本項では、ユエスレオネ連邦における名誉殺人について解説する。


概要

 ユエスレオネは地上のあらゆる地域と国を含んだ緊急脱出装置としての性質があり、社会的統合などは当初全く考えられていなかった。空に飛び立った後の共和制ユエスレオネは、そのような状況において発生した諸所の社会・民族的問題に対して場当たり的に対応したため、統合的に解決することが出来なかった。不安と戦乱の時の中、頼れる人が異民族・異氏族の恋人しか居なかった人々は頻繁にお互いを求めたとされる。ユエスレオネ革命でそのような傾向は更に加速したとされるが、一方で名誉殺人の風習を持つ人々はこれに怒り狂い殺害行為を繰り返した。
 2003年、ユエスレオネが成立するとイェスカは中盤にこれら名誉殺人行為で立件され、減刑されていた者たち32人を名指しして公開処刑を行った。以降、名誉殺人に対する社会運動等によって本土における名誉殺人はほぼ0件にまで減ったものの、現在においてもユエスレオネ連邦の構成国の一部に名誉殺人に類する風習を持つ人々がおり、問題は長期化している。

現行法における解釈

 名誉殺人は、ユエスレオネ連邦憲法第二章第一三条において保証されている「自由恋愛権」(理:flenti'aven ysnierlerlirfe)を侵害するとされ、国家が国民に保障するべき権利を侵害したとして違憲行為と見做される*1。また、それ以外の名誉殺人に関しては、そもそも殺人の罪として立件される。
最終更新:2023年01月03日 02:03

*1 違憲行為の解釈は悠里世界と現世では異なるので注意。