登録日:2025/03/25(火) 18:04:02
更新日:2025/04/14 Mon 12:57:57
所要時間:約 37 分で読めます
It's Montjeu on the near side ranges up,
grabs the lead now from El Condor Pasa!
外から並びかけるのはモンジュー!エルコンドルパサーをかわした!
モンジュー(Montjeu)とは1996年生まれのアイルランド生産・フランス調教の競走馬。
日本競馬の悲願を寸前で粉砕し、引退後も後世に少なからぬ影響を与えた名馬である。
概要
4代血統表
Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
Northern Danser 1961 鹿毛 |
Nearctic 1954 黒鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Lady Angela 1944 栗毛 |
Natalma 1957 鹿毛 |
Native Dancer 1950 芦毛 |
Almahmoud 1947 栗毛 |
Fairy Bridge 1975 鹿毛 |
Bold Reason 1968 黒鹿毛 |
Hail to Reason 1958 黒鹿毛 |
Lalun 1952 鹿毛 |
Special 1969 鹿毛 |
Forli 1963 栗毛 |
Thong 1964 鹿毛 |
Floripedes 1985 栗毛 FNo.1-u |
Top Ville 1976 鹿毛 |
High Top 1969 鹿毛 |
Derring-Do 1961 鹿毛 |
Camenae 1961 鹿毛 |
Sega Ville 1968 鹿毛 |
Charlottesville 1957 鹿毛 |
La Sega 1959 黒鹿毛 |
Toute Cy 1979 鹿毛 |
Tennyson 1970 鹿毛 |
Val de Loir 1959 鹿毛 |
Tidra 1964 鹿毛 |
Adele Toumignon 1971 芦毛 |
ゼダーン 1965 芦毛 |
Alvorada 1960 栗毛 |
クロス:5代以内アウトブリード
父サドラーズウェルズ、母フロリペーデ、母の父トップヴィルという血統。
父は当時インザウィングス、オペラハウス、カーネギーらを輩出し
ノーザンダンサー後継種牡馬として確固たる地位を築いていた
ヨーロッパの大種牡馬。
母は現役時代にはフランスG3のリューテス賞を勝ち長距離G1ロワイヤルオーク賞で2着の実績もあるスタミナタイプの繁殖牝馬。
母父はダンテ系という「
ノーザンダンサーを経由しないネアルコ系」の血を広めたフランスダービー馬である。
本馬を生産したのは、欧州議会議員も務めた億万長者の実業家であるフランス生まれのイギリス人、ジェームズ・マイケル・ゴールドスミス卿。
ロスチャイルド家の親戚一族出身で、破天荒な買収に代表されるマネーゲームで巨万の富を築いた、当時の欧州政財界で恐れられた人物である。
投資家ゆえタバコ会社、食品会社、銀行、雑誌など手掛けていた事業は多岐にわたるためいつ競馬と関わりを持ったかは定かではない。
ゴールドスミス卿はフランスのブルゴーニュ地方に1622年に建てられたシャトー・ド・モンジューという邸宅を所有しており、これにちなんで本馬を命名した。
…のだが、モンジューが2歳を迎える前にゴールドスミス卿はその活躍を見ることなく死去。
そのためゴールドスミス卿の愛人だったロール・ブレイ女史の所有する会社に名義変更。フランスに厩舎を構える若手トレーナーである、ジョン・ハモンド調教師のもとに預けられることとなった。
競走生活
2歳時
1998年9月18日、ハモンド厩舎の本拠地たるシャンティイ競馬場の未勝利戦マニゲット賞(芝1600m)でキャッシュ・アスムッセン騎手を鞍上にデビュー。
10頭中1番人気の支持を裏切らず、残り200mからの仕掛けで1馬身半差の快勝をおさめた。
続いて10月にロンシャン競馬場のリステッド競走アイソノミー賞(芝1800m)に出走。
不良馬場のもとでの3頭立てのレースとなり、道中は逃げるスパドゥンを見るようにレースを進めて最後の仕掛けで3/4馬身差で勝利。
着差は案外だったが、内容的には悠々逃げ馬を捉えて省エネで勝って見せた快勝劇であった。さらにここで敗れたスパドゥンが次走の2歳G1クリテリウムドサンクルーを6馬身差で圧勝したことで、モンジューの評価も一緒に高まることになった。
ここまでの活躍で目ざとくモンジューに興味を持ってきたのが、ブックメーカーの元締めにして欧州最大の競走馬生産団体クールモアスタッドのメンバーであるマイケル・テイバー氏だった。
かくして2歳の暮れにテイバー氏に購入されたモンジューは、今ではよく知られた青とオレンジの勝負服のもとで出走するようになる。
3歳時
3歳初戦は4月にロンシャン競馬場で行われるG2グレフュール賞(芝2100m)となった。
ここにはセンダワールや先述のスパドゥンをはじめ欧州の大馬主が各々期待をかける素質馬を送り込んできており、3歳戦らしからぬスーパーG2の様相であったが、ここでもモンジューへの期待はあつく1番人気に支持された。
レースはスパドゥンが先頭で逃げ、センダワールが3番手。モンジューは馬群後方につけた。
直線を向くとセンダワールが先頭を奪取したが、残り200mでモンジューが後方一気の末脚で強襲。1馬身差交わして勝利をおさめた。
なおこのあとセンダワールはプール・デッセ・デ・プーラン、セントジェームズパレスステークス、ムーラン・ド・ロンシャン賞、イスパーン賞とG1・4連勝を挙げることになる。
続いて5月は、同じくロンシャン競馬場でダービーの重要な前哨戦であるG1リュパン賞(芝2100m)に参戦。
ここでは前走で5馬身差に破ったグラシオーゾとその僚馬アルワフィ、そしてモンジュー自身のペースメーカーであるオブヴィアスリーファンのみとなった。
とっくに格付けの済んだ相手で楽勝かと思われたが、肝心のレースではオブヴィアスリーファンのスロー逃げとモンジューの最後方待機が災いしたか、余力十分で押し切りを図るグラシオーゾを捉えきれず1馬身差の2着に敗れた。
そして6月頭、世代最高の栄誉をかけてシャンティイ競馬場のG1ジョッケクルブ賞(芝2400m)に出走。
ここでは、
- 前走リュパン賞でモンジューを破ってG1馬となったグラシオーゾ
- ここまで無敗のままG3ロシェット賞、G2ノアイユ賞とステップアップしてきたスリックリー
- G3フォルス賞含め目下4連勝中のノーウェアトゥエグジット
- ノーウェアトゥエグジットと同じゴドルフィン所属で、ヴェルメイユ賞馬ダララの息子として期待されているラガース
- モンジューと同じクールモアから送り込まれてきたダービートライアル2着馬のチャイコフスキー
- 後に長距離G1アスコットゴールドカップを連覇するロイヤルレベル
などのメンバーが揃った。
降雨により渋った馬場での開催となったレースはノーウェアトゥエグジットが引っ張り、ロイヤルレベルやグラシオーゾが好位先行、モンジューはいつもどおり最後方につけた。
前走で仕掛けが遅れた反省から今回は比較的早めにポジションを上げていったのが奏功し、残り400mではやくも先頭に立つとそのまま豪脚をふるって独走。
最後は2着に粘ったノーウェアトゥエグジットに4馬身差をつけて快勝してみせた。
さらに6月末にはアイルランドに移動し、G1アイリッシュダービー(芝12F)に転戦。
出走予定だった英ダービー馬オースはコンディションが整わず回避となり英仏ダービー馬対決とはならなかったものの、
- 英ダービー2着馬で後にコロネーションカップ・香港ヴァーズとG1・2勝を挙げるダリアプール
- 英ダービー3着馬のビートオール
- デビュー戦2着から3連勝でG2キングエドワードⅦ世ステークスを制し勢いのあるムタファーウェク
- かのアーバンシーの初仔でG3ガリニュールステークスを勝って重賞馬となっているアーバンオーシャン
など有力馬が集結。単勝オッズはモンジューが2倍台に対しダリアプール、ビートオール、ムタファーウェクの3頭が5倍台と4強対決の様相だった。
しかしレースではアーバンオーシャンがハナを切り上位人気勢が先行策をとる中、唯一モンジューが後方に待機。
にも関わらずコーナーからの加速ですさまじいごぼう抜きを見せると残り200mでダリアプールも捉え、そこからまたさらにぶっちぎって5馬身差で圧勝。
仏愛ダービーを連覇しただけでなく、オースを超えるパフォーマンスでダリアプールを下したことで自身が世代最強馬であると満天下に示した。
こうなるとさらに狙うべきは欧州中距離界最強の座、
凱旋門賞である。
この大目標を見据えて夏場はまるごと休養にあて、9月にロンシャン競馬場で行われる前哨戦のG2
ニエル賞(芝2400m)に出走。
ここから陣営は主戦騎手をアスムッセン騎手からクールモア専属のベテランジョッキーであるマイケル・キネーン騎手にスイッチした。
レースでは騎手が変わっても戦術は変えずに後方一気を貫き、進路が塞がるも位置を下げてから外に持ち出しアタマ差差し切って勝利。
冷や汗をかくような場面ではあったが内容的には完勝だった。
1999年凱旋門賞
そして1999年10月3日、ロンシャン競馬場にて大一番たるG1凱旋門賞(芝2400m)の日を迎えた。
この年の凱旋門賞は例年にも増して豪華メンバーが揃っており、
- ディアヌ賞・ヴェルメイユ賞とフランス牝馬二冠を含む3連勝中の牝馬代表ダルヤバ
- リュパン賞・イスパーン賞と強豪相手にG1・2勝を果たしている実力馬クロコルージュ
- 一昨年にドイチェスダービー・バーデン大賞とG1・2勝にくわえBCターフ2着・凱旋門賞3着と大舞台でも気を吐くドイツの女王ボルジア
- バーデン大賞を連覇、バイエルンツフトレネンも制しドイツG1・3勝で昨年の凱旋門賞3着馬タイガーヒル
- 昨年のヴェルメイユ賞勝ち馬で、同じく昨年の凱旋門賞2着馬レッジェーラ
- 全妹イズリントンはG1・4勝、半弟マウンテンハイもG1馬、そして自身もG1戦線で好走の多いグリークダンス
- 当時は一介のG2馬ながら翌年から世界へ飛躍を遂げるファンタスティックライト
- サンタラリ賞を制しヴェルメイユ賞でも3着とダルヤバともどもフランス3歳牝馬戦線を引っ張ったセルリアンスカイ
- スウェーデンからG3ストックホルムカップ国際を勝ってはるばるやってきたアルバラン
と強豪が集結。しかしその中でも特に有力と見なされたのは以下の3頭だった。
1頭はこれまでの活躍で3歳世代の大将格と誰もが認めるモンジュー。
対して、プール・デッセ・デ・プーリッシュ、エクリプスステークス、マンノウォーステークス、コロネーションカップ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス、アイリッシュチャンピオンステークスとG1・6勝。前々走は5馬身差、前走は9馬身差の圧勝劇を見せてきた古馬のチャンピオンデイラミ。
そして、NHKマイルカップ、ジャパンカップ、サンクルー大賞と日仏でG1・3勝。遠く日本から勇躍乗り込んできたにも関わらずフランス中距離の古馬トップに君臨し、前哨戦G2フォワ賞も勝利した我らがエルコンドルパサーである。
さて、レース当日の単勝オッズはモンジューが2.5倍の1倍人気、
エルコンドルパサーが4.6倍の2番人気、デイラミが5倍の3番人気という順番だった。
3強にも関わらずこのようになったのは馬場状態が影響していた。
この日のロンシャン競馬場の馬場は
ペネトロメーター値5.1という、1972年に測定が始まって以来史上最悪の数字を叩き出すほどの
極端な不良馬場だったのである。あまりの悪化に、競馬評論家の合田直弘氏からも「
これほど悪化したら、得意とする馬はいない」と言われるほどだった。
それでもここまでの実績から明らかに重馬場を得意とするモンジューが1番人気に推され、重馬場を「苦にしない」と思われるエルコンドルパサーが2番人気、明らかに不得意なデイラミが3番人気となったのだった。
この不良馬場の中レースが始まったが、本来なら逃げるはずだったモンジューのペースメーカーであるジンギスカンが思いっきりスタートに失敗。対して最内枠からポンとうまく出たエルコンドルパサーが押し出される形で先頭に立つことになった。
エルコンドルパサーにとって前走フォワ賞が初めての逃げだったが、蛯名正義騎手は腹をくくって今回も逃げを打つことを決意。
これをジンギスカンとタイガーヒルが背後から追走し、デイラミは馬群中段の後方に控える競馬。モンジューの方はというと重馬場巧者ぶりゆえか、いつもの後方待機ではなく馬群中段の内ラチ側にポジションをとることになった。
エルコンドルパサーの逃げは中盤、そしてフォルスストレートを抜けても衰えず、むしろ後続との距離をぐんぐん引き離しにかかった。
一方モンジューはじりじり5番手の位置まで前進し、直線に入ってからは前が開けたのを利用して外目に持ち出しスパート。
しかしそれでもエルコンドルパサーはずっと前におり、ついに日本馬の凱旋門賞制覇が叶うかと思われたが、ここを先途とばかりにモンジューが豪脚でもって猛追。
残り100mで捉え逆転すると、先頭を奪われてなお差し返そうと食い下がるエルコンドルパサーを半馬身差封じ切って優勝した。
3着クロコルージュは6馬身、4着レッジェーラ以下はそのさらに5馬身後方に引き離されており、ひたすらモンジューとエルコンドルパサーの強さが際立つ結果となった。
斤量差ゆえに「この年の凱旋門賞は勝ち馬が2頭いた」と評されただけあってこのレースは評価も高まり、当時の国際クラシフィケーションでモンジューは135ポンド(エルコンドルパサーは134ポンド)のレーティングを与えられ、これは1997年に同レースをレコードで制したパントレセレブルに迫る値だった。
ハモンド師はインタビューで「正直言って(直線の手応えで)エルコンドルパサーに誰も届かないと思った」と振り返りつつも「モンジューは素晴らしい脚で差し切ってくれた」、騎乗したキネーン騎手も「これまで騎乗した馬の中で12ハロンでは最強だと思う」と愛馬の戦いぶりを惜しみなく讃えた。
1999年第19回ジャパンカップ
凱旋門賞を制した本馬は、次なる大目標を凱旋門賞連覇に切り替え、現役を続行することになった。
こうなればこの年は休養に入るか、あるいはBCターフを目指すかということになるのが普通だが、そうした予想に反してモンジューの次走は日本のG1ジャパンカップ(芝2400m)となった。
来日に至った経緯は不明ながら、日本最強馬を倒しただけあってモンジューの衝撃は大きく、日本競馬ファンの注目をさらに集めることとなった。
ここでの対戦相手は、前走凱旋門賞から同じく転戦してきたタイガーヒル、ボルジアにくわえ、
- 日本ダービー馬にして天皇賞春秋連覇、G1・3勝の”日本総大将”スペシャルウィーク
- 日本で唯一エルコンドルパサーを破ったサイレンススズカの半弟にして、菊花賞を3着してきたラスカルスズカ
- ここまでG1レースで2着4回と勝ち切れないが実力は確かなステイゴールド
- 前年の英ダービー馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着の実績もあるハイライズ
- G2香港国際ヴァーズなどを制した香港所属馬インディジェナス
- この年のオークス馬で、JRA賞最優秀4歳牝馬も受賞するウメノファイバー
- 昨年のG1阪神3歳牝馬ステークスを制したスティンガー
など、日本を中心に各国の実力馬が集うレースとなった。
これだけ大注目を浴びて来日となったモンジューだったが、輸送の疲れから体調を崩してしまっており、レース前日の取材では「
回復にあと3日はかかる」「
もっと早く連れてくればよかった」というコメントが出るほどだった。しかしそれでもなおモンジューは
単勝2.7倍の1番人気に推され、最大の対抗馬と目される
スペシャルウィークは3.4倍の2番人気となった。
レースが始まるとG3小倉記念勝ち馬のアンブラスモアが逃げ、スティンガーとインディジェナスが先行、スペシャルウィークは馬群中団に位置を取り、モンジューはさらに後方を追走した。
レースは1000m60秒代のややスローで流れ、3コーナーからスペシャルウィークとモンジューがほぼ同時に進出を開始。
しかし直線に入ってからスペシャルウィークがモンジューを上回る末脚を披露。モンジューもスペシャルウィークに次ぐ2位の上がりで追撃したものの動き出しの差がそのまま効いてしまい、中団から伸びたハイライズと先行したインディジェナスにも届かずスペシャルウィークの4着に敗れた。
モンジューが連対を外したのはこれが初めてで、日・英・仏のダービー馬対決でも後れを取る苦い敗戦を味わうこととなった。
結果的にこの年は7戦5勝、うちG1・3勝。仏愛ダービー2勝の成績からカルティエ賞最優秀3歳牡馬を受賞した。
しかし年度代表馬のタイトルはジャパンカップの敗戦が響いたか、凱旋門賞後にBCターフを快勝し引退したデイラミに譲ることとなった。
4歳時
アイルランドのカラ競馬場で5月末に開催されるG1タタソールズゴールドカップから始動。
ここの参戦メンバーは昨年倒したグリークダンス、ムタファーウェク、アーバンオーシャンと、昨年フランス3歳G1ジャンプラ賞を勝ったゴールデンスネイクが新顔としてくわわっただけだった。
いずれにしてもモンジューを脅かすにはいたらないメンバーとみなされ、単勝1.3倍の一本被りとなった。
レースでは昨年と同様後方待機策をとり、古馬となっても変わらずキレのある末脚を披露。最終直線では前にいたグリークダンスがヨレてくる不利があったが、これを力ずくでこじ開け、持ったまま突き抜けて2着グリークダンスに1馬身半差で勝利した。
続いて7月にフランスに戻り、サンクルー競馬場のG1サンクルー大賞に参戦。キネーン騎手が負傷で戦線離脱していたため、久々にアスムッセン騎手とのコンビとなった。
モンジューに恐れをなして回避する陣営が相次いだ結果このレースはわずか4頭立てとなり、
- モンジューの前年に凱旋門賞を勝っていたサガミックス
- G2シャンティイ大賞を勝っているダーリングミス
- 同じハモンド厩舎所属でペースメーカー役として出走のストップバイ
が参戦。事実上の3頭立てだった。
レースの方はストップバイが飛ばしてペースを作り、それをサガミックス、ダーリングミスが追い、最後方からモンジューが競馬を進める展開となった。
最終直線で不利を受けないよう外に持ち出しておけばあとはもはやモンジューの豪脚を堪能するだけのレースであり、2着ダーリングミスに5馬身差をつけ容易く圧勝した。
アスムッセン騎手はこの際のモンジューの末脚について「まるでコンコルドに乗っていると錯覚するようだった」と賞賛した。
次走は7月末のアスコット競馬場で開かれるG1キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(芝12F)となり、3日前に戦線復帰したばかりのキネーン騎手を再び鞍上に迎えての参戦となった。
こちらも少頭数での戦いとなったが、
- 昨年の愛ダービーで2着に敗れ、今回はG1コロネーションカップを制しての参戦となるダリアプール
- この年のドバイシーマクラシックを勝ち、コロネーションカップではダリアプールの2着だったファンタスティックライト
- 昨年のタタソールズゴールドカップであのデイラミを破り、日本産馬として史上初めて海外G1を制したシーヴァ
- 皐月賞を勝ち3歳馬の身ながら果敢にも遠征してきた後のクラシック二冠馬エアシャカール
などなかなかの実力馬が勢ぞろい。しかしながら単勝オッズ1.3倍という史上2番目に低い数字を記録するほどモンジューへの支持はゆるぎないものだった。
レース前には他の出走馬が移動してもなおパドックに向かうことを激しく拒否するという一幕があったものの、どうにかなだめることに成功。
レースが始まるとモンジューはファンタスティックライトともどもいつも通りの後方待機策をとり、直線に入るとファンタスティックライトと一緒に加速。だがモンジューの方が明らかに手応えがよく、お互い加速しているにも関わらず両者の差は広がっていった。
しかし真に恐るべきはここまでモンジューには鞭一つ入らず、それどころか手綱すら動いていなかったのである。
そして持ったまま先頭のダリアプールに並びかけ、キネーンがここから少し手を動かしただけでさらに加速。
結局一度も鞭を使わず持ったままで、2着ファンタスティックライトに1と3/4馬身差で完勝した。
凱旋門賞とキングジョージをどちらも勝つというのは
リボー、
バリモス、
ミルリーフ、
ダンシングブレーヴ、
ラムタラに続く史上6頭目の快挙で、
フランス調教馬の優勝も1976年のポーニーズ以来24年ぶりというメモリアルな勝利だった。
またスタートからゴールまで終始持ったままでの勝利の衝撃は大きく、これをもってモンジューは先に挙げたような「
リボーやミルリーフ以来の歴史的名馬の域にある」と評価されるようになった。
この後モンジューはアイルランドでのG1アイリッシュチャンピオンステークスへの出走が予定されていたが、調教中に脚部不安を発症したため取りやめて療養となった。
ちなみにキングジョージの前後にはゴドルフィンから
ドバイミレニアムとのマッチレースを持ちかけられていたが、キングジョージから1週間後にドバイミレニアムが故障引退となったためお流れになっている。
次走は凱旋門賞を見据えた前哨戦として9月のロンシャン競馬場のG2フォワ賞(芝2400m)となった。
ここに参戦してきたのは2年前の英2歳G1レーシングポストトロフィー勝ち馬コマンダーコリンズ、G2ジャンドショードネイ賞を2着してきたクリヨン、そしてモンジューのペースメーカーであるストップバイという問題にもならないと思われる顔ぶれだった。
レースもその予想通りに普段通り後方一気の競馬で、2着クリヨンに1馬身半差の貫禄勝ち。
1978年のアレッジド以来22年ぶり史上6頭目の凱旋門賞連覇は視界良好とみられた。
そう、まさかこれがモンジューにとって現役最後の勝利になるなど、誰が予想したであろうか…。
2000年凱旋門賞
この年の凱旋門賞は昨年から4頭減って10頭立てとなったが、それでも精強なメンバーが揃った。
- イギリスでは翌年の凱旋門賞を制することになるサキーに1馬身差完勝、アイルランドでは9馬身差の大圧勝の英愛ダービー馬シンダー
- 前走ヴェルメイユ賞こそ3着だったが、デビューから無傷の3連勝と輝きを放つディアヌ賞馬エジプトバンド
- そのエジプトバンドにディアヌ賞で2着と敗れるも、ヴェルメイユ賞で雪辱を果たす勝利を挙げたヴォルヴォレッタ
- 前走G1バーデン大賞を含めデビューから6戦無敗と勢いに乗るドイツダービー馬ザムム
- ドーヴィル大賞・リューテス賞・エクスビュリ賞と重賞3勝を挙げているロシアンホープ
- サンクルー大賞で2着だったあとG2ドーヴィル大賞でも2着してきたダーリングミス
などが参戦。10頭中7頭が3歳馬という3歳勢の活発さが目立ち、とりわけ3歳勢で最も評価が高いのがすでに2歳時から数えてG1・3勝を含む7戦6勝2着1回と見事な戦績のシンダーであった。
単勝オッズもモンジューが最も支持を集めて1.8倍となり、挑むシンダーが2.5倍、ついでザムムからは8倍台以上となり、モンジューとシンダーの一騎打ちという構図になっていた。
スタートが切られるとシンダーのペースメーカーであるレイプールが逃げ、それを追う形でシンダーとヴォルヴォレッタが先行。
やや後手を踏んだモンジューはいつもの後方待機ではなく中団外目につける形となり、終盤はシンダーの3馬身後方という好位置につけて直線に突入した。
…が、昨年に同じ舞台で発揮された猛烈な加速はまったく見られなかった。
最後のスパートで押し切りを図るシンダー、それに追いすがるヴォルヴォレッタとの差が広がるばかりか、最後方から末脚一閃で飛んできたエジプトバンドにまで並ぶ間もなく交わされ結果的に4位でのゴール。勝ったシンダーからは7馬身も引き離される大敗だった。
敗因としては昨年とは対照的に勝ちタイムが2分25秒台を叩き出す良馬場だったことやスタートでのつまずきが挙げられるが、3歳馬のワンツースリーに屈した形であるため斤量差の影響も大きかったと考えられる。
これでは終われないということでか、次走は2週間後のイギリス、アスコット競馬場でのG1チャンピオンステークス(芝10F)となった。
このレースは15頭が集う多頭立てとなり、
- デビュー以来連対を外さずエクリプスステークス・インターナショナルステークスとG1を2連続2着してきた素質馬カラニシ
- この年の英オークス馬でG1ヨークシャーオークスも2着しているラヴディヴァイン
- フランスG1ガネー賞を制しイスパーン賞2着、愛チャンピオンS4着と好走中のインディアンデインヒル
- 昨年の英2歳G1デューハーストステークス勝ち馬で前走G3パークステークスを勝っているディスタントミュージック
- 昨年ジョッケクルブ賞で敗戦後にパリ大賞を制しG1馬となったスリックリー
などの強豪が顔を揃えた。
ここは降雨の影響もあって重馬場となり、前走からの間隔こそ長くないものの十分な優位があると判断されてかモンジューはここでも単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。
レースが始まるとモンジュー陣営のペースメーカーであるレールモントフがハナを切り、カラニシとラヴディヴァインがそれを追って先行。モンジューはいつも通り最後方にポジションをとった。
終盤が近づくとモンジューは内ラチ沿いにじわじわと前進したのだが、ラスト3ハロンから2ハロンにかけて先頭が4頭横一線に並んだため行き詰まる不利を受けてしまう。それでも残り2ハロンを切ったところで馬群がばらけたのをきっかけに巧みに突破し、先頭に立っていたカラニシにほぼ並んだ。
ここから一気に抜き去ると思われたのだが、カラニシが凄まじい勝負根性を発揮して抵抗。粘りを見せたカラニシが勝利し、モンジューは逆に半馬身突き放されて敗れた。
結果としてモンジューの競走生活において初めての連敗となった。また得意の重馬場で力負けしたことはハモンド師にもショックだったようで、次走勝てるかという問いに「厳しいんじゃないか」と漏らすほどだった。
ただし馬主のマイケル・テイバー氏はあくまで強気で、翌11月にチャーチルダウンズ競馬場で開かれるG1ブリーダーズカップ・ターフへ参戦となった。参戦前からこのレース限りでの引退・種牡馬入りが発表されていた。
欧米中距離戦線最後の大レースなだけあってメンバーも質が高く、
- 前走英チャンピオンSから続いての対決となるカラニシ
- キングジョージでの敗戦後から渡米して現地でG1マンノウォーステークスを勝っていたファンタスティックライト
- 北米移籍後6戦3勝2着2回でターフクラシックステークス・マンハッタンハンデキャップとG1・2勝のマンダー
- 2000年のリュパン賞勝ち馬で北米移籍後G1セクレタリアトステークスも勝っているシーロ
- 今年9歳ながらG1ソードダンサーハンデキャップを制し、次走テイエムオペラオーとも激突する老兵ジョンズコール
- 翌年のカナダG1カナディアンインターナショナルステークスを制する実力者ムタマム
などといった顔ぶれとなった。
良馬場でアメリカの競馬場特有の小回りというあまりモンジューにとって有利な条件ではなかったのだが、混戦模様と見られたこともあって依然としてモンジューへの支持は根強く、単勝オッズ4.2倍の1番人気に支持された。
だがレースでは終始反応が悪く9番手で直線勝負に入ることになり、末脚を繰り出せはしたもののそこからほとんど順位を上げられず7着に敗戦。
中団から豪脚でもって大外一気を決めて勝利したカラニシからは4馬身あまり差をつけられ、シンダーも含めてアガ・カーンスタッドの勝負服に3連敗を喫する形となった。キングジョージで圧倒していたはずのファンタスティックライトにも先着されてしまった。
このBCターフをもってモンジューはターフを去った。通算16戦11勝、うちG1・6勝。
この年は後半戦精彩を欠いたとはいえ7戦4勝、うちG1・3勝と悪くない成績だったが、カルティエ賞最優秀古馬の座はカラニシに、年度代表馬の座はG1・5連勝と大暴れしたジャイアンツコーズウェイにそれぞれ譲ることとなった。
競走馬としての評価
あまり知られていないがキングジョージのパドックで見られたように母譲りとみられる奇行癖があり、陣営はかなり扱いに苦労したという。だがレースそのものに影響を及ぼすものではなく、ひとたびゲートを出れば凄まじい豪脚の持ち主で、その爆発力を活かした後方からのごぼう抜きは見る者の度肝を抜いた。3歳前半から4歳前半にかけてはまさに絶頂期で、とくにエルコンドルパサーを見事に捉え切った3歳時の凱旋門賞と、持ったまま他馬を圧倒したキングジョージは本馬にとって最高のパフォーマンスとしてつとに有名である。
日本においてはもはや言うまでもないことだが、エルコンドルパサーを破った最強の欧州馬として今なお言及されるほど日本競馬ファンの記憶に刻まれることにもなった。
また重馬場巧者ということが有名になる一方で良馬場ではさほどではないとする見方も広まった。おそらくシンダーに敗れた凱旋門賞の影響だと思われるが、キングジョージなど良馬場でも素晴らしいパフォーマンスを発揮しているため、「良馬場ではそこまでではない」というのは誤りである。
一方でその全盛期の威光に対し4歳後半からの乱調はあまりに急で、ファンにもついていけないほどだった。この乱調とそれに伴う3歳勢への敗北が種牡馬入り後の種付け料に影を落とした部分もあり、モンジューの評価を難しくする要因の一つとなっている。ただキャリア終盤の成績の低下は競走馬としてはよくあることで、モンジューの実力が歴史上の偉大な名馬と同じ域にあったことを否定するものではないだろう。
種牡馬として
引退後はマイケル・テイバー氏の関与するクールモアスタッドの種牡馬としてアイルランドで2001年からスタッドインすることになった。2002年からはシャトル種牡馬としてニュージーランドでも種付けを行っている。
先述の通り4歳後半の連敗やかなりスタミナに寄っている血統も影響してか、初期の種付け料は同時にクールモアスタッドで種牡馬入りしたジャイアンツコーズウェイの3分の1の価格となっていた。
しかし蓋を開けてみれば、2004年のデビューと同時に初年度産駒が大暴れ。
モティヴェイターが英2歳G1レーシングポストトロフィーを制して早速G1ウィナーとなり、翌年には英ダービーも制覇。ちなみにその2着は同じく父モンジューのウォークインザパークで、初の産駒ダービー出走でワンツーフィニッシュを決めることとなった。
しかも愛ダービーではハリケーンランとスコーピオンがやはりワンツーフィニッシュを決め、スコーピオンはその後英セントレジャーも勝利。ハリケーンランは凱旋門賞も制覇し、父子制覇と同時にモンジューが獲得できなかったカルティエ賞年度代表馬の座を射止めた。
2005年にはフランスリーディングサイアー、英愛リーディングでもサドラーズウェルズを超えデインヒルに次ぐ2位となり、初年度産駒だけでサドラーズウェルズの後継種牡馬筆頭という地位を手に入れた。
…はずだったのだが同じクールモアで一世代下の
ガリレオが種牡馬としてモンジュー以上の大旋風を巻き起こし、
またしても2番手に追いやられてしまった。
そんな中でも堅実にG1馬を輩出し巻き返しを狙うかという中、感染症にともなう急性敗血症と合併症のため、2012年3月29日に16歳で亡くなった。
クールモアに三冠を夢見させた産駒の
キャメロットが英ダービーを勝ち4頭目の同レース勝利産駒となる2か月前のことだった。
この2012年の欧州競馬は
フランケルが猛威を振るう中だったにも関わらず、モンジューはガリレオと英愛リーディングサイアーの座をめぐり
シーズン折り返し時点でわずか10万ポンド差の鍔迫り合いを繰り広げていただけに非常に惜しいことである。
そして残されたモンジューの系統であるが、いろいろと不運が重なり存続が非常に厳しい状況にある。
モティヴェイターは活躍馬がトレヴはじめ牝馬に偏りぎみで一発ホームラン型なところがあり、後継種牡馬の輩出には至らないまま評価が低迷中。
ハリケーンランもあまり活躍馬を出せぬまま14歳で亡くなっており、3世代目産駒の出世頭だったダービー馬オーソライズドもトルコに輸出の憂き目をみた。その他の産駒も不振や早逝、障害競走向けへの転用ばかりで後が続いていない。
2025年現在は先述のキャメロットが種牡馬としてG1馬を複数輩出し奮闘しているが、これもその産駒の後継筆頭と思われたルクセンブルクが障害用種牡馬に向けられるなど明るい知らせが少なく、苦しい状況が続いている。
このような状況に陥った原因としては、一つは産駒の距離適性が10ハロン以上の中長距離に偏っていることである。
仕上がりの早い産駒もいたため2歳マイル戦のレーシングポストトロフィーを勝つことはあったが、古馬となると10ハロンから12ハロンの距離、あるいは3000m以上のステイヤー適性に落ち着く産駒がほとんど。昨今のスピード重視のトレンドで生産者受けのよい3歳以降のスプリント~マイル戦で実績を出した産駒がおらず、それが種牡馬としての評価の低さや、逆にスタミナを買われての障害競走向け種牡馬への利用に拍車をかけていると思われる。
もう一つは、牝馬の活躍馬がほとんどいないことである。
牝馬のG1ウィナー自体いるにはいるのだがG1を複数勝つような牝馬は輩出に至らず、そもそも絶対数が少ないためいい繁殖牝馬を取りづらいというのも敬遠要素となってしまう。
これは牝馬からも活躍馬を出したガリレオと差がついた原因でもある。
一方で牝系に入っての活躍も実績は積み上がってきている。
とくにモンジューの娘のうち20頭あまりは日本に輸入されており、そのうちの1頭である
ミスペンバリーから生まれた
パンサラッサは2022年のドバイターフで優勝し、翌23年にはサウジカップを制覇して世界で活躍、無事種牡馬入りした。
同じく2023年にはお膝元欧州でモンジューを母父に持つ
パディントンがマイルG1・4勝、
ドバイオナーもオーストラリアでG1勝利を挙げるなど活躍を見せた。
他にもモンジューの血を継いだ実績馬は多く、後述する通り日本競馬でもその活躍が話題をさらった。
かつての好敵手の生国にその血が渡り力になるというのも因果な話だが、今は残された後継種牡馬をはじめこの名馬の血を継ぐものたちが、さらにそのバトンを次代に渡せることを祈るばかりである。
代表産駒たち
モティヴェイター(2002年産)
低めに見積もられていた父の前評判を覆して見せた出世頭。
デビュー戦を6馬身差圧勝すると、続くG1レーシングポストトロフィーも2馬身半差の快勝で早々にモンジューにG1馬の父という称号をプレゼント。
翌年3歳も快進撃は続きG2ダンテステークスを制し、迎えた英ダービーも5馬身差の圧勝劇。無傷の4連勝で、初年度産駒にしてモンジューをダービー馬の父にしてのけた。
しかしその後エクリプスステークス、愛チャンピオンSと続けてオラトリオの2着に屈し、凱旋門賞は同父のハリケーンランの5着に敗退、このレースで現役を退き種牡馬入りした。
当初は英国女王エリザベス2世の所有するロイヤルスタッドで活動したがまったく活躍馬が出ず種付け料は75%も下落。2013年にフランスへ移動することとなったがここで名牝トレヴを生み出し、彼女の大暴れだけで2年連続のフランスリーディングサイアーに戴冠するミラクルを起こした。
…が、その後が続かず再び種付け料も下落し、苦しい状況に置かれている。再度の名誉挽回なるか。
なおモティヴェイターの産駒も20頭あまりが日本に渡っている。そのうちの1頭である
メーヴェはモティヴェイターがイギリスにいた間に生まれた産駒で、岡田スタッドに購入され来日。
繁殖目的の輸入だったが馬主の方針で日本で競走馬としてデビュー、6戦目で勝ち上がり世代重賞で好走するも結局条件戦を勝ち上がりOP入り、OP戦は勝利するも重賞は勝てずに繁殖入り。
自信をもって輸入したものの初年度の
ヴィクトワールピサから不受胎、
ディープインパクトに至っては受胎こそしたものの死産。
2018~2022年にかけては
ゴールドシップ・
キズナ・
エピファネイアなどを試すも
悉く不受胎と扱いに難儀していた。
しかし
オルフェーヴルおよび
ドゥラメンテとの種付けは成功し無事仔を成すことに成功。こうして生まれた
前者の産駒はメロディーレーン、
後者の産駒はタイトルホルダーと名付けられ、ともに日本競馬を沸かすことになる。
2023年にベンバトルの牝馬『シーガルワールド』を出産、2024年は
キタサンブラックと交配するも不受胎。
2025年時点で17歳と元々受胎しにくいうえに高齢化で更に受胎が厳しいが、数少ない誕生し活躍した産駒を見るに頑張って欲しい所である。
メーヴェ以外にも複数の産駒が重賞ウィナーの母となっており、中でも2020年富士ステークスを勝利し2021、2022年ドバイターフでも好走した
ヴァンドギャルド、
2023年皐月賞を制したソールオリエンス辺りを輩出した
スキアの存在感は大きい。
直系存続はやや厳しい状況ではあるものの、メーヴェやスキアのファミリー、そして種牡馬入りしているタイトルホルダーの存在から、暫く日本競馬の血統表には残る名前となるだろう。
ハリケーンラン(2002年産)
欧州最強の評価を得たモンジュー初期の産駒の傑作。
モティヴェイターの同期だが、2歳時は1戦のみで終了。
翌3歳はフランスダービー馬の座こそシャマルダルに奪われたものの、アイリッシュダービーでG1初制覇。ニエル賞を制してからの
凱旋門賞では終盤の不利をものともしない突破で完勝し、これが決め手になって
カルティエ賞最優秀3歳牡馬・
年度代表馬をダブル受賞。
翌年もタタソールズゴールドカップを制し、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでは
エレクトロキューショニスト、
ハーツクライとの三つ巴の死闘を制して優勝。
その後は勝利から遠ざかったものの凱旋門賞で
ディープインパクトと対決する等G1戦線をけん引した。
引退後は2頭のG1馬を出したものの小粒な産駒が多く、後継を得るには至らないまま2016年に手術後の合併症により亡くなった。
オーソライズド(2004年産)
2007年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬を受賞した第3世代のエース。
デビュー戦こそ敗れるも、未勝利のまま挑んだレーシングポストトロフィーはブービー人気ながら後方から差し切り完勝。
翌年は始動戦のダンテSを勝って英ダービーに参戦し、5馬身差の圧勝。名手ランフランコ・デットーリを初の英ダービー勝利に導いた。
次走のエクリプスSはノットナウケイトの2着に敗れるが、インターナショナルステークスはノットナウケイトとディラントーマスをまとめて撃破してのけた。その後凱旋門賞に1番人気で挑むもディラントーマスの10着と大敗し、現役を引退している。
引退後はゴドルフィンのダルハムホールスタッドで種牡馬入り。複数のG1馬を送り出しただけでなく、障害競走の頂点グランドナショナルを連覇したタイガーロールをも輩出する多彩さを見せた。
その後どういうわけか2020年からトルコに輸出、同地で繋養されていたが、2024年にアイルランドに買い戻されキャピタルスタッドでの繋養となった。
モンジュー産駒としてはかなり短い距離を得意としていただけに、寄り道を経て再びの活躍を期待したい。
フェイムアンドグローリー(2006年産)
歴史的名馬シーザスターズのド派手な活躍の影に隠れてしまった強豪たちの一頭。
フランス2歳G1クリテリウムドサンクルーを含む無傷の4連勝でオブライエン師が惚れ込むほどの評判から英ダービー優勝候補の筆頭と目されたが、
同期にシーザスターズという怪物がいたのが運の尽き。英ダービーでは自身をオブライエン厩舎から5頭が援護する必勝体制にも関わらず2着に敗れる。シーザスターズが回避した愛ダービーは5馬身差圧勝するも、次走愛チャンピオンSはまたもやシーザスターズに屈し2着、凱旋門賞でもシーザスターズの栄冠を6着から祝福する羽目になった。
シーザスターズ引退後はタタソールズゴールドカップ・コロネーションカップと
G1を連勝。その後はオブライエン厩舎の都合からかステイヤーにジョブチェンジしG1アスコットゴールドカップを制覇、2011年には
カルティエ賞最優秀ステイヤーを受賞するなど長く活躍した。
引退後は目立った産駒を輩出できないまま、種付け中の心臓発作により11歳の若さで亡くなった。
シーザスターズと同じ世代でなければ、あるいは対シーザスターズの刺客として扱われなければ、また違った未来もあっただろうか…。
セントニコラスアビー(2007年産)
何かと不運に見舞われがちなモンジュー産駒の中でもとりわけ辛酸をつぶさに嘗め尽くした悲劇の名馬。
2歳時はG2ベレスフォードステークス、G1レーシングポストトロフィーと立て続けに快勝劇を演じ、
同年活躍したシーザスターズに匹敵、
あるいは上回る逸材と評された。
しかし翌年のクラシック1冠目2000ギニーは圧倒的1番人気ながら6着に敗退。次走に予定していた英ダービーも筋肉痛のため回避し、結局この年コンディション調整のため全休を余儀なくされることになってしまう。
翌年復帰戦こそ敗れるものの、有力馬相手に2連勝でG1コロネーションカップを制し完全復活。その後は
フランケル、
デインドリーム、
ナサニエル、
シリュスデゼーグルと時代を彩る強豪相手に及ばずとも一歩も引かない激闘を繰り広げた。
こうして強豪ひしめく時代ながら
コロネーションカップ3連覇・
BCターフ・
ドバイシーマクラシックと最終的にG1・6勝を挙げ、特にドバイSCでは日本の誇る
ジェンティルドンナを2馬身差完封して日本の競馬ファンにも強い印象を残した。
そして3度目の正直でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを目指し調整中に、右前肢に重度の故障を発症。現役続行どころか生命にかかわるほどの大怪我であり、現役引退に追い込まれてしまった。
すぐさま病院にかつぎこまれたセントニコラスアビーの命を救うべく関係者らはボルトを20本も埋め込み、腰の骨も患部に移植する大手術を敢行。危険な状態はとりあえず脱したと発表されたが、その矢先に腸閉塞から疝痛を発症しすぐさま2度目の手術が実施。これも成功したが、1か月後に患部に一緒に埋め込んだピンが折れていると判明し3度目の手術を行った。
さらにそれから2カ月後には蹄葉炎を発症。かなり重篤だったがこの危機も耐え抜き、以後は蹄葉炎の再発に注意を払いつつ闘病が続いた。それから比較的状態は安定していたのだが、翌年1月14日に再び腸閉塞による重度の疝痛を発症。ここまで戦い抜いてきた本馬だったが今回ばかりはもはや手の施しようがなく、安楽死の措置がとられた。
7歳という若さでの早逝で、素質は間違いなかっただけに産駒を残せなかったことが大変悔やまれる。
亡くなった2014年のコロネーションカップは本馬による史上初の3連覇と追悼のため「
セントニコラスアビー記念」の副題を冠した。
レースにはかつてドバイで鎬を削った好敵手の
シリュスデゼーグルが
1番人気で挑み、
見事勝利している。
キャメロット(2009年産)
エイダン・オブライエン調教師とクールモアに三冠を夢想させ、かつ最も近づいた名馬。
未勝利戦をデビュー勝ちするとレーシングポストトロフィーに直行、かつ最後方からごぼう抜きという豪快な勝ちっぷりでG1初制覇。
翌年は2000ギニーに直行すると前年のフランス2歳王者フレンチフィフティーンとの熾烈な叩き合いを見事に制し、返す刀で向かった英ダービーは最後方からぶち抜いて5馬身差の圧勝を演じ
瞬く間にクラシック三冠に王手をかけた。
余勢を駆って愛ダービーも制覇してから挑んだクラシック三冠目の英セントレジャー。三冠馬誕生を夢見るファンから圧倒的な支持が集まったが、よりによってレース終盤に致命的な不利を受け、先頭を走るエンケをわずか
3/4馬身差捉えきれず惜敗。
三冠の夢は散った。
その後転戦した凱旋門賞は重馬場も祟って惨敗。翌年は始動戦こそ勝つがタタソールズゴールドカップ・プリンスオブウェールズステークスのG1連戦をともに古豪
アルカジームの前に屈し、ここで現役引退となった。
種牡馬としては堅調に活躍しておりG1馬も安定して輩出。2024年にはブルーストッキングが見事に凱旋門賞を制し話題となった。
ただし牡馬で最も活躍した産駒のルクセンブルクが障害競走向け種牡馬になってしまうなど、後継が不安な点は他のモンジュー産駒たちと変わりない状況である。
2024年は先述のブルーストッキング、ルクセンブルクにくわえロスアンゼルスもG1を制覇するなど勢いはあるだけに、この波に乗ってさらに評価を上げたいところである。
追記・修正は日本の夢を打ち砕かないようにしてお願いします。
- 作成乙。確かトレヴとも関係があったんだっけ -- 名無しさん (2025-03-26 01:04:45)
- トレヴの父父(祖父)がモンジューです。 -- 名無しさん (2025-03-26 18:16:34)
- ブルーストッキングが牡馬だったらなぁ……頑張ってくれキャメロット -- 名無しさん (2025-03-26 20:02:19)
- モンジュー無かったのか -- 名無しさん (2025-03-27 00:10:22)
最終更新:2025年04月14日 12:57