深見東州 (ワールドメイト) 情報事典
FLASH(光文社)からの旧統一教会や政治献金に関する質問へのワールドメイトの回答
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worldmatementor
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安倍元首相を暗殺した罪で刑事告訴された山上被告の裁判がようやく始まった。
なんでこんなに遅くなったのか知らないけれど、その事件によって、旧統一教会の問題がクローズアップされ始めた。
そんな折、FLASH(光文社)が、創価学会やワールドメイトなど日本の有名な宗教団体に質問取材をしていた。ネットでそのワールドメイト側の回答が全文公開されているので、それを載せるよ。
「旧統一教会問題」について団体を直撃、創価学会などの回答は ライブドアニュース
(2022/8/2)
(2022/8/2)
旧統一教会について
- 質問
「旧統一教会は、霊感商法などが社会問題になっている団体です。こうした旧統一教会について貴団体はどのような見解を持っていらっしゃるでしょうか」
- 回答
当法人は、旧統一教会と全く交流がなく、一般論で申し訳ありませんが、以下の事が言えると思います。
まず、「宗教」と言っても、色々な種類があります。旧統一教会は、「キリスト教系」の宗教法人です。
キリスト教は、基本的に現実の幸せより、死後の幸せを大事にする教えです。換言すれば、「現実に価値を置かず、罪を許されてあの世で天国に行くことを大事にする宗教」です。だから、旧統一教会の信者らは、進んで神に金銭を捧げようとします。そうある事が尊ばれる宗旨なのです。これは旧統一教会に限らず、キリスト教、とりわけファンダメンタリズム(原理主義)に、現れがちな傾向と言えます。
ちなみに、仏教も、似たような価値観を持っています。
仏教には、「三法印」という3つの要諦があります。「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の3つです。
「諸行無常」とは、世の中は常に移り変わるということ。「諸法無我」とは、全てのものには実体がないということ。つまり、家も社会も国も、形ある物は必ず崩れていくということです。だから、この世のものに執着せず、永遠に変わらないニルヴァーナ(涅槃)を目指す、という教えが基本です。
仏教を背景とするオウム真理教が、破壊的行動を起こしたのも、あの世の涅槃を最上とし、現実界に価値を置かない思想に基づくのでしょう。こうした、「この世に価値を置かず、あの世で幸せになる」という考え方の宗教は、時として、非常に反社会的で、過激な行動を起こす事があります。しかし、それも憲法で保証された、信教の自由があるので、メディアが宗教性そのものは批判できません。消費者問題や、法律の違法性としては、批判できます
これらに対して、ワールドメイトの基本は神道です。神道の教えは、「神の恵みや祝福は、生業が栄え、家が栄え、コミュニティが栄えることに現れる」というものです。つまり、現実の仕事や家庭や社会が、幸せで繁栄するところに、神の恵みが現れるというのが、神道の考え方です。だから、神道とは基本的に、反社会的になりようがない宗教なのです。だからこそ、ワールドメイトは社会性を大切にします。社会性とは、仕事と家庭と社会の幸せと繁栄であり、遵法の精神です。
そして、社会性を考えるからこそ、ワールドメイトでは、旧統一教会のように、遺産相続や保険で入ったお金を、全て寄付させるような事はしません。ワールドメイトは、自由と自主性を重んじますが、「自分のお金だから、寄付しようとどうしようと勝手じゃないか」と思うでしょうが、それは浅慮といえます。
例えば、遺産相続で言えば、家族や親戚、兄弟や子供がおり、遺産の使い道を常に注目してるはずです。そのお金を、自分達で使いたい人もいるでしょう。それを教団に寄付すれば、家庭不和や、兄弟親戚とのトラブルを起こす元になります。だから、家庭や親戚の幸せや社会性を考えれば、こうした遺産相続や保険金のお金は、「ご家族に遺すか、どうしても寄付したいなら、宗教ではなく、ユネスコや赤十字にされてはどうですか」と、いつも勧めています。
それで、いまだかつて、そういう寄付を受け取った事はありません。また同じく、旧統一教会のように、無制限に高額な献金を受け付けることも、社会性を損うので致しません。原則として5万円までとか、10万円まで等、寄付の上限の基準を定め、無理して家庭にひずみが来ないよう、社会性を大事にしてるのです。新しい拠点を作るときは、寄付も受け付けますが、その時も上限を決め、沢山もらい過ぎないようにしています。
話は横道に逸れましたが、このように、旧統一教会は「あの世の幸せに価値を置く」という、キリスト教系(しかも原理主義)の価値観を継承しています。「ものみの塔」や「モルモン教」も同じです。だから、そのこと自体は、キリスト教系としてはそれほど特異ではありません。宗教法人として認証されたということは、それなりの宗教性があるのだろうと、まずは一般論としてそう考える次第です。
また、統一教会の信者らの信仰や献金について、ひとくくりに「洗脳」「マインドコントロール」といった、レッテルを貼ることには異論があります。「洗脳」や「マインドコントロール」の定義を見れば、10億人のキリスト教信者、8億人のイスラム教徒、また世界中の仏教徒は、全て洗脳によって入信し、洗脳によって信仰を続け、マインドコントロールで、献金や活動をしてる事になります。共産党のオルグや洗脳と同じように、宗教に洗脳やマインドコントロールの概念を持ち込む事は、そもそも根本的に問題があるのです。
これらの言葉を使うジャーナリストや、論者の結論は、「そもそも荒唐無稽な宗教というものを信ずる者は変な人だ。無神論が正しく、リベラルが本当で、世界中が共産党になるのが正しい。マルクスが入ったように、『宗教はアヘン』なのだ」という結論になります。
ところが、新しい学問である「宗教学」では違います。日本の宗教学の泰斗だった東大の岸本英夫博士は、「宗教や信仰の神秘な部分は、人々の神秘な部分で受け取り、理解するしかない。それを科学的な視点や、社会的な視点で批判するべきではない」と結論付けています。そこの部分は、そっとしておけという事です。
こういう、宗教学の立場や、理解や知識のない、ジャーナリスト、学者、タレントがテレビで堂々と宗教を論じ、批判してる姿に、憤りを禁じ得ません。日本国民は、ますます宗教に偏見をもち、信仰を持つ人々の肩身を狭くします。まさに、これが「信教の自由」を迫害してる事になります。
英国のある女性の宗教学者が、統一教会における洗脳の実態を、詳しく調べた事があります。その結論は、洗脳やマインドコントロールは、実際には実在しない事でした。信者は、全て自分の意思で入信し、自分の意思で辞めているからです。実際に、日本に最大56万人いた信者は、50万人がやめて今は6万人ぐらいだそうです。彼女は、その後「統一教会」との癒着で批判され、その説は評価されていません。
しかし、そもそも宗教に洗脳とか、マインドコントロールという言葉や、概念を持ち込むことに問題があるのです。ネットで検索すれば、学者によって、肯定論や懐疑論が入り混じる事が分かります。従って、これらを「教団による洗脳の結果」と位置づけるのは、宗教学的にも、社会学的にも、世界中の宗教リーダーの目から見ても、問題があるのです。
いずれにせよ、「行きすぎた献金」が、社会生活を破壊したり、家庭を破壊したりすることは、あってはならない事だと考えます。前述の通り、「社会生活や家庭や生業が栄えることを、神道の神は望まれる」と考える、神道系のワールドメイトだからこそ、一層そう思えるのです。
しかし、社会や仕事や家庭に価値を置かない、キリスト教や仏教系の宗教団体なら、「行きすぎた献金」や、「社会生活の破壊」、「家庭の破壊」は、神道系の宗教団体ほど、問題にはしないはずです。何に価値を置く宗教なのかは、全くの信教の自由だからです。そこを踏み込んで、メディアの価値観で批判するのは、著しく教団や信者の信教の自由を侵害してると言えます。メディアが批判できるのは、法治国家なので、違法性だけだと言えましょう。
こうした宗教ごとの理念の「違い」や、憲法で保証された信教の自由、表現・結社の自由について、きちんと分かっている方は少数です。多くの人にとって、宗教は一括りに見られがちです。それは、「偏見は無知より生ず」(Prejudice is the child of ignorance.)の諺(ことわざ)通り、宗教に関して、人々もメディアも、あまりにも無知なるが故に生まれる、偏見だと言えます。我々は、常にメディアに真正面から向かい、様々な問いに答え、こうした誤解を受けないよう、努力する次第です。
もう1つ言える事があります。
安倍元首相が凶弾に倒れたことは、本当に衝撃であり、胸が痛む悲劇でした。ただ、その原因を、旧統一教会への恨みとか、狙撃犯の母親が異常に信仰熱心だった等に求め、あたかも「安倍元首相が殺されたのは、旧統一教会との関係や、旧統一教会に問題があった」とする論調が、昨今行き過ぎてるのではないか、と考えます。
なぜなら、誰がどう考えても、安倍元首相を殺した犯人が、100%悪いに決まってます。旧統一教会や、オウム真理教、また創価学会に深い恨みを持つ人は沢山いるでしょう。しかし、山上容疑者のように、教団と関係ない政治家を、暗殺した者は1人もいません。この事件は、突出して山上容疑者に問題があることは、自明の理です。
すなわち本件について言えば、罪を償うべきは、当然に山上容疑者であり、そこに異論の余地はありません。にも関わらず、あたかも、安倍元首相を殺した容疑者を擁護するかのように、(それが例え、かねて評判の悪かった旧統一教会だとは言え、)宗教叩きや、それにつながりのある政治家叩きに血道を上げる報道は、問題のすり替えに繋がりかねないと危惧します。すなわち、これなら、殺人犯の山上容疑者の思惑通りに、メディアが踊らされてる事になるからです。
断っておきますが、旧統一教会に問題が無いと言うつもりは、毛頭ありません。しかし、それらは、30年前にさんざん議論され、批判された事です。それから、旧統一教会なりに改善し、努力してる事です。我々から見れば全く足りませんが、教理の原則から言えば、その改善にも限度はあるでしょう。それでも、それが良いと信じ、幸せに生きてる信者も多いのです。それが嫌だ、だめだと思う信者は、とっくに全員やめています。実際、前述の如く、56万人いたと言われる信者は、今は6万人しかいないのです。やはり、淘汰されてるのです。
だから、信教の自由があるので、あくまで法に基づき、是は是、非は非として正されるべきです。宗教性にまで立ち入る批判は、信教の自由の侵害になるからです。そこから、宗教全般が問題視されたり、関係のない宗教まで、一括りに白い目で見られる事は、あってはならない事です。まともに、普通に、それぞれの信仰を大切にして生きてる、多くの信仰者の「信教の自由」が侵害され、汚され、蔑(さげす)まれる事になりかねないです。
そのことが、一番の問題だと考えます
旧統一教会と国会議員の関係について
- 質問
「貴団体は、旧統一教会と国会議員や地方議員との関係について、どういった見解を持っていらっしゃるでしょうか」
- 回答
当法人は、旧統一教会について、専門家ほど詳しくは知りません。多くの元信者だった会員から、色々と聞いて知るのみです。ですので、今までの30年来の知識と、報道等で見知ってることに基づき、お答えします。
まず、見聞する限りですが、旧統一教会が違法に政治に関わったという話は、聞こえてきません。聞こえてくるのは、旧統一教会と親しくしてた、政治家達の話ばかりです。
もし、これが問題だとすれば、比較にならないほど大きな問題が、日本にはあります。それは、創価学会と公明党との関わりです。創価学会や公明党を敵視したり、敵対はしてませんが、議論として言える事があります。
言わずと知れた、日本最大の宗教法人である創価学会は、選挙のたびに信者と金を動員し、公明党を応援しています。また、自民党と公明党との選挙協力の時は、公明党と自民党の国会議員・地方議員は、ほぼすべてが、創価学会とその信者達の選挙活動の、恩恵に浴しています。
もし、宗教と政治の関わりが、大きく問題であるのなら、誰がどう考えても、こちらの方が遥かに大きな問題です。与党のほぼ全議員が、ある特定の宗教と、信者の選挙協力の恩恵を受けてるのですから。
これは、昨今出てきた問題ではありません。与党になる前の、公明党の結党以来、ずっと議論されてることです。しかし、こうした関わりが、政教分離の憲法違反や、違法とされ、解党を命じられた話は、一度も聞きません。民主党政権の時でさえ、攻撃する議員はあっても、公明党は存在し続け、憲法違反だとして解党を命じられてはいません。それは、一つには憲法で保証された、「表現と結社の自由」があるためです。これも、忘れてはならないポイントです。
創価学会については、旧統一教会とは比べ物にならないぐらい、個人、家庭、仕事、社会における問題があり、長い間叩かれて来たのです。フランスでは、創価学会は、完璧に「カルト」だと認識されて来ました。献金にしても、ケタ違いに大きいのです。入信の勧誘も、「折伏(しゃくぶく)」と言い、極めて苛烈です。
しかし、創価学会が立派なのは、そういう過去の問題視された部分を、1つ1つ改善し、政権与党を支える宗教団体として、社会問題を起こさない努力をしてる所です。その努力の結果、現在ではフランスでの「セクト」リストからは外れています。この努力と改善の足跡は、尊いものと考えます。
ちなみに、我々は創価学会に対しては、敵対するものでも、敵視するものでもありません。それは、後述する「国民皆信仰」の考え方によります。すなわち、800万世帯の人々が、創価学会に居る事で幸せなら、それでいいじゃないか。無信仰の人生より、余程素晴らしいと考えます。他宗教に対しては、いつもこのスタンスでいます。
ところで、政教分離について語るには、まず比較にならないほど大きな、創価学会と公明党、創価学会と自民党との問題を、どう考えるのか。そこを、最初に正面切って論ずべきと考えます。旧統一教会と政治の関わりを、延々と取り上げるテレビを見て、「そんなに言うなら、じゃあ公明党や創価学会はどうなんだ。なぜ同じか、それ以上の頻度で取り上げないんだ。創価学会に、何を忖度してるんだ」と、メディアに対して、その偏向ぶりに不信感を抱きます。同じように思う、視聴者も多いのではと思います。
ちなみに、政教分離については、「津地鎮祭訴訟」や「箕面忠魂碑訴訟」など、最高裁の判決がいくつも出されてます。「自治体が行なった地鎮祭や、忠魂碑建立などは、憲法の政教分離に反するのではないか」、という訴訟でした。
結果として、最高裁は「合憲」と判断しました。これらは、儀礼や社会習慣と見るべきであり、神道や神社信仰を広めたり、強要するものではないと、判断したからです。そして、最高裁の考え方は、「政治と宗教の関わりは、過度なら違憲、過度でなければ合憲」という判断であります。これは、米国最高裁の有名な「Lemon判決」でも同じでした。つまり、政教分離に当たるかどうかは、過度か否かの、「程度の問題」なのです。
つまり、最高裁判決の観点から言えば、旧統一教会と政治の関わりが、仮に「過度であり、問題だ」というのなら、それ以上に結びつく創価学会と公明党、創価学会と自民党は、もっと問題になります。
逆に、創価学会と公明党、創価学会と自民党の問題を、過度とも、問題とも言わなかった人々。あるいは、通り一遍の批判はしても、本気で問題視してこなかった人々。その人々が、テレビに出て、「旧統一教会と政治の関わり」を問題視する姿には、大変大きな違和感を感じます。「あなた達は、最高裁が下した判例や、最高裁が判断する、憲法の政教分離の定義、また問題となる基準は、どこにあるのかも知らず、よくテレビで堂々と発言するなあ」という、違和感です。つまり、「そもそも全く勉強不足なのに、テレビで多くの国民に、歪んだ勝手な解釈を押しつけてる」という、義憤です。
安倍元首相の事件は、確かに大きな衝撃であり、悲劇でした。しかし、そこから、「旧統一教会と政治の関わりが問題だ」と言い出した人やメディアには、「議論に大きな偏りがあり、論理に歪んだ飛躍がある」と言わざるを得ません。本当に、テレビや雑誌のメディアたちは、宗教に関する知識がなさ過ぎです。
ワールドメイトと国会議員の関係は
- 質問
「貴団体は、国会議員や地方議会議員とどういった関係を構築なさっているでしょうか」
- 回答
まず、私達が政治について、厳守している原則があります。それは、敵視するものではないが、あり方として、「創価学会のようであってはならない」、また「旧統一教会のようであってはならない」、という点です。すなわち、信者を政治活動に動員したり、特定の党や政治家への投票を促したり、選挙中に政治家の演説を聞かせたり、選挙活動のボランティアに駆り出すことは、一切しないという事です。それを強要することは、私達にとっては、宗教活動とは関係無い要素だからです。我々なりの、政教分離の実践です。
ワールドメイトは「来るもの拒まず、去る者追わず」と、常日頃言う通り、束縛したり、強要したり、脅迫したりせず、自由と自主性を重んじる宗教です。それは、神社や神道のあり方に倣(なら)うからです。寄付行為ひとつとっても、「強要されて寄付されたものは、神様は全く喜ばない」と、常に信者に言っています。それは、神仏は神霊界におられ、人々の神霊界である、心や気持が誠であり、喜捨する気持でないと、神霊界に瓦礫(がれき)を積むようなものです。それを、神仏が喜ぶはずがないのです。神仏が喜んでこそ、お金が浄財になるのです。我々は、そう考えます。
まして、「どこどこの政治家に投票しなさい」とか、「選挙活動を手伝いに行きなさい」とかの強要を、神仏が喜ぶとは思えません。自分の心が納得し、喜んでやってこそ、神仏も喜ばれるのです。
しかし、政治に無関心で良いかと言えば、それも極論に過ぎます。なぜなら、政治とは好き嫌いではなく、興味のあるなしでもないからです。三権分立の立法を司るもので、行政や司法にも影響のあるものです。
だから、日本や世界にとって、世の中をより良くするためには、必要不可欠なものです。そのためには、与野党が拮抗することで、健全な政治が行われると私たちは考えます。ですから、特定の党に偏った支援は考えてません。
だからこそ、本当に社会に有為な政治家を、与野党に関係なく、超党派で応援してるのです。それは、健全な政治で日本が良くなり、社会が良くなってほしいと願うからです。また、特に志ある落選議員は、いつか世に出て、大きく社会に貢献してほしいと願い、超党派で応援しています。
ただし、応援と言っても、政治資金規正法に則り、法的に問題のない形での、財政面のみであることは前述の通りです。ワールドメイトが、各政党への献金額が多いと思えるのは、信者を政治活動にかかわらせないための、財政支援のみだからです。「選挙や政治活動に関する動員、投票やボランティアなどは、他の宗教団体にお願いして下さい」と、全ての政治家に明言し、宣言しています。これが、ワールドメイトの、国会議員や地方議員との関わり方であり、関係構築のあり方です。
宗教団体と政治の関係について
- 質問
「貴団体は、宗教団体と政治がどういった関係にあるべきだと思われるでしょうか」
- 回答
まずは、「宗教団体」がどのように扱われてるか、述べさせて下さい。
宗教団体は、反社会勢力ではありません。むしろ、信教の自由が憲法で認められてる以上、偏見や差別、弾圧や誹謗中傷を、いわれなく受けるべきではありません。それらは、全て憲法違反になるからです。さらに、憲法で保障された、「基本的人権」の尊重もあります。これらの権利を勝ち取るために、「治安維持法」や「不敬罪」等で、何百万人という人々が血を流し、投獄され、弾圧されたことでしょう。それらの人々の、尊い犠牲の上に、憲法の信教の自由の条項は成り立つのです。
しかし、現実には、メディアの扱いには不当な原則があります。それは、宗教は「暗いもの」、「閉鎖的なもの」、「排他的なもの」という、偏見に満ちたスタンスです。どれほど優れた、立派なことをしてる宗教でも、また「明るく」、「開放的で」、「何でも受け入れる寛容な宗教」でも、全く報道されることはありません。むしろ、宗教はテレビや新聞に、良い意味で載ることはなく、広告も厳しく規制されます。どのような、法的根拠か分かりませんが、それは、メディアの勝手な基準でしょう。それが、金持ちと、大企業と、宗教の受ける差別の現実です。
しかし、比叡山や高野山は1200年ぐらい経ち、禅宗は800年ぐらい経ちます。1000年ぐらい古いものは、メディアで好意的に扱われます。如来教、天理、金光、黒住、大本などは、まだ200年ぐらいなので、全く好意的に報道されません。こういう、好意的に扱う年月の定義は、誰が決めたのか。憲法でも、国家でも、政府でもなく、メディアが勝手に決めたものです。
これを見ても解るように、今や憲法で定められた信教の自由は、主にメディアによって侵害されてると言えます。司法、立法、行政に次ぐ、第四の権力と言われる、メディアやマスコミが、最もこの憲法の精神を踏みにじってるのです。
そもそも、18万余ある宗教法人のうち、問題のある宗教は、ほんのごくわずかです。数十件あるかないかです。この事を、是非知っていただきたいです。善良な宗教は、たくさんあるのです。
しかし、ワールドメイトは、たとえ歪んでいても、ジャーナリズムこそが社会を浄化するものと捉(とら)え、ジャーナリズムを尊重し、取材には誠実に、いつも正面から答えています。健全なジャーナリズムのない、中国、北朝鮮、ロシアより、日本は余程健全で、幸せだと考えるからです。
そのうえで、宗教と政治について、欧米の例を述べます。
例えば、ドイツのメルケル元首相は、「キリスト教民主同盟」の党首でした。キリスト教を冠する党が、堂々と政権を担い、世界的にも何らおかしな目で見られることはありません。
また、ドイツでは、キリスト教徒は収入の8%を教会に納める、「教会税」があります。これは、政府が徴収を代行してるのです。つまり、特定宗教へのお布施を、政府が代行徴収してるのです。欧米諸国では、スイスやデンマーク、スウェーデン、フィンランド、アイスランド他、こうした事例は珍しくありません。
米国共和党も、米国人口の4分の1を占める、プロテスタント「福音派」の厚い支持を受けてる事が、よく知られてます。すなわち、欧米では、宗教は忌避されるどころか、政治と密接な関わりがあるのです。イスラム諸国では、一層密接でしょう。
つまり、日本が理想として掲げるレベルの、「政教分離」とは、決して国際的なスタンダードではないのです。国家神道と軍事政権が結びついた事への、GHQや政府の反省から定められた、条項なのです。
それでも、日本では憲法で「政教分離」がうたわれています。しかし、実際には、創価学会と公明党や自民党との関係は、どこよりも深くて大きく、しかも、与党の一角に食い込んでるのに、最近は問題視される様子はありません。
ここに目をつぶりつつ、それより小さな、少しだけ関わる他宗教をやり玉に挙げる人々は、明らかに偏っており、何らかの意図や、政治的忖度を疑ってしまいます。この、歪みきったメディアのあり方は、一体誰が正すのでしょうか。NHKでも無理でしょう。
実は、宗教界からは、以前から創価学会のあり方について、大いに批判する声が挙がってました。その旗頭こそ、「新宗連」(公益財団法人 新日本宗教団体連合会)です。結成当初(1951年)から、「政教分離」を含む四本柱(宗教協力、信教の自由、政教分離、国民皆信仰)を掲げ、後に公明党を結党(1964年)する創価学会とは、一線を画してました。と言うよりも、「アンチ創価学会」で結束してたのです。最盛期には立正佼成会・金光教・PL教など、86団体が加盟し、現在も59団体が加盟しています。
ちなみに、新宗連の「四本柱」の1つである、「国民皆信仰」とは、どこかの宗教を信仰してみて、そこがイヤなら、他の宗教に移ったらいい。最終的に、自分に合う、自分が気に入る宗教に行けば良い。という考え方です。それでも、何の信仰も持たないよりは、ずっといいという考え方です。1つの宗教に偏らない、人間本位のこの考え方に、私たちは大賛成です。
マザー・テレサは、「これからの宗教の課題は、都会の孤独をどう救うかだ」と述べてます。まさに、自殺や孤独死と言った問題は、何らかの信仰を持つことによって、解決されることが多いのです。だから、私たちも「来るもの拒まず、去る者追わず」で、ワールドメイトを去る人がいても、誤解や偏見は解いても、無理には邪魔しません。むしろ、「神社参りをされると良いですよ」と、適切な神社を勧めます。それは、どんな形であれ、信仰を持つことは、その人の幸せや安心立命を確保するのに、必要と考えるからです。
このように、私たちは、1つの宗教だけを押し付けることが、善とは思いません。同じように、政治家についても、1つの宗教団体に偏るのは問題ではないかと思います。仮に、旧統一教会とだけ、付き合いのある政治家がいれば、それは偏ってるでしょう。しかし、現実には、多くの政治家は、複数の宗教と等距離で関わってるようです。(公明党は除きます。)それなら、たいして問題はないと考えます。
つまり、特定の宗教に偏って、教理を政治に反映させるとか、なにか違法に宗教と政治が関わるとか、また、過度に宗教と政治が関われば、問題でしょう。しかし、そうでないなら、大して問題はないと考えます。
ちなみに、あるメディアの方に聞きましたが、「昔は、政治家が何か『口利き』をすることもあった。しかし、今は世間の目もあるし、官僚に圧力を加えれば、すぐにリークされるから、今の政治家は、世間が思うほど力はない」と言ってました。政治家に、お金を出せば、何か便宜をはかってくれるというのは、今となっては、もはや都市伝説か幻想か、相当に稀なケースだと思います。この点に関しては、メディアやジャーナリズムが、社会を浄化し、社会を健全化する、良き働きがあると評価しています。
政治家の目線でいえば、多くの宗教は、投票してくれたり、ビラ配り等の、選挙活動を手伝ってくれたり、資金的に援助してくれたりと、大変有り難い存在でしょう。ただし、私たちは、信者をそうした活動には関わらせたくありません。前述の如く、特定候補への投票願いも、ビラ配り等の、ボランティアもさせません。それが、私たちの政治に対するスタンスです。他宗教はともあれ、少なくとも私たちは、その距離感が望ましいと考えます。
最後に、繰り返しますが、日本においては、憲法で政教分離が定められています。その基準は、最高裁判例などを鑑みるに、「政治と宗教の関わりが、過度ならば違憲。過度でなければ合憲」です。つまり、程度の問題と見なされています。そして、欧米諸国の例を見ても、厳格に宗教と政治を切り分けるレベルの、「政教分離」は、国際的なスタンダードではないのです。
では、政治と宗教の関わりは、どの段階までが問題なのか。どこからが過度なのか。それを測る基準は、創価学会と公明党、創価学会と自民党との関わりが、基準になるでしょう。これが、最高裁で問題がないとすれば、また、社会的に問題がないとすれば、旧統一教会と政治との関わりは、大して問題ではないでしょう。
多くのメディアが、今、旧統一教会と政治の関わりを、熱を入れて取り上げています。しかし、創価学会と公明党、創価学会と自民党との現状を、そのままにしてる事を、メディアはどう思ってるのでしょうか? その大前提に対する答に、ジャーナリズムには、ぜひ切り込んでもらいたいです。その結果が、「過度」という判断でも、「過度ではない」という判断でも、一つの社会的基準が示され、ジャーナリズムによって、社会が清浄化されると思うからです。
長文にお付き合い下さり、誠に有り難うございました。
末筆ではございますが、今後の貴誌の益々の御繁栄を、心より御祈念申しあげます。
