1933年「King Klunk」(パブリックドメイン)
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「アニメのゴールデンエイジ」と称された1930年代において、ウォルター・ランツの手で誕生したアニメのキャラクター。
英語表記は「Pooch the Pup」(プーチ・ザ・パップ)。
ピーチでも
ポップでもない
(同作では固有名詞として使われているが、一般的には「Pooch」とは
小柄な犬のスラング)。
デビュー作は『The Athlete』。
ウォルター・ランツは、同世代において活躍したアニメ監督の1人であり、
ウォルト・ディズニーの手から奪われた『
しあわせウサギのオズワルド』のデザイン改変を主導した人物と言えば、詳しい人はピンと来るだろう。
制作の経緯
ユニバーサルはウォルトが値下げ交渉に応じなかったためオズワルドの版権を取り上げたのだが、
当初は興行者のミンツの管理のもとでディズニーから引き抜いたジョージ・ウィンクラーの主導で制作していたので、
ギャップはある程度軽減されておりしばらくは人気も維持できていた。
しかし、ユニバーサルのカール・レムリは、コストの削減が思うようにできなかったことへの不満や、
同時期にディズニー社が発表した
ミッキーマウスの方が評判が良かったことにより、
制作スタッフを直営体制へと変更し一作品ごとの制作費を減らし、一方で以前よりハイペースで新作を作って収益を出す形式の改革に乗り出した
(一作品にかける制作費と労力は下げ
ついでにクオリティも下がった、代わりに作品数を増やして観客をより多く集めようという算段だった)。
現場からは反対はあったが、ユニバーサルはミンツらを追い出して改革を強行
*1。
ウォルター・ランツはこの時期にミンツの後釜としてオズワルドの制作に雇われた。
制作を引き継いだウォルター・ランツのスタジオは、早速オズワルドのキャラデザインの大改変を行ったが、
これが多くのファンの失望を買ってしまった。
その後も人気を取り戻そうとオズワルドは何度かリニューアルされたが、火に油を注ぐ結果となり人気は落ちる一方だった。
ランツはこの時期に「ディズニーに勝つには、まずミッキーに勝るマスコットを作り出すことが必要」と考えて、
オズワルドとは別のアニメプロジェクトに着手。
その最初期のキャラとして世に出たのが『子犬のプーチ』であった。
しかし、稀代の偉人であったウォルト・ディズニーが覇権を握っている時代だったこともあり、プーチは小規模なヒットに留まった。
加えて、デザインがフライシャー・スタジオのビンボー・ザ・ドッグ(
ビン坊)に酷似していたことや、
作品の1つである「キング・クランク」が
キングコングの露骨なパロディなど、まだランツが手探りと思える部分も多かった。
しかし、この
新しいマスコットを作るという着眼点自体は理にかなっており、
ランツはプーチの制作で得たノウハウをもとにいくつかのキャラクターを世に出した後、
40年代前後の『アンディ・パンダ』『
ウッディー・ウッドペッカー』の成功により広く名を知られることになった。
前述のような経緯から、ランツはオズワルドを改悪した主犯として、今なおディズニーファンから嫌われ続けているが、
『ウッディー・ウッドペッカー』の高評価からもわかるように、ランツは無能どころかアニメーターとして一流であった。
ただ、シュールな作品を得意とするランツがそれ以前のオズワルドのコミカルな作風に合わなかった、
そしてオズワルドを生み出したウォルトが一流程度では敵わない稀代の天才であっただけである。
なお、肝心のプーチそのものについてだが、知名度は率直に言って低い。
特に日本では、パブリックドメインがいくつかアップされているニコニコですら動画が無いくらい低い。
しかし、言い方はアレであるがランツが後年成功する「下積み」としてはとても意義のあるキャラクターである。
MUGENにおける子犬のプーチ
コンパチキャラに定評のあるCrow Sar氏の製作したキャラが公開中。
氏の
レトロアニメシリーズの3番目のキャラである。
機関銃やハンマーなど、原作で見せた道具を使用する攻撃が特徴。
超必殺技では自動車、戦闘機、戦車など様々な乗り物を扱う。
AIもデフォルトで搭載されている。
ちなみに氏のTwitterによれば、氏はディズニーファンのためランツは好きではないが、
ランツの手がけた作品は好きらしい。
出場大会
*1
参考までに、ディズニー時代の作品製作数は年間10本程だったが、ユニバーサル時代は年間20本以上作られている。
最終更新:2024年01月03日 16:06