瑞州合衆国連邦軍の部隊編成

瑞州合衆国連邦軍の部隊編成 (ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうぐんのぶたいへんせい)とは、瑞州国防軍の前身である瑞州合衆国連邦軍が保持していた部隊の一覧である。

+ 目次

陸軍

常設師団

第一歩兵師団

第一歩兵師団 は、1779年に近衛鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第二師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第一師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地および本営所在地は瑞京府西山区。担当範囲は紀山、岡豆、瑞京、参河、尾治、静駿、遠淡海であった。

1790年からの東西戦争では、隷下の第一旅団(西山)が合衆国軍に、第二旅団(尾治州那古野)が共和連合軍につき、師団としては空中分解の事態に陥った。戦後に師団は再建された。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の富樫敏則陸軍少将は国防軍へ第一師団を編入させることを決定。師団内部から反対の声は上がることはなく、第一師団は大統領府国防部の指揮下に収まり、一時解体されて、第二八地域旅団などの他の編入部隊と共に歩兵第2師団の母体となった*1

第二歩兵師団

第二歩兵師団 は、1779年に東海鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第二師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は三勢州錫鹿郡錫鹿市、本営所在地は同州身重郡身重市。担当範囲は三勢、波島、重賀、嶋海、川加、能石、嶺狭であった。

1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に東部戦線を戦った。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の兒玉幸弘陸軍少将は国防軍への編入を拒否。これに抗命した第十八歩兵連隊(第四旅団隷下、能石州葉咋)が師団指揮下を離脱する事件が起こるも、師団としては旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。

1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、1月の身重の戦いで壊滅した。

第三歩兵師団

第三歩兵師団 は、1779年に北陸鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第三師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は山防州大丈市、本営所在地は同州磐国市。担当範囲は淡葉、山防、埼武江、神相、濃波であった。

1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に西部戦線を戦った。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の黒田浩二陸軍少将は国防軍への編入を拒否。師団として旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。

1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、1月の弥栄の戦いで壊滅した。

第四歩兵師団

第四歩兵師団 は、1779年に南海鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第四師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は吉備作州見原市、本営所在地は穴門州穴門市。担当範囲は、当初は八雲、児隅、穴門であったが、1839年に吉備作が第六師団から移管された。

1790年からの東西戦争では共和連合軍につき、主に東部戦線を戦った。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の玉田泰正陸軍少将は国防軍へ第四師団を編入させることを決定。師団内部から反対の声は上がることはなく、第四師団は大統領府国防部の指揮下に収まり、一時解体されて、第三二地域旅団などの他の編入部隊と共に歩兵第6師団歩兵第11師団の母体となった*2

第五歩兵師団

第五歩兵師団 は、1779年に西海鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第五師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は梨甲州一宮町市、本営所在地は同州甲府市。担当範囲は那橡、那甲、越野、秋羽、岩陸であった。

1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に西部戦線を戦った。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の兒玉幸弘陸軍少将は国防軍への編入を拒否。これに抗命した第十歩兵連隊(第十旅団隷下、秋羽州秦庄)が師団指揮下を離脱する事件が起こるも、師団としては旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。

1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、12月~1月の国防軍によるミルキーウェイ作戦中の一連の上陸戦で壊滅した。

第六歩兵師団

第六歩兵師団 は、1779年に編成された常設師団の一つ。南海鎮台から改編された第四師団の負担軽減のために派生して編成された師団である。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第六師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地・本営所在地は薩鹿州鹿児嶋市。担当範囲は、当初は吉備作、筑紫、日宮、薩鹿であったが、1839年に吉備作を第四師団に移管した。

1790年からの東西戦争では共和連合軍につき、主に西部戦線を戦った。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の熱田清久陸軍少将は国防軍へ第六師団を編入させることを決定。師団内部から反対の声は上がることはなく、第六師団は大統領府国防部の指揮下に収まり、一時解体されて、第二五地域旅団などの他の編入部隊と共に歩兵第7師団騎兵第8師団の母体となった*3

第七歩兵師団

第七歩兵師団 は、1779年に編成された常設師団の一つ。北陸鎮台から改編された第三師団の負担軽減のために派生して編成された師団である。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第七師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地・本営所在地は常陸中州水砥市。担当範囲は林播、中濃、常陸中、濃前であった。

1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に西部戦線を戦った。

1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の川中啓太郎陸軍少将は国防軍への編入を拒否。師団として旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。

1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、11月~12月の水砥の戦いで壊滅した。この時第7師団は焦土作戦という暴挙に打って出ており、廃墟と化した水砥市は州都の座を助川市(後の常陸市)に明け渡さざるを得なかった。後に水砥市は復興し、常陸市を抜いて、常陸中州で最大の経済規模を誇る大都市へと成長した。

その他の師団

第一○一騎兵師団

第一○二近衛師団

第五一戦車師団

第五二戦車師団

第五三戦車師団



地域旅団

地域旅団とは、普段は予備役として活動し、有事の際には各師団に付与されたり増援として掩護することを目的として、各州に設置された旅団である。各々が一個の兵科で構成された単一兵科旅団であり、他の旅団・師団と組み合わせて運用することを前提としている。ただし、輜重旅団にさえも最低限の戦闘部隊が配置されており、有事・災害の際の初動対応を行うことも任務の一つであった。1890年代に立案・計画され、1900年代から編成された。

飛行師団

第一飛行師団

第一飛行師団
1920年に3個飛行大隊を擁する、独立兵科である航空兵科の師団として編制された。1925年には飛行大隊は航空連隊に昇格し、また1937年からは戦隊へと改称された。
画像は第一偵察戦隊の五式司令部偵察機。

・1920年 - 第一飛行大隊(偵察)、第七飛行大隊(練習)、第十飛行大隊(戦闘)を隷下部隊とし、鯖江飛行場にて編制。
・1926年 - 第十航空連隊(戦闘)が第九飛行師団(羽茂)へ転出。
・1933年 - 第三十航空連隊(戦闘)が飛行第一師団隷下で新編される。
・1937年 - 第七練習戦隊が第四飛行師団(浜松)へ転出。
・1943年 - 第五一強撃戦隊が飛行第一師団隷下で新編される。
・1947年 - 瑞州内戦の勃発に伴い、司令官・瀬尾中将のもと、飛行第一師団は瑞州連邦軍側につき、前線まで赴いて国防軍側と交戦した。
・1948年 - 連邦軍の旗色が悪くなり、司令部内で協議した結果、飛行第一師団は前線から撤収。連邦軍指揮下を離れ国防軍側に降伏。鯖江飛行場も明け渡す。

最終時の部隊編成 - 最終時師団長:瀬尾晃一中将
・鯖江飛行場
 ・第一偵察戦隊(五式司令部偵察機)
 ・第三十戦闘戦隊(六式戦闘機)
 ・第五十一戦闘戦隊(四式強襲攻撃機)
部隊概要
所属政体
瑞州合衆国連邦
所属組織 瑞州合衆国連邦陸軍
発足 1920年4月 廃止 1947年
所在地 鯖江 担当地域 西海道地方
基地 鯖江飛行場

第二飛行師団

航空基地:福富飛行場

1920年に編成。編成地は飛騨州高山飛行場であったが、1939年に福富飛行場へ移転した。当師団・第四偵察戦隊の五式司偵が飛行可能な状態で現存しており、空軍博物館に保存されている。

最終時の部隊編成

  • 福富飛行場
    • 第四偵察戦隊(五式司令部偵察機)
    • 第十一戦闘戦隊(四式戦闘機、六式戦闘機)
    • 第三十二強襲攻撃戦隊(四式強襲攻撃機)

第三飛行師団

第三飛行師団
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1920年に2個飛行大隊を擁する、独立兵科である航空兵科の師団として編制された。1925年には飛行大隊は航空連隊に昇格し、また1937年からは戦隊へと改称された。

・1920年 - 第三飛行大隊(偵察)、第八飛行大隊(練習)を隷下部隊とし、塩尻飛行場にて編制。
・1934年 - 第三四航空連隊(強撃)が飛行第三師団隷下で新編される。
・1944年 - 第四九重爆戦隊が飛行第三師団隷下で新編される。
・1947年 - 瑞州内戦の勃発に伴い、司令官・板野中将のもと、飛行第三師団は瑞州連邦軍側につき、前線まで赴いて国防軍側と交戦した。なお、第四十九重爆戦隊の戦隊長・外崎大佐はこれに抗命し、所属部隊ごと国防軍勢力範囲に向かい投降している。
・1948年 - 連邦軍の敗戦が重なるにつれ、降伏する部隊が続出し始めたが、板野中将は戦闘の続行を命じた。同年内に国防軍の鎮圧部隊と交戦、飛行第三師団は壊滅、降伏して組織的抵抗を終了した。

最終時の部隊編成 - 最終時師団長:板野和昭中将
・塩尻飛行場
 ・第三偵察戦隊(四式司令部偵察機)
 ・第八練習戦隊(三式中等練習機)
 ・第三十四強襲攻撃戦隊(二式強襲攻撃機)
 ・第四十九重爆戦隊(三式重爆撃機)
部隊概要
所属政体
瑞州合衆国連邦
所属組織 瑞州合衆国連邦陸軍
発足 1920年4月 廃止 1947年
所在地 塩尻 担当地域 北西地方
基地 塩尻飛行場

第四飛行師団

航空基地:羽茂飛行場

最終時の部隊編成

  • 羽茂飛行場
    • 第七練習戦隊(四式初等練習機)
    • 第十二戦闘戦隊(四式戦闘機)
    • 第三十八軽爆戦隊(四式軽爆撃機)

第五飛行師団

航空基地:生葉飛行場

最終時の部隊編成

  • 生葉飛行場
    • 第九練習戦隊(四式初等練習機)
    • 第三十一戦闘戦隊(六式戦闘機)
    • 第三十七練習戦隊(三式中等練習機)

第六飛行師団

航空基地:高山飛行場

最終時の部隊編成

  • 高山飛行場
    • 第十三戦闘戦隊(四式戦闘機、七式戦闘機)
    • 第十四強襲攻撃戦隊(二式強襲攻撃機)
    • 第四十七戦闘戦隊(五式戦闘機、七式戦闘機)
    • 第五十強襲攻撃戦隊(二式強襲攻撃機)

第七飛行師団

航空基地:笠間飛行場

最終時の部隊編成

  • 笠間飛行場
    • 第十五重爆戦隊(三式重爆撃機)
    • 第十七偵察戦隊(五式司令部偵察機)
    • 第三十九軽爆戦隊(四式軽爆撃機)
    • 第四十八軽爆戦隊(四式軽爆撃機)

第八飛行師団

航空基地:笠岡飛行場

最終時の部隊編成

  • 笠岡飛行場
    • 第十六軽爆戦隊(四式軽爆撃機)
    • 第十八偵察戦隊(五式司令部偵察機)
    • 第四十四輸送戦隊(二式輸送機)

第九飛行師団

航空基地:大埼飛行場

最終時の部隊編成

  • 大埼飛行場
    • 第二十二戦闘戦隊(四式戦闘機、七式戦闘機)
    • 第十戦闘戦隊(五式戦闘機、六式戦闘機)
    • 第十九輸送戦隊(二式輸送機)
    • 第四十一輸送戦隊(二式輸送機)
    • 第三十三軽爆戦隊(四式軽爆撃機)

第十飛行師団

航空基地:伊那飛行場

最終時の部隊編成

  • 伊那飛行場
    • 第二十重爆戦隊(三式重爆撃機)
    • 第二十四練習戦隊(四式初等練習機)
    • 第二十五練習戦隊(四式初等練習機)
    • 第四十軽爆戦隊(四式軽爆撃機)

第十一飛行師団

第十一飛行師団
1926年に2個航空連隊を擁する、独立兵科である航空兵科の師団として編制された。画像は第四十五戦闘戦隊第二飛行中隊の七式戦闘機。

・1926年 - 第二一航空連隊(輸送)、第二三航空連隊(戦闘)を隷下部隊とし、笠岡飛行場にて編制。
・1939年 - 第四四航空連隊(戦闘)が飛行第十一師団隷下で新編される。
・1937年 - 第七練習戦隊が第四飛行師団(浜松)へ転出。
・1942年 - 第四五戦闘戦隊が飛行第十一師団隷下で新編される。
・1944年 - 中央地方の防空担当となり、司令部と隷下部隊を碧海に移動させた。ただし第四四輸送戦隊のみ笠岡に残留、代わりに配置された飛行第八師団隷下へ編入。移動後、第五二輸送戦隊が飛行第十一師団隷下で新編される。

最終時の部隊編成
・碧海飛行場
 ・第二十一輸送戦隊(二式輸送機)
 ・第二十三戦闘戦隊(五式戦闘機)
 ・第四十五戦闘戦隊(五式戦闘機、七式戦闘機)
 ・第五十二輸送戦隊(二式輸送機)
注;第四十五戦闘戦隊には3個の飛行中隊があったが、第二飛行中隊のみ1945年から七式戦闘機の運用を開始していた。
部隊概要
所属政体
瑞州合衆国連邦
所属組織 瑞州合衆国連邦陸軍
発足 1926年10月 廃止 1947年
所在地 笠岡→碧海 担当地域 中央地方
基地 碧海飛行場

第十二飛行師団

航空基地:浜松飛行場

最終時の部隊編成

  • 浜松飛行場
    • 第五哨戒戦隊(一式哨戒機)
    • 第二十六重爆戦隊(五式重爆撃機)
    • 第二十七重爆戦隊(五式重爆撃機)

第十三飛行師団

航空基地:愛知川飛行場

最終時の部隊編成

  • 愛知川飛行場
    • 第六哨戒戦隊(一式哨戒機)
    • 第二十八輸送戦隊(二式輸送機)
    • 第二十九重爆戦隊(五式重爆撃機)
    • 第四十二輸送戦隊(二式輸送機)
    • 第四十六重爆戦隊(五式重爆撃機)

第十四飛行師団

航空基地:鈴鹿飛行場

最終時の部隊編成

  • 鈴鹿飛行場
    • 第二哨戒戦隊(二式哨戒機)
    • 第三十五練習戦隊(三式初等練習機)
    • 第三十六練習戦隊(三式中等練習機)
    • 第四十三輸送戦隊(二式輸送機)

海軍

太平洋艦隊

大西洋艦隊

内地作戦航空部隊

哨戒・偵察など、主任務として後方防衛を行う部隊。主に水上偵察機(艦載機含む)や対潜哨戒機が多く配備された。以下、特記なき限り編成順に記す。

下田海軍航空隊


航空基地:下田第一飛行場、下田第二飛行場

瑞州海軍で最初に設立された航空部隊。1917年に編成。航空隊要員の教育・練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。有事の際は首都近海防衛の任に就くことになっていた。内地作戦航空部隊に関しては、ここと四日市空のみに戦闘機などが配備されていた(分遣隊を除く)。

最終時の部隊編成

  • 下田第一飛行場
    • 第一偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。
    • 第二練習航空隊:練習機を装備し航空隊要員の教育・練成を受け持っていた。
    • 第三実験航空隊:各種の装備を用い新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。鹵獲機などもここで運用。
  • 下田第二飛行場
    • 第十四練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。
    • 第二六輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。
    • 第四一哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。東郷飛行場に分遣隊を派遣している。
    • 第四六戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。三種海軍航空隊隷下に分遣隊を派遣している。
  • 海軍航空技術廠

四日市海軍航空隊


航空基地:四日市飛行場、四日市水上飛行場

1918年に編成。研究・教育機能を持つ下田空と違い、純然たる水上機基地として機能しており、北東瑞州近海の哨戒や四日市鎮守府に所属する艦艇の艦載機調達に従事した。四日市飛行場は滑走路が短く、陸上機の常駐には不都合が多かったため、陸上機はもっぱら渡会海軍航空隊が常駐する渡会飛行場を活用した。そのため、四日市鎮守府に配備された航空母艦の艦載機は四日市空ではなく渡会空や奥飛騨海軍航空隊で訓練・補給・休息を実施していた。

最終時の部隊編成

  • 四日市飛行場
    • 第四偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。
    • 第四七戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。
  • 四日市水上飛行場
    • 第六練習航空隊:水上機を装備し初等練習を受け持っていた。
    • 第十五練習航空隊:水上機を装備し中等練習を受け持っていた。

真野海軍航空隊


航空基地:真野水上飛行場

1918年に編成。軍都・真野の防衛及び西海・北西地方の各都市の防空のために設置された防衛部隊。全期間を通して水上偵察機のみからなる純粋な偵察専門部隊で、大規模な陸上航空施設を擁する下田海軍航空隊、近辺に渡会飛行場・九度山飛行場がある四日市海軍航空隊・筑紫野海軍航空隊のような陸上機分遣隊を保有する機会はなかった。

最終時の部隊編成

  • 真野水上飛行場
    • 第五偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。そもそも真野には陸上機が運用できる滑走路がないので、活動時には周辺州の民間の飛行場を用いていた。
    • 第七練習航空隊:水上機を装備し初等練習を受け持っていた。
    • 第十六練習航空隊:水上機を装備し中等練習を受け持っていた。
    • 第二九輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していたが、こちらも陸上機のみの配備であったので、活動時には周辺州の民間の飛行場を用いて、輸送された物品はそこから降ろして陸路で真野鎮守府/飛行場まで再輸送されていた。
    • 第四二哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。全期間を通じて一式哨戒機 深海のみを装備していた唯一の航空隊である。

小野田海軍航空隊


航空基地:小野田飛行場、小野田水上飛行場

1919年に編成。防空戦力が手薄になる南州地方先端地域の防衛部隊として開かれた。当初こそ多くの戦闘機部隊や爆撃機部隊を擁し、哨戒・偵察のみならず制空・近距離対艦攻撃も担ったが、安来飛行場と安来海軍航空隊が開かれるとともに実戦力はそちらへ移動した。

最終時の部隊編成

  • 小野田飛行場
    • 第八偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。
    • 第九練習航空隊:練習機を装備し初等練習を受け持っていた。
    • 第十七練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。
    • 第二七輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。
  • 小野田水上飛行場
    • 第四三哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。陸上発進の哨戒機である二式哨戒機 雪海が配備された際には小野田飛行場へ分遣隊を派遣している。

筑紫野海軍航空隊


航空基地:筑紫野水上飛行場

1920年に編成。純然たる水上機基地として機能し、南州地方沖の哨戒や筑紫野鎮守府に所属する艦艇の艦載機調達に従事した。四日市空とは違い、そもそも筑紫野に飛行場を設けることができなかったため、陸上機はもっぱら九度山飛行場や東郷飛行場を活用した。国防海軍となった際には用地買収が進み、筑紫野にちゃんとした飛行場が設置されている。

最終時の部隊編成

  • 筑紫野水上飛行場
    • 第十偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。そもそも筑紫野には陸上機が運用できる滑走路がないので、活動時には九度山飛行場や東郷飛行場を用いていた。
    • 第十一練習航空隊:水上機を装備し初等練習を受け持っていた。
    • 第十八練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。もちろん活動時には九度山飛行場や東郷飛行場を用いていた。
    • 第三十輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していたが、こちらも活動時には九度山飛行場や東郷飛行場を用いていた。
    • 第四四哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。陸上発進の哨戒機である二式哨戒機 雪海が配備された際には九度山飛行場へ分遣隊を派遣している。

三種海軍航空隊


航空基地:三種飛行場

1925年に編成。下田空は海軍初の航空隊であったため、研究・教育・作戦のすべてを一手に引き受けていた。航空戦力の拡大を図る中で、下田空の拡張も限界に達しつつあった。そこで各地に多くの飛行場や航空隊が新設された。そのうち、西海地方や北西地方の防空に当たっていた真野空の増援として航空隊が成立した。それが三種空である。ここに実戦部隊を新設するとともに、下田空の作戦部隊の装備の大半を移転させた(ただし小規模となりながらも実戦部隊は下田に存続している)。これにより、下田空は研究航空隊に特化し、海軍航空技術廠を併設することとなった。

最終時の部隊編成

  • 三種飛行場
    • 第十九練習航空隊:練習機を装備し初等練習を受け持っていた。
    • 第二十練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。
    • 第二一偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。
    • 第二八輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。
    • 第四五哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。
    • 第四六戦闘航空隊(分遣):下田空からの分遣隊である。局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。

外地作戦航空部隊

平時には所属基地の周辺地域の防空を担当し、戦時には最前線基地から長距離攻撃を実施する部隊。主に爆撃機や攻撃機が配備されていた他、局地戦闘機(要撃機)の導入後は内地作戦航空部隊と同様にそれも配備された。また、一部の部隊は練習機も装備。

東郷海軍航空隊


航空基地:東郷飛行場

1937年に編成。安曇野海軍航空隊と同時に開かれた瑞州初の陸上爆撃機部隊として、爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。多くの陸爆隊が所属基地に帰る間もなく東郷での練成に励んだ。他の航空部隊には後に局地戦闘機部隊も配備されたが、ここには配備されなかった。

最終時の部隊編成

  • 東郷飛行場
    • 第三五爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。瑞州初の陸上爆撃機部隊として錬成任務も付与されていた。
    • 第三九輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。

安曇野海軍航空隊


航空基地:安曇野飛行場

1937年に編成。東郷海軍航空隊と同時に開かれた瑞州初の陸上爆撃機部隊として、爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。後に局地戦闘機部隊も配備される。

最終時の部隊編成

  • 安曇野飛行場
    • 第三八爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。
    • 第四十輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。
    • 第六五戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。

渡会海軍航空隊


航空基地:渡会飛行場

1940年に編成。三番目の陸上爆撃機部隊として編制。後に局地戦闘機部隊も配備される。

最終時の部隊編成

  • 渡会飛行場
    • 第三七爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。かつては東郷空隷下であったが渡会飛行場の落成とともに渡会空隷下へ異動。
    • 第六三戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。

安来海軍航空隊


航空基地:安来飛行場

1940年に編成。四番目の陸上爆撃機部隊として編制。後に局地戦闘機部隊も配備される。

最終時の部隊編成

  • 安来飛行場
    • 第三六爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。かつては安曇野空隷下であったが安来飛行場の落成とともに安来空隷下へ異動。
    • 第六四戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。

奥飛騨海軍航空隊


航空基地:奥飛騨飛行場

1939年に編成。陸上爆撃機は配備されず、純粋な局地戦闘機と訓練部隊のみで構成された航空隊。

最終時の部隊編成

  • 安来飛行場
    • 第四八練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。
    • 第五十戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。

空母航空隊

初期には艦上戦闘機隊/艦上練習機隊の組み合わせが多かったが、艦上攻撃機/艦上爆撃機の出現、増産配備により次第に艦上戦闘機隊/艦上攻撃機隊/艦上爆撃機隊の編成に変わっていった。また、航空隊ごとの機体の定数はまちまちであり、母艦の搭載数に左右された。

第一空母航空隊


航空基地:下田第一飛行場、母艦:飛騨

航空母艦「飛騨」を母艦とする航空隊。

最終時の部隊編成

  • 下田第一飛行場
    • 第十二戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。少数の艦攻/艦爆も配備されていた。
    • 第十三練習航空隊:練習機を装備し艦上での練習を受け持っていた。

第二空母航空隊


航空基地:渡会飛行場、母艦:那須野

空母「那須野」を母艦とする航空隊。那須野は四日市を母港としていたが、最も近い四日市飛行場は滑走路が短く、陸上機の常駐には不都合が多かったため、二空航はもっぱら渡会海軍航空隊が常駐する渡会飛行場を活用した。

最終時の部隊編成

  • 渡会飛行場
    • 第二二攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。開隊当初は練習航空隊として練習機を装備し、艦上での練習を受け持っていた。
    • 第二四戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
    • 第五二攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。

第三空母航空隊


航空基地:下田第二飛行場→三種飛行場、母艦:遠江

空母「遠江」を母艦とする航空隊。当初遠江が下田を母港としていたため下田第二飛行場を拠点としていたが、後に真野鎮守府に異動したため三空航も三種へ移動した。

最終時の部隊編成

  • 下田第二飛行場→三種飛行場
    • 第二三攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。開隊当初は練習航空隊として練習機を装備し、艦上での練習を受け持っていた。
    • 第二五戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
    • 第五三攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。

第四空母航空隊


航空基地:小野田飛行場、母艦:筑紫

空母「筑紫」を母艦とする航空隊。筑紫の巨大な収容数に合わせ、最大規模の勢力を誇る空母航空隊であった。

最終時の部隊編成

  • 小野田飛行場
    • 第三一戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
    • 第三二攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。開隊当初は練習航空隊として練習機を装備し、艦上での練習を受け持っていた。
    • 第五四攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。

第五空母航空隊


航空基地:東郷飛行場、母艦:陸奥、尾張

空母「陸奥」「尾張」を母艦とする航空隊。この二艦は性能も似通っており、また空母航空隊の不用意な拡充を避けるために二つの空母で一つの空母航空隊を搭載することとしたのである。どちらも下田を母港としたことからできたことであったが、後に尾張は真野へ移動している。

最終時の部隊編成

  • 東郷飛行場(陸奥)
    • 第三三戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
    • 第三四攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。
    • 第五五攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。
  • 東郷飛行場(尾張)
    • 第四九戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
    • 第五一攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。
    • 第五六攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。

第六空母航空隊


航空基地:奥飛騨飛行場、母艦:相模

空母「相模」を母艦とする航空隊。

最終時の部隊編成

  • 奥飛騨飛行場
    • 第五七攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。
    • 第五九攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。
    • 第六一戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。

第七空母航空隊


航空基地:東郷飛行場、母艦:出雲

空母「出雲」を母艦とする航空隊。

最終時の部隊編成

  • 奥飛騨飛行場
    • 第五八攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。
    • 第六十攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。
    • 第六二戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
最終更新:2022年01月08日 23:01

*1 このとき富樫も第2師団の師団長となっている。

*2 このとき玉田も第6師団の師団長となっている。

*3 このとき熱田も第7師団の師団長となっている。