赤羽 俊典 (あかば としのり、1908年7月8日 - 1965年10月12日)は、瑞州合衆国連邦の軍人、戦闘機操縦者でエースパイロット。瑞州合衆国連邦陸軍、瑞州国防空軍に所属した。薩鹿州出身。
1931年に陸軍に入隊、1935年から飛行第四師団の第十二戦闘戦隊に、1939年から飛行第二師団の第十一戦闘戦隊に所属した。1946年には空戦技術を買われて、首都防空を任務とする精鋭部隊・首都防空軍団に配属。第九九四独立飛行中隊に所属した。
1947年、瑞州内戦が勃発すると、部隊は国防軍首都航空集団に編入され、第4飛行中隊へと改称された。進撃してくる旧連邦軍に対し、ほぼ連日の出撃となっていたが、赤羽はそのいずれもから生還していた。1948年3月14日の戦闘で被弾し右翼端を喪失、機体はバランスを崩した。この時赤羽は死を覚悟し、寄ってきた僚機に対し「自分に構うな」というハンドサインを送っている。しかし、赤羽は天才的な操縦技術で機体を巧みに操り、油断ないし僚機を見失ってふらふらと飛んでいた1機を奇襲で撃墜。基地に無事に帰還した。これ以降彼は自らの名前に因んで、自分の機体の左翼端を赤色に塗装した。
自機の塗装からついたあだ名は「 アカバネ 」、敵機からは「 レッドウィング 」と呼ばれて畏怖の対象となった。
戦後はしばらくは国防空軍で地上配置となった後、古傷で体調を崩しがちとなったために1963年に退役した。
1965年に死去、享年57歳。