グラスを突き合わせる音、男達の豪快な笑い声、誇らしげな武勇伝。
ここは自由都市同盟の首都から東にある都市、バロカセクバの冒険者組合の拠点。依頼の受付はもちろん、ここには酒場も、宿も、それ以外に冒険に必要なあらゆる物も揃っている。まさにバロカセクバの冒険者の聖地だ。
ここには老いも若きも、男も女も、あらゆる人種の冒険者が集い、冒険ヘ向かっていく。
そして受け付けカウンターの前、これからの冒険、自分の未来ヘ期待を膨らませて目を輝かせる少年。彼もまた冒険者である。そう、たった今冒険者への道を一歩踏み出したばかりの新芽である。
彼の名前はシーメ・ワカリーフ。若草色のやや癖毛の髪、まだ顔に幼さの残り、一見すると少女のようにも見える。身体付きは冒険者と呼ぶにはまだ細く頼りない。
「その顔、早速依頼を受けたいみたいですね」
ブロンドのカールヘアを揺らしてこの街一番の人気受付嬢であるリーシャ・ファンデリアが微笑みかける。
「はい! 僕ずっと冒険者に憧れてて、今すぐにでも冒険に行きたいです!」
シーメは身を乗り出して応えた。リーシャとの距離も拳一つ分になり、互いの吐息がかかりそうなほどである。
そこに周囲からの視線が集まる。それは敵意。「新人の癖に調子に乗りやがって」と「気安くリーシャさんに近付いてるんじゃないぞ」という他の冒険者達からの敵意だった。その殺意にも似た圧に負け、シーメは身を引いた。
先程とは打って変わって萎縮してしまったシーメを気にする様子も無く、リーシャは続けた。
「それなら冒険者に成りたてのシーメさんに丁度いい依頼がありますよ」
そう言ってリーシャが手渡した概要書にはこう書かれていた。薬草採取と。
薬草採取、それはいわゆるFランクと呼ばれる最低ランクの依頼だ。冒険というには危険は無く、死と隣り合わせになることもない。しかしそれこそ田舎から出てきたばかりのシーメにとってはつい先日までやっていた雑用、子供の頃からの"おてつだい"と変わりなかった。
シーメはその期待外れな初仕事にガクリと肩を落とした。
「シーメさんさてはガッカリしてますね?」
露骨に態度に出ていた所をリーシャに突かれる。
「せ、せめて下水道のラット退治とか、こう……魔獣と戦う的な、ものは無いんですか……?」
「駄目ですよ。駆け出しの冒険者さんはみんな勘違いしがちですけど、小型の魔獣だって十分危険なんですから。それにバロカセクバの地下は基本的にロココグループ傘下の警備会社とロココに関係性の深い冒険者ギルドが担当しています」
「そ、そんなぁ〜」
ショックのあまりただでさえ小さく見えるシーメがより小さくなる。
その時だった、背後から他の冒険者達のひそひそ話が聞こえ始める。
「……おい、Fランカーが入ってきたぞ」
Fランカー、低級の依頼ばかり受ける冒険者に付けられる不名誉なあだ名。そのひそひそ声を背に足音がカウンターに近付いてくる。
「取り込み中か?」
落ち着いた男の声だった。
「あぁ、丁度良かった! ソーゲンさん!」
リーシャの声がやや弾み気味にその男の名前を呼んだ。
シーメはソーゲンと呼ばれた男の方に振り返る。そこにはやや灰色掛かった髪を短く刈り込んだ長身の男がいた。歳は三十代半ばだろうか、角ばった顔で、顎には無精ひげを生やしている。動きやすい身軽な軽装、立ち姿、一見して分かる熟練の冒険者だった。
その男はリーシャの顔を見ると何かを察した様に口を開いた。
「ファンデリア嬢、何か頼み事か?」
見て分かる程の貫禄に圧倒されると同時にシーメの脳裏に疑問が浮かぶ。何故これ程の冒険者がFランカーなどと不名誉なあだ名で呼ばれるのだろうか。シーメが思考を巡らせていた裏で何やら話がついたようだった。
「ではワカリーフ嬢、私が君の面倒を見ることにしよう」
不意に話しかけられて驚き、一瞬流しかけたが、シーメは気付いた。
「あなた今僕のこと女の子だと思いましたね!?」
「なんだ違ったのか。すまなかったな少年」
そしてシーメにはもう一つ気になることがあった。
「ところで僕の面倒を見るとはどういうことですか?」
そう訪ねた所でソーゲンが口を開く前にリーシャが言った。
「それについては私が説明しますね」
次にリーシャは右手の人差し指を立てる。
そう言い終わると今度は中指も立ててV字、つまり2を作る。
「次に指導員の依頼に同行していない、つまり依頼の入っていない時間には組合の方で座学を受講してください。ここでは野生の動植物についてや冒険に際して起こり得るトラブルについて一般的な対処法について学んでもらいます」
聞いていてシーメはまた肩を落とす。ここでの活動は憧れていた冒険譚ほど華やかなものではなく、自由でもないようだ。
地方の冒険者組合では既に古参が幅を利かせ、一流が集う首都では新人は肩身が狭いだろうと思い、他所の組合よりも平均死亡率が低く、首都の近くでもあるバロカセクバを選んだのだったが、なるほどこれ程新人育成に手厚いのであれば平均死亡率も低くなるだろう。しかしここは街の組合一つが組織的なルールで管理されたある種の冒険者ギルドのようなものだったのだ。
「シーメさん、理想と現実の乖離にそこまで落胆しないでください。ソーゲンさんは10年以上の活動歴を持つベテラン中のベテランですし、シーメさんも経験を積めば理想の冒険が出来るようになりますよ」
リーシャの笑顔に妙な圧を感じたシーメは、同じ冒険者であるソーゲンならば自分の気持ちにも理解を示してくれるのではないかと視線を向けた。
「ソーゲンさんも10年以上のベテランなんですよね、僕みたいな新人の草むしりに付き合うのは退屈じゃないんですか……?」
そう尋ねられたソーゲンはそんなことかという表情で話し始めた。
「安心しろ。この街では指導員は低ランクの依頼に同行したとしてもロココからの補助金として通常の倍の報酬が支払われることになる。それに俺は最初から薬草の採取に行く気しかない」
薬草の採取に行く気しかない!? シーメは自分の耳を疑った。この冒険者歴10年以上のベテランは一体何を言っているのだ。
先程の不服感とは違った感情がシーメの中に芽生える。それは不安感。活動歴が長いとはいえ、薬草採取しかしてこなかった冒険者が指導員が務まるのだろうか。
「心配するな少年。改めて自己紹介させてもらおう。ソーゲン・リクサシムだ。人は俺のことを"草むしりのソーゲン"と呼ぶ」
* * *
昼下り、シーメはソーゲンに言われたとおりの防具と鞄を購入して、正確にはソーゲンが買い与えた物を装備してバロカセクバ近くの草原に来ていた。
草原は開けていて見通しが良く、近くには森林がある。草原は一面緑というわけではなく、所々に青い花々が円形に咲き、風に揺れていた。
「ソーゲンさん、装備ありがとうございます」
「気にするな。こういうことをしてやるのが年長者の努めだ」
シーメが装備しているのは軽装の革防具と緑色の外套。大きめで頑丈な革鞄に大ぶりのナイフである。
「それにしても気持ちのいいところですね」
シーメは概要書を片手に添えられた薬草の絵と周囲を見比べながら言った。
「そうだな。今日の気温は二十四度、夏にしては涼しいくらいで風も少し吹いている」
そう言うとソーゲンは屈んで足元から数本の草を根っこから引き抜いて見せた。
やや背が高く空に向けて伸びるそれは草にしては太く、多肉植物のようにも見えないこともない。
「これが今日の収穫物のひとつ、夏凉草だ」
それを見てシーメも屈んで足元から数本夏凉草を引き抜こうとした。
「うわ冷たっ!」
シーメが夏凉草を引き抜こうとした時、草が途中で千切れたのである。シーメの手には無色透明の液体が付着し、その部位はまるで冬の寒さの中であるかのように凍えた。
「気を付けろ。夏凉草は千切れてしまうと中に蓄えられた液体が飛び散って急激に温度を下げる」
シーメはそれをもっと早く教えて欲しいと思いながらも、そういえばこの薬草は初めて見たものだと思った。
「そういえばこの草初めて見たんですけど、どういう草なんですか?」
「なんだ知らなかったのか。出身は内陸側か?」
ソーゲンは淡々と収穫を続けながら尋ねた。
「えぇ、デイリーフの北にある小さな村です」
「そうか。この種の植物は同盟領の主に沿岸部に自生している。この草は主に熱冷ましとして使われるが、さっき飛び散った液体、これを高熱時に身体に塗るとすぐに熱が下がる。熱冷まし以外にも夏場は夏凉草の液と水、果汁を混ぜた飲料がバロカセクバでは売られているし、緊急時の機兵用冷却材にも使われている」
「へぇ、意外と便利なんですね。ジュースも飲んでみたいです」
「もうすぐ夏の機兵闘技会がバロカセクバの競技場で行われる。その時には街に出店が並ぶだろう」
そう言いながらソーゲンは遠くに見える青い花の咲いた場所を指差した。
「あれが青岸花で、夏凉草が花を咲かせた姿だ。周囲の気温が下がると花を咲かせる特性上、秋から冬にかけて咲くのだが、夏凉草の液体が大量に撒き散らされて周囲の気温が極端に下がった場合も花を咲かせる。開花後の液体は猛毒で中型の魔獣程度なら殺せる」
シーメは驚愕の声を上げ、身を震わせた。
「僕たちが集めてる草ってそんなに危ないものだったんですか!? それを冒険者初日の僕に!?」
「元々はただの薬草採取の依頼だったが、私の同行が決まった時にファンデリア嬢が依頼を変更した。今の時期この依頼のほうが需要と優先度が高く、私がいれば問題ないと判断したのだろう」
まさかこんなことになるとは、シーメは最初に依頼の概要書をよく見ていなかった自分を恨んだ。
「そんなに心配するな。青岸花は開花してすぐに毒を撒き散らすわけじゃない。夏凉草と同じように傷付かなければ問題はない。遠くに見えるいくつかの青岸花の中心地点、恐らく全てに小型魔獣の死骸がある。あれは撒き散らされた夏凉草の液体と一斉開花に驚いた魔獣が暴れたために花を傷付けた結果だろう」
つまり余程のことがなければ安全であると説明されたものの、まだ腑に落ちない様子のシーメだったが、依頼はまだ続いているため途中で投げ出すわけにもいかない。
そう思い、おっかなびっくりではあるが先程よりも慎重に優しく根っこから夏凉草を引き抜いた。
そうしてしばらく採取を続けているとふとソーゲンが呟いた。
「秋頃に咲く青岸花の花畑、とりわけ海のすぐ近くに咲いた物はその名前の通り、青い岸を作る。一面に広がる青色はとても美しく海の延長と呼ばれる事もあるが流石に足を踏み入れてみたいとは思わないな」
シーメは少し慣れてきた手つきで夏凉草を引き抜きながら尋ねた。
「やっぱり毒が恐ろしいですか?」
「あぁ、そうとも言えるかもな。私にはあの冷たい海が黄泉に繋がっているように思えたんだ」
* * *
シーメが夏凉草を採取してから時間は進み、今は夕刻。先程までの草原から場所を移し近くの森林に入っている。
辺りには10m程の木々が立ち並び、木の葉の隙間から赤い日差しが洩れている。
陽が落ちてきたことによって気温も下がり、昼間以上に涼しく感じる。夕日に染まる森の景色はまるで紅葉しているようで、秋のようにも思えた。
「ところでソーゲンさん、今度は一体何を採取するんですか?」
そう尋ねられたソーゲンの横顔は真剣で、周囲を見渡しながらも時折手元の懐中時計を気にしている。
「時間のあるうちに説明しておこう。今日採取するもう一つの目標は発光キノコだ」
発光キノコ、その単語にシーメは心当たりがあった。
「そうだ、通常食卓に並ぶ発光キノコは既に収穫された状態のものだからな。発光キノコが発光するのは主に夕方から夜にかけての30分間。日中溜め込んだエネルギーを内部で合成してポーションのような成分を作り、夜に成長する」
「へぇ、それじゃあ天然のポーションってことですね」
シーメは感心したように、辺りを見渡してキノコを探し始めた。
「あぁ、だが単体での効果は極めて薄く、主に初歩的なポーションの錬金用素材として用いられる。エネルギーの合成は発光する30分の中の最初の10分の間に行われて、それ以降は光がどんどん弱まって消える。これは合成されたエネルギーを消費しているということであり、つまり収穫は最初の10分間に終えなければ効果が薄くなる」
「それじゃあ急がなくちゃいけないじゃないですか!」
シーメは驚愕し、焦り始めるが、そんなシーメを諭すようにソーゲンは優しく語りかける。
「心配するな。そう焦らなくて良いように既に発光キノコの場所の目星は付けておいた。私から見て正面と右側に10本、少年から見て左に5本ある。これならば依頼にある最低数の20本には時間内に間に合わせられる。少年は落ち着いて左の5本を確実に採取しろ。残りの5本は慣れている私が見つけよう」
「わ、わかりました」
シーメは了承したものの、まだ見てわかるほどには緊張し、焦っている。それを見かねてソーゲンはもう一つ話を始めた。
そう問われるとシーメは少し考え、記憶の中から答えを見つけ出した。
「確か、夜光茸でしたか……?」
「そうだ。そして地上の一番星とも呼ばれている。なんでも冒険中に一番最初に光る夜光茸を見つけると良いことが起きるらしい」
「それは、素敵ですね!」
シーメは目を輝かせる。半日中ずっと草むしりに明け暮れていた彼にとって、今の話はとても憧れていた冒険のように思えたからだ。
今日初めて会った時のように目を輝かせ、今にも森に飛びかかりそうなシーメを見て、ソーゲンは顔を綻ばせる。その若さはあまりに瑞々しかった。
「そろそろだな」
ソーゲンが手元の時計を閉じ、すぐに動き出せるように体制を整えた。それに応じてシーメも見様見真似で体制を整える。
日中の鳥の声も鳴りを潜め、遠くから虫の鳴く声が響き始めた。陽は大きく傾き、赤色の空には深い、深い青が混じり始めた。
そうして1、2分待っていると遂にその時が来た。眼前の森林で淡い緑の光が確かに煌めいたのだ。
その光を目視したと同時にシーメとソーゲンは走り出した。互いに目星を付けていた発光キノコへ向かって一直線である。
そして何事もなく目標だった5本を採取し終えたシーメはふと思う。意外と余裕を持って動けたなと言う事を。
今日半日一緒に行動してシーメは最初こそソーゲンに対してこの男は信頼できる人物なのかと疑っていたが、今では薬草類に限り優れた知識を持つプロフェッショナルであると認識を改めていた。
そうなるとこの若者は思う。もともと5本採取されれば及第点だろうと思われていたところを、それよりも多い数集める事が出来れば、少しは認められるのではないだろうかと。まだ発光キノコが最も輝く時間は続いている。
「もう少し頑張ってみよう」
そう言ってシーメは森のさらに奥を目指して歩き始めた。
* * *
発光キノコを求めて森を進み、最初の目標の倍の10本を採取する事ができた。
これはなかなか上出来じゃないかと満足げなシーメは引き返そうとした時、視界に気になるものが目に入った。
赤く光る花だった。それも一つ二つという数ではない。森の中に赤く光る花の花畑があったのだ。
気になって花畑に向かうとそこは開けていて、もうすっかり陽も沈み、頭上には星空が広がっていた。
星の光を浴びて足下の赤い光は微かに熱を帯び、その幻想的な光景に目を奪われていたその時、シーメの身体は突然空中に投げ出された。
何が起こったのか理解できなかったシーメは必死になって目で周囲を見渡そうとした。しかし視点が定まらない。いや、周囲の景色が回っている。違う、シーメ自身が動いているのだ。
そう気付いた時、背中に鈍痛が走る。肺から空気が漏れ、声にならない声が上がる。強烈な痛み、朦朧としながらも前を見据えるとシーメはやっと自分の身に何が起きたのか理解した。
シーメの視線の先、そこに立っていたのは体長6m程の中型魔獣だった。二本の脚で大地を踏みしめ、大きく腫れ上がったような両手には指はなく、円形にぎっしりと並んだ歯が覗く口があった。
また、前傾姿勢で前に突き出された頭部は爬虫類のような形をしているが、そこに口と目は無く、鼻だろうか、正面に6つの穴が空いていた。その体表には鱗のようなものは無く、湿り気を帯び、ぬらぬらと月光と地面の赤い光を反射している。
その姿はまさに異形。とてつもない恐怖心に襲われ、シーメが顔を歪ませた時、魔獣の背後で何かがうねった。それは尻尾だった。魔獣の尻尾は獲物を前に舌なめずりするかのように右へ左へと揺れていたのだ。
重く響く足音を鳴らして魔獣がゆっくりとシーメに近付き、その両手、口を伸ばす。その口がシーメの眼前に迫った時、魔獣は咆哮を上げた。
咆哮に圧され、撒き散らされた弱酸性の唾液にシーメの皮膚が焼かれる。死ぬ。背中を打ち付けた激痛と恐怖心による脱力感、抗いようのない現実的な死がシーメの眼前に迫っている。
そのあまりの恐ろしさに耐えかねた彼はその場で失禁してしまう。
「爆菜投げるぞ!」
遠くから声がして数瞬の後、魔獣の背後で強烈な閃光と熱が広がった。
その眩しさに顔を覆いたくなるが、力が入らず腕が動かない。辛うじて閉じた瞼からでも分かる閃光の眩しさ。
爆発に耳が鳴り、魔獣の悍しい威嚇の叫びが遠く響く中、シーメの身体を何者かが背負って走り始めた。
耳鳴りが収まりだしたところで何者かがシーメの名を呼んでいることに気付いた。
「少年、意識を保て。私の声は聞こえるか」
中年の男の声だった。今シーメの身体を背負い走っているのは半日の間行動を共にした冒険者の男、ソーゲン・リクサシムであった。
「ソーゲン、さん……?」
「意識はあるな。よし、これから俺の質問に答えろ」
そう言って走り続けるソーゲンは懐から何かを取り出そうとしていた。
「少年、歳はいくつだ」
「15です……」
「本当だな?」
「……ごめんなさい、見栄を張りました。14です……」
「馬鹿なことを言えるくらいには意識を保っているな。これを飲み込め」
そう言ってソーゲンが手渡したのは一枚の赤い花びらだった。
シーメは手渡された花弁を飲み込むと身体の内側が徐々に熱を帯びてくるのを感じた。
次いで心臓の鼓動が速くなり、息が上がってくる。だが、先程まで感じていた背中の激痛が薄れてきている。
「ソーゲンさんっ! これは……っ!?」
「狂騒花だ。軍用興奮剤の材料や主に医療用途で使われる。鎮痛作用があるが、一般に流通しているのもではない。乾燥させた花弁は裏で麻薬として取り引きされている」
説明し終えた所でソーゲンは足を止め、木の幹にシーメを降ろして寄りかからせた。
「次はこれを飲め」
そうして渡されたのはスープだろうか。手渡された木の器の中には緑色の液体が満たされ、10個程のキノコが浮いている。
言われてシーメは即席の発光キノコのスープを飲む。味はというと苦いポーションに軽く土を落としただけの未処理のキノコが浮いているというだけの代物であり、とても美味しいと言えるものではなかった。だが、痛みを一切感じなくなった。
「痛みを感じなくなったとはいえ、それは狂騒花の効果が大きい。効果が切れた頃にはまた激痛が襲ってくる」
そう言ってソーゲンは平静を保つようにと手振りする。
「ソーゲンさん、さっきの魔獣は何ですか……?」
「あれはシースト。本来浅い海に棲息する中型の魔獣で、群れで狩りをする。だが、稀に群れからはぐれた個体が地上に上がってくる。恐らく近くの海岸線から来たのだろう。だが奇妙だ、あのシーストはやけに興奮していたように見える」
ソーゲンが考え込むように顎に手を当てた時、シーメはあることに思い至った。
「もしかしてあのシースト、狂騒花を食べたんじゃないですか?」
「そうか、シーストは熱源を獲物と認識して捕食する。つまり熱を帯びている狂騒花は地上を彷徨っていたシーストにとって格好の餌場のように見えるのか」
「ところでソーゲンさん、今の僕たちにシーストを倒す方法はあるんですか?」
今の手持ちの装備ではシーストを倒すことは出来ないとソーゲンは即答した。
「そんな、さっきの爆発とかは……?」
「これか」
そう言ってソーゲンは鞄から葉に包まれた人の頭よりも一回り小さい球体を取り出した。
「爆菜は衝撃を与えると強烈な閃光と共に熱を撒き散らすが、それ自体に破壊力は無い。爆発時の熱量で周囲を焼くことは出来ても魔獣を殺すほどのものではない。出来る事といえばさっきみたいな目くらまし程度だな。それに見てわかる通り持ち運ぶには大き過ぎる。これが最後の一つだ」
「じゃあ僕たちの出来る事といえば、シーストに見つからないようにしながら森を抜けるしかないということですね」
「そうなるな。興奮状態のシーストについてはバロカセクバに帰ってから組合に報告して正式な討伐依頼を出してもらうしか無さそうだ」
話を終えた二人は立ち上がり、慎重に森の中を進み、街を目指し始めた。
また少し進むと遠くから巨大な足跡が聞こえてきた。判断を間違えた、熱源を探知するシーストにとって、夜の森を行くのは自殺行為だったのだ。
しかし、怪我人を抱えながらいつ襲われるかも分からない状態でその場に留まり続けるのもまた自殺行為。二人は意を決して森を駆け抜け始めた。背後からは速度を上げた怪物の巨躯が近付く音がした。
そしてまた前方からも大地を踏みしめる重量の足音が高速で近付いてきていた。それに気付いたシーメは前方を指差して叫んだ。
「ソーゲンさん!あれを見てください!」
その指の先、こちらへ向かってくる存在のシルエットを認識した時、ソーゲンは最後の爆菜をシースト目掛けて投げた。そして二人の背後で閃光が瞬いた時、彼らの頭上を巨大な影が飛び越えた。
爆菜の目くらましを掻き散らし、再び獲物を追おうとしたシーストが認識したのは巨大な熱だった。先程追いかけていた人型よりもさらに巨大な熱源が飛び込んできたのだ。
頭上を飛び越え、シーストの前に躍り出たその姿を二人もまた認識していた。それは獣のような二本の足を持ち、筒状の胴体に騎士の兜を被った、蛙のような独特な形状をした頭部を持った鉄の鎧。
全高8mのその巨体の重さを感じさせず、軽やかな足運びで踏み込んだそれは右手に装備した大ぶりのナイフを一閃させ、シーストの左腕を斬り払った。
血飛沫が飛び、巨体も返り血を浴びるが、その身はもとより深紅に染められものともしない。左肩に描かれているのは歌う女の横顔のエンブレム。
「まさかあれは……!」
「そこの冒険者達! 私が護衛するから早く街に向かいなさい!」
リャグーシカに装備された外部スピーカーを通してツューミが二人に語りかける。
「そのまま真っ直ぐ進んた先に密造者の小屋があるわ。そこを抜ければ草原に出られる」
体制を立て直したシーストが残った右腕でリャグーシカに殴り掛かった。ツューミはそれを軽いステップで避けるが、彼女の機兵は既に激しい戦闘を終えてきたのか、所々に傷が付き、軋んでいた。
機体が万全ではないからだろうか、ツューミのリャグーシカは二人を守りながら魔獣と戦っていたが、なかなか相手に致命傷を負わせられずにいた。
「……ッ! 浅い!」
リャグーシカの振り下ろしたナイフは再びシーストを捉えたが、その刃は頭部の左半分に傷を付けたのみに留まり、魔獣は未だ弱らない。
機兵と魔獣が付かず離れずの距離で互いに攻撃を仕掛けては、避けてを繰り返す最中、シーメとソーゲンはツューミの言っていた小屋を見つける。いや、小屋と呼ぶにはそれはもう原型を留めていない。
そこには全身がズタズタに引き裂かれ、胴体の胸の辺り、操縦槽を貫くように自らの剣を突き立てられた機兵が横たわっていた。
「凄いな、格上の機兵相手にこれだけの事が出来るのか」
その惨状を見てソーゲンは感嘆の声を上げた。一体麻薬の密造者がどうやって現役の帝国製軍用第六世代機兵を入手したかは分からないが、ツューミ・ロココという女は古い第五世代型の、中でも古参の部類に入るリャグーシカで完璧な勝利を収めていたのである。
「ソーゲンさん! 前、開けてきました!」
機兵と小屋の残骸を通り過ぎ、所々折られ、なぎ倒された木々のある森を進んだ二人は遂に森の出口に辿り着いたのである。
その時だった。背後から欠けた機兵用ナイフの先端が飛んできて二人の進路上に突き刺さったのだ。
間一髪で立ち止まり、後ろを振り返るとツューミのリャグーシカは折れたナイフを片手に半ばナイフ術と呼ぶよりも格闘術に近い戦闘を繰り広げていた。
だがやはり事前の戦闘の影響だろうか、機体の動きは若干ぎこちなく、そこに興奮状態の魔獣の猛攻が襲い掛かり、現状魔獣の方が攻め手に回っている。
その時だった。ソーゲンの脳裏にとあるアイデアが浮かび上がる。それはこの状況を打破する思考。ツューミの魔獣討伐を手助けし、確実とする発想だった。
ソーゲンはシーメを引っ張り、地面に刺さった刃を遮蔽にしながら叫んだ。
* * *
また無茶をしてしまった。これでは帰ってからカーヤに小言を言われてしまうなと、ツューミは操縦桿を動かしながら不服そうに溜め息を吐いた。
当初の依頼の目的は麻薬の密売組織の壊滅、まさか帝国の第六世代が出てくるとは想定外だったが、機兵戦になることは想定済みだった。
そうであるならば、帰り道にも不測の事態が起こり得ると想定して機兵を温存しておくべきだっただろう。これでは一流の冒険者への道はまだ遠い。
折れたナイフと拳の連撃の合間を縫ってシーストが鋭い拳の一撃を繰り出した。映像板に唾液を撒き散らしながら接近する口のある腕が迫る。攻め手が入れ替わった。
一度離れたリャグーシカの足が再び地面に接した時だった。
機兵に装備された集音器が外部から聞こえる音を拾った。それは男の声だった。
「戦歌姫! 背後は夏凉草の草原だ、誘い込め!」
短く簡潔な言葉だったが、ツューミはその男が何を考えているのか瞬時に理解した。そして攻撃の回避の一瞬の間、ちらりと機兵の視線を声の方向へ向けた。
その先には地面に突き刺さる刃の陰で少年を庇いながら顔を覗かせる中年の男の姿があった。その姿を認めた時、ツューミの口角は自然と吊り上がった。
「へぇ、あれが噂に聞く草むしりの男ね。面白いじゃない!」
ツューミは面白い事が好きだ。どれくらい好きかと言うと、受ける依頼を全て面白いか面白くないかで判断する程だ。もっともほとんどの依頼を面白いと言って引き受けるのではあるが。
だから今回のソーゲンのアイデアにも乗ることにした。このまま生身の冒険者二人を庇いながら戦闘を続けることは可能か不可能で言えば可能だ。ただ、いつまでも状況が変わらないとなると少し飽きてくる。それならば彼の作戦で戦況を一転させ、華々しく勝利する方が面白いだろう。
ソーゲンが叫び、ツューミがシーストの攻撃に隙を見つけた時、深紅のリャグーシカは左脚を軸に右脚で大きな回し蹴りを繰り出した。魔獣はもちろんその攻撃を回避するが、立ち位置が入れ替わる。
シーストは意図して森の出口が背後になるように誘導されたのだ。脚の回転が終わり、魔獣が体制を整えた時、今度は大きく跳躍して大袈裟に折れたナイフを振り降ろす。
もちろんこれも避けられる。シーストは大きく後方に飛び退った。さらに追い打ちを掛けるようにリャグーシカは着地した姿勢のまま左の拳を魔獣の首目掛けて突き上げる。
最後の一撃は決まった。首元に機兵の重たい拳を受けてシーストはよろよろと後ろへ下がった。
一連の流れが決まり、事態はソーゲンの思惑通りに運んだ。そうとなれば次は何が起こるか、彼には分かる。
ソーゲンはシーメを庇ったまま今度は遮蔽にしていた刃の裏側へと移動した。これから飛び散る猛毒から見を守るためである。
直後に耳を劈くような、大気を引き裂くような轟音が鳴り響いた。リャグーシカの頭部に標準装備されたニ門の15mm魔導機関砲が放たれた音である。
ツューミの機兵に残されていた残弾数は合わせて三十五発、草原に追い込まれていたシーストの手前、足下を薙ぎ払うように全弾発射された。
魔獣にはその時何が起きたのかわからなかった。
知覚範囲が完全に消失したのだ。この現象には心当たりがあった。餌場で一匹逃げられた時に背後で起きたもの、今戦っている大きな獲物が現れた時のものの二回である。
そうであるならば対処方法は分かる。あの目くらましは自分の周りにまとわりつくように発生していた。
ならば振り払ってしまえば良いのだ。そう考えた魔獣は大きく身を捻り、周囲を掻き散らそうとした。
獲物が策に嵌った。ツューミはとどめの一撃を与えるために体制を整える。
映像板には警告文が表示されている。外気温の深刻な低下、凍結の危険性あり。今外の気温は夏場とは思えない程に低下しているようだ。それはまるで黄泉の国と繋がってしまったかのように。
操縦槽内にはけたたましい回転音が鳴り響き、眼前には青い炎、魔素を溜め込んだ青岸花の毒液の爆発が見える。
深紅の機兵は折れたナイフを捨てて駆け出した。炉の回転数を上げ、向上した機体出力は第六世代機兵の瞬発力にも劣らぬ爆発力を見せた。
映像板には猛毒に苦しむ魔獣の姿が迫り、外気温の警告と新たに機体の異常発熱を伝える文言が表示されていた。
魔獣の敗因はただ一つ。それは視界の消失が熱気によるものだったのか冷気によるものだったのかの区別がつかなかったことだろう。
その区別がついていれば夏凉草の草原で暴れるなどという迂闊な行動を取らなかった可能性もある。
ツューミは雄叫びを上げる。全速力の機兵の右拳が今、魔獣の胴体、心臓を捉える。
次の瞬間、その拳は外気によって凍結状態だった魔獣の表皮を突き破り、心臓を鷲掴みにした。そしてツューミは操縦桿を力いっぱい引き、それを引き抜いた。
凄まじい量の血液がばら撒かれ、足下で燃え盛る青い猛毒の炎を消火した。そして深紅の機兵は抜き出した心臓を握り潰し、まさに死体蹴り、硬直したままだったシーストの死骸を左脚で蹴り飛ばした。
一連の流れは一瞬の出来事だった。だが、ようやく事態が収まったという事実に安堵したシーメはその場を動けずにいた。腰を抜かしてしまっていたのである。すると草原の方から深紅の機兵が歩み寄ってきた。
そこから這い出たのは、月光に輝らされて風に靡く赤茶の長髪、燃える炎のような赤い瞳をした女。
「あなた達流石に肝が冷えたでしょう? 今機兵の中は温かいから乗り込みなさい」
ここで張り詰めていた緊張の糸が途切れたのか、シーメの意識はその手を離れ、深い闇の中へ沈んでいった。
* * *
先日の依頼からシーメが目を覚ましたのは二日後のことだった。堪え難い激痛に襲われて悶たのは見知らぬベッドの上だった。
すると声を聞きつけて来たのか、白衣を着た男性が駆け付けてきた。
「ワカリーフさん、どうか安静にしてください。あなたはかなりの重症です」
そう言った男の左腕には冒険者組合の腕章が取付けられていた。窓の外に見える景色、男の服装、今はシーメしか寝かされていないが、部屋には複数のベッドが並べてあることなどから推察するに、どうやらここはバロカセクバの冒険者組合に併設された病院のようだ。
職員の男にされた説明によるとシーメは右の肋骨を4本と骨盤を骨折、左肩にもヒビが入っているらしい。どうやら全治三ヶ月程になるという。
また、ごくごく少量とは言え狂騒花を摂取したことから薬物依存の検査も行わなければならないらしい。
目覚めてからは簡単な検査を行ったり、職員の手で味が極めて薄い流動食を流し込まれたりして一日を過ごしたシーメだったが、夕刻頃、病室に訪問者が現れた。
「やっほー! 元気にしてたかしら」
そう言って手を振りながら病室に入って来たのは先日の一件で助けられたリャグーシカの操手だ。
名は確か何と言ったか。はっきりとは覚えていないが、ソーゲンが戦歌姫と呼んでいたような気がする。
「なんか湿っぽいわね」
病室に入ってくるやいなや彼女は窓を全開にした。
心地の良い風が屋内に吹き込み、それと一緒に彼女の艷やかな赤茶色の髪も風に揺れる。
あの夜は暗くてよく見えなかったが、こうして夕陽に照らされた彼女の横顔を眺めていると、そのあまりの美しさに鼓動が高鳴る。
名前が分からず、シーメが言葉を詰まらせていると彼女は思い出したように口を開く。
「そういえばまだ自己紹介してなかったわね。ツューミ・ロココよ」
「えっと、ロココさん」
シーメが先日の礼を口にしようとした時、ツューミが手でそれを制した。
「ツューミで良いわよ。ロココなんてどうせこの街じゃどこ行っても聞く単語だろうし、みんなそう呼んでいるわ」
「じゃあ、ツューミさん……先日は本当にありがとうございました」
大層に改まって何を言い出すのかと思えばそんなことかとツューミはからからと笑った。
「別に良いのよ。依頼のついでだったし、楽しかったし。それにこっちこそお礼を言いたかったのよ。ありがとう、狂騒花を焼き払ってくれて」
なんでもシーメが最初に魔獣に襲われた場所が麻薬組織の畑だったようで、逃げる際に使用した爆菜の熱で全て焼けたらしい。
「これはほんのささやかなお礼」
そう言ってツューミは一枚の紙を差し出した。そこには明細書と書かれている。
「あなた相当な重症だったみたいね。医療費も駆け出し冒険者じゃ払い切れるか怪しい金額だったわよ。だから支払っておいたわ」
明細書に記されていた金額はシーメが冒険者ライセンスを手に入れる為に稼いだ金額よりも遥かに高い。一生田舎暮らしをしていたら見ることもなかった額じゃないのかと思うほどだった。
「ふふっ、金銭感覚がまだ若いのね。これくらいの額冒険者として順調に実績を積めばすぐに稼げるようになるわよ」
「そんなものなんですかね」
「そんなものよ」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「そうだ、これあげるわ。飲んで」
そう言ってツューミは透明な液体が入れられた掌に収まる程の小さな小瓶を渡した。
シーメが恐る恐る蓋を開けて匂いを嗅いでみるが、何も感じない。
「毒なんかじゃないわよ。ぐいっと飲んじゃって」
危ないものじゃなさそうだという事でシーメは小瓶に口を付けて一気に飲み干した。しかし、特に味だったり、身体に異変が起きたりなど感じることは無かった。
不思議そうに小瓶を抱えていたところ、ツューミは何かに気付いたようで小瓶を取って中に指を入れた。
「ほら、勿体ないから舐めなさい」
ツューミは小瓶から残っていた水滴を指で拭き取ってシーメの口に突っ込んだ。
あまりに唐突な出来事にシーメの顔は紅潮させ、身体を硬直させる。
まずい、このままではこの人の事を好きになってしまう。命の危機を助けられ、短い間だったが会話し、自分の口に指を突っ込んだ人間がそれは大層美しい女性ならば、田舎から出てきたばかりで若い女性と接する機会も無かった14歳の少年ならば当然の事である。
口から指を引き抜き、ガチガチに固まったシーメを見てツューミが手拭いで指を拭いていると、閉まっていた病室の戸が叩かれる。
「次のお客さんが来たみたいね。それじゃあ私はこれで帰るわね」
ツューミの去り際、後ろ手に振った左手の薬指に輝く物をシーメは見つけた。それは指輪だった。そこで少年は気付く。
ツューミは出入り口の戸を開けて立ち止まると廊下側の人物と一言、二言ほど言葉を交わして姿を消した。
「少年、目を覚ましたか」
声を掛けるソーゲンの手には紙袋が提げられており、中ではいくつかの瓶が鳴り合っていた。
「ポーションだ。いくつかあるから回復に役立てろ」
ソーゲンが紙袋をベッドの脇に置くと、彼は単刀直入に話し始めた。
「指導員としての話だが」
と、続きを話そうとしたところにリーシャが割って入る。
「あぁ、それは組合の私の仕事なので私に説明させてください」
そうかとソーゲンは特に何も気にした様子も無く、近くにあった椅子を引いて座った。
「まず初めての依頼で災難でしたね。それで新人育成プログラムの件なんですが、一ヶ月の期間を設定していましたが、全治三ヶ月らしいですね。同僚から聞きました。なので、こちらで三ヶ月間の冒険者ライセンスの停止手続きを済ませておきました。ですからその間は回復に専念してください。ただご希望があれば座学の受講につきましては病室で行う事も可能ですので、別途申請してください。また実地研修については回復後に一ヶ月行ってもらいます」
そこまでリーシャが話し終えた所でソーゲンが口を開いた。
「少年、何を心配そうにしている」
自分がそんな顔をしていることをシーメは指摘されて初めて気付いた。最初こそ懐疑的ではあったが、共に行動し、死線を超えた事でこの冒険者に対して自分は全幅の信頼を寄せ、尊敬していたことに。
「安心しろ。私が最初に言ったんだ。私が面倒を見よう」
「ソーゲンさん……!」
シーメは泣き出しそうになっていた。その顔を見てソーゲンはやや照れくさそうに言う。
「私が指導員になった冒険者のほとんどから初日でつまらない、担当者を変えろと言われてしまっていてな。今回は散々な目にあったからまた担当者を変えて欲しいと言われるのかと思った」
照れくさそうにしているソーゲンを見て笑いを堪えながらリーシャが言った。
「ソーゲンさんこう見えて落ち込みやすいから毎回気にしてたんですよね。だからここ数年は気を遣って指導員のお願いしてなかったんですよ」
それを聞いてシーメもなんだか可笑しく思えて笑いそうになる。
「ソーゲンさん、僕がこうして生きて帰って来れたのはあなたのおかげです。だからお願いさせてください。これからも僕の指導員をお願いします!」
ソーゲンの目を真っ直ぐ見つめて、真剣に、シーメは言った。
その言葉を聞いてソーゲンは微笑み、シーメを見つめ返す。
「あぁ、よろしく頼む」
夕刻の空は暮れ、空は少しずつ薄闇に染まっている。空には星の輝きが一つ、瞬き始めていた。