フラッドシャー連合公国
Chanths diant ispi disant Fladshäs
(フラッドシャー語)
Icha çhanthait fanqaut de Fladshaes
(ヴェフィス語)
cierjustelenasch xanal fon alsatz
(リパライン語)
【リナエスト語】
(リナエスト語)
phuladushaa a chandasip'uige dado
(アイル語語)
pulatsa dat?iosip5
(パイグ語)
ぷらっどさーああむただっぢぷ
(タカン語)
PuladCahomA DAradAn aDeCAn CiBE
(バート語)
【アイラニーヤ語】
(アイラニーヤ語)
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(国旗)

(国章)
国の標語:fais for chanths(公国のための命)
国歌:
公用語 フラッドシャー語
主要言語 フラッドシャー語
ヴェフィス語
リパライン語
リナエスト語
アイル語
パイグ語
タカン語
バート語
アイラニーヤ語
首都 シュレリーフィ(天神)
最大の都市
政府 大公諮問評議会
国家元首の称号 大公
君主 フラッドシャー=エレス家
政治体制 立憲君主制
人口 100万人
主な宗教 リパラオネ教リアーレイ統合教会
通貨
領 土
メッシュ島(母島)、ファースフ島(光島)、エリーフィ島(皇島)、リアーレイ島(闇島)
フラッドシャー連合公国(フラッドシャー語:Chanths diant ispi disant Fladshäs/シャン ディアン イスピ ディサン フレッドシェス)とは、PMCFに属する主権国家の一つ。アイル第二共和国(藍:aira ikude moguu)とも。




概要

 フラッドシャー連合公国は、国民の大半がラネーメ人である専制性の強い立憲君主制国家である。

君主

 フラッドシャー連合公国の君主たる大公家は、フラッドシャー=エレス家(布:Feme diant Fladsha=Eles)である。
 これは、スキュリオーティエ時代のアルザッツァ藩国の藩主であり、サーム講和条約以降もアルザッツァ公国の君主とした存続したフラッドシャー家の男子とラネーメ王朝の君主たるアレス家の子女の政略結婚によって成立した家である。
 これにより、フラッドシャー連合公国は中世フラッドシャー公国を継承する数千年の歴史を継承する国家として成立している。

歴史

成立と内戦

 PMCFの他の国家と同様、エルフ熱およびそのワクチン開発の途上で発生したモンスターから逃れる人々が集まって形成された国で、イリヤ・ガー=ガベイ(藍:ilija gar-gabei)を代表としてphil.2002.3.15にアイル共和国として成立した。当時のアイル共和国は家のない難民たちが酒や賭博に明け暮れるありさまでありタカマ・ソラナ(皇:たかまそらな, 燐:皇之上水)は改善を訴えたが、イリヤは取り合わず中央政府および自らの政治基盤の整備を優先した。2003.12.6にPMCFが連邦に発見されるとユエスレオネ革命に伴うリパラオネ人難民の流入でさらに社会が混乱し、政権との衝突が増えた。この衝突が高まった結果、phil.2005年、10月8日事件という出来事をきっかけに内戦に突入することとなる。この内戦はヴェフィスやリナエスト、さらには連邦の介入をもたらし、同年12月15日に政権が倒れる形で終結した。

内戦終結後

 内戦終結により首相にはタカマ・ソラナが就任し、公用語はアイル語のみであったのが国家としての公用語に標準東島通商語と伝統文語が追加、国補助公用語としてリパライン語が定められるなど、言語をはじめとした文化制度が改められて多民族国家としての体を成すようになった。phil.2006年に文化省が主導して開かれた官定机戦会議をはじめとする各種民俗文化の保存・振興なども奨励されるようになり、「文のアイル」と呼ばれる下地が整えられていった。

第二次内戦

 しかしながら、タカマ・ソラナによる政策に対して連邦から移民してきたリパラオネ民族主義者やラネーメ民族主義者は強い反感を抱くようになる。リパラオネ側は文化政策がラネーメ側によっているということを、ラネーメ側はパイルターファの異常な優遇に対して反発、連日の暴動に発展するようになり、耐えきれなくなった政権は軍事介入を行うことになった。
 一方、民族主義者による世の不安を感じ取ったアルザッツァ公フラッドシャー家エレン25世・ネフレル・ランスビーフラルナイト(布:Elen Bo Nefrel Lansbifralneite diant feme fladshäs, chanths diant alzatza)とラネーメ王朝皇帝三女アレス・ニーレイ(藍:ales ni lei)は、結婚によって民族融和を示すことで民族主義者による暴動を鎮圧しようと画策した。こうして、フラッドシャー=エレス家が成立した。
 しかしながら、高貴な家系の結婚は民族主義者達が手を組むきっかけとなってしまう。リパラオネ民族主義者とラネーメ民族主義者は両家の結婚・家統合により、ともに手を組んで現政権に立ち向かう論調が高まっていく。タカマ・ソラナ政権は多数の懐柔策や説得・演説によって、鎮圧を図るもののいずれも好意的な反応は得ることが出来ないまま、phil.2007年1月21日に第二次アイル内戦が勃発する。

解決的虐殺

 元々、反タカマ・ソラナ派であった兵部省大臣ヴェルガナ・トゥワイ=ズュザ(藍:velgana twaji-siusa)は独断専行でアイル共和国軍を動かし、首相官邸に軍を派遣。タカマを幽閉し、ガー=ガベイ時代の古い法律を適用させ、軍に大権を付与した。そうして、彼は民族主義者の殲滅へと動き出す。特に2月17日のシュレリーフィの虐殺では、背を向けて逃げていく民族主義者に銃口を向けて発砲した共和国軍の行為が戦争犯罪に認定された。ここで数千人の死者が出たと言われているが、立場によって死者数の主張は異なる。
 このような政権の分裂的行動により、民族主義者の団結は更に高まることになる。2月25日、フラッドシャー=エレス民族守護者同盟が設立され、第二次内戦の抵抗組織の取りまとめを行うようになる。ユエスレオネ連邦は紛争の長期化を鑑みてPMCFの弱体化を図り、陸軍の特殊部隊即応特殊作戦独立中隊を導入して、民族守護者同盟を支援した。

学生運動の影響力

 民族守護者同盟とは別勢力で活動していた学生運動家のうち、6つの勢力(天神大学イェスカ主義研究会、イェスカ主義学生同盟改革派、教法学的社会主義学生同盟、ステデラフ的民主主義学生同盟、クワク共産主義学生会議、学生・移民・難民の政治参画期成会議)は、イェスカ右派を標榜し、民族守護者同盟との連帯を発表。同時に文化相補佐であるショー・トゥッ・ピュ(牌:xo5 tuk? py, 燐:夏巫力)が「タカマを救出し、国家を守る」として政権から離反。彼の勢力はショー・パルチザンと呼ばれた。
 ショー・パルチザンは独立した都市ゲリラ兵でありながら優れた戦闘力を持ち、連邦の後ろ盾により優れた整備をもつ民族守護者同盟と戦略的に協力しながら首相官邸に迫ったが、外界から完全に遮断した環境に置かれ続けたタカマは気を病み、自殺してしまう。トゥワイ=ジュザはこのことを大々的に公表、これによって民族守護者同盟とショー・パルチザンの連携は足並みを乱し始め、多数を占める民族守護者同盟が優位を確保する。
 事態を重く見たPMCF議長リアシェン・L・K・アリュースは内戦介入を示唆。PMCF議会が緊急招集されるが、フラッドシャー議員の集団ボイコットや連邦との全面衝突を避けたいヴェフィスやリナエストの意図が重なり、PMCF自衛軍の派遣は否決された。
 2007年4月1日に、民族守護者同盟がトゥワイ=ズュザを確保する形で第二次アイル内戦は終結した。エレン25世は国家元首・公へと推戴され、国号をフラッドシャー連合公国へと改称。政権にはラディールゲーやイェスカ右派を中心として登用され、ショー・パルチザンからは夏が文化相補佐として留任させられた。この人事はパイルターファを軽んじるものとして受け取られ、国内多数派である彼らへの緊張を強めた。

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最終更新:2025年11月03日 00:06
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