深見東州 (ワールドメイト) 情報事典
シアヌーク病院(ワールドメイト カンボジア24時間無料救急病院)
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シアヌーク病院からの御礼状
2012年8月1日(水曜日)
ワールドメイトのスタッフおよび会員の皆様
拝啓
私はキース・グッドウィン(Keith Goodwin)と申します。私は現在、カンボジア王国プノンペンのシアヌーク病院センター・オブ・ホープで最高総務責任者を務めております。
当病院のスタッフや医療物資に関する管理を行うことが、最高総務責任者としての私の役割です。そして、ワールドメイトが毎月惜しみなく提供してくださる寄付金が、当病院にとって、スタッフ面や物資面での大きな支えとなっているのです。
これまで16年間にわたり、ワールドメイトとその会員の皆様から当シアヌーク病院センター・オブ・ホープにお寄せいただいたご支援に対して、感謝の言葉をお伝えしたいと思います。
1996年以来、ワールドメイトからのシアヌーク病院に対する寄付は、途切れることなく毎年継続されてきました。当病院にとって、ワールドメイトは最大かつ最も重要な寄付者です。この寄付は皆様にとりましても決して些細な出費ではないはずですが、皆様の寛大な犠牲精神のおかげで、カンボジアの老若男女数多くの人々の生命が救われ、生活の質を向上させることができたのだということを、ここでぜひお伝えしたいと思います。
当病院の全スタッフと、ここで無償で治療を受けている患者たちを代表して、「ありがとう!」の言葉を贈ります。
敬具
シアヌーク病院センター・オブ・ホープ
最高総務責任者
キース・グッドウィン(Keith Goodwin)
シアヌーク病院センター・オブ・ホープ
最高総務責任者
キース・グッドウィン(Keith Goodwin)

2011年、シアヌーク病院は開院15周年を迎えました
2011年度 シアヌーク病院 年次レポートより(2012年7月発行)
力を合わせて15年
「一人でできることは限られているが、皆で力を合わせれば偉大なことが成し遂げられる」
(ヘレン・ケラー)
(ヘレン・ケラー)
シアヌーク病院(SHCH)は、3つの人道的組織 - ワールドメイト(WM);ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア(JFRC); およびホープ・ワールドワイド(HWW)の各創立者の夢が1996年に結実したものでした。彼らはみな、クメールルージュ時代の犠牲となったカンボジア国民に医療を提供したいと切望されたのです。
シアヌーク病院(SHCH)の経営陣とスタッフは、病院の活動に計り知れない貢献をされたこれらの各組織に、絶大なご恩を感じ、感謝しています。各組織は、シアヌーク病院(SHCH)の設立、維持と成長に重要かつ掛け替えのない役割を果たされました。
ワールドメイトは、筆頭財政支援者として、ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジアはカンボジア国内での業務支援に、また、ホープ・ワールドワイドは、病院人事と運営に。
これらの先駆者の方々に加えて、みなさまのご支援により、これまで110万人以上を診断し、100万ドル相当の医薬品を無料提供し、数え切れない子供たちを孤児になるところから救い、また医療専門家やカンボジアの保健システムの構築に寄与することができました。今日のカンボジアが住みやすくなったのは、みなさまのお陰だと確信しています。
シアヌーク病院開院15周年、おめでとうございます!
シアヌーク病院とは

シアヌーク病院(ワールドメイトが支援するカンボジアの24時間無料救急病院)の任務は、高度な医療サービスを、援助が必要な貧しい人々に、24時間体制で無料で提供することと、医療専門家たちにさらなる教育と、臨床的なトレーニングの場を提供することです。
この病院は、ワールドメイトの資金拠出と、カンボジア王国政府の土地提供などにより、1996年12月、プノンペンに建設されました。
○ ワールドメイトによる、24時間無料救急病院設立と運営
20年近い内戦により、医師や設備が極度に不足している、カンボジアの現状に心を痛めたワールドメイトの深見東州氏は、24時間無料で診療する救急病院の必要性を感じ、建設を決意しました。その呼びかけに応じた人々の協力により、1996年12月に近代的な病院が完成してから、ワールドメイトは今日まで共同で運営しています。ワールドメイトがカンボジア復興のために注いでいる情熱は、カンボジア国民の心に深く刻み込まれ、広く知られるところとなっています。

シアヌーク病院100万人治療記念式典 記念写真: 左から、ロバート・ゲンペル(病院理事)、パトリッシア・ゲンペル(ホープ・ワールドワイド)、ケビン・オブライエン(病院院長)、キャロル・ロッドレイ(駐カンボジア米国大使)、イム・チャイリー副首相、深見東州、デボラ・クリッシャー(ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア)、マン・ブンヘン保健大臣。(肩書きは、撮影当時)
シアヌーク病院(ワールドメイトが支援するカンボジアの24時間無料救急病院)ができたことで、現在までに約117万人以上の方が治療を受け、年間数千人以上の尊い命が救われているのです。(2012年10月現在)
もちろん、対処療法的な治療だけでは十分ではなく、同病院では以下の3つの活動を推し進めています。 患者と交流するモニニヤット王妃と深見東州氏
もちろん、対処療法的な治療だけでは十分ではなく、同病院では以下の3つの活動を推し進めています。 患者と交流するモニニヤット王妃と深見東州氏
1) 現地の医療スタッフに世界最先端の医療技術を教育。カンボジア全体の医療技術の向上のための貢献。
2) HIV(エイズウィルス)が母親から胎児に感染しないようにする研究。
3) 地雷のため手足を失った方々のための専門集中治療。
2) HIV(エイズウィルス)が母親から胎児に感染しないようにする研究。
3) 地雷のため手足を失った方々のための専門集中治療。

患者と交流するモニニヤット王妃と深見東州氏
活動内容と目的
20年近い内戦でほとんどの知識階級が殺され、医師は30,000人に1人(日本は500人に1人/1996年当時)というカンボジアに、最も必要なものの一つが病院でした。
それまで医師や設備が足りないために満足に治療をうけることができず、亡くなっていった人たち…。深見氏は、このカンボジアの現状に心を痛め、24時間無料診療の救急病院の建設を決意しました。

説明を受ける深見東州氏(左から3人目)(1996年4月 撮影)


カンボジア24時間無料救急病院(シアヌーク病院)では、1996年から今日まで、約117万人の人達に治療を施し、人々の命を救ってきました。(2012年10月 現在)
深見東州(半田晴久)氏が発案し、呼びかけ、ファウンダーとなり、ワールドメイトとホープワールドワイド、ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジアの3つのグループが協力して立ち上げ、運営しているものです。
まず、ワールドメイトが政府から無償で借り受けた土地に建物を建て、ホープワールドワイドが医師を派遣し、ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジアが政府との交渉にあたったものです。最初の建物は、丹下健三事務所が無償で設計してくれました。
1996年12月、2階建て、40ベッド、緊急集中治療設備を擁した近代的な病院が、 カンボジアの首都プノンペンに完成しました。これが第一病棟です。

完成した第一病棟

シアヌーク病院内の建設記念パネル
建設記念パネル 日本語訳
シアヌーク病院センター・オブ・ホープ
設計 丹下健三(無償)
構想・資金提供 ワールドメイト(代表 深見東州)、ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア(代表 バーナード・クリッシャー)
運営 HOPEワールドワイド
当病院は貧しい人々への無料医療提供とカンボジア人医療専門家への優良な訓練の提供のために設立された。
開院 1996年12月10日
開院式典には、モニニヤット王妃が臨席されました。
シアヌーク病院センター・オブ・ホープ
設計 丹下健三(無償)
構想・資金提供 ワールドメイト(代表 深見東州)、ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア(代表 バーナード・クリッシャー)
運営 HOPEワールドワイド
当病院は貧しい人々への無料医療提供とカンボジア人医療専門家への優良な訓練の提供のために設立された。
開院 1996年12月10日
開院式典には、モニニヤット王妃が臨席されました。

深見東州氏と記念の石碑


記念の石碑 日本語訳
病院の石碑には、こう刻まれている。
「深見東州氏とワールドメイトの構想と寛大なる支援によって建設されたシアヌーク病院は、貧しい患者に医療を提供するために、1996年12月に開院した」
("Opened in December 1996, Dedicated to Providing free medical care to the needy, was built through the vision and generosity of Toshu Fukami and World Mate.")
病院の石碑には、こう刻まれている。
「深見東州氏とワールドメイトの構想と寛大なる支援によって建設されたシアヌーク病院は、貧しい患者に医療を提供するために、1996年12月に開院した」
("Opened in December 1996, Dedicated to Providing free medical care to the needy, was built through the vision and generosity of Toshu Fukami and World Mate.")

トロフィーを受領する深見東州氏

100万人治療記念式典でスピーチする深見東州氏
第二病棟、第三病棟の建設
その後、第二病棟、第三病棟も、ワールドメイトが建てました。
第二病棟は、管理、実験、育成等の目的。第三病棟は、医学研究および感染病との闘いに必要な治療やトレーニング等の目的で建てました。
第二病棟は、管理、実験、育成等の目的。第三病棟は、医学研究および感染病との闘いに必要な治療やトレーニング等の目的で建てました。

第二病棟(2003年1月完成)

第三病棟(2004年11月完成)
ワールドメイトは、特定医療に限定しない、運営費の根幹を担う部分を負担し続けています。他の部分は、公的資金の導入です。これをホープワールドワイドが担っています。公的資金とは、グローバルファンドや、アメリカのODAにあたるものです。これは、エイズや結核、マラリア治療にあてるもので、それ以外の目的には使えません。
現在、400人近いスタッフがいますが、ワールドメイトは、これらの人件費や運営費、水道光熱費を賄っているのです。これが、一番基本となる運営費の部分です。だから、病院の運営の根幹を、ワールドメイトが担ってると言えるのです。
この病院ができたことで、年間約10万人の方(しかも、貧しさや難病のために、他の病院で治療を断られてきた方々)が治療を受け、年に数千人以上の尊い命が救われています。
1996年から今日まで、約117万人の人達に治療を施し、人々の命を救ってきたのです。(2012年10月現在)
シアヌーク病院(ワールドメイトが支援するカンボジア無料救急病院)の治療実績
1996年12月の開設から2012年10月現在までの、無料治療の総患者数 117万 9112人
Total Patient Visits(総患者治療数)117万 9112人
内訳 ・Emergency Department(救急医療)33万7997人
- Medical Outpatient Visits(医療外来患者訪問)21万7430人
- Medical Specialty Clinics(医療特別クリニック)33万7680人
- CRC Patient Visits(CRC患者訪問)17万1134人
- Surgery Clinic Care( 外科診療 )7万5168人
- Mobile Clinic & Telemedicine(移動クリニック&遠隔治療)3万9703人
Medical Inpatients (内科入院『医療入院』) 9801人
Surgical Inpatients (外科入院) 7990人
Operations & Procedures (手術&処置) 1万4440件
Surgical Inpatients (外科入院) 7990人
Operations & Procedures (手術&処置) 1万4440件
Sihanouk Hospital(シアヌーク病院)
St.134, Sangkat Vealvong,
Khan 7 Makara, Phnom Penh,
Cambodia
St.134, Sangkat Vealvong,
Khan 7 Makara, Phnom Penh,
Cambodia
シアヌーク病院開設当時のカンボジアの状況
カンボジアがなぜ、困難を抱えているのかー
歴史を振り返ると、その理由がご理解いただけることでしょう。
歴史を振り返ると、その理由がご理解いただけることでしょう。
西暦800年 400年間のアンコール帝国に続く700年間の衰退
1863年 フランスの植民地支配
1953年 シアヌーク王が90年に及ぶフランス植民地支配より独立を確立し、15年間の統治を行う。
1969~75年 ベトナム戦争がカンボジアに飛び火し、社会経済の困窮と、国境付近での動乱が起こる。難民や流出した人々が、共産主義のポル・ポト部隊に参加。ポル・ポト派が地方を掌握、続いて1975年4月にプノンペンを制圧した。
1975~79年 ポル・ポト派が支配し、教育を受けた人々の大量殺戮を行う。すべての機関の壊滅、残虐かつ過激な強制労働による農業改革。死者200万人。
1979~91年 ベトナム軍がカンボジアに侵攻、ポル・ポト派を追放し、11年に及ぶ占領状態となる。
1991年 パリ包括和平協定により4派が和平合意。
1992~93年 総選挙を国連が支援。
1993年 選挙および2政党連立の不安定な合意。
1998年 総選挙
1863年 フランスの植民地支配
1953年 シアヌーク王が90年に及ぶフランス植民地支配より独立を確立し、15年間の統治を行う。
1969~75年 ベトナム戦争がカンボジアに飛び火し、社会経済の困窮と、国境付近での動乱が起こる。難民や流出した人々が、共産主義のポル・ポト部隊に参加。ポル・ポト派が地方を掌握、続いて1975年4月にプノンペンを制圧した。
1975~79年 ポル・ポト派が支配し、教育を受けた人々の大量殺戮を行う。すべての機関の壊滅、残虐かつ過激な強制労働による農業改革。死者200万人。
1979~91年 ベトナム軍がカンボジアに侵攻、ポル・ポト派を追放し、11年に及ぶ占領状態となる。
1991年 パリ包括和平協定により4派が和平合意。
1992~93年 総選挙を国連が支援。
1993年 選挙および2政党連立の不安定な合意。
1998年 総選挙
25年間にわたる社会不安が、教育や医療、政府機関と社会インフラを破壊しました。その結果が、貧困・栄養失調・教育の貧困、貧苦と疾病の悪循環なのです。
シアヌーク病院は、信頼できる医療を無料で提供することにより、この悪循環を断とうと努力してきました。
従って私たちは、医療ニーズに対応するだけでなく、次世代の医療専門家に慎重な臨床訓練を行うことができるよう、カンボジアの人々に教育のチャンスを提供することを目標にしています。
- 人口1,140万人。その85%が地方に住み、自耕自給農業でかろうじて生き延びています。
- 平均寿命は、わずか53歳。人口の50%が17歳未満です。子供の40%は栄養失です。
- 出生率はアジアで最も高い国のひとつ、43/1000(2.8%)です。乳児死亡率は、115/1000人。5歳以下の死亡率は181/1000人。
- 識字率は平均60%です。 男性は平均して2.3年、女性は1.7年の学校教育を受けています。
- 250人に1人が、切断手術を受けています。 医療サービスを受けるゆとりが あっても、病院にこられる人はわずか47%です。 公的な保健サービスにアクセス できるのは、地方では人口のわずか25%です。 都市住民は80%がアクセスできますが、サービスを受けられない貧困層が大多数です。
- 1人当たりのGDPは300ドルと推定され、 平均的家族は6人家族、 平均的な家計額は116ドル、 その75%が食糧と住宅に費やされ、医療に遣われるのは8%です。
- 安全な水を飲める人は、わずか64%です。
(1996年当時)
建設ストーリー
カンボジアに病院を! 夢の始まり

(左から)シアヌーク・ホスピタル・コープの会計ゲンペル氏、同会長のクリッシャー氏、シアヌーク国王、モニニヤット王妃、同副会長の深見東州氏、クリッシャー氏夫人。左上のサインは、シアヌーク国王のもの。
「シアヌーク病院」と名づけられた24 時間無料救急病院が、カンボジアの首都・プノンペン市内に建設され始めたのは、1994 年のことでした。
日本に初めて「ブラインドゴルフ」(盲人のためのゴルフ)を広め、ブラインドゴルフの世界組織を作るなど、世界的な福祉を目指し実践してきた深見氏が、内戦後のカンボジアの状況に注目したのが、始まりだったのです。
20年近い内戦でほとんどの知識階級が殺され、医師は3万人に1人(cf .日本は500人に1人)という カンボジアにとって、最新設備を調えた救急病院は、 切実に必要とされていたものでした。病院が圧倒的に足りないという話を聞いた深見氏は、即座に「貧しい人々でも無料で治療が受けられる、24時間体制の救急病院を作ろう」と決心したのです。
病院建設の窓口となった、バーナード・クリッシ ャー氏(元ニューズウイーク東京支局長、ジャパ ン・リリーフ・フォー・カンボジア代表、カンボジア・デイリー新聞社主)とともに、深見氏は現地に入り、 現状をつぶさに見て、病院建設の必要性をますます 痛感したと言います。そして単に資金援助だけでなく、何度も現場を訪れて、建設の指揮をとってきたのです。建設の資金や、プロジェクトの根幹となる資金は、深見氏が代表を務めるワールドメイトからの寄付によって賄われました。
シアヌーク国王自ら命名を

シアヌーク国王と会談風景。左上のサインは、シアヌーク国王のもの。
この計画を聞いたカンボジアのシアヌーク国王はことのほか喜ばれ、深見氏やクリッシャー氏と面会されて謝辞を述べられ、この病院に自らの名を託し「シアヌーク病院」と命名してくださいました。さらに、プノンペンの一等地をカンボジア政府が提供してくださったのです。
こうして、病院建設のプロジェクトは動き始めました。しかしながら、その完成・診療開始までの道のりは、平坦ではありませんでした。とりわけ、具体的にどのように運営していくかは、このプロジェクト最大の難関であるといっても過言ではありませんでした。
カンボジアがポル・ポト派支配下にあったとき、知識階級の人々は徹底的に迫害され、ほとんどの医者は殺されてしまいました。現地で十分な医療チームを編成することはもはや不可能に近いのです。

シアヌーク国王(左)と、深見東州氏(右)
まして、複雑な手当てや手術となると、外国人医師を派遣するしか方法がありません。しかも、24時間病院のため、三交代で運営し、最低200人近くのスタッフが必要とされています。事務、掃除、管理業務、看護・手当ての一部は現地の人々が担当できるとしても、重要なポストには今のところ外国人に就いてもらわなければなりません。一体どうしたら運営がスムーズに運び、カンボジアに長期的に貢献していけるのか、深見氏をはじめ関係者一同が頭をかかえる問題でした。
深見氏とゲンペル氏の出会い

そんな時、ちょうどタイミングよく決定的な出会いがありました。アメリカに本部をおく「ホープ・ワールドワイド」と深見氏の邂逅があったのです。
ホープ・ワールドワイドは、1991年に設立されたプロテスタント系の慈善事業団体です。このホープを支援しているのが、キリスト教のなかでも新宗教(新宗派)に属する「キリストの教会」(Church of Christ )。「キリストの教会」は、19世紀末にアメリカで創立され、いまや日本を含め、世界各国に十数万の信者たちがいます。
ホープ・ワールドワイドは、1991年に設立されたプロテスタント系の慈善事業団体です。このホープを支援しているのが、キリスト教のなかでも新宗教(新宗派)に属する「キリストの教会」(Church of Christ )。「キリストの教会」は、19世紀末にアメリカで創立され、いまや日本を含め、世界各国に十数万の信者たちがいます。
ホープ・ワールドワイドは急速に成長し、今や世界的なネットワークをもち、7万人のボランティアと500人を越える医師団を抱える大規模な組織となっています。
アメリカ国内でも、麻薬患者へのリハビリの援助や、貧困のために予防注射を受けていない子どもたち向けのキャンペーンなどを実施していますが、主なる活動は第三世界で行われています。
ハンセン氏病患者のための村をインドで建設したり、タイで女性教育を推進したり、アフリカでエイズクリニックを運営したりと、合計34カ国で75のプロジェクトを営んでいます。最近は国連NGO(非政府組織)に認定され、アメリカの公式なODA(政府開発援助)機関であるUSAID からも資金の一部を調達できるほど、その活動は高く評価されています。
深見氏は、ホープの存在を知り、すぐに創立者であるゲンペル夫妻を日本に招聘し、1996年7月末に初めて会談を持ちました。
深見氏とゲンペル夫妻は、共に前人未到の夢を実現することが生き甲斐であるなど話が弾み、意気投合したのでした。病院運営の具体案はこの会談を期に、トントン拍子に進んでいったのです。
深見氏は、ゲンペル夫妻が、宗教的情熱と誠意にあふれた純粋な方と感じ、共にプロジェクトを進めていける、またとないパートナーだと感じました。また夫妻は、深見氏が福祉活動家であるのみならず、カーネギーホールでチャリティコンサートを開き、さらに自らも歌手として出演して喝采を浴びるなど、芸術性と実行力あふれる人物であることに驚き、かつ敬意を表したのです。
夫妻は、「私たちの人生の中で出会った人の中で、最も明るく、楽しく、素晴らしく、信じられないような偉大な人が深見さんです」とおっしゃり、今後とも是非一緒にカンボジアの病院を運営したいと懇願されたのです。

シアヌーク病院の完成
そして、1996年12月…
ついにシアヌーク病院は完成しました。
ついにシアヌーク病院は完成しました。
病院の設計は、日本の著名な建築家・丹下健三氏が、無償で引き受けてくださったものです。その建物の洗練された美しさは、この国の未来への希望を象徴しているかのようです。無論、外観だけではありません。2階建て・40ベッド、緊急・集中治療設備を擁したこの病院は、医師の質や数、また設備の質や量においても、圧倒的にカンボジア第一であり、かつ救急病院であり、すべての診療が無料で行われるのです。

カンボジア新聞でも、病院の記事が大きく取り上げられた。また、カンボジアのテレビニュースでも大きく取り上げられた。
1996年12月9日には、シアヌーク国王主催の昼食会が開かれ、深見氏はじめ病院建設に功労のあった方々が、王宮に招かれて国王夫妻と会食されました。
この病院の完成は、カンボジア王国にとって、それほどの慶事であったのです。
この病院の完成は、カンボジア王国にとって、それほどの慶事であったのです。

深見東州氏(2列目左から4人目)と「ホープ」のメンバー(後列左から7人目が「ホープ」の代表ゲンペル氏)。彼らはシアヌーク病院を運営していく、医療スタッフである。
さらに10日に行われたオープニング・セレモニーには、モニニヤット王妃をはじめ、ラナリット第一首相(シアヌーク国王の長男)、カンボジアの大臣たちも列席されました。
わずか2年前まで、誰も思い描いたことのなかった、「最新鋭の医療設備を備え、貧しい人でも無料で治療が受けられる、救急病院をカンボジアに!」という夢──。
深見氏が抱いた純粋な想いが、周囲を動かし、ワールドメイト7万人の会員や、クリッシャー氏、ゲンペル夫妻、ホープが賛同してきたその夢は、今大きく花開きました。そして今では、年間10万人もの人たち──これまで、医師の未熟さや設備不足や貧しさのために、満足な診療を受けられず苦しんでいた人たち──がこの病院を訪れ、命を救われるようになったのです。
カンボジアに灯された医療の光は、皆様のバックアップを受けて、今も人々を照らしています。
シアヌーク病院の建設…それは、病に苦しむカンボジアの人々に、救われる道が開かれたことであり、また同時に、私たち一人一人が、その人々を手助けする手段を得たということなのです。
シアヌーク病院の建設…それは、病に苦しむカンボジアの人々に、救われる道が開かれたことであり、また同時に、私たち一人一人が、その人々を手助けする手段を得たということなのです。
1996年4月10日 カンボジア王宮にて
1996年4月10日、深見氏とワールドメイトのスタッフが、カンボジア王宮においてシアヌーク国王と会見。会談のはじめに、シアヌーク病院開設に関して、シアヌーク国王より、たいへん上品な英語で感謝のお言葉を賜りました。以下にその全文をご紹介します。
[原 文]
My warmest congratulations to you, Mr. . May I avail myself of this nice opportunity to express my deepest gratitude on behalf of the Cambodian people for your great generosity. This wonderful hospital with modern equipment is very much appreciated. I thank you very much for your kind, generous and noble actions towards Cambodia and the Cambodian people.
My warmest congratulations to you, Mr. . May I avail myself of this nice opportunity to express my deepest gratitude on behalf of the Cambodian people for your great generosity. This wonderful hospital with modern equipment is very much appreciated. I thank you very much for your kind, generous and noble actions towards Cambodia and the Cambodian people.
[日本語訳]
深見様、心よりご祝福申し上げます。この場をお借りして、カンボジア国民に代わり、貴殿の広く温かいおこころざしに、厚く御礼申し上げます。最新の医療機器が装備された、この画期的な病院が実現することになり、これほどの喜びはありません。わが国とわが国民に対して捧げられた、貴殿の優しく、寛大で、そして尊い真心に、深く感謝申し上げます。
深見様、心よりご祝福申し上げます。この場をお借りして、カンボジア国民に代わり、貴殿の広く温かいおこころざしに、厚く御礼申し上げます。最新の医療機器が装備された、この画期的な病院が実現することになり、これほどの喜びはありません。わが国とわが国民に対して捧げられた、貴殿の優しく、寛大で、そして尊い真心に、深く感謝申し上げます。

シアヌーク国王より、深見東州氏に贈られた、ハンドメイドの銀製品。
組織と運営
シアヌーク病院の任務は、高度で無料の医療サービスを、援助が 必要な貧しい人々に24 時間体制で提供しながら、医療専門家たちに 更なる教育と臨床的なトレーニングの場を提供することです。
シアヌーク病院は、ワールドメイトの資金拠出と、カンボジア王国政府の土地提供により、 1996年12月プノンペンに建設されました。
シアヌーク病院は、ワールドメイトの資金拠出と、カンボジア王国政府の土地提供により、 1996年12月プノンペンに建設されました。
理 事
1997年、ワールドメイトとホープ・ワールドワイドのバックアップを受けて、米国公益法人「シアヌーク・ホスピタル・コーポレーション」が、シアヌーク病院を運営・管理する組織編成を行う目的で設立されました。理事会は、会長のバーナード・クリッシャー氏、病院のメイン・スポンサーであるワールドメイトリーダーである副会長の深見氏、会計のロバート・ゲンペル氏の3 名によって構成されています。
病院の運営と設備
シアヌーク病院は、20名の外国籍者と170名のカンボジア人スタッフが協力して、年間約10万人の診察を行っています。カンボジア人の医療スタッフ106名の中には、 20名の内科医と3名の外科医、60名の看護婦、5名の放射線技師、10名の研究所員、2名の殺菌担当スタッフ、6名の薬剤師が含まれています。
カンボジア人の医療スタッフたちは、臨床経験を通じて、高度な医療知識や責任感を養っています。シアヌーク病院は、貧しい人々を救済すると同時に、こうしたカンボジア人医療スタッフの教育を通じて、カンボジア全体の医療レベル向上に寄与しているのです。
患者は外来クリニックまたは緊急治療室を通じて、病院のシステムに登録されます。重症患者が入院する外科病棟には、2つの手術室があります。また週1回、特別の外科クリニックも行われています。
地方の村への訪問医療活動はアメリカ赤十字およびVeterans International との共同で行われています。
これらのサービスを実現させるため、放射線医学、研究所および調剤、経営、執行、保管、安全、管理および車両部門のスタッフたちが、現場で24時間体制の医療サービスを提供するよう協力し合っています。

写真左から、クリッシャー氏、ゲンペル夫妻、深見東州氏
2015年から体制が変わりました。
2015年から、シアヌーク病院の体制が変わりました。
「 ワールドメイト救急病院とシアヌーク病院 」
「 ワールドメイト救急病院とシアヌーク病院 」
ワールドメイトでは、2012年3月から、カンボジア第2の都市バッタンバンで、ワールドメイト・エマージェンシー・ホスピタル(ワールドメイト救急病院)という、外科病院の運営を行なっています。スタッフの数は、約300人です。もとは、イタリアのNGOが運営してましたが、ヨーロッパ経済の不況により、運営を放棄して閉院になる所でした。それを救済し、運営を引き継ぎ、内容を拡充させたのです。
バッタンバンは、人口はカンボジア第2位ですが、高度な医療を受けられる病院が、圧倒的に足りません。だから、この病院の存続は、現地の人に本当に喜ばれ、感謝されてるのです。
しかも、ここには、カンボジアNo.1の外科医がいます。ですから、医療レベルは、カンボジアNo.1と言われるのです。
そして、治療費を払えない、貧しい人には無料診療を行なっています。2013年は、約65パーセントが無料診療でした。2015年からは、すべてが無料診療になります。この費用は、ワールドメイト会員の、皆さんの浄財で支えているのです。
一方、カンボジアの首都プノンペンは、ここ数年で急速に経済が発展し、人々の生活も豊かになってきました。
ワールドメイトが、プノンペンに24時間無料救急病院(シアヌーク病院)を建設した頃は、本当に貧しく、無料診療の救急病院はここだけでした。今から、18年前の1996年の事です。当時は、ここしかなかったので、遠くから何時間もかけて来院し、治療を受ける人が大勢いました。
ところが、ここ数年は、プノンペンでのシアヌーク病院のように、貧しい人に無料診療する病院が増えました。政府の通達により、数年前から、公的病院が貧しい患者を無料診療するようになったのです。全体の患者数の、2割ぐらいだそうです。
我々のシアヌーク病院がモデルとなり、無料診療の病院が増えたのは、復興の証であり、大変素晴らしいことです。これにともない、シアヌーク病院の患者数は、相当数減りました。近くの病院でも、無料で診てくれるからです。
この事は、大変慶ばしい事です。ですから、喜びをもってシアヌーク病院も、これから求められる高度な医療や、専門化した病院に脱皮する時期が来たのです。
ワールドメイトでは、2012年3月から、カンボジア第2の都市バッタンバンで、ワールドメイト・エマージェンシー・ホスピタル(ワールドメイト救急病院)という、外科病院の運営を行なっています。スタッフの数は、約300人です。もとは、イタリアのNGOが運営してましたが、ヨーロッパ経済の不況により、運営を放棄して閉院になる所でした。それを救済し、運営を引き継ぎ、内容を拡充させたのです。
バッタンバンは、人口はカンボジア第2位ですが、高度な医療を受けられる病院が、圧倒的に足りません。だから、この病院の存続は、現地の人に本当に喜ばれ、感謝されてるのです。
しかも、ここには、カンボジアNo.1の外科医がいます。ですから、医療レベルは、カンボジアNo.1と言われるのです。
そして、治療費を払えない、貧しい人には無料診療を行なっています。2013年は、約65パーセントが無料診療でした。2015年からは、すべてが無料診療になります。この費用は、ワールドメイト会員の、皆さんの浄財で支えているのです。
一方、カンボジアの首都プノンペンは、ここ数年で急速に経済が発展し、人々の生活も豊かになってきました。
ワールドメイトが、プノンペンに24時間無料救急病院(シアヌーク病院)を建設した頃は、本当に貧しく、無料診療の救急病院はここだけでした。今から、18年前の1996年の事です。当時は、ここしかなかったので、遠くから何時間もかけて来院し、治療を受ける人が大勢いました。
ところが、ここ数年は、プノンペンでのシアヌーク病院のように、貧しい人に無料診療する病院が増えました。政府の通達により、数年前から、公的病院が貧しい患者を無料診療するようになったのです。全体の患者数の、2割ぐらいだそうです。
我々のシアヌーク病院がモデルとなり、無料診療の病院が増えたのは、復興の証であり、大変素晴らしいことです。これにともない、シアヌーク病院の患者数は、相当数減りました。近くの病院でも、無料で診てくれるからです。
この事は、大変慶ばしい事です。ですから、喜びをもってシアヌーク病院も、これから求められる高度な医療や、専門化した病院に脱皮する時期が来たのです。
思えば、プノンペンで、シアヌーク病院の建設が始まったのは、1994年のことです。2015年で、21周年を迎えました。そこで、21周年を機に、シアヌーク病院の体制が変わりました。
これまで、ワールドメイトでは、シアヌーク病院の第1病棟、第2病棟、第3病棟を建設し、毎年、コアとなる運営費を拠出してきました。そして、米国のキリスト教系の医療団体ホープが、現地の診療を担い、協力し合ってきたのです。
しかし、今後は、シアヌーク病院の運営を、ホープに全て委譲します。ワールドメイトも、ある程度の支援は続けますが、運営の第一線からは退くことになりました。
理由はより貧しく、より困窮してる地域や、人々の救済にワールドメイトの支援を移すためです。つまり、軸足を少しシフトさせるのです。
カンボジアの地方は、依然として無料救急病院もなく、治療を受けられない貧しい人が大勢います。そこで、これまでワールドメイトの支援は、シアヌーク病院が中心でしたが、今後は、バッタンバンの病院での無料診療や、シアムリアップ(アンコール・ワットのある州)での、新たな医療活動などに多様化します。