深見東州 (ワールドメイト) 情報事典
「続・アカスリ半田劇場」深見東州のマルチな才能に迫る
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あの「アカスリ半田劇場!」が帰ってきた!シニアゴルフやボウリングなど多くのスポーツ大会に協賛する「ISPS」会長、半田晴久氏(63)の素顔に迫った連載は昨年大好評。そこで「続あかすり半田劇場」としてここにスタート。スポーツを通じた社会貢献をはじめ、オペラ歌手、画家、書家、能楽師などとしても精力的に活動、想像を超えるマルチな才能の持ち主である同氏に迫る。
スポーツニッポン連載 2014年7月9日〜9月24日
連載第1回「日本のブラインドゴルフの父」
使命は2020年パラリンピックの正式種目にすること
スポーツを通じて社会貢献
半田氏は「日本のブラインドゴルフの父」として知られる。視覚障がい者によるゴルフはベトナム戦争で負傷した米軍人のメンタルリカバリーのために始まったもの。現在は、英語圏だけでなく、世界的に活動が広がっている。
「37歳でゴルフを始めた」という半田氏。同時期にオーストラリア・パースで視覚障がい者ロン・アンダーソン氏と出会い、ブラインドゴルフを知った。「一緒にゴルフをしたが、底抜けに明るい性格と、ゴルフを楽しむ優れたプレーに感動した。スポーツの力を最初に実感した瞬間だった」
日本初のブラインドゴルフ倶楽部(現NPO法人日本ブラインドゴルフ振興協会)を設立したことをきっかけに、スポーツを通じた社会貢献をするようになる。現在、国際スポーツ振興協会(ISPS)の会長としてブラインドゴルフ大会などを主催、協賛している。
「ISPSは視覚障がい者ゴルフの認知度を高めるため、全世界でゴルフを長い間支えてきました。2020年の東京五輪も決定した。私たちの大きな使命は、ゴルフを2020年パラリンピックの正式種目にすること」と半田氏。「日本のブラインドゴルフの父」は、プロアマ戦では必ずブラインドゴルファーを招待し、トップシニアらと交流する機会をつくっている。

連載第2回『ゴルフによる社会貢献』に全力投球」
スポンサードする大会にブラインドゴルファーを招待
半田晴久氏が会長を務める「ISPS」はスポーツ、特にゴルフによる社会貢献を活動の柱にしている。その母体は、88年に発足した日本ブラインドゴルフ振興協会だ。ISPSがスポンサードする大会は、プロアマ戦にブラインドゴルファーを招待し、賞金の一部を社会福祉活動に寄付している。
これには2つの理由がある。「チャリティーやフィランソロピーは、ゴルフ文化の奥にある重要な要素」と半田氏。欧米のゴルファーは、社会貢献を当然のこととして考えるが、日本ではこれまで当たり前のことではなかったという。
東日本大震災や津波の際、日本のゴルフ界は復興支援に尽力した。ISPSは、こうした支援が定着するよう、積極的に大会をスポンサードしているのだ。
2番目の理由として、「20年パラリンピックにゴルフが採用される」という目標がある。そのため、国内では国体後の障がい者スポーツ大会で、ゴルフが正式採用されるための働きかけをしている。ゲーリー・プレーヤー、ニック・ファルド、イアン・ウーズナムら、世界的なビッグネームも活動に賛同しているという。これは、活動がグローバル化していることを示している。
12年からは、インストラクターの育成にも本格的に取り組んでいる。同年1月、英国PGAとISPSによる、「ISPSハンダPGAアカデミープログラム」がスタート。英国PGAのプロ選手に、ブラインドゴルファーらのコーチをするためのトレーニングをし、コーチ資格を与えるためのもの。「障がい者ゴルフが、これによって一層普及することを願います」と、半田氏は力を込めた。

連載第3回「メジャーだけでなくマイナー競技にもスポット」
ボウリングやボートなど支援 「スポーツの力を信じている」
半田氏が会長を務める「ISPS」は、国際スポーツ振興協会(INTERNATIONAL SPORTS PROMOTION SOCIETY)の略称。
今年も、6月のシニアゴルフツアー「ISPS・HANDA CUP・フィランスロピーシニアトーナメント」(箱根湖畔GC)の冠スポンサーとなったほか、多様な競技を支援している。
今年も、6月のシニアゴルフツアー「ISPS・HANDA CUP・フィランスロピーシニアトーナメント」(箱根湖畔GC)の冠スポンサーとなったほか、多様な競技を支援している。
「スポーツ全体を見ていかないといけない。スポーツの世界での、社会貢献は文化の創造につながる」という、半田会長の信念がメジャーなものだけでなく、いわゆるマイナー競技にもスポットを当てている。
中でも、ボウリングへの支援は厚い。07年から男女レギュラー、男女シニアの公式戦を支え、今年も、6月の「第5回プロマスターズ」(田町)、「JLBCオープン第7回プラチナレディーストーナメント」(品川)、11月の「第48回全日本プロ選手権大会(会場未定)、12月の「第46回全日本女子プロ選手権大会」(品川)を「HANDA CUP」として開催。
これまで、オーストラリアの、競泳パラリンピアンとスポンサー契約したほか、11月からは英国の「モレシー・ボート・クラブ」の支援を開始。主要な装置を購入した同クラブは、トップレベルのコーチ陣を迎え、12年ロンドン五輪同国代表に8人を送り込んだ。本番では、操舵手なしの4人乗り漕艇で、金メダルを獲得した。このほか、男子エイトでも銅メダルを5個獲得した。
「スポーツの力を強く信じている。スポーツを通して、社会に元気を与えたい」と半田会長。今後も、あらゆる種目に目を配り、活動を続けていく考えだ。

連載第4回「世界を股に掛けたスポーツ外交」
スポーツ平和サミット東京大会に著名人ずらり
半田氏の活動は幅広い。ISPS会長としてだけでなく、NPO法人世界開発協力機構(WSD)総裁としても、精力的に動いている。その働きは、まさに「スポーツ外交官」そのものだ。
ISPSでは、16年リオデジャネイロ五輪を見据え、昨年の「HANDA ワールドカップオブゴルフ(W杯)」(オーストラリア)を、72ホールストロークプレーの個人戦と団体戦という新方式で開催。日本代表として、石川遼と谷原秀人が出場した。
「16年のリオ五輪から、ゴルフが正式種目に戻るにあたり、それと同じ形式や出場資格を採用するワールドカップゴルフは、高いシナジー効果があると思う。さらに、ISPSは視覚障がい者ゴルフの認知度を高めるため、全世界でゴルフを長い間支えてきた。2020年の東京五輪も決まり、男子ゴルフを応援する意味もあります」と熱く語った。
また、WSDとしては、「世界オピニオンリーダーズ サミット」を開催。元米大統領のビル・クリントン氏が来場し、半田総裁と対談した。WSDが、「クリントン財団」の公式パートナーであることから、ついに実現したビッグ対談。共通の友人である歌手マイケル・ボルトン氏の存在や、共通の趣味のゴルフを通じて、友情を深めた経緯が明かされた。半田総裁は、クリントン氏と初対面時に着用してたものと同じ、赤いネクタイを締めていた。そのことを認識した、クリントン氏は即座に握手を求めた。固い友情で結ばれた2人の熱弁が、未来につながるサミットを大いに盛り上げた。
世界中を訪問してることから、南アフリカではボクシングの元ヘビー級世界王者イベンダー・ホリフィールド氏(米国)と出会い、米国ではフィギュアスケーターのミシェル・クワン氏と意気投合した。英国では、ロンドン五輪を成功に導いたコリン・モイニハン卿と親しくなり、昨年7月には、前述した著名人がそろって参加した、スポーツ平和サミット東京大会も開催した。
このように、世界を股に掛けたスポーツ外交は今後も続いていく。

連載第5回「一番になることより「進化」が大切」
「完璧を求めないこと」を信条に多方面で才能発揮
スポーツだけではなく、芸術や文化でも、マルチな才能を各所で発揮している半田氏。多くのことを同時にできる秘訣(ひけつ)は何なのだろう。それは、「完璧を求めないこと」だとする。
「一つ一つを完璧にやろうとすると、両立に悩む。仕事と芸術、仕事とボランティア。どちらも完璧にやろうとするから悩むのだ。7割くらいできたらいい。どちらも、中途半端で70点くらいとれればいい。100%と思うから行き詰まる。中途半端がいけないのは、中途半端で終わること。中途半端のまま、30年やったら両方プロになれる。50年やったら大家になれる。少なくとも、10年続ければ茶道、華道などでは看板がもらえる」と言う。
そんな半田氏だが、挫折はなかったのだろうか。
「悩んだこと、行き詰まりはあったが、挫折はない。何でも、自分が一番にならなければと思うから、挫折するのだ。上には上がいるのは当然で、トップを目指すけれども5、6番目でもいいという発想が大事」だと説く。そして、進化と言う言葉で、思考法を説明する。
「悩んだこと、行き詰まりはあったが、挫折はない。何でも、自分が一番にならなければと思うから、挫折するのだ。上には上がいるのは当然で、トップを目指すけれども5、6番目でもいいという発想が大事」だと説く。そして、進化と言う言葉で、思考法を説明する。
「今より明日、進化していればいい。明日よりも、あさって進化していればいいと考える。そうすると、いつの間にか壁を越える。だから、絵でも書でもゴルフでも、一歩でも二歩でも進化していればいいと、それだけ考えてやってるので挫折はしない」とする。
だから、「自分は壁は素晴らしいと思っている。壁を越えたら進化するから。壁は、進化のためにある。自分で考えて行き詰まったら、他の優れた作品に学んで、触れて吸収すれば壁は越えられる。自分が進化していればいい、と考えるとまた壁を越えられる。目標を目指している、一日一日の進化が大切と考えると、2番だったり、3番だったりしてもがっかりしない。目標に向かって、進化していること自体が尊いのだ」と熱く語った。

連載第6回「人生に影響与えたトカラ列島での釣り」
“はるばる”自分で足を運ぶことの大切さを学んだ
魚釣りも好きだと言う半田氏が、釣りから学んだこととは――。
防波堤での釣りや、アユ釣りなどを楽しんでいた半田氏。しかし、奄美大島から、船で5時間かけて行ったトカラ列島で、ムロアジを餌に、37キロと24キロのロウニンアジなど16匹を釣り上げたことが、人生に大きな影響を与えた。
防波堤での釣りや、アユ釣りなどを楽しんでいた半田氏。しかし、奄美大島から、船で5時間かけて行ったトカラ列島で、ムロアジを餌に、37キロと24キロのロウニンアジなど16匹を釣り上げたことが、人生に大きな影響を与えた。
「はるばると、誰も来ないような遠くの海で、美しくて大きい感動的な魚が釣れたことで、44歳での音大受験を決心した」。40歳から始めた、プライベートレッスンで声楽は頭に入ってはいたが、“はるばる”音大に行かなければ、音楽理論の基礎や歌やオペラの高い領域にはいけない、と感じたからだ。46歳で武蔵野音大特修科声楽専攻を卒業し、47歳からは、西オーストラリア州立エディスコーエン大芸術学部大学院に入学し、3年がかりで修士号を取得。その後、世界5大バリトンの先生について、50歳から毎年フルのオペラの主役をやった。それを10年間続け、バリトン主役の、ほとんどの難曲をやりこなした。
また「はるばる南アフリカに行ったら、ボクシングの元ヘビー級世界王者イベンダー・ホリフィールドに会えた。はるばるニューヨークに行ったら、ビル・クリントン元米大統領に会えた」。今、世界中で、たくさんの活動ができているのも、“はるばる”、自分で足を運んだからこそできたと言う。
「難しいことに挑戦しなければ、誰もできないようなことはできない。その意味で、トカラ列島での釣りから学んだことは大きかった」。遠路はるばる、でかい魚がいる所に飛び込んで行き、真正面からぶつかって釣ってくる。「度胸と根性がないと、一生防波堤釣りで終わってしまう。今は、どんな釣りでも好きですけどね」と笑った。(おわり)
