかと」
(む?臀部にピリピリと違和感が……?)

「そろそろ最大出力に届きそう!どう?爆発しそう?」

「ぬぅううううう!力が……力があふれてくるぅうう……しかし、以前とは違う。主様。限界を超える手前で強い力に抑えられている感覚が確かにあります」

「よっしゃー!実験は成功だー!」

 自身の成果に満足し、思い余って歓喜の舞を踊るジゼル。
 しかし……

「む!?むむ!?!?主様!異常事態発生です!」

「え?何!?ボンしそう!?」

「いえ。そうではな……し、痺れ……身体が…………動か…………なく……」

 鳥のように空を舞っていたデアラスールは、みるみるうちに失速……ついには浮力を失い墜落した。

「これは……麻痺?無理やり制御したから?でも、その可能性は十分に考慮したはず……だとすると……まさか……いや……だとすると……」

「主様。どうか気を落とさずに」

 悔しげな表情でうつむきながら何やらぶつぶつと言葉を並べるジゼル。
 失敗すること自体は初めてではない。
 むしろ幾度となくその失敗を糧に研究を進化させてきた。
 だが、今回の実験はジゼルにとって今までよりもより大きな意味を持っていた。
 これに成功さえすれば、あとはグローブに同様の機能を移植し、人間の生身での調整を残すのみだったのである。

 全てではないにしろ、これまでジゼルがどれだけの努力を重ね、夢を果たそうとしていたかを十分理解しているデアラスール。
 麻痺から回復し、起き上がった彼は、肩を落とすジゼルに声をかける。

「これまでの実験で何度失敗しようとも、挫けず、諦めず、そして必ず障害を乗り越えてきたではありませんか。それに、爆発してバラバラになることに比べれば、この程度どうということもありません」

「デアラスール……」

「私にできることがあれば何でも仰せつかりください。主様は、私の主様にございます」

「……ふ、ふん!そうだよ!この程度なんてことない!まだまだ研究は残ってるんだからね!」

 わずかばかりの強がりが垣間見えるも、その瞳に諦めの感情は一切感じられなかった。

「承知いたしました」
(いつまでも、どこまでもお供させていただきます)

 ニヤリと笑みを浮かべながら動く鎧を見つめる少女。
 少女の前で膝をつく動く鎧。
 いつかの再現のような光景だった。

 ――その直後だった。

「ん?何だ貴様たちは!?」

 遺跡調査のために赴いていた帝国兵の一団と遭遇したのである。

「げっ!?帝国兵!なんでここに!?」

「主様、お下がりください。ここは私にお任せを」

「ちょっと!?戦闘するくらいの出力を出しちゃったらまた麻痺するかもしれないんだよ!?」

「理解しています。それでも私は、主様にこの身を捧げると誓いました」

 この時、ジゼルは身体強化グローブを研究室に置いてきていた。
 頻繁に訪れていた場所。
 さらには、これまで戦闘に直面したこともなかった。
 そんな経験が生んだ、ほんの微かな油断ではあったが、現実とはやはり不測の事態というものが起こるものである。

「ここで何をしていた!?」

「怪しい連中だ……連行して取り調べるぞ……!」

 2人を捕らえようと近づく帝国兵達。

「主様へ危害を加えることは私が許さぬ」

 そこにはジゼルを背に庇いながら立ちはだかる黄金の鎧姿があった。

「何だ、この鎧男は?どこかの騎士か?」

「武器は持っていないようだが警戒は怠るなよ!」

 その場にいた帝国兵達は6人。
 デアラスールに警戒しつつ、ゆっくりと2人を取り囲むように陣形を組む。

「数的不利。このままでは……」
(飛行しての退避は可能。しかし、飛び立つ前に飛びかかられては対応できぬ……どうにか隙を……)

「やばいやばいやばい……どうするどうするどうする……出口はアイツらの後ろだし……この状況を突破するにはあれがこうで……」

 デアラスールの背後で、ジゼルもまた必死に打開策を探る。
 しかし、ゆっくりとではあるものの、歩みを止めない帝国兵達にとうとう2人は壁際まで追いやられてしまう。

「よし……おれの合図で一斉にかかるぞ!」

「「了解!」」

 次の瞬間には、2人は為す術も無く捕らえられてしまうだろう。
 もはや後のない状況。

「ぬぉおおおおおおおお!」

「えーっ!?確かにそれしかないけど、それは無理でしょ!」

 ただ捕まるのを待つくらいなら、僅かな可能性に賭けてみる。
 決心したデアラスールは翼に魔力を流し込む。

「何だ!?翼が光ったぞ!?」

「まさか飛ぶなんて言うわけじゃないだろうな!?」

「とにかく押さえつけるぞ!」

 一瞬、怯んだかに思えた帝国兵達だったが、逃がしはしないとデアラスールへ飛びかかる。

「……無念!!」

 ――諦めかけたその時だった。

「ぐぁあ!!」

「何っ!?こいつらの仲間か!?」

 突如として遺跡の瓦礫の中から何かが飛び出し、帝国兵の1人を吹き飛ばす。

「あ……あれって……」

 ジゼルが頭上を見上げながら何かを指差した。
 何が起きたのか把握できずにいるデアラスールは、指先の差す宙へと目を向ける。

 クルクルと回転しながらゆっくりと落下してくる物。
 それはまるでデアラスールの方へと導かれるように落ちてくる。

「これは……!」

 掴んだものは希望。
 彼が長きに渡り使命を共にしてきた盾である。

「おぉおおおお!それって、あれでしょ!?前に君が言ってたやつでしょ!?」

「はい……私は主様を守る盾。その象徴にございます」

 それはデアラスールの魔力に反応したからなのか、それとも、主を守らんとする強き意思の成した奇跡なのか。
 どちらにせよ、確かに戦況は一変した。

「何かと思えば、ただのバカでかい鉄屑ではないかっ!」

「怯むなっ!数ではまだこちらが有利だ!」

 しかし、怖気づくどころか、さらに殺気立つ帝国兵達。

「うぉおおおお!」

 そんな帝国兵達が動く前に、一番近くにいた兵士を盾で殴り飛ばすデアラスール。

「ぐはっ!!」

 思いもしなかった反撃に帝国兵達の顔に一瞬恐れが見えた。

「主様!」

「うんっ!」

 その隙を見逃さずに突くデアラスール。
 声に呼応し、素早くデアラスールの背へとしがみ付いたジゼル。

「しまった!」

 まるで打ち合わせされていたかに思えるほどの素早い連携。
 帝国兵が2人に駆け寄ろうとした時、既にデアラスールは宙高く飛び上がっていた。

「天井を破壊し、脱出します」

「おっけー!あ、何度も言うようだけど、あんまり出力上げすぎないように気を付けてよね!?ここでビリビリして落下なんてことになったら目も当てられないから!」




 ――その夜

「つ……疲れた…………」

「主様。今日は大変でした。お戻りになられてから、少しも休息を取られていないご様子。お早くお休みになられた方がよろしいのではないかと」

「んー……まあ、そうなんだけどねー……でも、その日の実験記録はその日のうちにまとめておきたいの……」

 ジゼルの年頃を思えば、帝国兵に襲われる経験はトラウマにだってなりかねないようなものである。
 それなのに、まるでそんなことなかったかのように研究に没頭するジゼル。
 そんな一流の研究者である彼女だからこそ、自分が再び目を覚ますきっかけを与えてくれたのだ。
 その恩として、彼女が望むままの生き方を守ることを誓った。
 しかし、こうも考える。
 研究用の資料や薬を調達するために訪れる街で、度々見かけるジゼルと同年代の若い娘達の姿。
 あの娘達と今のジゼル、そのどちらが本当に正しい生き方なのだろうか、と。

「いかんな。私としたことが、まるで主様の親のようなことを考えてしまった」

 彼女に差し入れるためにとカップにコーヒーを注ぎながらそんなことを考える。


「主様。コーヒーをお持ちしました。ほんの少しでも休まれて……む?」

 ほんの少し目を離した間に、主は机に突っ伏したままスースーと静かな寝息を立てていた。

「主様。お風邪を召されてしまいます」

「むにゃ……今日は……良い記録が……むふふ…………」

 寝言を呟きながら幸せそうな寝顔のジゼル。
 デスアラールは彼女の肩にそっと毛布をかけ、ランプの灯りを消した。
 その際に目に入った記録帳には、しっかりと今日の記録が書き記されていた。



 ――数週間後、とある街

「何という幸福感。暖かい……」

 街はずれの小さなカフェ。
 その日、テラスで優雅にくつろぐデアラスールの姿があった。


 一週間前の事である。

「研究は新たな段階へ移行だ!次は君以外の“人間”で実験を行うよ!」

 ジゼルの言葉に従い、デスアラール達は近郊の街を訪れた。

 当初は、協力者の1人や2人すぐに見つかるだろうとたかをくくっていた彼等だったが、
 未だにジゼルは街中を走り回り、目についた人を片っ端から勧誘している。
 ジゼルの研究は人体での実験が必要不可欠であり、そういった話に進んで協力しようという人間はなかなか現れなかった。
 当然、デアラスールも勧誘を手伝うと申し出たが……

「君みたいなごっつい金ぴか鎧に、急に話しかけられたらみんなビビって逃げちゃうでしょ!?アタシ?アタシはほら、ビビるとかの前に好奇心とか興味心とかがさ!」

 と、申し出を断られてしまった。
 やりきれない感情を覚えるも、主の命令では断る事はできなかった。

 ジゼルの言葉を聞き入れ、仕方なく待機することになったデアラスール。
 待機中はとくにやることもなかったので、数日前にジゼルに取り付けてもらった、日光から光の魔素を補充する機能を試してみたところ、これが何とも言い難いものだったのだ。

「主様。やはりあなたは天才であられる……」

 既に活動に必要な魔素は十分に摂取できている。
 それでもこの気持ちを味わうためだけに今日も陽が落ちるまで日向ぼっこ。

「体中が暖かな光に包まれ、体が自然と浮き上がるかのような高揚感だ……っは!人間の睡眠というものはこれに近いものなのではないだろうか!?わたしは今、昼寝というものを体験しているのだろうか?」

「見つけたーっ!!デアラスールぅううう!!!!」

「む?主様!?」

 リラックスタイムから急変。
 自分を呼ぶ小さな声を確かに検知したデアラスールはあたりを見回す。
 すると、遠方からこちらへ駆けてくるジゼルの姿が見えた。
 デアラスールも主を迎えるようにジゼルへと駆け寄る。

「頭ぁ!頭取って!頭下げてぇええ!!」

「む??」

 近づいてくるジゼルは、デアラスールに頭部である兜を外し、ジゼルの方へとお辞儀するよう指示する。
 無関係の人間が聞けば混乱する内容だったが、デアラスールには通じたようだった。

「かしこまりました」

 指示の意図までは理解できなかったが、命じられるままに頭部を取り外し、そのままジゼルに頭を下げる

「でゅわっ!」

 駆けてきた勢いそのままにデアラスールの鎧の中へと飛び込んだジゼル。

「蓋ぁ!頭付けてっ!!それから静かにここで静止!」

 未だに行動の意味が理解できないデアラスールだが、やはりここは命令に従う。
 ジゼルを腹の中にかくまったまま頭部を取り付け、直立不動でその場で立ち尽くす。

 少しすると、ジゼルが走ってきた方向から2人の衛兵がやってきた。

「ややっ!?これは騎士様ですかな?」

「なんとも神々しい鎧姿ですなぁ!」

 金の鎧姿のデアラスールに対し、やや好奇の目を向けながら話しかける衛兵達。

 「じつは今、人を探しておりましてねぇ……こちらの方に逃げてきたはずなんですが、見かけませんでしたかぁ?この辺りでは珍しい金髪の少女なんですがねぇ……」

 衛兵の話によると、最近、怪しい誘い文句で街中の人間を人体実験に勧誘する金髪少女が街に出没しているらしい。
 当然、それがジゼルの事であることはデアラスールもすぐに把握した。

(どうしたものか……静止せよとの主様からの命だが、何か答えねば私にも疑いがかかってしまう……主様の身代わりとなれるのであれば問題はないが、主様は今ここにおられる……どうすれば…………)

「あのぉ……聞こえてますかぃ……??」

 何も言わずに立ち尽くすだけの金色の鎧男。
 さすがに衛兵もその挙動に不信感を覚える。

(飛んで逃げるか…否、そもそも静止せよとのご命令…そうか!恐らく主様は、ここはあえて何もしないことこそが正解とおっしゃっているのか……!)

「……見なかったなぁ」

(それは無理がありますぞ……!!)

 衛兵に声をかけられてから、無言のまま経過すること約1分。
 ついに鎧の中から聞こえた返事は、その厳格な雰囲気とはまったくもって似つかわしくないジゼルの声だった。

「……何か、今の声おかしくなかったか?」

「あぁ……それに、さっきから怪しいな、あんた……」

「まさか金髪少女の仲間か!?」

「こっちへ来い!お前なにか知っているな!?」

 さすがに誤魔化されない衛兵達は、デアラスールを取り調べようと、路地裏の方へと突き飛ばした。

――カコォオン……

「おっと、兜が取れちまった……」

 勢いよく突き飛ばしたせいか、衝撃でデアラスールの頭部が外れて地面に落ちた。

「へっ……悪いなぁ……まぁ、あんまり手荒なことされたくなかったら大人しくついてき……え?」

「お、おいっ!!!!おまえ……頭が……え……あぁ!?」

 兜が外れればそこには頭があり、顔がある。
 それが普通で、それが当たり前。
 そんな常識の外の住人であるデアラスールの正体を見た衛兵達は言葉を失う。

「……みぃ……たぁ……なぁあああああああああ!!!!」

「うわぁあああああああああああああ!!!!」

「お、お、お化け鎧だぁああああああああ!!」

 腰を抜かした衛兵達。
 そこへ追い打ちをかけるようにジゼルは鎧の中から声をあげて脅かした。
 瞬間、信じられない速度で叫び声をあげながら2人は逃げ去っていったのだった。


「ぷはぁ!どう?追っ払えた??」

 鎧の中で縮こまりながら隠れていたジゼルが顔を出して安全を確認する。

「作戦成功。見事に主様の思惑通りに事が運びましたね」

「え……?あぁ……うん!でしょ?やっぱり天才は何をさせても天才ってね!」

(まさかアドリブだったのですか主様……?)

「さてと、じゃあ協力者探しを再開しますかっ!」

「主様。やはり私もお供した方が」

「んー……まあ、それもそうね。またさっきみたいなことになっても困るし、君がいれば衛兵達もビビって近づいてこれないだろうしねぇ……むっふっふっふ」

 それからというもの『動く黄金のお化け鎧』の話は瞬く間に広がり、街中の噂となる。
 さらに、いずれは大陸中の酒場で語られる事となるのであった。



 ――その晩

「ここだけの話なんだけどな……?出たらしいぜ」

「また、そんな話かよぉ!おめーの話はいっつも嘘ばっかじゃねぇか!」

「今度のはマジなんだって!実際にこの街の衛兵が今日見たらしいからなぁ……」

 街の酒場で酒を飲みかわす数人の男達。
 酒のつまみにとその中の1人が語り始めた。

「その話によるとな、今この街では中身のない黄金の鎧がうろついてるらしいんだよ!」

「ははっ!黄金の鎧だぁ?なんとも派手な幽霊だなおぃ!」

「あー……そういや最近見かけたなぁ。黄金の鎧」

「ほらみろっ!やっぱり本当にいるんだよヤツは……!」

「でも、その鎧、街はずれのカフェで日光浴してたぞ?」

「ぎゃっはははははは!鎧のまま日光浴!!蒸し焼きにでもなりたいのかよっ!!!!」

 ついには話を始めた男さえも笑い話にして笑っていた。
 その少し離れた個室で聞き耳を立てている少女がいることも知らずに……

「むふふ……これは使えるね!ちょっとついてきてくれる?デアラスール」

「主様。何をお考えで?」

「これはグローブの被験者を確保するチャンスっ!君は話の空気を読んで動くだけでいいからね!」

「承知いたしました」

 おもむろに男達の方へと歩き出したジゼル。
 その後ろをデアラスールは指示通りついて歩く。

「ねぇねぇ、お兄さん達!」

「んん?誰だぁ??」

 声をかけられた男が振り向く。

「……え?ま、まさか黄金の鎧!?」

「お、おい!もしかして、おれ達がさっき笑っちまったから、その復讐に……」

 振り返った先には、満面の笑みを浮かべる少女と噂の渦中にあった黄金の鎧の姿。
 突然の遭遇に男達は慌てふためく。

「それは違うから安心していいよ!ちなみに、この鎧もお化けなんかじゃないよ!」

 ジゼルは男達をなだめ、こほんと軽く咳払いをひとつ入れて語り出した。

「この鎧さ、じつはアタシが開発した最新の魔導鎧なんだよねぇ……だから、ほら!」

 実際にデアラスールの頭部を外し、中を覗いてみるように男達へ促す。

「おぉ……ほんとに空っぽだ……」

「最近はこんなもんまで作れるようになったのか……」

 素直に関心する男達の様子に満足気なジゼルは続けた。

「しかも、この最新型は、中に入らなくても操作が可能な優れものなのっ!操作は簡単!誰でもこのグローブを装着することで……この通りっ!!」

 当然、グローブにそんな機能は備わっていないが、デアラスールがここで軽く腕でも動かせば、それは遠隔操作の実演に早変わり。
 そうなれば次は実際に男達もやってみたいと自ら進んでグローブをはめてくれる。
 それこそがジゼルの狙いだった。

(理解しました。主様。ここで空気を読んで私が行動する事によって被験者が得られるわけですね)

 その意図はデアラスールにも伝わった。
 かに思えた……

「流石は我が主様。天才であられます。これほどの発明は過去類をみない最高のものでしょう!しかも、それを実際に手に取って体験することができるとは……あなた方はとても幸運です!」

「「え……?」」

 ジゼルを含め、その場にいた全員の口から同時に漏れた声。

「こ、こいつ、喋ったぞ!!!!」

「やっぱり化け物じゃねーか!!」

 鎧のとったまさかの行動を目撃した男達は、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

「なんでっ!?どうしてそうなった!?!?腕の1本でもウィーンみたいな感じで動かしてくれるだけで良かったのに!!空気を読んで動いてくれるだけでいいって言ったよねぇ!?ねえっ!?!?」

 作戦は見事に失敗。
 ジゼルは、デアラスールを指先で力強くツンツンツンツン小突きながら怒りを露わにする。

「任務失敗。てっきり、機を見計らい、私が主様の研究成果を称賛することで、男達の関心を買おうとしたものとばかり」

「何それぇ!?まるでアタシの研究のスゴさがアイツらに伝わってなかったみたいじゃない!!」

 ジゼルの怒りが治まるまでの間、デアラスールは数百発ツンツンされ続ける羽目となった。

「はぁぁぁぁぁぁ……アタシも作戦を全部説明してから行動するべきだった……」

「どうか気を落とさないでください。主様」

「それわざとやってない!?!?君が言えたことじゃないよねぇええ!?!?」

「む……不覚。言葉の選択を誤ったようです」

 そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた衛兵達が酒場のドアから雪崩れ込んでくる。

「ここに怪しい2人組!自称天才の金髪少女と、動く鎧がいると通報を受けたっ!!」

「げっ!?こんなことしてる場合じゃないっ!逃げるよ!!」

「承知いたしました。退避行動。飛びます」

 一目散にデアラスールに向かって飛び込むジゼル。
 デアラスールはジゼルの身をしっかりと受け止め、直後に宙に舞い、そのままいとも簡単に屋根を突き破る。
 ぽっかりとあいた穴から、衛兵達のポカンとした顔を一瞥(いちべつ)するジゼル。

「あぁー……今回も駄目だったなぁ……」

「主様。ひとつよろしいですか?」

「ん?さっきのことならもう怒ってないよ?」

「いえ。先ほど衛兵が申していましたが、主様は自称天才などではありません。間違いなく本物の天才科学者ですよ」

「い、いやぁ……知ってることとはいえ、やっぱり照れるなー!!あ、そうだ!さっきの遠隔操作だけどさ、あれホントに作っちゃおうか!」

「主様のお望みのままに。私にできることがあれば何でもお申し付けください」

 そのまま街を脱出することにした2人。
 彼らはまだ見ぬ実験台を探して別の街へと旅立っていく――

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最終更新:2017年07月28日 17:06