陣野原正満

陣野原 正満 (じんのはら まさみつ、1908年10月8日 - 1948年7月2日)は、瑞州合衆国連邦の軍人、戦闘機操縦者でエースパイロット。瑞州合衆国連邦陸軍に所属した。越野州出身。

経歴

1934年に陸軍に入隊、1939年から飛行第四師団・第十二戦闘戦隊に所属した。

1947年に瑞州内戦が勃発すると、飛行第四師団は国防軍に編入されることをよしとせず、あくまでも旧連邦軍軍部についていく方針を固めた。部隊から国防軍派の数人が去ったが、陣野原は居残り、攻勢に参加した。戦前は目立つことがないただの一パイロットに過ぎなかったが、戦中にめきめきと頭角を現し、エースパイロットの条件である五機撃墜をやすやすと達成した。

彼の通った空域は敵機が全滅する、という評判から、味方からのあだ名は「焼野原」であった。後にこのあだ名は国防軍側にも伝わり、もっぱらの評判となっている。

1947年6月、連邦軍の中でも突出して撃墜数が多い彼を危険視したZIAの工作員により、基地内で暗殺されかかる。工作員は整備員に扮しており、陣野原が近づくとすぐさま発砲した。しかし動揺していたのか照準が狂い、銃弾は陣野原の頬を掠めただけであった。工作員はすぐさま取り押さえられ、その後行方不明となった(一説には連行される途中で逃走し、安全圏まで逃げ延びたとされる)。

同月、ZIAの暗殺失敗を受け、国防軍司令部は陣野原の殺害を目的とした特殊作戦「ロビンフッド作戦」を策定した。同作戦は通常の部隊とエースパイロットのみを集めた特殊飛行隊の二個部隊を陣野原の所属先とされる基地に送り、通常の部隊が囮として要撃を受けている間、要撃部隊にいると思われる陣野原機を特殊飛行隊によって集中奇襲攻撃、爆砕することを目的としていた。この作戦は7月2日に実行に移され、陣野原は策に嵌り撃墜され、搭乗機が爆発して戦死した。享年39歳。彼の機体は自己顕示・士気高揚のために派手な塗装を施されていたが、それが個人の識別となってしまい、仇となった格好である。

陣野原を撃墜された連邦軍航空部隊は、芦塚茂男、新貝信久、坂江桂らの他エースの活躍もあったものの、その損失をカバーすることができなかった。結局最後まで航空優勢や制空権を国防軍から奪い返すこともできず、そのまま敗戦を迎えた。

最終更新:2021年08月30日 16:37