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和田竜二

登録日:2025/12/16 Tue 12:35:00
更新日:2026/07/16 Thu 11:04:17
所要時間:約 7 分で読めます




和田(わだ)竜二(りゅうじ)は日本中央競馬会(JRA)・栗東所属だった元騎手。
日本騎手クラブ副会長兼関西支部長を務めた過去もある芸人宴会番長でもある。
既婚者で1男2女を儲けており、長男の陽希は2025年3月よりJRA騎手デビューを果たしている。

来歴

1977年6月23日に滋賀県栗東市に生まれる。
父・和田守は栗東で厩務員をしており、1997年の東京大賞典を勝利したトーヨーシアトルや、2009年の札幌記念などを制し獲得賞金3億円以上を得たヤマニンキングリーなどを担当。
兄・和田裕一も厩務員で、名スプリンターのデュランダルなどを担当。
甥・和田翼は元JRA騎手だった。

以上の通り和田一族は競馬関係に深く結びついた家系で、当人も小学生時代から乗馬クラブに通うなど後の騎手デビューの根幹となる部分を築き始めていた。
また幼少期には父が松永厩舎所属だった時代に現役のナイスネイチャと出会った事もあるようで、馬場秀輝厩務員からもよくお小遣いを貰っていたという話を語っている。

1993年に日本中央競馬会競馬学校に第12期生として入学。
いわゆる「競馬学校花の12期生」と呼ばれる世代で、
  • 名騎手福永洋一の息子にして三冠騎手で現調教師の福永祐一
  • JRA初の女性騎手の一人で、現在は競馬評論家・解説者として活躍する下ネタ女王細江純子
  • 中山グランドジャンプを制したが落馬事故により引退、しかし文筆家や障碍者馬術選手として活動する常石勝義
  • マイネル冠名の馬で中山グランドジャンプとNHKマイルカップを制した柴田大知と双子騎手として話題になった現調教助手の柴田末崎
  • 2年目にGⅠ制覇を成し遂げ、現在はベテランとして重賞勝利数も重ねつつある古川吉洋
などがいた。

1996年に競馬学校卒業後は栗東・岩元市三厩舎所属でデビュー。
当時は厩舎所属の騎手に騎乗依頼を優先させる文化が強かったので、1年目にしてGⅢのステイヤーズSを制覇する好スタートを果たす。

そしてそれからわずか2年後の1998年。
テイエムオペラオーという人生最大の相棒に巡り合えた事で、和田竜二の人生は大きく動き出す。
翌1999年皐月賞にて初のGⅠ初勝利を達成し、続く2000年には次に負けたら鞍替えすると言われる中テイエムオペラオーは年間無敗で重賞8連勝という大偉業を達成。その中で同年に設立された古馬三冠レースを完全制覇する(2025年現在でも2004年にゼンノロブロイとのコンビで達成したオリビエ・ペリエとの2例しかない)。
そして、当然ではあるが、テイエムオペラオーと共に日本競馬史上唯一のグランドスラム達成者でもある。

しかしテイエムオペラオーの引退後はGⅠレースに勝利する機会に恵まれず、2009年のマイルCSではマイネルファルケで2着、2017年のエリザベス女王杯でクロコスミアで2着、2017年オークスでモズカッチャンで2着、2020年にクリノガウディーで高松宮記念を1着入着したが4着降着処分など、とにかくシルバーコレクターになっている。???「呼んだ?」
またディープボンドで3年連続天皇賞・春連対達成など惜しいながらも実績は残してくれており、
デビュー年から2024年までに29年間も連続重賞連対記録を有し武豊に次ぐ長期間記録を出しているので十分一流の域には達している。

そんな和田も2018年にミッキーロケットでようやく宝塚記念を制したには「オペラオーが後押ししてくれた」と同年に亡くなった相棒の事を語っていた。

地方競馬ではJpn1を制覇しており、ワンダーアキュートでJBCクラシックやかしわ記念を勝利した。

2026年には下記の通り調教師試験を合格したため2月末で引退が予定されていたが、1月11日の京都第1Rで騎乗中に落馬負傷してしまう。
この怪我の影響で現役継続中の復帰が難しいと判断されたのか、このまま引退し調教師転向への準備へ入る事が発表された。
なお引退式は4月26日に京都競馬場で行われ、同日には本人たっての要望で自身が主戦を務め、現在は誘導馬の仕事をしているディープボンドでGⅡマイラーズカップの誘導騎乗を披露した。

騎乗スタイル

闘魂注入と称されるほどに激しい鞭捌きと先行策を得意とする。

先行策自体はデビュー直後の岩元調教師から教えられてきたのが根幹にあり、直線内側で早仕掛け気味に押し切って勝つ戦法が多い。
また直線で脚を残せるように内ラチ沿いに進行し、距離ロスを無くして最後に押し切るというのもかなりみられる。
こうした戦法は現在のサンデーサイレンス系統が主流となった直線差し切り勝負とは真逆の方向を行くもので、それ故に見切られてしまうとペースメイカーとして利用されてしまう弱点にもなってしまう。

しかし先行策から来る闘魂注入スタイルはズブい馬を良く走らせる評判の良さがあり、
2016年の小倉記念でクランモンタナに騎乗した際には30発の鞭入れを行い堂々の先行で押し切る勝利を飾った。
……が、当の馬からは殺意を向けられるほどブチ切れられたようで、レース後の写真には脱水症状寸前の和田とキレ顔全開のクランモンタナというシュールな光景が記録されている。
また2015年の東京大賞典でワンダーアキュートに騎乗した際には43発の鞭入れを行い、9歳馬を見事3着に届かせた。

馬主からはどんな馬でも乗ってくれると好評で、それが幸いしてか2009年から14年連続で800回以上の騎乗記録がある。
特に2017年には1021回騎乗というとんでもない回数をこなし、2位の幸騎手1016回とかなり回数で競り合っていた。
ただし騎乗数に比例してか制裁点もかなり多く、年間で30点という数字を出すこともしばしば。

テイエムオペラオーとの絆

同馬の項目でも多く触れられているが、和田竜二といえばテイエムオペラオーというのは競馬ファンでは共通の認識だろう。
岩元調教師に預託されたテイエムオペラオーに騎乗した和田竜二は、新馬戦こそ惜しくも2着だったが1999年2月の未勝利戦でようやく勝利する。
この時実は「(同厩・同馬主で共にダービーにも出たテイエムトップダンと比べ)特別なものを感じない」と思っていたらしく、この感覚は毎日杯勝利後にようやく払拭。
続くクラシック第一関門の皐月賞で勝利すると、その成長力を認めていった。*1
日本ダービーでは早仕掛けが響いて3着となったが、これは後に「自分がオペラオーを信じ切れなかったからで、あの馬なら馬群を割る実力があった」と回顧している。
菊花賞ではアドマイヤベガに気を取られすぎて今度は仕掛け遅れとなり、ナリタトップロードに隙を突かれ敗北。この時馬主の竹園は鞍上交代を要請していたが、岩元の必死の説得により何とか回避された。
その後ステイヤーズSや有馬記念で惜敗を重ねるが、実力を評価され最優秀4歳牡馬に抜擢。そのJRA賞受賞記念の食事会で「来年は一度も負けちゃいかん」と厳命された事で、和田は過酷な2000年を迎える事となる。

当時の和田は他から見ても近寄りがたいほど追い込まれていたようで、武豊からも「盤外戦術として距離を置いていた」と言われている*2
だが相当なプレッシャーに揉まれて闘った春競馬を経て精神的な成長を遂げたのか、天皇賞・秋では「府中で勝ったことが無い」とコース不安に対する返事ができるほど余裕を見せている。
ただそんな和田でも有馬記念の包囲網は絶望的な状況だったようで、最後には諦めかけていたにも関わらずテイエムオペラオーが自分で活路を切り開き勝利を導いた。勝利ジョッキーインタビューでは、内心オペラオーは勝負をし続けたのに諦めていた自分を悔いていたようで、さほど嬉しそうではない様子が窺える。

翌年はさすがに全戦全勝とはいかなかったが天皇賞・春を制し、宝塚2着、秋天2着、JC2着、そして年末の有馬記念で5着健闘で引退。
和田は「オペラオーに相応しい騎手になるまで会いに行かない」と言っていたが結局何度か会いに行っている
2018年にオペラオーが逝去した際には彼が斃れた放牧地の同じ場所に寝転がって最期の景色を自らの目に焼き付けたという。
以後、墓前には毎年足を運んでいるようで、やはり彼と歩んできた歴史がどれほど偉大なものだったのかを物語っている。

そして次の時代へ

2025年12月11日、JRA新規調教師免許試験に合格した事が報道で発表。
かねてより「息子が騎手デビューしたら引退する」と話していたこともあり、以前から受験しているのではないかと噂されていたが実際に3年前から受験をしていたようだ*3
同年にJRA騎手の藤岡佑介騎手も調教師試験に合格しており、揃って騎手合格のお祝いの言葉が各所より贈られていた。
なお、これにより2026年2月28日(土)の騎乗を以てJRA騎手免許を返納し引退する*4事が確定*5
しかし残念な事に1月11日の阪神1Rで高杉吏麒騎手の斜行による落馬事故により以後の現役中の騎乗が不可能となり、そのまま引退となる運びとなった。
1年間の研修期間を経て、2027年より和田厩舎が開業する予定。

余談

  • 競馬学校時代の一番の思い出は落馬事故だったらしいのだが、救急車で運搬中に「意外と大丈夫かも」と思っていた。
  • 他の騎手からも人格者であることをよく言及されており、「常に愛妻弁当でお昼を食べている」「和田が怒っているのを態度に出しているところを見たことがない、非常に温厚な男だと思っている*6」などの証言がある。
    その一方で川田将雅騎手だけはなぜか「和田さんほど怒らせてはいけない人物は少なくとも栗東にはいなかった」旨をはっきり口にしており(その割には川田がやらかしたというわけでもない様子)、ファンからは冗談めかして中央競馬のミステリーのひとつ扱いされている
  • 騎手会の新年会や旅行の宴会では新人ジョッキーによる一発芸披露のステージがあり、そのプロデュースを務めている。曰く「こんなんもできんでG1に乗れるか!」とのことで、単なるレクリエーションだけではなく精神を鍛える目的もあるという。
    武豊は「和田の後輩じゃなくて本当に良かった」と言うほどの内容らしいが。
  • 海外競馬の観戦が趣味で、休日は繋駕速歩競走なども含めた様々なレースを見ているらしい。2013年夏には騎乗停止期間を利用し単身アイルランドへ飛び、名門エイダン・オブライエン厩舎に突撃して調教を手伝うなどアグレッシブな一面も見せた。
  • 2015年東京大賞典のワンダーアキュート43発闘魂注入だが、当時のドイツ競馬の競馬法に照らし合わせると約2500億年の騎乗停止処分*7となるとネタにされた。
  • 女性向け競馬情報サイトUMAJOのプロフィールではまともな事がほぼ書いておらず、好きな漫画に「小学6年生」、レース前にすることは?で「生きています」など珍回答が連発。
  • 和田がフリップで「パイオツ」と答えている画像が一部で有名だが、これは「女性と会った際に最初にどこを見るか?」という質問のもの。いいのか?
  • 非常に表情豊かでファン想いなことでも知られている…のだが、ファンイベントの際にカツラ系の出オチなどのとにかくくだらなすぎるギャグをぶちかましてくる欠点もある。
    • 都市伝説だが、メディアミックス『ウマ娘』におけるオペラオーの表情は基本的に和田竜二百面相から3Dモデリングや作画が行われているとする説がある*8。それだけ喜怒哀楽に溢れた顔をしており、また写真が残されているジョッキーならではの珍説と言える。
  • 2018年の宝塚記念を制覇後、相当嬉しかったのか戸崎圭太騎手に熱いキスをしているのがカメラによって映されていた。
  • 2022年に開始した自身のYoutubeチャンネル内企画「引退競走馬を追う」でメイショウドトウと会った際、普段は温厚なドトウにガブリと噛みつかれており、様々な考察から和田竜二=周囲の人間を悲しませる憎きテイエムオペラオーと認識している説が浮上した。
  • 調教師試験合格により設立される和田厩舎だが、同名の厩舎は美浦に3つ存在している。何なら和田雄二という調教師もいるくらいに名前が被っており、今後は栗東の和田厩舎と呼ばれるのが基本となるのだろう。

追記・編集は闘魂注入をしてからお願いします。

凄い苦しい項目でしたが……\ウッ/

最終更新:2026年07月16日 11:04

*1 ただし岩元調教師は前からの競馬を想定していたらしく、後方一気のこの勝負にお怒りだった。

*2 この時の関係が和田側からは相当トラウマだったようで、後年のファン感謝祭で行われた逆ドッキリのネタバラシの際には安堵感で涙を流している。

*3 1日16時間の猛勉強をしていたと語っていたり、不合格の時には猛烈に凹んでいた事が息子より語られている。

*4 ルール上兼業できないことが明記されている。直近のこれによる立場の変更として福永祐一騎手/調教師など

*5 本来は2026年1月1日から研修期間に入るのだが、現役騎手の場合は特例で本人意思による延長が認められている。

*6 これはソースがはっきりしており、武豊騎手が言及

*7 鞭は3回まで、4回打つと14日間、5回42日間、5回目以降は前回の倍となるため、2530億3829万2419年の騎乗停止。なお、これはネタとなった2023年の改正であり、2015年当時はそこまで厳しくはない。

*8 レース勝利時の「振り向いて微笑む」、サポートカードR版など