機装兵 バルムンク

[解説]
聖華暦790年代、ヴェルゲンレーテ社の代表に就任したトルテ・ガーナ・ザッハ伯爵は、一つのプロジェクトを立ち上げた。
『可変機装兵普及計画』である。当時可変機装兵自体は多くの種類が開発されていたものの、ほとんどがワンオフないし少数生産機で、量産機と呼べるものを作っていたのはアイオライト・プロダクションぐらいのもので、ここを開拓しようという目論見であった。
ただ、ザッハ伯自身の思いは少し違ったところにあった。彼は若いころ魔導板(エアボード)プレイヤーであり、身分を隠してボード・パフォーマーをやるほど熱中していた。またシリウス戦役で活躍したカトル・ビーダーフェルトのファンであり、機装兵ジータのファンでもあった。つまり、彼は最初の可変機装兵ジータを自分の手で再現したかったのである。(ちなみにオラクル機関は除く)
『可変機装兵普及計画』である。当時可変機装兵自体は多くの種類が開発されていたものの、ほとんどがワンオフないし少数生産機で、量産機と呼べるものを作っていたのはアイオライト・プロダクションぐらいのもので、ここを開拓しようという目論見であった。
ただ、ザッハ伯自身の思いは少し違ったところにあった。彼は若いころ魔導板(エアボード)プレイヤーであり、身分を隠してボード・パフォーマーをやるほど熱中していた。またシリウス戦役で活躍したカトル・ビーダーフェルトのファンであり、機装兵ジータのファンでもあった。つまり、彼は最初の可変機装兵ジータを自分の手で再現したかったのである。(ちなみにオラクル機関は除く)
機装兵ジータは最初のフラタニティ・フレーム機、ノヴレスMk-Ⅱを原型に設計されており、ノヴレスMk-Ⅱはヴェルゲンレーテ社で生産している機装兵ジークシリーズの原型でもあるので、構造自体の模倣は比較的容易であった。
後は浮遊装甲の配置だが、こちらは少しの条件変化で大きな影響が出るため、膨大なデータが必要であった。プロジェクトは数限りない実験と試行の繰り返しにより、着実にデータを集めてゆき、ついに811年、ジークシリーズを原型とした可変機装兵が完成した。
プロジェクトは成功したかのように思えたが、ここで新たな壁にぶつかる。コストがかかりすぎて価格がジークシリーズの2倍以上になったのである。もともとジークシリーズは高級機であり、これほどの価格となると購入者は限られる。
後は浮遊装甲の配置だが、こちらは少しの条件変化で大きな影響が出るため、膨大なデータが必要であった。プロジェクトは数限りない実験と試行の繰り返しにより、着実にデータを集めてゆき、ついに811年、ジークシリーズを原型とした可変機装兵が完成した。
プロジェクトは成功したかのように思えたが、ここで新たな壁にぶつかる。コストがかかりすぎて価格がジークシリーズの2倍以上になったのである。もともとジークシリーズは高級機であり、これほどの価格となると購入者は限られる。
今後の事を考えるとコストダウンは必須であった。
充分な安全性を保ちながら構造を簡略化していくのはただ性能を上げる以上に大変で開発は遅々として進まなかったが、やがて転機が訪れる。
藍鳳騎士団主力機機としてジークフレームの量産機ジークをヴェルゲンレーテ社で生産することになったのである。
実はこの設計はヴェルゲンレーテ社のものではなかったのだが、構造面で流用できる部分が多く、何よりジークと部品を共有することで大きくコストダウンできたのだ。
そのかわりにこの機体も藍鳳騎士団機として優先供給しないといけなくなったのは、内心ホビーユースを指向していたザッハ伯としては忸怩たるものでもあったが。
実はこの設計はヴェルゲンレーテ社のものではなかったのだが、構造面で流用できる部分が多く、何よりジークと部品を共有することで大きくコストダウンできたのだ。
そのかわりにこの機体も藍鳳騎士団機として優先供給しないといけなくなったのは、内心ホビーユースを指向していたザッハ伯としては忸怩たるものでもあったが。
この機体は『バルムンク』と名付けられたが、正確には大きく3種類に分けられる。
まず最初に完成し、高級機として売り出された初期型『バルムンク・アーキテクト』
次に機装兵ジークと一部部品を共有する量産機『バルムンク』
そして『バルムンク・アーキテクト』を元に、機装兵ジークフリートと同様にエーテリック・アクセラレーターを組み込んだ第7世代可変機装兵『ジークフリート・バルムンク』である。
なお、『ジークフリート・バルムンク』は聖華暦831年に発表された特別機であり、839年までに10機ほどしか製造されていない。
次に機装兵ジークと一部部品を共有する量産機『バルムンク』
そして『バルムンク・アーキテクト』を元に、機装兵ジークフリートと同様にエーテリック・アクセラレーターを組み込んだ第7世代可変機装兵『ジークフリート・バルムンク』である。
なお、『ジークフリート・バルムンク』は聖華暦831年に発表された特別機であり、839年までに10機ほどしか製造されていない。