ユエスレオネ革命
yuesleone'd xol
民衆を前に演説をするT.V.イェスカ
目的 ・共和制政府からの参政権奪還
・各自の自決権実現
・統一国家の成立
年月日 2002年5月12日 - 2003年12月10日
場所 ユエスレオネ本土全域
結果 ユエスレオネ・ユエスレオネ社会主義人民シェユ連邦の成立
交戦勢力
共和制政府 革命軍
アル・シェユ
フェーユ・シェユ
クワク・シェユ
ユエスレオネ人民解放戦線
民族自決のためのリパラオネ民族戦士の堅陣
ラネーメ民族党
保守チャショーテ系武装集団
少数民族系武装集団
Xelken系武装集団(全体と対立)
指導者・指揮官
アレス・エレン*1
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****
ターフ・ヴィール・イェスカ
フィシャ・グスタフ・ヴェルガナーデャ
アレス・ラネーメ・リハンカ
アレス・ファルカス
戦力
損害
ユエスレオネ革命(理:yuesleone'd xol)とは、共和制ユエスレオネに対する革命。ユエスレオネ内戦とも。


名称

ユエスレオネ革命の勢力模式図
 ユエスレオネ革命は一般的には「yuesleone'd xol」と呼ばれるが、「革命」(xol)を人間が引き起こすものではなく世界法則としての変革であることを重視するイェスカ主義派閥やイェスカ主義以外で革命に対する特別な定義を持つ思想の立場からは、集産行為medarneust*2抵抗shoberjerl)、天命更生tentverj)、体制転覆choncamcem*3などとも呼ばれる。

概要

 ユエスレオネ革命は、イェスカ主義を標榜するユエスレオネ人民解放戦線merfedi'a fon lartass afnarvo yuesleone/MLAY)と民族派地下組織である民族自決のためのリパラオネ民族戦士の堅陣phitali'enegart fon lipalain elmerss fua lani'ar'd calsnajltunirfen/PLELC)を中心とした複数の組織による反政府革命である。この革命により、共和制ユエスレオネは打倒され、ターフ・ヴィール・イェスカによってユエスレオネ連邦が成立し、第一次社会主義時代が始まることになる。
 後の経過や「革命」という名称から赤色革命であると勘違いされることが多いが、必ずしもイェスカ主義者のみによる革命ではない。また、白色革命、民族主義革命、市民革命、独立革命、(超国家主義に抵抗する)ナショナリズム革命のいずれでもない。
 ユエスレオネ革命は専ら共和制ユエスレオネ政府の打倒を目指した複数の組織による暴動であるが、後にこの革命を定義したユエスレオネ共産党及び社会党によるイェスカ主義上における解釈(「ユエスレオネ革命」はショルであった)によって、ユエスレオネ連邦の国民一般にこの革命を主導したのはイェスカ主義者であったという誤解が蔓延している。

経過

革命前夜

「ユエスレオネは感染が蔓延した地上から人類を救う方舟として空中に旅立った」
――雑誌の特集(アンチドグマ・コンプレックス
 Phil.2000年にリパラオネ連邦共和国レアディオ国デーノ国クワイエ国を始め大陸規模で大流行したエルフ出血熱によって世界の人口は大幅に減少した。これを食い止めるべくリパラオネ連邦ではワクチンの開発が急がれたが、動物実験によってモンスターが発生し、地上はモンスターに埋め尽くされていった。生き残った人々は、ついに地上で生きることを諦めて天空へと逃れた。
 ユエスレオネは元々リパラオネ連邦の軍事要塞であったが、非常事態につき生き残った全ての人々を収容した。これを機に地上国家の政府は崩壊し、新たにラネーメ系のアル・シェユ、リパラオネ系のフェーユ・シェユ、デーノ系のクワク・シェユの三つのシェユと呼ばれる政治的単位を設け、それぞれのシェユが協力しあう超国家主義体制を敷くことで情勢の安定化を図った。
 しかしながら、度重なる地上からのモンスターの襲撃やクワク・シェユにおける共産主義革命に対する抑え込みに伴う人道危機、シェユ政府の失政により、高圧的な政治に対して反感を抱く人間が増え、団結し始める。特にターフ・ヴィール・イェスカが提唱したイェスカ思想に同調するイェスカ主義者や革新チャショーテの活動家たちは徒党を組んで、ユエスレオネ人民解放戦線を設立し活動を続けた。
 一方で長らくリパラオネ民族主義者組織を率いていたフィシャ・グスタフ・ヴェルガナーデャは自身の組織「エステシアス」の構成員が相次いで逮捕されたことによって、2000年5月に新たにリパラオネ民族主義組織を再編し、リパラオネ民族解放党lipalain lani'ar l'afnar lertasal/LLLL)を設立し、政府の規制に抗して戦った。
 革命が始まるまでの二年間のうち、ユエスレオネの人々は以上の「革命派」を規制しようとする政府(軍)の揉み合いに巻き込まれて苦しみの期間を過ごすことになる。

武力革命を宣言、革命へ

「個人は国民に、国民は国家に、国家は国民に、国民は個人に与することをここに信ずる」
――ファールリューディア宣言
 2002年になると状況は逼迫した。革命派は弾圧の憂き目を受け、人々は政府に対する抵抗を支持していった。ユエスレオネ人民解放戦線は自身が国政を担う際の綱領として2002年1月7日に「ファールリューディア宣言」を採択し、リパラオネ民族解放党はヴェルガナーデャによって「民族自決のためのリパラオネ民族戦士の堅陣」(phitali'enegart fon lipalain elmerss fua lani'ar'd calsnajltunirfen/PLELC)に再編された。
 ターフ・ヴィール・イェスカが設立したユエスレオネ人民解放戦線は予てより説得による無血革命を掲げて活動していたが、クワク・シェユにおける共産主義革命戦争(後に鎮圧された)がきっかけで共産主義への規制が強まり、演説中の人民解放戦線メンバーが逮捕される事件が発生した。イェスカは残ったメンバーを集めてユエスレオネ共産党を設立した。同党は超国家主義を掲げていた各シェユを攻撃して各シェユ政府から非合法組織に定められたものの、同党宣伝局長アレス・デュイネル・エレンが「革命抗戦・愛国統一・階級解放」を唱え、武力革命を宣言。これによってユエスレオネ人民解放戦線及びPLELCは協力関係を締結して共同戦線を張った。
 結果的に2002年5月12日にユエスレオネ内戦が勃発。

革命の経過――結果

人民解放戦線の兵士を迎え入れる市民たち*4
「ユエスレオネに光在れ!」
――ファルトクノア共和国
 5月18日、イェスカは警察署、役所、軍事施設、空港の破壊工作を秘密裏に教唆し、全国で合計130箇所以上の破壊に成功した。しかし、フェーユで捕まった工作員によってイェスカの目的は露見する事態となり、これを受けてイェスカはヴェルガナーデャの意思に反して、「ユエスレオネ社会主義連邦暫定政府」をフェーユ西に建国宣言した。
 5月21日にはユエスレオネの統一と社会主義化を目的とした各シェユの軍の一部が反乱し、シェユとしての機能は麻痺状態となった。フェーユ政府は5月28日に降伏宣言したが、アル、クワク政府との戦闘は泥沼の長期戦となった。特にアル・シェユ反乱軍を率いたレイヴァー・ド・スキュリオーティエの軍勢は順調に進撃を続け、最終的には2003年12月8日にアル、クワク政府共に降伏を宣言した。2003年12月10日、首都をフェーユ北に配置し、シェユを連邦化した「ユエスレオネ・ユエスレオネ社会主義人民シェユ連邦」の建国が宣言され、革命が達成された。初代首相にはユエスレオネ共産党の党首であるターフ・ヴィール・イェスカ自らが就任した。革命後の共産党政権は反動勢力として見られたためヴェルガナーデャを始めとしたPLELC及びその他のリパラオネ・ラネーメ民族主義者は投獄された。多くの保守主義者はこの時期に反革命罪、民族浄化罪、民族煽動罪などの罪で粛清宣告を受ける*5

具体的な事件

 以下では、ユエスレオネ革命のうちで行われた具体的な事件を解説する。

革命派の戦争犯罪

「人民の中にはイェスカに従いながらもその思想をしっかりと理解せず敵と見做した者を手当たり次第に反革命として処刑していたとんでもない者も居たらしい。反革命の烙印を押された者の中には貧民に無償で食べ物を与えていた宗教家や青空教室を開いていた伝統的な学者、また彼らを優先的に使用人として雇っていた裕福な貴族家などが含まれており、遺族は名誉回復を願っているが3年後に選挙を控える社会党政権はこれに積極的ではないようだ」
――雑誌の特集(アンチドグマ・コンプレックス
 本来イェスカ思想における革命xol)は理論上で高度に定義されており、簡単には世界法則による社会変革であるとされているのだが、民衆文化における反革命主義者fentexoler)は革命派に対して抵抗する懐疑のある者というレベルまで簡単に解釈された。このため、革命派に属すると自認する市民は旧政府の人間や懐疑を受けた者に対して、不必要な危害を与えたり、非人道的な行為を行った。一部のリパラオネ教フィアンシャもこれに関わったとされる。これらに関してはレシェール・アルヴェイユ(レアル)政権以降、追求が行われいる*6

レシル家事件

 レシル家の当主は、喜捨を行う教会に対して支援を行い、貧しいホームレスなどを使用人として雇ってきた。しかし、民衆がレシル家の当主とその妻を子供の前で焼き殺したことが報告されている*7。これに関して、レアル政権以降捜査が続けられているが、有効な検挙を挙げられていない。

拷問

 革命軍は捉えた政府軍の人間を拷問官と呼ばれる役職の人間に掛けて、拷問をしていた*8。これは後に制定されるユエスレオネ連邦憲法第二章第二条に違反しており、レアル政権以降正常なロープロセスによる再審判が行われている。

玉ねぎアートの規制

 芸術家の玉ねぎを用いた芸術作品を規制していた*9。理由はよく分かっていない。

旧政府の戦争犯罪

Lartass io(人々にとって) jurlet under(大切な平和でさえ) veles reto sisse'st(彼らにまず最初に) fal panqa(破壊された). Deliu miss(今戦うべき) elm siss(は彼らと) fal no(ではないのか)? Fqa es(これが) snietij mal(難しいなら) deliu niv(まず我々は) miss elm(敵と) zelk(戦うべきで) fal panqa(ないのでは)? Cene miss(私たちは平和を) laozia unde(作れるんだ)!」
異世界転生したけど日本語が通じなかった #114
 旧政府及びその軍隊は革命派及びそれらに関係のない市民の最高尊厳*10を侵害していたと認定されている。これに関しては、イェスカ時代から積極的に追求されてきた。

強制失踪

 旧政府軍は、革命派であるとされた者を連行している。これらの被害者は強制失踪として認定されている。例としては、「異世界転生したけど日本語が通じなかった」のアレス・シャリヤとスカースナ・ハルトシェアフィス・エレーナの両親である。彼らは政府軍に強制連行されて、裁判を経ずに殺害された。この類の強制失踪は革命の間には数えられないほどに繰り返されたと思われる。

民間人陵辱・殺害

 政府軍の統制は低く、現地における倫理的統制は殆ど不可能だった。そのため、女性に対する暴力などは恒常的に行われており、革命派と見做されれば徹底的に都市の破壊も行っていた*11

人体実験

 ラーデミン埋め込み型のラーデミン使いを人為的に作る*12ことやテクタニアー計画などの人体実験を未成年を拉致して行っていた。旧政府の生命倫理は堕落しており、革命派を御すための決定的な力が欲しかったとされているが、NZWPを持っていた時点でこれらの非人道的な人体実験は過剰な行為とみなされており、一般的に戦争犯罪と見做されている。
最終更新:2023年12月15日 01:22

*1 https://x.com/lineparine_tan/status/1731513209163530258?s=20

*2 「国際革命主義活動よ、連合せよ!」のispienermedarneustはこの意である。

*3 チョンサムセム、トイター教において推奨される体制転覆のこと。

*4 midjourny

*5 第二次社会主義ユエスレオネ時代において死刑廃止に伴って釈放や減刑が為された。

*6 http://www.jurliyuuri.info/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AC%E3%83%BC#.E3.83.A6.E3.82.A8.E3.82.B9.E3.83.AC.E3.82.AA.E3.83.8D.E9.9D.A9.E5.91.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.B3.E3.83.86.E3.82.B7.E3.83.A7.E3.83.AC.E3.83.BC

*7 https://w.atwiki.jp/gionshantveed/pages/791.html

*8 異世界転生したけど日本語が通じなかった#65などを参照のこと。

*9 https://twitter.com/shinji_jetter/status/1267118000936587264?s=20

*10 ヴェルテール哲学における概念

*11 kranteerl y io xal#17や異世界転生したけど日本語が通じなかったの第一部などを参照のこと。

*12 https://w.atwiki.jp/undeerl/pages/84.html