バガボンド(漫画)

登録日:2025/05/04 (日曜日) 23:50:00
更新日:2025/05/06 Tue 18:39:05NEW!
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強くありたい
強くなりたい でなく 強くありたい


バガボンドは井上雄彦氏による日本の漫画作品。原作は吉川英治の『宮本武蔵』。
雑誌モーニングにて連載中……なのだが、2015年の休載以降の音沙汰が無い。*1
2025年現在で単行本は37巻まで発売している。

間違えられやすいが、タイトルは『バボンド』であり、バカボンではない。
英語・フランス語で放浪者(漂泊者)を意味するVagabondである。


あらすじ

1600年の関ヶ原の戦いで立身出世を企んだ宮本村出身の新免武蔵だが、録な戦果も出せぬまま敗北してしまう。
元々村で鬼子として疎まれていた彼は誤解から殺されかけるが、仏僧の沢庵宗彭との出会いを経て剣士としての出世を志すようになり、同時に名前も宮本武蔵へ改名する。
天下無双を目指すべく吉岡道場宝蔵院へ挑み、その度に自らの未熟さや新たな教えを手に入れていく。その過程でむき出しだった殺気や粗野な言動は身なりを潜めるようになり、やがて風格が伴う剣豪へと進化していった。

主要登場人物

宮本武蔵

本名を新免武蔵(たけぞう)と呼ばれた宮本村出身の男。
物語序盤で宮本村を出奔する際に沢庵から改名を勧められ、宮本武蔵と以後名乗っている。
新免無二斎の息子であるが、疑心暗鬼に陥った父には畏怖の感情を抱いており、剣術の指南はされていない*2。なので戦闘センスや優れた腕力などは山で培われ、山が師であると公言するほどに半生を過ごしていた。
一方で武芸者の息子という出自と閉塞的な村の環境下では異物として扱われ、13歳の時に有馬喜兵衛を不意打ちで殺害した後は悪鬼と恐れられるようになる。本人は意に介さないどころか喜々として受け入れていたものの、心の底では人間として生きたいと渇望していた事を沢庵から教わり、以後剣豪としての道を歩む。
当初は野性的で恐れ知らずの無礼者の態度だったが、宝蔵院胤舜との決闘で死を恐れ、柳生石舟斎からは天下無双とは何かを問われ、一時は殺人を重ねてこそ剣豪に至ると考えるも、吉岡道場との因縁を経て殺し合いの輪廻に囚われた自分の立場を忌むようになり、残された遺族への悔恨や生殺与奪の無意味さを痛感するようになっていく。
性格はかなりの努力家で剣技以外にも農耕や仏像制作に精を出す様子が見られる。一方で不器用かつ頑固な所があり、言葉足らずで相手を困惑させる事や、相手の発言を必要以上に考え込んで自縄自縛に陥るような時が多い。若い頃は更に傲慢な気質が見られたが、多くの師を得た事で丁寧な立ち振る舞いができるようになった。
本位田又八とは幼馴染かつ悪友のような関係であったが、次第に開いていく立場の落差から愛憎混じった感情を向けられるようになる。
おつうとは当初は幼馴染なだけであったが、双方に恋心を抱いていた事は他者からは明らかなものであったため、最終的には将来の嫁と述べられるほど公認関係となっている。少なくとも武蔵側は他の女と遊ぶような素振りは一切見せない童貞である。

本作における二刀流は度々登場しているが、父が得意としていた攻撃と防御を兼ね備える十手術から着想を得て使用している。
作中ではまず一刀だけで相対し、乱戦時や窮地に陥った時に二刀流に切り替える場合がある。
吉岡道場の1対70戦で右脚に後遺症が遺るほどの深手を負って以降は杖をついて歩かざるをえなくなり、攻めっ気の強い剣術から受身の姿勢へ転化した。

本位田又八

新免武蔵の幼馴染で、宮本村の名士出身者。
武蔵の数少ない友人で、彼を関ケ原の合戦に参加するよう誘ったのも又八である。幼少ではその武蔵と唯一剣技で渡り合える実力者だったが、関ケ原で落ち武者狩りをしていたお甲と一緒に失踪後、武芸を怠った影響から非常に弱体化してしまった。
作中を通して言葉巧みに世渡りをしていこうとした男で、『お甲の情夫として生活⇒追い出された後に吉岡道場に忍び込み放火して追われる身となる⇒偶然から草薙天鬼より託された物品を元に佐々木小次郎を名乗る⇒佐々木小次郎本人と出会ってからは佐々木コージロウを名乗って仲介人を名乗る⇒用済みとなり殺されかけ逃げた先で武蔵と出会うが喧嘩別れ⇒決戦後の武蔵を沢庵の元へ送り届けおつうには夫婦になるよう伝え母を捜す⇒母と再会するがほぼ死に別れしてしまう⇒数十年後、路傍で武蔵の話をする芸人として生きる』という数奇な人生を経ている。
なので作中の大部分では生き恥を晒し続けているが悪人では無く、要所要所で武蔵を救い、自分を追って長年旅をしていた母や叔父には大恩を覚えるなど等身大の人間として描かれ続けている。空っぽで虚勢ばかり張っていた自分を弱いと反省し、まずは弱いと自覚してから強くなっていけばいいと諭される姿は、まるでジャンプの主人公のようでもあった。

佐々木小次郎

福井城*3の落城により死亡した佐々木佐康の忘れ形見の息子。
剣術の師である鐘巻自斎の元へ送られたものの高潮により従者の女は溺死し、唯一赤ん坊であった小次郎だけが生き残り、以後は鐘巻自斎の元で成長する。
しかし生まれついての聾者*4で読み書きも当時の水準でギリギリのレベルと意思疎通が難しく、実際に彼に関わった多くの者は物事をどう伝えればいいか苦心する様子が多い。
大柄だが童顔で切れ長の眼を持つ特徴があり、特に澄んだ瞳は人妻ですら魅了する。作中では居候していた家に何人もの女性を連れ込んでは性行為をしていたようで、数回ほどバレては女性を追放されていた。
性格は天真爛漫そのもので体躯に対し非常に純心。水のようにありのままを受け流す気質のようで、自然と一体になる術を武蔵以上に体得していた。
幼少期から形見の長剣を携え鐘巻自斎の手解き*5を受けていたが、天性の直感と優れた視覚や触覚によって才覚が一気に上昇。更に伊藤一刀斎の師事を経て臆病さを体得し、武蔵に負けず劣らずの剣豪となった。

本作における巌流は、聾者故に会話ができない⇒岩のように押し黙る剣豪⇒岩ではなく巌、という発想で辿り着いた我流の流派。
更に特徴でもある長刀は幼少期こそ持ち歩いていたが、伊藤一刀斎と共に旅立つ時には鐘巻自斎によって出会った海に投棄されている。

おつう

武蔵と又八の幼馴染の女性。捨て子だったため寺で育ち、後に又八の許婚として認められている。
天真爛漫で無邪気な性格だが御淑やかさとは無縁で、序盤は特に感情に任せて大暴れする様子も見られた。更に美貌によって多くの男性から惚れられる他、逆恨みを持たれているお杉以外からはおおよそ好感を持たれる性格の良さがある。
武蔵が宮本村から出奔した後は沢庵の勧めで柳生家にお世話となり、石舟斎の世話係として登場。時々セクハラされながらも柳生家で上手く生活しつつ、武蔵の事が気がかりでならなかった。石舟斎逝去後は柳生家を去って沢庵と共に寺で生活する一方、武蔵とは相思相愛の関係で将来の嫁と呼ばれていた。

沢庵宗彭

国から国へと放浪する仏僧で、行く先々に知り合いのいる人脈多き男。
宮本村で武蔵と出会ってからは彼に道を説く先人として度々登場し、おつうや小次郎など主要な登場人物とも過去現在のどちらかで遭遇している。
坊主ではあるが口は悪く、酒も飲むなど厳格ではない。武器は持ち歩いてはいないが兵法に通ずる面があり、辻風黄平を胆力だけで圧倒した事もある。

城太郎

自称:武蔵の弟子を名乗る子供。スタープラチナを操る学生ではない。
当初は武蔵からも厄介者扱いをされていたが身寄りの無い共通点から同行を許された。しかし宝蔵院胤栄との決闘でみっともなく遁走した武蔵を見て一度は見限るも、再戦で勝利し柳生家へ向かう武蔵に声をかけられ再び同行。だがその柳生家ではトラブルから逸れてしまい、同じく武蔵を追うおつうと同行する。
当初は登場人物が少なかった事から出番も多かったが、佐々木小次郎などの出番が増え、舞台が小倉に移るにつれ出番が急激に減った。


関係者

お杉

又八の母親。
宮本村の名士である本位田家を誇りに思う一方、それに固執し偏狭な思想を持ってしまっている。思い込みの激しさは特に凄まじく、彼と付き合いの多い武蔵(たけぞう)悪蔵(あくぞう)と呼んで出奔した原因と見做し、許婚関係にあったはずのおつうが消えた事で裏切者と呼んでいる*6
しかし又八への愛情は深く、行方不明となって以後は自らの足で方々に出向いて捜索し、時にニアミスしながらも長い年月をかけて捜し回る愛情に嘘偽りは無い。最終的にはその成果が実って再会を果たすが、長い旅路から身体が応えてしまったのか血痰を吐くほどに体調は悪化し、最期は又八におぶられながら亡くなった。
実は又八は実子ではなく、早逝してしまった夫が妾に産ませた又一を家名存続のために土下座をしてまでして譲り受けている。その際に末広がりな幸せを掴んでもらいたいと又八に名を改名し、周りからは偏屈な人間と煙たがれながらも女手一つで苦心しながら子育てをしていた。
又八の最大の理解者であり、彼が嘘や虚栄を繰り返してきたにも関わらず、叱るどころか受け入れたうえで進むべき道を説き、更に彼の自殺に付き合おうとするなど家名を抜きにしても息子への愛は真実確かであった。

お甲

関ケ原で落ち延びた武蔵と又八を匿った未亡人。
しかし実は盗品の売却で生計を立てており、辻風組には頭領から偏執的な愛情を持って追いかけられていた。
武蔵の手により辻風組が崩壊すると追手から逃れるべく又八と遁走。しかし京へ移住後はロクデナシとなった又八を捨て、自らは情婦として生計を立てる。
娘に朱美がおり、当初は武蔵に気にかけていたが京では吉岡清十郎と懇意になる。その清十郎が武蔵に倒されると短剣で一矢報いた後、身投げをして死亡した。

権叔父

お杉の弟で又八の叔父。
又八とは現実的な観点から分かり合っており、関ケ原合戦に参加するため出奔した際には後押ししていた。
その後の又八を捜す旅ではお杉に同行していたが、道中で又八を庇って武士の一撃を受け死亡してしまう。
その死の衝撃はかなりのものだったようで、又八はお杉から無事を問われた際に答えらえずにいた。

伊織

侍気取りの百姓だった父親の死体をバラバラにしようとした所を武蔵に止められた少年。
以後は武蔵が家に居候して農耕をする傍らで一緒に生活を共にしていた。しかし偶然から彼が時の大剣豪である宮本武蔵である事を知って剣術を師事するが拒否され、却って生き様や精神と読み書きを学ぶ事になる。
武蔵が小倉城への推挙を断っている事を不服に思っていたが、飢饉によって村ごと死の淵に立たされた時に武蔵が助命嘆願を申し出た事で願いが成就した。

武芸者

吉岡清十郎

京に拠点を構える吉岡流剣術の当主。
小柄で中性的な顔立ちから武蔵に女と間違えられるが、剣技に関しては極めて優秀で当初は武蔵も敵わなかった。
表向きは飄々とした風貌と夜遊びが頻繁な立ち振る舞いから内外の非難を浴びており、弟の伝七郎とは比較される立場にあった。しかし実際には吉岡家にかかる危険を事前に回避するために奔走していたようで、少なからず家を守るために行動していた事が死後明らかとなった。
その活動の一貫として伝七郎との決戦を控えた武蔵に夜襲を仕掛けるが、成長した武蔵に対して一瞬起こした逡巡が仇となり絶命する。

吉岡伝七郎

吉岡清十郎の弟で、兄とは正反対の無骨な外見に頑強な肉体を持ち合わせる。
剣士らしい愚直さと剣に対する努力は門弟からも慕われており、兄と比較して後継者はこちらが相応しいと言われるほどであった。実際伝七郎自身も兄を疎む心はあったが、兄の死後に慕っていた心を自覚して武蔵との決戦に改めて挑んだ。
武蔵とは京に出た直後に一戦交えているが火災もあってか再戦の機会を与え、翌年に再戦を誓った。その再戦では兄の敵討ちなどもあって執念を燃やしたが、成長した武蔵には一歩も敵わず死亡する。
彼の死をもって吉岡道場と武蔵の因縁は決定的なものとなり、長年に渡る因果を根付かせてしまう原因となった。

宝蔵院胤舜

本名を満田慎之介という宝蔵院流槍術二代目。
優れた槍術の才覚を持ち、15歳の時点で院内に互角の相手がいなくなり二代目を継承している。しかし立ち合いでは慢心を隠さず真剣みに欠け、周囲からもその点で顰蹙と恐怖を買っていた。そのため命のやり取りを行える対戦を期待していたが、武蔵の出会いまでその渇望は潤いを得なかった。
武蔵とは二度の対戦をし、一回目は圧勝したが、二回目は一転して敗北している。その敗北をもって精神的な成長を遂げると共に過去のトラウマを克服した。決闘後は武蔵と和解して再会を約束、傲慢さも無くなり先代の農耕を手伝う姿が見られた。

辻風黄平

幼少期に実母から滝に落とされたが直後に兄に救われ辻風組の一員となった。
その兄・典馬からは偏執的な愛を持たれており、12歳の頃にレイプされると憎悪するようになる。しかし典馬の殺害に失敗すると幽閉され、関ケ原の折に外部の人物によって解放されたがその時には典馬は武蔵に殺害されたため、代わりに武蔵を殺害しようと追跡を始める。
だが武蔵の殺害は沢庵によって妨害され、旅先で知り合った女娼が小次郎と仲良くしている事に怒りを覚え奇襲を仕掛けるが返り討ちに合うなど、わりと散々な目にあっている。
その後は宍戸梅軒の遺児の龍胆と共に暮らす中で鎖鎌を習得。偶然訪ねてきた武蔵と再戦をするが、指先を切り落とされ戦闘不能状態になってしまう。だが龍胆との日常に未練を残していたため命乞いをして生き延びたように見えたが、その後宅内にて死亡した事が発覚した。

柳生兵庫助

柳生新陰流の後継者。
石舟斎に溺愛されている孫で、剣技は若き日のそれにそっくりと言われていた。作中で石舟斎から正式に後継者として認められている。
作中では全編を通して武者修行をしており、武蔵とは二度相対しているも決闘はしていない。

草薙天鬼

鐘巻自斎の門弟。本名は亀吉だが、弱そうな本名を嫌ってか周囲には天鬼と呼べと強制している。
地元のガキ大将といった風格で、当初は小次郎を侮っていたが直後に撤回し友人となる。
地元で忌み嫌われていた不動を倒そうと小次郎と夜襲を仕掛けるも失敗し傷を負わされる。だが不動を自斎が倒すと弟子に志願して実力を伸ばしていった。
小次郎が一刀斎と旅立った後、自斎から免許皆伝の印可を託され後を追うが、城壁建築現場で密偵と間違えられ不遇の死を遂げてしまう。この時たまたま居合わせた又八に印可を託した事が、後の運命を狂わせる原因となってしまった。

数々の師

新免無二斎

武蔵の実父。
御前試合にて吉岡拳法を倒した天下無双の武芸者であったが、その重圧と地位を脅かす者への恐怖から疑心暗鬼に陥り、息子にすら刃を向けるほどに凶暴化してしまった。
攻防一体の十手を得意としており、武蔵はそこから着想を得て二刀流の運用に漕ぎつけている。
この作品にしては珍しく生死不明であり、作中時系列において死亡は確認されていない。

宝蔵院胤栄

宝蔵院流槍術の開祖。
非常に快活でさっぱりとした性格をしており、胤舜に跡目を譲ったにも関わらず門弟から尊敬され続けている。
日中は畑仕事に精を出しているが、武蔵が胤舜に敗北した後は彼の師として死の恐怖と敗北への直視を教えた。
柳生石舟斎とは同じ門弟として顔見知った仲であり、その彼が死亡すると翌年に後を追うようにして生涯を終えた。
何かと武蔵の前に幻影として現れては、好き勝手に振舞うコメディリリーフとして逸る武蔵の心を諫めるなど及ぼし続けた。

柳生石舟斎

柳生新陰流の開祖。
通称を剣聖と呼ばれるほど天下無双に等しい人物だが、老齢による衰えもあってか兵庫助に後継者を譲っている。
表向きは厳格な人物だが好々爺としての側面もあり、おつうの膝枕で死にたいとほざいた事もある。また負けん気が強いのか碁の勝負で台をひっくり返すなど、歳不相応な行為も平然と行った。
武蔵からは夜襲を受け切っ先を向けられるが幻覚でそれを跳ね除けたうえに、武蔵が望む天下無双とはただの言葉だと教えたうえで、改めて天下無双とは何かを問わせ続けた。
79歳で死亡。以後は武蔵の前に亡霊となって出て宝蔵院胤栄とコメディリリーフとして彼の心の師となった。

鐘巻自斎

鐘巻流開祖にして小次郎の育て親。
全盛期は天下無双として名高い人物であったが弟子の伊藤弥五郎に敗北後は隠居していた。しかし佐々木佐康が半ば無理やり押し付けてきた遺児の小次郎を見捨てられず、彼をしぶしぶ育て上げていった。
当初は聾者であった小次郎に苦労していたが、養育中に情が芽生えていったのか次第に生き甲斐となるほど執心。畑を耕し剣術の道場を開く事で生活費を何とか稼ごうとし、不動の討伐以後は近隣からの覚えも良くなり順調へと傾いていた。
しかし小次郎には実質していたも同然だが剣の稽古は行っておらず、彼が生き死にに関わる事で失ってしまう事を恐れていた。だが一刀斎が小次郎の真意を見抜いた事で遂に決心し、彼を旅立たせる事で剣を習っていた自分の人生を初めて肯定できた。

仏師

本名は不明で、武蔵が細川家の使者から逃走中に助けた一家の主。
本業は仏を彫る彫師だが上手くいっていないようで、一家を食わすために農業もしている。
武蔵には自分の居場所を迷う彼に常に自分がいる場所が円の中心と説いて、剣豪としての生殺与奪をこれからも続けるのかと問うた。
一方で居候中の所作の良さから彫師を継がないか勧誘したり、彼の妻は嫁を紹介しようとしたりと一家総出で気に入っていた節がある。

秀作

伊織の住む村の外れにいる百姓。
常に憎まれ口を叩き武蔵相手にも冷たい態度を崩さずにいたが、その実は領主からも見捨てられた村を救いたい一心で農作を続ける努力家で老人や未亡人に食糧を分け与え、種籾を盗んだ相手を殺さずに村全体に分け与えるよう命令するなど、究極のツンデレ気質なおじさんだった。
とはいえ武士を徹底的に嫌い、飢饉を前に村全体を救おうとする武蔵にも際の際になってようやく態度を柔和させるほどスローペース。
飢饉の最中には自分より村全体を救うべく奔走し続けたのが評価されたが、あまりに利他的な行動が過ぎた結果体調を崩してしまい死亡してしまった。
武蔵には「強くあろうとする余り、弱者の事を考えられないのか」と足元が見えていない事を指摘し、彼に道を説いた。

余談

井上氏の作品でも屈指の連載期間の長さを誇る本作だが、実は連載開始から12年が経過した2010年に氏が自身の公式HPにて「12周年の『バガボンド』はラストイヤーとなるでしょう。」と、本作の連載が年内に終了する旨のコメントをしていた事がある。*7
しかしこの項目を読んでいる皆さんも周知の通り、本作は年内終了を宣言した2010年以降も連載が続行したため、よく読者や氏のファンからネタにされている。




追記修正するのは人
閲覧するのは自分
冥殿は笑いはしない


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最終更新:2025年05月06日 18:39

*1 ヤングジャンプ連載の「リアル」も同時期に休止したため「井上雄彦=ずっと休載」というイメージを持たれがちだが、あちらは2019年以降、かなり不定期ながらも再開をしている。

*2 名乗る時は「作州牢人」など固有の君主や剣術を介さないものとなっている

*3 当時は北庄城

*4 耳が聞こえない者

*5 当人は「剣は教えぬ」と言っていたが事実上の稽古をしていた

*6 当然だがこれらは誤解によるもので、関ケ原に行ったのは又八から呼びかけた事だし、許婚関係が解消されたのは又八の行為が理由である。

*7 https://www.oricon.co.jp/news/72176/full/