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モロッコ

登録日:2026/04/28 Tue 02:25:13
更新日:2026/07/01 Wed 11:47:38
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「モロッコ!モロッコ!んー、モーロッコー!!!」

「野郎共!これまでいろんな超常現象を見てきたが、いよいよ次が最後だ!」

「ラストはーーーー」


「神秘の国モロッコだー!!!」


モロッコとは、アフリカ大陸にある国の一つである。正式な国名は「モロッコ王国」。


【概要】

アフリカ大陸北西部の端っこにある国であり、隣国にアルジェリアとモーリタニアが存在している。
ジブラルタル海峡を挟んでいるとはいえ、スペインが目と鼻の先にあるほどめちゃくちゃ近い。天気のいい日には対岸のイギリス領ジブラルタルが見えるほど。
首都はラバト。代表的な観光地はマラケシュ*1とカサブランカ。
イスラム教徒がとても多い。

アルジェリア、チュニジア、リビアと引っくるめて「西方」または「日の没する大地」という意味の「マグレブ」の一国で、国土面積は(西サハラを除き)日本の約1.2倍。
国土のほぼ中央には4つの山脈が国を分けるように聳え立っており、沿岸地、山岳、高原、砂漠の4つのエリアに分かれている。
また、日本のように四季が存在しているが、雨はやや少ない。
大西洋沿岸部は水に恵まれ、穀倉地帯が広がっているが、内陸に入ると砂漠と岩だらけの不毛のエリアがどこまでも続いている。


【歴史】

紀元前3000年頃から先住民族ベルベル人が住んでいたが、紀元前12世紀には沿岸地域にヨーロッパからフェニキア人がやってきたのを機にヨーロッパの国々との関わりが始まる。
5世紀になるとゲルマン民族のヴァンダル族がモロッコの沿岸部一帯を支配。
やがて6世紀になると、国土は東ローマ帝国やゲルマン人の一部やベルベル人によって分けられ支配されていくことになる。

7世紀にはアラブ人が侵入し、ベルベル人にイスラム教への服従を強要するようになったが、彼らの根強い抵抗によってその束縛から解放されることになった。
その後イドリス1世がベルベル人達の力を借りてモロッコ初のイスラム王朝『シーア派イドリス朝』を興した。
彼の死後は息子のイドリス2世が北モロッコの民族たちを統治することに成功。
以降イスラム文化が広まり、ベルベル人にもアラビア語が普及していった。

その後はいくつかの王朝に分裂するが、1102年には現在のモーリタニアから興ったムラービト朝が勢力を拡大。
その衰退後の1152年にはムワッヒド朝がチュニジア、アルジェリア、スペインのアンダルシア地方を手中に収め、最大の勢力を築き上げた。

しかし1212年には勢力が衰え、以後様々な王朝が現れては滅び、沿岸部はキリスト教の勢力に支配されることになる。
そんな中1549年モロッコ南部生まれのムハンマド・エシュ・シェイフは混乱状態のモロッコを統一してサアード朝を建立。
その後は海外の勢力を駆逐して沿岸部を奪い返した。
王朝が滅びた後も太守ハッサン家がベルベル族の部族たちの反乱を鎮圧し、沿岸地方を外国の勢力から全て取り戻すことに成功した。
1578年のマハザン川の戦いでは、スペインと共に巨大な植民地帝国を築き上げていたポルトガル海上帝国に快勝し、ポルトガル王セバスティアン1世を討ち取ってみせるなど欧州にも負けない軍事力があった。

1666年ムーレイ・ラシッドによってモロッコが統一され、アラウィー朝が興され、弟ムーレイ・イスマイルはヨーロッパの列強と国交を結んだ結果、19世紀初頭までモロッコは強力な力を保っていた。
しかし19世紀頃になるとヨーロッパ諸国の領土争いに巻き込まれ、1912年モロッコはフランスとスペインに事実上支配されてしまうのだった。
彼ら二カ国から様々な圧力をかけられてしまうものの、第二次世界大戦後には主権を取り戻すことに成功。
以後はアラウィー朝が立憲王制の元、国を統治している。北アフリカでは現存唯一の君主国である。


【国際関係】

モロッコの国際関係についてまず取り上げられるのが、南にある西サハラ地域を巡る問題である。
色付きの世界地図でアフリカ北西部にある白塗りで表される(=領土未画定)地域といえばわかりやすいか。
この地域はモロッコ南部などと共に「スペイン領西アフリカ」として植民地支配を受けていたが、1975年に宗主国スペインが領有権を放棄して撤退、するとモロッコはこの地域の領有権を主張し、モーリタニアと領土分割を行った。
しかし現地の住民からはこれに反発する動きが生じ、アルジェリアの支援を受け武装勢力「ポリサリオ戦線」が結成、モロッコとモーリタニア両国との闘争を開始した。

ポリサリオ戦線は「サハラ・アラブ民主共和国」としての独立を宣言し、対モーリタニア戦を優位に進め、1979年には和平と領有権放棄を勝ち取った。
一方モーリタニアが放棄した領域にもモロッコが侵入し、対モロッコ戦は継続。
最終的に1991年に国連の仲介で両者は停戦、モロッコは沿岸部を中心に7割を、ポリサリオ戦線は内陸部を中心に3割を実効支配することになり、帰属決定のための住民投票を行うことが決められた。
そのための監視団としてPKOも派遣されたが、現在まで住民投票は延期され続けており、事態の解決は見通せない状態となっている。

2026年現在ではアフリカと中南米を中心に40か国ほどが「サハラ・アラブ民主共和国」を承認しているが、外交関係を停止したり承認を取り消したりする国も出ている。
一方アメリカ合衆国を始め50か国ほどはモロッコ政府の出した自治案を支持し、西サハラをモロッコ領と事実上みなしている。日本などはどちらの立場にもついていない。

この西サハラ問題の影響もあり、モロッコはポリサリオ戦線を支援するアルジェリアとはすこぶる仲が悪く、度々国交を断絶する事態にもなっている。
そのほかスペインとは地中海沿岸の都市セウタとメリリャを巡って領土問題を有する。実効支配を行うスペインは「固有の領土」として支配の正当性を主張するが、一方でイギリスにジブラルタルの返還を主張する……とダブスタちょっと面倒くさい事態になっている。

一方でもう一つの旧宗主国であるフランスとは仲が良く、経済的・軍事的な協力関係が続いている。
アメリカ合衆国とも関係が深く、実はモロッコは世界で初めてアメリカの独立を承認した国。1786年には平和友好条約が結ばれ、これは240年が経った現在でも有効である。
日本とは独立を回復した1956年に国交を樹立。モロッコの親西側外交もあって友好関係を結んでおり、皇室とモロッコ王室との交流も深い。


【モロッコの料理】

モロッコには様々な料理が存在するが、その中でも特徴的なものを挙げさせていただく。

タジン
タジン鍋を用いて作られる挽肉の煮込みのようなもの。料理の一種とも見なせる。
尖った形の蓋が特徴的だが、これは水蒸気を循環させることで無水で調理できる砂漠の知恵である。
  • 作り方
1、まずひき肉に塩・胡椒・7種類のスパイスをかけてこねる。
2、玉ねぎトマト、塩、胡椒を入れて炒める。
3、鍋蓋をかぶせて煮込む。
4、ひき肉を団子にして鍋に入れた後、20~25分煮る。
5、時々蓋を開けて団子をひっくり返しつつ、卵を割り入れて完成。

クスクス
パスタの一種で、『世界一小さいパスタ』と呼ばれている。
  • 作り方
1、牛肉の塊、ウリ、トマト、にんじんジャガイモ、45種類のスパイスを入れてスープを作る。
2、蒸し上がったクスクスを大きい桶に入れた後、少し水を振る。
3、クスクスを蒸し器に入れ、火にかけてもう一度蒸す。
その後は大皿に敷き詰めてスープの野菜や唐辛子などをキレイに乗せた後、スープをかけて出来上がり。

「簡単でしょう?」


【サッカー代表】


アトラスの獅子」の愛称で呼ばれる、アフリカ大陸の雄。

W杯には1970年メキシコW杯で初出場。1986年メキシコW杯ではアフリカ勢初のグループリーグ突破(ベスト16)を果たしている。
しかし長らくそれが最高成績で、21世紀に入ると、2002~2014まで4大会連続で本戦出場を逃しており低迷していた。
「サッカーが人生」と言えるほど国民にはサッカーが根付いており、隠れたサッカー大国として潜在能力はあったが、基盤が整っていなかったのだ。

転機となったのは、国王ムハンマド6世が2009年、国内サッカーの体制の改革を始めたことがきっかけだった。
世界最高のエリート養成所と呼ばれるフランスのクレールフォンテーヌ国立サッカー養成所をモデルに、ムハンマド6世アカデミーを設立。
さらにフランスからテクニカルディレクターを招聘してコーチや監督の育成も進められ、クラブでもアカデミーが作られていった。
こうして各地のサッカー施設やインフラがフランスをベースに整えられていった結果、2022年カタールW杯にて大躍進。
ベルギースペイン、ポルトガルを破ってアフリカ勢初のベスト4進出という偉業を成し遂げた。
日本と同じくハリルホジッチ監督を本大会直前に解任したことは内緒だ
破った相手と敗れた相手(フランス)から、一部の世界史クラスタは「ウマイヤ朝」「トゥール・ポワティエ間の戦い」と評していたとか。

なお、(距離・文化的に近いこともあって)あまりにもヨーロッパ被れであることからアフリカ中から目の敵にされているという、南米でいう所のアルゼンチンみたいな立場らしい。


【余談】

漫画「ボボボーボ・ボーボボ」では首領パッチの好きな国として紹介されている。
理由は「言葉の響きが良いから」

作中でも登場するが、作者のテキトーなイメージでそこらへんに「神」とか書かれている大きなタワーやビルが聳え立っている国として書かれていた。
「うーんどこからどう見てもモロッコだわ♡」「引っぱたくぞこの作者!」

駄菓子のモロッコヨーグルは、ブルガリアを使いたかったが大手メーカーのあれと被るので断念したのと、モロッコがブルガリアと同じくヨーグルトが愛飲されていたからという理由で付けられている。


モロッコでトロッコに乗ってシロッコに突撃したことのある方、追記・修正お願いします。


参考文献:「地球の歩き方 モロッコ」ダイヤモンド社 ISBN978-4-478-06081-0
「ダヤンのスケッチ紀行 モロッコへ行こう」池田あきこ ISBN4-87197-197-X
【公式】世界最高峰の育成を誇るフランスの「クレールフォンテーヌ」をトルシエが丸裸に!|FOOT×BRAIN+ #728( 外部リンク

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最終更新:2026年07月01日 11:47

*1 日本の歌手松田聖子は、1988年にこの街を題材とした曲「Marrakech〜マラケッシュ〜」を発表している。