漆山 徹朗 (うるしやま てつろう、1911年3月26日 - 1993年12月1日)は、瑞州合衆国連邦の軍人、戦闘機操縦者でエースパイロット。瑞州合衆国連邦陸軍、瑞州国防空軍に所属した。三勢州出身。
1924年に陸軍に入隊。教育部隊では視力が高いことで教官に目をつけられ、夜間戦闘機隊から勧誘を受けた。1928年、飛行第五師団隷下で新たに設立された、夜戦を専門とする第五〇一独立夜戦飛行中隊に配属され、1936年からは飛行中隊長を務めた。1946年、首都防空軍団・第九九六独立夜戦飛行中隊(七式夜間戦闘機装備)に指揮官として配属された。
1947年、瑞州内戦が勃発すると、部隊は国防軍首都航空集団に編入され、第6夜戦飛行中隊へと改称された。七式夜間戦闘機はI-1Dと改称され、漆山や隊員たちは機体を黒色に塗装し夜間迷彩としていた。撃墜数20機はすべて夜戦でのものであり、これは瑞州内戦で行われた夜戦における史上最多記録である。このうち14機は叛乱軍の爆撃機であった。
その活躍ぶりから叛乱軍兵士のあいだでは「黒い死神」、同僚たちからは機体のカラーと名字を掛けて「漆塗りのテツ」と渾名された。
1948年10月4日の戦闘で被弾、重傷を負ったためそのまま入院となり、再び戦場に戻ることはできなかった。一年後に退院。
戦後しばらくは国防空軍で夜戦教育士官となり、各部隊での夜間戦闘の教導を担当した。1971年に名誉除隊。
1993年に死去、享年82歳。