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ギーグ(MOTHERシリーズ)

登録日:2011/04/01 Fri 13:10:46
更新日:2026/10/19 Mon 22:10:01
所要時間:約 10 分で読めます





ギーグがおそいかかった!


任天堂のRPG『MOTHER』および、その続編である『MOTHER2 ギーグの逆襲』に登場する存在。
地球を脅かす宇宙的な脅威であり、最終的には主人公たちが直接対決することになる。
共通点として
  • 地球の侵略を行動理念としている
  • 普通の攻撃では倒せない
  • 戦闘中にこちらへ語りかけてくる
  • 攻撃行動がすべて正体不明で、戦闘メッセージでは性質を判断できない
  • 主人公にデレデレ
が挙げられる。
あと恐ろしく不気味。

割とよく間違えられるが「ギーク」ではない。

※この項目は『MOTHER』『MOTHER2』のストーリー終盤の重大なネタバレを含んでおります。










★ギーグの同一性について

両作品のギーグは、国内版ではいずれも「ギーグ(Gyiyg)」という名であること、さらに『2』のサブタイトルが『ギーグの逆襲』という「前例が存在した前提のもの」であることから、ほとんどのプレイヤーから同一の存在とみなされている(はず)。
加えて、糸井重里が過去のインタビューで『1』のギーグを子供、『2』のギーグを大人の姿として説明した*1ことも、両者を同一の存在として捉える解釈の根拠になっている。

しかし実際の外見や言動があまりに違いすぎるためか、海外版では、初代『MOTHER』の海外版『EarthBound Beginnings』における名前が「Giegue」、続編『EarthBound』では「Giygas」となっている。

また、『MOTHER2』では起動時のデモシーンに「GYIYG STRIKES BACK! (ギーグの逆襲)」というテロップが記された一枚絵が登場するが、『EarthBound』では「THE WAR AGAINST GIYGAS!(ギーグとの戦い)」に差し替えられている。少なくともタイトル演出に関しては、「再来」のニュアンスは削られていることになる。

★『MOTHER』でのギーグ

「もう おかえりなさい」
「みにくい ちきゅうじん と ともに ほろびてください」
『MOTHER』における異変の元凶。
その姿は、極端に細長く痩せた白い身体に、頭部から角のように伸びた耳、長い尻尾を備えた、いかにも異星の生物といったもの。
全身は液体で満たされた透明な球状の装置に収容されており、宇宙船「マザーシップ」の内部で主人公たちを待ち受ける。

決戦の舞台となるのは、「ホーリーローリーマウンテン」の最奥部。
そこへ至るまでにも強力な敵が立ちはだかるため、最後の敵にたどり着くこと自体がひとつの試練となっている。

配下にはスターマンやムークといった宇宙人たちがおり、バーボット、スージー、R-7037などのロボットも戦力として運用する。
また、イースター村の大人たちをはじめ、多くの地球人を誘拐し、洗脳して配下にしようとしている。

宇宙人たちに誘拐された主人公の曽祖父母「ジョージ」と「マリア」が、まだ幼子だったギーグの育ての親になった事が『MOTHER』のストーリーの始まり。
二人は宇宙人のもとで暮らすことになり、ギーグはマリアに育てられることになる。
やがてジョージは宇宙人のもとから脱走し、地球へ帰還。しかし、マリアはギーグのもとに残り、その生涯を終えるまで彼と暮らし続けた。
一方のジョージは、宇宙人から得た知識をもとにPSIの研究を行うようになる。
そして長い時間が経ったのち、成長したギーグの地球侵略が始まったことで、主人公とギーグとの対決が幕を開ける。

完全に人類を見下しているようではあるが、主人公にだけは「助けてやってもいい」と語りかけてマザーシップへ乗り込むよう促すあたり、かつて自分を育てたマリアへの記憶や、彼女の子孫に対する何らかの感情が残っていたのかもしれない。
一方で、「育ててくれたマリアへの恩」と「反逆を企てたジョージへの怨」を一緒にまとめて「お世話になっている」と述べるなど、人間とは異なる思考体系、あるいはひねくれた言い回しを使う性質も見せる。

戦闘においては、主人公たちの攻撃を物理・PSIともに一切受け付けず、悠々と上から目線で語りかけながら「ギーグからの こうげきのしょうたいが つかめない!」と表示される謎の全体攻撃を連発してくる。
この演出はそれまでの敵とはあらゆる意味で一線を画し、理解も対処もできないという不気味さと絶望感を感じさせる。

ギーグの誘いを断り、絶望的な戦いを続ける主人公。
ギーグは忌々しげに言う。
「…ならば ともだちや みにくいちきゅうじんと いっしょに ここに ねむりなさい」
ギーグが言葉を投げかけ終え、主人公を見放して無言で滅ぼしにかからんとする頃、冒険を経てきた主人公たちの脳裏には、あらゆる攻撃が通用しないギーグに唯一届きうる「ある行動」への心当たりが……。

ニンテンは うたを うたった!
冒険を通じて主人公たちは、各地に伝わるメロディーを集めてきた。
「うたうのを やめなさい」
最後に必要となるのは、武器でもPSIでもなく、これまでの旅で得たものを歌として届けることだった。
アナは うたを うたった!
ギーグを倒すために必要なのは、圧倒的な力で敵を上回ることではなかった。
「うたを…やめろ」
主人公たちが冒険の中で集めてきた歌を、最後まで歌い切ることなのである。
ロイドは うたを うたった!
どれほど強大な敵であっても、力による対決だけが唯一の解決手段とは限らない。
ギーグに対して主人公たちが最後に示すのは、冒険の過程で積み重ねてきた記憶と、人間的な営みそのものだ。
「う うたをやめろ!」
「うたをやめるんだ!」
「ちきゅうの むしけらども! だまれ! うたうな!」
「やめろ!」
「や…」
「!!!!」
戦いの後、ギーグは主人公に「また あおう!」と言い残して去っていく。
歌によって彼が何を感じたのか、ゲーム内の描写から断定することはできない……。

ちなみに「正体不明の攻撃」は、演出上は何が起きているのかわからないものの、ゲーム内部ではPSI攻撃と同等の性質を持つため、ペンダントなどの装備品やサイコシールドによって被害を軽減できる。
特にサイコシールドは有効で、通常なら全体に80前後のダメージを受ける攻撃を、40前後まで抑えられる場合がある。必ず最初のターンでかけておこう。
ただし、パワーシールドでの反射は不可能。

★『MOTHER2』でのギーグ

ギーグは じぶんの ちからの あまりのつよさで
じぶんの じんかくさえ はかいしてしまったのさ!
本作におけるギーグは、「ちえのリンゴ」と呼ばれる予言マシンによって、自らが敗北する未来を知ったとされる。
その予言を覆すため、敗北の原因となるネスを幼少期のうちに抹殺しようと、地球への侵略を進めていく。
ネスの行く先々で起こる怪現象は、ほぼすべてギーグの仕業である。

存在するだけで生き物の悪の心を刺激するパワーを持つらしく、物語の序盤で登場する敵はギーグによっておかしくされた動物や人間が多い。
ギーグが直接従える主要な部下はやはり宇宙人かロボットで、幹部格にはゲップーやDXスターマンなどが控え、地球侵略計画を進める。

前作と同じく凶悪なモンスターが闊歩するド鬼畜ダンジョン「過去の最低国」に拠点を置く。
時空を超えてギーグのもとに向かうために、ネスたちは肉体を捨て、機械に魂を移さなければならない。

『MOTHER2』のギーグを特徴づけるのは、圧倒的な力と、それに伴う人格の崩壊である。
『1』のギーグには、少なくとも人間を見下し、侵略を進め、自らの目的を語れるだけの意思があった。
ところが本作のギーグは、その力の暴走により、思考能力も認識力も失っていた。
最終決戦の際、ポーキーはギーグのことを
  • 「あく」そのもの じゃあくなちからそのものに なってしまったんだ
  • とんでもない ちからの おおばかやろうさ! ギーグは!
と評する。
ギーグは強大な力を得た代償として、力を振るう主体そのものが壊れてしまったのである。

戦闘(第1形態)

ラスボスということで、「あくまのマシン」に収容された状態と、マシンから解放された状態の二連戦となる。

第1形態では、球状のメカの中央に、青黒いネスの生首の画像が映っている。
ギーグはポーキーを引き連れてネスに襲いかかり、本来はネスたちしか使えないはずの必殺PKまで繰り出してくる。
「あくまのマシン」の機能によってあらゆる攻撃を際限なく無効化・反射するため、通常の方法ではギーグ本体に有効なダメージを与えられない。
その上でポーキーの攻撃まで対処しなければならない。最終決戦にふさわしい、厳しい戦いである。

サイコシールドを使用する場合には、反射効果を持つΩではなく、無効化効果を持つΣを選ぶこと。反射を選んでしまうと、味方の攻撃を跳ね返してしまう危険があるためだ。

ある程度ポーキーにダメージを与えると、ポーキーが「あくまのマシン」のスイッチを勝手に切り、真の姿が現れるのだが……








ここでは詳細な外見の説明は控える。
『1』のギーグとはまったく異なる、抽象的で不気味な表現が用いられている……とだけ言っておこう。
これに関しては、ぜひ実際にゲームをプレイして確かめてほしい。

当時、いや今現在においてもブッチギリで恐ろしいラスボスのトップ10に入るに違いない。
その異様な姿と戦闘BGMの不気味さ、狂気に満ちた台詞の数々で、ギーグはプレイヤーに凄まじいトラウマを植え付けた。

恐怖を生み出す演出

『2』のギーグの不気味な演出の原点にあるのは、糸井重里が少年時代に映画館で観た猟奇サスペンス映画『憲兵とバラバラ死美人』(1957年公開、新東宝制作)に対して抱いた「不快感、理解できなさ、そして見てはいけないものを見てしまったような感覚」だという。
ただし、この映画については、糸井の証言と実際の作品内容や出演者に関して食い違いがあるとされる。重要なのは「『2』のギーグの恐怖表現が、単純に強そうな敵や醜悪な怪物を描くことを目的としているわけではない」という点である。

曰く「すごく不快なものを作りたかった」。
そういった意味ではかなり狙い通りであろう。


戦闘(第2形態)

この状態になると、前作同様に「ギーグからのこうげきの しょうたいが つかめない!」と表示される攻撃を使ってくる。
前作と異なり攻撃内容にいくつかのバリエーションがあり、PSI属性も失われて軽減困難になっている上、ステータス異常を振り撒く攻撃が多いので、かなり厄介。

正体不明攻撃のバリエーションのうち2つの中身は、それぞれ作中で他の敵からも使われる「まばゆいひかり(PKフラッシュ)」「バチバチこうげき(PKサンダー)」と同様のもの。
前者はやみのペンダントなどで被害(主に気絶=即死)の発生率を下げられ、後者はフランクリンバッジで跳ね返せる上に電撃エフェクトが入るので見分けやすい。
残りの1つは全体化された「PKフリーズα」。ダメージも地味に痛いが、なにより凍結の追加効果がやらしい。
そうでなくとも、流星群降らせまくってくる鬼畜部下宇宙人共に比べれば殺傷力自体はだいぶ控えめ。
というか長期戦必至なのであの規模の攻撃されてたらトラウマもっと余計に増える。

また、狂っているせいかブレインショックに弱い。いちごとうふメンタル。
上手く刺されば、単純計算で攻撃のうち半分がギーグ自身に向かうようになるため、被害をかなり抑えられるはず。
どの攻撃も特殊攻撃なので、こちらが「たたく」「うつ」を控えれば、変状態が解除され正気に戻る(?)ことはない。

ある程度ダメージを与えると、再びポーキーが現れてネスを挑発し、それ以降は通常の攻撃をどれだけ重ねてもギーグを撃破することができなくなる。
一見まともに戦えているように見えながら、先が見えないままじわりと押し潰されるため、ある意味ではかつてのギーグ以上に絶望的。

そんな彼を倒すための手掛かりは、ポーキーの言葉と、それまでの物語の流れにある。
どんな攻撃でも倒せないギーグを前にして、ネスたちが最後にしなければならないのは、それまでとは異なる方法でギーグに対抗することなのである。

この解法は、戦闘だけに目を向けていると、なかなか思いつきにくい。ポーキーの挑発的な言葉の中に、攻略のための手掛かりが含まれているからだ。
少々遠回しな暗喩であるため、そうと知らなければそのような読み方・探し方をすることもなかなかないだろう。
その後の展開も含め、言われてみればこの絶望的脅威に対してある意味ぴったりな演出である。

戦いが終わると、激しいノイズからのブラックアウトといういろんな意味で超恐ろしい演出が展開されるが、決してゲームが壊れたわけではない。
前後の流れを考えると、「ネスたちの魂が入ったロボットが壊れた」という表現と思われる。
勘違いしてリセットしてしまった人も多いことだろう。


ここまで見てきたように、『1』『2』のギーグには共通点がある一方、プレイヤーに与える恐怖の性質は大きく異なる。

『1』のギーグは、侵略者としての意思を持ち、主人公たちを見下しながら攻撃してくる。攻撃の正体はつかめないものの、彼の言動には一定の論理があり、彼が何者であるかを想像する余地が残されていた。

一方、『2』のギーグは、強大すぎる力を制御できず、完全に精神が破綻してしまった存在として描かれる。
『1』の時と違い、『2』のギーグが戦闘中に発する言葉は、文意も主張の体も成していない、暴走した支離滅裂な感情の羅列か何かに過ぎない。

ポーキーのネスに対する挑発を見ればわかる通り、言葉とは、本来なら相手を認識し、相手に何かを伝えようとする意思の表れである。
しかし『2』のギーグは、その言葉を繰り返すほどに、意思疎通の可能性が失われていくように見える。
ネスに何らかの執着を抱いていることはうかがえるものの、その執着がどのような感情から生じているのか、ギーグ自身が何を伝えようとしているのかは、明確にはわからない。
だからこそ、不気味なのである。

★『MOTHER3』において

『3』にギーグは登場しない。その代わりというか、ギーグの影響を受け、ある意味では類似した状態に陥った「ギーグの痕跡」のようなものが登場する。

+ ある一つの仮説(『3』ネタバレ注意)
ファンの間では、「『MOTHER2』のギーグは、『MOTHER3』のラストで「ぜったいあんぜんカプセル」に閉じこもったポーキーが、長い年月を経て変貌した姿なのではないか」という説がまことしやかに囁かれている。
両作品を照らし合わせてみると、単なる見た目の類似やこじつけでは片付けられない、興味深い符合がいくつも浮かび上がってくる。
  • 『3』の時点では、世界を自分の思いどおりに支配しようとする大悪党にまで成り上がっていたとはいえ、ポーキーの出発点は、ネスの隣に住んでいた、どこにでもいそうな悪ガキだった。
    そんな彼に、なぜギーグは目を付け、わざわざ自らの側近として取り立てたのか。
  • ギーグは、ネスに対して異様なまでの執着を見せる。
    とりわけ「あくまのマシン」のスイッチを切られた後に漏れ出す「トモダチ」「ネスサン」という言葉は、ネスと遊んだ日々を過去のものとして割り切れず、歪んだ形で執着し続けるポーキーの姿と重ね合わせると、途端に違った意味を帯びてくる。
  • ギーグを守る「あくまのマシン」と、ポーキーが逃げ込んだ「ぜったいあんぜんカプセル」は、どちらも球形に近い形状をしている。
    しかも、ギーグは「あくまのマシン」に守られている間、通常の攻撃を受け付けない。
こうした符合を並べると、ギーグの正体がポーキーの成れの果てだという説にも、それなりの説得力が生まれてくる。

ただし、ここで問題になるのは、ポーキーが「ぜったいあんぜんカプセル」に入った後、どのような経緯をたどってギーグへと変貌したのか、という点である。
このカプセルは、何があっても壊れず、内部の人間を外部の影響から守る一方、一度入れば二度と出られないという、まさに絶対の安全装置である。
しかし、外部からの干渉を受けないことと、内部の人間が永遠に変化しないことは、必ずしも同義ではない。
カプセルそのものが壊れないとしても、永遠に閉じ込められたポーキーがその後どうなったのかは一切説明されない。
ましてや、『3』の終幕で世界のあり方そのものが変わってしまうほどの変化が起こったとすれば、「ぜったいあんぜんカプセル」の中にいたとしても、ポーキーがいつまでも人間としての姿や自我を保ち続けられる保証はない。

そして、ここで注目したいのが、『MOTHER2』における時間軸の問題である。
仮に、『3』のポーキーがカプセルに閉じこもったまま過去へ干渉し、その一方で、過去の世界にはまだ少年時代のポーキーが存在していたとしたらどうだろうか。

つまり、「ぜったいあんぜんカプセル」の中にいる未来のポーキーとカプセルの外で生活している過去のポーキーが、同じ世界に同時に存在するわけである。
もちろん、これは糸井をはじめとする公式関係者から明言された設定ではなく、この説を成立させるために必要となる仮定の一つにすぎない。しかし、時間を超えて同一人物が複数存在できるのであれば、未来のポーキーが過去の自分や周囲の人間に何らかの形で干渉できたとしても、必ずしも不思議ではない。

そして、この仮定を採用すると、二つの謎をまとめて説明できる可能性が出てくる。
一つは、なぜギーグが、取るに足らない悪ガキにすぎなかったポーキーを自らのもとへ招き入れたのか。
もう一つは、なぜギーグ自身ですら制御できないほどの存在になっていたにもかかわらず、ポーキーは「あくまのマシン」のスイッチを切ることができたのかという謎である。
もしギーグの正体が、未来において変貌したポーキーだったのなら、彼が過去のポーキーを自らの側に引き寄せたのは、それは必然だったのかもしれない。
ギーグにとってポーキーは、利用価値のある他人ではなく、かつて自分自身だった存在なのだから。

そして、ポーキーが「あくまのマシン」のスイッチを切れた理由も、そこにあるのではないだろうか。
仮に「あくまのマシン」が「ぜったいあんぜんカプセル」の成れの果てで、「ぜったいあんぜんカプセル」の性質が残っていたのだとすれば、未来のポーキーと過去のポーキーが同時に存在することによって、装置に想定されていなかった干渉が可能になった、と考えることもできる。

繰り返すが、これはあくまでも仮説であり、むしろ何があっても壊せないし出られないはずの「ぜったいあんぜんカプセル」の中からどうやってポーキーが過去へ干渉できるようになったのかという点こそ、この説が乗り越えなければならない最大の難関である。
それでも、この解釈を採用した場合、両者の関係は単なる「ポーキーがギーグに変身した」という話ではなくなる。

「あくまのマシン」のスイッチが切られた後に浮かび上がるギーグの姿。それは、単に力を解放したのではなく、果てしない時間を生き延びたポーキーが、ついに人間としての「形」すらも失ってしまった姿なのかもしれない。

そう考えると、ギーグの正体が明かされないままネスたちの前に立ちはだかることにも、別の意味が生まれてくる。
かつてネスの隣に住んでいた少年は、ネスとの友情を自ら壊し、権力と暴力に執着し、最後には世界を支配するほどの存在にまで成り上がった。しかし、その果てに待っていたのは、勝利でも支配でもなく、永遠に終わらない孤独だったのではないか。
そして、ギーグがポーキーの成れの果てだとすれば、「トモダチ」「ネスサン」という言葉は、かつての友人への執着が、途方もない年月を経ても消えなかったことを示しているのかもしれない。

さて、もう一つ、この説を考える上で見逃せないのが、ギーグが持っていたとされる予言マシン「ちえのリンゴ」の存在である。
『2』では、ギーグが「ちえのリンゴ」による予言をもとに行動していることが語られる。しかし「ちえのリンゴ」そのものの正体や外見については、作中で明確に説明されていない。

では、もしギーグがポーキーの成れの果てだったとしたら、「ちえのリンゴ」とはいったい何なのだろうか。

ここで注目したいのは、ニューポークシティにある映画館で上映されていたネスの冒険を題材にした映画である。
実質自分の負けストーリーであるにもかかわらず、一切の改変も捏造も加えずに人前に晒しているネス大好きの彼ならば、一連の思い出として一緒にカプセル内に持ち込んでいる可能性は十分ある。

糸井はインタビュー*2で「ポーキーには友達がいなかったから、ネスを振り回す形で遊んでいたのだろう」と語っている。さらに、彼が「ぜったいあんぜんカプセル」に入って、55億年が経過してなお生き続けるという設定について、その孤独を「詩」のようなものとして受け止めている。
このことを踏まえると、ポーキーが『2』での思い出を完全に忘れたとは考えにくい。
むしろ、あれほど執着していた相手との思い出を、何らかの形で手元に残していたとしても不思議ではない。

そして、ここで一つの仮説が浮かび上がる。
「ちえのリンゴ」の正体は、この映画だったのではないか。
ネスの冒険とギーグの敗北を描いたものであり、それを見たポーキーが、あるいはギーグとなったポーキーが、未来を予言する情報源だと認識していたのではないか、ということである。

考えてみれば、ネスたちが数々の試練や妨害を乗り越え、最後にはギーグを打ち倒すという筋書きは、ギーグにとっては自分の敗北をあらかじめ示されたも同然である。
普通ならば、そんな映像を人目に触れさせるどころか、真っ先に処分しようとするだろう。
しかし、ポーキーという人物は、そう単純には割り切れない。彼はネスに対して敵意を抱き、何度もその命を狙いながら、同時にネスへの執着を捨てきれなかった。自分が敗北する物語であっても、そこにネスとの思い出が刻まれているのなら、手放せなかった可能性は十分にある。
自分の敗北を描いた映画を、わざわざ未来まで持ち越していたとしたら。それは、ネスに対するポーキーの屈折した感情を象徴する、実に彼らしい行動ではないだろうか。

さらに、ギーグとなったポーキーが、過去の記憶や自分自身についての認識を失っていたと仮定すれば、話はもっと皮肉なものになる。
目の前に映し出されるのは、見覚えのない少年が仲間とともに冒険し、最後には自分を打ち倒す映像。しかし、その内容が実際に起こった出来事を正確に記録したものであり、しかも自分が経験したはずの未来を示しているのなら、それを「予言」と解釈してもおかしくはない。

つまり、未来を知るための予言マシンが、実は過去の思い出を記録しただけの映画だったという、なんとも皮肉な構図が成立するのである。

「ちえのリンゴ」の正体が作中で明かされないことと、ポーキーがネスとの思い出を未来まで持ち越していた可能性を考え合わせると、この解釈には独特の味わいがある。
「ギーグの逆襲」とは、経緯に色々問題はあれどネスたちに追われる立場で終わったポーキーが、ギーグとして逆に襲う立場となった、ということなのだろうか。

また、データ解析によって見つかったグラフィックの中に、苦悶の表情を浮かべたクラウスの姿や、それがギーグのように赤黒く変色している様、天使あるいは宇宙人のような姿の謎の生命体など、異様すぎるものが存在。
これらはすべて戦闘時の背景アニメーションとしてゆらゆらと動くように作成されており、恐らく『2』のギーグ同様の演出効果を狙った物だと思われる。

開発段階ではクラウスが改造されギーグのようなキマイラにされていたとも、タネヒネリ島で製品版以上のグロテスクな幻覚が予定されていたとも噂されるが、どのようなシーンで使われる予定だったのかは謎である。

★余談

項目冒頭でも触れた糸井の「1のギーグは子供で、2のギーグは大人」という発言だが、実際の『2』でのギーグを見ていると、とても成長した姿という感じはしないはず。というか完全にぶっ壊れてる。

それもそのはず、『2』は当初『1』のストーリーを引き継いだ続編として開発がスタートしたものの、あまりに壮大な規模となったために一旦内容が整理され、紆余曲折の末に現在の形へと落ち着いたという経緯がある。
上記の「2のギーグは大人」発言も整理される前の内容を表したものというわけ。

ちなみにその開発初期の構想は2024年8月に開催された展示会「MOTHER2のひみつ展」にて初めて一般公開され、同年11月に発売された書籍「MOTHER2のひみつ」にもその内容の一部が収録されている。
「2のギーグが大人」とはどういう意味なのか、ギーグが地球を狙う目的とは一体何なのか、そして宇宙ステーションの街ファイバレンや、そこから始まる銀河をまたにかけた壮大過ぎるスケールの『MOTHER2』初期案が気になったらぜひ書籍をチェックしてみよう。

+ ギーグの「逆襲」とは(もうひとつの考察)
『1』『2』で共通の、ギーグを倒すのに必要な重要な要素。
それは「8つの(エイト)メロディー」からなる「歌」である。

『1』では主人公は世界中を巡ってメロディーを集め、ギーグを育てたマリアの子守唄を完成させ、ギーグを追い払う。
しかしなぜ、これでギーグが退散してしまうのか、退散したギーグがどこに行ったのかは、一切わからなかった。
一方で『2』でこのメロディーを集めた結果として完成するのは「ネスの生まれた時の記憶」であり、そしてネスは心の中の世界であるマジカントに誘われ、ここで己の中の悪意と対決することになる。

つまり、ギーグもまた「歌」を聞かされた結果、自分の過去の思い出や自分の中の悪意と対面し、マリアへの愛、侵略の使命、そしてそもそもマリアを監禁した自分という現実を直視することができずに、逃げ出してしまった。やがて『2』の世界へ──と、解釈することができる。

そこでもギーグは、自分を追い詰めたあの少年によく似た少年を知る。
ギーグは今度こそと「逆襲」を開始。あの手この手の策略を使うが、そのすべてを少年は退けて突き進む。
そしてついには、ギーグが目を背けた「自分の中の悪意」にまで打ち克って、喉元まで迫ってきた。

この恐怖が、さらなる力への渇望を生み、その末にギーグ自身を破滅へ追いやったのだとしたら……?

そして、無茶苦茶になったギーグが最後に見せた意味のある姿は、主人公を模したものだった。
ギーグは主人公のようになりたかったのではないだろうか?
ある意味では、ポーキーと同じように……。




チガウ、チガウ……
ツイキ、シュウセイ……
キ モ チ イ イ……

ヲタサン…ヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサンヲタサン…




◆wikiごもりは こころをこめて いのった!

◆もう だれのなまえも おもいうかばない。

◆…だれか だれか
 このこうもくを ついき・しゅうせいして。

◆wikiごもりのよびかけは
 やみのなかに
 すいこまれていった。


◆wikiごもりの よびかけは
 ……の
 むねに とどいた。


◆…い…んは
 みしらぬwikiごもりたちのために
 いのった。


◆めいでんは
 いのりつづけた。

この項目が面白かったなら……\いのる/

最終更新:2026年10月19日 22:10

*1 ただし、このインタビューは開発初期段階に行われたものらしく、完成版からその要素をうかがい知ることはできない。詳細は後述。

*2 ソース→https://www.ndw.jp/re_m3/8/