登録日:2023/08/11 Fri 02:09:03
更新日:2024/09/08 Sun 08:11:17
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人生とは
今を生きるということだ
過去も未来も
幻想にすぎない
あるのは
現在という瞬間の連続だけ
アストンマーチャンとは
日本の元
競走馬。
目次
【データ】
誕生:2004年3月5日
死亡:2008年4月21日
享年:4歳
父:アドマイヤコジーン
母:ラスリングカプス
母父:Woodman
調教師:石坂正(栗東)
主戦騎手:
ウマ娘のおじさん武豊
馬主:戸佐眞弓
生産者:社台ファーム
産地:千歳市
セリ取引価格:-
獲得賞金:2億4,899万円 (中央)
通算成績:11戦5勝 [5-2-0-4]
主な勝鞍:07'スプリンターズS
【概要】
2004年3月5日生まれの鹿毛の牝馬。
父は朝日杯3歳ステークスを制した後、4年もの長い低迷の末に安田記念を制したアドマイヤコジーン。
母は
アメリカから輸入されたWoodman産駒のラスリングカプスで、日本で勢力を拡大していた
サンデーサイレンスの血を引いていない
サンデーサイレンスフリーの希少な
サラブレッドでもあった。
アドマイヤコジーンの初年度産駒ということもあり評価をつけようがない状態で買い手がつかない可能性もあったが、医師の戸佐眞弓氏に所有が決まる。
取り立てて目立った特徴もなかったが、特に何事もなく成長していった。
なお馬名の由来は「サーキット名」に「人名愛称」を組み合わせたものとなっている。
戸佐氏は馬主業に本腰を入れている方ではないため、これが2頭目の保有馬であった。
可愛らしい顔立ちにグラマラスな馬体の持ち主で、厩務員からは当時人気のタレント・柳原可奈子に喩えられていたという。もうちょっと良い表現なかった?
【戦歴】
2006年7月22日に鞍上武豊で小倉競馬場の2歳新馬戦芝1200mでデビュー。
デビュー戦では最終直線でヨレてしまいクビ差差し切られての2着と惜敗。
場所を同じくして2週間後の未勝利戦は和田竜二が騎乗し、単勝1.3倍の1番人気に応えて1着。
夏が明けてからは重賞に挑戦。3たび小倉競馬場の小倉2歳ステークスに出走し、後続に2馬身半つけての圧勝で重賞初制覇を飾る。
この勝利はアドマイヤコジーン産駒初重賞勝利にしてデビュー2年目の鞍上・鮫島良太も初の重賞タイトルとなった。
2か月の放牧を挟んでからはG3・ファンタジーステークスに出走。鞍上が武豊に戻り、結果はなんと5馬身差の圧勝。
勝ちタイム1分20秒3はファンタジーステークスのレコードを0.9秒更新し、それどころかJRA2歳レコードすら0.5秒も更新するものであった。
そして驚くべきことに競走中に落鉄してこのレコード勝ちを収めたのである。
年内最終戦は初G1となる2歳女王決定戦・阪神ジュベナイルフィリーズを選択。
単勝1.6倍の圧倒的1番人気に支持され、2番人気のルミナスハーバーが8.9倍であることを考えるとアストンマーチャン1強。
残り200mで3馬身の差をつけての独走態勢に入ったかと思われたが、外から4番人気の抽選出走枠
ウオッカが爆発的末脚を繰り出し猛追し、ゴール板を2頭並んで通過。
判定の結果、ウオッカのクビ差先着が認められ惜しくも2着。最優秀2歳牝馬の表彰にも16票集まったが、その座は271票を集めたウオッカに譲ることとなった。
こうして5戦3勝2着2回、桜花賞有力候補の一角でシーズンを終え、放牧に出されることになった。
年が明けて2007年の初戦は桜花賞トライアルのJpn2・フィリーズレビュー。
もう1つのトライアルであるチューリップ賞にはウオッカや
ダイワスカーレットなど有力馬が集まったこともあり、
単勝1.1倍に支持されると期待に応えて2馬身半つけての勝利を飾り重賞3勝目を挙げ桜花賞へと進むことになる。
桜花賞当日は1番人気ウオッカに次ぐ2番人気だったが本来のパフォーマンスを発揮できず直線で沈み7着。前方ではウオッカと3番人気ダイワスカーレットが鎬を削りあっていた。
これを機に陣営はオークス・秋華賞の牝馬三冠路線やNHKマイルカップをスッパリと諦め、秋のスプリンターズステークスに照準を絞ることになった。
放牧を挟み、前哨戦は戦い慣れた夏の小倉の重賞、Jpn3・北九州記念。古馬との初顔合わせながら1番人気に支持されるも直線で伸びを欠き6着。
こうして秋のスプリンターズステークスに進むことになったが、馬体重は前走から+10kg。坂路調教を増やしたことで身体面の大幅な成長に成功した結果であった。
当日は雨が降りしきる不良馬場。武が高松宮記念の勝者スズカフェニックスに騎乗することになったため、鞍上を
ヒシアマゾンや
ツインターボの主戦を務めた逃げの名手・中舘英二に据え、3番人気での出走となる。
好スタートを切ると3馬身つけての逃げを展開、最終直線でもなお3馬身ほどの独走態勢。追い上げてくる後続は粘りに粘って3/4馬身抑えて勝利。
アストンマーチャン及び戸佐氏のG1初制覇にして、1992年
ニシノフラワー以来の3歳牝馬による制覇となった。また、中舘騎手としてもヒシアマゾンでの2勝以来、2頭目のG1制覇となる。
彼女以降、2022年現在までスプリンターズステークスを制した3歳牝馬はおらず、またアドマイヤコジーン産駒の初G1勝利という事で、まさに人々の記憶にも記録にも残る勝利であった。
その後はG2・スワンステークスに挑んだが14着と大敗。香港スプリントへの登録も行なっていたが、当時流行していた馬インフルエンザの検疫に時間がかかりすぎることから回避。翌年の高松宮記念に向けて調整が進められることになった。
古馬となった2008年の緒戦はG3・シルクロードステークスに出走し1番人気に支持されるも10着と連続大敗を喫する。
本命の高松宮記念への出走を検討していた矢先に体調不良に見舞われてしまい、出走回避を発表。
その後原因不明の難病・X大腸炎を発症し栗東トレセンの医療施設に入院したが、結局4月21日に衰弱を原因とした急性心不全を発症し死去した。
享年4歳1か月。競走馬としても無論のこと、引退後の繁殖牝馬としての活躍すらも許されずこの世を去ってしまった。
なお、アストンマーチャン自身の血筋は遺すことはできなかったが、全妹(両親が一致)のジャジャマーチャンが未出走ながら繁殖入り。
最近だと父
ドリームジャーニーのトゥラヴェスーラが短距離重賞戦線の常連として、勝利こそないが長く存在感を示している。
【余談】
X大腸炎
アストンマーチャンを死に追いやった原因にして、馬においては非常に重篤な疾患とされる病。
X大腸炎の“X”は
発生原因が不明であることを意味し、独特の悪臭を持つ激しい下痢を伴い、急速に進行する死亡率の高い出血性腸炎。
腹痛だけなく心拍数の増加や呼吸困難を起こす馬もおり、重篤な場合は耐えられず死亡してしまう。
厄介なことに現在まで明確な治療法が確立されておらず、種牡馬時代に発症した
ビワハヤヒデは持ち堪える形で克服しているが、近年も
ドゥラメンテ等、多くの競走馬がこの病疾患の犠牲になっている。
X大腸炎の発症原因については、石坂調教師は「スプリンターズステークス以降の管理がちゃんとしていなかった結果、精神的に追い込んで病気にさせてしまった」と推測している。
石坂調教師は仕事の合間を縫って診療所にアストンマーチャンを見舞いに行っており、死去した当日も見舞いに来ていたためその最期を看取ることとなった。
アストンマーチャンの死後も石坂調教師は自責の念を示しており、彼女の死が彼に与えたショックの大きさを窺い知ることが出来る。
ラブミーチャン
Dr.コパこと小林祥晃の所有馬で、ダートの短距離戦線で重賞を多数制し、馬主初のG1級制覇(全日本2歳優駿)をもたらした馬。
で、何が関係あるのかというと、馬主同士で親交があり、その名前は元々は普通に冠名をつけた「コパノハニー」から、地方に転籍してデビューするにあたって改名、アストンマーチャンにあやかって「チャン」を付けたとされているのだ。
なお、デビューは2009年なので亡くなった少し後ということになる。
【創作作品への登場】
初登場は2006年ファンタジーS。タケユタカを振り向かせようとツンデレムーブをかまし、果たして今後の騎乗はどうなるのかというオチであったが、次の登場では同期の牝馬がダービーとNHKマイルカップを牡馬相手に制覇したのに奮起し、スプリンターズSを制覇し今年の牝馬は一味違うと息巻いていた。
この作品は死んだ馬は関係者の心の整理が付いたと判断するまで出さない方針だが、他界した後の2008年CBC賞回でも背景に一コマだけ登場。その死が同期の短距離牝馬達の心に影を落としたことを語られている。
ふわふわした雰囲気で一風変わった喋り口の不思議ちゃんだが、自分の存在を「覚えてもらう」ことに関してだけはとても熱心。一人称はまんま「マーちゃん」。
言動にはどこか死や別れを意識させる儚い印象があり
(体つきはモデル馬に準じて健康的だが)、「現役中に亡くなり、存在を未来に繋ぐことができなかった馬」という要素をこれでもかというほど強く想起させるキャラクターになっている。
2022年2月放送のぱかライブTVで初登場。同日公開された特別アニメでは、チームスピカの模擬レースの最中に
やけにカメラ目線でニヤつきながら無言で背景をうろついているというインパクトの強い登場の仕方をしていた。
その後しばらく続報がないままであったが、2022年7月27日のぱかライブTVで
プロフィールが公開されてゲーム内にも顔見せ。
追記・修正お願いします。
- 項目を読んだだけだけど正直オークスは惜しい事した気がする。結果的にライバルのウオッカもダイワスカーレットも両方ともオークスに出走しなかった訳だから、もしもアストンマーチャンがオークスを回避せず出走していたらオークス馬アストンマーチャンも有り得たんじゃないだろうか? -- 名無しさん (2023-08-11 03:32:45)
- 桜花賞の敗因がウオスカが強かっただけじゃなく距離不安を感じたからだろうから、それよりも長いオークスを避けるのは当然思える。 -- 名無しさん (2023-08-11 08:00:48)
- 流石にスプリント馬をクラシックディスタンスに出すのは当時でもないでしょ、ダイタクヘリオスの時代じゃないんだし。ただウオッカだけじゃない、牝馬時代だというのを強く意識させたのはダービー、スプリンターズS、ダスカの有馬2着と立て続けに起きたこの世代の名牝たちの活躍だったなあ -- 名無しさん (2023-08-11 18:12:59)
最終更新:2024年09月08日 08:11