ヴェルゲンレーテ社
[解説]
聖華暦700年代初め、聖王国から同盟の協同開発プロジェクトに参加していた技術者、ヴァン・ディールは無念の帰国をすることになった。
聖王国が機兵『ノヴレスMk-Ⅱ』の開発から手を引くことになったからである。
聖王国の要求にプロジェクトが答えられなかった以上やむを得ないが、まだ若く、新技術『フラタニティ・フレーム』に可能性を見出していた彼には耐えがたいことであった。
聖王国が機兵『ノヴレスMk-Ⅱ』の開発から手を引くことになったからである。
聖王国の要求にプロジェクトが答えられなかった以上やむを得ないが、まだ若く、新技術『フラタニティ・フレーム』に可能性を見出していた彼には耐えがたいことであった。
その後シリウス戦役が起こり、『フラタニティ・フレーム』が再評価され、彼も聖王国新機兵『マーセナル』開発のため招聘されるものの、その方向性は彼の望むものではなかった。
彼が追求したかったものは、機兵による人体の動きの再現であったが、当時の開発の主流派はよりフレームを簡略化して多くの装甲と武装を積もうとするものであった。これは兵器としては極めて真っ当であり、また最初に作られた『ノヴレスMk-Ⅱ』の設計の先進性を示すものであったが、彼は「その先」を見たかったのだ。
彼が追求したかったものは、機兵による人体の動きの再現であったが、当時の開発の主流派はよりフレームを簡略化して多くの装甲と武装を積もうとするものであった。これは兵器としては極めて真っ当であり、また最初に作られた『ノヴレスMk-Ⅱ』の設計の先進性を示すものであったが、彼は「その先」を見たかったのだ。
ヴァンはマーセナル開発後、独立して工業デザイン事務所を営む傍ら、『ノヴレスMk-Ⅱ』の機体を入手、長い時間をかけていじり続けていた。半世紀の後、フレームは満足いく構造に仕上がったものの、高齢になった彼にはもはや機兵として完成させる力はなく、一生をかけた道楽として終わらそうと考えていた。
これに異を唱えたのは孫のロイ・ディールであった。この祖父の未完成の機体に惚れ込んだロイは精力的に活動し、コネを使いアイオライト・プロダクションに構造の検算を依頼、(奇跡的にほぼ修正の必要はなかった)一方、コード・スフィアを改良しソフト面で、操縦者の動作を機兵にフィードバックするシステムを組み上げた。また出資者を集め会社を興して、社会的にこの機体を発表する場を用意した。
ヴァンの方も孫に触発され、旧友たちの力を借り機構と装甲、装備を整え機兵としてのパッケージが整えられた。
ヴァンの方も孫に触発され、旧友たちの力を借り機構と装甲、装備を整え機兵としてのパッケージが整えられた。
聖華暦790年、聖王国機兵メーカー『ヴァルゲンレーテ社』設立。同時に新機兵『ジークムント』と『ジークリンデ』がお披露目された。
赤と青、対照的なカラーに染め上げられた機体はまるで人間のような滑らかな動きで来場者を驚嘆させ、大きな喝さいを浴びた。
すでに100歳近い年齢になっていたヴァン・ディールは、この光景を見届けると間もなく世を去った。
また設立の立役者ロイ・ディールはオリジナル機体である『ジークリンデ』に搭乗し諸国放浪の旅に出、(のちに同盟に居を移す)『ヴァルゲンレーテ社』の経営はパトロンであった聖王国貴族ザッハ家に引き継がれた。
赤と青、対照的なカラーに染め上げられた機体はまるで人間のような滑らかな動きで来場者を驚嘆させ、大きな喝さいを浴びた。
すでに100歳近い年齢になっていたヴァン・ディールは、この光景を見届けると間もなく世を去った。
また設立の立役者ロイ・ディールはオリジナル機体である『ジークリンデ』に搭乗し諸国放浪の旅に出、(のちに同盟に居を移す)『ヴァルゲンレーテ社』の経営はパトロンであった聖王国貴族ザッハ家に引き継がれた。