登録日:2010/01/19(火) 03:35:36
更新日:2025/03/31 Mon 02:37:05
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片町線/学研都市線(かたまちせん/がっけんとしせん)は木津駅から京橋駅を結ぶ
JR西日本の鉄道路線である。
路線記号は
Hで、ラインカラーは
■桜桃色。
かつては「これからの若いエネルギーをイメージ」した黄緑色だったが、駅ナンバリング制定に際し
JR東西線と共通のものとなった。
概要
正式名称は片町線であるが、現在は学研都市線の愛称で案内され、片町線の名称が使用されることはまずない。
駅もなくなったしね。
北海道に
似たような愛称の路線があるが無関係。
大阪府北河内地域と
京都府南部から大阪・神戸を結ぶ通勤路線であり、愛称の由来となった関西文化学術研究都市の田辺地区へのアクセスも担う。
大阪近郊の路線では最後まで旧形国電が使用されていたことから、毎日放送の深夜ラジオ「MBSヤングタウン」でも当路線が取り上げられ、「牛が引っ張る片町線」「車内でサンマを焼く」「葉っぱがお金の片町線」などと貶されるのがお約束だった。そのあまりの貶されぶりから番組ファンクラブの会報誌でも紹介されたこともある。
歴史
四條畷神社や野崎観音への参詣路線および寝屋川舟運の代替として1895年に開業し、1932年には四条畷~片町間が電化開業を果たしている。
そのため「関西国電の発祥路線」とされており、かつての車両基地である淀川電車区(現:網干総合車両所放出派出所)には「省電記念の碑」という石碑が立てられている。
戦後の1950年には長尾~四条畷間が電化されたが、残る木津~長尾間の電化はそこから約40年後の1989年3月となった。
この経緯から電車特定区間は京橋~長尾間のみだったが、2025年4月以降は全区間へ拡大が決まっている。
1979年には関西圏の国鉄路線としては初めて自動改札機が導入された路線でもある。
導入区間は電化区間の長尾~片町間で、同時にこの区間は複線化もなされている。
1987年に分割民営化されてJR西日本に引き継がれると、本格的にテコ入れを開始した。
まず手始めに、1988年のダイヤ改正から他線区と同様に学研都市線の愛称の使用を開始し、
上下合わせて僅か3本ではあるものの、快速の運転を開始した。
翌1989年には前述した木津~長尾間を電化開業、更には京阪電気鉄道からの請願駅という扱いで、大住~長尾間に新駅「松井山手」が誕生、松井山手~片町間が複線化された。
そして、学研都市線の歴史が大きく変わったのは1997年。
京橋駅と尼崎駅を結ぶ
JR東西線が開業し、
JR神戸線・
JR宝塚線との直通運転を開始、大幅に利便性が上がった。
その代わり長らく終点で、路線名の由来である片町駅が廃止されている。
運行形態
ダイヤは木津・同志社前~塚口間の区間快速4本と、四条畷~須磨・西明石間の普通4本の計8本での構成を基本に、
ラッシュ時は松井山手~四条畷間で通過運転を行う快速が運転されるほか、
JR神戸線直通の普通が松井山手発着となり、四条畷~京橋間に線内運転の普通が設定される。
また、快速はJR宝塚線宝塚・新三田・篠山口まで直通する。
何だかんだで大阪市内やその近辺では本数の多い路線だが、京橋から遠ざかるにつれ本数が減少、日中に至っては“半減”していく。
1時間辺りに見ると、
- 京橋:区間快速×4、普通×4(計8本)
- 四条畷:区間快速×4、普通全て折り返し
(以東4本)
- 同志社前:区間快速2本折り返し
- 木津:始発区間快速2本
なお、朝の下り区間快速は京橋から先のJR東西線・JR神戸線・JR宝塚線内では普通となる。
その為、車両自体は区間快速と同じなのに、走っている区間で種別が違うという事がよくある。
車両
大阪近郊のJR路線では古くから4ドアの通勤形がメインで使用されており、歴代見てもクロスシート車の導入が非常に少ない。
かつては木津~京田辺間は4両が限界だったが、ホームの延伸工事が実施され2010年3月13日ダイヤ改正から全区間7両での運転となった。
これは主に207系と321系の予備共通化による車両運用の柔軟化が目的で、客が増えたから7両化、という訳ではない。
1991年に登場したJR西日本初となる自社設計の通勤型電車。
量産車は最初に同線に導入され、103系をいち早く置き換えた。
国鉄・JRを通じて通勤型初の幅広車体で、当時の関西私鉄の通勤形と同じく袖仕切りのスタンションポールがない。
妻部に巨大な開閉窓を装備したため、車間の貫通路が中心からずらされて設置されているという珍しい構造を持つ。
量産先行試作車を除いて4+3両だが、かつては6+2両の編成も存在した。
増備時期によって0・100・1000・2000番台の4種類に分かれるが、外観はほとんど同じ。
2005年に脱線事故の影響で塗装と座席モケットが変更され、2015年から体質改善工事が開始されている。
登場は2005年だが、学研都市線での運行開始は2008年から。
内外ともども207系のアップグレード版だが、車内にはJR西日本の一般形車両では初の液晶モニタが装備されている。
7両固定編成のため当初は京田辺までしか乗り入れていなかった。
駅一覧
<凡例>
●…停車
|…通過
駅 名 |
区 間 快 速 |
快
速 |
接続路線 |
一部列車は大和路線奈良駅まで直通 |
木 津 |
● |
● |
JR西日本:関西本線/大和路線・奈良線 |
西 木 津 |
● |
● |
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祝 園 |
● |
● |
近畿日本鉄道:京都線(新祝園駅) |
下 狛 |
● |
● |
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JR三山木 |
● |
● |
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同志社前 |
● |
● |
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京 田 辺 |
● |
● |
近畿日本鉄道:京都線(新田辺駅) |
大 住 |
● |
● |
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松井山手 |
● |
● |
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長 尾 |
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● |
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藤 阪 |
● |
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津 田 |
● |
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河内磐船 |
● |
● |
京阪電気鉄道:交野線(河内森駅) |
星 田 |
● |
● |
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寝屋川公園 |
● |
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忍 ケ 丘 |
● |
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四 条 畷 |
● |
● |
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野 崎 |
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住 道 |
● |
● |
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鴻池新田 |
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徳 庵 |
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放 出 |
● |
● |
JR西日本:おおさか東線(久宝寺方面) |
鴫 野 |
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| |
JR西日本:おおさか東線(新大阪方面) Osaka Metro:今里筋線 |
京 橋 |
● |
● |
JR西日本:大阪環状線・JR東西線 京阪電気鉄道:京阪本線 Osaka Metro:長堀鶴見緑地線 |
一部列車を除き全列車JR東西線直通 |
かつては直通快速がJR東西線方面から放出を経て
おおさか東線・
大和路線経由で奈良駅まで運転していたが、おおさか東線新大阪~放出間開業に合わせて
新大阪駅発着に変更され、同線への直通が廃止された。
駅紹介
奈良線・大和路線乗り換え。
京都府最南端の駅。
京都府南部の木津川市の代表駅で京橋方面・京都方面・奈良方面・亀山方面の4方向に線路がある。
でも学研都市線が使えるのは実質1面1線だけで留置線もなくなってしまったので即折り返し。渡り線ください。
住宅街の中にあるゲートのような駅舎?の1面1線のローカル駅。近鉄京都線山田川駅へは徒歩1kmくらい。
「ほうその」と読む。
近鉄京都線乗り換え(新祝園駅)。
精華町の代表駅。ここから木津までは1編成しか入れない。
以降JR三山木まで近鉄京都線と並走する。
棒線駅。近鉄京(ry狛田駅がすぐ側。高校が近くに1校ある。
近鉄(ry乗り換え(三山木駅)。
近鉄の駅名と被る為、「JR」と付いている。
高架駅で交換可能。土休日には京橋方面の始発列車がある。
同志社大学京田辺キャンパス方面のバスターミナルになっている。
駅名から分かる通りこの駅も同志社大学京田辺キャンパスの最寄駅。少し歩くが近(ry(興戸駅)。
駅舎もそれをイメージした造りになっている。
かつては583系を改造した待合室があった。
2面2線構造に見えるが実際は棒線駅となっている。ホーム延伸前は実際に2面2線であり、閉鎖されたホームは京橋方折り返し専用となっていた。ホーム延伸工事で構内踏切を潰したことによりこのホームも使用停止になっている。
新田辺駅と共に京田辺市の代表駅となっている。
1997年までは普通に「田辺駅」だった。
ホーム延伸前は207系の分割併合が頻繁に行われていた。
ラッシュ時には当駅で京橋方面に折り返す列車も多い。
一休さんで有名な一休宗純が亡くなるまでの25年間に渡り住んだ酬恩庵の最寄駅。
き(ryと並行する区間は大体ここまで。
POS端末の発券を受けられる沿線唯一の駅。
これより先は複線区間。その関係で当駅で折り返す列車が多い。
北陸新幹線が延伸した暁には当駅付近を通る予定。
京阪が開発したニュータウンの最寄り駅。
大阪府最東端の駅。枚方市の当路線の駅としては一番利用が多い。
周辺には王仁公園や山田池公園などがある。
駅に隣接する衣類工場には当駅でかつて使われていた駅名標が保存されている。
京阪電気鉄道交野線乗り換え(河内森駅)。乗換駅だが300m程離れているので注意。
JRにおける交野市の中心駅。
戦前は当駅から大阪砲兵工廠の香里製造所までの専用線が伸びていた。
文字通り、同名の公園の最寄り駅。
寝屋川市唯一のJR駅。2019年までは東寝屋川駅と名乗っていた。
トンネルの中にホームが一部入り込んでいる少し変わった構造。
実は四條畷市唯一の駅である。ということは…。
四條畷市の中心駅的ポジションだが、駅自体は大東市にある…。
2面4線構造の拠点駅で、当駅で折り返す列車も多く設定されている。
かつては「四條畷駅」だったが「條」に常用漢字を当てたため「四条畷」になり現在に至る。
なお、四條畷市は駅名変更の要望を出してるが、JR側は駅名変更の費用は原則自治体側であることに加え、その費用も数十億になるため、変更には至っていない。
ちなみに、四條畷が自治体名として採用される前に開業しているので、地域名として考えれば大東市にあるのも特段おかしくはない。
野崎詣りで知られる野崎観音こと慈眼寺の最寄り駅。
また、大阪産業大学と大阪桐蔭の最寄り駅でもあるため、学生達の通学でも賑わっている。
でも徒歩で20分かかるけど。
大東市の中心駅で片町線の単独駅最多の利用者がいる。待避可能。
また、この駅から大阪産業大学運営のシャトルバス、および同大学を経由する近鉄バスが出ているため、この駅も大阪産業大学および大阪桐蔭の学生の利用が多い。
大阪モノレール延伸の際には乗換駅となる予定。東大阪市の当路線では一番利用がある。
鴻池財閥で知られる鴻池家が由来。
近畿車輛の工場が駅のすぐ側にある為、同社で作られた車両は工場からこの駅に合流しそのまま車両が甲種輸送される。
運が良ければ出来立ての新車が見えたり。
大阪市との境がすぐそば。
おおさか東線乗り換え。木津方面⇔久宝寺方面、京橋方面⇔大阪方面の列車がそれぞれ同一ホームで乗り換えが可能。
これより大阪市の駅。
さて何て読むでしょう?
正解は
はなてん
ちなみにこの地名を冠した中古車販売会社があった。が、本社は放出ではなく城東区諏訪にある。
ただし放出も一応城東区の地名である(隣の鶴見区にも跨がっているため)。
おおさか東線、Osaka Metro今里筋線乗り換え。おおさか東線とは大阪方面⇔木津方面の列車が同一ホームで乗り換え可能。
周辺は大坂冬の陣最大の戦いの一つである鴫野・今福の戦いがあった場所として有名。
JR東西線・
大阪環状線、京阪本線、Osaka Metro長堀鶴見緑地線乗り換え。
駅前は大阪ビジネスパークと繁華街が入り混じった街。
終点駅だがJR東西線に直通する列車が殆どの為か、あまり実感はない。
なお、当初は1面2線だったが、南口設置と同時に現在のJR東西線ホームが増築され2面2線となっている。
片町線のかつての起点だが、大半の客が京橋で降りてしまうため都会の
秘境駅と化していた。
駅舎は
コンクリートモルタルだったが、東西線の工事に際して取り壊されて簡易駅舎となり、東西線開業前日の1997年3月7日に営業終了。跡地は駐車場となっている。
JR東西線の大阪城北詰駅が代替駅となっている。
余談
“ムダなハコモノ事業”の代表格として有名になった『私のしごと館』は同志社前~木津間の祝園が最寄りだった……。
並行の近鉄も主要駅から中途半端に時間かかるし、道理で人もこn(ry
まあ、松井山手から東は客もそんなにいないし単線だし仕方ないね。
まともに乗ってるのは同志社大学に行く学生ぐらいか。
また、土日になるとスーツで坊主頭という姿の人達をよく見かけるが、これは津田駅近辺にある大阪府警察学校の生徒(いわゆる警察官の卵)の確率が大である。
(胸にOPPと書かれたバッジをつけてれば確定)
追記・修正よろしくお願いします。
- 黄緑が若いエネルギーってのが分かるような分からんような -- 名無しさん (2014-03-01 19:37:47)
最終更新:2025年03月31日 02:37