雪野 明信 (ゆきの あきのぶ、1914年6月26日 - 1986年9月18日)は、瑞州合衆国連邦の軍人、戦闘機操縦者でエースパイロット。瑞州合衆国連邦陸軍、瑞州国防空軍、瑞州国防海軍の三つに所属した。川加州出身。
1938年に陸軍に入隊、1942年から飛行第一師団の第三十戦闘戦隊に所属し、五式戦闘機に搭乗した。この頃から既に腕利きのパイロットとして鳴らしており、模擬戦においては一対五の不利な状況の中、高度有利を活かした戦法で全機から撃墜判定をもぎ取っている。
1945年から飛行第六師団の第四十七戦闘戦隊に配属され、高山飛行場で活動していた。1947年、瑞州内戦が勃発すると、部隊は国防軍への編入か旧連邦軍の軍部に付いていくかで揉め、結局自己判断でどちらかに分かれることとなり部隊は瓦解してしまった。雪野は国防軍に付くことを決め、首都防空を至上命令としたエース部隊・首都航空集団の第5飛行中隊に配属された。彼は空戦において47機の連邦軍機を撃墜し、内戦を通じてのトップエースとなった。
一方で、原隊である第四十七戦闘戦隊の尾翼マークを付けた機体を見つけても、通常の敵機と同様、情け容赦なしに墜としていったと同僚たちに証言されているが、当人は後年このことについて「何とも言えない、形容しがたい気持ちに襲われていた」と語っている。
戦後しばらくは国防空軍で勤務、ジェット機パイロットとなった後、その空戦技術を買われて国防海軍に転属、地上配備部隊であるVF-61に教官として所属した。現在、VF-61のコールサインが「SCHNEE」であるのは、シュネーと呼ばれた雪野を称えてのことである。
1986年に死去、享年72歳。
第5飛行中隊に限らず、首都航空集団の部隊は各パイロットにあだ名をつけることが多く、雪野は「 シュネー (ドイツ語で雪の意)」と名付けられた。また、彼の機体のコックピットから機首にかけては撃墜マークが描かれ、マークは「雪」をイメージさせるよう白く塗られた。同様の理由で、部隊番号の「05」のうち「0」の部分も白く塗っている。機体左右に二つずつ、赤く塗られたマークがあるが、それは僚機を墜としてしまったときに撃墜した敵機のもので、二度と過ちを繰り返さないという雪野の強い決意の表れであった。