ミネイロンの惨劇

登録日:2016/02/20 Sat 05:41:48
更新日:2025/03/04 Tue 13:39:24
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FULL TIME

BRAZIL     v    GERMANY

1  -  7




NHK実況「開催国ブラジルまさかの惨劇…!!!」






ミネイロンの惨劇とは、2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会の準決勝、ブラジル対ドイツ戦において、開催国のブラジルが1-7の大敗を喫した出来事の通称である。







両代表のこれまでの歩み



ブラジル

サッカー王国として名高いブラジルにてFIFAワールドカップが開催されるのは本大会が2度目。
1950年に開催された一度目では、ウルグアイとの試合に引き分け以上で優勝*1という状況で逆転負けを喫してしまい、これを目の当たりにした観客の一部が失神・自殺・ショック死するという惨事があった。
この出来事は試合会場の名前からマラカナンの悲劇として後に語り継がれ、Seleção(セレソン)ことブラジル代表はこの試合で身に纏っていた白いユニフォームを封印、黄色のユニフォームのカナリア軍団として生まれ変わり、マラカナンの悲劇を観客として見ていたペレが台頭。
彼らが1958年W杯で母国を初優勝に導き、それ以来数々のスター選手を生み出しW杯優勝5回という名実ともにサッカー王国へと返り咲いたのである。

ブラジル代表の最後のW杯優勝は2002年日韓大会。
横浜国際総合競技場で行われた決勝戦では今回の対戦相手でもあるドイツと優勝を争い、ロナウドら豪華攻撃陣がドイツの守護神オリバー・カーンの壁を破り2-0で勝利を収めた。

そんな最強のセレソンに対し国民が望むのは優勝の二文字のみ。
それもただ勝つだけではなく攻撃的なサッカーで相手をねじ伏せる試合展開が期待されていた。なにせ1994年大会では優勝しながらも戦術が守備的であったり決勝がスコアレスでPK決着であったことに関して代表選手への批判が起こったほどなのである。
「国民の数だけ監督がいる」とも形容される彼らからの期待…それが代表選手にとってどれほど重いプレッシャーになり得るかなど言うまでもなく、特に本大会では母国開催でマラカナンの悲劇を払拭しての優勝と、その重圧はより一段と大きくのしかかっていた。

本大会に臨む代表は若くして10番を背負うエース・ネイマールを中心に各ポジションに実力者を揃え、前述の2002年大会でチームを優勝に導いたルイス・フェリペ・スコラーリ監督が再び指揮を執ったが、ベスト4進出までの歩みも茨の道であった。
開幕戦ではクロアチア相手にマルセロがオウンゴール*2を喫してしまいネイマールが2ゴールでなんとか逆転、メキシコ戦では相手GKオチョアのファインセーブ連発によりスコアレスドローと、グループ突破からして前途多難であった。
決勝トーナメント初戦のチリ戦では自陣でのスローインを掻っ攫われた流れから同点に追いつかれ、なおも攻め込まれるもPK戦に逃れ、辛うじて勝ち切る。その際には「絶対勝たなければならない」という重圧の現れか、ネイマールも勝ってなお涙を流した。

そして続く準々決勝のコロンビア戦では比較的安定した試合運びで2-1で勝利するものの、この試合でコロンビアDFスニガの激しいタックルを受けたネイマールが脊椎を骨折し、残り試合の出場が不可能となってしまう
さらに同試合にて主将・守備の要であるチアゴ・シウバがイエローカード*3を貰ってしまい、累積警告により準決勝出場停止となった。
ブラジル攻守の要をどちらも欠いた状態で準決勝のドイツ戦に臨むことを強いられる最悪の状況を受けて、一部ブラジルメディアは「この状況でドイツに勝つのは難しい」「勝たなければいけないという責任を背負うのはドイツ」と現実的かつ悲観的な見方を示していた…。


ドイツ

一方西ドイツ代表時代に3回優勝するなど、W杯では安定して好成績を残してきたMannschaft(マンシャフト)ことドイツ代表。
2000年前後に世代交代が停滞しやや低迷気味であったのを機に若手選手育成のやり方を見直し、ブンデスリーガからは若いうちから結果を出す選手を輩出した

そんな中で前監督ユルゲン・クリンスマンと彼の右腕であった現監督鼻ホジヨアヒム・レーヴの指揮の下、近年は2006年W杯(母国開催)3位→EURO2008準優勝→2010年W杯3位→EURO2012ベスト4*4と、上位安定ながらもトップに君臨できずという状況が続いていた。
本大会に臨む代表選手はそういった若手時代からインパクトを残してきた俊英たちの集まりであり、彼らは一様に技術と走力の両方に秀でていた。
W杯での最後の優勝は西ドイツ代表として最後の出場であった1990年大会。
最後の決勝進出は2002年日韓大会であり、前述の通り0-2でブラジルに敗れて準優勝となっている。
分厚い選手層を実現した本大会ではドイツ統一後初優勝、南アメリカ開催での欧州勢初優勝が期待された。

ドイツのベスト4進出までの道のりはブラジルほど山あり谷ありではなかったものの、こちらも大会前のマルコ・ロイスら有力選手の負傷、決勝トーナメント初戦ではアルジェリア*5相手に延長戦まで縺れ込むほどの苦戦、選手内で風邪が流行するなどの試練もあった。
それでも準々決勝はより危なげのない試合運びでもってフランスに1-0で勝利。W杯4大会連続ベスト4入りという偉業を成し遂げ、フランス戦と同じスタメンのままブラジル戦に臨む。


試合


開始まで


2014年7月8日、天気は晴れ、気温は摂氏22度、湿度は51%。
準決勝・ブラジル対ドイツ戦の舞台はブラジル第4の都市・ベロオリゾンテにそびえ立つエスタディオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント。通称「エスタディオ・ミネイロン」。

両チームのスタメンは以下の通り。
両チームとも4-2-3-1というフォーメーションである。

ブラジル ドイツ
ポジション 背番号 名前 背番号 名前
ゴールキーパー(GK) 12 ジュリオ・セザール 1 マヌエル・ノイアー
右サイドバック(RSB) 23 マイコン 16 フィリップ・ラーム(主将)
右センターバック(CB) 4 ダビド・ルイス(主将) 20 ジェローム・ボアテング
左センターバック(CB) 13 ダンテ 5 マッツ・フンメルス
左サイドバック(LSB) 6 マルセロ 4 ベネディクト・ヘーヴェデス
右ディフェンシブハーフ(DH) 17 ルイス・グスタボ 6 サミ・ケディラ
左ディフェンシブハーフ(DH) 5 フェルナンジーニョ 7 バスティアン・シュヴァインシュタイガー
右サイドハーフ(RSH) 7 フッキ 13 トーマス・ミュラー
左サイドハーフ(LSH) 20 ベルナルジ 8 メスト・エジル
オフェンシブハーフ(OH) 11 オスカル 18 トニ・クロース
センターフォワード(CF) 9 フレッジ 11 ミロスラフ・クローゼ

ネイマールに代わりLSHに入ったベルナルジは試合が行われたベロオリゾンテの出身で、敏捷性がありドリブル突破を持ち味とする選手である。
チアゴ・シウバの代わりにCBに入ったダンテは当時バイエルン・ミュンヘンに所属しており、DHのルイス・グスタボも前年の夏まで同じくバイエルンに所属していた。
なお、ドイツ代表のスタメンは11人中6人が当時のバイエルンに所属しており、試合前にはバイエルンでのチームメイトである両国の選手が抱き合う光景も見られた。

試合前の国歌斉唱では、ブラジル選手はネイマールのユニフォームを掲げ彼のためにも団結するという意志を見せた。
演奏が終わっても選手と観客が一体となって斉唱を続けるという光景もこれまでと同様であった。

本試合の審判団は主審のマルコ・ロドリゲス氏らメキシコ人が務めた。第4の審判および予備副審はアメリカ人。
現地時間17時、主審のホイッスルが吹かれ試合が始まった。


前半


序盤は両チーム攻撃的にスタート。
主力を欠くブラジルであったが難敵ドイツを相手に互角の戦いを見せていた。
3分にはマルセロがブラジル最初のシュート、7分にはケディラがドイツ最初のシュートを打った。
一方ブラジル観客はドイツがボールを持つとブーイング、アウェイの洗礼を容赦なくドイツ選手に浴びせる。

11分、ドイツが最初のコーナーキックを獲得。
右サイドからクロースがPA内に向かってボールを蹴り入れると、ミュラーはファーサイドへと移動。ミュラーにはダビド・ルイスがマンマークについていたが、味方のフェルナンジーニョと敵のクローゼが邪魔でミュラーにつくのが遅れてしまった。その間にミュラーはフリーでシュート、これが決まりドイツ先制
ブラジルにとってはミスというよりは事故のような失点であり、選手たちも切り替えようと努めたに違いない。
しかし先制されたことで攻め上がらなければならなくなってしまったブラジルは、その裏のスペースをこの後突かれることに…。

17分、ボールを受けたマルセロがPA内に進入するもラームがスライディングでボールをはじき出す。
マルセロは倒れるがノーファール、それに怒るマルセロにボアテングがダイブを咎めるかのように抗議して口論になりかけた。

22分、右サイドのミュラーが中央のクロースにパス。オスカルやフッキの守備が緩い上フェルナンジーニョの足が届かず、このパスはカットされなかった。
そのままミュラーは斜め前に走り込みゴール前へ、それに反応したクロースがミュラーにパスを送る。
この時マルセロの位置が悪くミュラーはオフサイドにならず。ミュラーはシュートしにくい体勢であったため目の前のクローゼにパス、クローゼはすかさずシュートするがこれをジュリオ・セザールが弾く。
しかし跳ね返りがクローゼの足下へ転がり、彼の再シュートが決まってドイツ2点目。歓喜のクローゼはグループリーグ・ガーナ戦で失敗した宙返りではなく芝の上をズサー。
これでクローゼはW杯通算16ゴール目を挙げ、この試合を解説者として観戦していたロナウドの目の前で彼の記録を抜き単独トップに躍り出た
一方、流れるようなドイツのパスワークについていけなかったブラジル、ここから彼らにとって悪夢というべき時間帯が始まることになる

24分直前、ボールは中央のクロースからエジルを経由して右サイドをオーバーラップしたラームへ。
ラームが中央にグラウンダーのクロスを入れると、ミュラーはこれをスルー(というか空振り?)、ゴールを背にしたクローゼもスルーしボールは中央PA手前のクロースの元まで転がるが、「とにかく守らなければ」とゴール前に集まってしまっていたブラジルDF陣はこれをカットすることができない。
そのままフリーのクロースはボックスライン上からミドルシュート、ジュリオ・セザールはこれを止められずドイツ3点目となる。本大会ここまで幾つかのアシストを決めていたクロースのW杯初ゴールである。
決定的な差がついたこの得点シーン、ラームに近い位置におりクロスをカットできなかったマルセロや、完全にボールウォッチャーになったマイコンが特に問題視された。

ドイツが得点を決めたため、当然試合はブラジルのキックオフで再開される。
自陣でボールを廻すブラジル、一方国際中継のカメラはたった今ゴールを決めたクロースを捉えていた…ところがそのクロースが敵陣に向かって突然ダッシュし始める
ダンテのパスを受けたフェルナンジーニョから、クロースがボールをあっさり掠め取り、ケディラとのワンツーパスからドイツ4点目となるシュートを叩き込む。この間(キックオフ間も含めて)わずか69秒の出来事であった
NHKの実況に「難なく4点目」と言わしめたほどの、あっという間の追加点。あまりの事態に観客の少年や女性が号泣する様子が映し出された

29分、ブラジルの中途半端な縦へのロングパスを自陣でフンメルスがカット、するとフンメルスはダッシュドリブルを開始し猛進。
ここまでCBとして成果を出してきたものの決してドリブラーとは言えなかったフンメルスだが、何と3人ほど抜き辛うじて前線にボールを供給、瞬く間にゴール前で3対3という状況を導く。
フンメルスからケディラ経由でボールを受け取ったエジルがDFを引き付けてコースを作ったのち、フリーのケディラに折り返す。そしてケディラの打ち込んだシュートはDFらをすりぬけ、ドイツ5点目となった。




何とブラジルは僅か6分間で4失点を喫してしまったのである。




この後もドイツがブラジルゴールに迫る展開がしばらく続く。
一方のブラジルは42分、オスカルがようやくチーム2本目のシュート。しかしこれはドイツ選手に当たってゴールまでは届かず。

1分ほどのアディショナルタイムののち前半終了のホイッスル。
その瞬間、観客からは大音量のブーイングがブラジル選手たちに浴びせられた
短いATはこれ以上恥を重ねたくないブラジル選手への情けだったのだろうか…。



後半


ブラジルはこのハーフタイムを経て、フェルナンジーニョに代えて8番パウリーニョ、フッキに代えて16番ラミレスを投入。
一方ドイツもフンメルスに代えて17番ペア・メルテザッカーを投入した。

前半を大量リードで折り返したドイツは決勝を見据えてかやや省エネ気味の守勢に。そんなドイツに対しブラジルは反撃に出る。
51分にはラミレスがゴール前にパスを送り決定機を作り、52分にはオスカルがシュートを打つも、いずれもノイアーがセーブ。
直後の53分、パウリーニョがゴール前で決定機を迎えるが彼のシュートはノイアーが弾き、跳ね返りを再びシュートするもノイアーはこれもセーブ

ここまでPA外への飛び出しやスペクタクルなセーブが注目されてきたGK兼リベロと名高いノイアー、彼は大量リードをもらっても全く気が緩んでいなかった
この後半早くのブラジルの決定機を全てセーブしてしまい、ブラジルの反撃ムードはノイアーに完全に飲み込まれてしまった

57分、ブラジルのスルーパスをPA外に飛び出したノイアーがカット。そのままラミレスと交錯しノイアーがPA外で被ファウル

58分、ドイツはクローゼに代えて9番アンドレ・シュールレを投入。
前半にW杯個人ゴール記録を更新してピッチを降りたスーパーベテラン・クローゼには観客から拍手が贈られた。

59分、フレッジがPA外からミドルシュートを打つも、ボールには勢いがなくノイアーが難なくキャッチ。
これ以降、観客からはフレッジにブーイングが飛ぶようになった。この理由は後述する。

60分、ブラジルが自陣でミュラーにボールをカットされまたも失点の危機に陥るも何とか抑える。苦笑いするミュラーさんぐう畜
直後の61分、再び決定機を迎えたミュラーのミドルシュートはジュリオ・セザールがセーブした。

その直後、フレッジがボールを持った途端またも観客からブーイングを浴びせられる
本大会のフレッジを振り返ると、初戦のクロアチア戦ではPAで大袈裟に倒れ、西村雄一主審がこれをPKと判定。ネイマールがこれを逆転弾として決めたものの、この判定やフレッジの振る舞いは賛否両論を呼んだ。
続くメキシコ戦は相手GKオチョアが好調であったのもあるが自慢の決定力を活かせず、引き分けながら戦犯扱い。
3戦目ではチームが内紛状態に陥り既にグループリーグ敗退が決まっていたカメルーンを相手にようやくダメ押しのゴールを決めるも、決勝トーナメントのチリ戦およびコロンビア戦いずれもノーゴール。
本試合でもここまでPA内で大袈裟に倒れるシミュレーションプレーが2回あり、ブラジルサポーターの不満が募っていたところであった。
そんな中先程の弱々しいミドルシュートが決定打となり、観客はフレッジを完全に見限っていたのである。

67分、ブラジルの攻撃をカットしたドイツがカウンターを仕掛けゴール前に迫るも、ジュリオ・セザールがPA外に飛び出してカット。
直後ブラジルは反撃、パウリーニョがオーバーヘッドでシュートを狙うもボールは見当違いの方向へ(オフサイドなのでどっちみちダメだったが…)。

68分、ミュラーを倒したダンテにイエローカード。

69分、ドイツはパスを繋ぎ続ける。
PA手前まで来たラームががら空きの右サイドで待つケディラにパス。この時点で相手PA内にドイツ選手は4人、ケディラはPAに進入したラームへパス。ラームは落ち着いてPA中央へパスを出し、そこにシュールレとミュラーの2人が飛び込んできた。
結果、シュールレのシュートが決まりドイツ6点目
自分が決めたと思ったら目の前にシュールレが飛び込んでくる形となったミュラーは少々面喰らった様子であったが*6、アルジェリア戦同様途中交代から結果を出したシュールレのゴールをチームメイトと共に祝福した。
つまり言い換えれば、このシーンにシュールレが存在しなくてもミュラーが高確率で決めていたということであり、アシストのラームやその前のケディラも含め自陣で彼らを自由にさせてしまったブラジル守備陣の対応のマズさが浮き彫りとなった。
またこの得点、ノイアーとヘーヴェデス以外の全選手をパスで経由してのゴールであったことが明らかになった。組織的なパスサッカーを標榜していたドイツの面目躍如といったところである。

71分、国際中継のカメラが映し出したのはなぜかベンチに座っているフレッジだった。
実は先程のゴールの最中、これ以上ブーイングを受けないようにという配慮もあってか、フレッジは19番ウィリアンとの交代で下がっていたのだ。
しかしカメラがフレッジを抜いてしまい、その結果スタジアム内の大型ビジョンに映し出され、途端にブーイングが鳴り響く始末であった。
ちなみにこの交代でブラジルのDFラインには4人アフロが並んでいたりする

76分、ドイツはケディラに代えて14番ユリアン・ドラクスラーを投入。
控えであったドラクスラーはこれが本大会初出場。これを「余裕の交代」「思い出交代」と評する声もあり、
ブラジルにとっては少なからず屈辱的な采配であったのかもしれない。

77分、ダビド・ルイスとミュラーがマッチアップするが、ダビド・ルイスがミュラーにボールを蹴りつけるような仕草を見せ、これにミュラーが激昂し一時口論となった。
ダビド・ルイスは両手で指を6本出し「お前ら6点差だぞ!?」と言っているかのような様子であった。

79分、左サイドの高い位置でミュラーがロングスローインを直接受ける。
シュールレがニアサイドのPA内に向かって走り込んできたためミュラーは彼に向けて浮き球を出す。このクロスパスは少々精度を欠いていたが、フリー同然のシュールレにはこれで十分であった。
シュールレは跳び上がってボールをトラップしシュート、これがジュリオ・セザールの頭上、クロスバー直下を打ち抜きドイツ7点目
事ここに至り苦悶の表情を浮かべるジュリオ・セザール。一方ブラジルサポーターはこのシュートにスタンディングオベーションで応え、この後もドイツのパス回しにオーレの大合唱で応えるという有様。
ついにブラジルサポーターも壊れてしまった…

81分にはマルセロ、85分にはラミレスのシュートがあったがいずれも失敗。
その後もブラジルは攻め続けるも決定力を欠きネットを揺らすことができずにいた。

89分にはあわやシュールレの3点目(ハットトリック)かというチャンスがドイツに訪れた。

90分、ドイツのカウンターから最後はスルーパスでエジルがジュリオ・セザールと1対1になり、シュートするも枠のギリギリ右。
このシュート失敗に関して、「8点目を外すエジルの優しさ」「エジルはプレミアで情けをかけることを覚えた」と反応する声があった。

そのゴールキック後、オスカルが敵陣でロングボールを受ける。この時ドイツ選手で帰陣していたのはボアテングただ1人。オスカルはボアテングをかわしシュート、これが決まってようやくブラジル1点目
大差の試合の終了間際であったからか、さすがのドイツもここだけ弱さを見せてしまった。最後の最後でクリーンシート(無失点試合)を逃してしまったノイアーは味方に激怒
ようやく一矢を報いることができたブラジルだったが、この点差の前ではあまりにも遅すぎた反撃であり、オスカルにも笑顔はなかった。


2分近くのATののち試合終了のホイッスル。


スコアボードには1-7という、強豪同士の対戦としてはにわかには信じがたい数字が記されていた…。




試合終了直後、神に懺悔を捧げるブラジル選手たち。
直後カメラが映し出したのは握手を交わすスコラーリ監督とクローゼ選手。2002年大会決勝の勝者と敗者であった彼らであるが、12年の時を経てその立場が逆転した。

3大会振りの決勝進出を果たしたドイツ。しかし過去に決勝進出を決めた選手たちとは異なり、ドイツ選手たちは決勝進出の喜びをさほど露にしなかった
試合に最善を尽くした結果、ホームチームに大差で勝ってしまった選手たち。このスコアに驚いたのは彼らも例外ではなかった。
バイエルン所属のダンテのもとには特に多くのドイツ選手が集まった他、77分に揉め事を起こしたダビド・ルイスとミュラーも和解を込めた握手を交わした。
試合を客席から見守っていたチアゴ・シウバの表情は険しく、オスカルは彼の腕の中で泣き続けていた。
文藝春秋のスポーツ雑誌NumberのブラジルW杯総集編の表紙には、ピッチに倒れ込んで顔を覆うオスカルと彼に手を差し伸べるラームの写真が採用された。

本試合のマン・オブ・ザ・マッチは7ゴールのうち実に3~4点に関わった(1点目をアシスト、2点目にも貢献、3点目と4点目を69秒間で立て続けに決めた)トニ・クロースであった。


このあまりにも衝撃的な本試合は、マラカナン同様試合会場のエスタディオ・ミネイロンに因み"Mineiraço(ミネイラッソ)"と呼ばれるようになった。
マラカナッソ同様、直訳するとさしずめ「ミネイロンの衝撃」といった意味となる。
一方日本語での呼称として「ベロオリゾンテの悲劇」「ミネイロンの悲劇」など幾つかの表現が用いられたが、一時リードしていたマラカナンの悲劇とは異なり一方的な大敗で「悲劇」より悪い事態であっただけに、NHK実況も「悲劇を通り越して惨劇」と評したことが決定打となり、「ミネイロンの惨劇」という呼称が定着することとなった。


本試合のスタッツは以下の通りである。

ブラジル ドイツ
得点 1 7
シュート 18 14
枠内シュート 8 10
ボール支配率 52% 48%
コーナーキック 7 5
ファウル 11 14
オフサイド 3 0
警告 1 0
退場 0 0

前後半の合計だけで見れば得点差とオフサイド以外に際立った差異はないが、
ブラジルのシュート決定力の乏しさ(+ノイアーの超人ぶり?)に加え、ブラジルがドイツ選手のオフサイドを1回も取れなかったのはポジショニングのマズさがあったのかもしれない。




こうして、ブラジルのサッカー史に消すことのできない傷が残ってしまった…。





関係者や各界のコメント


ブラジル


  • ルイス・フェリペ・スコラーリ(ブラジル代表監督)
「消極的なミスをした我々を許してほしい」
「すべての責任は私にある。6分間で4ゴールなんて普通じゃ起こりえないことだが、起きてしまった。この結果にはドイツ代表ですら驚いていた」

  • ダビド・ルイス(ブラジル代表DF)
「僕はただ、みんなに幸せを与えたかった。残念ながら、僕らはそれができなかった。みんな、申し訳ない。ブラジルのすべての人たちへ、申し訳ない。僕はみんなが笑顔になるのを見たかった。それが僕にとっていかに大事か、みんなが知っている。たとえただのサッカーであってもね」
「ドイツの方が良かった。彼らはより良い準備をし、より良いプレーをした。僕らは6分で4失点してしまったんだ。僕らにとっては非常に悲しい日だ。でも、僕らは大きな教訓を得た」
「今、何があったのかを説明するのは難しい。夢の終わりだ。望んでいた形ではないけどね。僕は人生で常に男であることを学んできた。何からも逃げない。きちんと受け止める。いつか、この人たちに幸せを与えたい」
彼はインタビューの最中も人目を憚らず、泣きながら謝罪している。

  • ジュリオ・セザール(ブラジル代表GK)
「彼らの方が強かった。それを認めなければいけない。最初のゴールで僕たちはすべて止まってしまった。ドイツにおめでとう、僕たちに言える唯一のことだ」
「1-7で負けるより、自分のミスで0-1で負けた方が良かった。でも、チームは強い。選手は自分たちの顔を上げる術を知っている」
「僕はここに戻るために頑張ってきた。自分の国で開催されるW杯でプレーする機会をもらい、神様に感謝している。ブラジルのみんなのサポートに感謝している」

  • ダニエウ・アウヴェス(ブラジル代表DF)
「僕らは今も、何が起こったのかを理解しようとしている最中だ。これがサッカーというものなのだろうか。たった数分間で敗退が決まる。これが僕らの身に起こったことだ」

  • オスカル(ブラジル代表MF)
「説明することは難しい。何と言えばいいのか分からない。僕らにできるのは謝ることだけ。誰もこんなことは期待していなかった」

  • ネイマール(ブラジル代表FW)
こんなク●みたいな試合見たくない。ポーカーでもした方がマシだ
負傷離脱していた彼はこの試合をテレビで観戦していたが、チームのあまりの惨状に自棄になってこう言い放ったという。

  • ペレ(元ブラジル代表FW、1958年・1962年・1970年大会優勝メンバー)
「サッカーはびっくり箱のようなもので、このような信じがたい出来事が時々起きる」

  • ロマーリオ(ブラジル上院議員、元ブラジル代表FW、1994年大会優勝メンバー)
「ブラジルの連盟幹部は刑務所に入るべき」
氏は元々過激な発言が多いことでも有名である。

  • カフー(元ブラジル代表DF、1994年・2002年大会優勝メンバー*7)
「ドイツ戦の大敗からブラジル代表が学んだことは何もなかった。4バックが機能しておらず、センターバックとボランチの関係もかなり悪かった。仮にチアゴ・シウバがいたとしても結果はたいして変わらなかっただろう。
あの試合、ドイツに3点目を取られた時点で私はブラジル代表の負けを悟った。非常に組織化されたドイツを相手に、あの日のブラジル代表が3点以上を奪うことは不可能だと感じたからだ」

「私自身は1998年の決勝で開催国フランスに0 - 3で完敗した。あのとき私はものすごく悔しかったが、ミネイラッソで感じた悔しさはあのときの比ではない
ブラジル代表が抱える世界との差が何なのかを冷静に分析して正しい対策を講じなければ、ブラジルサッカーのレベルは毎年下がってしまうだろう。(次期監督の)ドゥンガには是非ブラジル代表をゼロから作り直すくらいのショック療法を期待したい」

  • ジュニーニョ・パウリスタ(元ブラジル代表MF、2002年大会優勝メンバー)
フィジカル優先主義は選手の力を制限している。われわれはブラジルの最大の強みを忘れてしまった。 それは創造性あふれる中盤だ」
「立ち直るのは難しい。何人かの選手は、大会が終わったらもう2度と代表のユニホームを着ないだろう。今選手を批判するのは間違っている。
ピッチ上で、ドイツは私たちにサッカーのやり方を教え込んだ。ブラジルはそこから学ばないといけない」

  • リバウド(元ブラジル代表MF、2002年大会優勝メンバー)
「上手く説明できない。全てのブラジル人に取って受け入れがたい落胆だ」

  • ロナウド(元ブラジル代表FW、1994年・2002年大会優勝メンバー)
「信じがたい。悲しく、とてもつらい。こんなひどい試合は二度と見ることができない。失点後、中盤で相手にスペースを与え、組織は崩壊していた

  • ジア紙
地獄に行くのはお前だ、フェリポン!
スコラーリ監督が自らの振る舞いを批判された際に「私は自分のスタイルでやっている。気に入らない者は地獄に行けば良い」と発言していたことを受けて、このような過激な見出しで指揮官を断罪した。
ブラジルチームへの選手採点は全員が0点、スコラーリ監督に至っては前代未聞のマイナス10点と、その凄絶な怒りを露にした。

  • エストラ紙
一面にマラカナンの悲劇の被逆転ゴールのシーンを用い、
「これまでブラジルサッカー界最大の恥辱として批判され続けてきた1950年の準優勝メンバーにおめでとうを言いたい。昨日我々は本当の恥辱とは何かを知った
と、逆説的に現役の代表を皮肉った。選手採点についてはジア紙と同様の全員0点、その寸評は全員に共通して「1対7というブラジルサッカー史上最悪の赤っ恥に関わった」であった。

  • ランセ紙
試合翌日に発行された本スポーツ紙の一面は何とほぼ白紙






その下段には
怒り、混乱、痛み、落胆、いら立ち、恥、悲しみ。 あなたの気持ちを教えてほしい。そしてあなた自身のランセの一面を作ってほしい
と記されていた。
本紙の選手採点は3名の記者によるクロス採点で、セレソンに対し上記2紙のような過激な評価はしなかったものの3人中1人はほぼ全員に0.5点をつけ、試合終了間際に一矢を報いたオスカルが唯一1点。スコラーリ監督には2名が0点をつけた。

  • オ・エスタード・デ・サンパウロ紙
「ホームでの屈辱」「国を混乱に陥れた」

  • フォーリャ・デ・サンパウロ紙
「史上最悪の負けを喫したセレソン」
「1950年にウルグアイに1-2で敗れたのは悲劇的な出来事だったが、2014年の敗退は屈辱に満ちたものだ」

  • ジルマ・ルセフ(ブラジル連邦共和国大統領)
「全国民のように、敗北に深く悲しんでいます」
今回のW杯に巨額を投資していたことで大きな批判を受けていた大統領であったが、ブラジルが勝ち進むことでその動きも沈静化しつつあった。(代表が優勝すると大統領がそれを利用するから優勝して欲しくないと発言するブラジル国民も現れてはいたが)
しかし本試合で破滅的大敗を喫したことで大統領への批判が再燃、来賓として観戦していた決勝では試合に盛り上がるドイツのメルケル首相の横で終始仏頂面、観客からはブーイングも浴びていた。内心ブラジルのV逸を悲しんでるというよりは苦々しく思っているのかもしれない…。


ドイツ


  • ヨアヒム・レーヴ(ドイツ代表監督)
「我々の実力を出せば勝てることは分かっていたが、ここまでのスコアは考えてなかった
「多くのサポーターが見守る中、これだけの大差はショックだろう。彼らは失点以降ナーバスになり、ロングボールを多く使うようになり、組織的な守備が出来なくなっていった」
我々も2006年に(母国開催で優勝を逃すという)同じ経験をしたから、ブラジルの方々の気持ちは理解できる
大きな落胆だろう。見事にW杯を運営し、情熱的でフレンドリーな彼らにとってもこれは消化するのは難しいはずだ」

  • トーマス・ミュラー(ドイツ代表MF)
「もちろん、こんな大差になるとは思わなかった。ブラジルは守備的なチームではないから、僕たちはそこを生かしてプレーできた」
「(ハーフタイムに)ロッカールームで『後半は傲慢なプレーで相手に屈辱を与えることはせず、普通にサッカーをしよう』と選手が自主的に話した。あの状況では当然のことだと思う」
「少しおかしいけど、バランスを維持しなければいけない。どの試合も同じではないね。(延長戦の末に勝った)アルジェリア戦では試合後にみんなが僕たちを非難した。僕たちは大きなクオリティーを持つチームだよ」

  • アンドレ・シュールレ(ドイツ代表FW)
「僕がピッチに入った時、すでに5-0だった。ブラジルの選手は疲れて、『もうプレーしたくない』という状態になっていたよ」
「彼らは非常に悲しみ泣いていた。彼らには、新シーズンにチェルシーで僕達が何か大きなことをやると伝えたんだ。それでも、ああいった時は彼らは何も聞きたくなかった」

  • ビルト紙
「稲妻のドイツ代表が7–1の狂喜をもたらした」
本紙は試合後の採点で全てのドイツ出場選手に最高点の"1.0"をつけた
それは途中出場のうちメルテザッカーや2ゴールを決めたシュールレのみならず、今試合でW杯初出場の実績を解除しただけでさほどインパクトを残さなかったドラクスラーさえも例外ではなかった

  • フランツ・ベッケンバウアー(元西ドイツ代表DF、元西ドイツ代表監督、1974年大会優勝メンバー、1990年大会優勝監督)
「なんだあれは? 信じられない」

  • ユルゲン・クリンスマン(アメリカ代表監督*8、元ドイツ代表FW、元ドイツ代表監督、1990年大会優勝メンバー)
「ドイツが今日W杯の歴史を作った。とてつもない偉業だ。誇らしいよ」

「(ブラジル人たちは)試合後に泣いてばかりで、自国開催の重圧に耐えうる力がなかったのだろう」

  • ディートマー・ハマン(元ドイツ代表MF、2002年大会決勝出場)
「最上級のドイツ。冷静で、組織立っていて、ハードワークをし、献身的で謙虚だった。チームをとても誇りに思う。あと1つだ」


その他


「だから俺は言っただろ、ブラジルが優勝することなんて無いと。この試合前もドイツの方が強いと言い続けていた。
あいつらはこの大敗で、強豪国としてのイメージは失墜した。俺たちが優勝する前座の3位決定戦では頑張って欲しいがな」

後日、決勝でアルゼンチンがドイツに敗れた後、マラドーナは
「自チームから7点も奪ったチームを応援するブラジル人サポーターの勇気は素晴らしいことだ。
俺たちは1失点で敗れたが、あいつらの7ゴール奪われたという記録は世界中の誰もが忘れないだろう」
とコメントした。本大会中、ブラジル観客から南米のライバルと目されるアルゼンチンに向けてブーイングが飛び続けていたことへの皮肉である。

「胸が張り裂けそうなほどに、彼らに同情する」

「もう半世紀近くサッカーを見てきたが、私が観戦した中でもこれが最も桁外れで、圧倒的で、途方に暮れる試合だ」

  • リオ・ ファーディナンド(元イングランド代表DF)
「ブラジルの選手が2度と立ち直れないのではないかということが心配だ。もう復活できない選手も何人かいるのではないだろうか

  • ビセンテ・リザラズ(元フランス代表DF、1998年大会優勝メンバー)
「屈辱的な、最悪の敗戦だ。私自身も気後れしている。彼らと一緒に苦しんでいるからだ。ブラジル代表のW杯は台無しになった」

  • ミック・ジャガー(イギリスのミュージシャン)
W杯では彼が応援したチームが負けるというジンクスがあり、前回大会では彼の母国イングランドを初めとしてアメリカやブラジル、今大会では母国イングランドやイタリア、ポルトガルなどがグループリーグ敗退と、スタジアムで観戦していなくてもミックがコメントしただけで負けるとすら言われるほどの厄病神扱いであった。
今の妻がブラジル出身である彼は彼女と息子と共にミネイロンにも訪れていたが、ジンクスをたいそう気にしてか対戦国ではなく既に敗退したイングランドのキャップを被っていた。ブラジルサポーターの中にはミックの写真パネルに「Go Germany!」と吹き出しが付いたパネルを持ち込む者が現れた。
ブラジルの大敗を受けて地元テレビ局は彼のジンクスの犠牲になったと報道したが、ミック本人はサン紙のインタビューに
「ドイツの1点目は僕のせいでもいいけど、あとは知らないよ」
とコメントした。

  • セルジオ越後(サッカー解説者、元サッカー選手、日系ブラジル人)
「ブラジルは、国内に『決勝に行かなければならない』という雰囲気が充満していた。その上、チリ戦での劇的なPK勝ちもあり、国全体がイケイケムードで守備的な戦い方が許されない感じだった
「ブラジルにとっては中途半端に負けるより惨敗した方が、一からチーム作りをやり直せて良かったと思う。 過去の歴史を過信していたわけだから」
辛口批評でお馴染みの氏も母国の惨敗に関してはトーンダウン気味であった。

  • 小柳ルミ子(歌手・女優、海外サッカーファン)
「ブラジルがワースト記録の惨敗。信じられない。私は観てて目眩がした
「ディフェンスは崩壊し、誰一人として身を呈し命懸けでボールを追わなかった。その証拠にユニホームが汚れもせず綺麗なままだった

  • 日本のネットユーザー
過去にこういった大差の試合があるたびに「夢のスコア」「無慈悲なスコア」「炭鉱スコア」「サウジスコア*9」「サカつくスコア」などと命名してきた日本のネット民。
この試合の結果を受けどういう名称が与えられるのかと議論(?)になったが、試合終了直後中継映像に流れる公式スコアテロップの得点者であるMUELLER、KLOSE、KROOS、KHEDIRA、SCHUERRLEの5人の表示がスクロールしていたことからスクロールスコアという呼び方が定着した。


この試合で生まれた記録


W杯記録

  • W杯開催国の最多失点タイ記録(1954年大会オーストリアのスイス戦、5-7で敗北)
  • W杯開催国の最大得点差での敗戦(旧記録:2010年大会南アフリカのウルグアイ戦、0-3での敗北など3試合)
  • W杯準決勝以降での1試合中最多得点・7点(旧記録:1954年大会西ドイツ対オーストリア戦など4試合での6点)
  • W杯準決勝以降での最大得点差・6点(旧記録:1954年大会西ドイツ対オーストリア戦での6-1など3試合)
  • W杯での前半終了時点の最大得点差・5点(旧記録:2002年大会ドイツ対サウジアラビア戦、前半終了時4-0…所謂サウジスコアの語源)
  • W杯でキックオフから連続4ゴールの最速記録・6分(旧記録:1954年大会オーストリア(スイス戦)および1982年大会ハンガリー(エルサルバドル戦)の7分)
  • W杯でキックオフから連続5ゴールの最速記録・29分(旧記録:1974年大会ユーゴスラビア(ザイール戦)の30分)
  • ドイツ代表、最多W杯決勝進出・8回
  • ドイツ代表、最多W杯通算223得点(決勝戦含め通算224得点。本試合でブラジル代表の221得点から更新)
  • トニ・クロース、W杯での最短個人連続ゴール・69秒
  • トーマス・ミュラー、3人目のW杯2大会それぞれでの合計5得点以上(過去の達成者はテオフィロ・クビシャスとミロスラフ・クローゼ)
  • ミロスラフ・クローゼ、最多W杯個人通算ゴール・16得点(旧記録:ロナウドの15得点)
  • ミロスラフ・クローゼ、最多W杯準決勝出場・4回(旧記録:ウーヴェ・ゼーラーの3回)
  • ミロスラフ・クローゼ、W杯出場試合での最多勝利タイ記録・16試合(決勝出場も含めて17勝。旧記録:カフー)


ブラジル

  • W杯での1試合中最多失点(旧記録:1938年W杯ポーランド戦での5失点、同試合は6-5でブラジルが勝利)
  • 代表ホームでの最大得点差による敗戦(旧記録:1939年コパ・ロカでのアルゼンチン戦、1-5での敗北)
  • W杯での最大得点差による敗戦(旧記録:1998年W杯決勝フランス戦、0-3での敗北)
  • 最大得点差による敗戦タイ記録(1920年コパ・アメリカのウルグアイ戦、0-6で敗北)
  • W杯での最多合計失点タイ記録・11失点(後述の3位決定戦も含むと14失点。旧記録:1938年W杯)
  • ホーム連続無敗記録が62でストップ(1975年コパ・アメリカでペルー戦、1-3で敗れて以来)
    • このペルー代表に敗れた試合の会場もミネイロンであった
  • ジュリオ・セザール、ブラジル代表GKのW杯における最多合計失点タイ記録・15失点
    (3位決定戦含むと18失点。旧記録:クラウディオ・タファレル)


ドイツ

  • トーマス・ミュラーのゴールはドイツ代表全体の累計2000ゴール目
  • ブラジル代表戦での最大得点差による勝利(ドイツ統一後の旧記録:1993年、2011年の親善試合における+1点差)



どうしてこうなった?

ブラジル


ネイマールとチアゴ・シウバの不在が直接の原因になったことは疑いの余地がないが、この大敗はブラジル代表が抱えていたいくつもの問題をも浮き彫りとした

ネイマールは決定力だけでなくキープ力にも優れており、彼がボールを持つ間に他の選手がフォローに入り攻めの形をつくることができた。
そして彼にはスピードもあり、それはドリブル突破だけでなく守備への切り替えの速さにも活きていた。その彼がラフプレーの犠牲になったことで、セレソンは攻めの要のみならず守りの要も失うこととなった。

チアゴ・シウバはCBとしての個の実力だけでなく統率力もあり、彼の指揮の下ブラジル守備陣は機能していた。
しかし彼をも欠いた本試合では、GKジュリオ・セザールはコーチングができず、右CBダビド・ルイスは攻撃面で貢献する方に気持ちがいってしまい、守備組織を築くことができなかった。
チアゴ・シウバに代わり主将の重責を負うことになったダビド・ルイスだが、責任感の強い彼はネイマールの穴を埋めるべく攻撃面で貢献しようとするあまり自分の裏にスキを作ってしまった。
ヒートマップを見ると左CBダンテの側は色濃く、一方ダビド・ルイスの側はがら空きであり、事実ドイツの得点の多くはダビド・ルイスの側から決められていた。
普段は陽気な性格だが試合後はインタビューを受けながら目を真っ赤にして泣きはらしていたダビド・ルイス。彼に背負わせた物はあまりにも重すぎたのかもしれない…。

チアゴ・シウバに代わり左CBに入ったダンテ。
結果的にはバイエルンでのチームメイト達にボコボコにされる形となってしまったが、これは控えであった彼の実力不足と言うよりは、攻め上がってDFラインをバラバラにしたダビド・ルイスの尻拭いに追われた結果という印象である。
あとは(マイコンやフェルナンジーニョにも言えることだが)動揺して対応を誤るなど本来の実力が出せなかったいうことだろうか。

左SBのマルセロはかつてのロベルト・カルロスを想起させる攻撃参加が魅力であるSBであり、守備も改善傾向にあったことでクラブでも代表でもレギュラーの座を獲得していた。
しかし彼の裏のスペースはドイツに幾度も突かれ、更に劣勢になったことで彼も動揺したのか守備面で適切に対応することができなくなってしまった。
なお、彼が対応しなければならないドイツの右サイドにはクラブでも代表でも連携の取れた名コンビ・ラームとミュラーのホットラインがある。
味方のディフェンスが緩く、試合中彼単独でラームとミュラーの対応を強いられるシーンがあったが、はっきり言ってその時点で詰んでいたと言わざるを得ない。

GKのジュリオ・セザールは3位決定戦を含めた今大会の7試合で14失点という不名誉な成績を残してしまった。
2010年大会では準々決勝オランダ戦でスナイデルの蹴ったロングボールへの対応を誤ったことで同点に追いつかれ、敗退の戦犯となってしまったが、今大会チリ戦でのPKストップによりその汚名を返上したかに思われた。
先述のようにコーチングができなかったのは彼の落ち度であるが、本試合での7失点のほとんどは彼にどうにかできるようなものではなく、そうした意味では最も憐れだった選手かもしれない。


チーム全体としても、貴重なスター選手に依存しきりだった選手層の薄さは指摘せざるを得ない。
2002年大会でロナウド・リバウド・ロナウジーニョの3Rと呼ばれた攻撃陣が旋風を巻き起こし優勝したブラジルに限らず、W杯に優勝するチームは得てして違いを作れる選手を複数抱えているものである
しかし本大会のセレソンはそういった創造性豊かな選手がネイマールしかおらず、過去の優勝チームと比較してやや小粒なメンバーであることは明らかであった。

もちろん、CFのフレッジは2013年のコンフェデレーションズカップで5得点を挙げブラジルの優勝に大きく貢献しており、フッキやオスカルも含め、実力を発揮できればネイマールの穴を埋め、ドイツと好勝負を演じる可能性もありえたのかもしれない。
ところが本大会ではネイマール以外の攻撃陣は総じて不調と言わざるを得ない出来であった。
CFの控えであるジョーも、本大会で決勝トーナメント初戦のチリ戦に途中交代で出場し、後述の3位決定戦では先発出場したが、あまり言葉は良くないが総じて役立たずであったことも付け加えておく。

ネイマールが欠けた途端にチームが目に見えて弱体化したことは、それほどまでに属人的な戦術をとったスコラーリ監督の采配が招いた事態であることは否定しがたい。
だがこうした「戦術ネイマール」も、層が薄いと言われたセレソンの現状下で優勝を目指すために最も確実な選択だったことは想像に難くないし、
実際その苦心の産物が当たったからこそ、何より目先の勝利が優先されるW杯をなんとか準決勝まで勝ち上がることができた。

しかし、現にネイマールがいて勝つのも一苦労だった以上、ネイマール不在に備えておく余裕など到底無かったであろう。
ネイマール負傷からミネイロンの惨劇までは僅か4日、チーム全体を修正するにはあまりにも時間がない。
試合内で修正すべき立場のチアゴ・シウバも同試合で出場停止という最悪のおまけつきである。
層の薄さは、ブラジルに特定戦術・選手への依存という危険な状況を生み出し、その危険性がミネイロンで噴出した。


どんな強豪国でも才能ある選手はある日急に空から降ってくるものではなく、ドイツなどのように確実に育て上げるものである。
こういったスタンスこそ、ブラジルに限らず日本も含め国際舞台での成績が伸び悩んでいる国が模倣すべきものなのかもしれない…
この点はチーム外、ブラジルサッカー界の問題点にもつながってくる。ジュニーニョ・パウリスタが指摘していたフィジカル優先主義などである。
当時のブラジル各クラブは将来欧州クラブへ選手を輸出することを見据え、フィジカルアビリティに優れた選手を優先的に育てる傾向があり、このことがネイマールやかつての3Rのような創造性豊かなテクニシャンの登場を妨げたという見方がある。
ブラジル在住時のネイマール(FCバルセロナ移籍前)は、サントスFCでテクニック重視の育成方針のもとで育ってきたというのだから少々皮肉な話である。
また、ブラジルのプロクラブは全国リーグ、クラブカップだけでなく州リーグでの試合日程も同時に課されており、これが過密日程を招いたことで試合レベルの低下や選手の負傷の増加に繋がっているという。
その他にも都市の開発が進んだことで子供たちがストリートサッカーでテクニックを磨く場所がなくなったりと、ブラジル社会の中にも複合的な要因が存在するようである。


併せてメンタルの問題にも言及する必要がある。
サッカー王国のプライドからか常々セレソンには多くのことが要求されるが、今回は母国開催のW杯ということでそれが極致に達していた。
母国での優勝、相手を圧倒する攻撃的なサッカー、すべてはマラカナンの悲劇を払拭するため…オリバー・カーンも指摘する通り、選手たちはそれらの重圧に耐えられていなかった。
それはチリ戦でPK戦を制し辛うじて逃げ切った際に選手たちが涙を見せたことからも明らかであり、ミネイロンではそこにネイマールとチアゴ・シウバの不在、先制されるゲーム展開が重なり彼らのハートは完全に壊れた。
4点を失ったあの6分間、守備面で適切な対応を取れなかった所以は選手たちの実力不足ではなく、動揺の二文字に他ならない。
すなわち、ブラジル国民も意識を改めなければいけない。ブラジルはセレソンに多くを期待し過ぎた。そして、それはかえって選手の足を引っ張ることになった
例えばブラジル国民は相手を圧倒する攻撃的なサッカーを好むが、ネイマールが倒れ、他のFWも活躍が覚束無い状況でドイツ相手にそれを期待するのは無理があった。
本来ならばあの状況ではブラジルはドイツの実力に対する自チームの状況を認めて守備的に戦った方が、例え負けるにしてもあのような大差にはならなかったであろうが…国民の過度な期待が、そのような戦い方をついぞ許さなかったといえよう。

突き詰めると、セレソンを妨げた根源はサッカー大国のプライドなのではないだろか。
過去の輝かしい実績が国全体に根付いているからこそ、選手育成などの本質的な所がおざなりになり、国民や社会も選手を適切にサポートできなくなっていた。
確かにブラジルは過去5回W杯を制し、それは未来永劫消えることのない事実である。
しかし今、W杯のトロフィーを勝ち取るためには、そのような過去は関係なしに今の現実に即した対応が求められるのである。



ドイツ


ドイツサッカーは地に足のついた選手育成により本大会で多少の負傷者が出た程度では揺らがないほどの厚い選手層を実現させ、大会に向けて組織的な戦術をクラブチーム並みに浸透させるなど余念のない準備に取り組んだ。
ブラジル戦に臨むにあたっても、攻め上がったDFの裏をつくなど徹底したチーム対策をとっていたようである。
そして試合ではリードした後も、選手たちは俺が俺がとエゴイズムを剥き出しにすることをせず、さも試合が0-0で動いてない時のように各自が得点をするために最良の選択をとっていった

マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたトニ・クロースは、相手のマークが甘いのをいいことにやりたい放題やったという印象だが、本大会を通してワールドクラスの価値があることを世界中に示した。
2010年大会にも弱冠20歳で出場したが大きな成果を挙げられなかった彼は、この試合後も成長を遂げることになり、本大会の分析システムによる自動採点「カストロール・インデックス」にて全選手中最高評価の9.79を記録した
大会後鳴り物入りでレアル・マドリードCFに移籍した彼は入団早々レギュラーの座を掴み、本大会同様の高いパス成功率を記録し続けている。

ゴールキーパーのマヌエル・ノイアーは前半ほとんど仕事がないままいきなり5点ものリードをもらう形となったが、後半でも全く集中力を切らしていなかった。後半早くに訪れたブラジルの決定機を全てセーブし、どれほどリードを抱えていようがゴールは明け渡さないという意思を決然と示した。
そして試合終了間際、味方が気の緩みを見せたためクリーンシートを逃したことに激怒したことからも、彼のゴールを守り切ることへの執念が窺える。

戦況に関係なく、各自がなすべき仕事を機械のようにほぼ正確にこなしたドイツ選手たち。
そんな彼らの振る舞いを見ると、かつてのドイツ代表によく言われていたゲルマン魂の精神がこの時も根付いていたと思わざるを得ない。


両国の比較


今回の両代表を比較してみると国際経験の面でも決定的な差があった。
これは選手層の厚薄とも重なる話である。

本大会のブラジル代表23人には、代表キャップ数(代表としての出場試合数)が100を超える選手がひとりもいない。そればかりか2010年大会を経験した選手は5人のみであり(ジュリオ・セザール、マイコン、ダニエウ・アウヴェス、ラミレス、チアゴ・シウバ)、うちレギュラーに定着していたのは今試合にも出場したジュリオ・セザールとマイコンのみ、チアゴ・シウバはただでさえ出場機会も少なかった。
つまりW杯での戦い方を知っている選手がほとんどいなかったのである。
23人の多くは大会前年のコンフェデレーションズカップを制した経験があったが、地球最大規模のスポーツの祭典であるFIFAワールドカップは別格かつ独特の雰囲気があり、W杯自体の空気の味を知らないというのも十分な不利になりえたのである

一方ドイツ代表に目を向けてみると、主将ラーム・ベテランのクローゼ・10番ポドルスキ*10・長身CBメルテザッカー*11・副将格のシュヴァインシュタイガーの5人が代表100キャップ越えで、彼ら5人は全員2006年大会(うちクローゼは加えて2002年大会)にも出場していた。
キャップ数だけ見ればその他の選手はほとんどが50以下であるが、彼ら5人に加えノイアー・エジル・ミュラー・ケディラ・ボアテング・クロースの合計11人が2010年大会のピッチを踏んでいた。このようにW杯経験ではブラジルの遥か上を行っていたのである。
大会期間中ドイツ選手たちは合宿地で4つのコテージに分かれて過ごし、各コテージのリーダーはラーム・シュヴァインシュタイガー・メルテザッカー・クローゼの4人が務めたという。
これにより経験豊富な彼らの精神が全選手に浸透したのだろうか、本大会ではW杯経験組はもちろんシュールレやフンメルスなど初出場組も成果を出したことで悲願の優勝へと突き進むこととなる。



その後の両代表


ブラジル


優勝の夢が破れたブラジルは3位決定戦へと回ることに。主将チアゴ・シウバが復帰した他、負傷したネイマールもユニフォーム姿でベンチに姿を現し、観客が一体となる試合前の国歌斉唱もこれまでと変わらず…と良い雰囲気を取り戻しつつあった。
一方対戦相手のオランダは準決勝から中2日という試合日程だったこともあり、ファン・ハール監督や一部の選手たちが3位決定戦の存在自体に疑問を呈しており、モチベーション面での不安があった。

ところが、試合は開始から2分も経たないうちにいきなり下り坂に陥る。
スピードに乗ったオランダの快足ドリブラー・ロッベンがパスを受けてペナルティエリアに進入、チアゴ・シウバがロッベンの肩に手をかけていたためロッベンは倒れ、主審はPKの判定、チアゴ・シウバにはまたもイエローカード。
ブラジル選手は「PAの外だろ!」、オランダ選手は「レッドだろ!」と言わんばかりに両陣営は主審に抗議した。
この判定に関しては、チアゴ・シウバがロッベンに手をかけたのがPA外でロッベンが倒れたのがPA内であり
「本来ならチアゴ・シウバを一発退場にしPA外からオランダのフリーキックとする方が適切であったが、主審が開始2分でホームチームの主将を退場にして試合を壊すよりはイエロー+PKという裁定にした」と考察する向きもあった。
ともかく、このPKをオランダ主将のファン・ペルシが決め、試合開始3分でオランダに先制されてしまった

続いて17分、クロスをゴール前でダビド・ルイスがクリアしたものの、ボールの飛んだ先には完全フリーのオランダSBブリントがいた。ブリントは落ち着いてゴールを決め、オランダのリードが2点に広がる
ボランチ*12か誰か、マークにつくべき選手が誰もマークにつかなかったせいで悠々とゴールを決められてしまい、ミネイラッソと同様のミスを犯してしまったと言えよう。
その後のブラジルの攻撃はやはりというか決め手を欠く。
後半には攻撃陣でひとり気を吐いていたオスカルがPA内で相手選手と接触して倒れ、PK獲得かと思った観客は一瞬沸くも、主審はシミュレーションと判定しオスカルにイエローカードという場面もあった。
後半アディショナルタイムにはオランダの若手ワイナルドゥムがゴールを決めて0-3、ワイナルドゥムの笑顔がやたら印象に残る。この場面でもブラジルDF陣はしっかりマークにつけていなかったようである。

こうして惨敗が濃厚となったブラジル陣営にトドメを刺すかのような出来事が起こる。
試合終了直前、オランダ陣営が選手交代で正GKのシレッセンに代えて控えGKのフォルムを投入した。
フォルムは今大会のオランダ代表選手23人中唯一出場機会がなく、この交代によりオランダは登録選手全員出場という初の記録を達成した。
当然オランダとしては優勝に手が届かなかった本大会を良い形で終えたいという思いからの交代であろうが、この「思い出交代」を許しても手も足も出なかったブラジル陣営にとっては心の折れそうな光景であったに違いない

そのまま0-3で試合終了。

チアゴ・シウバが復帰しながらの完敗。
確かに1点目ではPKを与えてしまったが状況的に止むを得ないプレーとも言える上、2点目と3点目は彼の責任とは言い難い。
ともかくブラジルはネイマール脱落から急転直下、2試合で1得点10失点、1940年以来のホームでの連敗…母国での大会はまたもや、あまりにも惨めな結末に終わってしまった。

大会後、7月15日にスコラーリ監督が辞任、後任の監督には2006年~2010年にも代表を率いた闘将ドゥンガが就任した。
しかし、2018年W杯南米予選での苦戦や2016年のコパ・アメリカ・センテナリオでのグループリーグ敗退もあり(エースのネイマールはリオデジャネイロオリンピックに参加するため代表入りしていなかった)ドゥンガもまた2016年6月に解任された。


ドイツ


3大会ぶりの決勝進出を果たしたドイツは優勝を懸けて当代の天才リオネル・メッシを擁するアルゼンチンと対決。
延長戦まで120分の激闘の末1-0で勝利し、4度目の栄冠に輝くと同時に、ドイツ統一後初優勝・南アメリカ開催での欧州勢初優勝を達成した。来賓のメルケルたんもウキウキである
この決勝戦でドイツを優勝に導くゴールを決めた若手のマリオ・ゲッツェは、先のミネイロンでのブラジル戦ではずっとベンチを温めていた。このことからも、今大会に臨んだドイツ代表選手の層の厚さが窺える。

後年、W杯優勝メンバーも多数参加したEURO2016では準決勝で開催国フランスに敗れたが、この時の敗戦では選手の負傷・出場停止・PK判定など向かい風が強かったこともあり、国民の多くはレーヴ監督の続投を支持した。
クローゼ・ラーム・シュヴァインシュタイガー・メルテザッカー・ポドルスキといった長年代表を支えた重鎮がW杯やEUROを最後に次々と現役引退または代表引退をした一方、
2017年のコンフェデレーションズカップでは若手主体のメンバーで優勝*13を果たし、次世代の選手が着々と育っていることを窺わせていた。

しかし2018年に入ると大会前の親善試合から成績が振るわず、暗雲が立ち込め始めた。
というのも前回大会からメンバーや戦術面に大きな変化がなかったため、すでに多くの相手チームから対策法が編み出されており、それに変わる戦術を確立できずにいたのである。
そして始まった2018年のW杯ではメキシコに0-1で土をつけられ、2試合目のスウェーデン戦では先制されながらもクロースが試合終了直前の直接FKを決め勝利し、なんとか立て直したかと思われたが、グループリーグ最終試合でまさかの韓国に0-2で完敗
グループリーグ 最下位で敗退 という結果に終わり、2010年W杯で決勝を争ったスペインとイタリアの2014年での結果、いやミネイロンの惨劇を上回る体たらくに今度はドイツ国内が大荒れに。往年の有名選手からも辛辣なコメントが相次ぎオリバー・カーンからは「このチームに、根幹となるものが見受けられない」とまで言われてしまった。

なお、ドイツから大金星をもぎ取った韓国の方もGL敗退に終わったため、帰国後代表チームが生卵をぶつけられるという災難に遭っており、双方が国内で叩かれるという悲しき珍結果となった。

ドイツ代表レーヴ監督は、新型コロナウイルス大流行の影響で1年延期になってしまったEURO2020を最後に監督を退任。2006年から実に15年という長期政権に終止符を打つこととなった。
後任はCLでバルセロナから8点を奪い、バイエルン・ミュンヘンを優勝に導いた監督ハンス=ディーター"ハンジ"・フリック氏に決まった。
しかし玉座の呪いは翌々回のW杯まで尾を引くこととなり…

その他


○本試合中7点差をつけられたことでWikipediaのブラジル代表の最悪の敗戦に関する記述が書き換えられたが、オスカルのゴールにより元に戻された。

○試合後にはブラジル各地で暴動が発生、サンパウロやリオデジャネイロでは略奪行為が行われた他、サンパウロではバス20台が放火されるという事件もあった。
○試合後ドイツサポーターの身の危険を案じてか、スタジアム内には英語とドイツ語で「ドイツサポーターはすぐにスタジアムを出ないで留まって下さい」とアナウンスが流れた。幸いなことにドイツ人が被害に遭ったという報告はないようである。

○1990年大会からW杯を観戦し続けているブラジルの名物サポーターであるクロヴィス・アコスタ・フェルナンデスさんが試合後お手製のトロフィーを抱えて悲しむ様子が話題となった。
その後フェルナンデスさんが観戦に訪れていたドイツ人女性にそのお手製トロフィーを託すという和やかな出来事もあった。フェルナンデスさんは癌に侵されており長く闘病を続けていたが、2015年9月に60歳でこの世を去った。

○後にミュラーはバイエルンでダンテと話した際にこの試合のことをネタにしたが、ダンテが「まだ冗談にできない」と落胆した様子を見せたため、さすがのやんちゃ坊主ミュラーも反省したようである。

○本大会ドイツはグループリーグにてバロンドーラークリスティアーノ・ロナウドを擁するポルトガルを4-0で一蹴してもいた。ここから「ドイツはポルトガル語圏に恨みでもあるのか」と発言するネットユーザーもいた。

○2016年夏のリオデジャネイロオリンピックでは男子サッカーの決勝でブラジル対ドイツの対戦カードが再び実現。
前半ネイマールの見事なフリーキックで先制するも後半ドイツに追いつかれ、延長戦でもスコアは動かずPK戦に突入。両チーム4人目まで全員成功させ、ドイツの5人目がセーブされたのに対し、ブラジル5人目のネイマールが成功させ、ブラジル初の五輪サッカー金メダル獲得を以て雪辱の一端とした。

○2017年1月1日、新年を迎えた際トニ・クロースはTwitterに2017の1をブラジル国旗に、7をドイツ国旗に置き換えた画像を投稿した。明らかにミネイロンの惨劇をネタにした画像であり少々炎上した模様で、直後クロースはジョークのつもりだったと釈明した。一方レアル・マドリードでのチームメイトでありミネイロンでの敗者でもあったマルセロはTwitterに「皆さん新年おめでとう。健康で他者に 敬 意 (ここだけアルファベットが大文字)を持った一年を」と投稿、暗にクロースを窘めた。また元ブラジル代表で元レアルでもあるロナウドはFacebookで、2017の2をブラジル国旗・0をドイツ国旗に置き換え、自身が2-0でドイツを破り優勝を掴んだ2002年W杯決勝の画像と共に投稿した。
ちなみにこの後レアル・マドリードはCLとリーグ優勝の二冠を達成しており(特にCLはチャンピオンズカップ時代を除き初の連覇である)、この出来事はチームの和に何ら影響しなかったようである。

○2016-17シーズンのUEFAチャンピオンズリーグのRound of 16ではアーセナルとバイエルン・ミュンヘンが相まみえた。
アーセナルはこの前のシーズンまでUCLにて6年連続でベスト16での敗退を喫しており、しかもうち2回はバイエルンに敗れたことによるものであったためアーセナルサポーターには「またバイエルンか…orz」という空気が流れていたようであった。
そしていざ蓋を開けてみると、アウェイでの1stレグで1-5、ホームでの2ndレグは前半アーセナルが先制するものの後半PKを与えたDFコシールニーが退場を喫したのを機に5失点し、結果合計2-10というここ数年で最も一方的なバイエルンの大立ち回りとなった。
これを受けて、デイリー・スター紙は選手採点で先制点を決めたウォルコットのみ1、残りの全選手に0というミネイロンにおけるブラジル選手のような低評価でアーセナル選手たちを断罪した(本紙では満点はともかく本来の最低点が1であった)。
そしてこの大敗は20年にわたってチームを率いてきたアーセン・ベンゲル監督の解任を要求する運動に繋がっている。
一方バイエルンは2019-20シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝でバルセロナを8対2で破り、そのまま決勝でもPSGを下して優勝している。にしても大差で勝つの好きですねドイツ



追記・修正はブラジル代表の復活を祈りながらお願いします。


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最終更新:2025年03月04日 13:39

*1 1950年大会では上位4チームの総当たり戦により優勝が争われた

*2 大会初ゴールがオウンなのはこれが初めて

*3 コロンビアGKオスピナのゴールキックを妨害したことによるもので、少々不用意なファウルであった

*4 EUROは3位決定戦を実施しない

*5 1982年大会で西ドイツに2-1で勝利するという番狂わせを起こした、因縁の相手。

*6 もしこれがミュラーの得点であったら初の2大会連続得点王になっていた

*7 2002年大会では主将を務め、優勝後トロフィーを掲げた

*8 本年、ドイツとアメリカはグループリーグで同じ組となり、レーヴ監督とのいわば師弟対決が実現した。試合はドイツが1-0で勝利したが、アメリカもドイツに続く2位でグループ突破を果たした

*9 W杯記録に述べるが、サウジスコアで大勝したのもドイツである

*10 今大会ではほとんど出場機会がなかった

*11 グループリーグのガーナ戦で100試合出場達成

*12 日本のテレビ中継では解説者がパウリーニョを名指しで批判していた

*13 2014年W杯では控えだったドラクスラーが主将を務め、大会MVPを獲得